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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022083627
(43)【公開日】2022-06-06
(54)【発明の名称】金型用鋼
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20220530BHJP
   C22C 38/46 20060101ALI20220530BHJP
   C22C 38/60 20060101ALI20220530BHJP
【FI】
C22C38/00 302E
C22C38/46
C22C38/60
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2020195052
(22)【出願日】2020-11-25
(71)【出願人】
【識別番号】000003713
【氏名又は名称】大同特殊鋼株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100110227
【弁理士】
【氏名又は名称】畠山 文夫
(72)【発明者】
【氏名】河野 正道
(57)【要約】
【課題】SA性、焼戻し硬さ、残留応力、被削性、衝撃値、及び耐食性の6特性のすべてが良好である金型用鋼を提供すること。
【解決手段】金型用鋼は、0.070≦C≦0.130mass%、0.01≦Si≦0.60mass%、0.02≦Mn≦0.60mass%、0.003≦P≦0.150mass%、0.005≦Cu≦1.50mass%、0.005≦Ni<0.80mass%、7.50≦Cr≦8.40mass%、0.70<Mo≦1.20mass%、0.01≦V≦0.30mass%、0.010≦Al≦0.120mass%、及び、0.015≦N≦0.095mass%を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
0.070≦C≦0.130mass%、
0.01≦Si≦0.60mass%、
0.02≦Mn≦0.60mass%、
0.003≦P≦0.150mass%、
0.005≦Cu≦1.50mass%、
0.005≦Ni<0.80mass%、
7.50≦Cr≦8.40mass%、
0.70<Mo≦1.20mass%、
0.01≦V≦0.30mass%、
0.010≦Al≦0.120mass%、及び、
0.015≦N≦0.095mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる金型用鋼。
【請求項2】
0.30<W≦4.00mass%、及び/又は、
0.30<Co≦3.00mass%
をさらに含む請求項1に記載の金型用鋼。
【請求項3】
0.0002<B≦0.0080mass%
をさらに含む請求項1又は2に記載の金型用鋼。
【請求項4】
0.004<Nb≦0.100mass%、
0.004<Ta≦0.100mass%、
0.004<Ti≦0.100mass%、及び、
0.004<Zr≦0.100mass%
からなる群から選ばれるいずれか1以上の元素をさらに含む請求項1から3までのいずれか1項に記載の金型用鋼。
【請求項5】
0.003<S≦0.250mass%、
0.0005<Ca≦0.2000mass%、
0.03<Se≦0.50mass%、
0.005<Te≦0.100mass%、
0.01<Bi≦0.50mass%、及び、
0.03<Pb≦0.50mass%
からなる群から選ばれるいずれか1以上の元素をさらに含む請求項1から4までのいずれか1項に記載の金型用鋼。
【請求項6】
15℃以上35℃以下の温度範囲において測定された硬さが32HRC以上44HRC以下であり、
15℃以上35℃以下の温度範囲において測定された平均吸収エネルギーが20J以上である請求項1から5までのいずれか1項に記載の金型用鋼。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金型用鋼に関し、さらに詳しくは、プラスチックの射出成形やブロー成形、ゴムや各種の炭素繊維強化プラスチックの成形や加工などに用いられる金型を製造するための金型用鋼(特に、所定の条件下で焼入れ・焼戻しを行うことによって所定の硬さに調質されたプレハードン鋼)に関する。
【背景技術】
【0002】
プレハードン鋼とは、所定の硬さに調質されており、かつ、切削加工が可能な鋼をいう。プレハードン鋼は、熱処理が不要であり、切削加工後にそのまま金型や金型部品として使用できる。そのため、プレハードン鋼は、プラスチックの射出成形やブロー成形、ゴムや繊維強化プラスチック(FRP、CFRP、CFRTP、GFRPなど)の成形や加工などに用いられる金型、金型に組み付ける部品などに多用されている。このようなプレハードン鋼及びその製造方法に関し、従来から種々の提案がなされている。
【0003】
例えば、特許文献1には、質量%で、C:0.03%~0.25%、Si:0.01%~0.40%、Mn:0.10%~1.50%、P:≦0.30%、S:≦0.050%、Cu:0.05%~0.20%、Ni:0.05%~1.50%、Cr:5.0%~10.0%、Mo:0.10%~2.00%、V:0.01%~0.10%、N:≦0.10%、O:≦0.01%、Al≦0.05%であり、且つ、(Cr+Mo)≦10%、及び7≦(Cr+3.3Mo)を満足し、残部がFe及び不可避的不純物からなる温度調節性に優れたプラスチック成形金型用鋼が開示されている。
同文献には、
(a)フェライト生成元素(Cr、Mo)とオーステナイト生成元素(Mn、Ni)の相互の割合を調整することにより、鏡面性及び衝撃値を両立させることができる点、及び、
(b)Cr及びMoが所定の関係を満足するようにこれらの含有量を最適化すると、耐蝕性及び熱伝導率が高くなる点、
が記載されている。
【0004】
特許文献2には、質量%で、0.045≦C≦0.090、0.01≦Si≦0.50、0.10≦Mn≦0.60、0.80≦Ni≦1.10、6.60≦Cr≦8.60、0.01≦Mo≦0.70、0.001≦V≦0.200、0.007≦Al≦0.150、0.0002≦N≦0.0500を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる金型用鋼が開示されている。
同文献には、所定の元素を含む金型用鋼において、Al量を0.007~0.150%とすると、所定の硬さに調質された後において、良好な鏡面研磨性、5%Cr鋼と12%Cr鋼の中間の耐蝕性、及び、高衝撃値を実現できる点が記載されている。
【0005】
プレハードン鋼を用いて金型を製造する場合、まず、金型用プレハードン鋼材を製造する必要がある。金型用プレハードン鋼材は、一般に、溶解、精錬、鋳造、均質化熱処理、熱間加工、中間熱処理(焼ならし、焼戻し)、球状化焼鈍(Spheroidizing Annealing, SA)、焼入れ、矯正、及び焼戻しの各工程を経て製造される。
なお、鋼種によっては、SAが不要となる場合、焼戻しが複数回となる場合、あるいは、矯正の前後に焼戻し工程が入る場合がある。焼戻しの回数によらず、最終の焼戻し工程は、残留応力を引き下げる役目も負う。
【0006】
次に、プレハードン鋼材から金型又は金型部品を製造する。金型又は金型部品は、一般に、機械加工、鏡面研磨、表面加飾、及び表面処理の各工程を経て製造される。
なお、表面加飾は、シボ加工などによって特殊な模様を表面に与える工程であるが、用途によっては不要となる場合がある。また、表面処理は、窒化やPVDなどで表面を硬くする工程であるが、用途によっては不要となる場合がある。
【0007】
上記の工程を経て製造されるプレハードン鋼材、並びに、これを用いて製造される金型及び金型部品に求められる重要な特性としては、以下の6特性が上げられる。
(1)SA性(球状化焼鈍の容易性)。
(2)焼戻し硬さ(高い耐摩耗性と高い衝撃値とを両立できる適度な焼戻し硬さ)。
(3)残留応力(金型の反りや捻れを回避できる程度の低い残留応力)。
(4)被削性(切削加工の容易性)。
(5)衝撃値(金型の大割れを回避できる程度の高い衝撃値)。
(6)耐食性(湿潤環境で使用された場合であっても発錆しない程度の高い耐食性)。
さらに、プレハードン鋼材には、上記6特性の他にも、鏡面研磨性、シボ加工性、及び/又は、熱伝導特性に優れていることが求められる場合もある。
【0008】
しかしながら、上記の6特性のすべてが良好である鋼材が提案された例は、従来にはない。また、上記の6特性に加えて、鏡面研磨性、シボ加工性、及び/又は、熱伝導特性に優れた鋼材が提案された例は、従来にはない。
例えば、P21系鋼や高Niマルテンサイト系ステンレス鋼は、SA性が悪い。510℃以下で焼き戻される鋼は、残留応力が高い。マルテンサイト系ステンレス鋼は、被削性が悪い。P21系鋼やマルテンサイト系ステンレス鋼は、衝撃値が低い。Cr量が6%以下の鋼は、湿潤環境における耐食性が悪い。さらに、偏析が顕著な鋼、アルミナなどの硬質な非金属介在物が多い鋼、あるいは、快削元素を多量に含む鋼は、鏡面研磨性やシボ加工性が悪い。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特許第5239578号公報
【特許文献2】特開2020-063508号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明が解決しようとする課題は、SA性、焼戻し硬さ、残留応力、被削性、衝撃値、及び耐食性の6特性のすべてが良好である金型用鋼を提供することにある。
本発明が解決しようとする他の課題は、上記6特性に加えて、鏡面加工性、シボ加工性、及び/又は、熱伝導特性に優れた金型用鋼を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために本発明に係る金型用鋼は、
0.070≦C≦0.130mass%、
0.01≦Si≦0.60mass%、
0.02≦Mn≦0.60mass%、
0.003≦P≦0.150mass%、
0.005≦Cu≦1.50mass%、
0.005≦Ni<0.80mass%、
7.50≦Cr≦8.40mass%、
0.70<Mo≦1.20mass%、
0.01≦V≦0.30mass%、
0.010≦Al≦0.120mass%、及び、
0.015≦N≦0.095mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。
【発明の効果】
【0012】
本発明に係る金型用鋼は、成分(特に、Ni、Mo、及びAl)が最適化されているために、SA性、焼戻し硬さ、残留応力、被削性、衝撃値、及び耐食性の6特性のすべてが良好である。具体的には、本発明に係る金型用鋼は、
(a)SA性がP21系鋼や高Niマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、
(b)焼戻し後の硬さが32~44HRCの適正な値であり、
(c)焼戻し後の残留応力が低く、
(d)焼戻し後の被削性がマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、
(e)焼戻し後の衝撃値がP21系鋼やマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、かつ、
(f)湿潤環境における焼戻し後の耐食性がP21系鋼より高く、マルテンサイト系ステンレス鋼並みに高い、
という特徴がある。
【0013】
このため、本発明に係る金型用鋼は、
(A)従来鋼より製造コストが低い、
(B)金型加工時の変形が非常に小さく、金型加工が容易である、
(C)金型表面を綺麗に磨くことができる、
(D)使用中に割れや錆が発生しにくい、
(E)使用しない期間中の保管時においても錆びにくい、
という利点がある。
また、本発明に係る金型用鋼は、上記の6特性の他にも、鏡面加工性やシボ加工性に優れ、熱伝導率がマルテンサイト系ステンレス鋼よりも高いという特徴も有する。
【図面の簡単な説明】
【0014】
図1】SA後の硬さに及ぼすNi量の影響を示す図である。
図2】555℃で7Hr焼き戻した後のHRC硬さに及ぼすMo量の影響を示す図である。
図3】36HRC材の平均吸収エネルギーに及ぼすAl量の影響を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下に、本発明の一実施の形態について詳細に説明する。
[1. 金型用鋼]
[1.1. 組成]
[1.1.1. 主構成元素]
本発明に係る金型用鋼は、以下のような元素を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。添加元素の種類、その成分範囲、及び、その限定理由は、以下の通りである。
【0016】
(1) 0.070≦C≦0.130mass%:
C量が上記の範囲内にあれば、残留応力を低下させるために510℃を超える温度で焼戻しても32~44HRCが得られる。限定理由の詳細は、以下の通りである。
C含有量が少なくなりすぎると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。均質化熱処理の目的は、高温でオーステナイト単相化させ、元素分布を均一化(偏析を軽減)することである。偏析の軽減は、鏡面研磨性やシボ加工性の向上に必須である。均質化熱処理時にフェライトが存在すると、偏析の軽減は困難となる。この理由は、オーステナイトとフェライトでは、固溶する元素の種類、量、及び/又は、拡散速度が異なるためである。
【0017】
また、C量が少なくなりすぎると、SA時にマトリックス中に分散している炭化物(球状化の起点となる炭化物)の数が少なくなる。そのため、炭化物が球状化しにくくなり、SA性が悪くなる。さらに、C量が少なくなるほど、焼戻し硬さが低くなる。そのため、32~44HRCを得るためには焼戻し温度を510℃以下とせざるを得ず、結果として残留応力が高くなる。
従って、C量は、0.070mass%以上である必要がある。C量は、好ましくは、0.075mass%以上、さらに好ましくは、0.080mass%以上である。
【0018】
一方、C量が過剰になると、多くのCrが炭化物の形成に消費され、固溶するCr量が減少するために、耐食性が低下する。また、溶接補修時に割れが生じやすくなる。さらに、C量が過剰になると、熱伝導率の低下も大きい。
従って、C量は、0.130mass%以下である必要がある。C量は、好ましくは、0.125mass%以下、さらに好ましくは、0.120mass%以下である。
【0019】
樹脂の射出成形では、金型内に充填した樹脂を速く固化させて、生産性を高める必要がある。そのため、金型は速く冷えること、つまり熱伝導率の高さが求められる。また、金型内の流路に高温の流体や低温の流体を選択的に流して金型温度を制御(加熱や冷却)する場合には、金型には加熱や冷却への応答の高さが求められる。この意味でも、熱伝導率の高さは重要である。本発明に係る金型用鋼はCr量が8%程度と多いため、P20系鋼やP21系鋼よりは熱伝導率が低い。それでも、可能な限り高い熱伝導率を達成することが望ましい。本発明に係る金型用鋼は、マルテンサイト系ステンレス鋼よりは高い熱伝導率を実現している。
【0020】
(2) 0.01≦Si≦0.60mass%:
Si量が上記の範囲内にあれば、良好な被削性と高い熱伝導率を両立できる。限定理由の詳細は、以下の通りである。
Si量を極端に少なくするためには、Si量の非常に少ない高価な原材料を使用しなければならず、素材コストが上昇する。また、鋼中に含まれる適量のSiは、工具の摩耗を防ぐ効果がある。そのため、Si量が少なくなりすぎると、被削性の劣化が著しい。
従って、Si量は、0.01mass%以上である必要がある。Si量は、好ましくは、0.05mass%以上、さらに好ましくは、0.10mass%以上である。
【0021】
一方、Si量が過剰になると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。また、熱間加工においては、鋼材表面に硬く剥がれにくい酸化スケールが形成され、加工工具を著しく摩耗させる。さらに、Si量が過剰になると、熱伝導率の低下が大きくなる。
従って、Si量は、0.60mass%以下である必要がある。Si量は、好ましくは、0.55mass%以下、さらに好ましくは、0.50mass%以下である。
【0022】
(3) 0.02≦Mn≦0.60mass%:
Mn量が上記の範囲内にあれば、高い焼入れ性と良好なSA性とを両立できる。限定理由の詳細は、以下の通りである。
Mn量を極端に少なくするためには、Mn量の非常に少ない高価な原材料を使用しなければならず、素材コストが上昇する。また、Mn量が少なくなりすぎると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。さらに、焼入れ性が不足し、大断面のプレハードン鋼材内部の衝撃値が低くなる。
従って、Mn量は、0.02mass%以上である必要がある。Mn量は、好ましくは、0.05mass%以上、さらに好ましくは、0.10mass%以上である。
【0023】
一方、Mn量が過剰になると、偏析が顕著となる。また、SA性が悪くなるだけでなく、熱伝導率の低下も著しい。
従って、Mn量は、0.60mass%以下である必要がある。Mn量は、好ましくは、0.55mass%以下、さらに好ましくは、0.50mass%以下である。
【0024】
(4) 0.003≦P≦0.150mass%:
P量が上記の範囲内であれば、高い衝撃値と高い被削性を低コストで実現できる。限定理由の詳細は、以下の通りである。
P量を極端に少なくするためには、P量の非常に少ない高価な原材料を使用しなければならず、素材コストが上昇する。また、Pは、切削屑を細かく破砕させる作用がある。そのため、P量が少なくなりすぎると、被削性が悪くなる。
従って、P量は、0.003mass%以上である必要がある。P量は、好ましくは、0.005mass%以上、さらに好ましくは、0.007mass%以上である。
【0025】
一方、P量が過剰になると、衝撃値の低下が著しくなる。従って、P量は、0.150mass%以下である必要がある。P量は、好ましくは、0.130mass%以下、さらに好ましくは、0.110mass%以下である。
本発明に係る金型用鋼(極低C-8Cr系)は、衝撃値が非常に高いため、P量が従来鋼に比べて多い場合であっても高い衝撃値を確保することができる。従って、P量が従来鋼に比べて多い場合であっても、高衝撃値と高被削性を両立できる。また、P量の多い安価な原材料を使用できるので、素材コストの上昇も抑制できる。
【0026】
(5) 0.005≦Cu≦1.50mass%:
Cu量を極端に少なくするためには、Cu量の非常に少ない高価な原材料を使用しなければならず、素材コストが上昇する。また、Cu量が少なくなりすぎると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。さらに、残留応力の低下を目的として高温域(510℃を超える温度域)で焼戻しを行った場合、32HRC以上の硬さを得るのが難しくなる。この傾向は、固溶元素量が少なく、炭化物のサイズが大きく、炭化物の量が少ない場合に顕著である。さらに、Cu量が少なくなりすぎると、被削性と耐食性が悪くなる。
従って、Cu量は、0.005mass%以上である必要がある。Cu量は、好ましくは、0.01mass%以上、さらに好ましくは、0.02mass%以上である。
【0027】
一方、Cu量が過剰になると、素材コストが高くなる。また、偏析が顕在化する。さらに、SA性が悪くなり、熱伝導率と衝撃値も悪くなる。
従って、Cu量は、1.50mass%以下である必要がある。Cu量は、好ましくは、1.40mass%以下、さらに好ましくは、1.30mass%以下である。
特に、耐食性を重視してC量を0.120mass%以下とした場合において、Cu量を0.20超1.30mass%以下とすると、被削性、衝撃値、及び耐食性のバランスが非常に良好となる。
【0028】
(6) 0.005≦Ni<0.80mass%:
Ni量が少なくなりすぎると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。また、焼入れ性が不足し、大断面のプレハードン鋼材内部の衝撃値が低くなる。
従って、Ni量は、0.005mass%以上である必要がある。Ni量は、好ましくは、0.008mass%以上、さらに好ましくは、0.01mass%以上である。
【0029】
一方、Ni量が過剰になると、素材コストが上昇し、偏析が顕在化する。また、オーステナイト単相域が高温側に拡張するため、熱間加工前の均質化熱処理の温度を高くする必要がある。その結果、加熱炉のダメージが大きくなる。さらに、Ni量が過剰になると、SA性と熱伝導率も悪くなる。
従って、Ni量は、0.80mass%未満である必要がある。Ni量は、好ましくは、0.75mass%以下、さらに好ましくは、0.70mass%以下である。
【0030】
(7) 7.50≦Cr≦8.40mass%:
Cr量が少なくなりすぎると、耐食性が不足する。また、衝撃値も低下する。従って、Cr量は、7.50mass%以上である必要がある。Cr量は、好ましくは、7.60mass%以上、さらに好ましくは、7.70mass%以上である。
【0031】
一方、Cr量が過剰になると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。また、高Cr化は、軟化抵抗を劣化させる。そのため、残留応力の低下を目的として高温域(510℃を超える温度域)で焼戻しを行った場合、32HRC以上の硬さを得るのが難しくなる。さらに、Cr量が過剰になると、熱伝導率も低下する。
従って、Cr量は、8.40mass%以下である必要がある。Cr量は、好ましくは、8.30mass%以下、さらに好ましくは、8.20mass%以下である。
【0032】
(8) 0.70<Mo≦1.20mass%:
Moは、2次硬化を生じさせる作用がある。そのため、Mo量が少なくなりすぎると、残留応力の低下を目的として高温域(510℃を超える温度域)で焼戻しを行った場合、32HRC以上の硬さを得るのが難しくなる。また、耐食性も不足する。
従って、Mo量は、0.70mass%超である必要がある。Mo量は、好ましくは、0.75mass%以上、さらに好ましくは、0.80mass%以上である。
【0033】
一方、Mo量が過剰になると、素材コストが上昇する。また、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。
従って、Mo量は、1.20mass%以下である必要がある。Mo量は、好ましくは、1.15mass%以下、さらに好ましくは、1.10mass%以下である。
【0034】
(9) 0.01≦V≦0.30mass%:
V量が少なくなりすぎると、焼入れ時にオーステナイト結晶粒界の移動を抑制するVCあるいはVCNが過少となる。そのため、結晶粒が過度に成長しやすくなる。焼入れ時に結晶粒が過度に成長すると、衝撃値が低下する。
また、Vは、2次硬化を生じさせる作用がある。そのため、V量が少なくなりすぎると、残留応力の低下を目的として高温域(510℃を超える温度域)で焼戻しを行った場合、32HRC以上の硬さを得るのが難しくなる。
従って、V量は、0.01mass%以上である必要がある。V量は、好ましくは、0.02mass%以上、さらに好ましくは、0.03mass%以上である。
【0035】
一方、V量が過剰になると、素材コストが上昇する。また、インゴットの鋳造時にVCあるいはVCNが粗大な状態で晶出しやすくなる。粗大なVCあるいはVCNは、衝撃値を低下させる原因となる。さらに、V量が過剰になると、熱間加工前の均質化熱処理時にフェライトが存在しやすくなる。
従って、V量は、0.30mass%以下である必要がある。V量は、好ましくは、0.29mass%以下、さらに好ましくは、0.28mass%以下である。
【0036】
(10) 0.010≦Al≦0.120mass%:
Al量が少なくなりすぎると、焼入れ時にオーステナイト結晶粒界の移動を抑制するAlNが過少となる。そのため、結晶粒が過度に成長しやすくなる。また、焼入れ時に結晶粒が過度に成長すると、衝撃値が低下する。さらに、本発明に係る金型用鋼(極低C-8Cr系)は、極低Alの場合に、結晶粒が微細でも衝撃値が著しく低くなるという特異性を有する。
従って、Al量は、0.010mass%以上である必要がある。Al量は、好ましくは、0.012mass%以上、さらに好ましくは、0.014mass%以上である。
【0037】
一方、多量のAlを含有させるためには、原材料の不純物レベルのAl量では不十分なため、Alの積極添加が必要となり、素材コストが高くなる。また、Al量が過剰になると、アルミナが過度に多くなる。その結果、衝撃値が低下するだけでなく、鏡面研磨性も悪くなる。これは、アルミナの脱落によりピンホールが発生するためである。さらに、Al量が過剰になると、熱伝導率も低下する。
従って、Al量は、0.120mass%以下である必要がある。Al量は、好ましくは、0.115mass%以下、さらに好ましくは、0.110mass%以下である。
【0038】
特に、O量が0.003mass%以下である場合、アルミナの悪影響が顕在化しなくなる。そのため、Al量の下限を高めた0.050<Al≦0.110mass%の範囲において、結晶粒径、衝撃値、及び鏡面研磨性のバランスが非常に良くなる。
【0039】
(11) 0.015≦N≦0.095mass%:
N量が少なくなりすぎると、焼入れ時にオーステナイト結晶粒界の移動を抑制するAlNが過少となる。そのため、結晶粒が過度に成長しやすくなる。また、N量が少なくなりすぎると、残留応力の低下を目的として高温域(510℃を超える温度域)で焼戻しを行った場合、32HRC以上の硬さを得るのが難しくなる。さらに、N量が少なくなりすぎると、耐食性が不足する。
従って、N量は、0.015mass%以上である必要がある。N量は、好ましくは、0.017mass%以上、さらに好ましくは、0.020mass%以上である。
【0040】
一方、多量のNを含有させるためには、原材料の不純物レベルのN量では不十分なため、Nの積極添加が必要となり、素材コストが高くなる。また、N量が過剰になると、粗大なAlNが過度に多くなり、衝撃値が低下する。さらに、熱伝導率も低下する。
従って、N量は、0.095mass%以下である必要がある。N量は、好ましくは、0.090mass%以下、さらに好ましくは、0.80mass%以下である。
【0041】
(12)不可避的不純物:
本発明に係る金型用鋼は、不可避的不純物として、
O≦0.005mass%、
W≦0.30mass%、
Co≦0.30mass%、
B≦0.0002mass%、
Nb≦0.004mass%、
Ta≦0.004mass%、
Ti≦0.004mass%、
Zr≦0.004mass%、
Ca≦0.0005mass%、
S≦0.003mass%、
Se≦0.03mass%、
Te≦0.005mass%、
Bi≦0.01mass%、
Pb≦0.03mass%、又は、
Mg≦0.02mass%、
が含まれていても良い。
【0042】
[1.1.2. 副構成元素]
本発明に係る金型用鋼は、上述した主構成元素に加えて、以下のような1又は2以上の元素をさらに含んでいても良い。添加元素の種類、その成分範囲、及び、その限定理由は、以下の通りである。
【0043】
(13) 0.30<W≦4.00mass%:
本発明に係る金型用鋼は、極低Cであり、Mo量及びV量も少ないため、用途によっては強度が不足する場合がある。本発明に係る金型用鋼を高強度化するためには、Wを添加することが有効である。このような効果を得るためには、W量は、0.30mass%超が好ましい。W量は、好ましくは、0.50mass%以上、さらに好ましくは、1.00mass%以上である。
一方、W量が過剰になると、偏析が顕著となるだけでなく、素材コストも上昇する。従って、W量は、4.00mass%以下が好ましい。W量は、好ましくは、3.90mass%以下、さらに好ましくは、3.80mass%以下である。
【0044】
(14) 0.30<Co≦3.00mass%:
本発明に係る金型用鋼を高強度化するためには、Wに代えて又はWに加えて、Coを添加することも有効である。このような効果を得るためには、Co量は、0.30mass%超が好ましい。Co量は、好ましくは、0.50mass%以上、さらに好ましくは、1.00mass%以上である。
一方、Co量が過剰になると、偏析が顕著となるだけでなく、素材コストも上昇する。従って、Co量は、3.00mass%以下が好ましい。Co量は、好ましくは、2.80mass%以下、さらに好ましくは、2.50mass%以下である。
【0045】
(15) 0.0002<B≦0.0080mass%:
P量が多い場合、粒界に偏析するPが粒界強度を下げるために、衝撃値が低くなる場合がある。粒界強度を改善するには、Bの添加が有効である。また、合金元素の総量が少ない場合、焼入れ時にフェライトやパーライトが析出することがある。これを抑制するためにも、B添加は有効である。このような効果を得るためには、B量は、0.0002mass%以上が好ましい。B量は、好ましくは、0.0003mass%以上、さらに好ましくは、0.0004mass%以上である。
一方、B量が過剰になると、精錬時間が長くなることによる生産性の低下や、粗大なBの化合物が増えて衝撃値が低下する。従って、B量は、0.0080mass%以下が好ましい。B量は、好ましくは、0.0075mass%以下、さらに好ましくは、0.0070mass%以下である。
【0046】
なお、粒界強度の改善を目的としてBを添加する場合、BがBNを形成しては意味がない。そこで、N量の多い鋼にBを添加する際には、NをB以外の元素と結合させる必要がある。具体的には、窒化物を形成しやすいTi、Zr、Nbなどの元素とNとを結合させる。これらの元素は、不純物レベルでも効果があるが、不足であれば、後述する量を添加するのが好ましい。
一方、被削性改善のためにBNを分散させたい場合には、Nを窒化物形成元素と積極的に結合させる手段を採る必要はない。
【0047】
(16) 0.004<Nb≦0.100mass%:
(17) 0.004<Ta≦0.100mass%:
(18) 0.004<Ti≦0.100mass%:
(19) 0.004<Zr≦0.100mass%:
本発明に係る金型用鋼は、極低Cであり、V量も多くないため、焼入れ時にオーステナイト結晶粒界の移動を抑制するVCあるいはVCNが不足する場合がある。この場合、焼入れ条件によっては、オーステナイト結晶粒が過度に成長しやすくなる。粒成長を抑制するには、炭化物、窒化物、あるいは炭窒化物を生成させる元素(すなわち、Nb、Ta、Ti、及び/又は、Zr)を添加し、マトリックス中に炭化物等を分散させることが有効である。このような効果を得るためには、Nb、Ta、Ti、及びZrの含有量は、それぞれ、0.004mass%超が好ましい。これらの元素の含有量は、それぞれ、好ましくは、0.006mass%以上、さらに好ましくは、0.008mass%以上である。
【0048】
一方、これらの元素の含有量が過剰になると、炭化物、窒化物、あるいは炭窒化物が粗大となり、衝撃値が低下する。また、これらの元素の必要以上の添加は、素材コストの上昇を招く。従って、Nb、Ta、Ti、及びZrの含有量は、それぞれ、0.100mass%以下が好ましい。これらの元素の含有量は、それぞれ、好ましくは、0.090mass%以下、さらに好ましくは、0.080mass%以下である。
なお、本発明に係る金型用鋼は、Nb、Ta、Ti、又はZrのいずれか1種を含むものでも良く、あるいは、2種以上を含むものでも良い。
【0049】
(20) 0.003<S≦0.250mass%:
(21) 0.0005<Ca≦0.2000mass%:
(22) 0.03<Se≦0.50mass%:
(23) 0.005<Te≦0.100mass%:
(24) 0.01<Bi≦0.50mass%:
(25) 0.03<Pb≦0.50mass%:
本発明に係る金型用鋼は、Si量が相対的に少なく、かつ、Cr量が相対的に多いため、切削条件によっては被削性が十分でない場合がある。被削性の改善には、快削成分と呼ばれる元素(すなわち、S、Ca、Se、Te、Bi、及び/又はPb)を添加することが有効である。このような効果を得るためには、S、Ca、Se、Te、Bi、及びPbの含有量は、それぞれ、上記の下限値を超える量が好ましい。
Sの含有量は、好ましくは、0.004mass%以上、さらに好ましくは、0.005mass%以上である。
Caの含有量は、好ましくは、0.0006mass%以上、さらに好ましくは、0.0007mass%以上である。
Seの含有量は、好ましくは、0.04mass%以上、さらに好ましくは、0.05mass%以上である。
Teの含有量は、好ましくは、0.006mass%以上、さらに好ましくは、0.007mass%以上である。
Biの含有量は、好ましくは、0.02mass%以上、さらに好ましくは、0.03mass%以上である。
Pbの含有量は、好ましくは、0.04mass%以上、さらに好ましくは、0.05mass%以上である。
【0050】
一方、これらの元素の含有量が過剰になると、熱間加工時に割れやすくなるだけでなく、衝撃値も低くなる。従って、S、Ca、Se、Te、Bi、及びPbの含有量は、それぞれ、上記の上限値以下が好ましい。
Sの含有量は、好ましくは、0.225mass%以下、さらに好ましくは、0.200mass%以下である。
Caの含有量は、好ましくは、0.1900mass%以下、さらに好ましくは、0.1800mass%以下である。
Seの含有量は、好ましくは、0.48mass%以下、さらに好ましくは、0.46mass%以下である。
Teの含有量は、好ましくは、0.090mass%以下、さらに好ましくは、0.080mass%以下である。
Biの含有量は、好ましくは、0.450mass%以下、さらに好ましくは、0.400mass%以下である。
Pbの含有量は、好ましくは、0.45mass%以下、さらに好ましくは、0.40mass%以下である。
なお、本発明に係る金型用鋼は、S、Ca、Se、Te、Bi、及びPbのいずれか1種を含むものでも良く、あるいは、2種以上を含むものでも良い。
【0051】
[1.2. 特性]
[1.2.1. 硬さ]
本発明に係る金型用鋼は、通常、所定の硬さに調質した状態で使用される。本発明に係る金型用鋼において、成分及び熱処理条件を最適化すると、調質後の硬さは、32HRC以上44HRC以下となる。
ここで、本発明において「硬さ」とは、15℃以上35℃以下の温度範囲において測定されたロックウェル硬さであって、無作為に選んだ5箇所において測定された値の平均値をいう。
【0052】
[1.2.2. 平均吸収エネルギー]
本発明に係る金型用鋼は、通常、所定の硬さに調質した状態で使用される。本発明に係る金型用鋼において、成分及び熱処理条件を最適化すると、調質後の平均吸収エネルギーは、20J以上となる。
ここで、本発明において「吸収エネルギー」とは、JIS Z2242の標準試験片によって得られる値をいう。具体的には、「吸収エネルギー」とは、ノッチ底R=1.0mm、ノッチ深さ=2mm(ノッチ下高さ=8mm)、ノッチ下部の試験片断面積=80mm2である試験片を用いて、15℃以上35℃以下の温度範囲において衝撃試験を行うことにより得られる値をいう。
「平均吸収エネルギー」とは、10本の試験片の吸収エネルギーの平均値をいう。
【0053】
[2. 金型用鋼の製造方法]
本発明に係る金型用鋼は、
(a)所定の成分範囲となるように配合された原料を溶解・精錬・鋳造し、
(b)得られた鋳塊に対して均質化処理を行い、
(c)均質化処理後の鋳塊に対して熱間加工を行い、
(d)熱間加工後の素材に対して中間熱処理(焼ならし及び焼戻し)を行い、
(e)中間熱処理後の素材に対して球状化焼鈍(SA)を行い、
(f)球状化焼鈍後の素材に対して焼入れを行い、
(g)焼入れ後の素材を矯正し、
(h)矯正後の素材に対して焼戻しを行う
ことにより製造することができる。
得られた金型用鋼は、切削加工を施した後、各種の用途に用いられる。
【0054】
なお、中間熱処理は、鋼種やサイズによっては省略される場合もあるが、通常は、行われる。SAは、鋼種によっては不要になる場合がある。焼戻しは、複数回行われる場合がある。さらに、矯正の前後に焼戻し工程が入る場合もある。
各工程の条件は、特に限定されるものでははく、調質後の状態において目的とする硬さ及び平均吸収エネルギーが得られるように、最適な条件を選択するのが好ましい。
【0055】
[3. 作用]
[3.1. 金型用鋼及び金型に要求される特性]
所定の硬さに調質された状態で各種の用途に供される金型用鋼(いわゆる、「プレハードン鋼材」)、並びに、これを用いて製造される金型及び金型部品に求められる重要な特性としては、以下の6特性が上げられる。
(1)SA性(球状化焼鈍の容易性)。
(2)焼戻し硬さ(高い耐摩耗性と高い衝撃値とを両立できる適度な焼戻し硬さ)。
(3)残留応力(金型の反りや捻れを回避できる程度の低い残留応力)。
(4)被削性(切削加工の容易性)。
(5)衝撃値(金型の大割れを回避できる程度の高い衝撃値)。
(6)耐食性(湿潤環境で使用された場合であっても発錆しない程度の高い耐食性)。
以下では、これらの6特性が必要な理由を説明する。
【0056】
[3.1.1. SA性]
球状化焼鈍(SA)とは、均質で、軟質な組織にする熱処理をいう。SA性は、良い方が好ましい。「SA性が良い」とは、簡単なSA工程により均質で、軟質な組織になることを意味する。以下では、SA性が良い方が好ましい理由を述べる。
【0057】
SA性は、金型用プレハードン鋼材の製造において問題となる。プレハードン鋼材は、最終的には焼入れ焼戻しによってその特性が調整される。しかし、焼入れ前のSAの状態において、組織が不均質で、軟化が不十分になっていると、焼入れ時の結晶粒が粗大化することがある。結晶粒が粗大化すると、プレハードン鋼材の特性が最適化されない。
従って、SAでは均質で、軟質な組織を得ることが必須であり、そのためのSA工程は簡単な方が安いコストで済む。このように、焼入れ焼戻し材の特性及び製造コストの2つの観点から、金型用鋼にはSA性の良さが求められる。
【0058】
[3.1.2. 焼戻し硬さ]
金型の強度を確保するためには、ある程度の焼戻し硬さが必要である。焼戻し硬さが低すぎると、金型として使用中に摩耗による形状変化が発生する。一方、焼戻し硬さが高すぎると、金型形状への機械加工が困難となるだけでなく、衝撃値が低下する。そのため、金型として使用中に大割れしやすくなる。これらをバランスさせるためには、金型用鋼には、32~44HRCの焼戻し硬さが求められる。
【0059】
[3.1.3. 残留応力]
残留応力は、金型を機械加工する際に問題となる。残留応力は、焼入れ時の急冷や、焼入れ後の矯正時に発生する。プレハードン鋼材の残留応力が高いと、機械加工後の金型が所定の寸法公差を外れることがある。これは、機械加工による体積除去により残留応力の釣り合いが変化し、その結果として金型が反ったり捻れたりするためである。従って、残留応力は低い方が好ましい。
残留応力を低くする方法としては、(a)焼入れ応力を下げる、(b)焼入れ後の矯正をしない、(c)矯正後の焼戻し温度を高くする、の3つの方法がある。
【0060】
1つ目の方法(焼入れ応力を下げる方法)により残留応力を低くすることは難しい。これは、焼入れ応力を下げるために焼入れ速度を遅くすると、不完全焼入れ組織となり、金型として必要な特性が得られないためである。焼入れ時に急冷が必須である以上、焼入れ応力を下げることは難しい。
一方、焼入れ性の高い鋼材の場合、焼入れ時に急冷が必須ではなくなる。しかし、一般にプレハードン鋼材は断面が大きいため、急冷を行わない場合でも中心と表面の温度差が大きくなりやすい。この大きな温度差が高い焼入れ応力を生んでしまう。
【0061】
2つめの方法(焼入れ後の矯正をしない方法)により残留応力を低くすることも難しい。通常、焼入れには急冷が必須であるため、高い応力が発生し、鋼材が変形する(曲がる、反る)場合が多い。この変形を直して真っ直ぐにするために、鋼材を塑性変形させる矯正が必要となる。また、焼入れ前の段階で、熱間加工時の変形が残存していることもある。このような場合も焼入れ後の矯正が必要となる。
【0062】
そこで、一般には、3つめの方法(矯正後の焼戻し温度を高くする方法)を用いて残留応力を低減することが行われている。残留応力は、加熱温度が高くなるほど小さくなる。そこで、硬さの規格を満たす焼戻し温度範囲において、高めの温度で焼戻すと、残留応力を低減することができる。
【0063】
[3.1.4. 被削性]
被削性は、プレハードン鋼材を金型形状に機械加工する際に問題となる。金型には、冷却用や加熱用の流体を流す回路が必要であり、その回路となる穴をドリルで開ける。被削性の悪い鋼材は、加工速度を下げないと穴を開けられず、ドリルの摩耗も顕著となる。すなわち、低効率であり、ドリルの費用も高くなる。
被削性は、硬さの影響が大きい。しかし、同じ硬さであっても、鋼材の成分が異なると被削性も異なる場合が多い。金型用鋼には、金型として必要な特性だけでなく、高い被削性も求められる。
【0064】
[3.1.5. 衝撃値]
衝撃値は、高い方が好ましい。衝撃値が低いと、金型として使用中に大割れしやすくなる。大割れは補修が困難であるため、大割れした金型は新品と交換しなければならない。金型費用を安くするには、金型の大割れを回避することが必要である。そのため、金型用鋼には、高い衝撃値が求められる。
【0065】
[3.1.6. 耐食性]
耐食性は、高い方が好ましい。本発明に係る金型用鋼は、樹脂(プラスチックやビニール)の射出成形やブロー成形、ゴムや繊維強化プラスチックの成型や加工などに使用される。このような用途の金型においては、湿潤環境下での耐食性が重要である。
【0066】
射出成形等に用いられる金型は、高温多湿の環境で使用されることが多い。このような湿潤環境では、金型が錆びやすい。金型が錆びると、その部分が製品に転写され、製品の表面品質を損ねる。そのような場合、研磨で金型の錆びを除去しなければならないが、そのために多くの工数と費用が発生する。従って、金型費用を安くするには、錆びを避けることが必要である。そのため、金型用鋼には、高い耐食性が求められる。
なお、使用しない金型の保管中の錆びを防ぐことも、上記と同様の理由で重要である。
【0067】
[3.2. 本発明に係る金型用鋼の特性]
本願発明の出願前において、上記の6特性のすべてが良好である鋼材が提案された例は、従来にはない。また、上記の6特性に加えて、鏡面研磨性、シボ加工性、及び/又は、熱伝導特性に優れた鋼材が提案された例は、従来にはない。
【0068】
これに対し、本発明に係る金型用鋼は、成分(特に、Ni、Mo、及びAl)が最適化されているために、SA性、焼戻し硬さ、残留応力、被削性、衝撃値、及び耐食性の6特性のすべてが良好である。具体的には、本発明に係る金型用鋼は、
(a)SA性がP21系鋼や高Niマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、
(b)焼戻し後の硬さが32~44HRCの適正な値であり、
(c)焼戻し後の残留応力が低く、
(d)焼戻し後の被削性がマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、
(e)焼戻し後の衝撃値がP21系鋼やマルテンサイト系ステンレス鋼より高く、かつ、
(f)湿潤環境における焼戻し後の耐食性がP21系鋼より高く、マルテンサイト系ステンレス鋼並みに高い、
という特徴がある。
【0069】
このため、本発明に係る金型用鋼は、
(A)従来鋼より製造コストが低い、
(B)金型加工時の変形が非常に小さく、金型加工が容易である、
(C)金型表面を綺麗に磨くことができる、
(D)使用中に割れや錆が発生しにくい、
(E)使用しない期間中の保管時においても錆びにくい、
という利点がある。
また、本発明に係る金型用鋼は、上記の6特性の他にも、鏡面加工性やシボ加工性に優れ、熱伝導率がマルテンサイト系ステンレス鋼よりも高いという特徴も有する。
【実施例0070】
(実験1: Ni量の上限の検討)
[1. 試料の作製]
金型用プレハードン鋼材の製造において、SA性の良さは重要である。一般に、Ni量が増加すると、SA性は悪くなる。そこで、Ni量の上限を規定するため、Ni量がSA材の硬さに及ぼす影響を調査した。鋼材には、0.100C-0.31Si-0.30Mn-0.018P-0.23Cu-7.95Cr-0.95Mo-0.18V-0.051Al-0.047Nを基本成分とする鋼(酸素量は0.002mass%)であって、Ni量の異なる7種類の鋼を用いた。
【0071】
[2. 試験方法]
鋼材から、12mm×12mm×20mmの角棒を切り出した。この角棒を870℃で1Hr保持した後、600℃までを30℃/Hrの速度で徐冷し、さらに150℃までを150℃/Hrで急冷した。熱処理後、室温でビッカース硬さを測定した。
【0072】
[3. 結果]
図1に、SA後の硬さに及ぼすNi量の影響を示す。Ni量が0.80mass%未満では、150HV以下の低硬度で推移しており、SA性に問題がないことが分かる。Ni量が0.80mass%以上で硬さが急増する理由は、600℃に到達した時点で残存していたオーステナイトが後続する急冷でマルテンサイトになったためである。このような状態は、「SA不良」と呼ばれている。SA不良が生じると、低硬度にするための追加の熱処理が必要となる。そのため、素材コストが増加するだけでなく、焼入れ時に粗大粒が発生して鋼材特性を劣化させる。図1より、Ni量は0.80mass%未満とする必要があることが分かった。
【0073】
(実験2: Mo量の下限の検討)
[1. 試料の作製]
金型用プレハードン鋼材において、焼戻し硬さ32HRC以上を得ることは重要である。Mo量が少ないと、残留応力の低下を目的とした高温域(510℃を超える温度域)での焼戻しによって32HRC以上を得るのが難しくなる。そこで、Mo量の下限を規定するため、Mo量が焼戻し後の硬さに及ぼす影響を調査した。鋼材には、0.099C-0.30Si-0.31Mn-0.017P-0.22Cu-0.43Ni-7.96Cr-0.18V-0.052Al-0.048Nを基本成分とする鋼(酸素量は0.002mass%)であって、Mo量の異なる6種類の鋼を用いた。
【0074】
[2. 試験方法]
鋼材から、12mm×12mm×20mmの角棒を切り出した。この角棒を970℃から急冷することにより焼入れした。次いで、555℃で7Hr焼き戻した。焼戻し後、室温でロックウェル硬さ(Cスケール)を測定した。
【0075】
[3. 結果]
図2に、555℃で7Hr焼き戻した後のHRC硬さに及ぼすMo量の影響を示す。Mo量が0.70mass%未満では、硬さが32HRC未満であり、所定の硬さが得られないことが分かる。図2より、Mo量は、0.70mass%超とする必要があることが分かった。
【0076】
(実験3: Al量の下限の検討)
[1. 試料の作製]
金型に必要な靱性を安定して得ることは、金型用プレハードン鋼材の製造において重要である。本発明に係る金型用鋼(極低C-8Cr系)では、衝撃値がAlの影響を顕著に受ける。そこで、Al量の下限を規定するために、Al量が衝撃試験の吸収エネルギーに及ぼす影響を調査した。鋼材には、0.101C-0.31Si-0.31Mn-0.019P-0.22Cu-0.44Ni-7.96Cr-0.96Mo-0.19V-0.047Nを基本成分とする鋼(酸素量は0.002mass%)であって、Al量の異なる4種類の鋼を用いた。
【0077】
[2. 試験方法]
鋼材から、12mm×12mm×55mmの角棒を切り出した。この角棒を970℃から急冷することにより焼入れした。次いで、555℃で7Hr焼き戻し、36HRCに調質した。この角棒から10mm×10mm×55mmの衝撃試験片を作製し、室温で衝撃試験を行った。JIS Z 2242に準じ、試験片のノッチ部は、ノッチ底R=1.0mm、ノッチ下高さ=8mm、ノッチ下部の試験片断面積=80mm2とした。いずれの鋼種も試験片を10本用意し、吸収エネルギーの平均値で評価した。
【0078】
[3. 結果]
図3に、36HRC材の平均吸収エネルギーに及ぼすAl量の影響を示す。Al量が0.010mass%超では、平均吸収エネルギーが20J以上となり、金型の割れる危険性がかなり低くなることが分かる。図3より、Al量は、0.010mass%超とする必要があることが分かった。
さらに、Al量が0.050mass%超になると、平均吸収エネルギーが80Jを超え、金型の割れる危険性が非常に低くなることが分かる。
【0079】
(実施例1~18、比較例1~8)
[1. 試料の作製]
表1に、評価に用いた26鋼種の化学成分を示す。表中には記載されていないが、不純物として規定した量未満の他の元素が含まれる場合もある。
なお、比較例1は、P21系として市販されている鋼である。比較例2は、P20系として市販されている鋼である。比較例3は、比較例2のP量を多くした鋼である。比較例4は、SKD61である。
【0080】
比較例5は、本発明に係る金型用鋼と同様に8Cr系であるが、本発明と比較してC量とMo量が少なく、Ni量が多いという特徴がある。比較例6も本発明に係る金型用鋼と同様に8Cr系であるが、本発明と比較してC量とV量が多く、Mo量が少ないという特徴がある。比較例7は、中Cマルテンサイト系ステンレス鋼の代表的なものである。比較例8もマルテンサイト系ステンレス鋼であるが、比較例7よりもC量が少なく、Ni量、Mo量、V量及びN量が多いという特徴がある。比較例1~8は、本発明の主要な11元素(C、Si、Mn、P、Cu、Ni、Cr、Mo、V、Al、N)の内、少なくとも4元素が本発明に係る金型用鋼の成分範囲から外れている。
【0081】
【表1】
【0082】
工業的な大きなサイズ(1000kg以上)のインゴットではなく、試験サイズの小さなインゴットを用いて鋼材特性を検証した。鋼材特性の検証においては、工業的な工程(プレハードン鋼材の製造、金型の調質)を模擬することによって、実用に供された場合の性能を正確に判断することができる。
【0083】
表1に示した26鋼種をそれぞれ50kgのインゴットに鋳込んだ。次いで、熱間加工によって、高さ40mm、幅65mmの矩形断面を有する長さ2000mm程度の棒材を製造した。なお、熱間加工で得られた上記の棒材には、860~1060℃の均質化熱処理を施している。均質化熱処理の温度は、フェライトが存在する温度を考慮し、オーステナイト単相になるよう鋼種によって変化させた。
熱間加工で得られた棒材には、さらに1060℃で2Hr均熱する焼きならしと、580~750℃で8Hr均熱する焼戻しを施した。焼きならしの温度は、結晶粒径と未固溶炭化物量を考慮し、鋼種によって変化させた。焼戻しの温度は、オーステナイトが生成し始める温度(Ac1変態点)を考慮し、鋼種によって変化させた。
【0084】
[2. 評価]
上記の棒材から各種の試験片を作製し、(1)SA性、(2)焼戻し硬さ、(3)残留応力、(4)被削性、(5)衝撃値、及び、(6)耐食性、の6特性を調査した。
【0085】
[2.1. SA性]
[2.1.1. 試験方法]
上記の棒材から、12mm×12mm×20mmの試験片(角棒)を切り出した。試験には、窒素ガス噴射で冷却が可能な真空炉を用いた。各試験片を840~945℃の適切な温度に真空中で加熱し、1Hr保持した後、600℃までを30℃/hrの速度で徐冷した。以降は、150℃までを150℃/Hrで急冷した。加熱は、各鋼種のAc3点や加熱温度における未固溶炭化物量を考慮して、適切な温度を選定した。
【0086】
上記の試験片の硬さを室温で測定した。硬さ測定の圧痕を試験片の表面の中央付近の5箇所に適当な間隔をあけて打ち、5点の平均値をSA性の評価に用いた。硬さが97HRB(233HV相当)以下であれば、十分に軟質化しており、SA性は良好と判断される。但し、硬さは、C量によって異なる。一方、硬さが97HRBを超える試験片については、もはやHRBのスケールでは評価できないため、HRCのスケールで再測定した。
【0087】
[2.1.2. 結果]
表2に、結果を示す。表2中、硬さが97HRB以下の軟質な材料は、SA性が優れている(Superior)として「S」と標記した。一方、硬さが97HRBを超える材料は、SA性が劣っている(Inferior)として「I」と標記した。
【0088】
【表2】
【0089】
実施例1~18は、いずれもSAにより97HRB以下に軟化した。C量の多い材料ほど硬さが高くなる傾向は認められるが、ドリルやエンドミルで金型形状に切削加工する際に全く問題のない硬さに軟化していた。実施例1~18は、いずれも簡単なSA工程で軟化しており、SA性が非常に良い。
【0090】
比較例1~8の内、比較例4、6、7は、97HRB以下に軟化した。これらの材料では、C量とCr量が多く、Mn量とNi量が少ないために炭化物の球状化が促進され、結果的にSA性が良好となった。
一方、比較例1~3、5、8は、97HRBを超えており、SA性が悪い。特に、比較例5は、本発明に係る金型用鋼よりもC量を減らし、Ni量を増やした材料であるが、炭化物の球状化が抑制されることから、簡単には軟質化しなかった。
【0091】
上記の試験工程の条件を工業的なSA工程に当てはめると、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックを炉内でAc3点直上の所定の温度に加熱し、
(b)ブロックを所定の温度に1Hr保持し、
(c)そこから徐冷して炉温が600℃になった時点でブロックを炉から取り出す、
という条件に該当する。
このような実生産を模擬したSA工程において、実施例1~18は97HRB以下に軟化した。従って、大きな金型用プレハードン鋼材(ブロック)の実生産においても、本発明に係る金型用鋼は、良好なSA性を発揮すると判断される。
【0092】
[2.2. 焼戻し硬さ]
[2.2.1. 試験方法]
上記の棒材から、12mm×12mm×20mmの試験片(角棒)を切り出した。試験には、窒素ガス噴射で冷却が可能な真空炉を用いた。試験片を焼入れ後に焼戻して、所定の硬さが得られるを検証した。
【0093】
各試験片の焼入れ加熱温度は、870~1030℃とした。加熱温度が鋼種によって異なる理由は、焼戻し後の強度と靱性のバランスが最良になる加熱温度が鋼種によって異なるためである。各試験片を所定の焼入れ温度に真空中で2Hr保持後、600℃までを20℃/minの速度で冷却した。以降は、150℃までを2℃/minで冷却した。その後、炉から試験片を取り出し、50℃以下まで冷却した。この150℃までの焼入れ条件は、高さ300mm、幅500mm程度の大きな(工業的サイズの)ブロックの焼入れを模擬している。
【0094】
上記の焼入れ後、焼戻しを行った。試験片を真空中で555℃に加熱し、555℃で7Hr保持した。その後、150℃までを100℃/Hrで冷却した。この焼戻しは、金型用プレハードン鋼の実生産において「残留応力の引き下げ」を目的として適用される条件を模擬している。
【0095】
上記の焼戻し後、室温で硬さを測定した。硬さ測定の圧痕を試験片の表面の中央付近の5箇所に適当な間隔をあけて打ち、5点の平均値を評価に用いた。硬さが32HRC以上であれば、金型に必要な硬さを有していると判断される。
【0096】
[2.2.2. 結果]
表3に、結果を示す。表3中、硬さが32HRC以上である材料は、焼戻し硬さが優れている(Superior)として「S」と表記した。一方、硬さが32HRC未満である材料は、焼戻し硬さが劣っている(Inferior)として「I」と表記した。
【0097】
【表3】
【0098】
実施例1~18は、いずれも硬さが33HRC以上となった。実施例1~18は、いずれも、「残留応力の引き下げ」を目的とする高温加熱によっても過度に軟化せず、金型に必要な硬さを確保していた。
比較例1~8の内、比較例1~4、6~8もまた、金型に必要な硬さを確保していた。しかし、比較例5は、本発明に係る金型用鋼に比べてC量とMo量を減らした材料であるが、C量と軟化抵抗が不足するため、28HRCまで硬さが低下した。
【0099】
なお、比較例5の硬さを実施例と同等の37HRCにするには、7Hr保持の焼戻し温度を505℃まで下げなければならないことが、別の実験から判明している。一方、比較例6は、44HRCを超えているが、焼戻し温度を555℃より高くすれば32~44HRCに調湿することができる。
【0100】
上記の試験工程の条件を工業的な焼入れ・焼戻し工程に当てはめると、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックを焼入れ、
(b)残留応力の引き下げを兼ねた555℃で7Hr保持する焼戻しを行う、
という条件に該当する。
あるいは、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックを焼入れ、
(b)置き割れ(焼入れ後、焼戻しを待つ間に割れてしまう現象)を防止するため、450℃以下で焼戻しを行い、
(c)その後に、残留応力を引き下げを兼ねた555℃で7Hr保持する焼戻しを行う、
という条件に該当する。
【0101】
このような実生産を模擬した焼入れ・焼戻し工程において、実施例1~18は33HRC以上の焼戻し硬さを確保した。従って、大きな金型用プレハードン鋼材の実生産においても、残留応力の引き下げを目的とした高温加熱で、本発明に係る金型用鋼は過度に軟化せず、32HRC以上の硬さを確保できると判断される。
【0102】
[2.3. 残留応力]
[2.3.1. 試験方法]
上記の通り、残留応力の引き下げを兼ねた焼戻し(555℃で7Hr保持)でも、実施例1~18は32HRC以上を確保できた。そこで、この加熱条件で残留応力が本当に問題ないレベルまで低下するかを評価した。
【0103】
上記の棒材から、大きさが25mm×40mm×50mmであり、表面が滑らかである2枚の試験片を準備した。これらの試験片に対して、上述した「焼戻し硬さ」の実験と同じ条件で真空焼入れを行った。焼入れ後、割れを防止するために、300℃で2Hr保持して冷却した。さらに、試験片の表面にショットブラストを施した。
【0104】
ショットブラストの目的は、加工硬化による残留応力を導入することである。金型用プレハードン鋼の実生産で問題となる残留応力は、焼入れや矯正によって発生するが、その焼入れや矯正による残留応力をショットブラストによる加工硬化で模擬・代用した。
6特性の評価においては、サイズの小さなインゴットから、それより小さな棒材を製造し、これを評価用の素材として用いている。この素材から、さらに小さな試験片を作製している。試験片が小さいことから焼入れ応力も大きくならず、素材の矯正も行われないため、実生産に近い高い残留応力の導入が難しい。そこで、加工硬化による残留応力の導入という実現象の模擬に、同じく加工硬化を引き起こすショットブラストを用いた。
【0105】
上記のショットブラスト後、2枚の試験片の内、1枚目の試験片には、505℃で7Hr保持の真空加熱を行い、150℃までを100℃/Hrで冷却した。残留応力の引き下げを目的とした加熱は、一般的には510℃を超えた温度域で実施されることから、505℃の加熱温度はかなり低温である。
一方、2枚目の試験片には、555℃で7Hrの真空加熱を行い、150℃までを100℃/Hrで冷却した。この加熱条件は、「焼戻し硬さ」の実験と同じであり、残留応力の引き下げを兼ねた焼戻しと位置づけられる。
505℃又は555℃で焼戻しを行った後、残留応力を測定した。
【0106】
[2.3.2. 結果]
表4に、結果を示す。表4中、残留応力の絶対値が100MPa以下である材料は、残留応力の引き下げが優れている(Superior)として「S」と表記した。一方、残留応力の絶対値が200MPa以上である材料は、残留応力の引き下げが劣っている(Inferior)として「I」と表記した。
【0107】
【表4】
【0108】
505℃の焼戻しでは、実施例1~18、及び、比較例1~8の残留応力は、いずれも、およそ-360~-250MPaであり、強い圧縮応力の残存が確認された。一方、555℃の焼戻しでは、実施例1~18、及び、比較例1~8の残留応力は、いずれも、およそ-70~-40MPaであり、圧縮応力が大幅に低下した。残留応力に関しては、鋼材成分よりも加熱温度が大きく影響することが分かった。
【0109】
上記の試験工程の条件を工業的な焼入れ・焼戻し工程に当てはめると、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックを焼入れ、
(b)残留応力の引き下げを兼ねた555℃で7Hr保持する焼戻しを行う、
という条件に該当する。
あるいは、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックを焼入れ、
(b)置き割れ(焼入れ後、焼戻しを待つ間に割れてしまう現象)を防止するため450℃以下で焼戻しを行い、
(c)その後に、残留応力を引き下げを兼ねた555℃で7Hr保持する焼戻しを行う、
という条件に該当する。
【0110】
このような実生産を模擬した焼入れ・焼戻し工程において、本発明に係る金型用鋼の残留応力の絶対値は、100MPa以下に低下した。従って、大きな金型用プレハードン鋼材の実生産においても、残留応力の引き下げを目的とした高温加熱で本発明に係る金型用鋼は残留応力が十分に低下し、かつ、32HRC以上の硬さを確保できると判断される。
なお、残留応力の符号や絶対値は、条件(形状、焼入れ速度、矯正の程度など)によって異なるため、表4の数値が常に得られるわけではない。重要なことは、555℃に加熱すれば、510℃以下の加熱の場合よりも残留応力を大幅に引き下げられるという事実である。
残留応力を引き下げる効果は510℃を超える温度域への加熱で顕著なため、高めの硬さが必要な場合は、510℃を超え555℃未満の温度域に加熱すれば良い。
また、残留応力のさらなる引き下げのため、32HRC以上が得られる範囲内であれば、555℃を超える温度域に加熱しても良い。
なお、残留応力の引き下げ効果を検証する[2.3.1.]の実験では、保持時間を7Hrとしたが、生産性や残留応力の許容レベルや炉の性能などから、保持時間は7Hr未満でも良いし、7Hrを超えても良い。所要の硬さと低い残留応力が得られる温度と時間の組み合わせを選定すれば良い。
【0111】
[2.4. 被削性]
[2.4.1. 試験方法]
上記の棒材から、25mm×40mm×200mmの試験片を切り出した。これらの試験片に対して、上述した「焼戻し硬さ」の実験と同じ条件で真空焼入れを行った。引き続き、真空中での焼戻しによって各棒材を37HRCに調質した。焼戻し条件は、鋼種によって温度と時間の組み合わせを適正に選定した。
【0112】
上記の棒材に、直径5mmで深さ20mmの穴をドリルで開ける被削性試験を行った。ドリルには、SKH51製で表面処理なしのタイプを用いた。被削性は、VL1000で評価した。ここで、「VL1000」とは、切削距離(=穴の深さ20mm×開けられた穴の数)が1000mm(穴50個に相当)に到達した時点でドリルが寿命となる加工速度(m/min)をいう。VL1000は加工効率の指標であり、この値が大きいほど高速で穴が開けられるため、加工効率に優れた被削性の良い鋼と判断できる。
【0113】
[2.4.2. 結果]
表5に、結果を示す。なお、VL1000が20m/min以上の鋼種は、金型の加工において良好な被削性を有する。そのため、表5中、VL1000が20mm/min以上である材料は、被削性が優れている(Superior)として「S」と表記した。一方、VL1000が20mm/min未満である材料は、被削性が劣っている(Inferior)として「I」と表記した。
【0114】
【表5】
【0115】
実施例1~18のVL1000は、いずれも22m/min以上であった。同様に、比較例1~6のVL1000は、いずれも22m/min以上であった。しかし、比較例7及び比較例8のVL1000は、いずれも18m/min以下であった。
実際に、比較例7及び比較例8は、金型の加工において被削性の悪い鋼種として知られている。一方、比較例1は、金型の加工において被削性が良いと言われており、VL1000は29m/minと大きかった。比較例5は、本発明に係る金型用鋼と同様に極低C-8Cr系であるが、本発明に係る金型用鋼と同等のVL1000を示した。評価したすべての鋼種の全体的な傾向として、P量、S量及び/又はCu量が相対的に多い鋼は、被削性が良好であった。
【0116】
上記の試験工程の条件を工業的な金型の製造工程に当てはめると、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックに対して焼入れ・焼戻しを行い、ブロックを37HRCに調質し、
(b)そのブロックから金型を製造するに際し、ドリル加工を行う、
という条件に該当する。
このような実生産を模擬した金型の製造工程において、本発明に係る金型用鋼のVL1000は良好であった。従って、大きな金型用プレハードン鋼材から金型を機械加工するという実生産においても、本発明に係る金型用鋼は十分な被削性を確保できると判断される。
【0117】
[2.5. 衝撃値]
[2.5.1. 試験方法]
上記の棒材から、11mm×11mm×55mmの角棒を切り出し、上述した「被削性」の実験と同じ条件で熱処理し、37HRCに調質した。この角棒から10mm×10mm×55mmの衝撃試験片を作製し、室温で衝撃試験を行った。JIS Z 2242に準じ、試験片中央にはUノッチを設け、ノッチ底R=1.0mm、ノッチ下高さ=8mm、ノッチ下部の試験片断面積=80mm2とした。いずれの鋼種とも10本の試験片を作製し、吸収エネルギーの平均値を算出した。
【0118】
[2.5.2. 結果]
表6に、結果を示す。なお、平均吸収エネルギーが20J以上では金型が割れる危険性がかなり低くなるという経験則がある。そのため、表6中、平均吸収エネルギーが20J以上である材料は、靱性が優れている(Superior)として「S」と表記した。一方、平均吸収エネルギーが20J未満である材料は、靱性が劣っている(Inferior)として「I」と表記した。
【0119】
【表6】
【0120】
実施例1~18の平均吸収エネルギーは、いずれも80Jを超える高い値となった。比較例1~8の内、平均吸収エネルギーが20J以上となるのは、比較例4と比較例6の2鋼種だけであった。特に、比較例5は、比較例6や実施例1~18と同様に8Cr鋼であるが、Alが0.003mass%と低いことから、平均吸収エネルギーは10Jと非常に低かった。
【0121】
上記の試験工程の条件を工業的なプレハードン鋼材の製造工程に当てはめると、1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックに対して焼入れ・焼戻しを行い、37HRCに調質した、という条件に該当する。
このような実生産を模擬したプレハードン鋼材の製造工程において、本発明に係る金型用鋼の平均吸収エネルギーは非常に高かった。従って、実生産で製造される大きな金型用プレハードン鋼材においても、本発明に係る金型用鋼は十分な平均吸収エネルギーを確保できると判断される。
【0122】
[2.6. 耐食性]
[2.6.1. 試験方法]
上記の棒材から、41mm×21mm×51mmの板を切り出し、上述した「被削性」の実験と同じ条件で熱処理し、37HRCに調質した。この板から、40mm×20mm×50mmの試験片を作製し、表面を鏡面状態に研磨した。この試験片を、気温:50℃、湿度:98%という高温かつ湿潤な環境下に2Hr暴露し、発錆状況を比較した。
【0123】
[2.6.2. 結果]
表7に、結果を示す。なお、表7中、発錆なしの材料は、耐食性が優れている(Superior)として「S」と表記した。一方、発錆が認められた材料は、耐食性が劣っている(Inferior)として「I」と表記した。
【0124】
【表7】
【0125】
実施例1~18は、いずれも錆が発生しなかった。一方、比較例の内、錆が発生しなかったのは、比較例5、比較例7、及び比較例8の3鋼種であった。比較例7及び比較例8は、ステンレス鋼であるため、耐食性に優れている。
比較例5は、本発明に係る金型用鋼と同様に8Cr鋼であり、ステンレス鋼ではないが、ステンレス鋼と同等の高い耐食性を有していた。この理由は、C量が少ないために固溶Cr量が多いためと考えられる。
比較例6は、比較例5や実施例1~18と同様に8Cr鋼であるが、耐食性が劣化した。これは、C量が多いことからCrが炭化物として消費され、固溶Crが少なくなるためと考えられる。
【0126】
上記の試験工程の条件を工業的な金型の製造工程に当てはめると、
(a)1000kg以上の大きなインゴットから製造された大きなブロックに対して焼入れ・焼戻しを行い、ブロックを37HRCに調質し、
(b)そのブロックから金型を作製して鏡面状態に研磨した、
という条件に該当する。
このような実生産を模擬した金型の製造工程において、本発明に係る金型用鋼は、高温かつ湿潤な環境でも錆が発生しなかった。従って、実生産で製造される大きな金型用プレハードン鋼材においても、本発明に係る金型用鋼は高い耐食性を発揮すると判断される。
【0127】
[3. 総括]
表8に、表2~表7の結果をまとめて示す。実施例1~18は、6つの重要な特性がすべて「S」である。一方、比較例1~8には、少なくとも1つの「I」がある。このように、実施例1~18は、(1)SA性の良さ、(2)32~44HCRの焼戻し硬さ、(3)残留応力の低さ、(4)被削性の良さ、(5)衝撃値の高さ、及び、(6)耐食性の良さ、を具備していることが分かった。
【0128】
【表8】
【0129】
[4. 汎用性]
特性の検証では溶製の棒材を例として挙げたが、本発明に係る金型用鋼を粉末、ブロック、線材、あるいは板材にして利用することもできる。
例えば、本発明に係る金型用鋼を粉末にすれば、その粉末を積層造形(SLM方式やLMD方式など)やプラズマ肉盛溶接(PPW)のような各種の逐次造形に適用できる。
本発明に係る金型用鋼を溶製のブロックにすれば、そのブロックから金型や部品を製造することもできる。
本発明に係る金型用鋼を溶製の棒材又は線材とすれば、その棒材又は線材を、TIGやレーザー溶接などを用いて肉盛る逐次造形や補修に適用できる。
【0130】
あるいは、本発明に係る金型用鋼を板材とし、複数の板材を接合することによって、金型や部品を製造することも可能である。
もちろん、本発明に係る金型用鋼からなる分割形式の金型や部品を作製し、これらを接合することによって、金型や部品を製造することも可能である。
上記の通り、本発明に係る金型用鋼は、様々な形状に適用することができる。また、本発明に係る金型用鋼からなる様々な形状の素材及び様々な方法を用いて、金型や部品の製造や補修を行うことが可能となる。
【0131】
以上、本発明の実施の形態について詳細に説明したが、本発明は上記実施の形態に何ら限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲内で種々の改変が可能である。
【産業上の利用可能性】
【0132】
本発明に係る金型用鋼は、プラスチックや樹脂の射出成型やブロー成型、ゴムの成形、繊維強化プラスチック(FRP、CFPR、CFRTP、GFRPなど)の成形などに用いられる金型や金型部品に使用することができる。
また、本発明に係る調質後の金型用鋼と表面改質(ショットブラスト、サンドブラスト、窒化、PVD、PCVD、CVD、メッキなど)とを組み合わせることも有効である。本発明に係る調質後の金型用鋼の表面に、薬液による腐食、機械加工、レーザー加工などによって凹凸の模様を与え(「シボ加工」と呼ばれる)、その模様をプラスチックや樹脂の製品の転写させて付加価値を与える使い方も可能である。
さらに、本発明に係る金型用鋼は、積層造形に使用される粉末や板にも適用できる。棒材や線材にして、金型や金型部品の溶接補修に用いることもできる。
図1
図2
図3