(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023134887
(43)【公開日】2023-09-28
(54)【発明の名称】低Mn含有のTRIP鋼及びこれを用いた高強度鋼製加工品の製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20230921BHJP
C22C 38/40 20060101ALI20230921BHJP
C21D 9/00 20060101ALI20230921BHJP
【FI】
C22C38/00 301Z
C22C38/40
C21D9/00 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】3
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022039808
(22)【出願日】2022-03-15
(71)【出願人】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(72)【発明者】
【氏名】上路 林太郎
(72)【発明者】
【氏名】永田 賢二
(72)【発明者】
【氏名】染川 英俊
(72)【発明者】
【氏名】出村 雅彦
【テーマコード(参考)】
4K042
【Fターム(参考)】
4K042AA25
4K042BA01
4K042CA06
4K042CA10
4K042DA06
4K042DC02
4K042DC03
4K042DE05
(57)【要約】
【課題】低Mn含有のTRIP鋼を提供すること。
【解決手段】質量%で、C:0.55~0.65%、Si:0.25~1.75%、Mn:0.4~0.6%、Cr:0.5~0.7%、Ni:0.005~0.05%、を含有し、残部Fe及び不可避的不純物からなり、
金属組織は、残留オーステナイトを1%以上10%以下とし(全組織に対する体積率、組織について以下同じ)、残部をベイネティックフェライトとする。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.55~0.65%、
Si:0.25~1.75%、
Mn:0.4~0.6%、
Cr:0.5~0.7%、
Ni:0.005~0.05%、を含有し、
残部Fe及び不可避的不純物からなり、
金属組織は、残留オーステナイトを1%以上10%以下とし(全組織に対する体積率、組織について以下同じ)、残部をベイネティックフェライトとすることを特徴とする低Mn含有のTRIP鋼。
【請求項2】
請求項1に記載の低Mn含有のTRIP鋼を使用して高強度鋼製加工品を製造する方法であって、
請求項1に記載の低Mn含有のTRIP鋼をオーステナイト化温度まで加熱し、所定時間保持する工程と、
前記低Mn含有のTRIP鋼を1~50℃/秒で等温変態温度まで冷却する工程と、を有することを特徴とする高強度鋼製加工品の製造方法。
【請求項3】
前記オーステナイト化温度は950~1000℃であって、
前記所定時間は60~600秒であり、
前記等温変態温度は313~333℃であり、
前記等温変態温度での保持時間は1~15時間である、
請求項2に記載の高強度鋼製加工品の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、低Mn含有のTRIP鋼及びこれを用いた高強度鋼製加工品の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
環境問題への対応として自動車車体等の輸送機器の軽量化の実現には、高強度と高延性を両立する鋼が必要である。その候補材の一つとしてTRIP(Transformation Induced plasticity)鋼がある(例えば、特許文献1~3参照)。
TRIP鋼はFe-C-Mn-Siを基本組成としており、構成組織の一つである残留オーステナイトが室温変形中に変形誘起マルテンサイト変態が生じる。変形誘起マルテンサイト変態は延性確保に有効であるため、ひずみと変態相生成量の関係や、変態メカニズムに関する研究が多く行われている。また、残留オーステナイトを得るためにはベイナイト変態を利用する必要がある。最近では、200℃程度の低温域で20時間程度の長時間熱処理を施し、ベイナイト変態を利用することにより2GPa程度の高強度化と10%を超える破断伸びを示すことが示されている(例えば、非特許文献1参照)。
【0003】
例えば、特許文献1では、Mnの組成比率が2~3質量%と高く、Feと比較して高価なMnを多く含有するという課題があった。また、特許文献2、3では、Mnの組成比率を1.5質量%としているが、鋼の強化元素としてCr、Mo、Niの三元素の合計の組成比率を1質量%添加すると共に、Nbも0.05質量%添加する必要があるという課題があった。即ち、基本組成元素以外の高級合金元素の多量の利用や熱処理における一定温度範囲での長時間の保持が必要であり、成分やプロセスのさらなる最適化が検討されている。
更に、再加熱前の加工やオーステナイト化熱処理の条件よって大きく変化する旧オーステナイト粒径など、種々の要因がTRIP鋼の機械的性質に影響を及ぼす。TRIP鋼の特性向上のために変更を検討できるパラメータとして、最低でも5元素以上の組成と複数の熱処理プロセス条件が存在し、これらのパラメータに関して設計指針を与える根拠となる物理現象も複数存在する。そのため、従来の組織設計を介した新合金・熱処理条件の実験探索には多くの進め方があり、実際に多くの研究が報告されている。
【0004】
一方で、新合金探索の方法として、データサイエンスの活用が注目されている(例えば、非特許文献2~3参照)。しかしTRIP鋼の製造で必要とされるプロセス条件も含めた合金設計を、データサイエンスを用いて実施した例は見当たらない。その理由として、TRIP鋼では組織形成や特性を支配している物理現象が複数存在するため、単一の回帰関数による特性予測は十分な予測精度を得ることが困難であることが考えられる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特許第4772496号公報
【特許文献2】特許第5489540号公報
【特許文献3】特許第5910168号公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】C. Garcia-Mateo, F.G. Caballero, T. Sourmail, M. Kuntz, J. Cornide, V. Smanio, R. Elvira, Mater. Sci. Eng. A, 549(2012), pp.185-192.
【非特許文献2】J. Inoue, M. Okada, H. Nagao, H. Yokota, Y. Adachi, Mater. Trans., 61(2020), pp.2058-2066.
【非特許文献3】K. Nagata, S. Sugita and M. Okada, Neural Networks, 28(2012), pp.82-89, 2012.
【非特許文献4】T. Hirakawa, K. Matsudaira, K. Nagata, J. Inoue, M. Enoki and M. Okada, 情報処理学会論文誌数理モデル化と応用(TOM),14-3(2021), pp.93-101.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明では、前提条件として、TRIP鋼の設計に、ベイズ統計学に基づく最新のデータ科学的手法を適用し、本発明者の報告を含む文献から収集したデータを用いた。この手法はスパース混合回帰法(SMRM:sparse mixed regression method)と呼ばれ、1つのデータセットから複数の回帰モデルを導き出すものである。このSMRMは、多くの物理現象が機械的性質に影響を及ぼすTRIP鋼の設計に適していると考えられる。SMRMにより元素組成や熱処理条件などのパラメータを求め、実験的に確認することで、データ駆動型の新しい設計手法を検証し、低Mn含有のTRIP鋼の新たな合金組成を探索し、本発明を想到するに至った。
【0008】
本発明は、上記従来技術の問題点を解決したもので、一つのデータ集団より複数の回帰モデルを得ることができるスパース混合回帰モデルを利用して、文献データをもとに優れた強度と伸びを得るための組成と熱処理プロセス条件の候補を得て、実験により検証することで、低Mn含有のTRIP鋼を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
〔1〕本発明の低MnのTRIP鋼は、質量%で、
C:0.55~0.65%、
Si:0.25~1.75%、
Mn:0.4~0.6%、
Cr:0.5~0.7%、
Ni:0.005~0.05%、を含有し、
残部Fe及び不可避的不純物からなり、
金属組織は、残留オーステナイトを1%以上10%以下とし(全組織に対する体積率、組織について以下同じ)、残部をベイネティックフェライトとすることを特徴とする。
【0010】
〔2〕本発明の高強度鋼製加工品の製造方法は、低Mn含有のTRIP鋼〔1〕を使用して高強度鋼製加工品を製造する方法であって、低Mn含有のTRIP鋼〔1〕をオーステナイト化温度まで加熱し、所定時間保持する工程と、前記低Mn含有のTRIP鋼を1~50℃/秒で等温変態温度まで冷却する工程と、を有することを特徴とする。
〔3〕本発明の高強度鋼製加工品の製造方法〔2〕において、好ましくは、前記オーステナイト化温度は950~1000℃であって、前記所定時間は60~600秒であり、前記等温変態温度は313~333℃であり、前記等温変態温度での保持時間は1~15時間であるとよい。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】本発明の一実施例を示すSMRMの予測値と実験値の比較図で、(a)引張強さ、(b)伸びを示している。
【
図2】本発明の一実施例を示す表2に示す化学組成のSMRM提案合金の(a)0.2%耐力、(b)引張強さ、(c)伸びを示している。なお、オーステンパー熱処理はSMRM提案の設計条件のもとで様々な保持時間にて実施した。
【
図3】(a)最適な保持時間で熱処理したSMRM提案鋼の公称応力-公称ひずみ曲線(引張強度と伸びの複合特性が最適)、(b)参考文献から集めた入力データでプロットしたSMRM提案鋼の強度と伸びを示している。
【
図4】SMRM提案鋼のうち、本発明の一実施例であるクラス#1(a2、b2)と、比較例であるクラス#0(a1、b1)、クラス#2(a3、b3)のBCC(a1、a2、a3)とFCC(b1、b2、b3)の結晶方位を示したマップで、濃淡は右上の三角形の濃淡キーに基づき、観測面の法線方向に平行な方向を示す。灰色の点線は旧オーステナイト粒界を表す。
【発明を実施するための形態】
【0012】
以下、本発明を実施するための最良の形態について、詳細に説明する。
本発明において、Cr、Niの含有量を前記の値に規定したのは、以下に記載する理由による。
・Cr:0.5~0.7%
・Ni:0.005~0.05%、
Cr、Niは、鋼の強化元素として有用であると共に、残留オーステナイト(γR)の安定化や所定量の確保に有効な元素であるのみならず、鋼の焼入れ性の向上にも有効な元素であるが、これらの効果を十分に発揮させるためにはCr:0.5~0.7%、Ni:0.005~0.05%、を含有させる必要がある。Crの含有量が0.7%、Niの含有量が0.05%を超えると焼入れ性は高くなるが、残留オーステナイトの炭素濃度が低くなり、不安定となるためである。
【0013】
・母相組織:ベイネティックフェライトが90%以上99%以下
ベイネティックフェライトを90%以上99%以下とするのは、高い引張強度を確保するためである。
【0014】
・第2相組織:残留オーステナイトが1%以上10%以下
本発明の低Mn含有のTRIP鋼は、残留オーステナイトを1%以上10%以下とし(全組織に対する体積率、組織について以下同じ)、残部をベイネティックフェライトとする。残留オーステナイトは全伸びの向上に有効であり、又、変形誘起マルテンサイト変態によるき裂抵抗となることで耐衝撃特性の向上にも有効であるが、該残留オーステナイトの体積率が10%を超えると残留オーステナイト中のC濃度が低くなり、不安定な残留オーステナイトとなり前記効果を十分発揮することができないため、残留オーステナイトの体積率を10%以下とした。なお、残留オーステナイトの体積率を1%以上としたのは、TRIP効果を有効に発揮させるためである。
【0015】
本発明において、上記金属組織を確実に形成すると共に、引張特性及び残留オーステナイト、靭性等の機械的特性を効率よく高めるためには、その他の成分を下記の通り制御する必要がある。
【0016】
・C:0.55~0.65%
Cは高強度を確保し、かつ、残留オーステナイトを確保するために必須の元素である。より詳しくは、オーステナイト中のCを確保し、室温でも安定した残留オーステナイトを残存させて、延性及び耐衝撃特性を高めるのに有効であるが、0.55%未満ではその効果が十分に得られず、他方、添加量を増すと残留オーステナイト量が増加すると共に、残留オーステナイトにCが濃化し易くなるので、高い延性及び耐衝撃特性が得られる。しかし、0.65%を超えると、中心偏析等による欠陥等が発生し、耐衝撃特性を劣化するため、上限を0.65%に限定した。
【0017】
・Si:0.25~1.75%
Siはベイナイト変態の際に炭化物生成を抑制するために必須の元素である。そのため、下限値を0.25%とした。また、Siは酸化物生成元素であるので、過剰に含まれると耐衝撃特性を劣化させるため添加量を1.75%以下とした。
【0018】
・Mn:0.4~0.6%
Mnは、オーステナイトを安定化し、規定量の残留オーステナイトを得るために必要な元素である。この様な作用を有効に発揮させるためには、0.4%以上添加することが必要である。しかし、過剰に添加すると、偏析による延性低下の影響が出るので、0.6%以下とした。
【0019】
更に、本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼は、上記各成分に加えて、P、S、及び/又はAlを含有していてもよい。
・P:0.001~0.1%
Pは、鋼板を高強度化する強化元素である。しかしながら、P含有量が0.1%を超える程の多量添加は、溶接性、鋳造時及び熱延時の製造性に悪影響を及ぼす。一方、P含有量を0.001%未満にするような極低P化は、経済的にも不利である。よって、P含有量は0.001~0.1%とする。
【0020】
・S:0.0001~0.01%
Sは、不可避的不純物であり、S含有量が0.01%を超えると、機械加工性が劣化する。一方、S含有量を0.0001%未満にするような極低S化は経済的に不利である。よって、S含有量は0.0001~0.01%とする。なお、S含有量は、0.003%以下とすることが好ましい。
【0021】
・Al:0.05%以下
Alは製鋼時に脱酸材として用いられるため少量のAlは不可避的に混入する。またAlを多く含有すると靭性が損なわれることが知られている。そのためAl量は少ないほうがよく、0.05%以下であることが望ましい。
【0022】
なお、本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼における残部は、Fe及び不可避的不純物である。この不可避的不純物としては、例えば、N及びSn等が挙げられるが、本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼は、これら元素を合計で0.2%以下の範囲で含有しても前述した効果が損なわれることはない。
【0023】
次に、本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼におけるミクロ組織の定義について説明する。ベイネティックフェライトは、冷却によって、オーステナイト相が変態して生成する組織であり、マルテンサイト相は含まれていない。具体的には、ベイネティックフェライトは、冷却過程において、マルテンサイト開始温度(本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼においては、290~300℃近傍)よりも高い温度で生成する。そして、変態しきらずに残るオーステナイト相が残留オーステナイト相であり、これは不可避的に残留するものである。
旧オーステナイト粒径の平均結晶粒径が大きいことは、本実施形態の低Mn含有のTRIP鋼一つの特徴である。合金元素(Ni,Mn等)を削減しても、十分な焼き入れ性を確保するためである。そこで、旧オーステナイト粒径の範囲(特に上限値を)規定するような条件を設定することは難しい。また、旧オーステナイト粒径は、プロセス中のオーステナイト化温度と密接な関係がある。そのため、Ac3点以上の温度域として950℃~1000℃と規定することは、材料学的に旧γ粒径を規定することと、ほぼ同義である。ただし、1000℃に対応する粒径は、組成にも依存するため、特定することが困難である。
なお、旧オーステナイト粒径の平均結晶粒径の測定方法は、JIS G 0551『鋼-結晶粒度の顕微鏡試験方法』に規定される切断法によるものとする。
【0024】
次に、本発明の高強度鋼製加工品の製造方法は、上記成分組成を満たす鋼材を使用し、該鋼材をAc3点以上の温度域で所定時間保持し、所定の平均冷却速度で325℃(313℃~338℃)に冷却し、該温度域で200~10000秒保持する工程を含むことを特徴とするものであるが、該熱処理条件を規定したのは以下に示す理由による。
【0025】
まず、鋼材をAc3点以上の温度域で所定時間保持するのは、加熱温度をオーステナイト単相域温度とすることによりベイナイト組織を得ることができるからである。又、上記温度域での保持時間としては、加熱手段に例えば高周波加熱を採用した場合には瞬時にAc3点以上の温度域に保持できるので、通常は1秒以上である。なお、その上限は特に限定されないが、生産性を考慮すると約30分程度である。
【0026】
次に、本発明では上記塑性加工後、所定の平均冷却速度、好ましくは1℃/s以上の平均冷却速度で325℃まで冷却して焼入れするが、好ましい平均冷却速度を1℃/s以上としたのは、パーライトの生成を抑制するためである。
【実施例0027】
以下図面を用いて本発明を説明する。
SMRMを用いて、既知のデータ(組成、熱処理条件、結果としての引張強度と伸び)から、高強度と大きな伸びを得るための最適条件を推定した。SMRMはベイズ統計法の一種で、(i) データを生成するモデルが複数存在すると仮定し、(ii)データが与えられた上で求められる事後確率に基づいてモデル選択と回帰を同時に行う手法である。
【0028】
本実施の形態では、最大5つの線形回帰モデルを検討し、モデルを生成する実データを最もよく近似する線形回帰モデルの数(=クラス数)をベイズの自由エネルギーに従って評価した。すなわち、ベイズ自由エネルギーが最小となるように、クラス数および個々の線形モデルの回帰式を決定した。ベイズ自由エネルギーの計算には、レプリカ交換マルコフ連鎖モンテカルロ法を用いた。シミュレーション条件(例:アルゴリズム収束に必要なサンプリング回数やレプリカの個数)は、非特許文献4で示された研究で使用したものと同じである。SMRMはベイズ統計学に基づいているため、予測は確率分布で与えられる。したがって、SMRMは最適解とその目的達成の確率を提供し、試すべき実験条件を選択する指針になる。複数の回帰式を同時に求めることができるので、SMRMは複数の物理現象が特性を支配するような場合(例:TRIP鋼)に適している。ただし、ある目標を達成する確率が、指定されたクラスに属すると仮定している点に注意が必要である。
【0029】
化学成分、熱処理条件、引張特性に関する既知のデータは、発明者らのデータを含む既刊の複数の研究論文から収集した。これらのデータソースは、2つの基準に基づいて選択された。
(i) 合金元素がFe、C、Si、Mn、Cr、Niに限定されていること、
(ii)熱処理が2段階の等温処理を含む単純なオーステンパー熱処理であること。
前者はMoのような極端に高価な元素を省くため、後者は熱処理に関わる入力データの形式を簡略化するために設けたものである。低合金TRIP鋼を得るために採用される熱処理の一つは、2段階の等温保持を伴うオーステンパー熱処理であり、得られるベイナイトの金属組織や機械的性質は主に成分と等温変態温度で決まる。ここで、ベイナイトとは、ベイネティックフェライトと残留オーステナイトまたは(および)ベイナイト変態で生成する炭化物の複合組織の名称である。
【0030】
データソースとした研究論文において様々な等温保持時間における強度と伸びの両方が報告されている場合は、強度-延性積(引張強度×伸び)の最大値に相当するデータを本発明の対象とした。これらの選択条件に基づき、合計112点の入力データを収集した。入力データにおける各パラメータの範囲は表1に示されている。表1はSMRMで解析した入力データによる鋼材の元素組成と熱処理温度の範囲を示すものである。
【表1】
【0031】
これらのデータをSMRMにより解析した結果、ベイズ自由エネルギーが最小となるクラス数は3であることが判明し、対応する回帰モデルをそれぞれクラス#0、クラス#1、クラス#2と称することとした。
図1は、実験データと回帰モデルから得られた予測値を比較したものである。引張強さ(
図1a)および伸び(
図1b)の実験値は、すべての回帰モデルにおいて予測値と良く一致している。これらの結果は、すべてのモデルがよく予測された回帰を表していることを示している。
【0032】
また、SMRMによる入力データ分類の統計的な傾向も
図1で確認することができる。クラス#1、#2に分類されたデータは、それぞれ相対的に高い強度、低い強度を示す傾向があり、クラス#0に属するデータは、中間強度範囲に散らばっている。これら3つの回帰モデルに従って、表1に示した探索範囲内で引張強さ1.5GPa以上または伸び20%以上が達成される確率をそれぞれ計算し、強度と伸びの2つの確率の積が最も大きい値を示す条件を決定した(表2)。表2はSMRM解析により得られた3つの回帰モデルに基づき設計された化学組成と熱処理温度を示すものである。
【表2】
【0033】
この3つのクラスの提案には大きな違いがある。クラス#0と#2が提案した条件は、MnとSiの含有量が比較的多く、これは典型的な低合金TRIP鋼に見られるものである。一方、クラス#1では、Mnの含有量をかなり少なくし、オーステナイト化温度も比較的高くすることを提案している。この提案は、従来のTRIP鋼の設計条件とは大きく異なるものである。
【0034】
SMRM提案合金の引張特性を実験的に検討した。提案した組成の鋼を真空誘導溶解、鋳造、熱間鍛造で作製した。表2の括弧内の数値は、実験用に製造したサンプルの組成実測値を表している。設計値と実測値の間に有意な差異はない。これらの鋼は、SMRM解析の入力データから除外されたベイナイト変態の等温保持時間の影響を評価する目的で実験が行われた。等温保持時間が1時間を超えない場合は誘導加熱で、等温変態処理の保持時間が長い場合(3時間または15時間)は、塩浴で熱処理を行った。誘導加熱処理では、試料(直径8mm、長さ40mm)を5K/sでオーステナイト化温度まで加熱し、3分間保持した。その後、30K/secで等温変態温度まで冷却した。塩浴熱処理では、試料(14mm×14mm×50mm)をオーステナイト化温度の塩浴に5分間浸漬し、すぐに等温変態温度の別の塩浴に移した。熱処理後の試料から引張試験片(直径=2mm、ゲージ長=10mm、肩部局所半径=4mm)を切り出した。引張試験は、常温で一定の変位速度(0.01mm/s)で実施した。試料の微細構造は、電子後方散乱回折(EBSD)測定装置(TSL-OIM Data Collection)を用いた走査電子顕微鏡(SEM)により評価した。観察面は電解研磨により作製し、測定は加速電圧15kV、EBSDスキャンステップ0.1μmで実施した。
【0035】
図2a、b、cはそれぞれ、様々な等温保持時間で作製したSMRM提案鋼の0.2%耐力、引張強度、全伸びを示している。すべての提案鋼において、強度は保持時間の増加とともに低下するが、伸びは保持時間がある閾値を超えると著しく改善される。伸びの顕著な変化は、等温保持中にベイナイト変態が進行していることを示唆している。最良の強度-延性積が得られる保持時間は、本発明の実施例に相当するクラス#1の合金では、1.8ksecであった。他方、従来例に相当するクラス#0、#2の合金では、それぞれ54.0、10.8ksecであった。
【0036】
SMRM提案合金の最も優れた強度-延性積を示した公称応力-公称ひずみ曲線を
図3に示す。これらの曲線はいずれも引張強度が1.6GPa以上、伸びが11%以上であることを示している。これらの曲線を比較すると、クラス#1合金は他の合金と大きく異なる挙動を示す。具体的には、引張変形の初期に大きな加工硬化を示し、公称引張ひずみがわずか3%で強度が最大となることが分かる。また、クラス#1合金の破断後の面積減少率(絞り)は36%であった。一方、クラス#0および#2モデルで提案された合金は、大きな引張ひずみ(≧10%)でも加工硬化を示し、破断まで公称応力が低下しないことがわかった。注目すべきは、
図3bに示すように、提案した全ての合金が、強度と延性のバランスのとれた類似の特性を示していることである。特に、強度が1.6GPa以上の場合、提案合金の伸びは、入力データから決定されたもののほとんどよりも大きくなっている。
【0037】
図4は、SMRM提案合金を、強度と延性の最適な組み合わせが得られる条件で熱処理した場合のEBSD測定結果である。測定面の法線方向に平行な方向をBCC相とFCC相で示し(それぞれ上図と下図)、点線は旧オーステナイト粒界を表している。すべての試料は残留オーステナイトと細長いベイニティックフェライトからなる。構成組織の種類は、低合金TRIP鋼の典型的なミクロ組織と一致する。これらの3つの組織を比較すると、クラス#1合金の形態は他の2つの提案された合金と大きく異なっていることがわかる。
本発明の実施例に相当するクラス#1合金の旧オーステナイト粒径(dγ)は平均62μmで、従来例に相当する他の2つの試料の旧オーステナイト粒径(dγ)の平均10μmや15μmに比べて著しく大きい。また、本発明の実施例に相当するクラス#1合金の保持オーステナイトの割合(Vγ)は6%と、従来例に相当する他の2つの試料の保持オーステナイトの割合(Vγ)の30%や46%と比べて、低いことがわかった。この違いは、クラス#1合金の提案する回帰モデルを暗黙のうちに支配している物理現象が、他の2つのクラスによるものと異なるため、従来の低合金TRIP鋼とは異なる金属組織が得られたことを示している。
【0038】
公称応力が最大値に達した後に大きな局所伸びを伴う伸びが発生するのは、変形誘起マルテンサイト変態挙動以外のメカニズムによるものである可能性がある。その一つは、1種合金のもう一つの特徴である比較的低いMn含有量に関連するものである。Mnはオーステナイトを安定化させるために必要な元素であるが、偏析することで材料が脆くなる。つまり、フェライトとオーステナイトの本来の延性を回復させるためには、Mnを適切に低減し、より高いオーステナイト化温度条件と少量のNiなどの代替合金元素の使用が有効な設計手法であると結論づけることができる。
【0039】
SMRMの有効性を確認するため、実験データを再解析し、元の入力データで既に得られているクラス#0、#1、#2に分類した。この分類は、実験的に求めた機械的性質と3つのSMRMモデルで推定したデータとの偏差を評価することで行われた。実験データは、実験値からの乖離が最も小さいクラスに整理された。その結果、クラス#1の合金は実験値を正確に認識し(クラス#1として)、クラス#0とクラス#2で提案された他の2つの合金はクラス#2に分類された。これは、前述のクラス#1合金の明瞭な結果と一致し、SMRMの有用性を確認することができた。
【0040】
クラス#1合金の引張試験により確認された、高強度と大きな延性を両立する優れた機械的性質を得るために必要な合金組成と熱処理条件範囲を、上述の検討で得られたSMRM解析結果を用いて検討した。表3に示した探索範囲で、それぞれ設定した計算ステップの間隔で、入力パラメータを変化させた個々の条件について、クラス分類と目標(引張強さ>1.5GPa、伸び>20%)の達成確率を計算した。計算の結果、今回の発明と同じクラス#1に分類された合金組成・熱処理条件のうち、目標達成確率が0.1以上と比較的高い値を示したものを表3に合わせて示している。
【表3】
【0041】
計算の結果、C含有量は0.55wt%~0.65wt%、Si含有量は0.25wt%~1.75wt%、Ni含有量は0wt%~0.05wt%、オーステナイト化温度は950℃~1000℃の範囲であれば、実施例と同様の特性が得られる可能性があることが明らかとなった。Mn含有量、Cr含有量、等温変態温度については、クラス#1提案条件から計算ステップの量以上異なる条件では、目標を達成する見込みは得られなかった。この計算結果に基づき、前述の[課題を解決するための手段]および[発明を実施するための形態]で述べた合金成分範囲と熱処理条件範囲を設定した。ただし、Niについては、前述のとおりMnの代替元素として必須であることから、検出限界程度の微量は必要であるとした。
【0042】
以上、本発明の実施形態、実施例について説明したが、本発明はこれらの実施形態、実施例に特に限定されることなく、種々の改変を行うことが可能である。