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特開2023-174308スギおよびヒノキ花粉飛散抑制剤および花粉飛散抑制方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023174308
(43)【公開日】2023-12-07
(54)【発明の名称】スギおよびヒノキ花粉飛散抑制剤および花粉飛散抑制方法
(51)【国際特許分類】
   A01N 57/20 20060101AFI20231130BHJP
   A01P 21/00 20060101ALI20231130BHJP
   A01N 37/42 20060101ALI20231130BHJP
   A01G 7/06 20060101ALI20231130BHJP
【FI】
A01N57/20 C
A01P21/00
A01N37/42
A01G7/06 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】7
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022087084
(22)【出願日】2022-05-27
(71)【出願人】
【識別番号】501186173
【氏名又は名称】国立研究開発法人森林研究・整備機構
(74)【代理人】
【識別番号】100099759
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 篤
(74)【代理人】
【識別番号】100123582
【弁理士】
【氏名又は名称】三橋 真二
(74)【代理人】
【識別番号】100117019
【弁理士】
【氏名又は名称】渡辺 陽一
(74)【代理人】
【識別番号】100141977
【弁理士】
【氏名又は名称】中島 勝
(74)【代理人】
【識別番号】100138210
【弁理士】
【氏名又は名称】池田 達則
(74)【代理人】
【識別番号】100182730
【弁理士】
【氏名又は名称】大島 浩明
(72)【発明者】
【氏名】市原 優
【テーマコード(参考)】
2B022
4H011
【Fターム(参考)】
2B022AB20
2B022EA10
4H011AB03
4H011BB06
4H011BB17
4H011DA13
(57)【要約】
【課題】新しい作用機序に基づき高効率で花粉飛散を抑制する技術を提供する。
【解決手段】本発明者らは、スギおよびヒノキの開花前の雄花に対し雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を適用することにより花粉飛散が顕著に抑制されることを見出し、本発明を完成するに至った。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
スギ及びヒノキの花粉の飛散を抑制するための組成物であって、花粉を担持する雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を有効成分として含有し、当該化合物が、(2-クロロエチル)ホスホン酸、ジャスモン酸、及びそれらの植物生理学的に許容される塩又はエステルからなる群から選択される、組成物。
【請求項2】
スギ及びヒノキの雄花表面に散布されるのに適した形態で製剤化された、請求項1に記載の組成物。
【請求項3】
スギ及びヒノキの花粉の飛散を抑制する方法であって、花粉を担持する雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を含有する剤を有効量でスギ及びヒノキの雄花に適用する工程を含み、当該化合物が、(2-クロロエチル)ホスホン酸、ジャスモン酸、及びそれらの植物生理学的に許容される塩又はエステルからなる群から選択される、方法。
【請求項4】
前記剤のスギ及びヒノキの雄花への適用が、雄花表面への当該剤の散布により行われる、請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記剤のスギ及びヒノキの雄花への適用が、雄花の開花が開始する時期の8週前~1週前の間に行われる、請求項3又は4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】
前記剤が、0.5~10重量%の(2-クロロエチル)ホスホン酸水溶液として雄花表面に適用される、請求項3又は4のいずれかに記載の方法。
【請求項7】
前記剤が、0.1~2重量%のジャスモン酸水溶液として雄花表面に適用される、請求項3又は4のいずれかに記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、花粉を担持するスギ及びヒノキ雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を有効成分として含有する、スギ及びヒノキ花粉飛散抑制剤、並びに当該化合物を用いたスギおよびヒノキ花粉飛散抑制方法に関する。
【背景技術】
【0002】
被子植物において雄蕊の葯中、裸子植物において雄花の花粉嚢中に形成される微粒子状の雄性生殖細胞である花粉は、外界(大気や水)に飛散し、又は他の媒介生物により運搬されて、同種の雌性生殖細胞を有する胚珠に接触して受粉が成立する。大気中に飛散した花粉を人が吸引して、鼻や目等の粘膜に接触すると、花粉に対するアレルギー反応が生じることがあり、このアレルギー反応によってくしゃみ、鼻水、鼻詰まり及び目のかゆみ等の症状が生じる疾患を花粉症という。
【0003】
花粉症を引き起こす原因植物としては、スギ、ヒノキ、ブタクサ、マツ、イネ科植物、ヨモギ等が知られているが、特に日本において、春先のスギの花粉による花粉症が顕著である。日本における花粉症のおよそ8割はスギ花粉症であり、スギ花粉症は日本国民の3割が罹患している国民病である。
【0004】
花粉飛散期に多くの花粉症患者の生活の質を著しく損なう花粉症への対策は従来から様々に試みられている。花粉症の症状を緩和するため、アレルゲンへの抵抗力強化や体質改善を図る減感作療法などの原因療法に加え、抗ヒスタミン剤や副腎皮質ホルモンなどの投与、目薬やマスクなどによる防御措置が講じられているが、最も根源的な対策は、花粉の空中への飛散量を減少することである。
【0005】
林野庁は、スギ林における花粉の飛散を抑制するための花粉発生源対策「3本の斧」を掲げている。即ち、第一の斧「伐って利用する」、第二の斧「植え替える」、及び第三の斧「出させない」を推進することにより、春季の国民の健康で豊かな生活及び経済活動の改善を図ることとしている。
【0006】
このうち第三の斧「出させない」において、スギ花粉の発生を抑える技術や、スギ花粉の飛散防止剤の開発・普及等、スギ花粉の発生を抑え飛散させない技術の実用化が図られ、これに応じて様々な技術開発が進められている。
【0007】
例えば、マレイン酸ヒドラジドまたはその塩を有効成分とするスギ科、ヒノキ科等の針葉樹の花粉形成阻害剤が知られている(特許文献1)。この薬剤は針葉樹の花芽形成期に葉茎に適用され、スギにおける適用時期は、夏季6~9月頃である。
【0008】
オレイン酸又は/及びリノール酸(植物油脂)の界面活性剤エマルジョンを有効成分とする花粉飛散防止剤を報告する特許文献2において、当該薬剤が適用されたスギにおいて植物ホルモンとして作用するエチレン生成が誘導され、発生したエチレンが花粉の急激な呼吸促進、言い換えれば花粉の消耗を速やかにして花粉を迅速に老化、枯殺すると考察されている。適用時期については、花粉の成熟の見られる10月頃の雄花に対して剤を散布する旨示されている。また、特許文献3~8において、花粉飛散抑制剤の有効成分としてオレイン酸またはリノール酸の様々な誘導体が開示されており、これらもスギ雄花の形成初期花粉粒が成熟する前の8月~11月にかけて適用されることが推奨されている。
【0009】
スギ黒点病菌(Sydowia japonica)の菌糸体を雄花に感染させて枯死させることによって花粉飛散を抑制する特許文献9において、菌糸体懸濁液は秋季10月~11月に適用される。以上の他にも、炭素数2~12の脂肪酸(酢酸、カプリン酸、カプリル酸、又はラウリン酸等)の多価アルコールエステル、アセト乳酸合成酵素阻害剤、ジベレリン生合成阻害剤を用いて花芽形成を阻害することによって花粉飛散を抑制する技術が報告されている(特許文献10~13)。
【0010】
このように、スギ雄花の花粉形成を阻害する薬剤を適用することにより花粉飛散を抑制しようとする試みは各所で研究開発が進められているが、目下のところ十分な効果を発揮する薬剤を見出すには至っていない。従って、従来知られているものとは異なる作用機序に基づき高効率で花粉飛散を抑制する新規技術の開発は、花粉症による広範な健康被害を抑えるという社会的要請に大いに応え得るものであり、高い需要が見込まれる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】:特開平03-279305号公報
【特許文献2】:特開平05-238902号公報
【特許文献3】:特開平07-053307号公報
【特許文献4】:特開2009-191053号公報
【特許文献5】:特開2009-191052号公報
【特許文献6】:特開2009-184991号公報
【特許文献7】:特開2009-184990号公報
【特許文献8】:特開2011-037735号公報
【特許文献9】:特開2011-052039号公報
【特許文献10】:特開2012-092174号公報
【特許文献11】:特開2016-216450号公報
【特許文献12】:特開平6-024915号公報
【特許文献13】:特開2004-339188号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明は、花粉を担持するスギ及びヒノキ雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を有効成分として含有する、スギ及びヒノキ花粉飛散抑制剤、並びに当該化合物を用いたスギおよびヒノキ花粉飛散抑制方法に関する。
【課題を解決するための手段】
【0013】
発明者らは、(2-クロロエチル)ホスホン酸(エテホンあるいはエスレル(登録商標)とも称される)又はジャスモン酸を、スギ雄花の伸長(開花)直前の2月上旬に雄花に適用することによって、花粉飛散抑制効果が得られることを見出した。上記で例示した従来のスギ花粉飛散抑制剤は専らスギ雄花の花芽形成や花粉形成過程を阻害することによって花粉の生産量を減少するものである。上記先行技術文献中で既に形成された雄花の開花を阻害することによって花粉の飛散を抑制するものは唯一特許文献13の3-オキソブタン酸エステルだけであるが、これは本願発明に係る(2-クロロエチル)ホスホン酸及びジャスモン酸と関連しない別種の物質である。
【0014】
また、発明者らは、ヒノキ雄花においても、同様に(2-クロロエチル)ホスホン酸又はジャスモン酸をヒノキ雄花の開花直前の3月上旬に雄花に適用することによって、花粉飛散抑制効果が得られることを見出した。スギ及びヒノキは共にヒノキ科(Cupressaceae)に属するが、それらは一括りにされるべきではない別個の樹種であり、スギにおいて花粉飛散抑制効果が示された本発明の花粉飛散抑制剤がヒノキにおいても同様に良好な花粉飛散抑制効果を示すことは、本発明の有利な特徴である。
【0015】
本発明の花粉飛散抑制は、上記のように開花直前の雄花の開花を阻害する作用に基づくため、従来技術の薬剤が作用標的とするスギ雄花の花芽形成及び花粉形成が行われる夏から秋よりも遅い時期、開花直前の冬~春先に適用される。また、従来の抑制剤と作用機序及び適用時期が異なるため、本発明の薬剤をそれら従来の薬剤と組み合わせて適用した場合に効果が重複せず、相加的又は相乗的飛散抑制効果を呈する可能性もある。
【0016】
従って、本願は、以下の発明を提供する。
【0017】
1.スギ及びヒノキの花粉の飛散を抑制するための組成物であって、花粉を担持する雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を有効成分として含有し、当該化合物が、(2-クロロエチル)ホスホン酸、ジャスモン酸、及びそれらの植物生理学的に許容される塩又はエステルからなる群から選択される、組成物。
2.スギ及びヒノキの雄花表面に散布されるのに適した形態で製剤化された、項目1に記載の組成物。
3.スギ及びヒノキの花粉の飛散を抑制する方法であって、花粉を担持する雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を含有する剤を有効量でスギ及びヒノキの雄花に適用する工程を含み、当該化合物が、(2-クロロエチル)ホスホン酸、ジャスモン酸、及びそれらの植物生理学的に許容される塩又はエステルからなる群から選択される、方法。
4.前記剤のスギ及びヒノキの雄花への適用が、雄花表面への当該剤の散布により行われる、項目3に記載の方法。
5.前記剤のスギ及びヒノキの雄花への適用が、雄花の開花が開始する時期の8週前~1週前の間に行われる、項目3又は4のいずれかに記載の方法。
6.前記剤が、0.5~10重量%の(2-クロロエチル)ホスホン酸水溶液として雄花表面に適用される、項目3~5のいずれか1項に記載の方法。
7.前記剤が、0.1~2重量%のジャスモン酸水溶液として雄花表面に適用される、項目3~5のいずれか1項に記載の方法。
【図面の簡単な説明】
【0018】
図1図1は、スギの雄花形成過程と本発明及び従来技術の花粉飛散抑制剤が作用する段階を示す概略図である。
【0019】
図2図2は、スギに対するエテホン塩酸水溶液適用試験(実施例1)の結果を示す。
【0020】
図3図3は、ヒノキに対するエテホン塩酸水溶液適用試験(実施例2)の結果を示す。
【0021】
図4図4は、スギに対するエスレル(登録商標)処理液適用試験(実施例3)の結果を示す。
【0022】
図5図5は、ヒノキに対するエスレル(登録商標)処理液適用試験(実施例4)の結果を示す。
【0023】
図6図6は、スギに対するジャスモン酸処理液適用試験(実施例5)の結果を示す。
【0024】
図7図7は、ヒノキに対するジャスモン酸処理液適用試験(実施例6)の結果を示す。
【0025】
図8図8は、スギに対する12月、1月及び2月の異なる時点でのエスレル(登録商標)処理液適用による花粉飛散抑制試験(実施例7)の結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0026】
本発明の花粉飛散抑制剤が適用される植物は、花粉が花粉症を引き起こす針葉樹であり、好ましくはスギ又はヒノキである。スギ及びヒノキは共にヒノキ科(Cupressaceae)に属するが、ヒノキ科で花粉症を引き起こすのは専らスギ(Cryptomeria japonica)及びヒノキ(Chamaecyparis obtusa)である。いずれも日本では木材や庭木、街路樹として古くから利用されており、特に戦後の高度経済成長期における木材需要増大に応えてスギ及びヒノキの造林が盛んに行われ、その後の需要減少によって伐採が滞っているため、現在では日本の森林面積の3割近くをスギ又はヒノキの人工林が占めるに至っている。
【0027】
但し、スギ及びヒノキは一括りにされるべきではない別個の樹種である旨留意されたい。従って、上記に例示した従来技術において、スギの花粉飛散抑制のみ報告しており、ヒノキについての言及が無いものは、ヒノキに対する花粉抑制作用を有しないと考えるべきである。その点、本発明の花粉飛散抑制剤が、スギ及びヒノキの2つの別個の樹種の両方において後述のように良好な花粉飛散抑制効果を示すことは、本発明の有利な特徴である。
【0028】
また、スギ及びヒノキは、雄花の花芽形成から開花が起こる時期に数ヶ月ずれがあるので、開花の直前に適用すべき本発明の花粉飛散抑制剤の適用時期は、対象がスギの場合とヒノキの場合との間で異なる。例えば、スギが3月、ヒノキが4月に開花する地域において、本発明の花粉飛散抑制剤は、それぞれ2月及び3月頃を中心に適用時期が検討される。好ましくは、本発明の花粉飛散抑制剤は、対象のスギ又はヒノキ雄花の開花が開始する時期の8週前、7週前、6週前、5週前、4週前、3週前、2週前、又は1週前に適用される。
【0029】
本発明の花粉飛散抑制剤を適用して花粉の飛散を抑制するスギ及びヒノキは、天然又は人工林、街路樹、庭木、生垣等、花粉を形成及び放出する任意のスギ及びヒノキ樹木であり得る。また、実施例において示すように樹木から採取した切り枝の花粉飛散も抑制し得る。
【0030】
本発明の花粉飛散抑制剤は、スギ又はヒノキの花粉を担持する雄花の伸長(開花)を阻害する化合物を有効成分として含有する。植物ホルモンであるエチレンやジャスモン酸、ジャスモン酸メチルには植物に対して成長抑制や老化促進の作用がある。
【0031】
一つの態様において、本発明の花粉飛散抑制剤は、有効成分として、(2-クロロエチル)ホスホン酸(エテホンあるいはエスレル(登録商標)とも称される)を含有する。(2-クロロエチル)ホスホン酸自体は公知の化合物であり(CAS RN16672-87-0)、単体化合物として市販されているもの(例えば東京化成工業製品コード: C1456)や、市販のエテホン製剤(例えば石原エスレル(登録商標)10(石原バイオサイエンス株式会社)や日産エスレル(登録商標)10(日産化学株式会社))を有効成分として本発明の花粉飛散抑制剤が構成され得る。(2-クロロエチル)ホスホン酸は植物ホルモンとして作用するエチレンの誘導体であり、液体で散布された対象の植物に対してエチレンによって誘導される様々な生理応答を引き起こす。本発明における雄花開花の抑制も、エチレンに対する生理応答であると考えられる。本発明の花粉飛散抑制剤は、スギ及びヒノキが斯かるエチレンに対する生理応答を示すのに十分な量適用される。
【0032】
一つの態様において、本発明の花粉飛散抑制剤は、有効成分としてジャスモン酸を含有する。ジャスモン酸自体は公知の化合物であり(CAS 221682-41-3)、単体化合物として市販されている(例えば東京化成工業製品コード:J0004)。ジャスモン酸は上記エチレン同様に植物に対し様々な生理応答を誘導する植物ホルモンである。(2-クロロエチル)ホスホン酸と同様にスギ及びヒノキの雄花開花を抑制するが、斯かる抑制はエチレンとは別系統で引き起こされる。
【0033】
花粉飛散抑制を達成するのに十分な本発明の花粉飛散抑制剤の適用量は、当業者が通常の条件検討を経て決定することが出来る。なお、後述のように、本発明の花粉飛散抑制剤の適用は他の植物に対し薬害を生じる可能性があるため、本発明の花粉飛散抑制剤の周辺環境への影響も考慮して適用量が決定され得る。
【0034】
本発明の花粉飛散抑制剤は、水性溶液若しくは懸濁物、油性溶液若しくは懸濁物、乳液、エアロゾル、粉末、顆粒等の任意の適切な形態の組成物として調製され得る。斯かる本発明の花粉飛散抑制剤は、原液のまま用いられ、又は所定の液体によって希釈、溶解又は懸濁して用いられ得る。本発明の花粉飛散抑制剤をどのように調製するかは、実際に適用する条件を考慮して当業者が適宜決定し得る事項である。
【0035】
好ましい態様において、本発明の花粉飛散抑制剤は、0.5~10重量%の(2-クロロエチル)ホスホン酸水溶液として雄花表面に適用される。他の好ましい態様において、本発明の花粉飛散抑制剤は、0.1~2重量%のジャスモン酸水溶液として雄花表面に適用される。
【0036】
本発明の花粉飛散抑制剤は、適用されたスギ又はヒノキの雄花伸長(開花)を抑制することにより、雄花からの花粉の飛散を抑制する。従って、当該剤の適用時期は、雄花が開花する直前に設定される。例えば、当該剤は、花粉の飛散が始まる予想日の8週前、7週前、6週前、5週前、4週前、3週前、2週前、又は1週前に適用され得る。ヒノキの花粉飛散時期はスギよりも後であることから、同じ地域でヒノキへの当該剤の適用時期はスギよりも後になり得る。例えば、スギの花粉飛散時期が3月、ヒノキの花粉飛散時期が4月と通常認識されている地域では、本発明の剤は、1~2月にスギに、2~3月にヒノキに適用され得る。
【0037】
本発明の花粉飛散抑制剤は雄花が開花する直前に適用されるため、従来技術に有るような、花芽形成及び花粉成熟を抑制することによる花粉飛散抑制剤よりも後に適用される。例えば、特許文献4(特開2009-191053号公報)において、適用時期として「雄花が着生する8月から花粉粒の生成期に当たる10~11月までの比較的長い期間にわたり散布することができ」と記載されており、本発明の通常の適用時期1~3月(スギ雄花開花が3月に開始するとしてその8~1週前)との間で重複しない。
【0038】
本発明の花粉飛散抑制剤は、雄花の開花を阻害することによって、開花した雄花から花粉が飛散するのを阻害する。対象のスギ及びヒノキに当該抑制剤を適用することにより、適用していない場合と比較して顕著な割合で花粉飛散量が減少する。例えば、本発明の花粉飛散抑制剤を適用したスギ及びヒノキの花粉飛散量は用量依存的に減少し、過剰量の用量を適用すると雄花が枯死し100%花粉飛散が抑制され得る。しかしながら、本発明の有効成分は後述のように様々な植物種に対し薬害を及ぼす可能性があるため、所望の花粉飛散抑制と周辺環境への影響を考慮して適用条件が設定され得る。
【実施例0039】
実施例1:スギに対するエテホン塩酸水溶液適用
エテホン(東京化成工業製)を塩酸水溶液(0.01mol/l)で溶解した10%、1%、0.1%のエテホン溶液、および対照として塩酸水溶液(0.01mol/l)を、スギ雄花の開花約2週間前の2021年2月9日に採取した切り枝を水挿して、雄花に浸漬処理し、室温に置いた。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、雄花穂から花粉が5mlプラスチック容器内に落ちるように保持した。18日後に枝毎に飛散した花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0040】
1%エテホン処理の花粉飛散量は、対照における飛散量の35.5%となり、スギ花粉飛散抑制効果が得られた(図2)。一方、0.1%エテホン処理では、スギ花粉飛散抑制効果は得られなかった。10%エテホン処理では枝と雄花が枯死し開花しなかった。また、野外の1%エテホン処理では、スギの枝葉には外観上の変化はなく、薬害は認められなかった。
【0041】
実施例2:ヒノキに対するエテホン塩酸水溶液処理
エテホン(東京化成工業製)を塩酸水溶液(0.01mol/l)で溶解した10%、1%、0.1%のエテホン溶液、および対照として塩酸水溶液(0.01mol/l)を、ヒノキ雄花の開花約2週間前の2021年3月4日に採取した切り枝を水挿して、雄花に浸漬処理し、室温に置いた。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、枝をパラフィン紙袋で覆い落ちた花粉を集めた。22日後に枝毎に飛散した花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0042】
1%エテホン処理の花粉飛散量は、対照における飛散量の29.5%となり、ヒノキ花粉飛散抑制効果が得られた(図3)。一方、0.1%エテホン処理では、ヒノキ花粉飛散抑制効果は得られなかった。10%エテホン処理では枝と雄花が枯死し開花しなかった。また、野外の1%エテホン処理では、ヒノキの枝葉には外観上の変化はなく、薬害は認められなかった。
【0043】
実施例3:スギに対するエスレル(登録商標)処理液適用
市販の植物成長調整剤の石原エスレル(登録商標)10(石原バイオサイエンス株式会社製、エテホン濃度10%)を脱イオン水で10倍、100倍、1000倍、10000倍希釈した1%、0.1%、0.01%、0.001%処理液、希釈していない原液10%処理液、および脱イオン水を、スギ雄花の開花約1か月前の2018年1月11日に、森林総合研究所関西支所の実験林に植栽されたスギの雄花に浸漬処理した。2018年2月27日に処理した雄花がついた枝を採取し、室内で水挿しして開花させ花粉を回収した。水挿しにはプラスチック容器に水を入れて行い、枝毎の花粉のトラップにはプラスチック容器を用いた。枝ごとに花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0044】
1%処理の花粉飛散量は、水処理における飛散量の15.2%となり、スギ花粉飛散抑制効果が得られた(図4)。一方、0.1%、0.01%、0.001%処理液では、スギ花粉飛散抑制効果は得られなかった。また、1%処理および0.1%、0.01%、0.001%処理液によって、スギの枝葉には外観上の変化は認められなかった。なお、10%処理液では枝と雄花が枯死し開花しなかった。
【0045】
実施例4:ヒノキに対するエスレル(登録商標)処理液適用
市販の植物成長調整剤の石原エスレル(登録商標)10(石原バイオサイエンス株式会社製、エテホン濃度10%)を水で10倍希釈した1%処理液、および水を、ヒノキ雄花の開花約1か月前の2020年2月12日に、森林総合研究所関西支所の実験林に植栽されたヒノキの雄花に浸漬処理した。2020年3月22日に処理した雄花がついた枝を採取し、水挿しして開花させ花粉を回収した。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、枝をパラフィン紙袋で覆い落ちた花粉を集めた。枝ごとに花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0046】
1%処理の花粉飛散量は、水処理における飛散量の11.2%となり、ヒノキ花粉飛散抑制効果が得られた(図5)。また、1%処理によって、ヒノキの枝葉には外観上の変化は認められなかった。
【0047】
実施例5:スギに対するジャスモン酸処理液適用
ジャスモン酸(東京化成工業製)を少量のエタノールで溶解後、水を加えた1%、0.1%、0.01%のジャスモン酸溶液、および対照として水を、2022年1月17日と2月7日に野外のスギ雄花に対して浸漬処理した。スギ雄花の開花直前の2022年3月2日に処理した雄花を含む枝を各処理10本ずつ採取して水挿し、室温に置いた。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、雄花穂から花粉が5mlプラスチック容器内に落ちるように保持した。11日後に枝毎に飛散した花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0048】
1%ジャスモン酸処理の花粉飛散量は、対照における飛散量に対して1月処理では19.8%、2月処理では9.9%となり、スギ花粉飛散抑制効果が得られた。また、0.1%ジャスモン酸処理の花粉飛散量は、対照における飛散量に対して2月処理では45.8%となり、スギ花粉飛散抑制効果が得られたが、1月処理では効果は認められなかった。0.01%のジャスモン酸処理では、1月処理と2月処理ともにスギ花粉飛散抑制効果は得られなかった(図6)。
【0049】
実施例6:ヒノキに対するジャスモン酸処理液適用
ジャスモン酸(東京化成工業製)を少量のエタノールで溶解後、水を加えた1%のジャスモン酸溶液、および対照として水を、2022年2月9日に野外のヒノキ雄花に対して筆で塗布処理した。ヒノキ雄花の開花直前の2022年3月28日に処理雄花を含む枝を各処理8本ずつ採取して水挿し、室温に置いた。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、雄花から花粉が5mlプラスチック容器内に落ちるように保持した。4日後に枝毎に飛散した花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0050】
1%ジャスモン酸処理の花粉飛散量は、対照における飛散量に対して10.7%となり、ヒノキ花粉飛散抑制効果が得られた(図7)。
【0051】
実施例7:スギへのエスレル(登録商標)処理液適用時期の検討
市販の植物成長調整剤のエスレル(登録商標)(日産エスレル10、エテホン濃度10%)を脱イオン水で10倍希釈した1%エスレル(登録商標)処理液、および脱イオン水を、スギ雄花の開花約2か月前となる2021年12月28日、約1か月前となる2022年1月17日、および約2週間前となる2022年2月7日に、森林総合研究所関西支所の実験林に植栽されたスギの雄花に浸漬処理した。例年より遅く開花直前期になった2022年3月2日に処理した雄花がついた枝を各処理10本ずつ採取し、室内で水挿しして開花させ花粉を回収した。水挿しには、生花用のフラワーフォーム(DCMホールディングス)を用い、雄花穂から花粉が5mlプラスチック容器内に落ちるように保持した。枝ごとに花粉重量の測定と雄花個数の計数を行い、雄花1個当たりの飛散した花粉重量を求めた。
【0052】
1%エスレル(登録商標)処理の花粉飛散量は、対照における飛散量に対して12月処理では66.1%、1月処理では46.5%、2月処理では13.8%となり、1月処理と2月処理で50%以下にスギ花粉飛散抑制効果が得られた(図8)。また、スギの枝葉には外観上の変化はなく、薬害は認められなかった。
【0053】
実施例8:(2-クロロエチル)ホスホン酸の薬害試験
(2-クロロエチル)ホスホン酸が生成するエチレンは植物一般に対して広く生理作用を有しているため、本発明の花粉飛散抑制を実施するにあたり周囲の植物に薬害が発生する可能性がある。そのような薬害が起こる可能性について検討を行った。
【0054】
日産エスレル(登録商標)10(日産化学株式会社製、エテホン濃度10%)を脱イオン水で10倍希釈した1%処理液(エテホン1%を含む)を調製した。2021年1月21日に、京都市の森林総合研究所関西支所の実験林において、38種類の植物に1%処理液をスプレーで適用した。その後2月8日、3月8日及び4月2日に目視による調査を行い、何らかの薬害があったものを薬害有とした。この試験の結果をまとめたものを下記表に示す。
【表1】
【0055】
調査した38種類の植物のうち、14種類(37%)に薬害が認められた。内訳は、常緑針葉樹4種、常緑広葉樹25種、落葉広葉樹9種のうち、枝枯れや落葉等の何らかの薬害があった種がそれぞれ0%、52%、11%であった。観察された薬害の代表的な例として、常緑広葉樹のナンテン、センリョウ、マンリョウにおいて、被害程度が最大の枝枯れが発生した。また、キンモクセイ、クロガネモチ、サザンカにおいて、落葉が発生した。落葉広葉樹において薬害が認められたのはウメのみであり、蕾の開花後に早期落花した。
【0056】
実施例9:ジャスモン酸の薬害試験
ジャスモン酸(東京化成工業製)を少量のエタノールで溶解後、水を加えた1%のジャスモン酸溶液を作成した。2022年2月9日に、京都市の森林総合研究所関西支所の実験林において、68種類の植物にジャスモン酸溶液を筆で塗布した。その後2月28日、3月25日及び4月14日に目視による調査を行い、4月14日までに何らかの薬害があったものを薬害有とした。この試験の結果をまとめたものを下記表に示す。
【表2】
【0057】
調査した68種類の植物のうち、7種類(10%)に薬害が認められた。内訳は、常緑針葉樹9種、常緑広葉樹34種、落葉広葉樹25種のうち、枝枯れや落葉等の何らかの薬害があった種がそれぞれ11%、15%、4%であった。薬害が観察された植物の代表的な例として、常緑針葉樹のコノテガシワ、常緑広葉樹ではマンリョウ、クロガネモチにおいて落葉が発生した。落葉広葉樹において薬害が認められたのはウメのみであり、開花が若干遅れた。
【0058】
従って、花粉飛散抑制を達成するのに十分な用量での本発明の花粉飛散抑制剤の適用は他の植物には薬害が発生する可能性があるため、実施において周辺環境への留意が必要であり得る。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8