(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024100747
(43)【公開日】2024-07-26
(54)【発明の名称】癌治療用組成物
(51)【国際特許分類】
A61K 45/06 20060101AFI20240719BHJP
A61P 35/00 20060101ALI20240719BHJP
A61P 43/00 20060101ALI20240719BHJP
A61K 31/519 20060101ALI20240719BHJP
A61K 31/517 20060101ALI20240719BHJP
A61K 31/4985 20060101ALI20240719BHJP
A61K 31/5377 20060101ALI20240719BHJP
A61K 39/395 20060101ALI20240719BHJP
【FI】
A61K45/06
A61P35/00
A61P43/00 121
A61K31/519
A61K31/517
A61K31/4985
A61K31/5377
A61K39/395 T
A61P43/00 111
【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2024003760
(22)【出願日】2024-01-15
(31)【優先権主張番号】P 2023003798
(32)【優先日】2023-01-13
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用申請有り 掲載年月日:2023年9月1日 オンライン抄録 掲載アドレス: https://conference-apps-online.net/web/jca2023/index.html 〔刊行物等〕 集会名 :第82回日本癌学会学術総会 開催日 :2023年9月21日(2023年9月21日~23日)
(71)【出願人】
【識別番号】000125347
【氏名又は名称】学校法人近畿大学
(74)【代理人】
【識別番号】100118924
【弁理士】
【氏名又は名称】廣幸 正樹
(72)【発明者】
【氏名】米阪 仁雄
(72)【発明者】
【氏名】中川 和彦
(72)【発明者】
【氏名】寺村 岳士
【テーマコード(参考)】
4C084
4C085
4C086
【Fターム(参考)】
4C084AA19
4C084NA05
4C084ZB26
4C084ZC41
4C084ZC75
4C085AA14
4C085BB36
4C085CC23
4C085DD62
4C085EE03
4C085GG01
4C086AA01
4C086AA02
4C086BC46
4C086BC73
4C086BC76
4C086CB09
4C086GA07
4C086GA12
4C086MA02
4C086MA04
4C086NA05
4C086ZB26
4C086ZC41
4C086ZC75
(57)【要約】
【課題】KRAS阻害剤は、細胞増殖シグナルを抑制することで癌細胞の増殖を阻止することができる。しかし、一部の症例では治療抵抗性を示すという課題があった。
【解決手段】PTPRR遺伝子が非メチル化若しくは発現低下した癌治療用の医薬組成物であって、
KRASを阻害する第1医薬組成物と、
EGFRを阻害する第2医薬組成物で構成されることを特徴とする医薬組成物は、KRAS阻害剤で耐性を獲得した癌細胞であっても耐性を克服し、細胞増殖を抑制することができる。
【選択図】
図8
【特許請求の範囲】
【請求項1】
PTPRR遺伝子が非メチル化若しくは発現低下した癌治療用の医薬組成物であって、
KRASを阻害する第1医薬組成物と、
EGFRを阻害する第2医薬組成物で構成されることを特徴とする医薬組成物。
【請求項2】
前記癌は前記第1医薬組成物に対して耐性を有する癌である請求項1に記載された医薬組成物。
【請求項3】
前記第1医薬組成物が、KRAS-G12C阻害剤であるソトラシブ、アダグラシブ、RG6330、LY3537982、JFQ443、RMC6291、BI1701963、MRTX1133、BI-0474、BI-2865から選ばれる少なくとも1つの医薬組成物であり、前記第2医薬組成物がEGFR阻害剤であるセツキシマブ、パニツムマブ、ネシツムマブ、アミバンタマブ、ゲフィチニブ、エルロチニブ、イコチニブ、アファチニブ、ダコミチニブ、オシメルチニブ、フモネルチニブ、ブリガチニブ、ナザルチニブ、ラゼルチニブから選ばれる少なくとも1つの医薬組成物であることを特徴とする請求項2に記載された前記第1医薬組成物に対して耐性を有した癌の治療用組成物。
【請求項4】
前記癌が、非小細胞肺癌、結腸癌、直腸癌、膵臓癌、卵巣癌、子宮体癌、胆道癌のいずれかである請求項1乃至3の何れか一の請求項に記載された前記第1医薬組成物に対して耐性を有した癌の治療用組成物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はKRAS阻害剤に耐性を有する癌に対して、耐性を克服し効果を発揮できる癌治療用組成物を提供する。
【背景技術】
【0002】
RASは細胞内のシグナル伝達経路の一部であり、チロシンキナーゼレセプター、3量体G蛋白、サイトカインレセプター、カルシウムチャネル等を介した細胞外からの刺激を受けて活性状態になり、下流のシグナルを活性化する。RASにはHRAS、KRAS、NRASの3種が知られている。
【0003】
KRAS遺伝子変異を有する癌細胞では異常KRASは、GDPと結合した不活性状態でなく、常にGTPと結合した活性化状態となる。そしてRAFなどの下流シグナルを刺激し、癌細胞の増殖を促すと考えられている。
【0004】
従来変異型KRASを阻害する薬剤はなかったが、2022年にソトラシブ(商品名ルマケラス(登録商標):特許文献1)が日本国内でも製造販売承認が取得された。ソトラシブは、変異型KRASとGDPの結合を維持することでKRASの活性化を阻止する。そして下流のシグナル伝達を阻害することで、癌細胞の増殖を抑制する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
KRAS遺伝子変異は肺癌など様々な癌の発生・進行に関与している。KRAS阻害剤はKRAS-G12C遺伝子変異(12番目のアミノ酸であるグアニンのシトシンへの置換をもたらす)を有する癌(特に肺癌や大腸癌)の治療薬として有用である。しかし、一部の症例では同剤に対して治療効果が乏しい、すなわち「耐性」を示すという課題があった。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明は、KRAS阻害剤に耐性である癌に対する治療薬(医薬組成物)を提供する。さらに本発明の発明者は、その機序を検討する過程で、本発明に係る医薬組成物は、PTPRR遺伝子の非メチル化若しくは発現低下が認められる癌であれば、それまでのKRAS阻害剤の投薬の有無に関わらず、耐性を克服して癌細胞の増殖を抑制する効果を発揮することを見出した。
【0008】
具体的に本発明に係る医薬組成物は、
PTPRR遺伝子が非メチル化若しくは発現低下した癌治療用の医薬組成物であって、
KRASを阻害する第1医薬組成物と、
EGFRを阻害する第2医薬組成物で構成されることを特徴とする。
【発明の効果】
【0009】
本発明に係る癌治療用組成物は、KRAS阻害剤に耐性を有する癌でも、その耐性を克服してKRAS阻害剤による効果を発揮させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】H2122、AR14およびAR30をマイクロアレイによる網羅的な遺伝子解析の結果を示すグラフである。
【
図2】PTPRR遺伝子を強制的に導入した際の効果を示すグラフである。(a)は、ウエスタンブロッティングの結果であり、(b)はソトラシブの濃度と細胞生存率の関係を示すグラフである。
【
図3】肺癌由来の細胞であるH2122とソトラシブ耐性を有したクローンであるH2122-AR14およびH2122-AR30のPTPRR遺伝子プロモーター領域のメチル化の有無を示す図である。
【
図4】H2122、H2122-AR14、H2122-AR30のPTPRR蛋白とコントロールACTIN蛋白の発現を示すウエスタンブロッティングの結果である。
【
図5】PTPRR遺伝子プロモーター領域にあるTBE(TCF bindingelement)1~5への転写調整因子TCF7L2の結合量を、H2122、AR14およびAR30について評価した結果を表す図である。
【
図6】H2122とH2122-AR30について、EGFRの発現とそのチロシン部位のリン酸化を示すウエスタンブロッティングの結果である。
【
図7】H2122に対し牛胎児血清を一定時間暴露し、抗PTPRR抗体あるいはコントロールIgG抗体を用いた共免疫沈降、あるいは全抽出液によるウエスタンブロッティングをおこなった結果の図である。
【
図8】H2122-AR30を移植したマウスにソトラシブ単独、セツキシマブ単独、両薬併用投与の各々についての腫瘍体積の変動を経時的に示すグラフである。
【
図9】公的データベース(Pan-cancer analysis of whole genomes, ICGC/TCGA, Nature 2020)の種々の腫瘍組織1210検体についてPTPRR mRNA発現を解析したものを示すグラフである。
【
図10】H2122についてsiRNAを用いて人為的にPTPRR遺伝子の発現を抑制した際のソトラシブ感受性を調べたグラフである。
【
図11】H2122についてsiRNAを用いて人為的にPTPRR遺伝子の発現を抑制した際にEGFR蛋白のリン酸化が亢進することを示すウエスタンブロッティングの結果である。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下に本発明に係る癌治療用組成物について図面および実施例を示し説明を行う。なお、以下の説明は、本発明の一実施形態および一実施例を例示するものであり、本発明が以下の説明に限定されるものではない。以下の説明は本発明の趣旨を逸脱しない範囲で改変することができる。また、異なる実施形態及び実施例にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態及び実施例についても本発明の技術的範囲に含まれる。また、本明細書中に記載された文献の全てが、本明細書中において参考文献として援用される。本明細書中、数値範囲に関して「A~B」と記載した場合、当該記載は「A以上B以下」を意図する。
【0012】
本発明に係る癌治療用組成物は、KRAS(Kirsten Rat Sarcoma Viral Cancer Homolog)阻害剤およびEGFR(Epidermal Growth Factor Receptor:上皮成長因子受容体)阻害剤で構成される。KRAS阻害剤としては、KRAS-G12Cを阻害する薬剤が好適に利用でき、ソトラシブ、アダグラシブ、RG6330、LY3537982、JFQ443、RMC6291、BI1701963、MRTX1133、BI-0474、BI-2865といった薬剤から少なくとも1種を選択することができる。
【0013】
EGFR阻害剤としては、セツキシマブ、パニツムマブ、ネシツムマブ、アミバンタマブといった抗体薬以外にゲフィチニブ、エルロチニブ、イコチニブ、アファチニブ、ダコミチニブ、オシメルチニブ、フモネルチニブ、ブリガチニブ、ナザルチニブ、ラゼルチニブといった小分子阻害剤等が好適に利用できる。
【0014】
各々の薬剤について薬効(KRAS活性阻害、EGFR活性阻害)の発揮可能な投与量を用いることが望ましい。
【0015】
本発明の癌治療用組成物は、KRAS阻害剤に対し耐性である癌に対して用いられる。KRAS阻害剤に対する耐性は、PTPRR遺伝子の非メチル化若しくはPTPRR遺伝子の発現低下を確認する。具体的にはPTPRR遺伝子のメチル化はバイサルファイト処置を経たDNA解析や次世代シークエンサーによって評価される。あるいはPTPRR遺伝子の発現は免疫学的手法や次世代シークエンサーを用いたRNAシーケンス法によって評価される。
【実施例0016】
<細胞の準備>
親株であるH2122細胞に対し低濃度のソトラシブを持続的に暴露した。暴露の方法は、培養液中にソトラシブを添加することで行った。細胞が死滅しないよう注意しつつ薬剤濃度を漸増し、およそ半年間ソトラシブを持続暴露しながら細胞を培養した。最終的に1μMの薬剤濃度まで漸増し、同濃度下でも細胞は容易に増殖できた。次にこの細胞集団からクローンを樹立した。すなわち細胞を1個ずつ分離し培養した。各クローンをH2122AR1、2、3、4・・・・と名付けた。以降の種々の実験は親株とクローン株H2122AR14とクローン株H2122AR30を用いて行った。以後それぞれH2122、AR14、AR30と呼ぶ。
【0017】
[遺伝子の網羅的遺伝子は発現解析]
H2122、AR14およびAR30をマイクロアレイによる網羅的な遺伝子解析を公知の方法で行った。より具体的には、各細胞よりmRNAを抽出し、蛍光ラベルを付与した。これをマイクロアレイ上に固定されたプローブと結合させ、蛍光強度を測定し各遺伝子の発現を測定した。各々の細胞について2回測定を行い、平均値を求めた。
【0018】
結果を
図1に示す。
図1(a)は、H2122に対するAR14の遺伝子発現を示し、
図1(b)は、H2122に対するAR30の遺伝子発現を示す。それぞれ横軸はH2122の遺伝子であり、横軸縦軸ともにLog2変換した結果である。図中の点は個々の遺伝子を示す。この結果、遺伝子発現の変動が大きく、かつKRASの下流シグナル(ERK)に影響を及ぼし得る遺伝子として脱リン酸化酵素のひとつであるPTPRR遺伝子(両グラフとも矢印で示した)が認められた。PTPRR遺伝子の発現はAR14およびAR30共にH2122よりも抑制されていた。
【0019】
[脱リン酸化酵素について]
次にPTPRRを含めKRASの下流シグナル(ERK)に影響を及ぼし得る複数の脱リン酸化酵素の遺伝子発現を比較した。H2122細胞に対し、AR14及びAR30細胞について有意差検定(t検定)を行いp値が0.005未満の遺伝子のみをそれぞれ表1および表2に示す。AR14、AR30細胞のいずれにおいてもPTPRR遺伝子の変動(Fold change)が最も大きかった。
【0020】
【0021】
【0022】
次にKRAS阻害剤耐性細胞であるAR30にPTPRR遺伝子を強制的に発現させた。PTPRRウイルスベクター(pPB-CAG-PTPRR-IRES-Puro vector)あるいはGFPコントロールベクターをAR30細胞に導入し、ピューロマイシンを含む培地で培養した。AR30PTPRR株及びコントロールであるAR30GFP株を樹立した。
【0023】
図2(a)は、ウエスタンブロッティングの結果を表し、
図2(b)は、ソトラシブに対する感受性を示したものである。
図2(a)を参照して、コントロールであるAR30GFP株に比べAR30PTPRR株でPTPRR蛋白の発現が亢進していることが確認された。
【0024】
図2(b)ではソトラシブへの感受性試験の結果を示す。96穴プレートに一定数のAR30GFPあるいはAR30PTPRRを散布し、種々の濃度のソトラシブを含む培地で3日間培養した。その後に細胞の生存率を評価した。図の横軸はソトラシブの濃度(μM)であり、縦軸は細胞生存率(%)である。PTPRR遺伝子を導入したAR30PTPRRは、コントロールであるAR30GFPに比べてより強く濃度依存的に細胞生存率が低下した。以上よりPTPRR遺伝子の導入によりソトラシブへの感受性が高まったことが示された。
【0025】
[PTPRR遺伝子プロモーター領域のメチル化の確認]
H2122,AR14、AR30からDNAを抽出した。それぞれのDNAに対して、バイサルファイト処理(非メチル化シトシンをウラシルに変換)を行った。PCR法でDNAを増幅させた。その後にPTPRR遺伝子プロモーター領域の塩基配列解析(バイサルファイトシーケンス)を行った。
【0026】
図3にバイサルファイトシーケンスの結果を示す。DNAのメチル化はゲノムDNA上のCG連続配列のシトシンに生じる。ゲノムDNAを重亜硫酸ナトリウムでバイサルファイト化すると、メチル化されていないシトシンはウラシルに変換されるが、メチル化されたシトシンでは化学変換が起こらない。そのため、バイサルファイト後のゲノムDNAをシーケンスしたのち、元の配列と比較することで非メチル化あるいはメチル化シトシンを判別することができる。
【0027】
図3ではH2122、AR14、AR30について、4回のそれぞれ独立したクローン(CL1からCL4)による反復試行を示している。横が各シーケンス内に認められるシトシン-グアニン(CG)である。左から右に5’末端から3’末端を示し、それぞれ1から9の番号を記した。
【0028】
それぞれの行列は各細胞株におけるPTPRR遺伝子プロモーター領域のDNAシーケンスを示しており、丸印はメチル化されうるCGを表す。また、黒丸「●」はメチル化されているCGを、白丸「〇」はメチル化されていないCGを表している。
【0029】
すなわち、H2122細胞株のCL1はPTPRR遺伝子プロモーター領域のシーケンスを示しており、当該シーケンスの中にはメチル化されうるCGが9箇所存在し、もっとも5’末端に近いCGはメチル化されておらず(白丸「〇」)、以降のCG8箇所は全てメチル化されている(黒丸「●」)ことを示している。なお、バツ印「×」はシークエンス不良等により判別が困難であったことを示している。
【0030】
図3によると、H2122株では当該領域のシトシンは大部分が黒丸(「●」)であり、メチル化されているが、変異株であるAR14およびAR30では多くが白丸(「〇」)となっており、非メチル化状態になっていることがわかる。
【0031】
[PTPRR蛋白の発現:ウエスタンブロッティングによる確認]
H2122とAR14およびAR30のPTPRR蛋白の発現について調べた。まず各腫瘍細胞を溶解し、蛋白を含む溶解液を準備した。蛋白を含む溶解液の電気泳動を行った後に、メンブレンに転写した。メンブレンに対しPTPRR蛋白等を認識する抗体を暴露した。その後、化学発光法によりメンブレン上の評価したい蛋白のバンドを検出した。
【0032】
図4にH2122とAR14およびAR30のPTPRR蛋白の発現に関するウエスタンブロッティングの結果を示す。
図4の上段は、抗PTPRR抗体を用いた結果であり、下段は抗ACTIN抗体を用いた結果である。PTPRR蛋白発現がH2122に比べAR14、AR30で低下していることを示すウエスタンブロッティングの図である。すなわちPTPRR遺伝子プロモーター領域の非メチル化がPTPRR蛋白の発現低下をもたらすことが示された。
【0033】
次にクロマチン免疫沈降法でPTPRR遺伝子プロモーター領域の転写因子結合部位への転写調整因子TCF7L2の結合の程度を評価した。全DNAに対してTCF7L2に結合しているPTPRRのプロモーター領域のDNAの割合を示す。
【0034】
図5には、PTPRR遺伝子のプロモーター領域の転写因子結合部位TBE1~5への転写調整因子TCF7L2の結合程度を調べた結果を示す。H2122、AR14およびAR30において、TCF7L2がTBE1~5にどの程度結合したかを示すグラフである。横軸はTBEの種別を表し、縦軸は全DNAに対する結合DNAの割合を表す。AR14およびAR30は、H2122と比較してPTPRR遺伝子プロモーター領域の転写因子結合部位への転写因子TCF7L2の結合が亢進していることが明らかになった。
【0035】
以上より、ソトラシブ耐性クローン細胞であるAR14およびAR30でPTPRR遺伝子の発現が低下した機序としては、非メチル化によって転写調整因子TCF7L2のPTPRR遺伝子のプロモーター領域への結合が促進され、抑制的に働くためと考えられた。
【0036】
[EGFR蛋白とそのリン酸化の発現:ウエスタンブロッティングによる確認]
次にH2122とAR30のEGFR蛋白とそのリン酸化について調べた。EGFR蛋白は細胞膜上に存在する膜型チロシンキナーゼの一つであり、その活性化はEGFR蛋白のリン酸化をもたらし、さらにKRASを含む下流シグナルの活性化をきたす。各腫瘍細胞より蛋白を抽出し電気泳動を行った後に、メンブレンに転写した。H2122とAR30のEGFR蛋白及び複数の同リン酸化を認識する抗体を暴露した。化学発光法により評価したい蛋白のバンドを検出した。
【0037】
図6にH2122とAR30のEGFR蛋白とそのリン酸化の発現に関するウエスタンブロッティングの結果を示す。pEGFR(Y845)、pEGFR(Y1068)、pEGFR(Y1173)はそれぞれEGFR蛋白の845番目、1068番目、1173番目のチロシンのリン酸化を示す。なお、各バンドの下の数値はH2122のバンドの濃さを100とした場合のAR30のバンドの濃さを表す。t(total)EGFRはEGFR蛋白の総発現を示し、その発現量はH2122とAR30間で違いがみられなかった。一方でAR30ではEGFR蛋白のリン酸化が亢進していた。
【0038】
次にPTPRR蛋白とEGFR蛋白の関係を明らかにするために共免疫沈降試験をおこなった。H2122細胞に10%の牛胎児血清を暴露することでEGFR蛋白を活性化した。そして血清暴露前、暴露後5分、30分で細胞回収し、それぞれ蛋白の抽出を行った。抽出液にコントロールであるIgGあるいは抗PTPRR抗体を加え反応させた後に、抗体と蛋白の複合体を分離し、電気泳動、メンブレンへの転写を行った。
【0039】
同メンブレンに抗EGFR抗体を暴露し、EGFR蛋白の検出を行った。結果を
図7に示す。血清暴露5分後にEGFR蛋白とPTPRR蛋白の複合体が検出され、30分後には複合体は消退した。一方で細胞の全抽出液を用いたEGFR蛋白のリン酸化(Y845、Y1068)のウエスタンブロッティング法による評価では血清暴露5分後にリン酸化は亢進し、30分後には減弱した。以上の結果が示すことは、血清により活性化されたEGFR蛋白に脱リン酸化酵素であるPTPRR蛋白が結合し、EGFR蛋白の脱リン酸化をもたらした。
【0040】
一方、耐性株でみられるようにPTPRR遺伝子の発現低下が起こると活性化されたEGFR蛋白の脱リン酸化が抑制されず、EGFR蛋白のリン酸化が恒常的になると考えられた。
【0041】
<KRAS阻害剤の耐性克服>
次にKRAS阻害剤とEGFR阻害剤の併用効果について評価をおこなった。KRAS阻害剤としてソトラシブ、EGFR阻害剤としてセツキシマブを使用した。ヌードマウス(BALB/cAJcl-nu/nu)にH2122-AR30細胞を移植した。腫瘍がマウスに生着した後に薬剤の投与を開始した。コントロール群、ソトラシブ群(100mg/kg、連日投与)、セツキシマブ群(40mg/kg、隔週投与)、ソトラシブ+セツキシマブ併用群(投与スケジュールは同上)の4群を用意した。各群8匹ずつで構成した。4週間薬剤を投与し、週に2回腫瘍の体積を測定した。
【0042】
結果を
図8に示す。横軸は実験開始からの経過日数(Days)であり、縦軸は腫瘍の体積(mm
3)である。黒丸(-●-)はコントロール群であり、黒四角(-■-)はソトラシブ(KRAS阻害剤)を100mg/kgの量を連日投与したソトラシブ群である。黒三角(-▲-)は、セツキシマブ(EGFR阻害剤)を40mg/kgの量を隔週投与したセツキシマブ群である。また、黒逆三角(-▼-)は、ソトラシブとセツキシマブをそれぞれ100mg/kg連日および40mg/kg隔週で投与したソトラシブ+セツキシマブ併用群である。
【0043】
図8を参照して、ソトラシブ群およびセツキシマブ群は、コントロール群と同様に、日数が経過するに従い、腫瘍体積は増大した。すなわちH2122-AR30細胞は、KRAS阻害剤及びEGFR阻害剤に対して耐性であることが示される。一方、ソトラシブ+セツキシマブ併用群は、薬剤投与開始直後から腫瘍の増大は認めず、抗腫瘍効果が示された。
【0044】
以上のように、KRAS阻害剤とEGFR阻害剤を併用することで、KRAS阻害剤に耐性を有する癌細胞の増殖を抑制することができる。
【0045】
[PTPRR遺伝子抑制細胞]
上記の結果より、KRAS阻害剤への耐性はPTPRR遺伝子の発現抑制が原因であった。
図9には公的データベース(Pan-cancer analysis of whole genomes, ICGC/TCGA, Nature 2020)の種々の腫瘍組織1210検体についてPTPRR mRNA発現を解析したものを示す。縦軸は全サンプルに対しZスコア化されたPTPRR mRNAの発現を示し、横軸は癌種を示す。
【0046】
各癌腫に対するPTPRR遺伝子の発現は、多様である。同一癌腫においても、個々の腫瘍により多様性を持っている。さらに、このデータはKRAS阻害剤を投与されていない症例も含まれている。すなわち、KRAS阻害剤耐性を有する癌細胞は、KRAS阻害剤を投与されていなくても、存在する蓋然性が高い。
【0047】
そこで、人為的にPTPRR遺伝子を抑制した細胞を発生させ、KRAS阻害剤に対する効果及びEGFR蛋白のリン酸化への影響を調べた。
【0048】
H2122細胞に対しPTPRR遺伝子に相補的に結合するsiRNA(siP+2315-1)あるいはコントロールとなる非特異的なsiRNA(SC-1)を反応させた。siP+2315-1はPTPRR遺伝子の発現を選択的に抑制した。そしてそれぞれの細胞に対し種々の濃度のソトラシブを一定期間暴露した後に細胞の生存率を求めた。結果を
図10に示す。
【0049】
図10を参照して、横軸はソトラシブの濃度を示し、縦軸は細胞の生存率を示す。まずコントロール(SC-1)ではソトラシブの濃度依存的に生存率が低下した。一方PTPRRの発現を抑制したsiP+2315-1では、コントロールに比べソトラシブの効果が減弱された。
【0050】
またsiP+2315-1は、コントロールに比べEGFR蛋白のリン酸化亢進をもたらした。
図11はコントロールおよびsiP+2315-1はPTPRR遺伝子の発現を選択的に抑制した細胞から得たDNAのウエスタンブロッティングの結果である。1段目はEGFR蛋白の1173番目のチロシンのリン酸化を示す。2段目はトータルのEGFRを示し、3段目はPTPRR蛋白、4段目はACTIN蛋白を示す。EGFR蛋白のリン酸化はコントロール(SC-1)よりPTPRR遺伝子の発現を選択的に抑制した細胞(siP+2315-1)の方のバンドが濃かった。このことからKRAS阻害剤が未投与でもPTPRR発現の乏しい腫瘍ではKRAS阻害剤+EGFR阻害剤の併用治療が有効である可能性がある。
本発明に係る癌治療用組成物は、KRAS阻害剤により耐性を獲得した癌細胞であっても、その耐性を克服し、細胞増殖を抑制することができ、KRASの変異がもたらす疾患に対して有効である。