(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024160842
(43)【公開日】2024-11-15
(54)【発明の名称】ラミナー型回折格子
(51)【国際特許分類】
G21K 1/06 20060101AFI20241108BHJP
G02B 5/18 20060101ALI20241108BHJP
【FI】
G21K1/06 B
G21K1/06 C
G02B5/18
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023076276
(22)【出願日】2023-05-02
(71)【出願人】
【識別番号】504157024
【氏名又は名称】国立大学法人東北大学
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】小池 雅人
(72)【発明者】
【氏名】寺内 正己
(72)【発明者】
【氏名】羽多野 忠
【テーマコード(参考)】
2H249
【Fターム(参考)】
2H249AA07
2H249AA13
2H249AA64
(57)【要約】
【課題】容易に製造を行うことができる軟X線域で高効率を呈する回折格子を提供する。
【解決手段】ラミナー型の溝形状を有する基板1上に、200~543 eV域の軟X線(目的電磁波)において複素屈折率の実部がn
mの基本膜2が該目的電磁波の浸透深さよりも十分厚い厚さで被覆され、さらに該基本膜2の上に複素屈折率の実部がn
oの付加膜3が被覆されており、目的電磁波の全部またはその一部においてn
o > n
mであることを特徴とするラミナー型回折格子。このラミナー型回折格子では、付加膜3の全反射条件より大きい入射角で使用する。入射した電磁波は、エバネッセント効果により、一部が付加膜3を通り抜けて基本膜2表面に到達するが、n
o > n
mであるので、付加膜3の厚さによりこの境界面で回折される電磁波と付加膜3表面で回折される電磁波が強め合う現象が起き、回折効率を高める。
【選択図】
図4
【特許請求の範囲】
【請求項1】
ラミナー型の溝形状を有する基板上に、軟X線域の200eV以上、543eV以下である目的電磁波の浸透深さよりも厚く、前記目的電磁波に対する複素屈折率の実部がnmの基本膜で被覆され、前記基本膜の上に前記目的電磁波に対する複素屈折率の実部がnoの付加膜が被覆されており、前記目的電磁波の全部またはその一部でno > nmであることを特徴とするラミナー型回折格子。
【請求項2】
前記付加膜の膜厚が2 nm以上、30 nm以下であることを特徴とする請求項1に記載のラミナー型回折格子。
【請求項3】
前記基本膜が金(Au)、白金(Pt)、タングステン(W)のいずれかの金属、もしくはそれらの金属の2種以上の合金、または、前記金属もしくは合金とそれら以外の他の物質から形成された化合物であることを特徴とする請求項1又は2に記載のラミナー型回折格子。
【請求項4】
前記付加膜がコバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの金属、もしくはそれらの金属の2種以上の合金、または、前記金属もしくは合金とそれら以外の他の物質から形成された化合物であることを特徴とする請求項1又は2に記載のラミナー型回折格子。
【請求項5】
前記付加膜の膜厚hoが、前記目的電磁波の波長をλ、回折格子面の垂線から計った入射角をα、回折角をβとすると
ho = λ/(cosα + cosβ)
の前後10%の範囲内にあることを特徴とする請求項1又は2に記載のラミナー型回折格子。
【請求項6】
前記基本膜の消衰係数βmと前記付加膜の消衰係数βoが、
βm > βo
であることを特徴とする請求項1又は2に記載のラミナー型回折格子。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、軟X線と呼ばれる、吸収により空気中を伝搬できない短波長の電磁波の内で、水の透過率が特異的に高く、科学的・技術的に、そして産業上において利用価値の高い、いわゆる「水の窓」領域において回折効率の高い回折格子の製作方法に関する。
【背景技術】
【0002】
炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)の軟X線域の発光分光分析で一般に用いられるのはK発光で、それぞれエネルギーは277 eV、392 eV、525 eVで波長は4.48 nm、3.16 nm、2.36 nmである。さらに、200 eV近辺から、酸素のK吸収線(O-K)がある543 eVまでの領域は、水の透過率が特異的に高い領域で「水の窓」領域と呼ばれ、生体物質のその場測定に重要な領域である。軟X線は、レントゲン検査等で用いるX線よりも波長が長く、紫外線に近い。そして軟X線は波長が変わると、元素によって透過しやすさが変わる。この特徴を利用すると、例えば培養液に入った生きた細胞組織の内部構造と共に組成を高いコントラストで観察できる。このため、これらの軟X線の特性を用いた「軟X線顕微鏡」が生命科学の分野で注目を浴びている。
【0003】
さらに軟X線発光分光などの、物質と光および電子線の相互作用を利用して物質の分析を行う分光分析では、微弱な光でも感度よく計測することが分析の精度を高めるために極めて重要である。特に励起X線や電子線によってダメージを受けやすい生体物質、及び、有機材料等に含まれる炭素、窒素、酸素の分析では、励起エネルギー量の増大による発光量の増加を図ることができないため、分光素子や検出器の性能向上により、低ドーズ下において試料の分析感度を向上させる技術開発の必要がある。
【0004】
このため、「水の窓」領域において軟X線の分光分析で最も広く使われている回折格子においては、分光感度の向上に直結する回折効率及びスペトラルフラックス(例えば、非特許文献1参照。)の向上を図る必要がある。
【0005】
回折格子でエネルギーが約0.1 keVから2 keV付近の軟X線(波長:12 nm~0.6 nm)を分光する場合、実用的な回折効率を得るために光を回折格子面とすれすれの方向から入射させる。回折格子の表面には通常、反射膜として屈折率nが1よりわずかに小さい物質が積層されており、高い回折効率を得るためには、回折格子面に垂直な法線方向から測った入射角αが反射膜の全反射条件であるsinα≧nを満たすようにする。
【0006】
しかしながら、回折格子の溝の効果により、回折される光は、正反射条件を満たす零次光や多くの次数光に分散されるだけでなく、表面物質内に吸収されるエネルギー成分も存在するため、測定に利用される1次数の光(又は-1次数の光)の強度は回折格子溝のない鏡の全反射の場合の強度に比較して非常に弱くなる。このため、溝形状が凹凸状のラミナー型回折格子においては、その矩形状の溝の深さ及び凹凸の山面と谷面の面積比(デューティ比)を最適化し、山面と谷面からの光が所望の回折次数の光の回折光方向で正の干渉を起こすように設計される。
【0007】
軟X線域で高い回折効率を得る方法として、回折格子溝を有する表面に低密度物質層と、それよりも密度が高い高密度物質層を交互に積層した多層膜構造を形成する方法がある。多層膜構造を形成した回折格子では、軟X線を全反射条件よりわずかに小さい入射角で入射させることにより、軟X線を多層膜構造内に侵入させ、高密度物質層で回折された光を干渉で強めることにより高い回折効率を得ている(例えば、非特許文献2参照。)。しかし、この場合、多層膜構造内に吸収されるエネルギーも大きくなるため、エネルギーの比較的低い「水の窓」領域の軟X線は膜内部深くまで軟X線が侵入できず、溝端面での散乱の発生などの理由により、多層膜構造の干渉効果を十分に生かすことができなかった。このことが「水の窓」領域において多層膜回折格子で高い回折効率を得ることを困難にしていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2015-94892号公報
【特許文献2】特開2017-44556号公報
【特許文献3】特開2018-63307号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】T. Hatano, M. Koike, et al., ‘Design and experimental evaluation of enhanced diffraction efficiency of lanthanum-based material coated laminar-type gratings in the boron K-emission region’Appl. Opt., 60 (16), 4993-4999 (2021)
【非特許文献2】T. Imazono, M. Koike, et al., ‘Development of an objective flat-field spectrograph for electron microscopic soft x-ray emission spectrometry in 50-4000 eV’Proc. of SPIE 8848, 884812 (2013)
【非特許文献3】小池雅人他,「DLC光学素子の軟X線への応用」, レーザー学会第471回研究会報告, RTM-14-71
【非特許文献4】柳原美広, 「軟X線領域における超薄膜の光学定数」, 放射光, 第9巻第1号, pp. 1-13 (1996)
【非特許文献5】M. G. Moharam, ‘Diffraction analysis of dielectric surface-relief gratings’ JOSA A72, 1386 (1982)
【非特許文献6】M. G. Moharam,‘Rigorous coupled-wave analysis of metallic surface-relief gratings’ JOSA A3, 1780 (1986)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
「水の窓」領域の軟X線においては、エネルギーが低いため、光学素子を構成する物質による吸収が大きく、多層膜構造を用いた軟X線用回折格子を用いて幅広いエネルギー帯域で回折効率を向上させることが困難であり、最近、主流となりつつある二次元撮像素子を用いた幅広いエネルギー帯域の回折効率の高い同時分光計測には適さない。
【0011】
本発明者らは、ホウ素(B)のK発光(183 eV、6.76 nm)周辺での軟X線の高感度分析を目的に、一般に市販されている、金属膜表面を持つ軟X線分光分析用回折格子の表面にダイヤモンドライクカーボン(DLC)やランタン系、酸化物系、フッ化物系の高密度素膜を付加することにより、これら回折格子の回折効率の向上が可能であることを数値計算で示した(特許文献1~3、非特許文献1~3参照。)。
【0012】
しかし、「水の窓」領域内に発光線のエネルギーがある炭素、窒素、酸素を含む物質膜を回折格子表面に付加し、反射膜として用いた場合、発光線の近傍に吸収線も存在するため、反射率、延いては回折効率の低下が起きる。このため、反射膜として用いることができず、これらの物質を含まない新たな付加膜の探索の必要があった。
【0013】
本発明は、かかる問題点に鑑みてなされたものであり、容易に製造を行うことができ、「水の窓」領域内の200 eV近辺から543 eVまでのエネルギー領域で高回折効率を呈する回折格子を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するために考案された本発明に係るラミナー型回折格子は、ラミナー型の溝形状を持つ基板上に、軟X線の200~543 eV域の電磁波の浸透深さよりも厚い、複素屈折率n~mの実部がnmの基本膜で被覆され、該基本膜の上に200~543 eV域の電磁波の複素屈折率n~oの実部がnoの付加膜が被覆されており、200~543 eV域の全部またはその一部でそれらの実屈折率の関係がno > nmである。
【0015】
基本膜の複素屈折率n~mは
n~m = (1-δm) - iβm …(1)
で表され、複素屈折率n~mの実部nmは(1 - δm)である。
また、付加膜の複素屈折率n~o は、
n~o = (1 - δo) - iβo …(2)
で表され、複素屈折率n~oの実部noは(1 - δo)である。ここで、δm、δoはそれぞれの物質の補屈折率で、βm、βoは消衰係数であり、上記関係は、「水の窓」(200~543 eV)領域の全領域又は一部の領域でδm > δoであるということを述べている。
【0016】
なお、本発明では更にβm > βoであることが好ましい。
【0017】
更に上記課題を解決するために基本膜上に付加される付加膜の厚さhoは、付加膜の上面と下面で回折される光の位相が合い強め合う条件
ho ~ λ/(cosα + cosβ) …(3)
を満たすのが好ましい。具体的には、hoはλ/(cosα + cosβ)の前後10%の範囲内にあることが好ましい。ここでλは電磁波の波長で、電磁波のエネルギーEとの間に
λ (nm) = 1239.842 / E (eV) …(4)
の関係がある。また、α、βはそれぞれ回折格子面の垂線から計った入射角と回折角である。
これを満たす付加膜の膜厚としては、具体的には2 nm以上、30nm以下であれば可能である。より好ましくは、5 nm以上、10 nm以下、特に、好ましくは、8 nmである。
【0018】
上記いずれの態様のラミナー型回折格子においても、基本膜は金(Au)、白金(Pt)、タングステン(W)のいずれかとすることができる。
【0019】
基本膜は、前述の金(Au)、白金(Pt)、タングステン(W)のいずれかの金属の2種以上の金属からなる合金であってもよい。また、当該金属とそれ等以外の物質からなる化合物でもよい。
【0020】
付加膜は、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの金属とすることができる。
【0021】
付加膜は、前述のコバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの金属の2種以上の金属からなる合金であってもよい。また、当該金属とそれら以外の他の物質からなる化合物でもよい。
【0022】
本発明に係るラミナー型回折格子は、従来の金、白金等を被覆した金属膜被覆回折格子とは異なる原理に基づき回折効率を向上するものである。すなわち、従来の金属膜被覆回折格子においては、入射角を全反射条件より大きい角度で用いることにより、吸収を少なくし、回折効率の向上を図ろうとするものであるが、吸収を全くなくすることはできない。
【0023】
全反射が起きる臨界角αCは補屈折率δに依存し、
αC = 90 - 180√2δ/π …(5)
と表される。そして、一般に入射角が臨界角より大きい程、すなわちα/αCの値が大きい程、反射率が高くなる。従って、本発明に係るラミナー型回折格子では、目的電磁波(回折しようとする電磁波)の入射角を基本膜及び付加膜の全反射条件より大きい角度として使用する。入射した目的電磁波は、エバネッセント効果により、一部が付加膜内に侵入し、さらに基本膜に侵入するが、 δm > δoの場合、付加膜と基本膜の境界面でも全反射に似た反射率が増す現象が起きる。
【0024】
なお、従来、反射鏡等の光学素子の表面には、酸化等による光学的劣化を避けるために化学的に不活性で、かつ吸収が小さい物質を被覆することが行われる場合があるが、それは主に、異物質間(界面)の化学的変化や熱力学的変化を制限することを目的としたものであり、回折格子の表面被覆として反射回折光の高効率化を目的とするものではなかった。
【発明の効果】
【0025】
本発明では、回折格子表面の基本膜上に被覆する付加膜の効果により、正反射光(零次光)を低減させ、測定に用いる+1次光(もしくは-1次光)となるエネルギーの割合を水の窓領域を中心とする広いエネルギー帯域で増加させることができる。また、実際の製造においては、基本膜である金属膜上に別種類の金属の付加膜を形成するのは容易であり、低コストで製造を行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【
図2】本発明の実施の一形態となる、付加膜を表面に持つ回折格子の構造を示す図である。
【
図3】回折格子の反射膜として用いられる金(Au)、白金(Pt)、タングステン(W)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)の、電磁波エネルギーとその電磁波に対する補屈折率δ
m、δ
C(これらをまとめてδ
m,oと記載する)、実屈折率n
m,n
o(これらをまとめてn
m,oと記載する)、消衰係数β
m、β
o(これらをまとめてβ
m,oと記載する)、臨界角γ
Cの表である。
【
図4】
図4中の(a)と(b)は、それぞれ、従来の回折格子において本発明の実施の形態の基本膜の材料であるAu若しくは付加膜の材料であるNiのみが製膜されている回折格子の図である。(c)は、本発明の実施の形態の回折格子において基本膜2としてAu、付加膜3としてNiを用いた場合の回折格子を示す図である。
【
図5】
図5中の(a)、(b)はそれぞれ、 従来の回折格子において本発明の実施の形態の基本膜の材料であるAu若しくは付加膜の材料であるNiのみが製膜されている回折格子の回折効率を示す図である。(c)は、本発明の実施の形態の回折格子において基本膜2としてAu、付加膜3としてNiを用いた場合の回折格子の回折効率を示す図である。
【
図6】基本膜2が金(Au)の回折格子の回折効率と、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの膜を付加膜として堆積した回折格子の回折効率の数値計算結果を示すグラフである。
【
図7】表面が白金(Pt)の回折格子の回折効率と、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの膜を付加膜として堆積した回折格子の回折効率の数値計算結果を示すグラフである。
【
図8】表面がタングステン(W)の回折格子の回折効率と、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)のいずれかの膜を付加膜として堆積した回折格子の回折効率の数値計算結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下、本発明の一実施形態である軟X線用ラミナー型回折格子を、従来型のものと対比して詳細に説明する。
【0028】
従来型のラミナー型回折格子の形態について
図1を用いて説明する。直交座標系において、x軸を回折格子中心Oでの回折格子の垂線(法線)方向、y軸をOでの回折格子面の格子溝に垂直な接線方向、z軸をOにおいてそれらに垂直な軸(紙面に垂直な軸)とする。この時、x軸方向から入射光の方向へ張る角度を入射角(α)とする。また、x軸方向から測定に用いる波長(λ)の回折次数(m)が1次の回折光の方向へ張る角度を回折角(β)とする。角度αとβの双方について符号はx軸から反時計廻りを正とする。
【0029】
回折格子溝はラミナー型と一般に称される矩形波状であり、SiO2等の基板1の表面、または基板1上に形成された樹脂表面に、溝周期である格子定数(σ)、溝の山部の長さ(a)、溝深さ(h)の格子溝が形成されている。
【0030】
従来型のラミナー型回折格子及び後述の本発明の実施の形態となる回折格子では基板1として、例えば、ガラス(SiO2)基板上に、刻線密度(1/σ): 1200本/mm(σ: 833.3 nm)、h: 8 nm、デューティ比(a/σ): 0.4(a: 333.3 nm)のラミナー型の格子溝を持つとする。この基板1上に厚さd1の基本膜2が堆積されている。この従来型では基板1上に厚さ(d1): 30 nm のAu又はNi膜が、後述の実施形態では基板1上に厚さ(d1): 30 nm のAu膜が、それぞれ製膜されているものとする。
【0031】
本発明の実施の一形態となるラミナー型回折格子の形態を
図2に示す。
図1の従来型の形態との違いは、本発明の実施の一形態のラミナー型回折格子は、
図1で述べた基本膜2の上に付加膜3が厚さd2で堆積されている点である。ここでは付加膜3として厚さd2: 8 nmのコバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)の何れかが製膜されている。
【0032】
図3は、本発明の実施の形態で基本膜2として用いられる金(Au)、白金(Pt)、タングステン(W)及び付加膜3として用いるコバルト(Co)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)の補屈折率δ、複素屈折率の実部n
m,o(= 1-δ
m,o)、消衰係数β
m,o、式 (5)で表される臨界角γ
Cの文献値(非特許文献4)を表にしたものである。
【0033】
以下では、
図1で示した従来の形態の回折格子に対して、
図2で示した本発明の実施の形態の回折格子の優位性を示すために、種々の構造をもつ回折格子の回折効率を見積もった。
図4(a)、
図4(b)は、従来の形態の回折格子で、基本膜2の膜厚を、吸収によりSiO
2基板への透過光がない厚さである基本膜厚(d1): 30 nmとし、それぞれAu、Niが製膜されている構造を示す図である。
図4(c)は、本発明の実施の形態の回折格子で、基本膜2が30 nmの膜厚d1のAu膜で、付加膜3が8 nmの膜厚d2のNi膜の構造を示す図である。
【0034】
図4(a)~(c)で示した各構造を持つ回折格子に、エネルギー62~1000 eV(波長:1.2~20.0 nm)の光が86.0°の入射角αで回折格子に入射する場合の1次光の回折効率を
図5に示す。回折効率の数値計算にはM. G. Moharamらに基づく方法(非特許文献5、非特許文献6参照。)を用いた。
【0035】
図4(a)で示したAu膜を表面に持つ従来の形態の回折格子の場合の、200 eV(6.2 nm)近辺から543 eV(2.28 nm)までの「水の窓」領域での回折効率は最大で約10 %で、平均すると約8 %である。
図4(b)で示したNi膜を表面に持つ従来の形態の回折格子の場合、200 eV近辺から543 eVまでの「水の窓」領域での回折効率は最大で約20 %で、平均すると約15 %である。しかし、O-K発光(525 eV)付近では実屈折率n
mが1に近づき、臨界角α
cが入射角αより約1°小さい程度に近づくため、反射率が低下する影響で回折効率が顕著に低下する。
【0036】
図4(c)で示した本発明の実施の形態の回折格子の場合、200 eV近辺から400 eVまでの領域では回折効率は
図4(b)に示したNi膜を表面に持つ従来の形態の回折格子の場合とほぼ同じである。これはこの領域ではn
o < n
m < 1で臨界角α
Cが小さく、α >> α
Cとなって付加膜の表面で全反射が強く起きるためである。
【0037】
一方、O-K発光が含まれる400 eV以上では、回折効率が従来の形態のものよりも高い。これは、nm < no < 1であることから、入射光は付加膜3中にエバネッセント光として入り込み、基本膜2との境界に到達した電磁波は、幾何光学的な光線方向はないが、全反射と類似の反射増強の効果が表れるためと考えられる。但し、この効果が表れるためには、付加膜3と基本膜2の境界面まで入射光の電磁波エネルギーが到達する必要がある。525 eVの電磁波が入射角86°で入射すると、エネルギーが1/eになる膜厚は約3 nmであるため、付加膜3の膜厚が8 nmの場合、約7 %のエネルギーが境界面に到達することからこの効果が発現すると考えられる。
【0038】
図6~
図8はそれぞれ本発明の実施の形態の回折格子において、基本膜2としてAu、Pt、Wを用い、付加膜3としてCo、Ni、Crを用いる場合の回折効率を示す図である。いずれの図においても、付加膜3を設けない、基本膜2のみの形態の回折格子の回折効率も示している。付加膜3としてCrを用いる場合、基本膜2がいずれの金属であっても、Co、Niの場合に比較して400 eV以上で回折効率が顕著に低下するが、これは臨界角α
cが入射角αより大きくなり、全反射条件を満たさなくなるためである。しかし、400 eVよりも低エネルギー側ではCo、Niとほぼ同等の効果があるため、用途によっては本発明に係る回折格子として有効に使用することができる。
【0039】
本発明の実施には回折格子基板1の物性に依存しないため、ガラス等の基板に直接刻線した回折格子は無論の事、基板上の樹脂層の表面に格子溝が刻線されているレプリカ回折格子においても上記実施例と同じ回折効率が得られる。レプリカ回折格子は格子溝が基板表面に刻線されているマスター回折格子に比較して安価に製作できるため、このことも工業的な量産にあたって都合の良い重要な特性である。
【0040】
なお、本発明の実施の形態に係る発明は、本発明の趣旨を逸脱しない範囲で適宜変更可能である。例えば、刻線密度は1200 本/mmに限らず、200 本/mm以上、5000 本/mm以下に変更可能である。また、溝深さ(h)は8 nmにかぎらず、2 nm以上、20 nm以下でもよい。また、デューティ比(a/σ) は0.4に限らず、0.3以上、0.5以下としてもよい。基本膜d1の厚さは30 nmに限らず、目的電磁波が透過しない厚みであればよい。また、軟X線の入射角(α)は86°に限らない。ただし、84°以上、88°以下で用いるのが好ましい。
【0041】
本発明は、付加膜3として安定した金属膜を用いており、また、膜厚が数nmと薄いため、基本膜2との間で、表面形状の変形や荒れをもたらす応力が生じず、力学的に脆弱なレプリカ回折格子においても「水の窓」領域の広いエネルギー帯域において回折格子の根幹的な性能である回折効率の増加をたらすため、工業的な有用性が高い。
【符号の説明】
【0042】
1…回折格子基板
2…基本膜
3…付加膜