(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024065941
(43)【公開日】2024-05-15
(54)【発明の名称】水素チャージ方法及び水素脆化特性評価方法
(51)【国際特許分類】
G01N 27/26 20060101AFI20240508BHJP
G01N 31/00 20060101ALI20240508BHJP
G01N 33/2045 20190101ALI20240508BHJP
【FI】
G01N27/26 351G
G01N27/26 351B
G01N31/00 C
G01N33/2045 100
【審査請求】未請求
【請求項の数】11
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022175069
(22)【出願日】2022-10-31
(71)【出願人】
【識別番号】591006298
【氏名又は名称】JFEテクノリサーチ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100147485
【弁理士】
【氏名又は名称】杉村 憲司
(74)【代理人】
【識別番号】230118913
【弁護士】
【氏名又は名称】杉村 光嗣
(74)【代理人】
【識別番号】100165696
【弁理士】
【氏名又は名称】川原 敬祐
(72)【発明者】
【氏名】大熊 隆次
【テーマコード(参考)】
2G042
2G055
【Fターム(参考)】
2G042AA05
2G042BA04
2G042CA03
2G055AA03
2G055BA01
2G055BA11
2G055CA23
2G055FA01
2G055FA06
2G055FA09
(57)【要約】
【課題】簡易な電気化学的手法で、オーステナイト系ステンレス鋼の試料表面を腐食させることなく、当該試料に水素をチャージすることが可能な水素チャージ方法を提供する。
【解決手段】アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなる電解液に、オーステナイト系ステンレス鋼の試料を浸漬する工程と、前記電解液中で前記試料に電子が供給され、前記試料の表面から前記電子が抜ける電気回路を形成することで、前記試料に電気化学的に水素をチャージする工程と、を有する水素チャージ方法。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなる電解液に、オーステナイト系ステンレス鋼の試料を浸漬する工程と、
前記電解液中で前記試料に電子が供給され、前記試料の表面から前記電子が抜ける電気回路を形成することで、前記試料に電気化学的に水素をチャージする工程と、
を有する水素チャージ方法。
【請求項2】
前記電解液に対極を浸漬し、
前記試料と前記対極とを外部電源に接続して、
前記外部電源により、作用極としての前記試料に対して前記対極よりも負の電圧を印加する
ことにより、前記電気回路を形成する、請求項1に記載の水素チャージ方法。
【請求項3】
前記電解液の温度が0℃超えである、請求項1に記載の水素チャージ方法。
【請求項4】
前記有機溶媒がアルコールである、請求項1に記載の水素チャージ方法。
【請求項5】
前記アルコールが、エタノール、メタノール、1-プロパノール、2-プロパノール、エチレングリコール、プロピレングリコール、及びグリセリンから選択される一種以上である、請求項4に記載の水素チャージ方法。
【請求項6】
前記アルコールが、25℃において3.2×103Pa以下の蒸気圧を有する、請求項4に記載の水素チャージ方法。
【請求項7】
前記電解液が、さらにシアン化合物を含有する、請求項1に記載の水素チャージ方法。
【請求項8】
請求項1~7のいずれか一項に記載の水素チャージ方法によって水素がチャージされた前記試料に対して、水素脆化特性評価試験を行う水素脆化特性評価方法。
【請求項9】
前記水素脆化特性評価試験が、トレーサー水素分析法による試験である、請求項8に記載の水素脆化特性評価方法。
【請求項10】
前記水素脆化特性評価試験が、前記試料に、引張、圧縮、曲げ、せん断、及びねじりの一種以上の応力を負荷して行う物性試験である、請求項8に記載の水素脆化特性評価方法。
【請求項11】
前記水素脆化特性評価試験が、水素透過試験である、請求項8に記載の水素脆化特性評価方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、水素脆化特性評価試験に供されるオーステナイト系ステンレス鋼への水素チャージ方法と、当該水素チャージ方法を含む水素脆化特性評価方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
鋼等の金属材料の開発において、水素により強度及び靭性が劣化する水素脆化が問題となっている。金属材料の水素脆化特性を評価する方法としては、当該金属材料からなる試料に水素をチャージし、この水素がチャージされた試料に対して、種々の手法による水素脆化特性評価試験を行う方法が開発されている。
【0003】
金属試料に水素をチャージする方法として、金属試料を高圧水素ガス環境下に置くことで、気相中で金属試料に水素をチャージする方法がある。しかしながら、この方法は、大掛かりな高圧水素設備が必要でコストが高い上に、簡易的でないという問題がある。また、気相中での水素チャージであるため、水素チャージ速度が低く、金属試料中に水素を飽和させるのに300時間などの長時間を要するという問題がある。このため、簡易な電気化学的な手法による水素チャージ方法が求められている。
【0004】
電気化学的な手法による水素チャージ方法としては、例えば特許文献1に記載されるように、作用極としての金属試料と対極とを電解液に浸漬し、金属試料に対して対極よりも負の電圧を印可して、金属試料に電気化学的に水素をチャージする方法がある。この方法では、電解液として、塩化ナトリウム(NaCl)水溶液、水酸化ナトリウム(NaOH)水溶液、硫酸(H2SO4)水溶液、塩酸(HCl)水溶液などの水溶液を用いていた。この方法では、電解液中の水素イオンが金属試料から電子を受けて、金属試料の表面で水素原子となり、一部の水素原子は互いに結合して水素分子となり金属試料表面から離脱するものの、残りの水素原子は金属試料の内部に侵入するものと考えられる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
昨今、水素化社会の実現のため、水素を大量に貯蔵し、運搬する方法として、液体水素(温度:-253℃)を運搬する設備や貯蔵する設備の建設が進められている。このような低温でこれら設備に使用される金属材料の代表例として、オーステナイト系ステンレス鋼が挙げられる。
【0007】
しかしながら、特許文献1に記載された水溶液系の電解液を用いる電気化学的な水素チャージ方法を、オーステナイト系ステンレス鋼の試料に適用すると、試料表面の腐食が懸念される。例えば、試料を電解液に浸漬させた非チャージの期間は、試料表面に孔食を伴う腐食が生じる可能性がある。また、オーステナイト系ステンレス鋼は、水素拡散係数が小さい、すなわち水素がチャージされにくい金属材料であるため、より多くの水素をチャージする観点から、電解液を高温とすることが考えられる。このような高温での水素チャージ期間でも、試験後の取り出し作業などや、破断後に、非通電の状態で電解液に浸漬させておくことにより、試料の破面や試料表面全体に腐食が進行する。その場合、水素チャージ後に行う水素脆化特性評価試験や破面観察においては、試料表面の錆を取るための処理を行う必要がある。既述のとおり、オーステナイト系ステンレス鋼は水素拡散係数が小さいため、チャージされた水素はほぼ試料の表面付近にとどまっており、内部まで拡散していない。このため、水素分析において、錆を研磨で除去した場合、試料表面付近にチャージされた水素も含めて除去されてしまい、実際にチャージされた水素量を精度良く把握することができない。
【0008】
そこで本発明は、上記課題に鑑み、簡易な電気化学的手法で、オーステナイト系ステンレス鋼の試料表面を腐食させることなく、当該試料に水素をチャージすることが可能な水素チャージ方法と、当該水素チャージ方法を用いた水素脆化特性評価方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決すべく、オーステナイト系ステンレス鋼の試料表面を腐食させない非水系溶媒を電解質として用いる水素チャージ方法を検討した。具体的には、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなる電解液を用いることを想到した。この場合、試料表面で金属アルコキシド反応により水素を発生させることで、当該試料に水素をチャージすることができる。しかも、電解質が非水系溶媒であるため、非チャージ期間が長くなっても、電解液を高温として水素チャージを行っても、試料表面の腐食反応は生じない。よって、水素チャージ後、試料を水洗するなどの簡易な処理だけで、破面観察や水素分析が可能であり、検出される水素量は、試料表面にチャージされた水素を全て含む高精度な測定値であると考えられる。
【0010】
以上の知見に基づいて完成された本発明の要旨構成は以下のとおりである。
[1]アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなる電解液に、オーステナイト系ステンレス鋼の試料を浸漬する工程と、
前記電解液中で前記試料に電子が供給され、前記試料の表面から前記電子が抜ける電気回路を形成することで、前記試料に電気化学的に水素をチャージする工程と、
を有する水素チャージ方法。
【0011】
[2]前記電解液に対極を浸漬し、
前記試料と前記対極とを外部電源に接続して、
前記外部電源により、作用極としての前記試料に対して前記対極よりも負の電圧を印加する
ことにより、前記電気回路を形成する、上記[1]に記載の水素チャージ方法。
【0012】
[3]前記電解液の温度が0℃超えである、上記[1]又は[2]に記載の水素チャージ方法。
【0013】
[4]前記有機溶媒がアルコールである、上記[1]~[3]のいずれか一項に記載の水素チャージ方法。
【0014】
[5]前記アルコールが、エタノール、メタノール、1-プロパノール、2-プロパノール、エチレングリコール、プロピレングリコール、及びグリセリンから選択される一種以上である、上記[4]に記載の水素チャージ方法。
【0015】
[6]前記アルコールが、25℃において3.2×103Pa以下の蒸気圧を有する、上記[4]に記載の水素チャージ方法。
【0016】
[7]前記電解液が、さらにシアン化合物を含有する、上記[1]~[6]のいずれか一項に記載の水素チャージ方法。
【0017】
[8]上記[1]~[7]のいずれか一項に記載の水素チャージ方法によって水素がチャージされた前記試料に対して、水素脆化特性評価試験を行う水素脆化特性評価方法。
【0018】
[9]前記水素脆化特性評価試験が、トレーサー水素分析法による試験である、上記[8]に記載の水素脆化特性評価方法。
【0019】
[10]前記水素脆化特性評価試験が、前記試料に、引張、圧縮、曲げ、せん断、及びねじりの一種以上の応力を負荷して行う物性試験である、上記[8]に記載の水素脆化特性評価方法。
【0020】
[11]前記水素脆化特性評価試験が、水素透過試験である、上記[8]に記載の水素脆化特性評価方法。
【発明の効果】
【0021】
本発明の水素チャージ方法と、当該水素チャージ方法を用いた水素脆化特性評価方法は、簡易な電気化学的手法で、オーステナイト系ステンレス鋼の試料表面を腐食させることなく、当該試料に水素をチャージすることが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【
図1】本発明の一実施形態による水素チャージ方法を実施可能な電気化学セルの模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
(水素チャージ方法)
本発明の一実施形態による水素チャージ方法は、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなる電解液に、オーステナイト系ステンレス鋼の試料を浸漬する工程と、前記電解液中で前記試料に電子が供給され、前記試料の表面から前記電子が抜ける電気回路を形成することで、前記試料に電気化学的に水素をチャージする(侵入させる)工程と、を有する。
【0024】
前記電気回路を形成する方法として、典型的には、前記電解液に対極を浸漬し、前記試料と前記対極とを外部電源に接続して、前記外部電源により、作用極としての前記試料に対して前記対極よりも負の電圧を印加する方法が挙げられる。
【0025】
[金属試料]
本実施形態の水素チャージ方法に供する金属試料は、オーステナイト系ステンレス鋼とする。オーステナイト系ステンレス鋼は、液体水素(温度:-253℃)を運搬する設備や貯蔵する設備などにおいて、このような低温で使用される金属材料の代表例である。
【0026】
オーステナイト系ステンレス鋼の試料の形状及びサイズは、特に限定されない。試料の形状は、例えば、板状であってもよいし、円柱状であってもよい。なお、効率的な水素チャージの観点から、試料の表面は洗浄し、汚れ及び酸化皮膜等は除去しておくことが好ましい。
【0027】
[対極及び参照極]
対極の材料は、特に限定されず、対極としては、例えば白金又は炭素電極を用いることができる。ただし、電解液が塩化物イオンを含む場合、高温の電解液中での対極の腐食が懸念される。このような場合の対極の腐食を抑制して、安定した水素チャージを実現する観点から、対極として炭素電極を用いることが好ましい。対極の形状も、特に限定されず、例えば、線状、棒状、又は板状とすることができる。また、必要に応じて、参照極を電解液に浸漬してもよい。参照極には、電解液が塩化物イオンを含む場合は、非水系参照極、例えば銀塩化銀電極(内封液なし)を用いることができる。電解液が塩化物イオンを含有しない場合は、塩化リチウムを含有したエタノールを内封液とした銀塩化銀電極を用いることができる(低温試験の場合)。参照極を用いることによって、電位制御でも水素をチャージすることが可能となる。水素チャージを電位制御で行う場合には、外部電源にポテンショスタットを用いることができる。一方、水素チャージを電流制御で行う場合には、外部電源にガルバノスタットを用いることができ、参照極は省略することができる。
【0028】
[電解液]
本実施形態では、電解液が、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒からなることが肝要である。このような電解液は、ヒドロキシ基を有する有機溶媒に、アルカリ金属イオンを含有する電解質及びアルカリ土類金属イオンを含有する電解質の一方又は両方を溶解させて得ることができる。このような電解液を用いて、オーステナイト系ステンレス鋼の試料に対して対極よりも負の電圧を印可することによって、試料表面で金属アルコキシド反応により水素を発生させて、試料に水素をチャージすることができる。
【0029】
金属アルコキシド反応とは、典型的には以下の反応である。
M + R-OH → R-OM + 1/2H2
M=アルカリ金属、R=炭化水素基
M’ + 2(R-OH) → M’(R-O)2 + H2
M’=アルカリ土類金属、R=炭化水素基
【0030】
塩化ナトリウム(NaCl)を溶解したエチレングリコール(HO-C2H4-OH)を電解質とした場合を例として、水素チャージの推定メカニズムを以下に説明する。
まず、塩化ナトリウムは、電解液中で以下のとおり電離している。
NaCl → Na+ + Cl-
そして、金属試料の表面から抜ける電子が電解液中に供給されることで、金属試料表面では、以下の反応が生じる。
HOC2H4OH + e- → HOC2H4O- + 1/2H2 (水素発生)
Na+ + HOC2H4O- → HOC2H4ONa (アルコキシド生成)
すなわち、
Na+ + HOC2H4OH + e- →HOC2H4ONa + 1/2H2
の金属アルコキシド反応によって、金属試料表面にて水素が発生する。
なお、対極側では、電解液中の塩化物イオンが電子を引き抜かれて、以下の反応を生じる。
2Cl- - 2e- → Cl2
このようにして生じた水素(H2)の一部が、乖離して水素原子として金属試料内に侵入するものと考えられる。
【0031】
本実施形態によれば、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方を含有し、ヒドロキシ基を有する有機溶媒を電解液として用いることで、オーステナイト系ステンレス鋼の試料表面を腐食させることなく、当該試料に水素をチャージすることが可能である。
【0032】
アルカリ金属イオンを含有する電解質は、本実施形態で用いる有機溶媒に溶解してアルカリ金属イオンを生じるものである限り特に限定されず、例えば、塩化ナトリウム(NaCl)、塩化カリウム(KCl)、塩化リチウム(LiCl)、酢酸カリウム(CH3COOK)、酢酸リチウム(CH3COOLi)、酢酸ルビジウム(CH3COORb)等を挙げることができ、これらのうち一種以上を用いることができる。
【0033】
アルカリ土類金属イオンを含有する電解質は、本実施形態で用いる有機溶媒に溶解してアルカリ土類金属イオンを生じるものである限り特に限定されず、例えば、酢酸マグネシウム(Mg(CH3COO)2)、塩化マグネシウム(MgCl2)等を挙げることができ、これらのうち一種以上を用いることができる。
【0034】
なお、本実施形態で用いる電解液は、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方に加えて、あるいは、アルカリ金属イオン及びアルカリ土類金属イオンの一方又は両方に代えて、金属試料表面で金属アルコキシド反応により水素を発生させ得る限り、3価の金属イオンを含有してもよい。このような電解液は、所定の有機溶媒に、3価の金属イオンを含有する電解質を溶解させて得ることができる。3価の金属イオンを含有する電解質は、本実施形態で用いる有機溶媒に溶解して3価の金属イオンを生じるものである限り特に限定されず、例えば、酢酸アルミニウム(Al(CH3COO)3)、塩化アルミニウム(AlCl3)等を挙げることができ、これらのうち一種以上を用いることができる。
【0035】
本実施形態で用いる有機溶媒は、ヒドロキシ基を有する限りものである限り、特に限定されないが、金属アルコキシド反応を好適に起こす観点から、アルコールであることが好ましい。
【0036】
本実施形態で用いるアルコールは、金属アルコキシド反応を起こすことができるものであれば特に限定されないが、炭素数が10以下、より好ましくは6以下の直鎖又は分岐の低級アルコールを用いることができる。より具体的には、エタノール、メタノール、1-プロパノール、2-プロパノール等の1価の低級アルコール、エチレングリコール、プロピレングリコール等の2価の低級アルコール、及びグリセリン等の3価の低級アルコールを挙げることができ、これらの一種以上を用いることが好ましい。
【0037】
本実施形態で用いるアルコールは、揮発しにくいものであること、具体的には、25℃において3.2×103Pa以下の蒸気圧を有するものであることが好ましい。高圧水素ガスによる水素チャージよりも水素チャージ速度が高いとはいえ、特に水素が入りにくいオーステナイト系ステンレス鋼に水素チャージする場合には、本実施形態でもそれなりの時間を要する。その際、揮発しにくいアルコールを用いれば、電解液の補充を行うことなく効率的に水素チャージを行うことができる。
【0038】
有機溶媒に対する電解質の濃度は、電解質の溶解度以下であり、電解質と有機溶媒の組み合わせに応じて、水素チャージ時の電流及び電圧の安定性がよい濃度範囲を適宜選択すればよい。
【0039】
水素チャージ量を多くする観点から、電解液は、さらに添加剤としてシアン化合物(シアンイオンを含む化合物)を含有することが好ましい。この添加剤としては、チオシアン酸アンモニウム(NH4SCN)、チオシアン酸カリウム(KSCN)等を挙げることができ、これらの一種以上を用いることができる。当該添加剤の濃度は、水素チャージ効果を高める観点から、0~5g/Lの範囲であることが好ましい。
【0040】
電解液の温度は特に限定されないが、0℃超えであることが好ましい。電解液の温度は、水素チャージ量を増やす観点から、高温化することが好ましい。
【0041】
[水素チャージ工程]
電気化学セルを組み立てた後、電解液の温度を上げ、電解液の温度が所定の温度に到達後、試料を電解液に入れて、水素チャージを行う。水素チャージ中は、セル内上部の空間(電解液の上部の空間)に乾燥窒素又は空気を通気させておくことが好ましい。必要に応じて、セル上部には冷却管を設置し、チャージ時に生じたガスを、冷却管の出口より、吸収液(水酸化ナトリウム溶液など)を通じて、局所排気設備に排気することが好ましい。
【0042】
水素チャージ環境の(雰囲気)温度は、特に限定されず、常温とすることができる。ただし、電解液を常温以上の高温とする場合には、雰囲気温度の制御よりもヒーターにより電解液を加熱することが好ましい。
【0043】
水素チャージの手法は、ポテンショスタットを用いる電位制御でもよいし、ガルバノスタットを用いる電流制御でもよい。水素チャージ後、外部電源を切って、必要に応じて、局所排気設備内にセルを持ち込み、試料を電解液から取り出す。
【0044】
[洗浄・保管]
水素チャージ後は、流水にて試料を洗浄し、その後、アセトンにて試料を洗浄することが好ましい。アセトン洗浄後は、試料を不織布で軽く拭き取り、液体窒素に保管する。
【0045】
[他の実施態様]
外部電源を用いた電気回路の形成による水素チャージ方法に加えて、オーステナイト系ステンレス鋼の試料とこれよりも卑な金属との異種金属接触腐食を利用した水素チャージ方法を行うこともできる。すなわち、オーステナイト系ステンレス鋼の試料と、この試料よりも卑な金属(異種金属)とを接触させた状態で、これらを電解液に浸漬することにより、電解液中で試料に電子が供給され、試料の表面から電子が抜ける電気回路を形成することができる。「オーステナイト系ステンレス鋼の試料よりも卑な金属」とは、オーステナイト系ステンレス鋼の試料よりも腐食電位が低い金属を意味する。異種金属としては、オーステナイト系ステンレス鋼の試料との電位差を大きくする観点から、例えば、Mg、Al等を好適に用いることができる。異種金属の形状は、例えば、板状であってもよいし、ペレットのような粒状であってもよいが、表面積を確保する観点から、ペレットのような粒状であることが好ましい。水素チャージの手法は、オーステナイト系ステンレス鋼の試料と異種金属とを接触させた状態で電解液に浸漬するのみでよい。異種金属接触腐食によって試料表面で金属アルコキシド反応を発生させて、水素をチャージすることができる。本実施形態では、外部電源を使用せず、浸漬のみの簡易な方法で水素チャージを行うことができる。ただし、外部電源を用いる場合よりは、水素チャージ量のコントロールが難しく、チャージにより長時間を要する。
【0046】
(水素脆化特性評価方法)
本発明の一実施形態による水素脆化特性評価方法は、上記した本実施形態による水素チャージ方法によって水素がチャージされたオーステナイト系ステンレス鋼の試料に対して、水素脆化特性評価試験を行うことを特徴とする。水素脆化特性評価試験は、大気中で、又は、水素チャージを継続しながら行うことができる。
【0047】
水素脆化特性評価試験を行う際の(雰囲気)温度は、特に限定されない。水素拡散係数が小さいオーステナイト系ステンレス鋼の試料においては、水素をチャージした後でも、大気中で水素が放散しづらく、大気中で水素脆化特性評価試験を行うことができる。また、水素をチャージしながら試験をする場合は、試験温度に応じて、チャージ用の電解液を適当なものに選択し、水素脆化特性評価試験を行う。
【0048】
水素脆化特性評価試験は、公知の又は任意の試験方法であればよく、特に限定されないが、(i)トレーサー水素分析法による試験、(ii)オーステナイト系ステンレス鋼の試料に、引張、圧縮、曲げ、せん断、及びねじりの一種以上の応力を負荷して行う物性試験、及び(iii)水素透過試験のうち一つ以上を行うことができる。
【0049】
[トレーサー水素分析法]
トレーサー水素分析法とは、金属試料中の転位、空孔、粒界などの格子欠陥に水素をチャージし、そのチャージされた水素を昇温脱離分析装置により分析し、得られるプロファイルによって、金属試料中の格子欠陥プロファイルを把握する手法である。昇温脱離分析装置としては、検出系が質量分析計であるTDS(Thermal Desorption Spectrometry)と、検出系がガスクロマトグラフィ装置であるTDA(Thermal Desorption Analysis)とを挙げることができる。TDS又はTDAによる、金属試料に含まれる水素濃度の測定条件は、特に限定されないが、昇温速度50~100℃/hで、金属試料を-100~-50℃の開始温度から、200~600℃の終了温度まで加熱しつつ、放出された水素量を測定することができる。
【0050】
本実施形態をトレーサー水素分析法に適用した場合、以下の効果を得ることができる。幅広い温度域において試料の表面を侵食せずに水素チャージすることができ、また、高圧水素ガスによる水素チャージ法と比べて、水素チャージ後に短時間で液体窒素に保管することができる。このため、水素チャージ後にオーステナイト系ステンレス鋼の試料から水素が拡散することを抑制することができ、その結果、精度の高い水素濃度の測定が可能であり、ひいては、水素脆化特性評価を高精度に行うことができる。特に、トレーサー水素分析法では、ピーク温度がトラップエネルギーと比例するように(すなわち熱拡散律速となるように)、試料を厚さ0.5mm以下といった薄片とすることが好ましい。ただし、試料が薄い場合、水素チャージ後に水素が拡散しやすいため、本実施形態によって水素の拡散を抑制できる効果は顕著である。
【0051】
[応力負荷物性試験]
オーステナイト系ステンレス鋼の試料に、引張、圧縮、曲げ、せん断、及びねじりの一種以上の応力を負荷する。試料に対する応力の負荷は、上述の方法によって試料に水素をチャージした後に行ってもよいし、水素をチャージしながら行ってもよい。試料に負荷する応力の種類については、特に制限されず、引張応力、圧縮応力、曲げ応力、せん断応力、ねじり応力のいずれであってもよい。これらの応力は、さらに静的応力及び動的応力のどちらであってもよい。そして、例えば、試料に破断が生じた際の応力を測定することによって、オーステナイト系ステンレス鋼の試料の水素脆化特性を直接的に評価することが可能である。
【0052】
本実施形態を応力負荷物性試験に適用した場合、以下の効果を得ることができる。幅広い温度域において試料の表面を侵食せずに水素チャージすることができ、また、高圧水素ガスによる水素チャージ法と比べて、水素チャージ後に短時間で液体窒素に保管することができる。このため、水素チャージ後にオーステナイト系ステンレス鋼の試料から水素が拡散することを抑制することができ、その結果、精度の高い水素濃度の測定が可能であり、ひいては、水素脆化特性評価を高精度に行うことができる。
【0053】
[水素透過試験]
水素透過試験とは、板状の金属試料の片面から水素をチャージし、金属試料の内部を透過して、他面から放出される水素を検出する手法である。オーステナイト系ステンレス鋼の試料の片面への水素チャージ方法として、本実施形態の水素チャージ方法を適用することができる。水素検出側については、透過してきた水素を電気化学的に測定してもよいし、ガスクロマトグラフ等を用いてガスとして評価してもよい。ただし、本実施形態の水素チャージ方法を85℃以上の高温で行う場合には、ガスクロマトグラフ等を用いて水素をガスとして検出する。水素透過試験では、試料中への水素の侵入速度及び拡散速度を評価することができる。
【0054】
本実施形態を水素透過試験に適用した場合、以下の効果を得ることができる。ステンレス鋼の水素透過には長時間の時間を要する。その長時間の試験において、液を揮発させず、試料表面を腐食させずに、水素チャージ及び水素透過試験を行うことによって、水素の拡散係数を精度よくプロットすることができる。
【実施例0055】
(発明例)
図1に示す電気化学セルを用いて、金属試料(3)への水素チャージ試験を行った。金属試料(3)は、SUS316L鋼(オーステナイト系ステンレス鋼)であり、その寸法及び形状は、直径5mmφ、長さ165mmのダンベル試験片である。金属試料(3)をステンレスワイヤー(5)にスポット溶接した。常温(25℃)雰囲気内に設置したガラス製定荷重用セルに電解液(2)を収容した。電解液(2)は、塩化ナトリウム10g、チオシアン酸アンモニウム2gをエチレングリコール400mLに溶解した液体である。定荷重用セル(1)の周囲にはマントルヒーター(図示せず)を配置して、これで電解液を加熱して、熱電対(6)で電解液の温度を測定し、電解液の温度を85℃に維持した。対極は、炭素電極(4)を用いた。金属試料(3)及び炭素電極(4)を電解液(2)に浸漬させ、炭素電極(4)と、金属試料(3)と接続したステンレスワイヤー(5)とを、ポテンショガルバノスタット(図示せず)に接続した。ポテンショガルバノスタットにより、定電流制御にて金属試料(3)に対して対極の炭素電極(4)よりも負の電圧を印可して、金属試料(3)に電気化学的に水素をチャージした。電流密度は1mA/cm
2とした。水素チャージ時間は6日間(144時間)とした。なお、水素チャージ中は、ガラス管(7)を介して、セル内の上部空間に空気を通気し、排気は局所排気した。
【0056】
上記水素チャージは無負荷状態で行ったが、水素チャージ後、引き続き金属試料(3)が電解液(2)に浸漬された状態で、金属試料(3)の先端(
図1の下部)を引っ張ることで、400MPaの負荷をかけたところ、金属試料(3)の電解液(2)に浸漬した部分において破断した。破断後の試料の取り出しには6時間を要したが、破面の腐食は見られなかった。
【0057】
(比較例)
電解液を、3質量%の塩化ナトリウム水溶液に3g/Lのチオシアン酸アンモニウム(NH4SCN)を添加した液体とし、電解液温度を常温(25℃)としたこと以外は、発明例と同様にして、水素チャージ及び定荷重の付与を行った。破断後の試料の取り出しには5時間を要したところ、破面は腐食していた。
本発明による水素チャージ方法は、トレーサー水素分析法による試験、金属試料に、曲げ、圧縮、引張及びねじりの一種以上の応力を負荷して行う物性試験、並びに水素透過試験などの種々の水素脆化特性評価方法に適用できる。