(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022177758
(43)【公開日】2022-12-01
(54)【発明の名称】ドライ熟成肉の製造方法及びこれに用いられる新規糸状菌株
(51)【国際特許分類】
A23L 13/00 20160101AFI20221124BHJP
C12N 1/14 20060101ALI20221124BHJP
C12P 7/04 20060101ALI20221124BHJP
A23B 4/00 20060101ALI20221124BHJP
C12N 15/09 20060101ALN20221124BHJP
【FI】
A23L13/00 Z
C12N1/14 A ZNA
C12P7/04
A23B4/00 Z
C12N15/09 Z
【審査請求】未請求
【請求項の数】14
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021084225
(22)【出願日】2021-05-18
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用申請有り 令和2年12月17日に、Food Research International,Vol.140,2021,110020(https://doi.org/10.1016/j.foodres.2020.110020)にて公開した。 令和3年1月5日に、Food Research International,Vol.140,2021,110020(https://doi.org/10.1016/j.foodres.2020.110020)にて公開した。 令和3年3月5日に、2021年度(令和3年度)日本農芸化学会大会講演要旨集(オンライン)(https://www.jsbba.or.jp/2021/、https://jsbba2.bioweb.ne.jp/jsbba2021/download_pdf.php?p_code=2E05-17)にて、公開した。 令和3年3月19日に、2021年度(令和3年度)日本農芸化学会大会講演要旨集(オンライン開催)、ミーティングルームE、講演番号2E05-17にて公開した。
(71)【出願人】
【識別番号】504300088
【氏名又は名称】国立大学法人北海道国立大学機構
(71)【出願人】
【識別番号】517170292
【氏名又は名称】北一ミート株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110002480
【氏名又は名称】特許業務法人IPアシスト特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】三上 奈々
(72)【発明者】
【氏名】豊留 孝仁
【テーマコード(参考)】
4B042
4B064
4B065
【Fターム(参考)】
4B042AC01
4B042AD39
4B042AG02
4B042AH01
4B042AK16
4B042AP27
4B064AC02
4B064CA05
4B064CA10
4B064DA10
4B065AA58X
4B065AA66X
4B065BB23
4B065CA05
4B065CA42
(57)【要約】 (修正有)
【課題】嗜好性の高い風味を有する熟成肉、特にナッツ香と表現される香りの中でも1-ヘキサノールが富化された熟成肉の製造方法を提供する。
【解決手段】Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)より選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉の製造方法である。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉の製造方法。
【請求項2】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を食肉の表面に付着させる、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
糸状菌の培養物を食肉表面に対して擦過することによって食肉の表面に付着させる、請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
糸状菌の培養物が胞子である、請求項1~3のいずれか一項に記載の方法。
【請求項5】
ドライ熟成肉が、1-ヘキサノールが富化されたドライ熟成肉である、請求項1~4のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉において1-ヘキサノール生成を促進する方法。
【請求項7】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を食肉の表面に付着させる、請求項6に記載の方法。
【請求項8】
糸状菌の培養物を食肉表面に対して擦過することによって食肉の表面に付着させる、請求項6又は7に記載の方法。
【請求項9】
糸状菌の培養物が胞子である、請求項6~8のいずれか一項に記載の方法。
【請求項10】
新規糸状菌株であるHelicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)。
【請求項11】
新規糸状菌株であるMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)。
【請求項12】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を含む、ドライ熟成肉の製造のためのキット。
【請求項13】
Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を含む、請求項12に記載のキット。
【請求項14】
糸状菌の培養物が胞子である、請求項12又は13に記載のキット。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ドライ熟成肉の製造方法、及び当該方法に用いられる新規糸状菌に関する。
【背景技術】
【0002】
熟成(エイジング)は、牛肉等の食肉を冷蔵温度で一定期間保存することで、食肉の風味や軟らかさといった嗜好性を高めることができる加工法である。熟成は、ウェットエイジング(ウェット熟成)とドライエイジング(ドライ熟成)に大別される。ウェット熟成は、真空包装した食肉を冷蔵保存することによって行われる熟成であり、微生物汚染や脂質の酸化を避けながらの熟成が可能である。これに対し、ドライ熟成は、食肉を空気下で冷蔵保存することによって行われる。ドライ熟成においては、環境中に存在する糸状菌や酵母が食肉の表面に自然付着して生育し、これらの微生物によってタンパク質分解酵素や脂質分解酵素といった様々な物質が産生され、熟成が進行することが知られている。
【0003】
ドライ熟成は独特の香り(熟成香)を食肉に生じさせることから、嗜好性の高い熟成肉の製造方法として、その需要が拡大しつつある。熟成香は、肉様、バター様、ナッツ様、花様、キノコ様又は土の香り等、様々に表現されている。熟成香に関与する香気成分としては、核酸、還元糖、アミノ酸、揮発性アルコール、揮発性芳香族化合物等が挙げられ、これらは主に熟成に関与する微生物の作用によって生じると考えられている(例えば、非特許文献1、非特許文献2)。
【0004】
特に、ナッツ様の香り(ナッツ香)は、ドライ熟成肉において好まれる香りである。ナッツ香の成分としては、2-アセチル-1-ピロリン、3-メチルブタナール(イソバレルアルデヒド)、1-ヘキサノールその他の複数の化合物が知られている。ドライ熟成肉のナッツ香に関しては、糸状菌の一種であるMucor strictusの関与が報告されている(非特許文献2)。しかしながら、ドライ熟成肉におけるナッツ香発生メカニズムは解明されておらず、また特定の香気成分とこれを産生する微生物との関連性も知られていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Lee et. al., Meat Science (2019) 153: 152-158.
【非特許文献2】中川ら、平成31年度(令和元年度)食肉に関する助成研究調査成果報告書(Vol.38)、20-25ページ、2020年11月発行、公益財団法人伊藤記念財団)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、嗜好性の高い風味を有する熟成肉、特にナッツ香と表現される香りの中でも1-ヘキサノールが富化された熟成肉の製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、新たに分離同定した微生物を食肉に接種してドライ熟成を行うことで、1-ヘキサノールが富化された熟成肉を製造することができることを見出し、以下の発明を完成させた。
【0008】
(1) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉の製造方法。
(2) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を食肉の表面に付着させる、(1)に記載の方法。
(3) 糸状菌の培養物を食肉表面に対して擦過することによって食肉の表面に付着させる、(1)又は(2)に記載の方法。
(4) 糸状菌の培養物が胞子である、(1)~(3)のいずれか一項に記載の方法。
(5) ドライ熟成肉が、1-ヘキサノールが富化されたドライ熟成肉である、(1)~(4)のいずれか一項に記載の方法。
(6) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉において1-ヘキサノール生成を促進する方法。
(7) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を食肉の表面に付着させる、(6)に記載の方法。
(8) 糸状菌の培養物を食肉表面に対して擦過することによって食肉の表面に付着させる、(6)又は(7)に記載の方法。
(9) 糸状菌の培養物が胞子である、(6)~(8)のいずれか一項に記載の方法。
(10) 新規糸状菌株であるHelicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)。
(11) 新規糸状菌株であるMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)。
(12) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を含む、ドライ熟成肉の製造のためのキット。
(13) Helicostylum pulchrum KT1b株(受託番号:NITE P-03423)及びMucor flavus KT1a株(受託番号:NITE P-03422)の培養物を含む、(12)に記載のキット。
(14) 糸状菌の培養物が胞子である、(12)又は(13)に記載のキット。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、1-ヘキサノールが富化された嗜好性に優れたドライ熟成肉を安定的に製造することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】Helicostylum pulchrum KT1b株をポテトデキストロース寒天培地上で培養したときのコロニーの外観(左)と、弱拡大(中央、スケールバー1 mm)及び強拡大(右、スケールバー500μm)の顕微鏡観察像を示す。
【
図2】Mucor flavus KT1a株をポテトデキストロース寒天培地上で培養したときのコロニーの外観(左図)と、弱拡大(中央図、スケールバー1 mm)及び強拡大(右図、スケールバー500μm)の顕微鏡観察像を示す。
【
図3】Helicostylum pulchrum KT1b株及びMucor flavus KT1a株を表面に擦過してドライ熟成させた食肉の外観(右図)、及びこれらの菌株を擦過せずにドライ熟成させた食肉の外観(左図)を示す。
【
図4】Helicostylum pulchrum KT1b株及びMucor flavus KT1a株を表面に擦過してドライ熟成させた食肉における1-ヘキサノール、3-メチルブタナール及びベンズアルデヒドの生成量を示す。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明は、Helicostylum pulchrum KT1b株及びMucor flavus KT1a株よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉の製造方法を第1の態様として提供する。
【0012】
本発明者らは、ドライ熟成に利用することができるHelicostylum pulchrum(ヘリコスチラム・プルクルム)KT1b株(以下、単にKT1b株と表す)及びMucor flavus(ムコール・フラバス)KT1a株(以下、単にKT1a株と表す)を新たに単離し、日本国千葉県木更津市かずさ鎌足2-5-8 122号室 独立行政法人製品評価技術基盤機構 特許微生物寄託センターに、2021年2月24日付で、KT1b株を受託番号NITE P-03423(識別の表示:Hp)及びKT1a株を受託番号NITE P-03422(識別の表示:Mf)としてそれぞれ寄託した。
【0013】
KT1b株及びKT1a株は、以下のような特徴を有する。
【0014】
KT1b株
形態学的性質
ポテトデキストロース寒天培地で、綿毛のような白い外観を持つコロニーを形成する。
顕微鏡観察では菌糸と針状の菌糸を伴うリング状に並ぶ胞子嚢及び気中菌糸の先端に丸い胞子嚢が確認される。
生理学的性質
4~15℃で生育する。
【0015】
KT1a株
形態学的性質
ポテトデキストロース寒天培地で、綿毛のような白い外観を持つコロニーを形成する。
顕微鏡観察では、菌糸と気中菌糸の先端に丸い胞子嚢が確認される。
生理学的性質
4~15℃で生育する。
【0016】
本発明において、糸状菌の「培養物」には、糸状菌の菌体、例えば菌糸の他に、糸状菌が産生する胞子も包含される。胞子は胞子嚢に包まれた形態であってもよい。本発明の好ましい実施形態において、培養物は胞子である。
【0017】
糸状菌の培養物は、適当な微生物培養培地、例えばポテトデキストロース培地等の真菌培養培地又はブレインハートインフュージョン培地等にKT1b株及び/又はKT1a株を接種し、糸状菌の培養に適した温度、例えば4~15℃で培養することによって調製することができる。培地は、固形培地であっても液体培地であってもよい。また一般的な微生物培養培地のほかに、動物肉を培地として使用することもできる。培養期間は糸状菌の生育に応じて適宜調節すればよく、例えば5日間以上、好ましくは10日間以上、より好ましくは15日間以上である。固形培地上での培養により調製される糸状菌の培養物は、糸状菌の菌体又は胞子を表面に有するドライ熟成肉のトリミング片であってもよい。
【0018】
本発明の好ましい実施形態において、食肉に付着させる糸状菌の培養物は、KT1b株及びKT1a株の両方の糸状菌の培養物である。この実施形態において、培養物は、KT1b株及びKT1a株をそれぞれ別々に培養することで調製されたものでもよく、また一つの培地で両株を共培養することで調製されたものでもよい。
【0019】
本発明においてドライ熟成の対象となる食肉は、家畜化された動物又は野生動物から得られる食肉であればよく、例えば、牛肉、豚肉、鶏肉(ニワトリ、アヒル、鴨、七面鳥、ホロホロチョウ、鳩等の肉)、馬肉、山羊肉、羊肉、猪肉、鹿肉、兎肉、熊肉、鯨肉等を挙げることができるが、これらに限定されない。好ましい食肉は、牛肉、豚肉、鶏肉、馬肉であり、特にホルスタイン種、黒毛和牛種、短角牛種等の牛肉が好ましい。また、肉の部位や形状について特別な制限はないが、熟成後のトリミングロスを考慮すると、いわゆるブロック肉の形状であることが好ましい。
【0020】
培養物の食肉表面への付着は、例えば前出のポテトデキストロース寒天培地等の固形培地上で培養した糸状菌の菌体又は胞子を、そのまま又は布その他の媒体物に移し取って、熟成させようとする食肉の表面に対して押し付けたり擦過したり等することにより、行うことができる。付着はまた、糸状菌を培養した液体培地や、糸状菌の菌体又は胞子を水その他の適当な液体に懸濁させた懸濁液を、熟成させようとする食肉の表面に対して掛けたり、吹き付けたり、塗り付けたり等することにより、行うこともできる。本発明の好ましい実施形態において、付着は、固形培地上で培養した糸状菌の培養物を、熟成させようとする食肉表面に対して擦過することによって行われる。
【0021】
糸状菌の培養物の食肉表面への付着は、不均一な熟成を避けるため、熟成させようとする食肉の可能な限り広い表面に対して行うことが好ましい。また、糸状菌の培養物がKT1b株及びKT1a株の両方の糸状菌の培養物である実施形態においては、KT1b株又はKT1a株いずれか一方の糸状菌の単独培養物を付着させた後に他方の糸状菌の単独培養物を付着させてもよく、両菌株の単独培養物の混合物を付着させてもよく、両菌株の混合培養物を付着させてもよい。
【0022】
糸状菌の培養物を付着させた食肉は、ドライ熟成に供される。本発明において、ドライ熟成は、一般的なドライ熟成条件の下で行うことができ、例えば、温度が1~15℃、好ましくは1~10℃、より好ましくは1~4℃であり、相対湿度が60~100%、好ましくは65~100%、より好ましくは70~95%である環境中に、培養物が付着した食肉を置くことによって行うことができる。熟成期間は望まれる熟成の程度に応じて適宜調節すればよく、例えば5日間以上、好ましくは10日間以上、より好ましくは20日間以上である。なお、熟成時の風量は、0~2.5m/秒程度であればよい。
【0023】
本発明のドライ熟成肉の製造方法によると、従来の自然付着微生物を利用した方法でドライ熟成を行った場合と比較して、1-ヘキサノールが富化されたドライ熟成肉を製造することができる。1-ヘキサノールは、ナッツ様又はポップコーン様の香りを有することが報告されている香気成分である(Migita et. al., Animal Science Journal (2017) 88: 2050-2056)。
【0024】
また、本発明のドライ熟成肉の製造方法は、従来の自然付着微生物を利用した方法と比べて、ドライ熟成肉中の3-メチルブタナール(ナッツ様の香り)及びベンズアルデヒド(アーモンドの香り)を富化することもできる。さらに、本発明の方法で製造されるドライ熟成肉からは、1-オクテン-3-オール(キノコ様の香り)、3-ヒドロキシ-2-ブタノン(バター様の香り)、1-ヘプタノール(果実の香り)、2-ブタノン(甘い香り、果実の香り)等の様々な香気成分が検出されることもある。本段落に記載された各種香気成分は、1-ヘキサノールの香りと相まって、熟成肉の嗜好性を高める効果を奏し得る。
【0025】
本発明は、KT1b株及びKT1a株よりなる群から選択される少なくとも1種の糸状菌の培養物を食肉の表面に付着させること、並びに糸状菌の培養物が付着した食肉をドライ熟成することを含む、ドライ熟成肉において1-ヘキサノール生成を促進する方法を、別の態様として提供する。ここで、糸状菌やその培養物、食肉の種類や形状、付着方法、ドライ熟成の条件等の詳細は、第1の態様において説明したとおりである。また、1-ヘキサノール生成を促進するとは、従来の自然付着微生物を利用したドライ熟成肉と比べて、1-ヘキサノールの生成量又は生成速度を増加させることを意味する。
【0026】
さらに本発明は、前述のKT1b株及びKT1a株、すなわち日本国千葉県木更津市かずさ鎌足2-5-8 122号室 独立行政法人製品評価技術基盤機構 特許微生物寄託センターに2021年2月24日付で受託番号NITE P-03423(識別の表示:Hp)及び受託番号NITE P-03422(識別の表示:Mf)として寄託された微生物を、さらなる態様として提供する。
【0027】
KT1b株及びKT1a株は、前述のとおり、ポテトデキストロース寒天培地その他の培地で培養することができ、また培養によって胞子を形成させることができる。このようにして調製されるKT1b株及び/又はKT1a株の培養物、好ましくは胞子は、ドライ熟成肉、特に1-ヘキサノールが富化されたドライ熟成肉の製造のためのキットとして利用することができる。この様なキットもまた、本発明のさらなる別の態様である。キットは、培養物、例えば適当な容器に入れた胞子に加えて、熟成肉の製造マニュアルや、培養物を食肉に付着させるための用具、KT1b株及びKT1a株を更に培養するための適当な培地等を任意の構成物として含んでいてもよい。
【0028】
日本ではこれまでのところ、ドライ熟成肉の製造方法について明確な規格や基準はなく、生産者毎に異なる条件で熟成を行っているのが現状である。このことは、市場に流通する熟成肉の品質にばらつきを生み、安定した品質を有する熟成肉を十分量供給することを難しくする要因ともなっている。本発明の糸状菌株又はその培養物を含むキットは、温度、湿度、風量等を制御することができる一般的な熟成庫等において、1-ヘキサノールの生成量が富化されたドライ熟成肉を安定的に製造するために利用することができる。
【0029】
以下の実施例によって本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【実施例0030】
実施例1 糸状菌の単離同定
(1)糸状菌の採取
北一ミート株式会社(北海道)社内の食肉熟成庫(五島冷熱株式会社、16ヶ月使用)にて、平均温度2.9℃、相対湿度90%、風量1.8~2.5 m/秒の条件下で牛肉をドライ熟成した。熟成した牛肉の表面から湿らせた綿棒を用いて試料を掻き取り、10mLの滅菌0.9%NaCl溶液に浸した。この溶液をポテトデキストロース寒天培地(Becton Dickinson)に播種し、4℃の好気条件下で5~7日間培養した。外観上異なる菌をそれぞれ新しい培地に移し替えて単コロニー分離を行い、2種類の糸状菌(糸状菌1及び2)を単離した。
【0031】
(2)Internal transcribed spacer(ITS)領域の塩基配列
0.1%酵母エキスを加えたポテトデキストロースブロス(Becton Dickinson)で糸状菌1及び2を4℃で培養し、得られた糸状菌をDisruptor genie(Scientific)を用いて破砕してDNAを回収した。
【0032】
回収したDNAを鋳型として、プライマーセットITS4(配列番号1)及びITS5(配列番号2)又はプライマーセットNL1(配列番号3)及びNL4(配列番号4)を用いてPCRを行い、得られた各増幅断片のシーケンシングを行って、Internal transcribed spacer(ITS)領域及びD1/D2領域の塩基配列を決定した。
【0033】
決定されたITS領域の塩基配列をクエリーとし、公共DNAデータベースであるNucleotide collection(Update date:2020/12/08、Number of sequences:63493831)を対象に、Nucleotide BLAST(https://blast.ncbi.nlm.nih.gov/Blast.cgi)を用いて検索を行った。その結果、糸状菌1のITS領域(配列番号5)は、Helicostylum pulchrum(GenBank: AB614353.1)のITS領域と塩基配列が100%一致することが確認された。また、糸状菌2のITS領域(配列番号6)は、Mucor flavus CBS 992.68 clone c1(GenBank: JN206067.1)のITS領域と塩基配列が99.12%一致することが確認された。また、糸状菌1のD1/D2領域は配列番号7に示す塩基配列を、糸状菌2のD1/D2領域は配列番号8に示す塩基配列を有していた。
【0034】
以上の結果から、糸状菌1をHelicostylum pulchrumと、糸状菌2をMucor flavusと同定し、それぞれKT1b株及びKT1a株と命名した。KT1b株及びKT1a株は、日本国千葉県木更津市かずさ鎌足2-5-8 122号室 独立行政法人製品評価技術基盤機構 特許微生物寄託センターに、受託番号NITE P-03423(識別の表示:Hp)及び受託番号NITE P-03422(識別の表示:Mf)として寄託された。
【0035】
(3)形態学的特徴
KT1b株及びKT1a株をそれぞれポテトデキストロース寒天培地で4℃、14日間培養して、外観観察及び顕微鏡観察を行った。KT1b株は、綿毛のような白い外観を持つコロニーが観察され、また顕微鏡観察ではリング状に並ぶ胞子嚢及び針状の菌糸が確認された(
図1)。KT1a株は、綿毛のような白い外観を持つコロニーが観察され、また顕微鏡観察では気中菌糸の先端に丸い胞子嚢が確認された(
図2)。
【0036】
実施例2 ドライ熟成肉の製造及び成分分析
(1)糸状菌培養物の調製
KT1b株及びKT1a株の両方を表面上で増殖させて胞子形成させた牛肉片を糸状菌培養物とした。
【0037】
(2)熟成肉の製造
ホルスタイン牛(18月齢)の個体から調製されたランプ肉ブロック(約9 kg)を用意し、2等分して試料とした。一方のランプ肉ブロックの表面全体に(1)の培養物を擦過した後、実施例1に記載の熟成庫内に20日間保管して、ドライ熟成肉を作製した。また、もう一方のランプ肉ブロックは、培養物を擦過することなくそのまま同じ熟成庫内に置き、20日間保存することで、環境中の微生物を自然付着させた比較ドライ熟成肉(比較肉)を作製した。
【0038】
比較肉は熟成中、表面の様子がほとんど変化しなかったが(
図3左)、培養物を擦過したドライ熟成肉では、肉の表面上で白色の糸状菌の生育が短時間で視覚的に確認でき、最終的には肉の全面を覆う程度にまで増殖し、優占状態となった(
図3右)。
【0039】
(3)香気成分の分析
培養物を擦過したドライ熟成肉及び比較肉からそれぞれ1 gの試験片を回収してミンチにした後、15 mL容のガラスバイアルに入れてPTFE/シリコンセプタムで密封し、-80℃で保存した。ここから、SPMEファイバー(ジビニルベンゼン/カルボキセン/ポリジメチルシロキサン、50/30μm厚、Supelco Co)を用いたヘッドスペース固相マイクロ抽出(Ai-Nong Yu et al., Food Chemistry (2008) 110: 233-238)によって揮発性成分を回収した。
【0040】
GC-MSの注入口にてSPMEファイバーを260℃で1分間加熱することにより揮発性成分を熱脱離させ、以下の条件で質量分析を行った。
装置:GCMS-QP2010(島津製作所)
カラム:monopolar InertCap I column(30 m×内径0.25 mm、膜厚1.50μm、GL Science Inc.)
カラム温度:40℃で10分間保持、5℃/分で200℃まで上昇、20℃/分で250℃まで上昇、250℃で5分間保持
注入口温度:260℃
キャリア:ヘリウムガス、流圧78.9 kPa
イオン源温度:250℃
イオン化モード:電子衝撃イオン化(70 eV)
測定モード:スキャンモード(30-550 m/z)
【0041】
得られたマススペクトルをAMDIS GC/MS Analysis version 2.73を用いてデコンボリューションし、Massbank of North America GC-MS Spectra(https://mona.fiehnlab.ucdavis.edu/)とマッチングした。さらに島津製作所のGCMS Solution Softwareを用いてNIST05、NIST05s等の市販GC-MSライブラリとの比較を行った。
【0042】
揮発性成分をGC-MSによって分析した結果、ドライ熟成肉の1-ヘキサノール生成量は、比較熟成肉の16倍以上と、統計的に有意に増加していることが確認された。また、比較熟成肉と比べて、ドライ熟成肉において3-メチルブタナール及びベンズアルデヒドの生成量が有意に増加していた(
図4、いずれも有意差検定はStudentのt検定により実施)。
【0043】
(4)脂肪酸の分析
培養物を擦過したドライ熟成肉及び比較肉からそれぞれ0.5gの試験片を回収してミンチにし、Bligh ら(Canadian Journal of Biochemistry and Physiology (1959) 37(8): 911-917.)の方法にしたがって総脂質を抽出し、窒素ガスを用いて液体を蒸発させた。ヘキサン1 mLと2Nメタノール性水酸化ナトリウム0.2mLを加えた後、50℃で30秒間インキュベートした。その後、2Nメタノール性塩酸0.2mLを加え撹拌し、3000rpm、5分間遠心分離を行って、上層の脂肪酸メチルエステルを回収した。
【0044】
脂肪酸メチルエステルのガスクロマトグラフィー分析を以下の条件で行った。
装置:GC-2014(島津製作所)
カラム:Zebron ZB-FAME capillary column(30 m×内径0.25 mm、膜厚0.20μm、Phenomenex Inc.)
カラム温度:4℃/分で140℃から240℃まで上昇、240℃で15分間保持
注入口温度:250℃
キャリア:窒素ガス、流速1.3 mL/分
検出器:FID
検出器温度:260℃
【0045】
得られたスペクトルをSupelco 37 Component FAME standard(Merck KGaA)と比較して、脂肪酸メチルエステルを特定した。
【0046】
ガスクロマトグラフィー分析の結果、牛肉の口どけに関わるとされる脂肪酸であるオレイン酸の脂肪酸総量に占める割合は、比較肉の45.2±0.2%に比べて培養物を擦過したドライ熟成肉では47.2±0.7%と、統計的に有意に増加していることが確認された(有意差検定はStudentのt検定により実施)。