(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023119876
(43)【公開日】2023-08-29
(54)【発明の名称】固形墨
(51)【国際特許分類】
C09D 11/037 20140101AFI20230822BHJP
【FI】
C09D11/037
【審査請求】未請求
【請求項の数】3
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022022983
(22)【出願日】2022-02-17
(71)【出願人】
【識別番号】000142920
【氏名又は名称】株式会社呉竹
(74)【代理人】
【識別番号】110002734
【氏名又は名称】弁理士法人藤本パートナーズ
(72)【発明者】
【氏名】野田 盛弘
(72)【発明者】
【氏名】香川 伸一
【テーマコード(参考)】
4J039
【Fターム(参考)】
4J039AB07
4J039BA03
4J039BE01
4J039EA48
4J039GA29
(57)【要約】
【課題】 灰色を表現でき且つ滲みを抑制できる固形墨を提供することを課題とする。
【解決手段】 粒子状の黒鉛と膠とを含む、固形墨を提供する。
【選択図】 なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
粒子状の黒鉛と膠とを含む、固形墨。
【請求項2】
前記黒鉛の粒子径が1μm以上50μm以下の範囲内である、請求項1に記載の固形墨。
【請求項3】
前記黒鉛が少なくとも鱗片状黒鉛を含有する、請求項1又は2に記載の固形墨。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、固形墨に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、例えば、煤(スス)と膠(ニカワ)とを含む固形墨が知られている。
【0003】
この種の固形墨は、例えば硯(スズリ)の上ですられて水と混合されて使用される。そして、固形墨と水とが混合した墨液を含んだ筆先などによって墨液が紙に塗布され、文字又は絵などが描かれることとなる。
【0004】
従来の固形墨は、例えば以下のようにして数ヶ月をかけて製造される。詳しくは、膠を含む水溶液と、煤の粉末とを混合して混合中間体を作り、型枠内で所望の形状に成形し、その後、室温で乾燥処理を施して固形墨が製造される。
このように製造された従来の固形墨は、上述のごとく硯の上ですられて墨液となり、例えば書道や水墨画の用途で使用される。このとき、固形墨の固形分濃度が低くなるように調製された墨液を紙に塗布することで、薄めの黒色を表現できる。しかも、墨液の水分量が多いことから、滲み(にじみ)が生じ、文字や画において独特の表現が可能である。
【0005】
該固形墨としては、安価なものから書道家等が使用する高級品まで種々存在し、高級品であれば長期間の乾燥処理を経て製造されるものもある。
これに対して、例えば、貫通孔が形成されたり、窪んだ孔が表面部分に形成されたりした固形墨が知られている(特許文献1を参照)。
特許文献1に記載の固形墨は、煤と膠との混合中間体に上記のごとき孔を形成し、さらに乾燥処理を施して製造されている。特許文献1に記載の固形墨は、形成された孔によって表面積が増やされていることから、比較的短い乾燥時間で製造できる。このように製造された特許文献1に記載の固形墨は、上述した従来の固形墨を使用して描かれた文字や画に類似する色や滲みを表現できる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
ところが、例えば特定の絵画などの用途において、固形墨を使って調製した墨液によって滲みを抑制しつつ灰色を表現したいという要望がある。上記のごとき従来の固形墨では、滲みを抑制するために固形墨の固形分濃度を高くした墨液では黒色しか表現できず、一方、固形墨の固形分濃度を低くした墨液では、単に黒色が薄くなるだけで灰色を表現できず、しかも滲みを抑制できない。煤の代わりにカーボンブラックを含む固形墨も知られているが、灰色を表現できる固形墨については未だ見出されておらず、しかも十分に検討されていない。
【0008】
そこで、本発明は、灰色を表現できる固形墨を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係る固形墨は、粒子状の黒鉛と膠とを含む。
【0010】
上記の固形墨では、前記黒鉛の粒子径が1μm以上50μm以下の範囲内であってもよい。
上記の固形墨では、前記黒鉛が少なくとも鱗片状黒鉛を含有してもよい。
【発明の効果】
【0011】
本発明の固形墨によれば、従来の固形墨では表現できなかった灰色を表現でき且つ滲みを抑制できる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】本実施形態の固形墨を使用して調製した墨液の希釈液を光学顕微鏡で観察した観察像の写真。
【
図2】実施例及び比較例の各固形墨を使用して調製した墨液で描いた線の写真。
【
図3】実施例及び比較例の各固形墨を使用して調製した墨液で描いた線の写真。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明に係る固形墨の一実施形態について以下に説明する。
【0014】
本実施形態の固形墨は、粒子状の黒鉛と膠とを含む。斯かる構成により、本実施形態の固形墨は、灰色を表現でき且つ滲みを抑制できる。
詳しくは、本実施形態の固形墨の一部は、例えば硯のうえで水と共にすられて調製された墨液中に含まれる。調製された墨液が筆先などを介して紙などに塗布されたときに、滲みを抑制しつつ灰色を表現することができる。特に、固形墨の濃度がより高くなるように墨液を調製することによって、滲みをより一層抑制しつつ灰色を表現することができる。
一方、炭素粒子として煤又はカーボンブラックを主に含む従来の固形墨は、墨液中の濃度が比較的低くなるようにすられた場合には、灰色に類似した薄い黒色を表現できるが、決して灰色ではなく、しかも滲みを発生してしまう。反対に、墨液中の濃度が比較的高くなるように固形墨をすった場合には、滲みを防げるものの濃い黒色が発現され灰色を表現できない。
【0015】
本実施形態において、固形墨は水分を含む。固形墨の含水率は、例えば12質量%以下である。固形墨の含水率は、例えば5質量%以上12質量%以下であってもよい。
【0016】
上記の黒鉛の種類は、特に限定されない。黒鉛としては、例えば、人造黒鉛又は天然黒鉛などが挙げられる。天然黒鉛としては、例えば、土状黒鉛、鱗状黒鉛、鱗片状黒鉛、又は膨張黒鉛などが挙げられる。
上記の黒鉛としては、市販品を用いることができる。例えば、伊藤黒鉛工業社製の製品、又は、中越黒鉛工業所の製品などを採用できる。
【0017】
黒鉛としては、鱗片状黒鉛、人造黒鉛、及び土状黒鉛のうち少なくとも1種が好ましく、鱗片状黒鉛がより好ましい。上記のごとき好ましい黒鉛を採用することによって、固形墨の固形分濃度をかなり低くした墨液を用いて筆先で描いた線が、独特の濃淡を表現し得る。詳しくは、描いたときに筆先が通った基線と、基線の外側(滲む部分)との境界線がより明確になる。このような外観の線が描ける性能は、美麗性と称される場合がある。
【0018】
黒鉛の各粒子は、一般的に板状である。黒鉛の粒子径は、1μm以上50μm以下の範囲内であってもよい。斯かる範囲内とは、固形墨内の膠を完全に溶解させて得た粒子状の黒鉛を水に分散させた分散液を顕微鏡で観察し、観察された少なくとも10粒子の粒子径を測定したときの中央値(メジアン)が1μm以上50μm以下の範囲内であることを意味する。顕微鏡は、光学顕微鏡であっても電子顕微鏡であってもよい。なお、観察された各粒子の最長径の長さを測定することによって粒子径を求める。
【0019】
黒鉛の粒子径は、1μm以上10μm以下の範囲内であることが好ましい。これにより、より確実に灰色を表現でき、また、上述した美麗性がより良好になるという利点がある。
【0020】
本実施形態において、固形墨に含まれる炭素粒子(黒色系の顔料)のうち、黒鉛が占める割合は、好ましくは80質量%以上であり、より好ましくは90質量%以上であり、さらに好ましくは99質量%以上である。換言すると、固形墨に含まれる炭素粒子のうち、煤(スス)及びカーボンブラックの総量が占める割合は、1質量%未満であることが特に好ましい。本実施形態の固形墨は、煤(スス)及びカーボンブラックをほとんど含まないことが特に好ましい。最も好ましくは、本実施形態の固形墨は、炭素粒子として黒鉛のみを含む。
【0021】
上記の膠(ニカワ)は、動物の皮、骨、又は腱などから抽出されたタンパク質を含む材料である。上記の動物としては、例えば、哺乳類、鳥類、又は魚類などが挙げられる。哺乳類としては、例えば、牛、鹿、馬、又は兎などが挙げられる。上記の膠(ニカワ)は、タンパク質として、例えばコラーゲン由来のゼラチンなどを含む。
上記の膠(ニカワ)としては、市販品を用いることができる。
【0022】
上記の膠(ニカワ)としては、原料として一般的に利用されているため安定的に入手しやすいという点で、牛の皮から得られた膠が好ましい。
【0023】
本実施形態の固形墨では、黒鉛以外の成分のほとんどが膠である。本実施形態の固形墨が例えば硯のうえで水と共にすられ、固形分濃度がかなり低くなるように墨液中に含まれた場合、調製された墨液を筆先などを介して紙などに塗布することによって、独特の滲みを表現することができる。具体的には、筆先が通った基線と、基線の外側(滲む部分)との境界が明確となり、美麗性の高い線を描くことができる。このような性能は、墨液中の黒鉛粒子の凝集体のサイズ分布が影響していると考えられており、後に詳述する。
【0024】
本実施形態の固形墨は、膠以外に、粒子状の黒鉛の分散性を良好にするためにポリビニルアルコールを含んでもよい。好ましくは、ポリビニルアルコールの含有率は、1質量%未満である。換言すると、本実施形態の固形墨は、ポリビニルアルコールなどの分散剤をほとんど含まないことが好ましい。より好ましくは、本実施形態の固形墨は、ポリビニルアルコールを含まない。
ポリビニルアルコールと比べて、膠は、墨液が紙などに塗布されたときにおける透明性がより高く、また、固形墨の水への溶解性がより高い。膠は、以下のような複数の性能をバランス良く有する。例えば、掛軸(かけじく)、屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、額(がく)などを仕立てる表具(又は表装)のために、書作品の裏側に糊で表具紙を貼り付けたときに、膠を採用していることによって、書作品を波打たせず平滑に奇麗に仕上げることができる。また、膠は、製造中の固形墨の中間体を適度にゲル化させることができ、よって、比較的簡便に型に入れることができるという良好な成形性を付与できる。
【0025】
固形墨と異なり、用事調製しなくても使用できる墨汁が知られている。墨汁は、主にポリビニルアルコールによってカーボンブラックなどの炭素粒子が水中に分散されている状態の液体である。よって、墨汁では、ポリビニルアルコールによって、炭素粒子の粒子があまり凝集せずに分散している。
例えば、滲みを表現するために水で薄めた墨汁を使って筆先で線を描くと、良好な滲みがあまり表現できない。具体的には、筆先が通った基線と、基線の外側(滲む部分)とが同様の濃さとなり、美麗性の低い線となってしまう。この原因は、炭素粒子があまり凝集せずに墨汁中で分散し、炭素粒子の凝集体のサイズ分布のバラツキが少ないためであると考えられる。
【0026】
本実施形態の固形墨において、100質量部の黒鉛に対して(黒鉛の量を100質量部としたときに)、膠の量が50質量部以上70質量部以下であってもよい。
【0027】
本実施形態の固形墨は、粒子状の黒鉛と膠とを含むため、上述したように灰色を表現でき且つ滲みを抑制できる。特に、墨液における固形墨の固形分濃度をより高くすることにより、灰色を表現でき且つ滲みをより抑制できる。
また、本実施形態の固形墨で調製された墨液における固形分濃度がかなり低い場合、独特の滲みを表現することができ、良好な美麗性を発揮できる。具体的には、墨液を含む筆先が通った基線と、基線の外側(滲む部分)との境界が明確となり、美麗性の高い線を描くことができる。
また、本実施形態の固形墨は、墨液における固形分濃度を随時調節できる。具体的には、いったん固形分濃度が低くなるように硯の上で墨液を調製しても、固形墨をさらに硯の上ですることによって、墨液の固形分濃度を上げることができる。反対に、墨液を水で希釈することによって、固形分濃度を下げることもできる。従って、固形分濃度の高い墨液で灰色の線などを表現すること、及び、固形分濃度の低い墨液で美麗性のある線などを表現することの両方を比較的容易に実施できる。
【0028】
本実施形態の固形墨の形状は、例えば直方体状である。本実施形態の固形墨は、上述した成分以外に、防腐剤、香料などをさらに含んでもよい。
【0029】
本実施形態の固形墨は、例えば以下のようにして製造される。
具体的には、まず、粒子状の黒鉛と、膠の水溶液とを混合する。混合は、一般的な撹拌混合機を用いて実施できる。混合物(以下、固形墨の中間体ともいう)が適度な硬さとなるように、水を添加してもよい。
次に、固形墨の中間体を板の上でさらに混錬した後、固形墨の中間体を棒状に引き伸ばす。棒状の固形墨の中間体を型の内部に入れ、成形する。成形された固形墨の中間体を型から取り出し、乾燥処理を施す。乾燥処理において、具体的には、型から取り出した固形墨の中間体を新聞紙に挟み、その新聞紙ごと木灰に埋め、木灰内で固形墨を徐々に乾燥させ、例えば14日経過させる。その後、空気中で乾燥する。乾燥処理の温度や継続時間は、適宜調整される。
以上のようにして本実施形態の固形墨を製造できる。
【0030】
本実施形態の固形墨は、例えば、水とともに硯の上ですられて墨液の含有成分となって使用される。斯かる墨液は、紙に文字などを書くために使用され得る。また、例えば、上記の墨液と着色顔料などとを混合し、着色された文字や絵を描くために本実施形態の固形墨を使用してもよい。
【0031】
本実施形態の固形墨の固形成分を含む墨液が塗布される対象物は、特に限定されないが、例えば文字又は絵画が表面に描かれる支持体(被描画対象物)である。支持体の表面は、立体的であってもよく平面的であってもよい。支持体としては、例えば紙などが挙げられる。紙の種類は、特に限定されないが、例えば、半紙若しくは画仙紙などの書道用紙、コピー紙、合成紙(ユポ紙)、又はコットン紙などが挙げられる。
塗布対象物に墨液を塗布するための道具は、特に限定されないが、例えば筆である。
【実施例0032】
次に、実施例によって本発明をさらに詳しく説明するが、本発明はこれらに限定されない。
【0033】
以下の原料を用いて、複数の固形墨を製造した。また、これら固形墨のそれぞれを0.6gの水とともに硯の上で3分間すり、墨液を調製した。墨液を含んだ筆先で紙に線を描き、それぞれ性能を評価した。評価結果のうち代表例を示す。
【0034】
<固形墨の原材料>
[粒子状の黒鉛]
・鱗片状黒鉛
製品名「Z-5F」伊藤黒鉛工業社製 平均粒子径4.0μm
製品名「W-5」伊藤黒鉛工業社製 平均粒子径4.0μm
・人造黒鉛
製品名「ABG-5」伊藤黒鉛工業社製 平均粒子径5.0μm
・土状黒鉛
製品名「CP-2000」伊藤黒鉛工業社製 平均粒子径4.5μm
製品名「APR」中越黒鉛工業所社製 平均粒子径25μm
[膠]
製品名「はりま-2(TS-201)」 寺脇産業社製、又は、
製品名「飛鳥」 旭陽化学工業社製
【0035】
<希釈された墨液における黒鉛粒子の分散性>
調製した墨液を水で50倍に希釈し、希釈液を光学顕微鏡によって観察した。いずれの黒鉛を採用しても、より大きい凝集体とより小さい凝集体とが混在し、両者のサイズ差が比較的大きい様子が観察された。代表例として、上記の「Z-5F」を黒鉛として用い、上記の「はりま-2(TS-201)」を膠として用いたときの顕微鏡観察像を
図1に示す。
【0036】
サイズが様々な凝集体が墨液中に混在していることは、上述した美麗性と関係していると考えられる。小さい凝集体だけが存在しているよりも、大きい凝集体も混在している方が、美麗性が高まると考えられる。換言すると、墨液における凝集体のサイズがばらついている方が、固形分濃度が低い墨液を含んだ筆先で線を描いたときに、筆先が通った基線と、基線の外側(滲む部分)との境界が明りょうになり得る。
上記のごとくサイズが異なる凝集体が混在した状態の墨液は、ポリビニルアルコールではなく膠(ニカワ)を使って製造した固形墨を用いることによって調製されると考えられる。よって、黒鉛と膠とを含む固形墨から調製した墨液によれば、後の
図3(a)で示すような美麗性を発揮できると考えられる。
【0037】
<墨液で描かれた線の外観(墨色および滲み)>
上記の「Z-5F」を黒鉛として用い、上記の「はりま-2(TS-201)」を膠として用いた固形墨を使って調製した墨液(固形分濃度が比較的高い墨液)を含んだ筆先で線を描いた。紙としては、コピー紙を使用した(
図2の(a)を参照)。
また、上記の「ABG-5」を黒鉛として用い、上記の「はりま-2(TS-201)」を膠として用いた固形墨を使って調製した墨液(固形分濃度がかなり低い墨液)を含んだ筆先で線を描いた。紙としては、画仙紙を使用した(
図3(a)を参照)。
比較例として、黒鉛を含まない従来の固形墨を使って調製した墨液を含んだ筆先でも、上記と同様にして線を描いた(
図2及び
図3の(b)を参照)。
【0038】
黒鉛粒子及び膠を含む固形墨を使用して、比較的高い固形分濃度となるように調製した墨液で描かれた線は、灰色を呈し、しかも滲みがほとんどなかった。墨液中における固形墨の固形分濃度が比較的高くなるように実施例の固形墨を磨ることにより、滲みを抑制し、しかも灰色を表現することができた(
図2の(a)を参照)。
なお、墨液中における固形墨の固形分濃度をより高くすることによって、滲みをより十分に抑制することができた。
一方、墨液中における固形墨の固形分濃度をかなり低くした墨液で線を描いた場合にも、美麗性を発揮することができ、線の独特な表現が可能となった(
図3の(a)を参照)。