(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024135092
(43)【公開日】2024-10-04
(54)【発明の名称】浸水状況推定システム
(51)【国際特許分類】
G01W 1/00 20060101AFI20240927BHJP
G01W 1/10 20060101ALI20240927BHJP
G01S 13/90 20060101ALI20240927BHJP
G01S 13/95 20060101ALI20240927BHJP
【FI】
G01W1/00 Z
G01W1/10 T
G01S13/90
G01S13/95
【審査請求】未請求
【請求項の数】3
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023045610
(22)【出願日】2023-03-22
(71)【出願人】
【識別番号】390023249
【氏名又は名称】国際航業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001335
【氏名又は名称】弁理士法人 武政国際特許商標事務所
(72)【発明者】
【氏名】本田 謙一
(72)【発明者】
【氏名】虫明 成生
【テーマコード(参考)】
5J070
【Fターム(参考)】
5J070AC19
5J070AE07
5J070AE12
5J070AF06
5J070BE04
(57)【要約】
【課題】本願発明の課題は、従来の問題を解決することであり、すなわち水稲圃場を含む観測対象領域に対して短時間で、かつ高精度に浸水状況を推定することができる浸水状況推定システムを提供することである。
【解決手段】本願発明の浸水状況推定システム100は、合成開口レーダによる観測値を用いて観測対象領域の浸水状況を推定するシステムであり、田植時期推定手段101と生育状況推定手段102、暫定領域抽出手段103、浸水領域特定手段104を含んで構成される。田植時期推定手段101により観測値から田植時期を推定し、生育状況推定手段102により田植時期から一定の生育期間が経過した境界時期より後の期間を第2段階として設定し、浸水領域特定手段104は、暫定浸水領域のうち生育状況推定手段102によって第2段階に分類された水稲圃場領域は浸水領域であると特定する。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
合成開口レーダによる観測値を用いて、観測対象領域の浸水状況を推定するシステムであって、
複数時期に観測された前記観測値に基づいて、水稲圃場領域における田植時期を推定する田植時期推定手段と、
前記観測対象領域の中であらかじめ設定された前記水稲圃場領域に対して、生育状況に応じた第1段階と第2段階に分類する生育状況推定手段と、
前記観測対象領域における前記観測値に基づいて、暫定浸水領域を抽出する暫定領域抽出手段と、
前記生育状況推定手段によって分類された結果と、前記暫定領域抽出手段によって抽出された前記暫定浸水領域と、に基づいて、浸水領域を特定する浸水領域特定手段と、を備え、
前記田植時期推定手段は、観測時期と前記観測値からなる2軸の座標系に該観測時期と該観測値からなる観測座標を散布するとともに、散布された該観測座標に基づいて成長曲線を設定し、該成長曲線があらかじめ定めた観測閾値を示すときの該観測時期を前記田植時期として推定し、
前記生育状況推定手段は、前記田植時期からあらかじめ設定された生育期間が経過した境界時期より前の期間を前記第1段階として設定するとともに、該境界時期より後の期間を前記第2段階として設定し、
前記浸水領域特定手段は、前記暫定浸水領域のうち前記水稲圃場領域を除く領域は、前記浸水領域であると特定し、
また前記浸水領域特定手段は、前記暫定浸水領域のうち、前記生育状況推定手段によって前記第2段階に分類された前記水稲圃場領域は、前記浸水領域であると特定する、
ことを特徴とする浸水状況推定システム。
【請求項2】
前記暫定浸水領域のうち、前記生育状況推定手段によって前記第1段階に分類された前記水稲圃場領域に対して、前記浸水領域を推定する浸水領域補完手段を、さらに備え、
前記浸水領域補完手段は、前記第1段階に係る前記水稲圃場領域に隣接する領域が前記浸水領域であるときに、該水稲圃場領域は前記浸水領域であると推定する、
ことを特徴とする請求項1に記載の浸水状況推定システム。
【請求項3】
前記浸水領域補完手段は、前記第1段階に係る前記水稲圃場領域に隣接する領域が前記浸水領域であり、かつ該水稲圃場領域よりも地盤高が高いとき、該水稲圃場領域は前記浸水領域であると推定する、
ことを特徴とする請求項2に記載の浸水状況推定システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、浸水状況を推定する技術に関するものであり、より具体的には、合成開口レーダで得られる後方散乱係数を利用して浸水した領域を特定する浸水状況推定システムに関するものである。
【背景技術】
【0002】
我が国は、地震が頻発する国として知られ、また台風による被害もほぼ毎年のように発生しており、さらに近年では突発的な豪雨が発生することも珍しくない。特に、積乱雲が線状に発生する線状降水帯によって、一部の地域に集中した豪雨を受けると浸水水害が発生することもあり、平成30年の西日本豪雨では広範囲にわたって甚大な被害を受けた。豪雨等によって浸水した場合、家屋をはじめとする建物のほか、田畑(圃場)などにとって極めて深刻な事態となる。そして、浸水被害が予測される場合、その全容を把握すべく上空からの調査が行われる。
【0003】
上空からの調査手法としては、航空機で上空を飛行しながら撮影(いわゆる空撮)を行い、その画像を用いて浸水範囲を把握する方法が知られている。また近年では、広範囲を対象とした調査手法として、合成開口レーダ(SAR:Synthetic Aperture Radar)が利用されている。例えば、石油流出事故における原油の拡散状況の観測に、SARによって取得した観測データ(以下、「SAR観測値」という。)が用いられている。災害に関する観測において、光学センサーでは、晴天時や昼間でなければデータが取得できないという問題があるが、SAR観測値は、天候や昼夜を問わずデータが取得可能である。
【0004】
SARによる観測は、観測対象物に向けてマイクロ波(電磁波)を照射し、観測対象物によって散乱したマイクロ波をアンテナで受信して行われる。例えば、2時期のSAR観測値を比較する差分干渉合成開口レーダ(以下、「干渉SAR」という。)で解析することで、数センチオーダーの変位量を広範囲で得ることができる。一度に広範囲にわたって、しかも定期的に対象領域の変位を取得できることから、干渉SARは様々な場面で利用されている。例えば特許文献1では、干渉SARと衛星測位システムの計測結果を利用することによって、対象領域の変位を高精度かつ広範囲で算出する発明について提案している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ところで、我が国には河川の下流域に多くの水稲圃場があり、この水稲圃場を含む範囲に豪雨が集中した場合に浸水の状況を推定することが難しいという問題点があった。例えば、光学センサーを利用する場合、定期的に空撮を実施して水稲圃場の変化状況を相対比較すれば、豪雨等によって浸水した状態か、あるいは営農のために水張りした状態か推定できるものの、前述のとおりデータの取得は天候に左右され、また短時間に広範囲の結果を得ることは難しい。
【0007】
一方、干渉SARを利用すれば、一度に広範囲にわたって地形を把握することができ、しかも数センチオーダーの変位量を得ることができるが、この場合であっても、水稲圃場が浸水状態か、水張り状態であるか推定することは難しい。このため、浸水状況を、より高精度で把握することができる調査手法が切望されていた。
【0008】
本願発明の課題は、従来の問題を解決することであり、すなわち水稲圃場を含む観測対象領域に対して、水稲圃場における水張り状態を勘案したうえで浸水状況を推定することができる浸水状況推定システムを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本願発明は、合成開口レーダによるSAR観測値を用いて田植え時期を推定するとともに、この田植え時期に基づいて水稲の生育状況を推定し、これにより水稲圃場における浸水状況を推定する、という点に着目したものであり、従来にはなかった発想に基づいてなされた発明である。
【0010】
本願発明の浸水状況推定システムは、合成開口レーダによる観測値を用いて、観測対象領域の浸水状況を推定するものであり、田植時期推定手段と生育状況推定手段、暫定領域抽出手段、浸水領域特定手段を備えるものである。このうち田植時期推定手段は、複数時期に観測された観測値に基づいて、水稲圃場領域における田植時期を推定する手段である。生育状況推定手段は、観測対象領域の中であらかじめ設定された水稲圃場領域に対して、生育状況に応じた第1段階と第2段階に分類する手段である。暫定領域抽出手段は、観測対象領域における観測値に基づいて、暫定浸水領域を抽出し、生育状況推定手段によって分類された結果と、暫定領域抽出手段によって抽出された暫定浸水領域に基づいて、浸水領域特定手段が浸水領域を特定する手段である。田植時期推定手段は、観測時期と観測値からなる2軸の座標系に観測時期と観測値からなる観測座標を散布するとともに、散布された観測座標に基づいて成長曲線を設定し、この成長曲線があらかじめ定めた観測閾値を示すときの観測時期を田植時期として推定する。また生育状況推定手段は、推定した田植時期からあらかじめ設定された生育期間が経過した境界時期より前の期間を第1段階として設定するとともに、この境界時期より後の期間を第2段階として設定する。そして暫定浸水領域のうち水稲圃場領域を除く領域は、浸水領域特定手段によって浸水領域であると特定され、第2段階に分類された水稲圃場領域も浸水領域であると特定される。
【0011】
本願発明の浸水状況推定システムは、浸水領域補完手段をさらに備えたものとすることができる。この場合、浸水領域補完手段は、暫定浸水領域のうち生育状況推定手段によって第1段階に分類された水稲圃場領域に対して、この水稲圃場領域に隣接する領域が浸水領域であるときに浸水領域であると推定する。
【0012】
本願発明の浸水状況推定システムは、浸水領域補完手段が、第1段階に係る水稲圃場領域に隣接する領域が浸水領域であり、かつこの水稲圃場領域よりも地盤高が高いとき、この水稲圃場領域を浸水領域であると推定する。
【発明の効果】
【0013】
本願発明の浸水状況推定システムによれば、次のような効果がある。
(1)合成開口レーダによる観測値によって田植時期の推定と生育状況に応じた分類を行い、その結果を利用して水稲圃場領域の浸水状況を推定することができるので、短時間で、かつ高精度に浸水状況を推定することができる。
(2)合成開口レーダを用いることから、安定して(定期的に)観測値を取得することができる。
(3)豪雨等の後、速やかに浸水状況を把握することができ、その結果、概ねの被害状況を把握することができ、迅速かつ適切な対策を実施することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【
図1】本願発明の浸水状況推定システムの主な構成を示すブロック図。
【
図2】(a)は圃場ポリゴンに航空写真を重ね合わせた画像図、(b)は圃場ポリゴンによる区画を示した画像図。
【
図3】(a)は地盤による電磁波の散乱を示すモデル図、(b)は水面による電磁波の散乱を示すモデル図、(c)は田植え後の電磁波の散乱を示すモデル図、(d)は水稲圃場の浸水時における電磁波の散乱を示すモデル図。
【
図4】水稲圃場領域における経過日数と後方散乱係数の関係を示すグラフ図。
【
図5】水稲圃場領域と非水稲圃場領域における後方散乱係数を示すグラフ図。
【
図6】浸水状況推定システムの主な処理の流れを示すフロー図。
【
図7】浸水状況推定システムにより推定した浸水状況を示す画像図。
【発明を実施するための形態】
【0015】
1.全体概要
本願発明は、合成開口レーダ(以下、「SAR」という。)による観測値の1つである後方散乱係数を用いて、水稲圃場である領域(以下、「水稲圃場領域」という。)を含む観測対象領域の浸水状況を推定するシステムである。なお、SARの観測によって得られる後方散乱係数を含む観測値を、ここでは「SAR観測値」ということとする。
【0016】
2.浸水状況推定システム
次に、本願発明の浸水状況推定システムの実施形態の一例について詳しく説明する。
図1は、本願発明の浸水状況推定システム100の主な構成を示すブロック図である。この図に示すように浸水状況推定システム100は、田植時期推定手段101と生育状況推定手段102、暫定領域抽出手段103、浸水領域特定手段104を含んで構成され、さらに浸水領域補完手段105、圃場ポリゴン記憶手段111、豪雨前データ記憶手段112を含んで構成することもできる。
【0017】
浸水状況推定システム100を構成する田植時期推定手段101と生育状況推定手段102、暫定領域抽出手段103、浸水領域特定手段104、浸水領域補完手段105は、専用のものとして製造することもできるし、汎用的なコンピュータ装置を利用することもできる。すなわち、所定のプログラムによってコンピュータ装置に演算処理を実行させることで、それぞれの手段特有の処理を行うわけである。このコンピュータ装置は、パーソナルコンピュータ(PC)や、iPad(登録商標)といったタブレット型PC、スマートフォンを含む携帯端末などによって構成することができる。コンピュータ装置は、CPU等のプロセッサ、ROMやRAM といったメモリを具備しており、さらにマウスやキーボード等の入力手段やディスプレイを含むものもある。また圃場ポリゴン記憶手段111や豪雨前データ記憶手段112は、汎用的コンピュータ(例えば、パーソナルコンピュータ)の記憶装置を利用することもできるし、データベースサーバに構築することもできる。データベースサーバに構築する場合、ローカルなネットワーク(LAN:Local Area Network)に置くこともできるし、インターネット経由(つまり無線通信)で保存するクラウドサーバとすることもできる。
【0018】
浸水状況推定システム100は、豪雨等が生じた後に浸水状況を推定する処理(
図6)を実行するにあたり、圃場ポリゴン記憶手段111と豪雨前データ記憶手段112に必要なデータを取得して記録し、また田植時期推定手段101と生育状況推定手段102によって浸水状況の推定に必要なデータをあらかじめ準備するとよい。これらデータの準備は、必ずしも豪雨等が生じる前に実施する必要はなく(もちろん実施してもよい)豪雨等が生じた後において公開されているSAR観測値や圃場ポリゴンのデータを取得して準備してもよい。
【0019】
(圃場ポリゴン記憶手段と豪雨前データ記憶手段)
圃場ポリゴン記憶手段111には、圃場を示すポリゴン(以下、単に「圃場ポリゴン」という。)のデータとして農地の位置、形状、大きさに関するデータを記録する。圃場ポリゴンのデータとしては、例えば、農林水産省が筆ポリゴンとして公開しているデータを利用することができる。
【0020】
図2(a)は圃場ポリゴンに航空写真を重ね合わせた画像図であり、
図2(b)は圃場ポリゴンによる区画を示した画像図である。圃場ポリゴンのデータは閉じた領域の線画像として記録され、この線画像形から農地の形状や位置、大きさなどが特定できる。圃場ポリゴンには、少なくとも水田に相当する水稲圃場領域が含まれており、畑や果樹園などの領域(以下、「非水稲圃場領域」という、)が含まれることもある。圃場ポリゴンに対して水稲圃場領域や非水稲圃場領域といった属性情報を付与するにあたっては、あらかじめ取得した属性情報を利用することもできるし、あるいは事前に作業者の目視判断によって付与することもできる。あるいは、SAR観測値を利用して水稲圃場領域や非水稲圃場領域を自動付与することもできる。なお、SAR観測値を利用して水稲圃場領域や非水稲圃場領域を自動付与する手順については後述する。
【0021】
豪雨前データ記憶手段112には、複数の時期で取得されるSAR観測値が記録される。衛星に搭載されたSARによる計測は定期的に行われるので、SAR観測値は一定周期で取得することができる。例えば、波長の長さが4~8GHzのCバンドでの観測は12日周期で行われ、2基の衛星データを用いれば半分の6日周期での計測値を取得できる。なお、波長の長さが異なるXバンドやLバンドの衛星の計測値を利用することもでき、航空機に搭載されたSARの観測値を利用してもよい。なお、異なる波長のSAR観測値を併用する場合、いずれかの波長を基準とする補正を行ったうえで併用するとよい。
【0022】
(水稲圃場における後方散乱係数)
浸水状況推定システム100は、例えばSAR観測値の1つである後方散乱波の散乱強度を利用して、浸水した領域(以下、単に「浸水領域」という。)や浸水していない領域(以下、単に「非浸水領域」という。)を推定することを一つの特徴としている。地表に向けて照射される電磁波は地盤や水面で散乱し、散乱後に照射方向側に戻る電磁波が「後方散乱波」である。後方散乱波の散乱強度は「後方散乱係数」で表され、後方散乱係数は発信時の電磁波の強度(振幅)と後方散乱波の散乱強度(振幅)との比を常用対数で表した値(単位はdB)である。
【0023】
図3(a)は地盤による電磁波の散乱を示すモデル図である。地表に向けて照射された電磁波は、地盤の起伏により散乱されて多くの方向へ分散するように進行し、電磁波の一部が照射方向側に戻る。地盤が平滑であるか起伏があるかの違いにより照射方向側へ戻る電磁波の強度は変化し、その強度変化に応じて後方散乱係数の値が変化する。
図3(a)のように水稲圃場において地盤で電磁波が反射する状況としては、例えば水稲圃場へ水張りする前の乾燥時期が考えられる。
【0024】
図3(b)は水面による電磁波の散乱を示すモデル図である。水面では電磁波が反射しやすいため照射方向側に戻る後方散乱波は少なく、故に後方散乱係数は小さな値をとなる。田植えをする前には水稲圃場に水張りが行われ、したがってこの田植え前の水張りされた期間(以下、単に「水張り期間」という。)では水稲圃場領域において後方散乱係数が一年の中で最小の値となる。
【0025】
図3(c)は田植え後の電磁波の散乱を示すモデル図である。田植えが行われると、水張りされた水面から苗の一部が突出した状態となるため、苗による反射の影響で後方散乱係数が田植え前の水張り期間中よりも高い値をとなる。また苗が育って次第に稲となり、水面から突出する量が多くなるに従って、後方散乱係数はさらに高い値となる。
【0026】
図3(d)は水稲圃場の浸水時における電磁波の散乱を示すモデル図である。稲が大きく生育した状況であっても、水害により水稲圃場が浸水して水嵩が増すと、水害前と比べて後方散乱係数は低くなる。
図3(d)に示すように稲の穂先が水面下に入り込む程に浸水すると、後方散乱係数は、
図3(b)に示す田植え前の水張り期間中に近い値になる。
【0027】
上述したようにSAR観測値によって後方散乱係数を取得することができ、もちろん圃場ポリゴンに対応する領域についても後方散乱係数を取得することができる。また、後方散乱係数は、メッシュモデルの空間分解能(ピクセルスペーシング)に対応した一定間隔で取得できる。空間分解能は例えば数メートルから十数メートル程度であり、このため、1つの水稲圃場で1回のSAR観測値から異なる観測値が取得されることもある。一方、田植え前の水張りから収穫が行われる迄の期間中は、1つの水稲圃場でほぼ同一時期に田植えを行い、ほぼ同一時期に収穫するなど、水稲圃場内でその状況に大きな差異がないことが考えられ、したがって概ね同等の観測値が取得されることが考えられる。
【0028】
このため、浸水状況推定システム100では、同じ圃場ポリゴンで異なるSAR観測値が取得されたときは、後方散乱係数の平均値(以下、「平均後方散乱係数」という。)を算出し、この平均値を水稲の生育状況を推定するための値として利用することもできる。なお、圃場ポリゴン内の全ての観測値を利用して平均値を算出することもできるし、全体の平均値から大きく外れた値(例えば2σ)を除いて平均値を算出することもできる。
【0029】
(田植時期推定手段)
田植時期推定手段101は、複数時期に観測されたSAR観測値に基づいて、水稲圃場領域における田植えを行った時期(以下、「田植時期」という。)を推定するものである。具体的には、田植時期推定手段101は、観測した時期(以下、単に「観測時期」という。)とSAR観測値(例えば、後方散乱係数)からなる2軸の座標系に、観測時期と観測値の組み合わせからなるいわば座標(以下、「観測座標」という。)を散布するとともに、散布された観測座標に基づいて成長曲線を設定し、この成長曲線があらかじめ定めた閾値(以下、「観測閾値」という。)を示すときの観測時期を田植時期として推定する。田植時期の推定には、各水稲圃場領域における平均後方散乱係数を観測値として利用することができる。
【0030】
図4は、水稲圃場領域における経過日数(つまり、観測時期)と後方散乱係数(つまり、SAR観測値)の関係を示すグラフ図である。この図に示すように、観測時期(年始からの経過日数)と後方散乱係数測値からなる観測座標は、2軸の座標系に散布することができる。そして、散布された複数の観測座標を用いて回帰式(近似式)を求め、これを成長曲線として設定する。成長曲線を設定するにあたっては、最小二乗法を用いて得られる2次式を成長曲線として設定することもできるし、もちろん3次以上の高次式を成長曲線として設定することもできる。また
図4では、「後方散乱係数」を目的変数、「経過日数」を説明変数とする2次式を示しているが、「後方散乱係数」を説明変数、「経過日数」を目的変数とする2次式(あるいは、高次式)を成長曲線として設定することもできる。田植時期は、回帰曲線の後方散乱係数の値があらかじめ定めた観測閾値(例えば-14dB)を超えたときとして推定できる。観測閾値は、現地で確認したデータ(現地結果)などに基づいて、田植時期を推定する対象となる地域(観測対象領域)ごとに適宜設定するとよい。なお、田植時期の推定には、田植時期の観測閾値以下のデータのうち最も遅いデータ(
図4の「6/5」のデータ)を採用することとし、それより前のデータ(「
図4の5/12」のデータ)は採用しない仕様とすることもできる。
【0031】
(生育状況推定手段)
生育状況推定手段102は、観測対象領域の中であらかじめ設定された水稲圃場領域に対して、生育状況に応じた第1段階と第2段階に分類するものである。水稲圃場領域の設定には、圃場ポリゴン記憶手段111に記憶される圃場ポリゴンのデータを利用する。
【0032】
第1段階は、田植時期推定手段101により推定される田植時期から「境界時期」までの期間であり、第2段階は、この境界時期より後の期間である。ここで境界時期とは、田植時期から所定の期間(以下、「生育期間」という。)が経過した時期である。なお生育期間は、あらかじめ設定される値であり、観測対象領域ごとに適宜設定するとよい。また、田植時期から後方散乱係数が次第に上昇する期間であって、後方散乱係数が最大(極大)値となるまでの期間を条件として、生育期間を設定することもできる。
図4の例では、生育期間を60日として設定しており、すなわち田植時期から60日が経過する日(境界時期)までの期間が第1段階とされ、それ以降の期間が第2段階とされる。これにより、第1段階は、後方散乱係数の値が水面で反射したと推定される期間であり、一方の第2段階は、第1段階より後方散乱係数が高い値を示す期間として分類することができる。
【0033】
ここで、豪雨等により観測対象地域が浸水しているが、観測対象地域の水稲圃場領域は浸水していない状況を考える。このとき、この水稲圃場領域が第1段階であれば水を張った状態であるため後方散乱係数(あるいは平均後方散乱係数)は水面で反射した値(あるいは近似する値)を示し、一方、水稲圃場領域が第2段階であれば後方散乱係数(あるいは平均後方散乱係数)は比較的大きな値を示すことが考えられる。また観測対象地域の水稲圃場領域が浸水している状況では、第1段階、第2段階ともにその後方散乱係数は水面で反射した値を示すこととなる。つまり、第2段階においては後方散乱係数の値に応じてそのまま浸水領域か非浸水領域を判断することができるものの、第1段階においては後方散乱係数の値に応じて判断することができない。換言すれば、その水稲圃場領域が第1段階にあるのか、第2段階にあるのか把握することによって、少なくとも第2段階においては後方散乱係数の値に応じて浸水領域か非浸水領域を判断することができるわけである。この特性を利用することによって、水稲圃場領域が浸水していないにも関わらず浸水領域とする誤推定を抑制することができ、すなわち高い精度で浸水状況を推定することができる。なお、浸水状況推定の処理の流れは、
図6を参照して後述する。
【0034】
(後方散乱係数を用いた水稲圃場領域の推定)
既述したとおり、SAR観測値を利用することによって水稲圃場領域や非水稲圃場領域を自動的に判別することもできる。以下、その手順について説明する。水稲圃場領域における後方散乱係数は、
図4に示すように田植時期付近では比較的小さい値を示し、田植時期から期間が経過するに従って後方散乱係数は比較的大きい値を示す。一方、非水稲圃場では、浸水した状況を除けば圃場の全体が水面となる状況は想定し難く、すなわち後方散乱係数は水面で反射した状態に近い値を示すことは考え難く、年間を通して一定以上の値を示すものと考えられる。このため、圃場ポリゴン内での後方散乱係数の差分を算出することで、各圃場ポリゴンにより特定される圃場が水稲圃場領域であるか非水稲圃場領域であるかを推定することもできる。
【0035】
図5は、水稲圃場領域と非水稲圃場領域における後方散乱係数を示すグラフ図である。
図5には、水稲圃場と非水稲圃場を現地確認した結果と、後方散乱係数の差分との関係をヒストグラムで示している。後方散乱係数の差分としては、
図4に示す5月12日と6月5日のいずれか低い値と、7月23日の値との差分を利用した。水稲圃場においては、水面で反射した状態と地盤で反射した状態を比較するため、その後方散乱係数の差分は比較的大きな値を示す。一方、非水稲圃場であれば、年間を通して水面で反射する状況は考えにくく、そのため後方散乱係数の差分は小さくなると考えられる。この特性を利用し、すなわちクラス間分散による解析を行って差分の閾値を求めることで、水稲圃場と非水稲圃場を分類することができる。解析の結果、差分の閾値として例えば6.3dBとすることができることを確認している。なお、差分の閾値は、地域毎に異なる可能性があるので、地域毎に現地確認をして設定することが好ましい。
【0036】
(浸水状況推定処理)
次に、浸水状況推定システム100による処理の流れを説明する。
図6は、本願発明の浸水状況推定システム100の主な処理の流れを示すフロー図であり、中央の列に実施する処理を示し、左列にはその処理に必要な入力情報を、右列にはその処理から生まれる出力情報を示している。
【0037】
図6に示す処理は、豪雨等が生じた後に浸水状況を推定するために実行される処理である。浸水状況を推定するには、豪雨等が生じた後のSAR観測値が必要となる。このため、まずは観測対象領域のSAR観測値を取得し、圃場ポリゴン内に異なる後方散乱係数があれば平均後方散乱係数を算出する(Step301)。
【0038】
平均後方散乱係数を算出すると、暫定領域抽出手段103(
図1)が暫定浸水領域を抽出する(Step302)。具体的には、観測対象領域の中で、後方散乱係数の値が水面で反射したと推定される値(例えば、所定の閾値を下回る値)を示す領域を、暫定浸水領域として抽出する。
【0039】
暫定浸水領域を抽出すると、浸水領域特定手段104(
図1)が暫定浸水領域のうち水稲圃場領域を除く領域を浸水領域と特定する(Step303)。水稲圃場領域は、圃場ポリゴン記憶手段111(
図1)に記憶される圃場ポリゴンのデータに基づいて特定することができ、その範囲を除いた暫定浸水領域を浸水領域と特定する。このときの水稲圃場領域と非水稲圃場領域との分類には、
図5に示す後方散乱係数に基づいたSAR観測値からの推定結果を用いてもよいし、現地確認の結果を用いてもよい。
【0040】
暫定浸水領域の中で水稲圃場領域以外を浸水領域とすると、浸水領域特定手段104(
図1)が暫定浸水領域とされた水稲圃場領域に対してその状況を推定する(Step304)。具体的には、暫定浸水領域とされた水稲圃場領域が第2段階であるときは、その水稲圃場領域を浸水領域として特定し、その水稲圃場領域が第1段階であるときは、その水稲圃場領域はひとまず「状況不明」として判定する。既述したとおり、水稲圃場領域の第1段階と第2段階の分類は、田植時期から一定期間(例えば、60日)が経過したことを条件として、圃場ポリゴン毎に判定することができる。生育状況推定手段102を用いた第1段階と第2段階の分類は、あらかじめ豪雨等が生じる前に実施してもよいし、豪雨等が生じた後に実施してもよい。
【0041】
第2段階に分類された水稲圃場領域を浸水領域とすると、浸水領域補完手段105(
図1)が、暫定浸水領域のうち第1段階に分類された(つまり、状況不明とされた)水稲圃場領域について浸水領域であるか否か推定する(Step305)。例えば、推定の対象とする水稲圃場領域、つまり状況不明とされた水稲圃場領域(以下、「不明水稲圃場領域」という。)に隣接する領域(以下、単に「隣接領域」という。)を参照することによって、浸水領域を推定することができる。具体的には、隣接領域が浸水領域である判定されているときは、不明水稲圃場領域も浸水領域として推定し、隣接領域が非浸水領域である判定されているときは、不明水稲圃場領域も非浸水領域として推定するわけである。このとき、あらかじめ設定されたメッシュごとに浸水領域と非浸水領域を判定することとし、隣接するメッシュのうち所定数以上のメッシュが浸水領域であると判定されているときに不明水稲圃場領域も浸水領域として推定する仕様とすることもできる。さらに、隣接領域が浸水領域であり、かつ隣接領域の地盤高が不明水稲圃場領域の地盤高より高いときに、その不明水稲圃場領域が浸水領域であると推定することもできる。浸水領域補完手段105により、最終的に不明水稲圃場領域として残る領域を低減することができ、浸水領域を広く推定することによっていわゆる安全側の評価を行うことができる。
【0042】
図7は、浸水状況推定システム100により推定した浸水状況を示す画像図である。浸水領域と不明水稲圃場領域は別の色で分類し、浸水していない領域は航空写真にして表示した例を示している。水稲圃場領域の圃場ポリゴンが多い地域であっても、水面として判定される領域の中から浸水状況の可能性が高い浸水領域を特定でき、高精度に浸水状況を推定することができる。
【0043】
このように、本願発明の浸水状況推定システム100によれば、SAR観測値によって田植時期の推定と生育状況に応じた分類を行い、その結果を利用して水稲圃場領域の浸水状況を推定することができる。よって、短時間で、かつ高精度に浸水状況を推定することができる。また、SARデータ観測値は、安定して定期的に取得することができるため、豪雨等の後でも速やかに浸水状況を把握することができ、この点においても迅速かつ適切な対策を実施することができる。
【産業上の利用可能性】
【0044】
本願発明の浸水状況推定システムは、大雨による浸水状況のほか、津波による浸水状況や、堤防の決壊による浸水状況などにも利用することができる。本願発明によれば、速やかに浸水状況の状況を把握することができ、すなわち迅速かつ適切な対策が可能となることを考えれば、本願発明は産業上利用できるうえに社会的にも貢献が期待できる発明といえる。
【符号の説明】
【0045】
100 :本願発明の浸水状況推定システム
101 :(浸水状況推定システムの)田植時期推定手段
102 :(浸水状況推定システムの)生育状況推定手段
103 :(浸水状況推定システムの)暫定領域抽出手段
104 :(浸水状況推定システムの)浸水領域特定手段
105 :(浸水状況推定システムの)浸水領域補完手段
111 :(浸水状況推定システムの)圃場ポリゴン記憶手段
112 :(浸水状況推定システムの)豪雨前データ記憶手段