(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022086896
(43)【公開日】2022-06-09
(54)【発明の名称】電子スピン波の多重伝送・分離検出方法
(51)【国際特許分類】
H01L 29/82 20060101AFI20220602BHJP
【FI】
H01L29/82 Z
【審査請求】未請求
【請求項の数】3
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2020199168
(22)【出願日】2020-11-30
(71)【出願人】
【識別番号】504157024
【氏名又は名称】国立大学法人東北大学
(74)【代理人】
【識別番号】100106909
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
(74)【代理人】
【識別番号】100188558
【弁理士】
【氏名又は名称】飯田 雅人
(74)【代理人】
【識別番号】100141139
【弁理士】
【氏名又は名称】及川 周
(72)【発明者】
【氏名】好田 誠
(72)【発明者】
【氏名】曽根原 純平
(72)【発明者】
【氏名】飯笹 大介
(72)【発明者】
【氏名】新田 淳作
【テーマコード(参考)】
5F092
【Fターム(参考)】
5F092AA20
5F092AB10
5F092AC24
5F092BD07
5F092BD15
5F092BD19
5F092BD23
(57)【要約】
【課題】本発明は、電子スピン波の多重伝送・分離検出方法の提供を目的とする。
【解決手段】本発明は、半導体量子井戸構造において発生するスピン軌道相互作用による有効磁場の結晶方位依存性における永久スピン旋回状態を利用し、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度を制御することによって複数の電子スピン波の重ね合わせを行い、前記半導体量子井戸構造を有する固体電子デバイスにおいて複数の電子スピン波を伝送することを特徴とする。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
半導体量子井戸構造において発生するスピン軌道相互作用による有効磁場の結晶方位依存性における永久スピン旋回状態を利用し、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度を制御することによって複数の電子スピン波の重ね合わせを行い、前記半導体量子井戸構造を有する固体電子デバイスにおいて複数の電子スピン波を伝送することを特徴とする電子スピン波の多重伝送・分離検出方法。
【請求項2】
前記半導体量子井戸構造を有する前記固体デバイスにおいて、スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と等しい波長の電子スピン波を伝送し、前記スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と異なる波長の電子スピン波を消失させることにより、前記固体デバイスにおいて、特定の波長を有する電子スピン波のみを伝送することを特徴とする請求項1に記載の電子スピン波の多重伝送・分離検出方法。
【請求項3】
電子スピン波の数が多い場合、実空間計測で求めたデータを高速フーリエ変換して波数空間のデータに持ち込み、解析することを特徴とする請求項1または請求項2に記載の電子スピン波の多重伝送・分離検出方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電子スピン波の多重伝送・分離検出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
現代社会においては5G(第5世代移動通信システム)、AI(人工知能)、IoT(物のインターネット)など、大量の情報を取り扱う機会がますます増えている。その情報を伝達する手段として現在主に利用されているのは「光」であり、光ファイバーを用いることで長距離・大容量輸送を実現している。光の波としての特徴として「並列性」(互いに干渉しないこと)および「多重性」(波を重ね合わせられること)が存在する。このため、これらを応用した波長分割多重伝送(WDM;Wavelength Division Multiplexing)によって、1本の光ファイバーで複数の情報を同時に伝送することが可能となった。
【0003】
一方で、半導体集積回路などの電子デバイスでは、原則として複数の情報を同時に伝送することは不可能である。その理由は電子の性質が光と大きく異なり、並列性や多重性を組み込むことができないためである。しかし、もし光の特徴を併せ持つ電子デバイスが実現すれば、アナログ・デジタル信号の共存やノイマン・非ノイマン型計算の混載による多様な情報処理プラットホームを単一の情報担体で実現できる可能性がある。
そこで、本発明者らがこの究極の情報担体に利用できると考えているのは「電子スピン波」である。
【0004】
電子スピン波は半導体内部に存在するスピン軌道相互作用が作る有効磁場によって生み出すことができる。例えば、III-V族半導体量子井戸構造には2種類のスピン軌道相互作用が存在する。ラシュバスピン軌道相互作用(
図6(a)に示す時計回りの矢印)と、ドレッセルハウススピン軌道相互作用(
図6(b)に示す矢印)が作る有効磁場である。
これら2つの有効磁場が等しい値となるときに、有効磁場の向きは1軸方向を向き(
図6(c)に示す矢印)、有効磁場方向が一つに定まりスピン緩和が抑制される。
この状態は永久スピン旋回状態と呼称できる。この有効磁場の回りで電子スピンが回転するため
図7に示すように電子スピンの波が生まれる。
図7では、λ
+=+(1/q
0)の関係を有する。
図7においてq
0は材料固有の波数を意味する。
この条件を満たすことで半導体において電子スピン波が安定して存在することが可能となり、電子スピン波を用いた情報担体を生み出すことが可能になる。
【0005】
電子スピン波とは、電子の持つ磁石の性質であるスピンがその方向を変えながら空間伝搬する現象であり、古典的な「波」としての性質を有する。
図7に示す様に上向きのスピンの向きが、下向きとなり、再度上向きとなるまでの間に1回転するときの長さを電子スピン波の波長λとして定義することが出来る。
この波長を情報として用いることが可能で、異なる波長を異なる情報として取り扱うことで電子スピン波を用いて多重に情報を送信することができる。したがって、光の波としての情報をそのまま固体中に転写することができる。
電子スピン波はスピン緩和が抑制された状態で安定に存在することができるため、長距離まで伝搬でき、かつ有効磁場の強さに応じて波長を自在に制御することが可能であると考えられる。
さらに、振幅・位相・偏波自由度を制御することによって、電子スピン波の重ね合わせを行うことも可能になると考えられる。すなわち、電子スピン波は光と同じ特性を有しているため、従来光ファイバーで行っていた情報の多重伝送が固体電子デバイスでも実現可能になると考えられる。
【0006】
本発明者らは先に、上述の電子スピン波について研究し、以下の非特許文献1において電子スピン波に関する研究内容の一部を公表した。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】Y. Kunihashi, M. Kohda, J. Nitta, et al, 「Drift transport of helical spin coherence with tailored spin-orbit interactions」, NATURE COMMUNICATIONS, Published 8 Mar 2016.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上述のWDM方式の問題点として、同時に伝送する情報の数が増えれば増えるほどそれと同じ数の光電変換機器を用意しなくてはならず、容積の増加や電力消費量の増加が懸念されている。それに対し電子スピン波を利用した伝送方式では、多重光信号をそのまま半導体に転写することで多重スピン波信号を生成し、並列情報処理をシームレスに実現することが可能であると考えられる。
これによって機器数の増加を抑制することが可能であり、波の並列性・多重性による高速化が期待される。
【0009】
本発明は、以上説明の背景に基づきなされたもので、電子スピン波を用い、スピン回転に伴うスピン方向の連続的な変化をアナログ信号として取り扱うことが可能であり、デジタル情報とアナログ情報の同時処理が可能となる技術の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
(1)本発明に係る電子スピン波の多重伝送・分離検出方法は、半導体量子井戸構造において発生するスピン軌道相互作用による有効磁場の結晶方位依存性における永久スピン旋回状態を利用し、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度を制御することによって複数の電子スピン波の重ね合わせを行い、前記半導体量子井戸構造を有する固体電子デバイスにおいて複数の電子スピン波を伝送することを特徴とする。
【0011】
(2)本発明において、前記半導体量子井戸構造を有する前記固体デバイスにおいて、スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と等しい波長の電子スピン波を伝送し、前記スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と異なる波長の電子スピン波を消失させることにより、前記固体デバイスにおいて、特定の波長を有する電子スピン波のみを伝送することが好ましい。
【0012】
(3)本発明において、電子スピン波の数が多い場合、実空間計測で求めたデータを高速フーリエ変換して波数空間のデータに持ち込み、解析することが好ましい。
【発明の効果】
【0013】
本発明により、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度を制御することによって電子スピン波を多重伝送することができる。
多重伝送した個々の電子スピン波は、アップスピンとダウンスピンによる0と1のデジタル信号情報に加え、振幅や位相などの連続的なアナログ信号情報を含むため、デジタル・アナログ情報の同時処理が可能となる。このため、ノイマン・非ノイマン型計算の切り替えを行うことが可能となる効果を有する。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【
図1】モンテカルロシミュレーションによって生成したスピン波を示すもので、
図1(a)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第1例を示す図、
図1(b)は
図1(a)に示す状態に対しフーリエ変換を施した状態を示す図、
図1(c)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第2例を示す図、
図1(d)は
図1(c)に示す状態に対しフーリエ変換を施した状態を示す図、
図1(e)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第3例を示す図、
図1(f)は
図1(e)に示す状態に対しフーリエ変換を施した状態を示す図である。
【
図2】固体中のスピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長(λ
0=9.0μm)と等しい波長のスピン波を時間0に励起した図であり、安定な長波長スピン波の場合を示す図である。
【
図3】固体中のスピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長(λ
0=9.0μm)と異なる波長(λ
0=4.5μm)のスピン波を時間0に励起した図であり、不安定な短波長スピン波の場合を示す図である。
【
図4】同一の固体中に異なる波長のスピン波を入射させたときのスピン分布の時間発展を示す図である。
【
図5】多重スピン波のドリフト輸送と電子スピン波フィルタについて示すもので、
図5(a)は
図5(b)に示す多重スピン波の実空間分布のY=0における断面を示す図、
図5(b)はλ
1=20μm、λ
2=6.7μm、λ
3=3.3μmの3つの波長成分を有する多重スピン波の実空間分布を示す図、
図5(c)は、同3つの波長成分を有する多重スピン波の逆空間分布を示す図、
図5(d)は、
図5(b)に示す多重波をλ
2が安定に存在する領域に入射し、+Y方向にドリフト輸送させつつ1ns経過させた状態を示す図、
図5(e)は
図5(c)に示す多重波をλ
2が安定に存在する領域に入射し、+Y方向にドリフト輸送させつつ1ns経過させた状態を示す図、
図5(f)は
図5(b)に示す多重波をλ
3が安定に存在する領域に入射し、+Y方向にドリフト輸送させつつ1ns経過させた状態を示す図、
図5(g)は
図5(c)に示す多重波をλ
3が安定に存在する領域に入射し、+Y方向にドリフト輸送させつつ1ns経過させた状態を示す図である。
【
図6】III-V族半導体量子井戸構造に存在する2種類のスピン軌道相互作用について説明するためのもので、
図6(a)はラシュバスピン軌道相互作用について示す図、
図6(b)はドレッセルハウススピン軌道相互作用について示す図、
図6(c)は永久スピン旋回状態について示す図である。
【
図8】電子スピン波を多重伝送可能な回路構成の一例を示す説明図である。
【
図9】
図8に示す回路構成においてゲート電圧の制御により10Tを超える大きな有効磁場を生成できることを示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、添付図面に基づき、本発明の実施形態の一例について詳細に説明する。なお、以下の説明で用いる図面は、特徴をわかりやすくするために、便宜上特徴となる部分を拡大して示している場合がある。
初めに、電子スピン波を重ね合わせる技術について説明する。
電子スピン波は、半導体量子井戸構造において発生するスピン軌道相互作用に由来する有効磁場の強さに応じてその波長が変化する。この固有の波長1つ1つが伝送される情報と1対1で対応するため、本発明者はスピン波の波長を調べることで情報を区別することができると考えた。
【0016】
本発明者は半導体表面に形成するゲート構造を用いてゲート電圧制御によってその有効磁場の強さを変化させることが可能であり、任意波長のスピン波を生成することができることを知見した。さらに、半導体量子構造の2次元電子ガスにおいては、面内結晶方位に依存してスピン波の波長が変化する。永久スピン旋回状態においては
図6(c)に示したように、特定の結晶方位方向に移動する電子が受ける有効磁場を0にすることができるため、細線構造などを用いて電子の運動方向を制限すれば、安定に存在するスピン波の波長を固有の値から無限大(平面波)まで変化させることが可能となる。これにより、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度の制御が可能となる。
【0017】
電子スピン波を生み出せる典型的な材料はIII-V族化合物半導体量子井戸構造であり、以下の表1に示すような積層構造を採用できる。ただし、同様の電子スピン波を生み出せる材料は、III-V族半導体以外にもII-VI族半導体やSrTiO3/LaAlO3構造、SiGe量子井戸など、様々な物質で実現することができる。
なお、結晶方位に関し種々の結晶方位で実現可能であり、より具体的には、D. Iizasa et al., Physical Review B,101,(2020), 245417.に記載されている結晶方位、例えば、以下に示す表1に示す構成を採用できる。表1において、QWは量子井戸構造を示す。
【0018】
【0019】
以下の文献、Yoji Kunihashi et al. 「Drift-Induced Enhancement of Cubic Dresselhaus Spin-Orbit Interaction in a Two-Dimensional Electron Gas」 Physical Review Letter 119, 187703 (2017)には、電子スピン波について、以下に説明する内容が記載されている。
前記文献のP3に記載のFig.2(a)に示すように、電子のドリフト速度、つまりは電子の持つエネルギーに依存して電子スピン波の波長が変わることが説明されている。
この知見を踏まえれば、異なる電子エネルギーを持つ電子スピンを光で励起することにより、異なるスピン波の波長を生成することができる。このため、具体的には異なる波長の円偏光を重ね合わせて励起することで多重スピン波を形成することが可能となる。
上述した方法以外の方法であれば、強磁性体/半導体接合を用いて、強磁性体から半導体へ電気的スピン注入を実施することでスピン偏極した電子を半導体に生成することができる。
上述の構造では、印加するバイアス電圧に依存して電子スピンの偏極率と電子密度を変化させることができる。このため、原理的には多重電子スピン波がつくる電子スピン偏極と電子密度の空間分布を、電気的スピン注入のバイアス電圧を変化させることで半導体の中に生成することが可能となる。
【0020】
本願では、上述の文献のFig1に記載の回路と同等の回路を適用することができる。
図8は、同文献のFig1に示す回路と同等の回路を示す説明図である。この回路における十字部分1が前記表1で表される積層構造となっており、ホールバー構造を作製することで
図8のx方向あるいはy方向に電場を印加することができる。
図8の回路において十字部分1の各幅はそれぞれ250μmに形成する。十字部分1の4隅の積層部分は電源2あるいは電源3に接続される配線2aあるいは配線3aに接続するオーミックコンタクト部として
図8に示すx方向の電圧V
x、y方向の電圧V
yで示す各電圧を印加できるように構成されている。
更に、矩形枠線で示す領域(縦横300μm幅の矩形枠で囲む領域)に十字部分1の交差部分を含むようにCr/Au薄膜(ゲート電極)5を蒸着することによって電源6からゲート電圧(V
g)を印加することが可能となる。その他、回路各部のサイズも同文献のFig1の回路図と同等にすることができる。
図8の構造では量子井戸構造の膜厚を表1に示すように薄くすることにより、電子の運動を3次元から2次元に制限した構造と考え、ここで発現するスピン波の持続時間を把握することができる。高次ドレッセルハウス磁場の強さは、2次元に閉じ込める際の結晶方位に依存する。
この回路からモンテカルロシミュレーションを描くことが可能となる。
【0021】
モンテカルロシミュレーションは、Math Works社製の計算ソフトである”Matlab”の最新バージョン(R2020b)を用いて行った。電子スピンが有効磁場を感じて歳差運動を行う時の時間発展はブロッホ方程式によって記述することができる。このため、t=0においてスピン偏極を生成した後、後述する表2に記載のパラメータからなる方程式によって電子スピンの位置情報並びにスピン成分を更新していく手法を用いて以下のように解析した。
【0022】
例えば、
図8に示す回路において、破線で囲んだ領域をゲート構造としてゲート電圧(V
g)を印加することができる。このゲート構造にゲート電圧(V
g)を印加することにより、矩形枠で囲む領域にV
gが生み出すスピン軌道相互作用に対応する電子スピン波を形成することが可能となる。V
gの値を変えることで異なる電子スピン波を生成することができるため、V
gの値を制御することで任意の波長を生み出すことができる。
図8において、x方向は量子井戸構造の結晶における[1
10]と平行な方向を示し、y方向は量子井戸構造の結晶の[110]と平行な方向を示し、z方向は量子井戸構造の結晶の[001]と平行な方向を示す。
なお、上述の結晶方向を示す[ ]の中に記載するミラー指数に付けるオーバーバーは、特許明細書では表記できない書式のため、アンダーバーで代替え表記している。
上述の如くゲート電圧(V
g)の値を変えることで異なる電子スピン波を生成可能な有効磁場を生み出す技術に関し、先に本発明者らが公表した文献:Makoto Kohda,et al. 「Enhancement of spin-orbit interaction and the effect of interface diffusion in quaternary InGaAsP/InGaAs heterostructures」 Physical Review B 81,115118 (2010)に記載されている内容となる。
例えば
図9は、前記文献に記載されているゲート電圧と有効磁場との関係を示し、ゲート電圧を精密に制御することで、10T(テスラ)を超える有効磁場を作用させることができることが示されている。
図9の結果は、InP基板上に、In
0.52Al
0.48As層(厚さ200nm)、InGaAsP層(厚さ5nm)、In
0.8Ga
0.2As層(厚さ10nm)、InGaAlAs層(厚さ3nm)、In
0.52Al
0.48As層(厚さ25nm)の積層構造において得られた結果である。
【0023】
図1は異なる方向に生成される電子スピン波を重ね合わせた状態を示す。電子スピン波の生成にはモンテカルロシミュレーションを用い、その具体的なパラメータは後記する表2に示す。
図1において上側の各図は、
図1において下側の各図に2次元フーリエ変換を施した逆空間(波数空間)であり、波長の逆数である波数を示している。
図1(a)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第1例を示す図、
図1(b)は
図1(a)に示す状態に対し2次元フーリエ変換を施した逆空間(波数空間)を示す図である。
図1(a)において、左右方向に分布する縦に3列のスピン分布を示すが、上下方向3列のうち、中央の分布がアップスピンの割合の高い領域を示し、上下2つの分布がダウンスピンの割合が高い領域を示す。
【0024】
図1(c)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第2例を示す図、
図1(d)は
図1(c)に示す状態に対し2次元フーリエ変換を施した逆空間(波数空間)を示す図である。
図1(c)において、上下方向に分布する横に3列のスピン分布を示すが、横3列のうち、中央の分布がアップスピンの割合の高い領域を示し、左右2つの分布がダウンスピンの割合が高い領域を示す。
図1(a)、(c)に見られるとおり、スピン軌道相互作用の方向に応じて、電子スピン波の方向が変化する。
前記2次元フーリエ変換は、高速フーリエ変換のアルゴリズムを使用して2次元行列を変換することが可能なプログラムである。原理的には、x方向およびy方向に2回に分けて高速フーリエ変換を行う場合と等価である。
【0025】
図1(e)は実空間におけるアップスピンとダウンスピンのスピン分布の第3例を示す図、
図1(f)は
図1(e)に示す状態に対し2次元フーリエ変換を施した逆空間(波数空間)を示す図である。
図1(e)において、中央に分布するアップスピンの割合が高い領域の左右の上下4方にダウンスピンの割合が高い領域が分布され、上下の2方にアップスピンの割合の高い領域が存在している。
【0026】
電子スピン波の波長をλとするとq=2π/λの大きさを持つ波数qの位置にピークが現れる。
図1(e)は
図1(a)、
図1(c)の波形を重ね合わせたものであり、
図1(e)をフーリエ変換した
図1(f)は、
図1(b)、
図1(d)が持つピークの位置を維持している。これは電子スピン波が通常の波と同じく並列性・多重性を有することを意味する。
図1に示す結果によると、2種類の電子スピン波を重ね合わせた場合、それぞれの電子スピン波は固有の波長(波数)を維持したまま重なることが分かる。これによって、電子スピン波は光と同じように並列性・多重性を有しており、互いに干渉することなく重ね合わせができることを証明できた。
図1(b)、(d)、(e)に示すように2次元フーリエ変換を施した逆空間(波数空間)でスピンの分布を把握するならば、実空間でのスピンの分布を把握する場合に比べて明瞭にスピンの分布を把握できる。このため、2種類の電子スピン波を重ね合わせた場合、それぞれの電子スピン波は固有の波長(波数)を維持したまま重ねることができ、複数の電子スピンを重ねて伝送する場合に互いに干渉しない状態で搬送できることがわかり、また、電子スピン波として波を重ね合わせることができることも分かった。従って電子スピン波は、光と同様に波長分割多重伝送が可能となる。
【0027】
【0028】
表2において、α:ラシュバスピン軌道相互作用の強さ、β1:ドレッセルハウススピン軌道相互作用の強さ(リニア項)、β3:ドレッセルハウススピン軌道相互作用の強さ(キュービック項)を示し、Ds:スピン拡散定数、Ns:キャリア密度、g:g因子、Electrons:電子数、μ:電子移動度、Eex:外部電場を示し、いずれの場合も外部磁場は印加しない。なお、電子は、10psおきにランダムな方向に散乱されるとしてシミュレーションを行っている。
【0029】
「多重情報伝送・分離検出」
次に、生成した多重電子スピン波の伝送の方法と分離検出の方法について説明する。
電子スピン波は、ドリフト電場と外部磁場を適切に用いることで、波形を維持した状態で輸送することが可能であることを本発明者は知見している(S. Anghel, et al. 「Spin-locked transport in a two-dimensional electron gas」, Physical Review B 101, 155414(2020))。
さらに、固体中のスピン軌道相互作用の強さを特定の値にしておくことで、そこから算出される固有の波長を持つスピン波のみを安定的に保持させ、それ以外の波長成分を消失させることが可能であることがわかった。
【0030】
図2~
図4は同じスピン軌道相互作用の強さを有する半導体に、異なる波長を持つ電子スピン波を生成させたときの時間発展を追ったものである。
図2においては、スピン軌道相互作用の強さによって決まる固有の波長と同じ波長を有しているため、その状態が安定となり、長時間形を保ち続けることができる。
一方、
図3においては、半導体のスピン軌道相互作用の強さで決まる固有の波長とは異なる波長を有しているため、短時間でその形が失われてしまう。
図4に両者を対比して示すが、
図2に示す安定なスピン波は
図3に示す不安定なスピン波とは異なり、所定時間Z方向スピン波を維持できることが分かる。このことは、安定なスピン波のみを保持して伝送することができ、不安定なスピン波は減衰させて消失させることができたこととなる。
図2~
図4にて想定した半導体は、先の表2で条件決めしたパラメータを有する半導体である。
【0031】
図2は固体中のスピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長(λ
0=9.0μm)と等しい波長のスピン波を時間0に励起し、
図3はそれと異なる波長(λ=4.5μm)の電子スピン波を時間0に励起している。
図2は長時間形を保ち続けるが、
図3はスピン緩和機構によってその形が崩されてしまう。
以上のことから、スピン軌道相互作用の強さを自由に制御できるならば、任意の波長のスピン波が有している情報のみを選択して抽出することが可能であるといえる。
このことは、安定なスピン波のみ(波長:λ
0=9.0μmのスピン波)を保持して伝送することができ、不安定なスピン波(波長:λ=4.5μmのスピン波)は減衰させて消失させることができるスピン波フィルターを実現できたこととなる。
半導体量子井戸構造では、量子井戸幅など、その構造からラシュバ(Rashba)スピン軌道相互作用およびドレッセルハウス(Dresselhaus)スピン軌道相互作用の強さが一意に決定される。
スピン波の波長は、この2種類のスピン軌道相互作用の強さの和に反比例するという性質を有するため、量子構造が決定すれば、その構造を構成する材料に固有なスピン波の波長は一意に決定される。今回、表2に記載した強さのスピン軌道相互作用を有する半導体では、λ
0=9.0μmの波長を有するスピン波が最も安定に存在する。
【0032】
この原理を用い、一例として、3つのスピン波を重ね合わせた状態を生成し、それをドリフト電場によって輸送することで、安定なスピンだけを取り出せることを計算によって示した例を
図5に示す。
特定の波長を持つ電子スピン波だけが安定になるようにスピン軌道相互作用の強さを決め、その中に、安定になるスピン波も含めて3つの波を生成する。
図5は、具体的にはλ
1=20μm、λ
2=6.7μm、λ
3=3.3μmの3つの波長成分を持つ電子スピン波を励起させ、+Y方向に輸送させつつその時間発展を追った結果を示す。
【0033】
前項で記述した通り、スピン波の波長(λ)はスピン軌道相互作用の強さに反比例するという性質を有するため、ゲート電圧制御などによって材料中のスピン軌道相互作用の強さを制御し、最も安定に存在するスピン波の波長を選択することが可能である。
3つの波長成分を持つ電子スピン波はモンテカルロシミュレーションにおいて、t=0におけるガウシアン(Gaussian)分布に従って拡がる電子のスピンのz成分(Sz)を、位置の関数として以下の数式に入力することで作成した。
具体的な関数としては、Sz(X)=cos(2π×0.05×X)+ 1.5cos(2π×0.15×X)+0.7cos(2π×0.3×X) (X:位置[μm])で表される。
【0034】
図5(d)、(e)はλ
2の波長が安定となるスピン軌道相互作用の強さを有している半導体を仮定し、
図5(f)、(g)は、λ
3の波長が安定となるスピン軌道相互作用の強さを有している半導体を仮定した。
図5(b)、(c)はλ
1=20μm、λ
2=6.7μm、λ
3=3.3μmの3つの波長成分を有する多重スピン波の実空間および逆空間分布を示し、
図5(a)は
図5(b)のY=0における断面を示す。
この多重波をλ
2が安定に存在する領域に入射させ、+Y方向にドリフト輸送させつつ1ns経過させた結果が
図5(d)、(e)であり、λ
3が安定に存在する領域に入射させた結果が
図5(f)、(g)である。
これらの図では、スピン波が全体的に+Y方向に移動しつつその形を変化させている様子を確認できる。このとき、安定に存在する波長以外の成分は時間経過とともに消失しているため、電子スピンの多重波から特定波長成分のみを抽出することが可能であると分かった。
このことから、異なる波長のスピン波を重ね合わせて輸送できることと、特定の波長成分のみを抽出することが並行して行えることが示された。すなわち、電子スピン波フィルタを用いて特定箇所のスピン軌道相互作用の強さを局所的に変調すれば、その箇所をドリフト輸送によって通過する電子スピン波の波形を自由に変化できることが分かった。
【0035】
前述の説明において、特定カ所のスピン軌道相互作用の強さは、例えば、
図8の回路においてゲート電圧(V
g)に比例すると説明した。よってV
gの値からスピン軌道相互作用の強さを把握することができる。また、局所的に変調するとは、
図8の回路においてゲート電極形成領域のみが変調を受けるので、ゲート電極が形成されていない領域は変調がなされないことを意味する。
また、ドリフト輸送により通過するとは、
図8の回路においてゲート電圧(V
x)を印加することで回路の左から右へ電子を電界により移動させることができる。それがドリフト輸送という意味であり、ゲート電極5が形成されていない領域からゲート電極5が形成されている領域を通り抜けて、また反対側のゲート電極が形成されていない領域に入ることを通過すると説明している。
【0036】
以上の説明から、半導体量子井戸構造において発生するスピン軌道相互作用による有効磁場の結晶方位依存性における永久スピン旋回状態を利用し、電子スピン波の振幅、位相、偏波自由度を制御することによって複数の電子スピン波の重ね合わせを行うことができること、更に、前記半導体量子井戸構造を有する固体電子デバイスにおいて複数の電子スピン波を伝送できることを立証することができた。
また、半導体量子井戸構造を有する固体デバイス(上述の回路)において、スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と等しい波長の電子スピン波を伝送し、スピン軌道相互作用の強さから一意に決められる固有の波長と異なる波長の電子スピン波を消失させることにより、固体デバイスにおいて、特定の波長を有する電子スピン波のみを伝送できることを立証できた。
更に、電子スピン波の数が多い場合、実空間計測で求めたデータを高速フーリエ変換して波数空間のデータに持ち込み、解析することにより、スピン波が移動しつつその形を変化させている様子を容易に確認できることがわかった。このとき、安定に存在する波長以外の成分は時間経過とともに消失しているため、多重波から特定波長成分のみを抽出できることも立証できた。
【符号の説明】
【0037】
1…十字回路、2、3…電源、2a、3a…配線、5…ゲート電極層、6…電源、Vg:ゲート電圧、Vx:x方向に付加する電圧、Vy:y方向に付加する電圧。