(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023145875
(43)【公開日】2023-10-12
(54)【発明の名称】葉緑体デンプン顆粒の染色剤および染色方法
(51)【国際特許分類】
C12Q 1/02 20060101AFI20231004BHJP
G01N 33/48 20060101ALI20231004BHJP
G01N 1/30 20060101ALI20231004BHJP
C09B 11/28 20060101ALN20231004BHJP
C12N 15/09 20060101ALN20231004BHJP
【FI】
C12Q1/02
G01N33/48 P
G01N33/48 N
G01N1/30
C09B11/28 J ZNA
C12N15/09 Z
【審査請求】未請求
【請求項の数】7
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022052756
(22)【出願日】2022-03-29
【公序良俗違反の表示】
(特許庁注:以下のものは登録商標)
1.TRITON
(71)【出願人】
【識別番号】304036743
【氏名又は名称】国立大学法人宇都宮大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000109
【氏名又は名称】弁理士法人特許事務所サイクス
(72)【発明者】
【氏名】児玉 豊
(72)【発明者】
【氏名】市川 晋太郎
【テーマコード(参考)】
2G045
2G052
4B063
【Fターム(参考)】
2G045AA31
2G045BB25
2G045CB01
2G045CB20
2G045DA30
2G052AA33
2G052AA37
2G052FA09
4B063QA20
4B063QQ04
4B063QQ09
4B063QR41
4B063QR66
4B063QR73
4B063QR78
4B063QS36
4B063QX01
(57)【要約】
【課題】生細胞に適用可能な葉緑体デンプン顆粒の観察方法を提供する。
【解決手段】発色団を有するモノカルボン酸およびその塩と生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩となる化合物およびその塩とからなる群より選択される1つ以上の色素化合物を含む葉緑体デンプン顆粒の染色剤、ならびに上記染色剤の溶液(例えば1nM~1mMの溶液)に生細胞を浸すことを含む上記生細胞内の葉緑体デンプン顆粒の染色方法。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記(1)および(2)からなる群より選択される1つ以上の色素化合物を含む葉緑体デンプン顆粒の染色剤:
(1)発色団を有するモノカルボン酸およびその塩;
(2)生細胞内で前記モノカルボン酸またはその塩となる化合物およびその塩。
【請求項2】
前記モノカルボン酸がキサンテン系色素である請求項1に記載の染色剤。
【請求項3】
前記色素化合物が、カルボキシ基がベンゼン環に結合している部分構造を有する化合物である請求項1または2に記載の染色剤。
【請求項4】
前記モノカルボン酸がフルオレセインである請求項1に記載の染色剤。
【請求項5】
生細胞中の葉緑体デンプン顆粒を染色するための請求項1~4のいずれか一項に記載の染色剤。
【請求項6】
請求項1~5のいずれか一項に記載の染色剤を含む溶液に生細胞を浸すことを含む前記生細胞内の葉緑体デンプン顆粒の染色方法。
【請求項7】
前記溶液が前記色素化合物の1nM~1mMの溶液である、請求項6に記載の染色方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は葉緑体デンプン顆粒の染色剤および染色方法に関する。
に関する。
【背景技術】
【0002】
葉緑体は光合成生物の代謝を担う細胞小器官である。種子植物の葉緑体は二重の膜で囲まれた内部空間であるストロマを有する構造を有する。ストロマには、葉緑素(クロロフィル)を内包する袋状構造のチラコイドが存在し、チラコイドは集積してグラナ構造、さらに層状のラメラ構造を形成している。葉緑体において、余剰な光合成産物はデンプン顆粒としてストロマに蓄積される。このデンプン顆粒の形成や分解は、植物の成長の制御や気孔の開閉に関与することが知られており、植物の様々な生理現象に関わっている。そのため、葉緑体デンプン顆粒の正確な観察により、植物の生理現象を追跡することができる。
【0003】
葉緑体デンプン顆粒の観察方法としては、固定細胞(死細胞)を用いてヨウ素やトルイジンブルーによって染色する方法が非特許文献1に開示されている。また、非特許文献2には透過電子顕微鏡を用いた方法が開示されている。さらに、非特許文献3には、内在酵素に蛍光タンパク質を融合して生細胞で葉緑体デンプン顆粒を観察したことが開示されている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】The Plant Cell, Vol. 32:2543-2565, August 2020
【非特許文献2】Plant Physi, 2018, Vol.176:566-581
【非特許文献3】The Plant Cell, Vol. 21:2443-2457
【非特許文献4】Int. J. Mol. Sci. 2021, 22, 5666
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述のように、葉緑体デンプン顆粒を生細胞で観察するためには、蛍光タンパク質を融合した内在酵素を遺伝子組換え技術で細胞内に作らせる必要があった。したがって、葉緑体デンプン顆粒の生細胞での可視化はこの技術の適用が可能な限られた植物でしか行なうことができず、例えば農作物に広く利用することはできなかった。
本発明は、生細胞に適用可能な葉緑体デンプン顆粒の観察方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らが上記課題の解決のため鋭意検討していたところ、簡便な処理で葉緑体内に取り込まれるとともに、ストロマにはほとんど蓄積せず葉緑体デンプン顆粒を特異的に染色する蛍光色素が存在することを見出した。このような蛍光色素としては、非特許文献4においてサフラニンOが開示されているが、本発明者らが見出した蛍光色素ではより低濃度でより特異性の高い染色が達成されていた。本発明者らはこの知見に基づきさらに検討を重ね、本発明を完成させた。
具体的には、本発明は以下のとおりである。
【0007】
<1>下記(1)および(2)からなる群より選択される1つ以上の色素化合物を含む葉緑体デンプン顆粒の染色剤:
(1)発色団を有するモノカルボン酸およびその塩;
(2)生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩となる化合物およびその塩。
<2>上記モノカルボン酸がキサンテン系色素である<1>に記載の染色剤。
<3>上記色素化合物が、カルボキシ基がベンゼン環に結合している部分構造を有する化合物である<1>または<2>に記載の染色剤。
<4>上記モノカルボン酸がフルオレセインである<1>に記載の染色剤。
<5>生細胞中の葉緑体デンプン顆粒を染色するための<1>~<4>のいずれかに記載の染色剤。
<6><1>~5のいずれかに記載の染色剤を含む溶液に生細胞を浸すことを含む上記生細胞内の葉緑体デンプン顆粒の染色方法。
<7>上記溶液が上記色素化合物の1nM~1mMの溶液である、請求項6に記載の染色方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明により、葉緑体デンプン顆粒の染色剤および染色方法が提供される。本発明の染色剤を用いて生細胞中の葉緑体デンプン顆粒を簡易な方法で短時間で可視化することができる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図1】葉緑体ストロマを蛍光タンパク質で可視化したシロイヌナズナの葉をフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図2】葉緑体デンプン顆粒を蛍光タンパク質で可視化したシロイヌナズナの葉をフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図3】シロイヌナズナの葉肉細胞、孔辺細胞、表皮細胞をそれぞれフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図4】タバコ、ゼニゴケ、ダイズ、イチゴ、トマト、およびカボチャの葉をそれぞれフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図5】アルミ箔によって一部を遮光したシロイヌナズナの葉について(a)共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像、および(b)蛍光を示す部位の面積を求めた結果を示す。
【
図6】アルミ箔によって一部を遮光したシロイヌナズナの葉について葉緑体内部のフルオレセインの蛍光輝度を計算した結果を示す。
【
図7】葉緑体ストロマを蛍光タンパク質で可視化し、暗黒下に放置しデンプン顆粒が生じていないシロイヌナズナの葉を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図8】単離したデンプン顆粒をフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図9】単離したデンプン顆粒の蛍光輝度をプロファイル画像解析で定量した結果を示す図である。
【
図10】精製したジャガイモデンプンを共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図11】シロイヌナズナの野生型(WT)および葉緑体デンプン顆粒の個数と形状とが異なる変異体の葉をフルオレセインで染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図12】フルオレセイン濃度の異なる溶液を用いてシロイヌナズナの葉を染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【
図13】シロイヌナズナの葉を、フルオレセイン誘導体の色素化合物で染色した試料を共焦点レーザー顕微鏡で観察した画像である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明を詳細に説明する。以下に記載する構成要件の説明は、代表的な実施形態や具体例に基づいてなされることがあるが、本発明はそのような実施形態に限定されるものではない。
【0011】
<色素化合物>
本発明者らは蛍光色素として汎用されているフルオレセインが葉緑体のストロマに取り込まれるとともに、葉緑体デンプン顆粒を特異的に染色することを見出した。フルオレセイン蛍光発光を示す葉緑体デンプン顆粒の画像解析の結果から、フルオレセインは葉緑体デンプン顆粒の表面に吸着することにより葉緑体デンプン顆粒を染色していると考えられる。吸着は何らかの結合に基づくと推定されるが、共有結合などの強固な化学結合に基づくものではないと考えられる。また、複数の色素化合物を用いた染色結果から、葉緑体のストロマに取り込まれる性質はフルオレセインがカルボキシ基を1つ有していることに基づくと考えられる。
【0012】
上記の知見に基づき開発された本発明の葉緑体デンプン顆粒の染色剤は、下記(1)および(2)からなる群より選択される1つ以上の色素化合物を含む。
(1)発色団を有するモノカルボン酸およびその塩
(2)生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩となる化合物およびその塩
【0013】
本明細書において、色素化合物は水中において、特に、葉緑体内で発色するものを意味する。色素化合物としては、葉緑体内で発色を呈すればよく、例えば本発明の染色剤においては無色であってもよい。例えば、色素化合物は、水中でイオン化することにより発色するものであってもよく、生細胞内で、例えば酵素の作用により加水分解することによって発色するものであってもよい。
【0014】
色素化合物の発色は、発色団の発色性に基づく。本明細書において、「発色団」は発色性化合物における発色性を有する部分構造を含む残基である。発色団の発色のメカニズムは特に限定されないが、蛍光発光に基づくものであることが好ましい。すなわち、色素化合物は蛍光色素であることが好ましい。発色団としては、例えば、キサンテン系色素、アクリジン系色素、クマリン系色素、エチジウム系色素、フラビン系色素、またはその他の縮合芳香環系色素の発色団があげられる。これらのうち、含酸素縮合芳香環系色素の発色団が好ましく、特にキサンテン系色素の発色団が好ましい。キサンテン系色素の発色団としては、キサンテン骨格、キサンテノン骨格(6-ヒドロキシ-3H-キサンテン-3-オン骨格等)、ベンゾキサンテン骨格、ベンゾキサンテノン骨格、ジベンゾキサンテン骨格、ジベンゾキサンテノン骨格を含む発色団があげられる。
【0015】
モノカルボン酸はカルボキシ基を1つ含む化合物である。カルボキシ基は発色団にあってもよいが、色素化合物中のその他の部位にあってもよい。カルボキシ基を含む部位は発色団と異なる部位であることが好ましい。例えば色素化合物は発色団とカルボキシ基を含む部分構造とが直接結合した構造を有していればよい。
カルボキシ基は色素化合物中の芳香環への置換基に含まれていることが好ましく、芳香環に直接結合する置換基であることがより好ましい。芳香環はベンゼン環であることが好ましい。色素化合物は例えば、発色団にカルボキシフェニル基が結合した構造を有することが好ましく、発色団にオルトカルボキシフェニル基が結合した構造を有することがより好ましい。
【0016】
色素化合物は葉緑体デンプン顆粒を特異的に染色するために葉緑体内、または葉緑体を含む生細胞内の他の細胞小器官や成分への結合や複合体形成を促す部分構造を有していないことが好ましい。このような部分構造としては、イソシアネート基やイソチオシアネート基などがあげられる。また、上記の1つのカルボキシ基以外の酸性基(スルホン基、ホスホン基等)やアミノ基を有してないことが好ましい。
【0017】
色素化合物の分子量は色素化合物が発色性などの上述の性質を有する限り特に限定されないが250以上であることが好ましい。また、色素化合物が葉緑体のストロマに取り込まれることができるサイズである限り、分子量の上限も特にないが、1000程度が好ましい。色素化合物の分子量は、例えば280~600であることが好ましく、300~500であることがより好ましく、320~450であることがさらに好ましい。
【0018】
発色団を有するモノカルボン酸として好ましい例としては、以下の構造式で示すフルオレセイン(Fluorescein)をあげることができる。フルオレセインは既に様々な分野で蛍光色素として使用されており、安全性やコストの観点からも好ましい。
【0019】
【0020】
発色性を維持している限り上記構造におけるいずれか1つ以上の炭素原子に結合する水素原子が置換基に置き換えられたフルオレセイン誘導体も同様に用いることができる。このときの置換基としては、カルボキシ基は除かれる。また、置換基は酸性基ではないことが好ましい。好ましい置換基としては、ハロゲン原子(フッ素原子、塩素原子、臭素原子等)、水酸基、メチル基などがあげられる。また、水酸基はエステル化(アセチル化など)されていてもよい。
【0021】
色素化合物としては、生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩となる化合物を用いることもできる。このような化合物としては、生細胞内のpH条件下による構造変化、または生細胞内の酵素の作用による加水分解もしくは酸化還元反応によりモノカルボン酸を生じる構造を有する化合物があげられる。加水分解でモノカルボン酸を生じるエステル化合物はその一例である。生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩となる化合物の具体例としては、フルオレセインクロリドおよびフルオレセインジアセテートなどがあげられる。
【0022】
本発明の染色剤において、色素化合物は、上記のモノカルボン酸の塩または生細胞内で上記モノカルボン酸またはその塩を生じる化合物の塩であってもよい。塩としては、ナトリウム塩、カリウム塩などがあげられる。なお、本明細書において塩は溶液中や生細胞内でイオンとなっているものも含む意味である。
【0023】
さらに、色素化合物は上記モノカルボン酸もしくはその塩の溶媒和物または上記モノカルボン酸を生じる化合物もしくはその塩の溶媒和物であってもよい。
【0024】
本発明の染色剤は上記のいずれかの色素化合物のいずれか1種を含んでいても、2種以上を含んでいてもよい。
【0025】
色素化合物は、公知の方法により製造することができる。また、例えば、フルオレセイン、フルオレセインクロリド、およびフルオレセインジアセテート等の色素化合物は市販品を使用することもできる。
【0026】
<染色剤>
本発明の染色剤は少なくとも上記の色素化合物を含み、さらに他の成分を含んでいてもよい。染色剤は固体状態で提供され、使用時に溶液として使用してもよく、染色剤を溶液として提供することもできる。エタノール等の有機溶媒に高濃度で溶解した溶液で提供し、使用時に水で希釈して用いてもよい。
【0027】
本発明の染色剤は色素化合物以外の他の成分を含んでいてもよい。他の成分としては、安定化剤やpH調整剤などがあげられる。
【0028】
<葉緑体デンプン顆粒>
本発明の染色剤および染色方法を適用する葉緑体デンプン顆粒は、葉緑体内に存在していてもよく、また、単離されたものであってもよい。本発明の染色剤における色素化合物は葉緑体のストロマに取り込まれるため、本発明の染色剤を用いた方法は葉緑体内に存在する葉緑体デンプン顆粒の染色に特に好ましく用いることができる。また、本発明により、生細胞内の葉緑体デンプン顆粒も染色することも可能である。生細胞とは細胞膜に囲まれて原形質流動などの生命活動を行なっている細胞を意味する。また、本発明の染色剤は生育中の植物に直接適用し、葉緑体デンプン顆粒を染色することもできる。
【0029】
本発明の染色剤および染色方法は、葉緑体を有する光合成生物であればいずれの生物の葉緑体デンプン顆粒にも適用することができる。光合成生物としては、種子植物、シダ植物、コケ植物などがあげられる。各生物における部位も葉緑体を含み葉緑体デンプン顆粒が検出される可能性がある部位であれば特に限定されない。特に好ましい対象は種子植物における葉である。葉中の表皮細胞、孔辺細胞、葉肉細胞などのいずれの細胞中の葉緑体デンプン顆粒も本発明の染色剤で染色することができる。
【0030】
<染色方法>
染色方法は特に限定されない。1つの実施形態として、染色対象を染色剤溶液に浸漬する方法があげられる。生物から染色用の試料を作製して浸漬してもよく、生物全体を浸漬してもよい。例えば成育中の形態のままの生物を浸漬してもよい。染色剤溶液は試料調製時の切断面や葉の気孔から取り入れられ葉緑体に到達できる。
【0031】
浸漬に用いられる染色剤溶液は、水溶液であることが好ましい。色素化合物が水に難溶である場合は、色素化合物をまず、エタノールまたはDMSO(ジメチルスルホキシド)などの有機溶媒に溶解させてから、この溶液を水で希釈して、浸漬のための溶液としてもよい。染色用の溶液中の有機溶媒の濃度は生細胞への影響を考慮して10質量%以下が好ましく、5質量%以下がより好ましく、3質量%以下がさらに好ましい。
【0032】
染色剤溶液のpHは生細胞のpHと同様であることが好ましく、pH6.0~8.0程度であればよく、pH6.8~7.4であることがより好ましい。モノカルボン酸またはその塩であるか、または生体内でモノカルボン酸またはその塩となりうる構造を有する化合物はそれを含む溶液のpHにより、葉緑体への透過性や発色が異なるため、使用に際して、最適なpHを検討することが好ましい。
【0033】
染色剤溶液は、色素化合物を少なくとも1nM含むことにより葉緑体デンプン顆粒を染色することができる。すなわち。本発明の方法は低濃度の色素化合物で葉緑体デンプン顆粒を可視化することができる。色素化合物の上限は、例えばストロマ中で葉緑体デンプン顆粒が検出できる限り特に限定されないが、色素化合物が生細胞の構造や機能の与える影響のほか、浸漬のための溶液に含まれる有機溶媒の影響を考慮して決定され、通常5mM以下、好ましくは1mM以下であればよい。浸漬のための溶液中の色素化合物の濃度はすなわち、10nM~100μMが好ましく、0.1μM~50μMがより好ましい。
【0034】
本発明の染色剤を用いた方法では、短時間での染色が可能であり、浸漬時間は、1分~1時間程度であればよく、5分~15分であることが好ましい。
【0035】
染色方法の別の実施形態として、染色剤溶液を針なしの注射器等を介して生物に注入する方法もあげられる。このとき用いられる注射液における溶媒や色素化合物の濃度については、上記の浸漬のための溶液に関する記載を参照することができる。
【0036】
<観察方法>
染色された葉緑体デンプン顆粒は、染色剤において用いられる色素化合物の発色の性質に応じて観察することができる。例えば、色素化合物が蛍光色素である場合は、蛍光顕微鏡で観察することができる。蛍光顕微鏡の好ましい例としては共焦点レーザー顕微鏡があげられる。フルオレセインやフルオレセイン誘導体の多くは、480~500nmに極大値を有する波長の光で励起され500~550nmを極大値とする発光を示すため、それに応じた波長の光を照射し、それに応じた特定の範囲の波長の光を検出する手段を用いて観測することができる。生細胞を用いて観察を行なう場合は葉緑体に存在するクロロフィルの観測を同時に行い、両者を比較することにより、より詳細な解析が可能である。
【実施例0037】
以下に実施例を挙げて本発明をさらに具体的に説明する。以下の実施例に示す材料、試薬、物質量とその割合、操作等は本発明の趣旨から逸脱しない限り適宜変更することができる。従って、本発明の範囲は以下の実施例に限定されるものではない。
【0038】
<試料(シロイヌナズナ)の調製>
シロイヌナズナの種子を1/2強度のMS培地(ムラシゲスクーグ培地)に播種してから12日後に鉢植えに移植し、合計で12~20日齢(22℃で栽培)となった葉を染色実験で使用した。シロイヌナズナの葉をパンチ(夏目製作所、KN-291-2)で打ち抜き、直径2mmのリーフディスクを作製し、シリンジを使って脱気した。
【0039】
さらに、以下の手順で、葉緑体澱粉顆粒を蛍光検出可能とした形質転換体を作製し、同様にリーフディスクを作製した。
【0040】
シロイヌナズナのゲノムDNAを鋳型にしてGBSSI(Granule Bound Starch Synthase I、顆粒性澱粉合成酵素I)遺伝子断片をPCR法によって合成した(プライマー配列:Forward : 5’-AACCAATTCAGTCGACATGGCAACTGTGACTGCTA-3’(配列表の配列番号1), Reverse:5’-AAGCTGGGTCTAGATATCCCGGCGTCGCTACGTTCTC-3’(配列表の配列番号2))。GBSSI断片と、SalIとEcoRVを用いて制限酵素処理したpENTR1AとでIn-fusion反応(Clontech)を行い、エントリーベクターを作出した。エントリーベクター(pENTR1A-GBSSI)とtagRFP蛍光タンパク質をコードするpGWB560とを、また、pDONER207-RBCS1A(1-79aa)-tagRFP(Osaki & Kodama, 2017:PeerJ, 2017, 5:e3779)とバイナリーベクターのpGWB602とを用いてLR反応を行い、pGWB560-GBSSI, pGWB602Ω-RBCS-tagRFPを作出した。これらのベクターをアグロバクテリウム(pGWB560-GBSSIにはGV2260株、pGWB602Ω-RBCS-tagRFPにはGV3101株)にコールドショック法を用いて形質転換した。アグロバクテリウムを用いたシロイヌナズナへの形質転換では、フローラルディップ法(Clough & Bent, 1998:The Plant Journal, 1998, 16, 735-743)を行った。
【0041】
試料の観察時は、上記のように作製したリーフディスクを、染色剤に10分間浸漬した後、引き上げてスライドガラスに直接載せた。
【0042】
<染色剤(色素化合物の溶液)の調製>
フルオレセインは95%エタノールに溶解してストック溶液とし、水で希釈して、特に記載の無い例については、10μM溶液として使用した。
【0043】
<共焦点レーザー顕微鏡による観察>
観察には、共焦点レーザー顕微鏡SP8Xシステム、高感度蛍光検出器(HyD1、HyD3)および光電子増倍管(PMT2、PMT4)(Leica Microsystems, wetzlar, Germany)を用いた。2チャンネルを用いて観察する際は、ホワイトライトレーザー(WLL)を用いた488nmの単波長レーザーを励起光として、HyD1(500-550nm)で色素化合物の蛍光を取得し、HyD3(680-730nm)でクロロフィルの蛍光を取得した。また、3チャンネルを用いて観察する際は、WLLを用いた488nmの単波長レーザーを励起光として、HyD1(500-550nm)でフルオレセインの蛍光を取得し、555nmの単波長レーザーを励起光としてHyD3(570-630nm)でtagRFP(図中のFP(fluorescent protein)に対応)蛍光(マゼンタ)を取得し、555nmの単波長レーザーを励起光としてクロロフィル蛍光をPMT4(680-730nm)で取得した。さらに、葉緑体の自家蛍光を排除するために、time-gated imaging法(Kodama, Y., PLoS One 11, 1-8 (2016))を用いて観察した。
また、走査電子顕微鏡(SEM)は、TM3030 Miniscopeを使用した。
【0044】
葉緑体ストロマをRBCS1A(1-79aa)-tagRFP(Osaki & Kodama, 2017)で可視化したシロイヌナズナのリーフディスクを染色した試料を3チャンネルを用いて観察した結果を
図1に示す。図中、白い部分が蛍光が観察された部分(クロロフィルはマゼンタ、フルオレセインは緑)である。蛍光タンパク質によってストロマを染色した画像およびクロロフィルの蛍光が観測される箇所と比較したところ、ストロマの一部のみが染色されていることが分かった。さらに、葉緑体デンプン顆粒をGBSSI-tagRFPで可視化したシロイヌナズナのリーフディスクを染色した試料を3チャンネルを用いて観察した結果を
図2に示す。蛍光タンパク質によって葉緑体デンプン顆粒を染色した画像と比較したところ、フルオレセインは葉緑体デンプン顆粒を染色していることがわかった。
【0045】
さらに、シロイヌナズナの葉肉細胞、孔辺細胞、表皮細胞をそれぞれ観察した結果(
図3)から、フルオレセインは様々な細胞の葉緑体デンプン顆粒を染色して可視化することがわかった。
【0046】
シロイヌナズナ以外の植物として、タバコ、ゼニゴケ、ダイズ、イチゴ、トマト、カボチャについて染色試験を行なった。タバコは30~40日齢(25℃で栽培)のものの葉を使用した。ダイズ、イチゴ、トマト、カボチャは栃木県さくら市で栽培されていた葉を使用した。リーフディスクの作製および染色は、シロイヌナズナと同様の手順でフルオレセインを用いて行なった。ゼニゴケは無性芽を1/2強度のB5培地で1日間培養した後、無性芽を脱気せずに10μMのフルオレセイン溶液でシロイヌナズナと同様に染色し、2チャンネルを用いて観察した。結果を
図4に示す。
図4に示す結果より、フルオレセインは様々な植物種の葉緑体デンプン顆粒を染色することがわかる。
【0047】
<アルミ箔を利用した遮光実験>
1/2強度のMS培地に播種してから12日後に土に移植し、さらに20日間栽培したシロイヌナズナの1枚葉の半分をアルミ箔で覆い、1日間連続光下で栽培した。ヨウ素デンプン反応によって葉に含まれるデンプンを観察するため、半分をアルミ箔で覆った葉を切り取り、95%エタノールに1日間暗所で浸漬して脱色を行った。脱色後、ルゴール液(Sigma社、4倍希釈で使用)で脱色した葉を染色(30分間染色して滅菌水で1回洗浄)して、ヨウ素デンプン反応を行った。また、上記と同様の方法でアルミ箔で葉の半分を覆い、1日間連続光で栽培したのち、遮光している箇所としていない箇所とをパンチで切り抜き、フルオレセインで染色後に共焦点レーザー顕微鏡で観察した。(
図5(a))
【0048】
図5(a)の共焦点レーザー顕微鏡で観察した写真について、画像解析ソフトImageJ Fiji(https://imagej.net/software/fiji/)を用いて、蛍光顆粒の面積を定量した。Fijiで面積を測定する際、単位はピクセルで表示されるため、各画像の1ピクセルの実面積(μm
2)を計算した。次に、Fijiを用いて蛍光顆粒の面積(単位はピクセル)を測定した後、あらかじめ計算しておいた1ピクセルあたりの実面積(μm
2)の値を用いて、蛍光顆粒の面積(ピクセル)を実面積(μm
2)に換算した。この操作を遮光した葉と遮光しない葉の細胞内で観察されたデンプン顆粒に適用し(それぞれの観察区分で10個)、蛍光顆粒の面積を定量した(
図5(b))。遮光した細胞ではフルオレセイン蛍光顆粒由来の蛍光を示す面積が減少していることがわかる。
【0049】
図5(a)のに共焦点レーザー顕微鏡で観察した写真について、葉緑体あたりのフルオレセインの蛍光輝度を、Fijiを用いて定量した。まず画像内で葉緑体の箇所を区画するため、フルオレセインの画像を取得する時に同時に取得したクロロフィルの自家蛍光画像を用いて二値化処理を行い、葉緑体を区画した。二値化処理された葉緑体をwand toolを用いて囲い、その囲んだ図形をROI managerに登録した。その後、フルオレセインの蛍光画像上でROI managerに登録した図形(葉緑体を象っている)を呼び戻し、図形内部(ひとつの葉緑体あたり)の蛍光輝度を測定した。この操作を、遮光した葉と遮光しない葉の細胞内において、20個の葉緑体内部のフルオレセインの蛍光輝度を観察した。結果を
図6に示す。
図6より、フルオレセインは明暗に関係なく葉緑体に取り込まれていることがわかる。
【0050】
葉緑体ストロマをRBCS1A(1-79aa)-tagRFP(Osaki & Kodama, 2017)で可視化し、暗黒下に放置しデンプン顆粒が生じていないシロイヌナズナを用いて、3チャンネルを用いて観察した結果を
図7に示す。フルオレセインがストロマに集積していることが確認できる。フルオレセインはデンプン顆粒が生じていない生細胞においてはストロマに蓄積することがわかる。
【0051】
<葉緑体デンプンの単離>
Albi, T. et al, Bio-Protocol 4, (2014); Delrue, B. et al. J. Bacteriol. 174, 3612-3620 (1992)を参考にして葉緑体澱粉を単離した。600mgのシロイヌナズナの葉を乳鉢に入れ、液体窒素を入れて乳棒ですり潰し、パウダー状にした。その後、すぐにExtraction buffer(50mM HEPES-KOH pH7.5,1% Triton X-100)を1mL入れた。15mLファルコンチューブに漏斗を設置し、ミラクロスを二層にして漏斗にフィルターとして取り付けた。フィルター付き漏斗にシロイヌナズナの葉の破砕液を流し込んだ後、濾過液に、Percoll buffer(50mM HEPES-KOH pH7.5,50% Percoll:125mL)を5mL加え、4℃・800×gで5分間遠心した。上清を捨てて、Washing buffer(50mM HEPES-KOH pH7.5)を5mL加え、ペレットを懸濁し、4℃・800×gで5分間遠心した。このWashing bufferを用いた洗浄操作を3回繰り返した。その後、上清を取り除いて、ペレットを風乾させ、-20℃で保存した。
【0052】
単離したデンプンを観察する際は、ペレット上のデンプンに1μMのフルオレセイン溶液を加え、ピペッティングによって懸濁し、スライドガラスに直接載せた。観察結果を
図8に示す。フルオレセインが単離したデンプン顆粒を染色していることがわかる。
【0053】
単離したデンプン顆粒へのprofile解析(線を引いて、その線上の蛍光輝度を定量する解析)をImageJ Fijiを用いて行った。Fijiで、単離したデンプン顆粒をフルオレセインで染色した画像を開き、スケールバーを基準に、長さの単位をinchi(デフォルト)からμmに変換した。その後、画像上で、デンプン顆粒を横切るように線を引き、「plot profile」コマンドを実行して、線に沿った蛍光輝度を計測した。計測値をグラフにプロットすることで、profile解析が完了する。この操作を、3個のデンプン顆粒に対して行った。結果を
図9に示す。蛍光強度に2つのピークが確認できることから、フルオレセインはデンプン顆粒の表面に存在していることがわかる。
フルオレセインは葉緑体内に取り込まれデンプン顆粒の表面に吸着しているものと考えられる。
【0054】
さらに、精製したジャガイモデンプン(MPBio社)を、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。スライドガラスに置き、1μMのフルオレセインを加えて混合しカバーガラスで包埋したもので観察を行なった。結果を
図10に示す。デンプン粒子には、フルオレセイン蛍光が見られず、精製デンプンにはフルオレセインが吸着していないことがわかる。
【0055】
シロイヌナズナの野生型(WT)とともに葉緑体デンプン顆粒の個数と形状とが異なる変異体について、共焦点レーザー顕微鏡において2チャンネルを用いた測定を行なった。結果を
図11に示す。
図11からわかるように、デンプン顆粒の表面に吸着したフルオレセインによって、形状や個数を正確に捉えることができる。
【0056】
<フルオレセイン濃度の検討>
フルオレセイン濃度の異なる溶液を用いてシロイヌナズナのリーフディスクを染色した。共焦点レーザー顕微鏡において2チャンネルを用いた測定を行なった画像を
図12に示す。それぞれ左側が、フルオレセイン等の色素化合物の蛍光(緑)を観測したもの右側が色素化合物の蛍光(緑)を観測したものとクロロフィル蛍光(マゼンタ)を観察したものを重ねたものである。5mMフルオレセイン(47.5%エタノール)で染色した時、フルオレセインが液胞に取り込まれていた。これは、エタノールの影響で死細胞になったと考えられる。1mMフルオレセイン(9.5%エタノール)で染色した時、フルオレセインは葉緑体に取り込まれ、デンプン顆粒が可視化された。しかし、9.5%エタノールは、一般的に植物細胞に害を及ぼすとも考えられるため、フルオレセインを用いたデンプン顆粒の染色において、濃度は1mM以下が望ましい。また、フルオレセインの下限濃度は、表皮に位置する孔辺細胞の葉緑体を目安に評価した。1nMフルオレセインで染色した場合、わずかに孔辺細胞の葉緑体内部で蛍光が観察された。しかし、100pMでは、孔辺細胞の葉緑体内部では蛍光が観察されず、ノイズを多く取得した。したがって、フルオレセインを用いたデンプン顆粒の染色における下限の濃度は1nM程度である。
【0057】
<色素化合物の検討>
フルオレセインクロリド(Fluorescein chloride)、5-カルボキシフルオレセイン(5-CarboxyFluorescein)、スルホンフルオレセイン(SulfonFluorescein)、およびカルセイン(Calcein)の95%エタノール溶液を、水で希釈して10μM溶液として使用した。フルオレセインジアセテート(Fluorescein diacetate)は95%エタノール溶液を、水で希釈して1μM溶液として使用した。これらの溶液それぞれに、シロイヌナズナのリーフディスクを10分間に浸した後、引き上げてスライドガラスに直接載せ、共焦点レーザー顕微鏡で2チャンネルを用いて観察した。結果を
図13に示す。それぞれ左側が、フルオレセイン等の色素化合物の蛍光(緑)を観測したもの右側が色素化合物の蛍光(緑)を観測したものとクロロフィル蛍光(マゼンタ)を観察したものを重ねたものである。フルオレセイン、フルオレセインクロリド、フルオレセインジアセテートがそれぞれ葉緑体に取り込まれるとともに、葉緑体デンプン顆粒を特異的に染色している一方で、5-カルボキシフルオレセイン、スルホンフルオレセイン、およびカルセインは葉緑体に取り込まれていないことがわかる。
【0058】
別途行なった試験において、サリチル酸などのモノカルボン酸を競合させるとフルオレセインが葉緑体内に取り込まれなくなった。したがって、色素化合物中のカルボキシ基は色素化合物の葉緑体への取り込みに関与していると考えられる。一方、追加のカルボキシ基を2つもつフタル酸(ジカルボン酸)を競合させても、フルオレセインの輸送阻害は生じない。また、カルボキシ基を2つ持つ5-カルボキシフルオレセインやカルセインは取り込まれなかった。これらの結果から、葉緑体内への取り込みのためには、カルボキシ基が1個である構造が好ましいと考えられる。
本発明の染色剤を用いて、生細胞中の葉緑体デンプン顆粒を簡易な方法で短時間で可視化して観察することができる。本発明の染色剤を用いた方法により、葉緑体デンプン顆粒の数や形の解析に基づく植物の生理現象の解明が可能である。例えば、本発明の染色剤を用いて、実験植物のみならず多くの農作物の成長状況を確認することができる。