(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022176488
(43)【公開日】2022-11-30
(54)【発明の名称】フィードバックキャンセラ及びこれを備えた音響機器、フィードバックのキャンセル方法
(51)【国際特許分類】
H04R 25/00 20060101AFI20221122BHJP
H04R 3/02 20060101ALI20221122BHJP
【FI】
H04R25/00 M
H04R3/02
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021082954
(22)【出願日】2021-05-17
(71)【出願人】
【識別番号】000115636
【氏名又は名称】リオン株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100120592
【弁理士】
【氏名又は名称】山崎 崇裕
(74)【代理人】
【識別番号】100192223
【弁理士】
【氏名又は名称】加久田 典子
(72)【発明者】
【氏名】湯野 悠希
(72)【発明者】
【氏名】昼間 信彦
(72)【発明者】
【氏名】舘野 誠
【テーマコード(参考)】
5D220
【Fターム(参考)】
5D220CC06
(57)【要約】
【課題】適応フィルタの推定精度を高めつつハウリングを確実に抑制する技術の提供。
【解決手段】係数更新部13は、NLMSアルゴリズムを用い、誤差信号e(n)及び遅延処理後の信号u(n)に加え、初期伝達関数の係数W
0に基づいて、適応フィルタ11の係数を更新する。具体的には、現在の適応フィルタ11の係数と初期伝達関数の係数W
0とのタップ毎の差分の総和が所定の値より小さい(=現在の係数が係数W
0に近い)場合には、係数W
0を踏まえて係数を更新し(S140:Yes→S150)、所定の値以上である(=現在の係数が係数W
0に近くない)場合には、係数W
0を踏まえずに係数を更新する(S140:No→S160)。このような構成により、静かな環境で入力信号のレベルが低い場合や閉ループゲインが下がっている場合においても適応フィルタの更新を滞らせないため、推定精度を高めるとともにハウリングを確実に抑制することができる。
【選択図】
図2
【特許請求の範囲】
【請求項1】
音の出力手段から音の入力手段へのインパルス応答を推定し、自己に入力される参照信号に基づいてフィードバック成分の推定値に相当する信号を出力する適応フィルタと、
前記音の入力手段の出力信号から前記適応フィルタの出力信号を減じて得られる誤差信号を出力する減算部と、
前記音の出力手段及び前記音の入力手段を用いて予め測定された、使用環境に固有のフィードバックのインパルス応答に基づく初期伝達関数の係数を記憶する記憶部と、
前記参照信号及び前記誤差信号に基づいて前記適応フィルタの係数の更新量を算出し、前記適応フィルタの現在の係数と前記初期伝達関数の係数との差が所定の値より小さい場合には、前記更新量に前記初期伝達関数の係数を踏まえて前記適応フィルタの係数を更新し、前記差が前記所定の値以上である場合には、前記初期伝達関数の係数を踏まえることなく前記適応フィルタの係数を更新する係数更新部と
を備えたフィードバックキャンセラ。
【請求項2】
請求項1に記載のフィードバックキャンセラにおいて、
前記参照信号及び前記誤差信号の少なくとも一方における周波数帯域を制限する帯域制限部
をさらに備え、
前記係数更新部は、
前記帯域制限部の出力信号に基づいて前記適応フィルタの係数の更新量を算出することを特徴とするフィードバックキャンセラ。
【請求項3】
請求項1に記載のフィードバックキャンセラにおいて、
前記参照信号及び前記誤差信号の少なくとも一方を白色化する白色化部
をさらに備え、
前記係数更新部は、
前記白色化部の出力信号に基づいて前記適応フィルタの係数の更新量を算出することを特徴とするフィードバックキャンセラ。
【請求項4】
請求項1から3のいずれかに記載のフィードバックキャンセラにおいて、
前記係数更新部は、
前記差が所定の値より小さい場合には、前記適応フィルタの現在の係数と前記初期伝達関数の係数との差に所定の定数を乗じた値を前記更新量から減じた値を現在の係数に加えて更新し、前記差が前記所定の値以上である場合には、前記適応フィルタの現在の係数に前記更新量を加えて更新することを特徴とするフィードバックキャンセラ。
【請求項5】
少なくとも、
請求項1から4のいずれかに記載のフィードバックキャンセラと、
入力される音を電気信号に変換して前記減算部に出力する音入力手段と、
前記誤差信号に基づく電気信号を音に変換して出力する音出力手段と
を備えた音響機器。
【請求項6】
音の出力手段から音の入力手段へのインパルス応答に関し、使用環境に固有のフィードバックのインパルス応答に基づく初期伝達関数の係数を測定する測定工程と、
前記インパルス応答を推定し、入力される参照信号に基づいてフィードバック成分の推定値に相当する信号を出力する推定工程と、
前記音の入力手段の出力信号から前記推定工程で出力された信号を減じて得られる誤差信号を出力する減算工程と、
前記推定工程での推定に用いられる推定用係数の更新量を前記参照信号及び前記誤差信号に基づいて算出し、現在の前記推定用係数と前記初期伝達関数の係数との差が所定の値より小さい場合には、前記更新量に前記初期伝達関数の係数を踏まえて前記推定用係数を更新し、前記差が前記所定の値以上である場合には、前記初期伝達関数の係数を踏まえることなく前記推定用係数を更新する係数更新工程と
を含むフィードバックのキャンセル方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、フィードバックキャンセラ及びこれを備えた音響機器、並びにフィードバックのキャンセル方法に関する。
【背景技術】
【0002】
補聴器は、マイクロホンとイヤホンが近接しており且つ高利得な増幅を行うため、ハウリングを伴う音響フィードバックの問題と常に隣り合わせであり、ハウリングを抑制するには、インパルス応答を推定する適応フィルタの構築が必要不可欠である。しかしながら、インパルス応答は補聴器装用者毎に異なる上に時変であり、さらには、演算能力の厳しい制約の下で低遅延且つ高音質な出力と同時にハウリングの抑制を実現しなければならないことから、補聴器における音響フィードバックの問題は難易度が高く、従来、様々な手法によりその解決が試みられている。例えば、適応アルゴリズムとしてLMSアルゴリズムを用いた適応フィルタの構築手法が一般的に知られている。また、この手法について一部改善を図った技術が開示されている(例えば、非特許文献1を参照。)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【非特許文献1】James M. Kates著,「Constrained adaptation for feedback cancellation in hearing aids」,The Journal of the Acoustical Society of America,Vol.106,No.2,p.1010-1019,1999年8月
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
補聴器におけるハウリング抑制処理において大きな課題となっているのは、周期信号の入力時に適応フィルタの推定精度の低下によって発生するエントレインメント(入力信号が歪んで異音が生じる現象)や一時的なハウリングである。適応フィルタの推定精度を低下させる要因としては、補聴器の閉ループゲインの低下や入力信号のレベルの低下が挙げられる。また、閉ループのゲインが低下するケースとしては、補聴器のボリュームが小さい場合や、雑音や残響を抑制する処理(以下、「雑音抑制処理」と称する。)によって出力音のレベルが下がることでマイクに帰還する音のレベルが低下している場合が考えられる。
【0005】
ここで、ハウリングの発振条件について、
図11を参照しながら説明する。
図11中(A)は、ハウリング抑制処理を実行可能な補聴器の基本的な構成図である。構成図における「F(z)」はフィードバック伝達関数であり、「W(z)」は適応フィルタが推定した伝達関数であり、「G(z)」は増幅処理や雑音抑制処理を含む補聴処理である。
図11中(B)は、この補聴器における閉ループ伝達関数C(z)を表している。
図11中(C)は、この補聴器においてハウリング抑制処理を実行する際のハウリングの発振条件を表している。ここで、「ω
i」は、3つの条件式を満たすi番目の周波数である。また、「D(ω
i)」は、フィードバック伝達関数から推定したフィードバック伝達関数を差し引いた差分の伝達関数である。すなわち、一巡伝達関数が1以上かつ位相が揃う特定の周波数において、ハウリングの発振条件を満たすこととなる。
【0006】
LMSアルゴリズムを用いた従来の一般的な適応フィルタでは、雑音抑制処理によって閉ループのゲインが低下した場合や入力信号のレベルが小さい場合に、適応フィルタの係数の更新が滞る場合がある。その結果、適応フィルタの推定精度が低下し、「F(z)」と「W(z)」との差が大きくなるため、上記の発振条件を満たす可能性が高くなる。さらに、雑音抑制処理の最中に突発音が入力されると、雑音抑制処理が解除されて補聴器のゲインが急上昇し、「G(ωi)」が大きくなるため、やはり上記の発振条件を満たす可能性が高くなる。
【0007】
一方、上記の非特許文献に記載された技術においては、補聴器の初期の装用状態におけるインパルス応答(以下、「初期伝達関数の係数」と称する。)を測定しておき、適応フィルタの係数が初期伝達関数の係数から大きく逸脱することを防ぐための構成が採られている。そのため、この技術によれば、推定精度の低下は一定の範囲内に抑えられると考えられる。しかしながら、この技術では、インパルス応答が初期の装用状態から大きく変化した場合に、ハウリングが止まらなくなる虞がある。適応フィルタは、推定精度が高いだけでなく、インパルス応答が初期の装用状態から大きく変化した場合でもハウリングを抑制可能であることが望ましい。
【0008】
そこで、本発明は、適応フィルタの推定精度を高めつつハウリングを確実に抑制する技術の提供を課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記の課題を解決するため、本発明は以下のフィードバックキャンセラ及びこれを備えた音響機器、並びにフィードバックのキャンセル方法を採用する。なお、以下の括弧書中の文言はあくまで例示であり、本発明はこれに限定されるものではない。
【0010】
すなわち、本発明のフィードバックキャンセラは、音の出力手段から音の入力手段へのインパルス応答を推定し、自己に入力される参照信号に基づいてフィードバック成分の推定値に相当する信号を出力する適応フィルタと、音の入力手段の出力信号から適応フィルタの出力信号を減じて得られる誤差信号を出力する減算部と、音の出力手段及び音の入力手段を用いて予め測定された、使用環境に固有のフィードバックのインパルス応答に基づく初期伝達関数の係数を記憶する記憶部と、参照信号及び誤差信号に基づいて適応フィルタの係数の更新量を算出し、適応フィルタの現在の係数と初期伝達関数の係数との差が所定の値より小さい場合には、更新量に初期伝達関数の係数を踏まえて適応フィルタの係数を更新し、差が所定の値以上である場合には、初期伝達関数の係数を踏まえることなく適応フィルタの係数を更新する係数更新部とを備えている。
【0011】
LMSアルゴリズムを用いた従来の一般的なフィードバックキャンセラにおいては、静かな環境で入力信号のレベルが低い場合や閉ループゲインが下がっている場合に、適応フィルタの係数の更新が滞って推定誤差が大きい状態が継続し、そのような状態で突発音が入力されると一時的なハウリングを生じる場合がある。
【0012】
これに対し、上記の態様のフィードバックキャンセラにおいては、予め測定された使用環境に固有の初期伝達関数の係数(初期の状態におけるインパルス応答)が適応フィルタの係数の更新に用いられる。したがって、上記の態様のフィードバックキャンセラによれば、静かな環境で入力信号のレベルが低い場合や閉ループゲインが下がっている場合においても適応フィルタの更新を滞らせることがないため、推定誤差を小さくして推定精度を高めることができるとともに、ハウリングを確実に抑制することができる。
【0013】
好ましくは、上記の態様のフィードバックキャンセラにおいて、参照信号及び誤差信号の少なくとも一方における周波数帯域を制限する帯域制限部をさらに備え、係数更新部は、帯域制限部の出力信号に基づいて適応フィルタの係数の更新量を算出する。或いは、上記の態様のフィードバックキャンセラにおいて、参照信号及び誤差信号の少なくとも一方を白色化する白色化部をさらに備え、係数更新部は、白色化部の出力信号に基づいて適応フィルタの係数の更新量を算出する。
【0014】
これらの態様のフィードバックキャンセラによれば、推定誤差をより小さくして推定精度をより高めることができるとともに、ハウリングをより確実に抑制することができる。
【0015】
さらに好ましくは、上記のいずれかの態様のフィードバックにおいて、係数更新部は、差が所定の値より小さい場合には、適応フィルタの現在の係数と初期伝達関数の係数との差に所定の定数を乗じた値を更新量から減じた値を現在の係数に加えて更新し、差が所定の値以上である場合には、適応フィルタの現在の係数に更新量を加えて更新する。
【0016】
この態様のフィードバックキャンセラによれば、差が所定の値より小さい場合における適応フィルタの係数の更新に、実機での検証結果又はシミュレーション結果に基づいて予め定められた値を踏まえた定数が用いられるため、現在の係数に加える値を微調整することができ、使用条件に合わせた初期伝達関数の係数の影響度を調整可能とする。
【0017】
また、本発明の音響機器は、少なくとも、上記のいずれかの態様のフィードバックキャンセラと、入力される音を電気信号に変換して前記減算部に出力する音入力手段と、誤差信号に基づく電気信号を音に変換して出力する音出力手段とを備えている。
【0018】
この態様の音響機器によれば、音入力手段(例えば、マイクロホン)に入力される音に応じた電気信号がフィードバックキャンセラ(具体的には減算部)に出力され、フィードバックキャンセラによりフィードバック成分が除去された誤差信号に基づく電気信号(誤差信号に対して利得の増幅を含む各種の音響処理がなされた後の電気信号)に応じた音が音出力手段(例えば、イヤホンやスピーカ)から出力されるため、ハウリングを確実に抑制することができる。
【0019】
そして、本発明のフィードバックのキャンセル方法は、上述したフィードバックキャンセラが備える各構成により実行される工程に加え、音の出力手段から音の入力手段への(音の出力点と入力点との間の)インパルス応答に関し、使用環境に固有のフィードバックのインパルス応答に基づく初期伝達関数の係数を測定する測定工程を含むものである。
【0020】
好ましくは、この態様のフィードバックのキャンセル方法において、測定工程では、初期伝達関数の測定を複数回或いは一定時間行い、測定結果間の差異が予め定められた所定の範囲内である場合には測定を終了し、所定の範囲を超える場合には測定を継続可能とする。
【0021】
この態様によれば、測定結果間の差異が所定の範囲を超えている場合には測定が継続されるため、偶発的な事象が測定結果に影響して初期伝達関数の係数を左右することを防ぐことができ、結果として推定工程での推定の精度向上に資することができる。
【0022】
より好ましくは、上記のいずれかの態様のフィードバックのキャンセル方法において、測定工程では、測定を行った回数が所定の最大回数を超えた場合には測定を終了する。
【0023】
この態様によれば、所定の最大回数を超えて測定が継続されることがないため、測定に伴う測定対象への負担(音響機器の使用者や使用環境にかかる負担、特に使用者(人間)に対する精神的な負担や時間的な負担)を最小限に抑制することができる。
【0024】
さらに好ましくは、上記のいずれかの態様のフィードバックのキャンセル方法において、測定工程での測定に先行して周囲騒音の程度及びその影響度の少なくとも一方を推定する騒音推定工程をさらに含み、測定工程では、騒音推定工程での推定結果に応じて、測定工程での測定に用いる音響信号の強度を調整する。
【0025】
この態様によれば、周囲騒音の程度やその影響度に応じて測定に用いる音響信号(プローブノイズ)の強度が調整されるため、周囲騒音が測定結果に影響して初期伝達関数の係数を左右することを防ぐことができ、結果として推定工程での推定の精度向上に資することができる。
【発明の効果】
【0026】
以上のように、本発明によれば、適応フィルタの推定精度を高めつつハウリングを確実に抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【
図1】第1実施形態のフィードバックキャンセラ10を備えた補聴器100の構成を示すブロック図である。
【
図2】第1実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。
【
図3】初期伝達関数の係数W
0の測定に係る構成を示すブロック図である。
【
図4】比較例としてのフィードバックキャンセラ10´を備えた補聴器100´の構成を示すブロック図である。
【
図5】比較例における係数更新処理の手順例を示す図である。
【
図6】第2実施形態のフィードバックキャンセラ20を備えた補聴器200の構成を示すブロック図である。
【
図7】第2実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。
【
図8】第3実施形態のフィードバックキャンセラ30を備えた補聴器300の構成を示すブロック図である。
【
図9】第3実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。
【
図10】適応フィルタのシミュレーション結果を実施形態と比較例とで対比させて示す図である。
【
図11】ハウリングの発振条件を説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、本発明の実施の形態について、図面を参照しながら説明する。なお、以下の実施形態は好ましい例示であり、本発明はこの例示に限定されるものではない。
【0029】
〔第1実施形態〕
図1は、第1実施形態のフィードバックキャンセラ10を備えた補聴器100の構成を示すブロック図である。
【0030】
図1に示されるように、フィードバックキャンセラ10は、例えば、適応フィルタ11、減算部12、係数更新部13、初期値記憶部14、遅延処理部15等で構成されている。フィードバックキャンセラ10においては、適応アルゴリズムとしてNLMSアルゴリズムが採用されている。また、補聴器100は、例えば、フィードバックキャンセラ10、マイクロホン50、補聴処理部60、増幅部70、イヤホン80等で構成されており、図示されていない電池で駆動する。補聴器100の構成要素のうち、マイクロホン50及びイヤホン80以外は、例えば、DSP(Digital Signal Processor)による信号処理によって実装可能である。
【0031】
なお、音響フィードバックの発生には、音を出力する手段及び音が入力される手段の両方の存在が前提となることから、マイクロホン50及びイヤホン80をフィードバックキャンセラ10の一部として捉えることも可能である。
【0032】
マイクロホン50には、音声等の所望の音や環境音等が混在した音(以下、「外来音」と称する。)に加えて、イヤホン80から出力された音x(n)が外耳道内から漏れフィードバック伝達関数F(z)を経てマイクロホン50にフィードバックされた音(以下、「帰還音」と称する。)が入力される。マイクロホン50は、入力された外来音s(n)と帰還音f(n)との複合音を電気信号に変換し、マイクロホン50固有の伝達特性を経た信号d(n)を出力する。
【0033】
適応フィルタ11は、後述する係数更新部13により更新される係数を用いてフィードバック伝達関数F(z)に対応する伝達関数W(z)を適応的に推定し、適応フィルタ11に入力される信号u(n)が伝達関数W(z)を経た信号y(n)を出力する。すなわち、信号y(n)は、イヤホン80からマイクロホン50にフィードバックされる帰還音の成分の推定値に相当する。減算部12は、マイクロホン50の出力信号d(n)から適応フィルタ11の出力信号y(n)を減算し、これにより得られる誤差信号e(n)を、補聴処理部60及び係数更新部13に出力する。
【0034】
補聴処理部60は、誤差信号e(n)に対して補聴処理G(z)を行い、補聴処理後の信号b(n)を、増幅部70及び後述する遅延処理部15に出力する。増幅部70は、補聴処理後の信号b(n)を所定の利得で増幅し、増幅部70固有の伝達特性を経た信号をイヤホン80に出力する。イヤホン80は、増幅部70の出力信号をイヤホン80に固有の伝達特性を経た音x(n)に変換して出力する。そして、イヤホン80から出力された音の一部は、上述したようにマイクロホン50に帰還することとなる。
【0035】
一方、遅延処理部15は、補聴器100において生じる遅延、すなわち補聴処理に伴う遅延やイヤホン80からマイクロホン50に帰還音が到達する際の遅延を補償するために、補聴処理後の信号を所定時間ずらして出力する。具体的には、遅延処理部15は、所定時間前に入力された補聴処理後の信号を、遅延処理後の信号u(n)として適応フィルタ11及び係数更新部13に出力する。
【0036】
そして、係数更新部13は、NLMSアルゴリズムを用いて、誤差信号が最小になるように適応フィルタ11の係数を更新する。具体的には、係数更新部13は、入力される誤差信号e(n)及び遅延処理後の信号u(n)に加え、初期値記憶部14に予め記憶されている補聴器の初期フィッティング時に測定された初期伝達関数の係数W0を踏まえて、適応フィルタ11の係数を更新する。
【0037】
なお、上記の構成例においては、増幅部70が設けられているが、これに代えて、増幅部70を設けずに、補聴処理部60において各種の補聴処理と併せて利得の増幅を行う構成とすることも可能である。また、以降の説明においては、適応フィルタに入力される(適応フィルタが参照する)信号を「適応フィルタの参照信号」と称する場合がある。
【0038】
図2は、第1実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。このうち、(A)は、係数更新部13が実行する係数更新処理の手順例を示すフローチャートであり、(B)は、手順例の具体的なアルゴリズムである。以下、手順例に沿って説明する。
【0039】
ステップS110:係数更新部13は、初期伝達関数の係数の全タップの係数の総和ξを算出する。ステップS110はアルゴリズムの1行目に対応しており、総和ξは以下の数式で算出される。
【0040】
【0041】
上記の数式において、「N」はタップ長であり、「wk(0)」は初期伝達関数の係数の第kタップの係数である。また、「γ」は、初期伝達関数の係数の影響度合いを定める定数、より具体的には、後述する閾値判定における真判定率(判定式が成立する割合)の調整に用いられる定数であり、実機での検証結果又はシミュレーション結果に基づいて予め決定される。また、総和ξは、初期値記憶部14に予め記憶されている初期伝達関数の係数W0から算出してもよいし、予め算出した係数の総和を初期値記憶部14に記憶させておき、これを当該ステップの実行時に読み出して用いてもよい。なお、初期伝達関数の係数W0の測定については、別の図面を参照しながら詳しく後述する。
【0042】
ステップS120:係数更新部13は、現在の時刻nにおける信号の入力を受け付ける。具体的には、誤差信号e(n)及び遅延処理後の信号u(n)が係数更新部13に入力される。ステップS120はアルゴリズムの2行目に対応している。
【0043】
ステップS130:係数更新部13は、適応フィルタ11の係数の更新量Δwを算出する。ステップS130はアルゴリズムの3行目に対応しており、更新量Δwは以下の数式で算出される。
【0044】
【0045】
上記の数式における「β」は、分母が0になったり小さくなり過ぎたりすることを防ぐための定数である。このように、適応フィルタ11の計数の更新量Δwは、誤差信号e(n)及び適応フィルタ11の参照信号u(n)に基づいて算出される。なお、βは加算しなくてもよい。
【0046】
ステップS140:係数更新部13は、閾値判定を行う。ステップS140はアルゴリズムの4行目に対応しており、閾値判定は以下の判定式を用いて行われる。
【0047】
【0048】
上記の判定式において、「wk(n)」は現在の適応フィルタ11における第kタップの係数であり、「ψ」は実機での検証結果又はシミュレーション結果に基づいて定められた閾値である。係数更新部13は、上記の判定式を用いて、現在の適応フィルタ11の係数と初期伝達関数の係数とのタップ毎の差分の総和、すなわち適応フィルタ11の係数と初期伝達関数の係数との差を、初期伝達関数の係数の総和ξで割った商が閾値ψより小さいか否かを確認する。言い換えると、計数更新部13は、現在の適応フィルタ11の係数が初期伝達関数の係数に近いか否かを確認する。
【0049】
確認の結果、判定式が成立する場合、すなわち現在の適応フィルタ11の係数が初期伝達関数の係数に近い場合には(ステップS140:Yes)、係数更新部13はステップS150を実行する。一方、判定式が成立しない場合、すなわち現在の適応フィルタ11の係数が初期伝達関数の係数に近くない場合には(ステップS140:No)、ステップS160を実行する。
【0050】
ステップS150:係数更新部13は、初期伝達関数の係数を踏まえて適応フィルタ11の係数を更新する。ステップS150はアルゴリズムの5行目に対応しており、係数は以下の数式により更新される。
【0051】
【0052】
上記の数式における「μ」は、係数の更新におけるステップサイズを示す定数である。また、「α」は、現在の適応フィルタの係数と初期伝達関数の係数との差の影響度合いを定める定数であり、実機での検証結果又はシミュレーション結果に基づいて、1より小さい値に予め決定される。このようにして更新された適応フィルタ11の係数は、次の時刻n+1での処理に用いられることとなる。
【0053】
ステップS160:係数更新部13は、初期伝達関数の係数を踏まえずに適応フィルタ11の係数を更新する。ステップS160はアルゴリズムの7行目に対応しており、具体的には、係数は以下の数式により更新される。
【0054】
【0055】
以上の手順を終えると、係数更新部13は、ステップS120に戻り、これ以降の手順を次の時刻の入力信号に対して実行する。係数更新部13は、補聴器100の電源がOFFになるまでの間、ステップS120以降の手順を繰り返し実行する。
【0056】
〔初期伝達関数の係数の測定〕
図3は、初期伝達関数の係数W
0の測定に係る構成を示すブロック図である。
図3においては、
図1に示された第1実施形態のブロック図と共通する構成に同一の符号を付して表している。なお、共通する構成については、説明を適宜省略する。
【0057】
初期伝達関数の係数の測定には、第1実施形態の補聴器100(フィードバックキャンセラ10)と同様に、適応アルゴリズムとしてNLMSアルゴリズムが採用された補聴器が用いられる。この補聴器を用いて、補聴器装用者毎に固有の音響フィードバックのインパルス応答を測定する。すなわち、時間領域における補聴器装用者毎に固有の音響フィードバックのインパルス応答が周波数領域における初期伝達関数に対応しており、両者は実質的には同義である。整理すると、インパルス応答を周波数領域で表現したものがフィードバック伝達関数に対応し、インパルス応答を時間領域で表現したもの(適応フィルタの係数)が初期伝達関数の係数に対応し、適応フィルタの係数はインパルス応答に対応している。以下、測定の流れを説明する。
【0058】
測定に使用するプローブノイズは、プローブノイズ生成部90によりM系列信号を用いて生成される。生成されたプローブノイズp(n)は、増幅部70及びイヤホン80のそれぞれに固有の伝達特性を経てイヤホン80から音x(n)として出力され、その一部がフィードバック伝達関数F(z)を経て帰還音f(n)としてマイクロホン50に帰還する。
【0059】
マイクロホン50には、外来音s(n)と帰還音f(n)との複合音が入力される。このとき、f(n)の音圧は十分に高く、外来音s(n)の影響はある程度無視できるものとする。入力された複合音がマイクロホン50に固有の伝達特性を経て信号d(n)として出力されると、減算部12によりマイクロホンの出力信号d(n)から適応フィルタ11の出力信号y(n)が減算され、これにより得られる誤差信号e(n)が係数更新部13に入力される。
【0060】
係数更新部13には、誤差信号e(n)に加え、遅延処理部15により遅延処理がなされた信号u(n)も入力される。係数更新部13では、NLMSアルゴリズムを用いて、誤差信号が最小になるように適応フィルタ11の係数が繰り返し更新され、適応フィルタ11が十分に収束したところで、適応フィルタ11の最終的な係数w(n)が初期伝達関数の係数W0として保存される。これにより、1回の測定が終了する。
【0061】
ところで、初期伝達関数の係数W0の測定に際しては、図示されていない測定制御部によって様々な制御がなされる。先ず、周囲騒音が測定結果に大きく影響することのないよう、測定制御部は、測定に先立って周囲騒音の程度やその影響度を推定し、その結果に基づいて、測定に使用するプローブノイズの音圧(信号の強度)を調整する。
【0062】
また、偶発的な事象が測定結果に大きく影響することのないよう、測定制御部は、測定を上記の流れに沿って複数回実施し、各測定結果の状況に応じて測定を終了するか否かを判定する。具体的には、例えば、連続する2回の測定結果、或いは、過半数の測定結果における相互の差異が予め定められた所定の範囲内に収まっている(許容できる大きさである)場合には、測定を終了する一方、所定の範囲を超えている(許容できない大きさである)場合には、測定を継続可能とする。
【0063】
しかしながら、測定が長引けば、その分だけ補聴器装用者には時間的にも精神的にも負担が増す。そこで、測定制御部は、測定の実施回数が予め定められた最大回数を超えた場合には、その旨を測定者(補聴器フィッター等)にアラートするとともに、測定を終了する。
【0064】
なお、外的な要因等により、測定結果間の差異が所定の範囲内に収まらない場合でも測定を中断(一旦終了)せざるを得ない状況となる場合も想定される。そのため、測定の継続が決定された場合でも、測定者(補聴器フィッター等)の操作により測定を中断可能な構成とされている。
【0065】
そして、保存された初期伝達関数の係数W0は、最終的に測定が終了した後に補聴器100(フィードバックキャンセラ10)の初期値記憶部14に記憶され、係数更新部13によって適応フィルタ11の係数の更新に用いられることとなる。
【0066】
〔比較例〕
図4は、比較例として、NLMSアルゴリズムが採用された従来の一般的なフィードバックキャンセラ10´を備えた補聴器100´の構成を示すブロック図である。
【0067】
比較例の補聴器100´(フィードバックキャンセラ10´)は、係数更新部13´による適応フィルタ11´の係数の更新に初期伝達関数の係数W0が用いられず、初期値記憶部を備えていない点において、第1実施形態の補聴器100(フィードバックキャンセラ10)と異なっている。
【0068】
図5は、比較例における係数更新処理の手順例を示す図である。このうち、(A)は、係数更新部13´が実行する係数更新処理の手順例を示すフローチャートであり、(B)は、手順例の具体的なアルゴリズムである。
【0069】
フローチャートにおいては、
図2に示された第1実施形態の係数更新処理と共通する手順には同一の符号を付して表している。
図5中(A)に示されるように、比較例の係数更新処理は、ステップS120,S130,S160で構成されている。ステップS120はアルゴリズムの1行目に対応し、ステップS130はアルゴリズムの2行目に対応し、ステップS160はアルゴリズムの3行目に対応している。
【0070】
図2に示された第1実施形態の係数更新処理と比較すると、比較例の係数更新処理には閾値判定を行う手順(
図2(A)中のステップS140)が存在しない。したがって、係数更新部13´は、毎回同一の手順(ステップS160)にて、初期伝達関数の係数を踏まえずに適応フィルタ11´の係数を更新する。
【0071】
このように、比較例においては、適応フィルタ11´の係数の更新に初期伝達関数の係数が用いられない。そのため、補聴器100´においては、静かな環境で入力信号のレベルが低い場合や閉ループゲインが下がっている場合に適応フィルタ11´の係数の更新が滞り、推定誤差が大きい状態が継続する。そのような状態で、例えば全周波数帯域にパワーを持つパルス音のような音が突発的に入力されると、上述したハウリングの発振条件を満たし、補聴器100´から一時的なハウリング音が発生する。また、推定誤差が大きい状態で周期信号が入力されると、エントレインメントが発生する場合がある。
【0072】
これに対し、上述した第1実施形態においては、補聴器の初期フィッティング時に測定された初期伝達関数の係数を適応フィルタ11の係数の更新に用い、現在の適応フィルタ11の係数と初期伝達関数の係数との差が所定の値より小さい場合(現在の係数が初期伝達関数の係数に近い場合)には、初期伝達関数を踏まえて係数を更新するのに対し、所定の値以上である場合(現在の係数が初期伝達関数の係数に近くない場合)には、初期伝達関数を踏まえずに係数を更新する。適応フィルタ11の係数をこのような態様で更新することにより、静かな環境で入力信号のレベルが低い場合や閉ループゲインが下がっている場合においても適応フィルタ11の更新を滞らせることがなく、結果として推定誤差が小さくなるため、推定精度を高めることができるとともに、ハウリングを確実に抑制することができる。
【0073】
〔第2実施形態〕
図6は、第2実施形態のフィードバックキャンセラ20を備えた補聴器200の構成を示すブロック図である。第1実施形態と共通する構成については、説明を適宜省略する。
【0074】
図6に示されるように、フィードバックキャンセラ20は、例えば、適応フィルタ21、減算部22、係数更新部23、初期値記憶部24、遅延処理部25、バンドパスフィルタ26,27,28等で構成されている。このように、第2実施形態の補聴器200(フィードバックキャンセラ20)は、3つのバンドパスフィルタ(band-pass filter、以下「BPF」と略称する場合がある。)をさらに備えている点において、第1実施形態の補聴器100(フィードバックキャンセラ10)と異なっている。なお、補聴器200においては、補聴処理部65が増幅部の機能を併せ持ち、補聴処理部65が各種の補聴処理と併せて利得の増幅を行うため、別途の増幅部は設けられていない。
【0075】
3つのバンドパスフィルタ26,27,28のうち、第1BPF26は、遅延処理部25の下流側に設けられており、適応フィルタ21によるキャンセル信号の帯域制限を行う。第1BPF26を通過した信号uh1(n)は、適応フィルタ21及び第2BPF27に入力される。
【0076】
また、第2BPF27は、第1BPF26と係数更新部23の間に設けられており、第3BPF28は、減算部22と係数更新部23の間に設けられている。これらのバンドパスフィルタ27,28は、適応フィルタ21による推定値を安定化させるために周波数帯域を制限する。第2BPF27を通過した信号uh(n)、及び、第3BPF28を通過した信号eh(n)は、いずれも係数更新部23に入力される。
【0077】
図7は、第2実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。このうち、(A)は、係数更新部23が実行する係数更新処理の手順例を示すフローチャートであり、(B)は、手順例の具体的なアルゴリズムである。
【0078】
フローチャートにおいては、
図2に示された第1実施形態の係数更新処理と共通する手順には同一の符号を付して表している。
図7中(A)に示されるように、第2実施形態の係数更新処理は、3つ目のステップのみが第1実施形態の係数更新処理と異なっている(第1実施形態におけるステップS130が、第2実施形態においてはステップS230に置き換わっている)。ステップS230はアルゴリズムの3行目に対応している。ステップS230において、係数更新部23は、適応フィルタ21の係数の更新量Δwを以下の数式で算出する。
【0079】
【0080】
このように、第2実施形態においては、第2BPF27を通過した信号uh(n)、及び、第3BPF28を通過した信号eh(n)、すなわち、適応フィルタ21の参照信号uh1(n)に対し帯域制限を行った信号uh(n)、及び、誤差信号e(n)に対し帯域制限を行った信号eh(n)に基づいて、適応フィルタ21の係数の更新量Δwが算出され、その上で、第1実施形態における手順と同様にして閾値判定がなされる。NLMSアルゴリズムを用いた適応フィルタにバンドパスフィルタによる帯域制限を組み合わせることにより、第1実施形態と比較してハウリングをより安定的に抑制することができる。また、適応フィルタ21の係数を上述した態様で更新することにより、第1実施形態と比較して推定誤差がより小さくなるため、推定精度を一段と高めることができるとともに、ハウリングを一段と確実に抑制することができる。
【0081】
〔第3実施形態〕
図8は、第3実施形態のフィードバックキャンセラ30を備えた補聴器300の構成を示すブロック図である。第1実施形態と共通する構成については、説明を適宜省略する。
【0082】
図8に示されるように、フィードバックキャンセラ30は、例えば、適応フィルタ31、減算部32、係数更新部33、初期値記憶部34、遅延処理部35、適応ラティスフィルタ36,37等で構成されている。このように、第3実施形態の補聴器300(フィードバックキャンセラ30)は、2つの適応ラティスフィルタ(adaptive lattice filter、以下「ALF」と略称する場合がある。)をさらに備えている点において、第1実施形態の補聴器100(フィードバックキャンセラ10)と異なっている。なお、補聴器300においては、補聴処理部65が増幅部の機能を併せ持ち、補聴処理部65が各種の補聴処理と併せて利得の増幅を行うため、別途の増幅部は設けられていない。
【0083】
2つの適応ラティスフィルタ36,37のうち、一方のALF36は、遅延処理部35と係数更新部33の間に設けられており、遅延処理後の信号u(n)を白色化する。また、他方のALF37は、減算部32と係数更新部33の間に設けられており、誤差信号e(n)を白色化する。ALF36で白色化された信号up(n)、及びALF37で白色化された信号ep(n)は、いずれも係数更新部33に入力される。
【0084】
図9は、第3実施形態における係数更新処理の手順例を示す図である。このうち、(A)は、係数更新部33が実行する係数更新処理の手順例を示すフローチャートであり、(B)は、手順例の具体的なアルゴリズムである。
【0085】
フローチャートにおいては、
図2に示された第1実施形態の係数更新処理と共通する手順には同一の符号を付して表している。
図9中(A)に示されるように、第3実施形態の係数更新処理は、3つ目のステップS330のみが第1実施形態の係数更新処理と異なっている(第1実施形態におけるステップS130が、第2実施形態においてはステップS330に置き換わっている)。ステップS330はアルゴリズムの3行目に対応している。ステップS330において、係数更新部33は、適応フィルタ31の係数の更新量Δwを以下の数式で算出する。
【0086】
【0087】
このように、第3実施形態においては、ALF36を通過した信号up(n)、及び、ALF37を通過した信号ep(n)、すなわち、適応フィルタ31の参照信号u(n)に対し白色化処理を施した信号up(n)、及び、誤差信号e(n)に対し白色化処理を施した信号ep(n)に基づいて、適応フィルタ31の係数の更新量Δwが算出され、その上で、第1実施形態における手順と同様にして閾値判定がなされる。NLMSアルゴリズムを用いた適応フィルタに適応ラティスフィルタによる白色化を組み合わせることにより、第1実施形態と比較してハウリングをより安定的に抑制することができる。また、適応フィルタ31の係数を上述した態様で更新することにより、第1実施形態と比較して推定誤差がより小さくなるため、推定精度を一段と高めることができる。
【0088】
〔シミュレーションによる推定誤差の比較〕
図10は、フィードバックキャンセラのシミュレーション結果を実施形態と比較例とで対比させて示す図である。
図10において、縦軸は推定誤差であり、下に行くほど適応フィルタの推定誤差が小さいことを示している。また、太線は、第3実施形態のフィードバックキャンセラ30を用いた場合のシミュレーション結果を表しており、細線は、比較例のフィードバックキャンセラ10´を用いた場合のシミュレーション結果を表している。
【0089】
図10に示されるように、第3実施形態のフィードバックキャンセラ30は、シミュレーション開始後の大半の時間において、比較例のフィードバックキャンセラ10´より推定誤差が小さい結果となった。
【0090】
シミュレーションの実行中には、比較的静かな空調の動作音の様な連続的で変動の少ない環境音がシステムに入力された。シミュレーションの開始当初は推定誤差が大きいが、少し経過する間に適応アルゴリズムの働きにより推定誤差が低下し、開始から約2.5秒後には概ね横這いの状態になっている。このことから、入力音が大きく変化しない間は安定してハウリングを抑制可能であることが分かる。
【0091】
また、シミュレーションの開始当初こそ第3実施形態と比較例とで推定誤差に殆ど差がないものの、開始0.5秒後辺りからは差が拡がり始め、以降は終始、第3実施形態の方が比較例より推定誤差を小さく維持し続けている。このことから、第3実施形態の方が比較例より推定精度が高く、フィードバック成分をより正確に除去可能であることが分かる。
【0092】
また、シミュレーションの開始6秒後から約2秒間にわたり、有色信号、具体的には所謂おりん(鈴台を棒で打ち鳴らす仏具)の音がシステムに入力された。そのため、このタイミングで推定誤差は一時的には急上昇するが、短時間で再び低下している。また、この時間帯においても、第3実施形態の方が比較例より推定誤差を小さく維持できている。このことから、入力音が大きく変化した場合においても、第3実施形態の方が比較例より推定精度が高く、周期信号によるエントレインメントの発生確率を低減可能であることが分かる。
【0093】
このように、第3実施形態のフィードバックキャンセラ30は、入力音が大きく変化しない状態においても、或いは入力音が大きく変化した場合においても、比較例より推定誤差が下回っており、推定精度がより高く、より安定してフィードバック成分を除去可能である。したがって、実施形態の優位性は明らかである。
【0094】
〔本発明の優位性〕
以上のように、上述した実施形態によれば、以下のような効果が得られる。
【0095】
(1)補聴器の初期の装用状態におけるインパルス応答(初期伝達関数の係数)を用いて適応フィルタの係数を更新するため、静かな環境の場合やループゲインが低下している場合においても適応フィルタの更新を滞らせることがなく、結果として推定誤差を小さくする(推定精度を高める)とともにハウリングを確実に抑制することができる。また、推定誤差によるエントレインメントの発生を抑制することも期待できる。
【0096】
(2)初期伝達関数の係数を補聴器の初期フィッティング時に測定しておくことにより、インパルス応答の係数における補聴器装用者毎の個人差(耳介の形状や柔らかさ等)への対応が可能となる。
【0097】
本発明は、上述した実施形態に制約されることなく、種々に変形して実施することが可能である。
【0098】
上述した各実施形態においては、フィードバックキャンセラを補聴器に搭載しているが、これに限定されず、例えば、拡声器やカラオケ装置等のように、音の入力手段(マイクロホン)と出力手段(スピーカやイヤホン)とを備えた様々な音響機器に搭載することが可能である。
【0099】
上述した各実施形態においては、係数更新処理の最初の手順(
図2、
図7、
図9中のステップS110)にて初期伝達関数の係数の総和ξを算出する際に用いる定数γを、実機での検証結果又はシミュレーション結果に基づいて一律に決定しているが、これに代えて、補聴器装用者毎に異なる値としてもよい。このような構成とすることにより、閾値判定における真判定率を補聴器装用者毎のインパルス応答のレベルに応じて最適に調整することができるため、推定精度を一層高めるとともにハウリングを一層確実に抑制することが可能となる。
【0100】
上述した各実施形態においては、適応フィルタの係数を更新する際のステップサイズを定数としているが、これに代えて、可変値としてもよい。
【0101】
上述した第2実施形態においては、信号の周波数帯域を制限する上でバンドパスフィルタを用いているが、これに代えて、例えばハイパスフィルタを用いてもよい。
【0102】
上述した第3実施形態においては、信号を白色化する上で適応ラティスフィルタを用いているが、これに限定されず、他の手法を用いてもよい。
【0103】
その他、フィードバックキャンセラ10,20,30及び補聴器100,200,300に関する説明の過程で挙げた構成や数値等はあくまで例示であり、本発明の実施に際して適宜に変形が可能であることは言うまでもない。
【符号の説明】
【0104】
10 フィードバックキャンセラ
11 適応フィルタ
12 減算部
13 係数更新部
14 初期値記憶部
15 遅延処理部
50 マイクロホン
60 補聴処理部
70 増幅部
80 イヤホン
100 補聴器