(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023141738
(43)【公開日】2023-10-05
(54)【発明の名称】電子楽器
(51)【国際特許分類】
G10H 1/00 20060101AFI20230928BHJP
【FI】
G10H1/00 C
【審査請求】未請求
【請求項の数】7
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022048218
(22)【出願日】2022-03-24
(71)【出願人】
【識別番号】000004075
【氏名又は名称】ヤマハ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110003177
【氏名又は名称】弁理士法人旺知国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】大野 孝紘
(72)【発明者】
【氏名】井奥 健太
(72)【発明者】
【氏名】石塚 健治
(72)【発明者】
【氏名】田宮 健一
【テーマコード(参考)】
5D478
【Fターム(参考)】
5D478DD00
(57)【要約】
【課題】電子楽器の複数のスピーカから受聴点に到達する音の振幅スペクトルを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整する。
【解決手段】電子楽器100は、演奏操作を受付ける鍵盤と、鍵盤に対して上方に設置された第1スピーカ31と、鍵盤11に対して下方に設置された第2スピーカ32と、鍵盤が受付けた演奏操作に応じた原信号Q0を生成する信号生成部41と、原信号Q0に対する信号処理により第1音信号Q1と第2音信号Q2とを生成する信号処理部42と、第1音信号Q1に応じた第1音を放射するように第1スピーカ31を駆動し、第2音信号Q2に応じた第2音を放射するように第2スピーカ32を駆動する駆動部43とを具備し、信号処理は、第1音信号Q1および第2音信号Q2の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における第1音の位相と受聴点における第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む。
【選択図】
図3
【特許請求の範囲】
【請求項1】
演奏操作を受付ける操作受付部と、
前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカと、
前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカと、
前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、
前記原信号に対する信号処理を実行することで第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、
前記第1音信号に応じた第1音を放射するように前記第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように前記第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、
前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む
電子楽器。
【請求項2】
前記操作受付部は、演奏者による演奏操作を受付け、
前記受聴点は、前記演奏者の頭部に対応する地点である
請求項1の電子楽器。
【請求項3】
前記調整処理は、FIRフィルタを用いて実現される
請求項1または請求項2の電子楽器。
【請求項4】
前記第1スピーカから前記受聴点までの第1距離と、前記第2スピーカから前記受聴点までの第2距離とは相違し、
前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の一方を遅延させる遅延処理を含む
請求項1から請求項3の何れかの電子楽器。
【請求項5】
前記操作受付部は、複数の鍵が配列された鍵盤である
請求項1から請求項4の何れかの電子楽器。
【請求項6】
前記第1スピーカは、第1周波数帯域の前記第1音を放射し、
前記第2スピーカは、第2周波数帯域の前記第2音を放射し、
前記第1周波数帯域と前記第2周波数帯域とは、相互に部分的に重複し、
前記調整処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、前記第1周波数帯域と前記第2周波数帯域とが相互に重複する重複帯域内において、前記受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを相互に近付ける処理である
請求項1から請求項5の何れかの電子楽器。
【請求項7】
演奏操作を受付ける操作受付部と、
前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、
前記原信号に対する信号処理により第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、
前記第1音信号に応じた第1音を放射するように、前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように、前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、
前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む
電子楽器。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、電子楽器に関する。
【背景技術】
【0002】
音響信号の周波数特性を制御するための各種の技術が従来から提案されている。例えば特許文献1には、FIR(Finite Impulse Response)フィルタのレイテンシおよび周波数レスポンス(振幅特性および位相特性)を制御する技術が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ところで、例えば鍵盤楽器等の電子楽器においては、演奏者による演奏操作に対応する音が複数のスピーカから放射される。スピーカから放射された音が演奏者等の受聴者の耳に到達するまでの伝達特性は、スピーカ毎に相違する。したがって、各スピーカから受聴者の耳に到達する音が相互に弱め合い、受聴者が知覚する音圧が特定の周波数において局所的に低下する可能性がある。以上の事情を考慮して、本開示のひとつの態様は、複数のスピーカから受聴点に到達する音の振幅スペクトルを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
以上の課題を解決するために、本開示のひとつの態様に係る電子楽器は、演奏操作を受付ける操作受付部と、前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカと、前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカと、前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、前記原信号に対する信号処理により第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、前記第1音信号に応じた第1音を放射するように前記第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように前記第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む。
【0006】
本開示の他の態様に係る電子楽器は、演奏操作を受付ける操作受付部と、前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、前記原信号に対する信号処理により第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、前記第1音信号に応じた第1音を放射するように、前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように、前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む。
【図面の簡単な説明】
【0007】
【
図2】電子楽器の電気的な構成を例示するブロック図である。
【
図3】電子楽器の機能的な構成を例示するブロック図である。
【
図4】第1周波数帯域および第2周波数帯域の説明図である。
【
図5】受聴点において観測される振幅スペクトルである。
【
図7】制御装置が実行する処理のフローチャートである。
【
図9】第2実施形態における信号処理部の構成を例示するブロック図である。
【発明を実施するための形態】
【0008】
A:第1実施形態
図1は、第1実施形態に係る電子楽器100の正面図および側面図である。電子楽器100は、鍵盤11と筐体12とを具備する電子鍵盤楽器である。なお、以下の説明においては、相互に直交する3軸(X軸,Y軸,Z軸)を想定する。X軸は、電子楽器100の左右方向(幅方向)に延在する軸線である。Y軸は、電子楽器100の前後方向(奥行方向)に延在する軸線である。Z軸は、電子楽器100の上下方向(高さ方向)に延在する軸線である。Z軸は鉛直軸に相当する。
【0009】
鍵盤11は、相異なる音高に対応する複数の鍵13(白鍵および黒鍵)で構成される。複数の鍵13は、X軸に沿って配列される。すなわち、X軸の方向は、鍵盤11の長手方向である。演奏者Uは、複数の鍵13の各々を順次に操作することで所望の楽曲を演奏する。すなわち、鍵盤11は、演奏者Uによる演奏操作を受付ける操作受付部である。演奏操作は、例えば押鍵および離鍵である。なお、以下の説明においては、基準面Cを想定する。基準面Cは、電子楽器100の対称面である。対称面は、電子楽器100が面対称となる仮想的な平面である。具体的には、基準面Cは、X軸に直交する仮想的な平面であり、X軸の方向における鍵盤11の中点を通過する。
【0010】
筐体12は、鍵盤11を支持する構造体である。具体的には、筐体12は、右腕木121と左腕木122と棚板123と上前板124と下前板125と天板126(屋根)とを具備する。棚板123は、鍵盤11を下方から支持する板状部材である。右腕木121と左腕木122との間に鍵盤11および棚板123が設置される。上前板124および下前板125は、筐体12の前面を構成する平板材であり、XZ平面に平行に設置される。上前板124は鍵盤11の上方に位置し、下前板125は鍵盤11の下方に位置する。天板126は、筐体12の天面を構成する平板材である。
【0011】
図2は、電子楽器100の電気的な構成を例示するブロック図である。電子楽器100は、制御装置21と記憶装置22と検出装置23と再生装置24とを具備する。制御装置21および記憶装置22は、電子楽器100の動作を制御する制御システム20を構成する。なお、第1実施形態においては、制御システム20が電子楽器100に搭載された形態を例示するが、制御システム20は電子楽器100とは別体で構成されてもよい。例えばスマートフォンまたはタブレット端末等の情報装置により、制御システム20が実現されてもよい。
【0012】
制御装置21は、電子楽器100の動作を制御する単数または複数のプロセッサである。具体的には、例えばCPU(Central Processing Unit)、GPU(Graphics Processing Unit)、SPU(Sound Processing Unit)、DSP(Digital Signal Processor)、FPGA(Field Programmable Gate Array)、またはASIC(Application Specific Integrated Circuit)等の1種類以上のプロセッサにより、制御装置21が構成される。
【0013】
記憶装置22は、制御装置21が実行するプログラムと、制御装置21が使用する各種のデータとを記憶する単数または複数のメモリである。例えば半導体記録媒体および磁気記録媒体等の公知の記録媒体、または複数種の記録媒体の組合せが、記憶装置22として利用される。なお、例えば、電子楽器100に対して着脱される可搬型の記録媒体、または、制御装置21が通信網を介してアクセス可能な記録媒体(例えばクラウドストレージ)が、記憶装置22として利用されてもよい。
【0014】
検出装置23は、鍵盤11に対する演奏者Uからの操作を検出するセンサユニットである。具体的には、検出装置23は、鍵盤11を構成する複数の鍵13のうち演奏者Uが操作した鍵13を指定する演奏情報Eを出力する。演奏情報Eは、例えば演奏者Uが操作した鍵13に対応する番号を指定するMIDI(Musical Instrument Digital Interface)のイベントデータである。
【0015】
再生装置24は、鍵盤11に対する演奏者Uからの操作に応じた音を放射する。
図3に例示される通り、再生装置24は、第1スピーカ31と第2スピーカ32とを具備する。第1スピーカ31および第2スピーカ32は筐体12に設置される。
図1に例示される通り、第1スピーカ31は、筐体12の上前板124に設置される。すなわち、第1スピーカ31は、Z軸の方向において鍵盤11よりも高い位置にある。他方、第2スピーカ32は、筐体12の下前板125に設置される。すなわち、第2スピーカ32は、Z軸の方向において鍵盤11よりも低い位置にある。以上の説明から理解される通り、第1スピーカ31は鍵盤11の上方に設置され、第2スピーカ32は鍵盤11の下方に設置される。すなわち、Y軸の方向からみて第1スピーカ31と第2スピーカ32との間に鍵盤11が位置する。なお、以下の説明において第1スピーカ31と第2スピーカ32とを特に区別する必要がない場合には両者を「スピーカ3」と総称する。
【0016】
第1スピーカ31は、第1左スピーカ31Lと第1右スピーカ31Rとを含むステレオスピーカである。第1左スピーカ31Lおよび第1右スピーカ31Rは、振動板の中心軸がY軸に平行な状態で上前板124に設置される。第1左スピーカ31Lと第1右スピーカ31Rとは、X軸の方向に間隔をあけて設置される。具体的には、電子楽器100の正面からみて、第1左スピーカ31Lは基準面Cの左側に位置し、第1右スピーカ31Rは基準面Cの右側に位置する。第1左スピーカ31Lおよび第1右スピーカ31Rは、基準面Cから等距離に位置する。
【0017】
第2スピーカ32は、第2左スピーカ32Lと第2右スピーカ32Rとを含むステレオスピーカである。第2左スピーカ32Lおよび第2右スピーカ32Rは、振動板の中心軸がY軸に平行な状態で下前板125に設置される。第2左スピーカ32Lと第2右スピーカ32Rとは、X軸の方向に間隔をあけて下前板125に設置される。具体的には、電子楽器100の正面からみて、第2左スピーカ32Lは基準面Cの左側に位置し、第2右スピーカ32Rは基準面Cの右側に位置する。第2左スピーカ32Lおよび第2右スピーカ32Rは、基準面Cから等距離に位置する。
【0018】
第1左スピーカ31Lおよび第1右スピーカ31Rが設置されるスペース(上前板124)は、第2左スピーカ32Lおよび第2右スピーカ32Rが設置されるスペース(下前板125)よりも狭い。以上の事情を考慮して、第1左スピーカ31Lおよび第1右スピーカ31Rは、第2左スピーカ32Lおよび第2右スピーカ32Rと比較して小口径である。
図4に例示される通り、第1スピーカ31が放射可能な音の周波数帯域(以下「第1周波数帯域」という)B1と、第2スピーカ32が放射可能な音の周波数帯域(以下「第2周波数帯域」という)B2とは相違する。第1周波数帯域B1および第2周波数帯域B2は、可聴帯域内の帯域である。可聴帯域は、例えば20Hz以上かつ20kHz以下の範囲である。
【0019】
第1周波数帯域B1は第2周波数帯域B2よりも高域側の帯域である。第1周波数帯域B1と第2周波数帯域B2とは、相互に部分的に重複する。すなわち、第1周波数帯域B1の一部と第2周波数帯域B2の一部とが相互に重複する。具体的には、第1周波数帯域B1の下端の周波数b1は、第2周波数帯域B2内に位置し、第2周波数帯域B2の上端の周波数b2は、第1周波数帯域B1内に位置する。
図4には、第1周波数帯域B1と第2周波数帯域B2とが相互に重複する周波数帯域(以下「重複帯域」という)Wが図示されている。重複帯域Wは可聴帯域内の所定幅の周波数帯域である。
【0020】
図1に例示される通り、第1スピーカ31および第2スピーカ32に対して所定の関係にある地点(以下「受聴点」という)Pを想定する。受聴点Pは、各スピーカ3から放射される音が主に受聴される地点であり、電子楽器100の筐体12から離間した位置に設定される。具体的には、受聴点Pは、電子楽器100を演奏する演奏者Uの頭部に対応する地点である。例えば、標準的な身長の演奏者Uにおける両耳孔の中点が受聴点Pとして例示される。すなわち、受聴点Pは電子楽器100の前方(Y軸の正方向)に位置する。
【0021】
X軸上における受聴点Pの位置は、範囲Rx内にある。範囲Rxは、基準面Cを含む1m程度の横幅(例えば基準面C±0.5m)の範囲である。例えば、受聴点Pは基準面C上に位置する。また、Y軸上における受聴点Pの位置は、電子楽器100からY軸の正方向に離間した範囲Ry内にある。範囲Ryは、例えば鍵盤11の前端からの距離が1m以下の範囲である。鍵盤11の前端とは、各白鍵のうちY軸の正方向に位置する端部である。また、Z軸上における受聴点Pの位置は、電子楽器100が設置される床面(以下「設置面」という)からZ軸の正方向に離間した範囲Rz内にある。範囲Rzは、例えば設置面からの距離が1m以上かつ1.5m以下の範囲である。後述する位相等の調整のための音の測定においては、以上の範囲(Rx,Ry,Rz)内に配置された複数の受聴点における観測値の平均をとってもよい。その際、範囲内の中央に近い受聴点での測定値が重視されるよう、観測値を重み付け平均してもよい。または、範囲内の中央が密になるよう複数の受聴点を配置してもよい。
【0022】
以上に説明した通り、受聴点Pは鍵盤11の上方に位置する。すなわち、受聴点Pは、鍵盤11の表面よりも高い位置にある。したがって、第1スピーカ31から受聴点Pまでの距離D1と、第2スピーカ32から受聴点Pまでの距離D2とは相違する。具体的には、距離D2は距離D1を上回る(D2>D1)。
【0023】
図3に例示される通り、制御装置21は、記憶装置22に記憶されたプログラムを実行することで、演奏者Uの演奏操作に応じた音を放射するための複数の機能(信号生成部41,信号処理部42,駆動部43)を実現する。
【0024】
信号生成部41は、原信号Q0を生成する。原信号Q0は、鍵盤11が演奏者Uから受付けた演奏操作に応じた音信号である。原信号Q0は、左右2チャンネルで構成されるステレオ信号である。例えば、信号生成部41は、検出装置23が出力する演奏情報Eに応じた原信号Q0を生成するMIDI音源である。すなわち、原信号Q0は、演奏者Uが操作した鍵13に対応する1以上の音高の音の波形を表す信号である。信号生成部41は、例えば制御装置21が音源プログラムを実行することで実現されるソフトウェア音源、または、原信号Q0の生成に専用される電子回路により実現されるハードウェア音源である。
【0025】
信号処理部42は、原信号Q0に対する信号処理により第1音信号Q1と第2音信号Q2とを生成する。第1音信号Q1は、左右2チャンネルで構成されるステレオ信号である。同様に、第2音信号Q2は、左右2チャンネルで構成されるステレオ信号である。
【0026】
駆動部43は、再生装置24を駆動する。具体的には、駆動部43は、第1音信号Q1に応じた音(以下「第1音」という)を放射するように第1スピーカ31を駆動する。また、駆動部43は、第2音信号Q2に応じた音(以下「第2音」という)第2音を放射するように第2スピーカ32を駆動する。
【0027】
具体的には、駆動部43は、第1音信号Q1および第2音信号Q2をデジタルからアナログに変換するD/A変換器と、第1音信号Q1および第2音信号Q2を増幅する増幅器とを具備する。駆動部43は、第1音信号Q1から生成した第1出力信号O1を第1スピーカ31に出力し、第2音信号Q2から生成した第2出力信号O2を第2スピーカ32に出力する。第1出力信号O1は、第1音の波形を表す左右2チャンネルのステレオ信号であり、第2出力信号O2は、第2音の波形を表す左右2チャンネルのステレオ信号である。以上の例示の通り、第1スピーカ31は、第1周波数帯域B1の第1音を放射し、第2スピーカ32は、第2周波数帯域B2の第2音を放射する。
【0028】
図5は、受聴点Pにおいて観測される音の振幅スペクトルである。第1スピーカ31から受聴点Pに到達する第1音の振幅スペクトルF1と、第2スピーカ32から受聴点Pに到達する第2音の振幅スペクトルF2とが、
図5には図示されている。対比例1は、信号処理部42による信号処理が実行されない形態である。すなわち、対比例1においては、原信号Q0が第1スピーカ31および第2スピーカ32に対して共通に供給される。
【0029】
第1スピーカ31から放射される第1音は、上前板124の表面または鍵盤11の表面等において反射してから受聴点Pに到達する。他方、第2スピーカ32から放射される第2音は、下前板125の表面、棚板123の下面または設置面等において反射してから受聴点Pに到達する。すなわち、鍵盤11に対する各スピーカ3の位置関係の相違(すなわち非対称性)に起因して、第1スピーカ31から受聴点Pまでの伝達特性と第2スピーカ32から受聴点Pまでの伝達特性とは相違する。また、前述の通り、第1スピーカ31から受聴点Pまでの距離D1と、第2スピーカ32から受聴点Pまでの距離D2とは相違する。さらに、振動板のサイズまたは機械的・電気的特性の相違に起因して、第1スピーカ31と第2スピーカ32との間では位相特性が相違する。すなわち、第1スピーカ31と第2スピーカ32とに共通の信号を供給した場合でも、第1スピーカ31による放射音と第2スピーカ32による放射音との間では周波数特性が相違する。
【0030】
以上の通り、受聴点Pに到達する第1音と第2音との間では、各スピーカ3から受聴点Pまでの伝達特性と、各スピーカ3から受聴点Pまでの距離と、スピーカ3自体の位相特性とを含む多様な要素に複合的に起因して位相特性が相違する。第1スピーカ31と第2スピーカ32とに共通の原信号Q0が供給される対比例1においては、以上の相違に起因して、受聴点Pにおける第1音の位相特性と受聴点Pにおける第2音の位相特性とが顕著に相違する。第1実施形態の信号処理部42が実行する信号処理は、第1音信号Q1および第2音信号Q2の少なくとも一方の位相を調整することで、受聴点Pにおける第1音の位相と受聴点Pにおける第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける処理である。信号処理部42の具体的な構成および動作について以下に詳述する。
【0031】
図3の信号処理部42は、第1フィルタ421と第2フィルタ422とを具備する。第1フィルタ421は、原信号Q0を処理することで第1音信号Q1を生成する。第2フィルタ422は、原信号Q0を処理することで第2音信号Q2を生成する。第1フィルタ421および第2フィルタ422の各々は、
図6に例示されるFIR(Finite Impulse Response)フィルタ50を含む。
【0032】
FIRフィルタ50は、(N-1)個の遅延部51[1]~51[N-1]とN個の乗算部52[1]~52[N]と1個の加算部53とを含む。各遅延部51[n](n=1~N-1)は、信号A[n]を所定の時間だけ遅延させることで信号A[n+1]を生成する。第1段目の遅延部51[1]には、原信号Q0が信号A[1]として入力される。遅延部51[n]が出力する信号A[n+1]は、次段の遅延部51[n+1]と乗算部52[n+1]とに供給される。
【0033】
各乗算部52[n](n=1~N)は、信号A[n]に係数K[n]を乗算することで信号B[n]を生成する。加算部53は、各乗算部52[n]が生成するN個の信号B[1]~B[N]を加算する。第1フィルタ421の加算部53により第1音信号Q1が生成され、第2フィルタ422の加算部53により第2音信号Q2が生成される。以上の説明から理解される通り、FIRフィルタ50は、処理対象の信号に対して複数の係数(すなわち所定の周波数レスポンス)を畳込むフィルタである。
【0034】
信号処理部42による信号処理は、帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理とを含む。帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理との各々は、第1フィルタ421および第2フィルタ422の一方または双方により実現される。すなわち、帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理とは、
図6に例示したFIRフィルタ50により実現される。
【0035】
帯域フィルタ処理は、第1音信号Q1の周波数帯域と第2音信号Q2の周波数帯域とを相違させる処理である。具体的には、帯域フィルタ処理は、第1フィルタ421により第1音信号Q1から第1周波数帯域B1の成分を抽出する処理と、第2フィルタ422により第2音信号Q2から第2周波数帯域B2の成分を抽出する処理とを含む。また、帯域フィルタ処理は、以上の処理に加えて、第1スピーカ31および第2スピーカ32の周波数応答におけるピークを抑制する処理(イコライジング処理)を含む。前述の通り、第1周波数帯域B1と第2周波数帯域B2とは、重複帯域W内において相互に重複する。なお、第1音信号Q1の周波数帯域と第1スピーカ31の第1周波数帯域B1とは相違してもよい。また、第2音信号Q2の周波数帯域と第2スピーカ32の第2周波数帯域B2とは相違してもよい。なお、第1スピーカ31および第2スピーカ32の周波数応答におけるピークを抑制する処理は、帯域フィルタ処理とは別個の信号処理として実行されてよい。
【0036】
遅延処理は、第1音信号Q1および第2音信号Q2の一方を他方に対して遅延させる処理である。具体的には、遅延処理は、第1スピーカ31から受聴点Pまでの距離D1と第2スピーカ32から受聴点Pまでの距離D2との差異(以下「距離差」という)に起因した第1音と第2音との位相差を低減するための処理である。具体的には、距離差に起因した第1音と第2音との位相差は、重複帯域Wにおける位相差の傾きである。前述の通り、第2スピーカ32から受聴点Pまでの距離D2は、第1スピーカ31から受聴点Pまでの距離D1を上回る(D2>D1)。以上の距離差を考慮して、第1実施形態の遅延処理においては、距離差(D2-D1)に応じた時間長だけ、第1音信号Q1を第2音信号Q2に対して遅延させる。
【0037】
調整処理は、第1音信号Q1および第2音信号Q2の少なくとも一方の位相を調整することで、受聴点Pにおける第1音の位相と受聴点Pにおける第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける処理である。すなわち、遅延処理で傾きがほぼ同じにされた2位相に残る細かい位相差が、調整処理によりインパルス応答でゼロに近付く。具体的には、調整処理は、第1音信号Q1および第2音信号Q2の少なくとも一方の位相を調整することで、第1周波数帯域B1と第2周波数帯域B2とが相互に重複する重複帯域W内において、受聴点Pにおける第1音の位相と受聴点Pにおける第2音の位相とを相互に近付ける。すなわち、調整処理は、重複帯域W内の各周波数において第1音の位相と第2音の位相とを近付ける処理である。
【0038】
帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理との各々の条件は、第1フィルタ421および第2フィルタ422の各々におけるN個の係数K[1]~K[N]に応じて制御される。第1実施形態においては、以下の条件1から条件3が成立するように、第1フィルタ421および第2フィルタ422の各々におけるN個の係数K[1]~K[N]が設定される。具体的には、電子楽器100の設計の段階において、第1スピーカ31および第2スピーカ32の各々から受聴点Pに到達する音を観測し、以下の条件1から条件3が成立するように、観測結果に応じてN個の係数K[1]~K[N]が設定される。例えば、信号処理部42に対する原信号Q0の入力から受聴点P(観測点)までの伝達系の周波数応答が観測される。N個の係数K[1]~K[N]は記憶装置22に記憶される。
・条件1(帯域フィルタ処理):第1音信号Q1の周波数帯域と第2音信号Q2の周波数帯域とが相違する。
・条件2(遅延処理): 距離差(D2-D1)に応じた遅延時間だけ第1音信号Q1を第2音信号Q2に対して遅延させる。
・条件3(調整処理): 受聴点Pにおける第1音の位相と受聴点Pにおける第2音の位相とが重複帯域W内において相互に近付く(理想的には一致する)。
【0039】
N個の係数K[1]~K[N]を設定するための具体的な手順は以下の通りである。
(1)帯域フィルタ処理の特性を決定し、2つの伝達系の周波数応答を測定する。
(2)観測された2周波数応答の位相成分に関し、重複帯域Wでの位相差分を算出する。
(3)その位相差分の傾きに応じて、遅延を入れる側及びその時間長を決定する。
(4)遅延調整後の全体的にはフラットな位相差分に応じて、その差分をゼロに近づけるインパルス応答を決定する。
(5)帯域フィルタの特性、遅延特性およびインパルス応答から、N個の係数K[1]~K[N]を決定する。
【0040】
図7は、制御装置21が実行する処理のフローチャートである。例えば演奏者Uによる鍵盤11の操作を契機として
図7の処理が開始される。
【0041】
処理が開始されると、制御装置21(信号生成部41)は、演奏者Uによる演奏操作に応じた原信号Q0を生成する(S1)。制御装置21(信号処理部42)は、原信号Q0に対する信号処理により第1音信号Q1および第2音信号Q2を生成する(S2)。信号処理は、前述の通り、帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理とを含む。制御装置21(駆動部43)は、第1音信号Q1に応じた第1音を放射するように第1スピーカ31を駆動し、第2音信号Q2に応じた第2音を放射するように第2スピーカ32を駆動する(S3)。
【0042】
図5を参照して、第1実施形態の効果を説明する。前述の通り、対比例1においては、受聴点Pにおける第1音の位相特性と受聴点Pにおける第2音の位相特性とが顕著に相違する。したがって、第1音の特定の周波数の成分と第2音の当該周波数の成分とが受聴点Pにおいて相互に弱め合い、演奏者Uが知覚する音圧が当該周波数において局所的に低下する可能性がある。以上の状況においては、演奏者Uが受聴する音量に、特定の周波数で、上下のスピーカからの音の干渉に起因する大きなディップが生じる。
【0043】
対比例1とは対照的に、第1実施形態においては、第1スピーカ31から受聴点Pに到達する第1音の位相と、第2スピーカ32から受聴点Pに到達する第2音の位相とを、可聴帯域内において相互に近付ける調整処理が実行される。したがって、第1実施形態の振幅スペクトルFtから理解される通り、第1音と第2音との干渉に起因した音圧の局所的な低下が抑制される。すなわち、第1スピーカ31および第2スピーカ32から受聴点Pに到達する音の振幅スペクトルFtを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整できる。したがって、演奏者Uが受聴する音量の特定の周波数におけるディップを低減できる。
【0044】
第1実施形態は、調整処理を含む信号処理をFIRフィルタ50により実現した形態である。他方、
図5の対比例2は、調整処理を含まない信号処理(具体的には帯域フィルタ処理および遅延処理)をIIR(Infinite Impulse Response)フィルタにより実現した形態である。対比例2においては、IIRフィルタを利用した信号処理により、第1音と第2音との干渉に起因した音圧の局所的な低下は、対比例1と比較すれば改善される。しかし、IIRフィルタにおいては、位相の自由な調整ができない。したがって、対比例2においては、
図5に矢印で示される通り、第1音と第2音との干渉に起因した音圧の局所的な低下が受聴点Pにおいて依然として観測される。すなわち、対比例2では、演奏者Uが受聴する音量の特定の周波数におけるディップを充分に低減できない。
【0045】
第1実施形態においては、前述の通り、調整処理を含む信号処理がFIRフィルタ50により実現される。FIRフィルタ50においては、N個の係数K[1]~K[N]を調整することで、周波数毎の位相を高精度に変更できる。すなわち、第1音の位相と第2音の位相とを、可聴帯域内の広範囲にわたり高精度に近付けることが可能である。したがって、
図5から理解される通り、第1実施形態によれば、第1音と第2音との干渉に起因した音圧の局所的な低下が、対比例2と比較して抑制される。すなわち、第1実施形態によれば、演奏者Uが受聴する音量の特定の周波数におけるディップを充分に低減できる。
【0046】
また、第1実施形態においては、第1スピーカ31から受聴点Pまでの距離D1と第2スピーカ32から受聴点Pまでの距離D2との距離差に応じた時間長だけ、第1音信号Q1または第2音信号Q2に遅延が付与される(遅延処理)。したがって、距離D1と距離D2とが相違する構成にも関わらず、第1音の位相と第2音の位相とを受聴点Pにおいて高精度に近付けることが可能である。
【0047】
図8は、電子楽器100の前方の空間において音圧を観測した結果である。具体的には、
図8には、対比例2および第1実施形態の各々について、基準面C内における音圧の分布が図示されている。可聴帯域内の複数の周波数(500Hz,800Hz,1200Hz)の各々について観測結果が併記されている。濃階調の領域は、負数の範囲内で音圧の絶対値が大きい領域であり、淡階調の領域は、正数の範囲内で音圧の絶対値が大きい領域である。
【0048】
対比例2について図示された領域αにおいては、音圧の経時的な変化が周囲の領域と比較して充分に小さい。すなわち、対比例2においては、演奏者Uが受聴する音量が局所的に小さい領域αが発生する。対比例2とは対照的に、第1実施形態においては、受聴点Pの周囲の広範囲にわたり音圧が経時的に変化する。すなわち、音量が局所的に低下する領域αの発生が、第1実施形態によれば抑制される。
【0049】
また、対比例2においては、特に800Hzの測定結果から把握される通り、電子楽器100の周囲の円周上に音圧が高い領域(淡階調)と音圧が低い領域(濃階調)とが混在する。すなわち、対比例2においては、電子楽器100の放射音の波面が乱雑な状態にある。したがって、演奏者Uの頭部が少し移動しただけで、演奏者Uが知覚する音量が変化するという課題がある。対比例2とは対照的に、第1実施形態における電子楽器100の周囲の円周上には、音圧が高い領域および音圧が低い領域の一方のみが存在する。すなわち、第1実施形態においては、電子楽器100の放射音の波面が同心円状に整合した状態で進行する。したがって、演奏者Uの頭部が少し移動しただけでは、演奏者Uが知覚する音量は変化し難い。また、例えば演奏者Uの後方(Y軸の正方向)に位置する受聴者も演奏者Uと同様に演奏音を聴取できる。
【0050】
B:第2実施形態
第2実施形態を説明する。なお、以下に例示する各態様において機能が第1実施形態と同様である要素については、第1実施形態の説明と同様の符号を流用して各々の詳細な説明を適宜に省略する。
【0051】
図9は、第2実施形態における信号処理部42の構成を例示するブロック図である。第2実施形態の信号処理部42は、第1実施形態と同様の第1フィルタ421および第2フィルタ422に加えて遅延部423を含む。遅延部423は、前述の遅延処理を実現する要素である。すなわち、遅延部423は、距離D1と距離D2との距離差に起因した第1音と第2音との位相の相違を低減する。
【0052】
具体的には、遅延部423は、距離D2と距離D1との距離差(D2-D1)等に応じた遅延時間だけ原信号Q0を遅延させる。例えば、距離差(D2-D1)が大きいほど、遅延部423による遅延時間は大きい数値に設定される。遅延部423による遅延後の原信号Q0が第1フィルタ421に供給される。すなわち、遅延部423は、第1音信号Q1を第2音信号Q2に対して遅延させる。
【0053】
前述の通り、受聴点Pにおける第1音と第2音との位相特性の相違には、距離差(D2-D1)を含む、各スピーカから受聴点Pまでの伝達特性の相違や、各スピーカ自体の位相特性の相違等の種々の事情が、複合的に影響する。第2実施形態におけるFIRフィルタ50は、伝達特性の相違および各スピーカの位相特性の相違等に起因した第1音と第2音との位相の相違が低減されるように機能する。すなわち、第1実施形態においてはFIRフィルタ50により遅延処理および調整処理の双方が実現されるのに対し、第2実施形態においては、遅延処理が遅延部423により実現され、調整処理がFIRフィルタ50により実現される。
【0054】
第2実施形態においても第1実施形態と同様の効果が実現される。また、第2実施形態においては、遅延処理が遅延部423により実現されるから、FIRフィルタ50の規模を縮小できる。具体的には、FIRフィルタ50のタップ数が削減され、結果的に電子楽器100におけるリソース(例えば演算量、メモリおよび電力)の消費が削減される。
【0055】
C:変形例
以上に例示した各態様に付加される具体的な変形の態様を以下に例示する。前述の実施形態および以下に例示する変形例から任意に選択された複数の態様を、相互に矛盾しない範囲で適宜に併合してもよい。
【0056】
(1)前述の各形態においては、電子楽器100が第1スピーカ31と第2スピーカ32とを具備する構成を例示したが、電子楽器100が他のスピーカ3をさらに具備する構成も想定される。電子楽器100が具備するスピーカ3の個数(チャンネル数)は任意である。複数のスピーカ3のうち鍵盤11の上方に位置する1個のスピーカ3が「第1スピーカ」に相当し、鍵盤11の下方に位置する1個のスピーカ3が「第2スピーカ」に相当する。「第1スピーカ」から受聴点に到達する第1音の位相と「第2スピーカ」から受聴点に到達する第2音の位相とが調整処理により相互に近付く構成であれば、他のスピーカ3から受聴点に到達する音の位相と、第1音または第2音の位相との関係は不問である。
【0057】
(2)前述の各形態においては、第1スピーカ31が第2スピーカ32よりも小口径である形態を例示したが、第1スピーカ31と第2スピーカ32との間の口径の大小は任意である。例えば第1スピーカ31が第2スピーカ32よりも大口径である形態、または第1スピーカ31と第2スピーカ32とが同口径である形態も想定される。
【0058】
(3)受聴点Pは、演奏者Uの頭部に対応する地点に限定されない。例えば、演奏者Uの背後に位置する受聴者が演奏を聴取する場合を想定すると、受聴者の頭部に対応する位置が受聴点Pとして例示される。以上の例示から理解される通り、受聴点Pは、第1音および第2音が受聴されるべき地点として包括的に表現され、電子楽器100(特に各スピーカ3)に対して所定の位置関係にある地点とも表現される。
【0059】
(4)前述の各形態においては、帯域フィルタ処理と遅延処理と調整処理とを含む信号処理がFIRフィルタ50により実現される形態を例示したが、以上の信号処理はIIRフィルタ等の他の形式のフィルタにより実現されてもよい。すなわち、前述の対比例2は、本開示の範囲に包含される。
【0060】
(5)本開示が適用される電子楽器は、前述の各形態において例示した電子鍵盤楽器に限定されない。例えば、電子打楽器または電子管楽器等の種々の電子楽器に本開示は適用される。「操作受付部」は、演奏操作を受付ける要素として包括的に表現され、前述の各形態における鍵盤11は「操作受付部」の一例である。例えば、電子打楽器において演奏者Uが打撃部材(例えばスティック)により打撃するヘッド、または、電子管楽器において演奏者Uが操作するキー等が、「操作受付部」の概念には包含される。
【0061】
(6)前述の各形態に係る電子楽器100(制御システム20)の機能は、前述の通り、制御装置21を構成する単数または複数のプロセッサと、記憶装置22に記憶されたプログラムとの協働により実現される。以上に例示したプログラムは、コンピュータが読取可能な記録媒体に格納された形態で提供されてコンピュータにインストールされ得る。記録媒体は、例えば非一過性(non-transitory)の記録媒体であり、CD-ROM等の光学式記録媒体(光ディスク)が好例であるが、半導体記録媒体または磁気記録媒体等の公知の任意の形式の記録媒体も包含される。なお、非一過性の記録媒体とは、一過性の伝搬信号(transitory, propagating signal)を除く任意の記録媒体を含み、揮発性の記録媒体も除外されない。また、配信装置が通信網を介してプログラムを配信する構成では、当該配信装置においてプログラムを記憶する記録媒体が、前述の非一過性の記録媒体に相当する。
【0062】
D:付記
以上に例示した形態から、例えば以下の構成が把握される。
【0063】
本開示のひとつの態様(態様1)に係る電子楽器は、演奏操作を受付ける操作受付部と、前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカと、前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカと、前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、前記原信号に対する信号処理により第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、前記第1音信号に応じた第1音を放射するように前記第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように前記第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む。
【0064】
以上の態様においては、第1スピーカから受聴点に到達する第1音の位相と、第2スピーカから受聴点に到達する第2音の位相とを、可聴帯域内において相互に近付ける調整処理が実行される。したがって、受聴点における第1音と第2音との干渉に起因して特定の周波数における音圧が局所的に低下する可能性が低減される。すなわち、第1スピーカおよび第2スピーカから受聴点に到達する音の振幅スペクトルを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整できる。
【0065】
「操作受付部」は、例えば、電子鍵盤楽器において利用者による押鍵を受付ける鍵盤、電子打楽器において利用者が打撃部材(例えばスティック)により打撃するヘッド、または、電子管楽器において利用者が操作するキー等が、「操作受付部」の概念に包含される。
【0066】
「操作受付部に対して上方」とは、鉛直方向における第1スピーカの位置が操作受付部に対して高いことを意味し、操作受付部の直上には限定されない。同様に、「操作受付部に対して下方」とは、鉛直方向における第2スピーカの位置が操作受付部に対して低いことを意味し、操作受付部の直下には限定されない。第1スピーカから放射された音は、例えば操作受付部またはその上方に位置する要素において反射してから受聴点に到達する。また、第2スピーカから放射された音は、例えば操作受付部またはその下方に位置する要素において反射してから受聴点に到達する。
【0067】
「原信号」は、操作受付部に対する操作に応じた音の波形を表す信号である。例えば、操作受付部に対する操作で指定された音高の音の波形を表す信号、操作受付部に対する操作を契機として発生する音の波形を表す信号が、「原信号」として例示される。また、演奏操作の内容を表す操作信号(例えばMIDI信号)も「原信号」の概念には包含される。
【0068】
第1音信号および第2音信号は、原信号から生成される2系統の信号である。第1音信号と第2音信号との関係は任意である。例えば、第1音信号と第2音信号とは周波数帯域が相異なる信号である。ただし、第1音信号と第2音信号とは周波数特性が共通する信号でもよい。
【0069】
「受聴点」は、電子楽器に対して空間的または平面的に特定の位置関係にある地点である。具体的には、演奏操作を実行する演奏者の頭部が位置する地点、電子楽器の演奏音を聴取する受聴者の頭部が位置する地点(例えば演奏者の後方の地点)等が、「受聴点」として例示される。例えば、演奏者または受聴者の耳孔の地点または左右の耳孔の中点が、「受聴点」として例示される。例えば鍵盤楽器においては、鍵盤の長手方向における中心を通過し当該長手方向に直交する平面内に「受聴点」が想定される。
【0070】
態様1の具体例(態様2)において、前記操作受付部は、演奏者による演奏操作を受付け、前記受聴点は、前記演奏者の頭部に対応する地点である。以上の態様によれば、電子楽器の演奏者が受聴する音の振幅スペクトルを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整できる。
【0071】
態様1または態様2の具体例(態様3)において、前記調整処理は、FIRフィルタを用いて実現される。FIRフィルタは、例えばIIRフィルタと比較して周波数毎の信号の位相を高精度に変更できる。したがって、調整処理がFIRフィルタにより実現される形態によれば、第1音の位相と第2音の位相とを、可聴帯域内の広範囲にわたり高精度に近付けることが可能である。なお、FIRフィルタは、処理対象の信号に対して複数の係数(すなわち所定の周波数レスポンス)を畳込むフィルタである。受聴点において第1音の位相と第2音の位相とが相互に近付くように、FIRフィルタの複数の係数が設定される。
【0072】
態様1から態様3の何れかの具体例(態様4)において、前記第1スピーカから前記受聴点までの第1距離と、前記第2スピーカから前記受聴点までの第2距離とは相違し、前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の一方を遅延させる遅延処理を含む。以上の構成によれば、第1スピーカから受聴点までの第1距離と第2スピーカから受聴点までの第2距離との差異に応じた時間長だけ、第1音信号または第2音信号に遅延が付与される。したがって、第1距離と第2距離とが相違する構成でも、第1音の位相と第2音の位相とを受聴点において高精度に近付けることが可能である。
【0073】
遅延処理による遅延時間には、第1スピーカの位相特性と第2スピーカの位相特性との関係、および、第1距離と第2距離との差異等、様々な要素が複合的に影響する。
【0074】
態様1から態様4の何れかの具体例(態様5)において、前記操作受付部は、複数の鍵が配列された鍵盤であり、前記第1スピーカは、第1周波数帯域の前記第1音を放射し、前記第2スピーカは、第2周波数帯域の前記第2音を放射し、前記第1周波数帯域と前記第2周波数帯域とは、相互に部分的に重複し、前記調整処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、前記第1周波数帯域と前記第2周波数帯域とが相互に重複する重複帯域内において、前記受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを相互に近付ける処理である。以上の構成によれば、鍵盤楽器の演奏者が演奏に並行して受聴する楽音の振幅スペクトルを、可聴帯域内の広範囲にわたりフラットな特性に調整できる。
【0075】
本開示のひとつの態様(態様6)に係る電子楽器は、演奏操作を受付ける操作受付部と、前記操作受付部が受付けた演奏操作に応じた原信号を生成する信号生成部と、前記原信号に対する信号処理により第1音信号と第2音信号とを生成する信号処理部と、前記第1音信号に応じた第1音を放射するように、前記操作受付部に対して上方に設置された第1スピーカを駆動し、前記第2音信号に応じた第2音を放射するように、前記操作受付部に対して下方に設置された第2スピーカを駆動する駆動部とを具備し、前記信号処理は、前記第1音信号および前記第2音信号の少なくとも一方の位相を調整することで、所定の受聴点における前記第1音の位相と前記受聴点における前記第2音の位相とを可聴帯域内において相互に近付ける調整処理を含む。
【符号の説明】
【0076】
100…電子楽器、11…鍵盤、12…筐体、121…右腕木、122…左腕木、123…棚板、124…上前板、125…下前板、126…天板、13…鍵、20…制御システム、21…制御装置、22…記憶装置、23…検出装置、24…再生装置、31…第1スピーカ、31L…第1左スピーカ、31R…第1右スピーカ、32…第2スピーカ、32L…第2左スピーカ、32R…第2右スピーカ、41…信号生成部、42…信号処理部、421…第1フィルタ、422…第2フィルタ、423…遅延部、43…駆動部、50…FIRフィルタ、51[1]~51[N-1]…遅延部、52[1]~52[N]…乗算部、53…加算部。