(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024033738
(43)【公開日】2024-03-13
(54)【発明の名称】データ解析装置、データ解析方法、プログラムおよび記録媒体
(51)【国際特許分類】
G01N 23/2252 20180101AFI20240306BHJP
G01N 23/2251 20180101ALI20240306BHJP
【FI】
G01N23/2252
G01N23/2251
【審査請求】未請求
【請求項の数】20
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022137515
(22)【出願日】2022-08-31
(71)【出願人】
【識別番号】000002130
【氏名又は名称】住友電気工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001195
【氏名又は名称】弁理士法人深見特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】星名 豊
【テーマコード(参考)】
2G001
【Fターム(参考)】
2G001AA03
2G001BA05
2G001BA11
2G001BA15
2G001CA01
2G001CA03
2G001DA09
2G001FA29
2G001GA08
2G001KA01
2G001KA11
2G001MA05
2G001MA10
(57)【要約】
【課題】表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価するための技術を提供する。
【解決手段】電子線の入射によって試料から生じた特性X線に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するデータ解析装置であって、特性X線を測定する測定装置から、特性X線の強度の測定値を表わす応答信号を受け付ける入力部と、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用い、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化することによって、試料の深さプロファイルを解析する解析部とを備え、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、解析部は、偏差二乗和の最小化において、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算する。
【選択図】
図5
【特許請求の範囲】
【請求項1】
電子線の入射によって試料から生じた特性X線に基づいて、前記試料の深さプロファイルを解析するデータ解析装置であって、
前記特性X線を測定する測定装置から、前記特性X線の強度の測定値を表わす応答信号を受け付ける入力部と、
前記試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの前記応答信号の理論値を用い、前記応答信号の前記理論値と前記応答信号の前記測定値との間の偏差二乗和を最小化することによって、前記試料の前記深さプロファイルを解析する解析部とを備え、
前記応答信号の理論値は、前記特性X線の発生量の前記試料における深さ分布を表現する発生関数と、前記試料の内部での前記特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、
前記解析部は、前記偏差二乗和の最小化において、前記試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、前記相対濃度を計算する、データ解析装置。
【請求項2】
前記正則化条件は、前記積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の二乗和が最小になるという条件を含む、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項3】
前記正則化条件は、前記化学種に関する電荷中性条件を含む、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項4】
前記正則化条件は、前記試料の各層において前記化学種どうしが互いに混じりあって存在するときに値が大きくなる関数を最小化させるという条件を含む、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項5】
前記正則化条件は、前記積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の絶対値和が最小になるという条件を含む、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項6】
前記解析部は、前記測定装置に関するパラメータである装置定数を前記応答信号の前記理論値に乗じた値と、前記応答信号の測定値との間の前記偏差二乗和が最小となるように、前記装置定数を最適化する、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項7】
前記解析部は、前記装置定数を固定して前記相対濃度を最適化する第1の演算と、前記相対濃度を固定して前記装置定数を最適化する第2の演算とを交互に繰り返して、前記第1の演算および前記第2の演算の結果が収束したときの前記相対濃度により、前記深さプロファイルを求める、請求項6に記載のデータ解析装置。
【請求項8】
前記解析部は、前記理論値の導出において、前記発生関数および前記特性X線の減衰を表現する前記関数に補正関数を組み合わせることが可能なように構成され、前記補正関数は、前記電子線のエネルギーが前記試料内で減衰して前記試料のある深さにおいて0に達することを表現する関数である、請求項1に記載のデータ解析装置。
【請求項9】
前記解析部は、前記電子線が前記試料の表面上で二次元走査されたときに前記測定装置から得られる前記応答信号に基づいて、前記試料の前記表面の各点における前記深さプロファイルを解析して、前記試料の前記深さプロファイルの解析結果を三次元空間における化学種分布として表示するための表示処理を実行可能なように構成される、請求項1から請求項8のいずれか1項に記載のデータ解析装置。
【請求項10】
電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、
前記測定値に基づいて、前記試料の深さプロファイルを解析するステップとを備え、前記解析するステップは、
前記試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、前記応答信号の前記理論値と前記応答信号の前記測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、
前記応答信号の理論値は、前記特性X線の発生量の前記試料における深さ分布を表現する発生関数と、前記試料の内部での前記特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、
前記偏差二乗和を最小化するステップは、前記試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、前記相対濃度を計算するステップを含む、データ解析方法。
【請求項11】
前記正則化条件は、前記積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の二乗和が最小になるという条件を含む、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項12】
前記正則化条件は、前記化学種に関する電荷中性条件を含む、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項13】
前記正則化条件は、前記試料の各層において前記化学種どうしが互いに混じりあって存在するときに値が大きくなる関数を最小化させるという条件を含む、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項14】
前記正則化条件は、前記積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の絶対値和が最小になるという条件を含む、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項15】
前記偏差二乗和を最小化するステップは、
前記測定装置に関するパラメータである装置定数を前記応答信号の前記理論値に乗じた値と、前記応答信号の測定値との間の前記偏差二乗和が最小となるように、前記装置定数を最適化するステップを含む、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項16】
前記偏差二乗和を最小化するステップは、
前記装置定数を固定して前記相対濃度を最適化する第1の演算と、前記相対濃度を固定して前記装置定数を最適化する第2の演算とを、前記第1の演算および前記第2の演算の結果が収束するまで交互に繰り返すステップと、
前記第1の演算および前記第2の演算の結果が収束したときの前記相対濃度により、前記深さプロファイルを求めるステップとを含む、請求項15に記載のデータ解析方法。
【請求項17】
前記理論値は、前記発生関数および前記特性X線の減衰を表現する前記関数に補正関数を組み合わせることによって導出され、前記補正関数は、前記電子線のエネルギーが前記試料内で減衰して前記試料のある深さにおいて0に達することを表現する関数である、請求項10に記載のデータ解析方法。
【請求項18】
前記受け付けるステップは、前記電子線が前記試料の表面上で二次元走査されたときに前記測定装置から得られる前記応答信号を受け付けるステップであり、
前記解析するステップは、前記試料の前記表面の各点における前記深さプロファイルを解析するステップであり、
前記データ解析方法は、
前記試料の前記深さプロファイルの解析結果を三次元空間における化学種分布として表示するための表示処理を実行するステップをさらに備える、請求項10から請求項17のいずれか1項に記載のデータ解析方法。
【請求項19】
コンピュータに、
電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、
前記測定値に基づいて、前記試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させ、前記解析するステップは、
前記試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、前記応答信号の前記理論値と前記応答信号の前記測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、
前記応答信号の理論値は、前記特性X線の発生量の前記試料における深さ分布を表現する発生関数と、前記試料の内部での前記特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、
前記偏差二乗和を最小化するステップは、前記試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、前記相対濃度を計算するステップを含む、プログラム。
【請求項20】
コンピュータに、
電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、
前記測定値に基づいて、前記試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させ、前記解析するステップは、
前記試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、前記応答信号の前記理論値と前記応答信号の前記測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、
前記応答信号の理論値は、前記特性X線の発生量の前記試料における深さ分布を表現する発生関数と、前記試料の内部での前記特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、
前記偏差二乗和を最小化するステップは、前記試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、前記相対濃度を計算するステップを含む、プログラムを記録した記録媒体。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、データ解析装置、データ解析方法、プログラムおよび記録媒体に関する。
【背景技術】
【0002】
様々な製品の特性や不具合を議論するにあたり、試料表面近傍の状態を知ることが極めて重要となる場面は多い。特に、試料を構成する化学種が深さ方向にどのように分布しているかという「深さプロファイル」の評価がよく行われる。
【0003】
深さプロファイルを評価する最も代表的な方法は断面観察および断面分析である。例えばscanning transmission electron microscopy (STEM)/energy dispersive X-ray spectroscopy (EDX)分析は、ナノメートルオーダーの薄膜多層構造などを知る重要なツールとして用いられている。他にも、x-ray photoelectron spectroscopy (XPS)などの表面分析と、イオンスパッタとを併用することによって、深さプロファイルを評価することができる。したがって表面分析とイオンスパッタとを組み合わせた手法が標準的な手法としてよく用いられる。
【0004】
これらSTEM/EDX分析あるいはXPS分析等の方法は、高い信頼性をもって確立されているものの、いずれも破壊分析である。したがって、スパッタあるいは薄片化加工にともなって試料の状態が変化することにより、試料本来の正しい姿に関する情報が得られないというリスクがある。さらに、上記の手法は、入手困難な市場での事故品、あるいは量産ラインでの出来栄え検査用試料など、破壊したくない試料にはそもそも適用できない。このため、非破壊での深さプロファイル評価に対するニーズは多い。
【0005】
種々の機器分析のなかで表面分析に分類されるXPS分析およびX-ray fluorescence (XRF) Analysis(蛍光X線分析)において、非破壊深さプロファイル評価が長年行われてきた。この分野ではXRFが最も歴史が長く、試料から発生した蛍光X線の強度比から、多層薄膜各層の厚みを推定することが、各社市販のXRF装置により、標準的に可能となっている。評価できる厚みは、材料によって大きく変わるものの、典型的には、数十nm~数μm程度である。これらXRFによる非破壊評価は、プロファイル評価というよりはむしろ、試料の積層構造を事前に規定し、その厚みだけを未知として厚みを推定するものである。
【0006】
既知構造の厚みのみを変数とする解析ではなく「深さプロファイル」そのものを評価する取り組みは、近年XPS分析でよく行われるようになった。具体的には試料と検出器の相対角度を変えるangle-resolved XPS (ARXPS)により、測定の情報深さを変えた測定を行い、そのデータから数学的手続きによって深さプロファイルを推定している。ARXPSデータ解析では、最大エントロピー法(Maximum Entropy Method, MEM)がよく用いられており、分析機関がこの方法による商業的な深さプロファイル評価サービスを提供している。たとえば、非特許文献1(「同時角度分解光電子分光分析法による薄膜の評価」、株式会社住化分析センター Technical News TN413)は、金(Au)基板上に形成されたフッ素系アルカンチオールの自己組織化膜(Self-Assembled Monolayer, SAM)の深さプロファイルを、MEMを適用したシミュレーション計算によって解析したことを報告する。
【0007】
MEMによる深さプロファイルの解析では、初期値の設定が最終結果に大きく影響するため、ほぼ正解に近い初期プロファイルが必要である。このため、未知の深さプロファイルを有する試料には、MEMの適用は困難である。近年、別の手法として、最大平滑性法(maximum smoothness method(MSM))が開発された。MSMを用いることにより、初期プロファイルの仮定が難しい試料に対しても、非破壊で深さプロファイルの評価が可能である(たとえば非特許文献2(Yutaka Hoshina, Kazuya Tokuda and Yoshihiro Saito, "Non-destructive initial-profile-free depth profile evaluation of thin-film sample using angle-resolved X-ray photoelectron spectroscopy and profile smoothing regularization" 2021年9月17日発行、Jpn. J. Appl. Phys. 60 101003)を参照)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】「同時角度分解光電子分光分析法による薄膜の評価」、株式会社住化分析センター Technical News TN413、[online]、[2022年7月1日検索]、インターネット<https://www.scas.co.jp/technical-informations/technical-news/pdf/tn413.pdf>
【非特許文献2】Yutaka Hoshina, Kazuya Tokuda and Yoshihiro Saito, "Non-destructive initial-profile-free depth profile evaluation of thin-film sample using angle-resolved X-ray photoelectron spectroscopy and profile smoothing regularization" 2021年9月17日発行、Jpn. J. Appl. Phys. 60 101003
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
上記の非特許文献2では、薄膜サンプルに対するARXPS分析のデータにMSMが適用されることが報告されている。一方、装置の普及の観点で見た場合、XPSよりも、scanning electron microscopy(SEM)観察に付属した、加速電圧を自由に変えることのできる表面からのEDXあるいは electron probe micro analyzer (EPMA)分析のほうが、より広く普及しているといえる。
【0010】
SEM/EDX分析装置は、全ての分析機器の中で最も普及が進んでいるものの一つであり、分析を専門としない機関、職場にも多く保有されている。加えてEDXでは、プローブが電子ビームであることから、プローブがX線ビームであるXPSやXRFには困難な、1μm角程度の微小領域を狙った評価が可能である。よってSEM/EDX分析を用いた非破壊の深さプロファイル評価が可能となれば、研究および産業応用において極めて有用であると考えられる。
【0011】
したがって、本開示の目的は、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価するための技術を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本開示のデータ解析装置は、電子線の入射によって試料から生じた特性X線に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するデータ解析装置であって、特性X線を測定する測定装置から、特性X線の強度の測定値を表わす応答信号を受け付ける入力部と、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用い、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化することによって、試料の深さプロファイルを解析する解析部とを備え、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、解析部は、偏差二乗和の最小化において、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算する。
【0013】
本開示のデータ解析方法は、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを備え、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【0014】
本開示のプログラムは、コンピュータに、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させ、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【0015】
本開示の記録媒体は、コンピュータに、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させるプログラムを記録した記録媒体であり、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【発明の効果】
【0016】
本開示によれば、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価することができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【
図1】
図1は、本開示の形態に係るEDX-MSMに用いる試料モデルを示す模式図である。
【
図2】
図2は、電子ビームが試料内のある深さにおいて完全停止するように発生関数のモデルを補正した例を示す図である。
【
図3】
図3は、本開示の実施の形態に係る分析装置を含む分析システムを示した図である。
【
図4】
図4は、本開示の実施の形態に係るデータ解析装置のハードウェア構成例を示すブロック図である。
【
図5】
図5は、
図4に示したデータ解析装置30の機能ブロックの一例を示す図である。
【
図6】
図6は、
図5に示したデータ解析装置30によって実行される深さプロファイルの解析方法の全体の流れを説明したフローチャートである。
【
図7】
図7は、
図5に示したデータ解析装置30によって実行される深さプロファイルの解析の具体的な処理の流れを説明したフローチャートである。
【
図8】
図8は、例1に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。
【
図9】
図9は、EDX-MSM解析に用いた例1の試料に対して断面STEM観察を行った結果を示す図である。
【
図10】
図10は、例2の試料の表面SEM観察像を示す図である。
【
図11】
図11は、例2に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。
【
図12】
図12は、EDX-MSM解析に用いた例2の試料に対して断面STEM観察を行った結果を示す図である。
【
図13】
図13は、例3に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。
【
図14】
図14は、EDX分析の箇所と同じ箇所での試料の断面STEM観察の結果を示す図である。
【
図15】
図15は、例2に従う試料のEDX-MSM解析における、スパース化処理の効果を説明する第1の図である。
【
図16】
図16は、例2に従う試料のEDX-MSM解析における、スパース化処理の効果を説明する第2の図である。
【
図17】
図17は、スパース化処理の別の例による深さプロファイルの解析結果を示した図である。
【
図18】
図18は、EDXマッピングデータの例を示す図である。
【
図19】
図19は、三次元空間における化学種の分布の断面像を表示させる箇所を示す図である。
【
図20】
図20は、三次元空間における化学種の分布の断面像の例を示す図である。
【
図21】
図21は、三次元空間における化学種の分布を三次元で表示した例を示した図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
[本開示の実施形態の説明]
最初に本開示の実施態様を列記して説明する。
【0019】
(1) 本開示の一実施態様に係るデータ解析装置は、電子線の入射によって試料から生じた特性X線に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するデータ解析装置であって、特性X線を測定する測定装置から、特性X線の強度の測定値を表わす応答信号を受け付ける入力部と、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用い、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化することによって、試料の深さプロファイルを解析する解析部とを備え、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、解析部は、偏差二乗和の最小化において、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算する。
【0020】
この構成によれば、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価することができる。深さプロファイルを実験データに整合させるため、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化する。ただし、最小化問題に対して無数の解の候補が存在するため、正則化条件を課す。偏差二乗和の最小化において、正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算することにより、一般常識あるいは事前知識等に沿う、より尤もらしい深さプロファイルを得ることができる。
【0021】
(2) 上記(1)の構成において、正則化条件は、積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における相対濃度の差の二乗和が最小になるという条件を含む。
【0022】
この構成によれば、正則化条件は、試料の化学種の相対濃度が積層体の複数の層の間で滑らかに変化するという条件に相当する。これにより、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0023】
(3) 上記(1)の構成において、正則化条件は、化学種に関する電荷中性条件を含む。
【0024】
この構成によれば、正則化条件は、化学種に関する比率を拘束することに相当する。試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。たとえば、現実には存在しえない物質が深さプロファイルに現れることを避けることができる。
【0025】
(4) 上記(1)に記載の構成において、正則化条件は、試料の各層において化学種どうしが互いに混じりあって存在するときに値が大きくなる関数を最小化させるという条件を含む。
【0026】
この構成によれば、試料の各層において化学種の混じり合いが少ないことが予め分かっている場合に、化学種が各層でなるべく単独で存在するようにプロファイルを推定することができる。したがって、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0027】
(5) 上記(1)の構成において、正則化条件は、前記積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の絶対値和が最小になるという条件を含む。
【0028】
この構成によれば、化学種の相対濃度の深さ方向の変化が急峻となる深さプロファイルを得ることができる。たとえば、試料の詳細な組成は不明なものの、層の数が予め分かっているような場合において、より妥当と思われる層の組成および厚みを推定することが可能となる。
【0029】
(6) 上記(1)から(5)のいずれかに記載の構成において、解析部は、測定装置に関するパラメータである装置定数を応答信号の理論値に乗じた値と、応答信号の測定値との間の偏差二乗和が最小となるように、装置定数を最適化する。
【0030】
この構成によれば、偏差二乗和の最小化に装置定数が導入される。装置定数を最適化することによって、応答信号の理論値の絶対値を測定値に近づけることができる。したがって、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0031】
(7) 上記(6)の構成において、解析部は、装置定数を固定して相対濃度を最適化する第1の演算と、相対濃度を固定して装置定数を最適化する第2の演算とを交互に繰り返して、第1の演算および第2の演算の結果が収束したときの相対濃度により、深さプロファイルを求める。
【0032】
第1の演算と第2の演算とを同時に最適化する場合、深さプロファイルの解析は凸2次計画問題の範疇を超えるため、初期値の仮定が必要な問題になる。この構成によれば、第1の演算と第2の演算とを交互に実行することにより、第1の演算を凸2次計画問題の範疇内に収めることができる。一方、第2の演算は、単純な四則演算となる。したがって、深さプロファイルの解析において、正確な初期値の仮定を不要とすることができる。
【0033】
(8) 上記(1)から(7)のいずれかに記載の構成において、解析部は、理論値の導出において、発生関数および特性X線の減衰を表現する関数に補正関数を組み合わせることが可能なように構成され、補正関数は、電子線のエネルギーが試料内で減衰して試料のある深さにおいて0に達することを表現する関数である。
【0034】
試料に入射した電子ビームは、試料内で徐々にエネルギーを失っていき、試料内のある深さにおいて完全停止する。この構成によれば、試料に入射した電子ビームのエネルギーの減衰を表現する補正関数を、発生関数および特性X線の減衰を表現する関数に組み合わせて、応答信号の理論値を算出する。これにより、膜厚の絶対値が不定となるという問題を回避することができるので、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0035】
(9) 上記(1)から(8)のいずれかに記載の構成において、解析部は、電子線が試料の表面上で二次元走査されたときに測定装置から得られる応答信号に基づいて、試料の表面の各点における深さプロファイルを解析して、試料の深さプロファイルの解析結果を三次元空間における化学種分布として表示するための表示処理を実行可能なように構成される。
【0036】
この構成によれば、推定した深さプロファイルをEDX表面マッピングデータに適用することにより、非破壊で、3次元空間における化学種分析が可能となる。その分析結果を三次元空間における化学種分布として表示することにより、各種製品の開発、不良解析などの様々な場面において、より有益な情報を提供することができる。
【0037】
(10) 本開示の一実施態様に係るデータ解析方法は、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを備え、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【0038】
この構成によれば、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価することができる。
【0039】
(11) 上記(10)の構成において、正則化条件は、積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における相対濃度の差の二乗和が最小になるという条件を含む。
【0040】
この構成によれば、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0041】
(12) 上記(10)の構成において、正則化条件は、化学種に関する電荷中性条件を含む。
【0042】
この構成によれば、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0043】
(13) 上記(10)に記載の構成において、正則化条件は、試料の各層において化学種どうしが互いに混じりあって存在するときに値が大きくなる関数を最小化させるという条件を含む。
【0044】
この構成によれば、試料の各層において化学種の混じり合いが少ないことが予め分かっている場合に、化学種が各層でなるべく単独で存在するようにプロファイルを推定することができる。したがって、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0045】
(14) 上記(10)に記載の構成において、正則化条件は、積層体におけるすべての化学種およびすべての層について、隣り合う層の間における前記相対濃度の差の絶対値和が最小になるという条件を含む。
【0046】
この構成によれば、化学種の相対濃度の深さ方向の変化が急峻となる深さプロファイルを得ることができる。たとえば、試料の詳細な組成は不明なものの、層の数が予め分かっているような場合において、より妥当と思われる層の組成および厚みを推定することが可能となる。
【0047】
(15) 上記(10)から(14)のいずれかに記載の構成において、偏差二乗和を最小化するステップは、測定装置に関するパラメータである装置定数を応答信号の理論値に乗じた値と、応答信号の測定値との間の偏差二乗和が最小となるように、装置定数を最適化するステップを含む。
【0048】
この構成によれば、装置定数を最適化することによって、応答信号の理論値の絶対値を測定値に近づけることができる。したがって、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0049】
(16) 上記(15)に記載の構成において、偏差二乗和を最小化するステップは、装置定数を固定して相対濃度を最適化する第1の演算と、相対濃度を固定して装置定数を最適化する第2の演算とを、第1の演算および第2の演算の結果が収束するまで交互に繰り返すステップと、第1の演算および第2の演算の結果が収束したときの相対濃度により、深さプロファイルを求めるステップとを含む。
【0050】
この構成によれば、第1の演算と第2の演算とを交互に実行することにより、第1の演算を凸2次計画問題の範疇内に収めることができる。一方、第2の演算は、単純な四則演算となる。したがって、深さプロファイルの解析において、正確な初期値を不要とすることができる。
【0051】
(17) 上記(10)から(16)のいずれかに記載の構成において、理論値は、発生関数および特性X線の減衰を表現する関数に補正関数を組み合わせることによって導出され、補正関数は、電子線のエネルギーが試料内で減衰して試料のある深さにおいて0に達することを表現する関数である。
【0052】
この構成によれば、試料に入射した電子ビームのエネルギーの減衰を表現する補正関数を、発生関数および特性X線の減衰を表現する関数に組み合わせて、応答信号の理論値を算出する。これにより、膜厚の絶対値が不定となるという問題を回避することができるので、試料の深さプロファイルについて、より尤もらしい解析結果を得ることができる。
【0053】
(18) 上記(10)から(17)のいずれかに記載の構成において、受け付けるステップは、電子線が試料の表面上で二次元走査されたときに測定装置から得られる応答信号を受け付けるステップであり、解析するステップは、試料の表面の各点における深さプロファイルを解析するステップであり、データ解析方法は、試料の深さプロファイルの解析結果を三次元空間における化学種分布として表示するための表示処理を実行するステップをさらに備える。
【0054】
この構成によれば、推定した深さプロファイルをEDX表面マッピングデータに適用することにより、非破壊で、3次元空間における化学種分析が可能となる。その分析結果を三次元空間における化学種分布として表示することにより、各種製品の開発、不良解析などの様々な場面において、より有益な情報を提供することができる。
【0055】
(19) 本開示の一実施態様に係るプログラムは、コンピュータに、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させ、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【0056】
この構成によれば、コンピュータは、プログラムを実行することにより、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価することができる。
【0057】
(20) 本開示の一実施態様に係る記憶媒体は、コンピュータに、電子線の入射によって試料から生じた特性X線の強度の測定値を、測定装置から受け付けるステップと、測定値に基づいて、試料の深さプロファイルを解析するステップとを実行させるプログラムを記録した記録媒体であり、解析するステップは、試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、応答信号の理論値は、特性X線の発生量の試料における深さ分布を表現する発生関数と、試料の内部での特性X線の減衰を表現する関数とに基づいて導出される値であり、偏差二乗和を最小化するステップは、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含む。
【0058】
この構成によれば、コンピュータが、表面からのEDX分析のデータを用いて、非破壊で、かつ初期プロファイルの仮定を不要として試料の深さプロファイルを評価するためのプログラムを提供することができる。
【0059】
[本開示の実施形態の詳細]
以下、本開示の実施の形態について図面を用いて説明する。なお、図中同一または相当部分には同一符号を付してその説明は繰り返さない。
【0060】
まず、EDX表面分析のデータを用いた非破壊深さプロファイル評価について、具体的な手法を説明する。
【0061】
EDXは、試料への電子線照射によって試料から発生する特性X線を検出し、その特性X線をエネルギーで分光することによって、元素分析や組成分析を行う手法である。ARXPSの場合、分析器(アナライザ)に対する試料の傾斜角度を変えることによって、試料の検出深さを変化させる。これに対してEDXは、試料に入射する電子線の加速エネルギーを変えることによって、試料の検出深さを変化させる。
【0062】
ARXPSとEDXとは、何らかのプローブを試料に入射させて試料の深さに応じた応答信号を検出するという点、および、測定装置側の制御によって分析の情報深さを変えることができるという点で共通する。したがって、以下に説明する実施の形態では、ARXPS用に開発されたMSM解析(非特許文献2を参照)をEDX分析に応用する。
【0063】
以下では、MSMの理解のために、ARXPS分析データのMSM解析について説明することがある。したがって、ARXPS分析データのMSM解析を「ARXPS-MSM」と表記し、本開示の実施の形態に係るEDX分析データのMSM解析を「EDX-MSM」と表記することによって両者を区別する。
【0064】
<1.EDX分析に関する試料および物理現象のモデリング>
EDX分析データから非破壊深さプロファイル評価を行うためには、EDX分析に関わる物理現象自体を、なるべく簡便な関数でモデリングする必要がある。モデリングする関数が複雑であるほど、理論式による現象の再現性、すなわち理論上の推定精度が上がることが期待できる。しかしその一方、理論式を複雑にするほど、それらを用いたプロファイル推定計算が複雑になるため、実用性に乏しくなるリスクがある。EDX-MSMではARXPS-MSMと同様に、試料をきわめて薄い多数の層からなる多層積層膜として扱う。
【0065】
図1は、本開示の形態に係るEDX-MSMに用いる試料モデルを示す模式図である。
図1に示すように、EDX-MSMでは、試料を、K個の薄い層の積み重ねであるとみなす。各層の厚みをtとする。
【0066】
対象とする化学種の数をIとし、k番目の層における化学種i(iは、化学種のラベルを示し、1≦i≦Iである)の相対濃度をcikと表わす。各層において、化学種iの相対濃度cikの総和は1である(Σicik=1)。
【0067】
EDX-MSMでは、試料内における特性X線の振る舞いを扱う。X線の振る舞いを扱う際には、試料の厚みとして、単純な厚みよりも「質量厚み」を用いるほうが便利である。以下、EDX-MSMにおいては、すべて質量厚みを用いることとし、そのことを明記するために、以下では、厚みをすべて「ρz」と表記する。なお、質量厚みのままでは、実際の厚みに対応しないため、他手法との比較議論が行いにくい。したがって、本開示の実施の形態では、EDX-MSM解析終了後に、質量厚みが単純な厚みに変換される。質量厚みから単純な厚みへの具体的な変換方法は後述する。
【0068】
図1に示すように、加速電圧j(jは加速電圧の水準を示し、1≦j≦Jである)で試料に入射した電子ビームは、試料内で減衰しながら、その場所にある化学種に応じた特性X線を次々に励起する。電子ビームの減衰の度合いは、電子ビームの加速電圧jに大きく依存する。試料内で発生した特性X線は、試料内を減衰しながら試料表面に向かい、試料表面から角度θで出射されて、検出器(
図1に示さず)によって検出される。角度θは「取り出し角度」を表わす。
【0069】
<2.電子ビームの入射から特性X線の発生までの過程のモデリング>
EDX分析は試料に電子ビームを照射し、発生した特性X線を観測するものである。EDX-MSM解析では、試料に照射された電子ビームが試料内で減衰しながら特性X線を励起する過程と、発生した特性X線が試料内を減衰しながら試料表面に到達する過程とを考慮する。なお、試料内の電子ビームにより励起された特性X線の発生量の深さ方向分布を表わす関数は、一般に「発生関数」と呼ばれる。
【0070】
発生関数は、実際には極めて複雑である。しかし、発生関数を、ガウスモデル、指数関数と電子の平均行路との積、四辺形モデル、放物線および指数モデルなどの簡単な解析式で近似したいろいろなモデルが提案されている。また、近年では蛍光の効果も取り込んだ、より詳細なモデルも提案されている。本開示の実施の形態では、一例として、Philibertが導いた指数関数と電子平均行路の積モデル(J. Philibert, in X-Ray Optics and X-Ray Microanalysis, p. 379 - 392, ed. H. H. Patee, V. E. Cosslett and A. Engstrom, Academic Press, New York, 1963)を一部修正したものを、発生関数として採用する。Philibertが導いたモデルは、比較的歴史が長いだけでなく、比較的単純な式で表わされるため扱いやすいモデルである。ただし、全ての物質について精度のよい単純な解析式モデルは存在せず、上記に示した種々のモデルは状況あるいは目的に応じて一長一短である。以下に示すモデル式は、あくまで本実施形態の一例として示したものであることに留意されたい。解析の場面でのさまざまな状況に応じて、他の発生関数のモデルを用いてもよい。
【0071】
Philibertのモデルによると、水準jの加速電圧の電子ビームを試料に照射した際、k番目の層(質量深さρzk)で発生する化学種iの特性X線の発生関数は以下の式(1)で表される。
【0072】
【0073】
式(1)中のωiは対象信号の蛍光収率であり、その化学種がイオン化したときに特性X線がどれだけ放出されやすいかを表わす指標である。RsurfおよびRinfはそれぞれ、試料表面近傍および完全拡散深さにおいて、電子ビームが平均的に垂直からどれだけ遠回りするかを表わす指標である。以下の説明では、Philibertの文献にならい、Rsurf=1、Rinf=2とする。式(1)におけるQi,σj,kjは、以下の式(2)~(4)で表される。
【0074】
【0075】
【0076】
【0077】
式(2)におけるECiは、対象の特性X線を励起するのに最低限必要な電子ビームのエネルギー(単位:keV)を表わす。式(3)および式(4)におけるE0jは、電子ビームの加速電圧(単位:kV)を表わす。式(2)におけるU0(=E0j/ECi)は過電圧比と呼ばれ、ECiに対して加速電圧E0jがどれだけ比率として余裕があるかを表わす指標である。式(4)において、Zは試料の平均原子番号を表わし、Aは試料の平均原子量を表わす。
【0078】
本開示の実施の形態では、式(1)のモデルをベースにして、EDX-MSM解析用に、以下の2段階の修正を施す。
【0079】
(i)電子ビームの減衰
1段階目の修正は、電子ビームの減衰に関する取扱いである。式(1)の大カッコ内の式(=Rinf-(Rinf-Rsurf)exp(-kjρzk))は、発生関数が、試料最表面よりもわずかに深い位置においてピークを示すことを表している。exp(-kjρzk)が十分小さくなるような長い距離レンジにおける電子ビームの減衰を考える際は、式(1)の大カッコ内を、ほぼ定数であるとみなすことができる。つまり、式(1)において、十分長い距離における電子ビームの減衰を表すのは、exp(-σjρzk)の項である。
【0080】
上記の点を考慮すると、式(1)のモデルは、電子ビームが試料最表面から指数関数に従って減衰して、無限遠まで非ゼロの強度をもつことを表わす。実際には、試料に入射した電子ビームは、試料内で徐々にエネルギーを失っていき、試料内のある深さにおいて完全停止する。しかし式(1)のモデルでは、そのことが考慮されていない。
【0081】
EDX-MSM解析では、試料の厚み方向の組成依存を直接的に考慮する。したがって、この点は、重要な問題の1つである。例えば化学種A/化学種B/化学種C(基板)という積層構造の解析において、発生関数として、電子ビームが単純な指数関数により減衰し、無限遠まで非ゼロの強度を保つというモデルを用いた場合、同じ化学種A、化学種B、化学種CのEDX信号強度比を実現するA層、B層の厚みの組が、事実上無限通り存在することになる。これは特性X線が試料の無限の深さ領域から検出器まで飛来することを想定することになるため、A層を、ある厚みから厚くしても、B層をA層の厚みの変化に応じて厚くしていけば同じ強度比となる厚みが必ずどこかに存在するからである。このことは、MSM解析において、膜厚の絶対値が不定となるという問題を発生させる。
【0082】
そこで本実施の形態では、式(1)に対して、電子ビームが試料内のある深さにおいて完全停止する(発生する特性X線の強度がゼロになる)ということを盛り込む。式(1)のRinfは電子ビームの完全拡散深さにおける振る舞いに対応するため、式(1)の大カッコ内がほとんどRinfとみなせるようになる深さが、まさに完全拡散深さである、と考える。そして試料内の電子ビームはその完全深さの倍の深さで完全停止する、と考える。これを表現するため、式(1)に以下の式(5)に従うFCSj(ρzk)を乗じる。なお、関数FCSj(ρzk)は、試料内の電子ビームの現実の振る舞いに近づけるように発生関数を補正する補正関数に相当する。
【0083】
【0084】
式(5)は、kjρzkがpとなる深さを完全拡散深さと捉え、それより浅い領域では1(補正なし)、pから2pになる領域で滑らかに1から0に向かって減衰し、2p以上の深さではゼロとなることを表現している。式(5)のpの値は「その深さを完全拡散深さとみなす」ことに相当するものであり、本来の意図からすると1以上の値とすべきである。しかし正確なpの値を理論的に定めることは難しい。本発明者の経験では、無機物の場合はp=3、有機物の場合はp=2とすることによりEDX-MSM解析結果が実態に合いやすいということが得られた。EDX-MSM解析の本来の目的である「未知試料の層構造の概要を知る」という目的に対しては、p=3とすれば、実用上十分である。
【0085】
なお、式(5)は、あくまで、試料内部での電子ビームの完全停止を簡易的に表現する1つの例であることに留意されたい。試料内の適切な深さにおいて電子ビームが滑らかにゼロに減衰することを表わす関数であれば、その関数を補正関数として用いることができる。また、前述の発生関数モデルの中には、このゼロへの減衰を取り込んだモデルも存在しており、そのようなモデルを用いた場合には補正項の考慮は不要である。
【0086】
図2は、電子ビームが試料内のある深さにおいて完全停止するように発生関数のモデルを補正した例を示す図である。式(1)で表わされる関数を発生関数とし、純シリコン(Si)の試料に加速電圧20kVの電子ビームを照射した場合を想定した。
図2(A)は、式(1)からc
izω
iQ
iを除いた部分の、質量厚みに対する変化を表わす。
図2(B)は、式(5)に従う補正関数の、質量厚みに対する変化を表わす。
図2(C)は、式(1)と式(5)との積(ただし式(1)からc
izω
iQ
iを除いている)の、質量厚みに対する変化を表わす。
【0087】
図2(A)に示されるように、式(1)のままでは、発生関数は無限遠まで非ゼロの値をもつ。式(5)で表わされる補正関数を式(1)に乗じることによって、質量厚み0.0006[g/cm2]程度で、補正した発生関数の値がゼロになる。シリコンの密度(2.3g/cm
2)を考慮すると、質量厚み0.0006[g/cm
2]は、2.6μm程度の厚みに相当する。つまり上記モデルでは、20kVの加速電圧において、シリコンの特性X線は最大2.6μm程度の厚みまで発生することになる。実際には、試料内部で発生した特性X線は、減衰しながら試料表面まで到達するため、EDX信号へ実質的に寄与する情報深さは、2.6μmよりも浅くなる。
【0088】
(ii)発生関数の深さ方向の依存性
2段階目の修正は、発生関数の深さ方向の依存性である。式(1)は、もともと深さ方向に一様な試料を想定したものである。したがって、EDX-MSM解析が想定するような、深さ方向に組成の異なる試料には、そのままの形では対応していない。
【0089】
本開示の実施の形態では、式(1)が、EDX-MSMの解析モデルとして扱う薄い層(
図1を参照)の各々の内部では厳密に成立すると仮定する。この仮定に基づき、以下に示す手順を経ることによって、深さ方向の依存性を考慮した発生関数を得ることができる。
【0090】
(手順1) 試料最表面の層での発生関数の値として、式(1)をそのまま適用する。すなわちφij(0)=cizωiQiRsurfである。
【0091】
(手順2) 2層目以降の発生関数の値を計算するために、まず、式(4)に従い、その層における局所的なkjの値を計算する。なお、式(4)における平均原子番号Zおよび平均原子量Aの値には、その層における化学種の相対濃度に基づく重みづけによって算出された、平均の化学種番号および平均の原子量を用いる。
【0092】
(手順3) 手順2で得られた局所的なkj値を用いて、kjρzkの、試料表面からの累積値を更新する。
【0093】
(手順4) 手順3で得られたkjρzkの累積値を用いて、式(1)のkjρzkにおける値と、kj(ρzk-t)における値との比を求める。
【0094】
(手順5) 前回のφij(ρzk-1)の値に、手順4で求めた比を乗じて、その深さにおけるφij(ρzk)とする。
【0095】
(手順6) kjρzkの累積値に応じて、手順5で得られた上記φij(ρzk)の値に式(5)に従う補正を行う。
【0096】
以上の2段階の修正を式(1)に施すことにより、元の式(1)に比べて、試料の厚み方向に組成が変化する試料における電子ビームの減衰(発生関数)をより正しく表現できる。
【0097】
<3.発生した特性X線の減衰モデリング>
試料内で発生した特性X線は、試料内を減衰しながら検出器に到達する。k番目の層において化学種iにより発生した特性X線が試料表面に達するまでに減衰する度合いは、以下の式(6)によって表される。
【0098】
【0099】
式(6)によって表わされるように、k番目の層で発生した化学種iの特性X線は、k番目の層よりも表面側にある各層(第(k-1)層、…、第2層、第1層)で減衰する。式(6)において、(μ/ρ)i1、(μ/ρ)i2、・・・(μ/ρ)ik-1は、それぞれ、第1層、第2層、・・・第(k-1)層における化学種iの質量吸収係数を表わす。各層における質量吸収係数(μ/ρ)ikの決定方法については後述する。式(6)中のtは、各層の質量厚みであり、θは、特性X線の取り出し角度である。通常、EDXでは、検出器と試料との間の相対角度が固定されているため、角度θは、装置の構成に応じて定まる。
【0100】
実際のEDX分析では、全K個の層から発生した信号の合計が観測される。式(1)、(5)、(6)をまとめると、EDX測定データと試料の深さプロファイルとの関係は、式(7)のような、行列とベクトルとの関係で表すことができる。
【0101】
【0102】
式(7)の右辺のベクトルcは(I×K)行のベクトルであり、全化学種および全層の深さプロファイルを一列に並べたものである。具体的には、ベクトルcは式(8)のように表せる。
【0103】
【0104】
式(7)の左辺のdは、(I×J)行のベクトルであり、式(7)の右辺のプロファイルをもつ試料をEDX分析したときに得られる測定値の理論値である。理論値dは、具体的には式(9)のように表すことができる。
【0105】
【0106】
理論値dの成分d’
ijは、化学種i、電子ビームの加速電圧jのときの特性X線の測定強度を表わす(
図1を参照)。式(9)はEDX分析の理論値として扱われるが、以下では、式(9)と同様な形式で、EDX分析の実測データとする。理論値との区別のため、EDX分析の実測データをdと表わす。
【0107】
式(7)右辺の行列Sは(I×J)行(I×K)列の行列であり、深さプロファイルとEDX理論値を結びつけている。具体的には、行列Sは、式(10)のように表される。なお、以下では(I×J)を「IJ」と表記し、(I×K)を「IK」と表記する。
【0108】
【0109】
行列S内の係数rjは、式(1)、(5)、(6)には現れないが、相対濃度を簡便に扱うために設けられたパラメータである。なお、ARXPS-MSMでは、jはARXPS分析における取り出し角度の指標であるが、EDX-MSMではjを加速電圧の指標として用いる。式(10)の行列成分sjk
(i)は以下の式(11)により表される。
【0110】
【0111】
式(11)におけるFCSjは式(5)に示した、試料内での電子ビームの完全停止を表現する補正項である。式(11)は、式(1)の発生関数および式(6)の関数の積に、補正項を乗じた式である。なお、式(11)はあくまで、特性X線の測定値についての概念的な表示である。実際の計算では、式(11)に単純に各パラメータを代入するのではなく、発生関数について、上記の手順(1)~(6)に従う遂次計算を行う。
【0112】
<4.正則化条件の適用>
本開示の実施の形態では、IK個の相対濃度cikを変数として偏差二乗和を最小化することにより、測定データを最もよく再現する深さプロファイルを得ることができる。しかしながら、このケースにおける偏差二乗和の最小化は、数学的に極めて不安定であるという課題がある。
【0113】
EDX分析で得られた測定データから、IK個の相対濃度cikを推定することは、いわゆる逆問題(inverse problem)に該当する。アダマール(Jacques Salomon Hadamard)によれば、一般に提起された問題が適切(well posed)であるとは、(1)解の存在性、(2)解の一意性、および(3)解の連続性あるいは安定性の3つの要件がすべて満足されていることを表す。これらの要件のうちの1つでも失われている問題は、非適切な問題(ill-posed)に該当する。
【0114】
実際の測定データと理論値との間の偏差二乗和を最小化する場合、無数の解の候補が存在する。解が一意に決まらないことは、アダマールの意味で「非適切な問題」に該当する。測定データを最もよく再現する深さプロファイルを得るためには、無数の解の候補の中から1つの解を選ぶための制約が必要となる。
【0115】
図1に示された系に対しては、ある程度妥当な考え方(言い換えると「一般常識」)が存在する。この「一般常識」は、無数の解の候補の中から1つの解を選ぶための制約であり、非適切な問題を解くための正則化条件に相当する。
【0116】
本実施の形態では、偏差二乗和の最小化において、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように相対濃度を計算する。EDX-MSM解析において、最適化(最小化)対象とする関数は、以下の式(12)のように表すことができる。
【0117】
【0118】
式(12)の最初の2項はEDX測定データと、深さプロファイルから予期されるEDX理論値との偏差二乗和である。深さプロファイルを推定する際には、理論値が実験データに整合することが常に要請されるので、この2項が式(12)には常に存在する。式(12)に含まれる関数ψが、正規化条件を表わす項であり、EDX測定データとEDX理論値との偏差二乗和だけでは定まらない、深さプロファイルに要請される「一般常識」あるいは「事前知識」を表現する関数である。
【0119】
以下に、本実施の形態における正則化条件のいくつかの例を説明する。なお、正則化条件は、以下に説明するもの以外の関数であってもよい。本実施の形態では、「一般常識」あるいは「事前知識」等に対応した多様な関数を「正則化項」として用いることができる。これにより、関数の形に応じた様々な要請が深さプロファイルに対してなされることになる。したがって、測定データに整合し、かつ各種一般常識にも整合する深さプロファイルを得ることができる。
【0120】
<5.正則化条件の例>
(5.1 最大平滑化条件)
正則化条件となりうる条件のうちの1つは、「隣り合う2つの層の間での相対濃度の偏差二乗和が最小である」という条件である。本明細書では、この条件を「最大平滑化条件」と呼ぶ。最大平滑化条件は、以下の式(13)で表される。ここでQsは、式(14)で表されるIK行IK列の行列である。
【0121】
【0122】
【0123】
隣り合う2つの層の間での相対濃度の差の二乗和が小さいことは、層の間での相対濃度の変化が滑らかであることを意味する。すなわち、最大平滑化条件とは、「各化学種について、深さプロファイルが滑らかである」という正則化条件である。したがって、最大平滑化条件は、MSMの本質的な部分であると言える。
【0124】
MSMは、MEMの弱点である「初期値の入力が必要」という課題を克服する手法である。特に注目すべきは、MSMは、深さプロファイルの決定を大域最適解が得られる凸2次計画問題に落とし込むことによって、初期プロファイルの必要性を徹底的に排除しているという点である。
【0125】
行列QSは「系の凹凸具合」の計算に対応しており、cTQScを最小化することによって、滑らかなプロファイルが得られる。cTQScの前にかけられた係数λSは、プロファイルの滑らかさをどのくらい重視するかのハイパーパラメータである。λSを大きくすると滑らかなプロファイルが得られる一方、λSを小さくすると深さ方向に激しく変動するプロファイルが得られる。
【0126】
(5.2 電荷中性条件)
正則化条件として、以下に説明する「電荷中性条件」を適用してもよい。
【0127】
式(15)で表される量の最小化を考える。式(15)において、eiは、化学種iの存在比率を拘束する定数を表す。
【0128】
【0129】
ここでQENは以下の式(16)で表されるIK行IK列の行列である。また、式(16)内のEは、K行K列の単位行列である。
【0130】
【0131】
たとえば試料中に化学種i′と化学種i″とが1:3の割合で存在することが一般常識から妥当である場合、式(15)では、ei′=3、ei″=-1とし、他のeiを0とする。なお、ei′およびei″の符号は上記した符号と逆であってもよい。つまり、この場合の式(15)は、K個の層のすべてにおいて、化学種i′と化学種i″との濃度比が1:3からずれることに対するペナルティを課していることを意味する。
【0132】
式(12)の正則化項に、式(13)および式(15)の和を適用すると、式(12)を式(17)のように表現することができる。
【0133】
【0134】
MSMでは、式(17)をベクトルcを変数として最小化する。cTQCNcを最小化することにより、化学種同士の存在比率が縛られたプロファイルを得ることができる。cTQCNcの前にかけられた係数λCNは、化学種同士の比率をどのくらい縛るかのハイパーパラメータである。λCNを大きくすると比率を厳密に指定通りに縛ったプロファイルが得られる一方、λCNを小さくすると化学種同士の存在比率がそれほど縛られないプロファイルが得られる。
【0135】
これらのパラメータλsおよびλCNに依存して、得られる解の滑らかさおよび電荷中性の度合いが変化する。絶対的な正解はないので、尤もらしい解が得られるようにパラメータが調整される。後述する事例では、全てλS=1と固定している。また、後述の事例において、電荷中性縛りを課す場合には、全てλCN=1と固定している。
【0136】
なお、上記の説明では、電荷中性条件は、最大平滑化条件とともに、正則化条件として用いられている。しかし、電荷中性条件が最大平滑化条件に付随する条件であると限定する必要はない。電荷中性条件を、最大平滑性条件でない他の正則化条件とともに用いてもよい。
【0137】
(5.3 スパース化条件)
ARXPS-MSM解析およびEDX-MSM解析では、滑らかな深さプロファイルを出力する傾向がある。このこと自体は一般常識の点から妥当であるといえる。その一方で、EDX-MSM解析では、解が滑らかになりすぎることによる、化学種同士の混ざり合いがしばしば問題となりえる。
【0138】
例えば、分析した試料が実際には化学種Aの層/化学種Bの層/化学種Cの層、という明確な3層構造を有するにもかかわらず、EDX-MSMの解析結果では、最表面から最深部にわたって化学種A、化学種B、化学種Cが均一に混ざりあって分布しているようなプロファイルが得られることがある。多くの場合、推定するプロファイルは、スパース、つまり化学種同士が(前述の式(17)のQCNで存在比率を縛るもの以外)なるべく単独で存在していることが望ましい。
【0139】
このような課題を解決するため、本実施の形態では、正則化条件として、スパース化条件を適用してもよい。スパースな解を得るためには、一般的には「L1ノルム正則化」がよく用いられる。しかし、本実施の形態における推定パラメータcikには、「化学種に関する相対濃度の和が1」などの制約条件があるため、一般的なL1ノルム正則化を適用できない。そこで本発明者は、以下に示す簡易スパース化処理を開発した。簡易スパース化処理では、以下の式(18)を最小化する。
【0140】
【0141】
式(18)の第1項および第3項は、それぞれ、実測データと理論値との間の偏差二乗和、および、電荷中性縛りを表しており、もとのEDX-MSM解析の式(17)にも含まれている。したがって、式(18)の第2項と第4項とが、簡易スパース化処理のための新たな要素である。式(18)の第2項のcik
(0)は、あらかじめ実施したEDX-MSM解析で出力された、深さプロファイルを表す。この第2項により、もとのEDX-MSM解析結果の近傍だけで最適な(スパースな)解を探すことになる。
【0142】
第2項のパラメータλLは、解をEDX-MSM結果近傍にどれだけ強く縛るかを指定するパラメータである。なお、後述する事例では、全てλL=1と固定している。式(18)を行列で表現すると、以下の式(19)となる。
【0143】
【0144】
式(19)において、EはIK行IK列の単位行列を表わす。c(0)はIK行ベクトルであり、以下の式(20)で表されるような、EDX-MSM出力結果のプロファイルを表わす。
【0145】
【0146】
スパース化に本質的な働きをするのは式(18)の第4項である。したがって、式(18)の第4項および式(19)から、簡易スパース化処理において本質の「スパースであること」を示す正則化項を、以下の式(21)のように表わすことができる。
【0147】
【0148】
同様に、式(19)から、簡易スパース化処理において「元の解に近い」ことを示す正則化項を、以下の式(22)のように表わすことができる。
【0149】
【0150】
対象とする相対濃度cikは、化学種ごとの相対濃度の和が1、という性質を持つため、その化学種ごとの二乗和について次の式(23)が成り立つ。
【0151】
【0152】
式(23)の第2項のシグマの中身は非負であることから、式(23)の左辺の最大値は1である。式(23)の最大値が1であるのは、相対濃度cikのうち1つだけが1であり、それ以外がゼロであるときに成り立つ。つまり式(21)を最小化することは、式(23)の値を最大化することに相当するので、スパースな解が得られやすくなる。
【0153】
式(21)におけるパラメータλSPは、スパースさをどれだけ強く求めるかを指定するパラメータである。なお、式(18)の第4項によって、もとの2次計画法の2次の係数が差し引かれるため、パラメータλSPの大きさには制限がある。パラメータλSPを大きくしすぎると、もとの2次計画法のいずれかの2次の係数がゼロあるいはマイナスとなるため、2次計画法の解が極めて不安定になる。本開示の実施の形態における一例では、以下の方法を用いてパラメータλSPを決定する。
【0154】
式(19)において、そのスパース化項を除いたときの2次の係数に相当する行列STS+λLE+λCNQCNの対角成分のうちの最小値を探す。その最小値に、適切な係数(ただし1より小さい)を乗じた値を、パラメータλSPの値とする。係数の値は、たとえば0.9であるが、このように限定されない。このようにパラメータλSPを決定することにより、解の安定性を保ちながら、スパースな解を得ることができる。EDX-MSM解析では、相対濃度cikに関して、各層における化学種ごとの相対濃度の和が1、という制約があることを利用して、上記のように、もとのEDX-MSM解析と同じ2次計画法の範疇でスパースな解を得ることが可能となる。
【0155】
なお、上述した関数のすべてを正則化条件として適用する必要はなく、正則化条件として適用する関数は、任意に選択可能である。また、上述の関数は単独で用いられてもよく、他の関数と組み合わされてもよい。
【0156】
後述の事例では、すべて簡易スパース化処理を施している。このため、特に区別しない限り、以下では、この簡易スパース化処理を含めた全工程を便宜上「EDX-MSM解析」と呼ぶことにする。
【0157】
<6.相対濃度を簡便に扱う方法>
一般に、EDX分析において信号強度の絶対値および化学種の絶対濃度を扱うことは困難である。このため、信号強度および化学種の濃度ともに相対値のみを扱うことが一般的である。したがって、式(12)の計算において、EDX信号強度の理論値d’と実験データとを比較する際には、理論値d’を相対値に変換する必要がある。
【0158】
式(7)より、理論値d’は相対濃度cに対して線形である。しかし、理論値d’を相対値に変換するために、d’の各成分をd’の成分合計値で割って得られる値は、相対濃度cに対して非線形である。したがって式(17)の最適化問題が凸2次計画問題の範疇を超える。
【0159】
この問題を解決するために、MSMでは、式(10)に表わされるように、定数rjを用いる。定数rjは、装置の絶対感度などの未知の要素が反映された「装置定数」とみなすことができる。つまり、定数rjは、相対濃度cから仮想的に絶対信号強度の理論値d’を求めるためのパラメータとみなすことができる。当然ながら定数rjの値は未知であるが、式(17)の最小化と並行して定数rjの値を最適化することができる。なお、ARXPS-MSMの場合には、定数rjは角度jごとに別個の値である。これに対してEDX-MSMの場合、定数rjは加速電圧jごとに別個の値となる。
【0160】
解析のある時点において定数rjの暫定値が得られているとする。定数rjのそれぞれに別個の定数rj’を乗じて、それぞれの定数rjを「更新」することを考える。定数rjの更新のポリシーは明確であり、式(12)を最小化する。このことは装置定数rjを最適化することによって、実験データにもっとも近い理論値を導出することを意味する。
【0161】
式(10)に表わされる行列Sの部分行列S(i)を以下の式(24)により表わす。
【0162】
【0163】
各定数rjは、実験値および理論値の加速電圧j成分のみに寄与する。したがって、式(12)を、偏差二乗和をrj’で偏微分した結果が0であるとする。これにより、式(25)で表わされる更新式を得ることができる。
【0164】
【0165】
なお、相対濃度cと定数rjとを同時に最適化することは、凸2次計画法の範疇を超えて、初期値の仮定が必要な問題になる。しかしMSMでは式(17)の最適化と式(25)の更新とを交互に実施する。式(17)の最適化は凸2次計画問題であり、式(25)の更新は単純な四則演算である。したがって、深さプロファイルの構築は、初期値の仮定が不要な問題になる。
【0166】
<7.深さごとの質量吸収係数の補正>
ARXPS-MSM解析においては、試料内における光電子の減衰を司る非弾性平均自由行程λの値を計算ループ毎に更新する。EDX-MSM解析では、ARXPS-MSM解析における非弾性平均自由行程と同じ役割に相当するのは質量吸収係数(=μ/ρ)である。式(6)に含まれる質量吸収係数は、試料の深さ方向における組成に依存するので、組成の値に応じて質量吸収係数の値を修正する必要がある。EDX-MSM解析においては、深さプロファイルが更新されるたび、各層において以下の式(26)を計算することにより、質量吸収係数を更新する。
【0167】
【0168】
式(26)の右辺の(μ/ρ)ii’は、化学種iの特性X線の、化学種i’の純物質中における質量吸収係数である。(μ/ρ)ii’に化学種i’の相対質量濃度ci’k
(w)を重みとしてかけたものを、すべてのi’について足し合わせることにより、化学種iの特性X線のk層における質量吸収係数を求めることができる。なお相対質量濃度は相対濃度ci’kと化学種の原子量から計算する。
【0169】
<8.深さごとの密度計算>
EDX-MSM解析およびその後のスパース化処理が完了した後、最終結果を出力する際、「質量厚み」のままではその後の評価がしにくいため「厚み」に変換する必要がある。質量厚み(ρzk)から厚み(zk)への変換は、それぞれの深さにおける密度ρkの値を用い、以下の式(27)に従って実行される。
【0170】
【0171】
式(27)におけるρkの値は、前述のMSM解析およびスパース化処理の結果得られた深さプロファイル、つまり深さごとの化学種の相対濃度を用いて算出される。ただし、物質の密度は、物質の種類により様々であり、化学種の相対濃度だけでは決めることができない。したがって、次に述べるような方法でρkの値を決定する。
【0172】
まず、事前に、M種類(Mは複数)の、物性が既知の参照物質(例えば半導体(たとえばシリコン(Si))、金属(たとえば金(Au))などの、物性パラメータの文献値が存在する物質群)を選定しておく。参照物質mの密度をρrmとし、密度ρrmをI種類の化学種で表現したときのi番目の化学種の相対濃度をcrimとする。最終的に得られた深さプロファイルcikを、以下の式(28)のように、M種類の参照物質の和で近似する。
【0173】
【0174】
式(28)におけるamkは、その深さにおける化学種の相対濃度を参照物質の和で近似するときの係数である。式(28)の近似誤差を最小化するような係数amkを、例えば、EDX-MSM解析と同じ2次計画法を用いて決定することができる。決定した係数amkの組を用いて以下の式(29)を計算することにより、各深さにおける密度が定められる。
【0175】
【0176】
<9.EDX-MSM解析の全体フローの例>
本実施の形態の一例において、試料内のある1点(あるいはある広い領域内の平均)に関するEDX表面分析データから、その点における深さプロファイルを推定するステップは、以下の通りである。なお、以下の例では、正則化条件として、最大平滑化条件、電荷中性条件、および、スパース化条件が適用される。
【0177】
(1) 加速電圧を複数水準とったEDX表面分析データを取得する。
(2) 考慮する化学種(EDX信号)全てについて、質量吸収係数および蛍光収率、式(16)の電荷中性縛りの条件、式(27)に用いる参照物質を選択する。質量吸収係数および蛍光収率の各々として、既知の値を用いることができる。後述の事例では、質量吸収係数には、K. F. J. Heinrich, Proc. ICXOM Vol. 11 (J. D. Brown, R. H. Packwood, eds.), p67 (1986)に記載された値を用い、蛍光収率には、W. Bambynek, B. Crasemann, R. W. Fink, H. -U. Freund, H. Mark, C. D. Swift, R. E. Price, and P. V. Rao, Rev. Mod. Phys. Vol. 44, 716 (1972)に記載された値を用いている。
【0178】
(3) 式(17)のパラメータλS,λCNおよび式(18)のパラメータλL,λSPを決定する。なお、後述する事例では、λS,λCN,λLはすべて1と固定した。λSPは、上述の手順の通り、式(19)からスパース化項を除いたときの2次の係数に相当する行列STS++λLE+λCNQCNの対角成分のうちの最小値を探して、その最小値の0.9倍の値に固定した。
【0179】
(4) 求める深さプロファイルの初期値として、全深さにおいてcik=1/Iと設定する。各深さにおける質量吸収係数は、全化学種についての平均とする。
【0180】
(5) 式(10)の装置定数rjをすべて1と設定し、式(25)で表わされる更新式にしたがって装置定数rjを更新する。
【0181】
(6) 式(17)の2次計画問題を相対濃度cikについて解き、その結果を用いて、式(26)に従って各深さの質量吸収係数を更新する。その後、式(10)の装置定数rjを更新する。
【0182】
(7) 上記ステップ(6)を経たことによる相対濃度cikの変化が十分小さければ、解が収束したと判定して次のステップ(8)へと進む。相対濃度cikの変化が大きい場合には、ステップ(6)を再度実行する。
【0183】
(8) 式(18)の2次計画問題を相対濃度cikについて解き、その結果を用いて、式(26)に従って各深さの質量吸収係数を更新する。その後、式(10)の装置定数rjを更新する。なお式(18)のベクトルc(0)の成分は、上記ステップ(7)において解が収束した時点での相対濃度cikの値を用いる。
【0184】
(9) ステップ(8)を経たことによる相対濃度cikの変化が十分小さければ、解が収束したと判定して次のステップ(10)へと進む。相対濃度cikの変化が大きければ、再度ステップ(8)を実行する。
【0185】
(10) 解が収束したと判定した時点での相対濃度cikを最終結果として式(27)、(28)、(29)を用いて、各深さにおける局所的な密度を計算して、「質量厚み」を「厚み」に変換する。
【0186】
(11) 求めた相対濃度cikの値と、ステップ(10)で求めた深さ(厚み)とのペアを、最終的な解として出力する。
【0187】
EDX-MSM解析の、既存技術(たとえばMEM)と比較した際の最大の特徴は上記のステップ(4)である。従来、表面EDXデータから膜厚を推定するケースでは、すべて、層構造など、何らかの、化学種の深さ方向の分布に関する初期値を入力する。その際、ほとんど「正解に近い」構造を入力する必要があった。EDX-MSM解析では、ステップ(4)において、初期値として、相対濃度が全深さにおいて等しいという、一切、偏りのない状態からスタートすることが特徴である。これにより、層構造が未知の試料に対して、構造に関する初期値を仮定することなく解析が可能となる。
【0188】
<10.解析装置および解析方法>
本開示の実施の形態では、コンピュータが上述のステップ(1)~(11)を実行することによって、試料のEDX分析データから深さプロファイルの解析を行う。
【0189】
図3は、本開示の実施の形態に係る分析装置を含む分析システムを示した図である。分析システム10は、energy dispersive X-ray spectroscopy(EDX)装置20と、データ解析装置30とを備える。
【0190】
EDX装置20は、プローブとしての電子ビームを試料25に照射して、試料25から生じる特性X線(応答信号)の強度を測定する。なお、EDX装置20は、たとえばSEMと組み合わされていてもよい。試料25は、たとえば層構造を有する固体試料であってもよい。
【0191】
データ解析装置30は、汎用的なコンピューティングアーキテクチャに従うハードウェアによって実現される。データ解析装置30は、EDX装置20から測定データを取得する。データ解析装置30は、その測定データから、試料25の深さプロファイルを解析する。
【0192】
図4は、本開示の実施の形態に係るデータ解析装置のハードウェア構成例を示すブロック図である。データ解析装置30は、プロセッサ31と、一次記憶装置32と、二次記憶装置33と、外部機器インターフェイス34と、入力インターフェイス35と、出力インターフェイス36と、通信インターフェイス37と、バス38とを備える。プロセッサ31および一次記憶装置32等の要素は、バス38を通じてデータ、信号等を遣り取りする。
【0193】
プロセッサ31は、一次記憶装置32に格納されたプログラムやデータを処理する。一次記憶装置32は、プロセッサ31によって実行されるプログラム、および参照されるデータを格納する。ある局面において、DRAM(Dynamic Random Access Memory)が一次記憶装置32として用いられてもよい。
【0194】
二次記憶装置33は、プログラムおよびデータ等を不揮発的に記憶する。ある局面において、HDD(Hard Disk Drive)あるいはSSD(Solid State Drive)等の不揮発性メモリが二次記憶装置33として用いられてもよい。したがって、二次記憶装置33は、コンピュータによって実行されるプログラムを記録した、コンピュータ読み取り可能な記録媒体に該当する。
【0195】
外部機器インターフェイス34は、データ解析装置30に外部機器を接続する場合等に使用される。外部機器インターフェイス34は、たとえばUSB(Universal Serial Bus)インターフェイスであってもよい。
【0196】
入力インターフェイス35は、キーボード41、およびマウス42等の入力デバイスを接続するために使用される。入力インターフェイス35は、これらの入力デバイスを通じて、ユーザ操作およびユーザ入力を受け付ける。
【0197】
出力インターフェイス36は、たとえばディスプレイ43等の出力デバイスを接続するために使用される。
【0198】
通信インターフェイス37は、データ解析装置30が外部の機器と通信するために使用される。たとえば通信インターフェイス37は、ネットワークを介したデータ解析装置30の通信に用いられる。外部の機器との通信は、無線通信、有線通信のいずれでもよい。
【0199】
データ解析装置30は、オプションとして光学ドライブを有してもよい。光学ドライブは、コンピュータ読取可能なプログラムを非一過的に格納する記録媒体(たとえば、DVD(Digital Versatile Disc)などの光学記録媒体)から、その中に格納されたプログラムを読み出す。記録媒体から読み出されたプログラムは、二次記憶装置33などにインストールされてもよい。また、データ解析装置30で実行される各種プログラムは、ネットワーク上のサーバ装置などからダウンロードされてデータ解析装置30にインストールされてもよい。
【0200】
図5は、
図4に示したデータ解析装置30の機能ブロックの一例を示す図である。ある局面において、
図5に示した各ブロックは、本開示の実施の形態に係るプログラムを実行するコンピュータによって実現される。
【0201】
図5に示すように、データ解析装置30は、入力部51と、解析部52と、出力部53と、記憶部54とを備える。
【0202】
入力部51は、EDX装置20(
図3を参照)から出力された測定データを受け付ける。入力部51は、さらに試料25の深さプロファイルの解析に必要な各種の情報(たとえば材料および化学種の種類に関する情報など)を受け付ける。
【0203】
記憶部54は、試料25の深さプロファイルの解析プログラム71、解析プログラム71の実行に必要なパラメータ72などを格納する。さらに、記憶部54は、データ解析装置30に入力された測定データを記憶してもよい。
【0204】
解析部52は、入力部51に入力された測定データ、および、パラメータ72を用いて、試料25の深さプロファイルを求める。解析部52は、パラメータ決定部61と、正則化関数決定部62と、ハイパーパラメータ決定部63と、演算部64とを含む。
【0205】
パラメータ決定部61は、式(11)に含まれる質量吸収係数μ/ρ、蛍光収率ωの値、および参照物質の密度ρrm等、試料に含まれる化学種に関するパラメータ、電荷中性条件のためのパラメータeの値等を決定する。たとえば、パラメータ決定部61は、記憶部54に記憶されるパラメータ72の中から、該当のパラメータを決定する。
【0206】
正則化関数決定部62は、深さプロファイルの解析に求められる正則化条件に対応した関数を決定する。決定される正則化関数の例は<5.正則化条件の例>に記載されているので、ここでは説明を繰り返さない。なお、正則化関数として利用できる関数は、<5.正則化条件の例>に記載した関数に限定される物ではない。
【0207】
ハイパーパラメータ決定部63は、式(17)に含まれるパラメータλS、λCNの値、および式(18)に含まれるパラメータλL、λSPの値を決定する。上述の通り、λS,λCN,λLはすべて1に固定されていてもよい。あるいは、ユーザがλS,λCN,λLの各々の値を指定し、ハイパーパラメータ決定部63は、その指定された値をλS,λCN,λLの各々の値に決定してもよい。ハイパーパラメータ決定部63は、式(19)からスパース化項を除いたときの2次の係数に相当する行列STS++λLE+λCNQCNの対角成分のうちの最小値を探して、その最小値に、所定の係数(たとえば0.9)を乗じてλSPの値を決定してもよい。
【0208】
演算部64は、パラメータ決定部61、および、ハイパーパラメータ決定部63によって決定されたパラメータ値を受ける。さらに演算部64は、正則化関数決定部62によって決定された正則化関数の情報を受ける。演算部64は、たとえば上述の<9.EDX-MSM解析の全体フローの例>のステップ(6)~(10)に従う処理を実行して、全ての化学種および全ての層について、相対濃度cを算出する。これにより全ての化学種の深さプロファイルが求められる。
【0209】
出力部53は、解析部52によって求められた、試料25の深さプロファイルを解析結果として出力する。解析結果は、たとえばディスプレイ43(
図4を参照)に表示される。
【0210】
図6は、
図5に示したデータ解析装置30によって実行される深さプロファイルの解析方法の全体の流れを説明したフローチャートである。
図6に示すように、処理が開始されると、ステップS11において、入力部51は、EDX装置20から、特性X線の強度の測定値を表わす応答信号(すなわちEDX測定データ)を取得する。解析部52は、ステップS12~S17,S20の処理を実行する。ステップS12~S17の処理は任意の順序で実行されてもよい。あるいは、ステップS12~S17のうちの複数のステップの処理が同時に実行されてもよい。
【0211】
ステップS12において、パラメータ決定部61は、化学種に関するパラメータの値を決定する。化学種に関するパラメータとは、たとえば質量吸収係数μ/ρおよび蛍光収率ωの値である。質量吸収係数μ/ρおよび蛍光収率ωの値は、試料25を構成する材料に依存する。たとえば、記憶部54が、材料の種類ごとに質量吸収係数μ/ρおよび蛍光収率ωの値を定義したデータベースを記憶してもよい。パラメータ決定部61は、化学種の情報に基づいてデータベースを参照することによって、質量吸収係数μ/ρおよび蛍光収率ω等のパラメータの値を取得することができる。さらに、解析部52は、試料を構成する化学種の情報を、入力部51を通じて、ユーザから取得することができる。
【0212】
パラメータ決定部61は、たとえばユーザによって入力部51に入力された試料25の組成の情報に基づいて、式(16)に含まれるパラメータe1~eIの値および符号を決定してもよい。
【0213】
ステップS13において、正則化関数決定部62は、1つまたは複数の正則化条件を選択するとともに、その選択した正則化条件に対応した関数を決定する。たとえば正則化関数決定部62は、最大平滑化条件、電荷中性条件およびスパース化条件を正則化条件として選択するとともに、最大平滑化条件、電荷中性条件およびスパース化条件のそれぞれを表わす関数を決定する。
【0214】
ステップS14において、パラメータ決定部61は、式(25)の演算に用いる参照物質の種類を決定する。ステップS15において、ハイパーパラメータ決定部63は、式(17)のパラメータλS,λCNおよび式(18)のパラメータλL,λSPを決定する。なお、ハイパーパラメータ決定部63は、深さプロファイルの解析が終了するまで、パラメータλS,λCN,λL,λSPの値を変更しない。
【0215】
ステップS16において、演算部64は、深さプロファイル(相対濃度c
ik)の初期値を、全深さにおいてc
ik=1/Iと設定する。ステップS17において、演算部64は、装置定数の初期値を決定する。たとえばr
j=1とする。演算部64は、式(19)で表わされる更新式にしたがって装置定数r
jを更新する。ただし装置定数の初期値はランダムに決定することができる。その理由は、
図7に示したフローに従って1回目の計算ループを実行した際に、ステップS23の処理によってr
jの値の大小の影響がリセットされるためである。たとえばr
jの初期値を1でなく100にした場合には、後述するステップS23の処理において、各r
jに元の値の100分の1の比率が乗じられる。
【0216】
ステップS17において、装置定数が更新されると、ステップS20において、演算部64は、深さプロファイルを解析する。演算部64は、測定値と理論値との間の偏差二乗和を最小化すると同時に、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、化学種の相対濃度を計算する。ステップS20の処理が終了すると、全体の処理が終了する。
【0217】
図7は、
図5に示したデータ解析装置30によって実行される深さプロファイルの解析の具体的な処理の流れを説明したフローチャートである。
図7に示したフローは、
図6に示したステップS20の処理の詳細な流れに対応する。
【0218】
図7に示すように、ステップS21において、演算部64は、装置定数を固定した状態で、深さプロファイル(相対濃度c
ik)の決定を行う。ステップS21の処理は、式(17)について、ベクトルcを変数とした最小化である。したがって、演算部64は、解析対象の試料を複数の層からなる積層体にモデル化したときの応答信号の理論値を用いて、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化する。ステップS21の処理は、凸2次計画問題の解を求めることに相当する。したがって凸2次計画問題の解を求めるアルゴリズムとして知られている各種のアルゴリズムをステップS21の処理に適用することができる。
【0219】
なお、偏差二乗和の最小化において、演算部64は、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算する。たとえばEDX-MSMの場合、S21~S24の処理において、正則化条件として、最大平滑化条件および電荷中性条件が適用される。
【0220】
ステップS22において、演算部64は、式(26)に従って、試料の各深さの質量吸収係数μ/ρを更新する。ステップS23において、演算部64は、深さプロファイル(相対濃度cik)を固定した状態で、装置定数rを更新する。具体的には、演算部64は、式(25)に従って装置定数rj’を更新する。ステップS23の処理は、装置定数の最適化に相当する。
【0221】
ステップS24において、演算部64は、ステップS21の処理によって求められた2次計画問題の解が、収束したかどうかを判定する。相対濃度cikの変化が十分に小さい(たとえば、所定の閾値以下である)場合には、演算部64は、解が収束したと判定して、処理をステップS25に進める。一方、相対濃度cikの変化が大きい(所定の閾値を上回る)場合には、演算部64は、処理をステップS21に戻す。すなわち解が収束するまで、ステップS21~S23の処理が繰り返されることにより、装置定数を固定して相対濃度を最適化する第1の演算(ステップS21の処理)と、相対濃度を固定して装置定数を最適化する第2の演算(ステップS23の処理)とが交互に繰り返される。
【0222】
正則化条件としてスパース化条件が設定されている場合、演算部64は、ステップS25において簡易スパース化処理を実行する。たとえば演算部64は、式(18)の2次計画問題を相対濃度cikについて解く。ステップS26において、演算部64は、ステップS25の処理により得られた相対濃度cikを用いて、式(26)に従って各深さの質量吸収係数を更新する。ステップS27において、演算部64は、式(10)の装置定数rjを更新する。
【0223】
ステップS28において、演算部64は、ステップS25の処理によって求められた2次計画問題の解が収束したかどうかを判定する。相対濃度cikの変化が十分に小さい(たとえば、所定の閾値以下である)場合には、演算部64は、解が収束したと判定して、処理をステップS29に進める。一方、相対濃度cikの変化が大きい(所定の閾値を上回る)場合には、演算部64は、処理をステップS25に戻す。すなわち解が収束するまで、ステップS25~S27の処理が繰り返されることにより、装置定数を固定して相対濃度を最適化する第1の演算(ステップS25の処理)と、相対濃度を固定して装置定数を最適化する第2の演算(ステップS27の処理)とが交互に繰り返される。
【0224】
ステップS29において、演算部64は、相対濃度cikを最終結果として式(27)、(28)、(29)を用いて、各深さにおける局所的な密度を計算する。これにより、演算部64は、「質量厚み」を「厚み」に変換する。ステップS30において、演算部は、求めた相対濃度cikの値と、深さ(厚み)とを出力する。これにより、試料の深さプロファイルが求められる。
【0225】
なお、
図7のフローによれば、ステップS24で解が収束した後に、スパース化処理が行われている。しかし、ステップS20の処理のフロー全体をみれば、本実施の形態によるデータ解析方法は、応答信号の理論値と応答信号の測定値との間の偏差二乗和を最小化するステップを含み、試料の化学種の相対濃度に関する正則化条件を同時に満たすように、相対濃度を計算するステップを含むものであるといえる。
【0226】
<11.深さプロファイル解析の例>
上記の解析装置および解析方法を用いて、試料表面上のある1点のEDX分析データについてEDX-MSM解析を行った。以下に説明する3つの例は、試料の厚みのオーダーが異なる例である。3つの例のいずれも、EDX-MSM解析を行うための表面EDXデータおよびMSM解析結果との比較として、断面STEM観察を行った。表面EDXデータはすべて日本電子株式会社製のSEM/EDX装置(SEM:日本電子株式会社製JSM-IT200、EDX:オックスフォード・インストゥルメンツ株式会社製Xplore30)を用いて取得した。EDX-MSM解析結果との比較用である断面STEM観察はすべて、集束イオンビーム加工装置(Thermo Fisher Scientific株式会社製 Helios G4 PFIB Uxe)により薄片化を行ったのち走査型透過電子顕微鏡(日本電子株式会社製JEM-ARM300F2)により行った。
【0227】
(例1:Cr/Ni/Si積層試料)
Siウエハ上にニッケル(Ni)、クロム(Cr)を蒸着した試料を作製した。試料Aと試料BとはCr層の厚みが異なるように条件を設定した。その試料Aおよび試料Bについて、100μm角の領域を表面から複数の加速電圧でEDX分析し、特性X線の強度として、Cr L線、Ni L線、およびSi K線の強度を取得した。加速電圧およびEDX-MSM解析に用いるパラメータは以下の表1に示す通りであり、試料AおよびBに共通である。
【0228】
【0229】
図8は、例1に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。
図8(A)に、試料AのEDX-MSM解析の結果を示し、
図8(B)に、試料BのEDX-MSM解析の結果を示す。試料Aおよび試料Bの両者について、解析結果は、Cr/Ni/Siという構造を示した。Cr層の厚みは、試料Aでは1nm程度、試料Bでは10nm程度と推定された。Ni層の厚みは、試料Aおよび試料Bの両者とも5nm程度であると推定された。
【0230】
図9は、EDX-MSM解析に用いた例1の試料に対して断面STEM観察を行った結果を示す図である。
図9(A)に、試料Aの断面STEM観察像を示し、
図9(B)に、試料Bの断面STEM観察像を示す。
図9(A)および
図9(B)の観察像の両方とも、倍率は5,000,000倍である。
【0231】
図9に示すように、Cr層の厚みは、試料Aでは5nm程度、試料Bでは10nm程度であった。Ni層の厚みは、試料Aおよび試料Bの両者とも10nm程度であった。EDX-MSM解析結果では、Cr層およびNi層の厚みの絶対値が、断面STEM結果での値よりも小さめになっている。しかしながら、EDX-MSM解析は、試料Aおよび試料Bの両方とも、Cr/Ni/Siという層構造を有すること、および試料AのCr層の厚みが試料BのCr層の厚みの半分程度であることを正しく推定している。なお、繰り返し強調するが、
図8に示す結果は、層構造を一切仮定せず、最表面から最深部まですべて、Cr,Ni,Siの相対濃度の比を1:1:1という初期値からスタートして得られたものである。
【0232】
(例2:InP上Ni電極パターン試料)
リン化インジウム(InP)ウエハ上にNi電極および窒化ケイ素(SiN)保護膜を形成した試料を作製した。
図10は、例2の試料の表面SEM観察像を示す図である。5kV、100倍の条件で、
図10に示す表面SEM観察像が得られた。表面SEM観察像内の領域A、領域Bは、解析対象領域である。なお、領域Aにおける深さ方向の組成は、SiN/InPであり、領域Bにおける深さ方向の組成は、Ni/InPである。
【0233】
領域Aおよび領域Bに対して、EDX-MSM解析および断面STEM観察を行った。EDX-MSM解析パラメータを、以下の表2に示す。例2の試料ではSiとN、InとPとはそれぞれ単独では存在しないと考えられるため、式(19)の電荷中性縛りの条件としてSi:NおよびIn:Pを1:1近傍に拘束した。
【0234】
【0235】
図11は、例2に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。
図11(A)に示すように、領域Aでは、SiN層が260nm程度の厚みでInPウエハ上に形成されていると評価される。
図11(B)に示すように、領域Bでは、Ni層が280nm程度の厚みでInPウエハ上に形成されていると評価される。
【0236】
図12は、EDX-MSM解析に用いた例2の試料に対して断面STEM観察を行った結果を示す図である。
図11(A)に、領域Aでの断面STEM観察像を示し、
図11(B)に、領域Bでの断面STEM観察像を示す。
図11に示すように、領域AにおけるSiN層の厚みは260nm程度であり、領域BにおけるNi層の厚みは180nm程度である。EDX-MSM解析結果によれば、SiN層の厚みについては、断面STEMでの観察結果と同等の値であり、Ni層の厚みについては、断面STEMでの観察結果に対して1.5倍程度厚めに評価している。しかし、EDX-MSM解析によれば、SiN層およびNi層の両方とも厚みのオーダーが正しい。かつ、EDX-MSM解析では試料の積層構造を正しく推定できている。
【0237】
(例3:Cu箔上のPFA試料)
銅(Cu)箔上に、フッ素樹脂の一種であるPFA(perfluoroalkoxy alkane)を塗布したのち焼成して試料を作製した。この試料について、例1と同じく、100μm角の領域を表面EDX分析した。測定条件およびEDX-MSM解析条件は、以下の表3の通りである。なお、式(19)の電荷中性縛りの条件では、PFAの化学式から、化学種C(炭素)と化学種F(フッ素)との組成比を1:2程度とした。
【0238】
【0239】
図13は、例3に従う試料のEDX-MSM解析の結果を示す図である。CおよびFの分布から、PFAの厚みは1150nm程度であると推定された。
【0240】
図14は、EDX分析の箇所と同じ箇所での試料の断面STEM観察の結果を示す図である。なお、
図14に示す断面STEM観察像では、PFAの上部にPt層が形成されている。Pt層は、試料の断面STEM像において、PFAの端部を見やすくするために設けられるコーティング層である。断面STEM観察像によれば、PFAの厚みは1.12μm(1120nm)程度である。したがって、EDX-MSM解析の結果が、断面STEM観察像の結果とよく一致していることが理解できる。
【0241】
3つの例について、EDX-MSM解析により推定した試料の厚みの絶対値は、断面STEM観察の結果との比較において、いずれも同じオーダーを示している。EDX-MSM解析では、断面STEM観察などの破壊分析と比べると膜厚自体の精度は悪いものの、10nmから1μmという、3桁におよぶ広いレンジにおいて、事前の層構造が未知の状態から解析できる。このため、EDX-MSMS解析は、たとえば、破壊分析などの他分析に移る前の未知試料の初期評価において、価値のあるデータを提供できるものであるといえる。
【0242】
(スパース化処理の効果について)
例1~例3のEDX-MSM解析では、いずれも上述の簡易スパース化処理が実行されている。スパース化処理の効果について具体例を挙げて説明する。なお、スパース化処理には、上述の式(21)、(22)で表わされる正則化関数を使用した。
【0243】
図15は、例2に従う試料のEDX-MSM解析における、スパース化処理の効果を説明する第1の図である。
図16は、例2に従う試料のEDX-MSM解析における、スパース化処理の効果を説明する第2の図である。
図15に示した4つのグラフは、例2の試料の領域A(SiN/InP)のEDX-MSM解析において、スパース化処理の条件を異ならせた結果を示す。
図16に示した4つのグラフは、例2の試料の領域B(Ni/InP)のEDX-MSM解析において、スパース化処理の条件を異ならせた結果を示す。
【0244】
図15および
図16に表記した「係数」とは、パラメータλ
SPを求めるために用いられる係数であり、具体的には、式(21)における行列S
TS+λ
LE+λ
CNQ
CNの対角成分のうちの最小値に掛ける係数である。係数の大きさは、スパース化処理の程度に対応する。「係数=0」(
図15(A)、
図16(A)))は、スパース化処理がないことを意味する。「係数=0.9」(
図15(D)、
図16(D))は、上記例2のEDX-MSM解析でのスパース化処理を意味する。「係数=0.2」(
図15(B)、
図16(B))および「係数=0.5」(
図15(C)、
図16(C))は、スパース化の程度が小さいことを意味する。
【0245】
図15および
図16に示されるように、スパース化処理がない場合、あるいはスパース化の程度が小さい場合、各化学種の深さプロファイルは全体的になだらかとなる。すなわち、スパース化処理がない場合、あるいはスパース化の程度が小さい場合、試料最表面から最深部にわたって各化学種が混じり合った状態となるような深さプロファイルが得られる。係数を大きくする(すなわちパラメータλ
SPを大きくする)ほど、深さ方向での化学種同士の混じり合いの程度が下がり、層構造が明確になることが分かる。
【0246】
また、スパース化処理に適用する正則化関数は、式(21)および式(22)で表現される関数に限定されない。たとえば以下の式(30)によって表わされる関数をスパース化処理に適用してもよい。
【0247】
【0248】
式(17)において、最大平滑化条件を表わす項λS/2CTQScは、式(31)のように表わされる
【0249】
【0250】
式(30)は、式(31)における差分の二乗和を差分の絶対値に置き換えたものに相当する。このような正則化を伴う最適化問題は、「連結lasso」(fused lasso)と呼ばれ、画像のノイズ除去などに使われている。
【0251】
式(31)で表わされる正則化関数を用いた場合、相対濃度の差分が全体的に小さくなることが要請されるものの、差分がゼロになることは要請されない。したがって解析結果では、全体的に滑らかな深さプロファイルが得られやすくなる。一方、式(30)で表わされる正則化関数を用いた場合には、
図1に示す試料のモデルにおいて、相対濃度の差分がゼロになる箇所をなるべく増やすことが要請される。その結果、少数の遷移領域を除いて濃度が一様な深さプロファイルができる。このような例を
図17を参照して説明する。
【0252】
図17は、スパース化処理の別の例による深さプロファイルの解析結果を示した図である。
図17には、上記の例3に示したCu箔上のPFA試料のEDX測定データに基づく深さプロファイル解析の事例を示す。深さプロファイルの解析では、以下の式(32)において、パラメータλ
FLを、λ
FL=0.01として最適化を実施した。式(32)の最小化は凸2次計画法の範疇を超えるが、例えばalternating determination method of multipliers (ADMM)法などにより解くことが可能である。スパース化処理を用いないMSM解析では得られないような、なだらかではないシャープなプロファイルが得られている。
【0253】
【0254】
図13に示した深さプロファイルは、MSMおよび簡易スパース化処理によって得られたプロファイルである。しかし、このような2段階の処理を経なくとも、
図17に示されるように、式(32)を最適化するだけでもシャープな深さプロファイルを得ることができる。ただしスパース化処理に相当する処理はなされていないため、深さ1000nm未満の領域のCu濃度がゼロにはなっていない。
【0255】
なお、式(30)を正則化関数として用いることにより、化学種の相対濃度の深さ方向の変化がより急峻な深さプロファイルが得られる。パラメータλFLを大きくするほど、層の数をなるべく減らすことが要請される。パラメータλFLを大きくしすぎた場合には試料全体が1層として表現される一方、パラメータλFLを小さくしていくと、相対濃度が深さ方向に沿ってステップ状に変化する多数の層が表現される。したがって、式(30)をスパース化処理のための関数に用いることにより、たとえば、試料の詳細な組成は不明なものの、層の数が予め分かっているような場合において、より妥当と思われる層の組成および厚みを推定することが可能となる。問題の状況あるいは目的に応じて、式(17)に示した最大平滑条件、式(18)に示したスパース条件、式(30)に示した層数最小化条件など多様な正則化関数を適切に組み合わせて用いる必要がある。
【0256】
<12.EDXマッピングデータのMSM解析>
上記した深さプロファイルの解析は、試料表面上の1点でのEDX測定データに基づく解析である。EDX分析では、試料表面を電子ビームで走査することにより、マッピング分析が容易に可能である。マッピング分析データは、XY面内におけるEDX点分析データの集合であるので、上記の処理をXY面内で繰り返すことにより、XY面内の各点における深さプロファイルを推定することができる。つまりEDXマッピング分析と、点分析データに基づく深さプロファイルの解析とを組み合わせることにより、三次元空間における化学種分布を非破壊で推定できる。以下では、一例として、上述の例2の試料(InPウエハ上のNi回路)を用いた、非破壊三次元化学種分布評価について説明する。
【0257】
図10に示したSEM像の全領域において、表2に示した加速電圧およびEDX信号のマッピングデータを取得する。面内(x,y)の分析点における、化学種iについて、電子ビームの加速電圧jで取得したEDX強度データを以下d
xyijと表現する。本明細書で説明するマッピングデータは、横256ピクセル、縦192ピクセルごとにEDX信号強度が並んだデータである。
【0258】
図18は、EDXマッピングデータの例を示す図である。
図18(A)~
図12(D)は、いずれも、加速電圧15kVでの測定結果を示す。各ピクセルのデータのノイズが多い場合、全ピクセルのデータをそのままでEDX-MSM解析すると結果が不安定になる可能性がある。この場合には、各データについてスムージングを施すことができる。たとえばデータのスムージングには、以下の式(33)に従う変換を施してもよい。
【0259】
【0260】
式(33)は、あるピクセルのデータを、自身を含む周囲2ピクセルまでの範囲、計25点の合計値に置き換えるという処理を意味する。なおデータの端部では、端部のデータがそのまま2ピクセル分余分に続いている、として処理を行う。この変換によって測定ノイズの影響を低減できる。
【0261】
図18(A)は、Niの特性X線(Ni Lα)のスムージング前のマッピングデータを示す。
図18(B)は、Niの特性X線(Ni Lα)のスムージング後のマッピングデータを示す。同様に、
図18(C)は、Siの特性X線(Si Kα)のスムージング前のマッピングデータを示す。
図18(D)は、Siの特性X線(Si Lα)のスムージング後のマッピングデータを示す。スムージングにより、ノイズが低減できている。
【0262】
なお、式(33)は、スムージング処理の最も単純な一例を示している。解析の目的およびデータの状態に応じて、適切なスムージング処理あるいはノイズ除去処理を採用することができる。
【0263】
EDX表面マッピングデータ全点に対してMSM解析を実施した結果は、(x,y,z)の3次元空間における化学種の分布を示すデータとなる。本実施の形態では、
図5に示す出力部53が、解析部52によって求められた、3次元空間における化学種の分布を示すデータを解析結果として出力する。また、
図4に示すディスプレイ43は、その解析結果を表示する。一例では、解析部52は、試料の断面スライス像表示のためのデータを生成する。
【0264】
図19は、三次元空間における化学種の分布の断面像を表示させる箇所を示す図である。
図20は、三次元空間における化学種の分布の断面像の例を示す図である。この例では、スムージング処理したX方向256点およびY方向192点の合計49152点のEDXデータに対して、EDX-MSM解析を実施した。その際の解析条件は表2に示したものと同じである。
【0265】
図20(A)、
図20(B)、
図20(C)に示す断面像は、それぞれ、
図19に示す直線A、直線B、直線Cの位置における化学種の分布(Ni電極、SiN保護膜およびInPウエハ)の分布を表現した像である。なお、便宜上「断面」と表現しているが、
図20に示した断面像の形状は、実際に試料を破壊して得られる断面の形状とは若干異なる。たとえば
図19に示す位置Cでの断面の右端は、InPウエハが露出している部分である。この部分の高さは、Ni電極およびSiN保護膜の表面よりも低いはずであるが、
図20では、同じ高さとなっている。EDX-MSM解析では、表面の凹凸に関係なく試料最表面をz=0と認識するため、このような表示となる。
図20に示したように、試料の任意の断面における深さ方向の化学種分布を非破壊で推定できることから、マッピングデータのEDX-MSM解析は非常に有効であるといえる。
【0266】
なお、
図20では、Niとそれ以外の化学種とではマップの明るさが異なっている。これは、化学種の相対濃度の値(Niはほぼ1、それ以外はほぼ0.5)を表している。
【0267】
図20に示すような仮想断面でのスライス像の表示は、従来方法のように層構造を仮定して膜厚だけを変数とする解析では、実施が容易ではない。従来の方法によって同様のことを実施しようとする場合には、マッピングデータの各点において初期構造を仮定する必要がある。しかし、仮定すべきふさわしい初期構造は点ごとに全く異なる。たとえば上記の例では、Ni/InP、SiN/InP、InP、およびその中間の状態、という領域が面内に複雑に混在している。
【0268】
項目<9.EDX-MSM解析の全体フローの例>の手順(4)に示したように、EDX-MSM解析では、化学種の相対濃度の初期値として、「全深さで1/I」という極めて単純な設定を、X方向およびY方向の全ての点で共通して用いることができる。これにより、全ての点での深さプロファイル評価、および
図20に示した仮想断面スライス像表示を容易に実施することができる。
【0269】
図21は、三次元空間における化学種の分布を三次元で表示した例を示した図である。スムージング処理したX方向256点、Y方向192点、合計49152点のEDXデータに対してEDX-MSM解析を実施した。その際の解析条件は表2に示したものと同じである。
図21に示すように、In,N,Ni,P,Siの各化学種について、三次元空間における分布が3Dグラフによって表示される。本実施の形態によれば、解析部52によって求められた、三次元空間における化学種の分布を示すデータを、3Dグラフ表示として表示させることもできる。
【0270】
なお、上記の例では、本実施の形態に係る深さプロファイルの評価を説明するため、比較的簡単な構造を有する試料での評価を示した。しかし、本実施の形態によれば、事前に構造を仮定しないことにより、面内に存在する、本来想定しないプロファイルの領域(たとえば局所的に異物が埋め込まれている、など)を発見できる可能性を得ることができる。
【0271】
以上の通り、本開示の実施の形態によれば、試料を破壊しない表面EDXの測定データから試料の深さプロファイルを推定することができる。本開示の実施の形態によれば、試料の層構造を事前に仮定することなく深さプロファイルを非破壊で推定可能である。
【0272】
また、本開示の実施の形態によれば、推定した深さプロファイルをEDX表面マッピングデータに適用することにより、非破壊で、3次元空間における化学種分析が可能となる。さらに、その分析結果を三次元空間における化学種分布として表示することができる。したがって、各種製品の開発、不良解析などの様々な場面において、より有益な情報を提供することができる。
【0273】
今回開示された実施の形態はすべての点で例示であって、制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した実施の形態ではなく特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味、および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【符号の説明】
【0274】
10 分析システム
20 energy dispersive X-ray spectroscopy(EDX)装置
25 試料
30 データ解析装置
31 プロセッサ
32 一次記憶装置
33 二次記憶装置
34 外部機器インターフェイス
35 入力インターフェイス
36 出力インターフェイス
37 通信インターフェイス
38 バス
41 キーボード
42 マウス
43 ディスプレイ
51 入力部
52 解析部
53 出力部
54 記憶部
61 パラメータ決定部
62 正則化関数決定部
63 ハイパーパラメータ決定部
64 演算部
71 解析プログラム
72 パラメータ
S11~S17,S21~S30 ステップ