(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024075279
(43)【公開日】2024-06-03
(54)【発明の名称】質量分析用試料の調製方法
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20240527BHJP
G01N 1/28 20060101ALI20240527BHJP
H01J 49/16 20060101ALI20240527BHJP
H01J 49/04 20060101ALI20240527BHJP
【FI】
G01N27/62 F
G01N27/62 G
G01N1/28 N
G01N1/28 V
H01J49/16 400
H01J49/04 180
【審査請求】有
【請求項の数】14
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022186618
(22)【出願日】2022-11-22
(11)【特許番号】
(45)【特許公報発行日】2023-08-22
(71)【出願人】
【識別番号】504150782
【氏名又は名称】株式会社プロトセラ
(74)【代理人】
【識別番号】100078282
【弁理士】
【氏名又は名称】山本 秀策
(74)【代理人】
【識別番号】100113413
【弁理士】
【氏名又は名称】森下 夏樹
(74)【代理人】
【識別番号】100181674
【弁理士】
【氏名又は名称】飯田 貴敏
(74)【代理人】
【識別番号】100181641
【弁理士】
【氏名又は名称】石川 大輔
(74)【代理人】
【識別番号】230113332
【弁護士】
【氏名又は名称】山本 健策
(72)【発明者】
【氏名】李 良子
(72)【発明者】
【氏名】麻田 恭一
【テーマコード(参考)】
2G041
2G052
【Fターム(参考)】
2G041CA01
2G041DA04
2G041EA03
2G041FA12
2G041HA02
2G041JA07
2G052AA28
2G052AA30
2G052AB18
2G052EB01
2G052ED14
2G052FA05
2G052FD06
2G052FD07
2G052FD18
2G052GA24
(57)【要約】
【課題】質量分析用試料を調製する方法を提供すること。
【解決手段】一つの実施形態において、本開示の質量分析用試料を調製する方法は、(A)表面にポリマーコーティングを含むプレートであって、ポリマーコーティング上に分析物が配置されたプレートを準備するステップと、(B)ポリマーコーティング上にマトリックス液を分配するステップと、(C)特定の条件に制御した環境中でプレートを保持してマトリックス液を乾燥させるステップとを含む。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量分析用試料を調製する方法であって、
(A)表面にポリマーコーティングを含むプレートであって、前記ポリマーコーティング上に分析物が配置されたプレートを準備するステップと、
(B)前記ポリマーコーティング上にマトリックス液を分配するステップと、
(C)特定の条件に制御した環境中で前記プレートを保持して前記マトリックス液を乾燥させるステップと
を含む、方法。
【請求項2】
(C)のステップにおいて同じ条件を使用して複数の質量分析用試料を調製する、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
(B)のステップがディスペンサを使用して実施される、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
1スポットあたり約0.05~0.2μLの前記マトリックス液が分配される、請求項1に記載の方法。
【請求項5】
前記条件が、温度、湿度および風量のうちの少なくとも1つを含む、請求項1に記載の方法。
【請求項6】
前記条件が、約10℃~約30℃の一定の温度条件を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項7】
前記条件が、約50~90%の範囲から選択される一定の湿度条件を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項8】
前記条件が、150Lの体積当たり約0~40L/分の範囲から選択される一定の風量条件を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項9】
前記マトリックス液が、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)を含む、請求項6に記載の方法。
【請求項10】
前記ポリマーコーティングが、ポリビニリデンジフロリド(PVDF)を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項11】
前記分析物が、電気泳動ゲルから前記ポリマーコーティング上に転写されている、請求項1に記載の方法。
【請求項12】
ペプチドまたはタンパク質を精製する処理を経ていない血液または血清試料を電気泳動して前記電気泳動ゲルを調製するステップと、前記電気泳動ゲルから前記分析物を前記ポリマーコーティング上に転写するステップとを含む、請求項11に記載の方法。
【請求項13】
請求項1に記載の方法により質量分析用試料を調製するステップと、
前記質量分析用試料を、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)を使用した質量分析法により測定するステップと
を含む、質量分析により試料を分析する方法。
【請求項14】
請求項1に記載の方法により調製された質量分析用試料。
【請求項15】
質量分析用試料を調製するための装置であって、
プレート上にマトリックス液を分配するディスペンサと、
前記プレートを内部に格納することができるハウジングと、
前記ハウジング内の環境を制御する制御部と
を備える、装置。
【請求項16】
前記制御部が、温度、湿度および風量のうちの少なくとも1つを制御する手段を備える、請求項14に記載の装置。
【請求項17】
前記ハウジング内の環境を測定するセンサーをさらに備える、請求項14に記載の装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、質量分析用試料の調製に関する。特に、本開示は、ポリマーコーティングを有するプレート上にマトリックスを塗布するステップを特徴とする方法およびそのための装置に関する。
【背景技術】
【0002】
生体分子の測定のための技術の1つとして質量分析がしばしば使用され、種々の方法が開発されている。例えば、電気泳動後のゲルをポリビニリデンジフロリド(PVDF)でコーティングしたステンレス製プレートに転写して質量分析する方法などが開発されている(特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【課題を解決するための手段】
【0004】
本開示は、ポリマーコーティングを有するプレート上にマトリックスを適切に塗布するための方法および装置を提供する。
【0005】
したがって、本発明は以下を提供する。
(項目1)
質量分析用試料を調製する方法であって、
(A)表面にポリマーコーティングを含むプレートであって、前記ポリマーコーティング上に分析物が配置されたプレートを準備するステップと、
(B)前記ポリマーコーティング上にマトリックス液を分配するステップと、
(C)特定の条件に制御した環境中で前記プレートを保持して前記マトリックス液を乾燥させるステップと
を含む、方法。
(項目2)
(C)のステップにおいて同じ条件を使用して複数の質量分析用試料を調製する、前述の項目のいずれかの方法。
(項目3)
(B)のステップがディスペンサを使用して実施される、前述の項目のいずれかの方法。
(項目4)
1スポットあたり約0.05~0.2μLの前記マトリックス液が分配される、前述の項目のいずれかの方法。
(項目5)
前記条件が、温度、湿度および風量のうちの少なくとも1つを含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目6)
前記条件が、約10℃~約30℃の一定の温度条件を含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目7)
前記条件が、約50~90%の範囲から選択される一定の湿度条件を含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目8)
前記条件が、150Lの体積当たり約0~40L/分の範囲から選択される一定の風量条件を含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目9)
前記マトリックス液が、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)を含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目10)
前記ポリマーコーティングが、ポリビニリデンジフロリド(PVDF)を含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目11)
前記分析物が、電気泳動ゲルから前記ポリマーコーティング上に転写されている、前述の項目のいずれかの方法。
(項目12)
ペプチドまたはタンパク質を精製する処理を経ていない血液または血清試料を電気泳動して前記電気泳動ゲルを調製するステップと、前記電気泳動ゲルから前記分析物を前記ポリマーコーティング上に転写するステップとを含む、前述の項目のいずれかの方法。
(項目13)
前述の項目のいずれかの方法により質量分析用試料を調製するステップと、
前記質量分析用試料を、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)を使用した質量分析法により測定するステップと
を含む、質量分析により試料を分析する方法。
(項目14)
前述の項目のいずれかの方法により調製された質量分析用試料。
(項目15)
質量分析用試料を調製するための装置であって、
プレート上にマトリックス液を分配するディスペンサと、
前記プレートを内部に格納することができるハウジングと、
前記ハウジング内の環境を制御する制御部と
を備える、装置。
(項目16)
前記制御部が、温度、湿度および風量のうちの少なくとも1つを制御する手段を備える、項目14に記載の装置。
(項目17)
前記ハウジング内の環境を測定するセンサーをさらに備える、前述の項目のいずれかの装置。
【0006】
本発明において、上記の1つまたは複数の特徴は、明示された組み合わせに加え、さらに組み合わせて提供され得ることが意図される。本発明のなおさらなる実施形態および利点は、必要に応じて以下の詳細な説明を読んで理解すれば、当業者に認識される。
【発明の効果】
【0007】
本開示は、高い再現性および/または信頼性で試料を質量分析により分析することを可能にする。
【図面の簡単な説明】
【0008】
【
図2A】それぞれのペプチドについて、質量分析用試料調製時の条件と質量分析測定結果との対応を示す。縦軸は測定された強度を示す。
【
図2B】それぞれのペプチドについて、質量分析用試料調製時の条件と質量分析測定結果との対応を示す。縦軸は測定された強度を示す。
【発明を実施するための形態】
【0009】
以下、本発明を最良の形態を示しながら説明する。本明細書の全体にわたり、単数形の表現は、特に言及しない限り、その複数形の概念をも含むことが理解されるべきである。従って、単数形の冠詞(例えば、英語の場合は「a」、「an」、「the」など)は、特に言及しない限り、その複数形の概念をも含むことが理解されるべきである。また、本明細書において使用される用語は、特に言及しない限り、当該分野で通常用いられる意味で用いられることが理解されるべきである。したがって、他に定義されない限り、本明細書中で使用される全ての専門用語および科学技術用語は、本発明の属する分野の当業者によって一般的に理解されるのと同じ意味を有する。矛盾する場合、本明細書(定義を含めて)が優先する。
【0010】
(定義)
以下に本明細書において特に使用される用語の定義および/または基本的技術内容を適宜説明する。
【0011】
本明細書において「質量分析」または「MS」とは、当該分野において使用される通常の意味で用いられ、化合物をその質量により同定するための分析手法を指し、原子、分子、クラスター等の粒子を何らかの方法で気体状のイオンとし(イオン化)、真空中で運動させ電磁気力等を用いて、あるいは飛行時間差等によりそれらイオンを質量電荷比に応じて分離・検出する技術をいう。本開示において主に使用されるイオン化法は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)である。本明細書において、MALDI測定用の試料においてイオン化を補助する物質を、「マトリックス」と記載する。本明細書において、マトリックスを構成する成分のうち特にイオン化を補助する成分を、「マトリックス試薬」と記載する。本明細書において、マトリックスを形成するためにプレートに塗布する、マトリックス試薬を含む液体を、「マトリックス液」と記載する。MSは、イオンをこの質量対電荷比、すなわち「m/z」に基づきフィルタし、検出し、および測定する方法を指す。MS技術は、一般には、(1)化合物をイオン化して荷電化合物を形成するステップ:および(2)荷電化合物の分子量を検出し、質量対電荷比を計算するステップを含む。化合物は、適切な手段によりイオン化および検出し得る。「質量分析計」は、一般には、イオン化装置、質量分析器およびイオン検出器を含む。一般に、目的とする1つまたは複数の分子がイオン化され、イオンはこの後、質量分析機器に導入され、ここでイオンは、磁場および電場の組み合わせのために、質量(「m」)および電荷(「z」)に依存する空間中の経路を辿る。質量分析計には、例えば、磁場型、四重極型、飛行時間型等が挙げられる。定量におけるイオンの検出は、目的とするイオンのみを選択的に検出する、選択イオンモニタリングや、1つ目の質量分析部で精製したイオン種のうち1つを前駆イオンとして選択し、2つ目の質量分析部で、その前駆イオンの開裂によって生じるプロダクトイオンを検出する、選択反応モニタリング(SRM)等が挙げられる。SRMでは、選択性が増し、ノイズが減ることによってシグナル/ノイズ比が向上する。
【0012】
本明細書において「風量」とは、プレートを保持する環境を規定する装置において、装置が風を吐出する時点での風量(L/分)をいう。
【0013】
本明細書において、「約」は、イオンの質量の測定を含まない定量的測定に関連して本明細書で使用されるとき、示された値プラスまたはマイナス10%を指す。質量分析機器は、所与の分析物の質量の決定においてわずかに異なり得る。イオンの質量またはイオンの質量/電荷比との関連において「約」は、+/-0.5原子質量単位を指す。温度に関して、「約」は、示された値のプラスまたはマイナス3℃を指す。
【0014】
(好ましい実施形態の説明)
以下に本発明の好ましい実施形態を説明する。以下に提供される実施形態は、本発明のよりよい理解のために提供されるものであり、本発明の範囲は以下の記載に限定されるべきでないことが理解される。従って、当業者は、本明細書中の記載を参酌して、本発明の範囲内で適宜改変を行うことができることは明らかである。これらの実施形態について、当業者は適宜、任意の実施形態を組み合わせ得る。
【0015】
(質量分析用試料の調製方法)
一つの態様において、本開示は、質量分析用試料を調製する方法を提供する。一つの実施形態において、本開示の質量分析用試料を調製する方法は、(A)表面にポリマーコーティングを含むプレートであって、ポリマーコーティング上に分析物が配置されたプレートを準備するステップと、(B)ポリマーコーティング上にマトリックス液を分配するステップと、(C)特定の条件に制御した環境中でプレートを保持してマトリックス液を乾燥させるステップとを含む。(C)のステップにおける環境の変動は、調製された質量分析用試料における変動をもたらし、その後の質量分析結果に影響を及ぼし得るので、特に定量(相対定量を含む)分析など、測定精度を要する分析のためには、特定の条件が達成されるように環境が制御されることが好ましい。PVDFなどのポリマーコーティング層はペプチドなどの分析物を保持し得るので、電気泳動ゲルからコーティング層への分析物の移動が効率的に進行するなどの利点がある。しかし、MALDIにより分析物をイオン化するためには、分析物とマトリックスとの適切な混合状態を達成しなければならず、ポリマーコーティング層とマトリックス液との間での分析物の分配が生じ得るので、ポリマーコーティング層を使用する場合には特に(C)のステップを特定の条件に制御した環境中で実施することが重要であり得る。
【0016】
環境の制御は、典型的には、プレートが存在するのと同じ空間にヒーター、冷却器、加湿器、送風機などのエネルギー(通常、電力)を利用して特定の環境変化を引き起こす部材が存在することによって達成され得るが、これに限定されない。例えば、温度の制御は、特定の温度に調整した空気の(特定の供給速度での)送風、熱線の照射などの手段でも達成され得る。典型的には、プラスまたはマイナス3℃以内の温度変化、およびプラスまたはマイナス10%以内のパラメータ(湿度、風量など)の変化で異なるタイミングで質量分析用試料を調製できる場合、環境は制御されていると考えられる。
【0017】
一つの実施形態において、(C)のステップにおいて同じ条件(例えば、プラスまたはマイナス3℃以内の温度変化、およびプラスまたはマイナス10%以内のパラメータ(湿度、風量など)の変化を伴う条件を含む)を使用して複数の質量分析用試料を調製することができる。このように調製された複数の質量分析用試料における目的の分析物(ペプチドなど)は、高精度で比較分析され得る。
【0018】
一つの実施形態において、ポリマーコーティング上にマトリックス液を分配するのにディスペンサが使用される。ディスペンサを使用することで各スポットに分配されるマトリックス液の量が均一になり、均一なマトリックス形成が可能となり得る。一つの実施形態において、マトリックス液は、1スポットあたり約0.01~1μL、約0.02~1μL、約0.03~1μL、約0.04~1μL、約0.05~1μL、約0.07~1μL、約0.1~1μL、約0.15~1μL、約0.2~1μL、約0.5~1μL、約0.01~0.5μL、約0.02~0.5μL、約0.03~0.5μL、約0.04~0.5μL、約0.05~0.5μL、約0.07~0.5μL、約0.1~0.5μL、約0.15~0.5μL、約0.2~0.5μL、約0.01~0.2μL、約0.02~0.2μL、約0.03~0.2μL、約0.04~0.2μL、約0.05~0.2μL、約0.07~0.2μL、約0.1~0.2μL、約0.01~0.1μL、約0.02~0.1μL、約0.03~0.1μL、約0.04~0.1μL、約0.05~0.1μL、特に、約0.05~0.2μL分配される。MALDIにより効率的に分析物をイオン化するためには、分析物とマトリックスとの適切な混合状態を達成しなければならず、そのためにコーティング層からマトリックス液に分析物を「抽出」することが有利であると考えられる。分析物の効率的な抽出には、ミスト状などの微小体積のマトリックス液を使用するよりも、ある程度の体積を有するマトリックス液がコーティング層と接触することが有利であり得る。
【0019】
(C)のステップにおいて制御の対象となる条件としては、温度、湿度および風量が挙げられ、一つの実施形態において、これらのうちの1つ、2つまたは3つが制御される。マトリックス液が乾燥する間に一定の条件を維持するように制御されてもよいし、特定の設定に従って条件を変化させてもよい(グラジエント変化、特定の時間を境にした非連続変化など)。一定の条件を維持するのが簡便であるが、特定の設定の下で制御された環境が再現性良く達成される限り、高精度の質量分析結果が得られ得る。一つの実施形態において、制御の対象となる条件は、約10~30℃、より好ましくは約15℃~約25℃、特に好ましくは約20℃から選択される一定の温度条件を含む。一つの実施形態において、制御の対象となる条件は、約40~95%、より好ましくは約50%~約90%、特に好ましくは約60%~約80%の範囲から選択される一定の湿度条件(相対湿度)を含む。一つの実施形態において、制御の対象となる条件は、150Lの体積当たり約0~30L/分、より好ましくは約10L/分~約30L/分の範囲から選択される一定の風量条件を含む。目的の分析物の種類によってマトリックス形成のための最適な条件は異なり得る。大部分のペプチドにとっては、約20℃の温度、約60~90%の湿度、約0~30L/分(より好ましくは約10L/分~約30L/分)の風量の条件が好適であり得る。ゼロでない風量を使用する条件が好ましくあり得る。
【0020】
本開示の方法において質量分析に供される分析物は、典型的には、ペプチドであるが、これに限定されず、タンパク質、核酸、糖鎖、脂質なども分析され得る。特に分析物がペプチドである場合、電気泳動ゲル(SDS-PAGEなど)からポリマーコーティング上へのペプチドの転写は効率的に実施され得るため、本開示の方法が特に有用であり得る。電気泳動により大部分の分子量の大きなタンパク質や、分析物のイオン化を妨げる塩類や低分子は容易に除去され、同じ種類のペプチドは、プレート上の同じ位置(同じ電気泳動ゲル上の位置に対応する位置)または基準となるペプチドに対して同じ相対位置に配置され得る。一次元ゲル電気泳動、二次元ゲル電気泳動のどちらも使用することができる。二次元ゲル電気泳動では、一次元の泳動は分析物の等電点による分離、二次元の泳動は分析物の分子量による分離が基本である。電気泳動に使用されるゲルのサイズは特に制限されない。ゲルの素材もポリアクリルアミドが基本であるが、目的によってはアガロースゲル、セルロースアセテート膜等、他の媒体の利用も可能である。ゲル電気泳動により分離した分析物は、種々の方法(拡散、電気力など)によってゲルからプレートのポリマーコーティングに移行させることができ、この工程は一般に転写と呼ばれる。電気転写時に使用する緩衝液としては、pH7~9、低塩濃度のものを用いることができる。例えば、トリス緩衝液、リン酸緩衝液、ホウ酸緩衝液、酢酸緩衝液などが挙げられる。トリス/グリシン/メタノール緩衝液の組成としては、トリス10~15mM、グリシン70~120mM、メタノール7~13%程度が例示される。
【0021】
MALDIにおいて、レーザー光を吸収し、エネルギー移動を通じて分析物のイオン化を促進するために使用される試薬がマトリックス試薬と呼ばれる。マトリックス試薬としては、例えば、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、インドールアクリル酸(IAA)、シナピン酸(SPA)、1,8-ジアミノナフタレン(1,8-DAN)、1,8-アントラセンジカルボン酸ジメチルエステル、ロイコキニザリン、アントラロビン、1,5-ジアミノナフタレン(1,5-DAN)、6-アザ-2-チオチミン、1,5-ジアミノアントラキノン、1,6-ジアミノピレン、3,6-ジアミノカルバゾール、1,8-アントラセンジカルボン酸、ノルハルマン、1-ピレンプロピルアミンハイドロクロライド、9-アミノフルオレンハイドロクロライド、フェルラ酸、ジトラノール、2-(4-ヒドロキシフェニルアゾ)安息香酸(HABA)、trans-2-[3-(4-tert-ブチルフェニル)-2-メチル-2-プロペニリデン]マロンニトリル(DCTB)、trans-4-フェニル-3-ブテン-2-オン(TPBO)、trans-3-インドールアクリル酸IAA)、1,10-フェナントロリン、5-ニトロー1,10-フェナントロリン、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、3-ヒドロキシピコリン酸(HPA)、アントラニル酸、ニコチン酸、3-アミノキノリン、2-ヒドロキシ-5-メトキシ安息香酸、2,5-ジメトキシ安息香酸、4,7-フェナントロリン、p-クマル酸、1-イソキノリノール、2-ピコリン酸、1-ピレンブタン酸ヒドラジド(PBH)、1-ピレンブタン酸(PBA)、1-ピレンメチルアミンハイドロクロライド(PMA)などが挙げられる。一つの実施形態において、マトリックス液は、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸を含む。一つの実施形態において、マトリックス液は、約10~100%飽和濃度、例えば、約20~100%飽和濃度、約30~100%飽和濃度、約40~100%飽和濃度、約50~100%飽和濃度、約60~100%飽和濃度、約70~100%飽和濃度、約80~100%飽和濃度、約90~100%飽和濃度、約10~80%飽和濃度、約20~80%飽和濃度、約40~80%飽和濃度、約60~80%飽和濃度、約10~60%飽和濃度、約20~60%飽和濃度、約30~60%飽和濃度、約40~60%飽和濃度などでマトリックス試薬を含む。
【0022】
一つの実施形態において、ポリマーコーティングは、ポリビニリデンジフロリド(PVDF)、ニトロセルロース、セルロースアセテートおよびヒドロキシアパタイトから選択される材料を含む。PVDFは以下の一般式
【化1】
で表され得る。一つの実施形態において、ポリマーコーティングの材料は、約50~10000、例えば、約70~10000、約100~10000、約200~10000、約500~10000、約700~10000、約1000~10000、約1500~10000、約2000~10000、約3000~10000、約50~7000、約70~7000、約100~7000、約200~7000、約500~7000、約700~7000、約1000~7000、約1500~7000、約2000~7000、約3000~7000、約50~5000、約70~5000、約100~5000、約200~5000、約500~5000、約700~5000、約1000~5000、約1500~5000、約50~3000、約70~3000、約100~3000、約200~3000、約500~3000、約700~3000、約1000~3000、約50~2000、約70~2000、約100~2000、約200~2000、約500~2000、約700~2000、約1000~2000、約50~1500、約70~1500、約100~1500、約200~1500、約500~1500、約50~1000、約70~1000、約100~1000、約200~1000、約500~1000、約50~700、約70~700、約100~700、約200~700、約50~500、約70~500、約100~500、約200~500、約50~400、約70~400、約100~400、約50~300、約70~300、約100~300、約50~200、約70~200、約100~200の重合度(数平均分子量または重量平均分子量)を有し得る。
【0023】
一つの実施形態において、ポリマーコーティングは、ポリマー分子が分散した状態でプレート上に堆積されて形成される薄層である。薄層の厚さは、分析物の転写効率および/または質量分析の測定感度等に好ましくない影響を与えない範囲で適宜選択することができるが、例えば、約0.1~約1000μm、好ましくは約1~約300μmである。ポリマーコーティングは、分散されたポリマー分子をプレートに塗布、噴霧、蒸着、浸漬、印刷(プリント)、スパッタリングなどにより付加することで実施され得る。塗布の場合、ポリマー分子を、適当な溶媒、例えば、ジメチルホルムアミド(DMF)などの有機溶媒に適当な濃度(例えば、約1~約100mg/mL程度)で溶解したもの(以下、「ポリマー分子含有溶液」という)を、刷毛などの適当な道具を用いてプレートに塗布することができる。噴霧の場合、ポリマー分子含有溶液を噴霧器に入れ、プレート上に均一にポリマー分子が堆積されるように噴霧すればよい。蒸着の場合、通常の有機薄膜作製用真空蒸着装置を用い、プレートを入れた真空槽中でポリマー分子(固体でも溶液でもよい)を加熱・気化させることにより、プレート表面上にポリマー分子の薄層を形成させることができる。浸漬させる場合、ポリマー分子含有溶液中に支持体を浸漬させればよい。印刷の場合は、プレートの材質に応じて通常使用され得る各種印刷技術を適宜選択して利用することができ、例えば、スクリーン印刷などが好ましく用いられる。スパッタリングの場合、例えば、真空中に不活性ガス(例えば、Arガス)を導入しながらプレートとポリマー分子間に直流高電圧を印加し、イオン化したガスをポリマー分子に衝突させて、はじき飛ばされたポリマー分子をプレート上に堆積させて薄層を形成させることができる。プレートへのポリマー分子のコーティング量は特に制限はないが、ポリマー分子重量として、例えば、約1~約100μg/cm2が挙げられる。必要に応じて、コーティング後に溶媒は自然乾燥、真空乾燥などにより除去する。
【0024】
プレートは、ポリマー分子でコーティングする前に予め適当な物理的、化学的手法により、その表面を修飾(加工)しておいてもよい。具体的には、プレート表面を磨く、傷を付ける、酸処理、アルカリ処理、ガラス処理(テトラメトキシシランなど)等の手法が例示される。ポリマーコーティングを施すプレートの材料としては、絶縁体(ガラス、セラミクス、プラスチック・樹脂等)、金属(アルミニウム、ステンレス・スチール等)、導電性ポリマー、それらの複合体などが挙げられるが、特に限定されない。
【0025】
質量分析用試料は、任意の生体試料(生検、血液、組織、培養細胞、唾液、尿、骨髄液、腹水など)または人工調製試料から調製することができる。生体試料には遠心分離やホモジナイズ、試薬の添加など任意の前処理が施されていてもよい。上記のように、質量分析用試料は、生体試料の電気泳動ゲルを転写することで調製することができ、特にペプチド分析に有利である。特に、電気泳動ゲルから転写することで質量分析用試料を調製する場合、ペプチドまたはタンパク質を精製する処理を経ていない生体試料(血液、血清など)を直接使用できるため、分析物の喪失の回避、操作量が低減できることによる定量結果に及ぼす実験的変動の低減などの点で有利であり得る。
【0026】
一つの実施形態において、本開示は、上記のように調製された質量分析用試料を提供する。一つの実施形態において、本開示は、上記のように調製された質量分析用試料を、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)を使用した質量分析法により測定するステップを含む、質量分析により試料を分析する方法を提供する。
【0027】
本開示の質量分析用試料には複数種類の分析物を含むことができ、1度の測定において、これらのうち任意のものを測定できる。プレート上の異なる位置に異なる種類の分析物が配置され得るので、順次レーザー照射の位置を変えてイオン化を行い、それぞれ測定することができる。複定量的な分析も可能であり、例えば、目的のペプチドについて恒常的に発現される基準ペプチドとの相対強度を計算する、安定同位体標識を付加した対象分析物を内部標準として添加するなどの方法がある。質量分析による測定、検出、同定および定量などの方法の詳細は、分析の目的に応じて当業者が適宜決定できる。
【0028】
(装置)
一つの態様において、本開示は、質量分析用試料を調製するための装置を提供する。一つの実施形態において、本開示の質量分析用試料を調製するための装置は、プレート上にマトリックス液を分配するディスペンサと、プレートを内部に格納することができるハウジングと、ハウジング内の環境を制御する制御部とを備える。例示的な装置の概要が
図1に示される。
【0029】
一つの実施形態において、装置の制御部は、温度、湿度および風量のうちの少なくとも1つを制御する手段(ヒーター、冷却器、加湿器、送風機など)を備え、これらは設定された条件に従って稼働する。一つの実施形態において、装置は、ハウジング内の環境を測定するセンサー(温度計、湿度計など)を備える。制御された環境を達成するために、センサーを使用してもよいが、必ずしもセンサーを使用しなくても制御された環境は達成され得る。
【0030】
以上、本発明を、理解の容易のために好ましい実施形態を示して説明してきた。以下に、実施例に基づいて本開示を説明するが、上述の説明および以下の実施例は、例示の目的のみに提供され、本発明を限定する目的で提供したのではない。従って、本発明の範囲は、本明細書に具体的に記載された実施形態にも実施例にも限定されず、特許請求の範囲によってのみ限定される。
【実施例0031】
マトリックス塗布装置における環境が測定に及ぼす影響を試験した。
【0032】
(質量分析用プレートの調製)
アルミニウム製の基本構造(アルミプレート)に、ポリビニリデンジフロリド(PVDF)をジメチルホルムアミド(Df)に15mg/mLとなるように溶解したものを塗布した(BLOTCHIP)。
【0033】
(質量分析用プレートへの蛋白質の電気転写)
血清(プロトセラ社内ボランティア由来、1.5μL)と以下の表に示されるものを含むモデルペプチドを混合して試験用の試料を調製した。例えば、ACTHは、C末端がK/Rではない非トリプシン消化生成型ペプチドである。
【表1】
【0034】
試験用の試料をSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動した後に、10mM 四ホウ酸ナトリウム緩衝液中で、上記質量分析用プレートに対して、90mAで2時間電気転写した。
【0035】
(質量分析用プレートに転写された蛋白質に対する質量分析)
電気転写した質量分析用プレートを以下の条件に設定した150L容量のマトリックス塗布装置に入れ、マトリックスとしてα-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液(50%アセトニトリル、0.5%トリフルオロ酢酸の溶媒中25%飽和濃度)をディスペンサにより各スポットにつき約0.05~0.2μL×2を自動的に載せた。条件を保ったままマトリックス塗布装置にて20分間置いた。
【表2】
【0036】
その後、各条件で調製した質量分析用プレートをMALDI-MSで測定した。BLOTCHIP表面全体上の145箇所の各スポットについて、レーザー100ショットの測定を行い、全スポットのMSスペクトルを積算した。結果を
図2A~Bに示す。
【0037】
マトリックス塗布段階における条件がペプチドの検出に影響を及ぼすことが分かった。そのため、複数の試料間で目的のペプチドの存在量を比較する場合など、マトリックス塗布段階の条件を一定に制御することが分析の精度を向上させ得ると考えられる。特に約20℃の温度、約60~80%の湿度、約0~30L/分の風量の条件において、種々のペプチドの検出強度が高く、ペプチド分析用の試料作製時にこれらの条件が好ましいことが示唆される。また、ACTHのようにピーク強度が強くないペプチドについて1×104を超えるピーク強度が安定して達成されていることから、約80%の湿度が特に好ましく、さらに約15~30L/分の風量が好ましいと考えられる。また、MS/MS測定の結果をMascotによって解析した結果、高い信頼度でK6F(Mascotスコア=65)、TTHY(Mascotスコア=50)、VASP(Mascotスコア=60)およびACTH(Mascotスコア=68)のペプチドが同定できることが確認された。MSスペクトルのピーク強度が高いほど、同定成功の確率は高くなると考えられ、血清中のペプチドを事前精製なしで同定できる本開示の技術はバイオマーカーの探索および検出において大きな利点である。