(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024107801
(43)【公開日】2024-08-09
(54)【発明の名称】分生子形成能が増大した糸状菌変異体
(51)【国際特許分類】
C12N 1/15 20060101AFI20240802BHJP
C12N 15/31 20060101ALI20240802BHJP
C12P 1/02 20060101ALI20240802BHJP
A23L 31/00 20160101ALI20240802BHJP
C12N 9/14 20060101ALI20240802BHJP
【FI】
C12N1/15
C12N15/31
C12P1/02 Z
A23L31/00
C12N9/14
【審査請求】未請求
【請求項の数】17
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023011914
(22)【出願日】2023-01-30
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用申請有り 令和4年11月10日に、小川真弘、土屋慧、岩間亮、堀内裕之が、第21回糸状菌分子生物学コンファレンス要旨集において、小川真弘によってなされた発明の一態様を公開した。
(71)【出願人】
【識別番号】000173935
【氏名又は名称】公益財団法人野田産業科学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100079108
【弁理士】
【氏名又は名称】稲葉 良幸
(74)【代理人】
【識別番号】100109346
【弁理士】
【氏名又は名称】大貫 敏史
(74)【代理人】
【識別番号】100117189
【弁理士】
【氏名又は名称】江口 昭彦
(74)【代理人】
【識別番号】100134120
【弁理士】
【氏名又は名称】内藤 和彦
(72)【発明者】
【氏名】小川 真弘
【テーマコード(参考)】
4B018
4B050
4B064
4B065
【Fターム(参考)】
4B018LB04
4B018LB10
4B018MD07
4B018MD49
4B018MD58
4B018MD91
4B050DD04
4B050LL02
4B064AG01
4B064CA05
4B064CA19
4B064CC24
4B064CD19
4B064CD20
4B064DA10
4B065AA58X
4B065AA60X
4B065AA62X
4B065AA63X
4B065AC14
4B065BA02
4B065BA22
4B065BC01
4B065BD38
4B065BD39
4B065CA42
(57)【要約】
【課題】分生子形成能が増大した糸状菌変異体の提供。
【解決手段】本発明は、糸状菌を宿主とする変異体であって、srdA遺伝子に対応する遺伝子の機能が低下又は欠損する変異が導入されている、変異体の提供に関する。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
糸状菌を宿主とする変異体であって、当該宿主が、以下の(a)~(d)のいずれかの塩基配列:
(a)配列番号1の塩基配列;
(b)配列番号1の塩基配列において、1若しくは数個の塩基が欠失、置換又は付加されている塩基配列;
(c)配列番号1の塩基配列と同一性が80%以上である塩基配列;
(d)配列番号1の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列;
で表される遺伝子、あるいは以下の(e)~(g)のいずれかのアミノ酸配列:
(e)配列番号2のアミノ酸配列;
(f)配列番号2のアミノ酸配列において、1若しくは数個のアミノ酸が欠失、置換又は付加されているアミノ酸配列;
(g)配列番号2のアミノ酸配列と同一性が80%以上であるアミノ酸配列;
で表されるタンパク質をコードする遺伝子、
を有しており、当該変異体において、当該宿主との比較で分生子形成能が増大する変異が導入されている、変異体。
【請求項2】
前記遺伝子が、Zn2Cys6型転写制御因子をコードする遺伝子、又はそのホモログ若しくはオーソログである、請求項1に記載の変異体。
【請求項3】
前記遺伝子が欠損又は破壊されている、請求項1又は2に記載の変異体。
【請求項4】
前記変異が、Zn2Cys6型転写制御因子のDNA結合ドメイン又は核移行シグナル部位における変異である、請求項1又は2に記載の変異体。
【請求項5】
前記変異が配列番号1の311位~317位における変異及び/又は2553位~2559位における変異である、請求項4に記載の変異体。
【請求項6】
前記糸状菌がアスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans)、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス(Aspergillus luchuensis)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス ミュータント カワチ(Aspergillus luchuensis mut.kawachii)、アスペルギルス・ニガー(Aspergillus niger)、アスペルギルス・ジャポニカス(Aspergillus japonicus)、アスペルギルス・アクレアタス(Aspergillus aculeatus)、アスペルギルス・グラウクス(Aspergillus glaucus)、アスペルギルス・クラバツス(Aspergillus clavatus)、アスペルギルス・フィシェリ(Aspergillus fischeri)又はアスペルギルス・フミガタス(Aspergillus fumigatus)に属する、請求項1又は2に記載の変異体。
【請求項7】
更に、rseA遺伝子の機能を低下する変異が導入されている、請求項1又は2に記載の変異体。
【請求項8】
宿主との比較で、菌体外酵素生産能が増大している、請求項7に記載の変異体。
【請求項9】
前記菌体外酵素が、エンドキシラナーゼである、請求項8に記載の変異体。
【請求項10】
請求項1又は2に記載の変異体の培養物又はその抽出物。
【請求項11】
糸状菌宿主との比較で分生子形成能が増大した変異体の製造方法であって、当該宿主において、請求項1又は2に記載の遺伝子の機能を低下させる工程を含む、製造方法。
【請求項12】
請求項10に記載の培養物又はその抽出物の製造方法であって、請求項1又は2に記載の変異体と植物性及び/又は動物性原料とを接触させる工程を含む、製造方法。
【請求項13】
前記原料が大豆及び小麦を含む、請求項12に記載の製造方法。
【請求項14】
前記培養物が麹又は諸味である、請求項12に記載の製造方法。
【請求項15】
有機性材料の加水分解産物の製造方法であって、請求項1又は2に記載の変異体、あるいはその培養物又はその抽出物と有機性材料とを接触させる工程を含む、製造方法。
【請求項16】
前記有機性材料が多糖又はタンパク質を含む、請求項15に記載の製造方法。
【請求項17】
糸状菌において形成される分生子を増大させる方法であって、当該糸状菌において、請求項1又は2に記載の遺伝子の機能を低下させる工程を含む、方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分生子形成能が増大した糸状菌変異体等に関する。
【背景技術】
【0002】
アスペルギルス属の糸状菌は、世界中の様々な環境より分離される非常に良く知られたカビの仲間である。このアスペルギルス属の糸状菌の中でも、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、そしてアスペルギルス・リュウチュウエンシス(Aspergillus luchuensis)は麹菌と呼ばれ、東アジア地域の発酵産業に重要な役割を果たしている。例えば、アスペルギルス・オリゼは日本酒、醤油、味噌の製造に、アスペルギルス・ソーヤはおもに醤油の生産に、そしてアスペルギルス・リュウチュウエンシスは焼酎や泡盛の醸造に利用される(Ichishima, E. (2016). Biosci. Biotechnol. Biochem. 80, 1681)。
【0003】
麹菌をはじめとするカビ類は、菌体外に大量の加水分解酵素を分泌する能力があることが一般的に知られている。中でもこれら麹菌類により分泌される糖質加水分解酵素、タンパク質加水分解酵素、そして脂質加水分解酵素などの各種加水分解酵素群は、醸造の初期段階において重要な工程である原料の分解を担っている(村上英也 編著(2018)、麹学 第6版、日本醸造協会)。これら各種分解酵素の細胞外分泌能を強化するための様々な研究が行われている。
【0004】
またその研究には、麹菌類と同じくアスペルギルス属の糸状菌で、分子・細胞生物学的な解析が麹菌類よりも先行しているアスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans)が用いられる事も有る。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
Ogawa, M., et al. (2021). J. Biosci. Bioeng., 131, 589
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明者は以前、麹菌類においてタンパク質分泌を増強させることが知られていた変異遺伝子のアスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans)におけるオーソログであるrseA破壊株のタンパク質分泌量が増加することを示した(Ogawa, M., et al. (2021). J. Biosci. Bioeng., 131, 589)。しかしながら、rseA破壊株は細胞壁に異常があることや、分生子形成能が著しく低下していることなど、rseA破壊株には培養上のデメリットが存在していることが本発明者によって明らかとなった。
【0007】
そのため、rseA破壊株の分生子形成能を回復させる方法を見出すことができれば、高い菌体外酵素生産能と分生子形成能を有するアスペルギルス属糸状菌の育種に役立つ知見が得られることが期待される。さらにその知見は、分生子形成能が低下した糸状菌において、その分生子形成能を回復させる方法や、糸状菌において分生子形成量をより増大させる方法として、広く利用できる可能性がある。
【0008】
本発明は、分生子形成能が増大した糸状菌変異体等の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、rseA破壊株を親株として分生子形成能を回復させる変異株を取得し、原因遺伝子としてZn2Cys6型転写制御因子をコードすると推定される遺伝子、AN5849を同定した。本明細書では、この遺伝子をsrdA(suppressor for reduced conidiation phenotype of rseA deletion mutant)と称する。
【0010】
即ち、本発明は、以下の態様を包含する。
[1]
糸状菌を宿主とする変異体であって、当該宿主が、以下の(a)~(d)のいずれかの塩基配列:
(a)配列番号1の塩基配列;
(b)配列番号1の塩基配列において、1若しくは数個の塩基が欠失、置換又は付加されている塩基配列;
(c)配列番号1の塩基配列と同一性が80%以上である塩基配列;
(d)配列番号1の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列;
で表される遺伝子、あるいは以下の(e)~(g)のいずれかのアミノ酸配列:
(e)配列番号2のアミノ酸配列;
(f)配列番号2のアミノ酸配列において、1若しくは数個のアミノ酸が欠失、置換又は付加されているアミノ酸配列;
(g)配列番号2のアミノ酸配列と同一性が80%以上であるアミノ酸配列;
で表されるタンパク質をコードする遺伝子、
を有しており、当該変異体において、当該宿主との比較で分生子形成能が増大する変異が導入されている、変異体。
[2]
前記遺伝子が、Zn2Cys6型転写制御因子をコードする遺伝子、又はそのホモログ若しくはオーソログである、[1]に記載の変異体。
[3]
前記遺伝子が欠損又は破壊されている、[1]又は[2]に記載の変異体。
[4]
前記変異が、Zn2Cys6型転写制御因子のDNA結合ドメイン又は核移行シグナル部位における変異である、[1]又は[2]に記載の変異体。
[5]
前記変異が配列番号1の311位~317位における変異及び/又は2553位~2559位における変異である、[4]に記載の変異体。
[6]
前記糸状菌がアスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans)、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス(Aspergillus luchuensis)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス ミュータント カワチ(Aspergillus luchuensis mut.kawachii)、アスペルギルス・ニガー(Aspergillus niger)、アスペルギルス・ジャポニカス(Aspergillus japonicus)、アスペルギルス・アクレアタス(Aspergillus aculeatus)、アスペルギルス・グラウクス(Aspergillus glaucus)、アスペルギルス・クラバツス(Aspergillus clavatus)、アスペルギルス・フィシェリ(Aspergillus fischeri)又はアスペルギルス・フミガタス(Aspergillus fumigatus)に属する、[1]又は[2]に記載の変異体。
[7]
更に、rseA遺伝子の機能を低下する変異が導入されている、[1]又は[2]に記載の変異体。
[8]
宿主との比較で、菌体外酵素生産能が増大している、[7]に記載の変異体。
[9]
前記菌体外酵素が、エンドキシラナーゼである、[8]に記載の変異体。
[10]
[1]又は[2]に記載の変異体の培養物又はその抽出物。
[11]
糸状菌宿主との比較で分生子形成能が増大した変異体の製造方法であって、当該宿主において、[1]又は[2]に記載の遺伝子の機能を低下させる工程を含む、製造方法。
[12]
[10]に記載の培養物又はその抽出物の製造方法であって、[1]又は[2]に記載の変異体と植物性及び/又は動物性原料とを接触させる工程を含む、製造方法。
[13]
前記原料が大豆及び小麦を含む、[12]に記載の製造方法。
[14]
前記培養物が麹又は諸味である、[12]に記載の製造方法。
[15]
有機性材料の加水分解産物の製造方法であって、[1]又は[2]に記載の変異体、あるいはその培養物又はその抽出物と有機性材料とを接触させる工程を含む、製造方法。
[16]
前記有機性材料が多糖又はタンパク質を含む、[15]に記載の製造方法。
[17]
糸状菌において形成される分生子を増大させる方法であって、当該糸状菌において、[1]又は[2]に記載の遺伝子の機能を低下させる工程を含む、方法。
【発明の効果】
【0011】
分生子形成不全の表現型は発酵産業等において不利な形質であるが、本発明によれば、糸状菌におけるsrdAを破壊等することで、菌体外酵素生産を保ちつつ、分生子形成能を回復させることができる。理論に拘束されることを意図するものではないが、糸状菌における分生子形成能の回復の効果は、細胞壁や細胞内シグナル伝達系の異常等に起因する様々な原因の分生子形成不全に対しても有効であると予想される
【0012】
また、糸状菌宿主においてsrdA破壊に加えて、rseAにも変異等が導入されている場合には、分生子形成能を回復させるだけではなく、いくつかの菌体外加水分解酵素の生産を増大させる場合もある。加水分解酵素の生産能の向上は、原料の加水分解工程が必要とされる醸造・発酵産業における生産性や効率性の増大に資する。しかしながら、本発明の変異体又はその培養物、又は培養物からの抽出物は、広く有機性材料の加水分解産物の製造方法に使用することができるため、その用途は食品分野に限定されない。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】分子生物学的なモデルとして使用されるアスペルギルス・ニデュランスの菌糸、頂嚢、及び分生子部分を拡大した走査型電子顕微鏡(SEM)写真。A:菌糸;B:頂嚢;C:Bにおける分生子(胞子)の部分拡大写真。
【
図2】アスペルギルス・ニデュランスにおけるrseA破壊株であるDRA株と、その比較対象となる野生型株であるwtRA株の表現型との比較。A:最少培地上の各株のコロニーの写真;B:各株のSEM写真;C:固体培養サンプルのデジタルマイクロスコープ写真。各写真における左側がwtRA株であり、右側がDRA株である。
【
図3】アスペルギルス・ニデュランスDRA株のコロニー上に出現した自然変異株。
【
図4】rseA破壊とPCRによるその確認方法(実施例1)。図中のIからIIIで示した領域は遺伝子破壊確認の際にPCRにより増幅させる部分を示す。
【
図5】PCRによる自然変異株のrseA破壊確認(実施例1)。I:破壊時欠失領域;II:破壊用断片導入部分5’側;III:破壊用断片導入部分3’側。
【
図6】アスペルギルス・ニデュランスDRA株及び自然変異株のコロニーの表現型(実施例1)。A:wtRA株(野生型株);B:DRA株(rseA破壊株);C:変異株 B;D:変異株 D。
【
図7】DRA株及び抑圧変異株のSEM写真(実施例1)。A:wtRA株(野生型株);B:DRA株(rseA破壊株);C:変異株 B;D:変異株 D。
【
図8】次世代シーケンサーによる全ゲノム解析に用いた菌株の系統関係(実施例2)。
【
図9】変異導入部位周辺のアスペルギルス属糸状菌間における保存性(実施例2)。図中の矢印は、Cの1塩基欠失が生じた部位(上部)及びCの1塩基挿入が生じた部位(下部)を示す。
【
図11】rseA破壊確認のサザンハイブリダイゼーションの概要(実施例3)。
【
図12】サザンハイブリダイゼーション(
図11)によるN3149RP-rd2株におけるrseA破壊を確認した結果(実施例3)。
【
図13】srdA破壊とPCRによるその確認方法(実施例3)。図中のIからIIIで示した領域は遺伝子破壊確認の際にPCRにより増幅させる部分を示す。
【
図14】pyrGマーカー相補とPCRによるその確認方法(実施例3)。
【
図15】riboBマーカー相補とPCRによるその確認方法(実施例3)。
【
図16】PCRによるN3149RP-DRS株のsrdA破壊確認(実施例3)。I:破壊時欠失領域;II:破壊用断片導入部分5’側;III:破壊用断片導入部分3’側。
【
図17】PCRによるN3149RP-DS株のsrdA破壊確認(実施例3)。I:破壊時欠失領域;II:破壊用断片導入部分5’側;III:破壊用断片導入部分3’側。
【
図18】N3149RP-p1株およびN3149RP-DS株におけるpyrGマーカー相補の確認(実施例3)。
【
図19】N3149RP-C株およびN3149RP-DR株におけるriboBマーカー相補の確認(実施例3)。
【
図20】アスペルギルス・ニデュランスにおけるrseAsrdA二重破壊株とsrdA単独破壊株のコロニー写真(実施例4)。A:N3149RP-C(野生型株);B:N3149RP-DR(rseA破壊株);C:N3149RP-DRS(rseAsrdA破壊株)D:N3149RP-DS(srdA破壊株)。
【
図21】アスペルギルス・ニデュランスにおけるrseAsrdA二重破壊株とsrdA単独破壊株のSEM写真(実施例4)。A:N3149RP-C(野生型株);B:N3149RP-DR(rseA破壊株);C:N3149RP-DRS(rseAsrdA破壊株)D:N3149RP-DS(srdA破壊株)。
【
図22】推定されるsrdA破壊による分生子形成能回復のメカニズム(実施例4)。
【
図23】子嚢菌門の糸状菌におけるSrdAオーソログの系統樹(実施例5)。
【
図24】アスペルギルス属糸状菌におけるSrdAオーソログのアミノ酸配列の同一性(実施例5)。
【
図25】アスペルギルス属糸状菌のSrdAオーソログにおける主要なモチーフの保存性(実施例6)。
【
図26】変異株 Bによる菌体外キシラナーゼ生産(実施例7)。
【発明を実施するための形態】
【0014】
1.糸状菌を宿主とする変異体及びその製法
本発明は、糸状菌を宿主とする変異体であって、srdA遺伝子に対応する遺伝子の機能が低下又は欠損する変異が導入されている変異体を提供する。
【0015】
麹菌をはじめとするアスペルギルス属糸状菌には、その生活環において無性生活環が存在する。この無性生活環においてこれらの生物は、菌糸として伸長して増殖するだけでなく(
図1A)、一定の条件が整うと頂嚢(コニディアルヘッド)と呼ばれる分生子形成器官を形成する(
図1B)。この頂嚢には小さな球状の分生子が形成される(
図1B右側)。この分生子一つ一つが、再び菌糸として伸長し増殖する能力を有している。このように分生子形成は、アスペルギルス属糸状菌において、極めて重要な増殖方法の一つである(Adams, T.H.et al. (1998). Microbiol. Mol. Biol. Rev. 62, 35)。
【0016】
特に、麹菌の分生子は種麹とも呼ばれ、醸造微生物の保管に用いられるだけでなく、発酵の初期段階において、この種麹が原料に対して直接接種し使用される。(Hofrichter,M.,Ed.(2010).The Mycota X,2nd edition.Springer-Verlag)。したがって麹菌では、高い菌体外酵素生産性ともに、高い分生子形成能も求められることになる。
【0017】
アスペルギルス属糸状菌における分生子形成制御機構については、分子生物学的なモデル生物として利用されるアスペルギルス・ニデュランスにおいて集中的な解析が行われており、既に分生子形成制御に関与する転写制御因子が複数同定されている(Wu, M.Y., et al.(2018). mBio 9, e01130-18)。例えば、分生子形成に中心的な役割を果たす、BrlA、AbaAそしてWetAや、分生子形成を促進する働きをもつFlbB、FlbC、FlbD、そして分生子形成を抑制する働きを持つSfgAやNosAなどが知られている(Adams, T.H. et al.(1998). Microbiol. Mol. Biol. Rev. 62, 35; Lee, M.K., et al. (2016). Sci. Rep. 6, 28874)。また、アスペルギルス・ニデュランスにて見出されている主要な分生子形成制御因子は、そのオーソログが麹菌アスペルギルス・オリゼにも存在しており、アスペルギルス・オリゼとアスペルギルス・ニデュランスでは類似した分生子形成制御がとられていると考えられている(Ogawa,M.,et al. (2010). Fungal. Genet. Biol. 47,10)。したがって、モデル微生物であるアスペルギルス・ニデュランスを使用して得られた分生子形成制御に関する知見は、産業的に利用されるアスペルギルス・オリゼなどの麹菌類にも適用できることが想定される。
【0018】
アスペルギルス・ニデュランスのrseA破壊株では、分生子形成能が大幅に低下する現象が確認されている(Ogawa, M., et al. (2021). J. Biosci. Bioeng., 131, 589)。
図2にはアスペルギルス・ニデュランスにおけるrseA破壊株であるDRA株と、その比較対象となる野生型株であるwtRA株の表現型を示した。DRA株のコロニーは野生型株と比べ明らかに色が薄くなっている(
図2A)。またSEM写真(
図2B)からしても、DRA株では頂嚢の形成数が大幅に低下するとともに、未成熟で異常な形の頂嚢しか形成されず、分生子形成能が低下していることが確認できる。また、通常アスペルギルス属糸状菌では分生子形成が促進される小麦フスマを用いた固体培養でも、野生型株では多数の頂嚢が形成されているのに対し、DRA株では頂嚢が形成されていない状態であることが、HiROX社製のデジタルマイクロスコープを用いた観測結果からも分かる(
図2C)。rseA破壊株では、株により程度の差があるものの、産業利用上不利な形質を示すことがある。
【0019】
Zn2Cys6型の転写制御因子は、酵母Saccharomyces cerevisiaeのGAL4pに代表される真菌類において特徴的な転写制御因子である(MacPherson, S., et al. (2006). Microbiol. Mol. Biol. Rev. 70, 583)。また、Zn2Cys6型の転写制御因子としてアスペルギルス・ニデュランスでは、AlcRやPrnA、そしてNirAなどといった主要な転写制御因子が既に見出されている(Panozzo, C., et al.(1997). J. Biol. Chem. 272, 22859; Gomez, D., et al. (2002). Mol. Microbiol. 44, 585; Burger, G., et al.(1991). Mol. Cell. Biol. 11, 5746)。
【0020】
rseA破壊に起因する分生子形成不全を回復させる原因遺伝子として同定された、Zn2Cys6型転写制御因子をコードすると推定される遺伝子、AN5849は、配列番号1に示す全長3,571bpの7つのエクソンより構成される遺伝子である。AN5849は、Zn2Cys6型転写制御因子に相当する、配列番号2に示す1,077残基のアミノ酸をコードする。AN5849は抑圧変異の原因遺伝子の有力な候補であると考えられたことから、本発明者は、配列番号1の遺伝子を、srdA(suppressor gene for the conidiation defect of the rseA deletion mutant)と命名した。
【0021】
また、srdAは、アスペルギルス属糸状菌において分生子形成を負に抑制する転写制御因子であるとも考えられる。そのため、srdAの遺伝子破壊や機能欠失は、rseA破壊株のみならず他の分生子形成不全株でも分生子形成を回復させることが可能であると予想される。
【0022】
srdAは、その遺伝子を破壊させるか、又は機能を欠失させることにより分生子形成能が増大する限り、Zn2Cys6型転写制御因子をコードする遺伝子、あるいはその変異体、ホモログ若しくはオーソログであってもよい。
【0023】
一実施態様において、srdAは、以下の(a)~(d)のいずれかの塩基配列:
(a)配列番号1の塩基配列;
(b)配列番号1の塩基配列において、1若しくは数個、例えば1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個、8個、9個、又は10個、好ましくは2~5個の塩基が欠失、置換又は付加されている塩基配列;
(c)配列番号1の塩基配列と相同性が80%以上、好ましくは90%以上である塩基配列;
(d)配列番号1の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列;
で表される遺伝子、あるいは以下の(e)~(g)のいずれかのアミノ酸配列:
(e)配列番号2のアミノ酸配列;
(f)配列番号2のアミノ酸配列において、1若しくは数個、例えば1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個、8個、9個、又は10個、好ましくは2~5個のアミノ酸が欠失、置換又は付加されているアミノ酸配列;
(g)配列番号2のアミノ酸配列と相同性が80%以上、好ましくは90%以上であるアミノ酸配列;
で表されるタンパク質をコードする遺伝子、
を有している。
【0024】
本明細書で使用する場合、「相同性」は同一性を指す場合がある。「同一性」とは、当該技術分野において公知の数学的アルゴリズムを用いて2つの塩基配列又はアミノ酸配列をアラインさせた場合の、最適なアラインメントにおける、オーバーラップする全塩基又は全アミノ酸残基に対する、同一塩基又はアミノ酸残基の割合(%)を意味する。好ましくは、当該アルゴリズムは最適なアラインメントのために配列の一方もしくは両方へのギャップの導入を考慮し得るものである。
【0025】
上記のような塩基配列の配列相同性を示すような遺伝子は、上記のようにハイブリダイゼーションを指標に得ることもでき、ゲノム塩基配列解析等によって得られた機能未知のDNA群又は公共データベースの中から、当業者が通常用いている方法により、例えば、前述のBLASTソフトウェアを用いた検索により発見することも容易である。さらに、本発明遺伝子は、種々の公知の変異導入方法によって得ることもできる。
【0026】
ここで、ハイブリダイゼーションは、例えば、Molecular cloninng third.ed.(Cold Spring Harbor Lab.Press,2001)、又はカレント・プロトコールズ・イン・モレキュラー・バイオロジー(Current protocols in molecular biology(edited by Frederick M. Ausubel et al.,1987)に記載の方法等、当業界で公知の方法あるいはそれに準じる方法に従って行うことができる。また、市販のライブラリーを使用する場合、添付の使用説明書に記載の方法に従って行うことができる。
【0027】
本明細書において使用する場合、「ストリンジェントな条件下」とは、例えば、温度60℃~68℃において、ナトリウム濃度15~900mM、好ましくは15~600mM、さらに好ましくは15~150mM、pH6~8であるような条件を挙げることができる。
【0028】
したがって、配列番号1の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列としては、例えば、全塩基配列との相同性の程度が、全体の平均で、約80%以上、好ましくは約90%以上、より好ましくは約95%以上である塩基配列で表される遺伝子であり、且つZn2Cys6型転写制御因子の機能を保持する遺伝子を挙げることができる。かかる相同性の程度は、配列番号2のアミノ酸配列の相同性についても適用される。
【0029】
2つの塩基配列又はアミノ酸配列における配列相同性を決定するために、配列は、比較に最適な状態に前処理される。例えば、一方の配列にギャップを入れることにより、他方の配列とのアラインメントの最適化を行う。その後、各部位におけるアミノ酸残基又は塩基が比較される。第一の配列におけるある部位に、第二の配列の相当する部位と同じアミノ酸残基又は塩基が存在する場合、それらの配列は、その部位において同一である。2つの配列における配列相同性は、配列間での同一である部位数の全部位(全アミノ酸又は全塩基)数に対する百分率で示される。
【0030】
上記の原理に従い、2つの塩基配列又はアミノ酸配列における配列相同性は、例えば、Karlin及びAltschulのアルゴリズム(Proc.Natl.Acad.Sci.USA 87:2264-2268、1990及びProc.Natl.Acad.Sci.USA 90:5873-5877、1993)により決定される。このようなアルゴリズムを用いたBLASTプログラムやFASTAプログラムは、主に与えられた配列に対し、高い配列相同性を示す配列をデータベース中から検索するために用いられる。これらは、例えば、米国National Center for Biotechnology Informationのインターネット上のウェブサイトにおいて利用可能である。
【0031】
本明細書における糸状菌の宿主は、srdA遺伝子と相同性が高く、且つ同一の機能を有する遺伝子を保有する糸状菌であれば特に限定されない。そのような糸状菌は、アスペルギルス属糸状菌であることが好ましい。アスペルギルス属糸状菌の例として、アスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans)、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス(Aspergillus luchuensis)、アスペルギルス・リュウチュウエンシス ミュータント カワチ(Aspergillus luchuensis mut.kawachii)、アスペルギルス・ジャポニカス(Aspergillus japonicus)、アスペルギルス・ニガー(Aspergillus niger)、アスペルギルス・アクレアタス(Aspergillus aculeatus)、アスペルギルス・グラウクス(Aspergillus glaucus)、アスペルギルス・クラバツス(Aspergillus clavatus)、アスペルギルス・フィシェリ(Aspergillus fischeri)、アスペルギルス・フミガタス(Aspergillus fumigatus)、等が挙げられる。中でもアスペルギルス・ニデュランス、アスペルギルス・オリゼ、アスペルギルス・ソーヤ等が好ましい。
【0032】
糸状菌には、srdA遺伝子に対応する遺伝子の機能が低下又は欠損する変異が導入される。本明細書で使用する場合、「srdA遺伝子に対応する遺伝子の機能が低下又は欠損する変異」とは、宿主と比較した場合に分生子形成能を増大させるようなsrdA遺伝子の任意の変異を意味する。例えば、srdA遺伝子の一部又は全部を破壊すること、例えば、srdA遺伝子の一部又は全部を欠失させたり、srdA遺伝子の途中に薬剤耐性遺伝子等、別の遺伝子を挿入するなどして正常に機能しないように遺伝子を修飾すること等により、糸状菌の分生子形成能を増大させることができる。分子形成能の増大には分子形成能不全の回復も含まれる。
【0033】
一実施態様において、srdA遺伝子は欠損又は破壊されている。
【0034】
srdA遺伝子の欠失変異体は、srdA遺伝子のうちの欠失させたい任意の領域の両端をつなぎ合わせたベクターを用いて遺伝子組換えを行うことで任意の領域を欠失させることにより調製できる。ベクターには、形質転換された細胞を選択することを可能にするためのマーカー遺伝子が含まれていてもよい。マーカー遺伝子としては、例えば、adeA、pyrG、argB、trpC、niaD、sC、pyroA、riboBのような、宿主の栄養要求性を相補する遺伝子や、ピリチアミン、オーレオバシジンそしてオリゴマイシンなどの薬剤に対する抵抗遺伝子などが挙げられる。
【0035】
変異の種類や方法は特に限定されず、例えば、当業者にとって公知の部位特異的に変異を導入する方法、ランダムに変異を導入する方法、変異原となる薬剤を作用させる方法、紫外線照射法、タンパク質工学的手法等を広く用いることができる。特定の領域の一部又は全部を変異させてもよい。そのような領域として、DNA結合ドメインや核移行シグナル等の機能性部位を含む大部分の領域が挙げられる。
【0036】
一実施態様において、srdA遺伝子に対応する遺伝子の機能が低下又は欠損する変異は、配列番号1の311位~317位の間でのCの1塩基欠失又は2870位~2876位の間でのCの1塩基挿入である。
【0037】
一実施態様において、糸状菌を宿主とする変異体には更に、rseA遺伝子の機能を低下する変異が導入されている。
【0038】
麹菌アスペルギルス・オリゼそしてアスペルギルス・ソーヤでは、推定糖転移酵素の遺伝子であるrseAを破壊すると、菌体外酵素の生産量が増加することが見出されている(特許6529769号)。また本発明者らは以前、rseAの変異および破壊は分子生物学的モデル生物であるアスペルギルス・ニデュランスでもいくつかの菌体外酵素生産を増加させる効果があることを見出している(Ogawa, M., et al. (2021). J. Biosci. Bioeng., 131, 589)。
【0039】
RseAはアスペルギルス属糸状菌とペニシリウム属(Penicillium)糸状菌において広く保存されていることが確認されている。その他にも、本発明における糸状菌として、ニューロスポラ(Neurospora)属、トリコデルマ属(Trichoderma)、フザリウム属(Fusarium)等に属する菌株が意図される。rseA遺伝子を有するアスペルギルス属糸状菌として、アスペルギルス・ニデュランスFGSC A4株やアスペルギルス・オリゼRIB40(NBRC100959)、アスペルギルス・ソーヤNBRC4239、等がある。
【0040】
一実施態様において、rseA遺伝子は以下の(a)~(c)のいずれかのアミノ酸配列:
(a)アスペルギルス・ニデュランスFGSC A4由来の配列暗号55で示されるアミノ酸配列(NCBI RefSeq: XP_682338.1);
(b)配列番号55のアミノ酸配列において、1若しくは数個、例えば1個、2個、3個、4個5個、6個、7個、8個、9個、又は10個、好ましくは2~5個のアミノ酸が欠失、置換または付加されているアミノ酸配列;
(c)配列番号55のアミノ酸配列と相同性が70%以上、好ましくは80%以上、より好ましくは90%以上であるアミノ酸;
であらわされるタンパク質をコードする遺伝子であるか、
あるいは以下の(d)~(g)のいずれかの塩基配列:
(d)配列番号56(GenBank: BN001306.1:533275-535447);
(e)配列番号56又の塩基配列において、1若しくは数個、例えば1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個、8個、9個、又は10個、好ましくは2~5個の塩基が欠失、置換又は付加されている塩基配列;
(f)配列番号56の塩基配列と相同性が70%以上、好ましくは80%以上、より好ましくは90%以上である塩基配列;
(g)配列番号56の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列;
で表される遺伝子であり、且つ加水分解酵素の生産を制御する遺伝子、
から選択される。
【0041】
アスペルギルス・ニデュランスFGSC A4のRseAのアミノ酸配列(配列番号55)とアスペルギルス・オリゼRIB40のRseAのアミノ酸配列(配列番号57)は、70%以上の同一性を有している。
【0042】
配列番号56の塩基配列と相補的な塩基配列とストリンジェントな条件下でハイブリダイズすることができる塩基配列としては、例えば、全塩基配列との相同性の程度が、全体の平均で、約80%以上、好ましくは約90%以上、より好ましくは約95%以上である塩基配列で表される遺伝子であり、且つ加水分解酵素の生産制御に関与する遺伝子を挙げることができる。かかる相同性の程度は、本発明に係るタンパク質と相同のタンパク質についても適用される。
【0043】
「rseA遺伝子の機能が低下又は欠損する変異」とは、宿主と比較した場合に加水分解酵素の生産能を増大させるようなrseA遺伝子の任意の変異を意味する。例えば、rseA遺伝子の一部又は全部を破壊すること、例えば、rseA遺伝子の一部又は全部を欠失させたり、rseA遺伝子の途中に薬剤耐性遺伝子等、別の遺伝子を挿入するなどして正常に機能しないように遺伝子を修飾すること等により、糸状菌の加水分解酵素の生産能を増大させることができる。
【0044】
一実施態様において、rseA遺伝子の機能が低下又は欠損する変異は、加水分解酵素の生産を抑制する遺伝子の機能を低下又は欠損させる変異である。
【0045】
rseA遺伝子の欠失変異体は、rseA遺伝子のうちの欠失させたい任意の領域の両端をつなぎ合わせたベクターを用いて遺伝子組換えを行うことで任意の領域を欠失させることにより調製できる。ベクターには、形質転換された細胞を選択することを可能にするためのマーカー遺伝子が含まれていてもよい。マーカー遺伝子としては、例えば、adeA、pyrG、argB、trpC、niaD、sC、riboB、pyroAのような、宿主の栄養要求性を相補する遺伝子や、ピリチアミン、オーレオバシジンそしてオリゴマイシンなどの薬剤に対する抵抗遺伝子などが挙げられる。
【0046】
高い分生子形成能と酵素生産性を両立させる観点からは、srdAとrseAの両方の遺伝子が破壊されていることが好ましい。
【0047】
rseAの変異の種類や方法は特に限定されず、例えば、当業者にとって公知の部位特異的に変異を導入する方法、ランダムに変異を導入する方法、変異原となる薬剤を作用させる方法、紫外線照射法、タンパク質工学的手法等を広く用いることができる。部位特異的変異導入法により、対応するアミノ酸配列において、184位に相当するロイシンを欠失させるか、または他のアミノ酸、例えばセリンに置換する変異(L184S)を行うことでrseA遺伝子の機能を低下又は欠損させてもよい。RseAは、ヒアルロン酸合成酵素として知られるCps1と相同性が高い。Cps1ファミリーのアミノ酸配列には高度に保存された領域が複数存在しているが、触媒部位にあるDXDモチーフはクリプトコッカス・ネオフォルマンスの場合135位に、そしてアスペルギルス・オリゼRIB40の場合131位に位置する。糸状菌の上記184位に相当するロイシンはDXDモチーフの最初のアスパラギン酸から数えて約53残基下流に存在する。
【0048】
糸状菌では、rseA遺伝子が変異していることにより、糸状菌から産生する種々のタンパク質分解系加水分解酵素や多糖分解系加水分解酵素の生産能が有意に増大している。限定することを意図するものではないが、本発明により活性が増大する加水分解酵素、特に菌体外に分泌される加水分解酵素として、例えばアルカリプロテアーゼ、カルボキシペプチダーゼ、キシラナーゼ、β-キシロシダーゼ、アラビノフラノシダーゼ、マンナナーゼ、β-マンシダーゼ、β-グルコシダーゼ、α-ガラクトシダーゼが挙げられる。
【0049】
2.変異体の用途
本発明は更に、上記変異体を用いて得られる培養物を提供する。本発明の変異体を含む培養物は、タンパク質を多く含む原料、例えば、植物性タンパク質を含む穀物類、野菜類など(例えば、大豆、小麦など)、そして動物性タンパク質を含む肉類、魚類などの加水分解工程で使用することができる。本明細書で使用する場合、「培養物」は変異体を添加した麹や、更には変異体を利用して得られる諸味等の発酵物を意味する。
【0050】
本発明の培養物は、上記変異体とタンパク質性の原料とを接触させる工程を含む方法により製造することができる。変異体を添加するタイミングは特に限定されない。本発明の効果、例えば向上した加水分解酵素生産能を損なわない限り、培養物の調製の途中又はその前後の工程で変異体以外の菌を添加して培養物を処理してもよい。その他の工程については、所望とする用途に応じて当業者が適宜決定することができる。
【0051】
本発明の変異体又はその培養物は、生産量が亢進された加水分解酵素により処理されることが必要な種々の分野、特に醸造・発酵産業での使用が想定される。例えば、糸状菌を利用して製造される種々の発酵食品、例えば醤油、味噌等の製造に本発明の変異体等を使用した場合、原料利用率の向上に資する。食品分野に限らず、本発明の変異体又はその培養物は、広く有機性材料の加水分解産物の製造方法に使用することができる。本明細書で使用する場合、「有機性材料」とは、天然・非天然の由来を問わず、広く炭素を主要元素として、酸素、水素、窒素原子などで構成される物質であって、糸状菌によって分解可能な物質を意味する。例えば、本発明の変異体又はその培養物によれば、糸状菌によって分解されるタンパク質、多糖、脂質等を含む食物残渣やバイオマスを効率的にその構成単位であるペプチドや単糖にまで分解することができる。
【0052】
以下、実施例に即して本発明を具体的に説明するが、本発明の技術的範囲は、これらの記載によって、なんら制限されるものではない。
【実施例0053】
rseA破壊株における分生子形成不全が抑圧された自然変異株の表現型および遺伝子型の解析
【0054】
1.1.自然変異による分生子形成能が回復した変異株の取得
アスペルギルス・ニデュランスにおけるrseA(AN9069)破壊株であるDRA株(Ogawa, M., et al.(2021). J. Biosci. Bioeng. 131, 589に記載されている)をMMGp最少寒天培地に植菌し、37℃で7日間培養した。MMGp最少寒天培地の1L当たりの組成は、グルコース:20g、硫酸マグネシウム・7水和物:1.05g、塩化カリウム:0.53g、リン酸二水素カリウム:1.53g、硝酸ナトリウム:6.0g、ピリドキシン塩酸塩:0.5mg、×1000トレースメタル溶液1mL、寒天:15gであり、初期pHは6.5であった。×1000トレースメタル溶液の1Lあたりの組成は、硫酸第一鉄・7水和物:1.0g、硫酸亜鉛・7水和物:8.8g、硫酸銅・5水和物:0.4g、硫酸マンガン・4水和物:0.15g、四ホウ酸ナトリウム:0.1g、モリブデン酸アンモニウム・4水和物:0.05g、であった(Rowlands ,R.T., et al.(1973). Mol. Gen. Genet. 126, 201)。
【0055】
205個のDRA株のコロニーのうち、
図3に示す2つのコロニーにて分生子形成が回復した自然変異株が出現した。出現した自然変異株は、それぞれ変異株 B、変異株 C、および変異株 Dという名称を付けた。このうち変異株 Bと変異株 Cは同じDRAコロニーから出現していたが、変異株 Dは別のDRAのコロニーから出現していた。そのため、遺伝的なバックグランドが異なると考えられる、変異株 Bと変異株 Dを以降の解析に用いた。
【0056】
1.2.自然変異株におけるrseA破壊の確認
変異株 Bおよび変異株 DにおいてrseAが破壊されているかをPCRにより確認した。その方法としては
図4に概略を示した通りであり、遺伝子破壊により欠失される領域の検出をI.のPCRにて、遺伝子破壊用のDNA断片が目的とする場所に正しく導入されているかの検出を、II.(DNA断片導入の5’側の確認)およびIII.(DNA断片導入の3’側の確認)のPCRにて行っている。なお、遺伝子破壊用DNA断片の導入は、遺伝子破壊時に導入したDNA断片内に設計されたオリゴヌクレオチドプライマーと、遺伝子断片が導入された部位の外側のゲノム上の領域に設計したオリゴヌクレオチドプライマーを用いたPCRを行うことにより確認している。
【0057】
2つの自然変異株を、YG液体培地(1Lあたりの組成で、酵母エキス5.0g、グルコース10g、×1000トレースメタル 1mL、初期pH6.5)にて3日間振とう培養し、プロメガ社のWizard Genomic DNA Purification Kitを使用しゲノムDNAを調製した。これを滅菌水により希釈しPCR用の鋳型DNAとして使用した。PCR用のオリゴヌクレオチドプライマーとしては、I.領域の検出には配列番号3および4に示すものを、II.に示す領域の検出には配列番号5および6に示すものを、III.に示す領域の検出には配列番号7および8に示すものを用いた。PCR用の酵素には、東洋紡株式会社のKOD Fx neoを使用した。PCRによる確認結果を
図5に示した。IからIIIのいずれの領域を増幅し検出を行った際にも、自然変異株は、rseA破壊株と同じ増幅パターンを示した。これは、変異株 Bおよび変異株 DのrseAが破壊されていることを示しており、さらにこの2つの自然変異株は、破壊したはずのrseAが野生型のrseAに復元された復帰変異株ではなく、ゲノム上のrseA以外の領域に変異を有する、抑圧変異株であることを示唆するものであった。
【0058】
1.3.抑圧変異株の表現型観察
アスペルギルス・ニデュランスのDRA株、変異株 Bおよび変異株 DをMMGp最少寒天培地に植菌した。また、比較対象として、野生型株であるwtRA株(Ogawa, M., et al. (2021). J. Biosci. Bioeng., 131, 589)も、最少寒天培地に植菌した。これらの株を37℃で60時間培養後のコロニーの写真を
図6に示した。DRA株では分生子形成能が大幅に低下しているため、コロニーの色が全体的に薄くなっているが、変異株 Bと変異株 DではwtRA株と同様に、コロニーに濃い緑色の部分が存在していたことから、これらの株では分生子形成が回復されているものと思われた。
【0059】
1.4.走査型電子顕微鏡観察用サンプルの固定化処理
上記コロニーについて、走査型電子顕微鏡(SEM)での高倍率の観察を行うことにより、各株の分生子の形成状態を直接的に調べることを試みた。SEM観察では、試料の前処理(固定化処理)が必要なため、以下の操作を行った。
最少寒天培地で60時間培養した各検体のコロニーを、2mm角に切り出し、2%のパラフォルムアルデヒドと2%のグルタルアルデヒドを含む100mMカコジル酸緩衝液(pH7.4)にて一晩、前固定した。これを、1%タンニン酸を含むカコジル酸緩衝液にて2時間固定したのち、さらに2%のオスミウム酸を含むカコジル酸緩衝液にて3時間固定した。固定化したサンプルは、エタノールの濃度グラジェントにより脱水し、tert-ブチルアルコール凍結乾燥法により乾燥させた後、オスミウムプラズマコーターにより処理した。
【0060】
1.5.抑圧変異株のSEM観察
固定化処理を行った検体を、日本電子製の走査型電子顕微鏡JSM-7500Fにより観察した(
図7)。wtRA株では正常な頂嚢が形成され、そこに大量の分生子が形成されているが、DRA株では頂嚢の数が非常に少なくなり、形成されている頂嚢も、未発達の分生子形成数が少ないものしかない状態であった。一方、2つの抑圧変異株では正常な頂嚢が形成されており、そこにwtRA同様に大量の分生子が形成されていた。このように抑圧変異株では、電子顕微鏡レベルで観察しても、分生子形成が回復していることが分かった。また、抑圧変異株では頂嚢がwtRAよりも密集して形成されている様子が見られた。そのため抑圧変異株では、コロニー全体としての分生子形成量が野生型株であるwtRA株よりも多くなることが示唆された。
変異株 Bでは、親株であるDRA株と比べて4か所の変異が見られ、そのうち遺伝子上への変異は3か所であった。また、変異株 Dではゲノム上に3か所の変異が見られ、そのうち遺伝子上への変異は1か所であった。2つの抑圧変異株で変異が生じていた遺伝子の中で、AN5849には、変異株 Bでは311~317の間でのCの1塩基欠失、変異株 Dでは2870~2876の間でのCの1塩基挿入の変異が導入されていた。AN5489は配列番号1に示す全長3,571bpの7つのエクソンより構成される遺伝子であり、配列番号2に示す1,077残基のアミノ酸よりなる、Zn2Cys6型の推定転写制御因子をコードする遺伝子であった。
各抑圧変異株のsrdA上に生じた変異の遺伝子産物への影響をそれぞれ調べた。変異株 Bの変異は、srdAのエクソン1でフレームシフトとプレターミネーションを引き起こし、結果として本遺伝子産物のDNA結合ドメインや核移行シグナルなどの機能性部位を含む大部分の領域を欠失させるものであった。一方、変異株 Dの変異については、エクソン6上でフレームシフトとプレターミネーションを引き起こし、結果として本遺伝子産物のC末端領域に存在する核移行シグナルを欠失させるものであった。このように、変異株 Bと変異株 Dで見られたsrdA上への変異は、いずれも本遺伝子産物の構造に影響を及ぼすものであったため、AN5849は各変異株における抑圧変異の原因遺伝子の有力な候補であると考えられた。そのため本遺伝子をsrdA(suppressor gene for the conidiation defect of the rseA deletion mutant)と名付け、さらなる解析を行った。