(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024068547
(43)【公開日】2024-05-20
(54)【発明の名称】質量分析装置
(51)【国際特許分類】
H01J 49/02 20060101AFI20240513BHJP
H01J 49/40 20060101ALI20240513BHJP
H01J 49/00 20060101ALI20240513BHJP
【FI】
H01J49/02 500
H01J49/40
H01J49/00 400
H01J49/00 360
【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022179081
(22)【出願日】2022-11-08
(71)【出願人】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】山▲崎▼ 萌奈
(72)【発明者】
【氏名】上田 直也
(57)【要約】
【課題】データ取得部のコストを低減する。
【解決手段】本発明の一態様は、複数回の測定で得られたデータを積算して所定の質量電荷比範囲に対応する質量分析データを取得するデータ取得部(2)、を具備する質量分析装置において、データ取得部は、測定により得られたアナログ検出信号をデジタル化するADCと、n回の測定をm回繰り返す(但しnは2以上の、mは1以上の整数)繰り返し測定において、該n回の測定の測定毎に、ADCにおいてアナログ検出信号をサンプリングするタイミングを決めるクロック信号の位相が互いに異なるクロック信号を生成してADCに供給するクロック信号生成部(22、23)と、互いに位相が異なるクロック信号毎に、その位相が同一であるm回の測定に対応してADCで得られたデジタルデータを積算するデータ積算部(25)と、データ積算部で積算して得られたデジタルデータを、1回の測定におけるサンプルの発生順序で出力する時系列復元部(26)と、を備える。
【選択図】
図2
【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数回の測定で得られたデータを積算して所定の質量電荷比範囲に対応する質量分析データを取得するデータ取得部、を具備する質量分析装置において、前記データ取得部は、
測定により得られたアナログ検出信号をデジタル化するアナログ-デジタル変換部と、
n回(但しnは2以上の整数)の測定をm回(但しmは1以上の整数)繰り返す繰り返し測定において、該n回の測定の測定毎に、前記アナログ-デジタル変換部においてアナログ検出信号をサンプリングするタイミングを決めるクロック信号の位相が互いに異なるクロック信号を生成して前記アナログ-デジタル変換部に供給するクロック信号生成部と、
互いに位相が異なるクロック信号毎に、その位相が同一であるm回の測定に対応して前記アナログ-デジタル変換部で得られたデジタルデータを積算するデータ積算部と、
前記データ積算部で積算して得られたデジタルデータを、1回の測定におけるサンプルの発生順序で出力する時系列復元部と、
を備える質量分析装置。
【請求項2】
前記クロック信号生成部は、位相ロックループ(PLL)のダイナミック位相シフトの機能を利用して位相が互いに異なるクロック信号を生成する、請求項1に記載の質量分析装置。
【請求項3】
前記ダイナミック位相シフトの機能を有する位相ロックループはFPGAに搭載されているものである、請求項2に記載の質量分析装置。
【請求項4】
飛行時間型質量分離器を備える質量分析装置である、請求項1に記載の質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は質量分析装置に関し、さらに詳しくは、質量分析装置においてデジタル化された測定データを取得するデータ取得部に関する。
【背景技術】
【0002】
飛行時間型質量分析装置(Time-of-Flight Mass Spectrometer、以下「TOFMS」と称す)では、フライトチューブ内に射出した目的イオンが該チューブ内の飛行空間を飛行してイオン検出器に到達するまでの飛行時間を記録し、飛行時間を質量電荷比(m/z)に換算することで目的イオンの質量情報を求める。TOFMSでは、多くの場合、同じ試料に対して複数回の測定を行い、それぞれの測定において得られた飛行時間とイオン強度(信号強度)との関係を示す飛行時間スペクトルデータを積算することによって、SN比や感度を向上させる処理が行われている(特許文献1等参照)。
【0003】
TOFMSでは、低m/z領域におけるイオンの飛行時間は短く、該イオンに対応する検出信号は半値幅が狭いピーク波形となる。そのため、TOFMSのイオン検出器で得られるアナログ検出信号をデジタル化するアナログ-デジタル変換器(Analog-to-Digital Converter、以下「ADC」と称す)には高速のサンプリング速度が必要であり、一般に、GHzオーダーのサンプリング周波数に対応するADCが使用される。こうした高速のADCから出力された、1回の測定に対応する飛行時間スペクトルデータは、その後段のデータ積算回路のメモリに一旦保持され、そのあと、複数回の繰返し測定においてそれぞれ得られた飛行時間スペクトルデータが積算回路において積算されることで最終的な飛行時間スペクトルデータが得られる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述したような、TOFMSのデータ取得部で使用される、サンプリング周波数がGHzオーダーである高速のADCはかなり高価なデバイスである。また、GHzオーダーの周波数を有する安定したクロック信号をADCに供給するには、高価な発振器が必要である。こうしたことから、従来のTOFMSにおけるデータ取得部のコストは高く、そのコストの削減が難しいという問題があった。
【0006】
本発明は上記課題を解決するためになされたものであり、TOFMSを始めとする質量分析装置において、データ取得部の性能を確保しつつコストを削減することをその主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析装置の一態様は、複数回の測定で得られたデータを積算して所定の質量電荷比範囲に対応する質量分析データを取得するデータ取得部、を具備する質量分析装置において、前記データ取得部は、
測定により得られたアナログ検出信号をデジタル化するアナログ-デジタル変換部と、
n回(但しnは2以上の整数)の測定をm回(但しmは1以上の整数)繰り返す繰り返し測定において、該n回の測定の測定毎に、前記アナログ-デジタル変換部においてアナログ検出信号をサンプリングするタイミングを決めるクロック信号の位相が互いに異なるクロック信号を生成して前記アナログ-デジタル変換部に供給するクロック信号生成部と、
互いに位相が異なるクロック信号毎に、その位相が同一であるm回の測定に対応して前記アナログ-デジタル変換部で得られたデジタルデータを積算するデータ積算部と、
前記データ積算部で積算して得られたデジタルデータを、1回の測定におけるサンプルの発生順序で出力する時系列復元部と、
を備える。
【発明の効果】
【0008】
本発明に係る上記態様の質量分析装置では、従来、1回の測定においてn回連続的にADCで実施していたアナログ-デジタル変換動作が、それぞれ互いに位相が異なるn種類のクロック信号の下でADCが駆動されるn回の測定に振り分けて実施される。そのため、ADCのサンプリング周波数は従来の1/nに低下する。
【0009】
本発明に係る上記態様の質量分析装置によれば、従来よりも低速の、廉価なADCを用いることが可能であり、データ取得部のコスト削減を図ることができる。また、サンプリング用のクロック信号を生成するための高価な発振器が不要になるため、それによってもデータ取得部のコスト削減が可能である。一方、一般に、廉価であっても低速のADCは高速のADCに比べてビット分解能(1サンプル当たりのビット長)及びSN比が高い。そのため、本発明に係る上記態様の質量分析装置では、従来の高速のADCを用いた場合と比べて、同じ時間内で実行可能であるデジタルデータの積算回数が少なくなるものの、ADC自体の分解能及びSN比の高さを活かして、従来と同程度又はそれ以上の性能を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】本発明の一実施形態であるTOFMSの要部の概略構成図。
【
図2】本実施形態のTOFMSにおけるデータ取得部のブロック構成図。
【
図3】本実施形態のTOFMSにおけるデータ取得部の動作説明図。
【
図4】本実施形態のTOFMSにおけるデータ取得部の動作説明図。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明に係る質量分析装置の一実施形態であるTOFMSについて、添付図面を参照して説明する。
【0012】
[本実施形態のTOFMSの構成及び動作]
図1は、本実施形態のTOFMSの要部の概略構成図である。
このTOFMSは四重極-飛行時間(Q-TOF)型質量分析装置であり、測定部1、データ取得部2、データ処理部3、及び制御部4を含む。測定部1は、イオン化部10、イオンガイド11、四重極マスフィルター12、コリジョンセル13、直交加速部14、フライトチューブ15、リフレクター16、及びイオン検出部17、を含む。なお、ここでは、真空チャンバーなどの記載を省略している。また、例えば、前段に液体クロマトグラフ(LC)が接続される液体クロマトグラフ質量分析装置(LC-MS)の場合、略大気圧であるイオン化部10と、直交加速部14、フライトチューブ15、リフレクター16、及びイオン検出部17が配置される高真空室との間に複数の中間真空室が設けられた多段差動排気系の構成が採られることは当然である。
【0013】
本実施形態のTOFMSにおいて、MS/MS分析を実施する場合の測定部1の概略動作は次の通りである。
イオン化部10は導入された試料に含まれる試料成分をイオン化する。生成された各種イオンは、イオンガイド11を経て四重極マスフィルター12に導入される。四重極マスフィルター12は、各種のイオンの中で特定のm/z値を有するイオンを選択的に通過させる。その選択されたイオンはコリジョンセル13において衝突誘起解離(CID)によって解離され、生成された様々なプロダクトイオンが直交加速部14に導入される。
【0014】
直交加速部14は、入射したイオン流の軸(イオン光軸)と略直交する方向にイオンをパルス的に加速し、フライトチューブ15内の飛行空間に向けて射出する。射出された各種イオンはフライトチューブ15及びリフレクター16により形成される飛行空間を飛行する間にm/z値に応じて空間的に分離され、時間差を有してイオン検出部17に到達する。具体的には、m/z値が小さなイオンほど早くイオン検出部17に到達する。イオン検出部17は、到達したイオンの量に応じた強度のアナログ検出信号を時々刻々と出力する。1回のイオン射出に対応してイオン検出部17で得られる検出信号が、所定のm/z範囲に対応する飛行時間とイオン強度との関係を示す飛行時間スペクトルを表す信号である。
【0015】
なお、MS/MS分析ではなく、通常の質量分析を実施する場合には、四重極マスフィルター12でイオン選択操作を実施せず、コリジョンセル13でイオンの解離操作を実施しない。これにより、イオン化部10で生成された各種イオンがほぼそのまま直交加速部14に導入され、それらイオンに対する質量分析が実施される。
【0016】
直交加速部14における1回の射出動作で分析されるイオンの量は必ずしも多くないため、十分なSN比の信号は得られにくい。そのため、従来一般には、イオンをパルス状に射出し射出されたイオンを質量分析するという測定を複数回連続的に実施し、各測定でそれぞれ得られた検出信号をデジタル化したデータを積算することによって、最終的な飛行時間スペクトルデータを取得するという処理が測定部1及びデータ取得部2において行われる。データ処理部3は、こうして得られた飛行時間スペクトルにおける飛行時間をm/zに換算することでマススペクトルを取得する。
【0017】
LC-MSやガスクロマトグラフ質量分析装置(GC-MS)などでは、イオン化部10に導入される試料に含まれる成分の種類が時間的に変化するものの、或る時間の間は、濃度の変化はあるにしても同じ成分がイオン化部10に導入され続けると推測し得るため、その時間に応じてデータ積算の回数が決定され得る。
【0018】
従来のTOFMSのデータ取得部2では、ADCは、イオン検出部17から出力されプリアンプで増幅されたアナログ検出信号を所定のサンプリング周期で以てサンプリングし、アナログ信号レベルの各サンプルをデジタル信号に変換することでデジタルデータを取得する。低m/z領域では飛行時間が短く、アナログ検出信号に出現するピーク波形の半値幅はかなり小さい。こうしたピーク波形を正確に把握するには、アナログ検出信号を十分に短い時間間隔で以てサンプリングしてデジタルデータに変換することが可能である高速の、具体的にはサンプリング周波数がGHzオーダーのADCが必要である。こうしたADCはコストが高いうえに、ビット分解能やSN比が低いという問題がある。
【0019】
[データ取得部の構成及び動作]
これに対し、本実施形態のTOFMSでは、データ取得部2を以下に説明するような特徴的な構成としている。
図2は、本実施形態のTOFMSにおけるデータ取得部2のブロック構成図である。
【0020】
図2に示すように、データ取得部2は、ADC20、ADCバッファー21、位相ロックループ(PLL)回路22、クロック(CLK)位相制御部23、データ取得制御部24、データ積算部25、及び、時間方向デインターリーブ部26、を含む。この例では、上記二つの変数n、mについて、n=8、m=8である。データ積算部25は、n個の、つまり8個の同じ構成を有する位相対応積算部25Aを含む。一つの位相対応積算部25Aは、データを保持する積算用メモリ251と加算器252とを含み、入力されたデータと積算用メモリ251に保持されているデータとを加算し、その加算されたデータを再び積算用メモリ251に書き込む(上書きする)ことが可能である構成である。
【0021】
なお、この例では、ADC20は単独のデバイスであり、それ以外の各部は周知のデバイスであるFPGA(Field Programmable Gate Array)2Aにより構成されている。但し、こうした構成とすることは必須ではなく、FPGAに代えて個別の論理デバイスで回路を構成することもできるしカスタムICを用いることもできる。
【0022】
図3及び
図4は、
図2に示したデータ取得部2の動作説明図である。
図3は、n×m回の繰り返し測定とデータ積算との関係を中心とした説明図、
図4は、連続するn回の測定におけるクロック信号とアナログ検出信号のサンプリングタイミングとの関係を中心とした説明図である。
図3及び
図4を参照しつつ、データ取得部2の動作を説明する。
【0023】
この例では、ADC20を動作させる基本となるクロック信号、つまりPLL回路22で生成されるクロック信号は125MHzの矩形波信号である。クロック位相制御部23は、PLL回路22で生成されるクロック信号の周波数を維持しつつ位相を制御する機能を有し、データ取得制御部24の指示に基いて、クロック信号の位相遅れが、0°、45°、95°、135°、180°、225°、270°、315°の8(=n)種類のいずれかであるようにPLL回路22を制御する。ここでいうクロック信号の位相遅れは、位相遅れなし(0°)のクロック信号(
図4中のCLK(0))を基準とし、そのクロック信号の1周期を360°とした位相角で示したものである。従って、例えば位相遅れ45°のクロック信号(
図4中のCLK(45))、及び位相遅れ90°のクロック信号(
図4中のCLK(90))は
図4中に示すようになる。また、位相遅れ180°のクロック信号は位相遅れ0°のクロック信号を反転したものとなる。
【0024】
このようなPLL回路22及びクロック位相制御部23によるクロック信号生成動作は、例えば、一部のFPGAに搭載されているダイナミック位相シフト機能付きのPLL回路を用いることで実現することができる。
【0025】
本実施形態のTOFMSでは、n×m、つまり64回の連続的な測定においてそれぞれ得られたデジタルデータに基いて、最終的に一つの飛行時間スペクトルを取得する。
図3に示すように、この連続的な64回の測定は、8(=n)回の連続的な測定を8(=m)回繰り返すことにより実施される。以下の説明では、この8(=n)回の連続的な測定を1サイクルとする。クロック位相制御部23は、1サイクル中の各測定において、クロック信号の位相遅れが、0°→45°→90°→135°→180°→225°→270°→315°と順番に変化するようにPLL回路22を制御し、PLL回路22はその位相遅れに対応したクロック信号を生成してADC20に入力する。
【0026】
ADC20のアナログ入力端には、イオン検出部17から出力され、図示しないプリアンプで増幅されたアナログ検出信号が入力される。ADC20は上述したように位相が制御されたクロック信号に同期して、例えばクロック信号の立ち上がりエッジ(又はそれから所定時間遅延したタイミング)でアナログ検出信号をサンプリングし、得られたサンプルをクロック信号の複数周期の期間中にデジタル信号に変換して出力する。
図4では、アナログ検出信号波形上でサンプリングされるタイミングを黒丸で示している。クロック信号の周波数は125MHzであるから、1回の測定におけるサンプリングの時間間隔はいずれの測定においても8nsである。つまり、ADC20からは8ns毎に1サンプル分のデジタルデータが出力される。こうしてADC20から順次出力されるデジタルデータは、ADCバッファー21に一旦格納される。
【0027】
一方、上述したように、1回の測定毎にクロック信号の位相は45°ずつ遅れるため、
図4に示すように、或る測定におけるサンプリングのタイミングと続く次の測定におけるサンプリングのタイミングとは1nsだけずれる。
図4に例示しているように、各測定で得られるアナログ検出信号の波形形状が同じであるとすると、同じ成分由来である(と推定される)同じ形状のピーク波形上の1nsずつずれた位置の信号強度がサンプリングされることになる。
【0028】
図3に示すように、1サイクルの測定がm回(ここでは8回)繰り返される。この各サイクルにおいて、同じ位相遅れのクロック信号を用いてA/D変換されたデジタルデータが得られる。従って、64回の連続的な測定の間に、イオン射出時点を基準とした同じサンプリングのタイミングで得られるサンプル(デジタルデータ)はm個存在する。そこで、データ積算部25の各位相対応積算部25Aでは、それぞれ0°、45°、90°、135°、180°、225°、270°、315°の位相遅れの下で、同じ位相遅れのサンプリングのタイミングで得られたデジタルデータを積算する。各位相対応積算部25Aでのデータ積算は並行的に行うことができるので、例えば1回の測定におけるサンプリングの時間間隔つまり8nsの周期で行えばよい。
【0029】
各位相対応積算部25Aの積算用メモリ251にはそれぞれ、積算の結果であるデータが蓄積され、連続的な8サイクルのうちの最後のサイクルの測定で取得されたデータと、それまでの7サイクルの測定による積算データとが加算器252で加算された結果、つまりは8サイクル分のデータが加算された結果が時間方向デインターリーブ部26に入力される。時間方向デインターリーブ部26は、例えばバッファーとセレクターとを含む。時間方向デインターリーブ部26は、前段のn個の位相対応積算部25Aから送られて来る各位相遅れに対応した積算データをそれぞれ一旦バッファーに格納したうえで、時系列順、つまりは飛行時間が小さい順にセレクターで選択して出力する。データ積算部25では、演算時間を確保するために、n個の位相対応積算部25Aで並行してデータ積算を行うものの、時間方向デインターリーブ部26では、n個の位相対応積算部25Aから並行して入力されるサンプルを元の時系列の順にシリアルに並び替え、1nsの時間間隔で各サンプルに対応するデジタルデータを出力する。
【0030】
ここでは、ADC20のビット分解能は14ビットであるが、データ積算部25でのデータ積算によってビット数が増えるので、データ積算部25以降の回路では、1サンプルのビット長を17ビットに拡張している。時間方向デインターリーブ部26から出力されるデータも、17ビットのビット長のデータである。時間方向デインターリーブ部26から出力されるデータの時間間隔は
図4に示すように1ns間隔であり、これは、1GHzのクロック信号で動作するADCから出力されるデータと同じ時間間隔である。即ち、本実施形態のTOFMSにおけるデータ取得部2では、125MHzという相対的に低速で動作するADC20を使用しながら、その8倍の1GHzで動作するADCを用いた場合と同様のサンプリング周波数の飛行時間スペクトルを得ることができる。
【0031】
[本実施形態におけるデータ取得部の利点]
具体例を挙げつつ、上述したデータ取得部2の利点を説明する。
(1)上記仕様に適合するADC20の一例としては、米国アナログ・デバイセズ社製のLTC2255がある。これは標準のサンプリング速度が125MHz、ビット分解能は14bitである。一方、例えば1GHzのサンプリング周波数に対応したADCとしては、例えば米国テキサス・インスツルメント社製のADC08D1080などがある。これらデバイスの市場価格を比較すると、前者は後者の約1/4程度であり、そもそもデバイスが高価であるために、大きなコスト削減が可能である。
【0032】
(2)1GHz又はそれ以上のクロック信号を安定的に得るには、例えば、米国Zコミュニケーションズ社製のDRO2500A-LFなどの高価な発振器が必要である。これに対し、上記データ取得部2では、例えばFPGAに搭載されたPLL回路で生成可能な周波数のクロック信号を用いることができるため、そうした高価な別付けの発振器は不要である。一方、FPGAにおいてダイナミック位相シフトの機能を利用すると、その分だけそのデバイスの規模(容量)が大きくなるものの、発明者が実際に試験的に作成したFPGAの容量及びそれによるコスト増加は僅かであった。従って、ADC20以外の回路においても、クロック信号を低速化することはコスト削減に資する。
【0033】
(3)本実施形態のTOFMSでは、ADCの速度を従来の1/8に下げているために、処理時間が従来と同じであるとすると、その時間内におけるデータ積算の回数を減らす必要がある。例えば上記の例では、従来であれば64回のデータ積算が可能であるのに対し、同じ処理時間で実施されるデータ積算回数は8回である。しかしながら、以下の理由により、このようにデータの積算回数を減らしたとしても、従来と同程度又はそれ以上の性能(SN比)を達成し得る。
【0034】
上記例示した高速のADCであるADC08D1080のビット分解能は8ビットにすぎず、そのSN比は45.1dBである。これに対し、サンプリング周波数が128MHzであるADC、LTC2255のビット分解能は14ビットであり、そのSN比は71.7dBである。このビット分解能及びSN比の差は主として、速度の差に応じたA/D変換の方式の相違である。高速のADCはSN比が低く、これが測定におけるSN比の制約条件になるために、データ積算回数をできるだけ多くすることでSN比を確保するようにしている。一方、本実施形態のデータ取得部2で利用可能なADCのSN比はもともと高く、このADCのSN比は信号自体のSN比よりも十分に高いため制約条件とならない。それ故に、データの積算回数が相対的に少なくても、従来と同様又はそれ以上のSN比を達成することができる。
【0035】
また、本実施形態のTOFMSにおいて従来と同様のデータ積算回数を達成しようとすると処理時間が長くなるものの、ADCの速度の低下分に相当する分だけ長い処理時間が必要なわけではない(つまり、上記例では、ADCの速度を1/8に下げているものの8倍の処理時間が必要になるわけではない)。何故なら、もともと高m/z領域の信号は低m/z領域の信号に比べて質量分解能が低いため、サンプリング周波数を下げたとしても、得られる信号の品質の低下は実質的にない。そこで、全てのm/z領域に亘って、上述した方法を採用して低速のADCを用いながら高いサンプリング速度を実現する必要はなく、低m/z領域のみにおいて上述した方法を採用して高いサンプリング速度を実現することで、処理時間の延びを軽減することが可能である。
【0036】
(4)ADC20の低速化及びクロック信号の低速化により、低消費電力化が可能であり、また回路基板の発熱の抑制に繋がる。一例として、低速のADCであるLTC2255の消費電力は最大0.468Wである。一方、高速のADCであるADC08D1080の消費電力は最大2.06Wであり、発振器DRO2500A-LFの標準的な消費電力は0.13Wであるから、合計で2.19Wである。そのため、本実施形態におけるデータ取得部2の方が、従来の構成よりも消費電力が1.722W低くなり、その分だけ発熱量の減少も見込める。
【0037】
(5)GHzオーダーの高速のADCを使用する場合、例えば、差動入力を用いる、回路パターンをできるだけ短くする、類似した信号が通る複数の回路パターンの長さを揃える等、回路基板における様々な配慮が必要になる。そのためには、回路基板の積層数を増やす必要があり、通常、8~14層の多層基板が必要である。これに対し、より低速のADCを用いた本実施形態におけるデータ取得部2では、回路基板の積層数は4~8層程度で十分である。これにより、回路基板の設計コスト及び製造コストを抑えることができる。
【0038】
上記実施形態は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変更、追加、削除を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
例えば、繰り返し測定の回数を決めるn、mの値はそれぞれ適宜の数にすることができる。
【0039】
また、上記実施形態は本発明をQ-TOF型質量分析装置に適用した例であるが、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置などの、他のイオン化法を用いたTOFMSに適用できることも当然である。また、リフレクトロン型以外の、リニア型、マルチターン型、マルチリフレクトロン型などの他の形態のTOFMSに適用可能であることも当然である。また、TOFMSに限らず、イオン検出信号のピークの幅が狭いために通常、高速のA/D変換が必要であり、且つ、スペクトルデータの積算を行う必要がある、他の方式の質量分析装置に本発明を適用することも可能である。
【0040】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0041】
(第1項)本発明に係る質量分析装置の一態様は、複数回の測定で得られたデータを積算して所定の質量電荷比範囲に対応する質量分析データを取得するデータ取得部、を具備する質量分析装置において、前記データ取得部は、
測定により得られたアナログ検出信号をデジタル化するアナログ-デジタル変換部と、
n回(但しnは2以上の整数)の測定をm回(但しmは1以上の整数)繰り返す繰り返し測定において、該n回の測定の測定毎に、前記アナログ-デジタル変換部においてアナログ検出信号をサンプリングするタイミングを決めるクロック信号の位相が互いに異なるクロック信号を生成して前記アナログ-デジタル変換部に供給するクロック信号生成部と、
互いに位相が異なるクロック信号毎に、その位相が同一であるm回の測定に対応して前記アナログ-デジタル変換部で得られたデジタルデータを積算するデータ積算部と、
前記データ積算部で積算して得られたデジタルデータを、1回の測定におけるサンプルの発生順序で出力する時系列復元部と、
を備える。
【0042】
第1項に記載の質量分析装置によれば、従来よりも低速の、廉価なADCを用いることが可能であり、データ取得部のコスト削減を図ることができる。また、サンプリング用のクロック信号を生成するための高価な発振器が不要になるため、それによってもデータ取得部のコスト削減が可能である。一方、一般に、廉価であっても低速のADCは高速のADCに比べてビット分解能及びSN比が高い。そのため、第1項に記載の質量分析装置では、従来の高速のADCを用いた場合と比べて、同じ時間内で実行可能であるデジタルデータの積算回数が少なくなるものの、ADC自体の分解能及びSN比の高さを活かして、従来と同程度又はそれ以上の性能を実現することができる。
【0043】
(第2項)第1項に記載の質量分析装置において、前記クロック信号生成部は、位相ロックループ(PLL)のダイナミック位相シフトの機能を利用して位相が互いに異なるクロック信号を生成するものとすることができる。
【0044】
(第3項)また、第2項に記載の質量分析装置において、前記ダイナミック位相シフトの機能を有するPLLはFPGAに搭載されているものであるものとすることができる。
【0045】
近年、デジタル回路を構成するために広く利用されているFPGAには一般的にPLL回路が搭載されており、その一部はダイナミック位相シフトの機能を有する。これを利用することで、周波数が一定で位相が異なるクロック信号を容易に生成することができる。これにより、第2項及び第3項に記載の質量分析装置では、確実にコストを抑えることができる。
【0046】
(第4項)第1項に記載の質量分析装置は、飛行時間型質量分離器を備える質量分析装置であるものとすることができる。
【0047】
TOFMSでは、低m/z域のイオンに対する検出信号のピーク幅がかなり狭くなる場合がある。これに対し、第4項に記載の質量分析装置を用いることで、相対的に低速のADCを用いながら、ピーク幅の狭いピーク波形を的確に捉えてデジタル化することができる。
【符号の説明】
【0048】
1…測定部
10…イオン化部
11…イオンガイド
12…四重極マスフィルター
13…コリジョンセル
14…直交加速部
15…フライトチューブ
16…リフレクター
17…イオン検出部
2…データ取得部
20…ADC
21…ADCバッファー
22…PLL回路
23…クロック位相制御部
24…データ取得制御部
25…データ積算部
25A…位相対応積算部
251…積算用メモリ
252…加算器
26…時間方向デインターリーブ部
2A…FPGA
3…データ処理部
4…制御部