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特開2022-49905軸性近視の治療又は予防に用いられる薬剤
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022049905
(43)【公開日】2022-03-30
(54)【発明の名称】軸性近視の治療又は予防に用いられる薬剤
(51)【国際特許分類】
   A61K 31/352 20060101AFI20220323BHJP
   A61P 27/02 20060101ALI20220323BHJP
   A61K 47/69 20170101ALI20220323BHJP
   A61K 47/38 20060101ALI20220323BHJP
   A61K 47/32 20060101ALI20220323BHJP
   A61K 47/10 20060101ALI20220323BHJP
   A61K 47/44 20170101ALI20220323BHJP
   A61K 47/12 20060101ALI20220323BHJP
【FI】
A61K31/352
A61P27/02
A61K47/69
A61K47/38
A61K47/32
A61K47/10
A61K47/44
A61K47/12
【審査請求】未請求
【請求項の数】13
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2020156194
(22)【出願日】2020-09-17
(71)【出願人】
【識別番号】000135184
【氏名又は名称】株式会社ニデック
(74)【代理人】
【識別番号】100117606
【弁理士】
【氏名又は名称】安部 誠
(72)【発明者】
【氏名】河合 功裕
(72)【発明者】
【氏名】中村 卓央
(72)【発明者】
【氏名】加藤 善隆
【テーマコード(参考)】
4C076
4C086
【Fターム(参考)】
4C076BB24
4C076CC10
4C076DD02
4C076DD05F
4C076DD07
4C076DD09F
4C076DD41
4C076DD49F
4C076EE16P
4C076EE23P
4C076EE32P
4C076EE39
4C076EE53
4C076FF31
4C086AA01
4C086AA10
4C086BA08
4C086MA03
4C086MA05
4C086MA58
4C086NA12
4C086ZA33
(57)【要約】
【課題】安定的なゲニピンの徐放を長期間に亘って維持し、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できる薬剤を提供する。
【解決手段】ここに開示される薬剤は、眼球の周囲に配置することによって、眼球の眼軸長の伸展による軸性近視を治療又は予防する。かかる薬剤は、ゲニピンと、温度感応性ゲル化剤と、油脂性基剤と、界面活性剤と、溶剤とを含有している。そして、ここに開示される薬剤は、油脂性基剤の含有量が5wt%以上であり、かつ、界面活性剤の含有量が3wt%以上である。上記構成の薬剤は、眼球の周囲に配置した際にデポを形成し、油脂性基剤にゲニピンが分散した乳化状態の薬効成分をデポから徐放する。そして、デポからの薬効成分の放出速度が安定化するように、油脂性基剤と界面活性剤の含有量が調節されているため、効果的に軸性近視を治療・予防できる。
【選択図】図1

【特許請求の範囲】
【請求項1】
眼球の周囲に配置することによって、前記眼球の眼軸長の伸展による軸性近視を治療又は予防する薬剤であって、
(a)ゲニピンと、
(b)温度感応性ゲル化剤と、
(c)油脂性基剤と、
(d)界面活性剤と、
(e)薬学的に許容され得る溶剤と
を含有し、
前記薬剤の総量を100wt%としたとき、前記(c)油脂性基剤の含有量が5wt%以上であり、かつ、前記(d)界面活性剤の含有量が3wt%以上であることを特徴とする、薬剤。
【請求項2】
(f)少なくとも前記ゲニピンを取り込む包接物質をさらに含有する、請求項1に記載の薬剤。
【請求項3】
前記(f)包接物質は、ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリンである、請求項2に記載の薬剤。
【請求項4】
前記薬剤の総量を100wt%としたときの前記(f)包接物質の含有量が4wt%以上である、請求項2または3に記載の薬剤。
【請求項5】
前記薬剤の総量を100wt%としたときの前記(a)ゲニピンの含有量が0.1wt%以上5wt%以下である、請求項1~4のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項6】
前記薬剤の総量を100wt%としたときの前記(b)温度感応性ゲル化剤の含有量が1wt%以上10wt%以下である、請求項1~5のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項7】
前記薬剤の総量を100wt%としたときの前記(c)油脂性基剤の含有量が10wt%以下である、請求項1~6のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項8】
前記薬剤の総量を100wt%としたときの前記(d)界面活性剤の含有量が10wt%以下である、請求項1~7のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項9】
前記(b)温度感応性ゲル化剤は、メチルセルロース、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、カルボキシメチルセルロース、ポリビニルピロリドン、ポリエチレングリコールから選択される少なくとも一種を含む、請求項1~8のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項10】
前記(c)油脂性基剤は、ヒマシ油、大豆油、ゴマ油、オリーブ油、パーム油、ホホバ油、ツバキ油、ヤシ油、ユーカリ油、ラベンダー油、ナタネ油、トウモロコシ油から選択される少なくとも一種を含む、請求項1~9のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項11】
前記(d)界面活性剤は、アニオン系界面活性剤とノニオン系界面活性剤から選択される少なくとも一種を含む、請求項1~10のいずれか一項に記載の薬剤。
【請求項12】
前記アニオン系界面活性剤は、オレイン酸ナトリウム、オレイン酸カリウム、ラウリル硫酸ナトリウム、ラウリル硫酸アンモニウムから選択される少なくとも一種を含む、請求項11に記載の薬剤。
【請求項13】
前記ノニオン系界面活性剤、ポリオキシエチレンモノラウレート、ポリオキシエチレンソルビタンモノオレエート、ポリオキシエチレンモノステアレート、ポリオキシエチレンアルキルアミン、ソルビタンモノラウレート、ポリソルベート80、ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油から選択される少なくとも一種を含む、請求項11または12に記載の薬剤。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、軸性近視の治療又は予防に用いられる薬剤に関する。具体的には、眼球の眼軸長の伸展の矯正又は抑制に用いられる薬剤に関する。
【背景技術】
【0002】
近視は、角膜を通過した光が網膜よりも手前側で焦点を結ぶことによって正確な画像を認識できなくなる状態をいう。この近視には様々な種類があり、その一例として、眼軸長(角膜から網膜までの長さ)の伸展によって生じる軸性近視が挙げられる。この軸性近視が生じた眼球は、眼軸方向に引き伸ばされて変形しているため、網膜剥離などの様々な合併症が生じるおそれがある。
【0003】
かかる軸性近視の治療・予防のために、様々な薬剤が従来から提案されている。例えば、特許文献1には、Rhoキナーゼ阻害剤を有効成分とする薬剤が開示されている。また、軸性近視に対する薬剤の他の例として、ゲニピン(genipin)が挙げられる。ゲニピンは、水溶性の天然架橋剤であり、コラーゲンを架橋して硬化させるという作用を有している。非特許文献1、2では、ゲニピンを眼球の周囲(例えばテノン嚢下)に注射している。これによって、コラーゲンを多く含む強膜が硬化し、当該強膜による眼球の形状保持機能が強化されるため、眼軸長の伸展を矯正又は抑制できる。しかし、ゲニピンによる強膜の硬化は、短期間(典型的には一週間以内)で解消されるため、軸性近視を適切に治療・予防するには、定期的なゲニピンの投与が必要となる。このため、ゲニピンを用いた軸性近視の治療・予防は、患者への身体的な負担が大きいと考えられている。
【0004】
ここで、薬剤の頻回投与による患者への負担を軽減するために、投与した薬剤を体内に留まらせ、長期間に亘って少しずつ放出させ続けること(徐放)が従来から提案されている。例えば、特許文献2には、結膜に注射する注射剤の徐放に関する技術が開示されている。この特許文献2に記載の注射剤は、温度変化によってゲル化する高分子(温度感応性ゲル化剤)等を含有している。この注射剤は、結膜下に注射した際に体温によってゲル化し、薬効成分(ベタメサゾン)を貯蔵した貯蔵庫(デポ)を形成する。そして、当該デポから薬効成分が徐放されるため、患者への負担を軽減しつつ、組織中の薬効成分の濃度を長期間に亘って適切に維持できる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】国際公開第2010/010702号
【特許文献2】特許第5274315号
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Effects of scleral cross linking using genipin on the process of form deprivation myopia in the guinea pig a randomized controlled experimental study.Mengmeng Wang et. al.,BMC Ophthalmology (2015) 15:89
【非特許文献2】Sustained scleral stiffening in rats after a single genipin treatment.Bailey G. Hannon et. al.,J. R. Soc. Interface 16: 20190427.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明者は、患者への負担を軽減しつつ軸性近視を治療・予防するために、眼球の周囲にゲニピンを貯蔵したデポを形成し、強膜へのゲニピンの徐放を長期間に亘って継続させることを検討している。しかしながら、温度感応性ゲル化剤とゲニピンとを混合しただけの薬剤では、デポから放出されるゲニピンの単位時間あたりの放出量(放出速度)が安定せず、一時的なゲニピンの不足による薬効の低下などが懸念される結果となった。本発明は、かかる問題を解決するためになされたものであり、安定的なゲニピンの徐放を長期間に亘って維持し、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できる薬剤を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上述の目的を達成するため、ここに開示される技術によって、以下の構成の薬剤が提供される。
【0009】
ここに開示される薬剤は、眼球の周囲に配置することによって、眼球の眼軸長の伸展による軸性近視を治療又は予防する。この薬剤は、(a)ゲニピンと、(b)温度感応性ゲル化剤と、(c)油脂性基剤と、(d)界面活性剤と、(e)薬学的に許容され得る溶剤とを含有している。そして、ここに開示される薬剤は、当該薬剤の総量を100wt%としたとき、(c)油脂性基剤の含有量が5wt%以上であり、かつ、(d)界面活性剤の含有量が3wt%以上であることを特徴とする。
【0010】
ここに開示される薬剤には、ゲニピンと油脂性基剤と界面活性剤とが含まれており、油脂性基剤にゲニピンが分散した乳化状態の薬効成分が生じている。この乳化状態の薬効成分の粘度が高いため、温度感応性ゲル化剤のゲル化によって生じたデポから、長期間に亘ってゲニピンを徐放できる。さらに、ここに開示される薬剤では、油脂性基剤の含有量が5wt%以上、かつ、界面活性剤の含有量が3wt%以上に設定されている。これによって、デポからの薬効成分の放出速度が顕著に安定化するため、効果的に軸性近視を治療・予防できる。
【0011】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、(f)少なくともゲニピンを取り込む包接物質をさらに含有する。これによって、ゲニピンの加水分解を抑制できるため、長期間に亘って充分な薬効を維持できる。なお、かかる包接物質の好適例として、ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリン(HP-β-CyD)が挙げられる。かかるHP-β-CyDは、ゲニピンの加水分解を特に顕著に抑制できる。また、包接物質による保存効果を適切に発揮させるという観点から、薬剤の総量を100wt%としたときの包接物質の含有量は4wt%以上が好ましい。
【0012】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、薬剤の総量を100wt%としたときの(a)ゲニピンの含有量が0.1wt%以上5wt%以下である。これによって、徐放期間と放出速度の安定性とをより高いレベルで両立できる。
【0013】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、薬剤の総量を100wt%としたときの(b)温度感応性ゲル化剤の含有量が1wt%以上10wt%以下である。これによって、適切な徐放性を発揮するデポを容易に形成できる。
【0014】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、薬剤の総量を100wt%としたときの(c)油脂性基剤の含有量が10wt%以下である。これによって、デポから放出された薬効成分を強膜に容易に供給することができる。
【0015】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、薬剤の総量を100wt%としたときの(d)界面活性剤の含有量が10wt%以下である。これによって、安定的な水中油型の乳剤を得ることができる。
【0016】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、(b)温度感応性ゲル化剤は、メチルセルロース、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、カルボキシメチルセルロース、ポリビニルピロリドン、ポリエチレングリコールから選択される少なくとも一種を含む。これらのゲル化剤を使用することによって、適切な徐放性を発揮するデポを形成できる。
【0017】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、(c)油脂性基剤は、ヒマシ油、大豆油、ゴマ油、オリーブ油、パーム油、ホホバ油、ツバキ油、ヤシ油、ユーカリ油、ラベンダー油、ナタネ油、トウモロコシ油から選択される少なくとも一種を含む。これらの植物油は、生体への毒性が低いため、乳化状態の薬効成分を生じさせるための油脂性基剤として好適である。
【0018】
ここに開示される薬剤の好ましい一態様では、(d)界面活性剤は、アニオン系界面活性剤とノニオン系界面活性剤から選択される少なくとも一種を含む。また、アニオン系界面活性剤は、オレイン酸ナトリウム、オレイン酸カリウム、ラウリル硫酸ナトリウム、ラウリル硫酸アンモニウムから選択される少なくとも一種を含むことが好ましい。一方、ノニオン系界面活性剤は、ポリオキシエチレンモノラウレート、ポリオキシエチレンソルビタンモノオレエート、ポリオキシエチレンモノステアレート、ポリオキシエチレンアルキルアミン、ソルビタンモノラウレート、ポリソルベート80、ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油から選択される少なくとも一種を含むことが好ましい。これらの界面活性剤を使用することによって、乳化状態の薬効成分をより容易に生じさせることができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
図1】ヒトの眼球および当該眼球の周囲の組織の断面図である。
図2】第1の試験において測定したゲニピンの累積放出率(%)の経日変化を示すグラフである。
図3】第2の試験において測定した各群のモルモットの眼軸長伸展量(mm)を示すグラフである。
図4】第3の試験において測定したゲニピンの残存率(%)の経日変化を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0020】
以下、ここに開示される技術の一実施形態について説明する。なお、本明細書において特に言及している事項以外の事柄であって、ここに開示される技術の実施に必要な事柄は、当該分野における従来技術に基づく当業者の設計事項として把握され得る。すなわち、ここに開示される技術は、本明細書の開示内容と当該分野における技術常識とに基づいて実施できる。
【0021】
ここに開示される薬剤は、生体の眼球の眼軸長の伸展による軸性近視を治療又は予防する。なお、本明細書における「生体」とは、ヒト、ネズミ、ウシ、ブタ、ウマ、ヒツジ、ネコ、イヌ等の哺乳類や、ニワトリ、アヒル等の鳥類を含む。すなわち、ここに開示される薬剤は、上述したような哺乳類や鳥類などの軸性近視の治療・予防に使用できる。また、本明細書における「デポ(depot)」とは、生体内でゲル化した薬剤を意味する。詳しくは後述するが、ここに開示される薬剤がゲル化したデポには、ゲニピンを含む薬効成分が貯蔵されており、当該デポから眼球壁(典型的には強膜)に薬効成分が供給されることによって、軸性近視を予防又は治療できる。
【0022】
1.軸性近視の薬剤
(1)概要
先ず、ここに開示される薬剤の概要について説明する。ここに開示される薬剤は、少なくとも、(a)ゲニピンと、(b)温度感応性ゲル化剤と、(c)油脂性基剤と、(d)界面活性剤と、(e)溶剤とを含有する。そして、この薬剤は、薬剤の総量を100wt%としたときの(c)油脂性基剤の含有量が5wt%以上であり、かつ、(d)界面活性剤の含有量が3wt%以上である。
【0023】
本発明者らは、種々の実験と検討を行った結果、上記構成の薬剤によると、安定的なゲニピンの徐放を長期間に亘って維持できることを見出した。具体的には、本発明者らは、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できる薬剤を開発するに際して、従来の薬剤がゲル化したデポからのゲニピンの放出速度が安定しない原因を検討した。その結果、水溶性のゲニピンは、溶剤(典型的には水)に容易に溶解して低粘度の薬効成分となるため、デポからの放出速度が不安定になりやすいことを発見した。そして、かかる発見に基づいて更に検討を重ねた結果、油脂性基剤にゲニピンを分散させた乳化状態の薬効成分を生じさせた場合、当該ゲニピンを含む薬効成分の放出速度が安定化することを発見した。なお、上述した特許文献2(特許第5274315号)に記載の通り、注射剤の調製時に液状の薬効成分を乳化させることは従来から提案されている。しかしながら、特許文献2を含めた従来の技術では、薬効成分の乳化によってデポからの放出速度が安定化するという知見は知られていなかった。これに対して、本発明者らは、上述の知見に基づいて、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できる安定的な徐放を実現する乳化条件について実験および検討を行った。その結果、界面活性剤を添加してゲニピンを乳化させやすくした上で、油脂性基剤の含有量を5wt%以上とし、かつ、界面活性剤の含有量を3wt%以上とすると、デポからの薬効成分の放出速度が顕著に安定化するため、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できることを発見した。
【0024】
(2)薬剤の成分
次に、ここに開示される薬剤の各成分について具体的に説明する
【0025】
(a)ゲニピン
ゲニピン(C1114、CAS登録番号:6902-77-8)は、植物(例えば、クチナシ(Gardenia jasminoides)の果実)から単離される化合物である。ゲニピンは、弱毒性かつ水溶性の天然架橋剤であり、コラーゲン等のタンパク質を架橋するという機能を有している。このゲニピンを眼球の周囲に配置すると、コラーゲンを多く含む強膜が硬化し、当該強膜による眼球の形状保持機能が強化される。これによって、眼軸長の伸展に起因した軸性近視を予防することができる。さらに、ゲニピンによって強膜が硬化した状態が長期間に亘って維持され続けた場合、既に眼軸長が伸展した眼球の形状が矯正される。このため、ゲニピンを薬効成分として含む薬剤は、軸性近視を治療又は予防することができる。なお、ゲニピンは、市販されているものを制限なく使用できる。
【0026】
(b)温度感応性ゲル化剤
温度感応性ゲル化剤は、昇温に伴ってゲル化する高分子化合物である。ここに開示される薬剤における温度感応性ゲル化剤には、常温環境(典型的には20℃前後)でゾル状(液状)であり、治療対象の生体の体温まで昇温した際にゲル化する高分子化合物が用いられる。これによって、薬剤がゲル化したデポを眼球の周囲に形成することができる。そして、ゲニピンを含む薬効成分がデポから徐放されることによって、強膜が硬化された状態を長期間に亘って維持し、軸性近視を効果的に治療又は予防できる。なお、温度感応性ゲル化剤のゲル化温度は、薬剤の使用環境や投与対象の生体の種類等を考慮して適宜変更することができる。一例として、投与対象の生体がヒトの場合、温度感応性ゲル化剤のゲル化温度は、36℃以下が好ましく、35℃以下がより好ましく、34℃以下が特に好ましい。これによって、眼球の周囲で適切にデポを形成することができる。一方で、投与前の薬剤がゲル化することを防止するという観点から、温度感応性ゲル化剤のゲル化温度は、28℃以上が好ましく、30℃以上がより好ましく、32℃以上が特に好ましい。なお、温度感応性ゲル化剤は、医薬品添加物として市販されているものを特に制限なく使用できる。例えば、温度感応性ゲル化剤には、メチルセルロース、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、カルボキシメチルセルロース、ポリビニルピロリドン、ポリエチレングリコールなどを使用できる。また、温度感応性ゲル化剤は、上述した高分子化合物を2種以上混合したものであってもよい。なお、デポからの薬剤成分の放出速度の安定性を大幅に改善するという観点では、上述した温度感応性ゲル化剤の中でもメチルセルロースが特に好ましい。かかるメチルセルロースの中でも、メトキシ基の含有率が26%~33%であるものを特に好適に使用できる。また、温度感応性ゲル化剤は、5wt%水溶液(pH:7.0)において、20℃下での動粘度が30mm/s以下(好適には20mm/s以下)となり、かつ、34℃下での貯蔵弾性率が10Pa以上(好適には40Pa以上)となるものであると特に好ましい。このようなゲル化特性を有する温度感応性ゲル化剤を使用することによって、ゲニピンを含む乳化状態の薬効成分を特に好適に徐放するデポを形成できる。
【0027】
(c)油脂性基剤
ここに開示される薬剤では、油脂性基剤に水溶性のゲニピンが分散することによって乳化状態の薬効成分が生じている。詳しくは後述するが、かかる乳化状態の薬効成分を生じさせることによって、デポからの薬効成分(ゲニピン)の放出速度を安定化させることができる。なお、油脂性基剤には、薬学的観点から生体への投与が許容される油分を特に制限なく使用できる。油脂性基剤の具体例として、植物油、動物油、合成油などが挙げられる。植物油としては、ヒマシ油、大豆油、ゴマ油、オリーブ油、パーム油、ホホバ油、ツバキ油、ヤシ油、ユーカリ油、ラベンダー油、ナタネ油、トウモロコシ油等が挙げられる。また、動物油としては、スクワラン、ラノリン、馬油、鯨油、肝油、ミンク油、卵黄油、牛脂、乳脂、豚油等が挙げられる。また、合成油としては、ミリスチン酸イソプロピル、ミリスチン酸オクチルドデシル、イソステアリン酸イソプロピル、イソノナン酸イソノニル、ステアリン酸ブチル、オレイン酸オレイル、イソノナン酸イソトリデシル、ミリスチン酸イソステアリル、リシノレイン酸オクチルドデシル、ヒドロキシステアリン酸オクチル、モノイソステアリン酸ジグリセリル等が挙げられる。また、油脂性基剤は、これらの油分を2種以上混合したものを使用してもよい。
【0028】
(d)界面活性剤
界面活性剤は、油脂性基剤へのゲニピンの分散を促進し、乳化状態の薬効成分を適切に生じさせるために添加される。なお、界面活性剤についても、薬学的観点から生体への投与が許容されるものを特に制限なく使用できる。なお、乳化状態の薬効成分を更に適切に生じさせるという観点から、界面活性剤は、アニオン系界面活性剤又はノニオン系界面活性剤が好適である。例えば、アニオン系界面活性剤としては、オレイン酸ナトリウム、オレイン酸カリウム、ラウリル硫酸ナトリウム、ラウリル硫酸アンモニウムなどを使用できる。一方、ノニオン系界面活性剤としては、ポリオキシエチレンモノラウレート、ポリオキシエチレンソルビタンモノオレエート、ポリオキシエチレンモノステアレート、ポリオキシエチレンアルキルアミン、ソルビタンモノラウレート、ポリソルベート80、ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油などを使用できる。これらの界面活性剤を使用することによって、乳化状態の薬効成分をより容易に生じさせることができる。
【0029】
(e)溶剤
溶剤は、上述した成分(a)~(d)を溶解させる液体である。かかる溶剤には、生体に対して薬学的に許容され得る程度の安全性を有している液体を特に制限なく使用できる。かかる溶剤の一例として、水(典型的には、滅菌精製水、注射用水、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)、生理食塩水など)を使用できる。
【0030】
(f)包接物質
また、ここに開示される薬剤は、上述の成分(a)~(e)の他に、包接物質を含有していてもよい。これによって、薬剤の保存性を大幅に改善できる。具体的には、ゲニピンを含む薬剤は、調製後に長い時間が経過すると、ゲニピンが加水分解して薬効が低下する可能性がある。これに対して、包接物質を添加した場合には、当該包接物質によってゲニピンが包接されて加水分解が抑制されるため、適切な薬効を発揮する状態を長期間に亘って維持することができる。なお、包接物質の一例として、シクロデキストリンなどの環状オリゴ糖が挙げられる。また、シクロデキストリンの中でも、ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリン、ヒドロキシプロピル-γ-シクロデキストリン、α-シクロデキストリン、スルホブチルエーテル-β-シクロデキストリンなどが用いられる。これらの中でも、ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリンは、ゲニピンの加水分解を特に顕著に抑制できるため好ましい。
【0031】
(g)他の添加剤
また、ここに開示される薬剤には、薬学的に眼球への添加が許容される成分を特に制限なく添加できる。この種の添加剤の一例として、pH調整剤、等張化剤、保存剤などが挙げられる。
【0032】
例えば、眼球への刺激を考慮すると、ここに開示される薬剤のpHは、1~10の範囲内が好ましく、2~9の範囲内がより好ましい。かかる薬剤のpH調整には、従来一般の眼球への薬剤に使用され得るpH調整剤を特に制限なく使用できる。具体的には、酸類のpH調整剤の一例として、塩酸、リン酸、クエン酸、酢酸、乳酸、グルコン酸、アスコルビン酸などが挙げられる。一方、塩基類のpH調整剤としては、水酸化ナトリウム、水酸化カリウム、水酸化カルシウム、水酸化マグネシウム、モノエタノールアミン、ジエタノールアミン、トリエタノールアミン等が挙げられる。
【0033】
また、等張化剤および保存剤についても、従来一般の眼球への薬剤に使用され得るものを特に制限なく使用できる。等張化剤は、薬剤の浸透圧を体液に合わせるために添加される。かかる等張化剤の一例として、キシリトール、マンニトール、ブドウ糖等の糖類、プロピレングリコール、グリセリン、塩化ナトリウム、塩化カリウムなどが挙げられる。また、保存剤としてはベンザルコニウム塩化物、塩化ベンゼトニウム、塩化セチルピリジニウムなどのイオン系保存剤、グルコン酸クロルヘキシジン、クロルヘキシジン塩酸塩、1,1-ジメチルビグアニド塩酸塩、ポリヘキサメチレンビグアニド、アレキシジン、ヘキセチジン、N-アルキル-2-ピロリジノンなどのビグアニド系保存剤、塩化ポリドロニウムなどのポリクオタニウム系保存剤、パラヒドロキシ安息香酸メチル、パラヒドロキシ安息香酸プロピル、パラヒドロキシ安息香酸ブチル等のパラベン類、クロロブタノール、フェニルエチルアルコール、ブロノポール及びベンジルアルコールなどのアルコール類、デヒドロ酢酸ナトリウム、ソルビン酸及びソルビン酸カリウムなどの有機酸及びその塩類が使用できる。
【0034】
(3)各成分の含有量
上述した通り、本発明者らの実験・検討の結果、油脂性基剤にゲニピンが分散した乳化状態の薬効成分を生じさせることによって、ゲル化したデポからの薬効成分(ゲニピン)の放出速度が安定化することが確認されている。そして、ここに開示される薬剤では、強膜の硬化という薬効が充分に発現するような安定的なゲニピンの放出を長期間に亘って維持できる乳化条件として、油脂性基剤の含有量が5wt%以上、かつ、界面活性剤の含有量が3wt%以上に設定されている。換言すると、ゲニピンと温度感応性ゲル化剤を含む薬剤に、5wt%以上の油脂性基剤と、3wt%以上の界面活性剤を添加すると、ゲニピンの放出速度が顕著に安定化することが確認されている。ここに開示される薬剤は、かかる知見に基づいて、安全かつ効果的に軸性近視を治療又は予防するために調製されたものである。なお、ここに開示される薬剤のように、ゲニピンの放出速度が安定化すると、ゲニピンの過剰放出による副作用の発現の防止という効果も得られる。以下、ここに開示される薬剤に含まれる各成分の含有量について具体的に説明する。なお、本明細書における「含有量」とは、特に説明がない限りにおいて、薬剤の総量を100wt%としたときの質量パーセント濃度である。
【0035】
(a)ゲニピンの含有量
まず、ここに開示される薬剤において、油脂性基剤と界面活性剤以外の成分の含有量は、特に制限されず、種々の条件を考慮して適宜調節することができる。一例として、薬剤中のゲニピンの含有量が減少するにつれて薬効(軸性近視の予防又は治療)が生じにくくなる傾向がある。かかる観点から、ゲニピンの含有量の下限値は、0.1wt%以上が好ましく、0.5wt%以上がより好ましく、1wt%以上がさらに好ましく、1.5wt%以上が特に好ましい。一方で、薬剤中のゲニピンの含有量が増加しすぎると副作用の発現が懸念される。かかる観点から、ゲニピンの含有量の上限値は、10wt%以下が好ましく、5wt%以下がより好ましく、4wt%以下がさらに好ましく、3wt%以下が特に好ましい。
【0036】
(b)温度感応性ゲル化剤の含有量
次に、生体内(眼球の周囲)で適切にデポを形成するという観点から、ここに開示される薬剤は、一定量以上の温度感応性ゲル化剤を含有していることが好ましい。具体的には、温度感応性ゲル化剤の含有量は、1wt%以上が好ましく、1.5wt%以上がより好ましく、2wt%以上がさらに好ましく、2.5wt%以上が特に好ましい。一方で、温度感応性ゲル化剤の含有量が少なくなるにつれてゲル化前の薬剤の粘度が低下するため、薬剤の調製(製造)や治療対象への投与などが容易になるという側面もある。かかる点を考慮すると、温度感応性ゲル化剤の含有量は、15wt%以下が好ましく、12wt%以下がより好ましく、10wt%以下がさらに好ましく、6wt%以下が特に好ましい。
【0037】
(c)油脂性基剤の含有量
上述した通り、ここに開示される薬剤では、乳化状態の薬効成分を適切に生じさせ、薬効成分の放出速度を顕著に安定化させるという観点から、油脂性基剤の含有量が5wt%以上に定められている。なお、薬効成分の放出速度をさらに安定化させるという観点から、油脂性基剤の含有量は、6wt%以上が好ましく、7wt%以上がより好ましく、8wt%以上が特に好ましい。一方で、油脂性基剤の含有量の上限値は、15wt%以下が好ましく、12.5wt%以下がより好ましく、10wt%以下が特に好ましい。これによって、安定的な水中油型の乳剤を得ることができる。
【0038】
(d)界面活性剤の含有量
次に、ここに開示される薬剤では、上記油脂性基剤へのゲニピンの分散性を向上させ、薬効成分の放出速度を顕著に安定化させるという観点から、界面活性剤の含有量が3wt%以上に設定されている。なお、薬効成分の放出速度をさらに安定化させるという観点から、界面活性剤の含有量は、3.5wt%以上が好ましく、4wt%以上が特に好ましい。一方で、界面活性剤の含有量が多くなりすぎると薬剤の粘度が増加し、薬剤の調製や治療対象への投与が困難になる可能性がある。かかる観点から、界面活性剤の含有量は、15wt%以下が好ましく、10wt%以下がより好ましく、7.5wt%以下がさらに好ましく、5wt%以下が特に好ましい。
【0039】
(f)包接物質の含有量
なお、シクロデキストリン等の包接物質を添加する場合には、ゲニピンを適切に包接できる程度の量の包接物質を添加することが好ましい。これによって、ゲニピンの加水分解を適切に抑制できる。具体的には、包接物質の含有量は、2wt%以上が好ましく、3wt%以上がより好ましく、4wt%以上が特に好ましい。一方、薬剤中の包接物質の含有量が多くなりすぎると溶剤の量が減少するため、薬剤の調製が困難になるという問題が生じる可能性がある。かかる観点から、包接物質の含有量は、10wt%以下が好ましく、9wt%以下がより好ましく、8wt%以下がさらに好ましく、7wt%以下が特に好ましい。
【0040】
(e)溶剤の含有量
そして、溶剤の含有量は、特に限定されず、他の成分(すなわち、上述の成分(a)~(d)、(f)および他の添加剤)の含有量に応じて適宜調節できる。換言すると、ここに開示される薬剤における溶剤の含有量は、薬剤の総量から上記他の成分の含有量を差し引いた残部とすることができる。
【0041】
なお、ここに開示される薬剤は、安全かつ効果的に軸性近視を治療又は予防するという目的の下で油脂性基剤と界面活性剤の含有量を所定の範囲に調節した上で、眼球の周囲に投与される。このときに投与される薬剤は、投与の直前に濃縮液や乾燥固形製剤に溶剤を添加して調製されたものであってもよいし、油脂性基剤および界面活性剤の含有量が予め調節されたものであってもよい。すなわち、ここに開示される技術は、希釈等をせずにそのまま投与される薬剤だけでなく、投与前に溶剤が添加される濃縮液や乾燥固形製剤なども包含する。このような濃縮液や乾燥固形製剤の形態を採用すると、製造、流通、保存等の際における利便性やコスト低減等の観点から有利である。このとき、濃縮液や乾燥固形製剤は、例えば1.5倍~100倍程度の溶剤を添加した際に、各成分の含有量が上述した範囲になるように製造されたものであることが好ましい。例えば、保存中のゲニピンの加水分解を好適に抑制するという観点から、濃縮倍率は、2倍以上(好適には3倍、より好適には4倍、特に好適には10倍)が適当である。
【0042】
2.薬剤の効果
以上の通り、ここに開示される薬剤は、眼球の周囲に配置することによって軸性近視を安全かつ効果的に治療又は予防できる。以下、ここに開示される薬剤の効果(薬効)について図1を参照しながら具体的に説明する。図1はヒトの眼球および当該眼球の周囲の組織の断面図である。
【0043】
先ず、図1に基づいてヒトの眼球の構造を説明する。図1に示すように、ヒトの眼球は、三層構造の眼球壁10と、当該眼球壁10の内部に充填された硝子体20と、眼球の前方に配置された凸レンズ状の組織である水晶体30とを備えている。そして、三層構造の眼球壁10は、内膜40と中膜50と外膜60によって構成されている。内膜40は、光刺激を受容する網膜42で主に構成されている。また、中膜50は、チン小帯51を介して水晶体30の厚さを調節する毛様体52と、眼球の後方に位置する脈絡膜54とから構成されている。そして、外膜60は、眼球の前方を保護する角膜62と、眼球の形状を保持する強膜64とから構成されている。さらに、眼球の周囲には、テノン嚢72や結膜74などが形成されている。また、本明細書において「眼軸長」とは、角膜62の頂点から網膜42の中心窩までの距離(図1中の符号A参照)である。
【0044】
ここで、軸性近視が生じた眼球では、眼軸長Aが伸展しているため、角膜62と水晶体30を通過した光が網膜42の手前側で焦点を結んでしまい、正確な画像を認識できなくなる。これに対して、ここに開示される薬剤は、眼球の周囲に配置することによって眼軸長Aの伸展を抑制又は矯正できるため、軸性近視を予防又は治療することができる。以下、具体的に説明する。
【0045】
まず、ここに開示される薬剤を眼球の周囲に配置すると、治療対象の体温によって薬剤がゲル化してデポを形成する。なお、薬剤を配置(投与)する位置は、強膜64に薬効成分(ゲニピン)を供給することができれば特に限定されない。かかる薬剤の配置位置の好適例として、テノン嚢72と強膜64との境界(テノン嚢下)が挙げられる。このテノン嚢下にデポを形成することによって、患者への負担を比較的に少なくした上で、薬効成分を強膜64に効率よく供給することができる。さらに、眼軸長Aの伸展が生じる際には、眼球の赤道Eの付近が主に伸展する。このため、赤道E付近のテノン嚢72下に薬剤を配置することによって、さらに効果的に軸性近視を予防・治療できる。なお、薬剤を配置する手段は、ここに開示される技術を限定する要素ではなく、従来公知の手段を特に制限なく採用できる。例えば、注射によって薬剤を注入してもよいし、外科的手術によって眼球の周囲の所望の位置に薬剤を配置してもよい。また、薬剤を配置する手段の他の例として、薬剤を充填したデバイスを留置するという手段も挙げられる。
【0046】
そして、ここに開示される薬剤には、乳化状態の薬効成分が含まれているため、ゲル化したデポからゲニピンが安定的な放出速度で長期間に亘って放出される。これによって、薬効の低下等を生じさせずに、長期間に亘って強膜64を硬化させ続けることができる。これによって、眼軸長Aの伸展による軸性近視を安全かつ効果的に予防できる。また、薬剤の投与前に眼軸長Aの伸展が生じていた場合には、長期間に亘って強膜64が硬化し続けることによって眼球の形状が矯正されるため、眼軸長Aの伸展が解消される。すなわち、ここに開示される薬剤によると、一度生じた軸性近視を安全かつ効果的に治療することもできる。
【0047】
また、ここに開示される薬剤の好適な用途の一例として、徐放性の異なる複数の薬剤を備えた薬剤キットが挙げられる。これによって、投与直後に徐放性が低いデポが主に薬効成分を放出した後に、徐放性が高いデポが主に薬効成分を放出することができるため、より好適に軸性近視を治療・予防することができる。なお、複数の薬剤の徐放性を異ならせる具体的な手段は特に限定されない。一例として、温度感応性ゲル化剤の種類や含有量を異ならせた複数種類の薬剤を予め用意し、これらの薬剤を混合したものを眼球の周囲に投与するという手段が挙げられる。
【0048】
3.薬剤の製造
次に、ここに開示される薬剤を製造する手順の一例について説明する。ここに開示される薬剤の製造方法の一例として、ゲニピンと油脂性基剤と界面活性剤と溶剤とを混合して乳化状態の薬効成分を調製する乳剤調製工程と、当該乳化状態の薬効成分に温度感応性ゲル化剤を溶解させるゲル化剤添加工程とを備えた製造方法が挙げられる。かかる製造方法によると、乳化状態の薬効成分を含む薬剤を効率よく製造できる。以下、この製造方法に含まれる各工程について具体的に説明する。
【0049】
(1)乳剤調製工程
本工程では、ゲニピンと油脂性基剤と界面活性剤と溶剤とを混合し、乳化状態の薬効成分を調製する。この製造方法のように、温度感応性ゲル化剤を添加する前に、乳化状態の薬効成分を調製することによって、乳化状態の薬効成分を含む薬剤を効率よく製造できる。なお、本工程は、ゲニピンと油脂性基剤とを混合して懸濁する懸濁処理と、界面活性剤と溶剤を添加して乳化させる乳化処理に分けられているとより好ましい。これによって、界面活性剤を添加する前にゲニピンを微細化させることができるため、より均一に乳化した薬効成分を調製できる。なお、懸濁処理において、ゲニピンと油脂性基剤とを混合する際には、超音波、マグネティックスターラー等を使用できる。
【0050】
(2)ゲル化剤添加工程
本工程では、前工程で調製した乳化状態の薬効成分に温度感応性ゲル化剤を溶解させる。一般に、温度感応性ゲル化剤を溶解させると薬剤の粘度が向上するため、薬効成分の乳化が難しくなる。これに対して、この製造方法では、予め薬効成分の乳化を行っているため、乳化状態の薬効成分を含む薬剤を効率よく製造できる。なお、本工程では、溶液を加温しながら温度感応性ゲル化剤を溶解させると好ましい。このときの溶液の温度は、50℃~80℃(例えば70℃程度)が好ましい。なお、ここに開示される薬剤は、投与前のゲル化を防止するために、冷所(例えば5℃程度)の環境で保存することが好ましい。なお、溶剤は、添加予定の全量を乳剤調製工程で添加せずに、一部を本工程で添加してもよい。これによって、温度感応性ゲル化剤を溶解させた後の薬剤をより容易に均一化することができる。
【0051】
以上の通り、乳剤調製工程とゲル化剤添加工程を分けて実施する製造方法を行うことによって、乳化状態の薬効成分を含む薬剤を効率よく製造できる。しかし、上述した製造方法は、ここに開示される薬剤を製造する好適例の一つである。すなわち、ここに開示される薬剤は、上述の製造方法で製造されたものに限定されない。
【0052】
[試験例]
以下、ここに開示される技術に関する試験例を説明する。なお、以下の試験例は、ここに開示される技術を限定することを意図したものではない。
【0053】
A.第1の試験
本試験では、成分の異なる複数種類の薬剤を準備し、各々の薬剤の徐放性および安定性をin vitroで調べた。以下、具体的に説明する。
【0054】
1.サンプルの作成
(1)サンプル1
サンプル1では、(a)ゲニピンと、(b)温度感応性ゲル化剤と、(c)油脂性基剤と、(d)界面活性剤と、(e)溶剤とを含む薬剤を調製した。なお、(a)ゲニピンとしては、富士フィルム和光純薬株式会社製のものを使用した。また、(b)温度感応性ゲル化剤にはメチルセルロース(信越化学工業株式会社製)を使用し、(c)油脂性基剤にはダイズ油(富士フィルム和光純薬株式会社製)を使用した。そして、(d)界面活性剤にはポリソルベート80(サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社製)を使用し、(e)溶剤には注射水(大塚製薬工場株式会社製)を使用した。なお、各成分の具体的な含有量は後述の表1に示す通りである。
【0055】
そして、サンプル1における薬剤の調製手順は次の通りである。最初に(a)ゲニピンと(c)油脂性基剤とを混合した混合液を調製した後に、超音波を用いてゲニピンを破砕した。そして、この混合液を攪拌しながら(d)界面活性剤と(e)溶剤を添加することによって乳化状態の薬効成分を得た。次に、この薬効成分を約70℃まで加熱した後に攪拌しながら(b)温度感応性ゲル化剤を加えて均一に溶解させた。そして、冷所で5℃程度まで冷却した後に、全量が15mlになるように(e)溶剤をさらに添加することによってサンプル1の薬剤を得た。
【0056】
(2)サンプル2、3
サンプル2、3では、(c)油脂性基剤と(d)界面活性剤の含有量を異ならせた点を除いて、上記サンプル1と同じ手順に従って薬剤を調製した。なお、サンプル2、3における各成分の具体的な含有量は表1に示す通りである。
【0057】
(3)サンプル4
サンプル4では、(c)油脂性基剤と(d)界面活性剤を含まない薬剤を調製した。なお、(a)ゲニピンと、(b)温度感応性ゲル化剤と、(e)溶剤については、サンプル1と同じ材料を使用した。そして、(a)ゲニピンと(e)溶剤を混合した混合液を調製した後に、超音波を用いてゲニピンを破砕した。次に、混合液を約70℃まで加熱して攪拌しながら(b)温度感応性ゲル化剤を均一に溶解させた。そして、冷所にて5℃程度まで冷却させた後に、全量が7mlになるように(e)溶剤をさらに加えることによってサンプル4の薬剤を得た。なお、サンプル4に含まれる各成分の含有量についても後述の表1に示す。
【0058】
2.評価試験
本試験では、透析モジュール(製品名:Float-A-LyzerG2、Spectrum Laboratoreis Inc製)を使用して、上述したサンプル1~4の薬剤の徐放性および安定性をin vitroで調べた。具体的には、先ず、上述した透析モジュールの内部に薬剤を1g加えた後に37℃の環境で1時間保存することによってゲル化させた。次に、薬剤を収容した透析モジュールを浸漬液(生理食塩液:5ml)に浸漬させた状態で、35℃の環境下で50rpmの速度で振とうした。そして、浸漬液から測定用試料を経時的に採集し、高速液体クロマトグラフ法を用いて測定用試料中のゲニピン濃度を測定した。そして、測定したゲニピン濃度に基づいて、薬剤から浸透液への薬効成分の放出率を求めた。結果を図2に示す。
【0059】
さらに、本試験では、試験開始後7日目から21日目までの薬効成分の放出量(%)に基づいて、1日あたりの薬効成分の放出量(薬効成分の放出速度(%/日))を算出した。さらに、本実験では、サンプル1~4の各々に対して評価試験を3回繰り返し、上述の放出速度の平均値を算出した。さらに、各々の評価試験の結果に基づいて、標準偏差を求めると共に、放出速度の平均値と標準偏差に基づいて変動係数(%)を算出した。算出結果を表1に示す。
【0060】
【表1】
【0061】
図2に示すように、サンプル1~4の薬剤は、試験開始から21日後でもゲニピンを放出していることが確認できた。このことから、温度感応性ゲル化剤を薬剤に添加することによって、一定以上の徐放性が得られることが分かる。しかしながら、表1に示すように、薬効成分を乳化していないサンプル4は、放出速度の変動係数が非常に大きく、ゲニピンの放出量が安定していないことが分かった。このような場合、放出量の不足による薬効の低下や、過剰な放出による副作用の発現などが生じる恐れがある。一方、サンプル1~3に示すように、ゲニピンを乳化させた薬効成分を生じさせると、ゲニピンの放出速度が安定化する(変動係数が減少する)ことが分かった。特に、サンプル1、2は、サンプル3と比較してゲニピンの放出速度が顕著に安定化していた。このことから、油脂性基剤の含有量を5wt%以上とし、かつ、界面活性剤の含有量を3wt%以上とすることによって、安全かつ効果的に軸性近視を治療・予防できることが分かった。
【0062】
なお、ここに開示される技術を限定することを意図したものではないが、本試験のように、油脂性基剤の含有量が5wt%以上となり、かつ、界面活性剤の含有量が3wt%以上となった時点で、薬効成分の放出速度の安定性が顕著に向上する理由は、ミセルが安定するためと推測される。
【0063】
B.第2の試験
本試験では、第1の試験において、好適な徐放性を示したサンプル1を用いて動物実験を実施した。以下、具体的に説明する。
【0064】
1.試験動物
本試験では、試験動物として、モルモット閉眼モデルを準備した。具体的には、3週齢の有色モルモット(Weiser-Maples系)の片眼を、ポリエチレンテレフタレート製の白色ディフューザーを用いて閉眼した。なお、全ての試験区において、閉眼処置を左眼に対して行い、右眼を無処置とした。そして、モルモットは通常の飼育条件で飼育した。
【0065】
2.試験群の説明
(1)第1グループ
本試験では、対照群として第1グループを準備した。具体的には、薬剤の投与等をせずに閉眼処理のみを行った試験群(n=8)を第1グループとした。
【0066】
(2)第2グループ
第2グループでは、閉眼処置の前にゲニピン水溶液(濃度:0.5%、投与量:50μL)を1回だけ投与した(単回投与)。なお、ゲニピン水溶液の投与は、モルモットに全身麻酔を行い、左眼の鼻上側と耳下側の2箇所におけるテノン嚢下に注射をすることによって実施した。
【0067】
(3)第3グループ
第3グループでは、閉眼処置の前後にゲニピン水溶液を複数回投与した。具体的には、第2グループと同様の手順でゲニピン水溶液をテノン嚢下に注射するゲニピン投与を、閉眼処置前、閉眼処置から7日後、14日後の合計3回実施した。
【0068】
(4)第4グループ
第4グループでは、第1の試験で調製したサンプル1の薬剤を閉眼処置の前に1回だけ投与した。なお、薬剤投与の手順は、上述した第2グループと同様の手順であり、閉眼処置前のテノン嚢下にサンプル1の薬剤を注射した。
【0069】
3.評価試験
各グループのモルモットに対して、閉眼処置前と処置後21日目に眼局所麻酔を行い、眼軸長測定装置(株式会社ニデック製、型番:US-4000)を用いて眼軸長を測定した。そして、下記の式に基づいて眼軸長の伸展量を算出した。算出結果を図3に示す。
眼軸長の伸展量(mm)=21日目の眼軸長(mm)-閉眼前の眼軸長(mm)
【0070】
図3に示すように、グループ1、2と、グループ3、4との間で、眼軸長伸展量について有意な差が確認された。特に、グループ4では、閉眼処置前に薬剤を1回投与しただけであるにも関わらず、ゲニピンを頻繁に投与するグループ3と眼軸長の伸展量が同程度であった。このことから、上記第1の試験で調製したサンプル1の薬剤は、投与回数を少なくして患者への負担を軽減しつつ軸性近視を効果的に予防できることが分かった。
【0071】
C.第3の試験
本試験では、ここに開示される薬剤への添加剤の一例として、包接物質の添加について検討した。以下、具体的に説明する。
【0072】
1.サンプルの準備
(1)サンプル1
本試験では、包接物質を添加していない比較対象の薬剤として、第1の試験で調製したサンプル1を準備した。
【0073】
(2)サンプル5、6
乳化状態の薬効成分の調製後、温度感応性ゲル化剤の添加前に、(f)包接物質であるヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリン(HP-β-CyD)を添加したことを除いて、サンプル1と同じ手順に従って薬剤を調製した。なお、サンプル5とサンプル6とでは、HP-β-CyDの添加量を異ならせた。サンプル5、6に含まれる各成分の含有量は、表2にまとめて示す。
【0074】
(2)サンプル7
(f)包接物質としてα-シクロデキストリン(α-CyD)を使用したことを除いて、サンプル1と同じ手順に従って薬剤を調製した。サンプル7に含まれる各成分の含有量を表2に示す。
【0075】
(3)サンプル8
(f)包接物質としてスルホブチルエーテル-β-シクロデキストリン(SBE-β-CyD)を添加したことを除いて、サンプル1と同じ手順に従って薬剤を調製した。サンプル8に含まれる各成分の含有量を表2に示す。
【0076】
【表2】
【0077】
2.加速試験
ここでは、薬剤を冷所(5℃)で長期間保存することを想定し、保存温度を25℃、保存期間を63日間に設定した加速試験を実施した。かかる加速試験は、5℃での約3年間の保存に相当するため、薬剤の保存性を短期的に評価できる。具体的な試験手順としては、各サンプルの薬剤を25℃で63日間保存している間、経時的に薬剤を採集し、高速液体クロマトグラフ法を用いて薬剤中のゲニピン含量を測定した。そして、本試験では、下記の式に基づいてゲニピンの残存率を計算した。計算結果を図4に示す。
残存率(%)=C/C×100
C :各採集時点における薬剤中のゲニピン含量
:保存開始前における薬剤中のゲニピン含量
【0078】
図4に示す通り、サンプル5~8のいずれにおいても、サンプル1と比べてゲニピンが残存しやすくなるという結果が得られた。このことから、包接物質の添加によってゲニピンの加水分解が抑制されるため、長期間に亘って薬剤を保管できるようになることが分かった。また、サンプル5、6の比較の結果、より適切に薬物を保管するという観点から、包接物質の含有量は4wt%以上が好適であることが分かった。さらに、サンプル5、7、8の比較の結果、HP-β-CyDは、ゲニピンの加水分解を特に好適に抑制できることが分かった。
【0079】
以上、本発明の具体例を詳細に説明したが、これらは例示にすぎず、特許請求の範囲を限定するものではない。特許請求の範囲に記載の技術には、以上に例示した具体例を様々に変形、変更したものが含まれる。
【符号の説明】
【0080】
10 眼球壁
20 硝子体
30 水晶体
40 内膜
42 網膜
50 中膜
51 チン小帯
52 毛様体
54 脈絡膜
60 外膜
62 角膜
64 強膜
72 テノン嚢
74 結膜
A 眼軸長
E 赤道

図1
図2
図3
図4