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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024069730
(43)【公開日】2024-05-22
(54)【発明の名称】網膜変性抑制用組成物
(51)【国際特許分類】
   A61K 31/192 20060101AFI20240515BHJP
   A61P 43/00 20060101ALI20240515BHJP
   A61P 27/02 20060101ALI20240515BHJP
【FI】
A61K31/192
A61P43/00 107
A61P27/02
【審査請求】未請求
【請求項の数】8
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021042005
(22)【出願日】2021-03-16
(71)【出願人】
【識別番号】899000079
【氏名又は名称】慶應義塾
(74)【代理人】
【識別番号】110002860
【氏名又は名称】弁理士法人秀和特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】小澤 洋子
(72)【発明者】
【氏名】岡野 栄之
(72)【発明者】
【氏名】坪田 一男
【テーマコード(参考)】
4C206
【Fターム(参考)】
4C206AA01
4C206AA02
4C206DA23
4C206KA12
4C206MA01
4C206MA04
4C206MA37
4C206MA55
4C206MA61
4C206MA72
4C206MA78
4C206MA86
4C206NA14
4C206ZA33
4C206ZB22
(57)【要約】
【課題】本発明は、網膜色素変性をはじめとする網膜変性を抑制するための医薬組成物を提供することを課題とする。
【解決手段】PBAが進行性の網膜視細胞死を抑制すること、視機能低下を抑制することを見出し、網膜色素変性をはじめとする網膜変性を抑制するための医薬組成物を提供することができた。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜変性抑制用医薬組成物。
【請求項2】
フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜変性疾患を治療又は予防するための、医薬組成物。
【請求項3】
前記網膜変性疾患が、網膜視細胞が変性した疾患である、請求項2に記載の医薬組成物。
【請求項4】
前記網膜変性疾患が、網膜色素変性、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、及びMELAS(mitochondrial myopathy,encephalopathy,lactic acidosis,and stroke-like episodes)に伴う網膜変性から選択される1つ以上の疾患である、請求項2又は3に記載の医薬組成物。
【請求項5】
フェニル酪酸の塩が、ナトリウム塩である、請求項1~4のいずれか一項に記載の医薬組成物。
【請求項6】
錠剤、顆粒剤、注射剤又は点眼剤である、請求項1~5のいずれか一項に記載の医薬組成物。
【請求項7】
フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜における小胞体ストレス関連分解を促進するための医薬組成物。
【請求項8】
フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜におけるミトコンドリア生合成を活性化するための及び/又は網膜におけるミトコンドリアの代謝機能を改善するための医薬組成物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、網膜色素変性をはじめとする網膜変性を抑制するための医薬組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
網膜色素変性は遺伝性の網膜疾患で、光の明暗を認識する視細胞である杆体視細胞が遺伝子変異により変性することで、初期症状として夜盲症や視野狭窄、視力低下などを呈し、最終的には失明をきたす恐れがある疾患である。
現時点では有効な治療法が無く、これまで臨床的には神経保護目的でビタミン剤を投与することがあったが、効果は乏しい。またこれまでにウイルスを用いた遺伝子導入治療に関する研究が進められており、世界的に臨床試験が行われている。また、薬物療法として視覚サイクルモジュレータ(Visual Cycle Modulator)の研究が行われているが(非特許文献1)、これは視機能を使わないようにして網膜を保護するものであり、視機能を維持しながら網膜を保護する治療が求められている。
網膜色素変性のほか、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、もしくはそれ以外の原因に伴う網膜変性に対する網膜を保護する治療法もなく、同様に治療法が求められている。
【0003】
また尿素サイクル異常症の特効薬として既に使用されているフェニル酪酸(phenylbutyric acid(以下、PBAとも言う))が、角膜内皮における小胞体ストレスを抑制する作用があることがこれまでに示されている(特許文献1、2)。しかしながら、眼領域において、角膜内皮以外でのPBAの作用については不明であり、特に網膜におけるPBAの作用は不明であった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】国際公開2015/064768号
【特許文献2】国際公開2018/164113号
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】PLoS One, 2015 May 13;10(5):e0124940
【非特許文献2】J Biol Chem., 2011;286(12):10551-10567
【非特許文献3】FASEB J., 2020;34(4):5016-5026
【非特許文献4】PLoS One, 2017;12(6):e0178627
【非特許文献5】Free Radic Biol Med., 2014;71:176-185
【非特許文献6】Clin Exp Ophthalmol., 2014;42(6):555-563
【非特許文献7】Commun Biol., 2020;3(1):767
【非特許文献8】Mol Neurobiol., 2019;56(12):8124-8135
【非特許文献9】Mol Neurobiol., 2015;52(1):679-695
【非特許文献10】Bioorg Med Chem., 2010;18(19):7022-7028
【非特許文献11】Invest Ophthalmol Vis Sci., 2012;53(12):7590-7599
【非特許文献12】Adv Exp Med Biol., 2012;723:191-197
【非特許文献13】Biochim Biophys Acta Mol Basis Dis., 1864(9 Pt B):2938-2948
【非特許文献14】Front Cell Neurosci., 2019;13:535
【非特許文献15】Cell Death Dis, 2014;5:e1236
【非特許文献16】Nat Struct Mol Biol., 2014;21(4):325-335
【非特許文献17】Trends Cell Biol., 2012;22(1):22-32
【非特許文献18】eLife, 2020;9:e57306
【非特許文献19】Front Cell Dev Biol., 2020;8:270
【非特許文献20】Curr Opin Cell Biol, 2015;37:18-27
【非特許文献21】Traffic, 2018;19(8):569-577
【非特許文献22】Neurobiol Dis, 2016;90:3-19
【非特許文献23】Ageing Res Rev., 2020;66:101250
【非特許文献24】J Neurosci Res., 2017;95(10):2025-2029
【非特許文献25】FEBS Lett., 2018;592(5):793-811
【非特許文献26】Redox Biol., 2020;37:101779
【非特許文献27】Neural Regen Res., 2017;12(8):1252-1255
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
すなわち、本発明は、網膜色素変性をはじめとする網膜変性を抑制するための医薬組成物を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を解決すべく検討を進め、PBAが進行性の網膜視細胞死を抑制すること、視機能低下を抑制することを見出し、本発明を完成させた。
【0008】
すなわち、この出願は、以下の発明を提供するものである。
[1]フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜変性抑制用医薬組成物。
[2]フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜変性疾患を治療又は予防するための、医薬組成物。
[3]前記網膜変性疾患が、網膜視細胞が変性した疾患である、[2]に記載の医薬組成物。
[4]前記網膜変性疾患が、網膜色素変性、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、及びMELAS(mitochondrial myopathy,encephalopathy,lactic acidosis,and stroke-like episodes)に伴う網膜変性から選択される1つ以上の疾患である、[2]又は[3]に記載の医薬組成物。
[5]フェニル酪酸の塩が、ナトリウム塩である、[1]~[4]のいずれかに記載の医薬組成物。
[6]錠剤、顆粒剤、注射剤又は点眼剤である、[1]~[5]のいずれかに記載の医薬組成物。
[7]フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜における小胞体ストレス関連分解を促進するための医薬組成物。
[8]フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜におけるミトコンドリア生合成を活性化するための及び/又は網膜におけるミトコンドリアの代謝機能を改善するための医薬組成物。
【発明の効果】
【0009】
本発明は、PBAが網膜色素変性モデルにおいて視機能維持を促進することを見出したことにより、網膜色素変性をはじめとする網膜変性を抑制するための剤を提供でき、これまで診断がついても有効な治療法が無かった網膜変性患者に対する新規医薬組成物を提供することができた。
【図面の簡単な説明】
【0010】
図1】PBAによるP23Hロドプシンノックインヘテロ接合型網膜色素変性モデルマウス(本開示中、単にP23Hノックインヘテロ接合型マウス、P23H RPモデルマウスとも言う)における視機能維持促進を示す図である。図中、WTは野生型マウスを示し、HeteroはP23Hノックインヘテロ接合型マウスを示す。Aは、マウス網膜のヘマトキシリン・エオジン染色を行った顕微鏡写真図である。Bは、外顆粒層(ONL)における、核の数を示すグラフである。図中、*はP<0.05を示し、**はP<0.01を示す。
図2】PBAによるP23Hノックインヘテロ接合型マウスにおける視機能維持促進を示す図である。A~Eは暗順応ERGの結果図であり、Aは網膜電図の波形を示し、B~Cはそれぞれa波の振幅及び潜時を示し、D~Eはそれぞれb波の振幅及び潜時を示す。F~Hは明順応ERGの結果図であり、Fは網膜電図の波形を示し、G~Hはそれぞれ振幅及び潜時を示す。図中、*はP<0.05を示す。
図3】PBAによるP23Hノックインヘテロ接合型マウスの網膜における小胞体ストレス関連分解とミトコンドリアマーカーの発現上昇を示す図である。A~Iのグラフはそれぞれ、リアルタイム逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR)による、各遺伝子マーカーの発現量の変化を示す。図中、*はP<0.05を示し、**はP<0.01を示す。
図4】PBAによる細胞株におけるミトコンドリアの代謝改善を示す図である。A~Bはそれぞれ、Pgc1-αとTfamのmRNA発現量がPBAの用量依存的に増加することを示す。Cは、ミトコンドリアのプロトノフォア脱共役剤であるBAM15の投与前後における膜電位改善を示す電子顕微鏡写真図である。Dは、ミトコンドリア膜電位改善を示すグラフである。E~Fはそれぞれ、PBAによる電子輸送鎖の複合体IV(CoX IV)の活性亢進、及びATP発現レベルの上昇を示すグラフである。図中、*はP<0.05を示し、**はP<0.01を示す。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明の一実施形態は、フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜変性抑制用医薬組成物又は網膜変性疾患を治療若しくは予防するための医薬組成物である。
【0012】
本実施形態において、フェニル酪酸塩は、本発明の効果を妨げない限り限定されず、例えば、ナトリウム塩が挙げられる。
【0013】
本実施形態において、フェニル酪酸若しくはフェニル酪酸塩の誘導体とは、本発明の効果を妨げない限り限定されず、例えば、フェニル基上の任意の水素が、任意の置換基(例えば、炭素数1~3のアルキル基、ハロゲンなど)で置換されたものであってもよく、フェニル酪酸又はフェニル酪酸塩の炭化水素鎖上の任意の水素が、任意の置換基(例えば、炭素数1~3のアルキル基、ハロゲンなど)で置換されたものであってもよい。
【0014】
本実施形態において、網膜変性とは、疾患については特に限定されず、網膜細胞の変性が生じた状態のことである。好ましくは網膜視細胞の変性が生じた状態のことである。網膜視細胞の変性は、杆体視細胞の変性又は錐体視細胞の変性のいずれでもよい。
【0015】
本実施形態において、網膜変性が抑制されるとは、本実施形態の医薬組成物を投与することにより、例えば、変性の進行が阻害されることや、変性の進行が遅延されること、変性状態が改善されること、変性状態が完全に消失することなどが挙げられる。
【0016】
本実施形態の医薬組成物を投与することにより、網膜における変性が生じた異常タンパク質の分解が促進されることや、ミトコンドリア機能が改善若しくは向上すること、及び/又は網膜視細胞の保護機能が改善若しくは向上すること等によって、網膜変性が抑制される。
【0017】
網膜変性の抑制を判断する指標は特に限定されることはないが、例えば、本実施形態の医薬組成物投与後の検体において、本実施形態の医薬組成物を投与していない対照検体と比較して、網膜細胞の数、特に網膜視細胞の数が増加することにより網膜変性が抑制されたと判断してもよく、網膜電図にて振幅が増加すること及び/又は潜時が短くなることにより網膜変性が抑制されたと判断してもよい。統計学的に有意差があることが好ましいが、必ずしも有意差があることは必要とはしない。
【0018】
本実施検体の治療対象となる網膜変性疾患は、網膜変性を引き起こす原因によらず、網膜細胞の変性が生じた疾患であれば特に限定されないが、網膜視細胞の変性が生じた疾患であることが好ましい。
具体的には、特に限定されないが、例えば、網膜色素変性、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、及びMELAS(mitochondrial myopathy,encephalopathy,lactic acidosis,and stroke-like episodes)に伴う網膜変性から選択される1つ以上の疾患が挙げられる。
【0019】
本実施形態において、治療とは疾患の発生を予防することも含む。
【0020】
本実施形態において、医薬組成物中のフェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体の含有量又はそれを含む医薬組成物の投与量若しくは投与方法は、該医薬組成物による治療効果が得られる限り特に限定されず、疾患の種類、疾患の程度、症状、患者の年齢、体重などによって適宜定めることができる。
【0021】
例えば、錠剤又は顆粒剤である場合、該医薬組成物中のフェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体の含有量は、医薬組成物1gあたり、10~1000mgであってよく、100~1000mgであってよい。液剤の場合、該医薬組成物中のフェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体の含有量は、例えば、0.001μg/mL~1000mg/mLであってよく、0.001μM~1000mMであってもよい。
【0022】
本実施形態の医薬組成物の剤型は、投与方法に応じて適宜選択できる。例えば、経口投与の場合は、散剤、顆粒剤、錠剤、カプセル剤等の固形製剤;溶液剤、シロップ剤、懸濁剤、乳剤等の液剤等に製剤化することができる。また、非経口投与の場合は、注射剤、液剤、懸濁剤等に製剤化することができる。
【0023】
投与経路は、治療効果が得られる限り特に限定されず、経口投与、眼投与、静脈内投与、局所投与などであってよい。例えば、錠剤又は顆粒剤として経口投与してもよく、注射剤として眼内などに局所投与してもよく、点眼剤として眼投与してもよい。
【0024】
本実施形態の医薬組成物の投与量は、フェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体に関しては、経口投与や静脈内投与等を行う場合は、例えば、1日あたり1.0~20.0g/m(体表面積)であってよく、9.9~13.0g/m(体表面積)であってもよい。上記投与量の医薬組成物は、1日1回で投与してもよく、1日数回に分けて投与してもよい。また、点眼剤として眼投与等を行う場合は、例えば、0.001μg/mL~1000mg/mLまたは0.001μM~1000mMの濃度の医薬組成物を片眼あたり1滴又は複数滴、1日1回又は複数回投与してもよい。
【0025】
本実施形態の医薬組成物は、本発明の効果を妨げない限り、追加の有効成分を含んでもよい。さらに、追加の疾患治療方法と組み合わせて使用してもよい。
【0026】
本実施形態の医薬組成物は、担体や添加剤が含まれていてもよい。ここで、担体として
は、薬理的に許容される溶媒、希釈剤、賦形剤、結合剤などが挙げられ、液体状の医薬組成物の調製には例えば、水、生理食塩水、緩衝液などが用いられる。添加剤としては、安定剤、pH調整剤、増粘剤、抗酸化剤、等張化剤、緩衝剤、溶解補助剤、懸濁化剤、保存剤、凍害防止剤、凍結保護剤、凍結乾燥保護剤、制菌剤などが挙げられる。
【0027】
本発明の他の実施形態は、フェニル酪酸(PBA)若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜における小胞体ストレス関連分解を促進するための医薬組成物である。
【0028】
網膜における小胞体ストレス関連分解を促進するとは、特に限定されないが、例えば、XBP1s(XBP1 spliced form)、VCP(valosin-containing protein)、Derlin1(degradation in endoplasmic reticulum protein 1)などの小胞体ストレス関連分解に関連する分子マーカーの遺伝子発現量又はタンパク質発現量が増強されることである。この分子マーカーの発現量増強により、網膜に発生した異常タンパク質の分解を促進することができる。特に小胞体ストレス関連分解の促進により、異常なP23Hロドプシンに分解が促進されることにより、網膜変性を抑制することができる。
【0029】
ここで各種分子マーカーの発現量増強とは、特に限定されないが、本実施形態の医薬組成物を投与した対象において、該医薬組成物を投与していない対照となる対象と比較して、該マーカーの遺伝子又はタンパク質発現量が増えたことを意味してもよい。
または、本実施形態の医薬組成物を投与した対象において、該マーカーの遺伝子又はタンパク質発現量が、予め設定されたカットオフ値を超えた場合に発現量が増強されたと判断してもよい。
【0030】
本実施形態における、フェニル酪酸の塩や誘導体の種類、医薬組成物中のフェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体の含有量又は医薬組成物の投与量、投与方法、剤形、追加の成分などは特に限定されず、上述の網膜変性抑制用医薬組成物における記載を準用できる。
【0031】
本発明の他の実施形態は、フェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体を含む、網膜におけるミトコンドリア生合成を活性化するための及び/又は網膜におけるミトコンドリアの代謝機能を改善するための医薬組成物である。
【0032】
網膜におけるミトコンドリア生合成を活性化するとは、特に限定されないが、例えば、Fis1(Mitochondrial fission 1 protein)などのミトコンドリア分裂マーカーや、LC3(microtubule-associated protein light chain 3)などのオートファジーマーカー、若しくはMfn1(mitofusin 1)、Mfn2(mitofusin 2)などの融合マーカーの遺伝子発現量又はタンパク質発現量が増強されること、またはミトコンドリア生合成調節因子であるPgc1-α(peroxisome proliferators-activated receptor-γ co-activator-1α)若しくはミトコンドリア転写因子であるTfam(mitochondrial transcription factor A)などの遺伝子発現量又はタンパク質発現量が増強されることである。これらの分子の遺伝子発現量又はタンパク質発現量の増強により、網膜においてミトコンドリアの生合成を活性化させ、かつ損傷を受けたミトコンドリアのマイトファジーを促進することができる。
また、網膜におけるミトコンドリアの代謝機能を改善するとは、特に限定されないが、例えば、ミトコンドリア膜電位の増強や、シトクロムc酸化酵素IV(COX IV)の活性が増強されることである。
ミトコンドリア生合成が活性化され、ミトコンドリアの代謝機能が改善された結果、ミ
トコンドリアにおけるATPレベルが増加し、視細胞の保護を導くことができる。すなわち、本実施形態の医薬組成物を使用することにより、網膜変性を抑制することができる。
【0033】
ここで各種分子マーカーの発現量増強やミトコンドリア膜電位の増強、COX IVの活性増強とは、特に限定されないが、本実施形態の医薬組成物を投与した対象において、該医薬組成物を投与していない対照となる対象と比較して、該マーカーの遺伝子又はタンパク質発現量が増えたことや、ミトコンドリア膜電位が増強したこと、COX IVの活性が増強したことを意味してもよい。
または、本実施形態の医薬組成物を投与した対象において、該マーカーの遺伝子又はタンパク質発現量、ミトコンドリア膜電位の測定値、若しくはCOX IV活性の測定値が、予め設定されたカットオフ値を超えた場合に、該マーカーの遺伝子又はタンパク質発現量が増えた、ミトコンドリア膜電位が増強した、若しくはCOX IVの活性が増強したと判断してもよい。
【0034】
本実施形態における、フェニル酪酸の塩や誘導体の種類、医薬組成物中のフェニル酪酸若しくはその塩又はそれらの誘導体の含有量、又は医薬組成物の投与量、投与方法、剤形、追加の成分などは特に限定されず、上述の網膜変性抑制用医薬組成物における記載を準用できる。
【実施例0035】
実施例は、開示する目的のために記載されており、本発明の範囲を制限する意図はない。
【0036】
<実験動物>
当業者に既知の方法により得られたP23Hノックインヘテロ接合型マウス(+/-、2週齢、オス)を(非特許文献2)、慶應義塾大学医学部の動物実験施設で、温度管理された部屋(22℃)で12時間の明暗サイクル(午前8時から午後8時まで点灯)で、餌と水を自由に摂取できる環境下で飼育した。すべての動物実験は、ARVO Statement for the Use of Animals in Ophthalmic and Vision Research及び慶應義塾動物実験委員会のガイドラインに準拠して実施した。
【0037】
<組織学的解析>
マウスの眼球を摘出し、4%パラホルムアルデヒド中で一晩、4℃で固定した。固定後、パラフィン包埋し(サクラファインテックジャパン、東京、日本)、視神経乳頭から網膜における最も離れた領域までを含む厚さ6~8μmの切片を作製し、脱パラフィン化した後、ヘマトキシリンとエオジンで染色した。切片は、デジタルカメラ(オリンパス株式会社、東京、日本)を装着した顕微鏡で観察した。当業者に既知の方法により、視細胞層である外顆粒層(outer nuclear layer:ONL)の厚さを、ONLの上部から下部までの距離を測定することによって評価し、杆体視細胞の外節(outer segment:OS)の長さを、後上部網膜において視神経から500μmのところで、ImageJソフトウェア(National Institutes of Health,Bethesda,MD,USA;available at http://rsb.info.nih.gov/ij/index.html)を用いて、ヘマトキシリンおよびエオジン染色を観察することによって決定し、平均化した(非特許文献2~6)。
【0038】
<リアルタイム逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR)>
TRIzol試薬(Life Technologies,Carlsbad,CA,USA)を用いて、生後4週齢のマウス網膜から全RNAを単離した。RNA濃度をNa
noDrop 1000(Thermo Fisher Scientific)を用いて測定し、1μgのRNAをSuperScript VILOマスターミックス(Life Technologies,Carlsbad,CA,USA)を用いて、製造者の指示に従って逆転写した。以下の配列のプライマーを使用した。
グリセルアルデヒド3-リン酸デヒドロゲナーゼ(Gapdh):フォワードプライマー5’-ACTTTCGGCCCATCTCTCA-3’(配列番号1)及びリバースプライマー5’-GATGACCCCTTTTGGCTCTCCAC-3’(配列番号2)。
Pgc1-α:フォワードプライマー5’-GATGAATACCGCAAAGAGCA-3’(配列番号3)及びリバースプライマー5’-AGATTTACGGTGCATTCCT-3’(配列番号4)。
Fis1:フォワードプライマー5’-ATATGCCTGGTGCCTGGTTC-3’(配列番号5)及びリバースプライマー5’-AGTCCCGCTGTTCCTCTTTG-3’(配列番号6)。
Mfn1:フォワードプライマー5’-GATGTTCCACCAGAGCTGGGA-3’(配列番号7)及びリバースプライマー5’-AGGAGCCGCTCATTCACCCTTTTA-3’(配列番号8)。
Mfn2:フォワードプライマー5’-CCCCTCCTCAAGCACTTTGGTTC-3’(配列番号9)及びリバースプライマー5’-ACCCTGCTCTCTCTCCGTGTTGTAAAC-3’(配列番号10)。
Xbp1s:フォワードプライマー5’-CTGAGTCCGCAGCAGGTG-3’(配列番号11)及びリバースプライマー5’-TGCCCAAAAGGATATCAGACT-3’(配列番号12)。
VCP:フォワードプライマー5’-AAGTCCCCAGTTGCCAAGGATG-3’(配列番号13)及びリバースプライマー5’-AGCCGATGGATTTGTCTGCCTC-3’(配列番号14)。
Derl1:フォワードプライマー5’-CGCGATTTAAGGCCTGTTAC-3’(配列番号15)及びリバースプライマー5’-GGTAGCCAGCGGTACAAAAA-3’(配列番号16)。
Tfam:フォワードプライマー5’-AGTCAGCTGATGGGTATGGAGAA-3’(配列番号17)及びリバースプライマー5’-TGCTGAACGAGGTCTTTTTGG-3’(配列番号18)。
LC3b:Mm00782868(Taqman)。
Taqmanプローブ(Applied Biosystems、Thermo Fisher Scientific)を、Kir2.1(Kcnj2としても知られる、カリウム内向き整流性チャネル、サブファミリーJ、メンバー2;Mm00434616)、Aqp4(Mm00802131)、Kir4.1(Kcnj10としても知られる、カリウム内向き整流性チャネル、サブファミリーJ、メンバー10;Mm00445028)、Kcnv2(カリウムチャネル、サブファミリーV、メンバー2(Mm00807577)、およびBCL2関連Xタンパク質(Bax;Mm00432050)を用いた。リアルタイムPCRをStepOnePlusTM PCRシステム(Applied Biosystems、Thermo Fisher Scientific)を用いて行い、ΔΔCT法を用いて遺伝子発現を定量した。すべてのmRNAレベルはGapdhに正規化した。
【0039】
<網膜電図(electroretinogram(ERG))のレコーディング>
当業者に既知の方法に基づき、マウスを少なくとも12時間暗順応させ、その後、ERGを実施する前に暗赤色灯下に置いた(非特許文献7~8)。マウスを腹腔内複合麻酔薬[ミダゾラム4mg/kg体重(サンドジャパン株式会社、東京、日本)、メデトミジン0.75mg/kg体重(日本全薬工業株式会社、福島、日本)、及びブトルファノール
酒石酸塩5mg/kg体重(Meiji Seika ファルマ株式会社、東京、日本)]で麻酔し、実験中は加熱パッドの上に置いたままにした。トロピカミドとフェニルフリンの混合物(各0.5%;Mydrin-P(登録商標);参天製薬、大阪、日本)を一滴使用して、マウスの瞳孔を拡張させた。活性金線電極を角膜上に配置し、設置電極と基準電極をそれぞれ尾部上と口内に配置した。
網膜電図のレコーディングは、PowerLabシステム2/25(ADインスツルメンツ、ニューサウスウェールズ、オーストラリア)を用いて行った。全視野暗順応ERGは、-2.1から2.9log cd s/mの範囲の刺激強度でのフラッシュ刺激への応答を測定した。明順応ERGは光適応10分後に測定した。0.4から1.4 log cd s/mの範囲のフラッシュ刺激への応答を、30cd s/mのバックグラウンドにて測定した。応答は差動増幅され、0.3から1000Hzの範囲のデジタルバンドパスフィルタを介してフィルタリングされた。各刺激は、市販の刺激装置(Ganzfeld System SG-2002;LKC Technologies,Inc.)を用いて行った。a波の振幅は、ベースラインからトラフまでを測定し、b波の振幅は、a波のトラフからb波のピークまでを測定した。a波とb波の潜時は、それぞれ刺激の開始から各波のピークまでを測定した。ピークポイントはシステムによって自動的に算出され、試験者がその算出結果を確認した。
【0040】
<細胞培養>
HEK293細胞(ATCC CRL-1573)を、10%ウシ胎児血清(Life
technologies,Carlsbad,CA,USA)を添加したDulbecco’s modified Eagle’s medium(#08456-65;ナカライテスク、京都、日本)、及び100unit/mlペニシリン及び100μg/mlストレプトマイシン(Sigma-Aldrich,St.Louis,MO,USA)で維持した。
【0041】
<統計解析>
すべての結果は、平均±標準偏差として表される。その結果値は、3群間の比較についてはTukeyのポストホック検定を用いた一方向ANOVAにより解析し、2群間の比較についてはSPSS Statistics 24(IBM,Armonk,NY,USA)ソフトウェアを用いたスチューデントの両側t検定により解析した。P<0.05で統計的に有意差があると判断した。
【0042】
<実施例1 フェニル酪酸(PBA)がP23Hノックインヘテロ接合型マウス(P23H RPモデルマウス)における視細胞喪失を抑制した>
これまでに、P23Hノックインヘテロ接合型マウスでは、生後12日目までは視細胞層の厚さに変化はなく、内節(IS)と外節(OS)の長さは野生型(WT)と同程度であり、その後、徐々に網膜色素変性が進行することが報告されている(非特許文献9)。
本検討において、生後2週齢からPBAの連続投与を開始した。連続投与は、フェニル酪酸ナトリウム(Sigma-Aldrich、10mg/kg体重)を、生後2週齢から週5回、毎日腹腔内投与することで行った。その結果、PBAを投与したP23H RPモデルマウスの網膜では、10週齢になると、残存する視細胞数(視細胞核数)がビヒクルを投与したマウスよりも有意に多くなったことが示された(図1A、B)。この結果から、P23H RPモデルマウスにおいて、PBA投与によって視細胞の生存が促進され、網膜変性が抑制されることが示された。
【0043】
<実施例2 PBAはP23H RPモデルマウスの視覚機能を回復させた>
これまでに、P23H RPモデルマウスでは、6週齢で暗順応ERGによる杆体視細胞機能の障害が認められ、10週齢で明順応ERGによる錐体視細胞機能の障害が認められ、いずれも徐々に進行することが報告されている(非特許文献2)。
そのため、PBA治療による組織学的な改善が、より良い視覚機能の保持に寄与しているかどうかを調べるために、暗順応ERG(図2A-E)と明順応ERG(図2F-H)を測定した。P23H RPモデルマウスに、PBA(10mg/kg体重)を、生後2週齢から週5回、毎日腹腔内投与することで行った。その結果、暗順応ERGにおいて、10週齢のPBA処理したP23H RPモデルマウスではビヒクル処理したマウスと比較して、杆体視細胞の機能を反映するa波の振幅が大きくなり、さらにその後の網膜神経機能を反映するb波の振幅が大きくなり、潜時が短くなることが示された。つまり、PBA処理の継続によって、杆体系の視覚機能が保護されることが示された。また、明順応ERGにおいて、主に錐体視細胞の機能を示すb波の潜時がPBA処理後に短くなり、P23H RPモデルマウスではPBA処理によって、錐体系の視覚機能も保護されることが示された。
【0044】
<実施例3 PBAはP23H RPモデルマウスの網膜における小胞体ストレス関連分解(ERAD)及びミトコンドリアマーカーの発現上昇を誘導した>
これまでにP23H変異ロドプシンがERストレスを引き起こす一方(非特許文献9~15)、異常タンパク質を分解するERADシステム(非特許文献16~17)がP23H RPモデルマウスで誘導されることも明らかになっている(非特許文献9)。また、ERADはIRE1に関連したXBP1のXBP1sへの変換によって活性化され、Derlin 1と相互作用するVCP(Cdc48またはp97としても知られている)の誘導につながり、そのATPase活性を利用して、特定のミスフォールドされたタンパク質がERから細胞質へと輸送されること(非特許文献18)、さらにユビキチンプロテアソームシステム(UPS)を介してタンパク質が分解されることがこれまでに明らかになっている(非特許文献16~17)。
P23H RPモデルマウスの網膜における小胞体ストレス関連分解に関する検討を行った結果、実施例1及び2に記載するPBA処理により、XBP1s(図3A)、VCP(図3B)、Derlin1(図3C)の発現が亢進していることが示された。これらの結果から、PBAはERADの誘導を促進し、異常なP23Hロドプシンを除去することが示唆された。
【0045】
これまでにERストレスはVCPによるミトコンドリアの分裂及び融合を制御することでミトコンドリアの品質管理にも影響を与えること(非特許文献18~19)、VCPはオートファジーにより異常なミトコンドリアを排除するために分裂を誘導すること(非特許文献19~20)、一方で融合関連タンパク質であるミトフシンタンパク質はUPSを介して分解を誘導することが明らかになっている(非特許文献18~19)。このシステムは細胞の恒常性を維持し(非特許文献21)、神経の可塑性と生存を維持することも明らかになっている(非特許文献22)。
P23H RPモデルマウスの網膜におけるミトコンドリアの分裂及び融合に関する検討を行った結果、実施例1及び2に記載するPBA処理により、ミトコンドリア分裂マーカーFis1(図3D)とオートファジーマーカーLC3(図3E)のmRNAレベルが上昇することが示された。また、融合マーカーであるMfn1(図3F)とMfn2(図3G)のmRNAレベルもPBAによって上昇することが示された。これらの結果から、VCPがミトフシンタンパク質の分解を誘導することが示唆された。
【0046】
ミトコンドリアの品質管理の間、損傷したミトコンドリアを新しい健康なミトコンドリアに置き換えるミトコンドリア生合成が行われる(非特許文献19、23)。ミトコンドリア生合成を調節することが知られているPgc1-αと(非特許文献24)、呼吸に関連する分子をコードするミトコンドリアDNAを誘導する転写因子であるTfam(非特許文献25)のmRNAレベルが実施例1及び2に記載するPBAによって上昇することが示された(図3H及びI)。これらの結果から、PBA処理により、ミトコンドリア生合成が活性化することが示された。
【0047】
<実施例4 PBAはミトコンドリアにおける酸化的リン酸化(OXPHOS)をin vitroで活性化した>
さらにPBAにより生じる電位効果を解析するために、HEK293細胞株を用いた検討を行った。各測定の12又は24時間前に、細胞を0~2.5μMのPBAで処理した。ミトコンドリア膜電位は、細胞をテトラメチルローダミンメチルエステル(TMRE)(10μM)で、37℃、30分間インキュベートし、BAM15(Sigma-Aldrich)投与前後の平均輝度を、共焦点顕微鏡(TCS-SP5;ライカ、東京、日本)を用いて測定し、次の計算式により算出した:膜電位=BAM15添加前の平均輝度14秒間(7枚×2秒おき)/BAM15添加直後の平均輝度14秒間(7枚×2秒おき)。シトクロムc酸化酵素(COX IV)活性の測定は、保存用液体窒素で細胞を瞬間凍結した後、キットに付属の溶解バッファーに入れてから、製造業者の指示に従い、Complex IV Rodent Enzyme Activity Microplate Assay Kit(Abcam)を用いて行った。発光シグナルを、Cytation 5システム(BioTek,Winooski,VT,USA)を用いて測定した。ATP測定のために、瞬間凍結サンプルは、ATP Bioluminescence Assay Kit CLSII(Sigma-Aldrich)を用いてATP含有量を測定する前に、溶解緩衝液に入れ、発光シグナルを、Cytation 5システム(BioTek)を用いて測定した。
この結果、HEK293細胞株において、PBAはPgc1-α(図4A)とTfam(図4B)を用量依存的に発現させた。ミトコンドリアの膜電位はミトコンドリアにおけるATP合成に不可欠であり、ミトコンドリアのプロトノフォア脱共役剤であるBAM15はこの電位を打ち消す。BAM15投与前後の電位の減算法を用いて、PBAで処理した細胞では膜電位が上昇した(図4C、D)。さらに、PBAによって、シトクロムc酸化酵素IV(COX IV)の活性が増加し(図4E)、その結果、ATPレベルが増加したことが示された(図4F)。これらの結果から、PBAがミトコンドリアの機能を増加させて、細胞保護に利用できるATPレベルを獲得できることが示され、これにより病態改善につながることが示唆された(非特許文献3、26~27)。
図1
図2
図3
図4
【配列表】
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