(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023168191
(43)【公開日】2023-11-24
(54)【発明の名称】プラズマ窒化装置およびプラズマ窒化方法
(51)【国際特許分類】
C23C 8/38 20060101AFI20231116BHJP
【FI】
C23C8/38
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022138242
(22)【出願日】2022-08-31
(31)【優先権主張番号】P 2022079002
(32)【優先日】2022-05-12
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】新規性喪失の例外適用申請有り
(71)【出願人】
【識別番号】399030060
【氏名又は名称】学校法人 関西大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】西本 明生
(72)【発明者】
【氏名】濱島 隼
【テーマコード(参考)】
4K028
【Fターム(参考)】
4K028BA02
4K028BA12
4K028BA21
(57)【要約】
【課題】低温窒化処理において、拡張相の膜を従来よりも迅速に形成する。
【解決手段】プラズマ窒化装置(1)は、ステンレス鋼材(2)の付近に配置されたニッケル製のスクリーン(37)と、ステンレス鋼材(2)およびスクリーン(37)に陰極が電気的に接続された直流電源(43)と、を備える。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼材に対しプラズマ窒化処理を施すプラズマ窒化装置であって、
前記鋼材の付近に配置されたスクリーンと、
前記鋼材および前記スクリーンに陰極が電気的に接続された直流電源と、を備え、
前記鋼材はステンレス鋼材であり、
前記スクリーンは、ニッケルまたはニッケル基合金によって形成されたものである、プラズマ窒化装置。
【請求項2】
前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系、フェライト系または二相系のステンレス鋼材である、請求項1に記載のプラズマ窒化装置。
【請求項3】
前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系または二相系のステンレス鋼材である、請求項2に記載のプラズマ窒化装置。
【請求項4】
鋼材に対しプラズマ窒化処理を施すプラズマ窒化方法であって、
前記鋼材と、該鋼材の付近に配置されたスクリーンとを陰極としてプラズマ窒化処理を行うステップを含み、
前記鋼材はステンレス鋼材であり、
前記スクリーンは、ニッケルまたはニッケル基合金によって形成されたものである、プラズマ窒化方法。
【請求項5】
前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系、フェライト系または二相系のステンレス鋼材である、請求項4に記載のプラズマ窒化方法。
【請求項6】
前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系または二相系のステンレス鋼材である、請求項5に記載のプラズマ窒化方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼材に対しプラズマ窒化処理を施すプラズマ窒化装置およびプラズマ窒化方法に関する。
【背景技術】
【0002】
(低温窒化処理)
鋼材に対する表面改質処理として窒化処理が挙げられる(特許文献1・2)。従来、オーステナイト系のステンレス鋼材に対して、723K(ケルビン)以上の温度で窒化処理が行われる。この場合、クロム(Cr)窒化物の析出により表面硬さおよび耐摩耗性が向上する。しかしながら、上記ステンレス鋼材中のCr固溶量が減少するため、耐食性が低下する。
【0003】
これに対し、従来よりも低い温度で窒化処理を行う低温窒化処理について近年関心が持たれている。上記ステンレス鋼材に対して低温窒化処理を行うと、窒素が過飽和に固溶した拡張相が上記ステンレス鋼材の表面部に形成されて、表面硬さ、耐摩耗性および耐疲労性が向上する。さらに、723K未満の温度の場合、上記ステンレス鋼材中に固溶したCrの拡散性が低く、クロム窒化物の核生成が抑制されるため、クロム窒化物の析出による耐食性の低下を防止できる。しかしながら、低温処理であるために、上記拡張相の厚膜化には長時間の処理が必要となる。
【0004】
(プラズマ窒化法)
一般に、上記窒化処理の種類としては、アンモニアガスを用いるガス窒化法と、シアン化物を用いる塩浴窒化法と、窒素ガスを含む低真空中でグロー放電によって形成されたプラズマを利用するプラズマ窒化法とが挙げられる。このうち、プラズマ窒化法は、水素ガスを混合させることで、鋼材の表面における不働態皮膜などの酸化物を、水素イオンの衝突により還元して除去できるため、他の窒化法よりもステンレス鋼材の窒化処理に適している。
【0005】
上記プラズマ窒化法としては、鋼材を陰極とするDCPN(Direct Current Plasma Nitriding)処理と、上記鋼材を囲むように設置した金属製のスクリーンを陰極とするASPN(Active Screen Plasma Nitriding)処理と、上記鋼材および上記スクリーンの両方を陰極とするS-DCPN(Direct Current Plasma Nitriding using Screen)処理と、が挙げられる。このうち、S-DCPN処理は、DCPN処理およびASPN処理に比べて、窒素が鋼材の内部に拡散する速度(窒化速度)が向上する(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2000-073156号公報
【特許文献2】特開2011-042862号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】A. Nishimoto, T. Fukube and T. Tanaka: Mater. Trans. 57 (2016) 1811-1815.
【非特許文献2】S. Hamashima and A. Nishimoto: J. Japan Inst. Met. Mater. 85 (2021) 430-438.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上記S-DCPN処理を用いても、低温窒化処理の場合には、上記拡張相の膜が所望の厚さになるまで約50時間必要であり、未だ改善の余地がある(非特許文献1)。
【0009】
本発明の一態様は、低温窒化処理において、拡張相の膜を従来よりも迅速に形成できるプラズマ窒化装置等を実現することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係るプラズマ窒化装置は、鋼材に対しプラズマ窒化処理を施すプラズマ窒化装置であって、前記鋼材の付近に配置されたスクリーンと、前記鋼材および前記スクリーンに陰極が電気的に接続された直流電源と、を備え、前記鋼材はステンレス鋼材であり、前記スクリーンは、ニッケルまたはニッケル基合金によって形成されたものである。
【0011】
また、本発明の別の態様に係るプラズマ窒化方法は、鋼材に対しプラズマ窒化処理を施すプラズマ窒化方法であって、前記鋼材と、該鋼材の付近に配置されたスクリーンとを陰極としてプラズマ窒化処理を行うステップを含み、前記鋼材はステンレス鋼材であり、前記スクリーンは、ニッケルまたはニッケル基合金によって形成されたものである。
【0012】
上記の構成および方法によると、スクリーンが鉄鋼材料によって生成されている従来のスクリーンを用いる場合に比べて、窒素拡散量を向上することができ、その結果、拡張相の膜を迅速に形成することができる。
【0013】
前記プラズマ窒化装置および前記プラズマ窒化方法において、前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系、フェライト系または二相系のステンレス鋼材であってもよい。この場合、上記従来のスクリーンを用いる場合に比べて、窒素拡散量を確実に向上することができ、その結果、拡張相の膜を迅速かつ確実に形成することができる。
【0014】
前記プラズマ窒化装置および前記プラズマ窒化方法において、前記ステンレス鋼材は、オーステナイト系または二相系のステンレス鋼材であってもよい。この場合、上記従来のスクリーンを用いる場合に比べて、オーステナイト系の拡張相を迅速に厚膜化することができ、その結果、耐孔食性を向上することができる。
【発明の効果】
【0015】
本発明の一態様によれば、低温窒化処理において、拡張相の膜を従来よりも迅速に形成できるという効果を奏する。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1】本発明の一実施形態に係るプラズマ窒化装置の概要を示す断面図である。
【
図2】SUS304、SUS430、およびSUS329J4Lからなる3つのステンレス鋼材の化学組成を表形式で示す図である。
【
図3】S-DCPN処理された上記3つのステンレス鋼材に関するX線回折試験の結果をそれぞれ示すグラフである。
【
図4】上記グラフから得られた上記3つのステンレス鋼材のそれぞれの拡張相の回折角を用いて、格子定数の拡張率を算出した結果を表形式で示す図である。
【
図5】上記S-DCPN処理された上記3つのステンレス鋼材に対するグロー放電発光分光分析(GD-OES)によって得られた窒素元素のプロファイルをそれぞれ示すグラフである。
【
図6】上記SUS304の鋼材の実施例および比較例に対して電子線プローブマイクロアナライザ(EPMA)による断面組織を観察した結果を示す写真である。
【
図7】上記SUS430の鋼材の実施例および比較例に対してEPMAによる断面組織を観察した結果を示す写真である。
【
図8】上記SUS329J4Lの鋼材の実施例および比較例に対してEPMAによる断面組織を観察した結果を示す写真である。
【
図9】上記S-DCPN処理された上記3つのステンレス鋼材に関する表面硬さ試験の結果を示すグラフである。
【
図10】上記SUS329J4Lの鋼材の実施例および比較例に関して、上記表面硬さ試験後に行った表面組織の観察の結果を示す写真である。
【
図11】上記表面組織の元素分析の結果を表形式で示す図である。
【
図12】上記S-DCPN処理された上記3つのステンレス鋼材に対する分極試験の結果を示すグラフである。
【
図13】、上記分極試験後の腐食面を示す写真である。
【
図14】上記SUS329J4Lの鋼材の隙間腐食部における元素分析の結果を示す写真である。
【
図15】上記S-DCPN処理された上記3つのステンレス鋼材に対するGD-OESによって得られたニッケル元素のプロファイルをそれぞれ示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明の一実施形態について説明する前に、上記低温窒化処理および上記プラズマ窒化法の詳細について説明する。
【0018】
(低温窒化処理)
オーステナイト系のステンレス鋼材に対して723K以下の低温窒化処理を行うと、オーステナイト相(γ相)へ窒素が過飽和に固溶した拡張オーステナイト相(S相またはγN相)が上記ステンレス鋼材の表面部に形成されて、表面硬さ、耐摩耗性、耐疲労性および耐食性が向上する。上記723K以下の温度では、上記ステンレス鋼材中に固溶したクロムの拡散性が低く、クロム窒化物の核生成が抑制されるため、クロム窒化物の析出による耐食性低下を防ぐことができる。
【0019】
フェライト系のステンレス鋼材に対して低温窒化処理を行うと、フェライト相(α相)に窒素が過飽和に固溶した拡張フェライト相(Sα相またはαN相)が上記ステンレス鋼材の表面部に形成される。また、二相系のステンレス鋼材に対して低温窒化処理を行うと、約1:1で混在しているγ相およびα相にS相およびSα相が上記ステンレス鋼材の表面部にそれぞれ形成され、或いは、窒素(γ安定化元素)が拡散することによりα相がS相に相変態して、S相のみが上記ステンレス鋼材の表面部に形成される。その結果、上記ステンレス鋼材の表面硬さ、耐摩耗性、耐疲労性および耐食性が向上する。
【0020】
このように、上記低温窒化処理の場合、上述の拡張相(拡張オーステナイト相および拡張フェライト相)の形成によってステンレス鋼の機械的特性、耐食性などを向上することができる。しかしながら、上記低温窒化処理が低温処理であるため、上記拡張相の厚膜化には長時間の処理が必要となる。
【0021】
(プラズマ窒化法)
上述のように、プラズマ窒化法としては、DCPN処理と、ASPN処理と、S-DCPNと、が挙げられる。
【0022】
上記DCPN処理では、鋼材を陰極として電圧を印加することにより、上記鋼材の表面にプラズマが形成され、窒素の励起種が生成される。このとき、上記鋼材には高い陰極電圧が印加されるため、異常放電による上記鋼材の溶融、エッジ効果による不均一な窒化処理などの問題が生じる可能性がある。
【0023】
上記ASPN処理は、陰極ケージプラズマ窒化(Cathodic Cage Plasma Nitriding、CCPN)処理とも呼ばれる。上記ASPN処理では、鋼材を絶縁し、該鋼材を囲むように設置した金属製のスクリーンを陰極として電圧を印加することにより、上記スクリーンの表面にプラズマが形成される。上記スクリーンにおいて窒素イオンのスパッタリングにより叩き出された金属原子と、上記プラズマ中の窒素の励起種とが結合することにより、金属窒化物が形成される。この金属窒化物が上記鋼材の表面に堆積して分解することにより、窒素が上記鋼材の内部に拡散し、上記鋼材の窒化が進行する。
【0024】
従って、上記ASPN処理の場合、上記鋼材に高電圧が印加されないため、上記DCPN処理における上記問題が生じることが無い。しかしながら、上記スクリーン由来の金属窒化物が上記鋼材の表面に堆積し形成する層(堆積物層)が、処理時間の経過に伴い厚くなり、上記鋼材における窒素の拡散を阻害する。このため、上記ASPN処理は、上記DCPN処理に比べて、窒素が被処理部材の内部に拡散する速度(窒化速度)が遅い。
【0025】
上記S-DCPN処理では、上記鋼材および上記スクリーンの両方を陰極として電圧を印加することにより、上記スクリーンがヒータとして機能して、上記鋼材に印加される陰極電圧を低下させる。これにより、上記DCPN処理で生じるエッジ効果を抑制できる。さらに、上記鋼材の表面でのスパッタリングの発生による上記堆積物層の除去と、上記スクリーンおよび上記鋼材の表面でのプラズマ形成によるプラズマ形成領域の増大とによって、上記DCPN処理および上記ASPN処理よりも窒化速度が向上する。しかしながら、上記S-DCPN処理を用いても、低温窒化処理の場合には、所望の表面特性が得られるまでに約50時間が必要である。
【0026】
一般に、上記ASPN処理および上記S-DCPN処理における上記スクリーンには鉄鋼材料が用いられている。これに対し、本願発明者らのグループでは、Ni(ニッケル)のスクリーンと鉄鋼材料のスクリーンとのそれぞれを用いて、低炭素鋼S15Cに上記ASPN処理を施した。同様に、Niのスクリーンと鉄鋼材料のスクリーンとのそれぞれを用いて、低炭素鋼S15Cに上記S-DCPN処理を施した。その結果、下記の結論が得られた(非特許文献2)。
【0027】
(1)上記ASPN処理および上記S-DCPN処理の両方において、鉄鋼材料のスクリーンを用いた場合よりもNiのスクリーンを用いた場合の方が、窒素拡散量が向上した。さらに、Niのスクリーンを用いた場合において、上記ASPN処理よりも上記S-DCPN処理の方が、窒素拡散量が向上した。
【0028】
(2)上記ASPN処理において、Niのスクリーンを用いた場合、スクリーン由来のNiを多く含む堆積物層が試料表面に形成され、その下部に化合物層が形成された。また、鉄鋼材料のスクリーンを用いた場合に比べて、表面硬さは低い値を示したが、高い耐食性を示した。
【0029】
(3)上記S-DCPN処理において、Niのスクリーンを用いた場合、硬さの異なる2層の化合物層が形成され、硬質な化合物層にはNiが約20at%検出された。また、鉄鋼材料のスクリーンを用いた場合に比べて、表面硬さは高い値を示したが、低い耐食性を示した。
【0030】
〔実施形態〕
そこで、本願発明者らは、Niのスクリーンを用いたS-DCPN処理をステンレス鋼材に施すことを考え、以下の実施形態を案出した。
【0031】
図1は、本実施形態に係るプラズマ窒化装置の概要を示す断面図である。本実施形態のプラズマ窒化装置1は、ステンレス鋼材2に対しS-DCPN処理を施すものである。
図1に示すように、プラズマ窒化装置1は、ガス供給部11、本体部12、ポンプ部13、電源部14、および温度測定部15を含む。
【0032】
(ガス供給部)
ガス供給部11は、窒素ガス(N2)を含む複数のガスを所定の割合で混合して本体部12に供給するものである。本実施形態では、ガス供給部11は、窒素ボンベ21、水素ボンベ22、流量計23、および混合器24を含む。
【0033】
窒素ボンベ21は、圧縮された高圧の窒素ガス(N2)が入った容器であり、水素ボンベ22は、圧縮された高圧の水素ガス(H2)が入った容器である。窒素ボンベ21からの窒素ガスと、水素ボンベ22からの水素ガスとは、混合器24に供給される。
【0034】
流量計23は、窒素ボンベ21から混合器24に供給される窒素ガスの流量と、水素ボンベ22から混合器24に供給される水素ガスの流量とを計測するものである。
【0035】
混合器24は、上記窒素ガスおよび上記水素ガスを、所定の割合(例えば、N2:H2=20:80~80:20)で混合するものである。混合器24は、混合したガスを、本体部12に供給する。
【0036】
(本体部)
本体部12は、真空反応炉31を含む。真空反応炉31は、ステンレス鋼材2などの被処理部材に対し、真空状態で化学反応などの各種反応を生じさせるための金属製の容器である。
【0037】
真空反応炉31の内側上面の適所には、ガス供給部11からの混合ガスが流入する給気口31aが設けられている。また、真空反応炉31の内側下面の適所には、内部の空気を排気するための排気口31bが設けられている。また、真空反応炉31の内側側面の適所には開口部31cが形成されており、該開口部31cにはガラス窓32が設けられている。
【0038】
真空反応炉31の底面には、絶縁部材33を介して導電性の基台34が設けられている。基台34は、基台34の上面全体にはニッケル製の板35(以下、「Ni板35」と称する。)が設けられている。これは、基台34由来の金属窒化物がステンレス鋼材2に及ぼす影響を抑えるためである。Ni板35の中央部には、導電性の調整台36を介してステンレス鋼材2が設けられる。これにより、ステンレス鋼材2が上記S-DCPN処理を最適な位置で行うことができる。
【0039】
Ni板35の縁部には、ニッケル製のスクリーン37(以下、「Niスクリーン37」と称する。)が設けられている。Niスクリーン37は、ステンレス鋼材2を覆うように設けられる網目状の部材である。従って、上記混合ガスがNiスクリーン37を通過してステンレス鋼材2に到達することができる。
【0040】
真空反応炉31の内壁には、絶縁部材(図示せず)を介して陽極部材38が配置されている。陽極部材38は、真空反応炉31にてアーク放電を発生させるための陽極として機能する導電性部材である。そして、基台34、Ni板35、調整台36、Niスクリーン37、およびステンレス鋼材2が、上記アーク放電を発生させるための陰極として機能する。なお、真空反応炉31と陽極部材38とが一体となっていてもよい。
【0041】
また、真空反応炉31内の適所には、熱電対39が設けられている。熱電対39は、真空反応炉31内の温度を計測するものである。
【0042】
(ポンプ部)
ポンプ部13は、真空ポンプ41および真空計42を含む。真空ポンプ41は、本体部12の真空反応炉31内の空気を、排気口31bを介して排気する。真空ポンプ41の例としては、回転ポンプ、拡散ポンプ、ターボポンプなどが挙げられる。また、真空計42は真空反応炉31内の真空度を計測するものである。
【0043】
(その他)
電源部14は、直流電源43を含む。直流電源43の陽極は、真空反応炉31内の陽極部材38に電気的に接続され、直流電源43の陰極は、基台34に電気的に接続される。直流電源43は、真空反応炉31内の陽極部材38と基台34との間に所定の電圧が印加されるようになっている。直流電源43が印加する電圧は、電圧計(図示せず)によって計測される。
【0044】
温度測定部15は、放射温度計44と、該放射温度計44を指示する支持台45とを含む。放射温度計44は、ステンレス鋼材2から放射される電磁波の強度を、ガラス窓32を介して検出して、ステンレス鋼材2の温度を測定するものである。放射温度計44の例としては、赤外線温度計が挙げられる。なお、放射温度計44は、上記温度の分布を2次元画像として示すサーモグラフィであってもよい。
【0045】
上記構成のプラズマ窒化装置1では、Niスクリーン37を用いることにより、スクリーンが鉄鋼材料によって生成されている従来のスクリーンを用いる場合に比べて、窒素拡散量を向上することができ、拡張相の膜を迅速に形成することができる。その結果、低温窒化処理に関して、利用する窒素の量を減らすことができ、また、処理時間を短縮することができる。
【0046】
(S-DCPN処理)
次に、上記構成のプラズマ窒化装置1におけるS-DCPN処理(プラズマ窒化処理)について説明する。まず、基台34および調整台36を用いてステンレス鋼材2を真空反応炉31の適所に配置し、該ステンレス鋼材2に放射温度計44の焦点を合わせる。次に、真空ポンプ41を用いて、真空反応炉31を減圧した後、上記混合ガスを真空反応炉31内に導入すると共に排気して、真空反応炉31内を所定の圧力(例えば100Pa~1000Pa、好ましくは100Pa~200Pa)に維持する。
【0047】
次に、直流電源43を用いて、陽極部材38と、基台34、Ni板35、調整台36、Niスクリーン37、およびステンレス鋼材2との間に電圧を印加して、徐々に直流電流を流してグロー放電を発生させる。これにより、ステンレス鋼材2およびNiスクリーン37の付近(
図1において一点鎖線で示す領域)にてプラズマが生成される。
【0048】
ステンレス鋼材2の付近におけるプラズマ内の窒素イオンにより、ステンレス鋼材2の表面にてスパッタリングが発生する。これにより、ステンレス鋼材2の表面における不要な堆積層が除去される。また、上記スパッタリングにより、高窒素濃度の金属窒化物(MN)が生成されて、ステンレス鋼材2に堆積する。上記高窒素濃度の金属窒化物が金属と窒素とに分解される過程にて放出された窒素が、ステンレス鋼材2の内部に拡散し窒化が進行する。
【0049】
また、Niスクリーン37の付近におけるプラズマ内の窒素イオンにより、Niスクリーン37の表面にてスパッタリングが発生して、高窒素濃度のニッケル窒化物(NiN)が生成される。当該ニッケル窒化物は、真空反応炉31内のガス流によりステンレス鋼材2に堆積する。ステンレス鋼材2に堆積した上記高窒素濃度のニッケル窒化物が、ニッケルと窒素とに分解される過程で放出された窒素が、ステンレス鋼材2の内部に拡散し窒化が進行する。
【0050】
上記の窒化処理を、ステンレス鋼材2の温度(処理温度)が、通常の温度(723K)よりも低い所定の温度(例えば620K~700K)で所定の処理時間(例えば3時間~20時間)実行する。その後、上記電圧の印加を終了する一方、上記混合ガスを真空反応炉31内に流して、ステンレス鋼材2の温度が室温付近に低下するまで冷却する。次に、真空反応炉31内に空気を導入して、ステンレス鋼材2を取り出す。
【0051】
(付記事項)
本実施形態では、Niスクリーン37は、網目状であり、ステンレス鋼材2を覆うように設けられているが、これに限定されるものではない。Niスクリーン37は、高窒素濃度のニッケル窒化物がステンレス鋼材2に到達できれば、筒状など、任意の形状とすることができる。また、本実施形態では、Niスクリーン37の材料は、ニッケル(純ニッケル)であるが、これに限定されるものではない。例えば、スクリーンの表面にてスパッタリングが発生して、高窒素濃度のニッケル窒化物が生成されるような、ニッケルを主成分(例えば40%以上)とするニッケル基合金であってもよい。
【実施例0052】
上記構成のプラズマ窒化装置1を用いたS-DCPN処理の一実施例について以下に説明する。
【0053】
(ステンレス鋼材)
本実施例では、ステンレス鋼材2として、オーステナイト系ステンレス鋼SUS304の鋼材(SUS304鋼材)と、フェライト系ステンレス鋼SUS430の鋼材(SUS430鋼材)と、二相系ステンレス鋼SUS329J4Lの鋼材(SUS329J4L鋼材)を用いた。
【0054】
図2は、上記3つの材料の化学組成を表形式で示す図である。上記3つの材料のそれぞれについて、棒材を作成し、該棒材を直径25mmかつ厚さ5mmの円板形状に加工し、上面について、#220~#2000で湿式研磨を行い、最後に粒径1μmのアルミナ粉末を用いてバフ研磨で鏡面仕上げした。
【0055】
(S-DCPN処理)
日本電子工業株式会社製の直流プラズマ窒化装置(型式:JIN-1S)を用い、該直流プラズマ窒化装置に対し、本実施形態のNi板35、調整台36、Niスクリーン37およびステンレス鋼材2を設けた。Niスクリーン37は、寸法が直径100mmかつ高さ56mmであり、材質にはNiメッシュ材(直径0.15mmワイヤー、50mesh、開孔率49.7%)を利用した。また、ステンレス鋼材2の上面とNiスクリーン37との距離が15mmになるように、SUS430丸棒部材を調整台36として設置した。
【0056】
そして、真空反応炉31内において、圧力を10Pa以下に排気した後に、75%N2+25%H2の混合ガスを導入し、該混合ガス雰囲気で圧力が100Paで一定になるようにした。そして、処理温度673Kおよび処理時間300分でS-DCPN処理を行った。
【0057】
(比較例)
比較例は、上記実施例に比べて、Ni板35を除去した点と、Niスクリーン37に代えて、冷間圧延鋼板(Steel Plate Cold Commercial、SPCC)製のスクリーン(以下、「SPCCスクリーン」と称する。)を設けた点とが異なり、その他は同様にして、S-DCPN処理を行った。SPCCスクリーンは、寸法がNiスクリーン37と同じであり、材質にはエキスパンドメタル(LW=4.0mm、SW=8.0mm、T=0.5mm、W=0.8mm、開孔率66.3%)を利用した。
【0058】
(結果)
上記実施例および上記比較例が行われたステンレス鋼材に対し、以下の評価を行った。
【0059】
(XRD分析)
S-DCPN処理されたステンレス鋼材の表面部を同定することを目的として、株式会社リガク製の回折X線測定試験装置(型式:RINT-2200)を用いてX線回折(X-Ray Diffraction、XRD)試験を行った。X線源としてCu-Kα線(波長λ=0.15405nm)を用い、管電圧40kV、管電流300mAで測定した。
【0060】
図3は、S-DCPN処理されたSUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材に関する上記XRD試験の結果をそれぞれ示すグラフである。各グラフの横軸は回折角2θであり、縦軸は強度(任意単位)である。また、各グラフには、Niスクリーン37を用いた実施例と、SPCCスクリーンを用いた比較例と、上記S-DCPN処理を実行しなかった未処理例とが示されている。
【0061】
図3の上段のグラフにより、SUS304鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、基材のγ相およびγ相の回折線が低角度側にシフトしブロードした拡張オーステナイト相(S相)の回折線が確認できた。また、
図3の中段のグラフにより、SUS430鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、基材のα相の回折線が低角度側にシフトした拡張フェライト相(Sα相)の回折線が確認できた。なお、検出強度が低いため上記グラフには示していないが、回折角63.3°付近でCrNの回折線が検出された。また、
図3の下段のグラフにより、SUS329J4Lの実施例および比較例の何れにおいても、基材のγ相、α相およびS相の回折線が確認できたが、Sα相の回折線は確認できなかった。
【0062】
上記シフトおよび上記ブロードは、γ相およびα相の結晶格子に窒素(N)が過飽和に固溶したことで引き起こされる。このとき、上記結晶格子内において、圧縮残留応力の導入、積層欠陥密度の増加、および大きな弾性ひずみが生じ、その結果、ステンレス鋼材の耐摩耗性、表面硬さなどの機械的特性が向上する。
【0063】
図4は、
図3のグラフから得られた各ステンレス鋼材の拡張相の回折角を用いて、格子定数の拡張率を算出した結果を表形式で示す図である。
図4を参照すると、S-DCPN処理された何れのステンレス鋼材においても、同じ格子面ではNiスクリーン37を用いた実施例の方がSPCCスクリーンを用いた比較例よりも拡張率が大きく、より多くの窒素(N)が結晶格子内に固溶していることが理解できる。
【0064】
また、
図4を参照すると、S(200)面の方がS(111)面よりも拡張率が大きく、結晶格子が異方的に拡張していることが理解できる。これは、γ-Feのfcc構造において、<111>方向の方が<200>方向よりも、高い弾性率を有し、かつNの拡散速度が低いことが原因と考えられる。
【0065】
(GD-OES分析)
S-DCPN処理されたステンレス鋼材における表面から深さ方向の元素分析を目的として、株式会社堀場製作所製のマーカス型高周波グロー放電発光表面分析装置(型式:GD-Profiler2)を用いてグロー放電発光分光分析(Glow Discharge Optical Emission Spectrometry、GD-OES)を行った。
【0066】
図5は、S-DCPN処理されたSUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材に対する上記GD-OESによって得られた窒素(N)元素のプロファイルをそれぞれ示すグラフである。各グラフの横軸は表面からの距離d(μm)であり、縦軸は窒素(N)濃度(at%)である。また、各グラフには、Niスクリーン37を用いた実施例が実線で示され、SPCCスクリーンを用いた比較例が破線で示されている。
【0067】
図5のグラフを参照すると、SUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材の何れにおいても、上記実施例の方が上記比較例よりもステンレス鋼材への窒素の拡散量が増加していることが理解できる。この結果は、低炭素鋼S15Cに対し同様の実験を行った非特許文献2の結果と同様である。これは、Niスクリーン37由来のニッケル窒化物の方が、SPCCスクリーン由来の鉄窒化物よりも、安定性が低く、ステンレス鋼材2の表面でより多くが分解され、多くの窒素(N)がステンレス鋼材2の内部に拡散したためと考えられる。
【0068】
なお、非特許文献2では、表面から0~1μmの位置において、Niスクリーンを用いた場合の方が、SPCCスクリーンを用いた場合よりも、上記窒素の拡散量が少なかった。これに対し、
図5のグラフを参照すると、表面から0~1μmの位置においても、Niスクリーンを用いた実施例の方が、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも、上記窒素の拡散量が多くなっている。このことから、低炭素鋼材に対しNiスクリーンを用いてS-DCPN処理を行う非特許文献2の場合よりも、ステンレス鋼材に対しNiスクリーンを用いてS-DCPN処理を行う本実施例の方が、拡張相の膜を従来よりも迅速に形成する点でさらに効果的である。
【0069】
また、
図5の上段および下段のグラフと、
図5の中段のグラフとを比較すると、S-DCPN処理されたSUS304鋼材およびSUS329J4L鋼材の場合、表面から3~4μmの領域でN濃度は大きいが拡散深さは小さいことが理解できる。一方、S-DCPN処理されたSUS430鋼材の場合、表面から3~4μmの領域でN濃度は小さいが拡散深さは大きいことが理解できる。これは、窒素(N)原子の固溶度が、α-Fe中の方がγ-Fe中よりも小さく、窒素(N)原子の拡散速度がα-Fe中の方がγ-Fe中よりも大きいためと考えられる。
【0070】
(EPMA分析)
S-DCPN処理されたステンレス鋼材における断面および表面組織形態の分析を目的として、日本電子株式会社製の電子プローブマイクロアナライザ(型式:JXA-8230)を用いて断面および表面組織の電子線プローブマイクロアナライザ(Electron Probe Micro Analyzer、EPMA)分析を行った。断面組織を観察するとき、腐食液に5mass%のシュウ酸を用いて電解腐食を行った。このとき、S-DCPN処理されたSUS304鋼材については5Vで15秒行い、S-DCPN処理されたSUS430鋼材については3Vで5秒行い、S-DCPN処理されたSUS329J4L鋼材については5Vで10秒行った。
【0071】
図6は、SUS304鋼材の実施例および比較例に対してEPMAによる断面組織を観察した結果を示す写真である。
図6の左側が、Niスクリーン37を用いた実施例の写真であり、
図6の右側が、SPCCスクリーンを用いた比較例の写真である。
【0072】
図6を参照すると、SUS304鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、表面部に窒化層が観察された。この窒化層は、
図3の上段のグラフから、S相で構成されていると考えられる。また、窒化層の厚さ(
図6の矢印の位置)は、Niスクリーン37を用いた実施例では3.6±0.1μmであり、SPCCスクリーンを用いた比較例では2.1±0.1μmであった。従って、Niスクリーンを用いた実施例の方がSPCCスクリーンを用いた比較例よりも約1.7倍厚い窒化層(S相)が形成された。
【0073】
図7は、SUS430鋼材の実施例および比較例に対してEPMAによる断面組織を観察した結果を示す写真である。
図7の挿入図は、SUS430鋼材の実施例および比較例における表面部を拡大して示す写真である。
図7の左側が、Niスクリーン37を用いた実施例の写真であり、
図7の右側が、SPCCスクリーンを用いた比較例の写真である。
【0074】
図7を参照すると、SUS430鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、表面部に明瞭な窒化層は観察できなかった。これは、Sα相と基材のα相との微細組織に大きな違いがないことを示している。また、SUS430鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、針状の鉄窒化物の析出物が観察された。この結果は、
図3の中段のグラフでは同定されなかったSα相の形成が原因と考えられる。
【0075】
また、
図7の挿入図から、SUS430鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、SUS430鋼材の表面にて強くエッチングされた領域が観察された。上述のように、回折線の強度は小さいもののCrNが同定されたことから、上記領域はCrN析出による耐食性の低下によるものと考えられる。
【0076】
図8は、SUS329J4L鋼材の実施例および比較例に対してEPMAによる断面組織を観察した結果を示す写真である。
図8の左側が、Niスクリーン37を用いた実施例の写真であり、
図8の右側が、SPCCスクリーンを用いた比較例の写真である。また、
図8の上段は、
図8の下段よりも高い倍率の写真である。なお、
図8におけるα相およびγ相に関しては、EPMA分析の結果からCrおよびMoが濃化している相をα相と判断し、Niが濃化している相をγ相と判断した。
【0077】
図8を参照すると、SUS329J4L鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、α相およびγ相に関係なく、表面部に窒化層が観察された。そこで、α相およびγ相のそれぞれについて、窒化層断面の中央部でEPMAによる元素分析を行った。その結果、Niスクリーン37を用いた実施例では、窒素(N)濃度が、α相では23.2at%であり、γ相では23.7at%であった。一方、SPCCスクリーンを用いた比較例では、窒素(N)濃度が、α相では23.3at%であり、γ相では22.9at%であった。
【0078】
すなわち、上記窒化層の中央部で検出された窒素(N)濃度は、実施例および比較例において同程度であり、α相およびγ相において同程度であった。このことと、
図3の下段のグラフにてSα相は同定されずS相のみが同定されたこととから、γ相だけでなくα相にもS相が形成されたと考えられる。すなわち、強力なγ安定化元素であるNがα相内に拡散したことで次式(1)に示すような相変態が起こり、最終的にS相が形成された可能性がある。
【0079】
α→(Sα,γ)→S ・・・(1)。
【0080】
また、
図8を参照すると、比較例では、α相およびγ相の窒化層の何れにおいても針状構造が観察された。一方、実施例では、γ相の窒化層には針状構造が観察されなかったが、α相の窒化層には針状構造が観察された。この原因についてはさらなる検討が必要である。
【0081】
また、Niスクリーン37を用いた実施例では、窒化層の厚さ(
図8の矢印の位置)は、α相では3.7±0.1μmであり、γ相では3.4±0.3μmであった。一方、SPCCスクリーンを用いた比較例では、窒化層の厚さは、α相では2.9±0.2μmであり、γ相では2.5±0.2μmであった。従って、Niスクリーンを用いた実施例の方がSPCCスクリーンを用いた比較例よりも約1.3倍厚い窒化層(S相)が形成された。また、実施例および比較例の何れにおいても、α相に形成された窒化層(S相)の方が、γ相に形成された窒化層(S相)よりも厚かった。この原因としては、窒素(N)の拡散係数が、γ相中よりもα相中の方が大きく、窒素(N)原子がα相中へ優先的に拡散するためと考えられる。
【0082】
また、
図8の下段の写真を参照すると、SPCCスクリーンを用いた比較例では、S相が局所的に薄い領域がα相およびγ相の区別なく観察されたが、Niスクリーンを用いた実施例では上記薄い領域が観察されなかった。
【0083】
(表面硬さ試験)
S-DCPN処理されたステンレス鋼材の表面硬さを調査することを目的として、株式会社マツザワ製のマイクロビッカース硬さ試験機(型式:PMT-X7A)を用いて表面硬さ試験を行った。
【0084】
図9は、S-DCPN処理されたSUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材に関する上記表面硬さ試験の結果を示すグラフである。
図9のグラフを参照すると、SUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材の何れにおいても、未処理のステンレス鋼材よりも実施例および比較例のステンレス鋼材の方が、表面硬さが向上していることが理解できる。この表面硬さの向上は、SUS304鋼材およびSUS329J4L鋼材においてはS相の形成によるものと考えられ、SUS430鋼材においてはSα相および析出強化(鉄窒化物、CrNなど)によるものと考えられる。
【0085】
また、SUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材の何れにおいても、Niスクリーン37を用いた実施例の方が、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも、表面硬さが大きいことが理解できる。また、SUS329J4L鋼材の場合、Niスクリーンを用いた実施例では、α相およびγ相に関係なく同程度の表面硬さを示す一方で、SPCCスクリーンを用いた比較例では、表面硬さの異なる2つの領域が確認できた。このため、ビッカース硬さ試験後の表面組織に対して、EPMAによる表面組織観察および元素分析を行った。
【0086】
図10は、上記表面組織観察の結果を示す写真である。また、
図11は、上記元素分析の結果を表形式で示す図である。
図10の左側が、Niスクリーン37を用いた実施例の写真であり、
図10の右側が、SPCCスクリーンを用いた比較例の写真である。
【0087】
図10および
図11を参照すると、SUS329J4L鋼材において、Niスクリーン37を用いた実施例では、α相(α
1)およびγ相(γ
1)において、窒素(N)濃度は同程度であった。これに対し、SPCCスクリーンを用いた比較例では、表面硬さの大きい領域(α
2、γ
2)における窒素(N)濃度は約30at%である一方、表面硬さの小さい領域(α
3、γ
3)における窒素(N)濃度は約20at%であった。このことから、表面硬さの異なる領域の形成は、窒素(N)濃度の不均一な分布によるものと考えられる。
【0088】
(耐孔食性)
S-DCPN処理されたステンレス鋼材について、塩水に対する耐孔食性を調査することを目的として、分極曲線を測定した。具体的には、ステンレス鋼材2に対し、SUS304製のリード線をスポット溶接し、直径6mmの孔を開設したテフロン(登録商標)テープで覆って、ステンレス鋼材2の接液面積を限定した。また、試験溶液に3.5mass%のNaCl水溶液、参照電極にAg/AgCl、対極にPtを使用した。また、北斗電工株式会社製のポテンショスタット(型式:HA-501G)で電圧を-1.0Vから+1.5Vまで制御し、グラフテック株式会社製データロガー(型式:GL200A-UM801)を用いて電流密度を記録した。最後に、ステンレス鋼材2に形成された腐食面をオリンパス株式会社製の光学顕微鏡(型式:BX-60M)を用いて観察した。
【0089】
図12は、S-DCPN処理されたSUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材に対する分極試験の結果を示すグラフである。
図12のグラフの縦軸は孔食電位であり、該孔食電位は電流密度i=1Am
-2の時の電位である。
【0090】
図13は、上記分極試験後の腐食面を示す写真である。なお、SUS329J4L鋼材は耐孔食性が高く、SUS329J4L鋼材と上記テフロン(登録商標)テープとの隙間部でのみ腐食痕が観察された。このため、SUS329J4L鋼材に関しては、上記隙間部を
図13に示している。
【0091】
S相およびSα相の形成によるステンレス鋼の耐孔食性向上の原因としてはいくつかの説が提案されているが、最も支持されている提案は、固溶Nによるピット内でのpH低下の抑制である。ステンレス鋼の不働態皮膜がCl-によって破壊され、局所的に発生したピット内において固溶Nによる次式(2)の反応が生じ、活性溶解の原因となる局所的な低pHおよび高Cl-環境の形成を抑制し、ピット成長の抑制および再不働態化を促進する。
【0092】
[N]+4H++3e-→NH4
+ ・・・(2)。
【0093】
図12および
図13を参照すると、SUS304鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、未処理のSUS304鋼材に比べて孔食電位が高く腐食面積が狭いことから、耐孔食性が向上したことが理解できる。また、Niスクリーンを用いた実施例では、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも孔食電位が大きく、より優れた耐孔食性を示した。
【0094】
また、SUS430鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、未処理のSUS430鋼材に比べて孔食電位が低く腐食面積が広いことから、耐孔食性が低下したことが理解できる。これは、
図3の中段のグラフと、
図7の写真とにおいて示唆されたように、CrNの析出による固溶Crの減少が原因と考えられる。また、Niスクリーンを用いた実施例では、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも孔食電位が低く、耐孔食性がより低下したことが理解できる。
【0095】
また、SUS329J4L鋼材の実施例および比較例の何れにおいても、未処理のSUS329J4L鋼材に比べて孔食電位が高く、隙間腐食の面積が狭いことから、耐孔食性が向上したことが理解できる。また、Niスクリーンを用いた実施例の方が、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも、孔食電位が高かったが、その差は小さく同程度の値であった。これは、
図12において、それぞれの未処理の鋼材の孔食電位を比較すると理解できるように、SUS329J4L鋼材は、SUS304鋼材およびSUS430鋼材とは異なり、耐孔食性に元来優れているからである。また、SUS329J4L鋼材について、隙間腐食部をさらに分析するため、EPMAによる元素分析を行った。
【0096】
図14は、上記隙間腐食部における元素分析の結果を示す写真である。
図14において、上段はNiスクリーンを用いた実施例を示し、下段は未処理のSUS329J4L鋼材を示している。なお、
図14には示していないが、SPCCスクリーンを用いた比較例の隙間腐食部も、Niスクリーンを用いた実施例の隙間腐食部と同様の形態を示した。
【0097】
図14を参照すると、未処理のSUS329J4L鋼材では広範囲に腐食痕が観察され、Moが多く検出されているα相の方が、Niが多く検出されているγ相よりも強く腐食され、相によって腐食進行度が異なった。一方、実施例および比較例では、未処理のSUS329J4L鋼材に比べて、腐食痕の範囲は狭くなっているが、腐食痕が深くなっており、相による腐食進行度のばらつきは観察されなかった。これは、
図11に示すEPMAによる元素分析の結果に示すように、α相およびγ相に同程度の窒素(N)濃度を含むS相が形成されことで、表面部の耐孔食性が均一になったためと考えられる。
【0098】
(考察)
(オーステナイト系ステンレス鋼材へのスクリーンを用いた低温プラズマ窒化におけるNiスクリーンの影響)
オーステナイト系ステンレス鋼材(SUS304鋼材)の場合、
図5の上段におけるGD-OES測定の結果に示したように、Niスクリーン37を用いることで窒素拡散量が向上したため、
図3の上段、
図4のXRD試験、および
図6の断面組織観察の結果に示したように、より多くの窒素(N)を結晶格子内に固溶したS相が厚く形成されたと考えられる。これに伴い、
図9の表面硬さ試験と、
図12および
図13の孔食試験との結果に示したように、表面硬さおよび耐孔食性がより向上したと考えられる。
【0099】
(フェライト系ステンレス鋼材へのスクリーンを用いた低温プラズマ窒化におけるNiスクリーンの影響)
フェライト系ステンレス鋼材(SUS430鋼材)の場合、
図5の中段におけるGD-OES測定の結果に示したように、Niスクリーン37を用いることで窒素拡散量が向上したため、
図3の中段と
図4のXRD試験とに示したように、より多くの窒素(N)を結晶格子内に固溶したSα相が形成され、窒化物析出が促進され、表面硬さがより向上したと考えられる。しかしながら、CrN析出も促進されたことで、
図12および
図13の孔食試験の結果に示したように、耐孔食性がより低下したと考えられる。SUS304鋼材およびSUS329J4L鋼材ではこれらの窒化物が析出する傾向は観察されなかった。
【0100】
この原因としては、Sα相の窒素(N)の固溶限がS相よりも小さいためと考えられる。このことはα-Feの方がγ-Feよりも窒素(N)の固溶限が小さいこと、および
図4のXRD試験の結果で示したように、格子定数の拡張率が、Sα相の方がS相よりも小さいことから予想される。実施例ではSα相の固溶限を超えて窒素(N)が拡散したため、CrNや鉄窒化物が析出したと考えられる。
【0101】
(二相系ステンレス鋼材へのスクリーンを用いた低温プラズマ窒化におけるNiスクリーンの影響)
二相系ステンレス鋼材(SUS329J4L鋼材)の場合、
図5の下段におけるGD-OES測定の結果に示したように、Niスクリーン37を用いることで窒素拡散量が向上したため、
図3の中段、
図4のXRD試験、および
図8の上段の断面組織観察の結果に示したように、より多くの窒素(N)を結晶格子内に固溶したS相が厚く形成されたと考えられる。これに伴い、
図9の表面硬さ試験と、
図12および
図13の孔食試験の結果に示したように、表面硬さおよび耐孔食性がより向上したと考えられる。
【0102】
またSPCCスクリーンを用いた試料において、
図8の下段の断面組織観察の結果により、局所的に薄いS相の形成が確認され、さらに
図9~
図11の表面硬さ試験の結果より、試料表面部で硬さおよび窒素(N)濃度の異なる相が確認され、窒素(N)濃度の不均一な分布が示唆された。これは、格子面によって窒素(N)の拡散性が異なることと、SPCCスクリーン由来の鉄窒化物がNiスクリーン由来のニッケル窒化物よりも分解し難いこととが原因であると考えられる。また、鉄窒化物よりもニッケル窒化物の方が試料表面で分解し易く、多くの窒素(N)が試料内部に拡散すると考えられるため、
図5の下段におけるGD-OES測定の結果に示したようにNiスクリーン37を用いた実施例の方が、SPCCスクリーンを用いた比較例よりも窒素拡散量が大きい結果が得られている。
【0103】
これらのことから、二相系ステンレス鋼材の表面において、鉄窒化物は窒素(N)の拡散性が大きい格子面上では分解され易く、小さい格子面上では分解され難かったため、格子面によって窒素拡散量が異なり、薄いS相や異なる表面硬さおよび窒素(N)濃度を示す相が形成したと考えられる。一方で、Niスクリーン37を用いた試料で窒素(N)濃度が均一に分布したのは、ニッケル窒化物が分解され易いため、二相系ステンレス鋼材の表面において、窒素(N)の拡散性が小さい格子面上でも大きい格子面上でも分解され易かったため、いずれの格子面においても窒素拡散量が同程度であったと考えられる。
【0104】
(結論)
本実施例では、スクリーンを用いた低温プラズマ窒化におけるS相およびSα相を厚膜化することを目的として、オーステナイト系ステンレス鋼材(SUS304鋼材)と、フェライト系ステンレス鋼材(SUS430鋼材)と、二相系ステンレス鋼材(SUS329J4L鋼材)とに対し、Niスクリーン37とSPCCスクリーンとを用いたS-DCPN処理を施し、比較した。その結果、以下の結論が得られた。
【0105】
(1)SUS304鋼材へのS-DCPN処理において、Niスクリーン37を用いた場合、SPCCスクリーンを用いた場合よりも、窒素拡散量が向上することでS相が厚膜化した。それに伴い表面硬さおよび耐孔食性がより向上した。
【0106】
(2)SUS430鋼材へのS-DCPN処理において、Niスクリーン37を用いた場合、SPCCスクリーンを用いた場合よりも、窒素拡散量が向上したが、Sα相の厚さは測定できなかった。また、表面硬さは向上したが、耐孔食性はCrN析出により、Niスクリーン37およびSPCCスクリーンの両方で未処理のSUS430鋼材よりも低下し、Niスクリーンを用いた場合、より低下した。
【0107】
(3)SUS329J4L鋼材へのS-DCPN処理において、Niスクリーン37を用いた場合、SPCCスクリーンを用いた場合よりも、窒素拡散量が向上したことでS相が厚膜化した。それに伴い表面硬さおよび耐孔食性がより向上した。
【0108】
(4)スクリーンを用いた低温プラズマ窒化において、Niスクリーン37を用いる場合、従来の鉄鋼材料のスクリーンを用いる場合よりもオーステナイト系ステンレス鋼および二相系ステンレス鋼において、窒素拡散量が向上することでS相が厚膜化し、それに伴い表面硬さおよび耐孔食性がより向上する。一方で、フェライト系ステンレス鋼において、窒素拡散量および表面硬さは向上するが、それに伴うCrN析出による耐孔食性の低下に注意する必要がある。
【0109】
(ニッケルの拡散)
さらに、上記実施例が行われたステンレス鋼材内へのニッケルの拡散について、上述のGD-OESを用いて評価した。
【0110】
図15は、S-DCPN処理されたSUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材に対する上記GD-OESによって得られたニッケル(Ni)元素のプロファイルをそれぞれ示すグラフである。各グラフの横軸は表面からの距離d(μm)であり、縦軸はニッケル(Ni)濃度(at%)である。また、各グラフには、Niスクリーン37を用いた実施例が実線で示され、SPCCスクリーンを用いた比較例が破線で示されている。SPCCスクリーンにはニッケルが含まれていないので、実施例のグラフと比較例のグラフとの差分が、Niスクリーン37によってステンレス鋼材2内に拡散されたニッケルの濃度と考えられる。
【0111】
従って、
図15のグラフを参照すると、SUS304鋼材、SUS430鋼材、およびSUS329J4L鋼材の何れにおいても、Niスクリーン37によってステンレス鋼材2内にニッケルが、窒素に比べて少量ではあるが、拡散していることが理解できる。ニッケルがステンレス鋼材内に拡散することにより、ステンレス鋼材の表面に不働態膜が形成され易くなり、耐食性が向上することが期待できる。
【0112】
また、表面からの距離が0.1μm以下の場合、ステンレス鋼材2へのニッケルの拡散量は、大きい方から順番に、SUS430鋼材、SUS329J4L鋼材、およびSUS304鋼材となることが理解できる。
【0113】
(付記事項)
なお、本実施例では、オーステナイト系ステンレス鋼、フェライト系ステンレス鋼、および二相系ステンレス鋼の何れにおいても、窒素拡散量および表面硬さが向上した。このことから、マルテンサイト系ステンレス鋼、析出硬化系ステンレス鋼、その他のステンレス鋼の鋼材についても、本実施例と同様のS-DCPN処理を行うことにより、窒素拡散量および表面硬さが向上すると考えられる。
【0114】
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。