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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024017023
(43)【公開日】2024-02-08
(54)【発明の名称】磁気センサ、及び磁性薄膜チップ
(51)【国際特許分類】
   G01R 33/02 20060101AFI20240201BHJP
   H10N 52/00 20230101ALI20240201BHJP
【FI】
G01R33/02 D
H01L43/06 C
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022119378
(22)【出願日】2022-07-27
(71)【出願人】
【識別番号】598121341
【氏名又は名称】慶應義塾
(74)【代理人】
【識別番号】100107766
【弁理士】
【氏名又は名称】伊東 忠重
(74)【代理人】
【識別番号】100070150
【弁理士】
【氏名又は名称】伊東 忠彦
(72)【発明者】
【氏名】海住 英生
(72)【発明者】
【氏名】松島 悠
【テーマコード(参考)】
2G017
5F092
【Fターム(参考)】
2G017AA01
2G017AC09
2G017BA05
5F092AA01
5F092AB01
5F092AD08
5F092AD30
5F092BA32
5F092BD03
5F092BD19
5F092CA02
(57)【要約】
【課題】雑音を抑制しかつ高感度に磁場を検出する新しい原理の磁気センサを提供する。
【解決手段】磁気センサは、基板上に形成された磁性薄膜と、前記磁性薄膜に低周波の交流電流を印加する電流源と、磁性薄膜に生じるインダクタンスを計測する計測器と、を備え、前記磁性薄膜は長方形の平面形状を有し、短軸方向に磁気異方性が与えられている。前記電流源は前記磁性薄膜に1kHz以上、100kHz以下、好ましくは、1kHz以上、50kHz以下の交流電流を印加する。この磁気センサは、磁気揺らぎによる大きなインダクタンス変化に基づいて、高感度に磁場を検出する。
【選択図】図5
【特許請求の範囲】
【請求項1】
基板上に形成された磁性薄膜と、
前記磁性薄膜に1kHz以上、100kHz以下の交流電流を印加する電流源と、
前記磁性薄膜に生じるインダクタンスを計測する計測器と、
を備え、
前記磁性薄膜は長方形の平面形状を有し、短軸方向に磁気異方性が与えられている、
磁気センサ。
【請求項2】
前記電流源は、1kHz以上、50kHz以下の交流電流を前記磁性薄膜に印加する、
請求項1に記載の磁気センサ。
【請求項3】
前記インダクタンスから磁場を算出し出力するプロセッサまたは演算部、
をさらに有する請求項1に記載の磁気センサ。
【請求項4】
前記磁性薄膜は軟磁性材料で形成されている、
請求項1に記載の磁気センサ。
【請求項5】
基板と、
前記基板の上に形成された長方形の平面形状を有する磁性薄膜と、
を有し、前記磁性薄膜は短軸方向に磁気異方性を有する
磁性薄膜チップ。
【請求項6】
前記磁性薄膜の長軸方向の長さと短軸方向の幅のアスペクト比は、5対1以上、15対1以下である、
請求項5に記載の磁性薄膜チップ。
【請求項7】
前記磁性薄膜は軟磁性材料で形成されている、
請求項5に記載の磁性薄膜チップ。
【請求項8】
前記磁性薄膜はNiFe合金で形成されており、Niの含有量は45%以上、80%以下である、
請求項7に記載の磁性薄膜チップ。
【請求項9】
前記磁性薄膜の表面の算術平均粗さは1.0nm以下である、
請求項5に記載の磁性薄膜チップ。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は磁気センサ、及び磁性薄膜チップに関し、特に巨大磁気インダクタンス効果を利用した磁気センサと、この磁気センサで用いられる磁性薄膜チップに関する。
【背景技術】
【0002】
磁気センサとして、磁気インピーダンス(magneto-impedance:MI)効果を利用したMIセンサが知られている。磁場があるところで、磁性体に表皮効果を生じさせる高周波の交流電流を通電すると、磁性体のインピーダンスが磁界によって高感度に変化する。インピーダンス変化率が80%、磁気感度が12%/OeのMIセンサが報告されている(たとえば、非特許文献1参照)。
【0003】
一方、らせん磁性体を用いた磁性薄膜において、インダクタンスの量子化が報告されている(たとえば、非特許文献2参照)。らせん磁性体とは、磁気モーメントがらせん状に整列している磁性物質である。電流と磁場の方向が平行か反平行かによって、右回りらせん、または左回りらせんに制御できる。らせん磁性体のように磁性薄膜に磁気揺らぎが誘発される場合、理論的に、インダクタンスの量子化だけではなく負のインダクタンスの存在も予言されている(たとえば、非特許文献3参照)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】B. Li et al., "Flexible magnetoimpedance sensor", J. Magn. Magn. Mater. 378, 499 (2015)
【非特許文献2】T. Yokouchi et al., "Emergent electromagnetic induction in a helical-spin magnet", Nature 586, 232 (2020)
【非特許文献3】J. Ieda and Y. Yamane, "Intrinsic and extrinsic tunability of Rashba spin-orbit coupled emergent inductors", Phys. Rev. B 103, L100402 (2021).
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
MIセンサの感度を高めるためには高周波の電流を流す必要があるが、高周波電流の印加により雑音が増大する。雑音を抑制するために交流電流の周波数を低減すると、感度が上がらない。一つの側面で、本発明は、雑音を抑制し、かつ高感度に磁場を検出する新しい原理の磁気センサを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
実施形態では、磁気インピーダンスではなく、磁場によるインダクタンスの変化を利用して、高感度に磁場を検出する。具体的には、磁気センサは、基板上に形成された磁性薄膜と、この磁性薄膜に1kHz以上100kHz以下の交流電流を印加する電流源と、前記磁性薄膜に生じるインダクタンスを計測する計測器と、を備え、前記磁性薄膜は長方形の平面形状を有し、短軸方向に磁気異方性が与えられている。
【発明の効果】
【0007】
雑音を抑制し、かつ高感度に磁場を検出する磁気センサが実現される。特に、磁場によってインダクタンスが大きく変化する巨大磁気インダクタンス効果を利用することで、600%を超える高いインダクタンス変化率と、90%/Oe以上の高い検出感度が実現される。
【図面の簡単な説明】
【0008】
図1】実施形態の磁気センサの模式図である。
図2】磁性薄膜への磁気異方性の付与を示す図である。
図3】実施形態の磁性薄膜チップの断面TEM(Transmission Electron Microscope:透過型電子顕微鏡)像である。
図4図3の磁性薄膜チップの3次元AFM(Atomic Force Microscope:原子間力顕微鏡)像である。
図5】低周波電流での磁気インダクタンス測定結果を示す図である。
図6】磁気インダクタンス効果の周波数特性を示す図である。
図7】磁気揺らぎを誘発する階段状の磁場印加を示す図である。
図8】異なる磁場変化幅での磁気インダクタンス特性を示す図である。
図9】実施形態の揺らぎ磁気インダクタンス効果のモデリングに用いる磁化曲線の近似曲線である。
図10】揺らぎ磁気インダクタンス特性のフィッティング結果を示す図である。
図11】磁気揺らぎ効果の周波数特性を示す図である。
図12】磁気揺らぎ効果の磁場変化幅依存性を示す図である。
図13】実施形態の磁気センサと磁性薄膜チップの適用範囲を示す図である。
図14】異なる磁性薄膜材料による磁気インダクタンス効果を示す図である。
図15】別の磁気センサのブロック図である。
図16】さらに別の磁気センサのブロック図である。
【発明を実施するための形態】
【0009】
図面を参照して、発明を実施するための形態を説明する。以下で述べる実施形態は、発明の技術思想を具体化するための例示であり、本発明を下記の構成や数値に限定するものではない。図面中、同一の機能を有する部材には同一符号を付して、重複する記載を省略する場合がある。各図面が示す各部材の大きさ、位置関係等は、発明の理解を容易にするために誇張して描かれている場合がある。
【0010】
<磁気センサの構成>
図1は、実施形態の磁気センサ10の模式図である。磁気センサ10は、基板11上に形成された磁性薄膜12と、この磁性薄膜12に1kHz以上、100kHz以下の周波数で交流電流を印加する電流源13と、磁性薄膜に生じるインダクタンスを計測する計測器25と、を備える。図1の座標系で、磁性薄膜12の長軸方向をX方向、短軸方向をY方向、膜厚方向をZ方向とする。基板11と、基板11上に形成された磁性薄膜12とで、磁性薄膜チップ101が形成される。
【0011】
電流源13と計測器25は、情報処理装置27に接続されている。情報処理装置27はパーソナルコンピュータ(PC)、スマートフォン、タブレット端末等の携帯機器であってもよいし、プロセッサと入力装置及び出力装置を組み合わせた任意の情報処理器であってもよい。後述するように、情報処理装置27に替えて、マイクロプロセッサまたは論理演算回路を用いてもよい。計測器25は、直接インダクタンスを測定するLCRメータでもよいし、誘導起電力Vを測定して、誘導起電力Vからインダクタンスを求める計測器であってもよい。あるいは、計測器25は誘導起電力Vを測定する電圧計と、情報処理装置27の機能の一部との組み合わせであってもよい。この場合、電圧計で測定された誘導起電力Vは情報処理装置27に入力され、情報処理装置でインダクタンスが計算される。情報処理装置27は、電流源13の交流電流印加タイミング、周波数、振幅等を制御する。情報処理装置27はさらに、インダクタンスに基づいて外部磁場を求め、求めた外部磁場を測定結果として出力してもよい。
【0012】
磁性薄膜チップ101で用いられる基板11は、表面が平滑な非導電性の材料であればどのような基板でもよい。ガラス、石英、サファイア、酸化マグネシウム(MgO)などの絶縁性基板、あるいは、意図的な不純物添加がなされていないシリコン(Si)、ゲルマニウム(Ge)などの半絶縁性基板を用いてもよい。無機材料を用いる場合、基板11の表面の平滑化が容易である。基板11としてプラスチック基板を用いる場合は、ポリカーボネート、ポリエチレンナフタレート、アクリル系樹脂等の表面が平滑な有機材料を用いてもよい。プラスチック基板を用いることで、フレキシブルな磁性薄膜チップ101が得られ、磁気センサ10の適用範囲が拡がる。プラスチック材料の中でも、表面の平滑性と機械的強度の観点から、ポリカーボネートが望ましい。
【0013】
磁性薄膜12は、パーマロイ、ソフトフェライト等の軟磁性材料で形成されている。パーマロイは、一般的にはNiの含有率が35~80%のNiFe合金をいうが、Ni含有率が45%以上、80%以下のパーマロイを用いてもよい。パーマロイにモリブデン(Mo)を添加して透磁率を高めたスーパーマロイや、パーマロイに銅(Cu)やクロム(Cr)を添加して透磁率を高めたミューメタル等を用いてもよい。軟磁性材料の磁性薄膜12は、真空蒸着、スパッタ、電子線蒸着等により基板11の上に形成され得る。軟磁性材料は保磁力が小さく、透磁性が大きいので、磁場Hがないところでは磁力を持たないが、磁場Hのあるところで容易に磁化されて磁場の存在を検出できる。図中で、外部磁場Hによる磁性薄膜12の磁化Mの方向は白矢印で示されている。
【0014】
磁性薄膜12は、X方向に長い長方形の平面形状を有する。磁性薄膜12の長軸(X)方向と短軸(Y)方向のアスペクト比は、5:1~15:1、好ましくは、8:1~12:1である。磁性薄膜12の長軸(X)方向の寸法は、磁場Hによって磁性薄膜12に生じるインダクタンスを計測するのに必要な長さであればよく、たとえば10mm以上の電極間距離を確保できる長さであればよい。磁性薄膜12の厚さは、30nm以上、100nm以下である。磁性薄膜12の厚さが30nm以下になると軟磁性材料の特性を十分に発揮できない場合がある。磁性薄膜12の厚さが100nmを超えると、基板11に対して垂直方向の磁化が生じる可能性があり、後述する面内の磁気揺らぎを利用した磁気インダクタンス効果の発現が阻害される可能性がある。所望のインダクタンス特性を得るために、磁性薄膜12の厚さを50nm以上、80nm以下にしてもよい。
【0015】
一方向に長い形状の磁性薄膜12は、一般的には、その形状により長軸(X)方向に磁化容易軸をもつ。これに対し、実施形態の磁性薄膜12は、短軸(Y)方向に磁気異方性MAが付与されている。短軸方向への磁気異方性により、らせん磁性体を用いずに、磁性薄膜12に磁気揺らぎを発生させる。磁場Hのない状態で、磁性薄膜12の磁気モーメントは、誘導磁気異方性の方向に平行な短軸方向に向いている。外部磁場Hが加わると、磁気モーメントは磁化Mの方向に動こうとするが、短軸方向に働く反磁場の影響で、磁気モーメントの揺らぎが誘発される。この磁気揺らぎを利用して、大きな磁気インダクタンスを得る。磁性薄膜12への磁気異方性の付与については、図2を参照して後述する。
【0016】
磁気揺らぎを発生させるためには、磁性薄膜12の表面は平滑であることが望ましい。磁性薄膜12の表面粗さは、算術平均粗さRaで数ナノメートル以下、好ましくは1.0nm以下、より好ましくは0.8nm以下である。磁性薄膜12の表面を平滑にすることで、磁気モーメントが表面の凹凸に沿ってエネルギー的に安定化して固定(ピニング)されることを抑制する。
【0017】
磁性薄膜チップ101の特徴をまとめると、一方向に長い磁性薄膜12を有し、長軸方向と短軸方向のアスペクト比が5:1~15:1、好ましくは8:1~12:1である。ただし、計測器25によるインダクタンス測定を確実になされるように、端子間に10mm以上の距離が確保できるサイズであることが望ましい。磁性薄膜12の膜厚は、XY面内方向で所望のインダクタンス特性を得るために、30nm以上、100nm以下、好ましくは50nm以上、80nm以下である。さらに、磁気揺らぎを生じさせ易くする観点から、磁性薄膜12の表面の算術平均粗さRaは数ナノメートル以下、好ましくは1.0nm以下である。
【0018】
実施形態の磁気センサ10の特徴として、電流源13は、磁性薄膜12にキロヘルツオーダーの低周波電流を印加する。この点は、数百MHzから数GHzの高周波電流を印加する従来のMIセンサと大きく異なる。磁気センサ10は、外部磁場によるインピーダンスの変化ではなく、インダクタンスの変化を高い変化率で、感度良く計測するため、キロヘルツオーダー、具体的には1kHz以上100kHz以下、好ましくは、1kHz以上50kHz以下の低周波で動作する。
【0019】
計測器25は、電流の変化、すなわち磁束の変化で生じる誘導起電力Vを測定し、誘導起電力VからインダクタンスLを計算してもよい。誘導起電力Vは、
V=L×dI/dt
で表される。実施形態では、後述するように、磁気揺らぎによって誘発される起電力を含む誘導起電力を測定する。換言すると、磁気揺らぎ起因のインダクタンスを含むインダクタンスを測定することで、インダクタンスの変化率を大きくして、高感度に磁場を検出する。この詳細は後述する。
【0020】
図2は、磁性薄膜12への磁気異方性の付与を示す。真空蒸着により基板11の上に磁性薄膜12を形成する際に、真空蒸着チャンバー内で、基板11の長軸方向(X方向)の両端に沿って、フェライト磁石21を配置する。フェライト磁石21は、N極とS極が対向するように配置される。この状態で基板11の表面に磁性薄膜材料のNiFe合金を真空蒸着すると、短軸方向(Y方向)に誘導磁気異方性が与えられる。長軸方向の長さlと短軸方向の幅dのアスペクト比は、上述したように5:1~15:1である。
【0021】
成膜条件は、たとえば、真空蒸着パワーが200~230W、成長レートは1~3nm/分、蒸着時の真空度は8.0×10-4~1.0×10-3Paである。フェライト磁石21によるXY面内の印加磁場は360Oeである。フェライト磁石21による誘導磁気異方性により、磁性薄膜12の短軸方向に磁化容易軸が形成される。磁気センサ10の使用中に、外部磁場Hが存在すると、磁化容易軸に揃っていた磁気モーメントは、磁性薄膜12のエッジ近傍に出現する磁極により、白矢印で示す反磁場の影響を受けて、X軸側または-X軸側に分布δをもつようになる。この分布により誘発される磁気揺らぎは、正のインダクタンスと負のインダクタンスとして観測され得る。
【0022】
図3は、上述の条件で基板11上に成膜された磁性薄膜12の断面TEM像である。基板11として厚さ50μmのポリカーボネートを用い、磁性薄膜12として、長さlが15mm、幅dが2mm、厚さ60nmのNi78Fe22薄膜を形成している。Ni78Fe22薄膜の短軸(幅)方向に、磁気異方性が付与されている。実際に作製したサンプルでは、磁性薄膜12の上に、スピン軌道相互作用が少ないコーティング剤を保護膜として塗布している。断面TEM像からわかるように、基板11と磁性薄膜12の界面は、潜り込みのない明瞭な界面となっている。基板11と磁性薄膜12の双方が、非常に平滑な表面を持つ。
【0023】
図4は、図3の基板11と磁性薄膜12の3次元AFM像である。観察範囲は、1×1μmである。図4の(A)は基板11のAFM像であり、基板11の算術平均粗さRaは、0.59nmである。図4の(B)はNi78Fe22の磁性薄膜12のAFM像であり、このNi78Fe22の磁性薄膜12の算術平均粗さRaは0.63nmである。磁気揺らぎを有効に利用する観点から、磁性薄膜12の表面の算術平均粗さRaは数ナノメートル以下、好ましくは1.0nm以下、さらに好ましくは0.8nm以下である。磁性薄膜12の算術平均粗さRaが数ナノメートルを超えると、磁性薄膜12の表面で磁気揺らぎがピニングされ、磁気揺らぎによる巨大磁気インダクタンス効果を得ることが困難になる。実施形態では平滑な表面をもつ基板11上に、平滑な表面をもつ磁性薄膜12を形成することで、大きな磁気インダクタンスを得て、高感度の磁気測定を実現する。
【0024】
<磁気インダクタンスの測定>
図5は、低周波での磁気インダクタンス測定結果を示す。図5の(A)、(B)、及び(C)は、交流電流周波数fがそれぞれ4kHz、12kHz、32kHzのときの測定結果である。横軸は印可磁場(Oe)、縦軸はインダクタンス(nH)である。サンプルとして、図3及び図4に示したサンプル、すなわち、厚さ50μmのポリカーボネート上に、長さ15mm、幅1.5mm、厚さ60nmのNi78Fe22薄膜を形成し、短軸方向に磁気異方性を付与した磁性薄膜チップ101を用いる。
【0025】
磁場Hの変化幅ΔHを2(Oe)に固定し、待機時間を0.1sとして-200(Oe)と+200(Oe)の間で磁場を掃引する。ここでは、+200(Oe)からマイナス側への掃引と、-200(Oe)からプラス側への掃引の両方を行っている。インダクタンスは、図1で模式的に示したように、磁場中で交流二端子法により測定する。(A)~(C)のいずれの周波数でも、磁場によってインダクタンスが大きく変化する磁気インダクタンス効果が観察される。
【0026】
磁気インダクタンスは±10(Oe)の範囲で大きく変化し、+6(Oe)と-6(Oe)の近傍で、ピークとボトムをとる。マイナス方向への磁場掃引に着目すると、図中の矢印で示すように、磁気インダクタンスは、飽和磁場でのインダクタンスLsから急激に減少した後に、急激に増加し、その後再びLsに向かって急激に減少する。プラス方向への磁場掃引でも同様に、Lsから急激に減少した後に、急激に増加し、その後再びLsに向かって急激に減少する。
【0027】
インダクタンスの変化率MLを、ML=ΔL/Lsと規定する。飽和磁場におけるインダクタンスLsは、交流電流の周波数fによって値が異なる。ΔLは、インダクタンスの最大変化量、具体的には+6(Oe)と-6(Oe)の間のインダクタンスの変化量を示す。また、感度を、単位磁場あたりのインダクタンスの変化量と定義する。具体的には、各測定点における磁場の変化Hi+1-Hに対する、インダクタンスの変化率(Li+1-L)/Lsと定義する。
【0028】
図5の(A)で、周波数fが4kHzのときに、Lsは53nH、ΔLは195nHであり、変化率MLは、370%に達する。これは、非特許文献1で報告されているMIセンサのインピーダンス変化率(ΔZ/Zs)80%の4.75倍である。また、最も変化の大きな2点間での最大感度は90%/Oeであり、非特許文献1で報告されている最大感度12%/Oeの7.5倍である。注目すべきは、4kHzにおいては、負のインダクタンス(L<0)が観測されていることである。この負のインダクタンスの観測は、実施形態の磁気インダクタンス効果が磁気揺らぎに起因する現象であることを裏付けている。ここでは、磁気揺らぎに基づく磁気インダクタンス効果を、磁場による単純なインダクタンス変化と区別する意味で、「揺らぎ磁気インダクタンス効果」と呼ぶ。
【0029】
図5の(B)で、周波数fが12kHzのときに、Lsは100nH、ΔLは58nHであり、変化率MLは58%である。Lsに対して十分に大きなインダクタンス変化を示す。最大感度は12%/Oeであり、非特許文献1で報告されているMIセンサの最大感度に劣らない。図5の(C)で、周波数fが32kHzのときに、Lsは110nH、ΔLは22nHであり、変化率MLは20%である。Lsに対して磁場検出に足りるインダクタンス変化を示す。最大感度は4.5%/Oeであり、磁気センサとして許容範囲内である。
【0030】
図7は、磁場変化ΔHを2(Oe)に固定したときの磁気インダクタンス効果の周波数特性を示す。横軸は周波数、縦軸はインダクタンスである。図5と同じサンプルを用いて周波数を4kHz、6kHz、8kHz、12kHz、16kHz、24kHz、32kHz、48kHz、60kHz、120kH、240kHz、320kHz、480kHzを変えて磁場掃引する。各周波数で、磁場が6(Oe)のときと-6(Oe)のときの磁気インダクタンスをLsとともにプロットしている。
【0031】
図7から明らかなように、数kHzから50kHzの範囲で、磁気インダクタンスはLsに対してプラス側とマイナス側に揺らぎ、5kHz以下では、負の磁気インダクタンスが観測される。磁場の変化幅ΔHが2(Oe)のときに、磁気揺らぎを生じさせることのできる適切な周波数は1kHz以上、50kHz以下である。後述するように、磁場変化幅ΔHを大きくすることで、100kHz以下でLsから正、負の両方向への磁気揺らぎが観察され得る。この理由で、磁気センサ10を動作させる適切な周波数範囲は1kHz以上、100kHz以下、好ましくは1kHz以上、50kHz以下である。
【0032】
<揺らぎ磁場インダクタンス効果の磁場変化幅依存性>
図5及び図6のインダクタンス測定で、印加磁場を磁場変化幅ΔHで階段状に変化させている。図7は、階段状の磁場印加を模式的に示す。図7に示すように、所定の磁場変化幅ΔHで、磁場をパルス的に印加することで、磁化ベクトルが急激に変化し、磁極の変化が大きくなる。ここから、磁場変化幅ΔHを大きくすることで、揺らぎ磁場インダクタンス効果を向上できるのではないか、と推論される。
【0033】
図5及び図6で、50kHz以下、特に32kHz以下で大きな揺らぎ磁気インダクタンス効果が得られることがわかっている。そこで、周波数を4kHzに固定し、ΔHを1Oe、2Oe、及び4Oeと変えて、磁場の関数としてインダクタンスを測定する。図8は、異なる磁場変化幅ΔHでの磁気インダクタンス特性を示す。図8の(A)は、ΔHが1(Oe)のときの磁気インダクタンス特性、(B)はΔHが2(Oe)のときの磁気インダクタンス特性、(C)はΔHが4(Oe)のときの磁気インダクタンス特性である。図8の(B)は、縦軸のスケールは異なるが、図5の(A)の磁気インダクタンス特性と同じものである。
【0034】
ΔHが大きくなるほど、インダクタンスの変化幅ΔLが大きくなる。4kHzの低周波では、ΔHが1(Oe)でもΔLは94nHであり、Lsに対する変化率MLは178%と高い。非特許文献1のMIセンサの最大変化率を大きく上回っている。ΔHを2(Oe)にすることで、図5の(B)を参照して述べたように、370%の変化率が得られる。ΔHが4(Oe)のときは、ΔLは334nHと増大し、変化率も634%に達する。これは、非特許文献1の変化率の約8倍である。このように、低周波数と大きな磁場変化幅ΔHとによって、揺らぎ磁気インダクタンス効果をさらに大きくすることができる。
【0035】
図8の結果から、周波数が100kHzのときにΔHを4Oeにすることで、インダクタンス変化率が大きくなり、磁気揺らぎが発生するであろうことは容易に予想される。磁気センサ10は、磁場変化が1~4Oeの環境で、1kHz以上、100kHz以下の周波数で高感度に磁場の変化を検出することができる。
【0036】
<揺らぎ磁気インダクタンス効果のモデリング>
上述した揺らぎ磁気インダクタンス効果のモデリングを試みる。磁気揺らぎによる誘導起電力Vは、非特許文献3によると、式(1)で表される。
【0037】
【数1】
ここで、Pはスピン分極率、eは電気素量、mは磁化の単位ベクトル、h(バー)はディラック定数、βはボルツマン定数kと温度Tの積の逆数(1/kT)である。
【0038】
一方、図2の磁性薄膜12を、巻数kのインダクタとみなすと、磁気揺らぎによる誘導起電力Vは、式(2)で表される。
【0039】
【数2】
ここで、Mは磁性薄膜12の磁化、δは磁気揺らぎを誘発する分布(磁気揺らぎ分布)、δeはある面における電子数の分布である。磁気揺らぎ分布δは、式(3)で表される。
【0040】
【数3】
ここで、Hは外部磁場、θは外部磁場Hと磁化Mの相対角である。図2で、X方向の外部磁場Hが存在する場合、磁化Mとx軸との間の角度θが相対角θになる。式(3)は、スピン由来の磁気モーメントにより磁場Hの中で分裂した2つのエネルギー準位の占有率がボルツマン分布に従うことに基づく。
【0041】
上述したように、磁気揺らぎ分布δは、磁気異方性による反磁場の影響を受ける。そのため、式(3)の比例定数αは、X方向に対する反磁界係数Nx、およびY方向に対する反磁界係数Nyによって定められる。磁性薄膜12の幅dに対して長さlが十分に長い場合、反磁界係数比Ny/Nxはd/(l+d)≒d/lとなり、定数αは式(4)で表される。
【0042】
【数4】
さらに、巻数kのインダクタと擬制される磁性薄膜12に流れる電流をIexp(i(ωt-kx))とし、磁場が変化する微小時間をΔtとすると、電子数の分布δeは式(5)で表される。
【0043】
【数5】
ここで、Iは交流電流の振幅、eは電気素量である。
【0044】
揺らぎ磁気インダクタンス効果によるインダクタンスLを、飽和磁場でのインダクタンスLsと、磁気揺らぎに由来するインダクタンスLflの和と考えると、インダクタンスLは式(6)で与えられる。
【0045】
【数6】
ここで、μは透磁率であり、μ=∂M/∂Hである。Sは図2の磁性薄膜12のYZ面に沿った断面積である。ΔHは磁場変化幅である。
【0046】
式(6)で表されるインダクタンスが、揺らぎ磁気インダクタンス効果を含むモデル式である。揺らぎ磁気インダクタンス効果は、磁場Hに対する磁化Mの相対角θによって決定される。揺らぎ磁気インダクタンス曲線を描く上で必要な測定点を補うために、図9の磁化曲線の近似曲線を用いる。
【0047】
図9は、実施形態の揺らぎ磁気インダクタンス効果のモデリングに用いる磁化曲線の近似曲線である。横軸は磁場(Oe)、縦軸は磁化M/Msである。ここで、M/Msは、図2の相対角度θの余弦(cosθ)に相当する。図9の(B)は、(A)の磁場0(Oe)近傍の拡大図である。図9の(A)と(B)において、曲線は計算値、黒丸は実験値である。計算結果と実験値が良い一致を示しているため、この近似曲線を用いて揺らぎ磁気インダクタンスのフィッティングを行う。図9の(B)近似曲線は、保磁力Hcを用いたArctan関数で近似されている。磁性薄膜12は軟磁性材料で形成されており、保磁力Hcは小さい。γは定数であり、たとえば1/4である。
【0048】
50kHz以下の低周波で大きな揺らぎ磁気インダクタンス効果が観察されるので、代表的な周波数として、図5の(A)、(B)、(C)に対応する4kHz、12kHz、及び32kHzでの揺らぎ磁気インダクタンス曲線をフィッティングする。
【0049】
図10は、揺らぎ磁気インダクタンス曲線のフィッティング結果を示す。図10の(A)はf=4kHzでのフィッティング結果、(B)はf=12kHzでのフィッティング結果、(C)はf=32kHzでのフィッティング結果である。いずれも図9のArctan関数を用いている。いずれの周波数においても実験値と計算結果は良い一致を示している。
【0050】
飽和磁場におけるインダクタンスLsよりもプラス側にインダクタンスを変化させる電流は順電流によるものであり、Lsよりもマイナス側に変化させる電流は反電流によるものである。反電流では、順電流と逆の誘導起電力が生じる。これは、式(6)で磁気揺らぎ由来のインダクタンス成分の項の手前に付けられている±符号で表される。
【0051】
図11は、磁気揺らぎ効果の周波数特性を示す。横軸は周波数(kHz)、縦軸はインダクタンスの変化ΔL(nH)である。磁気揺らぎ由来のインダクタンス成分Lflは、式(6)の右辺の第2項で表される。
【0052】
インダクタンスの変化ΔLをピークとボトムの差、すなわちLmaxとLminの差で表すと、ΔLは式(7)で表される。
【0053】
【数7】
ここで、Hcは保磁力に相当する。図11で磁気揺らぎ効果の周波数特性はΔL∝1/fで近似され、この近似式による計算値と、実験値はよく一致している。
【0054】
図12は、磁気揺らぎ効果の磁場変化幅依存性を示す。横軸は磁場変化幅ΔH、縦軸はインダクタンスの変化ΔLである。代表的な周波数として、4kHz、12kHz、及び24kHzのときのΔLのΔH依存性を示す。いずれの周波数でも、インダクタンスの変化ΔLは、磁場変化幅ΔHに線形比例している。インダクタンスの変化ΔLが、磁場変化幅ΔHに比例することは、式(8)でも説明されている。このように、実施形態の磁気センサ10の顕著な揺らぎ磁気インダクタンス効果は、磁気揺らぎによる誘導起電力によるものと結論付けられる。
【0055】
図13は、実施形態の磁気センサ10と磁性薄膜チップ101の適用範囲を示す。横軸は磁気エネルギーの程度(軟磁性か硬磁性か)を示し、縦軸は表面粗さの程度を示す。実施形態の磁気センサと磁性薄膜チップ101は、磁気エネルギーの低い、すなわち保磁力の小さい軟磁性材料を用い、かつ、表面平坦性の高い磁性薄膜12を用いる。したがって、適用範囲は、点線のサークルで示す原点近傍の領域Aである。この領域Aは、負のインダクタンス(L<0)を含み、磁場を掃引することで、正のインダクタンスと負のインダクタンスに変調することが可能である。したがって、正のインダクタンスと負のインダクタンスの二値化を利用したデバイスに適用可能である。
【0056】
図14は、別の磁性薄膜材料による磁気インダクタンス効果を示す。磁性薄膜12の材料として、Ni45Fe55を用いている。電流源13の交流電流の周波数は4kHzである。このサンプルの磁気インダクタンスの変化率は130%であり、Ni78Fe22と同様に大きな変化率を示す。NiFe合金の組成は、Niの含有率が30%~80%の範囲で適宜設計可能である。
【0057】
図15は、別の磁気センサ10Aのブロック図である。磁気センサ10Aは、センサチップ101Aに3つの端子が接続されている。センサチップ101Aは、図1及び図2に示したように、基板11上に、軟磁性材料で形成される磁性薄膜12を有し、磁性薄膜12の短軸方向に磁気異方性が付与された磁性薄膜チップである。センサチップ101Aに入力端子VINと出力端子VOUTと、グランド端子GNDが接続されている。グランド端子GNDは、磁性薄膜12の片側端子に相当する。入力端子VINから交流電流が印加される。出力端子VOUTから誘導起電力(V)が出力される。出力端子VOUTは、情報処理装置27の入力に接続されていてもよい。
【0058】
図16は、さらに別の磁気センサ10Bのブロック図である。磁気センサ10Bは、磁性薄膜チップ101Bと、交流の電流源13と、電圧測定部15と、アンプ16と、演算部17を有する。磁性薄膜チップ101Bは、基板11と、基板11の表面に軟磁性材料で形成された磁性薄膜12とを有する。磁性薄膜12の面内で長さlと直交する方向(短軸方向)に、磁気異方性が付与されている。磁性薄膜12の長さlは、電圧測定部15による誘導起電力の測定を可能にする長さであればよく、たとえば10~15mm程度である。
【0059】
交流の電流源13の一方の端子は磁性薄膜チップ101Bの磁性薄膜12に接続され、他方の端子は入力端子VINに接続されている。グランド端子GNDは磁性薄膜12の片側端子に相当する。電圧測定部15の一方の端子は磁性薄膜チップ101Bの磁性薄膜12に接続され、他方の端子はアンプ16の入力に接続されている。アンプ16は、電圧測定部15で測定された電圧(誘導起電力)を増幅し、演算部17に入力する。演算部17は、フィールドプログラマブルゲートアレイ(FPGA)等のロジックデバイス、特定用途集積回路(ASIC:Application Specific Integrated Circuit)等の集積回路、マイクロプロセッサ等である。演算部17は、電圧測定部15によって測定され増幅された誘導起電力からインダクタンスを求め、インダクタンスから、図10の関係または近似曲線に基づいて磁場を算出する。演算部17で算出された磁場の値は出力端子VOUTから出力される。
【0060】
磁気センサ10A、10Bともに、センサチップ101Aまたは磁性薄膜チップ101Bの磁気揺らぎを利用しており、高いインダクタンス変化率で高感度の磁場検出が可能である。磁性薄膜12は、保持力は数ガウス程度と小さく、短軸方向に磁気異方性を付与できる任意の材料で形成され、上述したように、組成が設計されたNiFe合金、Cu、Cr、Mo等が添加されたパーマロイ等で形成されている。基板11は、磁性薄膜12の表面平坦性を確保できるように十分な平坦性を有している。ポリカーボネート等のプラスチック基板を用いるときは、センサチップ101Aや磁性薄膜チップ101Bをフレキシブルな構成にできる。
【0061】
以上説明したように、実施形態の磁気センサ10、10A、10Bは微弱な磁場を高感度に検出可能であり、生体磁気センサ、脳磁計、地磁気センサ等に適用可能である。低周波の交流電流を用いるので、内部ノイズの発生を抑制することができる。
【符号の説明】
【0062】
10、10A、10B 磁気センサ
11 基板
12 磁性薄膜
13 電流源
15 電圧測定部
16 アンプ
17 演算部17
25 計測器
27 情報処理装置
101、101B 磁性薄膜チップ
101A センサチップ
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14
図15
図16