(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024075358
(43)【公開日】2024-06-03
(54)【発明の名称】鋼材及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20240527BHJP
C21D 8/00 20060101ALI20240527BHJP
C22C 38/18 20060101ALN20240527BHJP
【FI】
C22C38/00 301A
C21D8/00 A
C22C38/18
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022186749
(22)【出願日】2022-11-22
(71)【出願人】
【識別番号】000004260
【氏名又は名称】株式会社デンソー
(71)【出願人】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】110000648
【氏名又は名称】弁理士法人あいち国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】北 拓也
(72)【発明者】
【氏名】朝岡 純也
(72)【発明者】
【氏名】上路 林太郎
(72)【発明者】
【氏名】井上 忠信
【テーマコード(参考)】
4K032
【Fターム(参考)】
4K032AA05
4K032AA06
4K032AA07
4K032AA11
4K032AA12
4K032AA16
4K032AA31
4K032AA32
4K032BA02
4K032CA01
4K032CB01
4K032CB02
4K032CD03
(57)【要約】
【課題】複雑形状部品への適用が可能であり、高硬度化と良好な生産性を両立できる鋼材を提供する。
【解決手段】素材鋼の加工処理により強化された鋼組織を有する鋼材は、加工処理が、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域における塑性加工であり、ビッカース硬度HVが、素材鋼の炭素濃度C(単位:質量%)に対して、下記式(1)を満足する。
HV≧441×C+497・・・(1)
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
素材鋼の加工処理により強化された鋼組織を有する鋼材であって、
上記加工処理が、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域における塑性加工であり、ビッカース硬度HVが、上記素材鋼の炭素濃度C(単位:質量%)に対して、下記式(1)を満足する、鋼材。
HV≧441×C+497・・・(1)
【請求項2】
上記素材鋼の炭素濃度Cは、0.2質量%以上である、請求項1に記載の鋼材。
【請求項3】
上記素材鋼の炭素濃度Cは、0.4質量%以上である、請求項1に記載の鋼材。
【請求項4】
上記塑性加工は、単純圧縮による圧縮率15%相当ないしそれ以上の相当歪を付与する加工である、請求項1又は2に記載の鋼材。
【請求項5】
上記塑性加工は、単純圧縮による圧縮率30%相当ないしそれ以上の相当歪を付与する加工である、請求項1又は2に記載の鋼材。
【請求項6】
上記加工処理は、マルテンサイト生成開始点(Ms)以下室温以上の上記複相温度域において、オーステナイトの一部がマルテンサイト変態し、準安定状態のオーステナイトが残存している複相組織状態の上記素材鋼に施される、請求項1又は2に記載の鋼材。
【請求項7】
素材鋼をオーステナイト化温度域に昇温して保持するオーステナイト化工程と、
オーステナイト化した上記素材鋼を、上記オーステナイト化温度域から、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域まで冷却する第1冷却工程と、
オーステナイトの一部がマルテンサイト変態し、準安定状態のオーステナイトが残存している複相組織状態の上記素材鋼に、塑性加工を施す加工処理工程と、
上記複相温度域から冷却して、残存しているオーステナイトをマルテンサイト変態させる第2冷却工程と、を備える鋼材の製造方法。
【請求項8】
上記オーステナイト化工程は、上記素材鋼のオーステナイト変態点(A3)以上の熱処理温度(T1)に保持して、上記素材鋼をオーステナイト化する工程であり、
上記加工処理工程は、マルテンサイト生成開始点(Ms)以下室温以上の加工温度(T2)において、上記素材鋼に、単純圧縮による圧縮率15%相当ないしそれ以上の相当歪を付与する上記塑性加工を行う工程である、請求項7に記載の鋼材の製造方法。
【請求項9】
上記第2冷却工程に続いて、0℃以下の処理温度(T3)に冷却するサブゼロ処理工程と、マルテンサイト生成開始点(Ms)以下の焼戻し温度(T4)にて焼戻しを行う焼戻し処理工程とを、さらに備える、請求項7又は8に記載の鋼材の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼材及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、自動車部品等に用いられる鉄鋼材料には、高強度で耐久性の高い材料特性が求められる。材料強度を高める方法として、従来から、熱処理と加工とを組み合わせた処理法が種々提案されている。例えば、高温のオーステナイト化温度域にてオーステナイト化処理した材料を、準安定オーステナイト状態となる温度域まで急冷して塑性加工を施し、その後焼入れを行ってマルテンサイト変態させるオースフォーミングが知られている。また、オースフォーミングを利用して、用途等に応じた所望の特性や組織が得られるように、添加元素や化学組成を最適化したり、熱処理プロセスを制御したりすることが検討されている。
【0003】
例えば、特許文献1には、C含有量が0.2質量%以上0.35質量%未満であり、Si、Mn、Cr、Ti、Al等の元素を含む特定の化学組成を有し、金属組織が、オースフォームドマルテンサイト及びオーステナイトで構成される鋼材が開示されている。この鋼材は、薄板や鋼管等に適した複相組織が得られるように、素材の化学組成が調整されており、1100~1300℃の温度域に加熱した後に熱間加工を行う際に、仕上加工を790~870℃の温度にて行い、さらに焼入れ、焼戻しを行うことにより得られる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
近年、自動車部品等に対し超高硬度化の要求が高まっている。その際、例えば、圧延により成形が可能な単純形状部品には、焼入れ後の高硬度なマルテンサイト組織を焼戻し、温間温度域にて塑性加工する温間テンプフォーミングのような手法も用いられるが、ギア等のプレス機によって成形される複雑形状部品には、そのような手法は適さない。また、上述したオースフォーミングは、特許文献1における仕上加工のように、比較的高い温度域が採用されることにより、加工性は改善するものの、高硬度化には限界があった。そこで、熱処理と加工を組み合わせ、複雑形状部品に適用されて硬度の向上が可能な新たな手法が求められている。
【0006】
本発明は、かかる課題に鑑みてなされたものであり、複雑形状部品への適用が可能であり、高硬度化と良好な生産性とを両立できる鋼材とその製造方法を提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の一態様は、
素材鋼の加工処理により強化された鋼組織を有する鋼材であって、
上記加工処理が、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域における塑性加工であり、ビッカース硬度HVが、上記素材鋼の炭素濃度C(単位:質量%)に対して、下記式(1)を満足する、鋼材にある。
HV≧441×C+497・・・(1)
【0008】
また、本発明の他の態様は、
素材鋼をオーステナイト化温度域に昇温して保持するオーステナイト化工程と、
オーステナイト化した上記素材鋼を、上記オーステナイト化温度域から、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域まで冷却する第1冷却工程と、
オーステナイトの一部がマルテンサイト変態し、準安定状態のオーステナイトが残存している複相組織状態の上記素材鋼に、塑性加工を施す加工処理工程と、
上記複相温度域から冷却して、残存しているオーステナイトをマルテンサイト変態させる第2冷却工程と、を備える鋼材の製造方法にある。
【発明の効果】
【0009】
上記一態様の鋼材は、複相温度域における塑性加工により強化され、上記式(1)を満足する、高硬度の鋼組織を有する。塑性加工は、オーステナイトとマルテンサイトの複相温度域において、素材鋼に、軟質のオーステナイト組織が残存する状態で行われるので、加工荷重の増加が抑制される一方、低温での加工となることから熱による再結晶や転位の回復が生じづらく、処理後の残存転位がより多くなるものと推察される。これにより、加工性が改善されて複雑形状部品への適用が可能となり、焼入れ後の組織がより強化されて、実験値に基づく関係式である上記式(1)に示されるように、素材の炭素濃度に応じた高い硬度が得られる。
【0010】
このような鋼材は、上記他の態様の製造方法により、オーステナイト化工程にてオーステナイト化された素材鋼を、第1冷却工程にて複相温度域まで冷却し、加工処理工程にて、複相組織状態にある素材鋼に塑性加工を施した後、第2冷却工程にて残存するオーステナイトをマルテンサイト変態させることにより得られる。この製造方法は、マルテンサイト組織を形成する鋼種であれば適用可能であり、素材鋼の化学組成や処理工程が大きく制約されることなく、鋼材の高硬度化が可能になる。
【0011】
以上のごとく、上記態様によれば、複雑形状部品への適用が可能であり、高硬度化と良好な生産性とを両立できる鋼材とその製造方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】実施形態1における、鋼材を製造するための熱処理プロセスを示す図。
【
図2】実施形態1における、素材鋼の炭素濃度と鋼材の硬度との関係を示すグラフ図。
【
図3】実施形態1における、鋼材の鋼組織を模式的に示す図。
【
図4】参考形態1、2における、従来の方法による鋼組織を模式的に示す図。
【
図5】実施形態1の変形例における、鋼材を製造するための熱処理プロセスを示す図。
【
図6】実施形態1における、鋼材の到達可能最高硬度と加工荷重の関係を、参考形態1、2と比較して模式的に示す図。
【
図7】参考形態1、2における、従来の熱処理プロセスを示す図。
【
図8】実験例1における、素材鋼となる試験片の熱処理プロセスを示す図。
【
図9】実験例1における、試験片の0.2%耐力と加工温度の関係を示すグラフ図。
【
図10】実験例1における、試験片のビッカース硬度と加工温度との関係を示すグラフ図。
【
図11】実験例2における、試験片のビッカース硬度と素材鋼の炭素濃度との関係を、圧縮率ごとに示すグラフ図。
【
図12】実験例3における、試験片のビッカース硬度と素材鋼の炭素濃度との関係を示すグラフ図。
【
図13】実験例3における、試験片のビッカース硬度と素材鋼の炭素濃度との関係を、圧縮率ごとに示すグラフ図。
【発明を実施するための形態】
【0013】
(実施形態1)
鋼材とその製造方法に係る実施形態について、図面を参照して説明する。
本形態の鋼材は、素材鋼の加工処理により強化された鋼組織を有する。ここで、加工処理とは、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域において塑性加工を行う処理であり、具体的には、
図1に示す熱処理プロセスの一工程として行われる。素材鋼は、例えば、マルテンサイト組織を形成する任意の鋼種とすることができる。このとき、複相温度域での塑性加工による歪の導入により、鋼材の硬度がより高くなり、素材鋼の炭素濃度C(単位:質量%)に対して、ビッカース硬度HVが、下記式(1)を満足する。
HV≧441×C+497・・・(1)
【0014】
上記式(1)は、
図2に示す領域における硬度と炭素濃度Cの対応関係を表しており、詳細を後述する実験例3(
図12参照)の結果に基づいている。一般に、鋼材の硬度は、素材鋼に含まれる炭素濃度Cに概略比例して高くなることが知られており、さらに、複相温度域にて所定の塑性加工を伴う加工処理を施すことにより、ビッカース硬度HVが高くなる方向へシフトして、上記式(1)を満足する範囲となることが判明している。素材鋼の炭素濃度Cは、好適には、0.2質量%以上、より好適には、0.4質量%以上とすることができ、ビッカース硬度HVの値で600程度ないしそれ以上の硬度とすることができる。
【0015】
複相温度域とは、オーステナイト相及びマルテンサイト相の両方が存在する温度域である。具体的には、マルテンサイト生成開始点Ms以下の温度域において複相組織状態となる。含有炭素が0.77質量%以上となるような高炭素鋼や、Crが含有されるマルテンサイト系ステンレス鋼の場合には、さらに、セメンタイトあるいはCr炭化物が含まれる場合もあり得る。好適には、マルテンサイト生成開始点Ms以下室温以上である複相温度域において、オーステナイトの一部がマルテンサイト変態し、準安定状態のオーステナイトが残存している複相組織状態の素材鋼に、加工処理が施されることが望ましい。
【0016】
このとき、
図1中に模式的に示すように、複相温度域における加工処理は、マルテンサイト変態の開始により生成するマルテンサイト(M組織)と、残存するオーステナイト(γ組織)とが混在する状態(γ+M組織)にて行われ、さらに、複相温度域からの冷却処理により、残存するオーステナイトがマルテンサイト変態する。これにより、加工処理及び冷却処理を経て、マルテンサイトを主体とする所望の鋼組織が得られ、好適には、ほぼ全体がマルテンサイト組織となっている。
【0017】
マルテンサイト生成開始点Msは、素材鋼の化学組成により異なり、成分元素やその含有割合に応じて定まる。オーステナイト化された素材鋼は、オーステナイト化温度域から冷却される過程で、準安定オーステナイト相となり、さらに、マルテンサイト生成開始点Ms以下になると一部がマルテンサイト相に変態し、複相組織状態となる。この複相組織状態においては、柔らかいオーステナイト相と高硬度のマルテンサイト相とが混在することにより、全体としては、中間的な硬さになっていることが、塑性加工の際の加工荷重の低減に寄与していると推察される。
【0018】
具体的には、加工処理における塑性加工は、単純圧縮による圧縮率15%相当ないしそれ以上の相当歪を付与する加工であることが望ましい。なお、圧縮率とは、圧縮方向における圧縮前後の長さの変化の割合をいう。このとき、加工を伴わない熱処理のみの鋼材に対して、十分な硬度の上昇が確認されており、また、従来のオースフォーミングにより得られる鋼材よりも高い硬度となる。好適には、圧縮率を15%より高くし、例えば、30%以上とすることにより、さらなる硬度の向上が可能になる。圧縮率の上限は特に制限されないが、加工工程や設備が大掛かりになると、生産性が低下しやすくなる。そのため、対象となる部品に要求される硬度や他の特性に応じて、圧縮率を適宜設定することが望ましい。
【0019】
図3に模式的に示すように、本形態の鋼材1は、準安定オーステナイト域よりも低温域である複相温度域における加工処理及び冷却処理を経て、全体がマルテンサイト変態した単相組織となっている。本図は、詳細を後述する実験例1の結果に基づいており、
図4に模式的に示す従来の鋼材11に対して、所望の強化された鋼組織10を有する。具体的には、
図4の左図に示す通常の熱処理組織よりも、微細な結晶組織を有すると共に、
図4の右図に示す従来のオースフォーミングによる組織に対して、転位10cの増加が見られ、これらが硬度の向上に寄与していると考えられる。
【0020】
図4の左図において、通常の熱処理で得られる焼入れマルテンサイト組織は、旧オーステナイト粒界10a(図中に実線で示す)の内部に、マルテンサイト変態に伴い形成される層状のブロック粒界10b(図中に点線で示す)が観察され、転位10cを含む組織となっている。また、
図4の右図において、従来のオースフォーミングを施した組織は、準安定オーステナイト域における加工後にマルテンサイト変態させたものであり、旧オーステナイト粒が、圧縮による加工方向(図中に矢印で示す)に潰れると共に、ブロック粒が微細化し、転位10cが多くなっている。
【0021】
図3に示す本形態の鋼組織10は、従来のオースフォーミングと同様に、圧縮された偏平な旧オーステナイト粒と微細化されたブロック粒が観察され、転位10cが増加し、硬度の向上が確認されている。このことから、マルテンサイト生成開始点Ms以下の複相温度域にて、複相組織状態で加工が施されることにより、転位10cがより蓄積されやすくなり、熱処理後の残存転位も多くなる結果、より硬質な組織となるものと推察される。
【0022】
このように、本形態による鋼材1は、複相温度域における加工処理によって、所定の圧縮率に相当する歪が導入され、より強化されたマルテンサイト主体の鋼組織10を有する。ここで、主体とするとは、鋼組織10が、特性に影響のない範囲で、マルテンサイト以外の組織や析出物、不可避的な不純物等を含んでいてもよいことを意味し、好適には、鋼組織10のほぼ全体がマルテンサイトの単相組織であることが望ましい。マルテンサイト以外の組織、例えば、残留オーステナイトを含む場合には、好適には、体積比で5%未満であることが望ましい。
【0023】
次に、複相温度域における加工処理、冷却処理を含む鋼材の製造方法について、詳述する。なお、加工処理における加熱手段や加工手段、冷却処理における冷却手段等は、必ずしも制限されず、任意の手段を採用することができる。また、各処理における条件等は、以下に例示する条件等に限るものではなく、加工処理又は冷却処理の過程で、所望の組織が生成するように、適宜調整することができる。
【0024】
図1は、本形態の鋼材を製造するための熱処理プロセスの一例を示しており、
素材鋼をオーステナイト化温度域に昇温して保持するオーステナイト化工程(1)と、
オーステナイト化した素材鋼を、オーステナイト化温度域から、オーステナイト及びマルテンサイトの複相温度域まで冷却する第1冷却工程(2)と、
オーステナイトの一部がマルテンサイト変態し、準安定状態のオーステナイトが残存している複相組織状態の素材鋼に、塑性加工を施す加工処理工程(3)と、
複相温度域から冷却して、残存しているオーステナイトをマルテンサイト変態させる第2冷却工程(4)と、を備える。
【0025】
素材鋼としては、例えば、ばね鋼、炭素鋼・合金鋼等の構造用鋼、軸受け鋼、工具鋼、マルテンサイト系ステンレス鋼等、マルテンサイト組織を形成する全材種に適用することができる。また、素材鋼の炭素濃度Cが高くなると、一般に硬度が高くなり加工性が低下することから、素材鋼の炭素濃度Cが高いほど、本形態の熱処理プロセスを適用する効果が高くなる。好適には、素材鋼の炭素濃度Cは、0.2質量%以上、より好適には、0.4質量%以上であることが望ましい。また、好適には、炭素濃度Cは、1.2質量%以下、より好適には、1.0質量%以下であることが望ましく、硬度の向上と生産性の両立が可能となる。
【0026】
このような素材鋼の例として、具体的には、炭素濃度Cが約0.5質量%程度のばね鋼(Fe-0.53C-1.48Si-0.76Cr-0.70Mn)の他、炭素濃度Cを約0.4質量%から0.8質量%程度に調整した構造用合金鋼(Fe-0.4~0.8C-0.75Mn-1.05Cr)、炭素濃度Cが約1.0質量%程度の軸受け鋼(Fe-1.0C-1.45Cr)等が挙げられる。なお、括弧内の数値の単位は、いずれも質量%である。炭素以外の成分元素やその含有量は、必ずしも制限されず、所望の特性に応じた化学組成の素材鋼を、適宜選定することができる。
【0027】
オーステナイト化工程(1)は、素材鋼を、その化学組成に応じたオーステナイト化温度域まで昇温する昇温工程(11)と、オーステナイト化温度域において所定の熱処理温度T1に加熱保持する保持工程(12)とを有する。昇温工程(11)において、オーステナイト化温度域とは、素材鋼の状態で存在するフェライトもしくはパーライト組織がオーステナイトに変態する温度以上の温度域である。例えば、炭素含有量が0.77質量%以下の炭素鋼の場合は、素材鋼のオーステナイト変態点A3以上の温度域である。
【0028】
好適には、昇温工程(11)において、素材鋼を所定の昇温速度で均一に加熱し、保持工程(12)における所定の熱処理温度T1まで、昇温させる。昇温速度は、必ずしも制限されないが、速すぎるとワーク温度が狙い温度に追従できなくなり、遅すぎると生産性が低下する。そのため、追従可能な温度範囲で、最速ないしその近傍の速度となるように、昇温速度を、適宜設定することが望ましく、例えば、5℃/s程度とすることができる。
【0029】
これにより、昇温前の低温域において、フェライト及び炭化物にて構成される鋼組織が、昇温工程(11)において、加熱昇温されて、オーステナイト変態が開始される。さらに、オーステナイト変態点A3以上のオーステナイト化温度域にて保持されることにより-、素材鋼の全体を、オーステナイト変態させることが可能になる。
【0030】
熱処理温度T1は、素材鋼のオーステナイト化温度域となる温度であればよく、保持工程(12)において、所定の保持時間t1、加熱保持されることにより、全体がオーステナイト化された状態となる。好適には、熱処理温度T1は、オーステナイト変態点の直上の温度域にあることが望ましく、例えば、オーステナイト変態点+30℃~オーステナイト変態点+50℃程度の温度範囲となるように、適宜設定される。これにより、保持工程(12)におけるオーステナイト化と、それに続く冷却工程とを効率よく進めることが可能になる。
【0031】
保持時間t1は、必ずしも制限されないが、短時間であるとワーク温度が狙い温度に追従できず、逆に長すぎると生産性が低下するおそれがある。そのため、追従可能な範囲で、最も短時間ないしその近傍の時間となるように、保持時間t1を、適宜設定することが望ましい。例えば、熱処理温度T1が800℃~1000℃程度の範囲にあるとき、保持時間t1を180秒程度とすることができる。
【0032】
冷却工程は、第1冷却工程(2)と第2冷却工程(4)とを有する。第1冷却工程(2)は、オーステナイト化された素材鋼を、マルテンサイト生成開始点Ms以下の複相温度域に冷却する工程である。マルテンサイト生成開始点Msは、素材鋼の化学組成に応じて定まり、複相温度域における加工処理工程(3)を経て、加工処理された素材鋼が、続く第2冷却工程(4)において冷却され、マルテンサイト組織となる。
【0033】
オーステナイト化された素材鋼は、オーステナイト化温度域から、複相温度域における所定の温度まで冷却されて、オーステナイト相とマルテンサイト相とが混在する複相組織状態となる。好適には、所定の温度は、加工処理工程(3)における加工温度T2となる温度であり、速やかに加工温度T2となるように、また、冷却過程でフェライト相が析出しないように、急冷されることが望ましい。冷却手段は、必ずしも制限されず、窒素ガス等を冷媒とするガス冷却、水冷、油冷、空冷、その他任意の方法や装置を採用することができる。
【0034】
冷却速度は、必ずしも制限されないが、例えばフェライト相が析出するよりも短時間で加工温度T2に達するよう、十分に速い速度に設定されることが望ましい。ただし、冷却速度が速くなりすぎると、ワーク内の温度差により歪が生じる懸念があるため、好適には、フェライト相が析出するよりもわずかに速い速度又はその近傍となるように、適宜調整されるのがよく、例えば、30℃/秒程度とすることができる。
【0035】
加工処理工程(3)は、複相組織状態となる加工温度T2における加工処理として、単純圧縮による圧縮率15%相当ないしそれ以上の相当歪を付与する塑性加工を行う工程である。加工温度T2は、鋼組織の一部がマルテンサイト変態し、準安定オーステナイトが残存している状態で、塑性加工を行うことが可能な温度であればよく、好適には、マルテンサイト生成開始点Ms以下室温以上であり、かつ、複相組織状態となる温度域にある。加工温度T2がマルテンサイト生成開始点Ms以下で、より低くなるほど、マルテンサイト変態が進行し、マルテンサイト相の割合が多い状態で、塑性加工が施される。これに伴い、導入される歪が抜けにくくなり、より硬質な組織が得られると推察される。
【0036】
加工温度T2は、必ずしも制限されないが、加工温度T2が低くなりマルテンサイト相の割合がより多くなると、加工荷重が高くなりやすい。そのため、所望の高硬度化が可能な範囲で、加工荷重の抑制効果が得られるように、加工温度T2を選定することが望ましく、例えば、マルテンサイト生成開始点Ms-100℃程度の温度範囲とすることができる。好適には、加工温度T2を、マルテンサイト生成開始点Ms直下の温度域とし、例えば、マルテンサイト生成開始点Ms-30℃~マルテンサイト生成開始点Ms-50℃程度の温度範囲となるように、加工温度T2を、適宜設定することが望ましい。これにより、複相温度域における加工処理を効果的に行い、高硬度化と加工荷重の低減を両立させることができる。
【0037】
加工処理は、複相温度域に急冷されて加工温度T2に達した後、加工温度T2を維持しながら、所定の歪速度で塑性加工を施す処理である。歪速度(単位:/s)は、必ずしも制限されないが、高すぎると加工発熱を生じ、温度制御が困難になるか、フェライト相(もしくはパーライト)が析出するおそれがある。一方、歪速度が遅すぎる場合もフェライト相(もしくは、ベイナイト変態温度Bs以下の温度域ではベイナイト)が析出するおそれがある。これらの観点から、歪速度は、加工対象となる素材鋼や部品形状等に応じて、所定の加工温度T2が維持できる範囲で、適宜設定されるのがよく、例えば、1/s程度とすることができる。
【0038】
塑性加工は、具体的には、素材鋼の鍛造加工、せん断加工等であり、特に、自動車部品等に用いられる複雑形状部品の加工に、好適に適用される。複雑形状部品とは、例えば、ギヤ等の複雑形状の鍛造部品や、精密形状のせん断加工品等であり、高い硬度が要求される一方で、板材の圧延加工品等に比べて加工性が要求される。本形態の加工処理を含む熱処理プロセスは、このような複雑形状部品の加工にも好適に適用されて、所望の特性と生産性の両立を可能とする。なお、塑性加工は、鍛造加工、せん断加工に限るものではなく、曲げ加工、圧延加工等であってもよい。また、加工対象は、部品の全体である必要はなく、その一部であってもよい。
【0039】
その後、第2冷却工程(4)において、加工処理された素材鋼を、複相温度域から冷却させることにより、準安定状態のオーステナイトをマルテンサイト変態させる。素材鋼のマルテンサイト変態終了点Mfが、室温以上である場合には、室温まで冷却される過程で、全体をマルテンサイト変態させることが可能であるが、後述するように、引き続きサブゼロ処理及び焼戻し処理を行うこともできる。
【0040】
第2冷却工程(4)における冷却も、第1冷却工程(2)と同様に、任意の冷却手段を用いて行うことができ、速やかに室温となるように、また、冷却過程でベイナイトが析出しないように、急冷されることが望ましい。冷却速度は、必ずしも制限されないが、ベイナイトが析出するよりも短時間で室温に達するよう、適宜調整されるのがよく、例えば、30℃/秒程度とすることができる。
【0041】
図5に熱処理プロセスの変形例として示すように、好適には、第2冷却工程(4)における冷却後、引き続いて、サブゼロ処理工程(5)及び焼戻し工程(6)を行うことが望ましい。サブゼロ処理工程(5)は、サブゼロ処理は、0℃以下の所定の温度に冷却して保持することにより、第2冷却工程(4)後の鋼組織に存在している残留オーステナイトを、マルテンサイト変態させるための処理である。素材鋼のマルテンサイト変態終了点Mfが、室温より低い場合には、サブゼロ処理において、マルテンサイト変態終了点Mf以下の温度に冷却することにより、ほぼ完全にマルテンサイト変態させることが可能になる。
【0042】
サブゼロ処理工程(5)は、第2冷却工程(4)に続く一連の処理として、冷却処理を連続的に行うことができる。その場合には、複相温度域からの冷却処理に引き続いて、サブゼロ処理の処理温度T3まで、同等の冷却速度で急冷し、所定の保持時間t2、冷却保持した後、室温に戻される。処理温度T3や保持時間t2は、必ずしも制限されないが、例えば、処理温度T3は、-60℃以下-196℃以上の範囲とし、保持時間t2は、1時間以上2時間以下の範囲で、適宜設定することができる。
【0043】
焼戻し工程(6)は、サブゼロ処理後に、室温から焼戻し温度T4まで昇温して、所定の保持時間t3、加熱保持する処理であり、その後、室温まで冷却される。これにより、サブゼロ処理後の組織を調整して、より安定化された焼戻し組織とし、機械的特性、例えば、耐衝撃性、耐摩耗性、靭性等を向上させることが可能となる。一方、焼戻し処理による硬度の低下を低く抑えるため、焼戻し温度T4は、比較的低温域に設定されることが望ましい。焼戻し処理における焼戻し温度T4は、マルテンサイト生成開始点Ms以下の温度域、例えば、160℃以上200℃以下の範囲とし、保持時間t3は、1時間程度とすることができる。
【0044】
図6に、本形態により可能な鋼材の最高硬度と加工荷重の関係を、従来の製造方法による参考形態1、2と比較して示す。
図7左図に示すように、参考形態1は、従来のオースフォーミングの熱処理プロセスを示すもので、素材鋼をオーステナイト化温度域に昇温してオーステナイト化した後、オーステナイト変態点A3以下に急冷し、準安定オーステナイト状態において、加工処理を行う。準安定オーステナイト状態となる温度域は、オーステナイト変態点A3より低くマルテンサイト生成開始点Msより高い温度域であり、一般に、高温域ほど加工しやすくなる。また、低温域ではベイナイトが析出しやすくなる。そのため、加工処理を行う温度は、通常は、ベイナイト変態点Bsより高い温度域(Bs>Ms)、例えば、500℃程度ないしそれ以上の温度域にて選択される。また、得られる硬さの最高値は、焼入れままのマルテンサイトにオースフォーミングにより導入された転位による加工硬化を加えた値となる。
【0045】
図7右図に示す参考形態2は、従来の温間テンプフォーミングの熱処理プロセスを示すもので、素材鋼をオーステナイト化温度域に昇温してオーステナイト化し、次いで、室温まで急冷して、完全マルテンサイト変態させる。その後、マルテンサイト生成開始点Ms以上の温間域まで昇温して、加工処理を行う。その場合には、加工時の組織が、硬い焼戻しマルテンサイト組織であるため、加工荷重が増大し、昇温により硬度を落としても複雑形状部品の加工は困難で、加工対象が限定される。また、マルテンサイトに対して塑性加工を与えるため、比較的低温で加工処理を行えば、オースフォーミングよりも高い硬さを得ることが可能であるが、加工処理温度が低温になると、加工荷重がさらに増大し、加工対象がより限定される。
【0046】
そのため、
図6に示す関係において、参考形態2の温間テンプフォーミングでは、例えば、バー形状等の単純形状部品に加工が限定される。一方、参考形態1のオースフォーミングでは、複雑形状部品の加工は可能であるものの、得られる組織の硬度は、参考形態2の完全マルテンサイト組織に比べると、大きく低下する。これに対し、本形態により複相温度域における加工処理にて得られる鋼材は、複雑形状部品の加工も十分可能でありながら、オースフォーミングよりも高硬度化が可能になる。
【0047】
その理由は、必ずしも明らかではないが、本形態の熱処理プロセスにおいて、加工処理は、加工時の組織が複相組織となっており、硬いマルテンサイト組織と柔らかい準安定オーステナイト組織が混在する状態で、加工を施すことが重要と考えられる。すなわち、加工時には、柔らかいオーステナイトが残存していることにより、参考形態1、2より低い温度域での塑性加工が可能になり、加工荷重の増大が抑制される。一方、熱による再結晶や転位の回復が生じづらく処理後の残存転位が多くなり、より硬い組織とすることが可能になると推察される。
【実施例0048】
次に、上述した鋼材の製造方法に基づいて、種々の素材鋼の加工熱処理を行い、得られる鋼組織及びその特性と、加工処理の条件との関係を調べた。
【0049】
(実験例1)
評価用の試験片となる所定形状の素材鋼を用意し、
図8に示す熱処理プロセスに従い、オーステナイト化工程(1)、第1冷却工程(2)、加工処理工程(3)、第2冷却工程(4)を順次施して、複相温度域における圧縮加工の評価を行った。素材鋼として、JIS規格に定めるばね鋼SUP12を用い、直径8mm、高さ12mmの円柱状の試験片とした。素材鋼の化学組成と、ベイナイト変態点Bs及びマルテンサイト生成開始点Msを、以下に示す。
[JIS-SUP12]
C:0.53質量%、Si:1.48質量%、Cr:0.76質量%、Mn:0.70質量%、残部Fe
Bs=525℃
Ms=280℃
【0050】
オーステナイト化工程(1)は、昇温工程(11)における昇温速度を、5℃/秒とし、保持工程(12)における熱処理温度T1:880℃、保持時間t1:180秒として、試験片を炉中で昇温保持して、オーステナイト化した。オーステナイト化した試験片を、第1冷却工程(2)において、窒素ガス冷却により、30℃/秒の冷却速度で複相温度域まで急冷し、加工処理工程(3)において、試験片を鍛造加工した。加工処理工程(3)における加工温度T2:230℃は、マルテンサイト生成開始点Ms-50℃の温度とした。その後、第2冷却工程(4)において、窒素ガス冷却により、30℃/秒の冷却速度で、室温まで急冷した。
【0051】
加工処理工程(3)における鍛造加工は、金型内に配置した試験片を加工温度T2に維持しながら、軸方向の圧縮率が15%となるように、歪速度1/sで圧縮することにより行った。その際に加えられる荷重と歪の関係から、応力-歪曲線に基づいて0.2%耐力を算出し、0.2%耐力と加工温度T2との関係を、
図9に示した(実施例1)。試験片の温度は、全体が均一温度になっていると見込まれることから、軸方向の中間高さ位置における側面表面の温度を代表温度とした。
【0052】
また、実施例1と同じ素材及び形状の試験片について、加工処理工程(3)の加工温度T2を、マルテンサイト生成開始点Ms直下の265℃に変更し、それ以外は同様の条件で各工程を実施して、評価を行った。算出された0.2%耐力と加工温度T2との関係を、
図9に併記した(実施例2)。なお、0.2%耐力は、素材鋼の加工性の評価の指標となるもので、ここでは、0.2%耐力が小さいほど、加工荷重が低くなることを示す。
【0053】
参考例として、加工処理工程(3)の加工温度T2を、マルテンサイト生成開始点Msよりも高い、360℃、455℃(<Bs)に変更した場合についても、同様にして評価を行い、0.2%耐力と加工温度T2との関係を、
図9に併記した(参考例1、2)。参考例1、2は、上述した参考形態1のオースフォーミングの温度域に相当し、通常のオースフォーミングの加工温度よりも低温域としている。また、参考のため、
図9中には、上述した参考形態2の温間テンプフォーミングについて、加工対象となる鋼材(マルテンサイト組織)の0.2%耐力と加工温度との関係も例示している。
【0054】
また、これら実施例1、2、参考例1、2の試験片について、縦割りした試験片の高さ方向及び径方向の中央部を評価位置として、ビッカース硬度HVを測定し、加工温度T2との関係を、
図10に示した。ビッカース硬度HVは、ビッカース硬さ試験(JISZ2244:2009に準拠)に基づいて、試験荷重1kgにて測定し、任意の複数個所における平均値を代表値とした。
【0055】
図9に示すように、実施例1、2の0.2耐力は、250MPa~300MPaの範囲にあり、200MPa程度の参考例1、2に比べるとやや高くなっているものの、温間テンプフォーミングのように、焼入れ後のマルテンサイト組織を加工する場合に比べると、加工荷重を大きく低減可能となることがわかる。一方、
図10に示すように、実施例1、2のビッカース硬度HVの平均値は、840HV~850HVの範囲にあり、800HV~830HV程度の参考例1、2よりもさらに高くなっている。
【0056】
このように、マルテンサイト生成開始点Msよりも低い複相温度域において、オーステナイト及びマルテンサイトの複相組織状態にて加工処理を行うことにより、加工荷重の上昇を抑制しながら、さらなる高硬度化が可能であることがわかる。
【0057】
また、実施例1の試験片について、光学顕微鏡とSEM/EBSD(走査型電子顕微鏡/後方散乱電子回折像法)による組織観察を行った。評価位置は、縦割りした試験片の中央部とし、鏡面研磨後に3%ナイタール液で腐食させて、光学顕微鏡による観察用試料とした。SEM/EBSDによる観察用試料には、鏡面研磨後に電解研磨を施した。組織観察は、オースフォーミングによる参考例1と、加工処理を行わずに急冷した通常の熱処理による試験片についても行った。
【0058】
光学顕微鏡による観察及びSEM/EBSD解析による結晶方位差情報等から、上記
図3、
図4に模式的に示したように、実施例1、参考例1において、変態前のオーステナイト結晶粒の粒界が旧オーステナイト粒として観察されるマルテンサイト組織となっており、通常の熱処理による鋼組織10よりも旧オーステナイト粒が偏平な形状となっていることが確認された。このとき、鋼組織10は、加工熱処理後の結晶組織に関する公知文献情報等にも知られるように、旧オーステナイト粒界10aの内部に、多数のブロック粒界10bを有するマルテンサイト相の集合組織となっていると推定される。また、実施例1、参考例1におけるマルテンサイト組織は、旧オーステナイト粒は同等の偏平な形状となっている一方、参考例1よりも、実施例1の組織において、加工により導入される歪の蓄積が多くなっていることが確認された。
【0059】
これらの結果から、複相温度域で塑性加工された実施例1の試験片は、より微細な結晶組織となっており、また、歪が加えられることで発生する転位10cの蓄積が、マルテンサイト組織の転位強化を助長し、得られる鋼組織10を高強度化しているものと推定される。
【0060】
(実験例2)
実施例1の試験片とは炭素濃度Cの異なる素材鋼を用いた複数の試験片を用意し、実施例1と同様にして、それぞれ
図1に示した熱処理プロセスの各工程を順に施して、評価を行った(実施例3~実施例5)。素材鋼の鋼種は、以下の通りとし、括弧内に主要成分の含有量を示した。
実施例3:JIS-SCM440相当の合金鋼(Fe-0.4質量%C-0.75質量%Mn-1.05質量%Cr)
実施例4:炭素濃度を0.8質量%に調整したJIS-SCM415相当の合金鋼(Fe-0.8質量%C-0.75質量%Mn-1.05質量%Cr)
実施例5:JIS-SUJ2相当の軸受け鋼(Fe-1.0質量%C-1.45質量%Cr)
【0061】
熱処理プロセスは、オーステナイト化工程(1)の保持工程(12)における熱処理温度T1を、素材鋼のオーステナイト変態点A3直上のオーステナイト化温度域となるように設定し、保持時間t1は一定とした。保持工程(12)における熱処理温度T1と保持時間は、それぞれ以下の通りであり、実施例3の熱処理温度T1が980℃に変更された以外は、実施例1と同様である。
実施例3:T1(980℃)×t1(180s)
実施例4:T1(880℃)×t1(180s)
実施例5:T1(880℃)×t1(180s)
【0062】
また、加工処理工程(3)における加工温度T2を、マルテンサイト生成開始点Ms直下の複相温度域となるように、それぞれ設定した。加工処理工程(3)における加工温度T2と歪速度は、それぞれ以下の通りであり、実施例3~実施例5における歪速度は一定で、実施例1と同様である。
実施例3:T2(320℃)、歪速度(1/s)
実施例4:T2(150℃)、歪速度(1/s)
実施例5:T2(100℃)、歪速度(1/s)
【0063】
オーステナイト化工程(1)の昇温工程(11)における昇温速度(5℃/s)、第1冷却工程(2)、第2冷却工程(4)における冷却速度(30℃/s)は、実施例1と同様とした。冷却過程で行われる加工処理工程(3)は、実施例1と同様に、軸方向の圧縮率が15%となるように、試験片を鍛造加工することにより行った。
【0064】
実施例3~実施例5について、冷却処理後の試験片のビッカース硬度HVを測定し、素材鋼の炭素濃度Cとの関係を、実施例1における結果と共に、
図11に示した。また、比較のため、実施例3(炭素濃度C:0.4質量%)において、加工処理工程(3)を行わず、圧縮率0%とした場合についても、試験片のビッカース硬度HVを測定し、結果を
図11中に併せて示した。さらに、これらのうち実施例3、実施例4(炭素濃度C:0.8質量%)について、加工処理工程(3)の鍛造加工における圧縮率を30%に変更し、それ以外は同様の熱処理プロセスを施した場合について、同様にしてビッカース硬度HVをそれぞれ測定し、結果を
図11中に併せて示した。
【0065】
図11に示されるように、炭素濃度Cが0.4質量%~1.0質量%の範囲において、炭素濃度Cが高くなるほど、硬度が高くなる傾向にある。また、炭素濃度Cが0.4質量%~0.8質量%の範囲では、上述した式(1)の下限値(図中に示す点線)に比べて、圧縮率15%、30%とした場合に、明らかな硬度の上昇が見られた。一方、実施例3(炭素濃度C:0.4質量%)において、圧縮率0%とした場合は、式(1)の領域を下回った。なお、実施例5(炭素濃度C:1.0質量%)では、圧縮率15%における硬度が式(1)の領域を下回っているが、例えば、冷却処理後に完全マルテンサイト組織となっておらず、軟質の残留オーステナイトの割合が多くなっていることによるものと思われる。
【0066】
(実験例3)
実施例3~実施例5について、実験例2と同様にして第2冷却工程(4)を施した後、さらに、サブゼロ処理工程(5)及び焼戻し工程(6)を施した。サブゼロ処理工程(5)における処理温度T3及び保持時間t2、焼戻し工程(6)における焼戻し温度T4及び保持時間t3は、いずれも同じであり、以下の通りとした。
サブゼロ処理:T3(-196℃)×t2(2h)
焼戻し処理:T4(180℃)×t3(1h)
【0067】
実施例3~実施例5について、サブゼロ処理及び焼戻し処理後の試験片のビッカース硬度HVをそれぞれ測定し、素材鋼の炭素濃度との関係を、
図12に示した。
図12に示すように、炭素濃度Cと圧縮率15%における硬度は、ほぼ線形関係にあり、炭素濃度Cが高くなるほど硬度が高くなる傾向が、より明確となっている。
また、ビッカース硬度HVをy軸、炭素濃度Cをx軸として作成したグラフの関係を、一次関数で近似して、
図12中に示す下記式(11)を得た。
y=441x+497・・式(11)
【0068】
また、各実施例について、加工処理工程(3)を行わず、圧縮率0%とした場合についても、同様の処理を行った。また、これらのうち実施例3、実施例4について、加工処理工程(3)における圧縮率を30%に変更した場合についても、同様の処理を行い、それぞれ同様にしてビッカース硬度を測定した。これらの結果を、
図13中に併せて示した。
【0069】
図13に示されるように、炭素濃度Cが0.4質量%~1.0質量%の範囲の全体において、圧縮率0%における硬度よりも、圧縮率が15%、30%における硬度が高くなっている。なお、炭素濃度Cが0.4質量%の実施例3において、圧縮率が30%における硬度は、サブゼロ処理前である上記
図11と同等であるものの、圧縮率が15%における硬度は、サブゼロ処理前よりも低下している。炭素濃度Cが0.8質量%の実施例4においては、圧縮率が30%における硬度は、サブゼロ処理前よりも向上し、圧縮率が15%における硬度は、サブゼロ処理前よりもやや低下している。その理由は、必ずしも明らかではないが、高炭素濃度であるほどサブゼロ処理前の残留オーステナイト量が多くなり、サブゼロ処理時に残留オーステナイトからマルテンサイトへ変態する量が多くなるために、硬化量が大きくなるものと推察される。
【0070】
さらに、炭素濃度Cが0.4質量%、0.8質量%において、圧縮率が15%における硬度よりも、30%における硬度が高くなり、炭素濃度Cが1.0質量%において、圧縮率15%における硬度が向上すると共に、圧縮率0%における硬度が大きく低下した。その理由は、必ずしも明らかではないが、サブゼロ処理により、残留オーステナイトがマルテンサイト変態すると共に、加工により導入される歪の効果が現れて、全体が高硬度化したものと推察される。一方、加工処理を行わない場合には、歪による効果が得られず、サブゼロ処理後の焼戻しの過程で鋼組織が変化して、硬度が低下したものと推察される。
【0071】
上記実施形態の鋼材とその製造方法は、複雑形状の自動車部品等の製造に好適に適用されて、加工荷重を抑制しながら、より高硬度な部品を生産性よく製造することができる。さらに、部品の高硬度化により、部品の疲労強度、耐摩耗性等の特性が向上し、あるいは、部品の薄肉化又は小型化が可能になり、生産性がより向上する。なお、上記実施形態の鋼材やその製造方法は、自動車部品に限らず各種用途に用いられる任意の形状の部品その他部材の製造に利用することができる。
【0072】
本発明は、上記各実施形態、各実験例に限定されるものではなく、その要旨を逸脱しない範囲において種々の変更が可能である。また、各実施形態、各実験例に示される各構成は、それぞれ任意に組み合わせることができる。