(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024117965
(43)【公開日】2024-08-30
(54)【発明の名称】銅を含有する非晶質炭素膜
(51)【国際特許分類】
A01N 59/20 20060101AFI20240823BHJP
A01P 1/00 20060101ALI20240823BHJP
A01P 3/00 20060101ALI20240823BHJP
A01N 25/08 20060101ALI20240823BHJP
C23C 14/06 20060101ALN20240823BHJP
【FI】
A01N59/20 Z
A01P1/00
A01P3/00
A01N25/08
C23C14/06 F
【審査請求】未請求
【請求項の数】5
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023024083
(22)【出願日】2023-02-20
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用申請有り 令和 4年 8月26日に第83回応用物理学会秋季学術講演会予稿集にて発表
(71)【出願人】
【識別番号】800000068
【氏名又は名称】学校法人東京電機大学
(71)【出願人】
【識別番号】592031444
【氏名又は名称】ナノテック株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100137512
【弁理士】
【氏名又は名称】奥原 康司
(74)【代理人】
【識別番号】100178571
【弁理士】
【氏名又は名称】関本 澄人
(72)【発明者】
【氏名】平栗 健二
(72)【発明者】
【氏名】熊谷 颯天
(72)【発明者】
【氏名】中森 秀樹
(72)【発明者】
【氏名】平塚 傑工
【テーマコード(参考)】
4H011
4K029
【Fターム(参考)】
4H011AA02
4H011AA04
4H011BA01
4H011BB18
4H011BC18
4H011DA08
4K029BA08
4K029BA34
4K029BB10
4K029CA05
4K029DC05
(57)【要約】
【課題】高圧蒸気滅菌処理に耐性があり、尚且つ、当該滅菌処理を行った後においても、一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る非晶質炭素膜の提供を課題とする。
【解決手段】銅を含有した非晶質炭素膜において、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cを所定の範囲とすることで、当該非晶質炭素膜を高圧蒸気滅菌処理耐性にすることが可能であり、尚且つ、当該炭素膜は強い抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することが出来る。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが、0.75以上1.70以下であることを特徴とする高圧蒸気滅菌処理耐性非晶質炭素膜。
【請求項2】
請求項1に記載の非晶質炭素膜を主成分とする、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆する為の被覆膜。
【請求項3】
高圧蒸気滅菌処理後の非滅菌環境下での使用においても、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を維持できる物品の製造方法であって、請求項1又は2に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法。
【請求項4】
請求項1に記載の非晶質炭素膜を主成分とする抗菌および/または抗ウイルス用の被覆膜。
【請求項5】
抗菌および/または抗ウイルス性物品の製造方法であって、請求項1又は4に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、銅を含有する非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが所定の範囲であることを特徴とする高圧蒸気滅菌処理耐性非晶質炭素膜に関する。
【背景技術】
【0002】
非晶質炭素膜とは、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜とも呼ばれ、ダイヤモンド構造に対応するsp3結合を有する炭素と、グラファイト構造に対応するsp2結合を有する炭素が不規則に混在したアモルファス構造の膜である。高硬度・低摩擦、表面が不活性といった特性を有するため、金属やセラミックス等の無機材料及び高分子樹脂等の有機系材料等からなる基材表面のコーティング材として利用することにより、基材表面に耐摩耗性、耐蝕性及び摺動性等の性質をもたらすことが知られている。
【0003】
非晶質炭素膜は、硬質で優れた耐摩耗性を有することから、当初は切削工具類や摺動部材、回転部材の表面に成膜されていたが、最近では、その他の産業分野における表面皮膜非晶質炭素膜としても利用されている。特に、前記特性に加え、生体適合性や化学的安定性といった特性も有することから、医療機器や医療用デバイスへの表面改質手段としても期待されている。
【0004】
医療機器や医療用デバイスには金属、セラミック、高分子樹脂など、様々な素材が用いられるが、当該素材は体内に入ると異物として認識され、拒絶反応を誘起するという点が問題となっている。非晶質炭素膜は生体適合性や化学的安定性といった特性を有している為、当該拒絶反応の誘起を防止する方法として、前記素材の表面を非晶質炭素膜で被覆することで生体適合性を付与することがなされている。具体的には、これまでにステント、内視鏡、手術用器具、注射針等の各種の医療機器や人工関節、インプラント、カテーテル等の生体埋込型の医療用デバイスにおいて、従来使用されてきた前記素材の表面に対して非晶質炭素膜を被覆させることが行われている(特許文献1)。
【0005】
斯様な医療機器や医療用デバイスは、その表面に細菌や微生物、更にはウイルス等が容易に増殖出来てしまうと、人への感染を引き起こす恐れがある。このため、医療機器や医療用デバイスを構成する素材表面に被覆される非晶質炭素膜は抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有していることが好ましく、非晶質炭素膜に、生体適合性に加え、抗菌及び/又は抗ウイルス作用を付与する技術の開発が活発に行われている。具体的には、基材表面上に形成され、銀、銅、金、白金、亜鉛等から選択された抗菌作用を有する抗菌性金属の微粒子を表面層近傍ほど多く共析・分散含有させた非晶質炭素膜が提案されている(特許文献2)。但し、斯様な抗菌性金属の微粒子を非晶質炭素膜に共析・分散含有させる含有量については、抗菌及び/又は抗ウイルス作用を発揮する上で有効な量的範囲は明確となっておらず、一般的には、品質管理の困難性や、それ以上濃度を上げても効果の向上が得られないことから、当該抗菌性金属超微粒子の共析量は30at%以下が好適であると言われているが(特許文献2〔0038〕)、確定はしていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2014-4166
【特許文献2】特開2015-81370
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】崔ら他3名,2013年発行、トライボロジスト Vol.58、No.8,pp.596-602
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有することを期待される医療機器や医療用デバイスの内、特に、生体内に埋め込まれるもの(人工関節、インプラント、カテーテル等)や一過的に生体内に挿入されて使用されるもの(手術用器具、注射器、穿刺器具、縫合器具等)等については、抗菌及び/又は抗ウイルスレベル(細菌やウイルスの増殖を抑制するレベル)ではなく、完全に細菌、微生物及びウイルスを殺滅または除去した状態である滅菌状態に至らしめる必要がある。
【0009】
一般的な滅菌方法としては、加熱による高圧蒸気滅菌・乾熱滅菌、化学作用によるエチレンオキサイドガス滅菌・過酸化水素ガスプラズマ滅菌、電磁波による放射線滅菌・電子線滅菌、分離除去による濾過滅菌等があり、滅菌対象に応じて使い分けられるが、前記医療機器及び医療用デバイスに対して頻繁に用いられる滅菌方法としては、滅菌処理に要する時間が短く、安全で経済的な滅菌方法である高圧蒸気滅菌が挙げられる。
【0010】
手術用器具、注射器、穿刺器具、縫合器具等といった生体内に挿入されることを前提とする器具類は、当該器具類の使用開始前には、高圧蒸気滅菌等により、完全な滅菌状態であることが必要であるが、一旦、完全な滅菌環境ではない環境下で使用を開始した後は、当該器具類に細菌等が付着することにより、生物学的に汚染される恐れがある。しかしながら、当該器具類が軽微な汚染状態に陥ったとしても、当該器具類表面に抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有していれば、生体内への細菌やウイルス等の混入を回避できる可能性は格段に高くなる。この為、当該器具類は完全な滅菌状態を実現するべく、高圧蒸気滅菌処理を施すことが可能であり、尚且つ、当該滅菌処理を行った後も一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る性状を有することが強く要望されていた。
また、特に完全な滅菌状態を実現する為の滅菌処理を要しない器具類であっても、当該器具類の表面に、斯様な抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る器具類は、細菌、微生物又はウイルス等による感染を予防及び/又は軽減する上で極めて有用である。例えば、公共の施設において使用される器具類、特に、病院、高齢者施設、介護施設等といった、感染確率の高い人や感染後重症化の可能性の高い人(罹患者、高齢者や基礎疾患を有する人等)が頻繁に出入する施設等において、不特定多数による接触頻度の高い器具類、具体的には、手すり、ドアノブ、各種取っ手等の設備類、ベッドフレーム、ベッド柵、車いす、歩行器、歩行補助つえ、移動用リフト、機能訓練・リハビリ機器、入浴機器・トイレ機器、段差解消機・階段昇降機等の福祉用具・介護用品等も、一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る性状を有することが強く要望されていた。
【0011】
前述した様に、非晶質炭素膜に抗菌及び/又は抗ウイルス作用を付与する技術の開発については活発に行われてきているが、当該作用を有しつつ、高圧蒸気滅菌処理を施しても、非晶質炭素膜構造を維持できるものは見出されていない。
上記事情に鑑みて、本発明は、高圧蒸気滅菌処理に耐性があり、尚且つ、当該滅菌処理を行った後においても、一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る非晶質炭素膜の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
発明者らは、まずは非晶質炭素膜に抗菌及び/又は抗ウイルス作用を付与するべく、抗菌作用を有する抗菌性金属の微粒子の中でも特に銅に着目し、当該金属の微粒子を分散含有させた非晶質炭素膜について研究を行った。特に従来は、品質管理が困難となり、尚且つ、それ以上濃度を上げても抗菌及び/又は抗ウイルス作用の向上が得られないと考えられる為、医療機器や医療用デバイスのコーティング材として好適とは思われていなかった高含量(30at%以上)の銅を含む非晶質炭素膜を中心に検討を行ったところ、銅の含量が38at%以上であっても、意外にも十分な抗ウイルス作用は得られず、51at%以上の銅含量において抗ウイルス作用が発揮され、併せて抗菌作用も有している等の新たな知見を得た(表2及び表3)。
【0013】
更に、発明者らは、様々な銅含有量を有する非晶質炭素膜試料を成膜し、これを様々な物理的環境(水浸漬、アルコール浸漬、高圧蒸気滅菌等)に晒し、その前後での当該試料を光学的手法及び顕微鏡観察等の方法で検査する等の研究を鋭意行った結果、銅を含有した非晶質炭素膜において、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cを所定の範囲とすることで、当該非晶質炭素膜が高圧蒸気滅菌処理耐性となることを見出した。以上の結果から、高圧蒸気滅菌処理に耐性があり、尚且つ、当該滅菌処理を行った後においても、一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る非晶質炭素膜の作成が可能となった。
【0014】
以上の知見に基づいて、本発明は完成されるに至った。
すなわち、本発明は以下の(1)~(5)に関するものである。
(1)銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが、0.75以上1.70以下であることを特徴とする高圧蒸気滅菌処理耐性非晶質炭素膜。
(2)(1)に記載の非晶質炭素膜を主成分とする、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆する為の被覆膜。
(3)高圧蒸気滅菌処理後の非滅菌環境下での使用においても、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を維持できる物品の製造方法であって、(1)又は(2)に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法。
(4)(1)に記載の非晶質炭素膜を主成分とする抗菌および/または抗ウイルス用の被覆膜。
(5)抗菌および/または抗ウイルス性物品の製造方法であって、(1)又は(4)に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、高圧蒸気滅菌処理に耐性があり、尚且つ、当該滅菌処理を行った後においても、一定の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を維持することの出来る非晶質炭素膜を作成することが出来る。当該炭素膜を、手術用器具、注射器、穿刺器具、縫合器具等といった生体内に挿入されることを前提とする器具類表面に成膜することで、当該器具類に高圧蒸気滅菌処理を施し、当該器具類使用開始前に完全な滅菌状態を実現することが出来、尚且つ、その後、完全な滅菌環境ではない環境下で使用を開始し、当該器具類に軽微な生物学的な汚染(微量な細菌やウイルス等の付着)が生じた場合でも、当該器具類表面は抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有している為、当該器具類を介した生体内への細菌やウイルス等の侵入を回避できる可能性を格段に高くすることが出来る。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1】Cu/Cが0.73、1.10及び1.71である非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)のラマンスペクトル。
【
図2】Cu/Cが0.73である非晶質炭素膜(0.73膜)のXPS分析C
1s、Cu
2p及びO
1sスペクトル。
【
図3】Cu/Cが1.10である非晶質炭素膜(1.10膜)のXPS分析C
1s、Cu
2p及びO
1sスペクトル。
【
図4】Cu/Cが1.71である非晶質炭素膜(1.71膜)のXPS分析C
1s、Cu
2p及びO
1sスペクトル。
【
図5】Cu/Cが0.73、1.10及び1.71である非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)の各種条件下(試験前、水浸漬後、アルコール浸漬後及び高圧蒸気滅菌処理後)でのラマンスペクトル。
【
図6】Cu/Cが0.73、1.10及び1.71である非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)試料の水浸漬前後での目視及び顕微鏡画像。
【
図7】Cu/Cが0.73、1.10及び1.71である非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)試料のアルコール浸漬前後での目視及び顕微鏡画像。
【
図8】Cu/Cが0.73、1.10及び1.71である非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)試料の高圧蒸気滅菌処理前後での目視及び顕微鏡画像。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明の第1の形態は、銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが、所定の数値範囲であることを特徴とする高圧蒸気滅菌処理耐性非晶質炭素膜である。
【0018】
本発明に係る非晶質炭素膜は、グラファイト構造由来のsp2およびダイヤモンド構造由来のsp3混成軌道が混在し、水素化された構造を有する炭素膜であればよく、前記の如何なる分類に属するものも含み、特に限定されるものでは無い。また、銅を含有した非晶質炭素膜とは、非晶質炭素膜を構成する、不規則に混在したsp3結合を有する炭素と、sp2結合を有する炭素に加えて、銅を含有する如何なる非晶質炭素膜をも含み、含有されている銅の含有量や銅の状態(例えば、粒子サイズや分散の程度等)、更に製造方法を限定しない。
【0019】
原子組成百分率とは、対象となる物質中での特定の元素の組成比(元素比)即ち当該元素のモル比(mol比)を百分率で表したものであり、当該元素に係る原子の重量%を原子量で除したものを百分率で表したものである。原子組成百分率の測定及び/又は算出方法は、特に限定はしないが、非晶質炭素膜の様に厚みの薄い対象物については、電子プローブマイクロアナライザー (Electron Probe Micro Analyzer;EPMA)による測定結果に基づいてもよい。
【0020】
発明者らは、各種成膜条件にて自ら調製した、銅を含有した非晶質炭素膜それぞれに対し、EPMAを用いて、当該炭素膜に含有されている炭素の原子組成百分率(C)、銅の原子組成百分率(Cu)酸素の原子組成百分率(O)を測定したところ(〔0052〕参照)、表1に表す結果となった。
【0021】
本発明の形態においては、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cを指標として用いている。例えば、表1中の非晶質炭素膜で、C=46.9411及びCu=51.4240をEPMAにより測定されたもののCu/Cは1.10となる。発明者らは、様々な成膜条件によって銅を含有した非晶質炭素膜を成膜し、これ等を多様な物理的条件(水浸漬、アルコール浸漬又は高圧蒸気滅菌等)に暴露することで、当該炭素膜の物理的耐性を鋭意検討したところ、Cu/Cが所定の数値範囲にある非晶質炭素膜のみが高圧蒸気滅菌処理耐性であることを見出した。
【0022】
ここで、非晶質炭素膜が高圧蒸気滅菌処理耐性であるとは、当該炭素膜に高圧蒸気滅菌処理を施しても、当該炭素膜が膜構造を維持していることをいう。膜構造を維持しているか否かの判定は、特に限定はしないが、ラマンスペクトル分析やXPS分析等の物理的測定、目視や顕微鏡による観察、又は本来、当該非晶質炭素膜が有している機能(摺動性や生体適合性、抗菌及び/又は抗ウイルス作用等)の維持の有無等を用いてもよい。
発明者らは、検討対象である銅を含有した非晶質炭素膜の高圧蒸気滅菌処理耐性を判定する為に、高圧蒸気滅菌処理前後での当該炭素膜に対し、ラマンスペクトル分析及び目視や顕微鏡による観察を行い、本発明を完成させた(
図5-8)。
【0023】
本発明の形態に係る高圧蒸気滅菌とは、蒸気滅菌、高圧蒸気滅菌、湿熱滅菌あるいはオートクレーブ滅菌(AC滅菌)とも呼ばれ、高圧蒸気滅菌器(オートクレーブ)と呼ばれる装置内で、湿度と熱に安定な滅菌対象物を、適当な温度および圧力の飽和水蒸気で加熱することによって微生物を殺滅する方法を指す。処理条件としては、当該処理にて微生物が殺滅される一般的な条件であれば特に限定はしないが、2気圧程度まで加圧した条件下で水を沸騰させ、約121℃にまで上昇した飽和水蒸気で15-20分間処理する条件が好ましく、その他にも高圧を付加することで、約115℃で30分間、約126℃で15分間、約134℃で10分間などの条件も好適である。
また、高圧蒸気滅菌の方式としては、前もって空気を排除せずに蒸気を挿入または発生し、重量差でドレーンとともに空気を排出する方式(重力置換タイプ)であっても、真空システムにより予め空気を強制的に排出する方式(プレバキュームタイプ)であっても、あるいはこれ以外の方式であってもよい。
【0024】
発明者らは、多様な成膜条件によって、様々な銅を含有した非晶質炭素膜を成膜し、その中で特にCu/Cの異なる3つの非晶質炭素膜に注目した。即ち、Cu/Cがそれぞれ0.73,1.10及び1.71となる炭素膜(以下、順に0.73膜、1.10膜、1.71膜とする)であり(表1参照)、いずれもステンレス材(SUS)にDCスパッタ法を用いて作製した(実施例;〔0049〕―〔0052〕)。
【0025】
発明者らは、これら3種類の非晶質炭素膜間の炭素膜としての差異を確認するべく、非晶質炭素膜の基本構造を規定する特性の1つである基本物性を測定した。まずは、非晶質炭素膜の構造評価手法として代表的なラマンスペクトル分析を行った(
図1)。非晶質炭素膜の構造とラマンスペクトルの相関については数多くの研究がなされている(非特許文献1)。
図1中の3種類の非晶質炭素膜いずれも,900~1900cm
-1の領域で,アモルファス構造に起因するブロードなピークが得られた。また、非晶質炭素膜特有のピークとして,1350cm
-1付近にDbandと1520~1580cm
-1付近にGbandが現れている。Dbandのピークは六員環の伸縮に由来しており、Gbandのピークは鎖上,環状すべてのsp
2結合の振動に由来している。0.73膜、1.10膜、1.71膜のスペクトルパターンに、大きな差異は認められないことから、当該3種類の非晶質炭素膜の膜構造が極めて類似していることが示唆される。
【0026】
非晶質炭素膜の基本構造を規定するもう1つの特性として、当該炭素膜の表面状態が挙げられる。近年、非晶質炭素膜は、該炭素膜の表面状態に起因することが示唆されている生体組織適合性や細胞親和性等により、医療応用が急速に拡大しており,それに伴って非晶質炭素膜の多様化が進んでいるからである。該表面状態を反映する指標を測定する方法は、特に限定はしないが、X線光電分光法(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy)や吸収端近傍X線吸収微細構造(NEXAFS)等であり、好ましくはX線光電分光法による測定(XPS分析)である。
【0027】
発明者らは、0.73膜、1.10膜、1.71膜からなる3種非晶質炭素膜の表面組成分析としてXPS分析を行った。
図2―4に、それぞれの非晶質炭素膜のXPS分析C
1s、Cu
2p及びO
1sスペクトルを示す。これらのスペクトルは、元々1つの測定スペクトルからC
1s、Cu
2p及びO
1sそれぞれに波形分離を行ったものであり、これにより、C
1s、Cu
2p及びO
1sの波形がどのような結合で構成されているか判定することが可能となる。3試料のいずれのスペクトルも酷似していることから、当該3種類の非晶質炭素膜試料表面の結合状態は極めて類似していることが明らかとなった。
【0028】
以上の評価により、異なる銅の含有量を有する非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜、1.71膜)は、炭素に対する銅のモル比率が異なるにも関わらず、炭素膜構造や表面の結合状態には大きな差異はないことが明確となった。そこで、発明者らは、当該炭素膜を様々な物理的条件(水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌)に暴露することで、当該炭素膜に何らかの変動が生じるのか、即ち、当該物理条件に対する耐性を有しているか否か、検討を行った。
具体的には、0.73膜、1.10膜及び1.71膜をSUS上に成膜した試料を水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌にそれぞれ暴露した後、暴露前後での各試料のラマンスペクトルを測定した(
図5)。
【0029】
なお、各暴露試験前後での膜構造の変化の指標として、ID/IGを採用した。ラマンスペクトル波形はDbandの波形及びGbandの波形に波形分離することが可能であり、両bandのピーク値の強度比(ID/IG)は、当該ラマンスペクトル分析を行った非晶質炭素膜の膜構造を反映する指標として広く使用されている。即ち、暴露試験前後でID/IGに変化がない場合、試験前後での膜構造に変化が無いと解釈しうる。
【0030】
水浸漬及びアルコール浸漬では、0.73膜、1.10膜及び1.71膜いずれにおいても、暴露前後においてラマンスペクトル波形の大きな変動はなく、ID/IG値も近い数値を示した(
図5)。このことから、水浸漬及びアルコール浸漬条件に対して、Cu/Cの異なる3種の非晶質炭素膜は、その試験前後において膜構造に顕著な差異はないと考えられる。
【0031】
これに対して、当該3種類の非晶質炭素膜試料に高圧蒸気滅菌処理を施したところ、0.73膜及び1.71膜は、試験後のラマンスペクトル波形に著しい変化が認められ、Dband及びGbandの波形ピークが消失、そしてこの為、ID/IG値も測定不能となった(
図5)。
しかし、1.10膜については、高圧蒸気滅菌処理前後でのラマンスペクトル波形に大きな変化は認められず、Dband及びGbandの波形ピークも維持され、ID/IG値は試験前;1.99、試験後;1.90とほぼ同等の数値となった。
以上のことから、高圧蒸気滅菌処理に対して、Cu/Cの異なる3種の非晶質炭素膜中、1.10膜のみが、その試験前後において膜構造を維持することが出来たと推察された。
【0032】
前記推察の真偽を確認するべく、発明者らは、水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌にそれぞれ暴露した0.73膜、1.10膜及び1.71膜試料を、暴露前後に目視及び顕微鏡によって観察を行った(
図6-8)。
その結果、ラマンスペクトル分析の結果と同様、水浸漬及びアルコール浸漬については、全ての非晶質炭素膜試料で、試験前後共、ほぼ同等な膜構造を確認したのに対し(
図6及び
図7)、高圧蒸気滅菌処理においては、1.10膜試料のみで暴露前後の膜構想の維持を認めたが、0.73膜及び1.71膜試料では顕微鏡観察において、通常の膜構造を見出すことは出来なかった(
図8)。
以上より、高圧蒸気滅菌処理に対して、Cu/Cの異なる3種の非晶質炭素膜中、1.10膜のみが、その試験前後において膜構造を維持することが出来、即ち、当該処理に対して耐性を有することが確認された。
【0033】
以上の検討結果に加え、発明者らは鋭意研究を行った結果、銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが、所定の数値範囲であることを特徴とする非晶質炭素膜は高圧蒸気滅菌処理耐性となることを見出し、本発明を
完成させた。ここで所定の数値範囲とは、0.75以上1.70以下であり、好ましくは、0.9以上1.5以下である。
【0034】
本発明の第2の形態は、前記第1の形態に記載の非晶質炭素膜を主成分とする、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆する為の被覆膜である。
【0035】
本発明の第一の形態として、発明者らは、銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが所定の数値範囲であることを特徴とする高圧蒸気滅菌処理耐性非晶質炭素膜を完成させた。当該炭素膜を主成分とする被覆膜により、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆することで、当該器具に非晶質炭素膜特有の性質、特に限定はしないが、摺動性、生体適合性や抗菌及び/又は抗ウイルス作用(後述)等を付加しつつ、滅菌状態を実現することが可能となる。
【0036】
ここで被覆膜の主成分とは、被覆膜を構成する成分において、主要な成分の1つであればよく、必ずしも最も多い構成成分である必要はなく、特に限定はしないが、構成成分として認識される程度でよく、好ましくは全成分に対する構成率が50%程度、更に好ましくは90%程度であってもよい。
【0037】
高圧蒸気滅菌処理を要する器具とは、当該器具の用途や使用方法から鑑みて、少なくとも使用開始前に滅菌状態にしておくことを要する器具の中で、特に高温高圧水蒸気に耐えるものが該当する。具体的な材としては、磁製(例えば、磁器、陶器、アルミナ、ジルコニア等)、金属製(例えば、チタン、チタン合金、ステンレス、コバルトクロムモリブテン合金、コバルトクロム合金、アルマイト処理をしたアルミニウム等)、ゴム製、シリコン製、紙製、繊維製(例えば、ガーゼ、不織布等)または高温耐性を有する高分子材料製(例えば、ポリスチレン、ポリウレタン、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリイミド、ポリアミド等)が挙げられるが、特にこれらに限定するものではない。
高圧蒸気滅菌処理を要する器具の代表的なものとして、限定はしないが、医療機器や医療用デバイスが挙げられる。特に、生体内に埋め込まれるもの(例えば、人工骨、人工関節、インプラント、人工歯根、義歯、歯冠修復物、カテーテル等)や一過的に生体内に挿入されて使用されるもの(例えば、手術用器具、注射器、穿刺器具、縫合器具等)等については、完全に細菌、微生物及びウイルスを殺滅または除去した状態である滅菌状態に至らしめる必要がある為、好ましくはあるが、特に限定はしない。
この中で、特に手術用器具は、使用開始時には滅菌状態であることが必須であり、繰り返し使用されることが多く、更に非晶質炭素膜に被覆されることで、当該炭素膜の有する摺動性や生体適合性が有効に機能する場合も多く想定される為、好適であると考えられる。具体的には、鉗子類、鑷子類、剪刃類、鉤類、メス類、持針器類等が例示されるが、これらに限定はされない。
【0038】
本発明に係る被覆膜とは、対象となる器具の基材表面に覆い被さる状態で配置される膜である。器具の基材表面を包覆する程度は、必ずしも前面を包覆する必要はなく、当該器具での用途に応じて、その一部分のみを包覆する場合も含まれる。
【0039】
本発明に係る被覆膜によって、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆することで、当該器具に非晶質炭素膜特有の性質、特に限定はしないが、摺動性や生体適合性等を付加しつつ、滅菌状態を実現することが可能となる。これに加えて、本発明に係る被覆膜は、銅を含有した非晶質炭素膜を主成分としている為、一般的な非晶質炭素膜の特性のみならず、銅を含有した当該膜特有の性質をも付加することが可能となる。
具体的には、前述した様に、銅は抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有していることが知られている為、本発明に係る被覆膜においても、抗菌及び/又は抗ウイルス作用を発揮することが期待される。
【0040】
そこで発明者らは、様々な含有量の銅を含有した非晶質炭素膜を成膜し、当該炭素膜の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を検討した。まず、本発明の第一の形態に係る銅の含有量を有する非晶質炭素膜(1.10膜)における抗菌作用を測定したところ、高い抗菌性を有することがあきらかとなった(表2)。続いて、0.73膜及び1.10膜における抗ウイルス作用を検討したところ、1.10膜は、抗菌作用と同様に、強い抗ウイルス作用を有していたが、驚くべきことに、0.73膜には微弱な抗ウイルス作用しか認められなかった(表3)。
銅を含有した非晶質炭素膜については、既に抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有することが報告されており、その含有量は30at%以下が好適とされ、それ以上濃度を上げても効果の向上が得られないと言われているが(特許文献2〔0038〕)、本願検討において、銅の含量が38at%(Cu/C=0.73)であっても、十分な抗ウイルス作用は得られず、51at%(Cu/C=1.10)の銅含量において抗ウイルス作用が発揮され、併せて抗菌作用も有していることが明らかとなった。
【0041】
上記の抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有する非晶質炭素膜におけるCu/Cの数値範囲は、本発明の第1の形態に係る高圧蒸気滅菌耐性を有する非晶質炭素膜におけるCu/Cの数値範囲と一致する。以上のことから、本発明の第2の形態には、前記第1の形態に記載の非晶質炭素膜を主成分とする、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆する為の被覆膜のみならず、同第1の形態に記載の非晶質炭素膜を主成分とする抗菌および/または抗ウイルス用の被覆膜も含まれる。
尚、ここで「抗菌作用を有する」とは、一般的な抗菌試験において有効との判定を得る程度を指し、特に限定はしないが、例えば、抗菌活性値(=〔対照試料由来の単位面積当たり基準時間培養後生菌数の対数平均値〕-〔成膜試料由来の単位面積当たり基準時間培養後生菌数の対数平均値〕)が1以上であることを基準にしてもよい(〔0065〕参照)。
また、「抗ウイルス作用を有する」についても、一般的な抗ウイルス試験において有効との判定を得る程度を指し、特に限定はしないが、例えば、対照試料のウイルス感染価と成膜試料のウイルス感染価の差(=log10(基準時間作用後の対照試料のウイルス感染価/基準時間作用後の成膜試料のウイルス感染価))が1以上であることを基準にしてもよい(〔0068〕参照)。
更に「抗菌および/または抗ウイルス用の被覆膜」とは上記にて定義した、抗菌および/または抗ウイルス作用を有していることを特徴とする被覆膜であり、上記基準を満たしていればよく、その強弱は問わない。
【0042】
本発明の第3の形態は、高圧蒸気滅菌処理後の非滅菌環境下での使用においても、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を維持できる物品の製造方法であって、本発明の第1の形態又は第2の形態に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法である。
【0043】
本発明の第1の形態である、一定の条件で銅を含有する非晶質炭素膜は高圧蒸気滅菌処理耐性であり、尚且つ〔0040〕、〔0041〕にある様に、抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有する為、当該非晶質炭素膜又は当該炭素膜を主成分とする被覆膜により、対象となる物品を被覆することで、当該物品を高圧蒸気滅菌処理し、当該処理後に非滅菌環境下にて使用しても、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を発揮及び/又は維持できる機能を、当該物品に付与することが可能である。
【0044】
また、本発明の第1の形態に係る非晶質炭素膜は、高圧蒸気滅菌処理耐性の有無の如何を問わず、抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有している為、当該非晶質炭素膜又は当該炭素膜を主成分とする被覆膜により、対象となる物品を被覆することで、単に、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を発揮及び/又は維持できる機能を、当該物品に付与することも可能である。
【0045】
よって、本発明の第3の形態には、抗菌および/または抗ウイルス性物品の製造方法であって、本発明の第1の形態又は第2の形態に記載の膜で当該物品を被覆することを含む製造方法も含まれる。なお、ここでの「抗菌および/または抗ウイルス性物品」とは「抗菌及び/又は抗ウイルス機能を発揮及び/又は維持できる機能を有する物品」を示す。
ここで本発明の第1の形態又は第2の形態に記載の膜で被覆することにより、抗菌及び/又は抗ウイルス機能を発揮及び/又は維持できる機能を有する対象となる物品としては、当該物品の表面に抗菌及び/又は抗ウイルス機能を発揮及び/又は維持することが、その使用上有用である物品であってもよく、特に限定はしないが、〔0037〕に記載の高圧蒸気滅菌処理を要する器具や、病院、高齢者施設、介護施設等において不特定多数による接触頻度の高い器具類又は福祉用具・介護用品等が挙げられ、好ましくは、上記高圧蒸気滅菌処理を要する器具、手すり、ドアノブ、各種取っ手等の設備類、ベッドフレーム、ベッド柵、車いす、歩行器、歩行補助つえ、移動用リフト、機能訓練・リハビリ機器、入浴機器・トイレ機器、段差解消機・階段昇降機等であるが、これらに制限されるものではない。
【0046】
本発明の第3の形態を実施する上で、第1の形態に係る非晶質炭素膜、即ち、Cu/Cが所定の数値範囲であることを特徴とする非晶質炭素膜により対象物品を被覆することが必要である。当該非晶質炭素膜の成膜方法については、結果として、Cu/Cが所定の数値範囲にある非晶質炭素膜を成膜することが出来ればよい。特に制限はなく、既存の如何なる成膜方法及び/又は新規の方法であってもよい。
例えば、熱CVD法、プラズマCVD法(高周波、マイクロ波又は直流等)、真空蒸着法、イオンプレーティング法(直流励起、高周波励起)、スパッタリング法(2極スパッタ、マグネトロンスパッタ、高出力インパルス・マグネトロンスパッタ(HiPIMS)、ECRスパッタ、RFスパッタ、DC(直流)スパッタ、大電力パルススパッタ等)、レーザーアブレーション法、イオンビームデポジション法、イオン注入法、アーク法、フィルタードアーク法等が挙げられ、好ましくは、直流スパッタリング法、HiPIMS法、RFスパッタリング法、スパッタリング法とプラズマCDV法を組み合わせた方法等であり、特に好ましくは直流スパッタリング法やスパッタリング法で銅をスパッタリングすると同時に、プラズマCVD法で非晶質炭素膜を形成する方法であるが、これらに限定されるものではない。
【0047】
本発明の第3の形態において対象物品の被覆に用いられる膜には、上記の第1の形態に係る非晶質炭素膜のみならず、当該炭素膜を主成分とする被覆膜も含まれる。この為、第1の形態に係る非晶質炭素膜に何らかの成分を付加して成膜された被覆膜や当該炭素膜とは別途の膜として重層された被覆膜等、特に制限はされない。また、当該炭素膜以外の成分は、対象物品に対して、当該炭素膜と同時に被覆されてもよく、当該炭素膜の成膜時とは独立して被覆されてもよい。
【実施例0048】
以下に実施例を示す。これらは、あくまでも例示にすぎず、本発明の範囲を限定するものではなく、本発明の趣旨を逸脱しない範囲において種々の改良及び設計の変更を行ってもよい。
【0049】
1.様々な含有量の銅を含有する非晶質炭素膜の成膜実験
1-1.概要
銅を含有する非晶質炭素膜の性状を調べるために、様々な含有量の銅を含有する非晶質炭素膜の成膜を行った。また、成膜後の各試料の表面状態を分析するべく、EPMAを用いて、炭素、銅及び酸素の定量分析を行った。
【0050】
1-2.方法
1-2-1.成膜条件
非晶質炭素膜の成膜は、DCスパッタリング法を用いて行った。バイアス電圧を550Vに設定し、3.6×10-1Paのアルゴン(Ar)を流量20m/secにて導入した。非晶質炭素膜中の銅の含有量を変化させるべく、Cu:Cターゲットを、イ)30:70、ロ)40:60、ハ)50:50にて、それぞれスパッタリングを行い、異なる含有量の銅を含有する3種類の非晶質炭素膜を成膜した。成膜する母材にはSUS304を用い、膜厚は1100nmとした。
【0051】
1-2-2.EPMAを用いた炭素、銅及び酸素の定量分析
上記の異なる3種類のCu:Cターゲット(イ)、ロ)及びハ))にてスパッタリングを行った非晶質炭素膜の表面状態を、EPMA(Electron Probe Micro Analyzer, JXA-8230,日本電子製)にて分析し、C、Cu及びO原子の定量を行った。分析条件は加速電圧:15kV、照射電流:1.07×10-7A、プローブ径:1.0μmにて実施した。
【0052】
1-3.結果
EPMAにより測定された、スパッタリング条件イ)、ロ)及びハ)由来の各非晶質炭素膜における炭素、銅及び酸素の原子組成百分率(順にC、Cu及びO;at%)を表1に示す。スパッタリング条件の相違により、異なる銅の原子組成百分率(Cu)を有する非晶質炭素膜が成膜されていることが分かる。スパッタリング条件イ)、ロ)及びハ)由来の各非晶質炭素膜のCu/Cが、それぞれ0.73、1.10及び1.71であることから、当該炭素膜試料を、順に0.73膜、1.10膜及び1.71膜と呼称することとした。
【表1】
表1.銅を含有する非晶質炭素膜の成膜条件及び炭素、銅及び酸素の原子組成百分率
【0053】
2.異なる含有量の銅を含有する3種の非晶質炭素膜試料の膜基本構造評価
2-1.概要
上記3種類の非晶質炭素膜間の炭素膜としての差異を確認するべく、非晶質炭素膜の基本構造を規定する特性の1つである基本物性を測定した。まずは、非晶質炭素膜の構造評価手法として代表的なラマンスペクトル分析を行った。
【0054】
2-2.方法
ラマンスペクトル分析にはRaman(inViaTM confocal Raman microscope, Renishaw)を用い、分析条件は、励起波長:532nm、照射強度:11.25mW、測定範囲:900~1900cm-1、積算回数:10回にて実施した。532nmのレーザを照射し,散乱光によって900~1900cm-1の範囲に現れるスペクトルを測定した。1)当該スペクトル全体の形状と、2)当該スペクトルを、六員環クラスター(sp2炭素)のサイズを反映するGbandと,六員環クラスターの欠陥を表すDbandに波形分離を行った後、各bandのピーク位置の強度の比率(ID/IG)の2点から、異なる含有量の銅を含有する3種の非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜及び1.71膜)の膜構造を評価した。
【0055】
2-3.結果
図1に、0.73膜、1.10膜及び1.71膜のスペクトルパターン及びID/IG値をそれぞれ示す。各スペクトル間で大きな差異は認められず、ID/IGもほぼ同等な数値であった(0.73膜;1.91、1.10膜;1.99及び1.71膜;1.91)ことから、当該3種類の非晶質炭素膜の膜構造が極めて類似していることが示唆される。
【0056】
3.異なる含有量の銅を含有する3種の非晶質炭素膜試料の膜表面状態評価
3-1.概要
非晶質炭素膜の基本構造を規定するもう1つの特性として、当該炭素膜の表面状態が挙げられる。表面状態を反映する指標を測定する方法として代表的なX線光電分光法(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy)を用いて、0.73膜、1.10膜及び1.71膜の表面組成分析を行った。
【0057】
3-2.方法
表面組成はX線光電子分光法(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy,ESCA-3400,島津製作所)により,Carbon1s(C1s)スペクトル、Oxygen1s(O1s)、Cupper2p(Cu2p)を取得し,波形分離を行った。分析条件は、線源;Mg Kalpha、加速電圧;10kV、加速電流;10mA、スイープ回数;10回にて実施した。C1sスペクトルについては,帯電補正を行いC=C(285.1eV)、C-C(285.4+0.7eV),C=O(288.3+0.4eV),Cu2pスペクトルについてはCu(932.8+0.6eV)とCuCO3(935.0+0.5eV)、O1sスペクトルについてはC=O(532.0+0.1eV)、C-O-C(532.3+0.2eV)COO(530.3+0.5eV)について波形分離を行い評価した。
【0058】
3-3.結果
図2―4に、0.73膜(
図2)、1.10膜(
図3)及び1.71膜(
図4)それぞれの非晶質炭素膜のXPS分析C
1s、Cu
2p及びO
1sスペクトルを示す。これらのスペクトルは、元々1つの測定スペクトルからC
1s、Cu
2p及びO
1sそれぞれに波形分離を行ったものであり、これにより、C
1s、Cu
2p及びO
1sの波形がどのような結合で構成されているか判定することが可能となる。3試料のいずれのスペクトルも酷似していることから、当該3種類の非晶質炭素膜試料表面の結合状態は極めて類似していることが明らかとなった。
【0059】
4.異なる含有量の銅を含有する3種の非晶質炭素膜試料の水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌処理に対する耐性評価
4-1.概要
上記2.及び3.の評価により、異なる銅の含有量を有する非晶質炭素膜(0.73膜、1.10膜、1.71膜)は、炭素に対する銅のモル比率が異なるにも関わらず、炭素膜構造や表面の結合状態には大きな差異はないことが明確となった。そこで、当該炭素膜を様々な物理的条件(水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌)に暴露することで、当該炭素膜に何らかの変動が生じるのか、即ち、当該物理条件に対する耐性を有しているか否か、検討を行った。
具体的には、0.73膜、1.10膜及び1.71膜をSUS上に成膜した試料を水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌にそれぞれ暴露した後、暴露前後での各試料のラマンスペクトルを測定した。併せて、各物理的条件暴露前後における当該3試料の目視及び顕微鏡による観察も行った。
【0060】
4-2.方法
4-2-1.3種非晶質炭素膜試料の水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌処理前後でのラマンスペクトル分析
1.にてSUS上に成膜した0.73膜、1.10膜及び1.71膜を、それぞれ1)水浸漬、2)アルコール浸漬及び3)高圧蒸気滅菌処理にそれぞれ暴露した。
1)水浸漬条件;27℃の水4mLに各試料を24時間浸漬した。
2)アルコール浸漬条件;27℃のエタノール4mLに各試料を24時間浸漬した。
3)高圧蒸気滅菌処理条件;オートクレーブ滅菌処理器(トミー精工,LSX-300)を用いて、温度:126℃、処理時間:15分、蒸気圧0.1309MPaの条件にて処理した。
各試料を前記物理的条件1)―3)にてそれぞれ処理する前後でのラマンスペクトル分析を行った。ラマンスペクトル分析の方法は2-2.に準じた。
【0061】
4-2-2.3種非晶質炭素膜試料の水浸漬、アルコール浸漬及び高圧蒸気滅菌処理前後での目視及び顕微鏡による観察
4-2-1.と同様に、1.にてSUS上に成膜した0.73膜、1.10膜及び1.71膜を、それぞれ1)水浸漬、2)アルコール浸漬及び3)高圧蒸気滅菌処理にそれぞれ暴露した。暴露した物理的条件は4-2-1.に準じた。
目視及び顕微鏡による観察は、金属顕微鏡 (BM-3400TL, WRAYMER)を用い、撮影倍率は(対物レンズ倍率:10倍、総合倍率:100倍)にて行った。
【0062】
4-3.結果
水浸漬及びアルコール浸漬では、0.73膜、1.10膜及び1.71膜いずれにおいても、暴露前後においてラマンスペクトル波形の大きな変動はなく、ID/IG値も近い数値を示した(
図5)。また、目視及び顕微鏡による観察においても、ラマンスペクトル分析の結果と同様、水浸漬及びアルコール浸漬については、全ての非晶質炭素膜試料で、試験前後共、ほぼ同等な膜構造を確認した(
図6及び
図7)。
このことから、水浸漬及びアルコール浸漬条件においては、Cu/Cの異なる3種の非晶質炭素膜は、その試験前後において膜構造に顕著な差異はないと考えられた。
【0063】
これに対して、当該3種類の非晶質炭素膜試料に高圧蒸気滅菌処理を施したところ、0.73膜及び1.71膜は、試験後のラマンスペクトル波形に著しい変化が認められ、Dband及びGbandの波形ピークが消失、そしてこの為、ID/IG値も測定不能となった(
図5)。
しかし、1.10膜については、高圧蒸気滅菌処理前後でのラマンスペクトル波形に大きな変化は認められず、Dband及びGbandの波形ピークも維持され、ID/IG値は試験前;1.99、試験後;1.90とほぼ同等の数値となった(
図5)。
これは目視及び顕微鏡による観察においても同様であり、高圧蒸気滅菌処理においては、1.10膜試料のみで暴露前後の膜構想の維持を認めたが、0.73膜及び1.71膜試料では顕微鏡観察において、通常の膜構造を見出すことは出来なかった(
図8)。
以上のことから、高圧蒸気滅菌処理に対して、Cu/Cの異なる3種の非晶質炭素膜中、1.10膜のみが、その試験前後において膜構造を維持することが出来ることが明らかとなった。
【0064】
5.銅を含有する非晶質炭素膜試料の抗菌性試験
5-1.概要
上記の検討で、銅を含有する非晶質炭素膜のうち、Cu/Cが所定の範囲にある非晶質炭素膜については、高圧蒸気滅菌処理に対する耐性を有することが明らかとなった。当該炭素膜が抗菌性も有するか確認するべく、抗菌試験を行った。
【0065】
5-2.方法
本試験は国際規格ISO22196(日本工業規格JIS Z 2801)に則って評価を行った。試験方法は、まず金属版SUS304(50mm×50mm×厚さ1mm)の無加工試料(対照試料)及び1.10膜を表面に成膜した試料(成膜試料)を用意し、無水エタノールにて当該試料の表面を払拭した。次に、黄色ブドウ球菌(NBRC12732;5.2×105cfu/mL)を0.4ml滴下し、上からポリプロピレンフィルム(VF-10,KOKUYO,40mm×40mm)をかけた後、35℃一定下の暗室で,24時間菌を培養した。24時間後、SCDLP培地10mLを用いて、ポリプロピレンフィルムと試料の間から試験菌を洗出し、当該洗出液中の生菌数を寒天平板培養法により計測することで抗菌活性値を算出した。なお、抗菌活性値は以下の様に定義した。
抗菌活性値=〔対照試料由来の単位面積当たり24時間培養後生菌数の対数平均値〕-〔成膜試料由来の単位面積当たりの24時間培養後生菌数の対数平均値〕
【0066】
5-3.結果
1.10膜における抗菌作用を測定したところ、高い抗菌性を有することがあきらかとなった(表2)。
【表2】
表2.銅を含有する非晶質炭素膜試料の抗菌性試験
【0067】
6.銅を含有する非晶質炭素膜試料の抗ウイルス性試験
6-1.概要
上記の抗菌性試験に加え、銅を含有する非晶質炭素膜のうち、高圧蒸気滅菌処理に対する耐性を有する非晶質炭素膜(1.10膜)及び当該耐性を有さない非晶質炭素膜(0.73膜)それそれが、抗ウイルス性を有するか否かを確認するべく、抗ウイルス性試験を行った。
【0068】
6-2.方法
滅菌シャーレ内に、金属板SUS304の無加工試料(対照試料)を2枚、0.73膜及び1.10膜を表面に成膜した試料(順に0.73膜試料及び1.10膜試料)を各1枚置き、A型インフルエンザウイルス(ATCC VR-1469)溶液0.2mlを各試料上に個別に滴下し、滴下したウイルス溶液の上にフィルム(滅菌検査パックNを20mm角に切り取ったもの)を被せ、フィルム全体に行きわたるように軽く押さえた。2枚の対照試料のうち、1枚はウイルス溶液滴下後すぐにマイクロピペットにて回収し、LPで10倍希釈した。その他の試料は、滅菌シャーレに蓋をして室温にて5時間静置した。所定時間後、マイクロピペットにてウイルス溶液を回収し、LPで10倍希釈した。各10倍希釈液を細胞維持培地で10倍段階希釈し、当該10倍段階希釈液0.1mLを、それぞれMDCK細胞を播種した細胞プレートに接種した。約36℃、5%CO2の条件下で4~7日間培養した後、培養倒立顕微鏡下でCPEの有無を確認し、Reed-Muench法によりウイルス感染価を算出した(単位:TCID50/mL)。対照試料のウイルス感染価と0.73膜試料及び1.10膜試料のウイルス感染価の差をlog10(5時間作用後の対照試料のウイルス感染価/5時間作用後の0.73膜試料又は1.10膜試料のウイルス感染価)により表示した。
【0069】
6-3.結果
0.73膜及び1.10膜における抗ウイルス性作用を検討したところ、1.10膜は、抗菌作用と同様に、強い抗ウイルス作用を有していたが、0.73膜には微弱な抗ウイルス作用しか認められなかった(表3)。
【表3】
表3.銅を含有する非晶質炭素膜試料の抗ウイルス性試験
本発明に係る、銅を含有した非晶質炭素膜であって、炭素の原子組成百分率Cに対する銅の原子組成百分率Cuの比Cu/Cが、所定の数値範囲であることを特徴とする非晶質炭素膜は、高圧蒸気滅菌処理耐性という特徴を有する。当該特徴により、当該炭素膜及び/又は当該炭素膜を主成分とする被覆膜によって、高圧蒸気滅菌処理を要する器具を包覆することで、当該機器に、摺動性や生体適合性等の非晶質炭素膜特有の性質を付加しつつ、滅菌状態を実現することが可能となる。更に、当該非晶質炭素膜は、強い抗菌及び/又は抗ウイルス作用を有している。この為、当該炭素膜及び/又は当該炭素膜を主成分とする被覆膜で、手術用器具、注射器、穿刺器具、縫合器具等といった生体内に挿入されることを前提とする器具類表面を被覆することで、当該器具類に高圧蒸気滅菌処理を施すことにより、当該器具類の使用開始前に完全な滅菌状態を実現することが出来、尚且つ、その後、完全な滅菌環境ではない環境下で使用することで、当該器具類に軽微な生物学的な汚染(微量な細菌やウイルス等の付着)が生じた場合でも、当該器具類を介した生体内への細菌やウイルス等の侵入を大幅に低減することが出来る。