IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 大同特殊鋼株式会社の特許一覧

特開2024-103436高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼及びその製造方法
<>
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024103436
(43)【公開日】2024-08-01
(54)【発明の名称】高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20240725BHJP
   C21D 8/00 20060101ALI20240725BHJP
   C22C 38/60 20060101ALI20240725BHJP
【FI】
C22C38/00 302B
C21D8/00 E
C22C38/60
【審査請求】未請求
【請求項の数】5
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023134998
(22)【出願日】2023-08-22
(31)【優先権主張番号】P 2023007019
(32)【優先日】2023-01-20
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(71)【出願人】
【識別番号】000003713
【氏名又は名称】大同特殊鋼株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100110227
【弁理士】
【氏名又は名称】畠山 文夫
(72)【発明者】
【氏名】工藤 大輔
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 伸幸
(72)【発明者】
【氏名】安東 知洋
(72)【発明者】
【氏名】小柳 禎彦
【テーマコード(参考)】
4K032
【Fターム(参考)】
4K032AA01
4K032AA02
4K032AA04
4K032AA08
4K032AA09
4K032AA13
4K032AA15
4K032AA16
4K032AA19
4K032AA21
4K032AA22
4K032AA24
4K032AA25
4K032AA27
4K032AA29
4K032AA31
4K032AA33
4K032AA35
4K032AA36
4K032AA37
4K032AA39
4K032BA01
4K032BA02
4K032BA03
4K032CA01
4K032CA02
4K032CA03
4K032CC03
4K032CC04
4K032CF03
4K032CG01
(57)【要約】
【課題】高価なNi及びMoの含有量が相対的に少なく、耐水素脆化特性に優れた高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼及びその製造方法を提供すること。
【解決手段】高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、C≦0.20mass%、0.10≦Si≦1.00mass%、0.10≦Mn≦2.0mass%、P≦0.050mass%、S≦0.050mass%、2.0≦Cu<4.0mass%、8.0≦Ni≦11.5mass%、17.0<Cr≦22.0mass%、Mo≦0.20mass%、及び、N≦0.050mass%を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなり、Ni当量Nieqが24.0以上であり、相対絞りが0.8以上である。このような高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、鋳塊に対し、1200℃以上の温度において均熱処理を施すことにより得られる。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の構成を備えた高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼。
(1)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、
C≦0.20mass%、
0.10≦Si≦1.00mass%、
0.10≦Mn≦2.0mass%、
P≦0.050mass%、
S≦0.050mass%、
2.0≦Cu<4.0mass%、
8.0≦Ni≦11.5mass%、
17.0<Cr≦22.0mass%、
Mo≦0.20mass%、及び、
N≦0.050mass%
を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる。
(2)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、次の式(1)で表されるNi当量Nieqが24.0以上である。
Nieq=[%Ni]+15.9[%C]+0.32[%Si]+0.66[%Mn]+0.47[%Cr]+0.64[%Mo]+[%Cu]+15.9[%N] …(1)
但し、
[%Z]は、元素Zの含有量(mass%)を表す。
(3)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、次の式(2)で表される相対絞りが0.8以上である。
相対絞り=A/B …(2)
但し、
Aは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaの水素ガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り、
Bは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaのヘリウムガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り。
【請求項2】
25℃において測定された引張強さが500MPa以上であり、
金属組織中のマルテンサイト量が1.0vol%以下である
請求項1に記載の高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項3】
さらに、前記Feの一部に代えて、
0<V≦0.5mass%、
0<Nb≦0.5mass%、
0<Ca≦0.03mass%、
0<B≦0.05mass%、
0<Zr≦0.5mass%、
0<W≦2.0mass%、
0<Al≦0.05mass%、及び、
0<Mg≦0.01mass%
からなる群から選ばれる1種又は2種以上を含む請求項1に記載の高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項4】
さらに、前記Feの一部に代えて、
0<Co≦1.0mass%
を含む請求項1から3までのいずれか1項に記載の高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項5】
原料を溶解・鋳造し、
C≦0.20mass%、
0.10≦Si≦1.00mass%、
0.10≦Mn≦2.0mass%、
P≦0.050mass%、
S≦0.050mass%、
2.0≦Cu<4.0mass%、
8.0≦Ni≦11.5mass%、
17.0<Cr≦22.0mass%、
Mo≦0.20mass%、
N≦0.050mass%、
0≦V≦0.5mass%、
0≦Nb≦0.5mass%、
0≦Ca≦0.03mass%、
0≦B≦0.05mass%、
0≦Zr≦0.5mass%、
0≦W≦2.0mass%、
0≦Al≦0.05mass%、
0≦Mg≦0.01mass%、及び、
0≦Co≦1.0mass%
を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、次の式(1)で表されるNi当量Nieqが24.0以上である鋳塊を得る第1工程と、
前記鋳塊に対し、1200℃以上の温度において均熱処理する第2工程と、
均熱処理された素材に対し、1次熱間加工を行う第3工程と
を備えた高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼の製造方法。
Nieq=[%Ni]+15.9[%C]+0.32[%Si]+0.66[%Mn]+0.47[%Cr]+0.64[%Mo]+[%Cu]+15.9[%N] …(1)
但し、
[%Z]は、元素Zの含有量(mass%)を表す。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼及びその製造方法に関し、さらに詳しくは、耐水素脆化特性に優れた高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼、及び、その製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、水素を燃料とする燃料電池自動車、及び、燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションの開発が進められている。燃料電池自動車や水素ステーションなどに用いられる各種の機器は、高圧の水素ガス環境下で使用されるもの(以下、これらを総称して「高圧水素ガス用機器」ともいう)や、液体水素環境下で使用されるもの(以下、これらを総称して「液体水素用機器」ともいう)がある。これらの機器に用いられる材料には、優れた耐水素脆化特性が求められている。ステンレス鋼(特に、Ni当量を高めたオーステナイト系ステンレス鋼)は、耐水素脆化特性に優れており、この種の用途に適している。
【0003】
オーステナイト系ステンレス鋼の中でも、SUS316Lは、耐水素脆化特性に優れた材料として知られている。現在、高圧ガス保安法に定められる自動車用圧縮水素容器基準において、耐水素脆化特性に優れるステンレス鋼として、SUS316Lが認定されている。しかしながら、SUS316Lは強度が低いため、SUS316Lを高圧水素ガス用機器の構造部材に用いる場合には、厚肉に設計する必要がある。その結果、機器の大型化や高重量化が避けられないという問題がある。燃料電池自動車の軽量化、水素ステーションのコンパクト化、及び、水素ステーションでの高圧操業を実現するためには、これらの用途に使用されるステンレス鋼の強度及び耐水素脆化特性は、高い方が好ましい。
【0004】
そこでこの問題を解決するために、従来から種々の提案がなされている。
例えば、特許文献1には、所定量のC、N、Si、Cr、Mn、Cu、及び、Niを含み、オーステナイト安定度の指標Md30が所定の範囲にあるオーステナイト系高Mnステンレス鋼が開示されている。
【0005】
同文献には、
(A)SUS316系オ-ステナイトステンレス鋼においても低温水素環境では歪み誘起マルテンサイトを生成して脆化する点、及び、
(B)Md30が特定条件を満足するように成分設計を行うと、低温水素環境下における歪み誘起マルテンサイトの生成が抑制され、SUS316系オーステナイトステンレス鋼を上回る耐水素脆化感受性が得られる点
が記載されている。
【0006】
特許文献2には、所定量のC、Si、Mn、P、S、Ni、Cr、Mo、Cu、N、Al、Ca、O、B、Ti、Nb、Vを含み、Creq/Nieqが1.56以下であり、P値(S、O、及び、Caの含有量を規定する指標)が-5以下であるオーステナイト系ステンレス鋼が開示されている。
【0007】
同文献には、
(A)SUS316系オーステナイト系ステンレス鋼であっても、低温・高圧水素ガス環境下では、水素脆化する場合がある点、
(B)Creq/Nieqを1.56以下にすると、Ni濃度ばらつき及びこれに起因する耐水素脆化特性の低下が抑制される点、
(C)Al脱酸及びCa添加によりS量を可能な限り低減させると、熱間加工性を向上させることができる点、及び、
(D)これによって、低温かつ40MPa超の高圧水素ガス環境下での耐水素脆化特性と、優れた熱間加工性とを兼ね備えたオーステナイト系ステンレス鋼が得られる点、
が記載されている。
【0008】
特許文献3には、所定量のC、Si、Mn、P、S、Ni、Cr、及び、Nを含有し、Cr炭化物の面積率が23%以上である高圧水素用オーステナイト系ステンレス鋼が開示されている。
【0009】
同文献には、
(A)Cr炭化物の面積率を23%以上にすると、固溶化熱処理状態での0.2%耐力が330MPa以上であり、硬さが200Hv以上であるオーステナイト系ステンレス鋼が得られる点、及び、
(B)Ni量を8~14mass%とすると、δフェライトの生成や加工誘起マルテンサイトの生成を抑制することができる点
が記載されている。
【0010】
特許文献4には、
(a)所定量のC、Si、Mn、P、S、Ni、Cr、及び、Nを含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、
(b)所定の関係式を満たすように各元素の含有量が調整され、
(c)溶接部のδフェライト相の面積率が0.5%以下である
高圧水素輸送用オーステナイト系ステンレス鋼溶接管が開示されている。
同文献には、溶接部のδフェライト相を制限することによって、オーステナイト系ステンレス鋼溶接管の耐水素脆化性を改善することができる点が記載されている。
【0011】
さらに、特許文献5には、
(a)所定量のC、Si、Mn、P、S、Cr、Ni、Al、及び、Nを含み残部がFe及び不純物からなるオーステナイトステンレス鋼に対し、室温~200℃において、断面減少率10~50%の塑性加工を施し、
(b)前記塑性加工の方向とは異なる方向に断面減少率5%以上の塑性加工を施す
ことにより得られる水素ガス用オーステナイトステンレス鋼が開示されている。
【0012】
同文献には、
(A)オーステナイトステンレス鋼を冷間加工すると強度は向上するが、オーステナイトステンレス鋼に過度の転位が導入されると水素脆化感受性が高くなる点、及び、
(B)オーステナイトステンレス鋼に対し、加工方向を変えて冷間加工を行うと、水素脆化感受性が著しく低減される点
が記載されている。
【0013】
水素供給インフラである水素ステーションでは、-40℃、82MPaと、非常に低温かつ高圧の水素ガスの取扱が計画されている。加えて、今後の水素ガス利用の高効率化のため、水素ガス圧のさらなる高圧化も予想される。
しかしながら、特許文献1に記載されているように、SUS316であっても低温高圧水素ガス環境中で脆化する場合がある。加えて、SUS316は、レアメタルであるNiとMoを多量に含んでいるために高価である。
【0014】
一方、特許文献2には、低温かつ40MPa超の水素ガス環境下での耐水素脆化特性に優れたオーステナイト系ステンレス鋼が開示されている。しかし、同文献には、水素ステーションで要求される82MPa程度の高圧な水素ガス環境については言及されていない。また、同文献に記載のオーステナイト系ステンレス鋼は、レアメタルであるMoの含有量が2%を超えている。
【0015】
特許文献3には、低温における加工誘起マルテンサイト変態を抑制し、これによって高圧水素ガス環境中での耐水素脆化特性を向上させたオーステナイト系ステンレス鋼が開示されている。しかし、同文献のオーステナイト系ステンレス鋼は、レアメタルであるNiの含有量が従来のSUS316と同程度であるため、材料コストや資源リスクが高くなっている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0016】
【特許文献1】特開2007-126688号公報
【特許文献2】特開2015-196842号公報
【特許文献3】特開2018-135592号公報
【特許文献4】特開2010-121190号公報
【特許文献5】国際公開第2004/111285号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0017】
本発明が解決しようとする課題は、高価なNi及びMoの含有量が相対的に少なく、低温かつ高圧水素ガスまたは液体水素環境下における耐水素脆化特性に優れた高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼を提供することにある。
また、本発明が解決しようとする他の課題は、このような高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼の製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0018】
上記課題を解決するための本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、以下の構成を備えている。
(1)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、
C≦0.20mass%、
0.10≦Si≦1.00mass%、
0.10≦Mn≦2.0mass%、
P≦0.050mass%、
S≦0.050mass%、
2.0≦Cu<4.0mass%、
8.0≦Ni≦11.5mass%、
17.0<Cr≦22.0mass%、
Mo≦0.20mass%、及び、
N≦0.050mass%
を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。
(2)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、次の式(1)で表されるNi当量Nieqが24.0以上である。
Nieq=[%Ni]+15.9[%C]+0.32[%Si]+0.66[%Mn]+0.47[%Cr]+0.64[%Mo]+[%Cu]+15.9[%N] …(1)
但し、
[%Z]は、元素Zの含有量(mass%)を表す。
(3)前記高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、次の式(2)で表される相対絞りが0.8以上である。
相対絞り=A/B …(2)
但し、
Aは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaの水素ガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り、
Bは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaのヘリウムガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り。
【0019】
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、
さらに、前記Feの一部に代えて、
0<V≦0.5mass%、
0<Nb≦0.5mass%、
0<Ca≦0.03mass%、
0<B≦0.05mass%、
0<Zr≦0.5mass%、
0<W≦2.0mass%、
0<Al≦0.05mass%、及び、
0<Mg≦0.01mass%
からなる群から選ばれる1種又は2種以上を含むものでも良い。
【0020】
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、
さらに、前記Feの一部に代えて、
0<Co≦1.0mass%
を含むものでも良い。
【0021】
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼の製造方法は、
原料を溶解・鋳造し、
C≦0.20mass%、
0.10≦Si≦1.00mass%、
0.10≦Mn≦2.0mass%、
P≦0.050mass%、
S≦0.050mass%、
2.0≦Cu<4.0mass%、
8.0≦Ni≦11.5mass%、
17.0<Cr≦22.0mass%、
Mo≦0.20mass%、
N≦0.050mass%、
0≦V≦0.5mass%、
0≦Nb≦0.5mass%、
0≦Ca≦0.03mass%、
0≦B≦0.05mass%、
0≦Zr≦0.5mass%、
0≦W≦2.0mass%、
0≦Al≦0.05mass%、
0≦Mg≦0.01mass%、及び、
0≦Co≦1.0mass%
を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、式(1)で表されるNi当量Nieqが24.0以上である鋳塊を得る第1工程と、
前記鋳塊に対し、1200℃以上の温度において均熱処理する第2工程と、
均熱処理された素材に対し、1次熱間加工を行う第3工程と
を備えている。
【発明の効果】
【0022】
オーステナイト系ステンレス鋼に相対的に多量のCuを添加した場合において、熱処理条件が不適切であるときには、Cuが偏析し、あるいは、低融点Cu化合物が析出しやすくなる。これに対し、相対的に多量のCuを含むオーステナイト系ステンレス鋼を1200℃以上の温度において均熱処理を行うと、Cuがオーステナイト相中に固溶し、Cu偏析や低融点Cu化合物の少ないオーステナイト系ステンレス鋼が得られる。
【0023】
Cuは、オーステナイト安定化元素である。そのため、オーステナイト相中に相対的に多量のCuを固溶させると、NiやMoの含有量が相対的に少量であってもNieqが大きくなり、オーステナイトが安定化する。その結果、水素脆化を引き起こす加工誘起マルテンサイトの生成が抑制され、耐水素脆化特性が向上する。
【発明を実施するための形態】
【0024】
以下に、本発明の一実施の形態について詳細に説明する。
[1. 高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼]
[1.1. 主構成元素]
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼(以下、単に「オーステナイト系ステンレス鋼」ともいう)は、以下のような元素を含み、残部がFe及び不可避的不純物からなる。添加元素の種類、その成分範囲、及び、その限定理由は、以下の通りである。
【0025】
(1)C≦0.20mass%:
本発明において、Cは、不純物である。C量が過剰になると、靱延性が低下する場合がある。従って、C量は、0.20mass%以下である必要がある。C量は、好ましくは、0.1mass%以下である。
C量は、少ないほど良い。しかしながら、C量の極端な低減は製造コストの増大を招く。製造コストを考慮すると、C量は、0.01mass%以上が好ましい。
【0026】
(2)0.10≦Si≦1.00mass%:
Siは、オーステナイト相中に固溶させることにより、引張強度を向上させる作用がある。また、Siは、オーステナイト安定化元素であるため、耐水素脆化特性の向上に寄与する。このような効果を得るためには、Si量は、0.10mass%以上である必要がある。Si量は、好ましくは、0.50mass%以上である。
一方、Si量が過剰になると、粒界強度が低下し、耐水素脆化特性が低下する場合がある。従って、Si量は、1.00mass%以下である必要がある。
【0027】
(3)0.10≦Mn≦2.0mass%:
Mnは、MnSなどの介在物を形成し、製造性を向上させる作用がある。また、Mnは、オーステナイト安定化元素であるため、耐水素脆化特性の向上に寄与する。このような効果を得るためには、Mn量は、0.10mass%以上である必要がある。Mn量は、好ましくは、0.50mass%以上、さらに好ましくは、1.50mass%以上である。
一方、Mn量が過剰になると、Cuの固溶限が低下し、低融点Cu化合物が析出する場合がある。低融点Cu化合物は、熱間加工時に溶融するために、熱間加工性を低下させる原因となる。従って、Mn量は、2.0mass%以下である必要がある。
【0028】
(4)P≦0.050mass%:
本発明において、Pは、不純物である。P量が過剰になると、熱間加工性が低下する場合がある。従って、P量は、0.050mass%以下である必要がある。
P量は、少ないほど良い。しかしながら、P量の極端な低減は製造コストの増大を招く。製造コストを考慮すると、P量は、0.001mass%以上が好ましい。
【0029】
(5)S≦0.050mass%:
本発明において、Sは、不純物である。S量が過剰になると、熱間加工性が低下する場合がある。従って、S量は、0.050mass%以下である必要がある。S量は、好ましくは、0.030mass%以下である。
S量は、少ないほど良い。しかしながら、S量の極端な低減は製造コストの増大を招く。製造コストを考慮すると、S量は、0.001mass%以上が好ましい。
【0030】
(6)2.0≦Cu<4.0mass%:
Cuは、加工誘起マルテンサイトの生成を抑制し、耐水素脆化特性を向上させる作用がある。また、Cuは、冷間加工性を向上させる作用もある。このような効果を得るためには、Cu量は、2.0mass%以上である必要がある。Cu量は、好ましくは、3.0mass%以上である。
一方、Cu量が過剰になると、成分の偏析を助長し、部位により耐水素脆化特性が不安定となる場合がある。加えて、Cu量が過剰になると、Cu濃化部が形成される場合や、固溶限を超えたCuが低融点Cu化合物として析出する場合がある。Cu濃化部や低融点Cu化合物は、熱間加工時に溶融するために、熱間加工性を低下させる原因となる。従って、Cu量は、4.0mass%未満である必要がある。
【0031】
(7)8.0≦Ni≦11.5mass%:
Niは、加工誘起マルテンサイトの生成を抑制し、耐水素脆化特性を向上させる作用がある。また、Niは、Cuの固溶限を広げ、熱間加工性を向上させる作用がある。このような効果を得るためには、Ni量は、8.0mass%以上である必要がある。Ni量は、好ましくは、9.0mass%以上である。
一方、Niは高価であるため、Ni量が過剰になると原料コストが高くなる。従って、Ni量は、11.5mass%以下である必要がある。Ni量は、好ましくは、10.5mass%以下である。
【0032】
(8)17.0<Cr≦22.0mass%:
Crは、フェライト安定化元素であるが、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼の成分範囲において、Crは、加工誘起マルテンサイトの生成を抑制し、耐水素脆化特性を向上させる作用がある。また、Crは、オーステナイト系ステンレス鋼に求められる耐食性を高める作用がある。このような効果を得るためには、Cr量は、17.0mass%超である必要がある。Cr量は、好ましくは、17.5mass%以上、さらに好ましくは、18.5mass%以上である。
一方、Crは高価であるため、Cr量が過剰になると原料コストが高くなる。また、Cr量が過剰になると、δフェライトの形成を助長し、耐水素脆化特性が低下する場合がある。従って、Cr量は、22.0mass%以下である必要がある。Cr量は、好ましくは、19.0mass%以下である。
【0033】
(9)Mo≦0.20mass%:
本発明において、Moは、不純物として含まれ得る元素である。Moは、耐水素脆化特性の向上に寄与する元素であるが、高価な元素である。そのため、Mo量が過剰になると、原料コストが高くなる。従って、Mo量は、0.20mass%以下である必要がある。
本発明において、Mo量は、ゼロでも良い。しかしながら、上述したように、Moは、耐水素脆化特性の向上に寄与する。このような効果を得るためには、Mo量は、0.01mass%以上が好ましい。
【0034】
(10)N≦0.050mass%:
本発明において、Nは、不純物である。N量が過剰になると、積層欠陥エネルギーが低下し、耐水素脆化特性が低下する場合がある。従って、N量は、0.050mass%以下である必要がある。
N量は、少ないほど良い。しかしながら、N量の極端な低減は製造コストの増大を招く。製造コストを考慮すると、N量は、0.01mass%以上が好ましい。
【0035】
(11)不可避的不純物:
本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、不可避的不純物を含んでいても良い。ここで、「不可避的不純物」とは、オーステナイト系ステンレス鋼を工業的に製造する際に、原料、製造工程などの種々の要因によって混入する成分であって、その含有量が本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼に悪影響を与えない範囲であるものをいう。
【0036】
不可避的不純物としては、上述したC、P、S、Mo、及び、Nの他、Sn、Pb、Ti、Ta、Hfなどが挙げられる。これらの含有量は、それぞれ、0.05mass%以下が好ましい。
さらに、不可避的不純物の総含有量は、1.00mass%以下が好ましい。総含有量は、さらに好ましくは、0.50mass%以下である。
【0037】
[1.2. 副構成元素]
本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、上述した主構成元素及び不可避的不純物に加えて、以下の1又は2以上の元素をさらに含むものでも良い。添加元素の種類、その成分範囲、及び、その限定理由は、以下の通りである。
【0038】
(1)0<V≦0.5mass%:
Vは、炭窒化物の生成により、強度を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Vを含んでいても良い。
一方、V量が過剰になると、V系化合物が多量に生成し、製造性が低下する場合がある。従って、V量は、0.5mass%以下が好ましい。
【0039】
(2)0<Nb≦0.5mass%:
Nbは、結晶粒を微細化し、強度を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Nbを含んでいても良い。
一方、Nb量が過剰になると、Nb系化合物が多量に生成し、熱間加工性が低下する場合がある。従って、Nb量は、0.5mass%以下が好ましい。
【0040】
(3)0<Ca≦0.03mass%:
Caは、熱間加工性を改善し、製造性を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Caを含んでいても良い。
一方、Ca量が過剰になると、Ca系化合物が多量に生成し、製造性や耐食性が低下する場合がある。従って、Ca量は、0.03mass%以下が好ましい。
【0041】
(4)0<B≦0.05mass%:
Bは、粒界に偏析し、熱間加工性を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Bを含んでいても良い。
一方、B量が過剰になると、B系化合物が多量に生成し、加工性や耐食性が低下する場合がある。従って、B量は、0.05mass%以下が好ましい。
【0042】
(5)0<Zr≦0.5mass%:
Zrは、脱酸元素である。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Zrを含んでいても良い。
一方、Zr量が過剰になると、Zr系化合物が多量に生成し、製造性が低下する場合がある。従って、Zr量は、0.5mass%以下が好ましい。
【0043】
(6)0<W≦2.0mass%:
Wは、炭化物生成により強度を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Wを含んでいても良い。
一方、W量が過剰になると、製造コスト、原料コストが増大する場合がある。従って、W量は、2.0mass%以下が好ましい。
【0044】
(7)0<Al≦0.05mass%:
Alは、脱酸元素であり、製造性を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Alを含んでいても良い。
一方、Al量が過剰になると、Al系化合物やσ相が多量に生成し、製造性が低下する場合がある。従って、Al量は、0.05mass%以下が好ましい。Al量は、さらに好ましくは、0.01mass%以下である。
【0045】
(8)0<Mg≦0.01mass%:
Mgは、熱間加工性を改善し、製造性を向上させる作用がある。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、Mgを含んでいても良い。
一方、Mg量が過剰になると、Mg系化合物が多量に生成し、製造性が低下する場合がある。従って、Mg量は、0.01mass%以下が好ましい。
【0046】
(9)0<Co≦1.0mass%:
Coは、加工誘起マルテンサイトの生成を抑制し、耐水素脆化特性を向上させる作用がある。Coは、少量でも含有されていれば、このような効果が得られる。従って、Co量は、0mass%超が好ましい。Co量は、さらに好ましくは、0.01mass%以上である。
一方、Co量が過剰になると、延性が僅かながら低下する。加えて、Coは高価な元素であり、原料コストを増加させる。従って、Co量は、1.0mass%以下が好ましい。Co量は、さらに好ましくは、0.5mass%以下、0.4mass%以下、あるいは、0.3mass%以下である。
【0047】
[1.3. 成分バランス]
本発明において、「Ni当量Nieq」とは、次の式(1)で表される値をいう。
Nieq=[%Ni]+15.9[%C]+0.32[%Si]+0.66[%Mn]+0.47[%Cr]+0.64[%Mo]+[%Cu]+15.9[%N] …(1)
但し、
[%Z]は、元素Zの含有量(mass%)を表す。
【0048】
Nieqは、オーステナイト安定度を表す指標である。Nieqが大きくなるほど、低温高圧水素ガス環境下において加工誘起マルテンサイト変態が抑制され、耐水素脆化特性が向上する。優れた耐水素脆化特性を得るためには、Nieqは、24.0以上である必要がある。Nieqは、好ましくは、25.0以上である。
【0049】
[1.4. 特性]
[1.4.1. 相対絞り]
耐水素脆化特性の良否は、相対絞りの大きさで評価することができる。
ここで、「相対絞り」とは、次の式(2)で表される値をいう。式(2)で表される相対絞りは、その値が大きくなるほど、耐水素脆化特性が良好であることを表す。
相対絞り=A/B …(2)
但し、
Aは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaの水素ガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り、
Bは、試験温度:-60℃、試験雰囲気:87.5MPaのヘリウムガス中、の条件下で低歪速度試験を行ったときの丸棒引張試験片の破断絞り。
なお、A及びBの測定には、共に平行部直径4mmの丸棒引張試験片を用い、歪速度は7×10-5/sとした。
【0050】
本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、成分が最適化されているので、耐水素脆化特性に優れており、低温高圧水素ガス環境において高い延性を示す。本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼において、成分及び組織を最適化すると、相対絞りは、0.8以上となる。成分及び/又は組織をさらに最適化すると、相対絞りは、0.9以上となる。このようなオーステナイト系ステンレス鋼は、所定の組成を有する鋳塊に均熱処理を行い、続いて1次熱間加工を行うことで得ることができる。必要に応じて、2次熱間加工、溶体化処理、冷間加工等を行っても良い。
【0051】
[1.4.2. 引張強さ]
「引張強さ」とは、JIS Z2241:2011に準拠し、平行部直径6mmの14A号試験片を用いて引張試験を行うことにより得られる引張強さをいう。
本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、熱間加工条件、溶体化処理条件、及び/又は、冷間加工条件を最適化することにより、25℃において測定された引張強さが500MPa以上となる。成分をさらに最適化すると、引張強さは、600MPa以上、あるいは、650MPa以上となる。650MPa以上の高強度を有するオーステナイト系ステンレス鋼を得るには、冷間加工を行うことが好ましい。
【0052】
[1.4.3. 金属組織]
「マルテンサイト量(vol%)」とは、Mo管球を用いたX線回折測定により得られるフェライト相の(200)及び(211)のピーク強度と、オーステナイト相の(200)、(220)及び(311)のピーク強度とを用いる方法(いわゆる、5ピーク法)によって算出された値であり、回折ピークの積分強度比から算出したオーステナイト相の体積率(vol.%)を、100%から差し引いた値をいう。
【0053】
オーステナイト系ステンレス鋼に冷間加工を施すと、加工誘起マルテンサイトが生成する場合がある。加工誘起マルテンサイトは、耐水素脆化特性を低下させる場合がある。これに対し、本発明に係るオーステナイト系スレンレス鋼は、オーステナイト安定度が高いため、冷間加工後においても、金属組織中のマルテンサイト量が少ない。
本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼において、熱間加工条件、溶体化処理条件、及び/又は、冷間加工条件を最適化すると、金属組織中のマルテンサイト量は、1.0vol%以下となる。製造条件をさらに最適化すると、マルテンサイト量は、0.5vol%以下となる。
【0054】
[1.5. 用途]
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、熱間加工ままの状態、溶体化処理ままの状態、冷間加工ままの状態、あるいは、溶体化処理後に必要な後加工が施された状態のいずれの状態のものであっても良い。
また、本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼の形状は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な形状を選択することができる。例えば、管、棒、線、板などがある。
【0055】
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、耐水素脆性に優れているため、高圧水素ガス環境に曝される各種の部材に使用できるだけでなく、液体水素環境に曝される各種の部材にも使用することができる。
【0056】
特に、本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、耐水素脆性に加えて極低温での靱性に優れているため、例えば、
(a)液体水素ポンプ昇圧型水素ステーション用部材、
(b)液体水素用のバルブ及びポンプ用部材
などの液体水素環境用部材の材料として利用することができる。
【0057】
[2. 高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼の製造方法]
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、
(a)本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼が得られるように配合された原料を溶解・鋳造し、
(b)得られた鋳塊に対し、1200℃以上の温度において均熱処理し、
(c)均熱処理された素材に対し、1次熱間加工を行い、
(d)必要に応じて、1次熱間加工された素材に対し、2次熱間加工を行い、
(e)必要に応じて、2次熱間加工された素材に対し、溶体化処理を行い、
(f)必要に応じて、2次熱間加工後又は溶体化処理後の素材に対し、冷間加工を行い、
(g)必要に応じて、1次熱間加工後、2次熱間加工後、溶体化処理後、又は、冷間加工後の素材に対し、後加工を行う
ことにより得られる。
【0058】
[2.1. 第1工程]
まず、本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼が得られるように配合された原料を溶解・鋳造し、鋳塊を得る(第1工程)。溶解・鋳造の方法及び条件は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な方法及び条件を選択することができる。溶鋼の製造には、例えば、電気炉、AOD(Argon Oxygen Decarburization)炉、VOD(Vacuum Oxygen Decarburization)炉などを用いることができる。
【0059】
[2.2. 第2工程]
次に、得られた鋳塊に対し、1200℃以上の温度において均熱処理を行う(第2工程)。均熱処理は、鋼塊中の成分の拡散を誘発し、成分偏析を除去する目的で行われる。
【0060】
均熱処理の温度は、成分偏析に影響を与える。均熱処理を行わない場合、あるいは、均熱処理の温度が低すぎる場合、表面の酸化スケールと母相との界面にCuの濃化部が生成する場合や、結晶粒界に低融点Cu化合物が析出する場合がある。Cu濃化部や低融点Cu化合物は、熱間加工中に局部溶融を引き起こし、熱間加工性を著しく悪化させる。加えて、Cuの濃化に依存して合金炭化物の固溶温度も高くなる。そのため、均熱処理を行わない場合、あるいは、均熱処理の温度が低すぎる場合、鋼材中に粗大な合金炭化物が残存しうる。粗大な合金炭化物は、靱延性を低下させる原因となる。
これに対し、高温で均熱処理を行うと、熱間加工性と靱延性が向上する。このような効果を得るためには、均熱処理の温度は、1200℃以上である必要がある。
【0061】
均熱処理温度の保持時間は、目的に応じて最適な時間を選択することができる。一般に、均熱処理温度での保持時間が長くなるほど、Cuの偏析が小さくなる。最適な保持時間は均熱処理の温度により異なるが、通常、1分~24時間である。保持時間が終了した後、素材を水冷、油冷、空冷、又は、これらに準ずる冷却速度が得られる方法で冷却する。
なお、均熱処理の直後に1次熱間加工を行う場合には、均熱処理後の冷却を省略することができる。
【0062】
[2.3. 第3工程]
次に、均熱処理された素材に対し、1次熱間加工を行う(第3工程)。1次熱間加工は、粗大な鋳造組織を破壊し、組織を微細化すると同時に、鋳塊をスラブ、ブルーム、ビレット等の鋼素材にするために行われる。1次熱間加工方法は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な方法を選択することができる。1次熱間加工方法としては、例えば、熱間鍛造、熱間圧延などがある。
【0063】
[2.4. 第4工程]
次に、必要に応じて、1次熱間加工された素材に対し、2次熱間加工を行う(第4工程)。2次熱間加工は、1次熱間加工工程で得られた素材を製品形状(例えば、鋼板、棒鋼、線材、鋼管など)又はそれに近い形状に仕上げるために行われる。2次熱間加工方法は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な方法を選択することができる。2次熱間加工方法としては、例えば、熱間圧延、熱間押出、熱間穿孔圧延などがある。
【0064】
2次熱間加工の条件は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な条件を選択することができる。また、2次熱間加工は、目的に応じて複数回行っても良い。2次熱間加工前に行われる鋼材の加熱温度は、900℃以上1200℃以下が好ましい。
また、2次熱間加工が複数回行われる場合において、最後に行われる2次熱間加工完了時の鋼材温度は、800℃以上1200℃以下が好ましい。これは、結晶粒の適正化のためである。
【0065】
[2.5. 第5工程]
次に、必要に応じて、2次熱間加工された素材に対し、溶体化処理を行っても良い(第5工程)。溶体化処理は、1回だけ実施しても良く、あるいは、複数回実施しても良い。
【0066】
溶体化処理温度は、素材の特性に影響を与える。溶体化処理を行わない場合、あるいは、溶体化処理温度が低すぎる場合、粗大合金炭化物が過度に残存し、靱延性が低下する場合がある。従って、溶体化処理温度は、1000℃以上が好ましい。
一方、溶体化処理温度が高くなりすぎると、結晶粒が過度に粗大化し、強度が低下する可能性がある。従って、溶体化処理温度は、1200℃以下が好ましく、さらに好ましくは、1150℃以下である。
【0067】
溶体化処理温度での保持時間は、目的に応じて最適な時間を選択することができる。一般に、溶体化処理の保持時間が長くなるほど、粗大合金炭化物の数密度が小さくなる。一方、必要以上に保持時間を長くすると、結晶粒が過度に粗大化する。最適な保持時間は、溶体化処理温度により異なるが、通常、1分~3時間である。保持時間が終了した後、素材を水冷、油冷、空冷、若しくは、これらに準ずる冷却速度が得られる方法で冷却する。
【0068】
[2.6. 第6工程]
次に、必要に応じて、2次熱間加工後又は溶体化処理後の素材に対し、冷間加工を行っても良い(第6工程)。冷間加工方法は、特に限定されるものではなく、目的に応じて最適な方法を選択することができる。例えば、素材を鋼管に冷間加工する場合、冷間抽伸法を用いるのが好ましい。あるいは、素材を鋼板に加工する場合、冷間圧延法を用いるのが好ましい。
【0069】
冷間加工は、素材の特性に影響を与える。冷間加工は、目的に応じて最適な加工率を選択することができる。一般に、冷間加工の加工率が高くなるほど、素材の強度は上昇する。一方、過剰な冷間加工は加工誘起マルテンサイトを発生させ、耐水素脆化特性を低下させる場合がある。従って、冷間加工の加工率は、減面率換算で40%以下が好ましい。
【0070】
[2.7. 第7工程]
次に、必要に応じて、1次熱間加工後、2次熱間加工後、溶体化処理後、又は、冷間加工後の素材に対し、後加工を行っても良い(第7工程)。後加工としては、例えば、切削加工、溶接、冷間加工などがある。このようにして得られた部材は、各種の用途に供される。
【0071】
[3. 作用]
オーステナイト系ステンレス鋼に相対的に多量のCuを添加した場合において、熱処理条件が不適切であるときには、Cuが偏析し、あるいは、低融点Cu化合物が析出しやすくなる。これに対し、相対的に多量のCuを含むオーステナイト系ステンレス鋼を1200℃以上の温度において均熱処理を行うと、Cuがオーステナイト相中に固溶し、Cu偏析や低融点Cu化合物の少ないオーステナイト系ステンレス鋼が得られる。
【0072】
Cuは、オーステナイト安定化元素である。そのため、オーステナイト相中に相対的に多量のCuを固溶させると、NiやMoの含有量が相対的に少量であってもNieqが大きくなり、オーステナイトが安定化する。その結果、水素脆化を引き起こす加工誘起マルテンサイトの生成が抑制され、耐水素脆化特性が向上する。
【0073】
また、相対的に多量のCuが固溶しているオーステナイト系ステンレス鋼は、低温における耐水素脆化特性に優れているだけでなく、高い加工率で冷間加工が可能となる優れた加工性と、優れた快削性とを示す。
さらに、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼は、オーステナイトの安定性が高いために、加工誘起マルテンサイトが生成しにくい。そのため、本発明に係るオーステナイト系ステンレス鋼に対して所定の冷間加工率で冷間加工を施すと、低温における耐水素脆化特性を低下させることなく、高強度が得られる。
【実施例0074】
(実施例1~14、比較例1~7)
[1. 試料の作製]
真空誘導炉にて、表1に示す組成の鋼50kgを溶解し、造塊した。その後、インゴット(比較例6を除く)に対して、1200℃での均熱処理を行った。次に、均熱処理後の素材に対し、熱間鍛造を行った。次いで、熱間鍛造後の素材に対し、1080℃での溶体化処理を行った。さらに、実施例2~3、比較例7については、溶体化処理後の素材に対し、冷間加工を行った。減面率は、それぞれ、順に25%、38%、75%とした。得られた素材から試験片を採取し、各種の試験を行った。ただし、比較例6は、熱間鍛造時に割れが発生し、試験片の作製ができなかった。
【0075】
【表1】
【0076】
[2. 試験方法]
[2.1. マルテンサイト量]
5ピーク法を用いて、マルテンサイト量を測定した。
【0077】
[2.2. 引張強さ]
JIS Z 2241:2021に準拠して引張試験を行った。
すなわち、得られた素材から、丸棒引張試験片(14A号試験片)を採取した。丸棒引張試験片の平行部は、棒鋼の圧延方向に対して平行とした。平行部の直径は、6mmとした。丸棒引張試験片を用いて、常温(25℃)、大気中にて引張試験を実施して、引張強さTS(MPa)を求めた。
【0078】
[2.3. 水素脆化特性評価]
水素適合性の評価のため、低歪速度試験を実施した。試験温度は-60℃とし、試験雰囲気は87.5MPaのヘリウムガス中又は水素ガス中とした。試験片には、平行部直径が4mmである丸棒引張試験片を用いた。歪速度は、7×10-5/sとした。
丸棒引張試験片の低歪速度試験後の破断面の面積から、それぞれ、水素ガス中での破断絞り及びヘリウムガス中の破断絞りを算出した。さらに、これらを用いて、-60℃での相対絞り(=A/B)を算出した。
【0079】
[3. 結果]
表2に、結果を示す。表2より、以下のことが分かる。
なお、マルテンサイト量に関し、「◎」はマルテンサイト量が0.5vol%以下であることを表し、「○」はマルテンサイト量が0.5vol%超1.0vol%以下であることを表し、「×」はマルテンサイト量が1.0vol%超であることを表す。
引張強さに関し、「◎」は引張強さが650MPa以上であることを表し、「○」は、引張強さが500MPa以上650MPa未満であることを表し、「×」は、引張強さが500MPa未満であることを表す。
さらに、耐水素脆性に関し、「◎」は相対絞り(Relative Reduction in Aria、RRA)が0.9以上であることを表し、「○」はRRAが0.8以上0.9未満であることを表し、「×」はRRAが0.8未満であることを表す。
【0080】
(1)比較例1は、RRAが0.8未満であった。RRAが低下したのは、Cu量が少ないために、低歪速度試験時に加工誘起マルテンサイトの生成による水素脆化が引き起こされたためと考えられる。
(2)比較例2は、溶体化処理後の引張強さが500MPa未満であり、かつ、RRAが0.8未満であった。引張強さが低下したのは、固溶している溶質元素が比較的少なく(Nieqが24未満)、十分な固溶強化が生じなかったためと考えられる。また、RRAが低下したのは、Nieqが24.0未満であるために、低歪速度試験時に加工誘起マルテンサイトの生成による水素脆化が引き起こされたためと考えられる。
【0081】
(3)比較例3は、RRAが0.8未満であった。これは、N量が過剰であるためと考えられる。
(4)比較例4は、RRAが0.8未満であった。これは、C量が過剰であるためと考えられる。
(5)比較例5は、RRAが0.8未満であった。これは、Cr量が少なく、Cu量がやや少ないためと考えられる。
【0082】
(6)比較例6は、熱間鍛造時に割れが発生し、試験片の作製ができなかった。これは、均熱処理を行っていないために、Cuが偏析したためと考えられる。
(7)比較例7は、マルテンサイト量が1.0vol%を超え、かつ、RRAが低下した。これは、冷間加工率が過度に大きいために、加工誘起マルテンサイトが生成したためと考えられる。
【0083】
(8)実施例1、4~11、13~14は、いずれもマルテンサイト量が0.5vol%以下であり、溶体化処理後の引張強さが500MPa以上であり、RRAが0.9以上であった。
(9)実施例2~3は、冷間加工後の引張強さが650MPa以上であった。また、実施例2~3は、冷間加工後においても、マルテンサイト量が0.5vol%以下であった。
(10)実施例12は、RRAが若干低下した。これは、Mn量及びCu量がやや少ないためと考えられる。
【0084】
【表2】
【0085】
(実施例15~30、比較例8~12)
[1. 試料の作製]
真空誘導炉にて、表3に示す組成の鋼50kgを溶解し、造塊した。その後、インゴットに対して、1200℃での均熱処理を行った。次に、均熱処理後の素材に対し、熱間鍛造を行った。次いで、熱間鍛造後の素材に対し、1080℃での溶体化処理を行った。さらに、実施例16、17については、溶体化処理後の素材に対し、冷間加工を行った。減面率は、それぞれ、順に25%、38%とした。得られた素材から試験片を採取し、各種の試験を行った。
【0086】
【表3】
【0087】
[2. 試験方法]
実施例1と同様にして、マルテンサイト量、引張強さ、及び、水素脆化特性の評価を行った。
【0088】
[3. 結果]
表4に、結果を示す。表4より、以下のことが分かる。なお、表4中、各評価項目の「◎」、「○」、及び、「×」の意味は、表2と同様である。
【0089】
(1)比較例8は、RRAが0.8未満であった。RRAが低下したのは、Cu量が少ないために、低歪速度試験時に加工誘起マルテンサイトの生成による水素脆化が引き起こされたためと考えられる。
(2)比較例9は、溶体化処理後の引張強さが500MPa未満であり、かつ、RRAが0.8未満であった。引張強さが低下したのは、固溶している溶質元素が比較的少なく(Nieqが24未満)、十分な固溶強化が生じなかったためと考えられる。また、RRAが低下したのは、Nieqが24.0未満であるために、低歪速度試験時に加工誘起マルテンサイトの生成による水素脆化が引き起こされたためと考えられる。
【0090】
(3)比較例10は、RRAが0.8未満であった。これは、N量が過剰であるためと考えられる。
(4)比較例11は、RRAが0.8未満であった。これは、C量が過剰であるためと考えられる。
(5)比較例12は、RRAが0.8未満であった。これは、Cr量が少なく、Cu量がやや少ないためと考えられる。
【0091】
(6)実施例15、18~26、28~30は、いずれもマルテンサイト量が0.5vol%以下であり、溶体化処理後の引張強さが500MPa以上であり、RRAが0.9以上であった。
(7)実施例16~17は、冷間加工後の引張強さが650MPa以上であった。また、実施例16~17は、冷間加工後においても、マルテンサイト量が0.5vol%以下であった。
(8)実施例27は、RRAが若干低下した。これは、Mn量及びCu量がやや少ないためと考えられる。
【0092】
【表4】
【0093】
以上、本発明の実施の形態について詳細に説明したが、本発明は上記実施の形態に何ら限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲内で種々の改変が可能である。
【産業上の利用可能性】
【0094】
本発明に係る高圧水素ガスまたは液体水素用オーステナイト系ステンレス鋼は、高圧水素ガス用機器、あるいは、液体水素用機器に用いられる構造部材として用いることができる。