(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024172326
(43)【公開日】2024-12-12
(54)【発明の名称】赤外高屈折率層を含む複合膜とその製造方法および輻射スペクトル制御デバイス
(51)【国際特許分類】
C23C 14/06 20060101AFI20241205BHJP
C23C 14/58 20060101ALI20241205BHJP
【FI】
C23C14/06 N
C23C14/58 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】14
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023089974
(22)【出願日】2023-05-31
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)令和4年度、防衛装備庁、「安全保障技術研究推進制度/ナノ構造デザインによる赤外輻射スペクトル制御」委託研究、産業技術力強化法第17条第1項の規定の適用を受ける特許出願
(71)【出願人】
【識別番号】000173522
【氏名又は名称】一般財団法人ファインセラミックスセンター
(74)【代理人】
【識別番号】110000394
【氏名又は名称】弁理士法人岡田国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】奥原 芳樹
(72)【発明者】
【氏名】上出 龍星
(72)【発明者】
【氏名】黒山 友宏
【テーマコード(参考)】
4K029
【Fターム(参考)】
4K029AA06
4K029AA24
4K029BA04
4K029BA16
4K029BA26
4K029BA35
4K029BA58
4K029BB02
4K029BC07
4K029BD01
4K029CA05
4K029DC03
4K029DC04
4K029DC16
4K029DC39
4K029EA01
4K029EA08
4K029GA01
4K029JA02
(57)【要約】
【課題】赤外域において消衰係数を低く抑えたまま屈折率を高めた材料を得る。
【解決手段】一つの態様は赤外高屈折率層を含む複合膜であって、前記赤外高屈折率層はβ-FeSi
2マトリックスと前記β-FeSi
2マトリックスに分散されたAgナノ粒子とを有し、波長5000 nm以上の赤外域において前記赤外高屈折率層の屈折率が8以上かつ消衰係数が1以下である。別の態様は前記の複合膜を製造する方法であって、β-FeSi
2層を形成する工程とAg層を形成する工程とを繰り返して複数のβ-FeSi
2層の間に複数のAg層を交互に有する積層膜を形成し、前記積層膜を熱処理することにより前記複数のAg層を離散化して前記β-FeSi
2マトリックスに分散した前記Agナノ粒子を形成する。
【選択図】
図29
【特許請求の範囲】
【請求項1】
赤外高屈折率層を含む複合膜であって、
前記赤外高屈折率層はβ-FeSi2マトリックスと前記β-FeSi2マトリックスに分散されたAgナノ粒子とを有し、
波長5000 nm以上の赤外域において前記赤外高屈折率層の屈折率が8以上かつ消衰係数が1以下である、複合膜。
【請求項2】
請求項1の輻射スペクトル制御用複合膜であって、
前記赤外高屈折率層に占める前記Agナノ粒子の体積割合が20%以上40%以下である複合膜。
【請求項3】
請求項1の複合膜であって、
前記赤外高屈折率層はその表面にAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を有する複合膜。
【請求項4】
請求項3の複合膜であって、
前記蒸発抑制層がSi3N4層またはTaN層である複合膜。
【請求項5】
請求項1の複合膜を製造する方法であって、
β-FeSi2層を形成する工程とAg層を形成する工程とを繰り返して複数のβ-FeSi2層の間に複数のAg層を交互に有する積層膜を形成し、
前記積層膜を熱処理することにより前記複数のAg層を離散化して前記β-FeSi2マトリックスに分散した前記Agナノ粒子を形成する方法。
【請求項6】
請求項5の方法であって、
前記積層膜における各Ag層の膜厚が1.0 nm以上2.5 nm以下である方法。
【請求項7】
請求項5の方法であって、
前記積層膜を形成する工程において最後の前記Ag層の上にAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を形成する方法。
【請求項8】
請求項7の方法であって、
前記蒸発抑制層がSi3N4層またはTaN層である方法。
【請求項9】
請求項5の方法であって、
前記熱処理の工程において前記積層膜を700°C以上750°C以下の温度で熱処理する方法。
【請求項10】
請求項1の複合膜を備える輻射スペクトル制御デバイスであって、
金属層の上に少なくとも一つの赤外低屈折率層と少なくとも一つの赤外高屈折率層とを交互に有し、各赤外低屈折率層の赤外域における屈折率が隣り合う前記赤外高屈折率層の赤外域における屈折率より小さくなっており、
前記少なくとも一つの赤外高屈折率層のうちの第1の赤外高屈折率層が前記複合膜の前記赤外高屈折率層からなる輻射スペクトル制御デバイス。
【請求項11】
請求項10の輻射スペクトル制御デバイスであって、
前記第1の赤外高屈折率層の上に隣接してAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を有する輻射スペクトル制御デバイス。
【請求項12】
請求項11の輻射スペクトル制御デバイスであって、
前記蒸発抑制層がTaN層である輻射スペクトル制御デバイス。
【請求項13】
請求項3の複合膜を備える輻射スペクトル制御デバイスであって、
金属層の上に少なくとも一つの赤外低屈折率層と少なくとも一つの赤外高屈折率層とを交互に有し、各赤外低屈折率層の赤外域における屈折率が隣り合う前記赤外高屈折率層の赤外域における屈折率より小さくなっており、
前記少なくとも一つの赤外高屈折率層のうちの第1の赤外高屈折率層が前記複合膜の前記赤外高屈折率層からなり、前記少なくとも一つの赤外低屈折率層のうち前記第1の赤外高屈折率層の上側に隣り合う赤外低屈折率層が前記複合膜の前記蒸発抑制層からなる輻射スペクトル制御デバイス。
【請求項14】
請求項13の輻射スペクトル制御デバイスであって、
前記蒸発抑制層がSi3N4層である輻射スペクトル制御デバイス。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、赤外高屈折率層を含む複合膜、その複合膜の製造方法、およびその複合膜を備えた輻射スペクトル制御デバイスに関するものである。
【背景技術】
【0002】
半導体マトリックス中に金属粒子を分散させることによりプラズモン共鳴現象による特異な光物性がもたらされることが知られている。この現象に関して、例えば特開2014‐085099号公報は特定の半導体と金属粒子とを組み合わせた膜により近赤外域の消衰係数に新たな共鳴吸収ピークを発現できることに着目し、そのような膜の太陽熱用途での利用を想定している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
マトリックス中に分散された金属ナノ粒子に光すなわち電界の振動が作用することで、粒子内の自由電子も集団的に振動する現象がプラズモン振動である。このプラズモン振動はある波長帯で光と強く相互作用する共鳴現象を伴い、その共鳴点では誘電関数の虚数部ε″が極大値をもつ。一方、誘電関数の実数部ε′は共鳴点を境界として、それより低周波数側(長波長側)では自由電子が追従できるためε′は大きくなり、自由電子が追従できない高周波数側(短波長側)ではε′は小さくなる。この誘電率の実数部と虚数部は光の分野ではそれぞれ屈折率(n)と消衰係数(k)に反映されるため、プラズモン共鳴を最大限に発現させることで赤外域の屈折率を高めることができ、かつ共鳴点を赤外域の十分短波長側にシフトさせることができれば、赤外域の広範囲にわたって消衰係数を低くできる。
【0005】
このような高屈折率材料は、例えば、金属表面上に低屈折率材料と交互に周期的に積層して用いることにより、干渉波長帯に輻射率ピークを発現させることができる。その輻射率スペクトルのピークを増大させるには、互層構造の隣接する屈折率の差を拡大させることが有効である。また、シャープな輻射率ピークを発現させるには、消衰係数の低い材料が必要となる。他にも、屈折率の高い材料をレンズに用いれば、その曲率やサイズを小さくすることができる。このように、赤外域において消衰係数を低く抑えたまま屈折率をさらに高めた特異な光物性をもつ材料が得られれば様々な分野での応用が可能となる。
【課題を解決するための手段】
【0006】
ひとつの態様は、赤外高屈折率層を含む複合膜であって、前記赤外高屈折率層はβ-FeSi2マトリックスと前記β-FeSi2マトリックスに分散されたAgナノ粒子とを有し、波長5000 nm以上の赤外域において前記赤外高屈折率層の屈折率が8以上かつ消衰係数が1以下である。実施形態によっては、前記赤外高屈折率層に占める前記Agナノ粒子の体積割合が20%以上40%以下である。実施形態によっては、前記赤外高屈折率層はその表面にAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を有する。実施形態によっては、前記蒸発抑制層がSi3N4層またはTaN層である。
【0007】
別の態様は、上記の複合膜を製造する方法であって、β-FeSi2層を形成する工程とAg層を形成する工程とを繰り返して複数のβ-FeSi2層の間に複数のAg層を交互に有する積層膜を形成し、前記積層膜を熱処理することにより前記複数のAg層を離散化して前記β-FeSi2マトリックスに分散した前記Agナノ粒子を形成する。実施形態によっては、前記積層膜における各Ag層の膜厚が1.0 nm以上2.5 nm以下である。実施形態によっては、前記積層膜を形成する工程において最後の前記Ag層の上にAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を形成する。実施形態によっては、前記蒸発抑制層がSi3N4層またはTaN層である。実施形態によっては、前記熱処理の工程において前記積層膜を700°C以上750°C以下の温度で熱処理する。
【0008】
さらに別の態様は、上記の複合膜を備える輻射スペクトル制御デバイスであって、金属層の上に少なくとも一つの赤外低屈折率層と少なくとも一つの赤外高屈折率層とを交互に有し、各赤外低屈折率層の赤外域における屈折率が隣り合う前記赤外高屈折率層の赤外域における屈折率より小さくなっており、前記少なくとも一つの赤外高屈折率層のうちの第1の赤外高屈折率層が前記複合膜の前記赤外高屈折率層からなる。実施形態によっては、前記第1の赤外高屈折率層の上に隣接してAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を有する。実施形態によっては、前記蒸発抑制層がTaN層である。実施形態によっては、前記少なくとも一つの赤外低屈折率層のうち前記第1の赤外高屈折率層の上側に隣り合う赤外低屈折率層が前記複合膜の前記蒸発抑制層からなる。実施形態によっては、前記蒸発抑制層がSi3N4層である。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図1】複合膜を成膜するための一つの実施形態としての対面型スパッタリング装置の構成図である。
【
図2】別の実施形態としてのカルーセル型スパッタリング装置の構成図である。
【
図3】β-FeSi
2マトリックスと分散Agナノ粒子を含む複合膜を用いた一つの実施形態としての選択的輻射積層体を示す模式図である。
【
図4】TaN層でキャッピングした複合膜を備えた別の実施形態としての選択的輻射積層体を示す模式図である。
【
図5】Si
3N
4層でキャッピングした複合膜を備えたさらに別の実施形態としての選択的輻射積層体を示す模式図である。
【
図6】一つの実施形態としての選択的輻射積層体の用途を説明する模式図である。
【
図7】β-FeSi
2/Ag(2 nm)/β-FeSi
2複合膜のナノ構造組織を示すSEM画像であり、左側は断面像、右側は表面像である(以下同様)。
【
図8】(a)β-FeSi
2単層膜と(b)
図7の複合膜(右)の光学定数スペクトルを示す図である。
【
図9】β-FeSi
2/Ag(4 nm)/β-FeSi
2複合膜のナノ構造組織を示すSEM画像である。
【
図10】
図9の複合膜の光学定数スペクトルを示す図である。
【
図11】β-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2複合膜のナノ構造組織を示すSEM画像である。
【
図12】(b)
図11の複合膜の光学定数スペクトルを(a)
図7の複合膜の光学定数スペクトルと比較して示す図である。
【
図13】TaN層でキャッピングしたTaN/β-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2複合膜の光学定数スペクトルとナノ構造組織を示すSEM画像である。
【
図14】(b)
図13の複合膜の光学定数スペクトルを(a)
図11の複合膜の光学定数スペクトルと比較して示す図である。
【
図15】β-FeSi
2単層膜と
図7、
図11、
図13の複合膜の赤外域(波長10 μm)での屈折率を比較したグラフである。
【
図16】β-FeSi
2単層膜と
図7、
図11、
図13の複合膜の赤外域(波長10 μm)での消衰係数を比較したグラフである。
【
図17】(a)8層β-FeSi
2+7層Agおよび(b)15層β-FeSi
2+14層Agの光学定数スペクトルを示す図である。
【
図18】熱処理保持温度を変えたβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルを示す図である。
【
図19】β-FeSi
2+Ag分散膜の熱処理保持温度による微細組織への影響を示すSEM像(観察倍率10000倍)である。
【
図20】β-FeSi
2+Ag分散膜の熱処理保持温度による微細組織への影響を示すSEM像(観察倍率50000倍)である。
【
図21】β-FeSi
2+Ag分散膜の熱処理温度およびAg膜厚による光学定数スペクトルへの影響を示す図である。
【
図22】カルーセル型装置でスパッタリングしたβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルを示す図である。
【
図23】カルーセル型装置でSiの添加量を変えて成膜したβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルの熱処理温度依存性を示す図である。
【
図24】最適化したβ-FeSi
2+Ag分散膜にて達成した光学定数スペクトルをβ-FeSi
2単相と比較して示す図である。
【
図25】TaN膜でキャッピングしたAg膜(Ta添加)の熱処理後での表面SEM像である。
【
図26】SiO
2膜でキャッピングしたAg膜(Ta添加)の熱処理後での表面SEM像である。
【
図27】MgF
2膜でキャッピングしたAg膜(Ta添加)の熱処理後での表面SEM像である。
【
図28】Si
3N
4膜でキャッピングしたAg膜(Ta添加)の熱処理後での表面SEM像である。
【
図29】(a)TaNまたは(b)Si
3N
4をバリア層としたβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルを示す図である。
【
図30】(a)TaNもしくは(b)Si
3N
4をバリア層としたβ-FeSi
2+Ag分散膜の微細組織を示す表面SEM像である。
【
図31】β-FeSi
2+Ag分散膜の高温in-situにおける光学定数スペクトルの温度依存性を示す図である。
【
図32】(a)TaNまたは(b)Si
3N
4をバリア層としたβ-FeSi
2+Ag分散膜の真空中700°C保持による光学定数スペクトルの経時変化を示す図である。
【
図33】(a)TaNまたは(b)Si
3N
4をバリア層としたβ-FeSi
2+Ag分散膜の微細組織を示すSEM像である。
【
図34】TaN層でキャップした3層β-FeSi
2+2層Agの(a)真空中(TaN層のまま)および(b)大気中(Ta2O5層へ酸化)での熱処理後の表面SEM像である。
【
図35】β-FeSi
2+Ag分散膜を活用した輻射ピークを示す積層構造のSEM像である。
【
図36】β-FeSi
2+Ag分散膜を活用した輻射ピークを示す積層構造の設計値と実測値を示す図である。
【
図37】膜厚を変えたSi
3N
4層とβ-FeSi
2+Ag分散膜による輻射ピークの波長コントロールを示す図である。
【
図38】各温度の黒体輻射スペクトルを示す図である。
【
図39】実験例14の積層構造の高温in-situでの輻射スペクトルの予測値と実測値を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明の様々な実施形態について図面を参照しながら説明する。
【0011】
[赤外高屈折率層を含む複合膜]
一つの態様である複合膜の赤外高屈折率層は、β-FeSi2マトリックスと分散Agナノ粒子とを含んだ層である。複合膜は基板などの基材の上に成膜されたものであってよい。
【0012】
赤外域における赤外高屈折率層の屈折率は例えば8以上である。赤外域における赤外高屈折率層の消衰係数は例えば1以下である。これらの屈折率と消衰係数の条件を満たすべき波長域は、赤外域において、例えば4500 nm以上、4000 nm以上、3000 nm以上の波長域、10000 nm以下、12000 nm以下、15000 nm以下、20000 nm以下、25000 nm以下の波長域、あるいはこれらを組み合わせた波長域とすることができる。
【0013】
複合膜のAgナノ粒子の形状は任意であるが、一つの実施形態として、ほぼ球状であることが好ましい。Agナノ粒子の平均直径は例えば10 nm以上、20 nm以上の範囲、100 nm以下、50 nm以下の範囲、またはこれらの任意の組み合わせとすることができる。平均直径とは例えば顕微鏡画像で最も多く観察された平均的な粒子の直径である。膜の厚さ方向と面内方向とでAgナノ粒子の直径に差がある場合は面内方向の直径を採用することができる。
【0014】
Agナノ粒子はβ-FeSi2マトリックスの中で離散性を保っていることが好ましい。したがって、赤外高屈折率層(β-FeSi2マトリックス)に占めるAgナノ粒子の体積割合は粒子が離散性を保つことのできる上限値以下とすることができる。Agナノ粒子の体積割合は例えば20%以上、21%以上、22%以上、23%以上、24%以上、25%以上、26%以上、27%以上、28%以上、29%以上、30%以上の範囲、40%以下、39%以下、38%以下、37%以下、36%以下、35%以下、34%以下、33%以下、32%以下の範囲、またはこれらの任意の組み合わせとすることができる。
【0015】
複合膜の形態は任意であり、平面状に限らない。複合膜の厚さは用途に合わせて任意の厚さとすることができるが、例えば30 nm以上、40 nm以上、50 nm以上、100 nm以上の範囲、10 μm以下、200 nm以下の範囲、またはこれらの任意の組み合わせとすることができる。
【0016】
実施形態によっては、複合膜は赤外高屈折率層の他にβ-FeSi2とAgナノ粒子以外の物質を任意の形態で含んだ複合膜とすることができる。例えば、赤外高屈折率層はβ-FeSi2マトリックスの表面にAgの蒸発や昇華を抑制するための蒸発抑制層を有するものとすることができる。蒸発抑制層は例えばSi3N4層またはTaN層とすることができる。蒸発抑制層は酸素などの不純物を含んでいてもよい。
【0017】
一つの実施形態として、上記の複合膜の赤外高屈折率層は、例えば、輻射スペクトル制御、レンズ系、フォトニック結晶に用いることができる。複合膜が赤外高屈折率層以外の層を含む場合、赤外高屈折率層のみを赤外高屈折率複合膜として取り出すことにより同様の用途に用いることができる。例えば、前記の蒸発抑制層をスパッタリングなどの適切な方法により除去することもできる。
【0018】
[複合膜の製造方法]
別の態様としての方法は上記の赤外高屈折率層を含む複合膜を製造する方法は、β-FeSi2層を形成する工程とAg層を形成する工程とを繰り返して複数のβ-FeSi2層の間に複数のAg層を交互に有する積層膜を形成し、この積層膜を熱処理することにより複数のAg層を離散化してβ-FeSi2マトリックスに分散したAgナノ粒子を形成する。上述の各β-FeSi2層とAg層は例えばスパッタリング、真空蒸着などの物理蒸着(PVD)など、任意の方法によって成膜することができる。スパッタリングによるβ-FeSi2層の成膜にはβ-FeSi2ターゲットを使用することもできるが、別の実施形態として各構成元素のターゲットを用いた同時スパッタリングで成膜したり、各構成元素のターゲットをβ-FeSi2ターゲットと組み合わせて用いた同時スパッタリングで成膜することもできる。
【0019】
Ag層の膜厚は例えば1.0 nm以上、1.1 nm以上、1.2 nm以上、1.3 nm以上、1.4 nm以上、1.5 nm以上、1.6 nm以上、1.7 nm以上、1.8 nm以上の範囲、2.5 nm以下、2.4 nm以下、2.3 nm以下、2.2 nm以下、2.1 nm以下、2.0 nm以下の範囲、またはこれらの任意の組み合わせとすることができる。
【0020】
上記方法はさらに、前記積層膜を熱処理することにより複数のAg層を離散化して(Agをナノ粒子形態に凝集させて)マトリックス層に分散したAgナノ粒子を形成する工程を含む。熱処理は真空中で行うことができる。熱処理温度は例えば700°C以上、710°C以上、720°C以上、730°C以上、740°C以上の範囲、800°C以下、790°C以下、780°C以下、770°C以下、760°C以下、750°C以下の範囲、またはこれらの任意の組み合わせとすることができる。この熱処理プロセスにてβ-FeSi2マトリックスの結晶成長とAg層からナノ粒子形態へのAgの凝集が生じる。
【0021】
β-FeSi
2マトリックス層とAg層の成膜はターゲットを複数設置可能な多元スパッタリング装置で行うことができる。β-FeSi
2マトリックス層についてはβ-FeSi
2ターゲットを単独で用いてもよいが、別の実施形態として、β-FeSi
2ターゲットとSiターゲットを組み合わせて用いることもできる。多元スパッタリング装置としては、例えば、
図1に示すような通常の対面型スパッタリング装置がある。この装置は、チャンバー10内に各層に対応するターゲットホルダー12、14を基板ホルダー16に対向させて配置したものである。
【0022】
別の実施形態として、
図2に示すカルーセル型のスパッタリング装置を用いることも可能である。このカルーセル型装置は、チャンバー20内に回転可能に支持されたドラム22の外周面上に基板ホルダー24が設けられ、ドラムの周囲にはドラムに対向するように複数(例えば2つ)のターゲットホルダー26、28が配置されている。この構成により、ドラム22を回転させることで基板ホルダー24に保持された基板をいずれのターゲットに対面させることもできるようになっている。したがって、一つのターゲットを用いた成膜が終わるたびにドラム22を回転させることで各ターゲットに対応する層を交互に積層することができる。この装置を用いればターゲットシャッターの手動切り替えを省くことができる。
【0023】
[輻射スペクトル制御デバイス]
他の態様である輻射スペクトル制御デバイスは、上述の赤外高屈折率層を含む複合膜を備えた選択的輻射積層体である。一つの実施形態として、輻射スペクトル制御デバイスは、金属層の上に少なくとも一つの赤外低屈折率層と少なくとも一つの赤外高屈折率層とを交互に有し、各赤外低屈折率層の赤外域における屈折率が隣り合う前記赤外高屈折率層の赤外域における屈折率より小さくなっている。実施形態によっては、前記少なくとも一つの赤外高屈折率層のうちの第1の赤外高屈折率層が前記複合膜の前記赤外高屈折率層からなる。実施形態によっては、前記少なくとも一つの赤外低屈折率層のうち前記第1の赤外高屈折率層の上側に隣り合う赤外低屈折率層が前記複合膜の前記蒸発抑制層からなる。
【0024】
赤外低屈折率層は例えばSiO2層、Si3N4層、MgF2層などとすることができる。赤外低屈折率層の厚さは任意であるが、例えば10~500 nmとすることができる。赤外低屈折率層に例えばSiO2層やSi3N4層を用いた場合、それら材料の固有フォノン吸収によってある波長域に高い消衰係数となり、その高い消衰係数を活用してその波長域のみ輻射率を高める輻射スペクトル設計も可能となる。一方、赤外低屈折率層に例えばMgF2層を用いる場合、材料固有のフォノン吸収が赤外域に存在しないため、任意の波長域にて輻射率を高める輻射スペクトル設計が可能となる。
【0025】
実施形態によっては、赤外高屈折率層の上に隣接してAgの蒸発または昇華を抑えるための蒸発抑制層を有することもできる。この蒸発抑制層は赤外高屈折率層を含む前記の複合膜に既に含まれているものであってもよい。蒸発抑制層は例えばSi3N4層、TaN層とすることができる。金属層がAg層である場合にはこのAg層の外側に隣接して同様の蒸発抑制層を設けることもできる。
【0026】
実施形態によって、輻射スペクトル制御デバイスは上述の複合膜に由来する赤外高屈折率層以外の赤外高屈折率層を含んでいてもよいし、含んでいなくてもよい。以上に述べた各層は、例えばスパッタリング、真空蒸着などの物理蒸着(PVD)など、任意の方法で積層することができる。
【0027】
金属層の金属は特に限定されないが、例えば銀(Ag)、金(Au)、銅(Cu)、モリブデン(Mo)、タングステン(W)とすることができる。また、NiSiなどのシリサイドなど、金属的な性質の化合物・合金とすることもできる。金属層の厚さは任意であるが、例えば50 nm以上、100 nm以上の範囲とすることができる。
【0028】
図3、
図4、
図5にそれぞれ一つの具体的な実施形態としての選択的輻射積層体の構成を示す。
【0029】
さらに別の態様は、上述の輻射スペクトル制御デバイスを備えた熱伝達デバイスまたは発光デバイスである。また、様々な実施形態として、
図6に示すように、輻射スペクトル制御デバイス30は、上述の積層体の他に高温物質や排熱源などの発熱体32を含んだものとしたり、そのような発熱体32と組み合わせて用いたりすることができる。これにより、特定の波長域の赤外線を選択的に輻射34させることができる。
【0030】
以上に種々の具体的な実施形態を説明したが、本発明の目的を逸脱せずに様々な置換、改良、変更が可能であることは当業者であれば明らかである。したがって本発明の形態は、添付した請求項の趣旨と目的を逸脱しない全ての置換、改良、変更を含む。
【実施例0031】
[分散ナノ粒子の形態とプラズモン共鳴現象の相関性評価]
β-FeSi2マトリックスにAgナノ粒子を分散させてなる複合膜を、スパッタリング成膜方式や条件を変えて作製した。β-FeSi2ターゲット(フルウチ化学製、純度99.9%以上)およびAgターゲット(高純度化学製、純度99.999%以上)をDCマグネトロンスパッタリングカソードに設置し、Arスパッタリングガス圧2.0 mTorrのもとでプラズマを発生させ、回転させたSiウェハ基板上に成膜した。その膜組織の走査電子顕微鏡(SEM)画像を観察することにより、作製方法がAgナノ粒子の分散態様に及ぼす影響を調べた。また、その複合膜の赤外域における屈折率nと消衰係数kのスペクトル(以下「光学定数スペクトル」)を分光エリプソメータ(日本セミラボ製、GES5E)で実測・評価し、赤外屈折率を増加させるAgナノ粒子形態を調べた。
【0032】
[実験例1:β-FeSi
2+Ag分散複合膜]
図1に示す多元スパッタリング装置(対面型)を用い、マトリックス(母材)となるβ-FeSi
2のターゲット(フルウチ化学製、純度99.9%以上)と分散ナノ粒子となるAgのターゲット(高純度化学製、純度99.999%以上)とを超高真空チャンバー内のDCマグネトロンスパッタリングカソードにセットした。そして圧力2.0 mTorrのArガス中にてプラズマを生成して回転するSi基板上へ成膜した。なお、成膜プロセスは、Agナノ粒子の形態制御性を重視して、β-FeSi
2とAgを同時に基板上へ供給するのではなく、β-FeSi
2層とAg層を交互に積層成膜する方法を採用した。具体的には2つのβ-FeSi
2層の間にAg層を1層挟んだ積層構造を成膜した。この中間層のAg層の成膜においては、プラズマを保持できる最低限のスパッタリング電力(DC 3 W)としてその成膜時間によって厚さを制御し、その膜厚がおよそ2 nmとなる成膜時間(60秒)とした。スパッタリング法により金属膜を成膜する場合、島状の分散構造から連続膜へ移り変わる境界がこの2 nm付近にあると考えられる。
【0033】
このスパッタリングによる成膜後、β-FeSi2相の結晶化のために膜サンプルに対し真空中700°Cで1時間熱処理を施した。この熱処理プロセスにてβ-FeSi2マトリックスの結晶成長とAgナノ粒子の凝集が生じ、分散粒子の形態はこれらに依存して決まると考えられる。
【0034】
図8(a)に示した光学定数スペクトルからわかるように、比較例としてのβ-FeSi
2単層膜の消衰係数は半導体特有のバンドギャップ(0.85 eV以上)を反映して波長1450 nm以下の近赤外域で高吸収となり、一方の屈折率は赤外領域にて約4.8となった。これに対して、
図8(b)に示すように、β-FeSi
2層の中間にAg層を導入した本実験例のβ-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2膜においては、消衰係数は近赤外域にて若干増加するものの赤外域にかけてゼロに収束し、一方で屈折率は約5.3にまで向上して赤外波長の全域にわたってその高い値を維持した。これら両者の全膜厚は35~40 nmでほぼ同一であって膜構造の主な違いはAgナノ粒子の分散のみであることから、この近赤外域における消衰係数の上昇と赤外全域における屈折率の上昇は、分散Agナノ粒子のプラズモン共鳴による効果が現れはじめていることを反映しているものと考えられる。
【0035】
図7に示す断面と表面のSEM像において、重い元素であるAgは明るい斑点として観察され、Agナノ粒子の周囲を埋めているグレーの領域はβ-FeSi
2マトリックスである。このSEM像からわかるように、このAg層は成膜後の熱処理によって離散化し、700°Cにおいて10~20 nm程度のナノ粒子として安定化された。Agは厚さ方向と面内方向それぞれの画像中にて直径20 nm以下の同程度のサイズとして観察されることから、ほぼ球形のナノ粒子として捉えることができる。また、Agナノ粒子は厚さ方向には中央付近に位置しており面内方向ではほぼ均一に分散している。
【0036】
また、表面SEM像では暗い斑点も確認できた。この暗い斑点はβ-FeSi2膜の粒界に偏析した粒子径の大きいAgナノ粒子が熱処理中に蒸発(昇華)して形成された空隙であると考えられる。Agナノ粒子が粒界に偏析する際に直径100 nm以上に成長することで複合膜全体の厚さよりもサイズが大きくなり、β-FeSi2相の粒成長過程にて界面での元素移動が活発となることもあり偏析するAgは表面に露出することとなり、700°Cの高温下にて膜表面から蒸発(昇華)したと解釈できる。
【0037】
[実験例2:Ag層の膜厚を増加させた複合膜]
次に、Ag層の成膜時間を2倍の120秒として成膜時の厚さを4 nmに増加させたβ-FeSi2/Ag/β-FeSi2膜を形成した。
【0038】
図9の左側に示した断面SEM像からわかるように、積層成膜時のAg層の厚さを4 nmとすることで、熱処理後のAgナノ粒子は、厚さ方向は20 nm以下であり、
図7の場合と同程度である。一方、表面SEM像からわかるように、面内方向は60 nm前後の平板状の粒子形態となっており、Agナノ粒子の一部では粒子同士が連結して数百ナノメートルの長さをもつ領域も観察される。
【0039】
図10に示すように、この平板状の大きなAgナノ粒子の場合、赤外域における屈折率スペクトルは7に近づき非常に高い値となったものの、消衰係数スペクトルが赤外域にてゼロに収束せずに2以上への増加しようとするいわゆる「金属的」な光学定数スペクトルの挙動を示した。これは、Agナノ粒子の面内サイズが大きくなることによって金属膜としての光学特性が顕在化した結果であると考えられる。
【0040】
[実験例3:3層β-FeSi2+2層Agの複合膜]
次に、Ag層の厚さを2 nmとしたときのAgナノ粒子の粒子径と離散性を維持したままAgの体積割合を増大させるために、3層のβ-FeSi2/Ag/β-FeSi2構造に代えて5層のβ-FeSi2/Ag/β-FeSi2/Ag/β-FeSi2構造とし、各Ag層の成膜時の厚さを2 nmに維持したまま層数を2倍にすることを試みた。層数の増加にあたり、3つのβ-FeSi2層それぞれの厚さを小さくして全膜厚を35 nm付近に維持した。
【0041】
その光学定数スペクトルを実測した結果、
図12(b)に示すように、赤外域にて消衰係数がほぼゼロに収束し、屈折率が3層構造での5.3(
図12(a))から5層構造では5.7にまで増大した。
【0042】
図11の左側に示すように、その断面SEM像からは明確な5層構造としては観察されないものの、分散Agナノ粒子は平均直径がおよそ20 nm以下と良好な離散性を維持しつつその体積割合を増大できていることがわかる。また
図11の右側に示すように、表面SEM像においても分散Agナノ粒子の平均直径は20 nm以下に抑えられており、Ag層の厚さを4 nmとしたときのような100 nmを大きく超えるAg粒子への成長は現れていない。その結果、金属的な光学特性(赤外域における消衰係数の急増)を抑制しつつ屈折率を増大させることができ、Agナノ粒子の直径を抑えたまま体積割合を増大させることでプラズモン共鳴の効果を高めることできたものと考えられる。
【0043】
表面SEM像において20 nm以下の細かいAgナノ粒子のコントラストに注目すると、明暗に別れており、明るい領域はAgナノ粒子である一方、暗い領域はそのAgナノ粒子が蒸発した領域である可能性がある。5層構造の最表面にあたるβ-FeSi2膜の厚さが小さいために最表面近くに露出したAgナノ粒子が700°Cの熱処理によって蒸発(昇華)して空隙を形成したと考えられる。
【0044】
[実験例4:TaN層でキャッピングした複合膜]
次に、Agナノ粒子の蒸発を抑制することでさらにAgナノ粒子の体積割合を高めるために、上記の5層構造膜の最表面をTaN層でキャッピングした膜を作製した。
【0045】
図13に示した表面SEM像をTaN層のない場合の
図11と比較すると良くわかるように、TaNのキャッピングによって明らかに暗い斑点状の領域は激減し、明るく観察されるAgナノ粒子の体積割合を高いレベルに留めることができている。また、TaN層をもつ5層構造(
図13)ではAgナノ粒子の体積割合が高いだけではなく直径50 nm前後というサイズの大きいAgナノ粒子が多くみられ、TaN層のない場合の
図11を見直すと暗い領域の空隙サイズは明るいAgナノ粒子よりもサイズが大きかった。つまり、TaN層がない場合には比較的大きいAgナノ粒子が最表面に露出して蒸発しやすく、TaN層のキャッピングによってそのAgナノ粒子を保持することができていることになる。
【0046】
図14(b)に示すように、このTaN層キャッピングしたβ-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2/Ag/β-FeSi
2膜の光学定数スペクトル(分光エリプソメータでの測定値からTaN層の寄与を分離したもの)では、赤外域の屈折率を約5.7(
図14(a))から6.7へと大幅に増大でき、その増加幅はこれまでの実験例の中でも最も大きかった。つまり、TaN層でのキャッピングによって分散Agナノ粒子の体積割合を高めることができたことが赤外屈折率を高める上で効果的であったことを示唆している。また、消衰係数についても金属的な挙動とはならず赤外の長波長側にてゼロに収束した。
図8、
図12、
図14の消衰係数スペクトルに着目すると、Agナノ粒子の体積割合の増大とともに消衰係数スペクトルの極大値が増加しつつ長波長側へシフトしていく挙動がみられ、こうした一連の光物性の変遷もプラズモン共鳴によるものであることを裏付けている。
【0047】
以上に述べた複合膜(β-FeSi
2マトリックス+Agナノ粒子)の積層構成と光学特性(赤外域の光学定数スペクトル)の関連性を
図15、
図16にまとめた。β-FeSi
2マトリックスにAgナノ粒子を分散させることにより赤外域での屈折率は5を超え、消衰係数は1以下に抑えられたままである。また、β-FeSi
2層とAg層の積層数を増やすほど赤外屈折率が向上する傾向が見て取れる。この結果から、プラズモン振動の顕著な発現および赤外屈折率の向上に向けて、薄いAg薄膜の多層化による体積割合の増加およびTaN表面被覆によるAgナノ粒子の蒸発抑制が有効であることが示された。
【0048】
[実験例5:8層β-FeSi2+7層Agと15層β-FeSi2+14層Agの複合膜]
さらにβ-FeSi2層とAg層の多層化を進め、トータルの膜厚を50 nm程度に保ちながら8層のβ-FeSi2層と7層のAg層を交互に積層した複合膜を作製した。β-FeSi2層の膜厚は、下2層を5 nm、上6層を3.5 nm(合計31 nm)とした。Ag層については成膜時間を変えることにより膜厚を1~2 nmの間で変えた。その具体的な成膜時間、膜厚、および全体に占めるAgの体積割合は次の通りである。
30秒 1.0 nm(合計7.0 nm) 18.4%
35秒 1.17 nm(合計8.17 nm) 20.9%
40秒 1.33 nm(合計9.33 nm) 23.1%
45秒 1.5 nm(合計10.5 nm) 25.3%
60秒 2.0 nm(合計12.0 nm) 27.9%
【0049】
図17(a)はこの8層β-FeSi
2+7層Agの複合膜の光学定数スペクトルを示す。Ag層の膜厚の増大に伴って赤外域での屈折率が増加する傾向がみられ、初めて屈折率が8を超える波長域も観測されるようになった。また、Ag膜厚の増大に伴って消衰係数も大きくなるものの僅かではあるが消衰係数が1を下回る波長域も現れた。
【0050】
さらに多層化を進め、15層のβ-FeSi2層と14層のAg層とした複合膜を作製した。β-FeSi2層の膜厚は、下3層を3.33 nm、上12層を1.75 nm(合計31 nm)とした。Ag層の成膜時間、膜厚、体積割合は次の通りである。
20秒 0.67 nm(合計9.33 nm) 23.1%
23秒 0.77 nm(合計10.73 nm) 25.7%
25秒 0.83 nm(合計11.67 nm) 27.3%
【0051】
図17(b)はこの15+14層構成の複合膜の光学定数スペクトルを示す。この複合膜でもAg層の膜厚を微調整したものの、赤外波長域において屈折率の増大よりも消衰係数の増大が顕著に現れた。これらの結果から、トータルの膜厚が約50 nmである場合、8層β-FeSi
2+7層Agが多層化の最適点であると考えられる。
【0052】
[熱処理条件がAgナノ粒子の形態に与える影響]
実験例1~5の複合膜では、β-FeSi2相の結晶化とAg膜の凝集・ナノ粒子形成の促進のための熱処理において、真空中にて室温から700°Cまで30分かけて昇温し、1時間保持していた。これらの熱処理条件がAgナノ粒子の形態に与える影響を調べるために、昇温速度と保持時間を変えて作製した複合膜の光学定数スペクトルを評価した。
【0053】
[実験例6:熱処理の昇温速度]
700°Cまでの昇温時間をこれまでの30分(速度23°C/分)に加え、1/10の3分(速度230°C/分)、10倍の300分(速度2.3°C/分)に変えた熱処理プロセスによって複合膜を作製した。積層構成は5層β-FeSi2+4層Agとした。結果は図示しないが、最表面のTaN被覆の有無にかかわらず、β-FeSi2+Ag分散膜の光学定数スペクトルは昇温速度によってほとんど変化しなかった。
【0054】
[実験例7:熱処理の保持温度]
次に熱処理温度(保持温度)による影響を把握するために、スパッタリング成膜後の複合膜に300~800°Cの熱処理を与えた。積層構成は8層β-FeSi2+7層Agとし、Ag層の成膜時間は40秒(膜厚1.5 nm)とした。
【0055】
図18はその光学定数スペクトルをまとめたものであり、上段は成膜後(as depo.)から750°Cまでにて熱処理した結果、下段は750°Cと800°Cにて熱処理した結果の比較を示す。成膜後の複合膜ではAg層がほぼ連続膜であるため金属特有の光学定数スペクトルを示しており、屈折率、消衰係数ともに赤外波長域にて単調増加する傾向を示した。熱処理温度300°Cでは光学定数スペクトルに大きな変化はみられないものの、400°Cから赤外域の屈折率と消衰係数が減少し始めるとともにプラズモンの共鳴波長域の屈折率と消衰係数が増加してくるといった特徴的なスペクトルの変遷を示した。この傾向は750°Cまで継続しており、800°Cにまで熱処理保持温度を上げるとプラズモン共鳴波長の屈折率のピークが減少するとともに赤外域の消衰係数が増加し、プラズモン共鳴の効果が低下したものと解釈すべき挙動を示した。
【0056】
図19、
図20はこの成膜後(as depo.)および各保持温度での熱処理後のβ-FeSi
2+Ag分散膜の表面微細組織を観察したSEM像である。観察倍率を1万倍とした
図19では主に多結晶β-FeSi
2膜の粒界に偏析するAgの動きを捉えており、400°Cから粒界に沿ったライン状のAg領域が観察され、750°Cまでの熱処理温度の上昇とともにそのAg領域が不連続な粒子状に離散していく挙動を観察できた。800°Cまで昇温した場合、その粒界のAg粒子サイズが大きく成長する様子もみられた。
【0057】
観察倍率を50000倍まで上げた
図20では、β-FeSi
2粒子内に分散したAgナノ粒子の形態を捉えている。400°Cの熱処理後にβ-FeSi
2粒子の特に粒界付近にて僅かにAgナノ粒子の形成が始まっている様子がみられ、500°Cではβ-FeSi
2粒子内部に渡ってAgナノ粒子が形成され、600°C以降ではAgナノ粒子のコントラストが強く明確に観察されるとともに、粒子サイズも大きく成長する挙動を捉えることができた。保持温度750°CではAgナノ粒子サイズは~30 nm程度に収まっているものの、800°Cでの熱処理後では~100 nm程度まで粒成長したAg粒子も存在している。
【0058】
これら
図19、
図20に示した微細組織の挙動と
図18の光学定数スペクトルの変遷を対比させると、プラズモン共鳴が顕著に発現した熱処理温度750°Cでは、β-FeSi
2粒界に偏析・離散化したAg粒子サイズが減少するとともに、β-FeSi
2粒子内にて分散したAgナノ粒子サイズが増大し、それら両者のAgナノ粒子サイズが均一化される方向に近づいた複合組織となることで、プラズモン共鳴が最も顕著に発現したと解釈することができる。したがって、β-FeSi
2+Ag分散膜における熱処理保持温度は微細組織とプラズモン共鳴を制御する極めて重要なパラメータであり、
図18に示したように最適な温度帯750°C付近で熱処理することで、赤外屈折率8に到達しつつ消衰係数を1以下に抑制できる波長域を拡大することに成功した。
【0059】
熱処理温度が重要なパラメータであることが明らかとなった結果を踏まえて、
図17(a)に示したAg層の膜厚による光学定数スペクトルの依存性を見直すと、700°Cのみで熱処理したこれらの結果に対してより高温で熱処理することで光学定数スペクトルの改善が見込めるため、各Ag膜厚と熱処理温度の2つのパラメータを変えて最適値を探る必要性があると判断した。
図21にはAg層の成膜時間を40~60秒(膜厚1.5~2.0 nm相当)として成膜した8層β-FeSi
2+7層Agに対して、700~800°Cにて10°Cステップの熱処理温度を与えて得られた光学定数スペクトルをまとめた。
【0060】
Ag膜厚の増加とともに、700°C熱処理後の屈折率スペクトル、消衰係数スペクトルともに波長1200 nm付近および波長10000 nm付近に2つのピークが存在する。短波長側のピークがβ-FeSi
2粒子内のAgナノ粒子、長波長側のピークがβ-FeSi
2粒界のAg偏析領域によるプラズモン共鳴と解釈することができる。Ag膜厚が大きい場合、特に後者の波長10000 nm付近の光学定数スペクトルのピークが高い傾向にあり、粒界偏析したAg領域が大きいことを示唆している。その700°Cに対して熱処理温度を高めていくことで、波長1200 nm付近のプラズモン共鳴の効果が増加するとともに波長10000 nm付近のプラズモン共鳴の効果が減少していき、消衰係数スペクトルに着目すると前者の共鳴ピークは740°C前後で最大となり、後者の共鳴ピークは概ね750°C付近で最小となった。これら光学定数スペクトルの挙動も
図19、
図20の微細組織の変化と関連付けて理解できる。これらの各Ag層膜厚の中で、最適点は成膜時間55秒(膜厚1.8 nm)の複合膜を750°Cにて熱処理した光学定数スペクトルであり、波長1200 nm付近のプラズモン共鳴による光学定数スペクトルのピークが最も高くなり、その結果として赤外屈折率は8を明確に超えており、波長10000 nm付近の消衰係数ピークも消失して1以下の波長域の広さとのバランスが取れている。最適温度を超えて800°C付近まで熱処理を進めた場合、波長1200 nm付近のプラズモン共鳴による屈折率、消衰係数のピークが減少して、波長3000~5000 nm付近に新たなプラズモン共鳴による消衰係数ピークが現れている。これはβ-FeSi
2粒子内におけるAgナノ粒子の成長が促進されて最適なサイズよりも粗大化したためと考えており、これによって赤外の消衰係数を押し上げてしまう。
【0061】
以上の結果より、以降のさらなる赤外屈折率の向上・消衰係数の低減に向けて、こうしたAg膜厚と熱処理温度の2つのパラメータによる最適点の探索が重要であり、その最適化の判断基準としてプラズモン共鳴による波長1200 nm付近の屈折率と消衰係数のピークを最大化させるパラメータの選択・材料設計が重要な指針となると明らかにできた。
【0062】
[カルーセル型スパッタリング装置による成膜]
[実験例8:カルーセル型スパッタリング装置による成膜]
積層成膜の自動化を狙い、一般的な対面型装置(
図1)ではなくカルーセル型装置(
図2)を用いて8層β-FeSi
2+7層Ag(2 nm)を成膜した。カルーセル型装置は、基板を回転ドラム側面に設置してβ-FeSi
2とAgを交互に積層する。積層された複合膜は700°C熱処理後した。
【0063】
図22はその光学定数スペクトルを示す。
図22の赤外屈折率は8周辺と高く、消衰係数も広い波長範囲で1以下を保持できており、ここまでの中で最も理想に近い光学定数スペクトルが得られた。
【0064】
[実験例9:カルーセル型装置を利用したβ-FeSi
2相の組成制御]
実施例8の
図22と実施例7の
図21(c)は同じ8層β-FeSi
2+7層Ag(1.8 nm)という積層構成であるものの、同じ700°C熱処理後を比較すると屈折率スペクトル、消衰係数スペクトルに差異がみられた。その要因として、対面型とカルーセル型というスパッタリング装置の違いだけでなくそれぞれに設置したβ-FeSi
2ターゲットが異なることにも起因している。β-FeSi
2ターゲット作製時にFe/Si組成比の僅かな差異が生じることも想定され、一般的にスパッタリング法ではターゲットの組成比と成膜された膜組成比が一致しない場合もある。実際に実施例1~7では、β-FeSi
2ターゲットだけの成膜ではSiが不足したβ-FeSi
2-x膜となったためSiターゲットとの同時スパッタリングによって一定量のSiを追加していた。しかしながら、このβ-FeSi
2層におけるFe/Si組成比がAgナノ粒子の分散組織に与える影響の詳細については不明であったため、β-FeSi
2-x層に追加するSi量を細かく調整し、赤外屈折率の向上および消衰係数の低減に最適となるFe/Si組成比を探った。
【0065】
Siターゲットへの供給電力をRF 0~40Wと調整しながら8層β-FeSi2+7層Agの複合膜を積層成膜した。7層のAg層の膜厚は全て1.8 nm、8層のβ-FeSi2層は3.6 nm、Agの体積割合は30.4%であった。蒸発抑制層はTaN層とした。この複合膜に対して保持温度を700~800°Cで変えて熱処理を行い、光学定数スペクトルを測定した。
【0066】
図23はその光学定数スペクトルを750°Cの最適点までの熱処理温度依存性を含めて示すものである。β-FeSi
2ターゲットの他にSiを添加しない場合(RF 0W)と比べると、追加のSiターゲットからRF 20WでSiを供給することでプラズモン共鳴に相当する波長1200 nm付近の屈折率と消衰係数のピークを増大させることができ、赤外屈折率8以上を達成しつつ消衰係数が1以下となる短波長側を3300 nm付近にまで広げることができた。一方、Siターゲットへの電力をさらに高めてRF 30W以上とした場合には、プラズモン共鳴による屈折率と消衰係数のピークは減少して赤外屈折率も低下する傾向を示した。つまり、FeSi
x層のSiが不足しても過剰であっても分散Agナノ粒子の形態制御には不利であり、最適組成はβ-FeSi
2相の化学量論組成であるSi/Fe比=2.0であると考えられる。
【0067】
Fe-Si系状態図によれば、β-FeSi2相からSiが不足するとFeSi相が、Siが過剰となるとSi相が現れる。それらの相の表面エネルギーは、FeSiが1.5~4.0 N/m、Siが1.3~2.2 N/mであり、いずれもβ-FeSi2相の0.06 N/mより高い。例えば、Siの不足したβ-FeSi2-xでは主成分のβ-FeSi2の多結晶膜を基本構造としてその粒界にFeSi相が存在すると考えられるが、表面エネルギーの大きいFeSi相に粗大なAg粒子が成長してしまい、表面エネルギーの小さいβ-FeSi2粒子内に分散してほしい微細なAgナノ粒子の割合が相対的に低下してしまう。これに対し、化学量論組成のβ-FeSi2のみをマトリックスとした場合、多結晶β-FeSi2相の粒界に表面エネルギーの大きな異相が存在しないため、粒界での粗大なAg粒子の成長も抑制でき、微細なAgナノ粒子がβ-FeSi2粒子内に均一分散され、結果的に微細なAgナノ粒子によるプラズモン共鳴が顕著となって屈折率と消衰係数のピークの増強をもたらしたと説明できる。
なお、実験例1~8はいずれもSiターゲットからのSi添加をしていないものの、実験例8はβ-FeSi2ターゲットの組成のばらつきにより結果的に成膜されたSi/Fe比が2に近くなっていたことが判明した。一方、実験例1~7ではSi/Fe比が2に満たなかったことがわかっており、実験例8において実験例1~7よりも良い結果が得られたのは、Ag層の膜厚や熱処理温度の違いに加え、Si/Fe比が2へ最適化されていたことによると考えられる。
【0068】
図24は、
図23の中で最も良い結果が得られた740°Cでの熱処理を施した場合のβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルを純粋なβ-FeSi
2単相と比較して示したものである。赤外領域の屈折率はβ-FeSi
2単相の4.7に対して分散Agナノ粒子のプラズモン振動によって8.4付近にまで増大でき、およそ180%の増加率を達成できた。消衰係数については、波長500 nmより長波長域にて増大しておりそのピーク値は8を超えておりβ-FeSi
2単相の消衰係数の極大値の4倍近くに高めつつ、赤外域では1を下回るようにプラズモン共鳴波長の短波長化を図った。
【0069】
[ナノ粒子分散の耐熱性確保および高温光物性の評価]
[実験例10:様々なキャッピング層のAg蒸発バリア性]
上記実験例4~9ではAgナノ粒子が高温下で蒸発(昇華)することを抑制するバリア層としてTaN膜を用いたが、その他の候補として、SiO2膜、MgF2膜、Si3N4膜を検討した。なお、SiO2膜は赤外屈折率が低く(n=1.5)、大気中高温下での安定性が高い。MgF2膜はこれらの中で赤外屈折率が最も低い(n=1.35)。Si3N4膜は赤外屈折率の面ではあまり低くない(n=2.0)ものの、水蒸気・酸素バリア性に優れる。
【0070】
それらのAg蒸発に対する抑制効果を比較すべく、Taを1 at.%添加して凝集を抑制したAg膜上にTaN膜、SiO
2膜、MgF
2膜、Si
3N
4膜にてキャッピングしたサンプルを作製した。900°Cまでの温度上昇に対するAg膜の安定性をSEMによって観察した。
図25~
図28はその結果をまとめたものである。
【0071】
図25のTaN膜によってキャッピングされたAg膜は、温度上昇に対して若干の表面凹凸の変化を示したもののAg膜に孔が形成されるなどの変化はなく、やはりAg蒸発に対して優れた抑制効果を示した。
【0072】
これに対して、
図26のSiO
2膜によってキャッピングされたAg膜では、300°Cの熱処理後から筋状の変形が全面に発生し、さらなる温度上昇とともにその筋状変形の密度が増加するとともに斑点状の空孔の形成などもみられた。
【0073】
MgF
2膜によってキャッピングされたAg膜の状態をまとめた
図27では、300°C程度では大きな変化はみられないものの400°C以上では斑点状の変形が現れ、600°C以上では筋状の変形も加わってきた。また、このMgF
2膜については、MgF
2ターゲットをもとに成膜したものの、分光エリプソメータの測定・解析において報告されている屈折率1.35のデータでは整合できず、MgF
2本来の光学特性が得られていない。
【0074】
最後に、Si
3N
4膜によってキャッピングされたAg膜の状態をまとめた
図28では、400°C程度から斑点状の変形が現れ、温度上昇とともにその孔のサイズが大きくなる傾向を示したものの、その空孔の密度などは増加せず安定している様子が伺えた。これらの結果から、TaN膜以外の候補としてはSi
3N
4膜が有望であると判断した。
図28でみられた斑点状の空孔形成は課題であるものの、β-FeSi
2+Ag分散膜の表面でのキャッピング効果を想定した場合、これらの空孔形成が起こり得る位置とAgナノ粒子が表面に点在している位置とが合致してはじめて発生することを考えるとその影響は限定的となることも期待された。
【0075】
[実験例11:Si3N4膜でキャッピングした複合膜]
Si3N4膜によるAg蒸発抑制効果を実際のβ-FeSi2+Ag分散膜で実証するために、8層β-FeSi2+7層Agの最表面をTaN膜またはSi3N4膜でキャッピングした複合膜を作製した。なお、この複合膜においては、さらにAgナノ粒子の体積割合を限界まで増大させるために、7層のAg層を全て1.8 nmとせず表面に近い上層の2層を2.1 nmに増加させている。また複合膜全体の膜厚は41.7 nmであった。したがって、Ag層の厚さの合計は13.2 nm(=1.8 nm×5+2.1 nm×2)であり、Agの体積割合は約32 vol.%である。
【0076】
図29はそれらの複合膜の光学定数スペクトルを示す。このAgナノ粒子の体積割合の増加に伴って、
図29(a)のTaNキャップの複合膜にて赤外屈折率は9.0付近にまで増加しているものの、赤外域の消衰係数は若干上がって消衰係数が1以下となる波長域は4500 nm以上と広がっている。これに対して、Si
3N
4キャップの複合膜ではプラズモン共鳴による屈折率と消衰係数のピークがより急峻となり、赤外屈折率を8.5にまで高めつつ、赤外域の消衰係数を明確に低減できており消衰係数が1以下となる波長域は3000 nm以上の範囲にまで広がっている。この結果より、最表面にキャッピングしたSi
3N
4膜はβ-FeSi
2+Ag分散膜における高温環境下でのAgナノ粒子の保持に有効に作用しているだけでなく、TaNキャッピングよりもプラズモン共鳴をシャープに発現できることを明らかとした。
【0077】
図30は上記の複合膜の表面SEM像である。最表面のキャッピング層の材質によってβ-FeSi
2+Ag分散膜の微細組織に及ぼす影響をこのSEM像で観察した。TaN層もしくはSi
3N
4膜をキャッピング層とすることで、β-FeSi
2粒界および粒子内に分散するAgの形態には有意差がみられた。TaN層をバリア層とした複合膜では、
図19に対してAg層の膜厚を大きくして分散割合を増したこともあり、β-FeSi
2粒界における粗大Agナノ粒子のサイズ・割合ともに大きくなっており、表面方向に若干隆起している様子も伺える。一方、Si
3N
4膜をバリア層とした複合膜では、Si
3N
4層が絶縁性であって電子透過性が高いためβ-FeSi
2+Ag分散膜の組織がよりクリアに観察でき、β-FeSi
2粒界の粗大Agナノ粒子については表面への隆起は無いもののTaN膜の場合に比べて球形というよりもそれぞれの粒界に沿った形態を取る傾向を示した。一方、倍率10万倍にて観察したβ-FeSi
2粒子内の微細なAgナノ粒子についても明確な差がみられ、Si
3N
4膜をバリア層とした複合膜ではTaN膜下の複合膜よりもAgナノ粒子サイズが半分以下に抑えられていることを明らかとした。
図29の光学定数スペクトルにおいてもSi
3N
4膜をバリア層とした複合膜ではプラズモン共鳴が若干短波長側に現れており、これが赤外域における消衰係数を押し下げている可能性がある。
【0078】
[実験例12:高温in-situにおけるβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトル]
実験例1~11の光学定数スペクトル評価は全て室温において行ったものである。高温下での輻射スペクトル制御を考えると、その実際の温度環境下における光学定数スペクトルが重要となる。分光エリプソメータに高温ヒータステージを設置し、そのステージ上に
図29と同じβ-FeSi
2+Ag分散膜のβ-FeSi
2+Ag分散膜をセットして、室温から700°Cまでの高温in-situにて光学定数スペクトルを測定した。
【0079】
図31は光学定数スペクトルの温度依存性の測定結果を示す。これによれば、500°C以下の温度範囲ではプラズモン共鳴による屈折率と消衰係数のピークの値は減少傾向を示すものの、赤外屈折率・消衰係数ともに室温からほとんど変化を示さず高い安定性を示した。600°Cを超えて温度を上げると赤外屈折率・消衰係数ともに広い波長域で僅かに上昇する傾向を示した。700°Cでは屈折率が9を超える赤外波長域もあり、消衰係数が1を下回る波長域が4000 nm以上と狭くなった。これら光学定数スペクトルの温度依存性は、プラズモン共鳴そのものの温度変化というよりもβ-FeSi
2相のバンドギャップを超える熱励起を受けた伝導帯の電子密度の増加に起因していると解釈している。
【0080】
この結果によれば、このβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルを輻射スペクトル制御に活用するにあたり、500°C以下であれば室温での光学定数スペクトルをもとにした輻射スペクトルの光学設計データを維持できるはずであり、それを超える温度範囲については
図31で得られた光学定数スペクトルをもとに積層構造を再設計することでより正確な輻射スペクトルに近づけられる。また、
図31のβ-FeSi
2+Ag分散膜ではAgナノ粒子の体積割合を限界まで高めた複合膜となっており、もし600°C以上の高温環境下での消衰係数の上昇が問題となる場合には、屈折率の温度上昇分を期待して少しAgナノ粒子の体積割合を低減させ消衰係数の温度上昇を抑える材料設計も有効となる。
【0081】
なお、
図31の700°Cまでの高温下での分光エリプソメータでの測定を終えた後に室温にまで降温させてからも光学定数スペクトルを測定した結果、
図31の室温の光学定数スペクトルにまで可逆的に戻っており、この実験中の加熱サイクルではβ-FeSi
2+Ag分散膜の性能劣化はみられなかった。
【0082】
[実験例13:β-FeSi2+Ag分散膜の長期耐熱性の評価]
実験例12では高温in-situにおけるβ-FeSi2+Ag分散膜の光学定数スペクトルについて評価したものの、その最高温度700°Cでの保持時間は分光エリプソメータでの測定に要した10分以下の僅かな時間であって、長時間にわたっての耐熱性については別途評価する必要があった。そこで、電気炉による高温環境下にβ-FeSi2+Ag分散膜を長期間晒した場合の光学定数スペクトルの劣化挙動について評価した。
【0083】
図32は、β-FeSi
2+Ag分散膜の表面層を(a)TaN層または(b)Si
3N
4層でキャッピングして得られた複合膜を真空中にて700°Cの高温環境下においたときの様々な保持時間における光学定数スペクトルを示す。TaN層でキャップした
図32(a)では、光学定数スペクトルは明確な変化を示したのに対して、Si
3N
4膜でキャップした
図32(b)では、光学定数スペクトルはほとんど変化せず非常に優れた安定性を示した。この光学定数スペクトルの劣化を示したTaN層を有するβ-FeSi
2+Ag分散膜について、XRDを観測した結果、図示しないが、100時間の熱処理後にはTa
2O
5相に帰属される回折ピークが観測され、真空中(1×10
-3 Pa以下)であっても最表面のTaN相がTa
2O
5相へと酸化している傾向が見られた。
【0084】
なお、分光エリプソメータの測定データからβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトル(
図32(a))を導出する際には、TaN層の光学定数スペクトルは不変と仮定して解析するため、
図32(a)の結果は、本来酸化したTaN層に帰すべき測定データ変化がβ-FeSi
2+Ag分散膜の光学定数スペクトルの変化として解析された、実態を反映しないデータであると考えられる。
【0085】
図33(a)は、TaN層を有するβ-FeSi
2+Ag分散膜を700°Cの高温環境下においたときの100時間経過後の微細組織の変化を示す。その高温劣化後において表面に数nmほどの明るい斑点が広く分布しており、これらがTa
2O
5相へ変化した表面層である可能性が高い。これらの変化を除くと、その下層にあるβ-FeSi
2+Ag分散膜においてはAgナノ粒子の分散状態に大きな変化はみられない。したがって、やはり
図32(a)の光学定数スペクトル変化は、上述のような光学定数解析によってTaN表面層の物性変化が下層の変化として反映されていることによるものと考えてよい。さらに長期的な劣化を想定すると、この表面TaN相が全てTa
2O
5相に変化してしまった場合には、TaN相のもつAg蒸発抑制の効果も失われる。
【0086】
図34にはTaN層でキャップした3層β-FeSi
2+2層Agの積層構造を大気中700°Cで1時間加熱し、酸素共存下において短時間でTaN相を完全にTa
2O
5相に変化させたときの微細組織を示す。Agナノ粒子の分散組織は完全に消失しており、Ta
2O
5表面層の下では一旦蒸発したAgが再凝集して層を形成したと思われる組織となっている。真空環境であっても長期間高温にさらされるとこのようなTaN層の酸化劣化によってβ-FeSi
2+Ag分散膜の組織にまで影響することになる。
【0087】
これに対し、Si
3N
4膜でキャップしたβ-FeSi
2+Ag分散膜は
図33(b)に示すようにAgナノ粒子の分散形態にほとんど変化せず高い安定性を示した。このSi
3N
4膜によって微細組織が安定化される効果は
図32(b)における光学定数スペクトルの優れた安定性に結びついており、Si
3N
4膜、β-FeSi
2+Ag分散膜の両者において光学定数スペクトルが安定していないとこの結果は得られない。以上の結果から、β-FeSi
2+Ag分散膜をSi
3N
4膜でキャッピングすることによって、まずは真空環境について700°Cの高温下でも極めて優れた長期安定性を確保できると言える。
【0088】
実際の輻射スペクトルの制御は真空中よりも大気中で行われる状況が多いことを想定し、さらに過酷な環境として、真空中ではなく大気中での高温環境下における耐熱性について評価した。ここでは、最表面のキャップ層にはSi
3N
4膜のみを適用して、それ自身の耐酸化性とβ-FeSi
2+Ag分散膜に対する酸素バリア性の両者を含めて評価した。具体的には、β-FeSi
2+Ag分散膜を大気中500、600、700°Cに保持しながら様々な経過時間における光学定数スペクトルを調べたところ、酸素および水分が豊富に存在する大気中でも500℃はもとより600℃および700℃でも100時間までの高温保持に対して光学定数スペクトルは、
図32(b)と同様に非常に優れた安定性を示した。この結果は、Si
3N
4膜そのものの極めて高い耐酸化性を証明しているとともに、Si
3N
4膜が安定性を維持できることでその下層にあるβ-FeSi
2+Ag分散膜におけるAg蒸発の抑制、Agナノ組織の安定化に対しても高い効果を確保できることを実証している。
【0089】
こうした優れた耐熱性・耐酸化性をもたらすSi3N4膜は、赤外域にて屈折率が2を下回る低屈折率層としても活用でき、輻射スペクトル制御デバイスでも光物性・耐熱性の両面で重要な役割を発揮する。
【0090】
[赤外高屈折率複合膜を用いた選択輻射積層体の設計・作製と輻射スペクトルの実証]
以上で得られた赤外高屈折率膜の光学定数スペクトルをもとに、波長選択的にピークをもつ輻射スペクトルをもたらす選択輻射積層体を光学設計するとともに、その積層構造を実際に成膜して吸収スペクトルの測定を通じてその波長選択性の実証を目指した。
【0091】
輻射率スペクトルは、キルヒホッフの法則(吸収=輻射)および100%=反射%+透過%+吸収%の関係に基づいて、透過率・反射率スペクトルを設計することで制御できる。その反射・透過・吸収は光を与える対象物の屈折率・消衰係数と厚さによって正確に決めることができる。大小の屈折率を有する層を交互に周期的に並べることで、ある波長帯に反射・透過の極大・極小をもたせることができる。さらに、その周期構造を金属表面上に形成することで、その干渉波長帯の輻射率スペクトルにピークを発現できる。
【0092】
その輻射率スペクトルのピークを増大させるためには、その周期構造における屈折率の差を拡大させることが有効である。高屈折率側の屈折率と消衰係数を任意に変えた場合の輻射率スペクトルを計算すると、消衰係数がゼロである場合は、屈折率を高めていくに従って赤外域における輻射率ピークが高まり、屈折率8では狙った特定の波長帯における輻射率ピークが100%付近にまで到達する。一方、消衰係数がゼロよりも高い場合、輻射率ピークの半値幅が拡がってしまい波長選択性の低下をもたらす。したがって、シャープな輻射率ピークを発現させるためには、屈折率が高く消衰係数の低い光物性をもつ薄膜材料が必要となる。
【0093】
なお、輻射率スペクトルには狙った波長帯(例えば約4000 nm)よりも短波長側にも多くの輻射率ピークが発生するが、高温下(~700°C)での輻射生成を想定した場合、その温度での黒体輻射スペクトルのほとんどが波長2000~15000 nmの範囲に分布することから、狙った波長帯付近のみの赤外線を輻射することができる。
【0094】
[実験例14:赤外屈折率を高めたβ-FeSi
2+Ag分散膜を備えた積層体]
図5に示した積層構造は、この光の干渉領域内において消衰係数の高い膜を排除するとともに、赤外屈折率を高めたβ-FeSi
2+Ag分散膜を適用した上で干渉現象をもたらす積層数を2倍としたものである。特に、8層β-FeSi
2+7層Agまでの多層化、化学量論組成のβ-FeSi
2、Si
3N
4膜によるAg蒸発抑制を盛り込んだ積層設計となっている。
【0095】
図35はその積層設計に基づいて実際に作製した積層体の断面SEM像である。最表面の明るい柱状組織の層は断面加工用のPt膜であって選択輻射積層体には含まれない。これを見ると、2層のβ-FeSi
2+Ag分散膜において約10~50 nmの粒子径をもつAgナノ粒子が均一分散しており、各層の相互拡散、層間の剥離などもなく設計通りに積層構造を形成できている。
【0096】
この各層の光学定数スペクトルおよび膜厚構成をもとに光学計算した吸収=輻射スペクトルを
図36の点線で示す。輻射ピークの最大値が95%を超えるレベルに到達しているだけでなく、シャープな輻射ピークとなっており、半値幅は約1800 nmにまで狭くできている。実線で示した輻射スペクトルの実測値は計算値と良い一致を示しており、若干半値幅が広がっている要因は、各層の膜厚分布、屈折率・消衰係数のバラツキを反映しているためと解釈している。この実測と計算が一致したという結果は、β-FeSi
2+Ag分散膜の高い赤外屈折率によってこうした輻射ピークをもつ輻射スペクトルを光学設計できることを実証できたという点で重要であるだけでなく、これまで分光エリプソメータにて測定・解析してきたβ-FeSi
2+Ag分散膜の高い赤外屈折率・低い消衰係数が正しかったことを裏付ける成果としても意義のある結果といえる。
【0097】
この光学計算スペクトルを実際に再現できることが明らかとなり、モデル計算上において干渉領域のSi
3N
4層とβ-FeSi
2+Ag分散層の膜厚を変えた場合の輻射スペクトルのコントロール性について計算した。その計算結果をまとめた
図37において、各層の膜厚を20~120 nmと変えることでメインとなる輻射ピークを2600 nm~11000 nm付近にまでコントロールすることができ、ピークの輻射率も90%以上を保持できるという計算結果が得られた。こうした広い波長範囲にわたってシャープな輻射スペクトルを発現できるのは、β-FeSi
2+Ag分散膜において低い消衰係数を維持できるように材料組織を最適化した成果によるものである。
【0098】
[実験例15:高温in-situでの輻射スペクトルの実証]
実験例14にて作製した波長選択的な輻射スペクトルをもつ積層体について、単に吸収スペクトルでの検証だけに留まらず、その膜表面を実際の高温とすることで半球状に放射される輻射ピークの実証を目指した。
【0099】
加熱した積層構造サンプルの表面から輻射される赤外線を分光測定できるシステムを構築した。この赤外分光システムは、ヒーター(Linkam製)を備えた加熱ステージと、加熱ステージに向けたコリメータと、そのコリメータを通して得られた赤外線を分光測定する赤外分光器(ARCoptix S.A社製、FTMIRL1-120-4TE-R4型)を備え、コリメータと赤外分光器を中赤外用光ファイバーで接続したものである。
図5に示した設計に基づいて作成した積層構造サンプルを加熱ステージに乗せ、大気環境においてヒーターで上限500°Cまでで加熱し、波長範囲2000~12000 nmについて分光測定を行った。
【0100】
この赤外分光器では測定対象となる赤外線に対して直接的にスペクトルを測定できる性能はなく、その検出器のもつ感度特性に合わせた補正が必要である。また、大気中での測定となることから空気中の水分による吸収分の補正も必要となる。そこで、まず輻射率が100%に近い黒体塗料(ジャパンセンサー製、JSC-3)をスプレー塗布し室温→150°Cで乾燥させることによって黒体塗膜を作製し、輻射率スペクトルを実測してほぼ90%以上の高い輻射率をもつことを確認した。この黒体塗膜を前述の赤外分光システムにて室温から500°Cまでの輻射スペクトルを実測し、その検出スペクトルに対して各温度での黒体輻射スペクトル(=プランクの法則に基づく計算値×輻射率90%)で割ることでこの赤外分光器の感度補正係数を決定した。その感度補正係数をもとに、輻射ピークを示すはずの積層構造サンプルからの輻射スペクトル実測値に対して補正することで真の輻射スペクトルを導出する解析プロセスを構築した。この補正プロセスの過程にて空気中の水分による吸収スペクトル分もキャンセルできるメリットも期待できる。
【0101】
図39左上は、
図36に示した実験例14の輻射スペクトルの光学計算値と実測スペクトルに
図38の各温度での黒体輻射スペクトルを乗じたものであり、放射される輻射スペクトルの温度依存性を示す予測値となる。これに対して、
図39右上の黒体塗膜からの輻射スペクトル実測値を
図38の黒体輻射スペクトル×輻射率90%で割ることで赤外分光器の感度補正係数を決定する。
【0102】
図39右下の積層構造からの輻射スペクトル実測値は真の輻射スペクトルにその補正係数が乗じられた結果であるため、
図39右下の輻射スペクトルを補正係数で割ることで
図39左下の真の輻射スペクトルに到達できる。なお、
図39左下の低温での輻射スペクトルにて短波長側の一部のデータをカットしているのは、元データである
図39右上および右下において低温での輻射強度がほぼゼロとなっている短波長域があり、そのゼロ付近のデータをもとに真の輻射ピークを計算すると大きなノイズとなって他のデータを隠してしまうことから、そのノイズ成分を除外するためである。
【0103】
図39左下に示す実験例14の積層構造の輻射スペクトルは、
図39左上の予測値に対して縦軸の輻射エネルギー強度、横軸の輻射ピーク波長ともによく一致するスペクトル分布として観測できており、
図39右下でのH
2Oによるノイズ状の吸収帯(5000~8000nm付近)も
図39右上との割り算の際にうまく排除できている。
【0104】
この積層構造は、β-FeSi
2+Agナノ粒子複合膜の赤外屈折率の向上、TaN層を含めない干渉領域の多層化による干渉効果の増大などによって輻射ピークの半値幅を狭帯域化する設計となっており、それらの効果によって
図39左下に示す輻射ピーク実測値はシャープな輻射スペクトルとして観測できている。この輻射ピークの波長位置は予想値の約5000 nmに対して真の実測値でもほぼ同じ波長位置にピークが存在しており、縦軸の輻射エネルギー強度とともに非常に良い一致を示した。
【0105】
以上の結果より、実験例14の積層構造について高温in-situでの輻射スペクトルの温度依存性を実測することに成功し、高温熱源から放射される赤外線スペクトル分布に波長選択性をもたせた輻射ピークとしてコントロールできることを実証した。β-FeSi2+Agナノ粒子分散膜がもつ「赤外域での高い屈折率と低い消衰係数」という特異な光物性は、上記の積層干渉への応用だけに留まらず、レンズ系、フォトニック結晶など様々な分野に利用することができる。