(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024038733
(43)【公開日】2024-03-21
(54)【発明の名称】リニアイオントラップの駆動方法、及び質量分析装置
(51)【国際特許分類】
H01J 49/42 20060101AFI20240313BHJP
H01J 49/40 20060101ALI20240313BHJP
H01J 49/38 20060101ALI20240313BHJP
H01J 49/00 20060101ALN20240313BHJP
【FI】
H01J49/42 250
H01J49/42 700
H01J49/40 100
H01J49/38
H01J49/00 400
【審査請求】未請求
【請求項の数】11
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022142976
(22)【出願日】2022-09-08
(71)【出願人】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】西口 克
(57)【要約】
【課題】リニアイオントラップを駆動する電源装置の構成を簡素化しつつ質量走査を実施する。
【解決手段】本発明の一態様は、複数本のロッド電極が中心軸を取り囲むように配置されたリニアイオントラップ(2)を駆動する方法であって、複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間(200)にイオンを導入し、該イオン捕捉空間に形成した多重極RF電場によってイオンを捕捉するイオン導入ステップと、複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極の間を通してイオン捕捉空間の外側から該空間内にまで及ぶイオン引出し用の直流電場と、多重極RF電場とを共に形成した状態で、該直流電場と該多重極RF電場の少なくとも一方を変化させることによって、m/zに応じて順に、イオンをイオン捕捉空間から所定の2本のロッド電極の間を通して外側へ排出させるイオン排出ステップと、を有する。
【選択図】
図2
【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数本のロッド電極が中心軸を取り囲むように配置されたリニアイオントラップを駆動する方法であって、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間にイオンを導入し、該イオン捕捉空間に形成した多重極RF電場によってイオンを捕捉するイオン導入ステップと、
前記複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間の外側から該空間内にまで及ぶイオン引出し用の直流電場と前記多重極RF電場とを共に形成した状態で、該直流電場と該多重極RF電場の少なくとも一方を変化させることによって、質量電荷比に応じて順に、イオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して外側へ排出させるイオン排出ステップと、
を有するリニアイオントラップの駆動方法。
【請求項2】
前記イオン排出ステップでは、前記直流電場を一定とし、前記多重極RF電場を変化させることで、前記イオン捕捉空間に捕捉されているイオンを質量電荷比が小さくなる方向に順に排出させる、請求項1に記載のリニアイオントラップの駆動方法。
【請求項3】
前記イオン排出ステップでは、前記リニアイオントラップから排出されるイオンの質量電荷比の変化が該リニアイオントラップの後段に配置されたマスフィルターの質量走査に同期するように、前記直流電場と前記多重極RF電場の少なくとも一方の変化が制御される、請求項1に記載のリニアイオントラップの駆動方法。
【請求項4】
前記イオン排出ステップでは、前記リニアイオントラップから排出された異なる質量電荷を有するイオンが、該リニアイオントラップから所定距離離れた位置に同時に到達するように、前記直流電場と前記多重極RF電場の少なくとも一方の変化の度合が制御される、請求項1に記載のリニアイオントラップの駆動方法。
【請求項5】
中心軸を取り囲むように配置された複数本のロッド電極と、該複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極及び該2本のロッド電極の間の外側に配置された引出し電極と、を含むリニアイオントラップ部と、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間に多重極RF電場を形成するべく、該複数本のロッド電極にそれぞれRF電圧を印加するRF電圧発生部と、
前記所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間にまでイオン引出し用の直流電場が及ぶように前記引出し電極に直流電圧を印加する引出し電圧発生部と、
前記RF電圧発生部及び前記引出し電圧発生部を制御する制御部であって、前記イオン捕捉空間にイオンが閉じ込められた状態で前記RF電圧又は前記直流電圧の少なくとも一方を変化させることにより、質量電荷比に応じてイオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して排出させる制御部と、
を備える質量分析装置。
【請求項6】
前記所定の2本のロッド電極には、該2本のロッド電極の間の空間の一部と一体であるイオン引出し用の開口部を形成する欠損部が形成されている、請求項5に記載の質量分析装置。
【請求項7】
前記リニアイオントラップ部の次段にマスフィルターが配置され、
前記制御部は、前記リニアイオントラップ部の前記イオン捕捉空間から排出されるイオンの質量電荷比と前記マスフィルターを通過するイオンの質量電荷比とが一致するように、前記RF電圧及び/又は前記直流電圧と、前記マスフィルターへの印加電圧とを同期的に制御する、請求項5に記載の質量分析装置。
【請求項8】
前記リニアイオントラップ部は、軸方向に前記イオン捕捉空間にイオンを導入するための入口エンドキャップ電極、を含むとともに、
前記入口エンドキャップ電極に、イオンの通過を許容する電圧とイオンの通過を阻止する電圧とを切り替え可能に印加する入口電圧発生部と、
前記リニアイオントラップ部の前段に配置された、イオンの入口端と出口端とで多重極場の極数が相違する極数変換型のイオンガイドと、
をさらに備え、前記入口電圧発生部がイオンの通過を阻止する電圧を前記入口エンドキャップ電極に印加している期間に、前記極数変換型のイオンガイドの出口領域にイオンを蓄積するようにした、請求項5に記載の質量分析装置。
【請求項9】
前記制御部は、前記リニアイオントラップ部から排出されたイオンの全て又は該排出されたイオンのうちの所定の質量電荷比範囲のイオンが、該リニアイオントラップ部から所定距離だけ離れた所定の位置に同時に到達するように、前記RF電圧及び/又は前記直流電圧を変化させる際の速度又はその変化に要する時間を調整する、請求項5に記載の質量分析装置。
【請求項10】
前記リニアイオントラップ部の次段に直交加速飛行時間型質量分離器が配置され、
前記所定の位置は、前記直交加速飛行時間型質量分離器の直交加速部内の所定の位置である、請求項9に記載の質量分析装置。
【請求項11】
前記リニアイオントラップ部の次段にフーリエ変換型質量分離器が配置され、
前記所定の位置は、前記フーリエ変換型質量分離器におけるイオン軌道上の所定の位置である、請求項9に記載の質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、リニアイオントラップの駆動方法、及び、リニアイオントラップを用いた質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
電場の作用によりイオンを空間的に閉じ込めるイオントラップを利用した質量分析装置が従来知られている。こうしたイオントラップには、大別して、リニアイオントラップと3次元四重極型イオントラップ(パウルトラップとも呼ばれる)がある。リニアイオントラップは、3次元四重極型イオントラップと比べて、電極の形状が比較的単純であって製造が容易である、イオン捕捉空間の容量が大きく、より多くの量のイオンを保持可能である、といった利点がある。
【0003】
イオントラップでは、単にイオンを保持するのみならず、保持しているイオンを質量電荷比(m/z)に応じて分離しつつトラップの外側へと放出する質量分離(又は質量選別)の機能を持たせることができる。イオントラップにおける質量分離の際には、一般に、共鳴励起排出が利用される(特許文献1等参照)。リニアイオントラップにおける共鳴励起排出では、イオンをイオン捕捉空間に閉じ込めるためのRF電圧を各ロッド電極に印加するのに加え、特定のm/zを有するイオンを共振させるようなイオン励振用のAC電圧を特定のロッド電極に印加する。これにより、RF電場の作用によってイオン捕捉空間に捕捉されている各種のイオンの中で、その特定のm/zを有するイオンのみが選択的に大きく振動し、ロッド電極に形成されている開口を通して外側に放出される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2018-73703号公報
【特許文献2】特開2020-35726号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
共鳴励起排出では、比較的高い質量分解能で以てイオンの質量分離を実現することができる。しかしながら、上述したように、共鳴励起排出では、RF電圧に加えてイオン励振用のAC電圧をロッド電極に印加する必要がある。そのため、例えば特許文献2に記載されているように、ロッド電極に電圧を印加するための電源装置の構成が複雑である。それにより、装置が大形になり重量も大きくなる、電源のコストが高くなる、といった問題がある。
【0006】
本発明はこうした課題を解決するためになされたものであり、その目的の一つは、電源装置の構成を簡素化しつつ質量走査が可能であるリニアイオントラップを搭載した質量分析装置、及びそうしたリニアイオントラップの駆動方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記課題を解決するために成された本発明に係るリニアイオントラップの駆動方法の一態様は、複数本のロッド電極が中心軸を取り囲むように配置されたリニアイオントラップを駆動する方法であって、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間にイオンを導入し、該イオン捕捉空間に形成した多重極RF電場によってイオンを捕捉するイオン導入ステップと、
前記複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間の外側から該空間内にまで及ぶイオン引出し用の直流電場と前記多重極RF電場とを共に形成した状態で、該直流電場と該多重極RF電場の少なくとも一方を変化させることによって、質量電荷比に応じて順に、イオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して外側へ排出させるイオン排出ステップと、
を有する。
【0008】
また、上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析装置の一態様は、
中心軸を取り囲むように配置された複数本のロッド電極と、該複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極及び該2本のロッド電極の間の外側に配置された引出し電極と、を含むリニアイオントラップ部と、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間に多重極RF電場を形成するべく、該複数本のロッド電極にそれぞれRF電圧を印加するRF電圧発生部と、
前記所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間にまでイオン引出し用の直流電場が及ぶように前記引出し電極に直流電圧を印加する引出し電圧発生部と、
前記RF電圧発生部及び前記引出し電圧発生部を制御する制御部であって、前記イオン捕捉空間にイオンが閉じ込められた状態で前記RF電圧又は前記直流電圧の少なくとも一方を変化させることにより、質量電荷比に応じてイオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して排出させる制御部と、
を備える。
【発明の効果】
【0009】
本発明に係るリニアイオントラップの駆動方法及び質量分析装置の上記態様では、共鳴励起排出のように、RF電圧とAC電圧という二つの異なる交流電圧を重畳してロッド電極に印加する必要がない。そのため、本発明に係るリニアイオントラップの駆動方法及び質量分析装置の上記態様によれば、質量電荷比の順にイオンをリニアイオントラップから放出させる質量走査を実現しながら、リニアイオントラップを駆動する電源装置の構成を簡単にすることができる。その結果として、電源装置を小形・軽量化することができ、そのコストも抑えることができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】本発明に用いられるリニアイオントラップの一実施形態の概略正面断面図(A)、A-AA矢視線断面図(B)、及び概略下面図(C)。
【
図2】
図1に示したリニアイオントラップを用いた質量分析装置の概略構成図。
【
図3】本実施形態のリニアイオントラップにおけるイオン軌道のシミュレーション結果の一例を示す図。
【
図4】本実施形態のリニアイオントラップにおける引出し直流電圧とイオン引出し効率との関係の計算結果の一例を示す図。
【
図5】本実施形態のリニアイオントラップにおけるRF電圧とイオン引出し効率との関係の計算結果の一例を示す図。
【
図6】本実施形態のリニアイオントラップにおけるイオンのm/z値とイオン引出し効率との関係の計算結果の一例を示す図。
【
図7】本実施形態のリニアイオントラップにおいて質量走査を行う際の電圧変化の一例を示す図。
【
図8】本実施形態のリニアイオントラップを用いた質量分析装置の一構成例を示す図。
【
図9】
図8に示した質量分析装置におけるタイミング図の一例を示す図。
【
図10】本実施形態のリニアイオントラップを用いた質量分析装置の他の構成例を示す図。
【
図11】本実施形態のリニアイオントラップを用いた質量分析装置の他の構成例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明に係る質量分析装置及びリニアイオントラップの駆動方法の実施形態について、添付の図面を参照しつつ説明する。
【0012】
[質量分析装置の概略構成]
図2は、本発明に係る質量分析装置の一例の概略構成図である。説明の便宜上、図中に示すように、互いに直交するX、Y、Zの3軸を空間内に定義する。
この質量分析装置は、イオン供給部1、リニアイオントラップ2、電源部3、制御部4、及び、質量分析・検出部5を含む。図示していないが、イオン供給部1、リニアイオントラップ2、及び、質量分析・検出部5は、真空チャンバー等の内部に配設されるものとすることができる。
【0013】
イオン供給部1は、イオン源などを含み、試料に含まれる各種成分をイオン化し、リニアイオントラップ2に対し概ねZ軸方向にイオンを供給する。リニアイオントラップ2は、その内部空間(イオン捕捉空間200)にイオンを一時的に保持するとともに、保持しているイオンをm/zの降順に概ねY軸方向に排出する。即ち、リニアイオントラップ2は、質量走査可能な軸直交排出型のリニアイオントラップである。電源部3は制御部4の制御の下に、リニアイオントラップ2に含まれる各電極に電圧を印加するものである。質量分析・検出部5は、1以上の質量分離器と検出器とを含む構成、又は検出器のみの構成である。前者の場合、質量分析・検出部5は、リニアイオントラップ2から排出されたイオンをさらにm/zに応じて分離したうえで検出する。一方、後者の場合、質量分析・検出部5は、リニアイオントラップ2から排出されたイオンをそのまま検出する。質量分析・検出部5の具体的な構成は、後述する構成例に示す。
【0014】
[リニアイオントラップの構成]
図1は、
図2中のリニアイオントラップ2の電極構造を説明するための図であり、(A)は概略正面断面図、(B)は(A)中のA-AA矢視線断面図、(C)は概略下面図である。
【0015】
図1に示すように、リニアイオントラップ2は、Z軸方向に延伸する直線状のイオン入射光軸C1を囲むように配置された6本のロッド電極201、202、203、204、205、206から成るロッド電極群20と、そのロッド電極群20を挟むように、その両端の外側に配置された略円盤形状で中央に円形状開口を有するエンドキャップ電極21、22と、略円形状の開口23Aを有する円盤状の引出し電極23と、を含む。6本のロッド電極201~206は、イオン入射光軸C1を中心とする円に外接し、イオン入射光軸C1の周りに等角度(60°)間隔で配置されている。その6本のロッド電極201~206のうちの2本のロッド電極203、204には、それらロッド電極203、204の間の空隙の一部を含み、直径がdである円筒状のイオン引出し開口210が形成されるように、X-Z平面内で円弧状である欠損部203A、204Aが形成されている。引出し電極23は、イオン引出し開口210の外側に配置され、その開口23Aの直径はdである。
【0016】
図2に示すように、エンドキャップ電極21、22には、電源部3に含まれるエンドキャップ直流電源部31からそれぞれ、所定の直流電圧が印加される。また、6本のロッド電極201~206にはRF電源部32からそれぞれ、所定のRF電圧が印加される。具体的には、6本のロッド電極201~206に印加されるRF電圧は、振幅及び周波数が同一であって、周方向に隣接する2本のロッド電極の間で極性が反転している(つまりは位相が180°ずれている)RF電圧である。引出し電極23には、引出し直流電源部33から所定の直流電圧が印加される。
【0017】
[リニアイオントラップの動作]
リニアイオントラップ2の基本的な動作の一例を説明する。
図7は、リニアイオントラップ2を駆動する際の印加電圧の変化の一例を示すタイミング図であり、
図7(A)はRF電圧を変化させることで質量走査を行う場合であり、
図7(B)は引出し直流電圧を変化させることで質量走査を行う場合である。
【0018】
図2において、イオン供給部1は、分析対象である試料由来の各種イオンを概ねZ軸方向に送る。エンドキャップ直流電源部31は、イオン供給部1から供給されるイオンを所定の期間だけ受け入れ、その期間が過ぎるとイオンを入口エンドキャップ電極21の手前でせき止めるような直流電場を形成するように、各エンドキャップ電極21、22に対し直流電圧を印加する。また、RF電源部32は各ロッド電極201~206に所定のRF電圧を印加することで、入口エンドキャップ電極21の開口21Aを経て導入される各種イオンを捕捉する多重極RF電場を、イオン捕捉空間200に形成する。
【0019】
多重極RF電場は、イオンを閉じ込める作用を有するRF擬ポテンシャルを生じる。リニアイオントラップでは、ロッド電極の数、つまり極数に応じて、イオンの閉込め能力の質量依存性や、イオンを中心軸付近に集める集束力などの特性が変わる。一般に、極数が大きくなるほど、閉込め能力の質量依存性は小さくなる(より広いm/zのイオンを閉じ込めることが可能となる)ものの集束力も小さくなる。従って、ここでは六重極の構成を用いているが、希望する特性に応じて、六重極以外の極数の選択を行うようにしてもよい。いずれもしても、多重極RF電場によるRF擬ポテンシャルの作用で、試料由来の各種イオンはイオン捕捉空間200に閉じ込められる。
【0020】
なお、図示しないが、リニアイオントラップ2の内部には不活性ガス導入管を通してヘリウム、アルゴンなどの不活性ガスが導入され得る。イオン捕捉空間200に捕捉された各種イオンは不活性ガスに接触して運動エネルギーを奪われる。即ち、各種イオンはイオン捕捉空間200においてクーリングされ、それによって長手方向(Z軸方向)の中央付近にイオンが集まり易くなる。
【0021】
一方、引出し直流電源部33は引出し電極23に所定の直流電圧を印加する。イオン捕捉空間200にイオンを捕捉するとともにそのイオンをクーリングする期間には、イオンの閉じ込めを補強するように、エンドキャップ電極21、22へ印加する電圧と同程度の高い直流電圧を引出し電極23に印加しておく。このときの直流電圧は、例えばイオンが正極性である場合、
図7に示すように正極性の直流電圧である。RF擬ポテンシャルによる閉込め作用と、エンドキャップ電極21、22及び引出し電極23にそれぞれ印加される直流電圧により形成される電場による閉込め作用とが相まって、イオンはイオン捕捉空間200に良好に閉じ込められる。
【0022】
イオンのクーリングが所定時間実施されたあと、例えば
図7(A)に示すように、引出し直流電源部33から引出し電極23に印加する引出し直流電圧をイオンの極性とは逆極性に切り替える。この直流電圧によって形成される電場は、イオンを引き寄せる作用を有し、イオン引出し開口210を通してイオン捕捉空間200にまで及ぶ。従って、上述したようにRF多重極電場によってイオン捕捉空間200にイオンが捕捉されている場合、そのイオンにも直流電場による力が作用する。但し、このとき、直流電場によってイオンに作用する力に比べてRF擬ポテンシャルによる閉込め作用の方が大きいため、イオンはイオン捕捉空間200に留まり得る。
【0023】
上述したように引出し直流電圧を切り替えると同時に又はその直後に、RF電源部32は、ロッド電極201~206に印加しているRF電圧の振幅を徐々に下げるように変化させる。リニアイオントラップの内部のRF擬ポテンシャルによるイオン閉込め作用の強さはイオンの質量に反比例する。即ち、m/z値が大きいイオンほどRF擬ポテンシャルによる閉込め作用は小さく、イオン捕捉空間200から離脱し易い。そのため、ロッド電極201~206に印加しているRF電圧の振幅を徐々に低下させるように変化させると、m/zが相対的に大きいイオンから順にm/zが小さくなる方向に、イオンに対する拘束力が弱くなる。これに対し、引出し電極23により生成される引出し直流電場は、イオンの質量とは無関係にイオンに一様に作用する。そのため、RF擬ポテンシャルによる拘束力が弱まったイオンから順に、つまりはm/zが大きなイオンから順に、引出し直流電場に引き寄せられて2本のロッド電極203、204間のイオン引出し開口210及び開口23Aを通して概ねY軸方向に(イオン光軸C2に沿って)外側に引き出される。
【0024】
上述したように、引出し直流電圧を一定に維持しつつRF電圧の振幅を徐々に下げるように変化させると、リニアイオントラップ2のイオン捕捉空間200に捕捉されているイオンは、イオン引出し開口210及び開口23Aを通してm/z値が高いものから順に排出される。即ち、リニアイオントラップ2から引き出されるイオンのm/zが下がる方向の質量走査が達成される。
【0025】
RF電圧の振幅を変化させる代わりに、
図7(B)に示すように、RF電圧の振幅を一定に維持しつつ、つまりはRF擬ポテンシャルによるイオン閉込め作用を一定に維持しつつ、引出し直流電場を徐々に強めるように引出し電極23に印加する直流電圧の電圧値を変化させてもよい。これによっても、上述したRF電圧を変化させる場合と同様に、引き出されるイオンのm/z値が下がる方向の質量走査を実施することができる。
【0026】
なお、
図7(B)の例のように、質量走査のために引出し直流電圧を変化させると、引出し電極23を通過した後のイオンが有するエネルギーも変化する。そのため、後述するように、Q-TOF型質量分析装置におけるコリジョンセル内に上記リニアイオントラップを配置する場合など、該リニアイオントラップから排出されるイオンの運動エネルギーを一定に保ちたい場合には、引出し直流電圧ではなくRF電圧を変化させることで質量走査を行う方式を採用すればよい。
【0027】
図3は、リニアイオントラップ2のイオン捕捉空間に導入されてから外側へ引き出されるまでのイオンの軌道をシミュレーションした結果の一例である。ここでは、イオンの軌道を分かり易くするために、一個のイオンの軌道のみを描いている。
【0028】
図3から分かるように、イオンは入口エンドキャップ電極21の開口21Aを通して入射し、イオン捕捉空間に存在するガスとの衝突によって冷却されながらイオン捕捉空間に蓄積される。このとき、引出し電極23にはエンドキャップ電極21、22と同等の直流電圧を印加しておく。イオンを引き出すタイミングで、引出し電極23に印加する直流電圧の極性を切り替え、引出し電場が徐々に大きくなるように引出し直流電圧を増加させる、又はRF電圧を徐々に小さくすることで、m/zの大きい順にイオンが外側に引き出されていく。このシミュレーションでは、イオン捕捉空間におけるガス圧1Paと高めに設定しており、イオンの冷却作用が十分に発揮されるため、イオンを閉じ込めるための入口エンドキャップ電極21の電圧切替えは不要である。イオン捕捉領域におけるガス圧をより低い圧力領域とする場合などでは、イオンを閉じ込めるために入口エンドキャップ電極21への印加電圧を切替えることが好ましい。
【0029】
図4~
図6は、リニアイオントラップ2からのイオンの引出し効率をシミュレーションにより計算した結果を示す図である。
図4は、RF電圧を100V一定としたときの引出し直流電圧と引出し効率との関係を示す図である。
図5は、引出し直流電圧を-20V一定としたときのRF電圧と引出し効率との関係を示す図である。
図4及び
図5では、対象のイオンはm/z 400の1種類のみである。
図6は、RF電圧及び引出し直流電圧を一定としたときの、イオンのm/z値と引出し効率との関係を示す図である。
【0030】
図4~
図6において、引出し効率が0%というのはイオン捕捉空間に安定的にイオンが存在して閉じ込められている状態を意味し、引出し効率が100%というのはイオン捕捉空間にイオンが安定的に存在し得ず全イオンが引き出される状態を意味する。
図4から、RF電圧を一定に保ちつつ、引出し直流電圧を-10Vとした状態ではm/z 400のイオンは引き出されず、引出し直流電圧の電圧値(絶対値)を徐々に上げていって-15Vを超えるとm/z 400のイオンは少しずつ引き出され、引出し直流電圧の電圧値を-20V程度以上にすると、ほぼ全てのm/z 400のイオンが引き出されることが分かる。また、
図5から、引出し直流電圧を一定に保ちつつ、RF電圧の振幅を120Vとした状態ではm/z 400のイオンは引き出されず、RF電圧の振幅を徐々に下げていって115V程度を下回るとm/z 400のイオンは少しずつ引き出され、RF電圧の振幅を100V程度以下にすると、ほぼ全てのm/z 400のイオンが引き出されることが分かる。
【0031】
また、上述したようにRF擬ポテンシャルによるイオンの閉込め能力はイオンの質量に反比例するため、
図6から、電圧条件が一定である場合には高質量のイオンほど排出され易く、質量に関するハイパスフィルターとして動作する、原理通りの作用が得られることが確認できる。
図6に示した電圧条件では、m/z 300以下のイオンを概ねリニアイオントラップ内に残したまま、m/z 400以上のイオンの多くを排出することができる程度の質量選択性が示されている。この質量選択性は、ガス圧、RF電圧、引出し直流電圧などを最適化することにより向上が可能である。
図6において、m/z 600以上のイオンの引出し効率が低下しているのは、蓄積中におけるイオンの損失の影響であり、これはm/zが大きくなるほどRF擬ポテンシャルによるイオン閉込め力が弱くなることに起因する。イオンの閉込め力の向上には、多重極場の極数を増やすことが有効であるから、特に高m/zのイオンの供給量を増加させる必要がある場合には、リニアイオントラップの極数を増やすことが好ましい。
【0032】
このように、上記リニアイオントラップにおいては、ガス圧、多重極場の極数、RF電圧、引出し直流電圧などが性能を左右するパラメーターであり、これらパラメーターの値の組合せと変化のさせ方によって、目的に応じた柔軟なイオン操作が行えることも、このリニアイオントラップの特徴の一つである。
【0033】
[質量分析装置の構成例1]
上記質量分析装置の具体的な構成例を説明する。
質量分析装置に用いられる質量分離器には様々な方式のものがあるが、現在、最も広く利用されているのは四重極マスフィルターである。タンデム型質量分析装置においても、トリプル四重極型質量分析装置のほか、四重極-飛行時間型質量分析装置、四重極-フーリエ変換型質量分析装置などにおいて四重極マスフィルターが使用されている。
四重極マスフィルターは使い易い質量分離器であるものの、特定のm/z(又は或る程度のm/z範囲)を有するイオンのみを選択的に通過させるものであるため、通過し得ない他のm/zを有する多くのイオンが無駄になるという課題がある。即ち、四重極マスフィルターにおけるイオンの利用効率は必ずしも高くない。
【0034】
この課題を解決するために、上述したリニアイオントラップを利用することができる。
図8は、構成例1による質量分析装置の概略構成図である。
この質量分析装置では、上記質量分析・検出部5は、四重極マスフィルター50とイオン検出器51とを含み、四重極マスフィルター50の前段に上述した構成のリニアイオントラップ2が配置されている。また、上記イオン供給部1は、イオン源10と極数変換イオンガイド11とを含み、極数変換イオンガイド11から放出されたイオンがリニアイオントラップ2に導入される。
【0035】
極数変換イオンガイド11は、国際公開第2020/129199号に記載の多重極イオンガイドであり、少なくとも一部のロッド電極を直線状のイオン光軸に対し傾けて配置することで、イオン入口端における極数とイオン出口端における極数とを異なるものとしたイオンガイドである。ここでは、10本のロッド電極を用い、イオン入口端では10本のロッド電極をイオン光軸C1を囲むように略等角度間隔で配置した十重極配置とし、イオン出口端では10本のうちの6本のロッド電極のみをイオン光軸C1を囲むように略等角度間隔で配置した六重極配置としている。
【0036】
上記リニアイオントラップと同様に、多重極イオンガイドでも極数が多い方がイオンの閉込め力が強いため、イオン入口端において極数が多い配置とすることで、前段から拡がりつつ到来したイオンを効率良く捕集してイオンガイドの内部空間に取り込むことができる。一方、極数が少ない方がイオンの収束作用は強いため、イオン出口端において極数が相対的に少ない配置とすることで、イオンをイオン光軸C1付近に収束させて無駄なく後段へと送ることができる。また、極数変換イオンガイド11では、各ロッド電極に印加する直流電圧によって、進行方向にイオンを輸送する(つまり加速する)軸方向電場を生成することができる。
【0037】
この構成において、極数変換イオンガイド11のイオン出口端を六重極配置としているのは、多重極電場の質量選択性を揃えることを目的に、極数変換イオンガイド11のイオン出口端における極数とリニアイオントラップ2の極数とを同一にするためである。但し、これは必須ではない。
【0038】
図9に示すタイミング図を参照して、この質量分析装置の典型的な動作を説明する。イオン源10で生成された試料成分由来のイオンは、極数変換イオンガイド11に導入される。上述したように、極数変換イオンガイド11の内部空間には、イオンの進行方向への軸方向電場と多重極RF電場とが形成されているため、この電場によってイオンは収束されつつ出口に向かって進行する。リニアイオントラップ2の入口エンドキャップ電極21には、通常、その電位がイオンにとって障壁となるような直流電圧が印加される。そのため、極数変換イオンガイド11の出口領域に到達したイオンは、入口エンドキャップ電極21の手前でせき止められ、極数変換イオンガイド11の出口領域に蓄積される。
【0039】
図9に示すように、所定のタイミングで入口エンドキャップ電極21に印加される電圧が一時的に下げられると、そのときのみ電位障壁が無くなるために、極数変換イオンガイド11の出口領域に蓄積されていたイオンが開口21Aを経てリニアイオントラップ2の内部空間(イオン捕捉空間200)に導入される。即ち、極数変換イオンガイド11からリニアイオントラップ2へのイオンの転送はパケット的に実施され、蓄積されていたイオンが転送されたあと入口エンドキャップ電極21への印加電圧が再び上げられると、極数変換イオンガイド11の出口領域にイオンが蓄積され始める。このように極数変換イオンガイド11の出口領域にイオンを蓄積することで、リニアイオントラップ2にイオンを導入できる期間が限られている場合であっても、イオン源10から連続的に送り込まれるイオンの損失を回避し、高い効率でイオンをリニアイオントラップ2に導入することができる。
【0040】
リニアイオントラップ2のイオン捕捉空間200に導入されたイオンは、上述したように、ガスとの接触により冷却されつつ十分に捕捉されたあと、ロッド電極群20に印加されるRF電圧の振幅が徐々に下げられることで、m/zの大きい順に引出し電極23の開口23Aを通してイオン光軸C2に沿って引き出される。このとき、リニアイオントラップ2から排出される所定のm/zを有するイオンが後段の四重極マスフィルター50で選別される、つまりは四重極マスフィルター50を通過するイオンのm/zと一致するように、リニアイオントラップ2のロッド電極群20に印加されるRF電圧の走査は、四重極マスフィルター50に印加される電圧(RF電圧と直流電圧とを重畳した電圧)の走査に対して同期的に制御される。
【0041】
四重極マスフィルターを質量分離器として用いた従来の四重極型質量分析装置では、四重極マスフィルターで質量走査が行われるとき、四重極マスフィルターを通過する以外のイオンは廃棄されるため、イオンの利用効率は必ずしも高くない。それに対し、上記構成例1の質量分析装置では、リニアイオントラップ2に蓄積したイオンの中で、四重極マスフィルター50を概ね通過し得るm/zのイオンのみを選択的にリニアイオントラップ2から排出して四重極マスフィルター50に送り込むため、従来であれば四重極マスフィルターで失われてしまうイオンを有効に利用することができる。それによって、従来の四重極型質量分析装置に比べて高感度化を実現することができる。また、イオン源10で生成された試料成分由来のイオンの大部分を質量分析に供することができるため、特定のm/zを有するイオンが一時的に生成された場合であっても、該イオンの見逃しが生じにくく、試料成分由来のイオンを網羅的に把握するのに有用である。
【0042】
上記構成例1はシングルタイプの四重極型質量分析装置であるが、MS/MS分析が可能であるトリプル四重極型質量分析装置において1段目の四重極マスフィルターの前段に上述したリニアイオントラップ2を配置する構成としてもよい。この場合、例えばプリカーサーイオンスキャン測定やニュートラルイオンスキャン測定などの、1段目の四重極マスフィルターで質量走査を行う際に、リニアイオントラップから排出するイオンのm/zと1段目の四重極マスフィルターを通過するイオンのm/zとが概ね同じになるように、リニアイオントラップと1段目の四重極マスフィルターとを同期的に制御すればよい。
【0043】
[質量分析装置の構成例2]
四重極マスフィルターと直交加速飛行時間型質量分離器との間にコリジョンセルを配置したQ-TOF型質量分析装置では、コリジョンセルにおいて一種類のプリカーサーイオンから様々なプロダクトイオンが生成され得るが、コリジョンセルからほぼ同時に排出されたイオンが直交加速部に到達するまでに要する時間はイオンのm/zに依存して異なる。そのため、直交加速部でパルス的にイオンを加速する際に、一種類のプリカーサーイオンに由来する様々なm/zのプロダクトイオンのうち、限られたm/z範囲に含まれるプロダクトイオンのみしか加速できない場合がある。その場合、観測できるプロダクトイオンのm/z範囲が限られてしまい、正確なプロダクトイオンスペクトルが得られないという課題がある。
【0044】
構成例2による質量分析装置は、上記課題を解決するために上述したリニアイオントラップを利用したものである。
図10は、構成例2による質量分析装置の概略構成図である。
この質量分析装置では、上記質量分析・検出部5は、四重極マスフィルター52と直交加速飛行時間型質量分離器53とイオン検出器54とを含み、四重極マスフィルター52と直交加速飛行時間型質量分離器53との間の図示しないコリジョンセルの内部に、上記構成のリニアイオントラップ2が配置されている。なお、
図10では、上記イオン供給部1に相当する構成要素の記載を省略している。直交加速飛行時間型質量分離器53は、一対の押出し電極531Aと引込み電極531Bとを含む直交加速部531と、加速電極532と、フライトチューブ533と、反射電極534と、を含む。
【0045】
四重極マスフィルター52は図示しないイオン供給部から供給されるイオンの中で特定のm/zを有するイオンを選択的に通過させる。このイオンはリニアイオントラップ2のイオン捕捉空間200に導入され、イオン捕捉空間200に供給されるコリジョンガスと接触して解離を生じ、各種のプロダクトイオンが生成される。生成されたプロダクトイオンはRF電場によりイオン捕捉空間200に捕捉される。そのあと、引出し直流電圧を一定に維持しつつロッド電極群20に印加するRF電圧を変化させることにより、イオン捕捉空間200に捕捉されていたプロダクトイオンをm/zの降順にイオン引出し開口210、開口23Aを通して排出する。排出されたイオンは、概ねイオン光軸C2に沿って進み、直交加速部531に到達する。
【0046】
引出し直流電圧を一定に維持することで、引出し直流電場の作用によりリニアイオントラップ2から排出されるイオンには、m/zとは無関係に各イオンに一定のエネルギーが付与される。そのため、時間的に先行して排出されるm/zが相対的に大きなイオンよりも、時間的に遅れて排出されるm/zが相対的に小さなイオンの方が移動速度が大きい。従って、RF電圧の変化を適切に制御することにより、リニアイオントラップ2から時間的にずれて排出される全てのイオンを直交加速部531の内部の所定位置にほぼ同時に到着させることが可能となる。
【0047】
直交加速飛行時間型質量分離器53において、直交加速部531にはイオン光軸C2に沿ってY軸方向にイオンが導入される。上述したようにm/zが相違する各種のイオンが直交加速部531に略同時に入射したタイミングで、押出し電極531A及び引込み電極531Bにそれぞれ所定の直流電圧が印加される。すると、そのときに直交加速部531を通過していた様々なm/zを有するイオンは引込み電極531Bのスリットを通してZ軸の負方向に押し出され、そのあと加速電極532により加速されてフライトチューブ533内へと射出される。
【0048】
イオンはフライトチューブ533内を飛行し、反射電極534により形成される電場によって折り返されたあと再びフライトチューブ533内を飛行する。こうして折り返し軌道C4に沿って飛行したイオンは、最終的にイオン検出器54に到達して検出される。直交加速部531から略同時に射出されたイオンは、それぞれm/zに応じた飛行時間を有して飛行するから、飛行途中でm/zに応じて分離され、m/zが小さいイオンから順にイオン検出器54に到達する。
【0049】
こうしてこの構成例2の質量分析装置では、リニアイオントラップ2から供給された幅広いm/zのイオンを無駄なく飛行空間へ送り込み、質量分析することができる。それにより、幅広いm/zのプロダクトイオンについて高い感度で以て検出することができる。
この質量分析装置において、上述したように、リニアイオントラップ2から直交加速部531に向けて排出した全てのイオンを略同時に直交加速部531に到達させるには、リニアイオントラップ2からのイオンの引出しを以下のように制御するとよい。
【0050】
いま、
図10に示すように、引出し電極23から直交加速部531までの距離をL、直交加速部531のイオン通過領域の長さをDとし、引き出し電極23から直交加速部531までの空間が同電位であるとする。また、リニアイオントラップ2から引き出されるイオンが持つエネルギーは、該イオンが十分に冷却された状態から引出し直流電圧V
Eにより加速されるものと想定し、eV
Eであるとする。引出し電極23から直交加速部531までの間においてイオンが中性粒子と衝突しないとすると、従来技術(全てのイオンが略同時に引き出される)では、最も軽い質量m
1のイオンが直交加速部531の出口に到達する時間tは次の(1)式で示されるものとなる。
t=(D+L)√(m
1/2eV
E ) …(1)
そして、同時に観測できる最大の質量m
2は、同時刻に直交加速部531の入口に到達できるものであって、その到達時間tは次の(2)式となる。
t=D√(m
2/2eV
E ) …(2)
従って、観測可能である質量範囲は、
m
2/m
1 ={(D+L)/D}
2 …(3)
である。
【0051】
これに対し、上述したようにm/zの降順にイオンを排出するリニアトラップを用いることで、重い質量のイオンを先に送り出すことができるため、この重い質量のイオンと、遅れて送り出される軽いイオンとが直交加速部531の或る位置に同時に到達するように制御することが可能である。直交加速部531の中心に全ての質量のイオンを同時に到達させる場合を考えると、最大の質量m2のイオンの到達時刻は、
t=(D+L/2) √(m2/2eVE ) …(4)
であり、該イオンと最小の質量m1のイオンが同時に到達するために必要なRF電圧制御上の遅延時間tDは、
tD=(D+L/2) {(√m2 -√m1 )/√(2eVE )} …(5)
である。
【0052】
リニアイオントラップ2からイオンを引き出すために上記遅延時間tDを持たせるようにRF電圧の走査を行うことにより、目的とする質量範囲の全てのイオンをほぼ同時に直交加速部531における同一位置に到達させることが可能である。これにより、従来技術に比べて観測対象のイオンの質量範囲を拡大するのみならず、直交加速部531におけるイオンの初期位置のばらつきも低減されるため、検出感度と質量分解能の向上も達成される。また、この構成例2では、上述したようにリニアイオントラップから引き出されるイオンが持つエネルギーを一定にするために、引出し直流電圧ではなくRF電圧を走査することでm/zの降順にイオンが引き出されるようにするとよい。
【0053】
[質量分析装置の構成例3]
図3は、構成例3による質量分析装置の要部の構成図である。この構成例3の質量分析装置では、多重周回フーリエ変換型質量分離部55の前段に上記のリニアイオントラップを組み合わせたものである。この構成では、リニアイオントラップ2から排出されたイオンは、イオン入射部56を通して多重周回フーリエ変換型質量分離部55に導入され、周回軌道C4に沿って飛行する。イオン入射部56は、イオンが入射する期間には、リニアイオントラップ2から到来したイオンを周回軌道C4に乗せるような入射用電場を形成し、イオンが周回している期間には、イオンが周回軌道C4に沿って飛行するような周回用電場を形成するように切り替わるように、該イオン入射部56を構成する電極への印加電圧は切り替えられる。
【0054】
従来のこうした質量分析装置では、イオントラップから略同時に射出したイオンを略同時に周回軌道C4に乗せる必要があるため、同時に質量分析するイオンのm/z範囲を狭い範囲に制限する必要がある。これに対し、この構成例3の質量分析装置では、上記構成例2と同様に、m/zが大きく飛行速度が相対的に遅いイオンを先行してリニアイオントラップ2から排出し、m/zの降順でイオンを徐々に排出して周回軌道C4に乗せることで、周回軌道C4上の任意の位置に全てのm/zのイオンを略同時に到達させることができる。これにより、観測対象であるイオンのm/z範囲を広げることができる。また、イオン入射部56を経て周回軌道C4に導入されたイオンの中で最も早く周回するイオンがイオン入射部56に戻って来るまでの間に、イオン入射部56への印加電圧を切り替える必要があるが、m/zの小さなイオンはm/zが大きなイオンに比べて遅れて周回軌道C4に導入されるため、イオン入射部56でイオンを周回軌道C4に乗せる期間を長くして、より多くのイオンを質量分析に供することができる。これにより、検出感度の向上も図ることができる。
【0055】
なお、この場合、(5)式を用いて遅延時間tDを計算する際のLはイオン入射部56の飛行長、Dは周回軌道C4上で同時にイオンを到達させる地点までの飛行長とすればよい。
【0056】
上記実施形態や構成例はあくまでも本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、追加、修正を加えても、本特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【0057】
(第1項)本発明に係るリニアイオントラップの駆動方法の一態様は、複数本のロッド電極が中心軸を取り囲むように配置されたリニアイオントラップを駆動する方法であって、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間にイオンを導入し、該イオン捕捉空間に形成した多重極RF電場によってイオンを捕捉するイオン導入ステップと、
前記複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間の外側から該空間内にまで及ぶイオン引出し用の直流電場と前記多重極RF電場とを共に形成した状態で、該直流電場と該多重極RF電場の少なくとも一方を変化させることによって、質量電荷比に応じて順に、イオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して外側へ排出させるイオン排出ステップと、
を有する。
【0058】
(第5項)また本発明に係る質量分析装置の一態様は、
中心軸を取り囲むように配置された複数本のロッド電極と、該複数本のロッド電極のうちの中心軸の周りに隣接する所定の2本のロッド電極及び該2本のロッド電極の間の外側に配置された引出し電極と、を含むリニアイオントラップ部と、
前記複数本のロッド電極で囲まれるイオン捕捉空間に多重極RF電場を形成するべく、該複数本のロッド電極にそれぞれRF電圧を印加するRF電圧発生部と、
前記所定の2本のロッド電極の間を通して前記イオン捕捉空間にまでイオン引出し用の直流電場が及ぶように前記引出し電極に直流電圧を印加する引出し電圧発生部と、
前記RF電圧発生部及び前記引出し電圧発生部を制御する制御部であって、前記イオン捕捉空間にイオンが閉じ込められた状態で前記RF電圧又は前記直流電圧の少なくとも一方を変化させることにより、質量電荷比に応じてイオンを前記イオン捕捉空間から前記所定の2本のロッド電極の間を通して排出させる制御部と、
を備える。
【0059】
即ち、本発明では、リニアイオントラップからイオンを引き出す際に走査される電圧は、ロッド電極に印加されるRF電圧、又は引出し電極に印加される直流電圧の一方である。従って、第1項に記載のリニアイオントラップの駆動方法、及び第5項に記載の質量分析装置では、従来の共鳴励起排出のように、RF電圧とAC電圧という二つの異なる交流電圧を重畳してロッド電極に印加する必要がない。そのため、これら態様によれば、質量電荷比の順にイオンをリニアイオントラップから放出させる質量走査を実現しながら、リニアイオントラップを駆動する電源装置の構成を簡単にすることができる。その結果として、電源装置を小形・軽量化することができ、そのコストも抑えることができる。
【0060】
(第6項)なお、第5項に記載の質量分析装置において、前記所定の2本のロッド電極には、該2本のロッド電極の間の空間の一部と一体であるイオン引出し用の開口部を形成する欠損部が形成されているものとすることができる。
【0061】
原理的には、通常6以上である複数本のロッド電極のうち、中心軸の周りに隣接する2本のロッド電極の間の間隙を通してイオンを引き出すことが可能であるものの、実用上、イオン捕捉空間に十分な強度の直流電場を侵入させるのに上記間隙の大きさは不十分である。これに対し、第6項に記載の質量分析装置によれば、所定の2本のロッド電極の間に、十分な大きさのイオン引出し用の開口部を設けることができるので、該開口部を通してイオン捕捉空間に十分な強度の直流電場が侵入し、イオンを適切に外側へ引き出すことができる。
【0062】
(第2項)第1項に記載のリニアイオントラップの駆動方法において、前記イオン排出ステップでは、前記直流電場を一定とし、前記多重極RF電場を変化させることで、前記イオン捕捉空間に捕捉されているイオンを質量電荷比が小さくなる方向に順に排出させるものとすることができる。
【0063】
イオンを質量電荷比の順に引き出すには、直流電場と多重極RF電場のいずれを変化させてもよいが、イオンが引き出される際に付与されるエネルギーは直流電場によりもたらされるため、直流電場を変化させると、イオンが持つエネルギーが質量電荷比によって変わることになる。これは、例えば後述するようにリニアイオントラップから異なる時点で排出されたイオンを或る位置に同時に到達させたいような場合に都合が悪い。これに対し、第2項に記載のリニアイオントラップの駆動方法によれば、引き出されるイオンが持つエネルギーが一定になるため、そのイオンの移動速度は質量電荷比に依存したものとなり、イオンの到達位置を調整するのに都合が良い。
【0064】
(第3項)第1項又は第2項に記載のリニアイオントラップの駆動方法において、前記イオン排出ステップでは、前記リニアイオントラップから排出されるイオンの質量電荷比の変化が該リニアイオントラップの後段に配置されたマスフィルターの質量走査に同期するように、前記直流電場と前記多重極RF電場の少なくとも一方の変化が制御されるものとすることができる。
【0065】
(第7項)また第5項又は第6項に記載の質量分析装置では、前記リニアイオントラップ部の次段にマスフィルターが配置され、
前記制御部は、前記リニアイオントラップ部の前記イオン捕捉空間から排出されるイオンの質量電荷比と前記マスフィルターを通過するイオンの質量電荷比とが一致するように、前記RF電圧及び/又は前記直流電圧と、前記マスフィルターへの印加電圧とを同期的に制御するものとすることができる。
【0066】
第3項に記載のリニアイオントラップの駆動方法及び第7項に記載の質量分析装置では、マスフィルターを通過し得るm/zのイオンが前段のリニアイオントラップから排出されてマスフィルターに導入される。言い換えれば、マスフィルターを通過し得ないm/zのイオンは、そのイオンがマスフィルターを通過し得るような時点までリニアイオントラップに保持される。従って、第3項に記載のリニアイオントラップの駆動方法及び第7項に記載の質量分析装置によれば、マスフィルターで排除されるイオンを少なくし、生成されたイオンを有効に利用することで検出感度を高めることができる。
【0067】
(第8項)第5項~第7項のいずれか1項に記載の質量分析装置では、
前記リニアイオントラップ部は、軸方向に前記イオン捕捉空間にイオンを導入するための入口エンドキャップ電極、を含むとともに、
前記入口エンドキャップ電極に、イオンの通過を許容する電圧とイオンの通過を阻止する電圧とを切り替え可能に印加する入口電圧発生部と、
前記リニアイオントラップ部の前段に配置された、イオンの入口端と出口端とで多重極場の極数が相違する極数変換型のイオンガイドと、
をさらに備え、前記入口電圧発生部がイオンの通過を阻止する電圧を前記入口エンドキャップ電極に印加している期間に、前記極数変換型のイオンガイドの出口領域にイオンを蓄積するようにしたものとすることができる。
【0068】
第8項に記載の質量分析装置では、極数変換型イオンガイドからリニアイオントラップにイオンを導入し得る導入期間は限られるものの、その導入期間以外の期間に極数変換型イオンガイドにより搬送されて来たイオンは、該イオンガイドの出口領域に蓄積され、その次の導入期間にリニアイオンガイドに導入される。従って、極数変換型イオンガイドにより連続的にイオンが搬送されて来る場合であっても、イオンが廃棄されることなく確実にリニアイオントラップに導入される。これにより、質量分析に供するイオンの量を増やして検出感度を向上させることができる。また、一時的にしか生成されないイオンについても検出の見逃しが生じにくく、精度の良い分析が可能である。
【0069】
(第4項)第1項又は第2項に記載のリニアイオントラップの駆動方法において、前記イオン排出ステップでは、前記リニアイオントラップから排出された異なる質量電荷を有するイオンが、該リニアイオントラップから所定距離離れた位置に同時に到達するように、前記直流電場と前記多重極RF電場の少なくとも一方の変化の度合が制御されるものとすることができる。
【0070】
(第9項)第5項又は第6項に記載の質量分析装置において、前記制御部は、前記リニアイオントラップ部から排出されたイオンの全て又は該排出されたイオンのうちの所定の質量電荷比範囲のイオンが、該リニアイオントラップ部から所定距離だけ離れた所定の位置に同時に到達するように、前記RF電圧及び/又は前記直流電圧を変化させる際の速度又はその変化に要する時間を調整するものとすることができる。
【0071】
リニアイオントラップからm/zの大きい順にイオンを排出すると、イオンが付与されるエネルギーが同一であればm/zが大きいイオンほど速度が小さいため、遅れて排出された相対的にm/zが小さなイオンが先行して排出された相対的にm/zが大きなイオンに追いつく。そのため、例えば、イオン引出しのための直流電圧を一定に保ち、多重極RF電場が適切に変化するようにRF電圧の変化の速度やその変化に要する時間を調整すると、或る位置に全てのイオンがほぼ同時に到達するようにすることができる。これは、m/zが相違する様々なイオンを略同一の位置から出発させたい場合、具体的には、直交加速飛行時間型質量分離器で直交加速部からイオンを射出する場合や、フーリエ変換型質量分離器で周回軌道上の或る位置からイオンが同時に出発するようにしたい場合など都合がよい。
【0072】
(第10項)第9項に記載の質量分析装置では、前記リニアイオントラップ部の次段に直交加速飛行時間型質量分離器が配置され、
前記所定の位置は、前記直交加速飛行時間型質量分離器の直交加速部内の所定の位置であるものとすることができる。
【0073】
第10項に記載の質量分析装置によれば、幅広いm/zのイオンを略同時に直交加速部から射出することができるため、観測対象のイオンのm/z範囲を広げることができる。また、より多くのイオンを質量分析に供することで検出感度を向上させることができる。
【0074】
(第11項)また、第9項に記載の質量分析装置では、前記リニアイオントラップ部の次段にフーリエ変換型質量分離器が配置され、
前記所定の位置は、前記フーリエ変換型質量分離器におけるイオン軌道上の所定の位置であるものとすることもできる。
【0075】
第10項に記載の質量分析装置によれば、幅広いm/zのイオンをフーリエ変換型質量分離器に導入することができるため、観測対象のイオンのm/z範囲を広げることができる。また、より多くのイオンを質量分析に供することで検出感度を向上させることができる。
【符号の説明】
【0076】
1…イオン供給部
10…イオン源
11…極数変換イオンガイド
2…リニアイオントラップ
20…ロッド電極群
200…イオン捕捉空間
201~206…ロッド電極
203A、204A…欠損部
21…入口エンドキャップ電極
21A…開口
210…イオン引出し開口
23…引出し電極
23A…開口
3…電源部
31…エンドキャップ直流電源部
32…RF電源部
33…引出し直流電源部
4…制御部
5…質量分析・検出部
50、52…四重極マスフィルター
51、54…イオン検出器
53…直交加速飛行時間型質量分離器
531…直交加速部
531A…押出し電極
531B…引込み電極
532…加速電極
533…フライトチューブ
534…反射電極
55…多重周回フーリエ変換型質量分離部
56…イオン入射部