(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024058528
(43)【公開日】2024-04-25
(54)【発明の名称】植物のストレス耐性付与用組成物
(51)【国際特許分類】
A01N 37/44 20060101AFI20240418BHJP
A01P 21/00 20060101ALI20240418BHJP
A01G 7/06 20060101ALI20240418BHJP
【FI】
A01N37/44
A01P21/00
A01G7/06 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】21
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022192012
(22)【出願日】2022-11-30
(31)【優先権主張番号】P 2022165870
(32)【優先日】2022-10-14
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【公序良俗違反の表示】
(特許庁注:以下のものは登録商標)
1.TRITON
(71)【出願人】
【識別番号】000253503
【氏名又は名称】キリンホールディングス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110002572
【氏名又は名称】弁理士法人平木国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】平川 健
(72)【発明者】
【氏名】丹野 星亜
【テーマコード(参考)】
2B022
4H011
【Fターム(参考)】
2B022AA01
2B022AB20
2B022EA01
4H011AB03
4H011BB06
4H011DA13
4H011DD01
(57)【要約】
【課題】植物にストレス耐性を付与するための組成物、ストレス耐性を有する植物体を生
産する方法、および植物体にストレス耐性を付与する方法の提供。
【解決手段】N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくはその溶媒和物を有効成分と
して含む、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくはその溶媒和物を有効成分として含む、
植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物。
【請求項2】
植物が、双子葉植物または単子葉植物である、請求項1に記載の組成物。
【請求項3】
植物が、単子葉植物である、請求項1に記載の組成物。
【請求項4】
植物が、イネ科植物である、請求項3に記載の組成物。
【請求項5】
植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、請求項1に記載の組成物。
【請求項6】
植物が、ホップである、請求項5に記載の組成物。
【請求項7】
環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ス
トレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つの
ストレスである、請求項1に記載の組成物。
【請求項8】
環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、請求項7に記載の組成物。
【請求項9】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を植物に適用することを含む
、環境ストレス耐性を有する植物を生産する方法。
【請求項10】
植物が、双子葉植物または単子葉植物である、請求項9に記載の方法。
【請求項11】
植物が、単子葉植物である、請求項9に記載の方法。
【請求項12】
植物が、イネ科植物である、請求項11に記載の方法。
【請求項13】
植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、請求項9に記載の方法。
【請求項14】
植物が、ホップである、請求項13に記載の方法。
【請求項15】
環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ス
トレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つの
ストレスである、請求項9に記載の方法。
【請求項16】
環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、請求項15に記載の方法。
【請求項17】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を植物に適用することを含む
、植物に環境ストレス耐性を付与する方法。
【請求項18】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の
環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質の発現増強用組成物であって、環境ス
トレス応答性遺伝子がコードするタンパク質がZAT、HSFAまたはHSPである、発現増強用組
成物。
【請求項19】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の
成長増強用組成物。
【請求項20】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の環境ストレス応答性遺伝子のエピジェネティック修飾増強用組成物。
【請求項21】
N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む、植物の環境ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを上昇させるヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、植物にストレス耐性を付与する技術に関する。
【背景技術】
【0002】
植物において高温ストレス等の環境ストレスはタンパク質の変性や細胞膜の破損などを介して正常な成長を阻害する。そのため、高温下での安定的な成長や急激な温度上昇への対応には、植物の高温ストレスの強化技術が必要となる。
【0003】
植物において酸化ストレスは葉緑体における活性酸素種の発生やミトコンドリアの細胞死の誘導などを介して正常な成長を阻害する。酸化ストレスは高温や乾燥、低温ストレスなど様々な環境ストレスにより誘導されることから、植物が変動する環境で生育し続ける上で酸化ストレスへの耐性は非常に重要である。
【0004】
上述のような植物のストレス耐性を強化する方法として、植物が本来もつ高温ストレス応答性の遺伝子を過剰発現する植物を作出する方法があるが、形質転換を必要とすることや通常の生育が阻害されるなど問題点が存在する。
【0005】
その一方で、近年では低分子化合物の処理によるストレス耐性の強化法が報告されている(特許文献1を参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、植物にストレス耐性を付与するための組成物、ストレス耐性を有する植物体を生産する方法、および植物体にストレス耐性を付与する方法を提供することを目的とする。地球温暖化に伴って頻発する異常気象や人口増加による食糧難に備えて、不時の高・低温に耐えられる作物や、塩害や乾燥で耕作に適さない土地での栽培を可能とするような作物を開発するために、作物の環境ストレス耐性の強化は最も重要な課題のひとつである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、植物に環境ストレス耐性を付与する方法について鋭意検討を行った。その結果、植物にN-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を適用することで植物に環境ストレス耐性を付与し得ることを見出し、本発明を完成させるに至った。
【0009】
すなわち、本発明は以下のとおりである。
[1] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくはその溶媒和物を有効成分として含む、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物。
[2] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[1]の組成物。
[3] 植物が、単子葉植物である、[1]の組成物。
[4] 植物が、イネ科植物である、[3]の組成物。
[5] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[1]の組成物。
[6] 植物が、ホップである、[5]の組成物。
[7] 環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つのストレスである、[1]~[6]のいずれかの組成物。
[8] 環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、[7]の組成物。
【0010】
[9] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を植物に適用することを含む、環境ストレス耐性を有する植物を生産する方法
[10] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[9]の方法。
[11] 植物が、単子葉植物である、[9]の方法。
[12] 植物が、イネ科植物である、[11]の方法。
[13] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[9]の方法。
[14] 植物が、ホップである、[13]の方法。
[15] 環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス乾燥ストレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つのストレスである、[9]~[14]のいずれかの方法。
【0011】
[16] 環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、[15]の方法。
[17] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を植物に適用することを含む、植物に環境ストレス耐性を付与する方法。
[18] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[17]の方法。
[19] 植物が、単子葉植物である、[17]の方法。
[20] 植物が、イネ科植物である、[19]の方法。
[21] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[17]の方法。
[22] 植物が、ホップである、[21]の方法。
[23] 環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つのストレスである、[17]~[23]のいずれかの方法。
【0012】
[24] 環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、[23]の方法。
[25] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質の発現増強用組成物であって、環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質がZAT、HSFAまたはHSPである、発現増強用組成物。
[26] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[25]の発現増強用組成物。
[27] 植物が、単子葉植物である、[25]の発現増強用組成物。
[28] 植物が、イネ科植物である、[27]の発現増強用組成物。
[29] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[25]の発現増強用組成物。
[30] 植物が、ホップである、[29]の発現増強用組成物。
[31] 環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つのストレスである、[25]~[30]のいずれかの発現増強用組成物。
[32] 環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、[31]の発現増強用組成物。
[33] 環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質がZATである、[25]~[32]のいずれかの発現増強用組成物。
[34] 環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質がHSFAである、[25]~[32]のいずれかの発現増強用組成物。
[35] 環境ストレス応答性遺伝子がコードするタンパク質がHSPである、[25]~[32]のいずれかの発現増強用組成物。
【0013】
[36] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の成長増強用組成物。
[37] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[36]の成長増強用組成物。
[38] 植物が、単子葉植物である、[36]の成長増強用組成物。
[39] 植物が、イネ科植物である、[38]の成長増強用組成物。
[40] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[36]の成長増強用組成物。
[41] 植物が、ホップである、[40]の成長増強用組成物。
[42] 成長増強効果が、植物が普段受けている環境ストレスの影響を軽減されることによるものである、[36]~[41]のいずれかの成長増強用組成物。
[43] 植物が普段受けている環境ストレスが、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレスおよび傷害ストレスからなる群から選択される少なくとも1つのストレスである、[42]の成長増強用組成物。
[44] 環境ストレスが、高温ストレスまたは酸化ストレスである、[43]の成長増強用組成物。
[45] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む植物の環境ストレス応答性遺伝子のエピジェネティック修飾増強用組成物。
[46] エピジェネティック修飾がヒストンのアセチル化である、[45]の修飾増強用組成物。
[47] 環境ストレス応答性遺伝子がZAT遺伝子またはHSFA遺伝子である、[45]または[46]のエピジェネティック修飾増強用組成物。
[48] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[45]~[47]のいずれかのエピジェネティック修飾増強用組成物。
[49] 植物が、単子葉植物である、[45]~[47]のいずれかのエピジェネティック修飾増強用組成物。
[50] 植物が、イネ科植物である、[49]のエピジェネティック修飾増強用組成物。
[51] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[45]~[47]のいずれかのエピジェネティック修飾増強用組成物。
[52] 植物が、ホップである、[51]のエピジェネティック修飾増強用組成物。
[53] N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を有効成分として含む、植物の環境ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを上昇させるヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[54] 環境ストレス応答性遺伝子がZAT遺伝子またはHSFA遺伝子である、[53]のヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[55] ヒストンアセチル化酵素がHACである、[53]または[54]のヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[56] 植物が、双子葉植物または単子葉植物である、[53]~[55]のいずれかのヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[57] 植物が、単子葉植物である、[53]~[55]のいずれかのヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[58] 植物が、イネ科植物である、[57]のヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[59] 植物が、アサ科植物またはアブラナ科植物である、[53]~[55]のいずれかのヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
[60] 植物が、ホップである、[59]のヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物。
【発明の効果】
【0014】
植物にN-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を適用することにより、植物に高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレス、傷害ストレス等の環境ストレス耐性を付与することができる。この結果、地球温暖化に伴って頻発する異常気象や人口増加による食糧難に備えて、不時の高・低温に耐えられる作物や、塩害や乾燥で耕作に適さない土地での栽培を可能とするような作物を生産することができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】シロイヌナズナにおける高温ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図1Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナに対する高温ストレス処理の結果を示し、0.1 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)を処理して高温ストレス(44℃、1時間)を与えたシロイヌナズナを示す。
図1Bは、N-アセチルグルタミン酸処理および高温ストレス処理したシロイヌナズナにおけるクロロフィル量の定量の結果を示し、NAGを処理して高温ストレスを与えたシロイヌナズナにおける生重量あたりのクロロフィル量を示す。n = 9(検定方法: Tukeyの方法a、b、c、dの異なる文字の間で P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図2】ポット栽培したシロイヌナズナにおける高温ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図2Aは、ポット栽培においてN-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナに対する高温ストレス処理の結果を示し、ポット栽培で0.5 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)を処理し、高温ストレス(37℃、5日間)を与えたシロイヌナズナを示す。
図2Bは、ポット栽培においてN-アセチルグルタミン酸および高温ストレス処理したシロイヌナズナ地上部の生重量の定量の結果を示し、NAG処理をして高温ストレスを与えたシロイヌナズナの地上物の生重量を示す。NAG未処理の区画の生重量に対する相対生重量を算出した。n = 30(検定方法: Studentのt検定 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図3】イネにおける高温ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図3Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したイネに対する高温ストレス処理の結果を示し、0.5 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)を処理し、高温ストレス(44℃、180分)を与えたイネを示す。
図3Bは、N-アセチルグルタミン酸処理および高温ストレス処理したイネ地上部の生重量の定量の結果を示し、NAGを処理して高温ストレスを与えたイネの地上部の生重量を示す。n = 9(検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図4】ホップにおける高温ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図4Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したホップに対する高温ストレス処理の結果を示し、0.1 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)を処理し、高温ストレス(30℃、2週間)を与えたホップ(品種: ザーツ)を示す。スケールバー: 2 c m。
図4Bは、N-アセチルグルタミン酸処理および高温ストレス処理したホップ地上部の生重量の定量の結果を示す。NAG未処理の区画に対する相対生重量を算出した。n = 17(検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図5】N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナにおけるHSFA2(
図5A)およびHSP17.6C(
図5B)の遺伝子発現量解析の結果を示す図である。HSFA2とHSP17.6Cの両方ともに、N-アセチルグルタミン酸(NAG)未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図6】N-アセチルグルタミン酸処理したイネにおけるOsHSFA2Eの遺伝子発現量解析の結果を示す図である。N-アセチルグルタミン酸(NAG)未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図7】N-アセチルグルタミン酸処理したホップにおけるHlHSFA2(
図7A)およびHlHSP17.6C(
図7B)の遺伝子発現量解析の結果を示す図である。HlHSFA2とHlHSP17.6Cの両方ともに、N-アセチルグルタミン酸未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (Studentのt検定 *P < 0.05 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図8】シロイヌナズナにおける酸化ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図8Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナに対する酸化ストレス誘導剤Methyl viologen (MV)処理した場合の結果を示し、0.4 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)と5 μM MVを同時処理した際のシロイヌナズナを示す。
図8Bは、N-アセチルグルタミン酸および酸化ストレス誘導剤MV処理したシロイヌナズナにおけるクロロフィル量の定量の結果を示し、NAGとMVを同時処理した際のシロイヌナズナにおける生重量当たりのクロロフィル量を示す。n = 15 (検定方法: Tukeyの方法 a、b、cの異なる文字の間で P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図9】イネにおける酸化ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図9Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したイネに対する酸化ストレス誘導剤Methyl viologen (MV)処理した場合の結果を示し、0.5 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)と2.5 μM MVを同時処理した際のイネを示す。
図9Bは、N-アセチルグルタミン酸および酸化ストレス誘導剤MV処理したイネの第2葉におけるクロロフィル量の定量の結果を示し、NAGとMVを同時処理した際のイネにおける第2葉の生重量当たりのクロロフィル量を示す。n = 15 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図10】ホップにおける酸化ストレス処理に対するN-アセチルグルタミン酸の効果を示す図である。
図10Aは、N-アセチルグルタミン酸処理したホップ葉に対する酸化ストレス誘導剤Methyl viologen (MV)処理した場合の結果を示し、1 mM N-アセチルグルタミン酸(NAG)と5 μM MVを同時処理した際のホップの葉を示す。
図9Bは、N-アセチルグルタミン酸およびMV処理したホップ葉におけるクロロフィル量の定量の結果を示し、NAGとMVを同時処理した際のホップの葉における生重量当たりのクロロフィル量を示す。n = 18 (検定方法: Studentのt検定 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図11】N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナにおけるZAT10(
図11A)、ZAT12(
図11B)の遺伝子発現量解析の結果を示す図である。ZAT10とZAT12の両方ともに、N-アセチルグルタミン酸(NAG)未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図12】N-アセチルグルタミン酸処理したイネにおけるOsZAT12の遺伝子発現量解析の結果を示す図である。N-アセチルグルタミン酸(NAG)未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図13】N-アセチルグルタミン酸処理したホップにおけるHIZAT10(
図13A)、HIZAT12(
図13B)の遺伝子発現量解析の結果を示す図である。HlZAT10とHlZAT12の両方ともに、N-アセチルグルタミン酸(NAG)未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図14】N-アセチルグルタミン酸処理したシロイヌナズナにおけるZAT10、ZAT12、HSFA2のヒストンH4のアセチル化レベルを示す図である。ZAT10、ZAT12、HSFA2全てにおいて、N-アセチルグルタミン酸未処理の区画のヒストンH4のアセチル化レベルに対する相対値を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05 **P < 0.01、エラーバーは標準誤差を示す)。
【
図15】N-アセチルグルタミン酸および高温処理したシロイヌナズナにおけるHAC1およびHAC12の遺伝子発現量解析結果を示す図である。HAC1とHAC12の両方ともに、N-アセチルグルタミン酸未処理の区画の発現量に対する相対発現量を算出した。n = 3 (検定方法: Studentのt検定 *P < 0.05、エラーバーは標準誤差を示す)。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本発明を詳細に説明する。
【0017】
本発明は、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物である。環境ストレス耐性の付与とは、環境ストレスによる影響を抑制するまたは環境ストレスが与えられる前に予めその影響を抑制する能力を与えることを意味し、環境ストレスによる影響を小さくしたりなくしたりすることが含まれる。本発明の組成物中の有効成分は、N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物である。本発明はまた、N-アセチルグルタミン酸またはその塩もしくは溶媒和物を植物に適用することにより、植物に環境ストレス耐性を付与する方法、または環境ストレス耐性を有する植物を生産する方法である。
【0018】
本発明のN-アセチルグルタミン酸を含む組成物は、植物に環境ストレス耐性を付与することにより、植物が普段受けている環境ストレスの影響を軽減させることができ、植物の生長を増強することができるので、植物成長増強用組成物ということもできる。植物が普段受けている環境ストレスとは、白化、生育不良、枯れなどが生じない程度の軽度の環境ストレスを含む。
【0019】
なお、環境ストレスによる影響とは、環境ストレスにより植物に生じる、例えば、白化、生育不良、枯れなどの植物にとって好ましくない状況を意味する。
【0020】
本発明はさらに、植物の環境ストレス応答性タンパク質の発現増強用組成物、該タンパク質の発現増強方法、該タンパク質の発現増強された植物を生産する方法である。本発明はさらにまた、植物の環境ストレス応答性遺伝子のエピジェネティック修飾の増強用組成物、該遺伝子のエピジェネティック修飾の増強方法、該遺伝子のエピジェネティック修飾の増強された植物を生産する方法である。本発明はさらにまた、植物の環境ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを上昇させるヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物、該酵素の増強方法、該酵素の増強された植物を生産する方法である。
【0021】
1.N-アセチルグルタミン酸
N-アセチルグルタミン酸(N-Acethylglutamic acid)は、式Iで表される構造式を有し、化学式はC7H11NO5で表され、略称はNAGである。また、外観は白色~ほとんど白色の結晶~結晶粉末である。
【0022】
【0023】
L型(N-アセチル-L-グルタミン酸)およびD型(N-アセチル-D-グルタミン酸)のいずれも用いることができるが、生体内で合成されるL型(N-アセチル-L-グルタミン酸)が好ましい。N-アセチルグルタミン酸は、原核生物および単純な真核生物では例えば、N-アセチルグルタミン酸合成酵素またはオルニチンアセチルトランスフェラーゼによってN-アセチルグルタミン酸が生成されるから、N-アセチルグルタミン酸を生成する生物の分泌物、分離物、抽出物、これらの精製物を使用してもよく、該生物をそのまま使用してもよい。生物を介さない酵素による産生方法や、変異処理を施した/または施さない微生物による発酵法によるものでもよい。また、N-アセチルグルタミン酸は、化学的に合成することもできる。もちろん、市販のものを用いてもよい。市販のものは、富士フイルム、和光純薬社、シグマ-アルドリッチ社、東京化成工業社製等のものを用いることができる。
【0024】
塩としては、塩水和物も塩無水物も含まれ、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウム、アルミニウム等の無機塩基との塩;メチルアミン、エチルアミン、エタノールアミン等の有機塩基との塩;リジン、オルニチン等の塩基性アミノ酸との塩及びアンモニウム塩が挙げられる。塩は、酸付加塩でもよく、そのような塩としては、具体的には、塩酸、臭化水素酸、ヨウ化水素酸、硫酸、硝酸、リン酸等の鉱酸;ギ酸、酢酸、プロピオン酸、シュウ酸、マロン酸、コハク酸、フマル酸、マレイン酸、乳酸、リンゴ酸、酒石酸、クエン酸、メタンスルホン酸、エタンスルホン酸等の有機酸;アスパラギン酸、グルタミン酸等の酸性アミノ酸との酸付加塩が挙げられる。以下、N-アセチルグルタミン酸という場合、その塩、溶媒和物を含む。
【0025】
N-アセチルグルタミン酸は高速液体クロマトグラフィーと質量分析(MS)計を用いることで定量する。すなわち、N-アセチルグルタミン酸が含まれるサンプルを高速液体クロマトグラフィーによって成分分離し、分離した成分に対して質量分析解析(シングルMSまたはタンデムMS)をすることで試料中に含まれるN-アセチルグルタミン酸量を測定する。
【0026】
2.環境ストレス
農研機構による農業技術辞典によれば(http://lib.ruralnet.or.jp/nrpd/#koumoku=11040)、環境ストレスとは、植物にとって好ましくない外的要因のうち、高温、低温、乾燥等の非生物的ストレスをいう。環境ストレスとして、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレス、傷害ストレス等が挙げられる。
【0027】
このうち酸化ストレスとは、一般に生体内において生成される活性酸素群の酸化損傷力と生体がもつ抗酸化システムのポテンシャルの差として定義される。酸化ストレスは、上記の環境ストレスに曝された植物体内における活性酸素群の生産量の増加や、あるいは、抗酸化システムの低下によりもたらせられる。酸化ストレスは、上記の環境ストレスが起因となって活性酸素群の生産量が増加することでもたらせられることがある。酸化ストレスに晒された植物は、白化、生育不良、枯れなどが生じうる。
【0028】
植物は、本来環境ストレスに対して、生存率、成長および収量等の低下を抑制する能力を有しており、この能力を環境ストレス耐性という。植物の環境ストレス耐性として、高温耐性、低温耐性、乾燥体制及び塩ストレス耐性の4つが知られている。
【0029】
高温耐性は、高温に耐える能力のことをいう。温度が急激に上昇すると、植物は熱ショックタンパク質(HSP)を産生する。HSPは熱による細胞内蛋白質の変性を防いだり、変性したタンパク質を元の構造に戻したりする機能がある。HSPを産生した植物は、通常なら枯死する高温にも耐えることができる。したがって、高温ストレスとは、その植物が通常生育に適した温度帯より高い温度に任意の時間、任意の回数曝されることをいう。高温ストレスに曝された植物は、光合成が阻害される、水分吸収しにくくなる、植物ホルモンのバランスが崩れる、などの状態が引き起こされ、結果として生理障害が起き白化、生育不良、枯れなどがおきる。
【0030】
低温耐性は低温に耐える能力のことをいう。イネをはじめとする熱帯や亜熱帯起源の植物は、10~15℃程度の冷温でも傷害が発生する。このような低温感受性の植物では、膜脂質の不飽和度が、コムギ等の冷温耐性植物よりも低く、冷温下で膜の流動性が低下する。低温耐性植物では、低温馴化の過程で不飽和化酵素の活性が高まり、不飽和脂質の割合がさらに上昇する。普通なら水の氷点以下の温度では凍結傷害が発生するが、低温耐性植物では低温馴化によって耐凍性を獲得し、過冷却や遅延脱水により氷晶の形成を抑制することができるようになる。したがって、低温ストレスとは、その植物が通常生育するのに適した温度帯より低い温度に任意の時間、任意の回数曝されることをいう。また、温度ストレスとは、その植物が通常生育するのに温度帯より高温または低温に任意の時間、任意の期間曝されることをいう。低温ストレスに曝された植物は、生理障害が起き生育不良、枯れなどがおきる。
【0031】
乾燥耐性は水分欠乏に耐える能力のことをいう。水分が欠乏すると、植物は葉を脱落させて葉面積を縮小したり、葉の表面のクチクラ層を厚くしたり、気孔を閉じて蒸散を防いだりするほか、根の伸長を増強してより深い湿った土壌で根圏を展開するなどして乾燥から身を守る。また、糖類やアミノ酸などの適合溶質を細胞質中に蓄積させて浸透圧調節を行なうことで水分バランスを保つ。親水性のLEA蛋白質は、水を保ち、他の蛋白質の乾燥による結晶化を防いでいると考えられている。したがって、乾燥ストレスとは、その植物が通常生育可能な水分条件より少ない水分条件に任意の時間、任意の回数曝されることをいう。乾燥ストレスに曝された植物は生理障害が起き、生育不良、枯れなどが起きる。
【0032】
塩ストレス耐性は、塩障害に耐える能力のことをいう。塩障害は、浸透圧ストレスによる水分欠乏と、イオンの毒性による酵素の不活化や蛋白質合成阻害により生じる。植物は、水分欠乏に対しては、乾燥のときと同様に適合溶質を細胞質中に蓄積させて浸透圧調節を行なう。イオン毒性に耐性を発現するためには、Na+を液胞に輸送して細胞質から隔離する能力が重要であり、Na+-H+対向輸送体(アンチポーター)として機能するSOS1遺伝子産物がその役割を果たしている。したがって、塩ストレスとは、その植物が通常生育可能な塩条件より高い塩条件に任意の時間、任意の回数曝されることをいう。塩ストレスに曝された植物は生育障害などが起きる。
【0033】
植物は、上記の4つの環境ストレス耐性により、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレス、傷害ストレスに対抗し、これらのストレスの存在下においても、生存率、成長および収量等の低下を抑制することができる。
【0034】
N-アセチルグルタミン酸は、植物に上記の4つの環境ストレス耐性を付与し、その結果植物は、高温ストレス、低温ストレス、酸化ストレス、強光ストレス、乾燥ストレス、化学品ストレス、傷害ストレス等の環境ストレスに対する耐性を獲得することができる。なお、種々の環境変化、例えば乾燥、強光、高温、農薬などの化学品、傷害、感染、種々の異物等の影響により活性酸素種消去機構の許容量を遥かに越えた大量の活性酸素種が生じる場合もある。植物は、乾燥、強光(その植物が通常生育しうる光条件より強い光または長時間の光にさらされること)、高温、低温、農薬などの化学品、傷害、感染、種々の異物等のストレスによる活性酸素種消去機構の許容量を超える酸化ストレスに晒されてもそれを抑制することができれば、これらのストレスの影響を抑制しうると考えられる。
【0035】
3.環境ストレス応答性遺伝子発現の増強
N-アセチルグルタミン酸は、植物における環境ストレス耐性に関与する環境ストレス応答性遺伝子の発現を増強し、その結果植物に環境ストレス耐性を付与することができる。
【0036】
シロイヌナズナにおける、環境ストレス応答性遺伝子として、環境ストレスが高温ストレスの場合、高温ストレス応答性遺伝子の発現が増強される。高温ストレス応答性遺伝子として、転写因子であるHSFA、好ましくはHSFA2遺伝子、またはヒートショックタンパク質をコードするHSP遺伝子、好ましくはHSP17.6C遺伝子、が挙げられる。
【0037】
他の植物種においては、シロイヌナズナのHSFA遺伝子、好ましくはHSFA2遺伝子のホモログおよび/またはシロイヌナズナのHSP遺伝子、好ましくはHSP17.6C遺伝子のホモログの発現が増強される。各植物種において、例えば、ホモログの塩基配列を取得する際はシロイヌナズナの上記遺伝子がコードするタンパク質のアミノ酸配列をクエリーとしたTBLASTNサーチを行い、ホモログ候補として挙げられた遺伝子の中から最もスコアの高い遺伝子をホモログとして選択することができる。例えば、ホップにおいては、H1HSFA遺伝子、好ましくはHlHSFA2遺伝子および/またはH1HSP遺伝子、好ましくはHlHSP17.6C遺伝子、イネにおいてはOsHSFA遺伝子、好ましくはOsHSFA2E遺伝子の発現が増強される。
種々の植物種におけるシロイヌナズナのHSFA遺伝子、HSFA2遺伝子のホモログがコードするタンパク質を総称としてそれぞれHSFA、HSFA2と称し、種々の植物種におけるシロイヌナズナのHSP遺伝子、HSP17.6C遺伝子のホモログがコードするタンパク質を総称としてそれぞれHSP、HSP17.6Cと称する。
【0038】
これらの高温ストレス応答性遺伝子の発現は、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物において、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較して、1.1倍以上、好ましくは1.2倍以上、さらに好ましくは1.5倍以上、さらに好ましくは1.7倍以上増加する。
【0039】
また、シロイヌナズナにおける、環境ストレス応答性遺伝子として、環境ストレスが酸化ストレスの場合、酸化ストレス応答性遺伝子の発現が増強される。酸化ストレス応答性遺伝子として、転写因子であるZAT、好ましくはZAT10またはZAT12が挙げられる。
【0040】
他の植物においては、シロイヌナズナのZAT遺伝子、好ましくはZAT10遺伝子のホモログおよび/またはシロイヌナズナのZAT12遺伝子のホモログの発現が増強される。各植物種において、例えば、ホモログの塩基配列を取得する際はシロイヌナズナの上記遺伝子がコードするタンパク質のアミノ酸配列をクエリーとしたTBLASTNサーチを行い、ホモログ候補として挙げられた遺伝子の中から最もスコアの高い遺伝子をホモログとして選択することができる。例えば、ホップにおいては、H1ZAT遺伝子、好ましくはHlZAT10遺伝子および/またはHlZAT12遺伝子、イネにおいてはOsZAT遺伝子好ましくはOsZAT12遺伝子、の発現が増強される。種々の植物種におけるシロイヌナズナのZAT遺伝子、ZAT10遺伝子およびZAT12遺伝子のホモログがコードするタンパク質を総称としてそれぞれZAT、ZAT10、ZAT12と称する。
【0041】
これらの高温ストレス応答性遺伝子の発現は、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物において、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較して、1.1倍以上、好ましくは1.2倍以上、さらに好ましくは1.5倍以上、さらに好ましくは1.7倍以上増加する。
【0042】
遺伝子発現の増強は、N-アセチルグルタミン酸により植物において遺伝子の発現が増強されたか否かは、植物体からRNAを抽出し、逆転写酵素を用いてcDNAを合成し、リアルタイムPCRにより発現量を解析することにより測定することができる。ここで、N-アセチルグルタミン酸による遺伝子発現の増強とは、植物体にストレスが付与される前に発現が増強される場合、ストレスが付与されたときに発現が増強される場合のいずれの場合をも含む。
【0043】
本発明は、N-アセチルグルタミン酸を含む高温ストレス応答性遺伝子や酸化ストレス応答性遺伝子等の環境ストレス耐性に関与する遺伝子の発現増強または発現増強用組成物を包含する。具体的には、本発明は、N-アセチルグルタミン酸を含むZAT発現増強用組成物、HSFA発現増強用組成物およびHSP発現増強用組成物を包含する。該組成物の組成は、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物と同様である。
【0044】
N-アセチルグルタミン酸で植物を処理すると、ZATをコードする遺伝子、好ましくはZAT10およびZAT12をコードする遺伝子発現を増強することができる。その結果、細胞内の活性酸素種の蓄積を抑制する遺伝子群の活性化により(Davletova et al, Plant Physiol. 2005 Oct; 139[2]: 847-856)、酸化、乾燥、強光、高温、農薬などの化学品、傷害によるストレスに対する耐性を付与することができる。また、N-アセチルグルタミン酸で植物を処理すると、HSFAをコードする遺伝子、好ましくはHSFA2をコードする遺伝子およびHSPをコードする遺伝子、好ましくはHSP17.6Cをコードする遺伝子発現を増強することができる。その結果、高温によるストレスに対する耐性を付与することができる。
【0045】
すなわち、N-アセチルグルタミン酸で植物の処理による環境ストレス耐性の付与は、上記遺伝子の発現を介しても達成できる。
なお、本発明により発現が増強される遺伝子は、当該遺伝子との同一性がたとえば、70%、71%、72%、73%、74%、75%、76%、77%、78%、79%、80%、81%、82%、83%、84%、85%、86%、87%、88%、89%、90%、91%、92%、93%、94%、95%、96%、97%、98%、99%、100%である遺伝子である。
【0046】
4.環境ストレス応答性遺伝子のエピジェネティック修飾
N-アセチルグルタミン酸で植物を処理すると、環境ストレス応答性遺伝子のエピジェネティック修飾を増強することができる。すなわち、本発明は、高温ストレス応答性遺伝子や酸化ストレス応答性遺伝子等の環境ストレス耐性に関与する遺伝子のエピジェネティック修飾、好ましくは環境ストレス耐性遺伝子のヒストンのアセチル化またはエピジェネティック増強用組成物、好ましくは環境ストレス耐性遺伝子のヒストンのアセチル化増強用組成物を包含する。具体的には、本発明は、N-アセチルグルタミン酸を含むZATをコードする遺伝子、好ましくはZAT10をコードする遺伝子およびZAT12をコードする遺伝子のヒストンアセチル化の増強用組成物、HSFAをコードする遺伝子、好ましくはHSFA2をコードする遺伝子のヒストンアセチル化の増強用組成物を包含する。該組成物の組成は、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物と同様である。なお、遺伝子の発現情報の伝達である遺伝には、塩基配列に依存するジェネティックな遺伝と塩基配列によらず、遺伝子の修飾状態の変化に依存するエピジェネティックな遺伝があり、エピジェネティックな遺伝が依存する遺伝子の修飾をエピジェネティック修飾といい、DNAメチル化やヒストンアセチル化が知られている。
【0047】
また、本発明は、N-アセチルグルタミン酸を含むヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物、好ましくは環境ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを上昇させるヒストンアセチル化酵素発現の増強用組成物、N-アセチルグルタミン酸を含むヒストンアセチル化酵素であるHACの発現増強用組成物、好ましくはHAC1およびHAC12の増強用組成物を包含する。具体的には、N-アセチルグルタミン酸で植物を処理すると、HACをコードする遺伝子、好ましくはHAC1およびHAC12をコードする遺伝子を増強することができる。その結果、細胞内の酸化ストレス応答性遺伝子などのストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化が増強され、そして、細胞内の酸化ストレス応答性タンパク質などのストレス応答性タンパク質の発現が増強され環境ストレスに対する耐性を付与することができる。該組成物の組成は、植物の環境ストレス耐性を付与するための組成物と同様である。なお、ヒストンアセチル化によりヒストンにアセチル基が付加されるとクロマチン構造が弛緩することで遺伝子の発現が正に制御されることが知られている。このヒストンのアセチル化は,アセチル基をヒストンに付加するヒストンアセチル化酵素(histone acetyltransferase:HAT)により担われることが知られている。
【0048】
すなわち、N-アセチルグルタミン酸による植物の処理による環境ストレス耐性の付与は、上記効果を介しても達成でき、環境ストレス応答性遺伝子の発現増強は、たとえばヒストンのアセチル化やヒストンアセチル化酵素発現の増強を介したものである。
【0049】
なお、本発明により発現が増強される遺伝子は、当該遺伝子との同一性がたとえば、70%、71%、72%、73%、74%、75%、76%、77%、78%、79%、80%、81%、82%、83%、84%、85%、86%、87%、88%、89%、90%、91%、92%、93%、94%、95%、96%、97%、98%、99%、100%である遺伝子である。
【0050】
ZAT10をコードする遺伝子、ZAT12をコードする遺伝子、HSFA2をコードする遺伝子等のストレス応答性遺伝子のヒストンのアセチル化については、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物において、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較して、1.1倍以上、好ましくは1.2倍以上、さらに好ましくは1.5倍以上、さらに好ましくは1.9倍以上増加する。コアヒストンである、ヒストンH2A、ヒストンH2B、ヒストンH3およびヒストンH4のいずれもがアセチル化されるが、これらの一部のヒストンのアセチル化レベルを測定してもよく、例えば、ヒストンH4のアセチル化レベルを測定すればよい。ヒストンのアセチル化レベルの定量は、例えば、アセチル化ヒストンを認識する抗体を用いて、細胞内のアセチル化レベルを測定することにより行うことができる。
【0051】
HAC1、HAC12等のヒストンアセチル化酵素の発現は、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物において、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較して、1.1倍以上、好ましくは1.2倍以上、さらに好ましくは1.3倍以上増加する。
【0052】
なお、シロイヌナズナ以外のヒストンアセチル化酵素においては、シロイヌナズナのヒストンアセチル化酵素をコードする遺伝子のホモログの発現が増強される。各植物種において、例えば、ホモログの塩基配列を取得する際はシロイヌナズナのヒストンアセチル化酵素の遺伝子がコードするタンパク質のアミノ酸配列をクエリーとしたTBLASTNサーチを行い、ホモログ候補として挙げられた遺伝子の中から最もスコアの高い遺伝子をホモログとして選択することができる。
【0053】
N-アセチルグルタミン酸により植物において目的の遺伝子の発現が増強されたか否かは、植物体からRNAを抽出し、逆転写酵素を用いてcDNAを合成し、リアルタイムPCRにより発現量を解析することにより測定することができる。ここで、N-アセチルグルタミン酸による遺伝子発現の増強とは、植物体にストレスが付与される前に発現が増強される場合、ストレスが付与されたときに発現が増強される場合のいずれの場合をも含む。
【0054】
5.対象植物
本発明において、対象とする植物は、被子植物および裸子植物いずれも含むが好ましくは被子植物である。さらに、被子植物は双子葉植物および単子葉植物いずれも含む。単子葉植物として、イネ、トウモロコシ、オオムギ、コムギ、ソルガム等のイネ科植物;サトイモ、コンニャク等のサトイモ科植物;タマネギ、ネギ等のヒガンバナ科植物;アスパラガス等のキジカクシ科植物等が挙げられる。この中でも、イネ科植物が好ましい。双子葉植物として、アサ、ホップ、ムクノキ、エノキ等のアサ科植物;キャベツ、ハクサイ、ブロッコリ、ダイコン、ルッコラ、コマツナ、ミズナ、カラシナ、シロイヌナズナ等のアブラナ科植物;ジャガイモ(ばれいしょ)、タバコ、ベンサミアナタバコ、トマト等のナス科植物;レタス、アーティチョーク等のキク科植物;アルファルファ、ダイズ等のマメ科植物;ホウレンソウ、テンサイ等のヒユ科植物;シソ、バジル等のシソ科植物;ニンジン、ミツバ等のセリ科植物;メロン、スイカ、キュウリ、カボチャ等のウリ科植物;ワタ等のアオイ科植物等が挙げられる。この中でも、アサ科植物、アブラナ科植物が好ましい。また、好ましくはトマトを除く。
【0055】
6.N-アセチルグルタミン酸の適用方法及び適用量
N-アセチルグルタミン酸により植物に環境ストレス耐性を付与するためには、植物にN-アセチルグルタミン酸を適用すればよい。
【0056】
ここで、N-アセチルグルタミン酸の適用とは、植物にN-アセチルグルタミン酸を触れさせたり、その内部に取り込ませることを言い、例えば、植物をN-アセチルグルタミン酸で処理する、または植物にN-アセチルグルタミン酸を投与または添加することをいう。
【0057】
N-アセチルグルタミン酸は、粉末または結晶形態のものをそのまま適用してもよく、水、緩衝液等の適切な溶媒に溶解したり、賦形剤などと共存させたり、肥料、培地、培養土、農薬等に配合して適用してもよい。N-アセチルグルタミン酸は、例えば、培養、水耕栽培、土壌栽培、ポット栽培の植物に適用することができる。具体的には、N-アセチルグルタミン酸を培地や土壌に投与してもよいし、植物体に直接投与してもよく、培地・土壌と植物体のどちらかまたは一方に散布したり噴霧してもよい。植物体に投与する場合は、例えば、植物の種子、苗、葉、茎等に散布、噴霧、塗布、潅水、潅注等により投与すればよい。本発明において、N-アセチルグルタミン酸を溶媒に溶解したものや、肥料、培地、培養土、農薬等に配合したり、賦形剤等と共存させたものをN-アセチルグルタミン酸を含む組成物という。該組成物は、乳剤、液剤、水溶財、粉末剤、粉剤、ペースト剤、粒剤、水和剤等の形態で適用することができる。植物に散布や噴霧する場合、噴霧器や散布機を利用すればよく、広い農場に大規模に散布する場合、ヘリコプターやドローンにより空中散布すればよい。
【0058】
N-アセチルグルタミン酸を適用するタイミングは限定されず、環境ストレスに曝される前、環境ストレスに曝されるときと同時、または環境ストレスに曝された後でもよい。好ましくは、あらかじめ植物にストレス耐性を付与しておくために、環境ストレスに曝される前、または環境ストレスに曝されるときと同時に適用する。特に環境ストレスに曝される前に適用することが好ましい。
【0059】
例えば、気象予報により、植物が高温ストレス、低温ストレス、乾燥ストレス等に曝されることが予測される場合、植物にあらかじめN-アセチルグルタミン酸を適用しておけばよい。また、天候の急変等により、植物が高温ストレス、低温ストレス、乾燥ストレス等に曝される事態が生じた場合、植物に速やかにN-アセチルグルタミン酸を適用すればよい。また、植物が高温ストレス、低温ストレス、乾燥ストレス等に曝される場合、同時に酸化ストレスにも曝される。従って、植物が高温ストレス、低温ストレス、乾燥ストレス等に曝されることが予測され、N-アセチルグルタミン酸を適用する場合、酸化ストレスに対しても耐性を付与することができる。
【0060】
いずれの場合においても、N-アセチルグルタミン酸を連続的に適用しても、断続的に適用してもよい。ここで、連続的に適用するとは、例えば、N-アセチルグルタミン酸を培地に混合して一定期間培養または水耕栽培することや、N-アセチルグルタミン酸が持続的に供給されるような道具を使用して土壌にて栽培することをいう。また、断続的に適用するとは、例えば、培養や水耕栽培の場合は予想されるストレスの時期や程度に合わせ適時に適用することをいい、土壌栽培では土壌の水分状況や予想されるストレスの時期や程度に合わせ適時に適用することができる。連続的に適用する場合、適用期間は限定されず、例えば、ストレスの原因が消失するまで、適用を続けることができる。また、断続的に適用する場合、適用回数や量は限定されず、例えば、ストレスの原因が消失するまで、繰り返し適用することができ、連続的な適用の後、再び適用する場合を含む。
【0061】
N-アセチルグルタミン酸を含む組成物中のN-アセチルグルタミン酸の濃度は限定されず、後記のN-アセチルグルタミン酸の必要量が植物に適用できるように組成物を適用することができる。
【0062】
N-アセチルグルタミン酸の適用量は、植物の種類や成長度合い、ストレスの程度に応じて適宜調節することができる。
【0063】
以下に適用量を例示する。培地体積あたりまたは土壌体積あたり、例えば、0.001~1000000μM、好ましくは0.01~100000μM、0.1~10000μM、1~1000μM、10~1000μMの濃度で適用することができる。また、特に土壌に適用する場合は、土壌面積当たり、1回当たり、例えば0.01~10000mmol/m2、好ましくは0.1~1000mmol/m2、0.5~100mmol/m2、1~50mmol/m2、0.01~10000mmol/m2の量で適用することができる。一方で、1植物体1回当たり、例えば、0.001~10000μmol、好ましくは0.001~10000μmol、0.01~1000μmol、0.1~100μmol、1~100μmolを適用することができる。
【0064】
7.ストレス耐性付与の確認方法
N-アセチルグルタミン酸を適用した植物に環境ストレス耐性が付与されたか否かは、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物を環境ストレスに曝し、その後葉の白化の程度を目視で確認するか、植物の種子と根を除いた地上部の生重量を測定するか、あるいは植物中のクロロフィル量を測定することにより確認することができる。
【0065】
環境ストレスが高温ストレスの場合、例えば、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物を高温化に置いて、例えば、30~50℃で60分~数週間で処理し、その後葉の白化の程度を目視で確認するか、植物の種子と根を除いた地上部の生重量を測定するか、あるいは植物中のクロロフィル量を測定することにより確認することができる。高温ストレス処理時の温度および時間は植物種により適宜決めることができる。クロロフィル量の定量は例えば、Yamaguchi et al.(Nature Commun.,2021,Jun 9;12[1]:3480)の方法に従って行うことができる。この際、高温処理していない未処理の植物やN-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較し、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物に比較して白化の程度や生重量やクロロフィル量の低下が少なければ、酸化ストレス耐性が付与されたと判断することができる。
【0066】
環境ストレスが酸化ストレスの場合、例えば、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物をMethyl viologen等の酸化ストレス誘導剤で処理し、数日間置いて、その後葉の白化の程度を目視で確認するか、植物の種子と根を除いた地上部の生重量を測定するか、あるいは植物中のクロロフィル量を測定することにより確認することができる。Methyl viologenの濃度や処理時間は、植物種により適宜決めることができる。この際、酸化ストレス誘導剤で処理していない未処理の植物やN-アセチルグルタミン酸を適用していない植物と比較し、N-アセチルグルタミン酸を適用していない植物に比較して白化の程度や生重量やクロロフィル量の低下が少なければ、酸化ストレス耐性が付与されたと判断することができる。
【0067】
さらに、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物に環境ストレス耐性が付与されたか否かは、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物を環境ストレスに曝し、その後植物において、環境ストレス応答性遺伝子の発現を測定することにより確認することができる。環境ストレス応答性遺伝子として、上の「3.環境ストレス応答性遺伝子発現の増強」に記載した、HSFAをコードする遺伝子、HSPをコードする遺伝子、ZATをコードする遺伝子が挙げられる。これらの遺伝子発現が増強される場合、環境ストレス耐性が付与されたと判断することができる。これらの遺伝子のうち、HSFAをコードする遺伝子およびHSPをコードする遺伝子の発現が増強された場合は高温ストレス耐性が付与されたと判断することができ、ZATをコードする遺伝子の発現が増強された場合は酸化ストレス耐性が付与されたと判断することができる。
【0068】
8.植物成長増強の確認方法
N-アセチルグルタミン酸を適用した植物に成長増強効果が付与されたか否かは、N-アセチルグルタミン酸を適用した植物を、その後、植物の種子と根を除いた地上部の生重量を測定することにより確認することができる。また、葉の枚数、草丈、葉色、クロロフィルの量などを測定することによっても確認することができる。
【実施例0069】
本発明を以下の実施例によって具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例によって限定されるものではない。
【0070】
実施例1: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス耐性の強化
1.目的
植物において高温ストレスはタンパク質の変性や細胞膜の破損などを介して正常な成長を阻害する。そのため、高温下での安定的な成長や急激な温度上昇への対応には、植物の高温ストレスの強化技術が必要となる。植物の高温ストレス耐性を強化する方法として、植物が本来もつ高温ストレス応答性の遺伝子を過剰発現する植物を作出する方法があるが、形質転換を必要とすることや通常の生育が阻害されるなど問題点が存在する。その一方で、近年では低分子化合物の処理によるストレス耐性の強化法が高温ストレスに限定せず報告されている。この方法は形質転換を必要しないため汎用性が高く、様々な植物種でのストレス耐性の強化が期待できる。そこで、植物の高温ストレス耐性を強化する化合物を探索するために、モデル植物シロイヌナズナを材料として、アミノ酸の一種であるN-アセチルグルタミン酸の高温ストレス耐性の強化の可能性を検証した。
【0071】
2.実験方法
(1)実験材料
シロイヌナズナの野生株(accession: Col-0)を実験材料とした。種子は株式会社インプランタイノベーションズ(https://www.inplanta.jp/)より購入した。
【0072】
(2)生育方法
生育培地には1/2ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類(Nacalai)・1(w/v)%スクロース(FUJIFILM Wako)を含む液体培地を使用した。
【0073】
蒸留水で半分の濃度に希釈したキッチンハイター溶液(登録商標、花王)でシロイヌナズナ種子を3分間滅菌処理し、滅菌蒸留水で3回洗浄した後、4℃で一晩インキュベートした。生育培地を24ウェルマイクロプレート(IWAKI)に1 mLずつ分注し、1ウェル当たり種子3粒を播種した後、インキュベーター(TOMY)に移して生育を開始した。インキュベーターの設定条件は温度22℃、日長周期を明期16時間・暗期8時間とした。
【0074】
(3)高温処理およびクロロフィル量の定量
高温処理をする前に、播種後7日目のシロイヌナズナに対して培地中の終濃度が0、0.01、0.05、0.1 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸(東京化成工業)のストック溶液を加え、2時間インキュベートした。N-アセチルグルタミン酸のストック溶液の溶媒には滅菌蒸留水を使用した。
【0075】
高温処理にはインキュベーターを使用した。プレートを44℃に設定したインキュベーターに移して60分間インキュベートすることで高温処理し、温度22℃のインキュベーターで3日間培養した。
【0076】
植物に高温ストレスが生じると葉などの組織から緑色色素のクロロフィルが失われるため、白化することが知られている。そこで、高温処理後のクロロフィル量を定量することでN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス耐性の強化作用を評価することにした。クロロフィル量の定量はYamaguchi et al (Nature Commun.,2021,Jun 9;12[1]:3480)の方法に従った。1ウェルごとに回収した植物体に対し、N, N-ジメチルホルムアミド(FUJIFILM Wako)を1 mL加え、4℃かつ暗所で一晩インキュベートすることでクロロフィルを抽出した。その後、微量分光光度計NanoPhotometer (Implen)を用いてクロロフィル抽出液の吸光度A647とA664を測定し、式 19.43 x A647 + 8.05 x A664からクロロフィル濃度を算出した。高温処理をした区画と未処理の区画では植物体の重量に差がありクロロフィル量の算出にも影響及ぼすため、生重量当たりのクロロフィルを算出することで、サンプル間のクロロフィル量を比較した。
【0077】
3.結果
図1に結果を示す。通常の生育条件では44℃の高温処理により植物体は白化した。その一方、0.05 mMおよび0.1 mM N-アセチルグルタミン酸を加えた場合、高温処理による植物体の白化が抑制された(
図1A)。植物体に含まれるクロロフィルの量を定量したところ、高温処理区において、0.05 mMおよび0.1 mM N-アセチルグルタミン酸を加えた植物体のクロロフィル量は未処理のものに比べて有意に多かった(
図1B)。
【0078】
4.結論
シロイヌナズナにおいてN-アセチルグルタミン酸は高温処理に伴う葉の白化を抑制したことから、植物に高温ストレス耐性を付与することが示唆された。
【0079】
実施例2: シロイヌナズナのポット栽培におけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス耐性付与の検証
1.目的
シロイヌナズナの液体培養で見られたN-アセチルグルタミン酸の高温ストレス耐性の付与作用について、ポット栽培でも同様の効果を確認できるかを検証した。
【0080】
2.実験方法
(1)実験材料
実施例1と同様である。
【0081】
(2)生育方法
ポット栽培の培養土には直径42 mmのジフィーセブン(サカタのタネ)を使用した。ディスポトレーDT-3(アズワン)に用意したジフィーセブンにシロイヌナズナの種子を1粒播種し、温度22℃、日長制御:明期16時間・暗期8時間に設定した人工気象器(日本医化器械製作所)で生育させた。
【0082】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理と高温処理
播種3週間目から0.5 mM N-アセチルグルタミン酸を含む水道水200 mLをディスポトレーに注ぐことを開始した。播種後4週間目にトレーを温度37℃に設定した人工気象器に移し、高温処理を与えた。高温処理をしている間もトレーの水が乾いた際には0.5 mM N-アセチルグルタミン酸を含む水道水を与えた。高温処理を与えてから5日後、人工気象器からトレーを取り出し、地上部の重量を測定した。
【0083】
3.結果
コントロールと比較して、N-アセチルグルタミン酸を添加した区画ではコントロールとの相対生重量が1.3倍増加していた(
図2A、B)。
【0084】
4.結論
シロイヌナズナおいて液体培養で見られたN-アセチルグルタミン酸の高温ストレスの強化作用をポット栽培でも確認することができた。
【0085】
実施例3: イネにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス耐性付与の検証
1.目的
双子葉植物であるシロイヌナズナとタバコで見られたN-アセチルグルタミン酸の高温ストレス耐性の強化作用について、単子葉植物でも確認できるかを、イネを材料に検証した。
【0086】
2.実験方法
(1)実験材料
イネの野生株 (品種: 日本晴)を実験材料として使用した。種子は株式会社のうけん(https://nouken-seed.shop-pro.jp/)より購入した。
【0087】
(2)生育方法
生育培地には1/2ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類(Nacalai)から成る液体培地を使用した。
【0088】
50 mLファルコンチューブを用い、蒸留水で半分の濃度に希釈したキッチンハイター(登録商標、花王)溶液でイネ種子を30分間滅菌処理し、滅菌蒸留水で5回洗浄した。チューブを横にし、洗浄後の種子に対して浸る程度の滅菌蒸留水を注ぎ、3日間インキュベーターで培養することで発芽処理をした。インキュベーターの設定条件は温度30℃、日長周期 明期16時間・暗期8時間とした。
【0089】
3日間のインキュベート後、生育培地を12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に3 mLずつ分注し、1ウェル当たり発芽種子を3粒播種してそれらを実験材料として扱った。
【0090】
(3)高温処理およびクロロフィル量の定量
高温処理をする前に、イネに対して培地中の終濃度が0.5 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸のストック溶液を加え、24時間インキュベートした。
【0091】
高温処理はインキュベーターを用いて行った。プレートを44℃に設定したインキュベーターに移し、3時間インキュベートした。その後、温度22℃のインキュベーターでプレートを3日間インキュベートし、植物体を回収して種子と根を除いた地上部の生重量を定量した。
【0092】
3.結果
図3に結果を示す。通常の生育条件と比べて、N-アセチルグルタミン酸を加えた区画では高温処理に伴うイネ地上部の生重量の減少が有意に抑制された(
図3A、B)。
【0093】
4.結論
N-アセチルグルタミン酸はイネにおいて高温処理による生重量の低下を抑制したことから、単子葉植物に高温ストレス耐性を付与することが示唆された。
【0094】
実施例4: ホップにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス耐性強化
1.目的
ホップはアサ科カラハナソウ属に属する多年生のつる性植物であり、多様な香気成分が含まれる雌花はビール醸造に欠かせない必須原料である。ホップは冷涼な気候を好む植物であり、高温環境下では収量や品質が低下することから(Donner et al, Plant Soil and Environment, 66, 2020 [1]: 41-46)、地球温暖化が進む今日ホップの高温耐性を強化する技術が求められている。そこで、N-アセチルグルタミン酸の高温ストレス耐性の強化効果がホップでも確認できるかを検証した。
【0095】
2.実験方法
(1)実験材料
ホップ品種の中でもザーツを実験材料として使用した。ホップ苗は花の館(http://hananoyakata.shop-pro.jp)より購入した。
【0096】
(2)組織培養苗の調製と生育方法
実験室内でホップの高温応答の評価に必要となる組織培養苗を調製した。ザーツの苗から一節を含む茎断片を外植片として切り出し、70(v/v)%エタノール(FUJIFILM Wako)で1分間、1(v/v)%次亜塩素酸ナトリウム(FUJIFILM Wako)で5分間インキュベートすることで滅菌処理した。外植片を滅菌水で1分間、3回洗浄してペーパータオルで水気を切った後、1/2 ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類・2(w/v)%グルコース・0.2(w/v)%ゲランガム(FUJIFILM Wako)を含む寒天培地に外植片を置床してインキュベーターで培養を開始した。インキュベーターの設定条件は温度20℃、日長周期 明期16時間・暗期8時間とした。培養2週間後、節から伸長した腋芽を切り出して寒天培地に置床し、順調に生育した個体を組織培養苗とした。組織培養苗は1.5ヶ月の頻度で頂芽を新しい寒天培地に置床することで継代した。なお、継代の際に使用する寒天培地の組成は1/2ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類・2(w/v)%グルコース・0.8(w/v)%寒天(伊那食品工業)とした。
【0097】
(3)高温処理
継代後1.5ヶ月の組織培養苗から頂芽を切り出し、0.1 mMのN-アセチルグルタミン酸を含む寒天培地に移植した後、20℃のインキュベーターで7日間前培養した。その後、30℃に設定したインキュベーターにサンプルを移し、2週間高温ストレスを与え続けた。
【0098】
3.結果
図4に結果を示す。コントロールと比較し、N-アセチルグルタミン酸を加えた区画では高温処理に伴うホップの地上部の生重量の減少が抑制された。具体的にはN-アセチルグルタミン酸を処理した区画では未処理の区画と比較して生重量が1.8倍増加した(
図4A、B)。
【0099】
4.結論
ホップにおいてN-アセチルグルタミン酸は高温処理による生重量の低下を抑制したことから、高温ストレス耐性を付与することがわかった。
【0100】
実施例5: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
植物の高温ストレス応答ではタンパク質の変性や細胞膜の破損といった成長の阻害要因を取り除くために、様々な遺伝子が活性化する (Ohama et al, Trends Plant Sci., 2017 Jan;22[1]:53-65.)。シロイヌナズナの高温応答では転写因子であるHSFA2が遺伝子発現制御の中心的な役割を担い、タンパク質の変性抑制など細胞内の恒常性を保つために多くの遺伝子を活性化する(Lamke et al, Transcription. 2016 Aug 7;7[4]:111-4)。また、高温ストレス誘導性のタンパク質変性の抑制を担うヒートショックタンパク質HSP17.6Cのシロイヌナズナ変異株は高温耐性が野生株に比べて低いことが知られている(Yamaguchi et al, Nat. Commun., 2021 Jun 9;12[1]:3480.)。そこで、高温ストレスの強化効果の一端として、N-アセチルグルタミン酸がHSFA2およびHSP17.6Cの発現を増強するかを検証した。
【0101】
2.実験方法
(1)実験材料
実施例1と同様である。
【0102】
(2)生育方法
実施例1と同様である。
【0103】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理とRNA抽出
播種後7日目のシロイヌナズナに対し、培地中の終濃度が0.1 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、2時間または6時間インキュベートした。インキュベーターの設定条件は温度22℃、日長周期 明期 16時間・暗期8時間である。インキュベート後、サンプルを液体窒素で凍結し、RNeasy Plant Mini Kit (Thermo Fischer Scientific)を用いてRNAを抽出した。
【0104】
(4)リアルタイムPCRによる高温応答性遺伝子の発現量解析
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル500 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kit (Thermo Fischer Scientific)を使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をHSFA2 (AGIコード: AT2G26150)、HSP17.6C (AGIコード: AT1G53540)、リファレンス遺伝子をACTIN2 (AGIコード: AT3G18780)とし、TB Green Ex Taq II (TaKaRa)とともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
HSFA2
Fw: ATCAGCAAGGATCTGGGATG(配列番号1)
Rv: CCTCAGCTACAAGCACACCA(配列番号2)
HSP17.6C
Fw: CAAAACAGAGCAAACGCAAA(配列番号3)
Rv: AACGCATCGAAAACATCCAG(配列番号4)
ACTIN2
Fw: GATCTCCAAGGCCGAGTATGAT(配列番号5)
Rv: CCCATTCATAAAACCCCAGC(配列番号6)
【0105】
その後、リアルタイムPCRから得られたCp値を利用したΔΔCt法により、N-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0106】
3.結果
図5に結果を示す。HSFA2はN-アセチルグルタミン酸添加2時間後に未処理の区画と比較して発現量が2.5倍上昇した(
図5A)。また、HSP17.6CはN-アセチルグルタミン酸添加6時間後にコントロールと比較して発現量が1.2倍上昇していた(
図5B)。
【0107】
4.結論
N-アセチルグルタミン酸はシロイヌナズナにおいて高温ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して高温ストレス耐性を強化していることが示唆された。
【0108】
実施例6: イネにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
シロイヌナズナで見られたN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス応答性遺伝子のHSFA2の発現増強効果がイネでも確認できるか検証した。
【0109】
2.実験方法
リアルタイムPCRによる遺伝子発現解析に必要となるターゲット遺伝子のプライマーを設計するにあたり、シロイヌナズナの高温応答性遺伝子のイネにおけるホモログ探索を行った。シロイヌナズナのHSFA2 (AGIコード: AT2G26150)のアミノ酸配列をTAIR (https://www.arabidopsis.org/)から入手し、RAP-DB (https://rapdb.dna.affrc.go.jp/)を用いてホモログの塩基配列を取得した。また、リファレンス遺伝子としてシロイヌナズナのACTIN2 (AGIコード: AT3G18780)のホモログの塩基配列も取得した。イネの各ホモログ遺伝子はOsHSFA2E、OsACT1と名付けた。
【0110】
(1)実験材料
実施例3と同様である。
【0111】
(2)生育方法
実施例3と同様である。
【0112】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理とRNA抽出
3日間発芽処理したイネのサンプルを1/2ムラシゲ・スクーグ混合塩類から成る液体培地に置床した。具体的には、液体培地を12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に3 mLずつ分注し、サンプルを3個体ずつ移した。各ウェルに培地中の終濃度が0.5 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、30 ℃で2時間インキュベートした後、地上部からRNeasy Plant Mini Kitを用いてRNAを抽出した。
【0113】
(4)リアルタイムPCRによる高温応答性遺伝子の発現量解析
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル1000 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kitを使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をOsHSFA2E、リファレンス遺伝子をOsACT1とし、TB Green Ex Taq IIとともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
OsHSFA2E
Fw: CACAAAGTCAGACCTGCAAGC(配列番号7)
Rv: ATGCCATCATGTGCTGTTGC(配列番号8)
OsACT1
Fw: AGCACATTCCAGCAGATGTG(配列番号9)
Rv: TTCCTGTGCACAATGGATGG(配列番号10)
【0114】
その後、ΔΔCt法によりN-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0115】
3.結果
図6に結果を示す。コントロールと比較してN-アセチルグルタミン酸処理をした場合、OsHSFA2Eの発現量は1.4倍増加した。
【0116】
4.結論
イネにおいて、N-アセチルグルタミン酸は高温ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して高温ストレス耐性を強化していることが示唆された。
【0117】
実施例7: ホップにおけるN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
シロイヌナズナで見られたN-アセチルグルタミン酸による高温ストレス応答性遺伝子のHSFA2およびHSP17.6Cの発現増強効果がホップでも確認できるかを検証した。
【0118】
2.実験方法
ホップにおけるシロイヌナズナ高温応答性遺伝子のホモログ探索
リアルタイムPCRによる遺伝子発現解析に必要となるターゲット遺伝子のプライマーを設計するにあたり、シロイヌナズナの高温応答性遺伝子のホップにおけるホモログ探索を行った。シロイヌナズナのHSFA2 (AGIコード: AT2G26150)およびHSP17.6C (AGIコード: AT1G53540)のアミノ酸配列をTAIR (https://www.arabidopsis.org/)から入手し、Hopbase (https://hopbase.cgrb.oregonstate.edu/)を用いてそれぞれの遺伝子のホモログの塩基配列を取得した。ホモログの塩基配列を取得する際はシロイヌナズナのアミノ酸配列をクエリーとしたTBLASTNサーチを行い、ホモログ候補として挙げられた遺伝子の中から最もスコアの高かった遺伝子をホップにおけるホモログとみなした。また、リファレンス遺伝子としてシロイヌナズナのEF1α (AGIコード: AT1G18070)のホモログの塩基配列も取得した。ホップの各ホモログ遺伝子はHlHSFA2、HlHSP17.6C、HlEF1αと名付けた。
【0119】
(1)実験材料
実施例4と同様である。
【0120】
(2)組織培養苗の調製と生育方法
実施例4と同様である。
【0121】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理とRNA抽出
継代後1.5ヶ月後の組織培養苗の頂芽から数えて1、2節目の葉をサンプリングし、1/2ムラシゲ・スクーグ混合塩類、2(w/v)%グルコースから成る液体培地に置床した。具体的には、液体培地を6ウェルマイクロプレート(IWAKI)に5 mLずつ分注し、ホップの葉を5枚置いた。各ウェルに培地中の終濃度が1 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、20℃で2時間インキュベートした後、葉からRNeasy Plant Mini Kitを用いてRNAを抽出した。
【0122】
(4)リアルタイムPCRによる高温応答性遺伝子の発現量解析
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル1000 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kitを使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をHlHSFA2、HlHSP17.6C、リファレンス遺伝子をHlEF1αとし、TB Green Ex Taq IIとともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
HlHSFA2
Fw: TCGCGAACAAAGGGTTTCAG(配列番号11)
Rv: ACCGGATTTTGCAGAATCGG(配列番号12)
HlHSP17.6C
Fw: TGCTCGCATTGACTGGAAAG(配列番号13)
Rv: TTGTCCTCCTTCTCCACATTCC(配列番号14)
HlEF1α
Fw: TTTTGCTGTCAGGGACATGC(配列番号15)
Rv: TTGGCAGCGGATTTGGTAAC(配列番号16)
【0123】
その後、ΔΔCt法によりN-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0124】
3.結果
図7に結果を示す。コントロールと比較してN-アセチルグルタミン酸処理をした場合、HlHSFA2(
図7A)とHlHSP17.6C(
図7B)の発現量はそれぞれ1.7倍、1.8倍増加した。
【0125】
4.結論
ホップにおいて、N-アセチルグルタミン酸は高温ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して高温ストレス耐性を強化していることが示唆された。
【0126】
実施例8: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス耐性の強化
1.目的
植物において酸化ストレスは葉緑体における活性酸素種の発生やミトコンドリアの細胞死の誘導などを介して正常な成長を阻害する。酸化ストレスは高温や乾燥、低温ストレスなど様々な環境ストレスにより誘導されることから、植物が変動する環境で生育し続ける上で酸化ストレスへの耐性は非常に重要である。植物の酸化ストレス耐性を強化する方法として、植物が本来もつ酸化ストレス応答性の遺伝子を過剰発現する植物を作出する方法があるが、形質転換を必要とするため汎用性が低い。その一方で、近年では低分子化合物の処理によるストレス耐性の強化法が酸化ストレスに限定せず報告されている。この方法は形質転換を必要しないため汎用性が高く、様々な植物種でのストレス耐性の強化が期待できる。そこで、植物の酸化ストレス耐性を強化する化合物を探索するために、モデル植物シロイヌナズナを材料として、アミノ酸の一種であるN-アセチルグルタミン酸の酸化ストレス耐性の強化の可能性を検証した。
【0127】
2.実験方法
(1)実験材料
シロイヌナズナ野生株種子(アクセッション: Col-0)を実験材料とした。種子は株式会社インプランタイノベーションズより購入した。
【0128】
(2)生育培地
ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類(ナカライテスク)2.2 gおよびスクロース(FUJIFILM Wako) 10 gを1 Lの純水に溶解し、pH 5.8に調整後、オートクレーブ滅菌(121℃、20分)した。
【0129】
(3)生育条件および酸化ストレス処理
シロイヌナズナの種子を純水で2倍希釈したハイター(登録商標、花王)で3分間インキュベートすることで滅菌した。滅菌水で3回洗浄した後、種子の発芽時期を揃えるために滅菌水に浸漬させた種子を4℃、暗所にて1日間インキュベートした。
【0130】
滅菌処理された12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に生育培地を3 mLずつ分注し、4℃、暗所にて1日間インキュベートした種子を1ウェルあたり5粒ずつ播種した。マイクロプレートを22℃に設定されたインキュベーター内(16時間明期/8時間暗期)に移動し、シロイヌナズナを22℃で7日間生育させた。
【0131】
7日間の生育後、N-アセチルグルタミン酸(東京化成工業)を終濃度0、0.01、0.1、0.4 mMになるように生育培地に添加した。アミノ酸非添加区には同量の滅菌水を添加した。また、酸化ストレスの誘導剤としてMethyl viologen (MV、Sigma Aldrich)を終濃度5 μMになるように添加し、シロイヌナズナをさらに2日間生育させた。
【0132】
酸化ストレスが生じた植物体では葉の白化が観察されるようになる。そこで、葉における緑色色素であるクロロフィルの量を計測することで白化の程度を評価した。クロロフィル量の定量方法はYamaguchi et al (Nature Commun、2021、Jun 9;12[1]:3480)の方法に従った。1.5 mLのN, N-ジメチルホルムアミド(FUJIFILM Wako)を加えた2 mLチューブに1ウェル分の植物体を回収し、4℃、暗所にて1日間インキュベートしてクロロフィルを抽出した。抽出液の647 nmと664 nmの吸光度を測定し、クロロフィルの含有量を求めた。クロロフィル量の算出式は19.43 x A647 + 8.05 x A664であり、個体の大きさによる影響を排除するためにウェル当たりの植物体の重量で除した値をクロロフィル量とした。
【0133】
3.結果
図8に結果を示す。MV処理区において、コントロールでは葉の一部が白化していたのに対し、0.4 mMのN-アセチルグルタミン酸を添加した区画では葉の白化はほとんど観察されなかった(
図8A)。また、MV処理区のクロロフィル量はN-アセチルグルタミン酸濃度が高くなるにつれて増加した(
図8B)。
【0134】
4.結論
シロイヌナズナにおいてN-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス誘導性の葉の白化を抑制したことから、植物の酸化ストレス耐性を付与することが示唆された。
【0135】
実施例9: イネにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス耐性の強化
1.目的
双子葉植物であるシロイヌナズナで見られたN-アセチルグルタミン酸の酸化ストレス耐性の付与作用について、単子葉植物でも確認できるかを、イネを材料に検証した。
【0136】
2.実験方法
(1)植物材料
イネ(品種:日本晴)を実験材料とした。イネの種子は株式会社のうけんより購入した。
【0137】
(2)生育培地
ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類2.2 gを1 Lの純水に溶解し、pH5.8に調整後、オートクレーブ(121℃、20分)した。
【0138】
(3)生育条件および酸化ストレス処理
種子を純水で2倍希釈したハイターで20分間インキュベートすることで滅菌した。滅菌水で3回洗浄した後、滅菌水を10 mL加えた50 mLコニカルチューブ(FALCON)に種子30粒を浸漬させ、30℃に設定されたインキュベーター内(16時間明期/8時間暗期)で3日間培養することで発芽処理をした。
【0139】
3日間のインキュベート後、滅菌処理された12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に生育培地を3 mLずつ分注し、発芽種子を1ウェルあたり3粒播種した。各ウェルにN-アセチルグルタミン酸を0.5 mMまたは同量の滅菌水を添加し、30℃にて1日間インキュベートした。1日後、酸化ストレスの誘導剤としてMethyl viologen (MV)を終濃度2.5 μMになるように添加し、さらに30 ℃で3日間生育させた。
【0140】
酸化ストレスが生じた植物体では葉の白化が観察されるようになる。そこで、葉における緑色色素のクロロフィルの量を計測することで白化の程度を評価した。地下部から数えて生重量約8 - 2 mgの第2葉をサンプリングし、1 mLのN, N-ジメチルホルムアミドを加えた1.5 mLチューブに1ウェル分回収し、4℃、暗所にて1日間インキュベートすることでクロロフィルを抽出した。クロロフィル量の算出方法は実施例1と同様である。
【0141】
3.結果
図9に結果を示す。MV処理区において、コントロールでは葉の一部が白化していたのに対し、N-アセチルグルタミン酸を添加した区画では葉の白化はほとんど観察されなかった(
図9A)。また、MV処理区のクロロフィル量はN-アセチルグルタミン酸処理により増加した(
図9B)。
【0142】
4.結論
イネにおいてN-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス誘導性の葉の白化を抑制したことから、単子葉植物の酸化ストレス耐性を付与ることが示唆された。
【0143】
実施例10: ホップにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス耐性の強化
1.目的
ホップはアサ科カラハナソウ属に属する多年生のつる性植物であり、多様な香気成分が含まれる雌花はビール醸造に欠かせない必須原料である。ホップは冷涼な気候を好む植物であり、高温環境下では収量や品質が低下することから、地球温暖化が進む今日ホップの高温耐性を強化する技術が求められている。そこで、高温ストレスは酸化ストレスも誘導することから、N-アセチルグルタミン酸の酸化ストレス耐性の強化効果がホップでも確認できるかを検証した。
【0144】
2.実験方法
(1)実験材料
ホップ(品種:ヘルスブルッカー)を実験材料とした。ホップ苗は岩手県にあるキリンビール株式会社圃場で育成したものを使用した。
【0145】
(2)生育培地
(i) 寒天培地
ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類2.2 gおよびグルコース(FUJIFILM Wako) 20 gを1 Lの純水に溶解し、pH5.8に調整した。pH調整後、寒天(伊那食品工業) 8 gを融解し、オートクレーブ(121℃、15分)した。
(ii) 液体培地
ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類2.2 gおよびグルコース20 gを1 Lの純水に溶解し、pH5.8に調整後、オートクレーブ(121℃、20分)した。
【0146】
(3)組織培養苗の調製と生育方法
実験室内でホップの酸化ストレス応答の評価に必要となる組織培養苗を調製した。ヘルスブルッカーの苗から一節を含む茎断片を外植片として切り出し、70(v/v)%エタノール(FUJIFILM Wako)で1分間、1(v/v)%次亜塩素酸ナトリウム(FUJIFILM Wako)で5分間インキュベートすることで滅菌処理した。外植片を滅菌水で1分間、3回洗浄してペーパータオルで水気を切った後、寒天培地に外植片を置床してインキュベーターで培養を開始した。インキュベーターの設定条件は温度20℃、日長周期 明期16時間・暗期8時間とした。培養2週間後、節から伸長した腋芽を切り出して寒天培地に置床し、順調に生育した個体を組織培養苗とした。組織培養苗は頂芽を新しい寒天培地に置床することで定期的に継代した。
【0147】
(4)生育条件および酸化ストレス処理
寒天培地で3ヶ月生育させた組織培養苗から、10 mm前後の大きさの葉を葉身と葉柄の付け根で切断し実験サンプルとした。滅菌処理された12ウェルマイクロプレート(IWAKI)各ウェルに上記液体培地を3 mL分注し、葉を1ウェルあたり3枚ずつ置床した。
【0148】
各ウェルにN-アセチルグルタミン酸を終濃度1 mMになるように添加し、コントロールとして同量の滅菌水を添加した。また、酸化ストレスの誘導剤としてMethyl viologen (MV)を終濃度5 μMになるように添加し、さらに22℃で4日間生育させた。
【0149】
酸化ストレスが生じた植物体では葉の白化が観察されるようになる。そこで、葉における緑色色素のクロロフィルの量を計測することで白化の程度を評価した。
【0150】
1 mLのN, N-ジメチルホルムアミドを加えた1.5 mLチューブに1ウェル(葉3枚)ずつ回収し、4℃、暗所にて1日間インキュベートすることでクロロフィルを抽出した。抽出液の647 nmと664 nmの吸光度を測定し、葉生重量あたりのクロロフィルの含有量を求めた。クロロフィル量の算出方法は実施例1と同様である。
【0151】
3.結果
図10に結果を示す。MV処理区において、1 mMのN-アセチルグルタミン酸を添加した区画ではコントロールと比較して、葉の白化が抑制されていた(
図10A)。また、MV処理区ではN-アセチルグルタミン酸を添加することでコントロールと比較してクロロフィル量の減少が抑制された(
図10B)。
【0152】
4.結論
N-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス誘導性の葉の白化を抑制したことから、ホップにおいても酸化ストレス耐性を付与することが示唆された。
【0153】
実施例11: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
植物の酸化ストレス応答では葉緑体における活性酸素種の発生やミトコンドリアの細胞死といった成長の阻害要因を取り除くために、様々な遺伝子が活性化する。シロイヌナズナの酸化ストレス応答では、転写因子であるZAT10およびZAT12が葉緑体における電子伝達を担う遺伝子群の制御を介し、細胞内での活性酸素の蓄積を抑制する (Davletova et al, Plant Physiol. 2005 Oct; 139[2]: 847-856.)。そこで、酸化ストレスの強化効果の一端として、N-アセチルグルタミン酸がZAT10およびZAT12の発現を増強するかを検証した。
【0154】
2.実験方法
(1)植物材料
実施例1と同様である。
【0155】
(2)生育培地
実施例1と同様である。
【0156】
リアルタイムPCRによる酸化ストレス応答性遺伝子の発現量解析
実施例1と同様の方法で7日間生育させたシロイヌナズナに対して0.4 mM N-アセチルグルタミン酸または同量の滅菌水を添加し、22℃で2時間インキュベートした。2時間インキュベート後に、サンプルを液体窒素で凍結し、RNeasy Plant Mini Kit (Thermo Fischer Scientific)を用いてRNAを抽出した。
【0157】
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル1000 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kit (Thermo Fischer Scientific)を使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をZAT10 (AGIコード: AT1G27730)、ZAT12 (AGIコード: AT5G59820)、リファレンス遺伝子をPP2AA3 (AGIコード: AT1G13320)とし、TB Green Ex Taq II (TaKaRa)とともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
ZAT10
Fw: GCTTCTCCGATTCCTCCTTT(配列番号17)
Rv: GACCACCGAGAGCTTGGTAA(配列番号18)
ZAT12
Fw: GGCGAATTGTTTGATGCTTT(配列番号19)
Rv: CAAGCCACTCTCTTCCCACT(配列番号20)
PP2AA3
Fw: GACCAAGTGAACCAGGTTATTGG(配列番号21)
Rv: TACTCTCCAGTGCCTGTCTTCA(配列番号22)
【0158】
その後、リアルタイムPCRから得られたCp値を利用したΔΔCt法により、N-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0159】
3.結果
図11に結果を示す。ZAT10はN-アセチルグルタミン酸処理によって、コントロールと比較して発現量が28倍上昇した(
図11A)。また、ZAT12はN-アセチルグルタミン酸処理によって、コントロールと比較して発現量が37倍上昇した(
図11B)。
【0160】
4.結論
N-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して酸化ストレス耐性を付与していることが示唆された。
【0161】
実施例12: イネにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
シロイヌナズナで見られたN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス応答性遺伝子のZAT12の発現増強効果がイネでも確認できるか検証した。
【0162】
2.実験方法
リアルタイムPCRによる遺伝子発現解析に必要となるターゲット遺伝子のプライマーを設計するにあたり、シロイヌナズナの高温応答性遺伝子のイネにおけるホモログ探索を行った。シロイヌナズナのZAT12 (AGIコード: AT5G59820)のアミノ酸配列をTAIR (https://www.arabidopsis.org/)から入手し、RAP-DB (https://rapdb.dna.affrc.go.jp/)を用いてホモログの塩基配列を取得した。また、リファレンス遺伝子としてシロイヌナズナのACTIN2 (AGIコード: AT3G18780)のホモログの塩基配列も取得した。イネの各ホモログ遺伝子はOsZAT12、OsACT1と名付けた。
【0163】
(1)実験材料
実施例3と同様である。
【0164】
(2)生育方法
実施例3と同様である。
【0165】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理とRNA抽出
3日間発芽処理したイネのサンプルを1/2ムラシゲ・スクーグ混合塩類から成る液体培地に置床した。具体的には、液体培地を12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に3 mLずつ分注し、サンプルを3個体ずつ移した。各ウェルに培地中の終濃度が0.5 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、30 ℃で2時間インキュベートした後、地上部からRNeasy Plant Mini Kitを用いてRNAを抽出した。
【0166】
(4)リアルタイムPCRによる高温応答性遺伝子の発現量解析
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル1000 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kitを使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をOsZAT12、リファレンス遺伝子をOsACT1とし、TB Green Ex Taq IIとともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
OsZAT12
Fw: ACGACGACGACGAAGAACG(配列番号23)
Rv: TTCAAGTCCAGGCAGACACC(配列番号24)
OsACT1
Fw: AGCACATTCCAGCAGATGTG(配列番号25)
Rv: TTCCTGTGCACAATGGATGG(配列番号26)
【0167】
その後、ΔΔCt法によりN-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0168】
3.結果
図12に結果を示す。コントロールと比較してN-アセチルグルタミン酸処理をした場合、OsZAT12の発現量は2.9倍増加した。
【0169】
4.結論
イネにおいて、N-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して高温ストレス耐性を強化していることが示唆された。
【0170】
実施例13: ホップにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス応答性遺伝子の発現増強
1.目的
シロイヌナズナで見られたN-アセチルグルタミン酸による酸化ストレス応答性遺伝子のZAT10およびZAT12の発現増強効果がホップでも確認できるかを検証した。
【0171】
2.実験方法
(1)植物材料
実施例4と同様である。
【0172】
(2)生育培地
実施例4と同様である。
【0173】
(3)リアルタイムPCRによる酸化ストレス応答性遺伝子の発現量解析
リアルタイムPCRによる遺伝子発現解析に必要となるターゲット遺伝子のプライマーを設計するにあたり、シロイヌナズナの酸化ストレス応答性遺伝子のホップにおけるホモログ探索を行った。シロイヌナズナのZAT10 (AGIコード: AT1G27730)およびZAT12 (AGIコード: AT5G59820)のアミノ酸配列をTAIR (https://www.arabidopsis.org/)から入手し、Hopbase(http:/hopbase.cgrb.oregonstate.edu/)を用いてそれぞれの遺伝子のホモログの塩基配列を取得した。ホモログの塩基配列を取得する際はシロイヌナズナのアミノ酸配列をクエリーとしたTBLASTNサーチを行い、ホモログ候補として挙げられた遺伝子の中から最もスコアの高かった遺伝子をホップにおけるホモログとみなした。また、リファレンス遺伝子としてシロイヌナズナのEF1α(AGIコード: AT1G18070)のホモログの塩基配列も取得した。ホップの各ホモログ遺伝子はHlZAT10、HlZAT12、HlEF1αと名付けた。
【0174】
継代後1.5ヶ月後の組織培養苗の頂芽から数えて1、2節目の葉をサンプリングし、1/2ムラシゲ・スクーグ混合塩類、2(w/v)%グルコースから成る液体培地に置床した。具体的に、液体培地を6ウェルマイクロプレートに5 mLずつ分注し、ホップの葉を5枚置いた。各ウェルに培地中の終濃度が1 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、20℃で2時間インキュベートした後、葉からRNeasy Plant Mini Kitを用いてRNAを抽出した。
【0175】
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル1000 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kitを使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をHlZAT10、HlZAT12、リファレンス遺伝子をHlEF1αとし、TB Green Ex Taq IIとともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標)480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
HlZAT10
Fw: CAATTCTCCAACCACGGCTAAC(配列番号27)
Rv: ATGGCTCGTGGAATTGGAGAG(配列番号28)
HlZAT12
Fw: CCTGGACATGGCTAATTGCTTG(配列番号29)
Rv: AAGTCTTGCAAGCGAACACG(配列番号30)
HlEF1α
Fw: TTTTGCTGTCAGGGACATGC(配列番号31)
Rv: TTGGCAGCGGATTTGGTAAC(配列番号32)
【0176】
その後、ΔΔCt法によりN-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0177】
3.結果
図13に結果を示す。HlZAT10はN-アセチルグルタミン酸処理によって、コントロールと比較して発現量が1.7倍上昇した(
図13A)。また、HlZAT12はN-アセチルグルタミン酸処理によって、コントロールと比較して発現量が1.9倍上昇した(
図13B)。
【0178】
4.結論
ホップにおいて、N-アセチルグルタミン酸は酸化ストレス応答性遺伝子の発現上昇を介して酸化ストレス耐性を強化していることが示唆された。
【0179】
実施例14: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸による酸化および高温ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化の増強
1.目的
動物と異なり動くことのできない植物は多様な環境ストレスに対して迅速に対応する必要がある。植物が環境ストレス晒されると環境ストレス応答に関係する遺伝子の発現が大規模かつ速やかに変動するが、それを支えるのがヒストン修飾やDNAのメチル化に代表されるエピジェネティック修飾である。エピジェネティック修飾の中でもヒストンのアセチル化は遺伝子発現の活性化に働き、実際に環境ストレスを受けた植物ではヒストンアセチル化が亢進することが知られている(Kurita et al, Sci Rep, 2017 Apr 18;7:45894)。
実施例11~13において、N-アセチルグルタミン酸が酸化ストレス応答性遺伝子のZAT10遺伝子、ZAT12遺伝子や高温ストレス応答性遺伝子のHSFA2遺伝子の発現を増強することを示したが、その発現増強のメカニズムは不明であった。そこで、N-アセチルグルタミン酸がヒストンアセチル化を介して発現を増強していると推測し、N-アセチルグルタミン酸処理した植物におけるZAT10遺伝子、ZAT12遺伝子、HSFA2遺伝子のヒストンアセチル化レベルを解析した。
【0180】
2.実験方法
(1)実験材料
シロイヌナズナの野生株(accession: Col-0)を実験材料とした。種子は株式会社インプランタイノベーションズ(https://www.inplanta.jp/)より購入した。
【0181】
(2)生育方法
生育培地には1/2ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類(Nacalai)・1(w/v)%スクロース(FUJIFILM Wako)を含む液体培地を使用した。
【0182】
蒸留水で半分の濃度に希釈したキッチンハイター溶液(登録商標、花王)でシロイヌナズナ種子を3分間滅菌処理し、滅菌蒸留水で3回洗浄した後、4℃で一晩インキュベートした。100 mLの生育培地を300 mLフラスコに用意し、インキュベートした種子を播種した後、インキュベーター(TOMY)に移して振とう培養を開始した。インキュベーターの設定条件は温度22℃、日長周期を明期16時間・暗期8時間とし、シェーカーの旋回速度は180 rpmに設定した。
【0183】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理と植物体サンプルの固定
播種後7日目のシロイヌナズナに対して培地中の終濃度が0および0.4 mMになるようにN-アセチルグルタミン酸(東京化成工業)のストック溶液を加え、2時間インキュベートした。この後のサンプルの固定化については、Yamaguchi et al (Arabidopsis Book. 2014 Feb 17;12:e0170)に従った。インキュベート後、D-PBS (ナカライ)の入ったバイアル瓶に植物体を回収し、D-PBSを除去した後に1% (v/v) ホルムアルデヒド (FUJIFILM Wako)/D-PBSを分注した。4分間インキュベートした後、11分間の脱気処理によりホルムアルデヒドを植物体に浸透させた。脱気処理後、ホルムアルデヒドを取り除き、固定反応を停止するために0.125 M グリシン (FUJIFILM Wako)/PBSを加えて5分間インキュベートした。5分間のインキュベートのうち、脱気処理を1分30秒することでグリシンを植物体に浸透させた。その後、予め冷やしたD-PBSで3回植物体を洗浄した。
【0184】
(4)クロマチン免疫沈降および定量PCRによるヒストンアセチル化レベルの定量
クロマチン免疫沈降についてはYamaguchi et al (Arabidopsis Book. 2014 Feb 17;12:e0170)を参考にした。固定した植物体を液体窒素と乳鉢を用いて破砕し、核抽出バッファー(100 mM MOPS pH 7.6 [ナカライ]、10 mM MgCl2 [FUJIFILM Wako]、5% (w/v) Dextran T-40 [Sigma]、2.5 % (w/v) Ficoll [Sigma]、40 mM β-メルカプトエタノール [ライフテクノロジーズジャパン]、1 x Protease Inhibitor [Sigma]) 2.5 mLを加えた。破砕物と核抽出バッファーの混合液を2層のミラクロス(Merck)に通し、ろ液を回収し、4 ℃・10,400 rpmで5分間遠心した。上清を取り除いた後、核溶解バッファー(50 mM Tris-HCl pH 8.0 [ナカライ]、10 mM EDTA pH 8.0 [ナカライ]、1% [w/v] SDS [ニッポンジーン]) 75 μLでペレットを溶かし、チューブを30分間氷中でインキュベートした。なお、この際に5分後ごとにチューブをタッピングした。インキュベート後、ChIP dilutionバッファー(16. 7mM Tris-HCl pH 8.0、167 mM NaCl [ナカライ]、1.2 mM EDTA、0.01 % [w/v] SDS) 625 μLを加え、超音波処理によりクロマチンの断片化を行った。超音波処理にはBIORUPTOR(登録商標) UCD-250 (コスモバイオ)を使用し、条件はpower mode: H、on/off cycle: 30 s/60 s、total duration: 12 minとして氷上で行った。ソニケーション後、サンプルに1.1% (v/v) Triton X-100 (FUJIFILM Wako)を含むChIP dilution buffer 200 μLと22% (v/v) Triton-X 100 35 μLを加えて混合した後、4 ℃・13,200 rpmで5分間遠心した。遠心後に上清を回収し、Dynabeads Protein G (VERITAS) 30 μLを加えて4 ℃で1時間ローテーションすることでプレクリアリングした。マグネットスタンドを用いて上清を回収し、18 μLをインプットとして冷凍保存し、残りのサンプルにAnti-acetyl-Histone H4 antibody (06-598、Merck) 5 μLを分注した。分注後、4 ℃で一晩ローテーションすることでクロマチンとの抗体反応を行った。
【0185】
ローテーション後、Dynabeads Protein G 50 μLをサンプルに加え、4 ℃で6時間ローテーションすることにより抗体をDynabeadsに吸着させた。その後、Low Salt Washバッファー(0.1% [w/v] SDS、1% [v/v] Triton-X 100、2 mM [w/v] EDTA、20 mM Tris-HCl pH8.0、150 mM NaCl) 1 mLで2回、250 mL LiCl Washバッファー(0.25 M LiCl、1% [v/v] IGEPAL-CA630 [Sigma]、1% [w/v] deoxycholate、1 mM EDTA、10 mM Tris-HCl pH 8.0) 1 mLで2回、0.5% (v/v) TEバッファー 1 mLで2回、クロマチンを洗浄した。これらの操作は4 ℃で行い、サンプル回収にはマグネットスタンドを用いた。0.5% (v/v) TEバッファーでの洗浄後、核溶解バッファー 50 μLでDynabeadsをピペッティングにより混合し、65 ℃で30分間インキュベートした。インキュベート後、サンプルを回収し、同じ操作を繰り返した。回収したクロマチンサンプルおよび冷凍保存していたインプットサンプルそれぞれに対し、5 M NaCl (ナカライ)を82 μL、6 μLを加え、65 ℃で一晩インキュベートすることにより脱クロスリンク処理をした。
【0186】
脱クロスリンク処理後、サンプルからDNAを精製した。DNA精製にはQIAquick PCR Purification Kit (QIAGEN)を使用した。サンプルに対してBuffer PB 550 μLを加えて30分間ボルテックスした後、QIAquick spin columnにサンプルを分注して13,200 rpmで1分間遠心した。ろ液を除去して再遠心し、ろ液を再度除去した後にBuffer PE 750 μLを加えた。13,200 rpmで1分間遠心した後、ろ液を除去して再遠心した。カラムに対して50% (v/v) EB bufferを加えて5分間インキュベートした後、13,200 rpmで1分間遠心した。ろ液を再びカラムに通し、13,200 rpmで1分間遠心してろ液をDNAサンプルとして回収した。
【0187】
得られたDNAサンプルを材料にして、リアルタイムPCRによりターゲット遺伝子におけるヒストンH4のアセチル化レベルを定量した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をHSFA2 (AGIコード: AT2G26150)、ZAT10 (AGIコード: AT1G27730 )、ZAT12 (AGIコード: AT5G59820)、リファレンス遺伝子をTA3とし、TB Green Ex Taq II (TaKaRa)とともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである
ZAT10
Fw: TTCAGTCTTCCATGGAGTCGAG(配列番号33)
Rv: GAGGTTTTGGTGGTGGAAATCG(配列番号34)
ZAT12
Fw: TGCGATATCGGAGATCAAGTCG(配列番号35)
Rv: TTTTGATCGCCACCGTCAAC(配列番号36)
HSFA2
Fw: TCCACGCCTCAATCTCTCAAC(配列番号37)
Rv: TGGGTTTTGGGTAAAGTTTGCG(配列番号38)
TA3
Fw: CTGCGTGGAAGTCTGTCAAA(配列番号39)
Rv: CTATGCCACAGGGCAGTTTT(配列番号40)
【0188】
その後、リアルタイムPCRから得られたCp値を利用した% input法により、N-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子のヒストンH4のアセチル化レベルを算出した。
【0189】
3.結果
結果を
図14に示す。
図14に示すように、N-アセチルグルタミン酸添加2時間後に、未処理の区画と比較して、ヒストンH4のアセチル化レベルがZAT10では1.9倍、ZAT12では2.3倍、そしてHSFA2では2倍上昇した。
【0190】
4.結論
シロイヌナズナにおいてN-アセチルグルタミン酸は酸化および高温ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを増強することが示唆された。
【0191】
実施例15: シロイヌナズナにおけるN-アセチルグルタミン酸によるヒストンアセチル化酵素の発現促進作用
1.目的
N-アセチルグルタミン酸により酸化ストレス応答性遺伝子ZAT10、ZAT12、高温ストレス応答性遺伝子HSFA2のヒストンアセチル化レベルが亢進することがわかったが、アセチル化レベルが上昇する分子メカニズムは不明である。
【0192】
植物の環境ストレス応答では、いくつかのヒストンアセチル化酵素がストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化レベルを亢進させ、遺伝子発現を促進させることが報告されている(Lindermayr et al, Mol Metab, 2020 Aug;38:100951 )。そこで、ヒストンアセチル化酵素の中でもストレス応答との関係が知られているHAC1及びHAC12の発現量がN-アセチルグルタミン酸処理によって上昇するか否かを検証した。
【0193】
2.実験方法
(1)実験材料
実施例14と同様である。
【0194】
(2)生育方法
生育培地には1/2ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類(Nacalai)・1(w/v)%スクロース (FUJIFILM Wako)を含む液体培地を使用した。
【0195】
蒸留水で半分の濃度に希釈したキッチンハイター溶液(登録商標、花王)でシロイヌナズナ種子を3分間滅菌処理し、滅菌蒸留水で3回洗浄した後、4℃で一晩インキュベートした。生育培地を12ウェルマイクロプレート(IWAKI)に1 mLずつ分注し、1ウェル当たり種5粒を播種した後、インキュベーター(TOMY)に移して生育を開始した。インキュベーターの設定条件は温度22℃、日長周期を明期16時間・暗期8時間とした。
【0196】
(3)N-アセチルグルタミン酸処理とRNA抽出
播種後7日目のシロイヌナズナに対し、培地中の終濃度0.1 mMがなるようにN-アセチルグルタミン酸を加え、2時間または6時間インキュベートした。インキュベーターの設定条件は温度 22℃、日長周期 明期 16時間・暗期 8時間である。インキュベート後、サンプルを液体窒素で凍結し、RNeasy Plant Mini Kit (Thermo Fischer Scientific)を用いてRNAを抽出した。
【0197】
(4)リアルタイムPCRによる高温応答性遺伝子の発現量解析
得られたRNAからリアルタイムPCRの鋳型として必要になるcDNAを合成した。各サンプル500 ngのトータルRNAを用い、Verso cDNA Synthesis Kit (Thermo Fischer Scientific )を使用してcDNAを合成した。合成したcDNAを滅菌蒸留水で5倍に希釈し、リアルタイムPCRに供試した。リアルタイムPCRではターゲット遺伝子をHAC1 (AGIコード: AT1G79000)、HAC12 (AGIコード: AT1G16710)、リファレンス遺伝子をACTIN2 (AGIコード: AT3G18780)とし、TB Green Ex Taq II (TaKaRa)とともにPCR反応液を調製した。PCR反応にはLightCycler(登録商標) 480 System (Roche)を用い、PCRの増幅サイクル数は50サイクルとした。使用したプライマーは次の通りである。
HAC1
Fw: TTTGTCACGACCTGCAATGC(配列番号41)
Rv: AACAGGCATTGCACACATCG(配列番号42)
HAC12
Fw: ACAGCAGCAGCAGCAATTTC(配列番号43)
Rv: TTTCCCCAAGCCATCATTGC(配列番号44)
ACTIN2
Fw: GATCTCCAAGGCCGAGTATGAT(配列番号45)
Rv: CCCATTCATAAAACCCCAGC(配列番号46)
【0198】
その後、リアルタイムPCRから得られたCp値を利用したΔΔCt法により、N-アセチルグルタミン酸を処理した際の標的遺伝子の相対発現量を算出した。
【0199】
3.結果
結果を
図15に示す。
図15に示すように、HAC1、HAC12それぞれの発現量はN-アセチルグルタミン酸添加2時間後に未処理の区画と比較して発現量が1.2倍、1.3倍増加した。
【0200】
4.結論
N-アセチルグルタミン酸はシロイヌナズナにおいてヒストンアセチル化酵素の発現上昇を介して酸化および高温ストレス応答性遺伝子のヒストンアセチル化を促進していることが示唆された。