(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024017361
(43)【公開日】2024-02-08
(54)【発明の名称】嗅覚受容体の気相刺激方法
(51)【国際特許分類】
C12Q 1/06 20060101AFI20240201BHJP
G01N 33/00 20060101ALI20240201BHJP
C12N 15/09 20060101ALN20240201BHJP
【FI】
C12Q1/06
G01N33/00 C
C12N15/09 Z ZNA
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022119942
(22)【出願日】2022-07-27
(71)【出願人】
【識別番号】000000918
【氏名又は名称】花王株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000084
【氏名又は名称】弁理士法人アルガ特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】高瀬 鍛
(72)【発明者】
【氏名】吉川 敬一
【テーマコード(参考)】
4B063
【Fターム(参考)】
4B063QA01
4B063QA20
4B063QQ02
4B063QQ03
4B063QQ08
4B063QQ13
4B063QQ63
4B063QR42
4B063QR72
4B063QR77
4B063QR80
4B063QR81
4B063QR90
4B063QS36
4B063QS38
4B063QS39
4B063QX01
(57)【要約】
【課題】スループット性と感度が改善された、気相刺激による嗅覚受容体応答測定方法を提供する。
【解決手段】 容器内に揮発した揮発性物質に対する嗅覚受容体応答を気相で測定する方法であって、以下のa)、b1)又はb2)、c)及びd):
a)容器底部に嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞を載置する工程、
b1)容器上部の開口部から支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持した後、揮発性物質を含む試料を前記支持体に保持させる工程、
b2)容器上部の開口部から揮発性物質を含む支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持する工程、
c)前記支持体から揮発する揮発性物質を、前記細胞に暴露させる工程、
d)前記細胞中の嗅覚受容体応答を測定する工程、
を含む、方法。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
容器内に揮発した揮発性物質に対する嗅覚受容体応答を気相で測定する方法であって、以下のa)、b1)又はb2)、c)及びd):
a)容器底部に嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞を載置する工程、
b1)容器上部の開口部から支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持した後、揮発性物質を含む試料を前記支持体に保持させる工程、
b2)容器上部の開口部から揮発性物質を含む支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持する工程、
c)前記支持体から揮発する揮発性物質を、前記細胞に暴露させる工程、
d)前記細胞中の嗅覚受容体応答を測定する工程、
を含む、方法。
【請求項2】
支持体が綿球である、請求項1記載の方法。
【請求項3】
容器が細胞培養用プレートである、請求項1記載の方法。
【請求項4】
細胞培養用プレートがマルチウェルのマイクロプレートである、請求項3記載の方法。
【請求項5】
cAMP量を指標とすることにより嗅覚受容体ポリペプチドの応答が測定される、請求項1~4のいずれか1項記載の方法。
【請求項6】
揮発性物質を含む試料が体液である、請求項1~5のいずれか1項記載の方法。
【請求項7】
体液が唾液である、請求項6記載の方法。
【請求項8】
体液が尿である、請求項6記載の方法。
【請求項9】
揮発性物質を含む支持体が洗濯後の綿繊維である、請求項1~5のいずれか1項記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、気相刺激による嗅覚受容体応答の測定方法に関する。
【背景技術】
【0002】
匂い発生源から揮発した物質は気流に乗って鼻腔に届く。鼻の最深部に広がる嗅上皮に到達した揮発性物質は、嗅粘液と呼ばれる粘液に溶解する。嗅粘液に溶け込んだ揮発性物質は嗅神経細胞のもとへと到達する。嗅神経細胞は嗅上皮に分布し、細胞膜に嗅覚受容体(Odorant receptor;OR)を発現している。
【0003】
嗅覚受容体は匂いセンサーとしての役割を持つ、7回膜貫通型Gプロテイン共役型受容体の一種であり、ヒトには約400種類存在する。400種類のうちいくつかの特定の嗅覚受容体は、到達した特定の揮発性物質との結合がトリガーとなり活性化し、嗅神経細胞を興奮させる。こうして最終的に、揮発性物質の化学情報は、「どの組み合わせの嗅覚受容体が活性化したのか(嗅覚受容体コード)」という情報として脳へと伝達され、我々はその物質の匂いの強さや特徴を認識する。
【0004】
上記の匂い知覚プロセスの中で匂いセンサーとして働く嗅覚受容体の活性制御は匂い課題解決に利用される。そのためには標的の匂いが生体内においてどの嗅覚受容体をどの程度活性化するのか正確に予測する必要がある。In vitroで嗅覚受容体活性を調べる手段として、レポータージーンアッセイが使用されることが多い。本方法は、嗅覚受容体を発現させた培養細胞を、あらかじめ標的の匂い物質を溶解した培地に接触させて刺激する。細胞には嗅覚受容体が活性化した場合に、レポータータンパク質としてルシフェラーゼが発現誘導されるように遺伝子導入しておく。発現したレポータータンパク質は基質を加えることで発光するが、その発光度合を測定することにより、標的の匂い物質が当該嗅覚受容体を活性化するのか調べることができる。
【0005】
上述のように現在汎用される嗅覚受容体応答測定法は特定の匂い物質をあらかじめ溶解させた培地を細胞に滴下する液相刺激法である。本方法はスループット性が高いことと濃度調整が容易な利点がある。その一方で、実際我々が嗅いでいる匂いは、多種多様な揮発性物質が混合した気体であり、そこには未同定物質も含まれうる。あらかじめ特定の匂い物質を溶解させる既存の液相刺激法では、これら未同定物質の嗅覚受容体応答を測定することが難しい。さらに匂い物質の揮発性や嗅粘液への溶解性は匂い知覚に影響を及ぼす一方で、液相刺激法ではこれらの要因を考慮することは難しい。加えて、匂いを発生する実試料をそのまま細胞に適用することは細胞傷害を引き起こす場合がある。したがって、従来の液相刺激法では生体内における正確な嗅覚受容体応答を再現するには不十分な面がある。生体内の嗅覚受容体活性度合をより再現するためは、調べたい試料から揮発する匂いそのもの(気体)を使って直接嗅覚受容体を刺激する方法、すなわち嗅覚受容体気相刺激法の構築が合理的である。
【0006】
これまでに気相による嗅覚受容体刺激の報告例は幾つか存在する。例えば、非特許文献1では、蚊の嗅覚受容体発現HEK293細胞をスフェロイド化させ、その細胞に対する匂い気相刺激により嗅覚受容体の応答観察に成功したことが開示されている。また、特許文献1及び非特許文献2では、GloSenser cAMP Assayを用い、プレートリーダー庫内に充満させた匂い物質で気相刺激を行って嗅覚受容体の応答測定に成功したことが開示されている。また、非特許文献3には、96ウェルプレートを封入したサンプリングバッグに匂いを注入することで気相刺激する方法が開示されている。
【0007】
しかしながら、非特許文献1のアプローチは、電極で嗅覚受容体応答を測定するものである。精密な操作が求められ、スループット性は極めて低い。また、特許文献1及び非特許文献2によるアプローチは、1プレートにつき1種類の匂い刺激に制限される。そして、斯かる既報の方法で使用された匂い物質と嗅覚受容体ペアでは、気相刺激法は液相刺激法の1/100~1/1000の感度に留まっている(非特許文献1,2)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】国際特許公開第2018/081588号
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】Sato, K. & Takeuchi, S. Chemical vapor detection using a reconstituted insect olfactory receptor complex. Angew. Chemie - Int. Ed. 53, 11798-11802 (2014).
【非特許文献2】Kida, H. et al.Vapor detection and discrimination with a panel of odorant receptors. Nat. Commun. 9, (2018).
【非特許文献3】福谷洋介.「Vapor stimulation assay による揮発性硫黄化合物応答ヒト嗅覚受容体の同定と実用的な悪臭抑制香料の探索」. 日本味と匂学会 第55回大会 ポスター発表.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、スループット性と感度が改善された、気相刺激による嗅覚受容体応答測定方法を提供することに関する。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、細胞を用いた嗅覚受容体応答の測定方法において、細胞が播種された容器に挿入した支持体を介して揮発性物質を嗅覚受容体に暴露することにより、独立した気相刺激環境が形成され、感度良く且つ効率よく受容体応答を気相で測定できることを見出した。
【0012】
すなわち、本発明は以下に係るものである。
容器内に揮発した揮発性物質に対する嗅覚受容体応答を気相で測定する方法であって、以下のa)、b1)又はb2)、c)及びd):
a)容器底部に嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞を載置する工程、
b1)容器上部の開口部から支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持した後、揮発性物質を含む試料を前記支持体に保持させる工程、
b2)容器上部の開口部から揮発性物質を含む支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持する工程、
c)前記支持体から揮発する揮発性物質を、前記細胞に暴露させる工程、
d)前記細胞中の嗅覚受容体応答を測定する工程、
を含む、方法。
【発明の効果】
【0013】
本発明の方法によれば、匂いを発する実試料に対する生体内の嗅覚受容体活性情報を、細胞を用いて再現することができ、従来法よりも的確で精緻な嗅覚受容体活性制御技術を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【
図1】気相刺激条件の模式図。96ウェルプレート(Corning)の一つのウェルの断面図を示す。
【
図2】開発した気相刺激系による嗅覚受容体測定及び嗅覚受容体応答に対する刺激溶液量の影響。横軸はNone:溶媒刺激、10,100μM DMDS刺激、30μM Forskolin刺激条件を示す。縦軸はNone条件で観察された応答を1としたときの相対応答強度(Fold increase)。3回の独立した実験データをプロットした。バーとエラーはそれぞれ平均値と標準誤差を示す。黒は100μL刺激、薄灰は150μL刺激条件。
【
図3】A)96ウェルプレート各ウェルの30分間の嗅覚受容体応答シグナル値。Acetophenone気相刺激は0分時点で実施。1~6列はMock条件、7~12列はOlfr145発現条件。5秒ごとに発光シグナルを測定。B)隣接ウェルへの刺激物質のコンタミネーションの確認。縦軸は各ウェルにおける発光シグナル値の総和の平均値(対数軸)。横軸は嗅覚受容体を発現する条件におけるプレートの各行(刺激濃度)を示す。プロットとバーはそれぞれ1回の実験データと3回の独立した実験の平均値を示す。アスタリスクはG行に対する各行の統計検定結果(p<0.05)を示す(Dunnett’s multiple comparisons test)。
【
図4】従来の気相刺激法と本方法との感度比較。縦軸は刺激30分後の嗅覚受容体応答値。横軸は用いた気相刺激方法。プロットとバーはそれぞれ1回の実験データと3回の独立した実験の平均値を示す。
【
図5】A)液相刺激法及び今回開発した気相刺激法の模式図。B)用いた匂い物質の蒸気圧とLogP値。C-F)液相刺激法と気相刺激法の感度比較。横軸は各匂い物質濃度、縦軸は嗅覚受容体応答(Fold increase)を示す。黒は液相刺激、薄灰は気相刺激。破線はEC50を表す。N.D.はNot determined。プロットは3回の独立した実験の平均値、エラーは標準誤差。匂い物質と嗅覚受容体は、C)Diacetyl,OR6Y1哺乳類コンセンサス、D)DMDS,OR2T11霊長類コンセンサス、E)p-Cresol,OR9Q2、F)AMBROXAN,OR7A17。F)白丸はAMBROXANエタノール溶液滴下後、乾燥させた綿球による刺激条件。
【
図6】A)実験のタイムコース。起床直後から2日間、9点唾液を採取した。B) 唾液サンプルの匂い強度。担当者一人の官能評価データ。C)唾液ヘッドスペースのDMDS濃度(μM)。D)唾液を用いた気相刺激によるOR2T11霊長類コンセンサスの応答。B-D)横軸のカラムは破線でつないだ各タイムポイントの唾液サンプルを示す。n=1。
【
図7】A)実験のタイムコース。B)腐敗尿を用いた気相刺激によるOR2T11霊長類コンセンサスの応答性。n=1。
【
図8】A)実験のタイムコース。B)各サンプルの条件。サンプル1は綿球そのもの、2-4は洗濯時に使用した洗剤や柔軟剤の有無が異なる。サンプル2は水道水だけで洗濯した条件、3は衣類用洗剤を使用した条件、4は衣類用洗剤+柔軟剤を用いた条件。C)各綿球サンプルの匂い強度。担当者3人の官能データの平均値+標準誤差。D)各綿球から揮発するAMBROXANの測定結果。m/z=221の抽出イオンクロマトグラム。E)各綿球サンプルを用いた気相刺激によるOR7A17哺乳類コンセンサス応答性。n=1。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本発明の嗅覚受容体応答の測定方法は、容器内に揮発した揮発性物質に対する嗅覚受容体応答を気相で測定する方法であって、以下のa)、b1)又はb2)、c)及びd)の工程を含む。
a)容器底部に嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞を載置する工程、
b1)容器上部の開口部から支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持した後、揮発性物質を含む試料を前記支持体に保持させる工程、
b2)容器上部の開口部から揮発性物質を含む支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持する工程、
c)前記支持体から揮発する揮発性物質を、前記細胞に暴露させる工程、
d)前記細胞中の嗅覚受容体応答を測定する工程、
【0016】
本発明の方法において用いられる容器としては、上部に開口部を有し、培養細胞を載置できるものであればよく、例えば、マルチウェル(1536ウェル、384ウェル、96ウェル、48ウェル、24ウェル、12ウェル、6ウェル等)のマイクロプレート、マルチウェル(8ウェル、4ウェル、2ウェル等)のチャンバー等の細胞培養用プレート、フラスコ型の培養容器、チューブ等が例示できる。このうち、複数のサンプルを同時に測定できる点で、マルチウェルマイクロプレートが好ましく、支持体の挿入し易さ、操作性の点から、384ウェル、96ウェル、48ウェルのマルチウェルマイクロプレートが好ましい。
前記培養容器の材質としては、特に制限はなく、公知の培養容器の材質の中から目的に応じて適宜選択することができ、例えば、ガラス、ポリスチレン、ポリプロピレン、ポリカーボネートなどが挙げられる。
【0017】
容器の底部には、嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞の培養物が載置される(工程a)。
嗅覚受容体ポリペプチドとは、嗅覚受容体又はそれと同等の機能を有するポリペプチドをいい、「嗅覚受容体と同様の機能を有するポリペプチド」とは、当該嗅覚受容体と同様に、匂い分子の結合によって活性化し、かつ活性化されると、細胞内のGαs若しくはGαolfと共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで細胞内cAMP量を増加させる機能を有するポリペプチドをいう。
本発明において使用される嗅覚受容体ポリペプチドは、哺乳動物由来の嗅覚受容体ポリペプチドであればよく、例えばヒト、チンパンジーをはじめとする霊長類、又は、マウス、ラットなどげっ歯類由来の嗅覚受容体ポリペプチドが挙げられ、より好ましい例としては、ヒトがもつ400以上の嗅覚受容体及びそれと同等の機能を有するポリペプチドが挙げられる。ヒト、マウス及びラットの嗅覚受容体の情報は、GenBank[www.ncbi.nlm.nih.gov]より取得することができる。
また、本発明の嗅覚受容体と同様の機能を有するポリペプチドには、嗅覚受容体ポリペプチドとアミノ酸配列において少なくとも90%、好ましくは95%以上、より好ましくは99%以上同一であってかつ嗅覚受容体と同等の機能を有するポリペプチドが包含される。
また、嗅覚受容体と同様の機能を有するポリペプチドには、例えばヒト嗅覚受容体について、ヒト以外の哺乳類の嗅覚受容体との相同遺伝子間での共通性の高いアミノ酸を、当該ヒト嗅覚受容体に導入したコンセンサス嗅覚受容体ポリペプチド(特願2022-021606)が包含される。
【0018】
嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞としては、嗅覚受容体ポリペプチドを天然に発現する細胞、又は嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換え細胞が挙げられ、好ましくは、ヒト嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換えヒト細胞が挙げられる。宿主細胞としては、例えばhuman embryonic kidney(HEK293)細胞、Chinese Hamster Ovary(CHO)細胞,アフリカツメガエルの卵母細胞、COS、酵母、細菌、嗅上皮由来の細胞等を用いることができる。
【0019】
上記組換え細胞は、嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子を組み込んだベクターを用いて細胞を形質転換することで作製することができる。あるいは細胞内に遺伝子の転写産物を直接導入することによっても嗅覚受容体ポリペプチドを発現させることが可能である。好適には、嗅覚受容体ポリペプチドの細胞膜発現を促進するために、該嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子とともに、RTP(receptor-transporting protein)をコードする遺伝子を細胞に導入する。好ましくは、RTP1Sをコードする遺伝子を、該嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子とともに細胞に導入する。RTP1Sの例としては、ヒトRTP1Sが挙げられる。ヒトRTP1Sは、GenBankにGI:50234917として登録されているタンパク質である。
【0020】
載置される細胞の性状は特に限定されず、細胞が浮遊した状態、接着した状態の何れでもよい。例えば細胞ゲル混合物、シート状細胞培養物、スフェアなどを含む細胞塊、細胞懸濁液などが挙げられる。
【0021】
次いで、容器上部の開口部から支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持した後、揮発性物質を含む試料を前記支持体に保持させる(工程b1)、或いは、容器上部の開口部から揮発性物質を含む支持体を容器内に挿入し、前記細胞に接触しないように保持する(工程b2)。
支持体は、揮発性物質を含む試料をその内部又は表面に保持することができる支持体である。当該支持体は、容器開口部から挿入した場合に容器壁面に当接し前工程で載置した細胞に接触しないように容器の途中で保持される成形性を有する素材であり、その材質や形状は特に限定されない。
【0022】
支持体としては、例えば、繊維材料やスポンジ等の可撓性多孔質体などの液保持性(吸収性)支持体が好適に挙げられる。繊維材料としては、例えば、パルプ、コットン等の天然セルロース繊維、レーヨン等の再生セルロース繊維、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリエステル、ポリアミド、ポリアクリレート等の合成繊維などが挙げられる。特に吸水性の高い繊維であるパルプ、コットン等の天然セルロース繊維、レーヨン等の再生セルロース繊維、ポリアクリレート繊維などが好ましく用いられる。
なお、固体の試料を保持させる支持体としては、ポリエステル、ポリカーボネート等のメンブレンで構成されるマイクロプレート用ウェルインサート、ステンレス等の金属メッシュなどが挙げられる。
【0023】
支持体として繊維材料を用いる場合には、該繊維材料は塊状体や、成形体の形態であるのが好ましい。塊状体としては、例えば綿球や綿栓等が挙げられる。成形体としては、不織布や紙、該不織布や紙の三次元成形物、パルプモールド成形物、織物、該織物の三次元成形物、二次元又は三次元に編成された編成物などが挙げられる。
このうち、操作性の観点から、綿球を用いるのが好ましい。
【0024】
揮発性物質を含む試料の支持体への保持は、支持体を容器内に挿入し保持した後、揮発性物質を含む試料を支持体に保持させること(工程b1)、或いは、予め揮発性物質を含む試料を保持させた支持体(揮発性物質を含む支持体)を容器内に挿入し保持すること(工程b2)の何れでもよい。
支持体の容器内への挿入は、容器上部の開口部から行われ、細胞に接触しないように保持される。
図1に支持体(綿球)を挿入した状態の模式図を示す。
図1に示すように、支持体(綿球)は、容器の大きさに合わせて適当なサイズのものが選択され、細胞に接触せず容器の途中で保持されるように、容器上部の開口部から挿入される。
【0025】
揮発性物質を含む試料とは、本発明において嗅覚受容体応答が評価される揮発性物質(匂い物質)、或いは当該匂いを発生する実試料である。
揮発性物質としては、嗅覚受容体に作用して匂いを知覚させる物質(匂い物質)であれば特に限定されず、天然に存在する物質であっても、化学的若しくは生物学的方法等で人工的に合成した物質であってもよく、又は化合物であっても、組成物若しくは混合物であってもよく、液体であっても固体であってもよい。
【0026】
匂いを発生する実試料とは、上記の匂い物質を含有する試料であり、例えば、体液(例えば唾液、尿)、汚水の他、食品、香料物質、化粧品、医薬品、洗浄剤、日用品、洗濯物由来の匂い物質を含有する試料が挙げられる。
【0027】
揮発性物質を含む試料は、揮発性物質(匂い物質)或いは当該匂いを発生する実試料をそのまま、あるいは濃縮して適当な溶剤に溶解することにより調製することができる。
溶剤としては、不揮発性の溶剤もしくは揮発性の溶剤の場合は細胞毒性を引き起こさない溶剤が好ましく、例えば、ミネラルオイル、水等が挙げられる。
揮発した溶剤が細胞毒性を引き起こす可能性がある場合は、支持体から溶剤を十分に揮発させた後に、細胞に対する匂い刺激に使用するのが好ましい。斯かる溶剤としては、例えば、エタノールやアセトンが挙げられる。
【0028】
支持体への試料の保持は、試料が溶液状であれば、ピペット、自動分注機等を用いて注入すればよい。注入量は、プレートウェル数及び支持体の種類に応じて適宜設定することができるが、例えば96ウェルプレートと綿球を用いる場合、200μL未満であればよく、好ましくは、100μL以上150μL未満であり、より好ましくは150μLである。
【0029】
次いで、支持体から揮発する揮発性物質を、嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞に暴露させる(工程c)。
支持体から揮発する揮発性物質の嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞への暴露は、揮発性物質と嗅覚受容体ポリペプチドを含む細胞培地若しくは嗅覚受容体ポリペプチドが気相で接触すればよく、揮発性物質の濃度や測定方法等に応じて、温度、時間を適宜設定することができる。
温度は、例えば、Dual-Glo(商標) luciferase assay system(Promega)を用いる場合には37℃を設定することができる。GloSenser cAMP Assay(Promega)を用いる場合には20℃~37℃を設定することができるが、22Fプラスミドを用いる場合は、好ましくは20℃~25℃であり、より好ましくは応答性の観点から25℃である。GloSenser cAMP Assay(Promega)において20Fプラスミドを用いる場合は、好ましくは30℃~37℃であり、より好ましくは応答性の観点から37℃である。
時間は、例えば、レポータージーンアッセイ法で測定する場合は、Dual-Glo(商標) luciferase assay system(Promega)を用いる場合には2~4時間、好ましくは3.5~4時間とすることができる。経時的に測定することが可能なGloSenser cAMP Assay(Promega)を用いる場合には、1時間未満であり、好ましくは30分間である。
【0030】
嗅覚受容体応答の測定(工程d)は、当分野で用いられている任意の方法によって行えばよい。
嗅覚受容体は、匂い分子によって活性化されると、細胞内のGαsタイプのGタンパク質(例Gαs、Gαolf)と共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させることが知られている。したがって、該原因物質添加後の細胞内cAMP量を指標にすることで、該原因物質に対する嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することができる。cAMP量を測定する方法としては、ELISA法、レポータージーンアッセイ等が挙げられる。嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定する他の方法としては、カルシウムイメージング法が挙げられる。嗅覚受容体を、様々な受容体と共役できるGαqタイプのGタンパク質(Gα15)と共発現させると、リガンドを結合した嗅覚受容体は細胞内でカルシウムイオン濃度を上昇させる。さらに別の方法としては、電気生理学的手法による測定が挙げられる。電気生理学的測定では、例えば、嗅覚受容体ポリペプチドを他のイオンチャネルとともに共発現させた細胞(アフリカツメガエル卵母細胞等)を作製し、該細胞上のイオンチャネルの活動をパッチクランプ法、二電極膜電位固定法などで測定することにより、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が測定される。
このうち、感度、スループット性の点から、ルシフェラーゼなどの発光物質を用いたレポータージーンアッセイ法により嗅覚受容体の応答を測定することが好ましい。
【実施例0031】
以下、実施例を示し、本発明をより具体的に説明する。
参考例1 嗅覚受容体発現細胞の調製
1)嗅覚受容体遺伝子のクローニング
OR2T11の霊長類コンセンサスについては、ヒトOR2T11(NP_001001964.1)のアミノ酸配列をquery配列とし、検索対象生物名を霊長類としたBLAST検索によって得られた相同遺伝子について系統樹解析を行い、ヒトOR2T11を含み他生物種のOR2T11が多く網羅され、かつOR2T11以外の遺伝子をできる限り含まないクレードを選択し、そのクレードに含まれる全16遺伝子のうちヒトOR2T11を除く15遺伝子を霊長類オルソログとして特定した。次いで、ヒトOR2T11を含む計16遺伝子のアミノ酸配列について以下に述べるようにアラインメント解析及びコンセンサスアミノ酸の特定を行った。
OR7A17の哺乳類コンセンサスについては、ヒトOR7A17(NP_112163.1)のアミノ酸配列をquery配列とし、BLASTにより検索された相同性上位の250遺伝子の中から、名称にOR7A17を含む145遺伝子をオルソログとして特定した。これら145遺伝子にヒトOR7A17を加えた計146遺伝子のアミノ酸配列について以下に述べるようにアラインメント解析及びコンセンサスアミノ酸の特定を行った。
特定した遺伝子群についてのアラインメント解析はClustalWを用いて行い、嗅覚受容体間で高度に保存されたアミノ酸もしくはアミノ酸モチーフを基準に、最適化するようにさらに調整した。Ballesteros-Weinstein residue numberingは、文献(Ikegami K et al. PNAS 117:2957-2967 (2020))に示されるマウス全嗅覚受容体をアラインメントした結果を参照して付与した。アラインメント結果に基づき、Jalviewを用いてコンセンサス嗅覚受容体の設計を行った。該アラインメントにおいて、基準となるオリジナルのヒト嗅覚受容体アミノ酸配列の各アミノ酸位置に相当する位置に該基準アミノ酸配列のアミノ酸残基と異なり且つ出現頻度が50%以上のアミノ酸残基が1種存在する場合に該基準アミノ酸配列のアミノ酸残基を該アミノ酸残基に改変した。尚、基準となるオリジナルのヒト嗅覚受容体アミノ酸配列の各アミノ酸位置に相当する位置に該基準アミノ酸配列のアミノ酸残基と異なり且つ出現頻度が50%のアミノ酸残基が1種存在する場合であっても、該基準アミノ酸配列のアミノ酸残基の出現頻度も50%の場合には該基準アミノ酸配列のアミノ酸残基を改変しなかった。一方で、基準となるオリジナルのヒト嗅覚受容体アミノ酸配列の欠失位置に相当する位置に出現頻度が60%以上でアミノ酸が存在する場合に該基準アミノ酸配列の欠失位置に最も保存性の高いアミノ酸を挿入するよう改変した。
設計における嗅覚受容体のトポロジーの確認は、TMHMM(Transmembrane Hidden Markov Model)を使用した。デザインした嗅覚受容体ポリペプチド(OR7A17コンセンサス(配列番号2)、OR2T11コンセンサス(配列番号4))をコードするDNA配列(それぞれ配列番号1、配列番号3)は、そのアミノ酸配列に対応する塩基配列コドンをヒト培養細胞での発現用に最適化した上でDNA合成により獲得した。この塩基配列の両末端にはEcoRI、XhoIサイトを付加しており、pME18Sベクター上のFlag-Rhoタグ配列の下流に作製したEcoRI、XhoIサイトへと組換えた。
【0032】
2)pME18S-ヒトRTP1Sベクターの作製
培養細胞内で作られた嗅覚受容体タンパク質を細胞膜表面へ移行するヒトRTP1Sをコードする遺伝子を、別のpME18SベクターのEcoRI、XhoIサイトへ組み込んだ。
【0033】
3)嗅覚受容体発現細胞の作製
上記嗅覚受容体を発現させたHEK293細胞を作製した。表1または表2に示す組成の反応液を調製しクリーンベンチ内で15分静置した後、96ウェルプレート(BD)の各ウェルに添加した。次いで、DMEM(Nacalai)で懸濁させたHEK293細胞を100μLずつ各ウェルに2×105細胞/cm2で播種し、37℃、5%CO2を保持したインキュベータ内で24時間または48時間培養した。対照として、嗅覚受容体遺伝子を組み込んでいない空ベクターをトランスフェクションし、嗅覚受容体を発現させない細胞(mock)を用意した。
【0034】
【0035】
【0036】
参考例2 レポータージーンアッセイ(Dual-Glo(商標) luciferase assay system)
HEK293細胞に発現させた嗅覚受容体は、細胞内在性のGαsと共役しアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させる。本研究での匂い応答測定には、細胞内cAMP量の増加をホタルルシフェラーゼ遺伝子(luc2P-CRE-Hygro)由来の発光値としてモニターするルシフェラーゼレポータージーンアッセイを用いた。また、CMVプロモータ下流にウミシイタケルシフェラーゼ遺伝子を融合させたもの(Rluc-CMV)を同時に遺伝子導入し、遺伝子導入効率や細胞数の誤差を補正する内部標準として用いた。ルシフェラーゼの活性測定には、Dual-Glo(商標)luciferase assay system(Promega)を用い、製品の操作マニュアルに従って測定を行った。各種刺激条件について、ホタルルシフェラーゼ由来の発光値をウミシイタケルシフェラーゼ由来の発光値で除した値fLuc/Rlucを算出した。匂い物質刺激により誘導されたfLuc/Rlucを、匂い物質刺激を行わない細胞でのfLuc/Rlucで割った値をFold increaseとして算出し、応答強度の指標とした。用量作用曲線の解析はGraphPad Prism(8.3.0)を用いて行った。EC50は非線形回帰(three parameters)を用いて算出した。
【0037】
参考例3 GloSenser(商標) cAMP Assay
HEK293細胞に発現させた嗅覚受容体は、細胞内在性のGαsと共役しアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させる。本研究でのリアルタイム嗅覚受容体応答測定には、細胞内cAMP量の増加を改変型のホタルルシフェラーゼ遺伝子由来の発光値としてモニターするGloSenser(商標) cAMP Assayを用いた。ルシフェラーゼの活性測定には、GloSensor(商標) cAMP Reagentを用い、製品の操作マニュアルに従って測定を行った。発光測定機器として、EnSight(PerkinElmer)もしくはFDSS(浜松ホトニクス)を用いた。
【0038】
実施例1 嗅覚受容体気相刺激法の構築
参考例1に従って作出した嗅覚受容体プラスミドを96ウェルプレート(CorningもしくはGrainer社製)にてHEK293細胞にトランスフェクションし、嗅覚受容体タンパク質を発現したHEK293細胞を用意した。培地を全量抜き取り、新たに35μLの培地(DMEM)を加えた。次いで、ピンセットを用いて綿球(オオサキメディカル社製(31420))を各ウェルの上部に詰めた(
図1)。この時、ウェルの底面に綿球が接着していないことをプレート下部より目視で確認した。その後、DMEMに溶解した匂い物質(0μMまたは10μMまたは100μM)を加え、嗅覚受容体を匂い物質で刺激した。匂い物質としてDimethyl disulfide(DMDS)を、嗅覚受容体としてはDMDSに応答するOR2T11(OR2T11 霊長類コンセンサス)を使用した。刺激溶液量は、200μLでは綿球の保水力を超えてしまう場合があるため、100μLまたは150μLとした。匂い刺激後、プレートをシールして、3~4時間、37℃、5%CO
2の条件下で静置した。静置後、プレートシールを除去し、ピンセットでウェルに詰めた綿球を取り除いた。ピペットマンを用いて細胞培地を完全に除去した。その後、新たに75μLの培地(DMEM)を各ウェルに加え、参考例2に従って、嗅覚受容体活性を測定した。コントロール条件として、アデニル酸シクラーゼを活性化する不揮発性物質のForskolinを刺激サンプルとして使用した。Forskolinは30μMとなるようにDMEMで調整した。コントロール条件にて発光が観察されるならば綿球に染み込ませた刺激溶液が細胞溶液に混入した液相刺激と判断でき、発光が観察されなければ気相刺激が成立していると判断することができる。
【0039】
Forskolin溶液で気相刺激しても明確な発光シグナルは観察されなかった。すなわち、気相刺激の成立が確認された。加えて、OR2T11応答がDMDS濃度依存的に観察された(
図2)。さらに、刺激溶液量は100μLよりも150μLの方がより強い嗅覚受容体応答を引き起こしうることが判明した(
図2)。
【0040】
実施例2 独立気相環境の確認
隣接ウェルに対する匂い物質の混入の影響について検討した。参考例1記載の方法に従って嗅覚受容体発現細胞を準備し、参考例3記載の方法に従って匂い刺激に対する嗅覚受容体応答を測定した。嗅覚受容体発現細胞の作製については、表2の組成を用いた。参考例1に従って作出した嗅覚受容体プラスミドを96ウェルプレート(CorningもしくはGrainer社製)にてHEK293細胞にトランスフェクションし、嗅覚受容体タンパク質を発現したHEK293細胞を用意した。その後、DMEMで4%(v/v)に調整したGloSensor(商標) cAMP Reagent溶液35μLで細胞溶液を置換した。次いで、ピンセットを用いて綿球(オオサキメディカル社製(31420))を各ウェルの上部に詰めた(
図1)。プレートをシール後、37℃で2時間静置した。静置後、プレートシールを除去し、25℃に保たれたFDSS庫内に挿入し、参考例3に従って嗅覚受容体応答を測定した。150μLの刺激溶液を自動分注した後に発光測定を30分間実施した。この時、100ppmの匂い物質溶液を刺激溶液としたときに、隣接ウェルに発現する嗅覚受容体が応答するのか調べた。匂い物質(嗅覚受容体)はAcetophenone(Olfr145)、Heptanal(Olfr2)、Eugenol(Olfr73)を用いた。
【0041】
結果を
図3に示す。
1% Acetophenoneで気相刺激したウェルでは応答が引き起こされ、嗅覚受容体の気相刺激が成立していた(
図3A)。そのうえで隣接するウェルでは明確な嗅覚受容体応答は引き起こされなかった(
図3A、B)。隣接ウェルの受容体応答と異なる用量作用的な受容体応答を比較してコンタミネーションの割合を見積もると、隣接ウェルには約0.1%しかコンタミネーションを引き起こさないことが分かった(
図3B)。
一般的な嗅覚受容体のレポータージーンアッセイにおいて、嗅覚受容体応答のダイナミックレンジは10
3程度である(Mainland, J. D., Li, Y. R., Zhou, T., Liu, W. L. in. L. & Matsunami, H. Human olfactory receptor responses to odorants. Sci. data 2, 150002 (2015))。以上を考慮すると、嗅覚受容体レポータージーンアッセイにおいて、各ウェル独立した気相刺激環境と見なせることが分かった。実際に、同一プレートを使用して濃度依存的な嗅覚受容体応答を観察可能であった(
図3B)。
【0042】
実施例3 受容体応答測定系の感度の検証
非特許文献2で開示されている方法と本発明の気相刺激系による嗅覚受容体応答測定系の感度を比較した。非特許文献2で開示される気相刺激方法では、嗅覚受容体応答測定前に各ウェルに刺激溶液25μLが入った96ウェルプレートをプレートリーダー庫内に5分間静置してプレートリーダー庫内に匂い物質を充満させる。その後ただちに、測定プレートを挿入する。測定プレートの各ウェル間に注入した刺激溶液から揮発した匂い物質でウェル内の細胞を気相刺激する。本実施例においては、非特許文献2で開示される匂い物質と嗅覚受容体の組み合わせのいくつか、すなわち匂い物質(嗅覚受容体)はAcetophenone(Olfr145)、Heptanal(Olfr2)、Eugenol(Olfr73)を用いて、非特許文献2の方法で得られる嗅覚受容体応答と本発明の方法で得られる嗅覚受容体応答を比較した。いずれも参考例3に従って、嗅覚受容体の応答を観察した。
【0043】
その結果、用いた匂い物質全てにおいて、従来法よりも本発明のほうが同等または高い応答性を示した(
図4)。特に用いた3物質の中で最も蒸気圧の低いEugenolにおいて従来法よりも顕著な応答が得られた。以上の結果は、本方法が、その小さい気相体積のために、これまで開示される嗅覚受容体気相刺激法よりも効率よく気相濃度が高まることを示す。本方法を用いれば、従来法よりも幅広い化学物性を有する匂い物質に対する嗅覚受容体応答を高感度に検出可能である。
【0044】
実施例4 受容体応答測定系の感度(液相刺激との比較)
気相刺激法が、液相刺激法と比較してどの程度の感度を有するのか検証した(
図5A)。気相刺激法では、綿球からの揮発性及び細胞培養液への溶解性が嗅覚受容体応答性に関与すると予想できる。そのため蒸気圧(VP)とオクタノール/水分配係数(LogP)が大きく異なる4つの匂い物質を、嗅覚受容体が特定されている匂い物質の中から用意した(
図5B)。刺激溶液量は150μLとし、その他は、実施例1と同様にして嗅覚受容体を気相刺激した。得られる嗅覚受容体応答を参考例2に従って測定した。液相刺激法に関しては、実施例1と同様に嗅覚受容体タンパク質を発現したHEK293細胞を用意した後に、培地を全量抜き取り、匂い物質をDMEMに溶解した刺激溶液を75μL加えた。匂い刺激後、プレートをシールして、3~4時間、37℃、5%CO
2の条件下で静置した。静置後、参考例2に従って、嗅覚受容体応答を測定した。
【0045】
その結果、4物質の中で蒸気圧が高く、LogP値が低いDiacetyl及びDMDS(ジメチルジスルフィド)に対しては、液相刺激よりも気相刺激の方が高感度であり、蒸気圧、LogP値ともに中間のp-Cresolに対しては、気相刺激法は液相刺激法と同程度の感度を示した(
図5C-E)。一方、蒸気圧が低く、高LogP素材であるAMBROXANについては、応答が認められなかった。低揮発性で水に溶けにくいAMBROXANにおいてはウェル内の空隙に揮発するAMBROXAN量が少ないうえに細胞溶液への溶解量が嗅覚受容体応答を引き起こさないほど少なかったと考えられた。ところが、溶媒を水からエタノールに変更し、綿球滴下後、1時間エタノールを揮発させた綿球を使って気相刺激を試みたところ、液相刺激と同じ濃度域で嗅覚受容体応答が認められた(
図5F)。以上、本気相刺激方法を用いると、今回用いたすべての匂い物質について、液相刺激と同じ濃度スケールで嗅覚受容体応答を測定可能であることが示された。
【0046】
実施例5 唾液揮発物質に対する嗅覚受容体応答
実施例1、2及び3で記述した方法を用いることで、実試料から揮発する匂いを嗅覚受容体応答として検出することができる。
本実施例では唾液から揮発する匂いの検出を実施した。唾液をそのまま、あるいは限外濾過して細胞に直接適用すると、細胞死をもたらす。気相刺激系は細胞死を誘発しない点でも実試料から揮発する匂いの検出に優れている。
口臭は主に口腔内に由来することが知られている(渋谷耕司. 生理的口臭の成分と由来に関する研究. 口腔衛生会誌 51, 778-792 (2001))。口腔内は唾液で覆われている。したがって、唾液から揮発する匂いは口臭の多くを説明すると考えられる。唾液揮発物質に対する嗅覚受容体活性を測定することは、口臭という複合臭による嗅覚受容体応答度合の測定と言える。それは嗅覚受容体を標的にした口臭の感覚消臭の足掛かりとなる。
【0047】
そこで、唾液による嗅覚受容体刺激を実施した(
図6A)。嗅覚受容体には、口臭原因物質の一つであるDMDSをはじめ多くの含硫揮発性化合物を受容することが知られているOR2T11の霊長類コンセンサスを用いた。起床後から各時刻に採取した唾液について、匂い強度評価、含有される口臭成分DMDS濃度の測定、OR2T11の活性化度合の測定を実施した。嗅覚受容体の気相刺激に用いる唾液量は150μLとした。その他嗅覚受容体発現細胞の用意と気相刺激方法は、実施例1と同様にした。得られる嗅覚受容体応答を参考例2に従って測定した。匂い強度評価は、試験担当者1名で行い、嗅覚受容体応答測定前かつDMDS含有量測定前に実施した。DMDS濃度測定は唾液ヘッドスペースをTenax吸着管に通気して唾液揮発物質を捕集した。捕集サンプルはTDU-GC-MSに供し、DMDSを測定した。検量線からDMDS推定濃度を算出した。
【0048】
実験の結果を
図6に示す。強い匂いが感じられ、なおかつ高濃度のDMDSを含有する起床時唾液を使って気相刺激したときのみ、明確な嗅覚受容体応答が観察された(
図6B-D)。すなわち、本気相刺激系を用いれば、唾液揮発物質の匂い強度及び口臭物質濃度を反映する嗅覚受容体応答を検出可能であることが示された。
【0049】
実施例6 腐敗尿揮発物質に対する嗅覚受容体応答
口臭に加えて、腐敗尿臭も介護場面や育児場面で直面する悪臭課題であり、その原因となる物質もいくつか同定されている。例えば、アルコール類やフェノール類、ケトン類、アルデヒド類、ピロール類、そして含硫揮発性化合物類が同定されている(Wagenstaller, M. & Buettner, A. Quantitative Determination of Common Urinary Odorants and Their Glucuronide Conjugates in Human Urine. Metabolites3, 637-657 (2013).)。そこで含硫揮発性化合物類に着目して、腐敗尿が嗅覚受容体ポリペプチドを活性化するのか検証した。尿サンプルは嗅覚受容体応答測定前日に採取した。その後ただちにフィルター滅菌した。次いで、37℃でオーバーナイト処理することにより、腐敗尿様の匂いを発する尿サンプルを用意した。同様にフィルター滅菌未処理の尿サンプルも用意した。刺激に用いる尿サンプル量は150μLとした。嗅覚受容体ポリペプチドには多くの含硫揮発性化合物を受容することが知られているOR2T11の霊長類コンセンサスを用いた。その他、嗅覚受容体発現細胞の用意と気相刺激方法は、実施例1と同様にした。得られる嗅覚受容体応答を参考例2に従って測定した。
【0050】
その結果、すべての尿サンプルで受容体応答が観察されたとともに、応答強度はフィルター滅菌処理済サンプルよりもフィルター未処理サンプルが高かった(
図7B)。尿中のOR2T11アゴニストの発生に対する微生物関与が示唆されるとともに、腐敗尿臭に対する嗅覚受容体の活性度合を観察できることが示された。
【0051】
実施例7 洗濯した綿に対する嗅覚受容体応答
香料処方中にAMBROXANを含む衣類用洗剤や衣類用柔軟剤をモデルにして、これらを使用して洗濯した綿球を用いて気相刺激した際にAMBROXANによって活性化するOR7A17の応答が得られるのかテストした。嗅覚受容体応答測定前日にAMBROXANを含む衣類用洗剤及び柔軟剤を用いて綿球を洗濯し、オーバーナイトで自然乾燥させた綿球を気相刺激用サンプルとして用意した。嗅覚受容体にはAMBROXANに応答することが知られているOR7A17の哺乳類コンセンサスを用いた。その他、嗅覚受容体発現細胞の用意と気相刺激方法は、実施例1と同様にした。得られる嗅覚受容体応答を参考例2に従って測定した。綿球から揮発する匂いの強度評価は、AMBROXANの匂いを感じることのできる試験担当者3名で行った。洗濯した綿球から揮発するAMBROXAN測定に関しては、綿球ヘッドスペースを通気したTenax吸着管をTDU-GC-MSに供し、AMBROXANの主要物質である(-)-Ambroxideを測定した。
図8Aに実験のタイムコース、
図8Bに綿球サンプルの条件を示す。
【0052】
実験の結果、未処理の綿球(Sample 1)や、水道水だけで洗濯した綿球(Sample 2)はOR7A17を活性化しなかった一方で、柔軟剤を用いた綿球(Sample4)は全サンプル中で最も高い受容体応答を引き起こした(
図8E)。Sample4は官能的に最も強い香りを呈した(
図8)。実際に当該綿球のヘッドスペースから(-)-Ambroxideも検出された(
図8D)。以上、洗濯した綿球から揮発する匂いを用いて気相刺激することにより、洗濯綿の匂いを説明する嗅覚受容体応答を得られうることが判明した。