(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023139660
(43)【公開日】2023-10-04
(54)【発明の名称】測定方法および測定装置
(51)【国際特許分類】
G01N 24/00 20060101AFI20230927BHJP
G01R 33/02 20060101ALI20230927BHJP
G01R 33/20 20060101ALI20230927BHJP
【FI】
G01N24/00 G
G01N24/00 E
G01R33/02 X
G01R33/02 W
G01R33/02 Z
G01R33/20
【審査請求】未請求
【請求項の数】8
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022045300
(22)【出願日】2022-03-22
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)令和3年度、文部科学省、科学技術試験研究委託事業「量子生命技術の創製と医学・生命科学の革新」のうち「生体ナノ量子センサ(国立大学法人京都大学 化学研究所)」委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(71)【出願人】
【識別番号】504132272
【氏名又は名称】国立大学法人京都大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000796
【氏名又は名称】弁理士法人三枝国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】水落 憲和
(72)【発明者】
【氏名】大木 出
(72)【発明者】
【氏名】藤原 正規
【テーマコード(参考)】
2G017
【Fターム(参考)】
2G017AA02
2G017AC01
2G017AD69
(57)【要約】
【課題】ナノ粒子の色中心を用いるセンシングにおいて感度を向上させる。
【解決手段】量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する方法であって、測定方法は、それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子を、環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさである環境に配置する配置ステップと、前記環境下にある量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する測定ステップと、を含む。
【選択図】
図7
【特許請求の範囲】
【請求項1】
量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する方法であって、
それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子を、環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさである環境に配置する配置ステップと、
前記環境下にある前記量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する測定ステップと、
を含む、測定方法。
【請求項2】
前記配置ステップは、磁気シールド内に前記量子センサ素子を配置する、請求項1に記載の測定方法。
【請求項3】
前記配置ステップは、補償コイルが発生する補償磁場内に前記量子センサ素子を配置する、請求項1に記載の測定方法。
【請求項4】
前記測定ステップは、
前記量子センサ素子の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、前記量子センサ素子に照射するステップと、
前記電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、前記量子センサ素子に照射するステップと、
前記光の照射によって前記量子センサ素子に生じる変化を検出するステップと、
を含む、請求項1から3のいずれか一項に記載の測定方法。
【請求項5】
量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する装置であって、
それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子が配置されている環境の磁場の大きさを、地磁気未満の大きさに低減する環境磁場低減部と、
前記環境下にある前記量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する磁気共鳴信号測定部と、
を備える、測定装置。
【請求項6】
前記環境磁場低減部は磁気シールドであり、
前記量子センサ素子は前記磁気シールド内に配置されている、請求項5に記載の測定装置。
【請求項7】
前記環境磁場低減部は補償コイルであり、
前記量子センサ素子は、前記補償コイルが発生する補償磁場内に配置されている、請求項5に記載の測定装置。
【請求項8】
前記磁気共鳴信号測定部は、
前記量子センサ素子の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、前記量子センサ素子に照射する電磁波照射部と、
前記電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、前記量子センサ素子に照射する光照射部と、
前記光の照射によって前記量子センサ素子に生じる変化を検出する検出部と、
を備える、請求項5から7のいずれか一項に記載の測定装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、量子センサを用いる測定方法および測定装置に関する。
【背景技術】
【0002】
ダイヤモンドの結晶構造において、窒素-空孔中心と呼ばれる複合欠陥が見られることがある。この窒素-空孔中心は、結晶格子の炭素原子の位置に置き換わる形で入った窒素原子と、その窒素原子の隣接位置に存在する(炭素原子が抜けている)空孔との対からなるもので、NV中心(Nitrogen Vacancy center)とも呼ばれている。ダイヤモンドの結晶構造には、NV中心以外にも、珪素-空孔中心(Silicon Vacancy center)と呼ばれる複合欠陥や、ゲルマニウム-空孔中心(Germanium Vacancy center)と呼ばれる複合欠陥が見られることがあり、NV中心を含むこれら複合欠陥は、色中心と呼ばれている。
【0003】
NV中心は、空孔に電子が捕獲された状態(負電荷状態、以下「NV-」と呼ぶ)においては、電子スピンと呼ばれる磁気的な性質を示す。このNV-は、電子が捕獲されていない状態(中性状態、以下「NV0」と呼ぶ)に比べて、長い横緩和時間(デコヒーレンス時間、以下「T2」と呼ぶ)を示す。つまり、NV-の電子スピン状態は、外部磁場の縦方向(以下、「量子化軸」と呼ぶ)に揃えた電子スピンの磁化を横方向に傾けた後、個々のスピンの歳差運動が原因となり個々の向きがずれていって、全体としての横磁化が消失するまでの時間が長い。また、NV-は、室温(約300K)下であっても長いT2値を示す。
【0004】
NV-の電子スピン状態は外部の磁場に反応して変化し、この電子スピン状態の測定も室温下で可能であるため、NV中心を含むダイヤモンドは、磁場センサ素子の材料として利用できる。
【0005】
例えば特許文献1には、ダイヤモンド中の電子スピンに対する光検出磁気共鳴(Optically Detected Magnetic Resonance: ODMR)法により、交流磁場を測定する方法が開示されている。NV中心はレーザ光により励起され、NV中心から放出される蛍光強度の変化を測定することにより、スピン状態に関する磁気共鳴信号(位相情報)が検出される。
【0006】
磁場センサ素子として利用されているセンサには、ダイヤモンドの色中心を用いたセンサ以外にも、例えば炭化ケイ素(SiC)中の色中心を用いたセンサや、光ポンピング磁力計(optically pumped atomic magnetometer, OPM)、超伝導量子干渉計(superconducting quantum interference device, SQUID)等の種々の種類が存在する。これらダイヤモンドの色中心、炭化ケイ素の色中心、光ポンピング磁力計、および超伝導量子干渉計は、量子効果を利用して物理量を計測していることから、量子センサと呼ばれている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上記したように、ダイヤモンド中のNV中心は、室温での安定性や優れたコヒーレンス特性を有しており、磁場以外にも電場、温度、pH等のマルチセンシングにも利用可能なことから注目されている。特にナノサイズのダイヤモンドであるナノダイヤモンド中のNV中心は、優れた空間分解能に加えて生体毒性の低さも兼ね備えているので、例えば細胞内における局所計測などといったライフサイエンス分野での活用が可能であり、生体計測への幅広い応用が期待されている。
【0009】
一方で、ナノダイヤモンド中のNV中心は、バルクダイヤモンド中のNV中心に比べてスピンコヒーレンス時間が短くスピン特性が良くないため、特許文献1の背景技術においても指摘されている通り感度は低下する。より幅広い分野でのセンシングに利用するために、ナノダイヤモンド中のNV中心を用いるセンシングにおいて感度を向上することが求められている。
【0010】
本発明は、ナノ粒子の色中心を用いるセンシングにおいて感度を向上させることを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するための本発明は、例えば以下に示す態様を含む。
(項1)
量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する方法であって、
それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子を、環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさである環境に配置する配置ステップと、
前記環境下にある前記量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する測定ステップと、
を含む、測定方法。
(項2)
前記配置ステップは、磁気シールド内に前記量子センサ素子を配置する、項1に記載の測定方法。
(項3)
前記配置ステップは、補償コイルが発生する補償磁場内に前記量子センサ素子を配置する、項1に記載の測定方法。
(項4)
前記測定ステップは、
前記量子センサ素子の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、前記量子センサ素子に照射するステップと、
前記電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、前記量子センサ素子に照射するステップと、
前記光の照射によって前記量子センサ素子に生じる変化を検出するステップと、
を含む、項1から3のいずれか一項に記載の測定方法。
(項5)
量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する装置であって、
それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子が配置されている環境の磁場の大きさを、地磁気未満の大きさに低減する環境磁場低減部と、
前記環境下にある前記量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する磁気共鳴信号測定部と、
を備える、測定装置。
(項6)
前記環境磁場低減部は磁気シールドであり、
前記量子センサ素子は前記磁気シールド内に配置されている、項5に記載の測定装置。
(項7)
前記環境磁場低減部は補償コイルであり、
前記量子センサ素子は、前記補償コイルが発生する補償磁場内に配置されている、項5に記載の測定装置。
(項8)
前記磁気共鳴信号測定部は、
前記量子センサ素子の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、前記量子センサ素子に照射する電磁波照射部と、
前記電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、前記量子センサ素子に照射する光照射部と、
前記光の照射によって前記量子センサ素子に生じる変化を検出する検出部と、
を備える、項5から7のいずれか一項に記載の測定装置。
【発明の効果】
【0012】
本発明によると、ナノ粒子の色中心を用いるセンシングにおいて感度を向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】ダイヤモンド結晶における正四面体結合の4つの結晶軸を表す図である。
【
図2】複数のナノ粒子が凝集している状態を模式的に表す図である。
【
図3】数値シミュレーションにより単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図4】数値シミュレーションにより凝集した複数のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図5】数値シミュレーションによりNV中心を構成する窒素原子が
14Nである場合の単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図6】数値シミュレーションによりNV中心を構成する窒素原子が
15Nである場合の単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図7】数値シミュレーションにより凝集した複数のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図8】数値シミュレーションにより凝集した複数のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【
図9】一実施形態に係る磁気共鳴信号測定装置の模式的な構成を示す図である。
【
図10】一実施形態に係る磁気シールドの斜視図である。
【
図11】一実施形態に係る補償コイルの斜視図である。
【
図12】一実施形態に係る磁気共鳴信号測定部を用いて磁気共鳴信号の測定を行う際の例示的なパルスシーケンスである。
【
図13】一実施形態に係る磁気共鳴信号測定装置を用いて測定される磁気共鳴スペクトルの一例である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明の実施形態を、添付の図面を参照して詳細に説明する。なお、以下の説明および図面において、同じ符号は同じまたは類似の構成要素を示すこととし、よって、同じまたは類似の構成要素に関する重複した説明を省略する。
【0015】
本明細書において、物理量(physical quantity)とは、物理学における一定の体系の下で次元が確定し、定められた物理単位の倍数として表すことができる量を意味する。物理量の一例としては、例えば、磁場、電場、温度および力学量(力学的なストレス、圧力等)が挙げられる。磁場、電場および力学量は、時間と共に変化しない物理量と、時間と共に方向が変化を繰り返す物理量とを含む。すなわち、磁場は、静磁場および交流磁場を含み、電場は、静電場および交流電場を含み、力学量は、静的な力学量および交流力学量を含む。
【0016】
以下に説明する実施形態では、ナノ粒子の一例としてナノダイヤモンドを採用し、色中心を有するナノ粒子の一例として、NV中心を有するナノダイヤモンドを量子センサ素子に用いる。磁気共鳴信号を測定する際に量子センサ素子に照射する電磁波には、マイクロ波を用いる。磁気共鳴信号の測定は、公知の光検出磁気共鳴(Optically Detected Magnetic Resonance: ODMR)法により行う。
【0017】
[測定方法]
本発明の一実施形態に係る測定方法は、量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する方法であって、
それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子を、環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさである環境に配置する配置ステップと、
前記環境下にある量子センサ素子の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する測定ステップと、を含む。
【0018】
好ましくは、配置ステップは、磁気シールド内に量子センサ素子を配置するか、または、補償コイルが発生する補償磁場内に前記量子センサ素子を配置する。
【0019】
好ましくは、測定ステップは、
量子センサ素子の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、量子センサ素子に照射するステップと、
電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、量子センサ素子に照射するステップと、
光の照射によって量子センサ素子に生じる変化を検出するステップと、
を含む。
【0020】
<発明のコンセプト>
本発明者らは、上記した課題を解決するために鋭意検討を進めていたところ、NV中心のスピン特性には磁場強度依存性があることに着目し、本発明に至った。磁気共鳴法によるセンシングにおいて、例えばナノダイヤモンド等のナノ粒子が複数凝集した時のような、複数のランダムなNV軸の方向を有するNV中心が存在する試料では、磁気異方性の影響により、磁場方向に対してNV軸の方向が不揃いになりスピン特性が良くない。スピン特性が悪化すると、スピンコヒーレンス時間が短くなりセンサ感度も低下する。しかしながら、例えば磁気シールド下において磁場強度を抑えると、磁場方向に対してNV軸の方向が不揃いになることによるスピン特性への悪影響が抑えられ、高感度化が実現される。
【0021】
磁場強度を低減する程度としては、色中心を有するナノ粒子を取り巻く環境磁場の大きさが、地磁気未満の大きさであることが好ましく、零磁場付近の大きさであることがより好ましい。
【0022】
地磁気の大きさは地球上の場所によって異なり、時間によっても変化する。以下の説明では、一例として約50μTを地磁気の大きさとし、約5μTを零磁場付近の大きさとする。地磁気未満の大きさの磁場強度とは、好ましくは約50μT未満の磁場強度である。零磁場付近の大きさの磁場強度とは、好ましくは、零より大きくかつ約50μT未満の磁場強度であり、より好ましくは、零より大きく約5μT以下の磁場強度である。
【0023】
・ナノダイヤモンドにおけるNV軸の方向
図1はダイヤモンド結晶における正四面体結合の4つの結晶軸を表す図である。
【0024】
バルクダイヤモンドの場合、NV軸の方向は
図1に示す4つの結晶軸Td
1~Td
4の方向に固定されている。これに対しナノダイヤモンドは、それぞれがナノサイズの粒子であることから、ナノダイヤモンドが複数凝集した状態では、それぞれが独立して存在し、磁気異方性の影響により、NV軸の方向も
図1に示す4つの結晶軸Td
1~Td
4の方向に固定されず不揃いになっている。このようにNV軸の方向が4つの結晶軸Td
1~Td
4の方向に固定されていないことが原因で、ナノダイヤモンドが複数凝集した状態では、先にも述べた通り磁場方向に対してNV軸の方向が不揃いになり、スピン特性が良くない。
【0025】
図2は、複数のナノ粒子が凝集している状態を模式的に表す図である。図中、参照符号91はナノダイヤモンドの窒素空孔(NV)を示しており、参照符号92は電子スピン1/2(半整数)を示しており、参照符号93は電荷を示している。
【0026】
ナノダイヤモンド等のナノ粒子にはナノ粒子特有の効果もあり、バルクダイヤモンドの磁気共鳴スペクトルと比較して、ナノ粒子の磁気共鳴スペクトルはより一層複雑となっている。
図2に参照符号91で示すように、例えばナノ粒子は外部磁場に対してランダムな方向を向いているので、それぞれのナノ粒子は少しずつ異なったスペクトルを与える。さらに、ナノ粒子には凝集しやすい性質があるため、複数のナノ粒子が凝集した状態では、少しずつ異なる複数のスペクトルが重なってより複雑なスペクトルが与えられると考えられている。また、ナノ粒子のように粒子のサイズが小さいと、相対的に表面の影響を強く受けるようになり、表面修飾による効果などもスペクトルに影響すると考えられている。
【0027】
このような様々な要因が感度に影響を与える磁気共鳴法によるナノ粒子のセンシングにおいて、本発明者らは、スペクトルの磁場強度依存性について理論計算に基づいた数値シミュレーションを行った。これにより、本発明者らは、色中心を有するナノ粒子を取り巻く環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさとなる環境下において、感度が向上することを見出した。次にその原理を定性的に説明する。NV中心の磁気共鳴周波数は、NV軸方向と磁場方向との間の角度に依存して変化するので、様々な角度があると磁気共鳴周波数も様々なものとなる。観測されるスペクトルは、その様々な周波数を有する信号を合わせたものとなるため、共鳴周波数のばらつきにより、観測されるスペクトルの周波数幅は広がり、センサ感度が悪くなる。一方、この共鳴周波数のばらつきの程度は磁場の大きさにも依存するため、磁場強度が小さくなるほど、共鳴周波数のばらつき、つまりスペクトル幅の広がりは抑制され、感度は良くなる。以下、本発明者らが行った数値シミュレーションに基づいて定量的に説明する。
【0028】
<数値シミュレーション>
・スピンハミルトニアン
磁気共鳴法によるセンシングにおいて電磁波パルスが照射されているときのNV中心のスピンハミルトニアンを式1に示す。
【数1】
1行目の第1項は静磁場によるゼーマン項である。2行目の項は時間に依存しない項であり、それぞれ零磁場分裂項、電子スピンと核スピンとの間の超微細相互作用項、および核スピンの四極子相互作用項である。3行目の項は電磁波照射により時間変化する項である。時間変化する3行目の項には回転波近似を導入する。この近似により式1のハミルトニアンから時間依存性を取り除く。
【0029】
本数値シミュレーションでは、光検出磁気共鳴(ODMR)法によるセンシングの手順に基づいて、磁気共鳴スペクトルの強度を算出する。最初に、スピンハミルトニアンを用いて、レーザ照射による電子状態の時間発展、及び回転波近似によるスピン状態の時間発展を計算する。次に、電子状態を読み出す過程において再びレーザ照射によるレート方程式を解いて、放出される蛍光強度に相当する量を算出する。スペクトルの強度はこの蛍光強度に相当する量により算出する。
【0030】
・単一のナノダイヤモンド
図3は、数値シミュレーションにより単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【0031】
図3に示すスペクトルは、
図1に示す外部磁場の角度に応じて計算している。(A)は、外部磁場を結晶軸Td
1の方向に沿った
図1に示す0°の方向に印加した場合のスペクトルである。(B)は、外部磁場を結晶軸Td
1の方向から45度傾けた
図1に示す45°の方向に印加した場合のスペクトルである。なお、
図3に示すスペクトルの算出にあたり、ナノダイヤモンドが有するNV中心の窒素には
14Nを想定して数値シミュレーションを行っている。
【0032】
図3に示すように、単一のナノダイヤモンドの場合、外部磁場を印加する角度に応じてスペクトルの形状は異なる。それぞれのナノダイヤモンドは外部磁場に対してランダムな方向を向いているので、このような単一のナノダイヤモンドが複数凝集した状態では、測定により得られるスペクトルは、(A)および(B)に示す異なる角度による複数のスペクトルの重ね合わせとなり、全体として幅広いスペクトルが与えられる。
【0033】
一方で、印加する外部磁場の強度に着目すると、外部磁場を印加する方向が異なっていても、得られるスペクトルの形状変化が少ない磁場強度が存在する。
図3を参照すると、例えば磁場強度が地磁気の大きさである約50μTよりも高い約300μTの場合には、得られるスペクトルの形状は(A)および(B)の間で大きく変化している。これに対し、例えば磁場強度が地磁気の大きさである約50μTよりもさらに低い約5μTの場合には、得られるスペクトルの形状は(A)および(B)の間で殆ど変化していない。得られるスペクトルの形状変化が(A)および(B)の間でより少なくなるという傾向は、印加する外部磁場の強度を低くして、地磁気程度の約50μTとし、さらに零磁場付近の大きさである約5μTとすることにより、さらに高まっている。
【0034】
ナノダイヤモンドが複数凝集した状態では、測定により得られるスペクトルは、異なる角度による複数のスペクトルの重ね合わせとなる。仮に、重ね合わせる複数のスペクトルの形状の相違が少ないと、重ね合わせにより全体として与えられるスペクトルも幅が狭く先鋭になり感度も向上する。よって、重ね合わせる複数のスペクトルの形状の相違を少なくするために、印加する外部磁場の強度を、好ましくは地磁気未満の大きさに、より好ましくは零磁場付近の大きさにすることを、本発明者らは提案する。
【0035】
引き続き、凝集した複数のナノダイヤモンドについて数値シミュレーションを行い、外部磁場の強度と感度との関係について検討する。
【0036】
・凝集した複数のナノダイヤモンド
図4は、数値シミュレーションにより凝集した複数のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【0037】
図4に示すスペクトルは、凝集したナノダイヤモンドを模してランダムに配向した50個のナノ粒子から発せられるスペクトルの計算結果である。それぞれのナノダイヤモンドが有するNV中心の窒素には
14Nを想定している。算出したスペクトルから得られる、印加する外部磁場の強度とセンシングの感度との関係を表1に示す。感度はスペクトルの傾きから算出する。異なる磁場強度間で感度を比較するために、外部磁場の強度が約300μTのときの感度を比較の基準としている。
【表1】
【0038】
図4および表1に示すように、数値シミュレーションによると、磁場強度を低下させることにより感度は向上する。特に
図4に実線および破線で示すように、印加する外部磁場の強度を低くして、地磁気程度の約50μTとし、さらに零磁場付近の大きさである約5μTとすることにより、感度はさらに増大している。
【0039】
・同位体置換による磁気共鳴信号への寄与
ナノダイヤモンドが有するNV中心の窒素を
14Nからその同位体である
15Nに置換した場合の効果について、数値シミュレーションを行い検討する。まずは単一のダイヤモンドについて、
図5および
図6を参照して説明する。次に凝集した複数のナノダイヤモンドについて、
図7および
図8を参照して説明する。
【0040】
図5は、数値シミュレーションによりNV中心を構成する窒素原子が
14Nである場合の単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【0041】
図5には、電磁波のパルス長さを変化させて計算した3つのスペクトルを図示している。(A)では想定する線幅を4MHzとして計算し、(B)では想定する線幅を2MHzとして計算し、(C)では想定する線幅を1MHzとして計算している。線幅が電磁波のパルス長さにより制限されている場合、電磁波のパルス長さはそれぞれ、1μs、500ns、250nsにそれぞれ相当する。外部磁場を印加する方向は、
図1に示す結晶軸Td
1の方向としている。なお窒素原子
14Nは量子数I=1(整数)であるので、
図5に示すスペクトルは3本(2I+1本)に分裂している。
【0042】
印加する外部磁場の強度とセンシングの感度との関係を表2に示す。
【表2】
【0043】
図6は、数値シミュレーションによりNV中心を構成する窒素原子が
15Nである場合の単一のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
図5と同様に、(A)では想定する線幅を4MHzとして計算し、(B)では想定する線幅を2MHzとして計算し、(C)では想定する線幅を1MHzとして計算している。外部磁場を印加する方向は、
図1に示す結晶軸Td
1の方向としている。窒素原子
14Nの同位体である
15Nは量子数I=1/2(半整数)であるので、
図6に示すスペクトルは2本(2I+1本)に分裂し、
14Nと比較してスペクトルはより先鋭になり、感度もより向上する。
【0044】
印加する外部磁場の強度とセンシングの感度との関係を表3に示す。
【表3】
【0045】
図5および
図6を参照して、単一のナノダイヤモンドについて、同位体置換による効果を検討する。
図5および表2並びに
図6および表3に示すように、数値シミュレーションによると、磁場強度を低下させることにより感度は向上する。特に
図5および
図6に実線および破線で示すように、印加する外部磁場の強度を低くして、地磁気程度の約50μTとし、さらに零磁場付近の大きさである約5μTとすることにより、感度はさらに増大する傾向を表している。さらに
図6および表3に示すように、NV中心を構成する窒素原子を
14Nからその同位体である
15Nに置換すると、スペクトルがより先鋭になることから感度もより向上することが期待される。
【0046】
図7および
図8は、数値シミュレーションにより凝集した複数のナノダイヤモンドについて計算した磁気共鳴スペクトルである。
【0047】
図7および
図8に示すスペクトルは、凝集したナノダイヤモンドを模して、ランダムに配向した10個のナノ粒子から発せられるスペクトルの計算結果である。NV中心を構成する窒素原子は、
図7に示すスペクトルでは
14Nであり、
図8に示すスペクトルでは
15Nである。
【0048】
印加する外部磁場の強度とセンシングの感度との関係を表4および表5に示す。表4は、NV中心を構成する窒素原子が
14Nの場合の
図7に示すスペクトルに関する計算結果であり、表5は、NV中心を構成する窒素原子が
15Nの場合の
図8に示すスペクトルに関する計算結果である。
【表4】
【表5】
【0049】
図7および
図8を参照して、凝集した複数のナノダイヤモンドについて、同位体置換による効果を検討する。
図7および表4に示すように、数値シミュレーションによると、磁場強度を低下させることにより感度は向上する。特に
図7に実線および破線で示すように、印加する外部磁場の強度を低くして、地磁気程度の約50μTとし、さらに零磁場付近の大きさである約5μTとすることにより、感度はさらに増大している。
【0050】
表4を参照する。印加する外部磁場の強度を約300μTから約50μTに低下させると感度は約4.9倍となる。さらに外部磁場の強度を約50μTから約5μTに低下させると感度は約4.5倍となる。なお外部磁場の強度が約5μTの場合と約0μT(零磁場)の場合との比較では、感度の変化は殆ど無い。
【0051】
さらに
図8および表5に示すように、NV中心を構成する窒素原子を
14Nからその同位体である
15Nに置換すると、センシングの感度はさらに向上する。表5を参照する。印加する外部磁場の強度が約50μTの場合は、同位体置換により感度は約1.2倍に向上する。外部磁場の強度が約5μTの場合は、同位体置換により感度は約1.4倍に向上する。
【0052】
以上、本発明者らは、スペクトルの磁場強度依存性について理論計算に基づいた数値シミュレーションを行うことにより、色中心を有するナノ粒子を取り巻く環境磁場の大きさが地磁気未満の大きさとなる環境下において、感度が向上することを見出した。また、色中心を構成する原子を、量子数Iが半整数の値を有する同位体とすることにより、感度が向上することを見出した。
【0053】
[測定装置]
図9は、一実施形態に係る磁気共鳴信号測定装置の模式的な構成を示す図である。
【0054】
本発明の一実施形態に係る測定装置10は、量子センサ素子9の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する装置であって、環境磁場低減部1と、磁気共鳴信号測定部とを備える。
【0055】
本実施形態では、磁気共鳴信号の測定は、公知の光検出磁気共鳴(Optically Detected Magnetic Resonance: ODMR)法により行う。測定により得られる磁気共鳴信号は、磁場、電場、温度および力学量等の種々の物理量のセンシングに用いることができる。測定対象物の種々の物理量を光検出磁気共鳴(ODMR)法によりセンシングする方法および装置については、例えば本発明者らの一部を発明者に含む国際特許出願(国際公開第2021/054141号)等において公知であるので、本明細書における詳細な説明は省略する。
【0056】
例示的には、本実施形態に係る測定装置10は、共焦点レーザ顕微鏡装置に磁気シールドまたは補償コイルを組み込むことにより作製することができる。
【0057】
<量子センサ素子>
量子センサ素子9は、本実施形態では凝集した複数のナノダイヤモンドを含んでいる。それぞれのナノダイヤモンドはそれぞれが色中心を有しており、色中心にはNV中心を用いる。NV中心は、炭素原子を置換した窒素(N)と、窒素に隣接する空孔(V)との複合体(複合欠陥)である。本実施形態において使用する量子センサ素子9は数十個のナノダイヤモンドを含んでおり、これらナノダイヤモンドの1個の例示的な平均粒径(直径)は、約140nmである。
【0058】
<環境磁場低減部>
環境磁場低減部1は、それぞれの色中心の軸がランダムな方向を向いている複数の色中心を含む量子センサ素子9が配置されている環境の磁場(ambient magnetic field)の大きさを、地磁気未満の大きさに低減する。環境磁場低減部1は、磁気シールド11および補償コイル12の少なくとも一方を備える。量子センサ素子9は、磁気シールド11内に配置されているか、または、補償コイル12が発生する補償磁場内に配置されている。
【0059】
・磁気シールドおよび補償コイル
図10は、一実施形態に係る磁気シールドの斜視図である。(A)は外観図であり、(B)は両側端の蓋を外して内部を見える状態にした図である。
【0060】
一実施形態に係る磁気シールド11は、円筒状の金属シールド111と、対象とするシールドされた空間の磁場を精密に制御するための内部コイルとを備えている。金属シールド111は台座118に設置されており、両端には金属製の蓋112が設けられている。金属シールド111は、図示する例では、同心円状に配置された4層の円筒から構成される多層構造を有している。金属シールド111の円筒状の表面には、内部コイルを構成する巻き線(図示せず)が設けられている。内部コイルは、X軸方向、Y軸方向、およびZ軸方向のそれぞれについて精密な磁場を発生し、対象とする空間の周囲の磁気ノイズを低減する。
【0061】
図示する例では、磁気ノイズを低減する対象とする空間は、内部ステージ117上の所定のボリュームを有する空間である。量子センサ素子9は、磁気シールド11内の例えば内部ステージ117上に配置され、磁気シールド11により、量子センサ素子9を取り巻く環境の磁場の大きさが低減される。
【0062】
金属シールド111および蓋112は、例えばパーマロイ等の高透磁率の金属を用いて形成されている。このような磁気シールド11としては、例えば米国Twinleaf LLC社製のMagnetic shield型番MS-2を用いることができる。
【0063】
図11は、一実施形態に係る補償コイルの斜視図である。
【0064】
一実施形態に係る補償コイル12は、コイルの軸が互いに直行するように配置された3つのヘルムホルツコイル121,122,123を備えている。3つのコイルのそれぞれには巻き線124が巻回されている。補償コイル12は、これら3つのヘルムホルツコイル121,122,123を備えることにより、X軸方向、Y軸方向、およびZ軸方向の任意の方向に微小な静磁場(補償磁場)を高い精度で発生し、対象とする空間の周囲の磁気ノイズを低減する。
【0065】
図示する例では、磁気ノイズを低減する対象とする空間は、3つのコイルの軸が直交する点を含む所定のボリュームを有する空間であり、当該空間に補償コイル12が発生する補償磁場が印加される。量子センサ素子9は、補償コイル12内のこのような空間に配置され、補償コイル12が発生する補償磁場により、量子センサ素子9を取り巻く環境の磁場の大きさが低減される。
【0066】
<磁気共鳴信号測定部>
再び
図9を参照する。磁気共鳴信号測定部は、量子センサ素子9の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号を測定する。磁気共鳴信号測定部は、本実施形態では電磁波照射部2と、光照射部3と、検出部4とを備え、光検出磁気共鳴(ODMR)法により磁気共鳴信号を検出する。
【0067】
図12は、一実施形態に係る磁気共鳴信号測定部を用いて磁気共鳴信号の測定を行う際の例示的なパルスシーケンスである。磁気共鳴信号測定部は、
図12に例示するパルスシーケンスを用いて、量子センサ素子9の電子スピン状態に関する磁気共鳴信号(位相情報)の測定を行う。
図12に例示するパルスシーケンスを用いた測定は、信号強度を積算してS/Nを向上させるために繰り返し実行される。
【0068】
・電磁波照射部
電磁波照射部2は、量子センサ素子9の電子スピン状態を磁気共鳴によって操作するための電磁波を、量子センサ素子9に照射する。電磁波照射部2は、本実施形態では公知のマイクロ波(microwave, MW)発振器21と、電磁波をパルス化した形式で照射するスイッチ22と、増幅器23とを備えている。スイッチ22および増幅器23は任意の構成とすることができる。本実施形態では、電磁波照射部2は、量子センサ素子9の電子スピン状態を操作するための電磁波を、パルス化された形式で量子センサ素子9に照射する。すなわち本実施形態では、より具体的にはPulsed Optically Detected Magnetic Resonance(pODMR)法による検出を行う。
【0069】
電磁波照射部2が量子センサ素子9に照射する電磁波のパルスシーケンスには、磁気共鳴を生じさせるための種々のパルスシーケンスを用いることができる。例示的なパルスシーケンスとしては、例えばスピンエコー法のハーンエコー法およびダブルエコー法に基づくパルスシーケンスを用いることができる。またはスピンエコー法に代えて、自由誘導減衰(free induction decay: FID)信号を用いて磁気共鳴信号を検出してもよい。
【0070】
・光照射部
光照射部3は、量子センサ素子9の電子スピン状態の位相の情報を読み出すための光を、量子センサ素子9に照射する。光照射部3は、本実施形態では光源31と、音響光学変調素子(Acoustic Optical Modulator: AOM)32と、対物レンズ33とを備えている。音響光学変調素子32および対物レンズ33は任意の構成とすることができる。
【0071】
光源31は、量子センサ素子9の電子スピン状態の位相情報を読み出すための光を放出する。また、光源31は、量子センサ素子9の電子スピン状態を励起し初期化するための光を放出する。光源31が放出する光の波長は、量子センサ素子9の種類に応じて決定されている。本実施形態では、光源31は波長が532nm(緑色)のレーザ光を放出する。光源31には、例えば種々の公知のレーザ発生装置を用いることができる。本実施形態では、光源31は、緑色レーザ光を放出する半導体レーザである。光源31から放出される光の進行方向は、ダイクロイックミラー34および全反射ミラー35等の光学系を介して適宜調整される。本実施形態では、光照射部3と検出部4とは、ダイクロイックミラー34を通じて共焦点光学系を構成している。対物レンズ33は、光源31から放たれる光を集光して、ステージ8上の量子センサ素子9が配置されている領域へ照射する。
【0072】
・検出部
検出部4は、光の照射によって量子センサ素子9に生じる変化を検出する。検出部4は、本実施形態では光検出部41とピンホール42と波長フィルタ43とを備えている。ピンホール42および波長フィルタ43は任意の構成とすることができる。
【0073】
検出部4は、量子センサ素子9から放出される光を検出することにより、磁気共鳴の信号を発光強度の変化として検出する。量子センサ素子9から放出される光は、本実施形態ではダイクロイックミラー34を通じて検出部4に導入され、ピンホール42および波長フィルタ43等の光学系を適宜介して光検出部41に導入される。光検出部41には、例えば公知のフォトダイオードを用いることができる。フォトダイオードには、例えばアバランシェフォトダイオードを用いることができる。
【0074】
なお検出部4には、例えば公知の汎用コンピュータや、スマートフォン等の種々の情報端末装置により構成される図示しないデータ処理部を接続することができる。データ処理部は、例えば光検出部41と接続され、光検出部41にて検出された変化から量子センサ素子9の電子スピン状態の位相情報を読み出し、読み出した位相情報に基づいて、量子センサ素子9と相互作用した測定対象物に関する種々の物理量を算出する。データ処理部は、測定装置10と一体化されて構成されていてもよいし、または測定装置10の外部に設けられて、図示しないネットワークを介して測定装置10と接続されていてもよい。
【0075】
[測定結果]
図13は、一実施形態に係る磁気共鳴信号測定装置を用いて測定される磁気共鳴スペクトルの一例である。
【0076】
図13において、環境磁場の強度が地磁気の大きさよりも高い約300μTのときの測定データを点でプロットし、環境磁場の強度が地磁気の大きさよりも低いおおよそ零磁場(<0.1μT)のときの測定データを実線で表している。環境磁場の強度が異なる両者の測定データを比較すると、実線で表す磁気共鳴スペクトルは、点でプロットする磁気共鳴スペクトルと比較して、スペクトルの線幅(半値全幅(FWHM))が約11%低減し、信号強度のコントラストも約23%増大している。
【0077】
実測された
図13の磁気共鳴スペクトルに示すように、複数のナノ粒子が凝集している量子センサ素子を用いる磁気共鳴信号のセンシングにおいて、環境磁場の強度を地磁気の大きさよりも低減すると感度が向上する。
【0078】
[総括]
以上、一実施形態に係る測定方法および測定装置によると、ナノ粒子の色中心を用いるセンシングにおいて感度を向上させることができる。
【0079】
一実施形態に係る測定方法および測定装置では、色中心を有するナノ粒子を取り巻く環境磁場の大きさを、地磁気未満の大きさとなる環境下に配置する。これにより、磁気共鳴法によるナノ粒子のセンシングにおいて感度が向上する。また、色中心を構成する原子を、量子数Iが半整数の値を有する同位体とすることにより、感度はさらに向上する。
【0080】
ナノサイズのダイヤモンドであるナノダイヤモンド中のNV中心を量子センサ素子に用いる測定において、センシングの感度が向上すると、例えば細胞内における局所計測などといったライフサイエンス分野での活用が可能となり、生体計測への幅広い応用が可能となる。ライフサイエンス分野での活用の一例として、例えばHIVウイルスの検出にナノダイヤモンドを用いると、検出に金のナノ粒子を用いる従来の手法に比べて検出感度が5桁向上することが示唆されている。また、同分野での活用の別の例として、例えば細胞中にナノダイヤモンドを導入して、細胞の3次元的な動きを追跡することが可能になることが示されている。
【0081】
[その他の形態]
以上、本発明を特定の実施形態によって説明したが、本発明は上記した実施形態に限定されるものではない。
【0082】
上記した実施形態では、量子センサ素子9に用いるナノダイヤモンドの色中心としてNV中心を用いているが、用いる色中心はNV中心に限定されない。ナノダイヤモンドのNV中心に代えて、珪素-空孔中心またはゲルマニウム-空孔中心を、ナノダイヤモンドの色中心に用いることができる。
【0083】
上記した実施形態では、量子センサ素子9に用いるナノ粒子としてナノダイヤモンドを用いているが、用いるナノ粒子はナノダイヤモンドに限定されない。量子センサ素子9が、色中心を有するナノ粒子が複数凝集した状態の量子センサであり、量子センサ素子9に電磁波を照射して電子スピン状態を操作することができる限り、ナノダイヤモンドの色中心に代えて、ナノサイズの炭化ケイ素(SiC)の色中心等といった、種々のナノ粒子の色中心を、量子センサ素子9に用いることができる。
【0084】
上記した実施形態では、量子センサ素子9の電子スピン状態に関する磁気共鳴の信号を、光検出磁気共鳴(ODMR)法により発光強度の変化として検出しているが、磁気共鳴信号を測定する方法はこれに限定されない。磁気共鳴信号を測定することができる限り、光検出磁気共鳴(ODMR)法を用いずに磁気共鳴信号を測定する手法についても同様に適用することができる。
【0085】
例えば、磁気共鳴信号は、公知の電気検出磁気共鳴(Electrically Detected Magnetic Resonance: EDMR)法により測定することができる。電気検出磁気共鳴(EDMR)法では、ダイヤモンドの色中心等の量子センサ素子9の光励起により、スピン状態に依存した光電流が生成される。この光電流は、スピン状態に依存した励起状態の寿命の違いにより生成されている。このような量子センサ素子9の電気抵抗(または量子センサ素子9に生じる光電流)を検出することにより、磁気共鳴の信号を電気抵抗率の変化(または光照射による光電流の変化)として検出することができる。電気抵抗や光電流の検出には、例えば公知の電流計を用いることができる。
【符号の説明】
【0086】
1 環境磁場低減部
2 電磁波照射部
3 光照射部
4 検出部
8 ステージ
9 量子センサ素子
10 測定装置
11 磁気シールド
12 補償コイル
21 マイクロ波(MW)発振器
22 スイッチ
23 増幅器
31 光源
32 音響光学変調素子(AOM)
33 対物レンズ
34 ダイクロイックミラー
35 全反射ミラー
41 光検出部
42 ピンホール
43 波長フィルタ