(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023160582
(43)【公開日】2023-11-02
(54)【発明の名称】鋼材
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20231026BHJP
C22C 38/60 20060101ALI20231026BHJP
C21D 8/02 20060101ALN20231026BHJP
C21D 8/06 20060101ALN20231026BHJP
C21D 8/10 20060101ALN20231026BHJP
C21D 9/08 20060101ALN20231026BHJP
【FI】
C22C38/00 301Z
C22C38/00 301F
C22C38/60
C21D8/02 C
C21D8/06 A
C21D8/10 C
C21D9/08 E
【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022071028
(22)【出願日】2022-04-22
(71)【出願人】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001553
【氏名又は名称】アセンド弁理士法人
(72)【発明者】
【氏名】富士 浩行
(72)【発明者】
【氏名】藤城 泰志
(72)【発明者】
【氏名】原 卓也
【テーマコード(参考)】
4K032
4K042
【Fターム(参考)】
4K032AA01
4K032AA02
4K032AA05
4K032AA08
4K032AA09
4K032AA11
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4K042AA06
4K042BA01
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4K042CA14
4K042DA01
4K042DA02
4K042DB07
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4K042DC03
4K042DD02
4K042DD03
4K042DD04
4K042DE02
(57)【要約】
【課題】高腐食サワー環境下において水素の鋼材への侵入を抑制できる鋼材を提供する。
【解決手段】本開示による鋼材は、化学組成が、質量%で、C:0.20~0.45%、Si:0.60~1.30%、Mn:0.02~1.00%、P:0.050%以下、S:0.0050%以下、Al:0.010~0.100%、N:0.0100%以下、Cr:0.10~3.00%、Mo:0.35~3.00%、Cu:0.01~0.50%、Ni:0.01~0.50%、Zr:0.0010~0.1000%、O:0.0050%以下、及び、残部がFe及び不純物からなる。
【選択図】
図3
【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、質量%で、
C:0.20~0.45%、
Si:0.60~1.30%、
Mn:0.02~1.00%、
P:0.050%以下、
S:0.0050%以下、
Al:0.010~0.100%、
N:0.0100%以下、
Cr:0.10~3.00%、
Mo:0.35~3.00%、
Cu:0.01~0.50%、
Ni:0.01~0.50%、
Zr:0.0010~0.1000%、
O:0.0050%以下、
Sb:0~0.50%、
Co:0~0.50%、
W:0~0.50%、
Ti:0~0.030%、
Nb:0~0.150%、
V:0~0.500%、
B:0~0.0030%、
Ca:0~0.0040%、
Mg:0~0.0040%、及び、
希土類元素:0~0.0040%、を含有し、
残部がFe及び不純物からなる、
鋼材。
【請求項2】
請求項1に記載の鋼材であってさらに、
次の式(1)で定義されるFn1が4.00以上である、
鋼材。
Fn1=(2.0×Si+0.3×Cu+0.9×Ni+Cr+1.2×Mo+8.0×Zr+5.0×Sb+5.0×Co)-(2.0×C+2.0×Mn) (1)
ここで、式(1)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
【請求項3】
請求項1又は請求項2に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Sb:0.01~0.50%、
Co:0.01~0.50%、
W:0.01~0.50%、
Ti:0.003~0.030%、
Nb:0.003~0.150%、
V:0.005~0.500%、
B:0.0003~0.0030%、
Ca:0.0003~0.0040%、
Mg:0.0003~0.0040%及び、
希土類元素:0.0003~0.0040%、
からなる群から選択される1種以上を含有する、
鋼材。
【請求項4】
請求項1に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用鋼管である、
鋼材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は鋼材に関し、さらに詳しくは、サワー環境で使用される鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
油井やガス井(以下、油井及びガス井を総称して「油井」という)の中には、腐食性物質を多く含有する環境がある。腐食性物質は例えば、硫化水素等の腐食性ガス等である。本明細書において、硫化水素を含有する環境を「サワー環境」という。サワー環境の温度は、井戸の深さにもよるが、常温~200℃程度である。本明細書において、常温とは、24±3℃を意味する。
【0003】
このようなサワー環境で使用される鋼材として、例えば、油井管として適用される、油井用鋼管がある。サワー環境で使用される鋼材では、腐食性物質との接触により、電気化学反応が起こり、鋼材表面に水素が発生する。この水素に起因して、鋼材に、硫化物応力腐食割れ(SSC)に代表される水素脆化割れが発生しやすい。特に、サワー環境のうち、H2S分圧が1bar以上の環境を、本明細書では「高腐食サワー環境」と定義する。
【0004】
高腐食サワー環境では、次のプロセスにより、鋼材中で水素脆化が発生すると考えられている。
図1は、鋼材の表面から鋼材の内部に水素が侵入するプロセスを説明するための模式図である。
図1を参照して、初めに、鋼材1が高腐食サワー環境中で腐食すると、鋼材1中のFeがFe
2+となって、環境中に溶解する。このとき、電子e
-が鋼材1の外部に放出される(A:腐食の発生)。環境中に存在する水素イオンH
+が、鋼材1から放出された電子e
-を受け取って還元され、吸着水素原子H
adとして鋼材1の表面に吸着する(B:水素イオンの吸着反応)。以上のメカニズムにより、鋼材1の表面には、複数の吸着水素原子H
adが存在する。これらの吸着水素原子H
adのほとんどは、吸着水素原子H
ad同士で結合して水素ガスH
2となり、鋼材1の表面から環境中に離脱する。しかしながら、鋼材1の表面に存在する複数の吸着水素原子H
adのうち、ごく一部の吸着水素原子H
adは、鋼材1の表面から鋼材1の内部に侵入して、侵入水素原子H
abとなる(C:水素の侵入)。そして、侵入水素原子H
abにより、鋼材中で水素脆化が発生する。
【0005】
高腐食サワー環境では、上述の水素の鋼材への侵入(侵入水素原子Hab)がより顕著になり、水素脆化割れが発生しやすい。そのため、高腐食サワー環境下で使用される鋼材では、水素の鋼材への侵入を抑制できる方が好ましい。
【0006】
高腐食サワー環境においても優れた耐SSC性が得られる鋼材が、国際公開第2017/150251号(特許文献1)、国際公開第2017/150252号(特許文献2)、及び、国際公開第2018/043570号(特許文献3)に提案されている。
【0007】
特許文献1及び特許文献2に開示された鋼材は、質量%で、C:0.15~0.45%又は0.45超~0.65%、Si:0.10~1.0%、Mn:0.10~0.90%未満、P:0.05%以下、S:0.01%以下、Al:0.01~0.1%、N:0.010%以下、Cr:0.1~2.5%、Mo:0.35~3.0%、Co:0.50~3.0%又は0.05~5.0%、Cu:0~0.5%、Ni:0~0.5%、Ti:0~0.03%、Nb:0~0.15%、V:0~0.5%、B:0~0.003%、Ca:0~0.004%、Mg:0~0.004%、Zr:0~0.004%、及び、希土類元素:0~0.004%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、式(1)及び式(2)を満たす化学組成を有し、ミクロ組織が体積率で90%以上の焼戻しマルテンサイトを含有する。式(1)及び式(2)は次のとおりである。
C+Mn/6+(Cr+Mo+V)/5+(Cu+Ni)/15-Co/6+α≧0.50 (1)
(3C+Mo+3Co)/(3Mn+Cr)≧1.0 (2)
有効B=B-11(N-Ti/3.4)/14 (3)
ここで、式(1)のαは、式(3)で定義される有効B(質量%)が0.0003%以上の場合は0.250であり、有効Bが0.0003%未満の場合は0である。式(1)~式(3)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0008】
特許文献1及び2では、高腐食サワー環境において高い強度と優れた耐SSC性とを得ることを目的とする。Coを含有し、かつ、上述の式(1)及び式(2)を満たすことにより、高腐食サワー環境下における高い強度と優れた耐SSC性とを両立できる、とこれらの文献には記載されている。
【0009】
特許文献3に開示された鋼材は、質量%で、C:0.15~0.45%、Si:0.10~1.0%、Mn:0.10~0.8%、P:0.050%以下、S:0.010%以下、Al:0.01~0.1%、N:0.010%以下、Cr:0.1~2.5%、Mo:0.35~3.0%、Co:0.05~2.0%、Ti:0.003~0.040%、Nb:0.003~0.050%、Cu:0.01~0.50%、Ni:0.01~0.50%、V:0~0.5%、B:0~0.003%、W:0~1.0%、Ca:0~0.004%、Mg:0~0.004%、及び、希土類元素:0~0.004%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、式(1)及び式(2)を満たす化学組成を有する。ミクロ組織の旧オーステナイト粒径は5μm未満である。ミクロ組織のブロック径は2μm未満である。ミクロ組織は合計で90体積%以上の焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトを含有する。式(1)及び式(2)は次のとおりである。
C+Mn/6+(Cr+Mo+V)/5+(Cu+Ni)/15-Co/6+α≧0.70 (1)
(3C+Mo+3Co)/(3Mn+Cr)≧1.0 (2)
有効B=B-11(N-Ti/3.4)/14 (3)
ここで、式(1)のαは、式(3)で定義される有効B(質量%)が0.0003%以上の場合は0.250であり、有効Bが0.0003%未満の場合は0である。式(1)~式(3)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0010】
特許文献3では、特許文献1の発明に対してさらに、旧オーステナイト粒とブロックとを微細化する。これにより、高腐食サワー環境下において優れた耐SSC性が得られる、と特許文献3には記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】国際公開第2017/150251号
【特許文献2】国際公開第2017/150252号
【特許文献3】国際公開第2018/043570号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
上述の特許文献1~3に開示された鋼材は、高腐食サワー環境下において、優れた耐SSC性を示す。ところで、上述の特許文献1~3では、耐SSC性について検討しているものの、高腐食サワー環境下における水素の鋼材への侵入の観点からの鋼材設計をしていない。上述のとおり、高腐食サワー環境においては、水素の鋼材への侵入をなるべく抑制できる方が好ましい。
【0013】
ところで、高腐食サワー環境下の鋼材では、時間の経過とともに、鋼材表面に腐食生成物皮膜が形成される。腐食生成物皮膜は、水素の鋼材への侵入を抑制する。ここで、高腐食サワー環境下において、鋼材の表面全体に腐食生成物皮膜が十分に形成されている状態を「定常状態」という。一方、高腐食サワー環境下において、鋼材の表面全体に腐食生成物皮膜が形成されていない状態、又は、腐食生成物皮膜の一部が剥がれた状態を、「非定常状態」という。
【0014】
上述のとおり、鋼材表面に腐食生成物皮膜が十分に形成された定常状態の場合、腐食生成物皮膜が、水素の鋼材への侵入を抑制する。一方、鋼材が非定常状態である場合、鋼材表面全体に腐食生成物皮膜が十分に形成されていない。鋼材が非定常状態である場合であっても、水素の鋼材への侵入を抑制できる方が好ましい。
【0015】
本開示の目的は、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の侵入を抑制できる鋼材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0016】
本開示による鋼材は、次の構成を有する。
【0017】
化学組成が、質量%で、
C:0.20~0.45%、
Si:0.60~1.30%、
Mn:0.02~1.00%、
P:0.050%以下、
S:0.0050%以下、
Al:0.010~0.100%、
N:0.0100%以下、
Cr:0.10~3.00%、
Mo:0.35~3.00%、
Cu:0.01~0.50%、
Ni:0.01~0.50%、
Zr:0.0010~0.1000%、
O:0.0050%以下、
Sb:0~0.50%、
Co:0~0.50%、
W:0~0.50%、
Ti:0~0.030%、
Nb:0~0.150%、
V:0~0.500%、
B:0~0.0030%、
Ca:0~0.0040%、
Mg:0~0.0040%、及び、
希土類元素:0~0.0040%、を含有し、
残部がFe及び不純物からなる、
鋼材。
【発明の効果】
【0018】
本開示による鋼材は、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の侵入を抑制できる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【
図1】
図1は、鋼材の表面から鋼材の内部に水素が侵入するプロセスを説明するための模式図である。
【
図2】
図2は、水素透過試験により得られる水素透過係数の経過グラフのイメージ図である。
【
図3】
図3は表1中の各鋼材のZr含有量と、水素透過係数の最大値Per
maxとの関係を示す図である。
【
図4】
図4は表1中の各鋼材のZr含有量と、水素透過係数の最大値Per
maxから水素透過係数Per
90を差し引いた値である差分ΔPerとの関係を示す図である。
【
図5】
図5は、水素透過試験に用いられる陰極チャージ水素透過試験装置の構成図である。
【
図6】
図6は、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内である鋼材における、Fn1と水素透過係数の最大値Per
maxとの関係を示す図である。
【
図7】
図7は、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内である鋼材における、Fn1と水素透過係数の差分ΔPerとの関係を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0020】
本発明者らは、H2S分圧が1bar以上の高腐食サワー環境においても、水素の侵入を抑制できる鋼材について、検討を行った。
【0021】
本発明者らは、初めに、高腐食サワー環境用途の鋼材として、化学組成の観点から検討した。その結果、本発明者らは、質量%で、C:0.20~0.45%、Si:0.60~1.30%、Mn:0.02~1.00%、P:0.050%以下、S:0.0050%以下、Al:0.010~0.100%、N:0.0100%以下、Cr:0.10~3.00%、Mo:0.35~3.00%、Cu:0.01~0.50%、Ni:0.01~0.50%、O:0.0050%以下、Sb:0~0.50%、Co:0~0.50%、W:0~0.50%、Ti:0~0.030%、Nb:0~0.150%、V:0~0.500%、B:0~0.0030%、Ca:0~0.0040%、Mg:0~0.0040%、希土類元素:0~0.0040%、及び、残部がFe及び不純物からなる化学組成の鋼材が適切であると考えた。以下、上述の化学組成を「基本化学組成」という。
【0022】
そこで、本発明者らは、基本化学組成の鋼材をベースとして、非定常状態の鋼材への水素の侵入をさらに抑制できる元素について検討を行った。その結果、本発明者らは、基本化学組成のFeの一部に代えて、Zrを含有すれば、非定常状態の鋼材への水素の侵入をさらに抑制できることを見出した。以下、この知見について説明する。
【0023】
[鋼材にZrを含有する効果について]
表1に示す化学組成の鋼材を準備した。
【0024】
【0025】
表1中の試験番号1は、上述の基本化学組成を満たす鋼材である。試験番号4、6及び8は、上述の基本化学組成を満たし、かつ、Feの一部に代えて、Zrを含有した鋼材である。試験番号1、4、6、8は、後述の実施例に記載の製造方法により製造した。試験番号1、4、6、8の鋼材に対して、後述の電気化学的水素透過法による水素透過係数の測定試験(以下、水素透過試験という)を実施して、試験開始からの水素透過係数の経時変化を求めた。なお、水素透過試験では、高腐食サワー環境での鋼材の使用を想定して、1barのH2Sガスを飽和した5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7とした試験液を用いた。
【0026】
水素透過係数が低いほど、鋼材への水素の侵入が抑制される。
図2は、水素透過試験により得られる水素透過係数の経時グラフのイメージ図である。
図2を参照して、通常、試験開始直後から、水素透過係数Perは急激に上昇する。そして、所定時間が経過した後、水素透過係数Perが時間の経過とともに低下する。つまり、水素透過係数Perの経時グラフでは、水素透過係数Perの最大値(ピーク値)が存在する。ここで、水素透過係数Perの経時グラフにおける水素透過係数Perの最大値を「Per
max」と定義する。
【0027】
水素透過試験において、試験開始後90時間経過時点の水素透過係数を「Per90」と定義する。水素透過係数Per90は、上述の「定常状態」における水素透過係数を意味する。つまり、鋼材表面全体に腐食生成物皮膜が十分に形成された状態での、水素透過係数を意味する。一方、水素透過係数Perの最大値Permaxは、上述の「非定常状態」における水素透過係数Perを意味する。つまり、鋼材表面全体に腐食生成物皮膜が十分に形成されていない状態での、水素透過係数を意味する。さらに、水素透過係数の最大値Permaxから水素透過係数Per90を差し引いた値を、差分ΔPerと定義する。
【0028】
最大値Permax及び差分ΔPerが小さければ、高腐食サワー環境下において、鋼材が非定常状態であっても、水素の侵入を十分に抑制できていることを意味する。例えば、油井管の施工で鋼管同士をねじ締めするとき、鋼管同士が接触して、鋼管の内面及び/又は内面に疵が生成し、腐食生成物皮膜の一部が剥離する場合がある。この場合、鋼管の表面が非定常状態となる。鋼管の表面が非定常状態となった場合であっても、最大値Permax及び差分ΔPerが小さければ、水素の鋼材への侵入を有効に抑制することができる。
【0029】
高腐食サワー環境下で使用される鋼材には、定常状態での水素の鋼材への侵入を抑制できるだけでなく、何らかの要因で腐食生成物皮膜の一部が剥がれて非定常状態となった場合であっても、水素の鋼材への侵入を抑制できる方が好ましい。つまり、高腐食サワー環境下で使用される鋼材では、水素透過係数の最大値Permax及び差分ΔPerが小さい方が好ましい。
【0030】
図3は、表1の各試験番号の鋼材でのZr含有量と、最大値Per
maxとの関係を示す図である。
図4は、表1の各試験番号の鋼材でのZr含有量と、差分ΔPerとの関係を示す図である。
図3及び
図4を参照して、化学組成中のZr以外の元素含有量が上述の範囲内である場合、Zr含有量の増加とともに、最大値Per
max及び差分ΔPerが顕著に低下する。
【0031】
以上の知見に基づいて、本発明者らは基本化学組成を有する鋼材において、Zrをさらに含有すれば、最大値Permax及び差分ΔPerを顕著に低下できると考えた。この理由は定かではないが、本発明者らは次のとおり考えている。Zrは腐食生成物皮膜を安定化させるというよりは、鋼材表面の吸着した水素の離脱の促進に寄与していると考えられる。そのため、Zrは特に、非定常状態の鋼材での水素の侵入を抑制し、その結果、最大値Permax及び差分ΔPerが低下すると考えられる。
【0032】
以上の知見に基づいて、本発明者らはさらに、上述の基本化学組成にさらにZrを含有する場合の、適切なZr含有量について検討を行った。その結果、上述の化学組成に、さらにZrを0.0010~0.1000%含有することにより、定常状態での水素の鋼材への侵入を抑制できるだけでなく、非定常状態においても、水素の鋼材への侵入を十分に抑制できることを見出した。
【0033】
上述したZrの作用とは異なる作用により、最大値Permax及び差分ΔPerが低下している可能性もある。しかしながら、上述の基本化学組成に、0.0010~0.1000%のZrを含有することにより、高腐食サワー環境下で非定常状態の場合に水素の鋼材への侵入が十分に抑制できることは、後述の実施例でも証明されている。
【0034】
以上の知見に基づいて完成した本実施形態による鋼材は、次の構成を有する。
【0035】
[1]
化学組成が、質量%で、
C:0.20~0.45%、
Si:0.60~1.30%、
Mn:0.02~1.00%、
P:0.050%以下、
S:0.0050%以下、
Al:0.010~0.100%、
N:0.0100%以下、
Cr:0.10~3.00%、
Mo:0.35~3.00%、
Cu:0.01~0.50%、
Ni:0.01~0.50%、
Zr:0.0010~0.1000%、
O:0.0050%以下、
Sb:0~0.50%、
Co:0~0.50%、
W:0~0.50%、
Ti:0~0.030%、
Nb:0~0.150%、
V:0~0.500%、
B:0~0.0030%、
Ca:0~0.0040%、
Mg:0~0.0040%、及び、
希土類元素:0~0.0040%、を含有し、
残部がFe及び不純物からなる、
鋼材。
【0036】
[2]
[1]に記載の鋼材であってさらに、
次の式(1)で定義されるFn1が4.00以上である、
鋼材。
Fn1=(2.0×Si+0.3×Cu+0.9×Ni+Cr+1.2×Mo+8.0×Zr+5.0×Sb+5.0×Co)-(2.0×C+2.0×Mn) (1)
ここで、式(1)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
【0037】
[3]
[1]又は[2]に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Sb:0.01~0.50%、
Co:0.01~0.50%、
W:0.01~0.50%、
Ti:0.003~0.030%、
Nb:0.003~0.150%、
V:0.005~0.500%、
B:0.0003~0.0030%、
Ca:0.0003~0.0040%、
Mg:0.0003~0.0040%及び、
希土類元素:0.0003~0.0040%、
からなる群から選択される1種以上を含有する、
鋼材。
[4]
[1]に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用鋼管である、
鋼材。
【0038】
本明細書において、「油井用鋼管」は、油井用途に利用される鋼管を意味する。油井用鋼管は例えば、油井又はガス井の掘削、原油又は天然ガスの採取等に用いられるケーシング、チュービング、ドリルパイプの総称を意味する。本実施形態の鋼材が鋼管である場合、好ましくは、継目無鋼管である。
【0039】
以下、本実施形態の鋼材について詳述する。元素に関する「%」は、特に断りがない限り、質量%を意味する。
【0040】
[化学組成]
本実施形態の鋼材の化学組成は、次の元素を含有する。
【0041】
C:0.20~0.45%
炭素(C)は、焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Cはさらに、炭化物又は炭窒化物(炭窒化物等)を形成し、鋼材の強度を高める。C含有量が0.20%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、C含有量が0.45%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の靱性が低下する。また、Cは水素侵入促進元素である。そのため、C含有量が0.45%を超えればさらに、過剰な炭窒化物等が生成しやすくなる。腐食サワー環境下において、炭窒化物等が鋼材の表層に存在すれば、炭窒化物等が存在する領域の電気抵抗は、炭窒化物等が存在しない領域よりも低くなる。そのため、鋼材表面が電気化学的に活性となり、鋼材表面に水素が発生しやすくなる。その結果、水素の鋼材への侵入が促進される。
したがって、C含有量は0.20~0.45%である。
C含有量の好ましい下限は0.21%であり、さらに好ましくは0.22%であり、さらに好ましくは0.23%であり、さらに好ましくは0.24%であり、さらに好ましくは0.25%である。
C含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.38%であり、さらに好ましくは0.36%であり、さらに好ましくは0.34%である。
【0042】
Si:0.60~1.30%
シリコン(Si)は鋼を脱酸する。Siはさらに、水素侵入抑制元素であり、鋼材の耐水素脆性を高める。Si含有量が0.60%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Si含有量が1.30%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の延性が低下する。
したがって、Si含有量は0.60~1.30%である。
Si含有量の好ましい下限は0.65%であり、さらに好ましくは0.68%であり、さらに好ましくは0.72%であり、さらに好ましくは0.76%である。
Si含有量の好ましい上限は1.28%であり、さらに好ましくは1.26%であり、さらに好ましくは1.24%であり、さらに好ましくは1.20%であり、さらに好ましくは1.18%であり、さらに好ましくは1.16%である。
【0043】
Mn:0.02~1.00%
マンガン(Mn)は鋼を脱酸する。Mnはさらに、焼入れ性を高めて鋼材の強度を高める。Mn含有量が0.02%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Mnは水素侵入促進元素である。Mn含有量が1.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Mn硫化物が過剰に生成してしまう。Mn硫化物は孔食の起点となる。そのため、Mn硫化物が過剰に生成すれば、腐食速度が速まる。その結果、水素の鋼材への侵入が促進される。
したがって、Mn含有量は0.02~1.00%である。
Mn含有量の好ましい下限は0.05%であり、さらに好ましくは0.10%であり、さらに好ましくは0.15%であり、さらに好ましくは0.20%である。
Mn含有量の好ましい上限は0.90%であり、さらに好ましくは0.80%であり、好ましくは、0.70%であり、さらに好ましくは0.60%である。
【0044】
P:0.050%以下
燐(P)は、不可避に含有される不純物である。つまり、P含有量は0%超である。
Pは、Sと同様に、結晶粒界に偏析する。P含有量が0.050%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Pが結晶粒界に偏析して鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、P含有量は0.050%以下である。
P含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、P含有量を過剰に低減すれば、製造コストが高くなる。したがって、工業生産を考慮すれば、P含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%であり、さらに好ましくは0.003%である。
P含有量の好ましい上限は0.040%であり、さらに好ましくは0.035%であり、さらに好ましくは0.030%であり、さらに好ましくは0.025%であり、さらに好ましくは0.020%である。
【0045】
S:0.0050%以下
硫黄(S)は、不可避に含有される不純物である。つまり、S含有量は0%超である。
SはPと同様に、結晶粒界に偏析する。S含有量が0.0050%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Sが結晶粒界に偏析して鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、S含有量は0.0050%以下である。
S含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、S含有量を過剰に低減すれば、製造コストが高くなる。したがって、工業生産を考慮すれば、S含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%である。
S含有量の好ましい上限は0.0040%であり、さらに好ましくは0.0030%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0020%である。
【0046】
Al:0.010~0.100%
アルミニウム(Al)は鋼を脱酸する。Al含有量が0.010%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、この効果が得られない。
一方、Al含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な酸化物が生成する。その結果、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Al含有量は0.010~0.100%である。
Al含有量の好ましい下限は0.015%であり、さらに好ましくは0.020%であり、さらに好ましくは0.025%である。
Al含有量の好ましい上限は0.080%であり、さらに好ましくは0.070%であり、さらに好ましくは0.065%であり、さらに好ましくは0.040%である。
本明細書でいうAl含有量は、sol.Al(酸可溶Al)の含有量を意味する。
【0047】
N:0.0100%以下
窒素(N)は、不可避に含有される。つまり、N含有量は0%超である。N含有量が0.0100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、窒化物が粗大になり、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、N含有量は0.0100%以下である。
N含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、N含有量を過剰に低減すれば、製造コストが高くなる。したがって、工業生産を考慮すれば、N含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0020%である。
N含有量の好ましい上限は0.0080%であり、さらに好ましくは0.0070%であり、さらに好ましくは0.0065%であり、さらに好ましくは0.0060%である。
【0048】
Cr:0.10~3.00%
クロム(Cr)は、鋼材の焼入れ性を高める。Crはさらに、水素侵入抑制元素である。具体的には、Crは腐食生成物皮膜を安定化して、水素の侵入を抑制する。その結果、鋼材の耐水素脆性を高める。Cr含有量が0.10%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Cr含有量が3.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の硬さが過剰に高くなり、鋼材の耐水素脆性が低下する。また、鋼材の溶接性も低下する。
したがって、Cr含有量は0.10~3.00%である。
Cr含有量の好ましい下限は0.30%であり、さらに好ましくは0.45%であり、さらに好ましくは0.60%であり、さらに好ましくは0.80%であり、さらに好ましくは0.90%である。
Cr含有量の好ましい上限は2.50%であり、さらに好ましくは2.00%であり、さらに好ましくは1.90%であり、さらに好ましくは1.80%であり、さらに好ましくは1.70%であり、さらに好ましくは1.50%である。
【0049】
Mo:0.35~3.00%
モリブデン(Mo)は、高腐食サワー環境において、鋼材表面に形成される腐食生成物皮膜を安定化して、水素が鋼材に侵入するのを抑制する。Moはさらに、微細な析出物を生成して、鋼の焼戻し軟化抵抗を高め、鋼の強度を高める。Mo含有量が0.35%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Mo含有量が3.00%を超えれば、上記効果が飽和する。
したがって、Mo含有量は0.35~3.00%である。
Mo含有量の好ましい下限は0.37%であり、さらに好ましくは0.40%であり、さらに好ましくは0.42%である。
Mo含有量の好ましい上限は2.50%であり、さらに好ましくは2.00%であり、さらに好ましくは1.50%である。
【0050】
Cu:0.01~0.50%
銅(Cu)は高腐食サワー環境下において、腐食生成物皮膜と母材との界面に濃化して、母材の表面活性を抑制し、水素が鋼材に侵入するのを抑制する。Cuはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Cu含有量が0.01%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Cu含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Cuが鋼材中に析出する。析出したCuは水素をトラップしやすい。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Cu含有量は0.01~0.50%である。
Cu含有量の好ましい下限は0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。
Cu含有量の好ましい上限は0.49%であり、さらに好ましくは0.45%であり、さらに好ましくは0.40%であり、さらに好ましくは0.35%である。
【0051】
Ni:0.01~0.50%
ニッケル(Ni)は、高腐食サワー環境下において、腐食生成物皮膜と母材との界面に濃化して、母材の表面活性を抑制し、水素が鋼材に侵入するのを抑制する。Niはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Ni含有量が0.01%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Ni含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、局部腐食が進行しやすくなり、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Ni含有量は0.01~0.50%である。
Ni含有量の好ましい下限は0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。
Ni含有量の好ましい上限は0.49%であり、さらに好ましくは0.48%であり、さらに好ましくは0.45%である。
【0052】
Zr:0.0010~0.1000%
ジルコニウム(Zr)は、水素の鋼材への侵入を抑制し、鋼材の耐水素脆性を高める。Zrは特に、非定常状態の鋼材への水素の侵入を抑制する。Zr含有量が0.0010%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。
一方、Zr含有量が0.1000%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の耐水素脆性が飽和する。さらに、製造コストが高くなる。
したがって、Zr含有量は0.0010~0.1000%である。
Zr含有量の好ましい下限は0.0030%であり、さらに好ましくは0.0050%であり、さらに好ましくは0.0060%であり、さらに好ましくは0.0080%であり、さらに好ましくは0.0100%である。
Zr含有量の好ましい上限は0.0800%であり、さらに好ましくは0.0700%であり、さらに好ましくは0.0600%であり、さらに好ましくは0.0550%である。
【0053】
O:0.0050%以下
酸素(O)は不純物である。すなわち、O含有量の下限は0%超である。O含有量が0.0050%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な酸化物が形成し、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、O含有量は0.0050%以下である。
O含有量はなるべく低い方が好ましい。ただし、O含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、O含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。
O含有量の好ましい上限は0.0040%であり、さらに好ましくは0.0030%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0020%である。
【0054】
本実施形態による鋼材の化学組成の残部は、Fe及び不純物からなる。ここで、化学組成における不純物とは、鋼材を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、又は製造環境などから混入されるものであって、本実施形態による鋼材に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0055】
[任意元素(Optional Elements)]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、
Feの一部に代えて、
Sb:0~0.50%、
Co:0~0.50%、
W:0~0.50%、
Ti:0~0.030%、
Nb:0~0.150%、
V:0~0.500%、
B:0~0.0030%、
Ca:0~0.0040%、
Mg:0~0.0040%、及び、
希土類元素:0~0.0040%、
からなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。
以下、これらの任意元素について説明する。
【0056】
[第1群(Sb、Co及びW)について]
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Sb、Co及びWからなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素は任意元素である。これらの元素はいずれも、鋼材に水素が侵入するのを抑制する。以下、Sb、Co及びWについて説明する。
【0057】
Sb:0~0.50%
アンチモン(Sb)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Sb含有量は0%であってもよい。含有される場合、Sbは、水素侵入抑制元素として機能する。具体的には、Sbは、高腐食サワー環境下において水素の鋼材への侵入を抑制し、耐水素脆性を高める。Sbが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Sb含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の熱間加工性が低下する。
したがって、Sb含有量は0~0.50%である。
Sb含有量の好ましい下限は、0.01%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。
Sb含有量の好ましい上限は、0.48%であり、さらに好ましくは0.45%であり、さらに好ましくは0.43%であり、さらに好ましくは0.40%である。
【0058】
Co:0~0.50%
コバルト(Co)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Co含有量は0%であってもよい。含有される場合、Coは、水素侵入抑制元素として機能する。具体的には、Coは、高腐食サワー環境下において、腐食生成物皮膜と母材との界面に濃化して、母材の表面活性を抑制し、水素が鋼材に侵入するのを抑制する。Coはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Coが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Co含有量が0.50%を超えれば、その効果は飽和する。
したがって、Co含有量は0~0.50%である。
Co含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.08%である。
Co含有量の好ましい上限は0.48%であり、さらに好ましくは0.45%であり、さらに好ましくは0.43%である。
【0059】
W:0~0.50%
タングステン(W)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、W含有量は
0%であってもよい。含有される場合、Wは、水素侵入抑制元素として機能する。具体的には、Wは、鋼材の表面の腐食被膜を形成する。これにより、鋼材の水素の侵入が抑制される。そのため、鋼材の耐水素脆性が高まる。Wが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、W含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な炭化物が生成する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、W含有量は0~0.50%である。
W含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.08%である。
W含有量の好ましい上限は0.45%であり、さらに好ましくは0.35%であり、さらに好ましくは0.25%であり、さらに好ましくは0.20%である。
【0060】
[第2群(Ti、Nb、V)について]
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Ti、Nb、Vからなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素は任意元素である。これらの元素はいずれも、析出物を生成して、鋼の強度を高める。以下、Ti、Nb及びVについて説明する。
【0061】
Ti:0~0.030%
チタン(Ti)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ti含有量は0%であってもよい。含有される場合、Tiは、C及び/又はNと結合して炭窒化物等を形成する。これらの炭窒化物等は、ピンニング効果により結晶粒を微細化して、鋼材の強度を高める。Tiが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Ti含有量が0.030%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Ti窒化物等が粗大化する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Ti含有量は0~0.030%である。
Ti含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%である。
Ti含有量の好ましい上限は0.025%であり、さらに好ましくは0.020%であり、さらに好ましくは0.015%であり、さらに好ましくは0.010%である。
【0062】
Nb:0~0.150%
ニオブ(Nb)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Nb含有量は0%であってもよい。含有される場合、Nbは、C及び/又はNと結合して炭窒化物等を形成する。これらの炭窒化物等は、ピンニング効果により結晶粒を微細化して、鋼材の強度を高める。Nbが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Nb含有量が0.150%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Nb炭窒化物等が粗大化する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Nb含有量は0~0.150%である。
Nb含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.003%であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.007%である。
Nb含有量の好ましい上限は0.120%であり、さらに好ましくは0.090%であり、さらに好ましくは0.060%であり、さらに好ましくは0.050%であり、さらに好ましくは0.030%であり、さらに好ましくは0.020%である。
【0063】
V:0~0.500%
バナジウム(V)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、V含有量は0%であってもよい。含有される場合、Vは、C及び/又はNと結合して炭窒化物等を形成する。これらの炭窒化物は、ピンニング効果により結晶粒を微細化して、鋼材の強度を高める。Vが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、V含有量が0.500%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の靭性が低下する。
したがって、V含有量は0~0.500%である。
V含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.010%であり、さらに好ましくは0.015%であり、さらに好ましくは0.020%である。
V含有量の好ましい上限は0.400%であり、さらに好ましくは0.300%であり、さらに好ましくは0.200%であり、さらに好ましくは0.150%であり、さらに好ましくは0.120%である。
【0064】
[第3群(B)について]
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Bを含有してもよい。
B:0~0.0030%
ボロン(B)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、B含有量は0%であってもよい。含有される場合、Bは鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Bが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、B含有量が0.0030%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大なB窒化物が生成する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、B含有量は0~0.0030%である。
B含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0008%である。
B含有量の好ましい上限は0.0028%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0023%である。
【0065】
[第4群(Ca、Mg、希土類元素(REM)について)]
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Ca、Mg、希土類元素(REM)からなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素は任意元素である。これらの元素はいずれも、Mn硫化物を微細化して鋼材の耐水素脆性を高める。
【0066】
Ca:0~0.0040%
カルシウム(Ca)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ca含有量は0%であってもよい。含有される場合、Caは、鋼中のSと結合してMn硫化物を微細化する。これにより、鋼材の耐水素脆性が高まる。Caが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Ca含有量が0.0040%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Ca含有量は0~0.0040%である。
Ca含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。
Ca含有量の好ましい上限は0.0030%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0020%であり、さらに好ましくは0.0015%である。
【0067】
Mg:0~0.0040%
マグネシウム(Mg)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Mg含有量は0%であってもよい。含有される場合、Mgは、鋼材中のMn硫化物を微細化して、鋼材の耐水素脆性を高める。Mgが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、Mg含有量が0.0040%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、Mg含有量は0~0.0040%である。
Mg含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。
Mg含有量の好ましい上限は0.0030%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0020%であり、さらに好ましくは0.0015%である。
【0068】
希土類元素:0~0.0040%
希土類元素(REM)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、REM含有量は0%であってもよい。含有される場合、REMは、鋼材中のMn硫化物を微細化して、鋼材の耐水素脆性を高める。REMが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。
しかしながら、REM含有量が0.0040%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化する。そのため、鋼材の耐水素脆性が低下する。
したがって、REM含有量は0~0.0040%である。
REM含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%である。
REM含有量の好ましい上限は0.0032%であり、さらに好ましくは0.0028%であり、さらに好ましくは0.0026%であり、さらに好ましくは0.0024%である。
【0069】
本明細書におけるREMは、原子番号21のスカンジウム(Sc)、原子番号39のイットリウム(Y)、及び、ランタノイド(原子番号57番のランタン(La)~原子番号71番のルテチウム(Lu))の少なくとも1元素以上を含有し、REM含有量は、これらの元素の合計含有量を意味する。
【0070】
[本実施形態の鋼材の効果]
本実施形態の鋼材では、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の鋼材への侵入を抑制できる。ここで、「高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の鋼材への侵入を抑制できる」とは、1barのH2Sガスを飽和した5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7とした試験液を用いた水素透過試験で得られた、水素透過係数の最大値Permaxが8.25μA/cm以下であり、さらに、差分ΔPerが2.70μA/cm以下であることを意味する。
【0071】
[水素透過係数の測定方法]
高腐食サワー環境下での水素の鋼材への侵入量の指標である、水素透過係数Per
90及び、差分ΔPerは、次の方法で測定できる。
水素透過係数Per
90の測定には、
図5に示すダブルセル型の陰極チャージ水素透過試験装置10を用いる。
【0072】
鋼材が鋼管である場合、肉厚中央部から試験片11を採取する。鋼材が鋼板である場合、板厚中央部から試験片11を採取する。鋼材が丸鋼(棒鋼)である場合、圧延方向に垂直な断面における中心部から試験片11を採取する。試験片11のサイズは特に限定されない。例えば、厚さL11が0.1cm(1mm)、直径25mmの円板状の試験片11であってもよいし、板状の試験片であってもよい。
【0073】
図5の陰極チャージ水素透過試験装置10は、水素侵入側セル20と、水素検出側セル30とを備える。試験片11を、水素侵入側セル20と、水素検出側セル30との間に挟み、固定する。5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH
3COOHとの混合水溶液(NACE A液)であって、pHを2.7に調整した試験液21を準備する。水素侵入側セル20に、試験液21を注入する。このとき、試験液21の液面が、ガス供給排出装置22のガス排出配管222の下端よりも低い位置となるようにし、かつ、ガス供給排出装置22のガス供給配管221の下端よりも高い位置となるようにする。試験液21を水素侵入側セル20に注入した後、水素侵入側セル20内を、高純度のArで1時間以上脱気する。脱気後、ガス供給排出装置22のガス供給配管221から、試験ガス(1barのH
2Sガス)を試験液21に30分以上通気し、飽和させる。1barのH
2Sが飽和した試験液21を、「高腐食試験液」21という。試験時の高腐食試験液21を常温(24±3℃)に保持し、水素侵入側セル20を密閉状態とする。水素侵入側セル20の参照電極REを飽和KCl銀塩化銀参照電極とする。また、水素検出側セル30に、0.1N(0.1規定)のNaOH水溶液31を注入する。水素検出側セル30の対極CEを白金とし、参照電極REを飽和KCl銀塩化銀参照電極とする。なお、試験片11において、高腐食試験液21と接触している面積A11を、試験面積A11と定義する。試験面積A11は例えば、2.3cm
2である。試験片11において、0.1N(0.1規定)のNaOH水溶液31に接している面積は、試験面積A11以上とする。また、水素侵入側セル20、水素検出側セル30ともに、比液量は30mL/cm
2以上とする。
【0074】
試験片11を自然浸漬中に自発的に進行する腐食反応により、試験片11の表面のうち、水素侵入側セル20側の表面において水素を発生させる。発生した水素の一部は、侵入水素原子Habとして試験片11を透過して、水素検出側セル30内で水素イオンに酸化される。このときの酸化電流値をポテンショスタッド40で測定する。水素検出側セル30では、試験片11を参照電極(飽和KCl銀塩化銀参照電極)REに対して+0.148Vに定電位保持して、透過した水素元素(侵入水素原子Hab)を水素イオンに酸化する。測定された酸化電流値を試験面積A11(2.3cm2)で除して、水素透過電流J(μA/cm2)を求める。そして、水素透過電流Jに試験片の厚さL11(0.1cm)を乗じて、水素透過係数Per(μA/cm)を求める。なお、試験の間、高腐食試験液21にガス供給排出装置22のガス供給配管221から試験ガス(1barのH2Sガス)を10mL/分程度の流量で通気して、飽和を維持する。
【0075】
試験片11に高腐食試験液21及びNaOH水溶液31を接触させた後、試験開始からの水素透過係数Perを経時的に測定し、
図2に示す水素透過係数Perの経時グラフを作成する。試験開始から90時間経過後、試験を終了する。
【0076】
作成された水素透過係数の経時グラフにおいて、試験開始から90時間経過時点の水素透過係数Per90(μA/cm)を求める。さらに、水素透過係数Perの最大値Permax(μA/cm)を求める。求めた最大値Permaxから水素透過係数Per90を差し引いて、差分ΔPer(μA/cm)を求める。
【0077】
上述のとおり、本実施形態における鋼材では、1barのH2Sガスを飽和した5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7とした試験液を用いた水素透過試験で得られた、水素透過係数の最大値Permaxが8.25μA/cm以下であり、差分ΔPerが2.70μA/cm以下である。
【0078】
[本実施形態の好ましい形態]
好ましくは、本実施形態の鋼材の化学組成ではさらに、次の式(1)で定義されるFn1が4.00以上である。
Fn1=(2.0×Si+0.3×Cu+0.9×Ni+Cr+1.2×Mo+8.0×Zr+5.0×Sb+5.0×Co)-(2.0×C+2.0×Mn) (1)
【0079】
図6は、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内である鋼材における、Fn1と水素透過係数の最大値Per
maxとの関係を示す図である。
図7は、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内である鋼材における、Fn1と水素透過係数の差分ΔPerとの関係を示す図である。
図6及び
図7は、後述の実施例で得られた結果により作成した。
【0080】
図6及び
図7を参照して、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内である場合、Fn1の増加とともに、最大値Per
max及び差分ΔPerが顕著に低下する。そして、Fn1が4.00以上であれば、最大値Per
maxが6.50μA/cm以下になり、差分ΔPerが1.00μA/cm以下になる。そのため、Fn1が4.00以上であれば、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の鋼材への侵入をさらに抑制できる。
【0081】
Fn1のさらに好ましい下限は、4.50である。
図6及び
図7を参照して、Fn1が4.50以上になると、Fn1が増加しても、最大値Per
max及び差分ΔPerはそれほど低下しない。つまり、
図6及び
図7のグラフでは、Fn1=4.50近傍に変曲点が存在する。したがって、さらに好ましくは、本実施形態の鋼材の化学組成では、Fn1が4.50以上である。この場合、水素透過係数の最大値Per
maxは6.10μA/cm以下になり、差分ΔPerは0.75μA/cm以下になる。そのため、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の鋼材への侵入をさらに抑制できる。
【0082】
Fn1のさらに好ましい下限は4.60である。この場合、水素透過係数の最大値Permaxは6.00μA/cm以下になり、差分ΔPerは0.60μA/cm以下になる。そのため、高腐食サワー環境下で非定常状態であっても、水素の鋼材への侵入を顕著に抑制できる。Fn1のさらに好ましい下限は4.70であり、さらに好ましくは4.80であり、さらに好ましくは4.90である。
【0083】
[ミクロ組織(Microstructure)について]
本実施形態の鋼材のミクロ組織は、特に限定されない。本実施形態の鋼材の化学組成の各元素含有量が上述の範囲内であれば、電気化学的作用に基づいて、水素の鋼材への侵入を抑制することができる。
【0084】
なお、本実施形態の化学組成の鋼材のミクロ組織は例えば、主として、フェライト、パーライト、マルテンサイト及びベイナイトの1種以上からなり、残部は残留オーステナイト、及び/又はM-A(Martensite-Austenite Constituent)である。ここで、マルテンサイトは焼戻しマルテンサイトも含む。また、ベイナイトは焼戻しベイナイトも含む。主としてフェライト、パーライト、マルテンサイト及びベイナイトの1種以上からなるとは、フェライト、パーライト、マルテンサイト及びベイナイトの総面積率が80%以上であることを意味する。
【0085】
ただし、本実施形態の鋼材における特徴である、水素の鋼材への侵入の抑制は、上述のとおり化学組成に大きく依存し、ミクロ組織はほとんど影響しない。そのため、本実施形態の鋼材のミクロ組織は特に限定されない。
【0086】
なお、本実施形態の鋼材が高い強度を求められる場合、好ましくは、鋼材のミクロ組織では、マルテンサイト及びベイナイトの総面積率が80%であり、さらに好ましくは90%であり、さらに好ましくは95%である。
【0087】
[マルテンサイト及びベイナイトの総面積率の測定方法について]
ミクロ組織中のマルテンサイト及びベイナイトの総面積率は、周知のミクロ組織観察により求めることができる。
鋼材の厚さ中央部から、試験片を採取する。厚さ中央部とは、鋼材が鋼管である場合、肉厚中央部であり、鋼材が鋼板である場合、板厚中央部であり、鋼材が丸鋼(棒鋼)である場合、圧延方向に垂直な断面における中心部である。試験片の観察面は例えば、10mm×10mmとする。観察面は鋼材の圧延方向に垂直な断面とする。
【0088】
試験片の観察面を鏡面に研磨する。研磨後の観察面をナイタール腐食液に10秒程度浸漬して、エッチングによる組織現出を行う。エッチングした観察面を、走査電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)を用いて、二次電子像にて10視野観察する。視野面積は、例えば、10000μm2(倍率1000倍)である。
【0089】
各視野において、マルテンサイト及びベイナイトと、その他の組織(フェライト、パーライト等)とは、形態から区別できる。具体的には、ラメラ組織を有する組織はパーライトと特定でき、ラスやレンズを含む組織はマルテンサイト及びベイナイトと特定でき、粒内に下部組織がない組織はフェライトと特定できる。各視野において、マルテンサイト及びベイナイトを特定する。10視野の総面積と、特定されたマルテンサイト及びベイナイトの総面積とに基づいて、マルテンサイト及びベイナイトの総面積率(%)を求める。
【0090】
[降伏強度]
本実施形態の鋼材の降伏強度は特に限定されない。
好ましい降伏強度は655MPa以上(95ksi以上)である。降伏強度の好ましい下限は758MPa(110ksi)である。降伏強度の上限は特に限定されないが、上述の化学組成の場合、降伏強度の上限は例えば、862MPa未満である。
【0091】
本明細書において、降伏強度は、ASTM E8/E8M(2021)に準拠した常温(24±3℃)での引張試験により得られた、0.2%オフセット耐力(MPa)を意味する。
【0092】
[降伏強度の測定方法]
降伏強度は、次の方法で測定する。具体的には、ASTM E8/E8M(2021)に準拠して、引張試験を行う。具体的には、鋼材から、引張試験片を採取する。引張試験片のサイズは特に限定されない。引張試験片は例えば、平行部径が6.0mm、標点距離が30.0mmの丸棒引張試験片とする。
鋼材が鋼管である場合、肉厚中央部から引張試験片を採取する。この場合、引張試験片の長手方向は、鋼管の管軸方向と平行とする。鋼材が鋼板である場合、板厚中央部から引張試験片を採取する。この場合、引張試験片の長手方向は、鋼板の圧延方向と平行とする。鋼材が丸鋼である場合、R/2部から引張試験片を採取する。本明細書において、丸鋼とは、軸方向に垂直な断面が円形状の棒鋼を意味する。R/2部とは、丸鋼の圧延方向に垂直な断面における半径Rの中心部を意味する。引張試験片の長手方向は、丸鋼の軸方向と平行である。
採取した引張試験片を用いて、常温(24±3℃)、大気中で引張試験を実施する。得られた0.2%オフセット耐力(MPa)を、降伏強度(MPa)と定義する。
【0093】
[鋼材の形状]
本実施形態の鋼材の形状は特に限定されない。本実施形態の鋼材は、鋼管であってもよいし、鋼板であってもよいし、丸鋼であってもよい。
【0094】
好ましくは、本実施形態の鋼材は、油井用鋼管である。油井用鋼管は例えば、油井又はガス井の掘削、原油又は天然ガスの採取等に用いられるケーシング、チュービング、ドリルパイプ等である。さらに好ましくは、本実施形態の油井用鋼管は、継目無鋼管である。
【0095】
[製造方法]
本実施形態の鋼材の製造方法の一例を説明する。なお、以下に説明する製造方法は一例であって、本実施形態の鋼材の製造方法はこれに限定されない。つまり、上述の構成を有する本実施形態の鋼材が製造できれば、以下に説明する製造方法に限定されない。ただし、以下に説明する製造方法は、本実施形態の鋼材を製造する好適な製造方法である。
【0096】
本実施形態の鋼材の製造方法の一例は、素材準備工程と、熱間加工工程と、熱処理工程とを備える。以下、各工程について詳述する。
【0097】
[素材準備工程]
素材準備工程では、始めに、上記化学組成を有する溶鋼を、周知の精錬方法により製造する。製造された溶鋼を用いて連続鋳造法により鋳片を製造する。ここで、鋳片とは、スラブ、ブルーム、又はビレットである。鋳片に代えて、上記溶鋼を用いて造塊法によりインゴットを製造してもよい。必要に応じて、スラブ、ブルーム又はインゴットを熱間圧延して、ビレットを製造してもよい。以上の製造工程により、素材(スラブ、ブルーム、又は、ビレット)を製造する。
【0098】
[熱間加工工程]
熱間加工工程では、準備された素材を熱間加工する。最終製品が鋼管である場合、初めに、素材を加熱炉で加熱する。加熱温度は特に限定されないが、例えば、1100~1300℃である。加熱炉から抽出された素材に対して熱間加工を実施して、素管(継目無鋼管)を製造する。例えば、熱間加工としてマンネスマン法を実施し、素管を製造する。この場合、穿孔機によりビレットを穿孔圧延する。穿孔圧延する場合、穿孔比は特に限定されないが、例えば、1.0~4.0である。穿孔圧延後のビレットに対して、マンドレルミルを用いた延伸圧延を実施する。さらに、必要に応じて、延伸圧延後のビレットに対して、レデューサ又はサイジングミルを用いた定径圧延を実施する。以上の工程により、素管を製造する。熱間加工工程での累積の減面率は特に限定されないが、例えば、20~70%である。
【0099】
マンネスマン法以外の他の熱間加工方法により、ビレットから素管を製造してもよい。例えば、カップリングのように短尺の厚肉鋼材である場合、エルハルト法等の鍛造により素管を製造してもよいし、熱間押出法により素管を製造してもよい。
【0100】
最終製品が鋼板である場合、例えば、一対のロール群を含む1又は複数の圧延機を用いて、素材(スラブ)に対して熱間圧延を実施して、鋼板を製造する。熱間圧延前の加熱温度は特に限定されないが、例えば、1100~1300℃である。
【0101】
最終製品が丸鋼である場合、例えば、素材(ブルーム)に対して、分塊圧延機を用いた分塊圧延及び/又は連続圧延機を用いた熱間圧延を実施する。つまり、素材に対して分塊圧延を実施して丸鋼としてもよい。素材に対して分塊圧延を実施せず、連続圧延機を用いた熱間圧延を実施して丸鋼としてもよい。素材に対して分塊圧延機を用いた分塊圧延及び連続圧延機を用いた熱間圧延を実施して、丸鋼としてもよい。連続圧延機は複数の圧延スタンドが一列に並んでおり、各スタンドは一対の圧延ロールを含む。分塊圧延を実施する場合、分塊圧延前の加熱温度は特に限定されないが、例えば1100~1300℃である。連続圧延機を用いた熱間圧延を実施する場合、熱間圧延前の加熱温度は特に限定されないが、例えば、1100~1300℃である。
【0102】
[熱処理工程]
熱処理工程は実施してもよいし、実施しなくてもよい。つまり、本実施形態の鋼材は、圧延まま(As-Rolled)材であってもよい。熱処理工程を実施する場合、熱処理工程は、焼入れ工程及び焼戻し工程を含む。
【0103】
[焼入れ工程]
熱処理工程でははじめに、熱間加工工程で製造された鋼材に対して、焼入れ工程を実施する。焼入れは周知の方法で実施する。具体的には、熱間加工後の鋼材を熱処理炉に装入し、焼入れ温度で保持する。焼入れ温度はAC3変態点以上であり、例えば、900~1000℃である。鋼材を焼入れ温度で保持した後、急冷(焼入れ)する。焼入れ温度での保持時間は特に限定されないが、例えば、10~60分である。焼入れ方法は例えば、水冷である。焼入れ方法は特に制限されない。鋼材が鋼管である場合、水槽又は油槽に浸漬して素管を急冷してもよいし、シャワー冷却又はミスト冷却により、鋼管の外面及び/又は内面に対して冷却水を注いだり、噴射したりして、鋼管を急冷してもよい。
【0104】
なお、熱間加工後、鋼材を常温まで冷却することなく、熱間加工直後に焼入れ(直接焼入れ)を実施してもよいし、熱間加工後の鋼材の温度が低下する前に補熱炉に装入して焼入れ温度に保持した後、焼入れを実施してもよい。
【0105】
上記に説明する焼入れ温度は、熱処理炉又は補熱炉を用いる場合は炉温を意味し、直接焼入れの場合は鋼材の温度を意味する。保持時間は、在炉時間(熱処理炉又は補熱炉に装入してから抽出されるまでの時間)を意味する。
【0106】
[焼戻し工程]
焼入れ後の鋼材に対してさらに、焼戻し工程を実施する。焼戻し工程では、鋼材の降伏強度を調整する。本実施形態の鋼材においては、焼戻し温度を例えば、500℃~AC1変態点とする。焼戻し温度での保持時間は特に限定されないが、例えば、10~180分である。化学組成に応じて焼戻し温度を適宜調整することにより、式(1)を満たす上述の化学組成の鋼材の降伏強度を調整する。好ましくは、鋼材の降伏強度を655MPa以上に調整する。
【0107】
上記に説明する焼戻し温度は熱処理炉での炉温(℃)を意味し、焼戻し温度での保持時間は在炉時間(熱処理炉に装入してから抽出されるまでの時間)を意味する。
【0108】
なお、焼入れ及び焼戻しは1回ずつ実施してもよいし、複数回実施してもよい。例えば、焼入れ及び焼戻しを実施した後、再び焼入れ及び焼戻しを実施してもよい。焼入れ及び焼戻しは1回のみ実施してもよいし、上述のとおり、焼入れ及び焼戻しを実施しなくてもよい。
【0109】
以上の製造工程を実施することにより、本実施形態の鋼材を製造できる。
【実施例0110】
実施例により本実施形態の鋼材の効果をさらに具体的に説明する。以下の実施例での条件は、本実施形態の鋼材の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例である。したがって、本実施形態の鋼材はこの一条件例に限定されない。
【0111】
表2-1及び表2-2に示す化学組成を有する鋼材(継目無鋼管)を製造した。
【0112】
【0113】
【0114】
表2-1及び表2-2中の「-」部分は、該当する元素の含有量が、表2-1及び表2-2に記載されている数値の端数を四捨五入したときに、0%であったことを意味する。例えば、試験番号1のZr含有量は、小数第五位で四捨五入して、0%であったことを意味する。試験番号1のSb含有量は、小数第三位で四捨五入して、0%であったことを意味する。試験番号1のTi有量は、小数第四位で四捨五入して、0%であったことを意味する。試験番号1のB含有量は、小数第五位で四捨五入して、0%であったことを意味する。
【0115】
上記溶鋼を50kg真空炉で溶製し、造塊法によりインゴットを製造した。インゴットを1250℃で3時間加熱した。加熱後のインゴットに対して熱間鍛造を実施してブロックを製造した。熱間鍛造後のブロックを1230℃で15分均熱し、熱間圧延を実施して15mmの厚さを有する鋼材(鋼板)を製造した。
【0116】
鋼材に対して、焼入れを実施した。焼入れ温度はいずれの試験番号においても950℃であり、焼入れ温度での保持時間はいずれの試験番号においても15分であった。焼入れ後の鋼材に対して、560℃の焼戻し温度(℃)で30分保持する焼戻しを実施して、鋼材(鋼板)を製造した。以上の製造工程により鋼材を製造した。
【0117】
[マルテンサイト及びベイナイトの総面積率の測定方法について]に記載の方法により、各試験番号のマルテンサイト及びベイナイトの総面積率を求めた。なお、鋼材(鋼板)の板厚中央部から試験片を採取した。試験片の観察面は10mm×10mmであった。また、視野面積は10000μm2であった。その結果、いずれの試験番号においても、マルテンサイト及びベイナイトの総面積率が90%以上であった。
【0118】
さらに、[降伏強度の測定方法]に記載の方法により、各試験番号の降伏強度を測定した。なお、丸棒試験片の大きさは、平行部直径6.0mm、標点距離30.0mmとした。丸棒試験片の長手方向は、鋼材(継目無鋼管)の管軸方向と平行とした。その結果、いずれの試験番号においても、降伏強度は655~862MPa未満であった。
【0119】
[評価試験]
製造された鋼材に対して、次の評価試験を実施した。
【0120】
[水素透過試験]
各試験番号の鋼材の板厚中央部から試験片を採取した。試験片は、厚さが1mm(0.1cm)であって、直径が25mmの円板状とした。
【0121】
図5に示す陰極チャージ水素透過試験装置10を準備した。試験片11を水素侵入側セル20と、水素検出側セル30との間に挟み、固定した。5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH
3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7に調整した試験液を準備した。水素侵入側セル20に、試験液21を注入した。このとき、試験液21の液面が、ガス供給排出装置22のガス排出配管222の下端よりも低い位置となるようにし、かつ、ガス供給排出装置22のガス供給配管221の下端よりも高い位置となるようにした。試験液21を水素侵入側セル20に注入した後、水素侵入側セル20内を、高純度のArで1時間以上脱気した。脱気後、ガス供給排出装置22のガス供給配管221から、試験ガス(1barのH
2Sガス)を試験液21に30分以上通気し、飽和させた。試験時の1barのH
2Sが飽和した試験液(高腐食試験液)21を常温(24±3℃)に保持し、水素侵入側セル20を密閉状態とした。水素侵入側セル20の参照電極REを飽和KCl銀塩化銀参照電極とした。また、水素検出側セル30に、0.1N(0.1規定)のNaOH水溶液31を注入した。水素検出側セル30の対極CEを白金とし、参照電極REを飽和KCl銀塩化銀参照電極とした。なお、試験片11において、高腐食試験液21と接触している面積A11を、試験面積A11と定義した。試験面積A11は2.3cm
2であった。試験片11において、0.1N(0.1規定)のNaOH水溶液31に接している面積は、試験面積A11以上とした。また、水素侵入側セル20、水素検出側セル30ともに、比液量は110mL/cm
2とした。
【0122】
試験片11を自然浸漬中に自発的に進行する腐食反応により、試験片11の表面のうち、水素侵入側セル20側の表面に水素を発生させた。発生した水素の一部は、水素原子として試験片11を透過して、水素検出側セル30内で水素イオンに酸化されるため、このときの酸化電流値をポテンショスタッド40で測定した。水素検出側セル30では、試験片11を参照電極(飽和KCl銀塩化銀参照電極)REに対して+0.148Vに定電位保持して、透過した水素元素を水素イオンに酸化した。測定された酸化電流値を試験面積A11(2.3cm2)で除して、水素透過電流J(μA/cm2)を求めた。そして、水素透過電流Jに試験片の厚さL11(0.1cm)を乗じて、水素透過係数Per(μA/cm)を求めた。なお、試験の間、高腐食試験液21にガス供給排出装置22のガス供給配管221から試験ガス(1barのH2Sガス)を10mL/分程度の流量で通気して、飽和を維持した。
【0123】
試験開始からの水素透過係数Perを経時的に測定し、
図2に示す水素透過係数の経時グラフを作成した。試験開始から90時間経過後、試験を終了した。作成された水素透過係数の経時グラフにおいて、試験開始から90時間経過時点の水素透過係数Per
90を求めた。さらに、水素透過係数Perの最大値Per
max(μA/cm)を求めた。求めた最大値Per
maxから水素透過係数Per
90を差し引いて、差分ΔPer(μA/cm)を求めた。
【0124】
[試験結果]
試験結果を表3に示す。なお、表3には各試験番号のFn1を「Fn1」欄に示す。
【0125】
【0126】
表2-1、表2-2及び表3を参照して、試験番号4~24では、化学組成が適切であった。そのため、1barのH2Sガスを飽和した5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7とした試験液を用いた水素透過試験で得られた、水素透過係数の最大値Permaxが8.25μA/cm以下であり、差分ΔPerは2.70μA/cm以下であった。そのため、非定常状態での水素の鋼材への侵入を十分に抑制できた。
【0127】
さらに、試験番号4~24のうち、試験番号8、11~16、19~24では、Fn1が4.00以上であった。そのため、これらの試験番号では、水素透過係数の最大値Permaxが6.50μA/cm以下であり、差分ΔPerは1.00μA/cm以下であり、非定常状態での水素の鋼材への侵入をさらに抑制できた。
【0128】
さらに、試験番号4~24のうち、試験番号11~15、19、22~24では、Fn1が4.50以上であった。そのため、これらの試験番号では、水素透過係数の最大値Permaxが6.10μA/cm以下であり、差分ΔPerは0.75μA/cm以下であり、非定常状態での水素の鋼材への侵入をさらに抑制できた。
【0129】
さらに、試験番号4~24のうち、試験番号11~14、19、22~24では、Fn1が4.60以上であった。そのため、これらの試験番号では、水素透過係数の最大値Permaxが6.00μA/cm以下であり、差分ΔPerは0.60μA/cm以下であり、非定常状態での水素の鋼材への侵入を顕著に抑制できた。
【0130】
一方、試験番号1~3の鋼材では、Zr含有量が低すぎた。そのため、1barのH2Sガスを飽和した5.0質量%のNaClと0.5質量%のCH3COOHとの混合水溶液であってpHを2.7とした試験液を用いた水素透過試験の水素透過係数の最大値Permaxは8.25μA/cmを大きく超え、差分ΔPerは2.70μA/cmを大きく超えた。
【0131】
以上、本開示の実施の形態を説明した。しかしながら、上述した実施の形態は本開示を実施するための例示に過ぎない。したがって、本開示は上述した実施の形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施の形態を適宜変更して実施することができる。