(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024141803
(43)【公開日】2024-10-10
(54)【発明の名称】聴覚器官のための測定装置
(51)【国際特許分類】
A61B 5/12 20060101AFI20241003BHJP
【FI】
A61B5/12
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023053643
(22)【出願日】2023-03-29
(71)【出願人】
【識別番号】504160781
【氏名又は名称】国立大学法人金沢大学
(74)【代理人】
【識別番号】110002354
【氏名又は名称】弁理士法人平和国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】鳥谷 輝樹
(72)【発明者】
【氏名】村越 道生
【テーマコード(参考)】
4C038
【Fターム(参考)】
4C038AA01
4C038AB01
4C038AB07
(57)【要約】
【課題】聴覚器官のための優れた測定装置を提供する。
【解決手段】聴覚器官のための測定装置1は、被験者200の外耳道210内に向けて、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音を出力するように構成された刺激音出力部91と、前記刺激音を出力しているときの外耳道210内の圧力変動を示す音圧信号を取得するように構成された受音部92と、前期音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、被験者200の聴覚器官の周波数特性を解析するように構成された解析装置93とを備える。
【選択図】
図2
【特許請求の範囲】
【請求項1】
被験者の外耳道内に向けて、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音を出力するように構成された刺激音出力部と、
前記刺激音を出力しているときの前記外耳道内の圧力変動を示す音圧信号を取得するように構成された受音部と、
前記音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、前記被験者の聴覚器官の周波数特性を解析するように構成された解析装置と
を備える聴覚器官のための測定装置。
【請求項2】
前記刺激音は、swept-sine信号である、請求項1に記載の測定装置。
【請求項3】
前記刺激音は、対数スイープが適用されたswept-sine信号であり、
前記時間反転関数は、対数スイープに応じた振幅の補正が適用された関数である、
請求項2に記載の測定装置。
【請求項4】
前記刺激音の音圧は、90 dB SPL未満であり、
前記刺激音の持続時間は、3秒未満である、
請求項1乃至3の何れかに記載の測定装置。
【請求項5】
前記解析装置は、前記被験者の聴覚器官の周波数特性として、周波数に対する前記外耳道内の音圧レベルを示す関数を導出し、当該関数の特徴値を特定し、当該特徴値に基づいて前記被験者の聴覚器官の特性を評価するように構成されている、請求項1乃至3の何れかに記載の測定装置。
【請求項6】
前記解析装置は、前記被験者の聴覚器官の特性として、前記被験者の中耳の伝音特性を評価するように構成されている、請求項5に記載の測定装置。
【請求項7】
少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音の信号を、前記刺激音を被験者の外耳道内に向けて出力するために、出力するように構成された信号出力部と、
前記刺激音を出力しているときの前記外耳道内の圧力変動を示す信号として取得された音圧信号を受け取るように構成された信号取得部と、
前記音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、前記被験者の聴覚器官の周波数特性を解析するように構成された解析装置と
を備える聴覚器官のための測定装置。
【請求項8】
被験者の外耳道内に向けて、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音を出力することと、
前記刺激音を出力しているときの前記外耳道内の圧力変動を示す音圧信号を取得することと、
前記音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、前記被験者の聴覚器官の周波数特性を解析することと
を含む聴覚器官の特性の測定方法。
【請求項9】
刺激音出力部に、被験者の外耳道内に向けて、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音を出力させることと、
受音部に、前記刺激音を出力しているときの前記外耳道内の圧力変動を示す音圧信号を取得させることと、
解析装置に、前記音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、前記被験者の聴覚器官の周波数特性を解析することと
を実行させる、聴覚器官の特性の測定のためのプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、聴覚器官のための測定装置等に関し、特に中耳の特性を含む聴覚器官の周波数特性の非侵襲的な測定のための装置等に関する。
【背景技術】
【0002】
聴覚器官の測定のための装置が種々知られている。例えば特許文献1には、次のようなシステムについて開示されている。すなわち、このシステムは、音源と音響エネルギー検出器とを有するプローブと、既知の音響伝達特性を有する音響較正導波管と、信号処理装置とを備える。まず、音響較正導波管にプローブが配置された状態で、音源から音響較正導波管の閉端まで進行するのに要する時間より短い持続時間を有する音響刺激を出力し、閉端から反射した音を音響エネルギー検出器で検出して、音源と音響エネルギー検出器との測定系伝達特性を決定する。続いて、外耳道にプローブが配置された状態で、音響刺激を出力し、そのときの音を音響エネルギー検出器で検出し、測定系伝達特性に基づいて中耳等の伝達特性を決定する。
【0003】
上記システムに限らず、様々な原理に基づく種々の聴覚器官のための測定装置が知られている。短時間で簡便に精度よく聴覚器官の特性を取得できる測定装置が、なお求められている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、聴覚器官のための優れた測定装置等を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の一態様によれば、聴覚器官のための測定装置は、被験者の外耳道内に向けて、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む刺激音を出力するように構成された刺激音出力部と、前記刺激音を出力しているときの前記外耳道内の圧力変動を示す音圧信号を取得するように構成された受音部と、前記音圧信号と前記刺激音に係る時間反転関数との畳み込み演算を行い、得られた関数に対してフーリエ変換を行うことで、前記被験者の聴覚器官の周波数特性を解析するように構成された解析装置とを備える。
【発明の効果】
【0007】
本発明によれば、聴覚器官のための優れた測定装置等を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
【
図1】
図1は、一実施形態に係る測定装置の構成例の概略を示す模式図である。
【
図2】
図2は、一実施形態に係る測定装置の構成例の概略を示す機能ブロック図である。
【
図3A】
図3Aは、外耳道内の音圧について説明するための図である。
【
図3B】
図3Bは、外耳道内の音圧について説明するための図である。
【
図4】
図4は、成人を被験者として、周波数掃引音を刺激音としたときに、マイクロホンを用いて取得される音圧レベルの周波数特性の測定結果の一例である。
【
図5】
図5は、一実施形態に係る測定装置による聴覚器官の測定の原理について説明するための図である。
【
図6】
図6は、入力信号及び時間反転関数の別の一例である。
【
図7】
図7は、一実施形態に係る測定装置のコンピュータの動作の一例の概略を示すフローチャートである。
【
図8】
図8は、一実施形態に係る測定装置による外耳道モデルを対象とした測定結果の一例を示す図である。
【
図9】
図9は、一実施形態に係る測定装置による外耳道モデルを対象とした測定結果の一例であり、定常性のノイズを発生させながら測定した結果を示す図である。
【
図10】
図10は、一実施形態に係る測定装置による外耳道モデルを対象とした測定結果の一例であり、間欠性のノイズを発生させながら測定した結果を示す図である。
【
図11】
図11は、一実施形態に係る測定装置による正常聴覚を有する成人を対象とした測定結果の一例を示す図である。
【
図12】
図12は、一実施形態に係る測定装置による外傷性離断に係る中耳疾患の患者を対象とした測定結果の一例を示す図である。
【
図13】
図13は、一実施形態に係る測定装置による正常聴覚を有する幼児を対象とした測定結果の一例を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0009】
一実施形態について図面を参照して説明する。本実施形態は、聴覚器官の特性を測定するための装置に関する。本測定装置は、非侵襲的に測定を行うことができる。本測定装置は、被験者の外耳道内に向けて刺激音を出力し、そのときの外耳道内の圧力変動を取得する。本測定装置は、この圧力変動を解析することで、被験者の聴覚器官の特性を解析するように構成されている。本測定装置は、特に、中耳のインピーダンスに係る情報を取得できる。得られた情報に基づけば、中耳の伝音特性に関する評価が可能であり、伝音難聴の診断が可能である。
【0010】
[装置構成]
図1は、本実施形態に係る測定装置1の構成例の概略を示す模式図である。
図2は、本実施形態に係る測定装置1の構成例の概略を示す機能ブロック図である。
図1に示すように、測定装置1は、コンピュータ10と、AD/DAコンバータ60と、アンプシステム70と、プローブ80とを備える。
【0011】
プローブ80は、その先端が、被験者200の外耳道210に挿入されるように構成されている。プローブ80は、外耳道210に向けて刺激音を出力するためのイヤホン82と、外耳道210内の圧力変動を取得するためのマイクロホン84とを備える。
【0012】
コンピュータ10は、一般的なコンピュータであり、例えばパーソナルコンピュータ等である。コンピュータ10は、例えば、Central Processing Unit(CPU)11、メモリ12、ストレージ13などといった各種の集積回路、各種のインターフェース14などを備える。コンピュータ10は、測定装置1の処理に応じて用意されたField Programmable Gate Array(FPGA)等をさらに備えていてもよい。コンピュータ10は、測定装置1の各部の動作の制御、刺激音に係る信号の生成、外耳道内の圧力変動の解析などの処理を行う。コンピュータ10の動作は、コンピュータ10内にソフトウェア的に又はハードウェア的に記録されたりコンピュータ10の外部から提供されたりするプログラムに従って行われる。
【0013】
AD/DAコンバータ60は、DAコンバータ62とADコンバータ64とを有する。アンプシステム70は、イヤホンアンプ72とマイクロホンアンプ74とを有する。AD/DAコンバータ60のDAコンバータ62は、コンピュータ10から出力された刺激音に係るデジタル信号をアナログ信号に変換し、アンプシステム70のイヤホンアンプ72へと出力する。イヤホンアンプ72は、DAコンバータ62から入力された刺激音に係るアナログ信号を増幅し、プローブ80のイヤホン82から刺激音を出力させる。アンプシステム70のマイクロホンアンプ74は、プローブ80のマイクロホン84で取得した外耳道210内の圧力変動に係るアナログ信号を増幅し、AD/DAコンバータ60のADコンバータ64へと出力する。ADコンバータ64は、マイクロホンアンプ74から取得したアナログ信号をデジタル信号に変換し、コンピュータ10に入力する。
【0014】
コンピュータ10は、制御部22、入力信号生成部32、反転関数生成部34、信号出力部52、信号取得部54、解析装置93等としての機能を有する。制御部22は、コンピュータ10の各動作を制御する。
【0015】
入力信号生成部32は、出力する刺激音に関する信号を生成する。生成された刺激音に関する信号は、信号出力部52を介してDAコンバータ62へと出力される。本実施形態では、刺激音には、測定対象周波数帯域の各周波数成分が含まれるように構成されている。例えば、測定対象周波数帯域は100 Hzから2000 Hzまでであり、刺激音は50 Hzから3000 Hzまでの周波数成分を含み得る。
【0016】
反転関数生成部34は、後述するように、入力信号生成部32で生成する入力信号の時間反転関数を生成する。この時間反転関数は、解析装置93による解析に用いられる。
【0017】
解析装置93は、信号取得部54を介してADコンバータ64からマイクロホン84で取得した外耳道内の圧力変動に係る信号を取得する。解析装置93は、取得した信号を解析する。解析には、上述の時間反転関数を用いる。解析装置93は、取得した外耳道210内の圧力変動に基づいて、被験者200の中耳といった聴覚器官の周波数特性を解析する。
【0018】
以上のように、信号出力部52、DAコンバータ62、イヤホンアンプ72、イヤホン82などは、全体として、被験者200の外耳道210内に向けて刺激音を出力するように構成された刺激音出力部91として機能する。また、信号取得部54、ADコンバータ64、マイクロホンアンプ74、マイクロホン84などは、全体として、刺激音出力部91が刺激音を出力しているときの外耳道210内の圧力変動を示す音圧信号を取得するように構成された受音部92として機能する。
【0019】
ここで示した測定装置1の構成は一例であり、同様の機能を発揮すれば適宜に変更され得る。ここでは、コンピュータ10が測定装置1の動作に関する各種制御及びデータの解析の全てを行う例を示したが、これに限らない。コンピュータ10の機能は、何台の装置によって実現されてもよい。また、コンピュータ10の機能の一部が、ネットワークを介してコンピュータ10に接続された遠隔地に配置された他の装置によって担われてもよい。例えば遠隔地から測定装置1の各部の動作が制御されてもよいし、取得されたデータの解析が遠隔地に配置されたサーバで行われてもよい。物理的な構成は種々あり得るが、測定装置1は、刺激音出力部91、受音部92及び解析装置93等の機能を発揮する。
【0020】
[測定原理]
測定装置1による聴覚器官の特性の測定及びその解析の原理について説明する。
図1に示すように、ヒトの聴覚器官において、外耳道210の端にある鼓膜222と、内耳の蝸牛232とは、ツチ骨225、キヌタ骨226及びアブミ骨227を含む耳小骨224を介して接続されている。中耳は、鼓膜222、耳小骨224、耳小骨224が位置する空気で満たされた小さな空間である鼓室などからなる。病変等による中耳疾患は、伝音難聴の原因となり得る。
【0021】
外耳道210内の音圧について説明する。測定時において、外耳道210の一端では、イヤホン82の振動膜83が振動し、外耳道210の他端では、鼓膜222が振動する。
図3A及び
図3Bは、この様子を模式的に示す図である。
【0022】
イヤホン82から出力される刺激音の周波数が中耳の共振周波数よりも低いとき、
図3Aに模式的に示されるように、イヤホン82の振動膜83と鼓膜222とは同位相で変位する。このため、外耳道210内の圧力Pは、
P=K(ΔV-ΔV
TM)/V
で表される。ここで、Kは、空気の体積弾性率、ΔVはイヤホン82の振動膜83による体積変化、ΔV
TMは鼓膜222による体積変化、Vは、外耳道210の体積である。このとき、鼓膜222が振動するほど体積変化は小さくなり、音圧は小さくなる。
【0023】
イヤホン82から出力される刺激音の周波数が中耳の共振周波数に達したとき、
図3Bに模式的に示されるように、鼓膜222の位相が反転する。このため、外耳道210内の圧力Pは、
P=K(ΔV+ΔV
TM)/V
で表される。このとき、鼓膜222が振動するほど体積変化は大きくなり、音圧は大きくなる。
【0024】
図4は、成人を被験者200として、測定装置1と同様のハードウェア構成を有する装置を用いた測定結果の一例を示す図である。
図4に結果を示す測定は、本実施形態に係る方法とは異なり、従来から知られている方法を用いて行った。すなわち、イヤホン82から10秒かけて周波数が100 Hzから2000 Hzまで変化する周波数掃引音を出力して測定を行った。この周波数掃引音を出力したときに、マイクロホン84を用いて外耳道210内の音圧を測定した。
図4の実線は、マイクロホン84を用いて取得された音圧レベル(sound pressure level: SPL)を、刺激音の周波数に対して示す。ここで、SPLは、
SPL = 20 log | P / P
REF |
であり、Pはマイクロホン84で測定される音圧であり、P
REFは基準音圧であって2.0×10
-5 Paである。
図4に実線で示される曲線をSPLカーブと称することにする。
図4において、破線は、このときの鼓膜222による体積変化を刺激音の周波数に対して示す。
【0025】
SPLカーブに認められるSPLの大きな変化は中耳の共振を示すことが知られている。
図4中には、SPLカーブの極小値を示す周波数と極大値を示す周波数との中間値が、中耳の共振周波数(RF)として一点鎖線矢印で示されている。また、SPLカーブの極小値と極大値との差であるΔSPLは、鼓膜222の可動性を示すことが知られている。
【0026】
共振周波数(RF)及びΔSPLは、被験者200の中耳の特性を示すことが知られている。したがって、共振周波数(RF)及びΔSPLを評価することで、中耳が正常であるか、あるいは病変等による中耳疾患があるかなどの情報が得られることが知られている。例えば、耳小骨が固着して動きにくくなっているとき、正常耳と比較して、ΔSPLは小さくなり、RFはやや高くなることが知られている。また、例えば、耳小骨が離断して内耳に音を伝達できないとき、正常耳と比較して、ΔSPLは大きくなり、RFはやや低くなることが知られている。このように、SPLカーブからRF及びΔSPLといった特徴値を特定し、これら特徴値に基づいて聴覚器官の特性が特定され得る。例えば、被験者200の中耳の伝音特性が評価され、これは診断等に用いられ得る。
【0027】
上述のような周波数掃引音を刺激音として用いた従来方法の測定の有効性は確認されている。しかしながら、刺激音に周波数掃引音を用いると、上述の場合では測定に10秒かかるといったように、測定に比較的長い時間を要する。被験者200にとっても、測定時間は短い方がよい。また、この測定方法は、ノイズ等による測定への悪影響を受けやすい。
【0028】
そこで、本実施形態の測定装置1では、上述の従来の方法とは異なり、以下のようにしてSPLカーブを求めるための測定を行う。
図5は、本実施形態に係る測定の原理について説明するための模式図である。本実施形態では、入力信号x(t)として自己相関関数がデルタ関数になるような信号を用いる。このような信号の一例としては、白色雑音などがある。測定装置1に実装するには、入力信号x(t)として、例えばM系列信号、swept-sine信号(時間伸長パルス信号;time stretched pulse信号)などが用いられ得る。このように、各周波数成分が一様な振幅をもって時間的に伸長された各種信号が用いられ得る。この入力信号x(t)は、少なくとも測定対象周波数帯域の各周波数成分を含む。各周波数成分の振幅は、必ずしも一定でなくてもよく、既知であれば後述する解析でその変動を補正することができる。
図5の左上には、入力信号x(t)としてのswept-sine信号が模式的に図示されている。
図5の左上に示された入力信号x(t)は、周波数が低周波数から高周波数に向けて線形にスイープするswept-sine信号である。
【0029】
このような入力信号x(t)の持続時間は、例えば3秒未満、例えば2秒にできる。また、このような入力信号x(t)の持続時間は、さらに短くすることができ、例えば1秒、0.2秒又は0.1秒程度にすることもできる。
【0030】
測定装置1は、このような入力信号x(t)を用いた刺激音を、上述のように被験者200の外耳道210内に入力し、そのときの観測対象である中耳系の応答をマイクロホン84を用いて観測信号y(t)として取得する。
【0031】
解析装置93では、次の演算が行われる。すなわち、入力信号生成部32では、入力信号x(t)の時間軸の前後を入れ換えた時間反転関数xinv(t)が生成される。解析装置93は、上述の観測信号y(t)と時間反転関数xinv(t)との畳み込み演算を行う。この畳み込みで得られる関数h(t)は、理想的な条件で行えば原理的には、観測対象である中耳系のインパルス応答である。解析装置93は、畳み込みで得られた関数h(t)をフーリエ変換し、中耳系の周波数応答、すなわち、上述のSPLカーブを得る。
【0032】
解析装置93は、得られたSPLカーブに基づいて、例えば、上述の共振周波数(RF)及びΔSPLといった特徴を特定する。さらに、解析装置93は、これら特徴に基づいて、被験者200の聴覚器官の特性を解析する。
【0033】
このように、解析装置93は、畳み込み演算部41、フーリエ変換部42、特徴特定部43、聴覚器官特性解析部44等として機能する。
【0034】
図6は、入力信号x(t)及び時間反転関数x
inv(t)の別の例である。
図5に図示した入力信号x(t)としてのswept-sine信号は、周波数が時間に対して線形にスイープするものであった。これに対して、
図6に示す入力信号x(t)は、周波数が時間に対して対数スイープする例である。対数スイープとすることで、比較的ノイズの影響を受けやすい低周波数の刺激音を入力している時間を比較的長くすることができる。これにより、S/N比が向上することが期待される。この場合、観測信号y(t)と畳み込む時間反転関数x
inv(t)は、入力信号x(t)の時間軸の前後を入れ換えた関数であり、さらに、
図6に示すように、対数スイープに応じた振幅の補正が適用された関数であり、周波数に応じて低周波数ほど振幅が小さい関数である。このような対数スイープが適用されたswept-sine信号を入力信号x(t)として用いることは、一つの好ましい態様である。後述する測定例では、このような対数スイープが適用されたswept-sine信号を入力信号x(t)として用いた。このように、入力信号x(t)の周波数スイープや振幅の特性に応じて、時間反転関数x
inv(t)は適切に調整され得る。
【0035】
入力信号x(t)には、その他、測定対象とする周波数帯域の各周波数成分を含み、振幅が一定又は既知の信号が用いられ得る。解析で用いられる時間反転関数xinv(t)は、入力信号x(t)に応じた、時間軸の前後を入れ換え、振幅が一定又は調整された信号となる。
【0036】
[装置の動作]
測定装置1の動作について説明する。測定時において、プローブ80は、被験者200の外耳道210に挿入されている。
図7は、コンピュータ10の動作の一例の概略を示すフローチャートである。このフローチャートを参照して説明する。
【0037】
ステップS1において、コンピュータ10は、入力信号x(t)を作成する。ステップS2において、コンピュータ10は、作成した入力信号x(t)をDAコンバータ62へと出力する。DAコンバータ62及びイヤホンアンプ72を介してこの入力信号x(t)に基づいて、イヤホン82から被験者200の外耳道210に向けて刺激音が出力される。
【0038】
このときの外耳道210内の音圧を示す信号が、マイクロホン84で生じる。マイクロホン84で生じた信号は、マイクロホンアンプ74及びADコンバータ64を介して、コンピュータ10に入力される。ステップS3において、コンピュータ10は、マイクロホン84からの音圧信号を取得する。
【0039】
ステップS4において、コンピュータ10は、入力信号x(t)に応じた時間反転関数xinv(t)を作成する。ステップS5において、コンピュータ10は、マイクロホン84を用いて取得した音圧信号と時間反転関数xinv(t)との畳み込み演算を行い、インパルス応答に相当する関数を取得する。ステップS6において、コンピュータ10は、取得した関数をフーリエ変換し、SPLカーブを取得する。
【0040】
ステップS7において、コンピュータ10は、SPLカーブに基づいて、被験者200の聴覚器官の特性を解析する。例えば、コンピュータ10は、SPLカーブに基づいて、中耳の共振周波数及び/又は鼓膜222の可動性を示すΔSPLの値を特定する。コンピュータ10は、特定された特徴値に基づいて、被験者200の聴覚器官が正常であるか、あるいは、中耳疾患があるか、中耳疾患があるならばそれはどのような疾患かなどを解析し得る。
【0041】
なお、測定は、1回のみ行われるに限らず、繰り返し行われてもよい。例えば、外耳道210へのプローブ80の挿入を調整しながら測定を繰り返し行い、適切な測定が行われたら測定を終了するなどの動作が行われてもよい。
【0042】
また、ステップS1においてコンピュータ10の入力信号生成部32で行われる入力信号x(t)の作成は、例えば、以下の方法やその他の方法で行われてもよい。すなわち、例えば、ユーザーによって周波数帯域、持続時間、振幅などが指定され、それらに基づいて入力信号x(t)が作成されて出力されてもよい。また、例えば、予めいくつかの入力信号x(t)のパターンが用意されて記録されており、ユーザーの選択に基づいて、選択された入力信号x(t)が読み出されて出力されてもよい。また、例えば、予め1つの入力信号x(t)が用意されて記録されており、常にこれが読み出されて出力されてもよい。
【0043】
また、ステップS4においてコンピュータ10の反転関数生成部34で行われる時間反転関数xinv(t)の作成は、例えば、以下の方法やその他の方法で行われてもよい。すなわち、例えば、ユーザーの指定に基づいてステップS1で作成された入力信号x(t)に応じた時間反転関数xinv(t)が作成されて出力されてもよい。また、例えば、予め入力信号x(t)に応じたいくつか時間反転関数xinv(t)のパターンが用意されて記録されており、ユーザーの入力信号x(t)の選択に基づいて、対応する時間反転関数xinv(t)が読み出されて出力されてもよい。また、例えば、予め1つの入力信号x(t)に応じた時間反転関数xinv(t)が用意されて記録されており、常にこれが読み出され出力されてもよい。
【0044】
[測定例]
本実施形態の測定装置1を用いた測定例について説明する。まず、2 mlの容積を有する外耳道と中耳とを模したモデルを用意した。このモデルを測定対象として、本実施形態に係る方法と、比較例としての従来の方法とで測定を行った。本実施形態に係る方法では、入力信号を、
図6を参照して説明したような、対数スイープが適用されたswept-sine信号とした。ここで、対数スイープに係るswept-sine信号は、50 Hzから3 kHzまでの周波数成分を含み、持続時間が2秒のものとした。このような刺激音を入力した際にマイクロホン84を用いて取得された信号と上記入力信号に係る時間反転関数x
inv(t)との畳み込み演算を行い、フーリエ変換することで、SPLカーブを取得した。
【0045】
比較例としての従来の方法では、入力信号を10秒かけて周波数が100 Hzから2000 Hzまで変化する周波数掃引信号とした。この場合、マイクロホン84を用いて取得された音圧をそのまま音圧レベルに変換し、それを音圧取得時の入力刺激音の周波数と対応付けてプロットすることでSPLカーブを取得した。
【0046】
測定結果の一例を
図8に示す。実線は、本実施形態に係るswept-sine信号を用い、畳み込み演算とフーリエ変換とにより得られたSPLカーブを示す。破線は、比較例としての従来の方法により得られたSPLカーブを示す。
図8に示すように、実線と破線とはよく一致した。このことから、本実施形態に係るswept-sine信号を用い、畳み込み演算とフーリエ変換とを行うことにより、有効性が確認されている従来の方法の場合と同様のSPLカーブが得られることが明らかになった。
【0047】
なお、ここでは入力信号に対数スイープが適用されたswept-sine信号を用いた場合を示したが、入力信号に線形スイープが適用されたswept-sine信号を用いても、同様の結果が得られた。
【0048】
次に、絶えず鳴っているノイズ、すなわち、定常性ノイズに対する測定の性能を評価した。すなわち、測定中に測定系の周囲で定常性のノイズを発生させながら、
図8を参照して説明した場合と同様の方法で測定を行った。測定結果の一例を
図9に示す。実線は、本実施形態に係るswept-sine信号を用い、畳み込み演算とフーリエ変換とにより得られたSPLカーブを示す。破線は、比較例としての従来の方法により得られたSPLカーブを示す。破線で示した従来の方法で得られたSPLカーブは、ノイズの影響を強く受けたものとなっており、
図8に示したような測定対象の特性を示すものとは全く異なるものとなった。すなわち、従来の測定方法では、測定データにおいて測定対象の特性はノイズに埋もれ、測定データからは測定対象の特性を特定することはできなかった。一方、実線で示した本実施形態に係る方法で得られたSPLカーブは、ノイズの影響をほとんど受けずに、
図8に示したような測定対象の特性を示すものとなった。
【0049】
次に、時間的に局在するノイズ、すなわち、間欠性ノイズに対する測定の性能を評価した。すなわち、測定中に測定系の周囲で間欠的にノイズを発生させながら、
図8を参照して説明した場合と同様の方法で測定を行った。測定結果の一例を
図10に示す。実線は、本実施形態に係るswept-sine信号を用い、畳み込み演算とフーリエ変換とにより得られたSPLカーブを示す。破線は、比較例としての従来の方法により得られたSPLカーブを示す。破線で示した従来の方法で得られたSPLカーブは、時間的に周波数を掃引しながら測定を行っているので、ノイズが発生したタイミングとそのときに測定している周波数とに応じて音圧レベルが上下し、ノイズの影響を強く受けたものとなった。すなわち、
図8に示したような測定対象の特性を示すものとは全く異なるものとなった。一方、実線で示した本実施形態に係る方法で得られたSPLカーブは、ノイズの影響をほとんど受けずに、
図8に示したような測定対象の特性を示すものとなった。
【0050】
以上のように、本実施形態に係る測定方法は、従来の方法と同様に測定対象の特性を測定でき、かつ、定常性ノイズに対しても間欠性ノイズに対しても高い耐性がある測定方法であることが確認できた。
【0051】
次に、正常聴覚を有する成人を被験者200として、同様の計測を行った。測定結果の一例を
図11に示す。実線は、本実施形態に係るswept-sine信号を用い、畳み込み演算とフーリエ変換とにより得られたSPLカーブを示す。破線は、比較例としての従来の方法により得られたSPLカーブを示す。本実施形態による方法で、ヒトを対象としても適切に測定が行われ得ることが確認できた。得られたSPLカーブに基づけば、共振周波数(RF)及びΔSPLを適切に特定できることも確認できた。これらの結果に基づけば、本実施形態による方法及び装置により、聴覚器官の特性を特定することができ、それに基づいて中耳の伝音性に係る評価など聴覚器官に係る診断を行えることが示された。
【0052】
図12は、外傷性離断に係る中耳疾患の患者を被験者200として、本実施形態に係る装置及び方法により測定した結果の一例を示す。
図11に示す結果と比較して、SPLが大きく変化する共振周波数前後におけるSPLの極小値と極大値との差であるΔSPLが大きくなっており、離断が認められる場合のSPLカーブの特徴と一致した結果が得られた。すなわち、本実施形態によって、耳小骨の離断の存在といった聴覚器官の特性を示す指標を特定することができ、それに基づいて、耳小骨の離断といった中耳疾患の診断が行えることが示唆された。
【0053】
図13は、正常聴覚を有する幼児を被験者200として、本実施形態に係る方法による測定結果の一例を示す。
図11に示す結果と比較して、共振周波数が低くなっており、幼児で得られるSPLカーブの特徴と一致した結果が得られた。すなわち、本実施形態によって、幼児の聴覚器官の特性を示す指標を特定することができ、それに基づいて、幼児の聴覚器官に係る診断が行えることが示唆された。
【0054】
[測定装置について]
本実施形態に係る測定装置1によれば、従来の方法と比較して、測定時間を短くしつつ、精度が高い測定を行うことができる。本実施形態に係る測定装置1では、解析において、入力信号の時間反転関数に係る畳み込み演算が含まれている。したがって、刺激音と相関が高い成分が引き出される。このため、継続的に鳴っている定常性のノイズも含めたノイズに抗して高い信号を得ることができ、高いS/N比が得られる。また、本実施形態に係る測定装置1では、解析において、インパルス応答に相当する関数を得てからフーリエ変換することでSPLカーブを得ているので、時間的に局在する間欠性のノイズに抗して高い信号を得ることができ、高いS/N比が得られる。このため、例えば、刺激音の音圧を80 dB SPL以下にしながら刺激音の持続時間を2秒以下にするといった、比較的低いエネルギーの入力でも適切な測定を行うことができる。
【0055】
本実施形態に係る測定装置1は、聴覚器官という生体を対象とした測定を行う。生体では、被験者200の動きや血流など、様々なノイズを発生している。ノイズが存在するなかでもわずかな信号を感度よく検出できる本実施形態に係る方法及び装置は、生体を対象とした測定において特に有効である。
【0056】
測定には、被験者200の外耳道210に刺激音を入力する必要があるところ、聴覚器官に損傷を与えないようにすることを考慮すると、例えば90 dB SPL以上といった大音量を入力することは好ましくない。また、大音量を入力すると、アブミ骨筋反射が生じ得るなど、聴覚器官の特性を取得するための正しい測定を行えないおそれがある。したがって、比較的低音圧で測定を行えることは重要である。例えば、本実施形態では、刺激音の音圧を90 dB SPL未満、例えば、80 dB SPL又は70 dB SPLなどとすることができる。
【0057】
また、測定時間が長くなるほど、被験者200の動きなど、測定においてノイズの影響を受けやすい。特に、幼児、乳児、新生児など、小さな子どもを対象として測定を行う場合、被験者200の動きは大きな問題となる。したがって、刺激音の入力を比較的低音圧としながらも、測定時間を例えば2秒以下といった短時間とできることは重要である。
【0058】
また、刺激音にswept-sine信号やそれを変形した信号などを用いる場合には、測定対象とする周波数帯域に応じた入力信号を用意すればよいといったように、刺激音の周波数成分を制御することができる。このことは、被験者200の健康への影響を制御することにつながる。
【0059】
また、刺激音に用いる例えばswept-sine音やそれを変形した音などは、ランダム雑音などが不快感を与えやすい音であることと比較して、心地のよい音である。このような聴感のよい音を測定装置1で用いることで、被験者200の負担は軽減する。
【0060】
上述の例では、低周波数から高周波数へと時間的に変化する刺激音を用いる例を示したが、高周波数から低周波数へと時間的に変化する刺激音を用いても同様である。例えば50 Hzから3 kHzの帯域の音について考えると、ヒトの聴覚器官では低周波帯域よりも高周波帯域の方が感度がよい。したがって、刺激音を低周波数から高周波数へと時間的に変化させることで、音圧が一定であっても被験者200は小さな音から徐々に大きな音へと変化するように感じる可能性があり、この場合、高周波数から低周波数へと変化する刺激音を用いて急に大きな音が入力されたと感じるよりも、心理的な負担は小さくなる可能性がある。
【0061】
成人のみならず、幼児、乳児、新生児など、小さな子どもを対象として測定を行えることの意義は大きい。特に新生児など低年齢のうちに聴覚疾患を早期に発見し、早期に治療することは、その後の言語能力その他の能力の発達に大きく寄与し得る。
【0062】
以上、本発明について、好ましい実施形態を示して説明したが、本発明は、前述した実施形態にのみ限定されるものではなく、本発明の範囲で種々の変更実施が可能であることはいうまでもない。
【符号の説明】
【0063】
1:測定装置
10:コンピュータ、11:CPU、12:メモリ、13:ストレージ、14:インターフェース
22:制御部、32:入力信号生成部、34:反転関数生成部、41:畳み込み演算部、42:フーリエ変換部、43:特徴特定部、44:聴覚器官特性解析部、52:信号出力部、54:信号取得部
60:AD/DAコンバータ、62:DAコンバータ、64:ADコンバータ
70:アンプシステム、72:イヤホンアンプ、74:マイクロホンアンプ
80:プローブ、82:イヤホン、83:振動膜、84:マイクロホン
91:刺激音出力部、92:受音部、93:解析装置
200:被験者、210:外耳道、222:鼓膜、224:耳小骨、225:ツチ骨、226:キヌタ骨、227:アブミ骨、232:蝸牛