(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024009485
(43)【公開日】2024-01-23
(54)【発明の名称】ステンレス鋼の耐食性向上処理方法
(51)【国際特許分類】
B23K 26/36 20140101AFI20240116BHJP
【FI】
B23K26/36
【審査請求】有
【請求項の数】7
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022111041
(22)【出願日】2022-07-11
(11)【特許番号】
(45)【特許公報発行日】2023-03-22
(71)【出願人】
【識別番号】000203977
【氏名又は名称】日鉄テックスエンジ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100067736
【弁理士】
【氏名又は名称】小池 晃
(74)【代理人】
【識別番号】100192212
【弁理士】
【氏名又は名称】河野 貴明
(74)【代理人】
【識別番号】100200001
【弁理士】
【氏名又は名称】北原 明彦
(72)【発明者】
【氏名】藤井 茂登
(72)【発明者】
【氏名】春名 俊宏
(72)【発明者】
【氏名】一ノ瀬 浩
【テーマコード(参考)】
4E168
【Fターム(参考)】
4E168AD18
4E168CB04
4E168DA28
4E168DA40
4E168DA45
4E168EA15
4E168EA16
4E168JA02
(57)【要約】
【課題】 レーザー表面溶融処理により優れた耐食性を発揮するステンレス鋼を安全に低コストで得ることができるようにする。
【解決手段】 ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去するパルスレーザー照射工程において、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成する。
【選択図】 なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去するパルスレーザー照射工程を有し、
上記パルスレーザー照射工程において、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することを特徴とするステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項2】
上記改質対象物の表面に照射するパルスレーザーのパルス幅は10~500nsであり、上記パルスレーザーの照射エネルギー密度は10~2000J/cm2であることを特徴とする請求項1記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項3】
上記改質対象物の表面に照射するパルスレーザーのパルス幅は50~400nsであり、上記パルスレーザーの照射エネルギー密度は20~800J/cm2であることを特徴とする請求項1記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項4】
上記パルスレーザーの照射域は、直径0.05~0.3mmであることを特徴とする請求項2又は請求項3に記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項5】
上記パルスレーザーの照射域をオーバーラップさせるように、上記パルスレーザーの照射域を移動させることを特徴とする請求項4記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項6】
上記改質対象物は、オーステナイト系ステンレス鋼であることを特徴とする請求項4記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項7】
上記ステンレス鋼からなる改質対象物の局部腐食を生じ得る部位の表面に大気中においてパルスレーザーを照射することにより、上記表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することを特徴とする請求項4記載のステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
【請求項8】
ステンレス鋼からなる基部と、
大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより上記基部の表面の孔食開始点が除去された表面改質部と
を備えることを特徴とする高耐食性ステンレス鋼。
【請求項9】
上記表面改質部は、上記大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより再生された不動態被膜を有することを特徴とする請求項8記載の高耐食性ステンレス鋼。
【請求項10】
上記基部は、オーステナイト系ステンレス鋼であることを特徴とする請求項8又は請求項9に記載の高耐食性ステンレス鋼。
【請求項11】
上記表面改質部は、少なくとも局部腐食を生じ得る部位に形成されていることを特徴とする請求項10に記載の高耐食性ステンレス鋼。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、レーザー照射により表面改質して耐食性向上を図るステンレス鋼の耐食性向上処理方法及び高耐食性ステンレス鋼に関する。
【背景技術】
【0002】
長期的に安定した耐食性が要求される部材には、表面に不動態皮膜(酸化クロム皮膜)を形成するステンレス鋼が用いられることが多い。ステンレス鋼も多種多様であるが、加工性や強度等にも優れるオーステナイト系ステンレス鋼が一般的には多用されている。
【0003】
ところが、このような汎用的な(または低級な)ステンレス鋼(例えば、SUS304等)は、例えば、塩化物イオン濃度が高い場合や高温の溶液などの過酷な腐食条件下では、意図しない高い腐食速度での減肉、孔食、すき間腐食、応力腐食割れ、粒界腐食などの局部腐食を発生し易い。
【0004】
このような局部腐食を低減するためには、Ni、Cr、Moなどの希少元素を、鋼に多量に添加することが有効であり、特定の元素(オーステナイト相安定化元素等)を添加したり、それらの含有量を増加させて、耐食性を改善したステンレス鋼もある。例えば、Niを増量したオーステナイト系ステンレス鋼(例えば、SUS316)やNiおよびCrを増量するとともにMoなどを添加したスーパーステンレス鋼などである。
【0005】
しかし、Ni、Cr、Moなどの希少金属を比較的多量に添加した鋼材は、原料および製造コストが高いという本質的な問題をかかえている。さらに、資源確保の観点から、鋼材を大量に安定して供給することが難しい場合も想定される。
【0006】
また、従来より、レーザー表面溶融処理として、レーザーを用いたステンレス鋼の表面改質が研究されている。レーザー表面改質には、レーザー変態硬化、レーザー合金化、レーザークラッディングなど、多くの方法があり、溶融後急冷によるマッシブ凝固すなわち固液間で元素の配分を生じない凝固により、組織の均質化やCr炭化物の固溶化、組織の微細化などが挙げられる。これらは,表面硬度の向上,耐摩耗性の向上,耐食性の向上などを目的として行われ、連続発振レーザーを用いたレーザー表面溶融処理では、アルゴンや窒素等がシールドガスに使用されていた。
【0007】
例えば、高価な元素の含有量を抑制し、強力なオーステナイト相安定化元素の一つであるNを高濃度に固溶させることにより耐食性を高めた高窒素オーステナイト系ステンレス鋼が提案されている(例えば、特許文献1、2参照)。
【0008】
また、例えば、オーステナイト系ステンレス鋼溶接部では、その溶接熱影響部においてCr炭化物の粒界析出が生じ、鋭敏化と呼ばれる現象が発生する。鋭敏化による粒界近傍のCr欠乏層の形成に起因する応力腐食割れを防止するために表面改質によって腐食に関係する部材の表面部のみを脱鋭敏化する方法がとられており、高エネルギービームを照射することによって部材表面の鋭敏化部を溶体化温度以上に加熱し、脱鋭敏化を図る方法が提案されている(例えば、特許文献3、4参照)。
【0009】
また、水門をはじめ、ステンレス製品の溶接焼け除去やメンテナンスでの錆や汚れの除去には、従来、毒劇物に該当する硝弗酸による酸洗処理、電解研磨処理、グラインダー等の機械的処理が行われている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】特許第5924297号公報
【特許文献2】特開2007-238969号公報
【特許文献3】特開平05-125432号公報
【特許文献4】特許第2657437号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
特許文献1の開示技術では、窒素ガスおよび不活性ガスの混合雰囲気中で、処理を行う必要があり、設備コストが高くなる。また、窒素ガスおよび不活性ガスを使うため、ランニングコストが高くなり、製造コストが高くなるという問題点がある。
【0012】
また、特許文献2の開示技術では、窒化処理ガスとして、アンモニアガスを用いるため、厳重な漏れ対策のある設備が必要であり、設備コストが高騰し製造コストが高くなる。また、劇物であり、毒性があるアンモニアガスが漏れた場合、安全に対するリスクも高いという問題点がある。
【0013】
また、特許文献3の開示技術は、ステンレス鋼の溶接部が対象であるが、同様に窒素ガスや不活性ガスの混合雰囲気中で処理を行うため、製造コストが高くなるという問題点がある。
【0014】
また、特許文献4の開示技術は、オーステナイト系ステンレス鋼からなる構造物表面に照射エネルギー密度が1.0J/mm~100J/mmのレーザー光を照射することにより、平均セル間隔が0.1~3.0μmの範囲にあるセル組織を持つ溶解凝固層を形成するもので、パルスレーザーを用いてレーザー表面溶融処理を行うものであるが、沸騰水型原子炉の炉内構造物のオーステナイト系ステンレス鋼溶接部の腐食環境下における鋭敏化による粒界近傍のCr欠乏層の形成に起因する応力腐食割れ防止を目的とし、上記オーステナイト系ステンレス鋼溶接部の内部組織のCr炭化物を溶融させて微細化することにより、内部組織を改質するものであって、ステンレス鋼表面の孔食性を向上させるものではない。
【0015】
また、ステンレス製品の溶接焼け除去やメンテナンスでの錆や汚れを除去する硝弗酸による酸洗処理では、化学反応で発生するNOx(窒素酸化物)の臭気等環境面での問題や、毒劇物に伴い、廃液処理を厳格に順守する必要がある。また、有害物であるため、処理費は高いという問題点がある。
【0016】
さらに、電解研磨処理では、処理液は有害ではないが高価であり、トータルの処理コストは、酸洗処理と同等レベルとなる。
【0017】
これら二つの方法は、不動態皮膜の再生による腐食性の向上効果はあるが、内部の元素分布や組成にまで変化を及ぼす手法ではなく、また、処理時間は、0.5~1時間/m2程度で、時間がかかるという問題点がある。
【0018】
さらに、グラインダー等の機械的処理は、人手による作業であり、日当たりの処理面積に限りがあり、また、錆や汚れの除去はできるものの不動態皮膜の再生はなく、腐食性は向上しない。
【0019】
そこで、本発明の目的は、上述の如き従来の実情に鑑み、パルスレーザーの照射による表面改質処理を行い、優れた耐食性を発揮するステンレス鋼を安全に低コストで得ることができるようにすることにある。
【0020】
また、本発明の目的は、レーザー使用場所に大きな制約を受けることなく、ステンレス鋼の耐食性向上処理を行うことができるようにすることにある。
【0021】
すなわち、本発明の目的は、レーザー照射によるステンレス鋼の耐食性向上処理方法を提供することにある。
【0022】
さらに、溶接部に対しても有効なステンレス鋼の耐食性向上処理方法を提供することにある。
【0023】
また、本発明の他の目的は、レーザー照射によりステンレス鋼の表面改質を行い、耐食性向上を図った高耐食性ステンレス鋼を提供することにある。
【0024】
本発明の他の目的、本発明によって得られる具体的な利点は、以下に説明される実施の形態の説明から一層明らかにされる。
【課題を解決するための手段】
【0025】
本発明では、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成する。
【0026】
すなわち、本発明は、ステンレス鋼の耐食性向上処理方法であって、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去するパルスレーザー照射工程を有し、上記パルスレーザー照射工程において、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することを特徴とする。
【0027】
本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法において、上記改質対象物の表面に照射するパルスレーザーのパルス幅は10~500nsであり、上記パルスレーザーの照射エネルギー密度は10~2000J/cm2であるものとすることができる。
【0028】
また、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法において、上記改質対象物の表面に照射するパルスレーザーのパルス幅は50~400nsであり、上記パルスレーザーの照射エネルギー密度は20~800J/cm2であるものとすることができる。
【0029】
また、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法において、上記パルスレーザーの照射域は、直径0.05~0.3mmであるものとすることができる。
【0030】
また、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法は、上記パルスレーザーの照射域をオーバーラップさせるように、上記パルスレーザーの照射域を移動させるものとすることができる。
【0031】
また、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法において、上記改質対象物は、オーステナイト系ステンレス鋼であるものとすることができる。
【0032】
さらに、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法は、上記ステンレス鋼からなる改質対象物の局部腐食を生じ得る部位の表面に大気中においてパルスレーザーを照射することにより、上記表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成するものとすることができる。
【0033】
本発明は、高耐食性ステンレス鋼であって、ステンレス鋼からなる基部と、大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより上記基部の表面の孔食開始点が除去された表面改質部とを備えることを特徴とする。
【0034】
本発明に係る高耐食性ステンレス鋼において、上記表面改質部は、上記大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより再生された不動態被膜を有するものとすることができる。
【0035】
また、本発明に係る高耐食性ステンレス鋼において、上記基部は、オーステナイト系ステンレス鋼であるものとすることができる。
【0036】
さらに、本発明に係る高耐食性ステンレス鋼において、上記表面改質部は、少なくとも局部腐食を生じ得る部位に形成されているものとすることができる。
【発明の効果】
【0037】
本発明では、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することができる。
【0038】
また、上記表面改質部は、上記大気中における短パルス幅のパルスレーザーの照射によるアブレーションにより再生された不動態被膜を有するものとすることができる。上記アブレーションにより再生された不動態被膜は、アブレーション前の不動態被膜よりも厚くなり、上記不動態皮膜の厚み増により、孔食電位が上昇し、耐食性が向上する。
【0039】
本発明によれば、従来シールドガスや雰囲気ガス中で行われていたレーザーによる表面改質が、それらの設備やガスの存在なしに行うことができるレーザー照射によるステンレス鋼の耐食性向上処理方法を提供することができる。
【0040】
さらに、本発明によれば、ステンレス鋼からなる改質対象物の局部腐食を生じ得る部位の表面に大気中においてパルスレーザーを照射することにより、上記表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することができ、ステンレス鋼の溶接部に対しても有効なステンレス鋼の耐食性向上処理方法を提供することができる。
【0041】
したがって、本発明によれば、従来シールドガスや雰囲気ガス中で行われていたレーザーによる表面改質が、それらの設備やガスの存在なしに行え、レーザー照射によりステンレス鋼の表面改質を行い、優れた耐食性を発揮する高耐食性ステンレス鋼を安全に且つ低コストで提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0042】
【
図1】本発明を実施するためのパルスレーザー照射装置の構成例を示す模式図である。
【
図2】上記パルスレーザー照射装置おけるパルスレーザーの照射位置の移動速度の説明に供する図であり、(A)は1パルス当たりの移動距離d
mをスポット径d
p分とした移動速度の場合を示し、(B)は1パルス当たりの移動距離d
mをスポット径d
pの(1/√2)倍とした移動速度の場合を示している。
【
図3】上記パルスレーザー照射装置におけるレーザーヘッド部に備えられる2軸のガルバノミラー機構の構造を模式的に示す斜視図である。
【
図4】試料No.1のアノード分極曲線を示す図である。
【
図5】試料No.2のアノード分極曲線を示す図である。
【
図6】試料No.3のアノード分極曲線を示す図である。
【
図7】試料No.4のアノード分極曲線を示す図である。
【
図8】透過型電子顕微鏡(TEM)による試料No.1の最表面の観察結果と分析結果の概要を示す図である。
【
図9】試料No.1の最表面についてEDS(エネルギー分散型X線分光法)分析及びX線回折分析を行った箇所a~mを示す図である。
【
図10】透過型電子顕微鏡(TEM)による試料No.2の最表面の観察結果と分析結果の概要を示す図である。
【
図11】試料No.2の基材内部について、EDS(エネルギー分散型X線分光法)分析及びX線回折分析を行った分析箇所a~eを示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0043】
以下、本発明の実施の形態について、詳細に説明する。また、本発明は以下の例に限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲で、任意に変更可能であることは言うまでもない。なお、ステンレス鋼の耐食性向上処理方法に関する構成要素は、プロダクトバイプロセスとして理解すれば高耐食性ステンレス鋼に関する構成要素ともなり得る。
【0044】
本発明は、ステンレス鋼の耐食性向上処理方法であり、ここでいう「耐食性向上処理」とは、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に高エネルギービームを照射してアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することである。
【0045】
本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法により耐食性向上処理を施す処理対象物としては、緻密で耐食性に優れる酸化皮膜(不動態皮膜)を形成するステンレス鋼が好ましく、特に加工性等にも優れるオーステナイト系ステンレス鋼、オーステナイト・フェライト二相系ステンレス鋼が好ましく、高価な元素であるCr、Ni、Mo等の含有量が比較的少ない安価で汎用的なステンレス鋼(例えば、SUS304)が好適である。
【0046】
ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に、アブレーションを発生させるには、アブレーションの閾値を超える高いエネルギー密度をもつ高エネルギービームを、照射する必要があり、本発明では、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に照射する高エネルギービームとして短パルス幅のパルスレーザーを用いる。具体的には、入手可能なレーザー照射機において、設定可能なパルス幅の範囲を考慮すると、パルスレーザーのパルス幅は、例えば、10ns~500nsさらには50ns~400nsであると好ましい。また、短パルス幅のパルスレーザーの照射実験により、100ns、28J/cm2(1回照射)~625J/cm2(10回照射)で、耐食性の向上効果が確認されており、パルスレーザーの照射エネルギー密度は、10J/cm2~2000J/cm2さらには20J/cm2~800J/cm2であると好ましい。
【0047】
そして、本発明では、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中で短パルス幅のパルスレーザーを照射することにより、瞬時に高エネルギーを付与し、アブレーションを発生させ、溶融・超急冷効果により改質対象物の表面改質を行う。
【0048】
なお、レーザーの種類は、エネルギー効率が高く、発振器のメンテナンスが簡単でコストが抑えられるファイバーレーザーでよい。
【0049】
本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法は、例えば
図1に示すように、短パルス幅のパルスレーザーLpを出射するレーザー光源10と、このレーザー光源10から出射された短パルス幅のパルスレーザーを改質対象物であるステンレス鋼10の表面に照射するとともにその照射域を移動させるレーザーヘッド部20からなるパルスレーザー照射装置100により、実施される。
【0050】
このパルスレーザー照射装置100は、レーザー光源10が出射するパルスレーザーの発振周波数、改質対象物であるステンレス鋼1の表面の処理対象領域に対する相対移動速度(走査速度)、改質対象物であるステンレス鋼1の最表面における照射域の大きさ(スポット径)等を可変設定することができる。改質対象物であるステンレス鋼1の表面の処理対象領域に照射するパルスレーザーLpのスポット径dpは、レーザー照射距離によって可変にすることができ、上記処理対象領域に照射するパルスレーザーLpをデフォーカスさせることによりスポット径dpを最適値に可変設定することができる。
【0051】
上記パルスレーザー照射装置100としては、例えば、後述する実施例に採用したファイバーレーザーCLX-100(PCL株式会社製)などを用いることができる。
【0052】
上記パルスレーザー照射装置100は、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法におけるパルスレーザー照射工程、すなわち、ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーLpを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去する処理を行う。
【0053】
上記パルスレーザー照射工程では、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成する。
【0054】
上記パルスレーザー照射工程は、所望する改質対象物の形態に応じて、高エネルギービームとして照射域の直径dpが0.05~0.3mmのパルスレーザーを照射しつつ、その照射域を移動させる工程である。
【0055】
高エネルギービームとしてパルスレーザーを用いる場合、隣接して発振する各パルス光の照射域を部分的にオーバーラップさせると、レーザー照射されない隙間がなくなり、連続した表面改質部が安定的に形成され易くなる。パルス光の照射域をオーバーラップさせる割合は、パルスレーザーの発振周波数、被処理部に対する相対移動速度(走査速度)、被処理部の最表面における照射域の大きさ(スポット径)等により調整される。
【0056】
図2は、上記パルスレーザー照射装置100によるパルスレーザーの照射位置の移動速度の説明に供する図であり、(A)は1パルス当たりの移動距離d
mをスポット径d
p分とした移動速度の場合を示し、(B)は1パルス当たりの移動距離d
mをスポット径d
pの(1/√2)倍とした移動速度の場合を示している。
【0057】
例えば、ステンレス鋼の耐食性向上処理に必要なレーザー密度を決定する照射域LSの直径(スポット径)d
pをレーザー照射距離に基づいて設定して、
図2の(A)に示すように、1パルス当たりの移動距離d
mをd
m=d
pすなわちスポット径d
p分移動させる移動速度とすることにより、照射するパルスの重なりもなく、かつ未照射部位を最小にできることから効率的なレーザー照射が可能である。
【0058】
また、
図2の(B)に示すように、1パルス当たりの移動距離d
mをd
m=d
p/√2すなわち照射域LSの直径(スポット径)d
pの(1/√2)倍として一部重なりを許容する移動速度とすることにより、未照射部分および重なり部分の両方を最小にすることができる。
【0059】
したがって、上記パルスレーザーの照射域LSの直径をdpとして、1パルス当たりの移動距離dmをdp×(1/√2)以下とした移動速度で上記パルスレーザーの照射域を移動させることにより、レーザー照射されない隙間がなく、オーバーラップさせることができ、連続した表面改質部の領域が安定的に形成され易くなる。
【0060】
すなわち、短パルス幅のパルスレーザーの照射実験により、100ns、28J/cm2(1回照射)~625J/cm2(10回照射)で、耐食性の向上効果が確認されており、1パルス当たりの移動距離dmをdm=dp/√2とした1回のレーザーパルス照射でも、耐食性向上効果があるが、2回以上のレーザーパルス照射で上記パルスレーザーの照射域LSをオーバーラップさせることにより、連続した表面改質部の領域を安定的に形成することができる。
【0061】
上記パルスレーザーの発振周波数は、例えば、1~500kHzさらには10~200kHzであると好ましい。発振周波数が過小では走査速度も低くせざるを得ず、処理の効率化を図れない。発振周波数が過大になると、一般的にレーザーエネルギー密度が低下し、均質的な表面改質部の形成が困難となる。
【0062】
ここで、上記レーザー照射装置10のレーザーヘッド部20には、レーザー光を偏向させる手段として、例えば
図3に示すように、2つのモータ21X、21Yと2つのミラー22X、22Yからなる2軸のガルバノミラー機構23が設けられている。
【0063】
この2軸のガルバノミラー機構23は、レーザー光源10から出射された短パルス幅のパルスレーザーLpをX軸方向とY軸方向に独立してレーザーの反射角度を変更させて照射することができるようになっている。
【0064】
すなわち、ミラー22Xは、モータ21XによりZ軸周りに回転することにより、改質対象物であるステンレス鋼1に照射するパルスレーザーLpをX軸方向に移動する。
【0065】
また、ミラー22Yは、モータ21YによりX軸周りに回転することにより、改質対象物であるステンレス鋼1に照射するパルスレーザーLpをY軸方向に移動する。
【0066】
なお、2軸のガルバノミラー機構23における二つのミラー22X、22Yは、それぞれポリゴンミラーに置き換えることができる。
【0067】
すなわち、レーザー照射装置10のレーザーヘッド部13の位置を固定した状態で、所定の範囲内を照射することができるようになっている。
【0068】
なお、ガルバノミラーやポリゴンミラーによる走査では光軸が法線方向と一致するのは一点のみで、レーザー光の焦点位置は円弧状に位置することになるので、テレセントリックf-θレンズ(あるいはテレセントリックf-θレンズと同等の光学特性を有するテレセントリック光学系)24を介してレーザー光を改質対象物であるステンレス鋼1に照射するようになっている。すなわち、カルバノミラー走査によるレーザー照射では、改質対象物であるステンレス鋼1まで焦点距離が変化するので、表面改質処理能力の低下幅が小さい範囲内でレーザー光の照射位置を走査するように、レーザー照射範囲を制約する必要がある。
【0069】
本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法では、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成するので、従来シールドガスや雰囲気ガス中で行われていたレーザーによる表面改質が、それらの設備やガスの存在なしに行え、より低コストでステンレス鋼の耐食性向上処理を行うことができる。
【0070】
したがって、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法により、上記ステンレス鋼からなる改質対象物の表面の孔食開始点が除去された高耐食性ステンレス鋼を得ることができる。
【0071】
すなわち、ステンレス鋼からなる基部と、大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより上記基部の表面の孔食開始点が除去された表面改質部とを備える高耐食性ステンレス鋼を得ることができる。
【0072】
上記表面改質部には、後述する実施例に示すように、上記大気中における短パルス幅のパルスレーザーの照射によるアブレーションにより不動態被膜が再生される。上記アブレーションにより再生された不動態被膜は、アブレーション前の不動態被膜よりも厚くなり、上記不動態皮膜の厚み増により、孔食電位が上昇し、耐食性が向上する。
【0073】
すなわち、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法により得られる高耐食性ステンレス鋼は、上記大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより再生された不動態被膜を有し、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法では、主として不動態皮膜の厚み増により、孔食電位が上昇し耐食性が向上する。
【0074】
また、本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法では、SUS304等の汎用的なステンレスの溶接部にパルスレーザーを照射することで、表面を溶融・急速凝固させ、孔食性がSUS304母材の酸洗処理やSUS316の母材並みに向上させることができる。
【0075】
さらに、上記高耐食性ステンレス鋼において、上記表面改質部は、少なくとも局部腐食を生じ得る部位に形成されているものとすることができる。
【実施例0076】
《試料の製作》
(1)基材(母材金属)
ステンレス鋼SUS304の市販の板材(50.0×50.0×3.0mm)である。
【0077】
(2)溶接部材の作成
上記の板材2枚を開先なしでTIG溶接でつなぎ合わせた複数の試験片を作成した。
溶接は、片側のみである。
溶接棒には、TG-S308(株式会社神戸製鋼所製)を用いた。
【0078】
(3)表面改質部の作成
各試験片をファイバーレーザーCLX-100(PCL株式会社製)にて、
出力100W、レンズf=160、レーザー繰り返し周波数100kHz、走査速度4000mm/secに設定して、100nsのパルス幅でスポット径dpが80~120μm程度のレーザーパルスを10回照射することにより、表1に示す各試料(No.1-4)を得た。照射エネルギー密度は、625J/cm2である。なお、一部の試料は、比較のために基材のままとして、表面改質を行わなかった。
【0079】
《耐食試験》
表1に示す各試料(No.1-4)を用いて、「ステンレス鋼の孔食電位測定方法」(JISG0577)に基く耐食試験を次のように行った。
各試料(No.1-4)に係る試験片の研磨はしない。
【0080】
液温30℃で3.5質量%NaCl水溶液中に浸漬した各試験片へ、自然電位を10min測定し、自然電位から20mV/minでアノード方向に掃引し、アノード電流密度が1500μA・cm-2に到達したら試験を終了させた。なお、参照電極にはAg/AgCl電極を用いた。
【0081】
求めたアノード分極曲線において、電流密度100μA・cm-2に対応する電位を孔食電位とした。孔食電位は孔食が発生し始める電位であり、孔食電位が貴であるほど耐食性に優れているといえる。
【0082】
図4、
図5、
図6、
図7は、こうして得られた各試料(No.1-4)に係るアノード分極プロファイルすなわちアノード分極曲線を示す図である。これらのアノード分極曲線に基づき、100μA/cm
2の電流が流れたときの電位を孔食電位とした。こうして得られた各試料(No.1-4)の孔食電位を表1に併せて示した。
【0083】
【0084】
《評価》
表1、
図4、
図5、
図6、
図7から明らかなように、ステンレス鋼およびその溶接部をパルスレーザーによる表面改質を行うことにより、その耐食性が著しく向上することがわかった。
【0085】
すなわち、パルスレーザーによる表面改質を行っていない試料No.2では孔食電位が0.286Vであったの対し、パルスレーザーによる表面改質を行った試料No.1では、孔食電位が0.382Vに上昇しており、また、溶接部にパルスレーザーによる表面改質を行っていない試料No.4では孔食電位が-0.014Vであったの対し、溶接部にパルスレーザーによる表面改質を行った試料No.3では、孔食電位が0.344Vに上昇している。
【0086】
《表面改質部の分析》
パルスレーザーによる表面改質を行った試料No.1の最表面を透過型電子顕微鏡(TEM)で観察した結果と分析結果の概要を
図8に示す。
【0087】
図8に示す分析結果の概要は、試料No.1の最表面について、
図9に示す分析箇所a~kにおいて、EDS(エネルギー分散型X線分光法)分析及びX線回折分析を行った結果として得られたものである。
【0088】
すなわち、試料No.1の最表面について、位置a、f、kにおける分析結果は
非晶質のFe-Cr-Oxideであり、位置b、c、dにおける分析結果が非晶質のFe-Cr-Oxideであり、非晶質の不動態であることを示している。位置g、lにおけるEDS分析結果が位置bにおけるEDS分析結果に順じ、位置h、mにおけるEDS分析結果が位置cにおけるEDS分析結果に順じることから、約10nmの厚み不動態皮膜層になっている。
【0089】
また、パルスレーザーによる表面改質を行っていない試料No.2の最表面を透過型電子顕微鏡(TEM)で観察した結果と分析結果の概要を
図10に示す。
【0090】
図10に示す分析結果の概要は、試料No.2の最表面について、
図11に示す分析箇所a~eにおいて、EDS(エネルギー分散型X線分光法)分析及びX線回折分析を行った結果として得られたものである。
【0091】
試料No.2の基材界面位置a、d、eにおける分析結果は、非晶質のFe-Cr-Oxideであり、最表面側の位置bにおける分析結果はC蒸着膜であり、内部の位置cにおける分析結果はγ-Feであった。
【0092】
すなわち、パルスレーザーによる表面改質を行っていない試料No.2では、位置a、d、eにおける分析結果が非晶質のFe-Cr-Oxideであり、非晶質の不動態であることを示している。不動態皮膜層は、約3nmの厚みである。
【0093】
これに対し、パルスレーザーによる表面改質を行った試料No.1では、上述の如く不動態皮膜層の厚みが約10nmになっており、上記大気中におけるパルスレーザーの照射によるアブレーションにより再生された不動態被膜は、アブレーション前の不動態被膜よりも厚くなり、上記不動態皮膜の厚み増により、孔食電位が上昇し、耐食性が向上する。
ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去するパルスレーザー照射工程を有し、
上記パルスレーザー照射工程において、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、上記アブレーションを発生させ、上記改質対象物の表面を溶融・超急冷することで、アブレーション開始前よりも厚みが増加された不動態被膜を再生し、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することを特徴とするステンレス鋼の耐食性向上処理方法。
すなわち、本発明は、ステンレス鋼の耐食性向上処理方法であって、 ステンレス鋼からなる改質対象物の表面に大気中において短パルス幅のパルスレーザーを照射して、上記改質対象物の表面にアブレーションを発生させることにより、上記改質対象物の表面の孔食開始点を除去するパルスレーザー照射工程を有し、上記パルスレーザー照射工程において、大気中においてパルスレーザーを照射しつつその照射域を移動させて、アブレーションを発生させ、上記改質対象物の表面を溶融・超急冷することで、アブレーション開始前よりも厚みが増加された不動態被膜を再生し、上記改質対象物の表面の孔食開始点が除去された表面改質部の領域を形成することを特徴とする。
本発明に係るステンレス鋼の耐食性向上処理方法は、上記パルスレーザー照射工程において、溶接によりつなぎ合わされた上記ステンレス鋼の溶接部の表面にアブレーションを発生させ、上記溶接部の表面を溶融・超急冷することで、上記不動態被膜を再生するものとすることができる。