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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024020037
(43)【公開日】2024-02-14
(54)【発明の名称】痛みと痒みのバイオマーカー
(51)【国際特許分類】
   A61B 10/00 20060101AFI20240206BHJP
   A61B 5/377 20210101ALI20240206BHJP
【FI】
A61B10/00 X
A61B5/377
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022122899
(22)【出願日】2022-08-01
(71)【出願人】
【識別番号】502285457
【氏名又は名称】学校法人順天堂
(71)【出願人】
【識別番号】522307236
【氏名又は名称】ティア・リサーチ・コンサルティング合同会社
(74)【代理人】
【識別番号】100179431
【弁理士】
【氏名又は名称】白形 由美子
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼森 建二
(72)【発明者】
【氏名】冨永 光俊
(72)【発明者】
【氏名】宮川 晃一
(72)【発明者】
【氏名】内海 潤
【テーマコード(参考)】
4C127
【Fターム(参考)】
4C127AA02
4C127AA03
4C127AA04
4C127GG11
4C127GG15
(57)【要約】
【課題】本発明は、痛みや痒みを生じた病態における表皮生体電位(EB)を痛み及び/又は痒みのバイオマーカーとして利用する技術に関する。
【解決手段】ヒト及び動物におけるEBを客観的な痛み及び痒みバイオマーカーとすることができることを見出した。このバイオマーカーを効果量で算出すると、痛み及び痒みの誘発剤では正の効果量となり、鎮痛薬と止痒薬を併用すると負の効果量となり、薬効に応じた感覚量の変動を定量的に可視化することができる。痛み及び痒みのバイオマーカーとして、痛みと痒みに係る定量的評価とモニタリング、治療薬の要否の判断、治療経過の観察等に利用できる。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
痛み及び/又は痒みの程度を定量化するためのバイオマーカーであって、
接触型電極で計測された表皮生体電位から、統計手法及び/又は機械学習手法を用いた数理モデルで算出されたバイオマーカー。
【請求項2】
前記計測された表皮生体電位の変動を求め、
周波数パワー値又はPower Density Spectrum(PSD)値として表し、
痒み及び/又は痛み状態を効果量(effect size)で計量化することを特徴とする請求項1記載のバイオマーカー。
【請求項3】
請求項1又は2に記載のバイオマーカーを薬剤投与の要否の判定、薬剤の選択、薬剤投与効果の観察、服薬期間の設定、鎮痛薬開発時の有効性評価、止痒薬開発時の有効性評価に利用する方法。
【請求項4】
前記薬剤が、止痒作用または鎮痛作用を有する薬剤で、電位依存性カルシウムチャネル阻害薬、アデノシン受容体拮抗薬、κオピオイド受容体作動薬、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤から選ばれる薬剤であることを特徴とする請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記薬剤が、プレガバリン、ガバペンチン、ナルフラフィン、ジフェリケファリン、デュロキセチンから選ばれる、少なくとも1種類の薬剤であることを特徴とする請求項4に記載の方法。
【請求項6】
感覚量の異常、痛み、痒みを生じる病態を評価する方法であって、
前記病態の原因が神経因性疼痛、線維筋痛症、中枢性神経障害性疼痛、多発性硬化症、自己免疫疾患、がん、糖尿病神経障害、又は抗がん薬投与時の手足のしびれ、痒み、感覚障害、若しくは手足症候群によるものであって、
請求項1又は2に記載のバイオマーカーによって評価することを特徴とする評価方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、表皮生体電位(epidermal biopotential:EB)を痛み及び/又は痒みのバイオマーカーとして利用する技術に関する。
【背景技術】
【0002】
痛みや痒みは苦痛や不快を伴う感覚で、多くの疾患で優先的に治療対象となるべき症状である。これらの感覚は当事者にしか感知しえないことから、常に被験者の自己申告による個々人の感性的な表現で表される。しかしながら、治療の要否や治療薬の選択には、痛みや痒みの定量的評価が求められる。
【0003】
感覚量の定量的評価は難しいが、歴史的に工夫を凝らしたアセスメントツールが臨床の場で開発されてきている。たとえば、痛みのアセスメントツールで臨床の場で用いられているものは、Numerical Rating Scale(NRS)、Visual Analogue Scale(VAS)、Verbal Rating Scale(VRS)、Face Pain Scale(FPS)である(非特許文献1)。同様に、痒みの場合にも、NRS、VAS、VRSが用いられる(非特許文献2)。NRSは、痛みを0から10の11段階に分け、痛みが全くないのを0、考えられるなかで最悪の痛みを10として、痛みの点数を問うものである。VASは、100mmの線の左端を「痛みなし」、右端を「最悪の痛み」とした場合、患者の痛みの程度を表すところに印を付けてもらうものである。VRSは3段階から5段階の痛みの強さを表す言葉を数字の順に並べ(例:痛みなし、少し痛い、痛い、かなり痛い、耐えられないくらい痛い)、痛みを評価するものである。FPSは、顔のアイコンが良い表情から悪い表情に順に並び、現在の痛みに一番合う顔を選んでもらうことで痛みを評価するものであり、3歳以上の小児の痛み自己評価に有用とされている。
【0004】
ただし、これらのアセスメントツールは、いずれも一定の数値的な取り扱いはできるものの、被験者個人の自己申告による評価であり、個々人の感じ方や過去の経験的な感覚に依存するところも大きく、被験者間同士の整合性(汎化性)も保証されないことから、客観性が乏しいことが従来から問題となっている。
【0005】
一方、客観的な評価の試みとして、電気生理学的な手法も検討されている。特許文献1には心電波形から評価する方法、特許文献2には、心拍数及び心拍揺らぎから痛みを評価する方法が示されているが、いずれも臨床現場で広く利用するには至っていない。痛みや痒みを客観的に計測し、バイオマーカーとして利用できる新たな手法が求められている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2020-146213号公報
【特許文献2】特開2019-209128号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】特定非営利活動法人 日本緩和医療学会 ガイドライン統括委員会、「がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン」、2020年版、金原出版株式会社
【非特許文献2】江畑俊哉、アトピー性皮膚炎におけるかゆみ評価と最近の動向、皮膚の科学、2015年、増23、p.1-6
【非特許文献3】Bandeira et al., Scand J Pain.,2021;21(3):426-433
【非特許文献4】Baumann et al., ClinTransl Allergy. 2019;9:24
【非特許文献5】Matsumori et al., IEEEAccess.2022;10: 13624-13632, https://ieeexplore.ieee.org/document/9693520
【非特許文献6】Li et al., Bioelectricity.2022;4(1): Online, https://doi.org/10.1089/bioe.2021.0030
【非特許文献7】Sharif et al.,Neuron.2020;106(6):940-951
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
現在、痛みと痒みのアセスメントツールとして利用されている自己申告型の手法は、簡便ではあるものの、客観性に乏しいのが課題である。一方、特許文献1に記載の心電波形や心拍数を指標とした評価法は、痛みと心臓の反応に着目したものであるが、原理的に痛みが心機能に影響を与える場合のみの評価手法であり、痛みと心機能の相関性や痛みの検出感度については明示されておらず、臨床的価値については明らかではない。また、特許文献2の心拍数を指標とする評価法では、ストレス要因を痛みと判定する手法であり、心拍数変動と痛みの検出感度や病態との関連性については明らかになっていない。
【0009】
このような心機能マーカーを指標として痛みを評価する手法は以下の問題を伴うことが報告されている。心拍数と慢性腰痛患者の痛みの関係について多数の論文を調査した報告(非特許文献3)によれば、慢性腰痛患者で副交感神経の活性が低下して心拍数に影響を与える可能性は一般化できないこと、急性痛や亜急性痛が評価されていないこと、感情的な要素が心拍数に影響を与えること、心疾患がある場合には適用できないことなどである。このように、心拍数や心電波形などの心機能マーカーを指標にした痛み評価は、実用上は限界があるといえる。
【0010】
一方、痒みの電気生理学的な評価に関しては、皮膚のアレルギー反応や皮膚炎の機序を解明するために、実験的外科手術で電極を皮下に刺して刺激剤を注入し、炎症反応や痒みを評価する手法が報告されているが(非特許文献4)、侵襲的評価法であり、あくまでも実験的手法に留まる。以上のように、痛みや痒みを直接的に、かつ非侵襲的に日常医療で使用できるような評価手法やバイオマーカーは報告されていない。
【0011】
本発明は、感情や心疾患が影響する心拍や心電位等のサロゲート的な指標によらず、できるだけ直接的に生体表皮から痛み信号と痒み信号を検出し、評価することを課題とする。痛みや痒みは、苦痛や不快を伴うことから、生活の質(Quality Of Life:QOL)を左右する重要要素であり、その治療のための薬剤投与においても、適切なバイオマーカーがあれば、薬剤の選択と適正使用に大きく貢献する。
【0012】
また、従来の自己申告型の主観的評価に依らず、生体表皮から痛み信号と痒み信号を検出する方法であれば、痛みと痒みの症状把握を客観的に行うことができ、コミュニケーションが取れない患者(乳幼児、小児、認知症患者など)の症状把握にも非常に有用である。
【0013】
一方、医薬品には副作用がつきもので、しばしば問題となる。たとえば、抗がん薬は有効率は20~30%程度とされるものの、ほぼ全例に副作用が発生するため、薬剤の恩恵を享受することなく副作用に苦しむ患者は、70~80%という計算になる。このため、治療薬が無効の患者は除外し、有効性が期待できる患者層を選択するには、薬剤感受性のバイオマーカーが必要となる。患者に対する医薬品の適正使用ができれば、無用な治療を行わずにすむので、医療経済上も大きな利点がある。最も一般的で数多くの病態に付随する痛みと痒みという感覚を評価できる客観的なバイオマーカーの開発は、医療上の重大な課題であり、その解決が強く求められている。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明は、痛みや痒みを生じた病態において、皮膚表面に電極を装着して計測される表皮生体電位を痛み及び痒みのバイオマーカーとして利用する技術に関し、以下の発明で構成される。
(1)痛み及び/又は痒みの程度を定量化するためのバイオマーカーであって、接触型電極で計測された表皮生体電位から、統計手法及び/又は機械学習手法を用いた数理モデルで算出されたバイオマーカー。
表皮生体電位によって算出されるバイオマーカーであることから、客観的に痛みや痒みを捉えることができる。
【0015】
(2)前記計測された表皮生体電位の変動を求め、周波数パワー値又はPower Density Spectrum(PSD)値として表し、痒み及び/又は痛み状態を効果量(effect size)で計量化することを特徴とする(1)記載のバイオマーカー。
効果量として表すことにより、データの単位に依存せず、標準化された効果の程度として表すことができる。また、効果量は、サンプルサイズによって変化しない標準化された指標であることから、痛みや痒みの程度を相互比較する際にも非常に有用である。
【0016】
(3)(1)又は(2)に記載のバイオマーカーを薬剤投与の要否の判定、薬剤の選択、薬剤投与効果の観察、服薬期間の設定、鎮痛薬開発時の有効性評価、止痒薬開発時の有効性評価に利用する方法。
本発明のバイオマーカーは、薬剤投与による副作用の程度を客観的に表す指標として用いることができる。また、薬剤の副作用を抑制する薬のスクリーニング、有効性評価にも用いることができる。
【0017】
(4)前記薬剤が、止痒作用または鎮痛作用を有する薬剤で、電位依存性カルシウムチャネル阻害薬、アデノシン受容体拮抗薬、κオピオイド受容体作動薬、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤から選ばれる薬剤であることを特徴とする(3)に記載の方法。
(5)前記薬剤が、プレガバリン、ガバペンチン、ナルフラフィン、ジフェリケファリン、デュロキセチンから選ばれる、少なくとも1種類の薬剤であることを特徴とする(4)に記載の方法。
具体的には、本発明のバイオマーカーによって、上記の止痒作用や鎮痛作用を有する薬剤の評価を行うことができる。
【0018】
(6)感覚量の異常、痛み、痒みを生じる病態を評価する方法であって、前記病態の原因が神経因性疼痛、線維筋痛症、中枢性神経障害性疼痛、多発性硬化症、自己免疫疾患、がん、糖尿病神経障害、又は抗がん薬投与時の手足のしびれ、痒み、感覚障害、若しくは手足症候群によるものであって、(1)又は(2)に記載のバイオマーカーによって評価することを特徴とする評価方法。
本発明のバイオマーカーによって、種々の疾患、あるいは薬剤の副作用によって生じる感覚量の異常、痛み、痒みを客観的に評価することができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
図1】EB計測デバイスをマウスに装着した計測時の模式図。
図2】痒み及び/又は痛みを評価するシステムのブロック図。
図3】薬剤(単剤)投与時の各周波数帯域の効果量(作業仮説、頭部EB、背部EB)の図。
図4】薬剤(併用時)投与時の各周波数帯域の効果量(作業仮説、頭部EB、背部EB)の図。
図5】ナルフラフィン応答性とプレガバリン応答性を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0020】
本発明者らは、痛みまたは痒みが生じている状態のEBを生体表皮で計測するために、皮膚に非侵襲的に装着できる接触型の電極と生体電位の計測デバイスを採用し、計測されたデータから心電位の影響を排除した変化量の抽出技術を開発し、そこから痛み及び/又は痒みのバイオマーカーを開発できることを明らかにした。さらに標準薬物を用いて痛みや痒み刺激を誘発させた状態で、鎮痛薬と止痒薬がそれぞれ薬効が前記バイオマーカーで客観的に可視化できることを明らかにし、本発明を完成させた。これによって、従来、自己申告による主観的な半定量化評価であるNRS、VAS、VRS、FPS等で欠如していた客観性を担保でき、かつ心機能マーカーを利用した間接的で限定的な代替評価法に比べて、利便性が高く有用な痛み及び/又は痒みの評価技術を提供することができる。
【0021】
以下にデータを示しながら具体的に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0022】
[動物モデルと計測システム]
本発明の創出には動物モデルを用いた。被験動物は、皮膚に計測用の電極を貼るためにヘアレスマウス(Hos:HR-1、SPF、オス、日本エスエルシー)を用い、マウスに薬剤を投与した後のEBを計測した。ヘアレスマウスは体毛がないため、体表のどの部位にでも非侵襲的に電極を装着することが可能であり、本試験では、頭部と背部の2か所を選び、それぞれ頭部EBと背部EBを計測した。図1にマウスEB計測時にEB計測デバイスを装着した様子を模式的に示した。評価システムの構成は、EBを計測するEB計測デバイスと、入出力、データ解析を行う制御部からなる。EB計測デバイスの電極はEBを計測できる電極であれば、その形態を問わない。制御部は操作タブレット、PC等どのようなものを用いてもよい。また、EB計測デバイスと制御部は無線制御でも有線制御でも構わず、システム全体も同様の機能を有した構成であれば、いずれでもよい。 本試験で用いたEB計測システムは、PGV株式会社が開発したパッチ式脳波計を利用した。システム全体を構成するブロック図を図2に示す。
【0023】
本評価システムの計測部は、伸縮性の高い柔軟電極シート(接触型電極)と、小型軽量でありながら高精度・低ノイズで脳波計測が出来る仕様の小信号計測デバイスから構成される。接触型電極はパッチ式電極で、そのまま体表の複数個所の皮膚表皮に貼ることができ、同時計測できる。電極は、伸縮性を有するシート上に形成されて密着性が高く体表に装着される。EB計測の電極(頭部、背部、対照)はケーブルでA/Dコンバーターに接続され、計測電圧のアナログ値をデジタル値に変換する。デジタル信号は各機能ブロックを制御するマイクロコントローラーを介して、ストレージに記録される。マイクロコントローラーは、制御コマンドの受信・EBデータの送信等をBlutooth無線通信で行うBLEモジュールに接続され、操作タブレットから制御される。ストレージに記録されたEBデータはタブレットで受信し、タブレットのインターネット回線を通じて外部のクラウドサーバーに送信することができる。クラウドサーバーにはデータ解析ソフトウェアが搭載されており、ここでデータ解析が行われ、解析結果はユーザーに報告される。
【0024】
本システムの接触型電極とデータ集積回路は、頭蓋骨によるシールドを超えて伝わる1μV以下の脳内神経細胞の非常に微細な活動電位をも計測できる感度を有しており、体表から各種生体信号を包括的に計測収集できる。したがって、脳波電位に限らず、筋電位や心電位、その他の部位の生体信号も包括的にEBとして計測することができる。
【0025】
生体各所で誘導される感覚量は、脳で感知されるが、感覚の発生部位と感知部位の両方で計測されることが望ましい。従来から、体表から計測する生体電位は、脳波(electroencephalogram:EEG)、心電位(electrocardiogram:ECG)、筋電位(electromyogram:EMG)などの臓器別に分類されて取り扱われているが、本発明者らは、生体反応はマルチモーダルで、多様な生体電位が同時に発生されるので、痛みや痒みを病態として捉えるときには、特定臓器の電位を抽出するのではなく、複数の生体信号の総和を生体表面でEBとして捉え、その中から痛みや痒みに特徴的な電位に注目することが望ましいと考えた。本試験ではこの考えで評価を実施したが、特にECGは電位が高いので、妨害信号と見なして本システムの心電位除去フィルターで除去し、心機能マーカーの影響を無視してデータ解析を行った。
【0026】
計測・収集した電位波形の解析は、本システム用に独自開発した数理モデルからなる信号処理プログラムで実施した。本プログラムは、前処理・特徴量変換・効果量導出のプロセスから構成される。前記数理モデルは、統計手法及び/又は機械学習手法を用いたモデルで構築されている。EBを計測した際の電位の変動は、フィルターによるノイズ低減処理(前処理)を経て周波数パワー値に変換され、当該周波数パワー値は、周波数で除したPower Density Spectrum(PSD)値に変換される(特徴量変換)。このように、周波数パワー値やPSDといった周波数情報に変換することによって、特定の周波数における変化量をデジタルバイオマーカーとして扱うことができる。
【0027】
痒みや痛みの状態の異なる個体グループの間において、周波数における変化量の違いを定量比較するためには、、データの単位に依存せず、標準化された効果の程度を表す指標である「効果量」(effect size)と呼ばれる指標でグループ間の特徴量の差を計量化し出力する。効果量は感覚量を定量化するには好ましい概念である。
【0028】
本手法で得られた特徴量で、痒みや痛みの予測を行うことも可能である。予測モデル構築時には、時間不変の特徴を抽出するConvolutional Neural Network(CNN:畳み込みネットワーク)用いた特徴ネットワークとBidirectional long short-term memory(BidLSTM)を用いたシーケンスネットワークで構成されている(非特許文献5、非特許文献6)。
【0029】
痛みと痒みに係る評価薬剤は、薬理学的作用が確立している薬剤を標準薬として用いた。刺激剤は抗マラリア薬として臨床で使用されているクロロキン(マウス投与量100μg/kg、50μL s.c./site)で、マウス後根神経節MrgprA3受容体を介して痛みと痒みの両方を誘導することが知られている(非特許文献7)。抑制剤の鎮痛薬は神経因性疼痛治療薬として臨床で使用されているプレガバリン(マウス投与量10mg/kg、50μL s.c./site)を用い、抑制剤の止痒薬は難治性そう痒症治療薬として臨床で使用されているナルフラフィン(マウス投与量10μg/kg、50μL s.c./site)を用いた。これら3つの薬剤はいずれもヒトにおける臨床で効果が検証されているため、本試験における標準薬として扱うことができる。
【0030】
痛みと痒みを誘発する刺激剤と、鎮痛作用と止痒作用をもつ抑制剤を組み合わせて用いて解析を行い、EBの中から特徴的な信号を抽出することにより、痛み及び/又は痒みのバイオマーカーとして同定することが可能となった。各薬剤は、各投与条件で1群4匹のマウス背部体側部の皮下に投与し、投与後10分間、頭部EBと背部EBをそれぞれ観測した。頭部EBは脳波を含む中枢系のEBを計測し、背部EBは薬剤投与部位に近い筋電位や皮下の細胞の興奮電位を直接計測する意味がある。
【0031】
[データ解析]
接触型電極で計測した単一チャンネルの波形データを高速フーリエ変換(fast Fourier transform)し、横軸に周波数(Hz)、縦軸に信号パワー(μV)で表した。AI解析では、各投与条件における薬剤投与前後の周波数スペクトルの違いを確認した。薬剤投与前後において、1分間のデータを基準値として抽出し、10秒毎にスペクトルを抽出し平均化処理を行うこと(エポック)で投与前後のデータを取得した。
【0032】
本試験では周波数帯域0~60HzのEBを観測したが、この周波数帯域は、脳波ではδ波(delta,1~4Hz、徐波)、θ波(theta,4~7Hz、徐波)、α波(alpha,8~13Hz)、β波(beta,15~30Hz、速波)、γ波(gamma,30~80Hz)に分類され、特にδ波からβ波の帯域(0~30Hz)が広く精神神経系病態の分析に用いられている。本発明の予備試験で、無刺激剤である生理食塩水を投与した場合には、マウス個体差によると思われるEBの信号が0~30Hzで変則的に観測された。このため、定型的な脳波領域に拘ることなく、共通な特徴量を抽出すべきことから、個体差の大きな0~30Hzは解析対象とせずに、30Hz以上の高周波数帯域を対象とすることにした。したがって、一般的な脳波解析(EEG)の低周波帯域と心電波形解析(ECG)が排除された形の30~60Hzの周波数帯の包括的EBで評価することが本発明の特徴でもある。
【0033】
[信号パワー値の統計的有意差検定]
統計解析は、対照薬剤と評価薬剤の2群間の比較を観測周波数10Hz帯域ごとに実施し、信号パワー値についてWilcoxonの順位和検定の符号順位検定で行った。その結果、表1にまとめたように、条件1~3の評価薬剤単剤では、各周波数帯域で有意差は認められなかったが(EBに有意な影響を与えなかった)、条件5のプレガバリンの投与後にクロロキンを投与した場合に、背部EBの30~40Hz(ハッチ部分)の信号パワー値に統計的有意差(p<0.05)が認められた。これは、薬剤投与部位とEB観測部位が近い背部の部位でクロロキンの薬理作用(痛み誘導)にプレガバリンの薬理作用(鎮痛)が大きく影響を与えたことを示唆しており、30~40Hzの周波数帯域がバイオマーカーとして、プレガバリンの鎮痛作用が可視化できたものと考えられる。
【0034】
【表1】
【0035】
[効果量(Cohen’s d)による判定]
効果量は、データの差、影響、相関、連関といった「効果」の比較する指標で、大きく分けると「d族」と「r族」があり、d族の効果量は差の大きさを表し、d族の効果量には「Cohenのd」と「Hedgesのg」がある。効果量は、データの差、影響、相関、連関といった「効果」を比較する指標である。効果量は、相関の強さを表すr、差の大きさを表すdなどを指標にすることができるが、本試験では、生物学的反応の効果量(effect size)を判定するために、Cohen’s dの効果量による判定を行った。Cohen’s dの効果量による判定は、データの単位に依存せず、標準化された効果の程度を表す指標で、サンプルサイズによって変化しない標準化された指標であるから、本試験のようにマウスに個体差があり、サンプルデータの中の平均値が異なる場合の解析には適している。平均値が異なっても標準偏差が異なると効果に差異があるとされ、下式で示される。
【式1】
【0036】
【0037】
算出される数値は標準偏差を単位として平均値がどれだけ離れているか(正の効果、負の効果)を表し、以下のように、絶対値ではdが0.80を超えると「大きな効果」と解釈される。
【0038】
d=0.01 → 非常に小さな効果量
d=0.20 → 小さな効果量
d=0.50 → 中程度の効果量
d=0.80 → 大きな効果量
d=1.20 → 非常に大きな効果量
d=2.00 → 極めて大きな(huge)効果量
【0039】
Cohen’s dの効果量の判定結果を表2にまとめた。効果量が大きいと判定された絶対値d=0.80を超えた条件をハッチ部分で示した。痛み及び痒みの刺激剤のクロロキン(条件3)は単剤で一貫して正の効果(痛み及び痒みの誘発の反映)を示しており、刺激を生体に与えていることが示唆される。それに対して抑制剤の止痒薬ナルフラフィンを前投与(条件4)すると、クロロキンがもたらす正の効果が反転して併用効果は負の効果で表現された。同様に抑制剤である鎮痛薬プレガバリンを前投与(条件5)すると、クロロキンの正の効果が併用効果では負の効果量に反転していることが示された。これらの結果は、クロロキンの痒み誘発がナルフラフィンの止痒作用によって抑制されたこと、またクロロキンの痛み誘発がプレガバリンの鎮痛作用によって抑制されたことを反映していると解釈できる。これらのクロロキンが誘発する感覚刺激に対する鎮痛薬と止痒薬の抑制効果は、30~60Hzの周波数帯で観測された。特に条件5の30~40Hz周波数帯での抑制効果は、EB信号パワー値の統計的有意差が認められた条件と一致しており、その効果量も大きかった。これらの結果は、EBにおける30~60Hzの周波数帯がバイオマーカーとして利用できることを示唆している。
【0040】
効果量による評価法では、痒みや痛みが生じている病態に治療薬(抑制剤)を投与した場合の薬理効果もEBの効果量によって可視化できる。この評価のための実験的作業仮説は、以下の3点である。
【0041】
(1)クロロキンは、痛みと痒みの誘発作用があり、細胞に対して興奮系に働き、電気生理学上で高周波数帯といわれる30Hz以上で正の効果量を導く。
(2)鎮痛作用のあるプレガバリン(抑制剤)の投与後にクロロキンを投与すると、クロロキンの痛み誘導は抑制され、負の効果量を導く。
(3)止痒作用のあるナルフラフィン(抑制剤)の投与後にクロロキンを投与すると、クロロキンの痒み誘導は抑制され、負の効果量を導く。
【0042】
試験の結果を表2に示す。クロロキンは刺激剤で本来は正の効果量を示すが、止痒薬のナルフラフィンを前投与してある場合、または鎮痛薬のプレガバリンを前投与してある場合には、クロロキンを投与しても抑制剤による併用効果で負の効果量に反転し、結果として抑制効果が強く表現され、作業仮説に一致する結果が得られた。
【0043】
この作業仮説と表2の実施例の結果を合わせて図示すると、図3及び図4となる。すなわち、図3は単剤の効果を示しており、「痛みと痒みの誘発作用を有する刺激剤のクロロキンは、細胞に興奮を与え、正の効果量の傾向をもち、抑制剤として鎮痛作用をもつプレガバリンと止痒作用をもつナルフラフィンは、細胞の興奮を抑えるので、負の効果量の傾向をもつ」という作業仮説に対して、頭部EBでも背部EBでも仮説を支持する傾向が見られた。
【0044】
図4は、刺激剤と抑制剤の併用効果を見たものであるが、「鎮痛薬プレガバリンまたは止痒薬ナルフラフィンを前投与して、その後にクロロキンを投与すると、クロロキンの正の効果量は抑制され、抑制剤の併用時の効果量は負の方にシフトする」という作業仮説に対して、頭部EBでも背部EBでも仮説を支持する結果が得られた。
【0045】
【表2】
図3の単剤の効果量も、図4の併用時の効果量も、EBの周波数帯は30~60Hzで同様の変化が観察されたが、40~50Hzで特に大きな変動を示しており、これらの領域がEBの痛みと痒みのバイオマーカーとなり得る領域と考えられた。
【0046】
さらに、同一薬剤条件でも、頭部EBと背部EBで効果量が異なる場合は、部位特異的な応答と考えることができる。このことは、生体表皮の異なる部位に複数の接触型電極を装着し、痛みや痒み、あるいは痺れや感覚鈍麻などの感覚量の異常を部位別に比較して、感覚量異常部位の特定につなげることができることを示している。本発明では、複数の部位から同時にEBを計測できることも特徴で、従来、たとえばVAS評価では、痛みや痒みの部位を別途申告することが行われてきたが、この作業を同時に処理することを可能とする。
【0047】
[効果量の1Hzごとの解析]
上記の通り、Cohen’s dの効果量による判定が、高い検出力をもつことが分かったことから、1Hz刻みで、PSD値(パワー値)を積分し、効果量の最も大きな周波数を調べた。その結果、頭部EBでは54Hzと56Hz、背部EBでは45Hzと56Hzが抽出された(表3)。したがって、EBの周波数帯は30~60Hzのなかでも、40~60Hzに絞ってバイオマーカーを設定することも好ましい。ここで注目すべきは、周波数56Hzで頭部EBと背部EBに共通傾向があったことで、頭部EBと背部EBにおける細胞の興奮周波数が同期していることが示唆される(同じ刺激には生体は同じ反応の周波数で応答すると想定される)。
【0048】
これによって、56Hzの周波数は痛みと痒みのバイオマーカーとなる可能性が示されたが、止痒薬ナルフラフィンとの併用時にクロロキンの正の効果量から負の効果量への転換程度が大きいことから、56Hzの周波数は痒みの方に鋭敏なバイオマーカーとしての利用の可能性が期待できる。
【0049】
【表3】
【0050】
[病態の有無による薬物の応答性]
本発明は、痒みと痛みに係るEBのバイオマーカーの同定とその利用であり、患者の病態把握、薬物感受性評価と患者選択にも利用できる。本発明のバイオマーカーを用いれば、痛みと痒みの症状把握を客観的に行うことができ、コミュニケーションが取れない患者(乳幼児、小児、認知症患者など)の症状把握にも有用である。
【0051】
一方、医薬品は薬効を持つと同時に程度の差はあれ、副作用も併せ持つ。副作用を最小限にして、治療効果を引き出す条件を見つけることや、そもそも治療効果が得られない患者には投薬しないという選択が必要である。こうした医薬品の選択と投与タイミング、患者と病態の選択という医薬品の適正使用に係る管理は医療現場で常に求められている。痛みや痒みなどの感覚異常に対する適切なバイオマーカーがあれば、医薬品の適正使用の実現のために利用することができる。
【0052】
本試験で用いた標準薬の添付文書によれば、プレガバリン(商品名:リリカ)では有効率は30%程度で副作用である浮動性めまいと傾眠の発生率が30%程度と報告され、止痒薬のナルフラフィン(商品名:レミッチ)では有効率は70%程度で不眠症の副作用発生率が15%程度と報告されている。このように、薬物応答性は患者により異なるので、無症状時や初回投与時の薬物応答性と痛みや痒みの発生時の薬物応答性を本発明のバイオマーカーで調べることにより、患者個々人の薬物応答性が可視化できる。
【0053】
図4には、マウスにおけるプレガバリンとナルフラフィンの頭部EBと背部EBで計測された応答性を示した。単剤投与は無症状で投与した状態を反映し、併用時は有症状時(クロロキンによる痛み及び痒みの誘発時)の応答性を効果量で示してある。図4に示すように、無症状時(単剤投与時)にはプレガバリンもナルフラフィンも、50~60Hz周波数帯でd>0.8の正の効果量を示し、何らかの薬理作用を発揮することが示されており、これらは副作用につながる反応である可能性も示唆される。クロロキンで痛みと痒みの刺激を与えた有症状時(併用投与時)には、30~60Hzの周波数帯域で治療効果につながる負の効果量が示されている。このように、無症状時と有症状時の薬物応答性を本発明のバイオマーカーによって調べることにより、患者個々人の薬物応答性を知ることができ、治療薬の選択、投薬タイミングの設定、臨床試験における患者層の選択などに利用することができる。この手法は、副作用回避と医薬品の適正使用に大きく貢献するものである。
【0054】
[対象となる薬剤と適応症]
本発明によって、痛みと痒みのバイオマーカーは、EBを計測時に30~60Hzの周波数帯域で特定されることが示された。従来、痛みまたは痒みの指標が生体電位の周波数帯域または特定周波数で示された報告は見当たらず、本発明によって初めて開発された指標である。
【0055】
このバイオマーカーは、頭部EBと背部EBで共通して観察されたことから、中枢性の反応と末梢性の反応の両方に利用することが可能で、本バイオマーカーの計測で正の効果量で大きい場合に治療薬を処置する判断に利用できる。
【0056】
痛みや痒みは当事者しか感知できず、患者の訴えによって、医師が治療薬を処方することになるため、投薬の判断が患者の主観的な訴えに依存している状況になり、薬物依存や過剰投与、無用な投与につながる危険性があるが、本バイオマーカーを利用すれば、客観的な指標によって、適正な治療薬の処方の要否が判断できる。
【0057】
また、本発明によるバイオマーカーは、治療薬の選択にも利用できる。臨床上は、神経因性に作用する薬剤を適用する際の判断に特に有用で、具体的には、電位依存性カルシウムチャネル阻害薬、アデノシン受容体拮抗薬、κオピオイド受容体作動薬、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)などで、たとえば、プレガバリン、ナルフラフィン、ジフェリケファリン、デュロキセチンから選ばれる、少なくとも1種類の薬剤が挙げられる。
【0058】
本バイオマーカーを適用し得る疾患は、痒みまたは痛みを生じる病態や感覚異常を生じる病態であれば疾患を問わないが、神経因性疼痛、線維筋痛症、中枢性神経障害性疼痛、多発性硬化症、自己免疫疾患、がん、糖尿病神経障害などが対象となる。
【0059】
さらに、部位別のEB計測によって効果量を調べることができるので、治療薬によって末梢組織に起こる副作用である、抗がん薬投与時の手足のしびれ、痒み、感覚異常、手足症候群などのモニタリングに利用するのも有用である。
【0060】
以上、本発明の実施形態によれば、以下の効果を奏することができる。従来技術では、痒みや痛みという感覚的症状の計量化と可視化は難しく、実用化技術は見当たらず、痛みや痒みの治療技術を開発しようとする場合、痛み刺激に対する逃避行動や痒みに対する掻破行動などの行動薬理学的な間接的評価に頼らざるを得ない状況にあった。本発明によるバイオマーカーは、表皮下の細胞における痒みや痛みの刺激に対する生体の直接的な反応であるEBの変動を、生体表皮上で接触型電極で捉えて、統計手法または機械学習手法によって効果量を算出することによって、痛みや痒みの感覚量を計量化し、可視化するものである。これによって、痛みと痒みの治療技術と治療薬の開発、化学物質の痛みの及び痒み誘発作用の評価に広く利用できる技術を提供する。
図1
図2
図3
図4
図5