(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023067487
(43)【公開日】2023-05-16
(54)【発明の名称】細胞の観察または培養用の板状基体、および細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法
(51)【国際特許分類】
C12M 3/00 20060101AFI20230509BHJP
C12M 1/34 20060101ALN20230509BHJP
C12N 11/02 20060101ALN20230509BHJP
【FI】
C12M3/00 A
C12M1/34 A
C12N11/02
【審査請求】未請求
【請求項の数】12
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021178774
(22)【出願日】2021-11-01
(71)【出願人】
【識別番号】304020177
【氏名又は名称】国立大学法人山口大学
(71)【出願人】
【識別番号】510128225
【氏名又は名称】松陽産業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100177714
【弁理士】
【氏名又は名称】藤本 昌平
(72)【発明者】
【氏名】祐村 恵彦
(72)【発明者】
【氏名】千原 健太郎
(72)【発明者】
【氏名】川上 智久
(72)【発明者】
【氏名】大崎 拓司
【テーマコード(参考)】
4B029
4B033
【Fターム(参考)】
4B029AA08
4B029AA21
4B029BB02
4B029BB11
4B029CC02
4B029CC08
4B029FA01
4B029GB06
4B029GB09
4B033NA12
4B033NA16
4B033ND05
(57)【要約】
【課題】本発明の課題は、マスクを用いることなく、基材上の指定した領域に任意の大きさと形状で細胞接着領域を形成させ、その限られた領域にのみ細胞を接着可能な板状基体を提供することにある。
【解決手段】レーザーを透過可能な基材の一方の面に、細胞非接着領域および細胞接着領域を備えた細胞の観察または培養用の板状基体であって、
前記細胞非接着領域は、上記基材の一方の面に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成された第一の層と、前記第一の層上に配置され、少なくとも表面が細胞非接着性物質で形成された第二の層から構成される積層体を備え、
前記細胞接着領域は、表面が細胞接着性を有する物質を備えた領域であることを特徴とする、前記板状基体を作製する。
【選択図】
図5
【特許請求の範囲】
【請求項1】
レーザーを透過可能な基材の一方の面に、細胞非接着領域および細胞接着領域を備えた細胞の観察または培養用の板状基体であって、
前記細胞非接着領域は、上記基材の一方の面上に配置され、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成された第一の層と、前記第一の層上に配置され、少なくとも表面が細胞非接着性物質で形成された第二の層から構成される積層体を備え、
前記細胞接着領域は、表面が細胞接着性を有する領域であることを特徴とする、前記板状基体。
【請求項2】
前記基材がレーザーを透過可能な細胞接着性基材であり、前記細胞接着領域は、前記レーザーを透過可能な細胞接着性基材が露出した領域であることを特徴とする、請求項1に記載の板状基体。
【請求項3】
前記レーザーを透過可能な細胞接着性基材が、ガラスを主成分として含有する基材であることを特徴とする、請求項1または2に記載の板状基体。
【請求項4】
前記細胞非接着性物質が、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)の重合体であることを特徴とする請求項1~3のいずれかに記載の板状基体。
【請求項5】
前記細胞接着領域は、前記第一の層にレーザー照射をすることによって形成された領域であることを特徴とする、請求項1~4のいずれかに記載の板状基体。
【請求項6】
前記細胞接着領域の一部が、前記細胞非接着物質がレーザー照射により変性または分散して細胞非接着性を失った物質により構成されていることを特徴とする、請求項1~5のいずれかに記載の板状基体。
【請求項7】
前記細胞接着領域が、任意形状のパターンであることを特徴とする、請求項1~6のいずれかに記載の板状基体。
【請求項8】
前記細胞接着領域と前記細胞非接着領域が可視光下で判別可能であることを特徴とする、請求項1~7のいずれかに記載の板状基体。
【請求項9】
レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質が、可視光に対して非透過性の物質であることを特徴とする、請求項1~8のいずれかに記載の板状基体。
【請求項10】
細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法であって、
(a)レーザーを透過可能な基材の一方の面上に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質を塗布または噴霧して第一の層を形成する工程;
(b)前記第一の層上に細胞非接着物質を塗布または噴霧して第二の層を積層する工程;
(c)前記第一の層にレーザーを照射し、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴により前記第二の層の前記細胞非接着物質を変性もしくは分散させて、細胞非接着性を失った細胞接着領域を形成する工程;
の工程(a)~(c)を順次備えることを特徴とする、前記板状基体の作製方法。
【請求項11】
前記細胞接着領域は、レーザーを透過可能な細胞接着性基材が露出した領域であることを特徴とする、請求項10に記載の板状基体の作製方法。
【請求項12】
前記細胞接着領域と前記細胞非接着領域が可視光下で判別可能であることを特徴とする、請求項10または11に記載の板状基体の作製方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞の観察または培養用の板状基体、および細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法に関する。
【背景技術】
【0002】
カバーグラスやシャーレなどの培養基材表面上の所定の微小領域に培養細胞を接着もしくは配列させる技術は、現在世界中で研究が進められている。この技術を使えば、細胞の運動や増殖、細胞死の観察等が可能となる。例えば、細胞の運動に関して、細胞より細い幅の直線状となるように接着領域を作製すれば、ランダムな方向に動く細胞を直線的に動くように制御できる。さらに、細胞の分裂の方向もライン上に制限できる。このほか、顕微鏡視野に収まる大きさの細胞接着領域を用意すれば、運動性の高い細胞を観察する場合、運動領域を制限できるので、細胞が顕微鏡視野から出ることなく長時間観察を続けることが可能となる。また、任意の形状の細胞シートを作製すれば、再生医療などへも応用可能となる。
【0003】
これまで、所定の微小領域に培養細胞を接着もしくは配列させる技術がいくつか開発されてきた。たとえば、固相基板上に、ポリエチレングリコール(PEG)をコーティングすることで親水性の細胞非接着固相基板を作製し、さらにそのPEG上面に細胞外マトリクス(ECM)をプリントすることで、細胞接着領域のマイクロパターンを作製する技術が開示されている(特許文献1参照)。しかしながら、PEGでは細胞接着を完全に阻害できないという問題があった。さらに、マイクロパターン形成にはインクジェット印刷技術が必要となり、基板の作製は非常に煩雑で、かつ基板自体が高価になるという問題もあった。
【0004】
また、光触媒の作用により細胞の接着性が変化する細胞接着性変化材料でカバースリップをコートした後、マスクを載せて光照射することでパターン化した接着領域を作製する方法が提案されている(特許文献2参照)。この方法によれば、一時的に細胞を基材上に固定することは可能であるが、長時間細胞が接着領域に維持することが難しいという問題があった。そのため、例えば運動性の細胞を観察する場合に、細胞が顕微鏡視野から出てしまい、同じ細胞を長時間観察し続けることができないという問題があった。
【0005】
さらに、UV照射により細胞接着性に変わる光改質性ポリマーを利用した細胞培養用基材が開示されている(特許文献3参照)。光改質性ポリマーを利用することで細胞パターンニングが可能となるが、細胞非接着領域においても細胞は接着性を完全に失っていなかった。
【0006】
本発明者らは、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)の重合体を基盤上にコートした後、様々な形状の穴の空いたマスクを被せ、上からプラズマ処理することで、プラズマ処理された基材上で選択的に細胞接着領域を作製する方法を開示した(特許文献4参照)。上記特許文献1では、MPCコートをプラズマ処理で除く方法を採用しているが、この方法では、マスクを作製する必要があるほか、マスクで形成が困難な形状については細胞接着領域を作製することができないという問題があった。
【0007】
さらに、本発明者らは、上面に集光剤からなる薄膜がコーティングされたカバーグラスの薄膜上に細胞を静置し、薄膜にレーザーを照射することにより細胞膜に穴を開け、外来物質を導入する方法を開示した(特許文献5、6、非特許文献1参照)。この方法は、プラスミド等の外来物質をシングル細胞内に導入する技術であり、所定の位置に細胞を接着させることに関しては考慮されていない。
【0008】
所定の微小領域に培養細胞を接着もしくは配列させる技術の応用として、基材上に細胞接着領域を所定の間隔を持って多数配置することで「細胞マイクロアレイ」を作製することも可能となる。従来は薬剤の効果をみるために96ウェル培養器を用い、それぞれのウェルに細胞を配置し、薬剤を投入して薬剤の効果をみていたが、96ウェルの培養器に細胞を入れるには時間と手間がかかる。
【0009】
そこで、細胞非接着性物質によって形成された培養容器底面の上面に形成され、細胞群と接着する複数の細胞接着性領域を具備し、複数の細胞接着性領域は、細胞群のうちの1つのみ接着するために十分な大きさを持ち、各細胞接着性領域が接することのない所定の間隔を持って配列していることを特徴とする培養容器が開示されている(特許文献7参照)。この方法によれば、基板上にドットパターンで一つずつ細胞を分離した状態で接着可能であるが、細胞接着領域の大きさや形状をコントロールするのは難しかった。
【0010】
このほか、細胞非接着性基材表面上に、マイクロメートルオーダーで細胞接着性ドメインが存在する細胞培養用基材で形成した細胞スフェロイドを非侵襲的に回収する方法が開示されている(特許文献8参照)。この方法はあくまでスフェロイドを回収することを課題とする技術である。細胞非接着性部位を備えており、その細胞非接着性部位を分解または溶解することによってスフェロイドを切り離して回収する技術のため、所定の細胞の運動や増殖、細胞死等の観察には適していなかった。また、基板と2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン層とを有する細胞培養基材であって、該基材は、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン層で覆われていない複数の粗面部分を基材表面上に有し、ここで粗面部分の形状は、径が20μm~100μmのスポットであるか、または幅が3μm~30μmのグルーブである細胞培養基材が開示されている(特許文献9参照)。この基板では、インビトロで、形態学的極性および組織運動極性といったがん組織としての本来の生物学的特性を有する細胞集団を作製し、微小腫瘍のライブイメージングを行うことができるが、細胞間コミュニケーションを評価するのは難しかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】特開2012-187072号公報
【特許文献2】特開2004-344025号公報
【特許文献3】特開2020-029468号公報
【特許文献4】特開2019-110819号公報
【特許文献5】国際公開第2018/105748号パンフレット
【特許文献6】特開2015-167551号公報
【特許文献7】特開2000-41659号公報
【特許文献8】特開2006-67987号公報
【特許文献9】国際公開第2018/182044号パンフレット
【非特許文献】
【0012】
【非特許文献1】Yumura, S., A novel low-power laser-mediated transfer of foreign molecules into cells. Scientific Reports, 6:22055(2016)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明の課題は、マスクを用いることなく、基材上の指定した領域に任意の大きさと形状で細胞接着領域を有し、その限られた領域にのみ細胞を接着可能な板状基体を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意検討した結果、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴を利用することによって、基材上に細胞接着領域を形成することを見出し、本発明を完成した。
【0015】
すなわち、本発明は、以下のとおりである。
〔1〕レーザーを透過可能な基材の一方の面に、細胞非接着領域および細胞接着領域を備えた細胞の観察または培養用の板状基体であって、
前記細胞非接着領域は、上記基材の一方の面上に配置され、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成された第一の層と、前記第一の層上に配置され、少なくとも表面が細胞非接着性物質で形成された第二の層から構成される積層体を備え、
前記細胞接着領域は、表面が細胞接着性を有する領域であることを特徴とする、前記板状基体。
〔2〕前記基材がレーザーを透過可能な細胞接着性基材であり、前記細胞接着領域は、前記レーザーを透過可能な細胞接着性基材が露出した領域であることを特徴とする、上記〔1〕に記載の板状基体。
〔3〕前記レーザーを透過可能な細胞接着性基材が、ガラスを主成分として含有する基材であることを特徴とする、上記〔1〕または〔2〕に記載の板状基体。
〔4〕前記細胞非接着性物質が、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)の重合体であることを特徴とする上記〔1〕~〔3〕のいずれかに記載の板状基体。
〔5〕前記細胞接着領域は、前記第一の層にレーザー照射をすることによって形成された領域であることを特徴とする、上記〔1〕~〔4〕のいずれかに記載の板状基体。
〔6〕前記細胞接着領域の一部が、前記細胞非接着物質がレーザー照射により変性または分散して細胞非接着性を失った物質により構成されていることを特徴とする、上記〔1〕~〔5〕のいずれかに記載の板状基体。
〔7〕前記細胞接着領域が、任意形状のパターンであることを特徴とする、上記〔1〕~〔6〕のいずれかに記載の板状基体。
〔8〕前記細胞接着領域と前記細胞非接着領域が可視光下で判別可能であることを特徴とする、上記〔1〕~〔7〕のいずれかに記載の板状基体
〔9〕レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質が、可視光に対して非透過性の物質であることを特徴とする、上記〔1〕~〔8〕のいずれかに記載の板状基体
〔10〕細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法であって、
(a)レーザーを透過可能な基材の一方の面上に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質を塗布または噴霧して第一の層を形成する工程;
(b)前記第一の層上に細胞非接着物質を塗布または噴霧して第二の層を積層する工程;
(c)前記第一の層にレーザーを照射し、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴により前記第二の層の前記細胞非接着物質を変性もしくは分散させて、細胞非接着性を失った細胞接着領域を形成する工程;
の工程(a)~(c)を順次備えることを特徴とする、前記板状基体の作製方法。
〔11〕前記細胞接着領域は、レーザーを透過可能な細胞接着性基材が露出した領域であることを特徴とする、上記〔10〕に記載の板状基体の作製方法。
〔12〕前記細胞接着領域と前記細胞非接着領域が可視光下で判別可能であることを特徴とする、上記〔10〕または〔11〕に記載の板状基体の作製方法。
【発明の効果】
【0016】
本発明の板状基体は細胞接着領域を可視光下で観察することも可能であり、細胞の観察において有用である。また、本発明の板状基体は細胞接着領域として1.5μm幅とすることも可能であり、1または数個のごくわずかな細胞の動きの制御も可能となる。加えて、本発明の板状基体を用いれば、細胞を培養中、または培養後に、さらに板状基体にレーザーを照射してリアルタイムで細胞接着領域を追加もしくは拡張し、細胞の動きを誘導もしくは制御することが可能となる。さらに、本発明の板状基体の作製方法によれば、マスクを用いることなく、従来の方法に比べ簡便かつ短時間で基材上の指定した領域のみに所望の細胞接着領域を形成させることが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【
図1】実施例1において作製した板状基体を示す図である。
【
図2】実施例1において、板状基体にレーザーを照射する状態を示す図である。
【
図3】実施例1において、レーザー照射後に板状基体に細胞接着領域が形成された状態を示す図である。
【
図4】実施例2において、任意形状のパターンとして幅1.5μmの直線の細胞接着領域が形成された板状基体を用いて細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養した場合の最後の2時間の動画像を平均化した画像を示す図である。図中の直線は細胞接着領域と細胞非接着領域の可視光による見え方の差異により観察される細胞接着領域にあたる。
【
図5】実施例2において、任意形状のパターンとして幅1.5μmの直線が中心から外向きに時計回りとなる渦状の細胞接着領域が形成された板状基体を用いて細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養した場合の最後の2時間の動画像を平均化した画像を示す図である。図中の渦巻き状の線は細胞接着領域と細胞非接着領域の可視光による見え方の差異により観察される細胞接着領域にあたる。
【
図6】実施例2において、幅1.5μmの1本の直線の細胞接着領域が形成された板状基体を用いて細胞性粘菌キイロタマホコリカビを2時間培養したもの(上段)および24時間培養した場合の最後の2時間(下段)の動画像を平均化した画像を示す図である。図中の直線は細胞接着領域と細胞非接着領域の可視光による見え方の差異により観察される細胞接着領域にあたる。
【
図7】実施例3において、任意形状のパターンとして円形領域の細胞接着領域が形成された板状基体にCos1細胞を24時間培養後の画像を示す図である。
【
図8】実施例3において、任意形状のパターンとして四角形領域の細胞接着領域が形成された板状基体にCos1細胞を24時間培養後の画像を示す図である。
【
図9】実施例4において、任意形状のパターンとして15μm×15μmの四角形領域の細胞接着領域を縦横10個ずつ格子状に形成した板状基体に細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養後の画像を示す図である。
【
図10】実施例5において、任意形状のパターンとして正方形領域と円領域からなる形状の板状基体に細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養後の画像を示す図である。尚、本図においては静止画であり細胞の数も少ないため、領域の範囲についての認識を容易にするため細胞接着領域と細胞非接着領域の境界部分に四角形および円状の補助線を入れている。
【
図11】実施例9において、板状基体上の細胞の運動速度を測定した結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
本発明の細胞の観察または培養用の板状基体は、
レーザーを透過可能な基材の一方の面に、細胞非接着領域および細胞接着領域を備えた細胞の観察または培養用の板状基体であって、
前記細胞非接着領域は、上記基材の一方の面上に配置され、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成された第一の層と、前記第一の層上に配置され、少なくとも表面が細胞非接着性物質で形成された第二の層から構成される積層体を備え、
前記細胞接着領域は、表面が細胞接着性を有する領域であることを特徴とする、前記板状基体であれば特に制限されず、以下、「本件細胞の観察または培養用の板状基体」ともいう。また、本発明の細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法は、
(a)レーザーを透過可能な基材の一方の面上に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質を塗布または噴霧して第一の層を形成する工程;
(b)前記第一の層上に細胞非接着物質を塗布または噴霧して第二の層を積層する工程;
(c)前記第一の層にレーザーを照射し、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴により前記第二の層の前記細胞非接着物質を変性もしくは分散させて、細胞非接着性を失った細胞接着領域を形成する工程;
の工程(a)~(c)を順次備えることを特徴とする細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法であれば特に制限されず、以下、「本件細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法」ともいう。以降、「本件板状基体」または「本件板状基体の作製方法」の詳細について説明する。なお、上記細胞非接着領域がレーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴によって細胞非接着性を失った状態は、本明細書では細胞非接着領域に含まれず細胞接着領域となる。
【0019】
(基材)
本明細書において、レーザーを透過可能な基材としては、レーザーを透過可能な材質からなる基材である限り特に制限されないが、細胞毒性を有しない材質であることが好ましい。さらに、レーザー照射により積層体の全部または一部が除去された場合に基材が露出して細胞が接着しやすくする観点から、上記基材は細胞接着性を有する基材、すなわち細胞接着性基材を用いることが好ましい。
【0020】
また、レーザーの透過率が70%以上、好ましくは80%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上の材質を挙げることができる。具体的には、基材上にある細胞を顕微鏡で観察する上で透過性の観点、細胞接着性、および細胞の生育の観点からは、主成分としてソーダガラス等のガラス、石英、セラミック、サファイアなどの透明無機材料や、ポリスチレン、ポリプロピレン、ポリメタクリルアクリルアミドなどの高分子化合物を好適に挙げることができる。また、上記レーザーを透過可能な基材の形状としては特に制限されず、カバースリップ形状、シャーレ形状等を挙げることができる。カバースリップを用いる場合、カバースリップがボトムディッシュに接着させてシャーレ形状として用いることができる。また、レーザーを透過可能な基材の形状としては、平面状を挙げることができるが、細胞が増殖した場合に保持できるようなウェルを有してもよく、表面に傾斜、凹凸、曲面等を一部または全体に有していてもよく、これらを組み合わせてもよい。
【0021】
上記レーザーを透過可能な基材の厚さとしては特に制限されないが、0.05mm~0.3mmを挙げることができる。さらに、上記レーザーを透過可能な基材の大きさとしては特に制限されないが、幅または直径が10~1000mmを挙げることができる。
【0022】
上記レーザーを透過可能な基材は、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質を含む第一の層と接着する場合には、その接着性を高める観点から、油などの表面の汚れを除去してもよい。油などの表面の汚れを除去する方法としては、プラズマ処理、酸もしくはアルカリ処理、または有機溶媒処理を挙げることができる。また、上記基材上に、必要に応じてコラーゲン、ゼラチン、フィブロネクチン、エラスチン、ハイドロネクチン、ラミニン等の細胞接着性タンパク質や、ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、キチン等の電荷を有する多糖類や、ポリリジン、ポリエチレンイミン、スペルミジン、スペルミン、その他のポリカチオン等の細胞接着性因子をコーティングしてもよい。
【0023】
(第一の層)
上記細胞非接着領域は、上記レーザーを透過可能な基材の一方の面上には積層体が配置されて、上記積層体の表面が細胞非接着性の領域である。この積層体は第一の層と第二の層が積層して構成されている。第一の層は、レーザーを透過可能な基材上に配置され、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成されている。なお、細胞接着領域と細胞非接着領域が可視光下で判別可能とする場合には、当該レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質は細胞接着領域を構成する物質またはレーザーを透過可能な基材と比較して可視光の透過性が低い物質を用いることができ、可視光の透過性がない物質を用いることが好ましい。一方、第二の層は、前記第一の層上に配置され、少なくとも表面が細胞非接着性物質によって形成されており、表面が細胞非接着性となっている。なお、上記細胞非接着性とは、細胞が自らを固定しもしくは基板上を移動するために、あるいは、基板上で生育や増殖をしうる状況とするために表面に接着することができない性質を有することを意味する。
【0024】
上記第一の層を形成する、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質としては、レーザーが照射されることによって発熱またはプラズモン共鳴が生じることにより、第二の層の表面が細胞接着性を有する材質に変性する、もしくは低分子化を伴ったガス化や蒸発を含む分散などにより失われて基材または第一の層が露出することが可能な材質であれば特に制限されないが、細胞毒性を有しない材質であることが好ましい。また、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質として、具体的には、金、白金およびアルミニウムから選択されるいずれかの金属や、カーボン、有機色素、および無機色素から選択されるいずれかの集光剤を挙げることができるが、可視光を反射または吸収可能である物質であることが、任意形状のパターンの認識性を高める観点から好ましい。特に、細胞接着領域と細胞非接着領域が可視光下で判別可能とする場合には、レーザー照射をした領域とレーザー照射をしていない領域での可視光の非透過性の差の観点からは金、白金およびアルミニウムから選択されるいずれかの金属が好ましく、金がより好ましい。このような金属を用いる場合、第一の層を構成する、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質自体の全部または一部が、レーザー照射により分散または酸化してレーザー照射前と比較して上記金属の密度、分布、形状もしくはコントラストが変化することにより、レーザーを照射した領域である細胞接着領域とレーザーを照射していない細胞非接着領域を可視光下で判別しやすくなる。上記第一の層は、上記金属または集光剤の粒子から形成された薄膜であってもよい。金属または集光剤の粒子の粒径としては特に制限されないが、2nm~200nm、好ましくは5nm~100nmを挙げることができる。
【0025】
なお、細胞接着領域を形成する方法として、第一の層を設けることなく、上記レーザーを透過可能な基材上に直接第二の層を配置し、第二の層にレーザーを照射することで、分散により失われて基材を露出させる、もしくは第二の層の表面を、細胞接着性を有する材質に変性させる方法でもよいと考えうる。しかしながら、その場合には、高い出力のレーザーを照射する必要が生じるため、高価なレーザー装置が必要となる。言い換えれば、第一の層を設けて第一の層を形成する物質による発熱またはプラズモン共鳴を利用することにより、安価で低出力の連続波(CW)レーザーを用いても分散により失われて基材が露出する、もしくは第二の層の表面を、細胞接着性を有する材質に変性させることが可能となる。なお、上記細胞接着性とは、細胞が自らを固定しもしくは基板上を移動するために、あるいは、基板上で生育や増殖をしうる状況とするために表面に接着する性質を意味し、単に浮遊細胞が自重によって接することは除かれる。また、細胞接着領域は、細胞非接着領域と比較して相対的に細胞接着性が高い領域ということもできる。
【0026】
レーザーを透過可能な基材の一方の面上に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質で形成された第一の層を配置する方法は特に制限されないが、スパッタリング、蒸着、スピンコート、ゾルゲル法、メッキ、塗布、印刷などにより塗布する方法または噴霧する方法を挙げることができるが、作製工程の容易性の観点からスパッタリング法であることが好ましい。
【0027】
上記第一の層の厚さとしては、1nm~200nm、好ましくは5nm~100nm、より好ましくは15nm~60nmを例示することができる。第一の層の材質にもよるが、第一の層の厚さが200nmを超えれば、基材と第一の層との接着性の観点から好ましくなく、1nm未満であれば、レーザー出力を高めるために大きな設備が必要となり、高コストとなる。なお、第一の層の厚さと第二の層の変性もしくは分散させるレーザーの出力とは反比例の関係にあり、第一の層の厚さを薄くすると出力を高める必要があるため、第一の層の厚さは用いるレーザー光の出力に応じて調整することができる。また、細胞の顕微鏡観察の観点からは、上記第一の層は分光光度計によって測定(532nm)した場合のOD値として、0.005~0.1、好ましくは0.01~0.08を挙げることができる。
【0028】
(第二の層)
上記第一の層に第二の層が配置しており、この第二の層は少なくとも表面が細胞非接着性物質から形成されている。細胞非接着物質としては、細胞非接着性を有し、かつ第一の層による発熱またはプラズモン共鳴によって細胞接着性物質に変性もしくは分散可能な物質あれば特に制限されない。具体的には、両親媒性ポリマー、例えば、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)、エチレングリコール、ヒドロキシエチレンメタクリレート、またはジメチルシロキサンおよびその誘導体、もしくはそれらの重合体を挙げることができる。MPCの重合体としては、次の式(I)に示すMPC単量体からなる単重合体であっても、MPC単量体とMPC以外の単量体からなる共同重合体であってもよい。第二の層の細胞非接着性物質が表面に露出している領域においては、本件細胞の観察または培養用の板状基体上に細胞を播種した場合には、細胞は非接着性物質上には接着せず、細胞接着領域、すなわち任意形状のパターンに選択的に接着することとなる。すなわち、播種した細胞は任意の任意形状のパターン上でのみ接着する。
【0029】
【0030】
MPC以外の単量体としては、メチル(メタ)アクリレート、エチル(メタ)アクリレート、ブチル(メタ)アクリレート、ラウリル(メタ)アクリレート、ステアリル(メタ)アクリレート、2-エチルヘキシル(メタ)アクリレート等のアルキル(メタ)アクリレートや、ベンジル(メタ)アクリレート、フェノキシエチル(メタ)アクリレート、シクロヘキシル(メタ)アクリレート、ポリプロピレングリコールモノ(メタ)アクリレート、ポリテトラメチレングリコールモノ(メタ)アクリレート、ポリプロピレングリコールジ(メタ)アクリレート、ポリテトラメチレングリコールモノ(メタ)アクリレート、ポリプロピレングリコールポリエチレングリコールモノ(メタ)アクリレート、メタクリル酸ナトリウム、2-ヒドロキシ-3-メタクリロイルオキシプロピルトリメチルアンモニウムなどを挙げることができ、ブチル(メタ)アクリレートを好適に挙げることができる。なお、上記「(メタ)アクリレート」とは、アクリレートまたはメタクリレートを意味する。2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)とブチル(メタ)アクリレートとの共重合体の例を以下の式(II)に示す。
【0031】
【0032】
式(II)中、m、nは各構成単位のモル比を示すための数字であり、モル比でm/n=70/30~90/10である。
【0033】
上記第二の層は、第一の層上に細胞非接着性物質を塗布または噴霧することによって形成することができる。上記塗布または噴霧する方法としては特に制限されないが、例えば、細胞非接着性物質をエタノール等の有機溶媒に溶解し、かかる溶解液を、スピンコーター等の回転式塗布装置を用いて第一の層上に塗布する方法を挙げることができる。また、MPCの重合体を塗布する場合には、MPCの重合体そのものを塗布してもよいが、MPC単量体もしくはMPC単量体とMPC以外の単量体モノマー、および開始剤を含有する液を第一の層の上に塗布し、熱や光によって重合させてMPC重合体が第一の層の表面に形成されるようにしてもよい。
【0034】
上記第二の層の厚さとしては、5nm~200nm、好ましくは8nm~50nm、より好ましくは10nm~30nmを挙げることができる。
【0035】
上記第二の層は、細胞非接着領域と細胞接着領域との判別性をより高める観点からは、蛍光を発する色素を用いてもよい。例えば、第二の層としてMPCを用いる場合、MPCにはリン脂質類似構造を有するため、リン脂質に結合すると赤い蛍光を発する蛍光色素で第二の層を染色して蛍光顕微鏡で観察してもよい。
【0036】
上記レーザーを透過可能な基材と上記第一の層、上記第一の層と上記第二の層は直接接していてもよいが、レーザーの透過や、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴、発熱またはプラズモン共鳴による細胞非接着性物質の細胞接着性物質への変性や分散に影響がない限り、それぞれの間に他の物質もしくは層を備えていてもよい。
【0037】
(レーザー)
上記レーザーの光源としては特に制限されず、連続波(CW)レーザーやパルスレーザーを例示することができる。
【0038】
上記レーザーの波長としては特に制限されないが、380nm~1100nm、好ましくは450nm~780nm、より好ましくは500nm~600nmを挙げることができる。レーザーを照射することにより発熱やプラズモン効果によって第一の層および第一の層に近接する第二の層を構成する物質が変性もしくは分散する。また、レーザー光の周波数としては0.1kHz~100kHz、好ましくは1kHz~10kHzを例示することができる。さらに、同じまたは異なる波長もしくは周波数を有するレーザーを複数組み合わせて用いてもよい。
【0039】
レーザーの出力としては、第一の層および第二の層が変性もしくは分散できる範囲であればよく、好ましくはCWレーザーを用いた場合を例とすると0.1mW~500mW、より好ましくは1mW~300mW、さらに好ましくは50mW~200mWを挙げることができる。なお、上述のように第一の層の厚さと第二の層の変性もしくは分散させるレーザーの出力とは反比例の関係にあり、第一の層の厚さに応じてレーザーの出力を調整することができる。
【0040】
レーザーの照射は、第一の層に対して対物レンズを通して行うことが好ましい。対物レンズを通す場合の対物レンズの瞳径は、2mm~18mm、好ましくは4mm~12mm、より好ましくは5mm~10mmを挙げることができる。また、レーザーを照射する場合のレーザーのスポット(焦点)径としては、形成する任意のパターン形状にあわせて適宜調整可能であるが、所定の面を形成する場合には、0.1μm~5mmを挙げることができ、好ましくは0.5μm~1mm、より好ましくは1μm~100μmを挙げることができる。また、1または数個の細胞のみが接着する程度の所定の凹部、凸部、ドット状、多角形状または線などのパターンを形成する場合には、レーザーを照射する場合のレーザーのスポット(焦点)径としては、0.1μm~50μmを挙げることができ、好ましくは0.5μm~30μm、より好ましくは1μm~20μmを挙げることができる。なお、レーザー照射を行う際には、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質が発熱またはプラズモン共鳴を生じるかぎり特に限定されないが、予め焦点を第一の層に合わせておくことが好ましい。また、レーザー照射は、レーザーを透過可能な基材の上面側、すなわち積層体が配置されている面側から照射しても、下面側、すなわち積層体が配置されていない面側から照射してもよいが、下面側から照射することが好ましい。
【0041】
レーザーの照射位置は特に制限されず、形成する任意形状のパターンにあわせて照射位置を移動させることができる。また、たとえば直線上の形状を形成する場合には、レーザーの照射を直線上に移動させればよく、正方形領域の形状を形成する場合には、レーザーの照射を正方形の面が形成されるように移動させればよい。なお、照射位置を移動するには、レーザーの照射位置を固定してレーザーを透過可能な基材を移動させてもよく、レーザーを透過可能な基材を固定してレーザーの照射位置を移動させてもよい。
【0042】
なお、上記のようにレーザー照射によって加工された領域として任意形状のパターンが形成可能であるが、上記特許文献4に記載の方法により、第二の層上にマスクを載せてプラズマ処理することによって任意形状のパターンを形成する方法と組み合わせてもよい。
【0043】
(パターン形状)
任意形状のパターンとしては、本件細胞の観察または培養用の板状基体を平面からみて直線状、曲線状、ドット状、円状、楕円状、三角形状・四角形状等の多角形状、格子状、不定形状、メッシュ状、円弧状等、直線および/または曲線を含む任意の線によるものや、これらの線により構成される閉じた図形、あるいはその任意の線が複数でお互いに交差しない状態で表現された形状(例えばドーナツ状)、矢印もしくは矢印が複数連なった形状、またはこれらによって形成された領域や、これらの組み合わせを挙げることができる。また、上記任意形状のパターンは、凹状であっても凸状であっても、これらの組み合わせであってもよい。なお、レーザーの照射により加工された領域において上記任意形状のパターンが形成されることから、上記任意形状のパターンが細胞接着領域となる。
【0044】
また、所定の任意の線、図形、形状または領域を1単位として、それらを複数箇所に所定の間隔で規則的にまたはランダムに配置されるように形成されていてもよい。特にマイクロアレイとして本件細胞の観察または培養用の板状基体を用いる場合には、直径が10μm~30μmの円形領域を、それぞれの円形領域の外縁同士の間隔が10μm~100μm、好ましくは15μm~50μmとなるに配置することで、円形領域に接着した細胞間が接触することを防ぐことができ、細胞接着を通した細胞間コミュニケーションと外液を介した拡散性のサイトカインのような細胞間コミュニケーションとを区別することができる。さらに、マスクを用いずレーザーによってパターンを形成できるため、狭い細胞接着領域の形成も可能となる。そのため、培養する細胞よりも幅の狭い線状のパターンとすることで、ランダムな方向に動く細胞を直線的に動くように制御できるほか、細胞の分裂の方向もライン上に制限できるようになる。
【0045】
加えて、本件板状基体で細胞を培養中、または培養後に、さらに板状基体にレーザーを照射して細胞接着領域をリアルタイムに追加、および/または拡張し、細胞の動きを誘導もしくは制御することが可能となる。具体的には、所定の細胞を本件板状基体上で培養して細胞が接着している状態で、その細胞付近にレーザーを照射して細胞接着領域を形成することで、上記細胞が新たに形成された細胞接着領域へと移動するように誘導することが可能となる。
【0046】
なお、CAD等の設計ソフトウェアを用いてあらかじめ設計した任意の線、図形、形状または領域に従ってレーザーの照射位置を制御することで、マスクを用いることなく任意形状のパターンを容易に形成することが可能となる。
【0047】
運動性の細胞を観察する場合には、任意形状のパターン上に生育した細胞がパターン外に移動するのを防ぐ観点からは、任意形状のパターンが閉じた形状または領域であることが好ましい。この場合、閉じた形状の中にさらに細胞非接着領域を有していてもよい。また、任意形状のパターン上に細胞が接着することになるが、より接着性を向上させるために、上記任意形状のパターン上にコラーゲン、ゼラチン、フィブロネクチン、エラスチン、ハイドロネクチン、ラミニン等の細胞接着性タンパク質や、ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、キチン等の電荷を有する多糖類や、ポリリジン、ポリエチレンイミン、スペルミジン、スペルミン、その他のポリカチオン等の細胞接着性因子をコーティングしてもよい。
【0048】
例えばプラズモン共鳴を生じる物質として金などの可視光非透過性の金属を用いた場合において任意形状のパターンはレーザー照射によって得られているため、可視光下で判別可能である。これは、上述のように、第一の層を構成する金等のレーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質の分散もしくは飛散により、レーザー光を照射していない領域との間での上記物質の密度、分布、形状もしくはコントラストの違いがでることや、可視光に対する反射や透過性の違いが生じたためと考えられる。
【0049】
(細胞接着領域)
細胞接着領域は、細胞非接着領域と比較して相対的に細胞への接着性が高い領域である。この領域の作製方法は特に制限されないが、たとえば前記第一の層にレーザー照射をすることによって形成することができる。基材として、レーザーを透過可能な細胞接着性基材を用いた場合には、レーザー照射によって、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質自体の全部または一部が分散すると共に、細胞非接着物質の全部または一部が分散することで、上記細胞接着性基材が露出する結果、表面が細胞接着性を有するようになり、細胞非接着領域と比較して相対的に細胞への接着性が高くなる。なお、基材として、表面が細胞接着性を有さず、かつレーザーを透過可能な基材を用いた場合であっても、露出した基材に特異的に結合する細胞接着性タンパク質、電荷を有する多糖類、ポリカチオン等の細胞接着性因子をコーティングすることによって表面が細胞接着性を備えるようにしてもよい。
【0050】
このほか、上記細胞接着領域は、基材が細胞接着性を有するか否かにかかわらず、基材上の全部または一部に、第一の層を形成するレーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質またはその酸化化合物、あるいは細胞非接着物質がレーザー照射により変性して細胞非接着性を失った物質を有する状態であってもよく、また、それらの状態と細胞接着性基材が露出した状態の組み合わせであってもよい。
【0051】
(細胞)
本明細書における細胞としては、単一の細胞であっても、組織の細胞であっても、培養した複数の細胞でもよく、細胞の種類としては原生生物、酵母、細菌、動物細胞を例示することができる。また、上記細胞としては、接着細胞を好適に挙げることができる。
【0052】
原生生物としては、細胞性粘菌、アメーバを例示することができ、細胞性粘菌としては、キイロタマホコリカビ(Dictyostelium discoideum)の細胞を好適に例示することがでる。
【0053】
動物細胞としては、ヒト、マウス、ラット、イヌ、ネコ、サル、ウサギ、ハムスター、ウシ、ブタ、ウマ、ヤギ等の哺乳動物由来の細胞を挙げることができ、ES細胞、iPS細胞等の多能性幹細胞、幹細胞、体細胞、生殖細胞であってもよい。
【0054】
(細胞の観察または培養用の板状基体の作製方法)
本件板状基体の作製方法において、第一の層を形成する工程としては、レーザーを透過可能な基材の一方の面上に、レーザー照射により発熱またはプラズモン共鳴を生じる物質を塗布する方法であれば特に制限されないが、スパッタリング、蒸着、スピンコート、ゾルゲル法、メッキ、塗布、印刷などにより塗布する方法を挙げることができるが、作製工程の容易性の観点からスパッタリング法であることが好ましい。また、第二の層を積層する工程としては、上記第一の層上に細胞非接着物質を塗布または噴霧する方法であれば特に制限されないが、例えば、細胞非接着性物質をエタノール等の有機溶媒に溶解し、かかる溶解液を、スピンコーター等の回転式塗布装置を用いて第一の層上に塗布する方法を挙げることができる。また、MPCの重合体を塗布する場合には、MPCの重合体そのものを塗布してもよいが、MPC単量体もしくはMPC単量体とMPC以外の単量体モノマー、および開始剤を含有する液を第一の層の上に塗布し、熱や光によって重合させてMPC重合体が第一の層の表面に形成されるようにしてもよい。
【0055】
本件板状基体の作製方法において、上記第一の層にレーザーを照射し、レーザー照射による発熱またはプラズモン共鳴により上記第二の層の前記細胞非接着物質を変性もしくは分散させて、細胞非接着性を失った細胞接着領域を形成する工程としては、所定のレーザーを上記第一の層に照射し、上記第二の層の前記細胞非接着物質を変性もしくは分散させて、細胞非接着性を失った細胞接着領域を形成する限り特に制限されない。なお、本件板状基体の作製方法は、本件板状基体上で細胞を観察または培養中に行うことも可能となる。そのため、本件板状基体で細胞を培養中、または培養後に、さらに板状基体にレーザーを照射して細胞接着領域をリアルタイムに追加、および/または拡張し、細胞の動きを誘導もしくは制御することが可能となる。
【実施例0056】
以下、実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明の技術的範囲はこれらの例示に限定されるものではない。
【0057】
[実施例1]細胞の観察または培養用の板状基体の作製
カバーグラスやシャーレ等の基材上の所定の微小領域にのみ培養細胞を接着させて配列できる板状基体として、カバースリップを基材として以下のように作製した。
【0058】
硼珪酸ガラス製のカバースリップNo.1(松浪硝子工業社製)の表面を、真空デバイス(PB-1:真空デバイス社製)により真空引きを1分、その後プラズマ処理(第一プラズマ処理)を30秒間行うことで表面の汚れを除去した。次に、イオンスパッタリング装置(サンユー電子社製)を用いて、金(Au)をターゲットとして、14mA、30~60秒の条件で厚さ20nm~50nmの金の薄膜層を備えたカバースリップを作製した。
【0059】
次に、スピンコーターを用いて、0.5mg/mlの細胞非接着性物質であるLipidure-CM5206(登録商標)(2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリンとブチル(メタ)アクリレートの共重合体:日油株式会社)を含むエタノール溶液10μLを上記で調製した金の薄膜層を備えたカバースリップ上に塗布し、乾燥することで、厚さ20nm~50nmの細胞非接着性物質層を金の薄膜層上に積層させ、カバースリップ上に金の薄膜層と細胞非接着物質層から構成される積層体が配置された板状基体1を作製した。作製した板状基体1を
図1に示す。
図1に示すように、カバースリップ11上に金の薄膜層12が接しており、さらにその上に細胞非接着性物質層13が接している。
【0060】
次に、上記で作製した板状基体1に細胞接着領域となるパターンを形成した。まず、コンピューター内にて画像編集ソフトウェア(Inkscape)でパターンを設計した。次に、コンピューターと自作の電動xyステージ21(ステッピングモーターにより回転してxyステージを可動)を接続し、顕微鏡(IX71:オリンパス社)のステージの上に設置した。その後、自作の電動xyステージ21の上に上記で作製した板状基体1を載せた。対物レンズ22(40倍)の瞳側からレーザー23を導入して、板状基体1における金の薄膜層12の表面に焦点が合うようにして
図2に示すようにレーザー23照射を開始した。電動xyステージ21を制御することで、レーザーの照射位置を変えることが可能であり、あらかじめ設計したパターンに従ってレーザー23の照射位置を動かすことで任意形状のパターンを形成した。また、電動xyステージ21を固定してレーザー23を照射することで、点状に細胞接着領域24を形成した。
図3に、点状に細胞接着領域を形成した板状基体1を示す。レーザーは、波長532nm、100mWのものを用いた。照射面でのレーザーの直径は、0.5μm~2μmとした。レーザー照射された部位では、金の薄膜層における金粒子に吸収されたエネルギーにより発生したプラズモンおよび/または熱により、金の薄膜層と共にLipidureからなる細胞非接着物質層、すなわち上記積層体が分散もしくは変性などが生じてレーザー照射部位が細胞接着領域となる。
【0061】
[実施例2]細胞性粘菌キイロタマホコリカビの接着
プラスチックディッシュの底に直径12mmの穴をあけ、実施例1と同様の方法で作製した任意形状のパターンを備えた板状基体1を接着剤で貼付け、ガラスボトムディッシュ(培養基材)を作製した。細胞性粘菌キイロタマホコリカビ(Dictyostelium discoideum)1~2×10
6Cells含むHL5培養液2mLをガラスボトムディッシュに加えて10分以上22℃で静置した。任意形状のパターンとして、幅1.5μmの直線状、または幅1.5μmの線が渦状の線形図形となるように形成された板状基体を用いた。次に、板状基体上の培養液を吸引して培養基材に付着しなかった細胞性粘菌キイロタマホコリカビ、すなわち非接着のまま浮遊している細胞性粘菌キイロタマホコリカビを含む培養液を除去し、さらに新しい培養液を加えることで培地を置換した。1時間培養後の培養基材を位相差顕微鏡で観察した。24時間培養した場合の最後の2時間の動画像を平均化した画像を
図4、5に示す。
図4は幅1.5μmの直線が形成された板状基体を用いた場合、
図5は幅1.5μmの直線が中心から外向きに時計回りとなる渦状に形成された板状基体を用いた場合である。
【0062】
図4、5から明らかなように、細胞性粘菌キイロタマホコリカビが板状基体の任意形状のパターン上に接着しており、パターンの外、すなわち非細胞接着領域が表面に露出した位置には細胞が接着していないことが確認された。また、可視光下で光学顕微鏡によって、形成された直線または渦状の細胞接着領域が観察可能であった。
【0063】
さらに、幅1.5μmの1本の直線が形成された板状基体を用いた場合において、培養液の置換からさらに2時間培養したもの(上段)および24時間培養した場合の最後の2時間(下段)を、それぞれ位相差顕微鏡で観察した動画像を平均化した結果を
図6に示す。
【0064】
図6から明らかなように、24時間培養後も細胞性粘菌キイロタマホコリカビはパターン上、すなわち細胞接着領域に留まっており、細胞非接着領域には細胞性粘菌キイロタマホコリカビがないことが確認された。また、可視光下で光学顕微鏡によって、形成された直線の細胞接着領域が観察可能であった。
【0065】
[比較例]市販の細胞接着基板で培養した細胞の接着
光触媒の作用を利用した市販の線状の細胞接着性制御パターンを有する細胞接着基板上にHL5培養液で培養した細胞性粘菌を1×106個を載せて10分以上22℃で静置した。制御パターンは幅10μmであった。その後、培養基材上の培養液を吸引して除去し、さらに1時間、22℃で培養した。培養液を吸引して除去した直後、またはその後引き続き2時間培養した培養基材を位相差顕微鏡で観察した。その結果、細胞性粘菌を載せた直後は細胞性粘菌が細胞接着性制御パターン領域に接着していたが、その後2時間経過後に、細胞接着性制御パターン以外の領域にも移動していることが確認された。
【0066】
[実施例3]Cos1細胞の接着
実施例2においては細胞性粘菌を用いたが、同様の方法でアフリカミドリザルの培養細胞であるCos1細胞を用いて培養し、板状基体との接着を確認した。また任意形状のパターンとして、円形領域、または四角形領域とした。培地の置換からさらに24時間培養後に位相差顕微鏡で観察した結果を
図7、8に示す。
図7、8中、スケールバーはそれぞれ、500μm、200μmである。なお、図には示さないが、本実施例にて作製した板状基体において細胞が接着する前の段階で直径500μmの円形領域および辺の長さが200μmの四角形領域は可視光下、目視によって確認することができた。
【0067】
図7、8に示すように、細胞性粘菌だけでなく動物細胞においても細胞接着領域のみに接着して培養していることが確認された。また、任意形状のパターンとして任意の形状とすることで細胞接着領域の形状を自由に設計し、任意の領域で細胞を培養できることが確認された。また、この円または四角形領域の細胞接着領域内に限定して、細胞の運動等を長時間調べることが可能となることが確認された。
【0068】
[実施例4]細胞マイクロアレイの作製
実施例2の方法において、任意形状のパターンとして15μm×15μmの四角形領域を縦横10個ずつ格子状に形成した(格子状間の距離は21μm)板状基体を作製して、1細胞のみが接着できるように実施例2と同様の方法で細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養した。結果を
図9に示す。
図9中、スケールバーの長さは50μmである。
【0069】
図9から明らかなように、板状基体のパターン形状の位置に細胞性粘菌キイロタマホコリカビを1つずつ接着することが可能であった。したがって、本発明の板状基体は、細胞マイクロアレイに用いることが可能であることが確認された。
【0070】
[実施例5]正方形領域と円領域からなる細胞接着領域の作製
本発明によれば、上記特許文献4とは異なり、マスクを用いずに細胞接着領域を形成可能である。そこで、正方形の中心に円を有する、2本の交わらない閉じた線で表現される図形の形状領域である非細胞接着領域を備えた板状基体を実施例1の方法により作製し、細胞性粘菌キイロタマホコリカビを24時間培養した。結果を
図10に示す。
【0071】
図10に示すように、本発明によればマスクを使わず、あらかじめ設計した図形に従ってレーザーの照射位置を動かすことで任意形状のパターンを形成でき、得られたパターン形状の領域内、閉じた形状内で細胞を培養可能であることが確認された。
【0072】
[実施例9]細胞の運動性
実施例8における板状基体上の細胞の運動速度を測定した。また、比較対象として、積層体が配置されていないカバースリップNo.1(松浪硝子工業社製)上で、同様に細胞性粘菌キイロタマホコリカビを培養し、運動速度を測定した。運動速度は、動画を撮影して単位時間当たりのその軌跡の長さから求めた。結果を
図11に示す。
【0073】
図11から明らかなように、運動速度について比較対象との間で有意差はなく(Student t-test ns:>0.05)、本発明の板状基体は細胞の正常な運動を抑制するような影響がないことが確認された。
本発明を用いれば、細胞の運動や増殖・細胞死・分化制御などの研究を効率的に進めることができる板状基板を提供することができ、正常細胞の特徴やがん細胞の挙動のより正確な観察を通じて研究効率化に貢献できる板状基体の提供が可能となる。さらに、板状基体上に細胞接着領域を多数配置することで「細胞マイクロアレイ」を作製することや各種薬物に対しての反応を詳細に把握することも可能となる。また、細胞のバイオセンサー、バイオリアクター、人工臓器としての利用にも応用できる。このほか、任意の形状の細胞シートを作製できるので、再生医療などへも応用可能である。
1 板状基体、11 カバースリップ、12 金の薄膜層、13 細胞非接着性物質層、21 電動xyステージ、22 対物レンズ、23 レーザー、24 細胞接着領域