(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024127007
(43)【公開日】2024-09-20
(54)【発明の名称】鍵盤楽器
(51)【国際特許分類】
G10C 3/08 20060101AFI20240912BHJP
G10C 1/06 20060101ALI20240912BHJP
【FI】
G10C3/08
G10C1/06
【審査請求】未請求
【請求項の数】7
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023035828
(22)【出願日】2023-03-08
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用申請有り 令和4年8月31日、日本音響学会第148回(2022年秋季)研究発表会講演論文集(予稿集)、2-1-16にて発表。令和4年9月15日、日本音響学会第148回(2022年秋季)研究発表会にて発表。
(71)【出願人】
【識別番号】391022614
【氏名又は名称】学校法人幾徳学園
(74)【代理人】
【識別番号】110000420
【氏名又は名称】弁理士法人MIP
(72)【発明者】
【氏名】西口 磯春
(57)【要約】
【課題】 異音の発生を抑制することができる鍵盤楽器を提供すること。
【解決手段】 鍵盤楽器は、キー11と連動した棒状部材(タンジェント)21で弦12を撞くことにより発音する楽器であり、キー11の長手方向と弦12が張られる方向を一致させたことを特徴とする。また、鍵盤楽器は、弦12をタンジェント21で撞く打弦位置の両側の弦12の張力が一致するように打弦位置が決定されていることを特徴とする。
【選択図】
図7
【特許請求の範囲】
【請求項1】
キーと連動した棒状部材で弦を撞くことにより発音する鍵盤楽器であって、
キーの長手方向と弦が張られる方向を一致させたことを特徴とする、鍵盤楽器。
【請求項2】
前記弦を前記棒状部材で撞く打弦位置の両側の前記弦の張力が一致するように前記打弦位置が決定されていることを特徴とする、請求項1に記載の鍵盤楽器。
【請求項3】
前記弦の固定端から前記打弦位置までの距離a
0が、下記式(1)を満たすように設計されていることを特徴とする、請求項2に記載の鍵盤楽器。
(上記式(1)において、l
0は、弦の全長を示し、r
Aは、キーの支点から棒状部材までの距離を示す。)
【請求項4】
各キーの押し下げ量に対するピッチの変動率が所定の値に設計されていることを特徴とする、請求項1~3のいずれか1項に記載の鍵盤楽器。
【請求項5】
各キーに対応する弦の横剛性が所定の値に設計されていることを特徴とする、請求項1~3のいずれか1項に記載の鍵盤楽器。
【請求項6】
全てのキーの押し下げ量を等しく制限する制限手段を含む、請求項1~3のいずれか1項に記載の鍵盤楽器。
【請求項7】
前記制限手段は、前記押し下げ量の限界値を可変制限することを特徴とする、請求項6に記載の鍵盤楽器。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鍵盤楽器に関する。
【背景技術】
【0002】
鍵盤楽器には、弦を鍵(キー)と連動したハンマーで打つことにより発音するピアノや、弦をキーと連動した棒状部材(タンジェント)で撞くことにより発音するクラヴィコード等がある。
【0003】
クラヴィコードは、発音直後にハンマーが弦から離脱するピアノとは異なり、発音中、弦とタンジェントが接触しているため、発音中にキーに加える力を変化させることにより音高(ピッチ)を変動させることができる。
【0004】
このピッチの変動を積極的な音楽表現のために活用するために、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率が所定の値に設計されたクラヴィコードが知られている(例えば、特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、上記の従来の技術では、ピッチ変化を大きくするためにキーの押し下げ量を増加すると、弦とタンジェントの接触点の両側の張力の大きさの差が大きくなり、弦とタンジェントの接触点が移動して、異音を発生するという問題があった。
【課題を解決するための手段】
【0007】
そこで、本発明の発明者は、鋭意検討の結果、キーが延びる方向と弦が張られる方向を一致させることにより、弦とタンジェントの接触点の両側の張力の大きさを一致させたままキーを押し下げることができ、異音の発生を抑制できることを見出した。上記課題は、本発明の鍵盤楽器を提供することにより解決される。
【0008】
本発明によれば、キーと連動した棒状部材で弦を撞くことにより発音する鍵盤楽器であって、キーの長手方向と弦が張られる方向を一致させたことを特徴とする、鍵盤楽器が提供される。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、異音の発生を抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】従来の鍵盤楽器としてクラヴィコードの一例を示した図。
【
図3】クラヴィコードの発音原理について説明する図。
【
図4】ばね定数の算出方法について説明するための図。
【
図7】本実施形態に係る鍵盤楽器としてクラヴィコードの一例を示した図。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明を実施するための形態について詳細に説明する。ただし、本発明は、以下に示す実施形態に限定されるものではない。したがって、鍵盤楽器をクラヴィコードとして説明するが、これに限定されるものではない。
【0012】
図1は、従来の鍵盤楽器としてクラヴィコードの一例を示した図である。従来のクラヴィコード10は、上部から見て長方形の箱型構造を有し、脚を備えるものと、台の上に置いて使用するものがある。クラヴィコード10は、その長方形の長辺方向に沿ってキー11が並設された鍵盤を有し、その長辺方向とほぼ平行に弦12が張られている。
【0013】
図2は、クラヴィコードの内部構造を模式的に示した図である。
図2は、キー11の長手方向と弦12が張られる方向(弦12が延びる方向もしくは弦軸方向)が同じ方向になっているように見えるが、従来においては、
図1を参照して説明したように、弦12が張られる方向は、上記の長方形の長辺方向であり、キー11の長手方向は、上記の長方形の短辺方向であるため、弦12が張られる方向は、キー11の長手方向に対してほぼ垂直方向である。
【0014】
クラヴィコード10は、キー11がバランスレール20上に配置され、バランスレール20で支持した部分を支点とし、一方側が、演奏者が指で押下する面を有し、他方側に、上方に張られた弦12を撞くための金属製の棒状部材であるタンジェント21が配設されている。
【0015】
弦12は、キー11が並設された鍵盤の上部に、一方が固定端となる調律ピン22に固定され、他方がブリッジ(駒)23を介してヒッチピン24に固定される。ブリッジ23およびヒッチピン24の下側には、響板25が設けられる。タンジェント21の先端は、マイナスドライバのような形状とされている。
【0016】
弦12の調律ピン22側(調律ピン22とタンジェント21の接触点との間)には、消音用のフェルト26が弦12に巻かれている。
【0017】
図3は、クラヴィコード10の発音原理について説明する図である。
図3(a)がキー11を押しているときの図で、
図3(b)がキー11から手を離したときの図である。クラヴィコード10は、キー11を押し下げると、キー11に連動するタンジェント21が上昇し、キー11の直上に張られた弦12を撞くようにして打弦する。このとき、弦12とタンジェント21との接触点が弦振動の節となり、キー11を押している間、タンジェント21が弦12に接触し続け、弦振動がこの接触点で折り返され、弦振動が継続する。弦振動は、ブリッジ23を介して響板25に伝播し、響板25が振動を増幅し、空気中へ音として放出する。
【0018】
キー11から手を離すと、自重あるいはバネ等の機構によりキー11の演奏者側が上昇することにより、キー11に連動するタンジェント21が下降して弦12から離れる。すると、弦振動は、フェルト26へと伝わり、フェルト26が弦振動を減衰させるダンパとして作用することにより消音する。
【0019】
クラヴィコード10は、発音中、弦12にタンジェント21が接触した状態を維持するが、発音中にキー11に加える力を変化させることで、ピッチを変動させることができる。
【0020】
しかしながら、ピッチの変動は、ビブラートのような装飾音で用いられる程度で、音楽表現において積極的に利用されることはなかった。
【0021】
ここで、演奏時のキー毎の応答のばらつきに着目する。この目的のため、タンジェント21が弦12に接触したときのキー11の位置を第1の位置とし、第1の位置から押し下げた位置を第2の位置とし、発音中に、キー11を第1の位置から第2の位置へ押し下げたケースを想定する。
【0022】
キー11の位置の変動が第1の位置から第2の位置までであるのに対し、ピッチの変動率が各キー11によってばらばらな場合、演奏上の障害となり得る。
【0023】
また、キー11の位置が第1の位置から第2の位置へ移動した時のピッチの変動率のばらつきが各キー11間で許容できる範囲に収まっていたとしても、その時の押し下げる力が各キー11でばらばらであれば、押し心地がキー11によって異なることになる。
【0024】
これらの量のキー11毎の不均一は、音楽表現においてピッチ変動を積極的に利用する上での障害となり得る。そこで、音楽表現においてピッチの変動を積極的に利用するために、キー11の押し下げによるピッチ変動率とキー11の押し心地の両方を所望の値に設定する必要がある。
【0025】
キー11の押し下げによるピッチ変動率は、弦12を適切な仕様のものにすることで指定した値に設定することができる。弦12の仕様は、弦12の長さ、太さ、打弦位置、巻線の寸法等である。弦12は、通常の弦と、芯線の周りに別の細線を巻き付けた巻線があり、上記の巻線の寸法は、芯線の周りに別の細線を巻き付けた弦の直径等である。
【0026】
キー11の押し心地は、従来から存在したキー11の移動量に対する弦12からの反力を求めてキー11の押し心地を評価する方法を用いて指定した値に設定することができる。
【0027】
なお、キー11の押し下げによるピッチ変動率とキー11の押し心地を所望の値に設定する際、キー11の押し下げ深さを調整する必要があるが、この調整には、以下で説明する押し下げ調整装置を用いることによりキー11の押し下げ深さを調整することができる。これにより、ピッチの変動幅を演奏者が演奏中に自由に制御できる鍵盤楽器を提供することが可能となる。
【0028】
キー11の押し下げによるピッチ変動率を所定の値に設定するには、弦12を適切な仕様のものとなるように設計する必要がある。
【0029】
以下、弦12の設計方法について説明する。弦12には、1本の芯線からなる通常の弦と、芯線の周りに別の細線を巻き付けた巻線とがある。ここでは、両方の種類の弦を表すために、芯線の直径をdとし、芯線の周りに巻き付けた細線の直径をtと置く。このため、下記の式において、t=0と置けば、通常の弦となる。
【0030】
弦12の設計には、3つの関係式が用いられる。3つの関係式のうちの1つ目は、弦12の寸法と基本周波数の関係を表す関係式である。弦12の直径と基本周波数fの関係式は、下記式1で与えられる。
【0031】
【0032】
上記式1中、b0は、弦12の全長l0から、固定端から弦12とタンジェント21の接触点までの距離a0を減算した、弦12の発音部分の長さである。Tは、弦12の張力である。上記式1中、線密度μは、下記式2で与えられる。
【0033】
【0034】
上記式2中、ρcは、芯線の体積密度であり、ρwは、芯線の周りに巻き付けた細線の体積密度である。Acは、芯線の実効的な断面積であり、Awは、芯線の周りに巻き付けた細線の実効的な断面積である。
【0035】
ここで、芯線の体積密度ρcと芯線の周りに巻き付けた細線の体積密度ρwが同一で、その体積密度をρとすると、上記式2は、下記式3のように書き換えることができる。
【0036】
【0037】
このとき、Acは、下記式4のように記載することができる。
【0038】
【0039】
すると、Awは、下記式5のように近似することができる。なお、下記式5中、tは、細線の直径である。
【0040】
【0041】
3つの関係式のうちの2つ目は、弦12の横荷重と変位との関係を表す関係式である。横荷重は、弦12が延びる方向(弦軸)に対して垂直方向の荷重である。弦12の横荷重と荷重点の変位との関係におけるばね定数kcpは、下記式6で与えられる。なお、kcpは、横剛性とも呼ばれ、キー11の押し心地に関係する値である。
【0042】
【0043】
図4を参照して、ばね定数k
cpの算出方法について説明する。a
0は、
図2の調律ピン22から弦12とタンジェント21の接触点までの距離に相当し、b
0は、その接触点からブリッジ23までの距離に相当する。キー11を押し下げ、タンジェント21が上昇し、弦12と接触して弦12を押し上げると、
図4のような形になる。
【0044】
図4中、θ
a、θ
bは、弦12が変形する前の一直線に延びている状態のときの一端をAとし、他端をBとし、タンジェント21が弦12と接触し、押し上げられて荷重が作用している状態のときの荷重作用点をDとすると、線分ABと線分ADとのなす角、線分ABと線分BDとのなす角である。Fは、弦12に作用する荷重(集中力)であり、δは、弦12の荷重作用点における変位である。
【0045】
図4の矢線で示すように、荷重作用点Dにおける上下方向の力の釣り合いから、下記式7が導き出される。
【0046】
【0047】
上記式7中、θa、θbは、微小量であることから、下記式8のように書き換えることができる。
【0048】
【0049】
図4からtanθ
aは、δ/a
0であり、tanθ
bは、δ/b
0であることから、上記式8は、下記式9のように書き換えることができる。
【0050】
【0051】
上記式9は、下記式10のように整理することができる。
【0052】
【0053】
弦軸と垂直方向の荷重と変位の関係式は、F、kcp、δを用いて、下記式11で表される。
【0054】
【0055】
上記式10と上記式11とから、上記式6を算出することができる。
【0056】
3つの関係式のうちの3つ目は、弦12の荷重作用点Dにおける変位δとピッチ変動率rとの関係を表す関係式である。変位δとピッチ変動率rとの関係を表す関係式は、下記式12で与えられる。
【0057】
【0058】
上記式12中、Eは、弦12の縦弾性係数である。弦12がタンジェント21により突き上げられると、弦12のひずみΔεは、下記式13のように表すことができる。
【0059】
【0060】
ここで、上記式13の分子第一項目の括弧内の各項は、下記式14および下記式15のように書き換えることができ、下記式14と下記式15とを加算した括弧内は、下記式16のように表すことができる。
【0061】
【0062】
【0063】
【0064】
上記式13に、上記式16を代入し、整理すると、弦12のひずみΔεは、下記式17のようになる。Δεは、荷重作用点Dにおける押し下げによる引っ張りひずみの増加量である。
【0065】
【0066】
また、応力とひずみの関係より、応力Δσは、下記式18で表すことができる。Δσは、荷重作用点Dにおける押し下げによる引っ張り応力の増加量である。
【0067】
【0068】
荷重作用点Dにおける押し下げによる張力の増加量ΔTは、芯線の断面積をAcとして、ΔT=ΔσAcの関係が成立することから、下記式19のように表すことができる。ここで、簡単のため、芯線の周りに巻き付けた細線は張力を分担しないとしている。
【0069】
【0070】
ここで、周波数と張力の関係式を用いると、基本周波数をfとし、そのときの張力をTと置くと、張力がTからT+ΔTになったとき、周波数f+Δfは、下記式20で表される。Δfは、荷重作用点Dにおける押し下げによる基本周波数の増加量である。
【0071】
【0072】
また、周波数の変化率は、(f+Δf)/fとし、上記式1と上記式19と上記式20より、下記式21のように表すことができる。
【0073】
【0074】
あるいは、ピッチ変動率を、r=Δf/fとし、上記式12のように表すことができる。
【0075】
ピッチ変動率rは、キー11の押し下げ量の設計値に対して実現したいピッチ変動cを下記式22に代入して得た計算値を与えることができる。なお、変位δは、キー11の押し下げ量に正比例する値であり、キー11の押し下げ量の設計値に基づいて、これに比例する変位を算出して与えることができる。
【0076】
【0077】
例えば、実現したいピッチ変動cを半音=100セントとすると、上記式22により、rは約0.059となる。
【0078】
以上の関係式を用いると、例えば、弦12の全長l0、打弦位置a0を与えた上で、横剛性kcpを所定の値として指定すると、b0=l0-a0であるから、上記式6から張力Tを算出することができる。算出された張力Tと弦12の基本周波数fとを用い、上記式1から線密度μを算出することができる。また、弦12の体積密度ρを与えると、上記式3からAc+Awを算出することができる。
【0079】
一方、変位δ、ピッチ変動率rを所定の値として指定し、弦12の縦弾性係数Eを与えると、上記式12から芯線の断面積Acを算出することができる。
【0080】
したがって、上記式4および上記式5を用い、芯線の直径d、芯線の周りに巻き付けた細線の直径tを算出することができる。
【0081】
まとめると、形状パラメータとして、弦12の全長l0、打弦位置a0、材料パラメータとして、弦12の縦弾性係数E、弦12の体積密度ρ、特性パラメータとして、弦12の基本周波数f、弦12の横剛性kcp、荷重作用点Dにおける変位δ、ピッチ変動率rの計8つのパラメータを入力することで、張力T、芯線の直径d、芯線の周りに巻き付けた細線の直径tを算出することができる。
【0082】
ちなみに、パラメータは、全部で11個あり、そのうちの4つのパラメータ(f、kcp、δ、r)の値は事前に与えられるため、残りの6つのパラメータ(E、ρ、l0、a0、d、t)の中から、3つのパラメータを任意に選出し、それらの値を定めれば、残った3つのパラメータの値を、上記の関係式から導出することができる。したがって、クラヴィコードの発音機構の設計にあたっては、実現したい仕様(キーの押し下げ量に対するピッチの変動率、キーの押し心地)に応じて、上記の6つのパラメータのうち、任意の3つのパラメータに対して予め値を与え、残りの3つのパラメータの値を導出することができる。
【0083】
次に、
図5を参照して、キー11の押し下げ量を制御するための制限手段について説明する。
図5は、キー11の押し下げ量を制御するための制限手段の一例を示した図である。制限手段30は、レバー31と、レバー31にリンク32を介して連結されるテーパ状のくさび33を含んで構成される。制限手段30は、くさび33がキー11の先端に向かって斜面が形成される台座34とキー11との間に挿入されることにより、全てのキー11の押し下げ量が等しく制限されるようになっている。
【0084】
これにより、演奏者は、キー11の押しすぎによる弦12の破断を心配することなく、演奏に没頭することができ、演奏性を向上させることができる。また、制限手段30が制限する押し下げ量を、所望のピッチ変動(例えば半音、あるいは全音)に対応した押し下げ量とすれば、演奏者は、1つのキーを限界まで押し下げる操作で、所望の音高を表現することができるようになる。
【0085】
制限手段30は、
図5(a)に示すように、レバー31を持ち上げると、くさび33が台座34の斜面を上がって、キー11の押し下げ深さをD1に制限し、
図5(b)に示すように、レバー31を押し下げると、くさび33が台座34の斜面を下って、キー11の押し下げ深さをD2に制限するようになっており、レバー31の押し下げ量の限界値が可変制御されるようになっている。これにより、演奏者は、演奏中にレバー31を操作することにより、弦12のピッチの変動範囲を変化させることができ、多彩な演奏が可能となる。
【0086】
このようにして、キー11の押し下げ量に対するピッチの変動率が全てのキー11において統制されており、かつ、キー11を押し下げる際の押し心地が全てのキー11において統制されたクラヴィコード10を提供することができる。
【0087】
ところで、
図1に示した構造のクラヴィコード10は、ピッチ変化を大きくするためにキー11の演奏者側の押し下げ量を増加すると、弦12とタンジェント21の接触点の両側の張力の大きさの差が大きくなる。このように差が大きくなると、弦12とタンジェント21の接触点が移動し、異音を発生する。したがって、弦12とタンジェント21の接触点の両側の張力の大きさの差が大きくならないように、接触点の両側の張力の大きさを一致させることができれば、異音の発生を抑制することができる。
【0088】
図6は、打弦により大きく変形した弦について説明するための図である。
図6では、弦12が変形する前の一直線に延びている状態のときの一端をAとし、他端をBとし、タンジェント21が弦12と接触する打弦点をCとし、打弦によりDの位置まで打弦点が移動している。弦12の全長をl
0とし、打弦前のAC間、BC間の距離をそれぞれa
0、b
0とし、打弦後の弦12が変形したときのAD間、BD間の距離をそれぞれa、bとする。また、打弦前の弦12が張られる方向を水平方向とする。
【0089】
図6中、δ
x、δ
yは、打弦点の水平方向および垂直方向の変位であり、F
x、F
yは、打弦点にタンジェント21から作用する水平方向および垂直方向の力である。T
a、T
bは、AD間、BD間の弦12の張力である。θ
a、θ
bは、ACとADのなす角、BCとBDのなす角である。
【0090】
ここで、打弦点の両側の張力が一致するための条件として、弦12とタンジェント21との間に滑りが生じず、TaとTbが常に一致するように打弦点Dが移動するための条件を考える。このように打弦点Dを移動させるには、AD間の張力の増加量ΔTaと、BD間の張力の増加量ΔTbとが一致する必要がある。
【0091】
また、弦12の断面積をAとするとき、張力の増加量ΔTと、応力の増加量ΔσについてはΔT=ΔσAの関係が成立することから、応力の増加量ΔσaとΔσbも一致する必要がある。
【0092】
応力の増加量Δσとひずみの増加量Δεは比例し、Δσ=EΔεの関係が成立する。Eは弦12の縦弾性係数で、AD間、BD間で同一である。したがって、ΔεaとΔεbも一致する必要がある。ΔεaとΔεbが同一であるから、これらをΔεと置くと、AD間、BD間の弦長の増加量は、Δεa0、Δεb0で表される。このため、a=a0+Δεa0、b=b0+Δεb0となり、下記式23が成立する。
【0093】
【0094】
上記式23は、打弦点の両側の張力が一致する条件を示し、AD間とBD間の長さの比率を、常にAC間とBC間の比率と一致させることが、その条件であることが分かる。
【0095】
打弦点Dが1つの平面内にある場合、a=bである場合、点Aと点Bの中線が、上記式23を満たす点Dの軌跡となる。一方、a=bでない場合、上記式23を満たす点Dの軌跡は、アポロニウスの円となることが知られている。このとき、線分ABの比率a0:b0の内分点である点Cと外分点Pを直径とする円となる。このことから、点Pと点Aの距離をxと置くと、下記式24が成立する。
【0096】
【0097】
上記式24をxについて解くと、下記式25のようになる。
【0098】
【0099】
したがって、アポロニウスの円の半径をrAは、下記式26で表される。
【0100】
【0101】
ここで、アポロニウスの円の中心を点Oとすると、a0<l0/2のとき、OAの距離は、下記式27により算出することができる。
【0102】
【0103】
したがって、打弦点Dが上記式27で定まる点Oを中心とし、上記式26で定まるrAを半径とする円を軌跡とする動きをすれば、打弦点の両側の弦12の張力が常に一致することなる。
【0104】
例えば、弦12の全長l0と回転半径rAが与えられているとき、a0を、上記式26を満足するように定めることで、打弦点の両側の弦12の張力が一致し、弦12とタンジェント21の滑りを防止することができる。
【0105】
このことから、上記式26をa0について解いた下記式28により定められる打弦位置は、最適打弦位置と呼ばれる。
【0106】
【0107】
以上のことから、最適な打弦を実現するためには、打弦点Dの軌跡がアポロニウスの円となるように、弦12が張られる方向と、キー11の長手方向を一致させることが必要となる。
【0108】
図7は、本実施形態に係る鍵盤楽器としてクラヴィコードの一例を示した図である。弦12が張られる方向と、キー11の長手方向を一致させるために、
図7(a)に示すように、弦12が張られる方向と、キー11の長手方向とが、いずれも同じ矢線Jで示す方向に向くように、弦12が張られ、キー11が配置される。
【0109】
また、最適な打弦を実現するためには、弦12の全長l
0、キー11の支点からタンジェント21までの距離をr
Aとした場合に、上記式28で定める打弦位置を、打弦点Cとして定めることが必要となる。すなわち、
図7(b)に示すように、固定端として調律ピン22からブリッジ23まで張られた弦12の長さをl
0とし、バランスレール20で支持したキー11の部分からタンジェント21までの距離をr
Aとし、上記式28からa
0を算出することにより、最適打弦位置Cを定める。
【0110】
図7(b)では、打弦により弦12がブリッジ23から離脱するのを防ぐために、ブリッジ23と響板25を反転させている。すなわち、
図2のように、ブリッジ23と響板25が弦12の下側ではなく、弦12を中心として上下反転させ、弦12の上側に配置している。なお、弦12がブリッジ23から離脱しなければ、ブリッジ23と響板25を反転する前の、
図2に示すように弦12の下側に配置してもよい。
【0111】
このようにして最適な打弦を実現することで、異音の発生を抑制することができる。
【0112】
これまで本発明の鍵盤楽器について上述した実施形態をもって詳細に説明してきたが、本発明は、上述した実施形態に限定されるものではなく、他の実施形態や、追加、変更、削除など、当業者が想到することができる範囲内で変更することができ、いずれの態様においても本発明の作用・効果を奏する限り、本発明の範囲に含まれるものである。
【符号の説明】
【0113】
10…クラヴィコード
11…キー
12…弦
20…バランスレール
21…タンジェント
22…調律ピン
23…ブリッジ
24…ヒッチピン
25…響板
26…フェルト
30…制限手段
31…レバー
32…リンク
33…くさび
34…台座