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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024154276
(43)【公開日】2024-10-30
(54)【発明の名称】工具鋼の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C21D 6/00 20060101AFI20241023BHJP
   C21D 1/32 20060101ALI20241023BHJP
   C22C 38/00 20060101ALI20241023BHJP
   C22C 38/60 20060101ALI20241023BHJP
【FI】
C21D6/00 L
C21D1/32
C22C38/00 301H
C22C38/00 302E
C22C38/60
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023068022
(22)【出願日】2023-04-18
(71)【出願人】
【識別番号】000003713
【氏名又は名称】大同特殊鋼株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100167276
【弁理士】
【氏名又は名称】渡邉 秀樹
(72)【発明者】
【氏名】達谷 正勝
(72)【発明者】
【氏名】安達 節展
(72)【発明者】
【氏名】中山 恭平
(57)【要約】
【課題】球状化焼なましによって、適切に軟化され、かつ、金属組織が改善された工具鋼を得ることができる工具鋼の製造方法を提供する。
【解決手段】工具鋼の製造方法は、所定の化学組成を有する鋼材を準備する工程と、前記鋼材に対して、前記鋼材のAc点よりも高い第1温度で加熱する加熱処理と、前記第1温度から前記鋼材のA点よりも低い第2温度まで低下させる冷却処理と、前記第2温度で所定の時間、保持する恒温保持処理とを実行する球状化焼なましを行う工程と、を備える。
【選択図】図1

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.25%以上1.50%以下、
Si:0.10%以上1.50%以下、
Mn:0.20%以上1.50%以下、
P:0.050%以下、
S:0.050%以下、
Cu:0.30%以下、
Ni:0.30%以下、
Cr:4.00%以上9.00%以下、
Mo:0.50%以上3.00%以下、および、
V:0.15%以上1.50%以下、
を含み、残部がFe及び不可避的不純物である化学組成を有する鋼材を準備する工程と、
前記鋼材に対して、前記鋼材のAc点よりも高い第1温度で加熱する加熱処理と、前記第1温度から前記鋼材のA点よりも低い第2温度まで低下させる冷却処理と、前記第2温度で所定の時間、保持する恒温保持処理とを実行する球状化焼なましを行う工程と、
を備える、工具鋼の製造方法。
【請求項2】
前記第1温度は、870℃以上920℃以下である、請求項1記載の工具鋼の製造方法。
【請求項3】
前記第2温度は、680℃以上780℃以下である、請求項2記載の工具鋼の製造方法。
【請求項4】
前記鋼材のA点と前記第2温度との差は、30℃以上140℃以下である、請求項1または請求項2記載の工具鋼の製造方法。
【請求項5】
前記第2温度は、予め定めた基準温度±20℃の範囲内の温度であり、
前記基準温度は、前記鋼材の恒温変態を最短の時間で完了することができる温度の近似値である、請求項1または請求項2記載の工具鋼の製造方法。
【請求項6】
前記基準温度は、前記鋼材のA点-70℃の値である、請求項5記載の工具鋼の製造方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、工具鋼の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
工具鋼としては、例えば、熱間ダイス鋼や、冷間ダイス鋼、プラスチック金型鋼等が知られている。一般に、工具鋼の製造工程では、まず、各種の金属原料等をアーク式電気炉等で溶解して溶鋼を得る工程と、その溶鋼を精錬する工程と、精錬後の溶鋼を鋳造して鋼材を得る工程と、が実行される。
【0003】
その後、鋼材に対しては、均質化熱処理や、鍛造等の熱間加工が行われ、さらに、工具鋼の機械的性質や加工特性を向上させるために球状化焼なまし(SA;Spheroidizing annealing)が実行される。球状化焼なましは、主に、鋼材の金属組織中の炭化物を球状化させて鋼材を軟化させることを目的として行われる。
【0004】
従来から、球状化焼なましに関する様々な技術が提案されてきている。例えば、下記の特許文献1には、球状化焼なましでの熱処理時間の短縮のために、球状化焼なましの前、または、球状化焼なましの途中で、鋼材に磁場を印加する技術が開示されている。また、特許文献2には、所望の焼入れ性および球状化焼なまし性を有する金型用の工具鋼を製造するために、球状化焼なましを実行した後に、焼入れを実行する技術が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開平10-298640号公報
【特許文献2】特開2008-121032号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記の特許文献1,2においても説明されているように、従来の球状化焼なましの一例では、鋼材を、鋼材のA点より高い所定の温度まで加熱した後、所定の冷却速度で徐冷する温度制御が行われていた。しかしながら、そのような従来の球状化焼なましの温度制御では、鋼材の所望の軟化を達成できたとしても、例えば、金属組織に残留しているベイナイトの痕跡がみられるなど、金属組織の状態に依然として改善の余地があった。
【0007】
従来は、球状化焼なましの後の鋼材の金属組織を改善するために、例えば、低温焼なまし(LA;Low temperature annealing)等の熱処理工程を、追加的に実行する場合もあった。しかしながら、こうした追加工程は、工具鋼の製造コストを増大させる原因となる。
【0008】
本発明は、従来とは異なる方法で球状化焼なましを行うことによって、追加の工程を実施しなくとも、適切に軟化され、かつ、良好な金属組織を有する工具鋼を得ることができる製造方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の発明者は、球状化焼なましの研究を重ね、鋼材の所望の軟化を達成でき、かつ、鋼材の金属組織の状態も良好にできる、従来とは異なる球状化焼なましの方法を見出した。本発明は、例えば、以下の形態として実現することが可能である。
【0010】
[第1形態]第1形態は、工具鋼の製造方法として提供される。第1形態の製造方法は、質量%で、C:0.25%以上1.50%以下、Si:0.10%以上1.50%以下、Mn:0.20%以上1.50%以下、P:0.050%以下、S:0.050%以下、Cu:0.30%以下、Ni:0.30%以下、Cr:4.00%以上9.00%以下、Mo:0.50%以上3.00%以下、および、V:0.15%以上1.50%以下、を含み、残部がFe及び不可避的不純物である化学組成を有する鋼材を準備する工程と、前記鋼材に対して、前記鋼材のAc点よりも高い第1温度で加熱する加熱処理と、前記第1温度から前記鋼材のA点よりも低い第2温度まで低下させる冷却処理と、前記第2温度で所定の時間、保持する恒温保持処理とを実行する球状化焼なましを行う工程と、を備える。
【0011】
[第2形態]上記第1形態に記載の工具鋼の製造方法において、前記第1温度は、870℃以上920℃以下でよい。
【0012】
[第3形態]上記第1形態、または、第2形態に記載の工具鋼の製造方法において、前記第2温度は、680℃以上780℃以下でよい。
【0013】
[第4形態]上記第1形態、第2形態、または、第3形態に記載の工具鋼の製造方法において、前記鋼材のA点と前記第2温度との差は、30℃以上140℃以下でよい。
【0014】
[第5形態]上記第1形態、第2形態、第3形態、または、第4形態のいずれかに記載の工具鋼の製造方法において、前記第2温度は、予め定めた基準温度±20℃の範囲内の温度であり、前記基準温度は、前記鋼材の恒温変態を最短の時間で完了することができる温度の近似値でよい。
【0015】
[第6形態]第5形態に記載の工具鋼の製造方法において、前記基準温度は、前記鋼材のA点-70℃の値としてよい。
【発明の効果】
【0016】
本発明によれば、従来とは異なる温度制御を実行する球状化焼なましを行うことによって、適切に軟化され、かつ、炭化物が適切に球状化され、母相のフェライト(α組織)が微細化された良好な金属組織を有する工具鋼を得ることができる。本発明によれば、球状化焼なましの途中や、球状化焼なましの後に、鋼材の金属組織の状態を改善するための追加工程の実施を省略することが可能である。
【0017】
本発明は、工具鋼の製造方法以外の種々の形態で実現することが可能である。本発明は、例えば、工具鋼の製造装置や、球状化焼なましの方法、球状化焼なましを実行するための装置等の形態で実現することができる。また、本発明は、工具鋼や、その工具鋼を用いて製造された工具、器具、機械、装置等の形態で実現することもできる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
図1】実施形態の球状化焼なましの温度制御を説明するための説明図。
図2】恒温変態最短完了温度の求め方を説明するための説明図。
図3】比較例の球状化焼なましの温度制御を説明するための説明図。
【発明を実施するための形態】
【0019】
以下に、本発明に係る工具鋼の製造方法の実施形態について説明する。
【0020】
1.第1工程:
第1工程では、下記の化学組成を有する鋼材が準備される。第1工程で準備される鋼材は、少なくとも、炭素(C)と、ケイ素(Si)と、マンガン(Mn)と、リン(P)と、硫黄(S)と、銅(Cu)と、ニッケル(Ni)と、クロム(Cr)と、モリブデン(Mo)と、バナジウム(V)とを含有し、残部が鉄(Fe)及び不可避的不純物である化学組成を有する。第1工程では、鋼材は、例えば、熱間鍛造等の熱間加工を経て、例えば、インゴット等の形態に成形された状態で準備される。
【0021】
1-1.鋼材の化学組成:
上記の各化学成分の含有量の好適範囲と、その限定理由を以下に詳述する。以下の説明では、特に断らない限り、含有率は質量含有率であり、「%」は、「質量%」を意味する。
【0022】
C:0.25%以上1.50%以下
Cは、工具鋼に求められる強度や耐摩耗性、硬度を確保するために有効な元素である。Cは、Cr、Mo、V等の炭化物形成元素と結合して炭化物を形成する。Cを0.25%以上含有させることにより、一般に工具鋼に求められる強度を得ることができる。Cは、0.30%以上含有されていることがより好ましい。これにより、より強度の高い工具鋼を得ることができる。ただし、Cの含有率が1.50%を超えると、粗大な炭化物が残存する原因となる場合や、鋼材の熱間加工性が低下する原因となる可能性がある。そのため、本実施形態のCの含有率は、1.50%以下とする。前述の不具合を抑制するためには、Cの含有率は、1.10%以下であることがより好ましい。
【0023】
Si:0.10%以上1.50%以下
Siは、炭化物の析出を促進し、鋼材の2次硬化を促進させるのに有効な元素である。Siを、0.10%以上含有させることにより、炭化物の析出をより促進させることができる。Siの含有率は、0.13%以上であることがより好ましい。ただし、Siの含有率が1.50%を超えると、焼入れ性が低下する可能性がある。そのため、本実施形態の鋼材におけるSiの含有率は1.50%以下とする。焼入れ性の低下を抑制する観点からは、Siの含有率は、1.30%以下であることがより好ましい。
【0024】
Mn:0.20%以上1.50%以下
Mnは、焼入れ性を高めるのに有効な元素である。鋼材の高い焼入れ性を得るために、Mnの含有率は、0.20%以上とする。鋼材の焼入れ性の向上のためには、Mnの含有率は、0.23%以上であることがより好ましい。ただし、Mnの含有率が1.50%を超えると、熱間加工性が低下する可能性がある。そのため、本実施形態の鋼材におけるMnの含有率は1.50%以下とする。熱間加工性の低下を抑制するためには、Mnの含有率は1.30%以下であることがより好ましい。
【0025】
P:0.050%以下
Pは、不可避的な不純物であり、粒界偏析による脆化を招き、鋼材の靭性を低下させる原因となり得る。そのため、本実施形態のPの含有率の上限は、0.050%以下とする。Pの含有率の上限は、0.040%以下であることがより好ましい。
【0026】
S:0.050%以下
Sは、不可避的な不純物であるが、工具鋼の被削性を向上させるために積極的に添加される場合もある。ただし、Sが過剰に含有されると、熱間加工性の低下の原因となる可能性があるため、本実施形態のSの含有率の上限は、0.050%以下とする。Sの含有率の上限は、0.040%以下であることがより好ましい。
【0027】
Cu:0.30%以下
Cuは、オーステナイトの安定化に有効な元素である。ただし、Cuを過剰に含有すると、鋼材の熱間加工性が低下する可能性があるため、本実施形態のCuの含有率の上限は0.30%以下とする。熱間加工性を確保するためには、Cuの含有率は、0.28%以下であることがより好ましい。
【0028】
Ni:0.30%以下
Niは、Cuと同様に、オーステナイトの安定化に有効な元素である。ただし、Niを過剰に含有すると、球状化焼なましによる鋼材の軟化が阻害される可能性があるため、本実施形態のNiの含有率の上限は0.30%以下とする。Niの含有率の上限は、0.28%以下であることがより好ましい。
【0029】
Cr:4.00%以上9.00%以下
Crは、炭化物の形成によって工具鋼の強度の向上に寄与する元素であり、鋼材の焼入れ性の向上にも有効な元素である。工具鋼の強度向上および鋼材の焼入れ性の向上のために、Crの含有率は、4.00%以上とする。Crの含有率は、4.50%以上であることがより好ましい。ただし、Crを過剰に含有すると、工具鋼の硬度を低下させる可能性がある。そのため、本実施形態のCrの含有率は、9.00%以下とする。Crの含有率の上限は、8.80%以下であることがより好ましい。
【0030】
Mo:0.50%以上3.00%以下
Moは、Crと同様に、焼入れ性の向上に有効な元素であり、炭化物の形成によって工具鋼の強度の向上に寄与する元素である。焼入れ性の向上および工具鋼の強度向上のために、Moの含有率は、0.50%以上とする。Moの含有率は、0.80%以上であることがより好ましい。ただし、Moを過剰に含有すると、鋼材の軟化が阻害される可能性がある。そのため、本実施形態のMoの含有率は、3.00%以下とする。Moの含有率は、2.80%以下であることがより好ましい。
【0031】
V:0.15%以上1.50%以下
Vは、CrおよびMoと同様に、炭化物の形成によって工具鋼の強度の向上に寄与する元素であり、焼入れ時の結晶粒成長を防止するのに有効な元素でもある。工具鋼の強度の確保や鋼材の焼入れ性のために、本実施形態のVの含有率は、0.15%以上とする。Vの含有率は、0.18%以上であることがより好ましい。ただし、Vが過剰に含有されると、粗大な炭窒化物が形成され、工具鋼の脆性や靭性を低下させる可能性がある。そのため、本実施形態のVの含有率は、1.50%以下とする。Vの含有率の上限値は、1.20%以下であることがより好ましい。
【0032】
2.第2工程:
図1は、第2工程の球状化焼なましにおける鋼材の温度制御の一例を示す説明図である。第2工程では、上記の第1工程で準備された鋼材に対して球状化焼なましを行う。本実施形態の球状化焼なましでは、図1に示されたステップS1~S4の4段階の温度制御処理が実行される。
【0033】
ステップS1では、加熱処理が実行される。加熱処理では、鋼材を、Ac点よりも高い第1温度Thで加熱する。Ac点は、例えば、フォーマスター試験によって求めた実測値でよい。ステップS1において第1温度Thでの加熱が継続される加熱時間は、例えば、3~8時間程度でよい。
【0034】
本発明の発明者は、研究を重ねるうちに、加熱処理での加熱温度に相当する第1温度Thが、球状化焼なましでの金属組織の作り込みにとって重要であるとの知見を得た。そして、第1温度ThをAc点よりも高い温度とすることにより、加熱処理中にベイナイトからオーステナイトへの変態が促進されるとともに、加熱処理後にオーステナイトがベイナイトに焼き戻されることを抑制できることを見出した。
【0035】
ステップS1の加熱処理において、第1温度Thを鋼材のAc点よりも高い温度とすれば、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織において、ベイナイトを低減でき、かつ、母相であるα組織の微細化を促進できる。
【0036】
第1温度Thは、Ac点より10℃以上高いことが好ましく、30℃以上高いことがより好ましい。一般に、Ac点は、850~900℃程度である。よって、第1温度Thは、870℃以上であることが好ましい。第1温度Thを870℃以上の値とすれば、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織中におけるベイナイトをより低減することができ、α組織の微細化をより一層、促進することができる。
【0037】
第1温度Thは、920℃以下であることが好ましい。第1温度Thを920℃より高くすると、炭素の固溶量が多くなって、冷却段階で炭素が拡散するのに時間がかかり、軟化が不十分となる可能性があるためである。また、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織中の結晶粒が過剰に粗大化する可能性があるためである。
【0038】
ステップS2は、冷却処理である。冷却処理では、鋼材を、炉冷により、第1温度Thから鋼材のA点よりも低い第2温度Tcまで低下させる。ここでのA点は、例えば、回帰計算によって求めた値でよい。冷却処理での冷却速度は、例えば、10~50℃/時間でよい。冷却速度は、球状化焼なましの仕上がりへの影響は小さいため、特に限定されない。
【0039】
ステップS3は、恒温保持処理である。恒温保持処理では、鋼材を、第2温度Tcで、所定の時間tholdだけ保持する。この恒温保持処理の間に、鋼材の金属組織において、炭化物が球状に成長し、オーステナイトのα組織への変態が進行する。そのため、球状化焼なましによる鋼材の軟化と、金属組織の作り込みには、上述した加熱処理の第1温度Thとともに恒温保持処理の処理条件が重要である。
【0040】
以下、ステップS3において、鋼材を第2温度Tcで保持する時間を「恒温保持時間thold」とも呼ぶ。恒温保持時間tholdは、例えば、5時間以上20時間以下の範囲内で、鋼材の化学組成や寸法によって適宜定められればよい。より良好な金属組織を得るためには、恒温保持時間tholdの下限は、10時間以上であることがより好ましい。また、工具鋼の製造コストの増大を抑制する観点からは、恒温保持時間tholdの上限は、18時間以下であることがより好ましい。
【0041】
様々な鋼種において、球状化焼なましによる軟化の効果を高め、球状化焼なまし後の金属組織を適切な状態にするためには、第2温度Thは、概ね、680℃以上、かつ、780℃以下の範囲内であることが好ましい。また、後述する実施例において示すように、第2温度Thは、700℃以上、かつ、760℃以下であることがより好ましい。
【0042】
恒温保持処理においてオーステナイトからα組織への変態を促進させるためには、第2温度Thは、鋼材のA点より30℃以上低い温度とすることが好ましい。A点と第2温度Thとの差は、40℃以上であることがより好ましい。A点と第2温度Thとの差を40℃以上とすれば、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織にオーステナイトが残留することをより一層、抑制できる。よって、鋼材の所望の軟化を達成することができる。
【0043】
点と第2温度Thとの差は140℃以下であることが好ましく、100℃以下であることがより好ましい。A点と第2温度Thとの差を140℃以下とすれば、理想とする金属組織の状態を得やすくなる。A点と第2温度Thとの差を100℃以下とすれば、ステップS1の加熱処理の後に鋼材が冷却されている間に、オーステナイトがマルテンサイト化して、鋼材が硬くなることを抑制できる。また、恒温保持処理において、球状の炭化物が十分に成長できずに、鋼材が十分に軟化しなくなることを抑制できる。
【0044】
本発明の発明者は、第2温度Thを、予め定めた基準温度Ts±20℃の範囲内の値とすることにより、鋼材の金属組織をより好適な状態に作り込めることを見出した。ここで、「基準温度Ts」は、鋼材の恒温変態を最短で完了できる温度の近似値である。以下、「鋼材の恒温変態を最短で完了できる温度」を「恒温変態最短完了温度」とも呼ぶ。恒温変態最短完了温度は、後述する方法により、実験的に求めることができる。なお、後述するように、本発明者によれば、恒温変態最短完了温度は、A点-70℃の値の近似値となる。
【0045】
ステップS4は、急冷処理である。急冷処理では、鋼材を第2温度Thから冷却する。急冷処理の処理条件は特に限定されない。本実施形態の急冷処理では、鋼材を炉から搬出し、空冷によって冷却する。
【0046】
以上のステップS1~S4の処理を実行することにより、第2工程の球状焼なましが完了する。本実施形態の球状焼なましによれば、鋼材において、球状化された炭化物が適度に存在し、かつ、微細なα組織を母相とし、ベイナイトやマルテンサイトが存在することが抑制されている好適な金属組織を得ることができ、鋼材を適切に軟化させることができる。
【0047】
3.恒温変態最短完了温度の求め方:
図2は、上述した恒温変態最短完了温度を実験的に求める方法の一例を説明するための説明図である。この方法では、鋼材を様々な加熱温度で加熱した後に徐冷する球状化焼なまし試験を行い、加熱温度ごとに求めた、球状化焼なまし試験が完了する温度と冷却時間とに基づいて恒温変態最短完了温度が求められる。
【0048】
図2(a)には、恒温変態最短完了温度を求めるための球状化焼なまし試験での温度制御のパターンを示すグラフの一例が示されている。この球状化焼なまし試験では、A点より高い加熱温度で所定の時間、鋼材が加熱され、その後、炉冷によって所定の冷却速度で、球状化焼なましの完了温度(以下、「SA完了温度」と呼ぶ。)まで冷却される。SA完了温度に到達した後には、鋼材は、空冷によって急冷される。SA完了温度は、オーステナイトのα組織への変態の完了して鋼材の軟化が確認できる温度である。
【0049】
基準温度Tsを求める際には、上記の球状化焼なまし試験を、様々な加熱温度Tt,Tt,…,Ttで行う。添え字nは任意の自然数である。そして、その加熱温度Tt,Tt,…,Ttごとに、SA完了温度Tf,Tf,…,Ttと、冷却時間t,t,…,tとを求める。冷却時間t,t,…,tは、加熱処理の終了後、SA完了温度Tf,Tf,…,Tfに到達するまでの時間に相当する。
【0050】
図2(b)には、上記の球状化焼なましによって得られたSA完了温度Tf,Tf,…,Tfと、冷却時間t,t,…,tとをプロットしたグラフの一例が示されている。このグラフは、縦軸が温度であり、横軸が、対数軸で示された時間軸である。図2(b)のグラフ中の添え字mは、任意の自然数である。SA完了温度Tf,Tf,…,Tfと、冷却時間t,t,…,tとをプロットしたグラフをTTT変換することによって、以下に説明するように、恒温変態最短完了温度を得ることができる。
【0051】
図2(c)には、図2(b)のグラフをTTT変換したときのグラフの一例が図示されている。図2(c)のグラフにおいて、最小の時間tminに対する温度Tmが、恒温変態最短完了温度Tmを表している。
【0052】
上述したように、基準温度Tsを、恒温変態最短完了温度Tmの近似値として定め、第2温度Tcを、基準温度Ts±20℃の範囲内の値とすれば、鋼材の金属組織を改善することができる。なお、恒温変態最短完了温度Tmの近似値は、例えば、恒温変態最短完了温度Tm±3%の範囲の値としてよい。
【0053】
本発明の発明者は、実験により、恒温変態最短完了温度Tmは、各種の鋼材に共通して、A点-70℃の近似値になるとの知見を得た。基準温度Tsを、A点-70℃の値とすれば、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織をより効果的に改善できる恒温保持処理の第2温度Tcを、容易に定めることができる。
【0054】
4.比較例の球状化焼なまし:
図3を参照して、上述した本実施形態の球状化焼なましに対する比較例としての球状化焼なましの温度制御を説明する。比較例の球状化焼なましは、従来から工具鋼の製造の際に一般に実施されていたものに相当する。
【0055】
比較例の球状化焼なましでは、鋼材は、まず、ステップS1aの加熱処理において、鋼材のAc点よりも低い加熱温度Taで、所定の時間、加熱される。続いて、鋼材は、ステップS2aの徐冷処理において、炉冷によって、加熱温度Taから冷却温度Tbまで所定の冷却速度で冷却される。冷却温度Tbは、鋼材のAc点の直下の温度である。ステップS2aでの冷却速度は、例えば、15℃/時間程度でよい。鋼材は、ステップS3aの急冷処理において、空冷によって冷却される。ステップS3aの後、鋼材の軟化が十分でない場合には、ステップS4aの焼入れ処理が実行される。
【0056】
比較例の球状化焼なましでは、多くの場合、ステップS2aの冷却処理が完了した時点では、鋼材の金属組織は、α組織とγ組織(オーステナイト)とが混在した状態となる。γ組織は、ステップS3aの急冷処理においてマルテンサイト化する可能性が高く、鋼材の軟化を妨げる原因となる。また、比較例の球状化焼なましでは、加熱温度Taが、Ac点よりも低いため、鋼材の金属組織中にベイナイトが残留する可能性がある。
【0057】
5.実施形態のまとめ:
以上のように、本実施形態の工具鋼の製造方法によれば、従来の球状化焼なましとは温度制御が異なる球状化焼なましが実施される。本実施形態の球状化焼なましによれば、鋼材は、加熱処理においてAc点よりも高い第1温度Thまで加熱された後、A点よりも低い第2温度Tcで恒温保持時間だけ保持される。この温度制御によれば、鋼材の金属組織中のベイナイトを低減でき、母相であるα組織の微細化を促進できる。また、炭化物の球状化を促進することができる。そのため、上記の比較例の球状化焼なましよりも状態が良い金属組織を得ることができ、鋼材を好適に軟化させることができる。よって、機械的性質や加工特性がより向上された工具鋼を得ることができる。
【実施例0058】
次に、本発明に係る工具鋼の製造方法の実施例を説明する。
【0059】
A.鋼材の化学組成:
本実施例では、本発明に係る工具鋼の製造方法で用いられる鋼材として、下記の表1に示す3つの鋼種SA,SB,SCを準備した。
【0060】
【表1】
【0061】
表1には、各鋼種SA,SB,SCに含まれる各元素の含有率の下限値と上限値とが、いずれも質量%で示されている。表1には示されていないが、各鋼種SA,SB,SCの化学組成は、残部がFeおよび不可避的不純物である。
【0062】
鋼種SA,SBは、熱間工具鋼であり、鋼種SAは、冷間ダイス鋼である。鋼種SAは、一次溶解および二次溶解を経て作製された二次溶解材である。鋼種SB,SCは、一次溶解を経て作製された一次溶解材である。
【0063】
B.鋼材の変態点、基準温度、および、恒温変態最短完了温度:
下記の表2には、鋼種SA,SB,SCそれぞれのA点、Ac点、A点、基準温度Ts、恒温変態完了温度Tmとがまとめられている。
【0064】
【表2】
【0065】
表2において、A点、および、A点は、回帰計算によって算出された値である。Ac点は、フォーマスター試験によって得られた実測値である。恒温変態完了温度Tmは、図2で説明した方法によって実験的に求めた値である。表2での基準温度Tsは、A点より70℃低い値とした。いずれの鋼種SA,SB,SCにおいても、基準温度Tsは、恒温変態完了温度Tm±3%の範囲内の近似値となった。
【0066】
C.加熱処理の第1温度の影響評価:
下記の表3には、加熱処理での第1温度Thを870℃、900℃、920℃とし、恒温保持処理の処理条件を同一としたときの球状化焼なましを行った後の鋼材の評価結果をまとめてある。
【0067】
【表3】
【0068】
製造例E1,E2,E3では鋼材として鋼種SAを用い、製造例E4,E5,E6では鋼材として鋼種SBを用い、製造例E7,E8,E9では鋼材として鋼種SCを用いた。鋼種SA,SBの鋼材については、球状焼なまし前の鋼材の金属組織の結晶粒の大きさが異なる「粗大粒」と「超粗大粒」の2種類を準備して評価した。つまり、例えば、製造例E1では、鋼種SAの「粗大粒」の鋼材と、鋼種SAの「超粗大粒」の鋼材の2種類の鋼材のそれぞれに対して、第1温度Thを870℃とする球状化焼なましを実行して評価した。「粗大粒」の鋼材は、デジタルマイクロスコープで観測し、目視で計測した結晶粒の粒径の平均値が200μmであった。「超粗大粒」の鋼材は、デジタルマイクロスコープで観測し、目視で計測した結晶粒の粒径の平均値が2000μmであった。鋼種SCについては、粗大粒の鋼材についてのみ評価を行った。
【0069】
いずれの製造例E1~E9においても、加熱処理での加熱時間は、4時間とした。また、恒温保持処理での第2温度Thは、720℃とし、恒温保持時間Tholdは、10時間とした。なお、第2温度Thの720℃は、表2に示されているいずれの鋼種SA,SB,SCのA点よりも30℃以上低い値である。
【0070】
表3での「評価結果」は、球状化焼なまし後の鋼材の金属組織を400倍の顕微鏡観察によって以下の目安で評価した結果である。評価結果の「○」は観察視野の30%未満の範囲に欠陥が観察されたことを示し、「△」は、観察視野の30%以上50%未満の範囲に欠陥が観察されたことを示し、「×」は、観察視野の50%以上の範囲に欠陥が観察されたことを示している。
【0071】
加熱温度がAc点より低かった製造例E1では、「粗大粒」についても「超粗大粒」についても、観察視野の50%以上の範囲にベイナイトが多く存在しており、評価結果を「×」とした。製造例E1では、加熱処理での第1温度ThがAc点よりも低かったために、加熱処理後に多くのベイナイトがオーステナイトから焼き戻されたものと推察される。
【0072】
製造例E2では、加熱温度がAc点より10℃高かったが、「粗大粒」についても「超粗大粒」についても、評価結果は「△」であった。製造例E2では、観察視野の30%以上50%未満の範囲にベイナイトの存在が確認された。ただし、製造例E2では、母相であるα組織が十分に微細化されていた。製造例E2で観察されたベイナイトは、加熱処理においてオーステナイトへと変態しないまま残留したものであると推察される。
【0073】
その他の製造例E3~E9の第1温度Thは、870℃以上920℃以下であり、いずれもAc点より高かった。製造例E3~E9の評価結果はいずれも「○」であった。製造例E3~E9ではいずれも、観察視野の30%未満の範囲にしかベイナイトの存在が確認されず、α組織が十分に微細化されており、炭化物も適切に粒状化されていた。この結果から、第1温度Thは、870℃以上920℃以下であることが好ましいことがわかる。
【0074】
以上より、第1温度ThがAc点より高い加熱処理と恒温保持処理とを組み合わせることによって、金属組織の状態を改善できることがわかった。なお、第1温度ThがAc点より30℃以上高い製造例E3,E5,E6,E8,E9の評価結果はいずれも「○」であった。このことから、第1温度Thは、Ac点より30℃以上高いことがより好ましいと言える。
【0075】
D.恒温保持処理の第2温度の影響結果:
下記の表4には、加熱処理の処理条件を同一とし、恒温保持処理での第2温度Tcを780℃、760℃、740℃、720℃、700℃、680℃としたときの球状化焼なましを行った後の鋼材の評価結果をまとめてある。
【0076】
【表4】
【0077】
製造例E10,E11,E12,E13,E14,E15では鋼材として鋼種SAを用いた。製造例E16,E17,E18,E19,E20,E21では鋼材として鋼種SBを用いた。製造例E22,E23,E24,E25,E26,E27では鋼材として鋼種SCを用いた。表4における「粗大粒」と「超粗大粒」は、表3で説明したのと同様に、球状化焼なまし前の金属組織の結晶粒の大きさが異なる2種類の鋼材を意味している。
【0078】
加熱処理では、いずれの製造例E10~E27についても、第1温度Thを900℃とし、加熱時間を4時間とした。第1温度Thの900℃は、表2に示すように、いずれの鋼種SA,SB,SCのAc点よりも高い値であった。恒温保持処理の恒温保持時間は、いずれの製造例E10~E27についても、5時間とした。
【0079】
製造例E10~E27の第2温度Tcはいずれも、A点よりも低い温度であった。製造例E10~E27のいずれにおいても、球状化焼なましに求められる軟化が実現されており、金属組織についても適切な状態が得られていた。このことから、Ac点より高い第1温度Thで加熱処理を行った後に、A点より低い第2温度Tcで恒温保持処理を行う球状化焼なましを行うことによって、鋼材の適切な軟化や鋼材の金属組織の改善が容易にできることがわかる。
【0080】
また、製造例E10~E27の第2温度Tcはいずれも、680℃以上、かつ、780℃以下であった。このことから、第2温度Tcは、680℃以上、かつ、780℃以下であることが好ましいことがわかる。
【0081】
表4での「評価結果」は、球状化焼なまし後の鋼材のブリネル硬さの計測結果に基づくものである。評価結果の「A」は、ブリネル硬さの計測値が220HB以下であったことを示し、「B」は、ブリネル硬さの計測値が220HBより大きく、かつ、250HBより小さいかったことを示している。「C」は、ブリネル硬さの計測値が250HB以上であったことを示している。以下では、この評価結果に基づいて、恒温保持処理でのより好適な温度条件を説明する。
【0082】
第2温度Tcが、700℃以上、かつ、760℃以下である製造例E11,E12,E13,E14,E17,E18,E19,E20,E23,E24,E25,E26は、いずれも評価が「A」であった。このことから、第2温度Tcは、700℃以上、かつ、760℃以下であることが、より好ましいことがわかる。
【0083】
製造例E15の「粗大粒」の評価結果は「C」であり、「超粗大粒」の評価結果は「B」であった。製造例E15では、金属組織にマルテンサイトが、他の製造例E10~E14,E16~E27よりも多く観察されており、そのマルテンサイトが、ブリネル硬さが他より高くなった原因であると考えられる。製造例E15の金属組織にマルテンサイトが比較的多く存在した理由は、製造例E15では、A点に対する第2温度Tcの低下幅が145℃と最も大きく、恒温保持処理においてオーステナイトがマルテンサイト化しやすかったためであると考えられる。
【0084】
製造例E16の評価結果は、「粗大粒」と「超粗大粒」のいずれについても「C」であった。製造例E16の金属組織には、α組織に変態せず、オーステナイトのままの組織が多く観察された。このオーステナイトの存在が、鋼材の軟化を阻害した原因であると考えられる。また、製造例E16では、第2温度Tcが、A点に対して比較的高く、A点と第2温度Tcとの差が最も小さい13℃であったため、恒温保持処理中のオーステナイトからα組織への変態が十分に進行しなかったものと推察される。
【0085】
上記の製造例E15,E16の結果は、第2温度Tcを、A点との差が小さすぎず、かつ、大きすぎない範囲で適切に設定することによって、球状焼なましのより良好な結果が得られることを示している。
【0086】
製造例E10~E14,E17~E27では、第2温度TcとA点との差が30℃以上、かつ、140℃以下であり、いずれも評価結果が「A」または「B」であった。このことから、A点と第2温度Tcとの差は30℃以上、かつ、140℃以下であることが、より好ましいことがわかる。
【0087】
また、A点と第2温度Tcとの差が40℃以上100℃以下である製造例E10,E11,E12,E18,E19,E20,E23,E24,E25の評価結果はいずれも「A」であった。このことから、A点と第2温度Tcとの差は40℃以上、かつ、100℃以下であることが、より一層、好ましいことがわかる。
【0088】
表4の基準温度Tsは、A点より70℃低い値である。製造例E10,E11,E12,E18,E19,E20,E23,E24では、第2温度Tcが基準温度Ts±20℃の範囲内であった。製造例E10,E11,E12,E18,E19,E20,E23,E24の評価結果はいずれも「A」であった。このことから、鋼材の所望の軟化を達成し、金属組織の状態を良好にするためには、第2温度Tcを基準温度Ts±20℃の範囲内の値とすることがより一層、好ましいことがわかる。
【0089】
E.まとめ:
以上の結果より、本発明に係る工具鋼の製造方法において実施される球状化焼なましによれば、鋼材の所望の軟化の達成、および、鋼材の金属組織の状態の改善が可能である。よって、本発明に係る工具鋼の製造方法によれば、適切に軟化され、かつ、良好な金属組織を有し、機械的性質や加工特性に優れた工具鋼を得ることができる。
【0090】
本発明は、上記実施形態および実施例に限定されることはなく、本発明の趣旨を逸脱しない範囲内で種々の改変が可能である。例えば、必須とされていない元素の一部を省略したり、主要な元素に大きな影響を与えない範囲で上述した以外の元素を追加したり、必須とされていない製造条件の一部を変更したりすることが可能である。
【符号の説明】
【0091】
S1…加熱処理、S2…冷却処理、S3…恒温保持処理、S4…急冷処理、Th…第1温度、Tc…第2温度、Tm…恒温変態最短完了温度、Ts…基準温度、thold…恒温保持時間

図1
図2
図3