(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024158327
(43)【公開日】2024-11-08
(54)【発明の名称】塩素分析方法
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20241031BHJP
【FI】
G01N27/62 V
G01N27/62 X
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023073447
(22)【出願日】2023-04-27
(71)【出願人】
【識別番号】505089614
【氏名又は名称】国立大学法人福島大学
(71)【出願人】
【識別番号】523120764
【氏名又は名称】PerkinElmer Japan合同会社
(71)【出願人】
【識別番号】000140627
【氏名又は名称】株式会社化研
(71)【出願人】
【識別番号】000230940
【氏名又は名称】日本原子力発電株式会社
(71)【出願人】
【識別番号】000005234
【氏名又は名称】富士電機株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099623
【弁理士】
【氏名又は名称】奥山 尚一
(74)【代理人】
【識別番号】100125380
【弁理士】
【氏名又は名称】中村 綾子
(74)【代理人】
【識別番号】100142996
【弁理士】
【氏名又は名称】森本 聡二
(74)【代理人】
【識別番号】100166268
【弁理士】
【氏名又は名称】田中 祐
(72)【発明者】
【氏名】高貝 慶隆
(72)【発明者】
【氏名】古川 真
(72)【発明者】
【氏名】加藤(小林) 恭子
(72)【発明者】
【氏名】川上 智彦
(72)【発明者】
【氏名】蛭田 祐未
(72)【発明者】
【氏名】野口 裕史
(72)【発明者】
【氏名】小足 隆之
(72)【発明者】
【氏名】松田 貴光
(72)【発明者】
【氏名】見上 寿
(72)【発明者】
【氏名】関根 伸行
【テーマコード(参考)】
2G041
【Fターム(参考)】
2G041AA09
2G041CA01
2G041DA14
2G041EA04
2G041FA03
2G041FA21
2G041FA23
2G041GA09
2G041HA01
2G041KA03
2G041LA08
(57)【要約】
【課題】塩素を迅速に高精度で分析する方法。
【解決手段】イオン化部Pと第1の四重極マスフィルタQ1とリアクションセルQ2と第2の四重極マスフィルタQ3と検出部Dとを備える誘導結合プラズマ質量分析装置1を用いた、質量数Mの塩素分析方法であり、試料溶液をイオン化部に導入してイオン化したイオン群を得る工程と、第1の四重極マスフィルタにおいて、イオン群から、質量数M以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、第1の四重極マスフィルタを通過したイオン群を、リアクションセルで水素または重水素ガスから選択される質量数mの元素からなるリアクションガスと接触させ、質量数M+2mの多原子イオンを生成する工程と、第2の四重極マスフィルタにおいて、質量数M+2m以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、第2の四重極マスフィルタを通過した質量数M+2mのイオンの信号を検出する工程を含む塩素分析方法。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン化部と、第1の四重極マスフィルタと、リアクションセルと、第2の四重極マスフィルタと、検出部とを備える誘導結合プラズマ質量分析装置を用いた、質量数M(Mは、35、36、及び37から選択される1以上である)の塩素の分析方法であって、
試料溶液を前記イオン化部に導入してイオン化したイオン群を得る工程と、
前記第1の四重極マスフィルタにおいて、前記イオン群から、質量数M以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、
前記第1の四重極マスフィルタを通過したイオン群を、前記リアクションセルで、水素ガスまたは重水素ガスから選択される質量数m(mは、水素ガスについては1、重水素ガスについては2である)の元素からなるリアクションガスと接触させ、質量数(M+2m)の多原子イオンを生成する工程と、
前記第2の四重極マスフィルタにおいて、質量数(M+2m)以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、
前記第2の四重極マスフィルタを通過した質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程と
を含む、塩素分析方法。
【請求項2】
前記多原子イオンが、MClmHmHである、請求項1に記載の塩素分析方法。
【請求項3】
前記イオン化する工程の前に、イオンクロマトグラフィーにより、前記試料溶液中の妨害元素を除去する工程を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントの強度に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程である、請求項1に記載の方法。
【請求項5】
前記イオンカウントの強度に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントから得られるピーク形状のピーク面積の強度積算値に基づいて質量数Mの塩素を定量する工程である、請求項4に記載の方法。
【請求項6】
前記イオンカウントのピーク形状に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントから得られるピーク形状のピーク高さ最大値に基づいて質量数Mの塩素を定量する工程である、請求項4に記載の方法。
【請求項7】
Mが、35、36、及び37であり、塩素の三種の同位体を同時に検出する、請求項1に記載の方法。
【請求項8】
Mが36であり、塩素の放射性同位体を、塩素の安定同位体と識別して検出する、請求項1に記載の方法。
【請求項9】
前記リアクションガスが重水素ガスである、請求項7または8に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、塩素の分析方法に関する。本発明は、特には、従来法と比較して短時間で高精度に塩素を定量することが可能な分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
質量数36の塩素(塩素36あるいはCl-36ともいう)は、半減期3.01×105年でβ崩壊し、最大エネルギー709keVのβ線を98.1%の放出率で放出する長半減期核種である。Cl-36の定量分析法としては、β線を測定する手法が知られており、液体試料中のCl-36分析法が制定されている。
【0003】
β線を測定する手法では、試料中の塩化物イオン濃度を予めイオンクロマトグラフィーなどにより定量し、確認した上で、分析に必要となる塩化物イオン担体を加える。試料中の塩素は、硝酸及び過マンガン酸カリウムを順次添加し加熱する酸化ガス化回収操作により精製する。これらの操作により、Cl-36が放出するβ線を測定する上で妨害となる元素が分離精製操作により除去されていることを確認した後、Cl-36が放出するβ線を測定することで、試料中のCl-36濃度(Bq/g)を求める。このβ線を利用する分析法は、化学分離操作により液中に共存する妨害元素を分離し、Cl-36を単離する操作が必要である。このため、煩雑な処理操作が必要で、その作業に時間が掛かるなどの問題がある。
【0004】
Cl-36と同様に、定量が困難な放射性核種として、質量数90のストロンチウム(Sr-90)がある。Sr-90を短時間で、高精度で分析する方法としては、四重極マスフィルタを用いる方法が知られている(例えば、特許文献1を参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
2012年の原子炉等規制法の改正に伴い、今後、高経年化した原子力発電所の廃止措置が増加することが予想される。既に廃止措置が決定された東海原子力発電所は、黒鉛減速炭酸ガス冷却型の原子炉を採用しており、この炉型において発生するCl-36の放射能量は、他の軽水炉と比較して多い。そのため、廃炉にあたって、Cl-36の迅速測定が求められている。黒鉛減速炭酸ガス冷却型の原子炉は、イギリスやフランスの原子力発電所に多くみられ、今後、廃止措置の増加が予測されるため、国際的にもCl-36の迅速測定の要請が高まっている。このため、測定に5日間程度要する従来のβ線を測定する手法では、今後、測定の需要増加に間に合わない。
【0007】
Sr-90については、特許文献1に示すように迅速分析方法が確立されてきた。しかし、Cl-36は、同重体の存在に起因して、質量分析法によって十分な感度を達成するのは困難であることに加え、Cl-36と安定同位体との天然存在比に起因して、テーリングによるバックグラウンドノイズの上昇が顕著であった。すなわち、Cl-36を高感度で定量することは、Sr-90の定量よりもさらに困難な問題があった。
【0008】
上述した問題に対し、質量数の異なる塩素同位体を区別して、迅速かつ正確に測定する分析方法が求められる。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、一実施形態によれば、イオン化部と、第1の四重極マスフィルタと、リアクションセルと、第2の四重極マスフィルタと、検出部とを備える誘導結合プラズマ質量分析装置を用いた、質量数M(Mは、35、36、及び37から選択される1以上である)の塩素の分析方法であって、
試料溶液を前記イオン化部に導入してイオン化したイオン群を得る工程と、
前記第1の四重極マスフィルタにおいて、前記イオン群から、質量数M以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、
前記第1の四重極マスフィルタを通過したイオン群を、前記リアクションセルで、水素ガスまたは重水素ガスから選択される質量数m(mは、水素ガスについては1、重水素ガスについては2である)の元素からなるリアクションガスと接触させ、質量数(M+2m)の多原子イオンを生成する工程と、
前記第2の四重極マスフィルタにおいて、質量数(M+2m)以外の質量数を持つイオンを除去する工程と、
前記第2の四重極マスフィルタを通過した質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程と
を含む、塩素分析方法に関する。
【0010】
前記塩素分析方法において、前記多原子イオンが、MClmHmHであることが好ましい。
【0011】
前記塩素分析方法において、前記イオン化する工程の前に、イオンクロマトグラフィーにより、前記試料溶液中の妨害元素を除去する工程を含むことが好ましい。
【0012】
前記塩素分析方法において、前記質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントの強度に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程であることが好ましい。
【0013】
前記塩素分析方法において、前記イオンカウントの強度に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントから得られるピーク形状のピーク面積の強度積算値に基づいて質量数Mの塩素を定量する工程であることが好ましい。
【0014】
前記塩素分析方法において、前記イオンカウントの強度に基づいて質量数Mの塩素を検出する工程が、質量数(M+2m)のイオンカウントから得られるピーク形状のピーク高さ最大値に基づいて質量数Mの塩素を定量する工程であることが好ましい。
【0015】
前記塩素分析方法において、Mが、35、36、及び37であり、塩素の三種の同位体を同時に検出することが好ましい。
【0016】
前記塩素分析方法において、Mが36であり、塩素の放射性同位体を、塩素の安定同位体と識別して検出することが好ましい。
【0017】
前記塩素分析方法において、前記リアクションガスが重水素ガスであることが好ましい。
【発明の効果】
【0018】
本発明の塩素分析方法によれば、従来法と比較して数十分の一程度の所要時間にて、高精度で塩素を定量することが可能であり、塩素の複数の同位体をそれぞれ別個に定量することも可能である。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【
図1】
図1は、本願発明に係る塩素分析方法に用いる誘導結合プラズマ質量分析装置の一例を模式的に示す図である。
【
図2】
図2は、リアクションガスとして水素ガスを用いた場合の、塩素安定同位体Cl-35及びCl-37についての、リアクションガス流量と検出強度の関係を示すグラフである。
【
図3】
図3は、リアクションガスとして重水素ガスを用いた場合の、塩素の安定同位体Cl-35及びCl-37についての、リアクションガス流量と検出強度の関係を示すグラフである。
【
図4】
図4は、塩素の放射性同位体Cl-36についての、リアクションガス流量と検出強度の関係を示すグラフである。
【
図5】
図5は、塩素の放射性同位体Cl-36及びブランク試料についての、リアクションガス流量と検出強度の関係を示すグラフである。
【
図6】
図6は、Cl-36にリアクションガスとして酸素ガスを接触させて得られる多原子イオン(プロダクトイオン)の調査結果を示すグラフである。破線はブランク試料を示す。
【
図7】
図7は、Cl-36にリアクションガスとして重水素ガスを接触させて得られる多原子イオン(プロダクトイオン)の調査結果を示すグラフである。破線はブランク試料を示す。
【
図8】
図8は、Cl-36にリアクションガスとして水素ガスを接触させて得られる多原子イオン(プロダクトイオン)の調査結果を示すグラフである。破線はブランク試料を示す。
【
図9】
図9は、リアクションガスとして、重水素、水素、及び酸素を用いた場合の、Cl-36の検量線を示すグラフである。
【
図10】
図10は、濃度既知のCl-36を含む試料について、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合のCl-36の検量線を示す図であって、(a)は測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットしたチャートであって、(b)は検量線を示すグラフであり、Q1で通過させたイオンの質量数は36、Q3で通過させたイオンの質量数は40である。
【
図11】
図11は、濃度既知のCl-36を含む試料について、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合のCl-36の検量線を示す図であって、(a)は測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットしたチャートであって、(b)は検量線を示すグラフであり、Q1で通過させたイオンの質量数は36、Q3で通過させたイオンの質量数は38である。
【
図12】
図12は、濃度既知のCl-36を含む試料について、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして酸素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合のCl-36の検量線を示す図であって、(a)は測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットしたチャートであって、(b)は検量線を示すグラフであり、Q1で通過させたイオンの質量数は36、Q3で通過させたイオンの質量数は52である。
【
図13】
図13は、濃度既知のCl-36を含む試料について、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、濃度既知(1Bq/mL)のCl-36を含み、硫酸を0.1質量%となるように添加した場合の試料を、リアクションガスとして、水素及び重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合の測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットしたチャートである。
【
図14】
図14は、安達地下水に含まれるCl-36を、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして、重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合の測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットした図である。
【
図15】
図15は、鉱泉水に含まれるCl-36を、イオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして、重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した場合の測定時間に対するマススペクトルの測定強度をプロットした図である。
【発明を実施するための形態】
【0020】
以下に、本発明の実施の形態を説明する。ただし、本発明は、以下に説明する実施の形態によって限定されるものではない。
【0021】
本発明は、一実施形態によれば、塩素分析方法に関する。本発明において、塩素とは、天然に多く存在する塩素の安定同位体である、質量数が35の塩素(以下、Cl-35、または35Clと記載する場合がある)、及び質量数が37の塩素(以下、Cl-37、または37Clと記載する場合がある)に加え、放射性同位体である質量数が36の塩素(以下、Cl-36、または36Clと記載する場合がある)をいうものとする。したがって、本発明に係る塩素分析方法は、試料中に混在しうる、35Cl、36Cl、37Cl、及びこれらの任意の組み合わせについて、1回の測定により、個別に定量することが可能な方法である。以下、本発明において、3種類の塩素同位体を総括して、Cl-M、または、MClと記載する場合があり、この場合、Mは、塩素の質量数であって、35、36、または37である。同様に、ある元素の同位体を、「元素記号-質量数」により表現する場合がある。
【0022】
本発明の一実施形態に係る塩素分析方法には、誘導結合プラズマ質量分析(Inductively Coupled Plasma Mass Spectrometry:ICP-MS)装置を用いることができる。特には、イオン化部と、第1の四重極マスフィルタと、リアクションセルと、第2の四重極マスフィルタと、検出部とをこの順に接続してなる、いわゆる、ICPタンデム質量分析装置(ICP-MS/MS装置)を用いることができる。
【0023】
図1は、本実施形態に使用可能なICP-MS/MS装置の一例を模式的に示す図である。ICP-MS/MS装置1は、イオン化部Pと、第1の四重極マスフィルタQ1と、リアクションセルQ2と、第2の四重極マスフィルタQ3と、検出部Dを含む機器が直列に接続されており、イオン化部Pに導入された試料溶液S中の検出対象物が、各機器により、物理的、及び/または化学的な作用を受け、最終的に検出部Dにて定量される。リアクションセルQ2は、コリジョン・リアクションセル(CRC)、またはダイナミックリアクションセル(DRC)ともいう。
【0024】
より詳細には、ICP-MS/MS装置1は、プラズマを発生させるトーチを備えるイオン化部Pの前段に、試料溶液とキャリアガス(Arガス)とを霧化するネブライザー並びにスプレーチャンバと、補助ガス(Arガス)及びプラズマガス(Arガス)の導入装置とを備える試料導入部を備える。また、イオン化部Pの後段であって、第1の四重極マスフィルタQ1の前段に、インターフェース、イオンレンズを備える。ICP-MS/MS装置としては、例えば、株式会社パーキンエルマー社製のICP質量分析装置を用いることができるが、特定の装置には限定されない。このような装置を用いることで、人為的な操作を介入することなく、後述する工程(1)~(5)を全自動で行うことができる。
【0025】
本実施形態による質量数Mの塩素分析方法は、以下の工程を含む。
(1)試料溶液をイオン化部に導入してイオン化したイオン群を得る工程と、
(2)第1の四重極マスフィルタにおいて、イオン群から、質量数M(Mは、35、36、及び37から選択される1以上である)以外の質量数を持つイオンを除去する工程
(3)第1の四重極マスフィルタを通過したイオン群を、リアクションセルで、水素ガスまたは重水素ガスから選択される質量数m(mは、水素ガスについては1、重水素ガスについては2である)の元素からなるリアクションガスと接触させ、質量数(M+2m)の多原子イオンを生成する工程
(4)第2の四重極マスフィルタにおいて、質量数(M+2m)以外の質量数を持つイオンを除去する工程
(5)前記第2の四重極マスフィルタを通過した質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程
【0026】
測定対象となる試料溶液は、Cl-Mを含みうる溶液状の試料である。溶液は水溶液であってもよく、水以外の溶媒が含まれた溶液であってもよい。後述するイオン化工程において、試料中のCl-Mをイオン化部にてイオン化可能な状態でCl-Mを含んでいる溶液であればよい。なお、測定結果として、Cl-Mを検出下限以下で含む溶液も、Cl-Mを含む可能性があり、測定の需要がある溶液は試料溶液に含まれる。そして、上記の工程(1)~(4)を実施する限り、結果的な塩素の検出の有無にかかわらず、本実施形態による質量数Mの塩素分析方法ということができる。
【0027】
具体的な試料溶液は、分析の目的により異なり、特には限定されない。例えば、放射性同位体であるCl-36の分析においては、試料溶液は、原子力発電所の排水や、原子力発電所周囲の環境水、原子炉などの原子力発電所の構成部材に接触した液体、放射性廃棄物の埋設施設近辺の環境水(例えば地下水等)であってよいがこれらには限定されない。原子炉の部材などに付着した固体状態のCl-36や土壌中のCl-36を分析対象とする場合、部材や土壌を硝酸、硫酸等の酸からなるエッチング液で洗浄し、Cl-36を溶出させた溶液を試料溶液とすることができる。また、懸濁液の状態の試料を測定する場合も、懸濁物を溶解し、試料溶液としてから測定する。
【0028】
試料溶液は、前処理を行った後に工程(1)~(5)に供することもでき、前処理を行うことなく工程(1)~(5)を実施することもできる。前処理としては、Cl-Mの濃縮、妨害元素の除去が挙げられるが、これらには限定されない。濃縮及び妨害元素の除去については、後述する。
【0029】
以下、試料中のCl-36のみを検出目的物質として、塩素の安定同位体Cl-35、Cl-37と区別して定量する方法を例示して、
図1を参照して説明する。
【0030】
(1)イオン化工程
工程(1)では、試料溶液sを霧化して、イオン化部Pに導入してイオン化する。本工程で導入する試料溶液sの量は、使用するICP-MS/MS装置1によっても異なり、ICP-MS装置1の説明書に従って当業者が適宜決定することができる。一例としては、1回の測定あたり、10~5000μLとすることができ、400~3000μLとすることが好ましい。
【0031】
本工程の操作では、ICP-MS/MS装置1のイオン化部Pにおいてアルゴンプラズマを発生させ、試料溶液s中の元素をイオン化する。これにより、検出目的物質であるCl-36イオンを含む複数種のイオンからなるイオン群を生成する。この中には、アルゴンプラズマ由来のAr-36が含まれ、S-36が含まれる場合もある。
【0032】
(2)質量数M以外の質量数を持つイオンを除去する工程
本工程では、目的物質以外の質量数を持つイオンを除去する。この工程は、ICP-MS/MS装置1において、第1の四重極マスフィルタQ1を通過させるイオンの質量数「36」を指定することにより実施する。質量数36以外の質量数を持つイオンを除去する工程を実施することで、塩素の同位体Cl-35、Cl-37は除去されるが、Ar-36はこの工程では除去することができない。その他、前処理条件によっては、硫黄の同位体である、S-36が除去されずに残る場合がある。
【0033】
(3)質量数(M+2m)の多原子イオンを生成する工程
工程(3)では、工程(2)で、第1の四重極マスフィルタQ1を通過したイオン群を、リアクションセルQ2でリアクションガスgと接触させる。この工程は、ICP-MS/MS装置のリアクションセルQ2をリアクションモードとし、イオン群中に含まれるイオン、特にはCl-36イオンが、リアクションガスgと反応可能な条件にてリアクションセルQ2にリアクションガスgを供給する。リアクションガスgとしては、高純度の水素ガス(1H2ガス)または重水素ガス(2H2ガス、D2ガスとも記述する)を用いることが好ましい。水素ガスまたは重水素ガスは、塩素検出の検出下限値が低く、精度が高く、かつ、バックグラウンドを低減させることができるため、リアクションガスとして好ましい。中でも、重水素ガスを使用することが特に好ましい。
【0034】
Cl-36イオンが、リアクションガスgと反応可能な条件とは、リアクションガスgとして高純度ガスを使用し、水素ガスの場合は、例えば、流速1.0~2.0mL/min、重水素ガスの場合は流速1.5~3.0mL/minにてリアクションセルQ2に導入する条件をいう。これにより、リアクションガスgが水素ガスの場合、36Cl1H1Hと表記される多原子イオンを生成させる。多原子イオンの質量数は、水素ガスの場合、水素の質量数m=1として、M+2m=38で表される。同様に、リアクションガスgが重水素ガスの場合、36Cl2H2Hまたは、36ClDDと表記される多原子イオンを生成させる。多原子イオンの質量数は、重水素ガスの場合、重水素の質量数m=2として、M+2m=40で表される。水素ガスまたは重水素ガスの流量によっては、36Cl1Hや、36Cl1H1H1Hなどが生成する場合もあるが、流量条件を適切に制御することで、リアクションガスgが水素ガスの場合、36Cl1H1Hを、リアクションガスgが重水素ガスの場合、36Cl2H2Hを、選択的に生成することができる。なお、上記の好適なガス流量は例示であって、装置の仕様により異なり得る。その場合、当業者は、事前実験により、所望の多原子イオンMClmHmHが生成し、多原子イオンMClmHやMClmHmHmHが生成せず、かつ、所望の多原子イオンMClmHmHのカウントにおいてノイズが発生しにくいリアクションガスgの流量条件を適宜決定することができる。
【0035】
この時点で、混在しうるAr-36やS-36がリアクションガスgと反応する場合はあるが、以下の理由により、検出に影響を及ぼすことは少ない。リアクションガスgが重水素ガスの場合、質量数がM+mの36Ar2Hは、比較的多く生成するが、36Ar2H2Hは生成しにくいことを本発明者らは実験的に確認している。リアクションガスgが水素ガスの場合、質量数がM+mの36Ar1Hは、比較的多く生成するが、36Ar1H1Hは生成しにくいことを本発明者らは実験的に確認している。また、S-36は水素とも重水素とも反応しにくく、質量数がM+2mの多原子イオンを形成しにくいことが確認されている。ただし、試料中の硫黄濃度が、10ppmを超える場合には、後述するイオンクロマトグラフィーにより、硫黄を除去することが好ましい。
【0036】
(4)(M+2m)以外の質量数を持つイオンを除去する工程
工程(4)では、工程(3)で得られた質量数M+2mの多原子イオンを含みうるイオン群を第2の四重極マスフィルタQ3に導入する。第2の四重極マスフィルタQ3では、通過させる質量数をM+2mに設定することで、M+2m以外の質量数を持つイオンを除去することができる。本工程の操作により、Ar-36を含むイオン、または多原子イオンが除去される。
【0037】
(5)質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程
工程(5)では、工程(4)で除去されることなく四重極マスフィルタを通過した質量数(M+2m)の多原子イオン信号を、検出部Dでカウントする。これにより、試料中にCl-36が含まれている場合には(M+2m)の多原子イオンとして検出することができる。検出は、例えば、測定時間を横軸とし、単位時間当たりのイオンカウントを縦軸としたプロットにおける質量数(M+2m)の多原子イオンのピーク形状に基づいて行うことができる。より詳細には、リアクションガスgとして水素ガスを用いる場合には、質量数38の多原子イオンのピーク形状に基づいて、リアクションガスgとして重水素ガスを用いる場合には、質量数40の多原子イオンのピーク形状に基づいて、定量することができる。
【0038】
したがって、ピークの有無により、質量数(36+2m)の多原子イオンの有無を確認し、Cl-36の有無を検出することができる。また、イオンカウントから得られるピーク形状に基づいて、Cl-36を定量することができる。一態様によれば、ピーク形状に基づく定量は、ピーク形状のピーク高さの最大値に基づく定量であってよい。別の態様によれば、ピーク形状に基づく定量は、ピーク形状のピーク面積の強度積算値に基づく定量であってよい。定量の精確性の観点からは、ピーク面積の強度積算値に基づいた定量方法がより好ましい。いずれの態様の場合も、Cl-36の標準線源などの濃度既知の複数の試料について、本実施形態の方法によりピーク高さの最大値またはピーク面積の強度積算値を得て、これらに基づいて検量線を作成することで、Cl-36を定量することができる。
【0039】
本発明の一実施形態によれば、上記工程(1)~(5)を実施することで、Cl-36を、塩素の同位体や、アルゴンや硫黄の同重体と区別して検出することができる。特には、従来のβ線を測定する手法と比較してより簡便かつ迅速に、Cl-36を定量することが可能となる。Cl-36は天然存在比が低く、従来の質量分析方法では、天然存在比が高いCl-35のピークと重複して、正確に定量することが難しい場合があった。本発明によれば、Cl-36を個別に高精度で定量することができるため、放射性同位体の定量において特に有用である。
【0040】
本発明の別の実施形態によれば、上記工程(1)~(5)の前に、イオンクロマトグラフィー(Ion Chromatography:IC)により、試料溶液の妨害元素を除去する工程を含んでもよい。本明細書において、当該工程をIC前処理工程ともいう。
【0041】
IC前処理工程は、塩素イオンを選択的に抽出可能なカラムを備えるイオンクロマトグラフィー装置(IC装置)により実施することができる。このようなIC装置及び塩素イオンを選択的に抽出可能なカラムは市販されており、任意の市販品を用いることができる。ある実施形態において、IC装置は、溶離液を装置に送るポンプを備える送液部と、試料溶液を装置に導入する導入部と、ガードカラム及び分離カラムを備える分離部と、移動相を分離するサプレッサー部とから主として構成されるものであってよい。本実施形態においては、妨害元素、特には硫黄Sが除去された試料溶液を、工程(1)~(5)を実施するICP-MS/MS装置の試料導入部に送る送液手段をさらに備えることが好ましい。
【0042】
IC前処理工程は、試料溶液をIC装置に導入することにより実施することができる。試料溶液をIC装置のカラムに導入することにより、塩素イオンは分離カラムに一旦保持されるが、溶離液により流されてカラム内を移動する。イオンの価数、イオン半径、疎水性などの違いによりカラム内を移動する速度が異なるため、カラムを通過する間に塩素イオンと他のイオンを分離、濃縮する。送液の速度は、装置の説明書に従って適宜決定することができる。なお、ここでいう塩素イオンとは、Cl-35イオン、Cl-36イオン、Cl-37イオンの全てを含むものとする。IC装置では、塩素の同位体であるCl-35、Cl-36、Cl-37等を区別することはできないため、IC前処理工程を経た試料溶液には、Cl-35イオン、Cl-36イオン、Cl-37イオンが主として含まれる。
【0043】
次に、IC前処理工程を経た試料溶液を、ICP-MS装置の試料導入部に送り、先に説明したとおりに工程(1)~(5)を実施する。IC前処理工程を行うことで、主な妨害元素である硫黄S-36が分離、除去され、リアクションセルQ2における反応で、硫黄を含む多原子イオンが生成することがなくなるため、有利である。
【0044】
本発明のまた別の実施形態によれば、IC前処理工程の前、IC前処理工程の後、またはIC前処理工程を行わない場合の工程(1)の前に、試料溶液を濃縮カラムに適用してCl-36を濃縮する工程を実施することができる。以下、本工程を濃縮工程と指称する。濃縮工程で用いる濃縮カラムは、Cl-36を抽出可能な樹脂製カラムであってよい。例えば、TRISKEM INTERNATIONAL製抽出クロマトグラフィー用CLレジンを用いることができるが、特定の濃縮カラムには限定されない。TRISKEM INTERNATIONAL製CLレジンを用いる場合の工程は、より詳細には、例えば、Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry volume 286, pages 539-546 (2010)に記載された方法を参照して実施することができる。
【0045】
濃縮工程においては、試料溶液から塩素を抽出し、約300倍程度に濃縮することができる。試料溶液に含まれうるCl-35、Cl-36やCl-37、他の元素は濃縮カラムに吸着される。濃縮工程を行うことで、試料溶液から塩素を選択的に抽出することができ、硫黄の同重体を低減した試料溶液にて、IC装置またはICP-MS/MS装置に導入することができる。これにより、IC装置における妨害元素の分離をより高い精度で行うことができる。
【0046】
同様にして、検出目的物質が、Cl-35や、Cl-37の場合も、他の同位体と区別して、これらの同位体を特異的に濃縮可能な樹脂を用いて、Cl-35や、Cl-37を濃縮することができる。しかし、本発明の実施形態に係る方法は、精度が高く検出下限濃度も低いため、このような濃縮操作を行わなくとも、Cl-35、Cl-36、及びCl-37の精密な検出が出来る点で有利である。
【0047】
なお、上記の説明は、Cl-36のみを検出し、定量する場合を例示したものであるが、他の態様の検出も同じ装置を用いて実施することができる。例えば、Cl-35とCl36を検出し、定量する場合であって、Cl-37は検出対象外とする場合について補足する。IC前処理工程は、Cl-36の場合と同様に実施することができる。ICP-MS/MS装置に導入後、工程(1)のイオン化工程は上記と同様に実施する。工程(2)の質量数M以外の質量数を持つイオンを除去する工程では、第1の四重極マスフィルタQ1で、質量数35、質量数36以外の質量数を持つイオンを除去する。四重極マスフィルタにおいて複数の異なる質量数のイオンを除去することは、装置の設定により実施することができる。したがって、この段階で、38Arイオンや、40Arイオンが除去される。工程(3)の質量数(M+2m)の多原子イオンを生成する工程では、リアクションガスが水素の場合、2種類の多原子イオンである、35Cl1H1H(質量数37)と36Cl1H1H(質量数38)が生成する。リアクションガスが重水素の場合、2種類の多原子イオンである、35Cl2H2H(質量数39)と36Cl2H2H(質量数40)が生成する。この時点では、先の説明と同様、36Arが存在しうる。次いで、工程(4)の(M+2m)以外の質量数を持つイオンを除去する工程では、第2の四重極マスフィルタQ3で、リアクションガスが水素ガスの場合は、質量数37、38以外のイオンを、重水素ガスの場合には質量数39、40以外のイオンを除去する。また、36Arイオンや、36Arにリアクションガスが反応して得られた質量数M+2m以外のイオンもこの段階で除去されうる。そして、工程(5)の質量数(M+2m)のイオンの信号を検出する工程は、質量数37、38の多原子イオン、または質量数39、40の多原子イオンを検出し、Cl-35、Cl-36を定量することができる。
【0048】
Cl-35とCl-36を検出し、定量する態様によれば、Cl-35とCl-36を、同時に、かつ、個別に定量することができる。
【0049】
同様にして、工程(2)で質量数35、36、37以外の質量数を持つイオンを除去し、工程(4)で質量数37、38、39以外の質量数を持つイオン(リアクションガスが水素ガスの場合)、または質量数37、38、39以外の質量数を持つイオン(リアクションガスが重水素ガスの場合)を除去することで、Cl-35、Cl-36及びCl-37を同時に、かつ、個別に定量することが可能となる。
【実施例0050】
以下、本発明を、実施例を用いてより詳細に説明する。しかしながら、以下の実施例は本発明を限定するものではない。以下の実施例において、操作は、ICP-MS装置としてパーキンエルマー社製NexION5000及びIC装置としてサーモフィッシャー(旧ダイオネクス)製DX-800を用いて実施した。
【0051】
1.リアクションガス流量の検討
塩素の安定同位体Cl-35、Cl-37について、リアクションガスとして水素と重水素を用いた場合のリアクションガス流量を検討した。Cl-35とCl-37を、それぞれ1ppmの濃度で含む試料をイオン化し、第1の四重極マスフィルタQ1を通過させて所定の質量数のイオンを除いた後、リアクションセルQ2で水素ガスまたは重水素ガスの流量を変化させて反応させた。その後、第2の四重極マスフィルタQ3を通過したイオンカウントをプロットした。
図2は、リアクションガスが水素ガスの場合、
図3はリアクションガスが重水素ガスの場合のプロットである。凡例中、イオンまたは多原子イオンに続く表示「NN/nn」は、「Q1で通過させるイオンの質量数/Q3で通過させるイオンの質量数」を表す。また、以降の実施例において、グラフの凡例中に、36/nnとあるのは、いずれもQ1で質量数36のイオンを通過させ、Q3で質量数nnのイオンを通過させることにより得られたイオンカウントを示す。
【0052】
図2から、リアクションガスが水素ガスの場合には、ガス流量が約1.0mL/min以上、好ましくは約1.5mL/min以上であれば、Cl-35、Cl-37ともに、水素原子2つと反応した多原子イオンを生成し、Cl-35、またはCl-37由来の他の多原子イオンによる干渉をほとんど受けることなく、検出可能であることが確認された。なお、ClHHH35/38と、ClHHH37/40のプロットは0に近く、重なっている。
【0053】
図3から、リアクションガスが重水素ガスの場合には、ガス流量が約1.5mL/min以上、好ましくは約2.0mL/min以上であれば、Cl-35、Cl-37ともに、重水素原子2つと反応した多原子イオンを生成し、Cl-35、またはCl-37由来の他の多原子イオンによる干渉をほとんど受けることなく、検出可能であることが確認された。さらに、
図2と
図3を対比すると、重水素イオンをリアクションガスとして用いた場合に、より感度が高いことが確認された。なお、ClD3 35/41、ClD4 35/43、ClD5 35/45、ClD3 37/43のプロットは0に近く、重なっている。
【0054】
次に、塩素の放射性同位体Cl-36について、Cl-36を202Bq/mL含む試料に、リアクションガスとして水素と重水素を反応させる場合のリアクションガス流量を検討した。
図4は、リアクションガスが水素ガスの場合と重水素ガスの場合の、四重極マスフィルタQ3を通過した各質量数のイオンカウントのプロットである。イオンカウントが大きいほど感度が高いことを示す。
【0055】
図5は、
図4の結果に、ブランク試料のイオンカウントのプロットを重ねたグラフである。ここでいうブランク試料は、Cl-36を含まない試料をいう。ブランク試料のイオンカウントが大きいことはノイズが大きいことを示す。ノイズが小さく、かつ、
36Cl
2D
2Dまたは
36Cl
1H
1Hの感度が高くなるリアクションガス流量にて測定することが、正味のイオンカウントを得るために有効であり、
図5から、測定した装置の条件においては、約1.0から3.0mL/min程度、好ましくは、約1.5から3.0mL/minのリアクションガス流量で測定することが有効であることが確認された。
【0056】
2.Cl-36から生成するプロダクトイオンの調査
次に、リアクションガスとして、酸素ガス、重水素ガス、または水素ガスの3種を反応させる場合に生成する多原子イオンを調査した。Cl-36を202Bq/mL含む試料をイオン化し、第1の四重極マスフィルタQ1を通過させるイオンの質量数を36とした。リアクションセルQ2において、酸素ガスは1.1mL/min、重水素ガスは2.0mL/min、水素ガスは1.0mL/minの流量で流した。第2の四重極マスフィルタQ3を通過させるイオンの質量数をscanとして、検出部で検出された、生成物の質量数に対するイオンカウントをプロットした。ここで、scanとは、通過させるイオンの質量数を連続的に変化させ、横軸を質量数、縦軸をイオンカウントでプロットした質量スペクトルを取得する設定を意味する。
【0057】
リアクションガスとして、酸素ガスを用いた場合(比較例)のグラフを
図6、重水素ガス用いた場合のグラフを
図7、水素ガス用いた場合のグラフを
図8に示す。
図6から、リアクションガスとして、酸素ガスを用いた場合には、副生成物が多く生じることが確認された。
図7、8から、リアクションガスとして、重水素ガス、水素ガスを用いた場合には、酸素ガスを用いた場合と比較して副生成物が少なかった。また、重水素ガスは、水素ガスと比較して、隣接質量数にピークがなく、ピークがシャープであった。このことは、重水素ガスによる測定の精度が高いことを意味する。
図6~8の結果から、塩素由来のプロダクトイオン(ClDD、ClHH、ClO)の強度と、リアクションガスの関係は、D
2>H
2>O
2であった。
【0058】
3.Cl-36についての検量線と検出下限値
濃度既知のCl-36を含む試料に、リアクションガスとして酸素ガス、重水素ガス、水素ガスの3種をそれぞれ反応させた場合の検量線を作成した。イオンクロマトグラフィーを用いた前処理は行わなかった。各ガスの流量は、先の実験と同じとした。各マスフィルタで通過させるイオンの質量数は、酸素ガスについては、Q1(36)/Q3(52)、重水素ガスについては、Q1(36)/Q3(40)、水素ガスについては、Q1(36)/Q3(38)とした。得られた検量線を
図9に示す。重水素ガスについては、検量線は、y=94.189x+75.133で表され、R
2=0.9997であった。水素ガスについては、検量線は、y=73.53x+81.667で表され、R
2=0.9999であった。酸素ガスについては、検量線は、y=6.6728x+986.4で表され、R
2=0.8907であった。相関係数が高い検量線が得られたことから、特に水素と重水素をリアクションガスとして用いると、精度の高い定量が可能であることが確認された。また、検出下限値は、重水素ガスを用いた場合は0.089Bq/mL、水素ガスを用いた場合は0.46Bq/mL、酸素ガスを用いた場合は6.2Bq/mLであった。これらの検出下限値の値は、ブランク溶液の繰返し5回測定によって得られた強度の標準偏差の3倍値を、検量線の傾きで割ることにより算出した。この結果から、水素ガスは酸素ガスの約10倍、重水素ガスは酸素ガスの約100倍の検出感度であることが確認された。
図9より、リアクションガスとして、重水素ガス、水素ガスを使用した場合の検量線は、酸素ガスを使用した場合の検量線と比較して、切片の値が、ゼロに極めて近く、ノイズが少ないことが確認された。また、検量線の傾きの大きさは、重水素ガス>水素ガス>酸素ガスであった。傾きの大きい検量線は、少ない濃度に対して鋭敏に反応すること、すなわち感度が高いことを示す。
【0059】
4.イオンクロマト-ICP-MS/MS
濃度既知のCl-36を含む試料の干渉物をイオンクロマトグラフィーにて除去した後、ICP-MS/MS装置で測定した結果を用いて、検量線を作成した。イオンクロマトグラフィーのカラムは、昭和電工マテリアル・テクノサービス株式会社製、強塩基性陰イオン交換カラムGL-IC-A23を使用した。各ガスの流量は、先の実験と同じとした。各マスフィルタで通過させるイオンの質量数は、重水素ガスについては、Q1(36)/Q3(40)、水素ガスについては、Q1(36)/Q3(38)、酸素ガスについては、Q1(36)/Q3(52)とした。
【0060】
図10の(a)は、重水素ガスをリアクションガスとした場合の、測定時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフ、(b)は(a)のピーク形状のピーク高さ最大値に基づき作成した検量線(高さ)及びピーク面積の強度積算値に基づき作成した検量線(積算強度)を示す。高さの検量線は、y=360.63x+20で表され、R
2=0.9947であった。積算強度の検量線は、y=5650.6x+80で表され、R
2=0.9995であった。(a)のグラフ中、時間0は、イオンクロマトグラフィーの動作を開始するとともに、ICP-MS/MSで計測を開始した時点を表す。重水素ガスをリアクションガスとした場合は、酸素ガスをリアクションガスとした場合と比べて、検量線の傾きが、5650/218=26倍であった。
【0061】
図11の(a)は、水素ガスをリアクションガスとした場合の、測定時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフ、(b)は(a)のピーク高さ最大値に基づき作成した検量線(高さ)及びピーク面積の強度積算値に基づき作成した検量線(積算強度)を示す。高さの検量線は、y=274.46x+20で表され、R
2=0.9983であった。積算強度の検量線は、y=4579.8x+80で表され、R
2=0.9996であった。水素ガスをリアクションガスとした場合は、酸素ガスをリアクションガスとした場合と比べて、検量線の傾きが、4580/218=21倍であった。
【0062】
図12の(a)は、酸素ガスをリアクションガスとした場合の、測定時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフ、(b)は(a)のピーク高さ最大値に基づき作成した検量線(高さ)及びピーク面積の強度積算値に基づき作成した検量線(積算強度)を示す。高さの検量線は、y=14.934x+166.65で表され、R
2=1であった。積算強度の検量線は、y=217.88x+7093.2で表され、R
2=1であった。
【0063】
図10~12から、検量線の傾きが大きくなり感度の向上が確認された。
【0064】
次に、干渉物となる硫黄原子を含む物質が混在している濃度既知の標準液試料として、0.1vol%の硫酸を含む、1Bq/mLのCl-36をICP-MS/MSで測定した。重水素ガスの流量は2.0mL/min、水素ガスの流量は1.5mL/minとし、各マスフィルタで通過させるイオンの質量数は、重水素ガスについては、Q1(36)/Q3(40)、水素ガスについては、Q1(36)/Q3(38)とした。
図13は、時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフである。横軸約105secにCl-36のシャープなピークが見られた。約150から300secには、硫黄を含むイオンに由来する不明瞭なピークが確認されたことから、硫黄の影響を受けることなく、Cl-36を検出することができたと考えられる。
【0065】
硫酸0.1vol%溶液中の1Bq/mLのCl-36の定量値は以下の表1の通りであった。表中の数値の単位は、Bq/mLである。表1の結果から、標準液試料について定量が可能であることが確認された。
【表1】
【0066】
5.IC-ICP-MS/MSによる安達地下水中Cl-36の定量
安達地下水(福島県二本松市付近で採取した地下水)に含まれるCl-36を、IC-ICP-MS/MSにより測定した(n=3)。上記4.と同様にしてイオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして、重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した。重水素ガスの流量は2.0mL/minとし、各マスフィルタで通過させるイオンの質量数は、Q1(36)/Q3(40)とした。
図14は、測定時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフである。1Bq/mLのCl-36をスパイクした試料と、ノンスパイクの試料を測定した。安達地下水には硫酸イオンはほとんど含まれていないことがわかった。
【0067】
Cl-36の定量結果は、以下の表2の通りであった。表中の数値の単位は、Bq/mLである。
【表2】
表2から、Non-spikeの試料中のCl-36の定量結果は、検出下限値である0.030Bq/mL未満、1Bq/mLのCl-36をスパイクした試料中のCl-36の定量結果は、0.983±0.016Bq/mLであった。
【0068】
6.IC-ICP-MS/MSによる鉱泉水中Cl-36の定量
鉱泉水(茨城県萩市付近で採取した地下水)に含まれるCl-36を、IC-ICP-MS/MSにより測定した。上記4.と同様にしてイオンクロマトグラフィーにより硫黄同重体(S-36)を除去した後、リアクションガスとして、重水素を用いてICP-MS/MS装置で測定した。重水素ガスの流量は2.0mL/minとし、各マスフィルタで通過させるイオンの質量数は、Q1(36)/Q3(40)とした。
図15は、測定時間に対する検出部で検出された生成物のイオンカウントを表すグラフである。ノンスパイクの試料の測定結果を(a)、1Bq/mLのCl-36をスパイクした試料の測定結果を(b)に示す。硫酸イオンが比較的多く含まれている鉱泉水の測定の結果、(a)、(b)ともに、イオンクロマトグラフィーでCl-36と分離した硫黄に由来するイオンのピークが、約360secを中心にして広い範囲で見られた。
【0069】
Cl-36の定量結果は、以下の表3の通りであった。表中の数値の単位は、Bq/mLである。
【表3】
表3から、Non-spikeの試料中のCl-36の定量結果は、検出下限値である0.039Bq/mL未満、1Bq/mLのCl-36をスパイクした試料中のCl-36の定量結果は、n4回の平均値である、1.0275Bq/mLであった。また、事前にイオンクロマトグラフィーで、同じ鉱泉水を測定した結果、硫酸イオン(SO
4
-)濃度は、1040.835mg/L、塩化物イオン(Cl)濃度は、105.180mg/Lであった。