(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024009274
(43)【公開日】2024-01-19
(54)【発明の名称】R-ケタミンおよびその塩の医薬品としての応用
(51)【国際特許分類】
A61K 31/137 20060101AFI20240112BHJP
A61K 9/02 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/06 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/08 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/10 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/14 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/20 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/28 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/48 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/70 20060101ALI20240112BHJP
A61K 9/72 20060101ALI20240112BHJP
A61K 31/135 20060101ALI20240112BHJP
A61P 25/24 20060101ALI20240112BHJP
A61P 25/18 20060101ALI20240112BHJP
A61P 25/28 20060101ALI20240112BHJP
【FI】
A61K31/137
A61K9/02
A61K9/06
A61K9/08
A61K9/10
A61K9/14
A61K9/20
A61K9/28
A61K9/48
A61K9/70 401
A61K9/72
A61K31/135
A61P25/24
A61P25/18
A61P25/28
【審査請求】有
【請求項の数】23
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023200421
(22)【出願日】2023-11-28
(62)【分割の表示】P 2022188797の分割
【原出願日】2014-09-12
(31)【優先権主張番号】P 2013190066
(32)【優先日】2013-09-13
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(71)【出願人】
【識別番号】304021831
【氏名又は名称】国立大学法人千葉大学
(74)【代理人】
【識別番号】100088904
【弁理士】
【氏名又は名称】庄司 隆
(74)【代理人】
【識別番号】100124453
【弁理士】
【氏名又は名称】資延 由利子
(74)【代理人】
【識別番号】100135208
【弁理士】
【氏名又は名称】大杉 卓也
(72)【発明者】
【氏名】橋本 謙二
(57)【要約】
【課題】
本発明の課題は、うつ症状を示す疾患に対して即効性かつ長期持続性の治療効果を有する新たな化合物を提供すること。
【解決手段】
R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩からなるうつ症状の予防および/または治療用薬剤、並びにR(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩をうつ症状の軽減に有効な量含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、うつ症状の予防および/または治療用医薬組成物を提供する。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
明細書に記載の発明。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、精神疾患、好ましくはうつ症状を示す疾患の予防および/または治療のための医薬に関する。さらに詳しくは、本発明は、R-ケタミンまたはその薬学的に許容し得る塩からなる抗うつ剤、並びにR-ケタミンまたはその薬学的に許容し得る塩を含有し、S-ケタミンまたはその薬学的に許容し得る塩を実質的に含まない、うつ症状を示す疾患の予防および/または治療用医薬組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
社会生活様式の変化や社会の高齢化に伴い、精神疾患や神経疾患などの様々な疾患は、全体として増加する傾向にある。例えば、代表的な精神疾患であるうつ病や統合失調症は発症率が高く、医療経済という点からも大きな問題となっている。また、強迫性障害は、強迫観念と強迫行動からなる不安障害の一つである。うつ病、統合失調症、不安障害、および自閉症スペクトラム障害(autism spectrum disorder)などの精神疾患の治療には、薬物治療が不可欠であり、抗うつ薬(三環系抗うつ薬、選択的セロトニン再取り込み阻害薬、およびセロトニン・ノルエピネフリン再取り込み阻害薬など)や抗精神病薬(フェノチアジン系化合物、ブチロフェノン系化合物、ベンズアミド系化合物、イミノジベンジル系化合物、チエピン系化合物、インドール系化合物およびセロトニン・ドーパミン受容体遮断薬など)などが投与されている。しかしながら、臨床の場で実際に使用されているこれらの薬剤は、一部の患者や一部の症状には有効であるが、これらの薬剤では効果が無い、いわゆる治療抵抗性の患者が存在することも知られており、新しい治療薬の開発が切望されている。既存の薬物では、これらの精神疾患に対する十分な治療効果が出ているとは言い難く、現実的には有効な予防法や治療法はほとんど無いのが現状である。
【0003】
うつ病治療における主要な問題の一つは、抗うつ薬の効果とさらにその補強療法の効果に限界があることである。現在の抗うつ薬の薬効発現には数週間以上を要し、またこれらの抗うつ薬に奏功しない治療抵抗性患者が存在する。そのため、うつ病患者のわずか50%しか寛解に至らないとも言われている。また、寛解を求めて抗うつ薬の用量を上げていけば、患者は多くの副作用に悩まされることになる。さらにうつ病は自殺の原因の一つである。また、 高齢者のうつ病がアルツハイマー病や脳血管性痴呆などの認知症の危険因子であることが報告されている(非特許文献1)
【0004】
最近の研究では、うつ病や双極性障害などの気分障害の病態生理にグルタミン酸の伝達障害、特にN-メチル-D-アスパラギン酸(以下、NMDAと略称する)受容体を介したグルタミン酸神経伝達が関連しており、神経生物学においても大うつ病性障害(major depressive disorder;以下、MDDと略称する)の治療においても主要な役割を果たしていることを示唆する証拠が次々と挙がってきている(非特許文献2)。
【0005】
NMDA受容体アンタゴニストであるケタミンが、治療抵抗性MDD患者および治療抵抗性双極性障害のうつ症状に即効性かつ強力な抗うつ効果を示すことが報告されている(非特許文献3-5)。またケタミンは治療抵抗性の強迫性障害および治療抵抗性心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder;以下、PTSDと略称する)にも有効であることが報告された(非特許文献6-8)。さらに、ケタミンは、うつ病患者の自殺念慮を抑制する作用があることが報告されている(非特許文献9)。加えて、ケタミンによる自閉症スペクトラム障害の治療に関する報告がある(非特許文献10)。ケタミンは、1962年に麻酔薬として開発された化合物であり、1965年から臨床応用が開始されたが、幻覚や妄想などの精神症状および依存性が問題となり、規制薬物に指定されている。現在では、臨床現場では、麻酔薬および慢性疼痛の治療として使用されている。
【0006】
ケタミンの臨床的抗うつ効果は、その単回投与後の数時間後から、1~2日という短期間の持続であるという報告がある一方、2週間以上にわたって持続できるかもしれないといった報告がある(非特許文献3、4、11)。また、ケタミンには精神病症状惹起作用という副作用があり、ケタミンの抗うつ効果は、その副作用が消失するまで発現しなかったことが報告されている(非特許文献3、4)。
【0007】
ケタミン(またはRS(±)-ケタミンとも称する)は、ラセミ体混合物であり、R(-)-ケタミンとS(+)-ケタミンとを等量含む。R(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンはそれぞれ、ケタミンのR-異性体およびS-異性体ともいう。S(+)-ケタミンはNMDA受容体に対する親和性がR-異性体より約4倍高い(非特許文献12)。さらに、S(+)-ケタミンはR-異性体と比較して、麻酔効果が約3-4倍強く、そして、精神病症状惹起性の副作用も強い(非特許文献12)。このように、ケタミンの精神病症状惹起作用の強度はNMDA受容体の遮断強度と相関する(非特許文献12)。健常ボランティアのポジトロン断層法(PET)試験では、精神病症状惹起作用量のS(+)-ケタミン、すなわち15mgの静脈内注入を5分間、ついで0.014-0.02mg/kg/分の用量の注入を53分間行うことにより、前頭皮質および視床でのグルコースの脳代謝速度(cerebral metabolic rate of glucose;以下、CMRgluと略称する)が顕著に上昇することが証明された(非特許文献13)。対照的に、等分子用量のR(-)-ケタミンは脳領域に亘ってCMRgluを減少させる傾向を示し、リラックス状態および幸福感を生じたが、精神病症状を引き起こさなかった(非特許文献13)。
【0008】
このように、ケタミンの鎮痛作用および精神病症状惹起作用はいずれも、主としてNMDA受容体の遮断により媒介されていると一般的に理解されており、S-異性体のNMDA受容体への親和性が高いことから、ケタミンのこれらの作用は、主にS-異性体により引き起こされると考えられている。
【0009】
現在、ケタミンは治療抵抗性MDD患者、治療抵抗性双極性障害のうつ症状、治療抵抗性強迫性障害、および治療抵抗性PTSDの治療に注目されている薬剤の1つである(非特許文献5-12)。これまでの症例報告では治療抵抗性MDD患者におけるS(+)-ケタミン(0.25mg/kg、静脈内投与)の抗うつ効果はRS(±)-ケタミン(0.5mg/kg、静脈内投与)の該効果よりも弱いことが報告されている(非特許文献14)。さらに、非盲検試験(非特許文献15)および症例報告(非特許文献16)で、うつ病患者での有効経口用量のRS(±)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンがそれぞれ0.5mg/kgおよび1.25mg/kgであることが示されている。また、ケタミンの鼻腔内投与による治療抵抗性MDD患者の治療効果も報告されている(特許文献1、非特許文献17)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】国際公開第2007/111880号パンフレット
【特許文献2】米国特許第6040479号明細書
【非特許文献】
【0011】
【非特許文献1】Diniz BD, Butters MA, Albert SM, Dew MA and Reynolds CF (2013) Late-life depression and risk of vascular dementia and Alzheimer's disease: systematic review and meta-analysis of community-based cohort studies. B. J. Psychiatry 202: 329-335.
【非特許文献2】Hashimoto K (2009) Emerging role of glutamate in the pathophysiology of major depressive disorder. Brain Res. Rev. 61:105-23.
【非特許文献3】Berman RM, Cappiello A, Anand A, Oren DA, Heninger GR, Charney DS, Krystal JH (2000) Antidepressant effects of ketamine in depressed patients. Biol. Psychiatry 47:351-4.
【非特許文献4】Zarate CA, Jr, Singh JB, Carlson PJ, Brutsche NE, Ameli R, Luckenbaugh DA, Charney DS, Manji HK (2006) A randomized trial of an N-methyl-D-aspartate antagonist in treatment-resistant major depression. Arch. Gen. Psychiatry 63:856-64.
【非特許文献5】Diazgranados N, Ibrahim L, Brutsche NE, Newberg A, Kronstein P, Khalife S, Kammerer WA, Quezado Z, Luckenbaugh DA, Salvadore G, Machado-Vieira R, Manji HK, Zarate CA Jr. (2010) A randomized add-on trial of an N-methyl-D-aspartate antagonist in treatment-resistant bipolar depression. Arch. Gen. Psychiatry 67:793-802.
【非特許文献6】Bloch MH, Wasylink S, Landeros-Weisenberger A, Panza KE, Billingslea E, Leckman JF, Krystal JH, Bhagwagar Z, Sanacora G, Pittenger C (2012) Effects of ketamine in treatment-refractory obsessive-compulsive disorder. Biol. Psychiatry 72(11):964-970.
【非特許文献7】Rodriguez CI, Kegeles LS, Levinson A, Feng T, Marcus SM, Vermes D, Flood P, Simpson HB (2013) Randomized Controlled Crossover Trial of Ketamine in Obsessive-Compulsive Disorder: Proof-of-Concept. Neuropsychopharmacology Jun 19. doi: 10.1038/npp.2013.150. [Epub ahead of print]
【非特許文献8】Feder A, Parides MK, Murrough JW, Perez AM, Morgan JE, Saxena S, Kirkwood K, Aan Het Rot M, Lapidus KA, Wan LB, Iosifescu D, Charney DS (2014) Efficacy of intravenous ketamine for treatment of chronic posttraumatic stress disorder: a randomized clinical trial. JAMA Psychiatry 71: 681-688.
【非特許文献9】DiazGranados N, Ibrahim LA, Brutsche NE, Ameli R, Henter ID, Luckenbaugh DA, Machado-Vieira R, Zarate CA Jr (2010) Rapid resolution of suicidal ideation after a single infusion of an N-methyl-D-aspartate antagonist in patients with treatment-resistant major depressive disorder. J Clin. Psychiatry 71(12):1605-11.
【非特許文献10】Wink LK1, O'Melia AM, Shaffer RC, Pedapati E, Friedmann K, Schaefer T, Erickson CA (2014) Intranasal ketamine treatment in an adult with autism spectrum disorder. J Clin. Psychiatry 75(8):835-6. doi: 10.4088/JCP.13cr08917.
【非特許文献11】Krystal JH, Sanacora G, Duman RS (2013) Rapid-acting glutamatergic antidepressants: the path to ketamine and beyond. Biol. Psychiatry 73:1133-41.
【非特許文献12】Domino EF (2010) Taming the ketamine tiger. 1965. Anesthesiology 113:678-86.
【非特許文献13】Vollenweider FX, Leenders KL, OEye I, Hell D, Angst J (1997) Differential psychopathology and patterns of cerebral glucose utilization produced by (S)- and (R)-ketamine in healthy volunteers using positron emission tomography (PET). Eur. Neuropsychopharmacol. 7: 25-38.
【非特許文献14】Paul R, Schaaff N, Padberg F, Moeller HJ, Frodl T (2009) Comparison of racemic ketamine and S-ketamine in treatment-resistant major depression: report from two cases. World J. Biol. Psychiatry 10: 241-244.
【非特許文献15】Paslakis G, Gilles M, Meyer-Lindenberg A, Deuschle M (2010) Oral administration of the NMDA receptor antagonist S-ketamine as add-on therapy of depression: a case series. Pharmacopsychiatry 43: 33-35.
【非特許文献16】Irwin SA, Iglewicz A, Nelesen RA, Lo JY, Carr CH, Romero SD, Lloyd LS (2013) Daily oral ketamine for the treatment of depression and anxiety in patients receiving hospice care: A 28-day open-label proof-of-concept trial. J. Palliat. Med. 16: 958-965.
【非特許文献17】Lapidus KA, Levitch CF, Perez AM, Brallier JW, Parides MK, Soleimani L, Feder A, Iosifescu DV, Charney DS, Murrough JW (2014) A randomized controlled trial of intranasal ketamine in major depressive disorder. Biol. Psychiatry 2014 Apr 3. pii: S0006-3223(14)00227-3. doi: 10.1016/j.biopsych.2014.03.026. [Epub ahead of print]
【非特許文献18】Li SX, Fujita Y, Zhang JC, Ren Q, Ishima T, Wu J, Hashimoto K (2014) Role of the NMDA receptor in cognitive deficits, anxiety and depressive-like behavior in jevenile and adult mice after neonatal dexamethasone exposure. Neurobiol. Dis. 62: 124-134.
【非特許文献19】Golden SA, Covington HE, III, Berton O, Russo SJ (2011) A standardized protocol for repeated social defeat stress in mice. Nat. Protoc. 6: 1183-1191.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
NMDA受容体アンタゴニストであるケタミンが、治療抵抗性うつ病患者で即効性の抗うつ効果を示すことが報告されている。うつ病にはNMDA受容体を介したグルタミン酸神経伝達が関与すると考えられること、および、ケタミンにはS-異性体およびR-異性体の光学異性体が存在し、S-異性体のNMDA受容体親和性はR-異性体より高いことから、ケタミンによるうつ病治療の研究にはS-異性体やラセミ体混合物が使用されてきた。しかしながら、ケタミンは、幻覚や妄想などの精神症状および依存性などの副作用が問題となり、麻薬指定されているため、臨床的実用化には困難がある。
【0013】
本発明の課題は、うつ病、双極性障害、強迫性障害、PTSD、および自閉症スペクトラム障害などの、うつ症状を示す疾患に対して即効性かつ長期持続性の治療効果を有する新たな化合物を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者は、上記課題を解決すべく鋭意検討を行う中で、ケタミンの抗うつ効果の研究にこれまで使用されていなかったR(-)-ケタミンに着目した。そして、うつ様症状を示すモデルマウスを用いた研究において、幼若期の該マウスのうつ様症状に対し、R(-)-ケタミンの方がS(+)-ケタミンより強い抗うつ効果を示し、さらにその効果の持続期間も長いことを発見した。加えて、社会敗北ストレスモデルマウスにおいても同様に、R(-)-ケタミンの方がS(+)-ケタミンより強い抗うつ効果を示し、さらにその効果の持続期間も長いことを見出した。また、S(+)-ケタミンの投与により認められた副作用、例えば運動量亢進作用、プレパルス抑制障害、依存性形成などが、R(-)-ケタミンの投与では認められなかった。R-異性体のNMDA受容体への親和性はS-異性体と比較して低いことから、副作用である精神病症状惹起作用が少なく、また、薬物依存を形成しにくいと考えている。本発明は、これら知見に基づいて達成した。
【0015】
すなわち、本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩からなるうつ症状の予防および/または治療用薬剤に関する。
【0016】
また本発明は、うつ症状が、小児うつ病または成人うつ病におけるうつ症状である、前記薬剤に関する。
【0017】
さらに本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩をうつ症状の軽減に有効な量を含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、うつ症状の予防および/または治療用医薬組成物に関する。
【0018】
さらにまた本発明は、うつ症状が、小児うつ病または成人うつ病におけるうつ症状である、前記用医薬組成物に関する。
【0019】
また本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を強迫性障害におけるうつ症状の軽減に有効な量含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、強迫性障害の予防および/または治療用医薬組成物に関する。
【0020】
さらに本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩をPTSDにおけるうつ症状の軽減に有効な量含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、PTSDの予防および/または治療用医薬組成物に関する。
【発明の効果】
【0021】
R(-)-ケタミンまたはその薬学的に許容し得る塩は、即効性かつ長期持続可能な抗うつ効果を有し、かつ副作用が少ないため、うつ症状を示す精神疾患の予防および/または治療に有効である。したがって、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩からなる薬剤、並びに、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を含み、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない医薬組成物は、うつ症状を示す精神疾患の予防および/または治療の分野における新規医薬品として有用である。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【
図1】R(-)-およびS(+)-ケタミン塩酸塩(Ketamine HCL)を、D(-)-およびL(+)-酒石酸(Tartaric acid)をそれぞれ使用して、RS(±)-ケタミンから調製したことを説明する図である。
【
図2A】R(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を検討した試験計画を説明する図である。試験は、新生仔期にデキサメタゾンで処理したマウス(以下、DEX処理マウスと称する)をうつ病の新規動物モデルとして使用して実施した。図中、DEXはデキサメタゾン、LMTは自発運動試験、TSTは尾懸垂試験、FSTは強制水泳試験、SPTは1%ショ糖嗜好性試験を意味する。(実施例1)
【
図2B】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の翌日にLMTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、自発運動量(カウント/60分間)を表す。(実施例1)
【
図2C】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の翌日(27時間後)にTSTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、TSTにおける無動時間(秒)を示す。(実施例1)
【
図2D】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の翌日(29時間後)にFSTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、FSTにおける無動時間(秒)を示す。(実施例1)
【
図2E】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の2日後にSPTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、SPTにおけるショ糖嗜好性(%)を示す。(実施例1)
【
図2F】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の7日後にTSTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、TSTにおける無動時間(秒)を示す。(実施例1)
【
図2G】DEX処理マウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与の7日後にFSTにより検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群、Salineは生理食塩水を投与したDEX処理マウス群、Contは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、FSTにおける無動時間(秒)を示す。(実施例1)
【
図3A】社会的敗北(Social defeat)ストレスマウスにおいてR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を検討した試験計画を説明する図である。社会的敗北ストレスマウスは、C57/B6雄性マウスをICR雄性マウスと10日間(D1~10)連続で接触させることにより作成した。その後、R(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンのいずれかを投与し、投与後1日目、2日目、6日目、および7日目(P1、P2、P6、およびP7)に各種試験を実施した。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群を示す。図中、LMTは自発運動試験、TSTは尾懸垂試験、FSTは強制水泳試験、SPTは1%ショ糖嗜好性試験を意味する。(実施例2)
【
図3B】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与1日後(P1)にSPTで検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、SPTにおけるショ糖嗜好性(%)を示す。(実施例2)
【
図3C】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与2日後(P2)にLMTで検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、LMTにおける自発運動(カウント/60分間)を示す。(実施例2)
【
図3D】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与2日後(P2)にTSTで検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、TSTにおける無働時間(秒)を示す。(実施例2)
【
図3E】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与2日後(P2)にFSTを検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、FSTにおける無働時間(秒)を示す。(実施例2)
【
図3F】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与6日後(P6)SPTを検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、SPTにおけるショ糖嗜好性(%)を示す。(実施例2)
【
図3G】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与7日後(P7)にTSTを検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、TSTにおける無働時間(秒)を示す。(実施例2)
【
図3H】社会的敗北ストレスマウスにおけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を、ケタミン投与7日後(P7)にFSTを検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。図の縦軸は、FSTにおける無働時間(秒)を示す。(実施例2)
【
図3I】社会的敗北ストレスマウスの前頭皮質のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。また、mPFCは内側前頭前皮質(medial prefrontal cortex)を意味する。(実施例2)
【
図3J】社会的敗北ストレスマウスの海馬歯状回(Dentate Gyrus)のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。(実施例2)
【
図3K】社会的敗北ストレスマウスの海馬CA1領域のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。(実施例2)
【
図3L】社会的敗北ストレスマウスの海馬CA3領域のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。(実施例2)
【
図3M】社会的敗北ストレスマウスの側坐核(Nucleus accumbens)のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。(実施例2)
【
図3N】社会的敗北ストレスマウスの線条体(Striatum)のスパイン密度におけるR(-)-およびS(+)-ケタミンの効果を、ケタミン投与8日後に検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびS-KetはそれぞれR(-)-ケタミンおよびS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群、Salineは生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群、Controlは生理食塩水を投与した正常マウス群を示す。(実施例2)
【
図4】R(-)-およびS(+)-ケタミンの投与後の運動量の経時的変化を示す図である。図中、R-Ket、S-Ket、およびSalineはそれぞれR(-)-ケタミン、S(+)-ケタミン、および生理食塩水を投与した群である。図の縦軸は、自発運動(カウント/10分間)を示す。(実施例3)
【
図5A】R(-)-ケタミンの投与後のプレパルス抑制の変化を示す図である。図中、R-KetおよびSalineはそれぞれR(-)-ケタミンおよび生理食塩水を投与した群である。PP69、PP73、PP77、およびPP81は、20ミリ秒超の69、73、77、及び81dBの刺激を、110dBパルスの100ミリ秒前に提示したことを意味する。データの解析は、多変量分散分析法であるウィルクスのラムダにより実施した。(実施例3)
【
図5B】S(+)-ケタミンの投与後のプレパルス抑制の変化を示す図である。図中、S-KetおよびSalineはそれぞれS(+)-ケタミンおよび生理食塩水を投与した群である。PP69、PP73、PP77、およびPP81は、20ミリ秒超の69、73、77、及び81dBの刺激を、110dBパルスの100ミリ秒前に提示したことを意味する。データの解析は、多変量分散分析法であるウィルクスのラムダにより実施した。(実施例3)
【
図6A】R(-)-、S(+)-ケタミン、RS(±)-ケタミンの報酬効果を、条件付け場所嗜好性試験を用いて検討した試験計画を説明する図である。15分間の馴化(Habituation)を3日間行い、次いで4日目~10日目まで30分間の条件付けを行い、11日目に行動評価試験を行った。生理食塩水は5日目、7日目、および9日目に投与した。図中、R-Ket、S-Ket、およびRS-KetはそれぞれR(-)-、S(+)-ケタミン、およびRS(±)-ケタミンを投与した群意味し、いずれも4日目、6日目、および8日目の3回投与を実施した。Salineは生理食塩水を投与した群を意味し、5日目、7日目、および9日目の3回投与を実施した。(実施例3)
【
図6B】R(-)-ケタミンの報酬効果を、条件付け場所嗜好性試験を用いて検討した結果を示す図である。図中、R-KetおよびSalineは、それぞれR(-)-ケタミンおよび生理食塩水を投与した群である。図の縦軸は、条件付け場所嗜好性試験スコア(CPP scores)を示す。(実施例3)
【
図6C】S(+)-ケタミンの報酬効果を、条件付け場所嗜好性試験を用いて検討した結果を示す図である。図中、S-KetおよびSalineは、それぞれS(+)-ケタミンおよび生理食塩水を投与した群である。図の縦軸は、条件付け場所嗜好性試験スコア(実施例3)
【
図6D】RS(±)-ケタミンの報酬効果を、条件付け場所嗜好性試験を用いて検討した結果を示す図である。図中、RS-KetamineおよびSalineは、それぞれRS(±)-ケタミンおよび生理食塩水を投与した群である。図の縦軸は、条件付け場所嗜好性試験スコア(実施例3)
【発明を実施するための形態】
【0023】
本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩からなるうつ症状の予防および/または治療用薬剤に関する。また本発明は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩をうつ症状の軽減に有効な量を含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、うつ症状の予防および/または治療用医薬組成物に関する。用語「S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない」とは、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を全く含まないこと、あるいは、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩をその効果や副作用が発生しない程度の量で含んでいてもよいこと、あるいは、その製造上不可避的に混入した程度の不純物として含んでいてもよいことを意味する。
【0024】
本発明において、R(-)-ケタミンが即効性かつ長期持続性の抗うつ効果を有することを、うつ病の新規動物モデルを使用して証明した。この動物モデルは、本願発明者らが、新生仔期にDEX暴露したマウスでは、その幼若期および成体期でうつ様行動が認められることを見出したことに基づいて作成したものである(非特許文献18;実施例1参照)。本動物モデルは幼若期でもうつ様行動を示すことから、成人におけるうつ病のみならず、小児うつ病の動物モデルとして有用である。
【0025】
本発明ではさらに、R(-)-ケタミンが社会的敗北ストレスモデルにおいても抗うつ効果を有することを明らかにした。社会的敗北ストレスモデルは、世界中で使用されている代表的なうつ病の動物モデルである(非特許文献19)。
【0026】
R(-)-ケタミンは、単回投与により、上記新生仔期DEX暴露後の幼若マウスおよび社会的敗北ストレスモデルマウスにおいて、そのうつ様行動に対して即効性かつ長期持続的な抗うつ効果を示した(実施例1および実施例2参照)。一方、副作用の評価系である運動量亢進作用、プレパルス抑制障害、条件付け場所嗜好性試験を用いた依存性試験において、S(+)-ケタミンにより有意な変化が認められたが、R(-)-ケタミンではそのような副作用は認められなかった(実施例4、5、および6参照)。また、条件付け場所嗜好性試験において、RS(±)-ケタミンにより条件付け場所嗜好(CPP)スコアが増加し、依存の形成が認められた。さらに、R(-)-ケタミンは、NMDA受容体親和性がS(+)-ケタミンと比較して低く、精神病症状惹起作用などの副作用が少ないと考えられることから、S(+)-ケタミンやRS(±)-ケタミンと比較して有望で安全な抗うつ薬になり得る。
【0027】
R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩は、抗うつ剤として、気分の抑うつ、意欲の低下、不安およびそれらに伴う不眠、食欲不振などのうつ症状、自殺念慮の治療および/または予防に用いる薬剤として使用することができる。
【0028】
本発明に係る薬剤および医薬組成物は、うつ症状を示す疾患、例えばMDDや小児うつ病などのうつ病や、うつ症状とその対極の症状である躁症状とを繰り返す双極性障害に好ましく適用することができ、さらに小児うつ病および成人うつ病により好ましく適用することができる。また、ケタミンは治療抵抗性強迫性障害および治療抵抗性PTSDにも有効であることが報告されていること(非特許文献6、7、8)から、本発明に係る薬剤および医薬組成物は、強迫性障害およびPTSDに好ましく適用することができる。強迫性障害は、不安障害の一型で、その病態は、強迫観念と強迫行動に特徴づけられる疾患であるが、うつ病と関連していると考えられており、うつ病を併発して、強迫観念と強迫行動に加えてうつ症状を示す症例が極めて多い。PTSDの患者は、うつ症状を示す症例が多く、実際、SSRIなどの抗うつ薬が、PTSDの治療薬として使用されているが、治療効果が弱い。本発明の範囲には、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を強迫性障害およびPTSDの症状軽減に有効な量を含有し、S(+)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩を実質的に含まない、強迫性障害およびPTSDの予防および/または治療用医薬組成物が包含される。さらに、ケタミンによる自閉症スペクトラム障害の治療に関する報告があること(非特許文献10)から、本発明に係る薬剤および医薬組成物は、自閉症スペクトラム障害に好ましく適用することができる。また、 高齢者のうつ病がアルツハイマー病や脳血管性痴呆などの認知症の危険因子であることが報告されていること(非特許文献1)から、認知症の予防薬・治療薬としても有用である。
【0029】
本発明に係る薬剤および医薬組成物は、経口的または非経口的に投与することができる。経口投与には、錠剤、カプセル、コーティング錠、トローチ、溶液または懸濁液などの液剤といった既知の投与用剤形を用いることができる。また、非経口投与は、注射による静脈内、筋肉内、または皮下への投与、スプレーやエアロゾルなどを用いた経鼻腔や口腔などの経粘膜投与、坐剤などを用いた直腸投与、パッチやリニメントやゲルなどを用いた経皮投与などを挙げることができる。好ましくは経口投与、経鼻腔投与、または注射による静脈内投与を挙げることができる。
【0030】
R(-)-ケタミンは遊離塩基、またはその薬学的に許容し得る塩の両方の形態で用いることができる。薬学的に許容し得る塩としては、薬学的に許容し得る酸の付加塩が好ましく、より好ましくは塩酸塩である。
【0031】
R(-)-ケタミン塩酸塩の化学構造式を下式(I)に示す。
【0032】
【0033】
R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩は、その改変、例えば置換基の塩素分子の他のハロゲン分子への置換および/またはメチル基である置換基の他のアルキル基への置換を行うことで、誘導体を製造することができ、より好ましい作用を有する化合物が得られる可能性がある。
【0034】
さらに、上記本発明に係る化合物に、同位元素標識を、例えば安定性同位体である13Cや2H(D)により行うことで、本化合物の生体内動態や脳内のNMDA受容体への定量的親和性測定などが実施できる。
【0035】
本発明に係る医薬組成物は、R(-)-ケタミンまたはその薬理学的に許容される塩に加え、うつ症状に効果のある他の薬効成分であって、S(+)-ケタミン以外の成分を含有していてもよい。また、これら薬効成分の他に、適宜、投与形態などに応じて、当業者によく知られた適切な薬学的に許容される担体を含有していてもよい。薬学的に許容される担体としては、抗酸化剤、安定剤、防腐剤、矯味剤、着色料、溶解剤、可溶化剤、界面活性剤、乳化剤、消泡剤、粘度調整剤、ゲル化剤、吸収促進剤、分散剤、賦形剤、およびpH調整剤などを例示できる。
【0036】
本発明に係る薬剤および医薬組成物を注射用製剤として調製する場合は、溶液剤または懸濁剤の製剤の形態が好ましく、経鼻腔や口腔などの経粘膜投与用の場合は、粉末、滴剤、またはエアロゾル剤の製剤の形態が好ましい。また、直腸投与用の場合は、クリ-ムまたは坐薬のような半固形剤の製剤の形態が好ましい。これらの製剤はいずれも、例えばレミントンの製薬科学(マック・パブリッシング・カンパニー、イーストン、PA、1970年)に記載されているような製薬技術上当業者に知られているいずれかの方法によって調製することができる。注射用製剤は担体として、例えば、アルブミンなどの血漿由来タンパク、グリシンなどのアミノ酸、およびマンニトールなどの糖を加えることができ、さらに緩衝剤、溶解補助剤、および等張剤などを添加することもできる。また、水溶製剤または凍結乾燥製剤として使用する場合、凝集を防ぐためにTween(登録商標)80、Tween(登録商標)20などの界面活性剤を添加するのが好ましい。さらに、注射用製剤以外の非経口投与剤形は、蒸留水または生理食塩液、ポリエチレングリコ-ルのようなポリアルキレングリコ-ル、植物起源の油、および水素化したナフタレンなどを含有してもよい。例えば、坐薬のような直腸投与用の製剤は、一般的な賦形剤として、例えば、ポリアルキレングリコ-ル、ワセリン、およびカカオ油脂などを含有する。膣用製剤では、胆汁塩、エチレンジアミン塩、およびクエン酸塩などの吸収促進剤を含有してもよい。吸入用製剤は固体でもよく、賦形剤として、例えば、ラクト-スを含有してもよく、さらに、経鼻腔滴剤は水または油溶液であってもよい。
【0037】
本発明に係る薬剤および医薬組成物の正確な投与量および投与計画は、個々の治療対象毎の所要量、治療方法、疾病または必要性の程度などに依存して調整できる。投与量は、具体的には年齢、体重、一般的健康状態、性別、食事、投与時間、投与方法、排泄速度、薬物の組合せ、および患者の病状などに応じて決めることができ、さらに、その他の要因を考慮して決定してもよい。本発明に係る医薬組成物を、うつ病、双極性障害、強迫性障害などの、うつ症状を示す疾患に投与する場合は、該医薬組成物中に含まれる有効成分は、うつ病、双極性障害、強迫性障害などの各疾患の症状、好ましくは各疾患のうつ症状の軽減に有効な量を含有することが好ましい。R(-)-ケタミン、またはその薬学的に許容しうる塩は、S(+)-ケタミンやRS(±)-ケタミンに認められる副作用が少ないため、安全に使用することができ、その1日の投与量は、患者の状態や体重、化合物の種類、投与経路などによって異なるが、例えば、有効成分量として、非経口投与の場合は、約0.01~1000mg/人/日、好ましくは0.1~500mg/人/日で投与され、また、経口の場合は約0.01~500mg/人/日、好ましくは0.1~100mg/人/日で投与されることが望ましい。
【0038】
以下、実施例にて、本発明をさらに具体的に説明するが、本発明はこの実施例に限定されない。また、本発明の技術的思想を逸脱しない範囲で種々の変更が可能である。
【実施例0039】
うつ病の新規動物モデル(非特許文献18)を使用し、該モデル動物のうつ様行動に対する、R(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を検討した。全ての試験は千葉大学動物実験委員会の許諾の下に実施した。
【0040】
1.材料および方法
R(-)-およびS(+)-ケタミン塩酸塩は、RS(±)-ケタミン(Ketalar
(登録商標)、ケタミン塩酸塩、第一三共株式会社、東京、日本)から、D(-)-およびL(+)-酒石酸をそれぞれ使用して、既報(特許文献2)に記載の方法で調製した(
図1)。これら異性体の純度は、高速液体クロマトグラフィー(CHIRALPAK
(登録商標) IA、カラムサイズ:250×4.6mm、移動相;n-ヘキサン/ジクロロメタン/ジエチルアミン(75/25/0.1)、S(+)-ケタミンの保持時間=6.99分、R(-)-ケタミンの保持時間=10.56分、株式会社ダイセル、東京、日本)により確認した。
【0041】
うつ病の新規動物モデルは、マウスの新生仔期にデキサメタゾン(以下、DEXと略称する)を暴露することにより作成した。新生仔期のDEX暴露により、幼若期および成体期のいずれのマウスでもうつ様行動が観察され、このことから、このマウスがうつ病の新規動物モデルとなり得ることが示唆された。本モデルマウスは、本願発明者およびその協力者が作成したもので、ごく最近、報告を行っている(非特許文献18)。具体的には、新生仔期DEX暴露幼若マウス、および、新生仔期DEX暴露成体マウスは、正常マウスと比較して、新奇物体認識試験(Novel Object Recognition test)で新奇物体を探索する時間の有意な減少を示し、このことから社会学習性の低下が示唆された。また、ソーシャル メモリー テストでは、刺激対象を追跡する時間の有意な減少を示し、このことから、社会認識能力の低下が示唆された。オープンフィールドテストでは、フィールド中央で過ごす時間が有意に減少し、このことから、自発活動性の低下が示唆された。明暗箱テストでは、白色箱で過ごす時間が有意に減少し、このことから、不安様行動が惹起されたことが示唆された。尾懸垂試験(tail suspension test;TST)および強制水泳試験(forced swimming test;FST)では、いずれでも無動時間の増加が認められたことから、抑うつ様行動が惹起されたことが示唆された。一方、自発運動試験(locomotion test;LMT)では、DEX暴露マウスと正常マウスとの間で自発運動量に差異はなかった。さらに、新生仔期DEX暴露後のマウス脳内ではアミノ酸レベル(例えば、グルタミン酸、グルタミン、グリシン、D-セリン、L-セリン)に変化が認められた(非特許文献18)。これらアミノ酸がNMDA受容体を介する神経伝達に関連することが知られていることから、新生仔期DEX暴露後のNMDA受容体を介したグルタミン酸伝達の変化が、幼若期および成体期におけるうつ様行動に関与している可能性があると考えられる(非特許文献18)。
【0042】
上記うつ病モデル動物の作成、および薬剤の投与は、具体的には次に記載するように実施した(
図2A)。マウスは、雄性および雌性のICRマウス(9週齢、日本SLC株式会社、浜松、日本)を使用した。マウスには水および飼料を自由に摂取させた。繁殖は、3匹または4匹のメスと1匹のオスとを14日間同居させることにより行った。この期間の最終日にメスを隔離し、出産予定日のあたりで毎日チェックを行った。誕生の日を第0日とし、生理食塩水に溶解したDEX(和光純薬株式会社、東京、日本)を、第1日目、第2日目、および第3日目に、それぞれ0.5mg/kg体重、0.3mg/kg体重、および0.1mg/kg体重の用量で腹腔内投与した。また、正常対照には、同容量(10ml/kg)の生理食塩水を投与した。誕生から第36日目に、雄性幼若マウスに、10mg/kg体重の用量のR(-)-またはS(+)-ケタミン、あるいは媒体(生理食塩水10ml/kg)を腹腔内投与した。
【0043】
薬剤の抗うつ効果の検討は、TST、FST、LMT、および1%ショ糖嗜好性試験(1% sucrose preference test;SPT)などの行動試験により、いずれもマウスの幼若期で実施した(
図2A)。TSTおよびFSTはいずれも、ケタミン投与の翌日(それぞれ27時間後および29時間後)並びに7日後の2回実施し、LMTおよびSPTはそれぞれ、ケタミン投与の翌日および2日後に実施した。TSTは次のように行った。まず、マウスをケージから取り出し、そしてその尾の先端からおよそ2cmの部分に接着テープの小片を貼り付けた。該小片に小さい穴を開け、マウスをそれぞれフックに吊り下げた。各マウスの無動時間を10分間記録した。マウスが無抵抗かつ完全静止であるときのみを無動であると判断した。うつ状態では無動時間が増加する。FSTは次のように行った。まず、シリンダー(径:23cm、高さ:31cm)に水を15cmまで満たして23±1℃に維持し、各シリンダーにそれぞれマウスを入れた。マウスは、自動強制水泳装置(automated forced-swimming apparatus)中で、SCANET MV-40(有限会社メルクエスト、富山、日本)を使用して試験した。無動時間は、合計時間から活性時間を減じた値として、該装置の解析ソフトウエアを使用して算出した。累積無動時間は、試験期間中、6分間にわたって記録を取った。LMTは次のように行った。まず、マウスを実験ケージ(長さ×横幅×高さ:560×560×330mm)に入れた。マウスの自発運動活性をSCANETMV-40により計数し、累積運動を60分間記録した。ケージは試験と次の試験の間に洗浄した。うつ状態では無動時間が増加する。SPTは、通常の飲料水と1%ショ糖溶液とを用意して自由に摂取させ、ショ糖溶液の消費量の割合を測定することにより実施した。うつ状態では報酬反応であるショ糖溶液の消費が低減する。
【0044】
統計分析は、一元配置分散分析(one-way ANOVA)およびそれに続いて最小有意差検定(LSD test)を行うことにより実施した。データは、平均±標準誤差(n=8-12マウス/群)で表す。*p<0.05、**p<0.01、***p<0.001は生理食塩水を投与したDEX処理マウス群と比較した有意差、#p<0.05、##p<0.01はS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウス群と比較した有意差を示す。
【0045】
2.結果
新生仔期にDEX暴露したマウスでは、正常マウスと比較して、TSTおよびFSTにおける無動時間に有意な増加が認められ、また、SPTにおいてショ糖消費嗜好性の低下が認められた。一方、LMTでは、DEX処理マウスと正常マウスの間で自発運動量に差異はなかった。
【0046】
両ケタミン異性体の投与の翌日に行ったLMTでは、正常マウス、生理食塩水を投与したDEX処理マウス、R(-)-またはS(+)-ケタミンを投与したDEX処理マウスの間で、自発運動量に差異はなかった(
図2B)。
【0047】
両ケタミン異性体の投与の翌日に行ったTSTおよびFSTにおいて、生理食塩水を投与したDEX処理マウスでは正常マウスと比較して無動時間の有意な増加が認められた。両ケタミン異性体はいずれも、それらの投与後27時間または29時間のDEX処理マウスにおいて増加した無動時間を著しく低下させた(
図2Cおよび2D)。R(-)-ケタミンは、S(+)-ケタミンと比較して、有意差は認められなかったものの、少し高い抗うつ効果を示した。
【0048】
両ケタミン異性体の投与の2日後に行ったSPTにおいて、生理食塩水を投与したDEX処理マウスでは正常マウスと比較してショ糖消費嗜好性の低下が認められた。ケタミンの両異性体は、それらの投与後48時間のDEX処理マウスで、低下したショ糖消費嗜好性を有意に回復させた(
図2E)。
【0049】
両ケタミン異性体の投与の7日後に行ったTSTおよびFSTにおいて、生理食塩水を投与したDEX処理マウスでは正常マウスと比較して無動時間の有意な増加が認められた。また、R(-)-ケタミンは、DEX処理マウスにおいて増加した無動時間を有意に低下させたが、S(+)-ケタミンは低下させなかった。R(-)-ケタミンとS(+)-ケタミンとのこの相違には統計的有意差が認められた(
図2Fおよび2G)。
【0050】
上記結果から、10mg/kg用量のR(-)-およびS(+)-ケタミンが、新生仔期DEX暴露(第1-3日目)後の幼若期のマウスにおいて、抗うつ効果を示すことが明らかになった。TSTおよびFSTでは、ケタミン両異性体の抗うつ効果は単回投与の27-29時間後に認められた。注目すべきことに、TSTおよびFSTでは、R(-)-ケタミンの抗うつ効果が、単回投与7日後にも検出できたが、S(+)-ケタミンではできなかったことである。この結果は、R(-)-ケタミンがS(+)-異性体よりも、より長期持続性の抗うつ効果を有することを示すものである。ケタミンの両異性体は体内でのクリアランスが速いことが知られている。R(-)-ケタミンは、その単回投与7日後には体内に存在しないと考えられるにも関わらず、抗うつ効果が認められた。このことからケタミンの両異性体の投与7日後における効果の相違が、薬理動態の相違に起因するものではないと考える。
うつ病の社会的敗北ストレスモデル(非特許文献19)を使用し、該モデル動物のうつ様行動に対する、R(-)-およびS(+)-ケタミンの抗うつ効果を検討した。全ての試験は千葉大学動物実験委員会の許諾の下に実施した。
うつ病の社会的敗北ストレスモデルは、既報(非特許文献19)に従い、C57/B6雄性マウスをICR雄性マウス(体の大きい攻撃的なマウス)と10日間連続で接触させて「社会的敗北ストレス」と呼ばれるストレスを与えることにより作成した。社会的敗北ストレスを受けたマウスは、うつ様行動が観察された。具体的には、尾懸垂試験(tail suspension test;TST)および強制水泳試験(forced swimming test;FST)では、いずれでも無動時間の増加が認められた。また1%ショ糖嗜好性試験ではショ糖水を飲む割合が有意に低下したことから、抑うつ様行動が惹起されたことが示唆された。一方、自発運動試験(locomotion test;LMT)では、社会的敗北ストレスマウスと正常マウスとの間で自発運動量に差異はなかった。
社会的敗北ストレスモデルの結果の統計分析は、一元配置分散分析(one-way ANOVA)およびそれに続いて最小有意差検定(LSD test)を行うことにより実施した。データは、平均±標準誤差(n=8-11マウス/群)で表す。*p<0.05、**p<0.01、***p<0.001は生理食塩水を投与した社会的敗北ストレスマウス群と比較した有意差、#p<0.05はS(+)-ケタミンを投与した社会的敗北ストレスマウス群と比較した有意差を示す。
上記結果から、10mg/kg用量のR(-)-およびS(+)-ケタミンが、社会的敗北ストレスマウスにおいて、抗うつ効果を示すことが明らかになった。注目すべきことに、SPT、TSTおよびFSTでは、R(-)-ケタミンの抗うつ効果が、S(+)-ケタミンの効果と比べて有意に強かった。この結果は、実施例1に示した結果と同様に、R(-)-ケタミンがS(+)-異性体よりも、より長期持続性の抗うつ効果を有することを示すものである。ケタミンの両異性体は体内でのクリアランスが速いことが知られている。R(-)-ケタミンは、その単回投与7日後には体内に存在しないと考えられるにも関わらず、抗うつ効果が認められた。このことからケタミンの両異性体の投与7日後における効果の相違が、薬理動態の相違に起因するものではないと考える。