(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023164036
(43)【公開日】2023-11-10
(54)【発明の名称】創傷治癒を促進するリゾリン脂質
(51)【国際特許分類】
C07F 9/655 20060101AFI20231102BHJP
A61P 17/02 20060101ALI20231102BHJP
A61P 3/10 20060101ALI20231102BHJP
A61K 8/55 20060101ALI20231102BHJP
A61Q 1/00 20060101ALI20231102BHJP
A61K 31/661 20060101ALI20231102BHJP
【FI】
C07F9/655 CSP
A61P17/02 ZNA
A61P3/10
A61K8/55
A61Q1/00
A61K31/661
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022075338
(22)【出願日】2022-04-28
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)令和3年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構、「革新的先端研究開発支援事業」「疾患脂質代謝に基づく生体組織の適応・修復機構の新基軸の創成と医療技術シーズの創出」委託研究開発、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願、および令和2年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構、「革新的先端研究開発支援事業」「PLA2メタボロームに基づく脂質代謝マップの確立とそのヒト疾患との相関性の検証」委託研究開発、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(71)【出願人】
【識別番号】304020292
【氏名又は名称】国立大学法人徳島大学
(71)【出願人】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100106518
【弁理士】
【氏名又は名称】松谷 道子
(74)【代理人】
【識別番号】100156144
【弁理士】
【氏名又は名称】落合 康
(74)【代理人】
【識別番号】100103230
【弁理士】
【氏名又は名称】高山 裕貢
(72)【発明者】
【氏名】山本 圭
(72)【発明者】
【氏名】重永 章
(72)【発明者】
【氏名】大高 章
(72)【発明者】
【氏名】村上 誠
【テーマコード(参考)】
4C083
4C086
4H050
【Fターム(参考)】
4C083AD571
4C083AD572
4C083CC01
4C083FF01
4C086AA01
4C086AA02
4C086AA04
4C086GA16
4C086HA19
4C086MA01
4C086MA04
4C086NA03
4C086NA14
4C086ZA89
4C086ZC35
4H050AA01
4H050AA02
4H050AA03
4H050AB20
4H050AD17
4H050BB14
4H050BB21
4H050BB31
(57)【要約】
【課題】リゾリン脂質の創傷治癒促進剤として可能性を確認する。
【解決手段】式:
【化1】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示されるリゾリン脂質化合物、およびそれを含有する組成物を提供する。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
式:
【化1】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示されるリゾリン脂質化合物。
【請求項2】
式:
【化2】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示される立体異性体混合体。
【請求項3】
請求項1に記載の化合物、または請求項2記載の立体異性体混合体を含有する組成物。
【請求項4】
創傷治癒を促進させるための、請求項3記載の組成物。
【請求項5】
創傷が、皮膚創傷である、請求項4記載の組成物。
【請求項6】
皮膚創傷が、褥瘡、糖尿病原性褥瘡、または乾癬に由来する、請求項5記載の組成物。
【請求項7】
医薬組成物である、請求項3から6までのいずれか記載の組成物。
【請求項8】
請求項2記載の立体異性体混合体(A-LPE(mix))を製造する方法であって、
1)A-LPE(mix)およびリゾプラズマローゲン(P-LPE)の混合物を用意すること、
2)該混合物を、多糖誘導体光学異性体分離カラムを使用したHPLCにかけること、および
3)プリカーサーイオン(m/z = 464.2)およびプロダクトイオン(m/z = 196.10)を用いた質量分析を行うこと、
を含む方法。
【請求項9】
多糖誘導体光学異性体分離カラムがIAまたはIGである、請求項8記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は一般に、生体膜を構成するリン脂質から産生される、脂質メディエーターとして作用するリゾリン脂質に関する。詳細には、本発明は、新規なリゾリン脂質およびそれを含有する、創傷治癒を促進させるための組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
リゾリン脂質は、生体膜を構成するリン脂質から産生される。リゾリン脂質の前駆体であるリン脂質は1本の極性頭部と2本の非極性基である脂肪酸を持つのに対し、リゾリン脂質は非極性基が1本であることから、比較的水溶性が高く脂質メディエーターとして作用する。リゾリン脂質メディエーターの代表格は、リゾホスファチジン酸(LPA)とスフィンゴシン1-リン酸(S1P)であり、産生酵素や受容体、輸送体が同定され、遺伝子欠損マウスや遺伝子変異を伴う疾患患者から、LPAやS1Pの機能が明らかとなってきている。一方、近年、これらのリゾリン脂質の他に、リゾホスファチジルセリン(LysoPS)、リゾホスファチジルイノシトール(LPI)、リゾホスファチジルグルコシド(LyPtdGlc)、リゾプラズマローゲン(P-LPE)が発見され、LPAやS1Pとは異なる生理機能に関わることが示唆されている。
【化1】
【0003】
他方、体表全体を覆う皮膚は、外界からの病原菌、アレルゲンおよび環境物質の侵入からのバリア、ならびに体内からの水分の蒸散を防ぐ物質透過性バリアを形成するとともに、外界から侵入した異物に対する免疫応答が始まる場でもある。皮膚における脂質は、表皮最外層(角質)のバリア構築成分として、また異物に対する生体防御反応を調節する生理活性物質として、皮膚の恒常性に非常に重要な役割を担う。皮膚は他臓器には見られないユニークな脂質分子を多く含み、また皮膚だけに発現している脂質代謝酵素が複数存在する。このことから脂質は皮膚疾患の新規創薬標的としてのポテンシャルを秘めているといえる。
【0004】
表皮角化細胞(ケラチノサイト)は「細胞の適切な増殖と分化」により表皮バリアを形成する。表皮角化細胞では、IL-22、IL-17、TNFαなどにより「細胞の異常な増殖分化と活性化」が惹起され、乾癬やアトピー性皮膚炎などを引き起こす。我々は、表皮角化細胞の間隙に分泌されるリン脂質代謝酵素PLA2G2Fが、プラズマローゲン(P-PE)からリゾプラズマローゲン(P-LPE、1-(1Z-オクタデセニル)-2-ヒドロキシ-sn-グリセロ-3-ホスホエタノールアミン)を産生し、このP-LPEが表皮角化細胞の増殖分化の促進に寄与するリゾリン脂質であることを報告している(特許文献1、および非特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Yamamoto, K., Miki, Y., Sato, M., Taketomi, Y., Nishito, Y., Taya, C., Muramatsu, K., Ikeda, K., Nakanishi, H., Taguchi, R., Kambe, N., Kabashima, K., Lambeau, G., Gelb, M.H., and Murakami, M. The role of group IIF secreted phospholipase A2 in epidermal homeostasis and hyperplasia. J. Exp. Med. 212, 1901-1919 (2015)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
表皮角化細胞の増殖分化に寄与することは、P-LPEの創傷治癒促進剤としての可能性を示唆するが、P-LPEは構造的に不安定であり、弱酸性環境において容易に異性化されるため、それ自体、医薬品の有効成分としては不向きである。
【0008】
また、1)正常な表皮は弱酸性環境にあり、様々な外的・内的要因により表皮pHの弱酸性化が損なわれ、中性に傾くと、皮膚バリア恒常性の撹乱により経皮感染のリスクが高まり、乾癬等の慢性皮膚疾患の発症へと結びつく、2)sn-1位がアルケニル型のリゾリン脂質は構造的に不安定であり、特に酸性条件下では分解される可能性がある、という定見から、弱酸性環境下にある正常皮膚の恒常性維持におけるP-LPEの作用については合理的な説明が付かない。
【課題を解決するための手段】
【0009】
そこで、本発明者らは、P-LPEが構造的に不安定である点に着目し、P-LPEは、生理的酸性条件下ではより安定なP-LPEアセタール化合物に異性化し、表皮角化細胞の正常分化の引き金となる一方で、炎症疾患時の中性下ではP-LPEは安定化され表皮角化細胞を活性化する、という仮説を立て、その仮説を実証するとともに、P-LPEをシード化合物とした創薬シーズを発掘することにより新規リゾリン脂質A-LPEを見出し、本発明を完成させた。
【0010】
したがって、本発明は、以下の態様を含む。
<化合物>
[1]
式:
【化2】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示されるリゾリン脂質化合物。
[2]
式:
【化3】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示される立体異性体混合体。
<組成物>
[3]
[1]に記載の化合物、または[2]記載の立体異性体混合体を含有する組成物。
[4]
創傷治癒を促進させるための、[3]記載の組成物。
[5]
創傷が、皮膚創傷である、[4]記載の組成物。
[6]
皮膚創傷が、褥瘡、糖尿病原性褥瘡、または乾癬に由来する、[5]記載の組成物。
[7]
医薬組成物である、[3]から[6]までのいずれか記載の組成物。
<製造方法>
[8]
[2]記載の立体異性体混合体(A-LPE(mix))を製造する方法であって、
1)A-LPE(mix)およびリゾプラズマローゲン(P-LPE)の混合物を用意すること、
2)該混合物を、多糖誘導体光学異性体分離カラムを使用したHPLCにかけること、および
3)プリカーサーイオン(m/z = 464.2)およびプロダクトイオン(m/z = 196.10)を用いた質量分析を行うこと、
を含む方法。
[9]
多糖誘導体光学異性体分離カラムがIAまたはIGである、[8]記載の方法。
【発明の効果】
【0011】
本発明の化合物A-LPE(trans)は、表皮角化細胞の分化・遊走を促進し、創傷治癒を改善する効果を持ち、創傷治癒促進剤としての可能性を有している。創傷治癒の治療効果をさらに充実させる目的として、A-LPE(trans)の分子メカニズムの解明、ドレッシング剤(創傷被覆剤)の併用による治療効果、安全性試験の検証が必要となる。これにより、A-LPEが褥瘡や糖尿病性の幅広い皮膚創傷に対して効果を認めることになり、創傷治癒改善剤としての地位が確立できる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】
図1は、光学異性体分離カラムCHIRALPAK IG(DAICEL)を使用し、ベンジルエーテル2をジアステレオマー分離した結果を示すクロマトグラムである。
【
図2】
図2は、光学異性体分離カラムCHIRALPAK IA-Uを使用し、P-LPEおよびA-LPEを分離した結果を示すクロマトグラムである。LC-MS/MSを用いてMRMトランジション Q1/Q3:464.2/196.1を指標に検出した。
【
図3】
図3は、酸性条件におけるP-LPEからA-LPEへの経時的な変換を示すクロマトグラムおよびそれを定量化したグラフである。d7-LPEは、重水素ラベルしたLPEを意味する。
【
図4】
図4は、皮膚に対するP-LPE、A-LPE(trans)およびA-LPE(cis)の刺激性試験の結果を示すグラフである。
【0013】
【
図5】
図5は、ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5に対するA-LPEの細胞遊走作用を示す。
図5A:ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にP-LPE産生酵素であるヒトPLA2G2Fに対するsiRNAを導入してノックダウン(KD)した細胞(PLA2G2F-KD)とネガティブコントロールを導入した細胞(ネガティブコントロール)における、経時的に倒立型顕微鏡(オリンパス位相差セット、CKX-53-22PH)および顕微鏡デジタルカメラ(オリンパス、 DP22-B W/O)により撮影した創傷部位の画像写真である。PLA2G2F-KD細胞では、A-LPE(trans)あるいはA-LPE(cis)を添加した結果を示している。
図5B:ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にヒトPLA2G2Fに対するsiRNAを導入した細胞(PLA2G2F-KD)とネガティブコントロールを導入した細胞(ネガティブコントロール)におけるKRT1の発現量を測定したグラフである(N=6)。
図5C:ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にヒトPLA2G2Fに対するsiRNAを導入した細胞(PLA2G2F-KD)とネガティブコントロールを導入した細胞(ネガティブコントロール)における創傷面積を示すグラフである。PLA2G2F-KD細胞では、A-LPE(trans)あるいはA-LPE(cis)を添加した創傷面積の結果を示している。
【0014】
【
図6】
図6は、ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5に対するP-LPEの細胞遊走作用を示す。
図6A:ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にヒトPLA2G2Fに対するsiRNAを導入した細胞(PLA2G2F-KD)とネガティブコントロールを導入した細胞(ネガティブコントロール)における、経時的に倒立型顕微鏡(オリンパス位相差セット、CKX-53-22PH)および顕微鏡デジタルカメラ(オリンパス、 DP22-B W/O)により撮影した創傷部位の画像写真である。PLA2G2F-KD細胞では、P-LPEを添加した結果を示している。
図6B:ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にヒトPLA2G2Fに対するsiRNAを導入した細胞(PLA2G2F-KD)とネガティブコントロールを導入した細胞(ネガティブコントロール)における創傷面積を示すグラフである。PLA2G2F-KD細胞では、P-LPEを添加した創傷面積の結果を示している。
【0015】
【
図7】
図7は、マウス創傷治癒モデルにおけるA-LPE(trans)の効果を示している。
図7A:C57BL/6マウス(野生型マウス:WT)およびC57BL/6背景のPLA2G2F欠損マウス(Pla2g2f-KO)における創傷面積を示すグラフである。
図7B:C57BL/6マウス(野生型マウス:WT)およびC57BL/6背景のPLA2G2F欠損マウス(Pla2g2f-KO)における穿孔3日後の表皮細胞の再生像を示す。黒線は再上皮化した表皮細胞である。
図7C:C57BL/6マウス(野生型マウス:WT)およびC57BL/6背景のPLA2G2F欠損マウス(Pla2g2f-KO)における定量化した再上皮化した表皮細胞の伸長度を示すグラフである。
【0016】
【
図8】
図8は、野生型マウスC57BL/6マウスにおける創傷面積に対する各種リゾリン脂質の効果を示すグラフである。
【
図9】
図9は、糖尿病症状を自然発症する突然変異系のdb/dbマウスにおけるA-LPE(trans)の効果を示している。
図9A:db/dbマウスにおける創傷面積を示すグラフである(N=5)。2元配置分散分析(Two-way ANOVA)で統計解析した。
図9B:db/dbマウスにおける穿孔3日後の表皮細胞の再生像を示す。黒線は再上皮化した表皮細胞である。
図9C:db/dbマウスにおける定量化した再上皮化した表皮細胞の伸長度を示すグラフである(N=3-4)。
【0017】
【
図10】
図10は、A-LPEが表皮細胞の分化を制御することを示す一連の図である。
図10A:不死化ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5に対するA-LPE立体異性体混合体(A-LPE(mix))およびP-LPEの三次元増殖を示す写真である。
図10B:乾癬で増加する6種類のサイトカインTNF-α、IL-1β、IL-22、IL-17A、IL-17FおよびIL-6とともに培養した細胞における表皮皮細胞活性化マーカーのS100A9、表皮細胞分化マーカーのKRT1、および表皮細胞基底層マーカーのKRT14の発現に対するA-LPE(mix)およびP-LPEの効果を示すグラフである。
図10C:未病(表皮pHが弱酸性)から病態(乾癬)への遷延期に、表皮pHの上昇に応じてA-LPEの減少とP-LPEの増加が起こる可能性を示す想定図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
本発明は一つの形態として、式:
【化4】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示されるリゾリン脂質化合物、すなわち本発明において「A-LPE(trans)」と称する化合物に関する。
【0019】
本発明者らは上記の通り、リゾプラズマローゲン(P-LPE、1-(1Z-オクタデセニル)-2-ヒドロキシ-sn-グリセロ-3-ホスホエタノールアミン)は表皮角化細胞の分化に寄与することを報告した。創傷治癒を促進する医薬を探求する際、P-LPEは不安定であり生理的酸性条件下では非酵素的に安定なアセタール化合物に容易に異性化される可能性に気付き、P-LPEは、生理的酸性条件下ではP-LPEアセタール化合物に異性化され、表皮角化細胞の正常分化の引き金となり、一方、炎症疾患時の中性下ではP-LPEは表皮角化細胞を活性化する、すなわち「P-LPEは表皮角化細胞を制御するpH感応性生理活性脂質である」という仮説を実証するとともに、P-LPEをシード化合物とした創薬シーズを発掘することにより、リゾリン脂質A-LPE(trans)を見出した。リゾリン脂質A-LPEは不斉炭素を2ヵ所持つため、4つの立体異性体を生じることから、立体異性を考慮した検証も実施した。
【0020】
Ryuichiro Tanaka, et al., Lipids 2000, 35, 665には、式:
【化5】
で示される、イソギンチャク(Sea Anemone, Actiniogeton sp.)から単離された天然化合物が記載されているが、ここには、その化合物の用途は記載されていない。なお、かかる天然化合物は、本発明において「A-LPE(cis)」に相当する。
【0021】
本発明はかかる形態の一実施態様として、式:
【化6】
(式中、()
16は、炭素原子が16個のアルキル基を意味する)
で示される立体異性体混合体、すなわち本発明において「A-LPE(mix)」と称する混合体に関する。
【0022】
A-LPE(mix)は4つの立体異性体の混合体であることから、これらの分離を検証したところ、我々の研究室が有する分離技術、すなわち逆相系、順相系、HILIC、光学異性体カラムを用いた検証を行ったが、いずれにおいても成功しなかった。そこで、本発明のリゾリン脂質A-LPE(trans)に導くには、A)脂肪酸アセタール結合体部分ジアステレオマーの合成中間体段階での分離と光学活性アルコールへの誘導、B)リン酸エステルの合成、C)光学活性A-LPEの最終合成、という3段階のステップで合成することを試みた(実施例1、反応式)。なお、グリセロール部分の立体は、他の天然型リン脂質と同様になるよう合成経路を設計した。
【0023】
かかる合成経路において、以下の中間体も本発明の範囲内である。
A.脂肪酸アセタール結合体
以下の式で示される光学活性体:
【化7】
【0024】
B.ヒドロキシ基が保護された脂肪酸アセタール結合体
以下の式で示される光学活性体:
【化8】
[式中、R1は、ヒドロキシ基の保護基であり、具体的には、エーテル系保護基、例えばメチル基(Me)、ベンジル基(Bn)、p-メトキシベンジル基(PMB)、tert-ブチル基:アセタール系保護基、例えばメトキシメチル基 (MOM)、2-テトラヒドロピラニル基 (THP)、エトキシエチル基 (EE)など、またはアシル系保護基、例えばアセチル基(Ac)、ピバロイル基(Piv)、またはベンゾイル基(Bz)があり、好ましくはベンジル基である。]
【0025】
C.保護リゾリン脂質
以下の式で示される光学活性体:
【化9】
[式中、R1は前記と同義であり、
R2は、アミノ基の保護基であり、具体的には、カルバメート系保護基、例えばtert-ブトキシカルボニル基(Boc)、ベンジルオキシカルボニル基(Cbz)、9-フルオレニルメチルオキシカルボニル基(Fmoc)、2,2,2-トリクロロエトキシカルボニル基(Troc)、アリルオキシカルボニル基(Alloc):アミド系保護基、例えば、トリフルオロアセチル基(CF3CO-):イミド系保護基、例えばフタロイル基(Phth):スルホンアミド系保護基、例えばp-トルエンスルホニル基(トシル基、Ts)、2-ニトロベンゼンスルホニル基があり、好ましくはベンジルオキシカルボニル基(Cbz)である]
【0026】
本発明は、別の形態として、本発明の化合物または混合体を含有する組成物、好ましくは創傷治癒を促進させるための組成物、より好ましくは皮膚創傷の治癒を促進させるための組成物、さらに好ましくは褥瘡、糖尿病原性褥瘡または乾癬に由来する皮膚創傷の治癒を促進させるための組成物に関する。本発明の組成物は、医薬組成物または食品組成物を含む。
【0027】
本発明において、「創傷」とは、機械的あるいは物理的な要因または熱傷や化学的損傷などの非物理的な要因により、身体の表面が離断し、開いている状態を意味する。
【0028】
本発明において、「皮膚創傷」とは、創傷により皮膚の連続性が断たれ、皮下において組織損傷が生じた状態を意味する。
【0029】
本発明において、「褥瘡」とは、いわゆる床ずれであり、寝たきりなどによって、体重により圧迫された身体の表面の血流が悪くなり、一部の皮膚が発赤、ただれ、外傷が生じる状態を意味する。
【0030】
本発明において、「糖尿病原性褥瘡」とは、糖尿病患者における褥瘡である。糖尿病患者では、神経障害、末梢血管、局所の高血糖状態などの様々な要因により皮膚創傷の治癒過程が遅延することが知られている。
【0031】
本発明において、「乾癬」とは、IL-23/Th17軸が中心的役割を果たす慢性皮膚炎症疾患であり、表皮過形成、表皮顆粒層の消失、錯角化、表皮内好中球浸潤等の所見が認められる。乾癬の病態形成にケラチノサイトの増殖・分化異常が認められる。
【0032】
本発明において、「創傷治癒を促進」とは、(1) 創傷進展を遅延させる; (2) 創傷の進行、増悪または悪化を減速または停止させる; (3) 創傷の寛解をもたらす;あるいは (4) 創傷を治癒させることを目的とする方法またはプロセスを意味する。
【0033】
本発明の創傷治癒を促進させるための組成物は医薬組成物を含む。本発明の医薬組成物は、創傷治癒に用いることができる。本発明の医薬組成物の形態は特に限定されない。例えば、粉末、顆粒、散剤、錠剤、シロップなどの経口剤、注射剤、点滴剤、懸濁剤、またはクリーム剤、ローション剤、軟膏剤などの外用剤などが挙げられる。本発明の組成物を医薬組成物として用いる場合、経口で投与してもよく、また静注、筋注、皮下投与、直腸投与、経皮投与等の非経口で投与してもよく、外用剤としての投与が好ましい。
【0034】
外用剤としては、ペースト、スプレー、エアロゾル剤、クリーム、ローション、軟膏、ゲル、溶液、エマルジョン、懸濁液、または当業者に公知である他の形態が挙げられるがそれに限定されない(例えば、Remington: The Science and Practice of Pharmacy; Pharmaceutical Press; 第22版(2012年9月15日); およびIntroduction to Pharmaceutical Dosage Forms, 4th ed., Lea & Febiger, Philadelphia (1985)を参照)。
【0035】
本発明において、外用剤には、薬学的に許容される担体を含有させることができる。「薬学的に許容される担体」は、任意の対象組成物またはその成分を運搬または輸送することに関与する、液体もしくは固体充填剤、希釈剤、賦形剤、溶媒、または封入材料などの、薬学的に許容される材料を意味する。好適な担体は、薬学分野の当業者に周知であり、所望の組成物が適用される特定の組織に依存する。クリーム、ローション、軟膏等を形成するための典型的な担体として、水、アセトン、エタノール、エチレングリコール、プロピレングリコール、ブタン1,3ジオール、ミリスチン酸イソプロピル、パルミチン酸イソプロピル、ミネラルオイル、およびそれらの混合物が挙げられるが、それらに限定されない。
【0036】
投与量は、投与する患者の年齢、体重、性別、疾患の相違、症状の程度により適宜決定することができ、1日1回又は数回に分けて投与すればよく、1日あたり0.1ng~1000mg、好ましくは10 ng~1mg、より好ましくは100 ng ~100 μgを投与すればよい。投与期間は、通常1日以上、好ましくは3日以上、より好ましくは1週間以上である。
【0037】
本発明はさらに別の実施態様として、本発明のリゾリン脂質化合物を含有する化粧料組成物に関する。
【0038】
本発明の化粧料組成物に含まれる成分は、本発明の有効成分の外に、化粧料組成物に通常用いられる、例えば抗酸化剤、安定化剤、溶解化剤、ビタミン、顔料及び香料のような通常の補助剤、そして担体を含む。
【0039】
本発明の化粧料組成物は、当業界で通常製造される如何なる剤形としても製造することができる。例えば、溶液、懸濁液、乳濁液、ペースト、ゲル、クリーム、ローション、パウダ、せっけん、界面活性剤を含むクレンジング、オイル、粉末ファンデーション、乳濁液ファンデーション、ワックスファンデーション及びスプレーなどに剤形化できる。より詳細には、柔軟化粧水、栄養化粧水、栄養クリーム、マッサージクリーム、エッセンス、アイクリーム、クレンジングクリーム、クレンジングフォーム、クレンジングウォーター、パック、スプレーまたはパウダの剤形に製造できる。
【0040】
本発明の化粧料組成物におけるリゾリン脂質化合物の摂取量は通常、1日あたり0.1ng~1000mg、好ましくは10 ng~1mg、より好ましくは100 ng ~100 μgであり、適宜増減できる。摂取期間は、通常1日以上、好ましくは3日以上、より好ましくは1週間以上である。
【0041】
本発明はさらに別の形態として、本発明の立体異性体混合体(A-LPE(mix))を製造する方法に関する。
すなわち、本発明は、本発明の立体異性体混合体(A-LPE(mix))を製造する方法であって、
1)A-LPE(mix)およびリゾプラズマローゲン(P-LPE)の混合物を用意すること、
2)該混合物を、多糖誘導体光学異性体分離カラムを使用したHPLCにかけること、および
3)プリカーサーイオン(m/z = 464.2)およびプロダクトイオン(m/z = 196.10)を用いた質量分析を行うこと、を含む方法に関する。
【0042】
多糖誘導体光学異性体分離カラムは、多糖誘導体耐溶剤型光学異性体分離カラムとも称され、当業者であれば容易に入手可能である。多糖誘導体光学異性体分離カラムは具体的には、IAまたはIG(ダイセル社、日本)が挙げられる。
分離に用いる溶媒としては水、メタノール、アセトニトリルの混合溶液の他、アセトニトリル100%、あるいはメタノール 100%を用いることができる。さらに、2-プロパノール、ヘキサン、アセトン、エタノール、クロロホルム、ジクロロメタン、酢酸エチル、1,4-ジオキサンも使用できる。
【実施例0043】
以下、本発明を実施例により、より詳細に説明するが、これらは本発明の範囲を限定するものでなく、単なる例示であることに留意すべきである。
【0044】
実施例1
リゾリン脂質A-LPE立体異性体混合物およびA-LPE光学活性体の合成
反応式1
【化10】
[式中、Rは、以下の基:
【化11】
である。]
【0045】
A-LPE光学活性体(R = transまたはcis)は、1-1)脂肪酸アセタール結合体部分ジアステレオマーの合成中間体段階での分離と光学活性アルコールへの誘導、1-2)リン酸エステルの合成、1-3)光学活性A-LPEの最終合成、という3段階のステップで合成した。グリセロール部分の立体は、他の天然型リン脂質と同様になるよう合成経路を設計した。また、立体異性体混合体A-LPE(化合物1, R = mix)は、立体異性体混合体6 (R = mix)を出発原料として用い、光学活性体と同様の方法に従い合成した。
化合物6
【化12】
【0046】
実施例1-1:光学活性アルコール(アルコール3)の合成
原料として市販の(R)-(+)-3-ベンジルオキシ-1,2-プロパンジオールを用い、ベンジルエーテル2のジアステレオマー混合体を文献既知の方法に従って合成した(Broquet, C.; Auclair, E.; Blavet, N.; Touvay, C.; Braquet, P. Aminoacylates and aminocarbamates of 2-substituted 4-hydroxymethyl 1,3-dioxolans as ammonium salts. A new series of PAF antagonists Aminoacylates et aminocarbamates. Eur. J. Med. Chem. 25, 235-240 (1990).)。
ベンジルエーテル2のジアステレオマー分離はHPLCシステム(島津製作所)を用いて行った。光学異性体分離カラムCHIRALPAK IG(DAICEL、5 μm 10 x 250 mm)を使用し、カラム温度を30℃、100% アセトニトリルを2.4 mL/minの速度によるイソクラテックス送液により205 nmの吸収を測定し、trans-2(73.0 mg)およびcis-2(51.6 mg)に分離した(
図1)。各ジアステレオマーの立体配置は、過去に報告された類似化合物と1H NMRスペクトルを比較することで決定した(Kmecz, I.; Simandi, B.; Simandi, B.; Poppe, L.; Juvancz, Z.; Renner, K.; Bodai, V.; Toeke, E. R.; Csajagi, C.; Sawinsky, J. Lipase-catalyzed enantioselective acylation of 3-benzyloxypropane-1,2-diolin supercritical carbon dioxide. Biochem. Eng. J. 28, 275-280 (2006).)。続いて、trans-2(73.0 mg, 170 μmol)を酢酸エチル(1.4 mL)へ溶解し、5% Pd/C(22 mg)を加えたのち、水素雰囲気下で45.5時間攪拌した。その後、セライトろ過し、得られたろ液を減圧下濃縮することで白色粉末状のtrans-3(43.6 mg)を75%収率で得た。cis-3 も同様の方法に従い合成した(収率79%、白色粉末)。
【0047】
実施例1-2:リン酸エステル4の合成
化合物5
【化13】
trans-3(43.6 mg, 127 μmol)および化合物5(Tsubaki, K.; Yamanaka, T.; Hisamitsu, T.; Shimooka, H.; Kitamura, M.; Okauchi, T. New phosphorylating agents for the synthesis of phosphatidyl-ethanolamines. Synthesis 53, 3827-3835 (2021).)(62.6 mg, 140 μmol)のトルエン溶液(3.0 mL)へ0℃において水素化ナトリウム(60% (w/w), 10.2 mg, 255 μmol)を加え、同温にて1.5時間攪拌した。次に、反応液へ0℃において水を加えたのち酢酸エチルで抽出し、得られた有機層を飽和食塩水で洗浄後、硫酸ナトリウムを加えて乾燥させた。ろ過に続く溶媒の減圧留去後、シリカゲルカラムクロマトグラフィー(ヘキサン/酢酸エチル=4/1、その後2/1 (v/v))で精製し、黄色油状のtrans-4(48.5 mg, 70.3 μmol)を55%収率で得た。cis-4も同様の方法に従い合成した(収率73%、黄色油状)。mix-4は、化合物mix-3(Broquet, C.; Auclair, E.; Blavet, N.; Touvay, C.; Braquet, P. Aminoacylates and aminocarbamates of 2-substituted 4-hydroxymethyl 1,3-dioxolans as ammonium salts. A new series of PAF antagonists Aminoacylates et aminocarbamates. Eur. J. Med. Chem. 25, 235-240 (1990).)を出発原料として用い、光学活性体と同様の方法により合成した。
【0048】
実施例1-3:光学活性A-LPEの最終合成
trans-4(48.5 mg, 70.3 μmol)のエタノール溶液へ5% Pd/C(2.2 mg)を加え、水素雰囲気下で一晩攪拌した。その後、反応液をセライトろ過し、得られたろ液を減圧下濃縮することで、白色粉末状のtrans-1(12.6 mg, 27.1 μmol)(下記式で示されるA-LPE(trans))を38%収率で得た。cis-1も同様の方法に従い合成した(下記式で示されるA-LPE(cis):収率38%、白色粉末)。mix-1も光学活性体と同様の方法により合成した。
【0049】
【0050】
研究例1
A-LPEとP-LPEの分離条件の決定
ここでは、A-LPEの分析条件を決定した。
A-LPEの分析には四重極型質量分析装置LCMS-8040システム(島津製作所)を用いて行った。質量分析における選択反応モニタリング(SRM)測定条件は、最初にスキャン測定によりエレクトロンスプレーイオン化(ESI)法によりA-LPEのマススペクトルを測定し、得られたイオン(m/z = 464.2)をプリカーサーイオン(Q1)として選択した。次に,選択したプリカーサーイオンをコリジョンセルで開裂させて得られるプロダクトイオン(Q3)のスキャンを行い、強度の強いイオンを定量イオンおよび確認(定性)イオン(m/z = 196.10)として選択した。このQ1とQ3はP-LPEの分析条件と同一であることから、P-LPEとA-LPEを分離するためには光学異性体分離カラムを用いる必要がある。
【0051】
次に、このLCMS-8040システムに、光学異性体分離カラム(DAICEL、1.6μm 3.0 x 100 mm)を用いてリゾリン脂質の分離を試みた。カラム温度を30℃に設定し、溶媒(H
2O/MeOH/アセトニトリル = 45:27.5:27.5 (v/v/v))は0.2 mL/minのイソクラテックスで送液を行った。P-LPEの溶出時間は10.5 minであったのに対し、A-LPE(mix)(立体異性体混合体)、A-LPE(trans)、A-LPE(cis)は11.5 minであり、P-LPEとA-LPEが分離された(
図2)。
【0052】
研究例2
酸性条件におけるP-LPEからA-LPEへの変換
ここでは、P-LPEの安定性に対するpHの影響を調べた。
100 pmolのP-LPE (C18(Plasm) LPE, Avanti)を試験管に採取し、窒素乾固させた後に、100 μLの100 mM クエン酸緩衝液(pH4.0またはpH6.0)に懸濁し、37℃でインキュベーションした。反応終了後、1 mLのMeOH、900 μLの50 mM Tris-HCl pH 7.4、20 pmolの18:1-d7 Lyso PE (Avanti)を加え、さらに1 mL CHCl3を加えて懸濁した。2,000 rpmで5分間遠心し、下層を採取し、窒素乾固させた後に、質量分析用の測定溶媒に懸濁し、質量分析装置を用いて分析した(N=3)。
【0053】
得られた結果を
図3に示す。P-LPEをpH4の緩衝液中でインキュベーションすると、経時的にP-LPE量が減少し、反応開始24時間でほとんどが消失した。他方、A-LPEに相当するピーク(Q1/Q3 = 464.5/196.1, RT=11.5 min)は増加した。一方、P-LPEをpH6の緩衝液中でインキュベーションすると、pH4の時よりも分解速度が遅延したが、反応開始24時間でほとんどが消失し、産生されるA-LPE量は少量であった。以上の結果からP-LPEは酸性条件下でA-LPE(ジアステレオマー混合体)に代謝される可能性があることが明らかとなった。
【0054】
試験例1
A-LPEおよびP-LPEは皮膚に障害を与えない
皮膚に対するP-LPEおよびA-LPEの刺激性試験をOECD毒性試験ガイドラインに準拠したヒト3次元培養表皮LabCyte EPI-MODEL24(J-TEC)を用いて実施した。培養した表皮細胞に種々の濃度のリゾリン脂質(EtOH溶液)を細胞に添加し15分間暴露させた。通常培地に交換し42時間培養した後に、MTT反応を測定し、生細胞率を評価した(N=3)。
得られた結果を
図4に示す。LabCyte EPI-MODELは、ヒト皮膚正常細胞を重層化したヒト3次元培養表皮であり、形態的にヒト皮膚に類似した構造として基底層・有棘層・顆粒層・角質層を有している。このモデルを用いてヒト表皮に対する弱刺激性試験を取扱説明書に従って行った。具体的には、培養した表皮細胞に種々の濃度のリゾリン脂質(EtOH溶液)を細胞に添加し15分間暴露させた。通常培地に交換し42時間培養した後に、MTT反応を測定し、生細胞率を評価した。その結果、100 nMのP-LPE、A-LPE(trans)およびA-LPE(cis)のいずれにおいても生細胞率に影響はなかった。
【0055】
試験例2
A-LPEは表皮角化細胞の分化・遊走を促進する
ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5を用いてA-LPEおよびP-LPEの細胞遊走をスクラッチイングアッセイにより評価した。KRT1は、KERATIN1(ケラチン1)の遺伝子名であり、表皮細胞の分化マーカーである。KRT1が増加すると、細胞が分化の方向に向いていると説明される。NHEK/SVTERT3-5については、https://www.summitpharma.co.jp/japanese/service/s_ATCC_evercyte_htert.htmlを参照。
【0056】
ヒト表皮角化細胞株NHEK/SVTERT3-5にヒトPLA2G2Fに対するsiRNA(TACCAGGAACTCTTTGACCAA(配列番号1), QIAGEN)あるいはネガティブコントロール(AllStars Negetive Control siRNA(配列非公表), QIAGEN)をリポフェクタミンRNAiMAX 試薬(Thermo Fisher Scientific)を用いて導入した。コンフルエントに培養した細胞にCELL Scratcher(イワキ)を用いて創傷を作成し、経時的に創傷閉塞速度を評価するとともに、mRNAを回収しKRT1の発現量を測定した(N=6)。また、経時的に倒立型顕微鏡(オリンパス位相差セット、CKX-53-22PH)および顕微鏡デジタルカメラ(オリンパス、 DP22-B W/O)により撮影した画像を用い、創傷の程度を評価した(N=6)。さらにsiRNA処理した細胞に10 nM A-LPE(trans)および10 nM A-LPE(cis)を添加し、その効果を評価した。
【0057】
得られた結果を
図5に示す。創傷を施した対照の細胞(ネガティブコントロール)では、創傷後、経時的にKRT1の発現が増加したが、PLA2G2FのsiRNAを処理した細胞(PLA2G2F-KD)ではKRT1の発現量が低下した(
図5B)。創傷を施した細胞は経時的に閉鎖し、対照細胞の創傷面積は創傷後48時間で約50%になったが、PLA2G2Fをノックダウンした細胞では細胞閉鎖速度が遅延し創傷面積は約75%に留まった。しかしながら、PLA2G2Fをノックダウンした細胞に10 nM A-LPE(trans)あるいはA-LPE(cis)を添加すると細胞閉鎖速度が優位に増加した(
図5A、C)。以上の結果から、A-LPEは表皮角化細胞の分化・遊走を促進し、創傷治癒を改善することが示された。
【0058】
同様の実験をP-LPEを用いて行った。結果を
図6A、Bに示す。P-LPEもA-LPE同様、表皮角化細胞の分化・遊走を促進することが示された。
【0059】
試験例3
A-LPE(trans)は創傷治癒を改善する
実施例1にて合成したリゾリン脂質A-LPE(trans)が表皮角化細胞の遊走を促進することが明らかとなったので、次にマウス創傷治癒モデルを用いて検証をおこなった。
P-LPEは表皮に局在するIIF型分泌性ホスホリパーゼA2(PLA2G2F)により産生される。PLA2G2F欠損マウスでは表皮角質細胞の分化が未熟であり表皮バリアが破綻している(Yamamoto, K., Miki, Y., Sato, M., Taketomi, Y., Nishito, Y., Taya, C., Muramatsu, K., Ikeda, K., Nakanishi, H., Taguchi, R., Kambe, N., Kabashima, K., Lambeau, G., Gelb, M.H., and Murakami, M. The role of group IIF secreted phospholipase A2 in epidermal homeostasis and hyperplasia. J. Exp. Med. 212, 1901-1919 (2015))。このことから、表皮再生おけるPLA2G2F/P-LPE/A-LPE経路の寄与について創傷治癒モデルを用いて検証した。
【0060】
C57BL/6マウス(野生型マウス)およびC57BL/6背景のPLA2G2F欠損マウス(雄、8-12週齢)の背部をバリカンを用いて剃毛し、5 mmのトレパンを用いて穿孔した。マウスの穿孔部には、100nM リゾリン脂質(5% EtOH/生理食塩水)、100μLを24時間毎に外用塗布した。穿孔部の大きさを、連日、デジタルノギス(ミツトヨ)を用いて測定した。採取した皮膚組織はブアン液を用いて固定し、パラフィン切片を作成した後に、ヘマトキシリン・エオジン染色を行った。組織はオールインワン蛍光顕微鏡BZ-X810を用いて観察し計測した。
【0061】
得られた結果を
図7に示す。野生型マウス背部に穿孔を施すと、穿孔部の経時的な閉鎖が確認されたが、PLA2G2F欠損マウスではその閉鎖速度が遅延した。PLA2G2F欠損マウスに100 nM リゾリン脂質を24時間毎に外用塗布すると、A-LPE(trans)を塗布した時にのみ、創傷部の閉鎖速度が対照と比較して有意に回復したが、P-LPEやA-LPE(cis)の添加では回復が認められなかった(
図7B)。穿孔3日後の皮膚組織を観察すると、PLA2G2F欠損マウスでは穿孔端から伸長する表皮層(黒色印)が野生型マウスと比較して短かった。欠損マウスの穿孔部に100 nM A-LPE(trans)を外用塗布すると表皮層の伸長が有意に回復したのに対し、P-LPEやA-LPE(cis)では回復が認められなかった(
図7B、C)。以上の結果から、PLA2G2F依存的な創傷治癒の遅延は、A-LPE(trans)の添加により改善されることが明らかとなった。
【0062】
次に、野生型マウスの背部に穿孔を施し、各種リゾリン脂質による改善効果を評価した。C57BL/6マウス(野生型マウス)(雄、8週齢)の背部をバリカンを用いて剃毛し、5 mmのトレパンを用いて穿孔した。マウスの穿孔部には、100 nM リゾリン脂質(5% EtOH/生理食塩水)100μLを24時間毎に外用塗布した。穿孔部の大きさを、連日、デジタルノギス(ミツトヨ)を用いて測定し、創傷面積を算出した。
【0063】
得られた結果を
図8に示す。100 nM A-LPE(trans)を外用塗布すると、対照、P-LPEやA-LPE(cis)と比較して創傷の回復速度が有意に亢進した。
【0064】
糖尿病患者は褥瘡が治りにくいことが知られている。そこで、次に、肥満・過食・高インスリン血症など顕著な糖尿病症状を自然発症する突然変異系のdb/dbマウス(BKS.Cg-m +/+ Leprdb/Jcl)に創傷を施し、A-LPE(trans)による改善効果を検証した。
db/dbマウス(BKS.Cg-m +/+ Leprdb/Jcl)(雄、7週齢)の背部をバリカンを用いて剃毛し、5 mmのトレパンを用いて穿孔した。マウスの穿孔部には、100nM A-LPE(trans)(5% EtOH/生理食塩水)100μLを24時間毎に外用塗布した。穿孔部の大きさを、連日、デジタルノギス(ミツトヨ)を用いて測定し、創傷面積を算出した。採取した皮膚組織はブアン液を用いて固定し、パラフィン切片を作成した後に、ヘマトキシリン・エオジン染色を行った。組織はオールインワン蛍光顕微鏡BZ-X810を用いて観察し計測した。
【0065】
得られた結果を
図9に示す。100 nM A-LPE(trans)の外用塗布により、db/dbマウスに施した創傷の回復速度の亢進は対照と比較して有意に改善し、穿孔端からの表皮層も対照と比較して有意に伸長した。以上の結果から、A-LPE(trans)は表皮角化細胞の遊走を促進し、創傷治癒を改善することが示された。
【0066】
試験例4
リゾリン脂質A-LPE立体異性体混合体の表皮角化細胞の分化および活性化に対する影響
実施例1にて合成したリゾリン脂質A-LPE立体異性体混合体(A-LPE(mix))について、表皮角化細胞に対する効果を、不死化ヒト表皮角化細胞株 NHEK/SVTERT3-5(Evercyte)を用いて評価した。培養は、正常ヒト表皮角化細胞増殖培地 HuMedia-KG2(クラボウ)を用いて 37℃、7% CO2 条件下で行い、70-80%サブコンフルエントを目安に3-5日間に1回継代作業を行った。表皮角化細胞の3次元化はセルカルチャーインサート(Corning)を設置したプレートを用いて実施した。細胞濃度3.0×105 細胞/mL となるようにHuMedia-KG2で希釈した細胞懸濁液をセルカルチャーインサート内に 0.5 mLずつ播種し、37℃、7% CO2条件下で培養を実施した。CnT-Prime 3D Barrier(CELLnTEC)に培地交換し、さらに翌日、セルカルチャーインサート内の培地を除去し、気相培養を開始した。気相培養開始と同時にリゾリン脂質(終濃度0.1% EtOH溶液)を培地に添加した。48時間培養後、細胞の組織切片を作成し、ヘマトキシリン・エオジン染色をおこなった。
【0067】
得られた結果を
図10Aに示す。NHEK/SVTERT3-5細胞に1nMのA-LPE(mix)およびP-LPEを添加すると、これらのリゾリン脂質は共に細胞の三次元増殖を促進した。
PLA2G2F/P-LPE経路は乾癬に寄与することが知られている(
Yamamoto, K., Miki, Y., Sato, M., Taketomi, Y., Nishito, Y., Taya, C., Muramatsu, K., Ikeda, K., Nakanishi, H., Taguchi, R., Kambe, N., Kabashima, K., Lambeau, G., Gelb, M.H., and Murakami, M. The role of group IIF secreted phospholipase A
2 in epidermal homeostasis and hyperplasia. J. Exp. Med. 212, 1901-1919 (2015))。
三次元表皮細胞系に乾癬で増加する6種類のサイトカインTNF-α、IL-1β、IL-22、IL-17A、IL-17FおよびIL-6を培地に添加し、慢性皮膚炎症疾患を模倣した。この細胞から抽出した全RNAを用いて合成したcDNAを鋳型として、リアルタイムPCR法を用い、表皮細胞活性化マーカーのS100A9、表皮細胞分化マーカーのKRT1、および表皮細胞基底層マーカーのKRT14の発現を定量した(N=4)。
【0068】
得られた結果を
図10Bに示す。乾癬サイトカインを添加した細胞は表皮細胞活性化マーカーS100A9が増加したのに対し、KRT1およびKRT14は変化しなかった。さらに、P-LPEの単独塗布により活性化マーカーS100A9の発現を誘導するのに対し、A-LPE(mix)はこの作用が弱く、むしろ表皮分化マーカーKRT1の発現を強く亢進した。
このことから、慢性皮膚炎症疾患である乾癬(表皮pHが中性)ではP-LPEが優位となり炎症増悪に寄与するのに対し、正常皮膚(表皮pHが弱酸性)ではP-LPEがA-LPEに変換されて表皮の正常分化を制御する可能性が示唆された(
図10C)。
本発明の化合物A-LPEは、新規な生理活性脂質である。想定される用途としては、皮膚バリア回復剤、表皮損傷(日焼け、やけどの創傷)の治癒または回復促進、アトピー性皮膚炎や乾癬を処置または予防する医薬、化粧品等である。創傷の中では、外科的・外傷性創傷が最大のシェアを占め、創傷ケアサービスへのニーズの高まりと、複雑な創傷を治療するためのより優れた創傷管理製品へのニーズは非常に高いと考えられる。