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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024142708
(43)【公開日】2024-10-11
(54)【発明の名称】脂質膜透過性ペプチドの探索方法
(51)【国際特許分類】
   G16B 5/00 20190101AFI20241003BHJP
【FI】
G16B5/00
【審査請求】未請求
【請求項の数】8
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023054977
(22)【出願日】2023-03-30
(71)【出願人】
【識別番号】000000941
【氏名又は名称】株式会社カネカ
(71)【出願人】
【識別番号】513099603
【氏名又は名称】兵庫県公立大学法人
(74)【代理人】
【識別番号】100107766
【弁理士】
【氏名又は名称】伊東 忠重
(74)【代理人】
【識別番号】100107515
【弁理士】
【氏名又は名称】廣田 浩一
(74)【代理人】
【識別番号】100070150
【弁理士】
【氏名又は名称】伊東 忠彦
(72)【発明者】
【氏名】神谷 成敏
(72)【発明者】
【氏名】大島 勘二
(72)【発明者】
【氏名】北 寛士
(57)【要約】
【課題】コンピュータを用いた分子シミュレーションにより、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索可能な脂質膜透過性ペプチドの探索方法の提供。
【解決手段】脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギー(ΔG)を分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、結合自由エネルギー(ΔG)に基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含む方法である。
【選択図】図1

【特許請求の範囲】
【請求項1】
脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、
前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギーΔGを分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、
前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含むことを特徴とする方法。
【請求項2】
前記予測工程が、前記結合自由エネルギーが-6[kcal/mol]以下である場合に、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性が高いと予測する工程である請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記結合自由エネルギーΔG、及び下記式(1)に基づき前記ペプチドの頻度H_calを算出する頻度算出工程を更に含み、
前記予測工程が、前記ペプチドの頻度に基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する工程である請求項1に記載の方法。
式(1)
ペプチドの頻度(計算値)H_cal=exp(-ΔG/RT)
【請求項4】
前記予測工程が、前記ペプチドの頻度が1.00.E+04以上である場合に、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性が高いと予測する工程である請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記脂質膜が、リン脂質、及びコレステロールを含む請求項1に記載の方法。
【請求項6】
探索対象としての前記ペプチドが、αヘリックス構造を有する請求項1に記載の方法。
【請求項7】
探索対象としての前記ペプチドが、塩基性残基を有する請求項1に記載の方法。
【請求項8】
探索対象としての前記ペプチドが、5以上50以下のアミノ酸残基を有する請求項1に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脂質膜透過性ペプチドの探索方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、医薬品の開発において、様々なアミノ酸配列のペプチド(ポリペプチド)のライブラリの中から、特定の疾患に対する治療薬や、標的分子に親和性の高い分子などを選択(探索)することが行われるようになっている。
【0003】
さらには、抗体などのポリペプチドを機能性分子で化学的に修飾してその機能を拡張した医薬品の開発にも注目が集まっている。例えば、ペプチドは、環状化することで生体内での構造の安定性が向上したり、環状化により構造が安定化することで、標的化合物への親和性や選択性が向上したり、分解酵素に対する耐性や細胞膜透過性が発現したりすることもあることが知られている。
【0004】
また、医薬品の開発においては、ペプチド、タンパク質、核酸などの様々な有効成分を細胞内に効率良く取り込めるようにする技術も重要である。
有効成分を細胞内に取り込む技術としては、例えば、塩基性アミノ酸を多く含む細胞膜透過性ペプチドのアミノ酸配列を融合する方法や、中心から規則的に分枝した構造を有する樹状高分子であるデンドリマーを用いる方法などが知られている。
【0005】
細胞膜透過性ペプチドとしては、αヘリックス構造を取り得るペプチドなどが知られている(例えば、非特許文献1参照)。
ここで、ペプチドの細胞膜透過性を予測するためには、ペプチドの熱運動(熱ゆらぎ)などを含めた動的な構造変化を考慮する必要があることなどから、従来の技術においては、実際に天然ペプチドを用意して、その天然ペプチドの細胞膜透過性を測定している。このため、従来の技術においては、細胞膜透過性を有する天然ペプチドの探索には、一つ一つのペプチドについて(ウエットな)実験を行う必要があり、天然ペプチドの準備などに伴って、多大な費用(コスト)及び時間が必要となるという問題があった。
【0006】
また、ウエットな実験を行うことなくペプチドやタンパク質の動的な構造を予測・解析できる方法としては、例えば、対象とする分子における個々の原子の運動を、コンピュータを用いて計算する方法が知られている。このようなコンピュータを用いた分子シミュレーションを行うことにより、短時間で効率的にペプチドやタンパク質などの分子の動的な構造を評価することができる場合がある。
【0007】
分子シミュレーションの手法としては、例えば、個々の原子の運動を、ニュートンの運動方程式に基づいて算出する分子動力学法などが知られている。
しかしながら、分子動力学法などの分子シミュレーションを用いて、ペプチドの細胞膜透過性を十分な精度で予測(評価)できる技術は確立されていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Marta Pazo et al.,Chem.Commun.,2018,54,6919-6922
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、コンピュータを用いた分子シミュレーションにより、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索可能な膜透過性ペプチドの探索方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の課題を解決するための手段としての本発明の方法は、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギー(ΔG)を分子動力学計算により算出する算出工程と、結合自由エネルギー(ΔG)に基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含む。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、コンピュータを用いた分子シミュレーションにより、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索可能な膜透過性ペプチドの探索方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
図1図1は、本発明における計算例において作成した、P1ペプチドと脂質膜とのヘテロ系における分子動力学計算の初期構造を示す図である。
図2図2は、P1ペプチドの脂質膜中心からの距離rと、P1ペプチドの平均力ポテンシャルPMFとの関係を示すグラフである。
図3図3は、本発明の計算例におけるP1、P2、P4、P7及びP8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを示すグラフである。
図4図4は、本発明の計算例におけるP3、P5、P6及びR8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを示すグラフである。
図5図5は、本発明の計算例におけるP1、P2、P4、P7及びP8の各ペプチドの頻度を示すグラフである。
図6図6は、本発明の計算例におけるP3、P5、P6及びR8の各ペプチドの頻度を示すグラフである。
図7図7は、本発明の計算例におけるP1、P2、P4、P7及びP8の各ペプチドの頻度と従来技術の細胞膜透過性の結果との関係を示すグラフである。
図8図8は、本発明の計算例におけるP3、P5、P6及びR8の各ペプチドの頻度と従来技術の細胞膜透過性の結果との関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0013】
(脂質膜透過性ペプチドの探索方法)
本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法は、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギーΔGを分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含み、更に必要に応じてその他の工程を含む。
【0014】
本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法は、本発明者らが見出した以下の知見に基づくものである。
すなわち、本発明者らは、ペプチドの細胞膜透過プロセスにおける初期過程であるペプチドの細胞膜の表面への結合が、ペプチドの細胞膜透過能に関連するという仮説を立てた。上記の非特許文献1で報告されているペプチドの細胞膜透過実験結果を再現検討した。ペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな系での分子動力学計算により前記ペプチドと脂質膜の結合自由エネルギーΔGを算出して比較した結果、天然アミノ酸から構成される8又は16残基のヘリックス様ペプチドにおいて、膜透過しにくいペプチドの結合自由エネルギーが高く、膜透過しやすいペプチドの結合自由エネルギーが低い傾向が見られた。さらに、結合自由エネルギーを使って算出した頻度とペプチドの細胞膜透過能(細胞内の蛍光強度)の相関が高かったことから、ペプチドの細胞膜透過能がペプチドと脂質膜の結合自由エネルギーと関係を有することを見出したことに基づくものである。
本手法により、ウエットな実験を実施する前に高い膜透過能を持つペプチドの選抜が可能となる。
そのため、まず、非特許文献1などで報告されている天然ペプチド、及びそれらの細胞膜に対する透過性について説明する。
【0015】
<天然ペプチドの細胞膜透過性>
細胞膜に対する透過性を有する天然ペプチドとしては、例えば、オクタアルギニン(R8)などが知られている。R8は、8つのアルギニン残基で形成されるペプチドである。R8のように、多数のアルギニン残基を有する天然ペプチドが、細胞膜に対する透過性を有し得ることについて、上記の非特許文献1などで報告されている。
【0016】
非特許文献1においては、R8を細胞膜透過性の基準として、P1からP8と命名された8種類の天然ペプチドについて、細胞膜透過性を評価する実験を行った結果が示されている。なお、各天然ペプチドのN末端側に蛍光標識し、細胞へ取り込まれたペプチドに依存する蛍光強度を指標として細胞膜透過性を評価している。
【0017】
・P1:ARAAAAAARAAAAAAR
・P2:ARALAALARAAAAAAR
・P4:LRALRRLAAAAAAAAA
・P7:ARALAALARALAAAAR
・P8:LRALAALARAAAAAAR
ここで、上記のアミノ酸配列は、アミノ酸の一文字表記を用いたものであり、「A」はアラニン残基を示し、「R」はアルギニン残基を示し、「L」はロイシン残基を示す。
【0018】
非特許文献1では、更に、P3、P5、P6及びR8の4種類の天然ペプチドについて、N末端側に蛍光標識と、蛍光標識及び天然ペプチドの間にカプロン酸リンカーとを結合したペプチドP3、P5、P6及びR8それぞれについて、細胞膜透過性を評価する実験を行っている。実験の結果、リンカー無の場合、P1<P2≒P4<P7<P8、リンカー有の場合、P3<P5<P6<R8の順に細胞膜透過性がより優れることが示されている。なお、P6及びP7のアミノ酸配列は同じであり、蛍光標識及び天然ペプチドの間のカプロン酸リンカーの有無のみが相違する。
【0019】
・P3:ARAALLAARAALAAAR
・P5:LRAAAAALRAAAAALR
・P6:ARALAALARALAAAAR
・R8:RRRRRRRR
【0020】
ここで、ペプチドの水中での拡散及び細胞膜への結合が膜透過には重要であることが、Kim S.et al.,Biochemistry 2011,50,37,7919-7932において報告されており、また、C.Allolio et al.,PNAS 2018,Vol.115,No.47,11923-11928においては、そのメカニズムとして、ペプチドの細胞膜透過プロセスの初期過程において、ペプチドが細胞膜の表面へ結合し、次いで、結合により細胞膜のダイナミズムが変化して細胞膜に形成された穴から、ペプチドが細胞内へ透過するというメカニズムが提唱されている。
【0021】
ここで、例えば、非特許文献1において細胞膜透過性が測定されている天然ペプチドは、αヘリックス構造を取り得ることが知られている。αヘリックス構造(以下では、単に「αヘリックス」と称することがある)のようなヘリックス構造を有し得る天然ペプチドは、細胞膜透過性を有しやすいことが知られている。さらに、いわゆる両親媒性を有する天然ペプチドは、生体膜中においてもヘリックス構造をとりやすいため、細胞膜透過性を有しやすいと考えられている。
【0022】
また、αヘリックスにおいては、3.6残基ごと(アミノ酸残基が3.6残基連続するごと)に一回転することが知られている。
このため、例えば、第一のアミノ酸残基と第二のアミノ酸残基とが7残基離れて位置すると、第一のアミノ酸残基と第二のアミノ酸残基とが、αヘリックスにおける同じ側面に位置しやすくなると考えられる。言い換えると、第一のアミノ酸残基と第二のアミノ酸残基とが約7残基離れて位置すると、第一のアミノ酸残基における側鎖の向きと第二のアミノ酸残基の側鎖の向きが揃いやすくなると考えられる。
αヘリックス構造において、第一の塩基性残基(アルギニン残基、リシン残基)と、第二の塩基性残基とにおけるグアニジノ基、アミノ基の向きが揃っていると、グアニジノ基やアミノ基がクラスターとして存在しやすいと考えられ、細胞膜表面に位置する負電荷を帯びたリン酸基などとの相互作用が強くなり、天然ペプチドの細胞膜透過性に有利に働くと考えられる。
【0023】
そこで、本発明者らは、ペプチドの細胞膜の表面への結合が、ペプチドの脂質膜透過能に関連するという仮説を立てた。次いで、ペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな系での計算系を構築し、分子動力学計算により前記ペプチドと脂質膜の結合自由エネルギーを算出した。非特許文献1で報告されているペプチドの膜透過実験結果との関係を比較検討した結果、ペプチドの脂質膜透過能がペプチドと膜の結合自由エネルギーと関係を有することを見出した。
【0024】
以上の知見から、本発明者らは、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを分子動力学計算により算出することにより、ペプチドの膜透過能が前記結合自由エネルギーと相関関係にあることから、前記結合自由エネルギーに基づいて、ペプチドの脂質膜に対する透過性を予測できることを見出し、本発明を想到するに至った。
【0025】
<分子動力学計算の計算例>
そこで、本発明者らは、天然ペプチドの細胞膜に対する透過性と、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーとの相関を、より詳細に特定するため、上記の非特許文献1において、細胞膜透過性が既知となっているP1、P2、P4、P7(P6)、P8、R8、P3、及びP5の8種類のペプチドに関し、蛍光標識やリンカーを除いたアミノ酸残基部分について、コンピュータを用いた分子シミュレーションを実行して解析を行った。以下では、本発明者らが実行した分子シミュレーション(分子動力学計算)の詳細について説明する。
【0026】
<<ヘテロな計算系の構築>>
まず、ペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな計算系の構築をG.Bekker et al.、J.Chem.Inf.Model.2021,61,10,5161-5171を参考に行った。
細胞膜のモデル系である脂質膜として、細胞膜において脂質二重膜を形成することが報告されているリン脂質分子であるPOホスファチジルコリン(1-パルミチル-2-オレイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン、「POPC」と称することがある)と、コレステロール(「CHL」と称することがある)とをモル比7:3で用いた。具体的には、細胞膜を形成する脂質二重膜の構造を構築するため、POホスファチジルコリンの疎水性部分(脂肪酸)が、脂質二重膜の内側に配置され、POホスファチジルコリンの親水性部分(コリン)が、脂質二重膜の外側に配置されるようにPOホスファチジルコリンを並べ、POホスファチジルコリンの分子間にコレステロールを配置した、脂質二重膜の構造を構築した。
ペプチドとしては、後述する通り、αヘリックス構造化し、中性化を行った初期構造を作成した。
【0027】
P1を用いた分子シミュレーション(分子動力学計算)において計算対象となる分子の種類、原子数乃至分子数は、以下の通りである。
・合計の原子数: 14,918原子
・ペプチド(8種のいずれか):
214原子(1分子)
・HO: 7,731原子(2,577分子)
・Na: 5原子
・Cl: 8原子
・POPC: 5,628原子(42分子)
・CHL: 1,332原子(18分子)
【0028】
<<ペプチドの初期構造の作成>>
本計算例で対象とするペプチドは、上述したようにヘリックス様の構造をとることが報告されているため、分子動力学計算の初期構造をαヘリックス構造とした。具体的には、ペプチドの二面角(phi、psi)が(-40°、-60°)となるようにしてαヘリックス構造をモデリングした。次に、ペプチドのN末端にアセチル基(いわゆるACE基)を、C末端にN-メチル基(いわゆるNME基)をそれぞれ付加してキャップした。
【0029】
続いて、ペプチドを膜表面から十分離れた位置に配置し、その末端から12Å離れた領域までを1つのボックス(セル)として、ペプチドの周り、及び脂質膜の表面に水分子を配置し、Naイオン、Clイオンを生理的条件([NaCl]=100mM)で配置することで計算系の中性化を行い、初期構造を作成した。
【0030】
図1は、本計算例において作成した、ペプチドとしてP1ペプチドを用いた、ペプチドと脂質膜とのヘテロ系における分子動力学計算の初期構造を示す図である。
図1の上部にカートゥーンモデル(リボンモデル)及びラインモデルの重ね合わせで示す分子がP1ペプチドである。図1の中央部分にラインモデルで示す分子の集合体が、上下方向におおよそ対象に配置されたPOホスファチジルコリン及びコレステロールから構成された脂質膜である。P1ペプチドの周囲、並びに脂質膜の外側に位置している多数の分子が水分子及びイオンである。
【0031】
図1に示す反応座標rは、脂質膜(脂質二重膜)の中心を通る膜平面をr=0[Å]として、膜平面r=0からの距離[Å]を示す座標である。複数のPOホスファチジルコリンの疎水性部分が脂質二重膜の中心(r=0[Å])を向いて配列される。脂質膜の表面(r=25~35[Å]辺り)では、POホスファチジルコリン及びコレステロールの親水性部分が露出している。図1において、脂質膜の上部は、細胞膜の外側に相当し、脂質膜の下部は、細胞膜乃至細胞の内側に相当する。
【0032】
<<エネルギー極小化計算>>
次に、作成した初期構造のおけるペプチド、及び脂質膜を構成する重原子(水素以外の原子)に位置拘束(位置束縛;Position Restraint)をかけて、分子力学(Molecular Mechanics;MM)計算によって、計算系全体のエネルギー極小化を行った。エネルギー極小化計算を行うことにより、初期構造が有する不自然な構造の歪みを取り除き、分子動力学計算の初期における時間積分の発散を避けることができる。
エネルギー極小化計算は、最急降下法を用い、最初のステップでの原子移動距離RMSD(Root-mean-square deviation)=0.1[Å]、最大計算ステップ数50000、収束判定条件RMSF(Root-mean-square fluctuation;原子に加わる力の二乗平均)=100.0[kJ/mol/nm]として行った。
なお、本計算例においては、分子力場として、ペプチド、水及びイオンはAmber ff99SB-ILDNを用い、脂質二重膜はAmber lipidを用いた。
【0033】
<<分子動力学計算>>
続いて、分子動力学計算のエンジンとして、GROMACSのパッケージ(GROMACS 2022.2-dev版)を用い、周期境界条件の下、溶媒の平衡化などのために、重原子に対する位置拘束ありで短時間のNVT(計算系の粒子数、体積、及び温度が一定の条件)計算を行った後、重原子に対する位置拘束ありで短時間のNPT(計算系の粒子数、圧力、及び温度が一定の条件)計算を行った。分子動力学計算は、HMR(Hydrogen Mass Pepartitioning)法により、時間刻み幅を長くして実施した(Δt=5.0fs)。
【0034】
そして、上記の溶媒の平衡化を行った構造に対して、ペプチドと脂質膜との結合シミュレーションを行った。
ペプチドと脂質膜との結合シミュレーションについて、以下のフローに従って、分子動力学計算を行った。
GROMACSパッケージに搭載されるSteered MDソフトウェアを実施することにより、ペプチドを脂質膜から離れた状態を初期構造として、10Å/nsの速度で脂質膜表面に引っ張って脂質膜の表面に結合するプロセスをサンプリングし、結合パスウエイを同定した。
ここで、結合パスウエイとは、ペプチドの脂質膜中心からの距離を示す反応座標rにより表される。rの原点(r=0)は脂質膜の中心を通る膜平面を示し、反応座標rは、ペプチドの重心と脂質膜の中心を通る膜平面との距離[Å]を示す。
【0035】
結合パスウエイに沿って、GROMACSパッケージに搭載されるアンブレラサンプリングを実施することにより、図1に示すようにペプチドの重心がr=24[Å]~50[Å]の範囲内、2Åステップ幅で段階的に位置を設定し(計14 window)、人為的にアンブレラポテンシャルをかけて、ペプチドを脂質膜から所定の距離に位置拘束した状態を設定し、各状態(又は距離)におけるペプチドの状態密度(p(r))を求め、状態密度に基づいてペプチドの平均力ポテンシャルPMF(Potential of Mean Force;PMF)をDTRAM(Discrete transition-based reweightin analysis method)により算出した。
ここで、ペプチドの「平均力ポテンシャル」(Potential of Mean Force;PMF)とは、分子動力学計算を行ったペプチドの膜中心からの距離rに沿って分布する(距離rの位置にある状態の)自由エネルギー[kcal/mol]を示す値であり、下記式(1)により表される。
PMF=-kbTln(p(r)) ・・・式(1)
kb:ボルツマン定数,
ln:自然対数,
T:絶対温度,
p(r):反応距離rにおける状態密度
【0036】
<<ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーの算出>>
図2は、アンブレラサンプリングにより得られた、P1ペプチドと脂質膜との距離rと、P1ペプチドの平均力ポテンシャルPMFとの関係を示すグラフである。図2の横軸r[Å]は、P1ペプチドの重心と脂質膜の中心を通る膜平面(r=0[Å])との距離を示し、縦軸は、P1ペプチドの平均力ポテンシャルPMFを示す。
【0037】
図2のグラフより、平均力ポテンシャルが極小を示すr≒32.5[Å]においてペプチドと脂質膜とが結合していることが推察され、ペプチドと脂質膜とが重複せずに、平均力ポテンシャルが極大を示すr=45~50[Å]においてペプチドと脂質膜とが結合していないことが推察される。したがって、結合状態であるr≒32.5[Å]における極小を示す平均力ポテンシャルと非結合状態であるr=45~50[Å]における極大を示す平均力ポテンシャルとの差より、P1ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーΔGは、-1.96[kcal/mol]と算出することができた。
【0038】
なお、非特許文献1において示されたP1ペプチドのUptake RFU(Relative Functional Uptake、蛍光強度により示された任意単位、×1000)は、0.036であり、後述する式(2)で算出した頻度(状態密度の比)の計算値H_calは、2.67.E+01であった。
【0039】
なお、分子動力学計算には、CPUがIntelTM XeonTM Platinum 8280(クロック周波数2.70GHz、2×28コア)、メモリが768GB、GPUカード8枚(NVIDIATM TeslaTM V100)のスペックの計算機(コンピュータ)を用いた。
本計算例で計算対象としている16のアミノ酸残基を有するペプチドについては、ペプチド1種の分子動力学計算にかかった計算所要時間は、7コア並列計算と1枚のGPUカードを利用した場合では、約3時間であった。
【0040】
以上に示した通り、P1ペプチドと脂質膜との結合シミュレーションについて、独立した5回の分子動力学計算を行い、各計算結果からP1ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出した。
同様にして、残りの7種類の各ペプチドと脂質膜との結合シミュレーションについて、独立した5回の分子動力学計算を行い、各計算結果から各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出した。
【0041】
ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギー算出の結果を、表1及び表2に示す。
表1及び図3に、P1、P2、P4、P7(P6)及びP8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出した結果を示す。
また、表2及び図4に、P3、P5、P6(P7)及びR8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出した結果を示す。
【0042】
【表1】
【0043】
【表2】
【0044】
図3に示す、本発明の計算例で算出したP1、P2、P4、P7及びP8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーと、非特許文献1において示された細胞膜透過性を比較した結果、P7及びP8が、P1、P2及びP4よりも膜を透過しやすいとされる非特許文献1の実験結果と、本発明の計算例で算出した結合自由エネルギーとが相関係数0.92にて相関関係を有することが示された。
この結果から、例えば、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを分子動力学計算により算出した結果、当該結合自由エネルギーが-6[kcal/mol]以下である場合に、ペプチドと脂質膜との結合が強く、脂質膜に対する透過性が高いと予測することできると考えられる。
【0045】
同様にして、図4に示す、本発明の計算例で算出したP3、P5、P6及びR8の各ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーと、非特許文献1において示された細胞膜透過性を比較した結果、P3よりもP5が、P5よりもP6が、P6よりもR8が膜を透過しやすいとされる非特許文献1の実験結果と、本発明の計算例で算出した結合自由エネルギーとが相関係数0.96にて相関関係を有することが示された。
【0046】
<<ペプチドの頻度の算出>>
下記式(2)に基づき、各ペプチドの頻度の計算値H_calを算出し、比較した結果を表3~4、及び図5~6に示す。
ペプチドの頻度(計算値)H_cal=exp(-ΔG/RT) ・・・式(2)
ΔG:対象ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギー,
R:気体定数(8.314J-1-1mol-1),
T:室温(300K)
【0047】
ここで、「頻度」とは、平均力ポテンシャルが極小を示す場合の状態密度(p(r))の、平均力ポテンシャルが極大を示す場合(ペプチドが膜表面と結合していない状態)の状態密度(p(r))に対する割合を示す相対値である。具体的には、図2に示すP1ペプチドの場合、「頻度」とは、平均力ポテンシャルが極小、すなわち、ペプチドと脂質膜とが結合状態であるr≒32.5[Å]における状態密度の、ペプチドと脂質膜とが非結合状態であるr=45~50[Å]における状態密度に対する割合(結合状態の状態密度と非結合状態の状態密度の比:p(32.5)/p(50.0))を示す。
【0048】
表3及び図5に、P1、P2、P4、P7(P6)及びP8の各ペプチドの頻度を算出した結果を示す。
また、表4及び図6に、P3、P5、P6(P7)及びR8の各ペプチドの頻度を算出した結果を示す。
【0049】
【表3】
【0050】
【表4】
【0051】
図5に示す、本発明の計算例で算出したP1、P2、P4、P7及びP8の各ペプチドの頻度と、非特許文献1において示された細胞膜透過性を比較した結果を図7に示す。図7中、横軸は、非特許文献1において示された各ペプチドの細胞膜透過性を示すUptake RFU(Relative Functional Uptake、蛍光強度により示された任意単位、×1000)を示し、縦軸は、本発明の計算例で算出した各ペプチドの頻度H_calを示す。
図7の結果、P7及びP8が、P1、P2及びP4よりも膜を透過しやすいとされる非特許文献1の実験結果と、本発明の計算例で算出した頻度とが相関係数0.99にて相関関係を有することが示された。
【0052】
同様にして、図6に示す、本発明の計算例で算出したP3、P5、P6及びR8の各ペプチドの頻度と、非特許文献1において示された細胞膜透過性を比較した結果を図8に示す。図8の横軸及び縦軸は、図7の横軸及び縦軸と同様である。
図8の結果、P3<P5<P6<R8の順に細胞膜透過性がより優れるとされる非特許文献1の実験結果と、本発明の計算例で算出した頻度とが相関係数0.97にて相関関係を有することが示された。
【0053】
図5~8の結果から、例えば、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーに基づき、頻度を算出した結果、当該頻度が1.00.E+04以上である場合に、ペプチドが脂質膜表面に存在する頻度が高く、ペプチドと脂質膜との結合が強く、したがって、脂質膜に対する透過性が高いと予測することできると考えられる。
【0054】
本発明者らは、上記の知見に基づいて、ペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな系での分子動力学計算により算出した前記ペプチドと脂質膜の結合自由エネルギーΔGに基づき、結合自由エネルギーが低い場合に脂質膜透過性を有すること考えることができることを想到し、本発明を完成させるに至ったものである。
【0055】
すなわち、本発明者が完成させた本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法は、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギーΔGを分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含み、更に必要に応じてその他の工程を含む。
【0056】
以下、本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法について、更に詳細に説明する。
【0057】
<探索対象としてのペプチド>
探索対象としてのペプチドとしては、αヘリックス構造を有し得るものが好ましい。αヘリックス構造を有し得るペプチドは、細胞膜透過性を有しやすいことが知られている。
αヘリックスは、3.6残基ごとに一回転するため、例えば、2つの塩基性残基が7残
基程度(又は14残基程度)離れて位置すると、これらの塩基性残基におけるグアニジノ基、アミノ基が同方向に配向しやすいと考えられる。言い換えると、αヘリックス構造を有し得る天然ペプチドは、所定の間隔で位置する塩基性残基が有する側鎖末端の官能基同士(グアニジノ基、アミノ基)の角度が小さくなりやすいため、グアニジノ基、アミノ基がクラスター状態で存在しやすく、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
【0058】
探索対象としてのペプチドとしては、特に制限はなく、目的に応じて適宜選択することができるが、アミノ酸配列中に塩基性残基(アルギニン残基、リシン残基)を有することが好ましく、アミノ酸配列中に塩基性残基を2つ以上有することがより好ましい。
【0059】
ここで、本発明におけるペプチドは、天然のアミノ酸からなるものである必要は無く、例えば、立体構造を形成可能又は機能を発揮可能なものであれば、糖鎖やその他のペプチド部分を欠失させたものであってもよい。
探索対象としてのペプチドの残基数としては、特に制限はなく、目的に応じて適宜選択することができるが、5残基以上50残基以下が好ましく、7残基以上30残基以下がより好ましく、8残基以上20残基以下が特に好ましい。
【0060】
ここで、探索対象としてのペプチドにおけるアルギニン残基が有するグアニジノ基やリシン残基が有するアミノ基が、クラスター(塊)状にある程度まとまって存在すると、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。言い換えると、ペプチドにおけるアルギニン残基が有するグアニジノ基やリシン残基が有するアミノ基が、ペプチドの表面の所定の領域に局在して存在することにより、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
これは、グアニジノ基やアミノ基がクラスター状にある程度まとまって存在している(局在している)ことにより、細胞膜表面に位置する負電荷を帯びたリン酸基などとの相互作用が強くなり、ペプチドの細胞膜透過性に有利に働くためであると考えられる。
【0061】
ここで、探索対象としてのペプチドが、第一の塩基性残基(アルギニン残基、リシン残基)と第二の塩基性残基を有する場合、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基とが、6残基以上8残基以下の間隔を開けて位置することが好ましい。この場合、ペプチドがαヘリックス構造を有するときに、アルギニン残基におけるグアニジノ基、リシン残基が有するアミノ基が同方向に配向しやすいことにより、塩基性残基が有する側鎖末端の官能基同士の角度が小さくなりやすいため、グアニジノ基、アミノ基がクラスター状態で存在しやすく、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
【0062】
また、探索対象としてのペプチドが、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基を有する場合、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基とが、13残基以上14残基以下の間隔を開けて位置することが好ましい。この場合、ペプチドがαヘリックス構造を有するときに、アルギニン残基におけるグアニジノ基、リシン残基が有するアミノ基が同方向に配向しやすいことにより、塩基性残基が有する側鎖末端の官能基同士の角度が小さくなりやすいため、グアニジノ基、アミノ基がクラスター状態で存在しやすく、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
【0063】
加えて、探索対象としてのペプチドが、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基と第三の塩基性残基を有する場合、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基とが、6残基以上8残基以下の間隔を開けて位置し、第一の塩基性残基と、第三の塩基性残基とが、13残基以上15残基以下の間隔を開けて位置することが好ましい。この場合、ペプチドがαヘリックス構造を有するときに、アルギニン残基におけるグアニジノ基、リシン残基が有するアミノ基が同方向に配向しやすいことにより、塩基性残基が有する側鎖末端の官能基同士の角度が小さくなりやすいため、グアニジノ基、アミノ基がクラスター状態で存在しやすく、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
【0064】
このように、所定の間隔を開けて塩基性残基(アルギニン残基、リシン残基)が位置することが好ましいが、その他の位置に塩基性残基を有していてもよい。例えば、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基とが、6残基以上8残基以下の間隔を開けて位置する場合、第一の塩基性残基と第二の塩基性残基の間に、他の塩基性残基を有していてもよい。
【0065】
また、探索対象としてのペプチドとしては、ロイシン残基を有するものが好ましい。探索対象としてのペプチドがロイシン残基を有すると、当該ペプチドが両親媒性を示しやすくなる。両親媒性のペプチドは、リポソーム内でαヘリックス構造をとりやすいことが知られており、グアニジノ基やアミノ基が同方向に配向しやすく、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
探索対象としてのペプチドを構成する全アミノ酸残基に対するロイシン残基の割合としては特に制限はなく、目的に応じて適宜選択することができるが、15%以上であることが好ましい。探索対象としてのペプチドが、当該ペプチドを構成する全アミノ酸残基に対しロイシン残基を15%以上有することにより、当該ペプチドが両親媒性を有しやすくなるためαヘリックス構造をとりやすくなり、細胞膜透過性を有しやすいと考えられる。
【0066】
<脂質膜>
分子動力学計算におけるペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな計算系を構築する際に、ウエット実験において実際の評価対象となる細胞膜のモデル系として、脂質膜を用いる。
ここで、細胞膜は、極性を持ったリン脂質が、リン脂質の疎水性部分を内側にして薄い2層の脂質膜(脂質二重膜とも称する)を基本構造として有することが知られており、ほぼ全ての生物の細胞がこの基本構造を有する。細胞膜は、リン脂質からなる脂質二重膜と、コレステロールと、膜貫通タンパク質やレセプタータンパク質などのタンパク質とを含む。
【0067】
本発明においては、細胞膜の中でも、脂質膜に対するペプチドの透過性を評価することを目的とするため、リン脂質を主成分として含む脂質膜を用いてヘテロな計算系を構築し、分子動力学計算を行う。
前記脂質膜は、リン脂質を含み、更に、コレステロールを含むことが好ましい。
【0068】
前記リン脂質としては、特に制限はなく、目的に応じて細胞を構成する成分を適宜選択することができ、例えば、ホスファチジルコリン(PC)、スフィンゴミエリン(SM)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)、ホスファチジルセリン(PS)などが挙げられる。
前記リン脂質の疎水性部分である脂肪酸としては、特に制限はなく、目的に応じて細胞を構成する成分を適宜選択することができ、例えば、オレイン酸、パルミチン酸、リノール酸などが挙げられる。
【0069】
前記ホスファチジルコリン(PC)としては、例えば、2つの脂肪酸としてオレイン酸、パルミチン酸がエステル結合したPOホスファチジルコリン(1-パルミチル-2-オレイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン、POPC)、2つのリノール酸がエステル結合したDLホスファチジルコリン、2つのパルミチン酸がエステル結合したジパルミトイルホスファチジルコリンなどが挙げられる。
【0070】
前記細胞膜の組成は、細胞の種類によって異なることが知られている。
前記脂質膜における、リン脂質の種類、及び組成としては、特に制限はなく、ペプチドを透過させる対象となる細胞の細胞膜の組成に応じて適宜選択することができる。
【0071】
<分子動力学計算>
本発明においては、ペプチドと脂質膜と水とを含むヘテロな計算系における分子動力学計算に基づいて、後述するペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出する。
分子動力学計算の手法については、上記の<分子動力学計算の計算例>で説明した手法を、適宜目的に応じて用いることができるが、これに限られるものではない。
以下では、分子動力学計算の詳細について説明する
【0072】
ペプチド、及びリン脂質を構成する原子は、例えば溶液中で静止しているわけではなく、少しずつ位置を変えている。このような原子の動きを計算機(コンピュータ)の中で再現するために使用されるのが分子動力学法(Molecular Dynamics;MD)である。
【0073】
分子動力学法では、まず、計算対象とする分子の初期構造を作成する。
本発明においては、脂質二重膜である脂質膜の初期構造を構築するため、リン脂質の疎水性部分(脂肪酸)が、脂質二重膜の内側に配置され、リン脂質の親水性部分が、脂質二重膜の外側に配置されるようにリン脂質を配置し、リン脂質の分子間に必要に応じてコレステロールを配置し、脂質二重膜の初期構造を作成することができる。
【0074】
ペプチドの初期構造については、例えば、αヘリックス構造を有し得るペプチドを計算対象とする場合には、ペプチドの二面角(phi、psi)が(-40°、-60°)となるようにしてαヘリックス構造をモデリングした。モデリング後、ペプチドのN末端にアセチル基(いわゆるACE基)を、C末端にN-メチル基(いわゆるNME基)をそれぞれ付加してキャップすることにより、ペプチドの初期構造を作成することができる。
【0075】
ペプチド、及び脂質膜の初期構造を作成した後、安定な分子シミュレーションを実施するために、十分大きなボックス(セル)サイズを設定し、ペプチドの周り、及び脂質膜の表面に溶媒分子(例えば、水分子)を配置し、セル内の環境が生理的な溶液状態で中性になるようにNaイオン、Clイオンを挿入し、周期的境界条件下で、それぞれの原子に働く力を計算する。それぞれの原子に働く力(エネルギー)としては、結合の伸縮エネルギー、結合角の変角エネルギー、ねじれ(トーション)エネルギー、ファンデルワールス相互作用エネルギー、静電相互作用エネルギー、水素結合エネルギーなどが挙げられる。なお、分子を構成する全ての原子に働く力の総和が「ポテンシャルエネルギー」となる。
【0076】
次に、分子動力学法では、その力を受けた原子がどのように運動するかを、ニュートンの運動方程式に基づいて計算する。これにより、最初の配置から短い刻み時間の後における、原子の位置の変化を計算することができる。
続いて、分子動力学法では、変化後の原子の位置を新たな起点として、同様の計算を再び行う。非常に短い時間の刻みでこれを繰り返すと、原子が徐々に動く様子が再現できる。このように、分子動力学法においては、(i)原子の位置の決定、(ii)原子に働く力の計算、(iii)原子の動きの計算、という(i)~(iii)を計算機で繰り返し、時間の経過に伴って変化する物理量や立体構造を任意に抽出し、抽出したデータに基づいて統計処理や、立体構造の画像を表示するなどして、生体分子や化合物の構造、物性を解析する。
【0077】
ここで、安定な分子シミュレーションを実施するためには、溶媒分子の構造緩和と計算系のセルサイズの調整が必要である。このため、セルサイズを固定したまま、ペプチド、及び脂質膜の主鎖原子に位置拘束をかけた粒子数、体積、温度一定の分子動力学計算(以下では、NVT計算と称することがある)を行って溶媒分子の構造緩和を行った後、粒子数、圧力、温度一定の分子動力学計算(以下では、NPT計算と称することがある)を行って計算系全体の平衡化を行うことで計算系のセルサイズを決定することが好ましい。
その後、平衡化の計算で得られた最終構造のセルサイズを用いてNPT計算を実施することにより、安定な分子シミュレーションを継続して行うことができる。
【0078】
本発明における分子動力学法の「シミュレーション時間」とは、ニュートンの運動方程式に基づいて短い刻みの時間での原子の位置の変化を繰り返し計算することにより、分子の構造変化を再現した時間を意味する。
また、上記の短い刻みの時間は、0.1fs(フェムト秒)以上10fs以下であることが好ましく、0.5fs以上2.0fs以下であることがより好ましい。ただし、HMR(Hydrogen Mass Pepartitioning)法を使うことで、時間刻み幅を長くすることができ、本発明ではステップ時間を5.0fsとした。
ここで、ステップ時間での原子の位置の変化を繰り返し計算する際における繰り返し回数を「ループ回数」とすると、シミュレーション時間は、ステップ時間とループ回数の積で表される。本発明においては、例えば、1つのwindowにおけるアンブレラサンプリングのシミュレーション時間を10ns以上とすることが好ましいが、これに限定されるものではない。
【0079】
ペプチド、及び脂質膜の分子中に存在する各原子が、どのような力を受けているのかを関数として数式化したものが分子力場である。分子力場に基づく分子力学計算や分子動力学計算では、原子間に働く力を、原子間の結合を表すパラメータ(脂質膜中心からの距離を示す反応座標r、結合距離や結合角など)を変数とし、原子の種類や結合様式によって決まるポテンシャル関数で数値として表す。
本発明に用いることができる分子力場としては、特に制限なく、目的に応じて適宜選択することができ、例えば、Amber系の分子力場、CHARMm系の分子力場、OPLS系の分子力場などが挙げられる。Amber系の分子力場としては、例えば、Amber ff99SB-ILDN、Amber 12SBなどが挙げられる。CHARMm系の分子力場としては、例えば、CHARMm36などが挙げられる。
【0080】
また、どのエネルギー項を計算に取り入れるかの選択も、特に限定はされない。また、計算の効率を考慮して、原子間の距離が一定以上であれば静電相互作用などを計算しない方法であるカットオフ法と呼ばれる手法を導入してもよい。
【0081】
分子動力学計算を行うことができるプログラムとしては、AMBER(http://ambermd.org/)、CHARMM(http://www.charmm.org/charmm/)、NAMD(http://www.ks.uiuc.edu/Research/namd/)、GROMACS(http://www.gromacs.org/)、MyPresto(http://presto.protein.osaka-u.ac.jp/myPresto4/)などが挙げられる。
【0082】
分子動力学計算は、280K(ケルビン)以上320K以下程度の設定温度下で行うことが一般的であり、本発明においては、例えば、300Kとすることが好ましい。
【0083】
また、分子動力学計算においては、溶媒効果を考慮することが好ましく、溶媒分子(例えば、水分子)をペプチドなどと同じ様に、1個1個の分子として取り扱う系で計算することが好ましい。本発明においては、天然ペプチドの周りに、水分子を十分な数配置した。水分子のモデルとしては、例えば、TIP3Pモデルなどを用いることができる。
【0084】
<<結合自由エネルギーの算出及び予測>>
本発明においては、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギー(以下では、この結合自由エネルギーを単に「結合自由エネルギー」と称することがある)を算出し、前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する。
具体的には、当該結合自由エネルギーがより小さいペプチドを、脂質膜透過性を有するペプチドであると予測することができ、前記結合自由エネルギーが所定の値以下である場合に、脂質膜透過性が高いと予測することができる。
【0085】
結合自由エネルギーについて、前記所定の値としては、特に制限はなく、目的に応じて適宜選択することができるが、-5[kcal/mol]以下が好ましく、-5.5[kcal/mol]以下がより好ましく、-6[kcal/mol]以下が更に好ましい。
結合自由エネルギーを算出する手法については、上記の<分子動力学計算の計算例>で説明した手法を、適宜目的に応じて用いることができるが、これに限られるものではない。
【0086】
結合自由エネルギーは、例えば、アンブレラサンプリングを行った分子動力学計算により得られた、ペプチドと脂質膜中心との距離rとペプチドの状態密度(p(r))との関係から求めることができる。より具体的には、例えば、ペプチドと脂質膜との距離r=24[Å]~50[Å]の範囲を、例えば2[Å]ごとに区切って、アンブレラポテンシャルをかけて、ペプチドを脂質膜から所定の距離に位置拘束した状態を設定し、各状態(又は距離)におけるペプチドの状態密度(p(r))を求めることができる。
次いで、ペプチドと脂質膜との距離rとペプチドの状態密度との関係から、平均力ポテンシャルが極小を示す(すなわち、結合状態である)状態密度と、ペプチドと脂質膜とが重複しない距離rにおける、平均力ポテンシャルが極大を示す(すなわち、非結合状態である)状態密度との差として、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーを算出することができる。
【0087】
<<ペプチドの頻度の算出及び予測>>
本発明においては、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーから計算したペプチドの頻度に基づいて、脂質膜透過性を予測してもよい。
すなわち、本発明は、前記結合自由エネルギーΔG、及び下記式(1)に基づき前記ペプチドの頻度H_calを算出する頻度算出工程を更に含み、前記予測工程が、前記ペプチドの頻度に基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する工程である態様であってもよく、前記態様を好適に適用できる。
具体的には、当該ペプチドの頻度がより大きいペプチドを、脂質膜透過性を有するペプチドであると予測することができ、前記ペプチドの頻度が所定の値以上である場合に、脂質膜透過性が高いと予測することができる。
【0088】
ペプチドの頻度について、前記所定の値としては、特に制限はなく、目的に応じて適宜選択することができるが、1.00.E+04以上が好ましく、1.00.E+05以上がより好ましく、1.00.E+06以上が更に好ましい。
ペプチドの頻度を算出する手法については、上記の<分子動力学計算の計算例>で説明した手法を、適宜目的に応じて用いることができるが、これに限られるものではない。
【0089】
ペプチドの頻度は、例えば、ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギーΔG、及び下記式(2)に基づき求めることができる。
ペプチドの頻度(計算値)H_cal=exp(-ΔG/RT) ・・・式(2)
ΔG:対象ペプチドと脂質膜との結合自由エネルギー,
R:気体定数(8.314J-1-1mol-1),
T:室温(300K)
【0090】
本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法では、ペプチドの脂質膜透過性をウエットな実験で評価する(ペプチドを合成して膜透過実験を実施する)必要がなく、時間的コストを大幅に削減できることができ、脂質膜透過性を有するペプチドを探索する際において、実用面で非常に有益である。
【0091】
以上、説明したように、本発明の脂質膜透過性ペプチドの探索方法は、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギーΔGを分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含む。
これにより、コンピュータを用いた分子シミュレーションにより、脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索できる。
【0092】
本発明の態様としては、例えば、以下のとおりである。
<1> 脂質膜に対する透過性を有するペプチドを探索する方法であって、
前記ペプチドと前記脂質膜との結合自由エネルギーΔGを分子動力学計算により算出する結合自由エネルギー算出工程と、
前記結合自由エネルギーに基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する予測工程と、を含むことを特徴とする方法である。
<2> 前記予測工程が、前記結合自由エネルギーが-6[kcal/mol]以下である場合に、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性が高いと予測する工程である前記<1>に記載の方法である。
<3> 前記結合自由エネルギーΔG、及び下記式(1)に基づき前記ペプチドの頻度H_calを算出する頻度算出工程を更に含み、
前記予測工程が、前記ペプチドの頻度に基づいて、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性を予測する工程である前記<1>から<2>のいずれかに記載の方法である。
式(1)
ペプチドの頻度(計算値)H_cal=exp(-ΔG/RT)
<4> 前記予測工程が、前記ペプチドの頻度が1.00.E+04以上である場合に、前記ペプチドの前記脂質膜に対する透過性が高いと予測する工程である前記<3>に記載の方法である。
<5> 前記脂質膜が、ホスファチジルコリン、及びコレステロールを含む前記<1>から<4>のいずれかに記載の方法である。
<6> 探索対象としての前記ペプチドが、αヘリックス構造を有する前記<1>から<5>のいずれかに記載の方法である。
<7> 探索対象としての前記ペプチドが、塩基性残基を有する前記<1>から<6>のいずれかに記載の方法である。
<8> 探索対象としての前記ペプチドが、5以上50以下のアミノ酸残基を有する前記<1>から<7>のいずれかに記載の方法である。
【0093】
前記<1>から<8>のいずれかに記載の脂質膜透過性ペプチドの探索方法によれば、従来における諸問題を解決し、本発明の目的を達成することができる。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8