(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024074099
(43)【公開日】2024-05-30
(54)【発明の名称】生体音センサシステム
(51)【国際特許分類】
A61B 7/04 20060101AFI20240523BHJP
【FI】
A61B7/04 N
A61B7/04 G
【審査請求】未請求
【請求項の数】3
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022185169
(22)【出願日】2022-11-18
(71)【出願人】
【識別番号】304020177
【氏名又は名称】国立大学法人山口大学
(74)【代理人】
【識別番号】110001601
【氏名又は名称】弁理士法人英和特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】中島 翔太
(72)【発明者】
【氏名】平野 綱彦
(72)【発明者】
【氏名】松永 和人
(57)【要約】
【課題】被検者に不快感を与えずに血管音と呼吸音を同時測定するとともに雑音低減能力を高めること及び被検者の頭部に容易に装着できる生体音センサを提供すること。
【解決手段】被検者の頭部に装着可能な保持部3から下方に延びる延長部4の下方先端近傍に設置され乳様突起付近に接触させる主要入力用センサ5及び延長部4の上方近傍に設置され耳介の近傍に配置させる参照入力用センサ6からなる生体音センサ1と、生体音信号処理手段2を備え、生体音信号処理手段2は、生体音センサ1で取得した主要入力と参照入力にSTFTを施した主要入力振幅スペクトログラム|S(t,ω)|と参照入力振幅スペクトログラム|N(t,ω)|、|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2及び|N(t,ω)|/|S(t,ω)|に基づいて設計される多チャネルウィナーフィルタH(t,ω)を用いて、主要入力から雑音低減を行う生体音センサシステム。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
主として血管音と呼吸音を測定し主要入力を取得する主要入力用センサ及び主として雑音を測定し参照入力を取得する参照入力用センサからなる生体音センサと、
前記主要入力用センサで取得した主要入力及び前記参照入力用センサで取得した参照入力から設計され、主要入力から雑音低減を行うウィナーフィルタを備えており、
前記主要入力用センサは、被検者の乳様突起付近に接触させるものであり、
前記参照入力用センサは、前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるものであり、
前記ウィナーフィルタは、前記主要入力に短時間フーリエ変換を施して取得した主要入力振幅スペクトログラム、前記参照入力に短時間フーリエ変換を施して取得した参照入力振幅スペクトログラム及び調整マージンを用いる多チャネルウィナーフィルタであり、
前記調整マージンは、前記主要入力振幅スペクトログラムの2乗から前記参照入力振幅スペクトログラムの2乗を引いた値及び前記主要入力振幅スペクトログラムと前記参照入力振幅スペクトログラムとの比率に基づいて決定される
ことを特徴とする生体音センサシステム。
【請求項2】
前記生体音センサは、前記主要入力用センサを前記被検者の乳様突起付近に接触させるとともに、前記参照入力用センサを前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるために、前記被検者の頭部に対して着脱自在に装着可能な保持部及び該保持部から下方に延びる延長部を備えており、
前記主要入力用センサは、前記延長部の下方先端近傍に設置されており、
前記参照入力用センサは、前記延長部の上方近傍に設置されている
ことを特徴とする請求項1に記載の生体音センサシステム。
【請求項3】
前記生体音センサは、前記主要入力用センサを前記被検者の乳様突起付近に接触させるとともに、前記参照入力用センサを前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるために、前記被検者の左右の耳介に対して着脱自在に装着可能な左耳掛け部及び右耳掛け部並びに前記左耳掛け部と前記右耳掛け部の後端同士を接続する接続部を備えており、
前記主要入力用センサは、前記左耳掛け部又は前記右耳掛け部の後端近傍に設置されており、
前記参照入力用センサは、前記左耳掛け部又は前記右耳掛け部の上部近傍に設置されている
ことを特徴とする請求項1に記載の生体音センサシステム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、雑音環境下でも耳の内部などの狭所を含む皮膚などに装着したマイクを用いて、血管音や呼吸音を測定することのできる接触式生体音センサに関するものである。
【背景技術】
【0002】
我が国の総人口に占める高齢者人口の割合は1985年に10%、2005年に20%を超え、2020年には28.7%と年々増加している。この割合はこの先も増加を続け2040年には35.3%になると見込まれている。国民医療費は1985年に16兆159億円、2018年に43兆3949億円となり、高齢者人口と比例するように年々増加している。医療費節減のためには日常生活でのセルフメディケーション(自分自身の健康に責任を持ち、軽度な体の不調は自分で手当てすること)が必要である。
セルフメディケーションの実現には、生体情報の常時計測が可能なウェアラブルデバイスの開発が望まれるが、生体情報と言っても脈拍、呼吸、血圧及び脳波等様々な種類の情報があり、計測方法や対応するデバイスも多岐にわたっている。そして、脈拍及び呼吸の同時計測が可能になれば、循環器系や呼吸器系疾患(心疾患や肺炎等)の早期発見が期待できるが、医療機関に設置されている脈拍及び呼吸を測定可能な装置は医療従事者以外の専門知識がない者にとっては取扱いが難しく、手軽に使用できるものではない。
【0003】
そこで、本発明者等は、特許文献1(特開2020-121120号公報)や特許文献2(特開2021-74464号公報)に記載されているように、外耳道の比較的深い位置に装着したマイクを用いて、骨等を伝導する血管音及び呼吸音を検知するとともに血管音と呼吸音を分離し、分離した呼吸音波形から脈拍ノイズを除去し、肺の異常状態や呼吸音を正確に検出する接触式生体音センサを開発した。
また、本発明者等は、非特許文献1(第36回ライフサポート学会大会(LIFE2020-2021)、2021年9月16-18日、pp.168-171)に記載されているように、被検者の頭部に装着した2か所のセンサ部(コンデンサマイクロホン)によって計測した生体音と雑音からなる主要入力及び雑音からなる参照入力に基づき、主要入力と参照入力の振幅スペクトログラムの2乗の差(|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2)によって定まる適応マージンm(t,ω)を用いる多チャネルウィナーフィルタを利用してSN比を向上できることを見出した。
さらに、特許文献3(特許第6226301号公報)には、主信号x(t)を出力する第1のマイクロホン(11)と参照信号r1(t)を出力する第2のマイクロホン(12)を有すること、主信号x(t)及び参照信号r1(t)を入力として時間領域から周波数領域に信号を変換し、主信号スペクトルX(ω)及び参照信号スペクトルR1(ω)を出力すること、主信号スペクトルX(ω)及び参照信号スペクトルR1(ω)が入力され、主信号パワースペクトルPx(ω)や第2の参照信号パワースペクトルPr2(ω)を出力すること、雑音抑圧係数算出部(108B)が雑音抑圧係数H(ω)を出力すること、Px(ω)とパワースペクトルPr1’(ω)を用いて、スペクトル比Px(ω)/Pr1’(ω)の時間平均に相当する重み係数α(ω)を算出すること等が記載されている(特に、段落0042~0054、0173~0179及び
図1、2、12を参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2020-121120号公報
【特許文献2】特開2021-074464号公報
【特許文献3】特許第6226301号公報(国際公開2014/097637号)
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】藤本勝真、田中幹也、嶋田総太郎、西藤聖二、中島翔太、「適応マージンを有する多チャネルウィナーフィルタによる生体音の雑音低減法」、第36回ライフサポート学会大会(LIFE2020-2021)、2021年9月16-18日、pp.168-171
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1及び2に記載されている生体音センサは、いずれも外耳道に装着して血管音と呼吸音を同時に測定し、血管音と呼吸音を分離するものであって、雑音の除去については考慮しておらず、外耳道に装着するため被検者に不快感を与え易い。
そして、非特許文献1には2か所にあるセンサ部で計測した主要入力と参照入力に基づく雑音低減法について記載されているが、多チャネルウィナーフィルタで用いられる適応マージンm(t,ω)は、p.169の右欄末行に記載されているように、(|S(t,ω)|2-|N(t,ω)|2)によって定まる3又は100のみであることから、雑音低減能力に劣る場合が生じる。
さらに、特許文献3に記載されている雑音低減手法は、スペクトル比Px(ω)/Pr1’(ω)の時間平均に相当する重み係数α(ω)を算出しているため、演算により補正された雑音信号と入力に混入される雑音レベルに差がある場合、目的音声を抽出するための最適な重み係数α(ω)を決定することができず、十分な雑音低減効果を得られないことがある。
この発明は、これらの問題を解決しようとするものであり、被検者に不快感を与えずに血管音と呼吸音を同時測定するとともに雑音低減能力を高めることを第1の目的とする。
また、主として血管音と呼吸音を測定するセンサと雑音を測定するセンサを保持し、被検者の頭部に容易に装着できる生体音センサを提供することを第2の目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
請求項1に係る発明の生体音センサシステムは、
主として血管音と呼吸音を測定し主要入力を取得する主要入力用センサ及び主として雑音を測定し参照入力を取得する参照入力用センサからなる生体音センサと、
前記主要入力用センサで取得した主要入力及び前記参照入力用センサで取得した参照入力から設計され、主要入力から雑音低減を行うウィナーフィルタを備えており、
前記主要入力用センサは、被検者の乳様突起付近に接触させるものであり、
前記参照入力用センサは、前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるものであり、
前記ウィナーフィルタは、前記主要入力に短時間フーリエ変換を施して取得した主要入力振幅スペクトログラム、前記参照入力に短時間フーリエ変換を施して取得した参照入力振幅スペクトログラム及び調整マージンを用いる多チャネルウィナーフィルタであり、
前記調整マージンは、前記主要入力振幅スペクトログラムの2乗から前記参照入力振幅スペクトログラムの2乗を引いた値及び前記主要入力振幅スペクトログラムと前記参照入力振幅スペクトログラムとの比率に基づいて決定されることを特徴とする。
【0008】
請求項2に係る発明は、請求項1に記載の生体音センサシステムにおいて、
前記生体音センサは、前記主要入力用センサを前記被検者の乳様突起付近に接触させるとともに、前記参照入力用センサを前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるために、前記被検者の頭部に対して着脱自在に装着可能な保持部及び該保持部から下方に延びる延長部を備えており、
前記主要入力用センサは、前記延長部の下方先端近傍に設置されており、
前記参照入力用センサは、前記延長部の上方近傍に設置されていることを特徴とする。
【0009】
請求項3に係る発明は、請求項1に記載の生体音センサシステムにおいて、
前記生体音センサは、前記主要入力用センサを前記被検者の乳様突起付近に接触させるとともに、前記参照入力用センサを前記主要入力用センサの上方、かつ、前記被検者の耳介の近傍に配置させるために、前記被検者の左右の耳介に対して着脱自在に装着可能な左耳掛け部及び右耳掛け部並びに前記左耳掛け部と前記右耳掛け部の後端同士を接続する接続部を備えており、
前記主要入力用センサは、前記左耳掛け部又は前記右耳掛け部の後端近傍に設置されており、
前記参照入力用センサは、前記左耳掛け部又は前記右耳掛け部の上部近傍に設置されていることを特徴とする。
【発明の効果】
【0010】
請求項1に係る発明の生体音センサシステムによれば、主要入力用センサを被検者の乳様突起付近に接触させるので、被検者に不快感を与えずに血管音と呼吸音を測定することができる。また、主要入力から雑音低減を行うウィナーフィルタが、主要入力振幅スペクトログラム、参照入力振幅スペクトログラム及び調整マージンを用いる多チャネルウィナーフィルタであり、調整マージンは、主要入力振幅スペクトログラムの2乗から参照入力振幅スペクトログラムの2乗を引いた値及び主要入力振幅スペクトログラムと参照入力振幅スペクトログラムとの比率に基づいて決定されるので、雑音低減量を調整するパラメータである調整マージンを動的に変化させることができ、従来法に比べて良い信号対雑音比(以下「SNR」という。)が得られ、雑音低減能力を高めることができる。
【0011】
請求項2に係る発明の生体音センサシステムによれば、請求項1に係る発明の効果に加え、被検者の頭部に対して着脱自在に装着可能な保持部及び該保持部から下方に延びる延長部を備えており、主要入力用センサは延長部の下方先端近傍に設置されており、参照入力用センサは延長部の上方に設置されているので、主要入力用センサ及び参照入力用センサを、被検者の頭部に容易に装着することができる。
【0012】
請求項3に係る発明の生体音センサシステムによれば、請求項1に係る発明の効果に加え、被検者の左右の耳介に対して着脱自在に装着可能な左耳掛け部及び右耳掛け部並びに左耳掛け部と右耳掛け部の後端同士を接続する接続部を備えており、主要入力用センサは左耳掛け部又は右耳掛け部の後端近傍に設置されており、参照入力用センサは左耳掛け部又は右耳掛け部の上部近傍に設置されているので、主要入力用センサ及び参照入力用センサを、被検者の頭部に容易に装着することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】実施例1に係る生体音センサシステムの概念図。
【
図2】実施例1の生体音センサ1を被検者の頭部に装着した様子を示す図。
【
図3】主要入力用センサ5及び参照入力用センサ6の構造を示す断面図。
【
図4】調整マージンα(t,ω)と非特許文献1の適応マージンm(t,ω)のグラフ。
【
図5】各マージンによる雑音低減処理後のSNRを示す表。
【
図6】実施例2の生体音センサ12を被検者の頭部に装着した様子を示す図。
【
図7】実施例3の生体音センサ17を被検者の頭部に装着した様子を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、実施例によって本発明の実施形態を説明する。
【実施例0015】
図1は実施例1に係る生体音センサシステムの概念図であり、
図2は実施例1の生体音センサ1を被検者の頭部に装着した様子を示す図である。
実施例1に係る生体音センサシステムは、
図1に示すように、被検者の頭部に装着する生体音センサ1と、生体音センサ1で取得した生体音を処理して雑音低減を行い、被検者の血管音波形及び呼吸音波形を出力する生体音信号処理手段2を備えている。
生体音センサ1は、被検者の頭部に対して着脱自在に装着可能なU字状の弾性を有する保持部3と、保持部3から下方に延び弾性を有する2つの延長部4と、延長部4の下方先端近傍に設置されている主要入力用センサ5と、延長部4の上方近傍(
図1では延長部4の上端前方)において外向きに設置されている参照入力用センサ6を有している。
そして、
図2に示すように、生体音センサ1の保持部3は弾性力によって被検者の後頭部及び側頭部に固定することができ、延長部4の下方先端近傍に設置されている主要入力用センサ5は、保持部3を被検者の頭部に固定した状態において、被検者の乳様突起周辺に接触するとともに弾性力によって少し内側に押し付けられるように位置決めされる。
なお、乳様突起は、側頭骨の後下部に位置する円錐形の隆起部であり、主要入力用センサ5を乳様突起周辺に接触させることで血管音と呼吸音を同時に測定することができ、しかも、ほとんどの被検者に不快感を与えることがない。
また、被検者の頭部の大きさや乳様突起の位置は様々であるため、保持部3及び延長部4は大きさの異なるものを数種類用意し、保持部3の前方側には7~10個の穴を設け、それらの穴のいずれかに延長部4の上端部をネジ止めできるようにしてある。
【0016】
図3は、主要入力用センサ5及び参照入力用センサ6の構造を示す断面図である。
主要入力用センサ5及び参照入力用センサ6は、いずれも
図3(B)に示すエレクトレットコンデンサマイク(以下「ECM」という。)7を利用する音響センサであり、
図3(A)に示すように、ECM7、ポリウレタンエラストマ製の音響伝導部8及び光硬化樹脂のケース9によって構成されている。そして、ECM7は、筐体10に収容されており、音を検出する振動板(ダイヤフラム)の表面となる受波面11等を有している。
また、筐体10は光硬化樹脂のケース9の内部に収容されるとともに、受波面11の表面及び筐体10の周囲はポリウレタンエラストマ製の音響伝導部8で覆われている。
受波面11の表面を音響伝導部8で覆うのは、ECM7を直接人体の表面に近づけて生体音を取得すると、人体とは異なる音響特性を持つ空気に生体音が伝播し、境界面で反射して減衰してしまうからである。生体音を減衰させずにECM7へ伝搬させるには、人体の表面と受波面11の表面との間を、人体と同じ音響特性を持つ媒質で埋めると良い。
そこで、実施例1では受波面11の表面を、人体の皮膚と同等の音響特性を持つポリウレタンエラストマで覆っている。こうすることにより、特に主要入力用センサ5において、乳様突起周辺から取得される生体音を精度よくECM7に伝搬させることができる。
そして、主要入力用センサ5及び参照入力用センサ6を、被検者の頭部へ
図2に示すように配置すれば、主要入力用センサ5では主として血管音と呼吸音を測定することができ、参照入力用センサ6では主として雑音を測定することができる。なお、参照入力用センサ6は被検者に接触させずに利用するので、ECM7のみとしても良い。
【0017】
次に、生体音信号処理手段2における生体音の処理手法について説明する。
図1に示すように、まず、主要入力用センサ5で取得した主要入力の信号及び参照入力用センサ6で取得した参照入力の信号が、有線又は無線の送信手段を介して生体音信号処理手段2に対して送信される。すると、生体音信号処理手段2は、以下の手順によって主要入力の信号及び参照入力の信号を処理し、主要入力の信号から雑音低減を行った上で、従来技術による信号分離を行って、精度の高い血管音波形及び呼吸音波形を取得する。
(手順1)受信した主要入力の信号及び参照入力の信号に対して短時間フーリエ変換(以下「STFT」という。)を行い、主要入力振幅スペクトログラム(|S(t,ω)|)及び参照入力振幅スペクトログラム(|N(t,ω)|)を取得する。
(手順2)マージンを用いる多チャネルウィナーフィルタによる雑音低減手法を利用して、主要入力から雑音低減を行う。具体的には、上記手順1で取得した|S(t,ω)|及び|N(t,ω)|に加えて、ゲイン調整用の調整マージンα(t,ω)から設計された多チャネルウィナーフィルタH(t,ω)を利用する。下記の式(1)に設計した多チャネルウィナーフィルタH(t,ω)を示す。なお、(t,ω)は各時間t及び角周波数ωでの成分を示している。
H(t,ω)=|S(t,ω)|
2/(|S(t,ω)|
2+α(t,ω)|N(t,ω)|
2)・・・・・式(1)
実施例1においては、主要入力振幅スペクトログラムの2乗から参照入力振幅スペクトログラムの2乗を引いた値(|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2の値)に応じて、調整マージンα(t,ω)を下記の式(2-1)、(2-2)で定義する。
|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2>0:α(t,ω)=10(|N(t,ω)|/|S(t,ω)|)・・・式(2-1)
|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2≦0:α(t,ω)=30(|N(t,ω)|/|S(t,ω)|)・・・式(2-2)
そして、式(2-1)、(2-2)で定義されたα(t,ω)を用いてH(t,ω)を設計し、H(t,ω)S(t,ω)を演算することで主要入力から雑音低減が行われ、元の生体音X(t,ω)に近似する復元生体音X’(t,ω)を得ることができる。
すなわち、雑音がそれほど混入しておらず|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2>0である場合、調整マージンα(t,ω)は|N(t,ω)|/|S(t,ω)|の値に比例して0≦α(t,ω)<10の範囲で変化するが(
図4左側の実線を参照)、α(t,ω)は比較的小さいので主要入力の劣化を抑えながら雑音が低減される。また、雑音が混入して|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2≦0である場合、調整マージンα(t,ω)は|N(t,ω)|/|S(t,ω)|の値に比例して30≦α(t,ω)となるように変化するが(
図4右側の実線を参照)、α(t,ω)は比較的大きいので雑音が大幅に低減される。
これに対して、非特許文献1の適応マージンm(t,ω)は、
図4に点線で示すように、|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2>0である場合は3に固定されるため、|N(t,ω)|/|S(t,ω)|の値が1に近い場合には雑音低減が不十分になってしまう。逆に|S(t,ω)|
2-|N(t,ω)|
2≦0である場合は100に固定されるため、|N(t,ω)|/|S(t,ω)|の値が1に近い場合には雑音低減を行い過ぎて主要入力が劣化してしまう。
【0018】
(手順3)生体音X(t,ω)には血管音と呼吸音の両方が含まれているため、両者の周波数差に基づいて分離を行う必要がある。具体的には、血管音の周波数は75~200Hz程度であり、呼吸音の周波数は200~2000Hz程度であるので、上記手順2で取得した復元生体音X’(t,ω)に対し、低域バンドパスフィルタを用いて周波数が20~100Hzの信号のみを通過させる処理と、高域バンドパスフィルタを用いて周波数が200~2000Hzの信号のみを通過させる処理を行って、血管音と呼吸音を分離する。
(手順4)上記手順3で分離した血管音に対して、短時間フーリエ逆変換(以下「ISTFT」という。)を行って血管音波形を取得する。
(手順5)上記手順3で分離した呼吸音には音圧の違いによりわずかに血管音が残留するため、分離した呼吸音に対しては調和音打楽器音分離(HPSS:Harmonic Percussive Sound Separation)によって残留血管音を低減した後、ISTFTを行って呼吸音波形を取得する。
(手順6)取得した血管音波形及び呼吸音波形は、その後の利用目的に応じて、例えば医師等がそれらの波形をチェックする場合には波形表示手段に送信され、血管音波形や呼吸音波形として表示したり、血管音の変動、呼吸音の変動又はストレス指数(SI)を演算表示したりする。また、演算した血管音や呼吸音等に基づいて状態判定を行い、判定結果を表示する場合には血管音・呼吸音等演算表示手段に送信される。
【0019】
次に、実施例1の調整マージンα(t,ω)を用いる多チャネルウィナーフィルタによる雑音低減効果を検証する実験を行ったので、その実験手順及び結果について説明する。
この実験においては、雑音低減効果を評価するために、次に示す式(3)で定義されるSNRを使用した。
SNR=20log
10[max(|s(t)|)/max(|n(t)|)]・・・・・式(3)
ただし、s(t)は生体音のみが観測される時間信号、n(t)は雑音のみが観測される時間信号である。以下、実験方法について順を追って説明する。
(実験手順1)被検者は20代~80代の10名(被検者A~J)であり、静かな環境において椅子に座った状態で、
図2のように生体音センサ1を各被検者の頭部に取り付け、主要入力用センサ5で生体音を10秒間測定した。
(実験手順2)雑音低減の効果を検証するため、測定した生体音に2種類の雑音(600Hzの正弦波と男性の声)を追加した。
なお、雑音の強度は呼吸音の最大振幅に等しくなるように調整した。
(実験手順3)2種類の雑音を追加した音信号に対して、非特許文献1のように適応マージンm(t,ω)を3に固定した多チャネルウィナーフィルタ及び調整マージンα(t,ω)を用いた多チャネルウィナーフィルタによって、雑音低減処理を行った。
(実験手順4)適応マージンm(t,ω)=3による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形及び調整マージンα(t,ω)による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形のSNRを計算した。
なお、血管音波形については、雑音低減処理を行わなくても高いSNRが得られたため検証しなかった。
(実験手順5)被検者A~Jの生体音に2種類の雑音を追加した20パターンの音信号について、適応マージンm(t,ω)=3による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形のSNRと調整マージンα(t,ω)による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形のSNRを比較した。
【0020】
(実験結果)
図5(A)は、被検者A~Jの生体音に正弦波を追加した音信号について、適応マージンm(t,ω)=3による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形のSNRと、調整マージンα(t,ω)による雑音低減処理後に得られた呼吸音波形のSNRを示す表であり、
図5(B)は、被検者A~Jの生体音に男性の声を追加した音信号について、同様に処理して得られた適応マージンm(t,ω)=3のSNRと、調整マージンα(t,ω)のSNRを示す表である。
ここで、SNRは高いほど雑音の影響を受けていないことを示す値なので、SNRが高いと雑音低減効果が高い、SNRが低いと雑音低減効果が低いということができる。
図5(A)及び(B)によると、全ての被験者で適応マージンm(t,ω)=3のSNRより調整マージンα(t,ω)のSNRの方が高く、実施例1の調整マージンα(t,ω)を用いた多チャネルウィナーフィルタによる雑音低減効果は、非特許文献1の適応マージンm(t,ω)を3に固定した多チャネルウィナーフィルタによる雑音低減効果より高いことが分かる。
すなわち、実施例1の調整マージンα(t,ω)を用いることは、雑音の種類によらず多チャネルウィナーフィルタによる雑音低減に対して有効であるといえる。