IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 独立行政法人物質・材料研究機構の特許一覧

特開2024-59117音響測定によるガスの特性抽出方法およびそのための装置
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024059117
(43)【公開日】2024-05-01
(54)【発明の名称】音響測定によるガスの特性抽出方法およびそのための装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 29/036 20060101AFI20240423BHJP
   G01N 29/032 20060101ALI20240423BHJP
   G01N 29/44 20060101ALI20240423BHJP
【FI】
G01N29/036
G01N29/032
G01N29/44
【審査請求】未請求
【請求項の数】10
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022166570
(22)【出願日】2022-10-18
(71)【出願人】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【弁理士】
【氏名又は名称】續 成朗
(72)【発明者】
【氏名】ユルドゥルム タンジュ
(72)【発明者】
【氏名】吉川 元起
【テーマコード(参考)】
2G047
【Fターム(参考)】
2G047AA01
2G047BA04
2G047BC03
2G047BC04
2G047GD02
2G047GF11
2G047GG28
2G047GG32
(57)【要約】
【課題】比較的単純な装置構成で、対象ガスに固有の物理的特性を測定することによって、当該対象ガスの特性の抽出を可能とする方法およびそのための装置を提供すること。
【解決手段】本発明の一実施形態に係る音響測定によるガスの特性抽出方法においては、筐体120,130と、筐体120の一端に取り付けられた音響波出力手段150と、筐体130内に配置された音圧測定手段140とを有する音響共振器100を用い、特定の信号で励起された音響波を音響波出力手段150から音響共振器100内に発しながら音響共振器100内に対象ガスを導入し、周波数領域と時間領域の両方で当該音響波による音圧を音圧測定手段140により測定し、得られた結果から当該対象ガスの特性を抽出する。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
音響測定によるガスの特性抽出方法において、
筐体と、
前記筐体の一端に取り付けられた音響波出力手段と、
前記筐体内に配置された音圧測定手段と
を有する音響共振器を用い、
特定の信号で励起された音響波を前記音響波出力手段から前記音響共振器内に発しながら前記音響共振器内に対象ガスを導入し、周波数領域と時間領域の両方で前記音響波による音圧を前記音圧測定手段により測定するステップと、
前記測定するステップで得られた結果から前記対象ガスの特性を抽出するステップと
を含む、方法。
【請求項2】
前記測定するステップにおいて、
前記周波数領域での測定は、1オクターブごとのエネルギーが一定である1/fノイズで励起された音響波を用い、前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、前記音圧測定手段に作用する音圧の周波数応答関数を得ることを含み、
前記時間領域での測定は、固定周波数の正弦波で励起された音響波を用い、前記音圧測定手段から出力される信号の時間変化を測定することを含む、
請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記抽出するステップは、
前記周波数領域での測定で得られた周波数応答関数から、対象ガスの物理パラメータを得ることを含み、
前記時間領域での測定で得られた前記出力信号の時間変化から特徴量を抽出することを含む、
請求項2に記載の方法。
【請求項4】
前記周波数領域での測定は、
前記音響共振器内が前記対象ガスで満たされたときの前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、第一の周波数応答関数を得ることと、
前記音響共振器内がパージガスで満たされたときの前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、第二の周波数応答関数を得ることと
を含み、
前記抽出するステップにおいて、前記第一および第二の周波数応答関数を比較して選択された共振ピークに基づいて、前記対象ガスの物理パラメータを得る、
請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記時間領域での測定は、前記音響共振器内に前記対象ガスとパージガスとを交互に切り替えて導入し、前記音圧測定手段から出力される信号の時間変化を測定することを含み、
前記抽出するステップにおいて、前記出力信号の時間変化から特徴量を抽出する、
請求項3に記載の方法。
【請求項6】
前記抽出するステップで得られた、前記周波数領域での測定からの対象ガスの物理パラメータと、前記時間領域での測定からの特徴量とから構成されるデータ集合に対して主成分分析または線形判別分析を適用することをさらに含む、請求項3~5のいずれか一項に記載の方法。
【請求項7】
前記音響共振器は、一方の端部が開口端、他方の端部が閉口端である片側開口管であり、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは0以上の整数)であるか、または、両方の端部が開口端である両側開口管であり、(1/2+2n/2)波長の共振器(nは0以上の整数)である、請求項1~6のいずれか一項に記載の方法。
【請求項8】
前記音響共振器は、前記片側開口管であり、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは0以上の整数)である、請求項7に記載の方法。
【請求項9】
前記音響共振器は1/4波長共振器である、請求項8に記載の方法。
【請求項10】
音響測定によりガスの特性を抽出するための装置であって、
筐体と、
前記筐体の一端に取り付けられた音響波出力手段と、
前記筐体内に配置された音圧測定手段と
を有する音響共振器を備え、
前記音響共振器は、その内部に対象ガスを導入する導入部、および、内部のガスを外部に排出可能な排出部を有し、
特定の信号で励起された音響波を前記音響波出力手段から前記音響共振器内に発しながら前記音響共振器内に対象ガスを導入し、周波数領域と時間領域の両方で前記音響波による音圧を前記音圧測定手段により測定可能に構成された、
装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、音響測定によるガスの特性抽出方法およびそのための装置に関し、特に、周波数領域と時間領域の両方での音響測定によるガスの特性抽出方法および装置に関する。
【背景技術】
【0002】
ガスの特性を測定、感知、抽出することは、化学種の同定に極めて重要である。ガス検知器は、分子量、密度、揮発性、蒸気圧などの特定の特性を測定する。測定された信号から解析モデルを用いて、あるいは、異なる特性を測定する複数のセンサを組み合わせることによって、ガスの各種特性を抽出することができる。このような高精度な測定を行うことにより、ガス分子の特性に基づいたガス試料の同定が可能であり、農業、ヘルスケア、医療、安全、ロボット、環境科学など多くの分野で利用されている。
【0003】
既存のガスセンサには、金属酸化物、ケミレジスター、電界効果トランジスタ、電気化学、表面弾性波(SAW)、カンチレバー、膜、水晶振動子およびマイクロチャンネルなどを利用した、様々な種類がある。測定対象物がセンサ素子の周囲を流れるとき、測定対象分子のセンサ素子への吸着により、センサ素子の挙動が変化し、センサ素子と対象ガスの両方の特性に基づいて独特の信号を出力する。この種のセンサは、通常、センサ素子とガス分子間の化学的親和性に依存しているため、化学的な選択性は特定のガス種(対象ガスの種類)に対して特別に設計することができるが、濃度(C)に加えて、ガス密度(ρ)や蒸気圧などの物理パラメータを単純な装置で決定することは依然として困難である。これに対し、物理的特性を測定するガスセンサは、このようなセンサ素子と測定対象分子との間の化学的親和性に依存しないため、あらゆる種類のガスに適用でき、物理的なパラメータを定量化することが可能である。
【0004】
非特許文献1~3には、固体圧電SAWを用いた音響式ガスセンサが記載されているが、これらのセンサは、周波数シフトを誘起するための化学受容体などを使用するため、測定精度は当該化学受容体の性能に依存し、また、当該化学受容体の合成・製造のための手間も要する。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】X. Qi, J. Liu, Y. Liang, J. Li, S. He, The response mechanism of surface acoustic wave gas sensors in real time, Japanese Journal of Applied Physics, 58(2019) 014001.
【非特許文献2】L. Zhou, Z. Hu, P. Wang, N. Gao, B. Zhai, M. Ouyang, et al., Enhanced NO2 sensitivity of SnO2 SAW gas sensors by facet engineering, Sensors Actuators B: Chemical, 361(2022) 131735.
【非特許文献3】N. Levit, D. Pestov, G. Tepper, High surface area polymer coatings for SAW-based chemical sensor applications, Sensors Actuators B: Chemical, 82(2002) 241-9.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の目的は、比較的単純な装置構成で、対象ガスに固有の物理的特性を測定することによって、当該対象ガスの特性の抽出を可能とする方法およびそのための装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記目的を達成するための本発明の特徴は、以下のとおりである。
【0008】
[1] 音響測定によるガスの特性抽出方法において、筐体と、前記筐体の一端に取り付けられた音響波出力手段と、前記筐体内に配置された音圧測定手段とを有する音響共振器を用い、特定の信号で励起された音響波を前記音響波出力手段から前記音響共振器内に発しながら前記音響共振器内に対象ガスを導入し、周波数領域と時間領域の両方で前記音響波による音圧を前記音圧測定手段により測定するステップと、前記測定するステップで得られた結果から前記対象ガスの特性を抽出するステップと
を含む、方法。
[2] 前記測定するステップにおいて、前記周波数領域での測定は、1オクターブごとのエネルギーが一定である1/fノイズで励起された音響波を用い、前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、前記音圧測定手段に作用する音圧の周波数応答関数を得ることを含み、前記時間領域での測定は、固定周波数の正弦波で励起された音響波を用い、前記音圧測定手段から出力される信号の時間変化を測定することを含む、[1]に記載の方法。
[3] 前記抽出するステップは、前記周波数領域での測定で得られた周波数応答関数から、対象ガスの物理パラメータを得ることを含み、前記時間領域での測定で得られた前記出力信号の時間変化から特徴量を抽出することを含む、[2]に記載の方法。
[4] 前記周波数領域での測定は、前記音響共振器内が前記対象ガスで満たされたときの前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、第一の周波数応答関数を得ることと、前記音響共振器内がパージガスで満たされたときの前記音圧測定手段から出力される信号を測定し、第二の周波数応答関数を得ることとを含み、前記抽出するステップにおいて、前記第一および第二の周波数応答関数を比較して選択された共振ピークに基づいて、前記対象ガスの物理パラメータを得る、[3]に記載の方法。
[5] 前記時間領域での測定は、前記音響共振器内に前記対象ガスとパージガスとを交互に切り替えて導入し、前記音圧測定手段から出力される信号の時間変化を測定することを含み、前記抽出するステップにおいて、前記出力信号の時間変化から特徴量を抽出する、[3]に記載の方法。
[6] 前記抽出するステップで得られた、前記周波数領域での測定からの対象ガスの物理パラメータと、前記時間領域での測定からの特徴量とから構成されるデータ集合に対して主成分分析または線形判別分析を適用することをさらに含む、[3]~[5]のいずれかに記載の方法。
[7] 前記音響共振器は、一方の端部が開口端、他方の端部が閉口端である片側開口管であり、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは0以上の整数)であるか、または、両方の端部が開口端である両側開口管であり、(1/2+2n/2)波長の共振器(nは0以上の整数)である、[1]~[6]のいずれかに記載の方法。
[8] 前記音響共振器は、前記片側開口管であり、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは0以上の整数)である、[7]に記載の方法。
[9] 前記音響共振器は1/4波長共振器である、[8]に記載の方法。
[10] 音響測定によりガスの特性を抽出するための装置であって、筐体と、前記筐体の一端に取り付けられた音響波出力手段と、前記筐体内に配置された音圧測定手段とを有する音響共振器を備え、前記音響共振器は、その内部に対象ガスを導入する導入部、および、内部のガスを外部に排出可能な排出部を有し、特定の信号で励起された音響波を前記音響波出力手段から前記音響共振器内に発しながら前記音響共振器内に対象ガスを導入し、周波数領域と時間領域の両方で前記音響波による音圧を前記音圧測定手段により測定可能に構成された、装置。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、比較的単純な装置構成で、対象ガスに固有の物理的特性を測定することによって、当該対象ガスの特性の抽出を可能とする方法およびそのための装置が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0010】
図1】本発明において使用可能な音響共振器の具体的な構成例を示す模式断面図。
図2】実施例で作製した1/4波長音響共振器の2次共振の共振周波数fresを有限要素解析で数値的にシミュレーションした結果を示す図。
図3】実施例で作製した音響共振器において、様々な音速cに対してマイクロフォンに作用する音圧の周波数応答関数を有限要素解析で数値的にシミュレーションした結果を示す図。
図4】実施例で作製した音響共振器を用いたガス測定のための測定システムの構成を示す模式図。
図5A】実施例の周波数領域での測定において、対象ガスを測定チャンバーに導入して得られた周波数応答関数を示す図。
図5B図5A中の点線で囲んだ範囲(2次共振の共振ピークを含む範囲)を拡大して示す図。
図5C】対象ガスについて、ガス密度ρ(X軸)に対する共振周波数fresおよび音速c(Y軸)の関係をプロットしたグラフを示す図。共振周波数fresおよび音速cの両方について、近似曲線の決定係数はR=1であった。
図6A】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、n-ヘキサンの周波数領域と時間領域の挙動を示す交互サイクルを示す図。図中に挿入した周波数応答関数は、図5Aについて周波数5.5~8.5kHzの範囲における純窒素およびn-ヘキサンの共振ピークを抜き出したものである。
図6B】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、異なるガスに対するマイクロフォン出力電圧の時間領域での二乗平均平方根値を示す図。
図6C】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、図6Bに示す3サイクル目のマイクロフォン出力電圧について、ベースライン値(ΔV)を差し引いて示した図。
図6D】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、図6Cに示した図を正規化した図。水に対する応答信号は挿入図で示した。
図6E】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、図6Cに示したn-ヘキサンに対する応答信号を例として、時間領域での測定結果から抽出される立ち上がり時間(Rise Time)、立ち上がり振幅(Rise Amplitude)、立ち下がり時間(Fall Time)、および立ち下がり振幅(Fall Amplitude)の特徴量について説明する図。
図6F】実施例の周波数領域と時間領域での測定結果に関し、周波数領域と時間領域での測定結果から抽出されたデータ集合を用いて行った主成分分析の結果を示す図。
図7A】実施例の、n-ヘキサンを用いた濃度依存性測定の結果に関し、n-ヘキサン濃度の異なる対象ガスを測定チャンバーに導入して得られた周波数応答関数を示す図。
図7B】実施例の、n-ヘキサンを用いた濃度依存性測定の結果に関し、n-ヘキサン濃度の異なる対象ガスに対するマイクロフォン出力電圧の時間領域での二乗平均平方根値を示す図。
図7C】実施例の、n-ヘキサンを用いた濃度依存性測定の結果に関し、対象ガス中のn-ヘキサン濃度に対するマイクロフォン出力電圧の振幅レベル(ΔV)の関係をプロットした図。図中の直線は回帰直線を示す。
図7D】実施例の、n-ヘキサンを用いた濃度依存性測定の結果に関し、n-ヘキサン濃度の異なる対象ガスの周波数領域と時間領域での測定結果から抽出されたデータ集合を用いて行った主成分分析の結果を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
以下に記載する構成要件の説明は、本発明の代表的な実施形態に基づいてなされることがあるが、本発明はそのような実施形態に制限されるものではない。
【0012】
本発明の音響測定によるガスの特性抽出方法においては、筐体と、当該筐体の一端に取り付けられた音響波出力手段と、当該筐体内に配置された音圧測定手段とを有する音響共振器を用いる。
【0013】
図1は、上記音響共振器の具体的な構成例を示す模式断面図である。
【0014】
図1に示す音響共振器100は、基板110を介して上部筐体120と下部筐体130とを有する。上部筐体120と下部筐体130とは、基板110に設けられた孔(オリフィス)112によって内部空間が導通されている。また、上部筐体120と下部筐体130には、シール部材(Oリング)122、132が設けられており、それぞれ、基板110の上面と上部筐体120の下部、および、基板110の下面と下部筐体130の上部との密封性(密閉性)を確実にしている。
【0015】
下部筐体130の内部には、音圧測定手段140が配置されており、音圧測定手段140は、基板110のオリフィス112を介して上部筐体120の内部からの音圧を受容可能とされている。
【0016】
上部筐体120の上端、すなわち、音圧測定手段140が配置された下部筐体130がある側とは反対側の端部には、音響波出力手段150が取り付けられている。音響波出力手段150は、音響波を発出する部分が上部筐体120の内部に向けられている。また、上部筐体120の上端と音響波出力手段150との間には、シール部材(Oリング)124が設けられており、上部筐体120の上端と音響波出力手段150との密封性(密閉性)を確実にしている。
【0017】
加えて、上部筐体120は、左右両側に開口部126、128を有し、一方の開口部(例えば、開口部126)は上部筐体120(つまり、音響共振器100)の内部に対象ガスを導入する導入部として、他方の開口部(例えば、開口部128)は上部筐体120(音響共振器100)の内部のガスを外部に排出可能な排出部として機能する。言い換えると、図1に示す音響共振器100においては、上部筐体120の内部および基板110のオリフィス112を含む空間で構成される部屋(チャンバー)Cが存在し、チャンバーCは、開口部126を介してその内部に対象ガスを導入し、開口部128を介して内部のガスを外部に排出可能に構成されている。以下では、このようなチャンバーCを測定チャンバーとも称する。なお、開口部126、128の配置場所や大きさなどは、図1に示す態様に限定されず、適宜設計することができる。また、測定チャンバーCは、狭義には、音響波出力手段150の下端から基板110の下面(音圧測定手段140の上面)までの範囲(図1に示す符号x1)であるが、後述する音響共振器100の共振波長に関する文脈においては、測定チャンバーCの範囲は、音響波出力手段150の音響波発生部152の位置(図1に示す符号x2)、および、音圧測定手段140の音圧受容部142の位置(図1に示す符号x3)を考慮したもの(すなわち、図1に示す符号X)であることに留意されたい。なお、実際に音響波出力手段150および音圧測定手段140として使用する部材の構成(構造)上、上記x2およびx3の値の一方もしくは両方を除外して考えても差し支えないような場合には、実質的な測定チャンバーCの範囲として、例えば、上記x1とx2の合計値を用いることも可能であり得る。加えて、図1では、分かりやすさのために、基板110が一定の厚みを有するように描かれているが、上記x1の値(あるいはx1とx2の合計値)に対して実際に基板110として使用する部材の厚みが十分に小さい場合には、実質的な測定チャンバーCの範囲として、上記x1とx2の合計値から基板110の厚みを除算した値(すなわち、基板110の上面から音響波出力手段150の音響波発生部152までの範囲)を用いてもよい。
【0018】
このような構成を有する音響共振器100において、音響波出力手段150は、特定の周波数を有する信号で励起された音響波を音響共振器100内に(測定チャンバーC内に)発し、音圧測定手段140は、当該音響波による音圧を測定することで、所要の音響測定を行うことができる。また、上記音響測定においては、音響波出力手段150から測定チャンバーC内に音響波を発しながら、開口部126を介して測定チャンバーC内にガスを導入し、そのときの音響波による音圧を音圧測定手段140で測定することも可能である。
【0019】
本発明では、音圧測定手段140および音響波出力手段150として、それぞれ、一般に入手可能な微小電気機械システム(MEMS)マイクロフォンおよびスピーカーを用いることができる。また、基板110としては、絶縁体の基板であってもよく、当該絶縁体基板の上や内部に導体の配線が施されたプリント配線板(PWB)、またはさらに電子部品が取り付けられたプリント回路板(PCB)であってもよい。基板110としてPCBを用いた場合には、そこに音圧測定手段(マイクロフォン)140および音響波出力手段(スピーカー)150を電気的に接続し、これらの動作を制御するように構成することも可能である。
【0020】
音響共振器100の筐体(上部筐体120および下部筐体130)を構成する材料としては、その内部に導入されたガスが筐体に吸脱着するなどの化学的相互作用が生じにくいものを選択することが好ましい。このような化学的相互作用が生じると、本発明の方法によるガスの特性の抽出結果に影響を及ぼす可能性があるためである。具体的には、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン)、PFA(パーフルオロアルコキシアルカン)、FEP(パーフルオロエチレンプロペンコポリマー)、ETFE(エチレンテトラフルオロエチレンコポリマー)などのフッ素樹脂は、音響共振器100の筐体、特に、測定チャンバーCを有する上部筐体120を構成する材料として好適に用いることができる。
【0021】
本発明では、上記のような構成を有する音響共振器100を用い、対象ガスを周波数と時間の両領域で測定することで、対象ガスの特性の抽出を実現する。
【0022】
ここで、本発明の代表的な一実施形態において、音響共振器100は、1/4波長の共振器を形成するように構成されていることが好ましい。図1に示す構成を有する音響共振器100においては、基板110の下面から音響波出力手段150の下端(音響波を発出する部分)までの距離x1と、音響波出力手段150の下端から音響波出力手段150の内部に備えられた音響波発生部(例えば、スピーカーの振動膜(振動板))152までの距離x2と、基板110の下面と音圧測定手段140の内部に備えられた音圧受容部(例えば、マイクロフォンの振動膜(振動板))142までの距離x3との合計値で表わされる長さXの値を適切に設定することで、1/4波長共振器として機能する音響共振器100を構成することができる。そのような1/4波長共振器の具体的な構成例については、実施例の項において説明する。なお、装置の設計上許容される場合には、音響共振器100を3/4波長共振器、5/4波長共振器など、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは1以上の整数)として構成することも可能である。加えて、図1に示す音響共振器100では、上部筐体120の上端が開口端であり、下部筐体130の底部が閉口端である片側開口管(閉管共振器)が形成されているが、下部筐体130の底部を開放状態として両側開口管(開管共振器)とした場合には、音響共振器100を1/2波長共振器あるいは(1/2+2n/2)波長の共振器(nは1以上の整数)として構成することも可能であり得る。すなわち、本発明の一態様においては、音響共振器100は、一方の端部が開口端、他方の端部が閉口端である片側開口管であり、(1/4+2n/4)波長の共振器(nは0以上の整数)であり得、また、別の態様においては、音響共振器100は、両方の端部が開口端である両側開口管であり、(1/2+2n/2)波長の共振器(nは0以上の整数)であり得る。
【0023】
上記(1/4+2n/4)波長の共振器または(1/2+2n/2)波長の共振器(いずれもnは0以上の整数)を形成するように、より具体的には1/4波長共振器を形成するように構成された音響共振器100を用いることで、共振周波数で著しく増加した音圧を音圧測定手段140で測定することが可能となる。この共振周波数は、音響共振器100内部の(測定チャンバーCの内部の)ガスの音速cおよび密度ρによって与えられる。すなわち、対象ガスが開口部126から音響共振器100内に(測定チャンバーC内に)導入されると、測定チャンバーC内のガスの密度ρと音速cが変化し、音響波出力手段150から発せられる音圧波が変化する。この音圧波の変化に起因する、測定チャンバーC内のガスの共振周波数の変化は、周波数領域での測定、具体的には、可聴周波数範囲における標準的な1/f等オクターブピンクノイズ試験などによって実験的に得ることができる。また、一定の(固定された)周波数条件での時間領域での測定によって得られる時系列信号は、対象ガスの種類や対象ガスに含まれる特定のガスの濃度に依存して固有のプロファイルを示すため、そこから複数の特徴量を抽出することにより、多次元的なデータ解析が可能となる。この周波数-時間両領域測定で得られた多次元データ(データ集合)を基に、対象ガスの種類や対象ガスに含まれる特定のガスの濃度を明らかにすることが可能となる。
【0024】
非特許文献1~3に記載されるような固体圧電SAWを用いた既存の音響式ガスセンサと比較して、本発明の装置は、上述した周波数シフトを誘起するための化学受容体などを使用せず、対象ガスの特性に固有であり、かつ可聴域の共振周波数(fres)を測定する点において有用性が高い。様々なガスの音速cは、光音響共鳴器やヘルムホルツ共鳴器を用いて測定することが可能であるが、これらは通常、よく知られた特性を持つ特定の純粋なガスのモニタリングに使用されている。
【0025】
これに対し、本発明では、後述する実施例で具体的に説明するように、特定の化学物質を収容した密閉バイアルのヘッドスペースガスを用いて調製されたガスを対象とした測定を行い、その結果から、対象ガスの種類に固有の物理パラメータとして、音速cと密度ρを求めることができる。また、対象ガスが測定チャンバーに導入される際の音圧の時間領域における時系列変化の測定も行うことで、対象ガスの種類に固有の多次元データを得ることができ、それらの多次元データから、対象ガスの化学的特性を得ることもできる。
【0026】
加えて、本発明では、周波数領域での測定で得られた物理パラメータ(音速、密度など)と、時間領域での測定で得られた多次元データとを用いて、例えば主成分分析(Principal Component Analysis,PCA)や線形判別分析(Linear Discriminant Analysis,LDA)等、データ集合の特徴に基づく、データ集合間の類似の程度を何らかの形態で表現する各種の統計的な処理やそれに関連する機械学習を行うことで、対象ガスの特徴を抽出することも可能である。
【0027】
以下、実施例により本発明をより詳細に説明する。なお、以下の実施例は本発明を限定するものではなく、その理解を助けるためのものであることに留意されたい。
【実施例0028】
[装置構成]
本実施例では、図1を参照して説明したのと同様の構成を有する装置(100)を作製した。
音圧測定手段(140)としては、市販のMEMSマイクロフォン(ADMP401-sparkfun)を使用し、音響波出力手段(150)としては、市販のイヤホン(ZNS-0111-BEIY,Boesklenn社製)の片方1個を使用した。
基板(110)としてはPCBを用い、PCBの一方の面にPTFE製の上部筐体(120)を配置し、PCBのもう一方の面に3Dプリンタで作製した下部筐体(130)を配置した。
【0029】
作製した装置において、対象ガスが導入される上部筐体内部の空間(測定チャンバーC)の長さ(図1に示す符号Xの値、すなわち、スピーカーの内部の振動膜からマイクロフォンの内部の振動膜までの距離)は、約17mmであり、この長さから、PCBの下面からマイクロフォンの振動膜までの距離およびPCBの厚みを除算すると、約14mm(PCBの上面からスピーカーの振動膜までの距離に相当)であった。また、測定チャンバーの直径(上部筐体の内径)は6mmとし、これは、スピーカーと上部筐体の上端との間の密閉性を確保するためにスピーカーの周囲に装着したOリング(124)の内径と同じサイズである。なお、クリップを用いてスピーカーとOリングを押さえることで、両構成要素の密着性が保たれるようにした。
【0030】
以上の構成により、上部筐体の上端側に、対象ガスを音響共振器の内部に(測定チャンバーの内部に)導入可能な導入部(126)と、測定チャンバーの内部のガスを外部に排出可能な排出部(128)を有する、1/4波長音響共振器を形成した。
ここで、当該1/4波長音響共振器における共振周波数は、次式で与えられる
【数1】
ここで、cは音速(m/s)、Lは柱の長さ(m)、fresは共振周波数(Hz)、nは高調波数を表す。閉管共振器の場合、周波数応答関数(Frequency Response Function,FRF)には奇数の高調波のみが発生する。本実施例で作製した音響共振器の2次共振(n=3、3倍振動)のfresを、COMSOL Multiphysicsによる有限要素解析(Finite Element Analysis,FEA)で数値的にシミュレーションした。なお、このシミュレーションでは、上記式(1)におけるLの値としては、上述した「PCBの上面からスピーカーの振動膜までの距離」に相当する値(14mm=0.014m)を採用した。
【0031】
結果を図2に示す。
図2に示すFEAで計算された窒素ガスのfresは、18.737kHz(c=349[m/s])であった。
なお、図2において記号D-D’で示す線は、基板の下面においてオリフィスが設けられている部分に接するように配置された、マイクロフォンの内部の振動膜の位置を示している。
【0032】
本実施例では、対象ガスの音速cをより正確に求めるために、以下の3つの理由により、2次共振を利用することとした。
(1)共振ピークが明確であること:1次共振(基本振動)の周波数域周辺には、スピーカーの振動膜の共振とオリフィスと下部筐体容積間のヘルムホルツ共振が重なっているが、2次共振の周辺には他の大きな共振がなく、共振ピークが明確である。
(2)周波数変化量(Δfres)が大きいこと:2次共振は、ガスの特性の変化による周波数変化が1次共振の3倍となり、異なるガス間の音速cの識別が容易になる。
(3)可聴領域であること:2次共振のfresは、20kHz以下であり、簡易オーディオ機器(例えば、DVD音質の最低サンプリングレートは44.1kHz)が利用可能である。共振器が異なるガスで満たされると、密度ρと音速cの変化によりfresが変化する。理想気体の音速cは次式で与えられる。
【数2】
ここで、γは比熱比(以下、窒素については1.4を使用)、Rは気体定数(8.314mPa×mol-1-1)、Tは温度(293.15K)、Mwは気体の平均モル質量(kg/mol)である。非理想的な混合気体の場合、音速cは次式で与えられる。
【数3】
ここで、Bは気体の体積弾性率(Pa)である。図3は、様々な音速cに対するfresの効果を示しており、音速cのわずかな変化(図3に示す例では10m/sの変化)により、明確なΔfresが生じることを示している。なお、図3中の4つのグラフは、ピーク位置を基準として左から右の順に、音速cが330m/sの場合、340m/sの場合、350m/sの場合、360m/sの場合を示している。
【0033】
[実験手順]
図4は、上述した装置を用いたガス測定のための測定システムの構成を示す模式図である。
図4に示す測定システムにおいて、第1のマスフローコントローラ(MFC1)は、窒素ラインに接続されており、バイアル瓶に収容された液体試料の蒸気であるヘッドスペースガス(試料ガス)を、混合チャンバーに輸送する。第2のマスフローコントローラー(MFC2)は、純窒素を混合チャンバーに導入することで、MFC1を介して輸送された試料ガスを所定の割合に希釈する役割を果たす。このようにして調製された混合ガス(対象ガス)が、測定チャンバー(1/4波長音響共振器)に導入される。使用したバイアル瓶はガラス製で20mLの容積を有し、収容する液体試料の量は3mLとした。
【0034】
このような測定システムを用いて、対象ガスの特性に関する様々な情報を抽出するために、周波数と時間の両方の領域で、音響波に基づいた2つの異なる測定を実施し、対象ガスの密度ρ、音速c、およびその他の多次元データを取得した。
【0035】
周波数領域での測定では、FRFを得るために、音響波は、振幅10mVの1/f等オクターブピンクノイズで励起した。
一方、時間領域での測定では、音響波は、Vin×sin(2πft)形式の固定周波数の正弦波で励起した。ここで、Vinはスピーカーへの入力電圧(mV)、fは試験周波数(Hz)、tは時間(s)である。
【0036】
スピーカーへの電圧入力にはPXI5406(NI社製)、マイクロフォンの出力測定にはPXI5922(NI社製)をそれぞれ使用した。マイクロフォンへのバイアス電圧は、すべての測定で3Vに設定した。測定中の実験室の典型的な温度は20℃であった。すべての測定は、一定の騒音環境下でのデータ取得可能性を評価するために、通常の実験室条件下で実施した。
【0037】
周波数領域での測定(ピンクノイズ試験)では、200kHzのサンプリングレートで200キロサンプル(kS)取得するという条件で測定を行った(つまり、1Hzでデータを取得した)。また、周囲のノイズ源による変動を低減するため、100回のピンクノイズ試験を平均化した。
時間領域での時系列測定では、標準的なマイク入力端子で10Hzの測定ができる条件、つまり48kHzのサンプリングレートで4.8kS取得するという条件で測定を行った。
また、時間領域の測定では、他の不要なノイズ源の影響を除去するために±500Hzのバンドパスフィルタを使用した。例えば、試験周波数f=6.9(kHz)では、6.4~7.4kHzのバンドパスフィルタを適用した。フィルタリング後のデータを収集(4.8kS)した後、収集した時系列データの二乗平均平方根(RMS)値を、各サンプリング間隔(100ms)におけるマイクロフォンの出力電圧の変化量(ΔV)に対して算出した。
【0038】
[実験結果]
以下、これらの測定結果について詳述する。
【0039】
[周波数領域での測定:各種液体試料から調製した対象ガスの周波数応答関数]
液体試料として、水(超純水、メルクミリポア製超純水製造装置を使用)、メタノール(関東化学、純度 >99.8%)、エタノール(富士フイルム和光純薬、純度 >99.5%)、酢酸エチル(関東化学、純度 ≧99.5%)、トルエン(和光純薬工業、純度 ≧99.5%)、アセトン(シグマアルドリッチ、純度 ≧99.5%)、およびn-ヘキサン(富士フイルム和光純薬、純度 ≧96.0%)を用いた。
【0040】
上記液体試料の蒸気(バイアル瓶のヘッドスペースガス)を、2sccmに設定したMFC1によって混合チャンバーに輸送し、8sccmに設定したMFC2から送られた純窒素で希釈し、濃度20%で試料ガスを含む流量10sccmの混合ガス(対象ガス)を調製し、音響共振器の測定チャンバーに導入した。
【0041】
周波数領域での測定では、対象ガスを4分間測定チャンバー内に導入し、その後、ピンクノイズを用いてFRFを求めた。ピンクノイズ試験は100回行い、それぞれのピンクノイズ試験の間に0.8秒の時間差を設け、約3分かけてFRFを平均化した。この間、対象ガスは連続的に測定チャンバー内に導入し続けた。
【0042】
図5Aに示すように、各々の対象ガスはそれぞれ固有の共振ピークを示し、対象ガスに応じて共振ピークの周波数と強度が異なることが確認された。いずれの対象ガスでも、最大共振ピークは6.9~7.0kHz付近に見られるが、これは少なくとも以下の複数の共振で構成されている:
・基本的な1/4波長共振(FEAで5.8kHzと推定された)、
・スピーカーの主共振(オープン環境で実験的に測定し、6.6kHzであることが確認された)、および
・PCBのオリフィスとマイクロフォンを格納する下部筐体間の基本ヘルムホルツ共振(FEAで9kHzと推定された)。
【0043】
この5~9kHzの複数の共振ピークの畳み込みとは別に、17~19kHzの範囲に明確な共振ピークがあり、これは異なるガスに対する測定チャンバー内の2次共振(n=3、3倍振動)に相当する。上記「装置構成」の項で述べたように、各対象ガスの音速cを決定するための主共振として2次共振を選択し、この共振ピーク付近の拡大図を図5Bに示した。なお、図5Aおよび図5B中の9つのグラフは、図5Bにおけるピーク位置を基準として左から右の順に、n-ヘキサン(n-Hexane)、アセトン(Acetone)、酢酸エチル(EtOAc)、トルエン(Toluene)、空気(Air)、エタノール(EtOH)、メタノール(MeOH)、水(Water)、純窒素(N)である。
【0044】
図5Aおよび図5Bに示すFRFで観測される鋭いピークは、ガス流量に関係なく時々観測されることから、実験室環境での音響ノイズに起因するものであると考えて良い。図5Bに示すように、2次共振の共振ピークが明瞭かつ正確に観測されたことは、ノイズの多い環境下でも異なるガスの音速cを決定できる可能性を示している。なお、「空気(Air)」とは、MFC1およびMFC2を0sccmに設定し、ガス流路を開放した状態を指し、この条件下では、よく知られた空気の密度ρと音速cの値を参照値として得ることができる。
【0045】
各対象ガスのfresはローレンツフィッティングで求めた。窒素の音速cを349m/s(20℃の場合)とし、上記式(1)により、設計値である約14mmの測定チャンバー長から補正長L=Leffを算出し、13.92mmとした。マノメーター(1500N、穂高製作所)をガス流路に接続し、各対象ガスの圧力を確認したところ、すべての対象ガスにおいて同じ値(0.5kPa)を示した。これは各対象ガスの圧力が、大気圧(101.3kPa)と両方のMFCによって引き起こされる流圧(0.5kPa)の合計である101.8kPaと同等であることを意味する。測定チャンバー内の圧力が一定であることを考慮すると、理想気体の方程式は、ガス密度ρについて次のように整理することができる。
【数4】
ここで、Pはガス圧(101.8kPa)である。
【0046】
後述する測定を含め、本実施例で使用したすべての対象ガスの共振周波数fres、密度ρ、音速c、平均モル質量Mwを含む結果を表1に示す。なお、表1に示す対象ガスの順序は、共振周波数fresについての昇順である。純窒素(N)と比べて対象ガスの共振周波数fresが減少するのは、上記式(1)と式(3)の関係に従って、各対象ガスの音速cが減少し、それに伴って、べき乗則(図5C)を介してガス密度ρが増加するためである(図5Bには、矢印線と共に「Increasing ρ」という表示を付している。)。式(3)から期待される関係はρ-0.5であり、実際の測定結果に対してfres、cともに指数が-0.5となり、良い一致を示している。
【0047】
【表1】
【0048】
[時間領域での測定:各種液体試料から調製した対象ガスの時間領域応答]
本発明で使用される音響共振器の利点は、時間領域と周波数領域の両方で動作できることであり、これにより、対象ガスの識別のための固有の多次元データセットが得られる。このデータセットと、計算によって得られるいくつかのパラメータ(例えば、表1に示すMwとρ)に基づいて、対象ガスの種類の識別が可能となる。空間と時間の両領域における音響波方程式は次式で与えられる。
【数5】
ここで、SPLは音圧レベル(Pa)、rは空間座標、ωは角周波数(rad/s)、kは波数(ω/c)、φは位相シフト(rad)、δは音波の伝播に伴う分子の変位(m)である。式(5)の音響波の振幅は、次式で与えられる。
【数6】
ここでvは、初期状態と最終状態の間で振動する音響波中の分子の分子速度を表す(音速cとは異なる事に注意)。式(6)は、SPLがガスの特性に大きく依存し、ヘッドスペースガスが共振器に流れ込むと変化することを意味している。
【0049】
時間領域での測定では、上述したのと同様に調製した混合ガス(対象ガス)を音響共振器の測定チャンバーに導入し、サンプリングとパージを交互に行った。サンプリングでは、MFC1とMFC2の流量をそれぞれ2sccmと8sccmとし、パージ(純窒素)では、MFC1とMFC2の流量をそれぞれ0sccmと10sccmとした。サンプリングとパージは4分間行い、各対象ガスについて連続3サイクル測定することで、ほぼ定常状態として測定を行った。対象ガス中の試料ガス濃度は、10sccmの総流量を維持しながら、MFC1とMFC2の流量比を調整することで変化させた。
【0050】
時間領域での測定では、一定の試験周波数f=6.9[kHz]を使用した。これは、対象ガスの特性によって共振ピークが低周波側にシフトするため(図6Aの挿入図)、f=6.9[kHz]は、窒素の最大fres=7.46[kHz]より小さく、かつn-ヘキサンの最大fres=6.952[kHz]付近の周波数範囲をカバーするように選択した。また、この試験周波数では、スピーカーへの電力入力が最小限(すべての時間領域測定でVin=30[mV])で測定可能である。周波数領域測定では単一の物理パラメータを得ることができるのに対して、時間領域測定のデータからは多次元のデータセットを抽出することができる。
【0051】
図6Aは、n-ヘキサンの周波数領域と時間領域の挙動を示す交互サイクルを示している。f=6.9[kHz]において、FRFの大きさは、音響共振器がn-ヘキサンで充填された場合(サンプリングステップ:Gas Sampling)と窒素で充填された場合(パージステップ:N2Purging)で変化する。ガスサンプリングが行われると、対応するFRFでの振幅が周波数領域で増加し、マイクロフォン出力電圧が時間領域で増加する(n-ヘキサンではマイクロフォンが最大電圧に達すると若干のクリップが発生する)。このプロセスは、サンプリングステップとパージステップでそれぞれ出力電圧の増加と減少として、可逆的に測定される。
【0052】
図6Bに、異なる対象ガスに対するマイクロフォン出力電圧の時間領域でのRMSを示す。これは、サンプリングとパージによって対象ガス中の試料ガス分子が音響共振器を出入りし、すべての対象ガスに対して可逆的であることを示している。ここで、図6B中の7つのグラフは、各サイクルにおける出力電圧の変化量を基準として大きいものから小さいものの順に、n-ヘキサン(n-Hexane)、アセトン(Acetone)、酢酸エチル(EtOAc)、トルエン(Toluene)、エタノール(EtOH)、メタノール(MeOH)、水(Water)である。最初のサイクルと、後の2つのサイクルの間のわずかな差は、最初のサイクルでバイアル瓶内のヘッドスペースガスが、静置状態から窒素キャリアガスによる動的状態に変化したことに起因している。出力電圧が最低の水から最高のn-ヘキサンまでの出力電圧の差は、図6Cに示すように、3サイクル目のベースライン値(ΔV)を差し引くと-3~500mVの範囲となる。なお、図6C中の7つのグラフと対象ガスの種類との対応関係は、上述した図6Bと同じである。対象ガスの種類ごとに、時間領域で信号強度と立ち上がり時間や立ち下がり時間などの形状が異なることが明確に示されており、これらの違いから多次元データが抽出可能となる。
【0053】
これらの違いをさらに特徴付けるために、図6Dに正規化した応答をプロットしている。ほとんどの対象ガスが様々な時定数を持つ従来の一次応答を示す一方で、水蒸気は非常に異なる信号を示し、最初の20秒間は増加し、その後減少し、基準の窒素と比較して低いRMS出力電圧となった。また、n-ヘキサン(Mwが大きく蒸気圧が高い)が最も早い立ち上がりを示し、トルエン(Mwが大きく、蒸気圧が低い)が最も遅い立ち上がりを示した。これは、アセトン(Mwが小さく蒸気圧が高い)やエタノール(Mwが小さく蒸気圧が低い)に比べて、トルエンはMwが大きく蒸気圧が低いことに起因していると思われる。
【0054】
ここで、時間領域での測定結果(図6C)から抽出される特徴量として、立ち上がり時間(Rise Time)、立ち上がり振幅(Rise Amplitude)、立ち下がり時間(Fall Time)、立ち下がり振幅(Fall Amplitude)について説明する。立ち上がり振幅と立ち上がり時間の定義は、それぞれ1200~1440秒の間の10~90%の間の振幅レベル(ΔV)とこの値に到達するまでの時間である。同様に、立ち下がり振幅と立ち下がり時間の特徴は、1440~1680秒のパージサイクルについて、振幅の減少(ΔV)とこの減少を達成するために要する時間について、それぞれ同じ10~90%の間隔で定義されている。
【0055】
図6Cに示したn-ヘキサンに対する応答信号を例として、これらの用語の概略を図6Eに示す。加えて、両ドメインの信号から抽出された主な情報を用いて行った主成分分析(Principal Component Analysis,PCA)の結果を図6Fに示す。このPCAでは、試料ごとに異なる挙動を示しており、周波数領域と時間領域のいずれかを用いることでこれらを識別可能であることが確認された。例として、周波数領域では、エタノールとメタノールは、他の化学物質と比較して、音速cに重みがあるが、これらの特定の特徴でアルコールを識別することは困難である。また、立ち上がり時間と立ち下がり時間は酢酸エチルとトルエンに重みがあるが、立ち上がりと立ち下がりの振幅はn-ヘキサンとアセトンに最も関連する。これは、これら4つの試料の間で蒸気圧、ガス密度ρと平均モル質量Mwに違いがあるためである。いずれにしても、時間領域での測定結果から抽出された多次元データと、周波数領域での測定で得られた音速cを組み合わせることで、異なる対象ガスを識別可能な多次元データセットが得られる。
【0056】
[濃度依存性測定]
ここでは、対象ガス中のn-ヘキサン濃度が異なる6種類の対象ガスを用いた周波数領域と時間領域の両方での測定結果について説明する。
【0057】
使用した対象ガス中のn-ヘキサン濃度は、6%、8%、10%、13%、16%、および20%であった。n-ヘキサン濃度20%の混合ガスの調製方法は上述した通りである。それ以外の濃度の混合ガスの調製は、10sccmの総流量を維持しながら、MFC1とMFC2の流量比を調整することにより行った。例えば、n-ヘキサン濃度16%の混合ガスは、n-ヘキサンを収容したバイアル瓶のヘッドスペースガスを1.6sccmに設定したMFC1によって混合チャンバーに輸送し、8.4sccmに設定したMFC2から送られた純窒素で希釈することにより、流量10sccmとされたものである。
【0058】
図7Aに示すように、周波数領域での測定では、n-ヘキサン濃度が増加すると、混合ガスの密度ρが増加するため、音速cが減少する結果が得られた。ここで、図7A中の6つのグラフは、ピーク位置を基準として左から右の順に、n-ヘキサン濃度が20%、16%、13%、10%、8%、6%(すなわち、n-ヘキサン濃度の降順)である。図7Bに示す時間領域での測定では、対象ガス中のn-ヘキサン濃度によってマイクロフォン出力電圧の曲線の形状が変化した。具体的には、n-ヘキサン濃度が6~10%の間ではサンプリングステップの終わりに出力電圧が最大値に達するが、n-ヘキサン濃度が10%以上ではサンプリングステップの初期に出力電圧が最大値に達した後、定常値に向かってゆっくりと減少する、わずかに異なる挙動を示した。バイアル瓶内のヘッドスペースにおける動的な乱流が、蒸気圧が変化する異なる濃度レベルにおけるこの明らかな現象の原因であると考えられる。なお、図7B中の6つのグラフは、出力電圧の変化量を基準として大きいものから小さいものの順に、n-ヘキサン濃度が20%、16%、13%、10%、8%、6%(すなわち、n-ヘキサン濃度の降順)である。
【0059】
図7Cは、対象ガス中のn-ヘキサン濃度Cに対するマイクロフォン出力電圧の振幅レベル(ΔV)の関係を示しており、強い線形性を示している(ゼロ点はn-ヘキサンを含まない純粋な窒素、すなわちC=0%を示している)。このようにΔVとCの線形性は、対象ガス中の化学物質の濃度を特定するために利用できる。ΔVの値は、比較のために1440秒で取得した(前述したように、n-ヘキサンではマイクロフォンからの信号のクリッピングが発生したため、濃度20%でのデータは除外した)。また、この線形性は、本実験に用いたガスが理想ガスとして取り扱えることを示しており、測定に利用したシステムが線形音響学的な範囲で動作していることを裏付けている。
【0060】
音速(周波数領域)、および時間領域の多次元データを用いてPCA分析を行った結果を図7Dに示す(特徴量の説明は上述した図6Eに関する説明を参照されたい。)。これは、対象ガス中のn-ヘキサンの異なる濃度レベルは、これらの特徴量を用いることで識別可能であることを示しており、多次元データに基づいたデュアルドメイン手法(周波数-時間両領域測定)の利点を示している。
【0061】
[結論]
本実施例では、1/4波長音響共振器を用いて、周波数と時間の両領域で、異なるガスの特性の測定を行った。対象ガスが共振器に導入されると、導入前のガス(パージステップで供給された純窒素)に対して音速が減少し、ガス密度が増加するため、周波数領域で周波数応答がシフトし、時間領域で音圧が増加する結果が得られた。
周波数領域での測定(ピンクノイズ試験)により、異なる対象ガスの周波数応答関数と音速が正確に得られ、そこから各対象ガスの密度ρを測定することができた。
時間領域での測定では、固定された周波数で、異なる対象ガスのサンプリングとパージが繰り返されるサイクルを適用した。時間領域解析の大きな特徴は、多次元データを抽出できることである。時間領域での測定結果から抽出された多次元データと、周波数領域での測定で得られた音速を用いた主成分分析により、対象ガスの種類や対象ガスに含まれる特定のガスの濃度ごとの属性を容易に判別できることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0062】
上述した、本発明による音響的なアプローチは、近年のMEMSマイクロフォンの低コスト・高感度化に加え、各種音響増幅器および測定装置の小型化・低コスト化が可能であることから、様々なアプリケーションへの適用可能性が高い。このようなアプローチにより、既存の豊富な音響関連デバイスや信号処理技術を利用して、混合ガス中の各化学種の識別や同定が将来的に可能になると考えられる。
【0063】
加えて、本発明によれば、比較的小型の音響共振器を用いることで、音声によるガスセンシングや人工嗅覚の実現に向けた新たな音響計測技術体系の創出が期待される。
【符号の説明】
【0064】
100 音響共振器
110 基板
112 孔(オリフィス)
120 上部筐体
122、124 シール部材(Oリング)
126、128 開口部
130 下部筐体
132 シール部材(Oリング)
140 音圧測定手段(マイクロフォン)
142 音圧受容部(振動膜)
150 音響波出力手段(スピーカー)
152 音響波発生部(振動膜)
C 測定チャンバー
図1
図2
図3
図4
図5A
図5B
図5C
図6A
図6B
図6C
図6D
図6E
図6F
図7A
図7B
図7C
図7D