(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024094980
(43)【公開日】2024-07-10
(54)【発明の名称】ばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20240703BHJP
C22C 38/38 20060101ALI20240703BHJP
C22C 38/58 20060101ALI20240703BHJP
C21D 8/06 20060101ALI20240703BHJP
【FI】
C22C38/00 301Y
C22C38/38
C22C38/58
C21D8/06 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】8
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022211933
(22)【出願日】2022-12-28
(71)【出願人】
【識別番号】000002130
【氏名又は名称】住友電気工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100136098
【弁理士】
【氏名又は名称】北野 修平
(74)【代理人】
【識別番号】100137246
【弁理士】
【氏名又は名称】田中 勝也
(74)【代理人】
【識別番号】100158861
【弁理士】
【氏名又は名称】南部 史
(74)【代理人】
【識別番号】100194674
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 覚史
(72)【発明者】
【氏名】久保 寛典
【テーマコード(参考)】
4K032
【Fターム(参考)】
4K032AA06
4K032AA09
4K032AA11
4K032AA12
4K032AA16
4K032AA19
4K032AA23
4K032AA24
4K032AA32
4K032AA36
4K032BA02
4K032CB00
4K032CB01
(57)【要約】
【課題】焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法を提供する。
【解決手段】ばね用鋼線は、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線である。上記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有する。ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、
1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、
0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、
0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、
残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線であって、
前記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有し、
前記ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、
前記鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、
前記焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である、ばね用鋼線。
【請求項2】
0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、
1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、
0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、
0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、
0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、
残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線であって、
前記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有し、
前記ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、
前記鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、
前記焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である、ばね用鋼線。
【請求項3】
前記ばね用鋼線の線径は1mm以上10mm以下である、請求項1または請求項2に記載のばね用鋼線。
【請求項4】
前記鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は2.30以下である、請求項1または請求項2に記載のばね用鋼線。
【請求項5】
前記焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.27μm以上である、請求項1または請求項2に記載のばね用鋼線。
【請求項6】
前記鋼の旧オーステナイト結晶粒の大きさは10μm以上20μm以下である、請求項1または請求項2に記載のばね用鋼線。
【請求項7】
0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、
1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、
0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、
0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、
残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線を準備する工程と、
前記原料鋼線を構成する前記鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で前記原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工を実施する工程と、
前記伸線加工を実施する工程から引き続いて前記原料鋼線が前記第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却することにより、前記原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、
前記焼入処理が実施された前記原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、前記原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える、ばね用鋼線の製造方法。
【請求項8】
0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、
1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、
0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、
0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、
0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、
残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線を準備する工程と、
前記原料鋼線を構成する前記鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で前記原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工を実施する工程と、
前記伸線加工を実施する工程から引き続いて前記原料鋼線が前記第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却することにより、前記原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、
前記焼入処理が実施された前記原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、前記原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える、ばね用鋼線の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、ばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
ばねへと加工されることを前提とした種々のオイルテンパー線(ばね用鋼線)が知られている(たとえば、特許文献1~3参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開平11-006033号公報
【特許文献2】国際公開第2011/004913号
【特許文献3】特開2016-113671号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ばねが用いられる機械の高性能化に伴って、ばねに対して高い強度が求められる傾向にある。たとえば、自動車のエンジンの弁ばねや自動車のトランスミッションに用いられるばねには、高い強度を付与する目的で窒化処理などの熱処理が実施される場合がある。たとえばばねに対して窒化処理が実施されると、ばねの表面に硬度の高い窒化層が形成される。これによりばねの表面の強度が上昇する。一方、窒化処理に伴う加熱により、ばねの内部は焼戻され、硬度が低下する。その結果、ばねの内部の強度が低下する。このばねの内部における強度の低下の結果、窒化処理によって期待される十分な強度が得られないという問題が生じ得る。この問題を回避する観点から、ばねを構成するばね用鋼線には、熱処理に伴う硬度の低下を抑制すること、すなわち焼戻軟化抵抗性の上昇が求められる。
【0005】
そこで、本開示は、焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法を提供することを目的の1つとする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本開示の第1の局面に従ったばね用鋼線は、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素(C)と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素(Si)と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガン(Mn)と、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロム(Cr)と、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線である。上記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有する。ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。
【0007】
本開示の第2の局面に従ったばね用鋼線は、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線である。上記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有する。ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。
【0008】
本開示の第1の局面に従ったばね用鋼線の製造方法は、原料鋼線を準備する工程と、原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程と、原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える。原料鋼線を準備する工程では、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線が準備される。原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程では、原料鋼線を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で、原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工が実施される。原料鋼線に焼入処理を実施する工程では、伸線加工を実施する工程から引き続いて原料鋼線が第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却されることにより、原料鋼線に焼入処理が実施される。原料鋼線に焼戻処理を実施する工程では、焼入処理が実施された原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、原料鋼線に焼戻処理が実施される。
【0009】
本開示の第2の局面に従ったばね用鋼線の製造方法は、原料鋼線を準備する工程と、原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程と、原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える。原料鋼線を準備する工程では、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線が準備される。原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程では、原料鋼線を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で、原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工が実施される。原料鋼線に焼入処理を実施する工程では、伸線加工を実施する工程から引き続いて原料鋼線が第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却されることにより、原料鋼線に焼入処理が実施される。原料鋼線に焼戻処理を実施する工程では、焼入処理が実施された原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、原料鋼線に焼戻処理が実施される。
【発明の効果】
【0010】
上記ばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法によれば、焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線およびばね用鋼線の製造方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】
図1は、ばね用鋼線の構造を示す概略図である。
【
図2】
図2は、ばね用鋼線の製造方法の概略を示すフローチャートである。
【
図3】
図3は、伸線工程および焼入工程を実施するための装置の構造を示す概略図である。
【
図4】
図4は、伸線工程において用いられるダイス部の構造を示す概略断面図である。
【
図5】
図5は、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比の算出方法を説明するための図である。
【
図6】
図6は、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さの算出方法を説明するための図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
[本開示の実施形態の説明]
最初に本開示の実施態様を列記して説明する。本開示の第1の局面におけるばね用鋼線は、
(1)0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素(C)と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素(Si)と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガン(Mn)と、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロム(Cr)と、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線である。上記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有する。ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。
【0013】
本開示の第2の局面におけるばね用鋼線は、
(2)0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されるばね用鋼線である。上記鋼は焼戻マルテンサイト組織を有する。ばね用鋼線の中心軸を含む断面において、鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上であり、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。
【0014】
本発明者は、ばね用鋼線の焼戻軟化抵抗性を向上させる方策について検討した。ばね用鋼線を構成する鋼の成分組成において、焼戻軟化抵抗性に寄与する元素の含有量を増加させることにより、焼戻軟化抵抗性を容易に上昇させることができる。しかし、このような対応では、原料コストの増大などの問題が生じ得る。これに対し、本発明者はばね用鋼線を構成する鋼の構造の改良による焼戻軟化抵抗性の上昇について検討した。
【0015】
焼戻マルテンサイト組織を有する鋼から構成されるばね用鋼線では、マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に炭化物が析出する。このような炭化物には、板状の形状を有する炭化物であるε炭化物が含まれる。本発明者の検討によれば、結晶粒界に位置するε炭化物は、ばね用鋼線がばねに加工された後に実施される熱処理(たとえば窒化処理)において粗大化する傾向にある。この炭化物の粗大化がばね用鋼線を構成する鋼の軟化の原因となる。そして、本発明者の検討によれば、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物を微細化しておくことで、鋼の焼戻軟化抵抗性を向上させ、ばねへの加工後におけるばね用鋼線の軟化を抑制することができる。
【0016】
本開示のばね用鋼線は、焼戻マルテンサイト組織を有し、適切な成分組成の鋼から構成される。そして、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上とされる。これにより、マルテンサイトラスが小さくなる。その結果、マルテンサイトラス内に析出する炭化物の数が増加し、各炭化物を小さくすることが容易となる。そして、炭化物の平均最大長さは0.4μm以下とされる。これにより、ばね用鋼線を構成する鋼の焼戻軟化抵抗性が上昇する。このように、本開示のばね用鋼線によれば、焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線を提供することができる。
【0017】
ばね用鋼線を構成する鋼の成分組成を上記範囲とすべきである理由について、以下に説明する。
【0018】
炭素(C):0.5質量%以上0.7質量%以下
Cは、焼戻マルテンサイト組織を有する鋼の強度に大きな影響を与える元素である。ばね用鋼線として十分な強度を得る観点から、C含有量は0.5質量%以上とする必要がある。一方、C含有量が多くなると靱性が低下し、ばねへの加工に際して折損が発生するおそれがある。十分な靱性を確保する観点から、C含有量は0.7質量%以下とする必要がある。強度を重視する観点からは、C含有量は0.55質量%以上とすることが好ましい。また、靭性を重視する観点からは、C含有量は0.65質量%以下することが好ましい。
【0019】
珪素(Si):1.0質量%以上2.5質量%以下
Siは、鋼の軟化抵抗性を上昇させる機能を有する。ばね用鋼線のばねへの加工後の熱処理における軟化を抑制し、十分なばねの強度を確保する観点から、Si含有量は1.0質量%以上とする必要がある。一方、Siは過度に添加するとばね用鋼線の加工性を低下させ、歩留まりの低下を招来する。歩留まりの低下を抑制する観点から、Si含有量は2.5質量%以下とする必要がある。強度を重視する観点からは、Si含有量は1.5質量%以上とすることが好ましい。歩留まりを重視する観点からは、Si含有量は2.0質量%以下とすることが好ましい。
【0020】
マンガン(Mn):0.2質量%以上2.0質量%以下
Mnは、鋼の焼入性を向上させるとともに、焼戻軟化抵抗性を向上させる機能を有する。十分な焼入性を確保する観点から、Mn含有量は0.2質量%以上とする必要がある。一方、Mnは過度に添加するとオーステナイトが安定化するため、鋼の組織中の残留オーステナイト量が増加し、強度の低下を招来する。十分な強度を確保する観点から、Mn含有量は2.0質量%以下とする必要がある。焼入性を重視する観点からは、Mn含有量は0.4質量%以上とすることが好ましい。強度を重視する観点からは、Mn含有量は0.75質量%以下とすることが好ましい。
【0021】
クロム(Cr):0.4質量%以上2.0質量%以下
Crは、鋼の焼入性を向上させるとともに、焼戻軟化抵抗性を向上させる機能を有する。十分な焼入性を確保する観点から、Cr含有量は0.4質量%以上とする必要がある。一方、Crは過度に添加すると焼入の加熱時に残存する炭化物(未溶解炭化物)の量が増加し、ばねへの加工時における折損の発生を招来する。ばねへの加工時の折損を抑制する観点から、Cr含有量は2.0質量%以下とする必要がある。焼入性を重視する観点からは、Cr含有量は0.75質量%以上とすることが好ましい。ばねへの加工時の折損の抑制を重視する観点からは、Cr含有量は1.80質量%以下とすることが好ましい。
【0022】
不可避的不純物
ばね用鋼線を構成する鋼の製造工程において、リン(P)、硫黄(S)などが不可避的に鋼中に混入する。リンおよび硫黄は、過度に存在すると鋼を脆化させる。そのため、リンおよび硫黄の含有量は、それぞれ0.020質量%以下とすることが好ましい。また、意図的に添加しない元素、すなわち不可避的不純物の総含有量は、0.050質量%以下であることが好ましい。
【0023】
バナジウム(V):0.10質量%以上0.30質量%以下
Vは、添加することが必須の元素ではないが、旧オーステナイト結晶粒を細粒化する機能を有する。旧オーステナイト結晶粒を細粒化することで、ばねへの加工時の折損を抑制することができる。旧オーステナイト結晶粒を細粒化する観点から、V含有量は0.10質量%以上としてもよい。一方、Vは過度に添加するとばね用鋼線の製造コストが上昇する。また、Vは過度に添加するとばねへの加工時における折損の発生を招来する。そのため、V含有量は0.30質量%以下としてもよい。
【0024】
モリブデン(Mo):0.10質量%以上0.50質量%以下
Moは、添加することが必須の元素ではないが、焼入性の上昇、焼戻軟化抵抗性の上昇、靭性の上昇などの機能を有する。これらの特性を向上させる観点から、Mo含有量は0.10質量%以上としてもよい。一方、Moは過度に添加するとばね用鋼線の製造コストが上昇する。また、Moは過度に添加するとばねへの加工時における折損の発生を招来する。そのため、Mo含有量は0.50質量%以下としてもよい。
【0025】
ニッケル(Ni):0.20質量%以上2.0質量%以下
Niは、添加することが必須の元素ではないが、焼入性を上昇させる機能を有する。焼入性を向上させる観点から、Ni含有量は0.20質量%以上としてもよい。一方、Niは過度に添加すると、鋼の組織中の残留オーステナイト量が増加し、強度の低下を招来する。そのため、Ni含有量は2.0質量%以下としてもよい。
【0026】
コバルト(Co):0.05質量%以上0.50質量%以下
Coは、添加することが必須の元素ではないが、強度の上昇、靭性の上昇などの機能を有する。これらの特性を向上させる観点から、Co含有量は0.05質量%以上としてもよい。一方、Coは過度に添加すると、ばね用鋼線の製造コストが上昇する。そのため、Co含有量は0.50質量%以下としてもよい。
【0027】
本願において、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は、以下のように測定される数値を意味する。まず、ばね用鋼線の中心軸を含む断面でばね用鋼線を切断する。そして、当該断面において、鋼線の長さ方向に平行な線と垂直な線とを、それぞれたとえば50μm間隔で描き、旧オーステナイト粒界と交点の数を得る。そして、線材の長さ方向に垂直な線と旧オーステナイト粒界と交点の数を、線材の長さ方向に平行な線と旧オーステナイト粒界と交点の数で除することにより、アスペクト比を算出する。
【0028】
また、本願において、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは、以下のように測定される数値を意味する。まず、ばね用鋼線の中心軸を含む断面でばね用鋼線を切断する。そして、当該断面において、一辺20μmの正方形の領域を無作為に20か所選定し、各領域内における炭化物の長さの最大値を測定する。測定された20の最大値の平均値を算出することにより、炭化物の平均最大長さを得る。
【0029】
(3)上記(1)または(2)のいずれか1つにおいて、ばね用鋼線の線径は1mm以上10mm以下であってもよい。焼戻軟化抵抗性に優れた本開示のばね用鋼線は、1mm以上10mm以下の線径を有するばね用鋼線に特に好適である。
【0030】
(4)上記(1)から(3)のいずれか1つにおいて、上記鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は2.30以下であってもよい。この構成により、ばね用鋼線の製造プロセスが容易となる。
【0031】
(5)上記(1)から(4)のいずれか1つにおいて、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.27μm以上であってもよい。この構成により、ばね用鋼線の製造プロセスが容易となる。
【0032】
(6)上記(1)から(5)のいずれか1つにおいて、上記鋼の旧オーステナイト結晶粒の大きさは10μm以上20μm以下であってもよい。旧オーステナイト結晶粒の大きさを10μm以上とすることにより、適切な焼入性を確保することが容易となる。旧オーステナイト結晶粒の大きさを20μm以下とすることにより、ばね用鋼線のばねへの加工時における折損の発生を抑制することができる。本願において、旧オーステナイト結晶粒の大きさは、以下のように測定される数値を意味する。まず、ばね用鋼線の中心軸を含む断面でばね用鋼線を切断する。そして、当該断面における旧オーステナイト結晶粒の面積を、たとえば30個測定する。測定には、たとえば公知の画像処理ソフトを使用することができる。そして、測定された各旧オーステナイト結晶粒の面積の円相当径(測定された面積と同じ面積を有する円の直径)の平均値を算出することにより、旧オーステナイト結晶粒の大きさを得る。
【0033】
(7)本開示の第1の局面におけるばね用鋼線の製造方法は、原料鋼線を準備する工程と、原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程と、原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える。原料鋼線を準備する工程では、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線が準備される。原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程では、原料鋼線を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で、原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工が実施される。原料鋼線に焼入処理を実施する工程では、伸線加工を実施する工程から引き続いて原料鋼線が第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却されることにより、原料鋼線に焼入処理が実施される。原料鋼線に焼戻処理を実施する工程では、焼入処理が実施された原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、原料鋼線に焼戻処理が実施される。
【0034】
(8)本開示の第2の局面におけるばね用鋼線の製造方法は、原料鋼線を準備する工程と、原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程と、原料鋼線に焼入処理を実施する工程と、原料鋼線に焼戻処理を実施する工程と、を備える。原料鋼線を準備する工程では、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成される原料鋼線が準備される。原料鋼線に対して伸線加工を実施する工程では、原料鋼線を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で、原料鋼線に対して減面率26%以上の伸線加工が実施される。原料鋼線に焼入処理を実施する工程では、伸線加工を実施する工程から引き続いて原料鋼線が第1の温度域に保持された状態からMs点以下の温度域に冷却されることにより、原料鋼線に焼入処理が実施される。原料鋼線に焼戻処理を実施する工程では、焼入処理が実施された原料鋼線をA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱することにより、原料鋼線に焼戻処理が実施される。
【0035】
本開示のばね用鋼線の製造方法においては、適切な成分組成の鋼から構成される原料鋼線が準備されたうえで、伸線加工、焼入処理および焼戻処理が実施される。これにより、焼戻マルテンサイト組織を有し、適切な成分組成の鋼から構成されるばね用鋼線を製造することができる。また、原料鋼線を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持した状態で原料鋼線に減面率26%以上の伸線加工を実施し、そのまま当該温度域に保持された状態から急冷して原料鋼線に焼入処理を実施することで、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比を1.45以上とすることが容易となる。その結果、マルテンサイトラス内に析出する炭化物の数が増加し、炭化物が小さくなるため、炭化物の平均最大長さを0.4μm以下とすることが容易となる。このように、本開示のばね用鋼線の製造方法によれば、上記本開示のばね用鋼線を容易に製造することができる。
【0036】
[本開示の実施形態の詳細]
次に、本開示のばね用鋼線の実施の形態を、図面を参照しつつ説明する。なお、以下の図面において同一または相当する部分には同一の参照番号を付しその説明は繰返さない。
【0037】
図1は、ばね用鋼線の構造を示す概略図である。
図1を参照して、本実施の形態におけるばね用鋼線1は、線状の形状を有している。ばね用鋼線1の直径φは、たとえば1mm以上10mm以下である。ばね用鋼線1の長さ方向に垂直な(中心軸Aに垂直な)断面1Aの形状は、特に限定されるものではないが、本実施の形態では円形である。ばね用鋼線1の外周面1Bは、円筒面形状を有している。なお、断面1Aが円形である場合、中心軸Aは、断面1Aの中心を通る直線である。断面1Aが円形以外である場合、中心軸Aは、断面1Aの重心を通る直線である。
【0038】
ばね用鋼線1を構成する鋼は、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなっている。ばね用鋼線1を構成する鋼は、さらに0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つを含有していてもよい。
【0039】
ばね用鋼線1を構成する鋼は、焼戻マルテンサイト組織を有している。ばね用鋼線1を構成する鋼に含まれる残留オーステナイト量は、たとえば12体積%以下であることが好ましい。ばね用鋼線1を構成する鋼は、粒径0.2μm以上の球状化炭化物を含まないことが好ましい。ばね用鋼線1を構成する鋼の旧オーステナイト結晶粒の大きさは10μm以上20μm以下であることが好ましい。
【0040】
ばね用鋼線1の中心軸Aを含む断面において、ばね用鋼線1を構成する鋼の旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上である。当該アスペクト比は、2.30以下であってもよい。ばね用鋼線1の中心軸Aを含む断面において、焼戻マルテンサイト組織におけるマルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さは0.4μm以下である。炭化物の平均最大長さは、0.27μm以上であってもよい。
【0041】
本実施の形態のばね用鋼線1は、焼戻マルテンサイト組織を有し、適切な成分組成の鋼から構成されている。そして、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比は1.45以上とされている。これにより、マルテンサイトラスが小さくなっている。その結果、マルテンサイトラス内に析出する炭化物の数が増加し、各炭化物を小さくすることが容易となっている。そして、炭化物の平均最大長さは0.4μm以下とされている。これにより、ばね用鋼線1を構成する鋼の焼戻軟化抵抗性が上昇している。このように、本実施の形態のばね用鋼線1は、焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線となっている。
【0042】
次に、ばね用鋼線1の製造方法の一例について、
図2に基づいて説明する。
図2は、本実施の形態のばね用鋼線1の製造方法の概略を示すフローチャートである。
図2を参照して、本実施の形態のばね用鋼線1の製造方法においては、まず工程(S10)として線材準備工程が実施される。この工程(S10)では、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼の線材が準備される。この線材を構成する鋼は、さらに0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つを含有していてもよい。
【0043】
次に、
図2を参照して、工程(S20)としてパテンティング工程が実施される。この工程(S20)では、工程(S10)において準備された線材に対してパテンティングが実施される。具体的には、線材がオーステナイト化温度(A1点)以上の温度域に加熱された後、マルテンサイト変態開始温度(Ms点)よりも高い温度域まで急冷され、当該温度域で保持される熱処理が実施される。これにより、線材の組織がラメラ間隔の小さい微細パーライト組織となる。ここで、上記パテンティング処理において、線材をA
1点以上の温度域に加熱する処理は、脱炭の発生を抑制する観点から不活性ガス雰囲気中で実施されることが好ましい。
【0044】
次に、
図2を参照して、工程(S30)として表面層除去工程が実施される。この工程(S30)では、工程(S20)においてパテンティングが実施された線材の表面層が除去される。具体的には、たとえば上記線材がシェービングダイス内を通過することにより、パテンティングにより形成された表面の脱炭層等が除去される。この工程は必須の工程ではないが、これを実施することによりパテンティングによって脱炭層等が表面に生じた場合でも、これを除去することができる。
【0045】
次に、工程(S40)として焼きなまし工程が実施される。この工程(S40)では、工程(S30)において表面層が除去された線材に対して焼きなまし処理が実施される。焼きなまし処理は、必須の工程ではないが、これを実施することにより線材を軟化させることができる。焼きなまし処理は、たとえばN(窒素)、Ar(アルゴン)などの不活性ガス雰囲気中で線材が加熱されることにより実施される。上記工程(S10)~(S40)が実施されることにより、原料鋼線の準備が完了する。この原料鋼線は、0.5質量%以上0.7質量%以下の炭素と、1.0質量%以上2.5質量%以下の珪素と、0.2質量%以上2.0質量%以下のマンガンと、0.4質量%以上2.0質量%以下のクロムと、を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる鋼から構成されている。この原料鋼線は、0.1質量%以上0.3質量%以下のバナジウム、0.10質量%以上0.50質量%以下のモリブデン、0.2質量%以上2.0質量%以下のニッケルおよび0.05質量%以上0.50質量%以下のコバルトからなる群から選択される少なくとも1つをさらに含有していてもよい。
【0046】
次に、工程(S50)として伸線工程が実施されたうえで、工程(S60)として焼入工程が実施される。
図3は、伸線工程および焼入工程を実施するための装置の構造を示す概略図である。
図4は、伸線工程において用いられるダイス部の構造を示す概略断面図である。
図3を参照して、工程(S50)および(S60)は、加熱装置としてのコイル51と、ダイス付き冷却装置60とを含む装置を用いて実施される。ダイス付き冷却装置60は、ダイス部61と、冷却部62とを含んでいる。
図4を参照して、ダイス部61には、原料鋼線11が通過することにより加工される貫通孔61Aが形成されている。原料鋼線11が通過する方向に垂直な断面において、貫通孔61Aの形状は円形である。ダイス部61は、貫通孔61Aを取り囲む壁面である第1部分61B、第2部分61Cおよび第3部分61Dを含んでいる。原料鋼線が進行する向きα(
図3および
図4において左から右に向かう向き)において、第1部分61Bは内径が徐々に小さくなるテーパ形状を有しており、第2部分61Cは内径が一定の円筒形状を有しており、第3部分61Dは内径が徐々に大きくなるテーパ形状を有している。
【0047】
図3を参照して、冷却部62には、原料鋼線11の径方向に延びる通路である一対のノズル部91と、一対のノズル部91に接続され、原料鋼線11の進行向きに沿って延びて外部に連通する排出経路92が形成されている。
【0048】
図3を参照して、工程(S50)では、まず原料鋼線11がコイル51の内部を通過することにより、加熱される。より具体的には、高周波電流が流れるコイル51の内部を原料鋼線11が通過することにより、原料鋼線11が誘導加熱される。原料鋼線11は、たとえば原料鋼線11を構成する鋼のAc3点よりも100℃高い温度以上鋼のAc3点よりも200℃高い温度以下の温度域に加熱される。原料鋼線11の温度をAc3点よりも100℃高い温度以上とすることにより、原料鋼線11を構成する鋼の組織中に存在する炭化物(特にθ炭化物;セメンタイト)およびフェライト相をより確実に固溶(消滅)させることができる。その結果、鋼の組織をオーステナイト相の単相とすることが容易となる。鋼の組織中にθ炭化物が残存すると、ばね用鋼線1のばねへの加工時における折損の発生の原因となり得る。また、鋼の組織中にθ炭化物やフェライト相が残存すると、ばね用鋼線1の強度が低下する原因となり得る。鋼の組織中に存在する炭化物およびフェライト相は、昇温速度が大きいほど、より高温で固溶する。そのため、昇温速度に影響する原料鋼線11の線径、線速、コイル51の構造およびコイル51を流れる電流の大きさや周波数などを適切に調整して、鋼の組織をオーステナイト相の単相とすることが好ましい。原料鋼線11の温度をAc3点よりも200℃高い温度以下とすることにより、無用な加熱によるコストの増大や、ダイス部61の消耗の抑制を達成することができる。
【0049】
コイル51を通過することにより加熱された原料鋼線11は、ダイス部61の貫通孔61Aに進入することにより、ダイス部61によって伸線加工される。原料鋼線11は、原料鋼線11を構成する鋼の組織がオーステナイト相の単相となる第1の温度域に保持された状態で、減面率26%以上の伸線加工(引抜き加工)を受ける。第1の温度域は、原料鋼線11を構成する鋼のA1点以上の温度である。減面率は、45%以下であってもよい。その結果、ダイス部61を通過した原料鋼線11は、ダイス部61の第2部分61Cの内径Dに対応する線径を有する原料鋼線12となる。
【0050】
次に、工程(S60)では、工程(S50)において伸線加工が実施されて得られた原料鋼線12に対して焼入処理が実施される。工程(S60)では、
図3を参照して、ノズル部91を介して矢印Bの向きに冷却媒体71としての液体およびガスの少なくとも一方が噴出する。これにより、ダイス部61を通過した直後の原料鋼線12に対して冷却媒体71が吹き付けられる。その結果、工程(S50)から引き続いて第1の温度域に保持された原料鋼線12が、Ms点以下の温度域に冷却されることにより、原料鋼線12に焼入処理が実施される。これにより、原料鋼線12を構成する鋼の組織がマルテンサイト組織となる。原料鋼線12に吹き付けられた冷却媒体71は、排出経路92を通って矢印Cの向きに進行し、外部へと排出される。
【0051】
次に、
図2を参照して、工程(S70)として焼戻工程が実施される。工程(S70)では、工程(S60)において焼入処理が実施された鋼線に対して、鋼のA1点未満の温度域である第2の温度域に加熱された後、冷却される焼戻処理が実施される。原料鋼線12の加熱は、たとえば所定の温度に維持された液体中に原料鋼線12を浸漬することにより実施される。より具体的には、たとえば原料鋼線12に対して900℃以上950℃以下の温度に加熱した後、室温まで冷却する熱処理が実施される。これにより、原料鋼線12を構成する鋼の組織が焼戻マルテンサイト組織となる。以上の手順により、本実施の形態のばね用鋼線1を製造することができる。
【実施例0052】
本開示のばね用鋼線を作成し、ばね用鋼線を構成する鋼の構造の改良による焼戻軟化抵抗性の上昇について確認する実験を行った。実験の手順は以下のとおりである。
【0053】
本開示のばね用鋼線を構成する鋼の成分組成の条件を満たす4種の成分組成A~Dを有する原料鋼線を、上記実施の形態において説明した工程(S10)~(S40)に沿った手順で準備した。工程(S10)では、線径は5.6mmの線材が準備された。原料鋼線を構成する鋼の成分組成を表1に示す。表1において、数値は質量%にて表示されている。「-」との表示は、当該元素が意図的には添加されていないことを意味しており、含有量は測定されていないものの、不可避的不純物といえる含有量であることを意味する。A~Dのそれぞれについて、表示された数値以外の部分は鉄および不可避的不純物である。
【0054】
【表1】
準備された原料鋼線に対して、上記実施の形態において
図3を参照して説明した工程(S50)~(S60)に沿った処理を実施したうえで、工程(S70)に沿った処理を実施することでばね用鋼線を得た。
図3を参照して、原料鋼線11の線速(原料鋼線11の進行の向きαに沿う方向における原料鋼線11の速度)は1.5m/分とした。冷却媒体71としては、水を採用した。より具体的には、ノズル部91を介して、圧力0.6MPaエアによって、80mL/分の割合で水を原料鋼線12に吹き付けることにより、冷却を実施した。コイル51による加熱直後(コイル51の出口付近)の原料鋼線11の温度である加熱温度、およびダイス部61による加工直前(ダイス部61の貫通孔61Aの入口付近)の原料鋼線11の温度である加工温度は、放射温度計により測定した。原料鋼線11の加熱温度は、コイル51の出力を変化させることにより調整した。加工温度は、コイル51とダイス部61との距離を変化させることにより調整した。
図4を参照して、ダイス部61の第1部分61Bのテーパ角であるダイス半角θは6~8°とした。第2部分61Cにおける貫通孔61Aの内径Dに対して、第2部分61Cの長さであるベアリング長L
1は0.1D~0.3D、第3部分61Dの長さであるバック長L
2は0.2D~0.4Dとした。
【0055】
加熱温度および加工温度は、以下の式(1)および(2)に基づいて算出したAc3点およびAc1点を基準として設定した。
【0056】
[Ac3](℃)=910-203×(√%C)-15.2×(%Ni)+44.7×(%Si)+104×(%V)+31.5×(%Mo)+13.1×(%W)・・・(1)
【0057】
[Ac1](℃)=723-10.7×(%Mn)-16.9×(%Ni)+29.1×(%Si)-16.9×(%Cr)-290×(%As)-6.38×(%W)・・・(2)
【0058】
具体的には、加熱温度はAc3点よりも100℃高い温度以上Ac3点よりも200℃高い温度以下とした。加工温度はAc1点以上とした。
【0059】
以上のように工程(S50)~(S60)に沿う手順で伸線および焼入処理が実施されて得られた原料鋼線12に対して、工程(S70)に沿う手順で焼戻処理を実施した。焼戻処理は、500℃に保持した鉛中に45秒間浸漬することにより実施した。以上の手順により、ばね用鋼線1のサンプルを得た(実施例)。一方、工程(S50)における減面率を小さくすること、または工程(S50)を省略することにより、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さ、および旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比を本開示のばね用鋼線の範囲外としたサンプルも作製した(比較例)。
【0060】
上記実施例および比較例のサンプルに対して、ばね用鋼線のばねへの加工後に実施される窒化処理などの熱処理を想定して、430℃の雰囲気中に3.5時間保持する熱処理を実施した。そして、各サンプルから試験片を作製し、引張試験を実施した。試験片の線径は3.4~3.8mmとした。
【0061】
さらに、上記熱処理が実施された実施例および比較例のサンプルについて、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比(γ粒アスペクト比)、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さ(最大炭化物長さ)および旧オーステナイト結晶粒の大きさ(γ粒の大きさ)を測定した。これらの測定は、以下のように実施された。
【0062】
図5は、旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比の算出方法を説明するための図である。まず、各サンプルについて、ばね用鋼線1の中心軸Aを含む断面が観察可能な試料を準備した。そして、当該断面を鏡面研磨したうえで、ピクリン酸飽和水溶液にてエッチングした。その後、光学顕微鏡にて当該断面を観察した。
図5を参照して、当該断面の画像に、鋼線の長さ方向に平行な線と垂直な線とを50μm間隔で描くことで当該断面の画像上に格子81を描き、旧オーステナイト粒界と格子81との交点の数を調査した。そして、線材の長さ方向に垂直な線と旧オーステナイト粒界と交点の数を、線材の長さ方向に平行な線と旧オーステナイト粒界と交点の数で除することにより、γ粒アスペクト比を算出した。また、同じ方法で準備し、同じ方法で研磨およびエッチングを実施した断面について、光学顕微鏡の一視野(辺の長さが0.2mmの正方形領域)内に存在する各旧オーステナイト結晶粒の円相当径を調査し、それらの平均値を算出することによりγ粒の大きさを得た。
【0063】
図6は、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さの算出方法を説明するための図である。各サンプルについて、ばね用鋼線1の中心軸Aを含む断面が観察可能な試料を準備した。当該断面を鏡面研磨したうえで、1%ナイタール(エタノールにて希釈された硝酸)にてエッチングした。その後、FE-SEM(Field Emission Scanning Electron Microscope)を用い、当該断面において、一辺20μmの正方形の領域を無作為に20か所選定して、各領域内における炭化物(板状炭化物)の長さLの最大値を測定した。測定された20の最大値の平均値を算出することにより、炭化物平均最大長さを得た。実験の条件および結果を表2に示す。
【0064】
【表2】
表2において、サンプル1、7、12および18は、工程(S50)を省略することにより、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さ(最大炭化物長さ)、および旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比(γ粒アスペクト比)を本開示のばね用鋼線の範囲外とした比較例のサンプルである。これらの引張強度を基準として、同一の成分組成の鋼から構成されるサンプルについて、引張強度の上昇率が表2に表示されている。サンプル2、8および13は、工程(S50)における減面率を小さくする(26%未満とする)ことにより、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さ、および旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比を本開示のばね用鋼線の範囲外とした比較例のサンプルである。上記以外のサンプルは、マルテンサイトラスの内部に析出する炭化物の平均最大長さ、および旧オーステナイト結晶粒のアスペクト比が本開示のばね用鋼線の範囲内である実施例のサンプルである。
【0065】
表2を参照して、ばね用鋼線を構成する鋼の成分組成として組成A~Dのいずれを採用した場合でも、γ粒アスペクト比が大きくなるにしたがって、また最大炭化物長さが小さくなるにしたがって、引張強度の上昇率が大きくなる傾向にある。そして、γ粒アスペクト比を1.45以上とし、かつ最大炭化物長さを0.4μm以下とすることにより、5%以上の引張強度の上昇が確認される。このことは、鋼の構造の改良による焼戻軟化抵抗性の上昇が有意差をもって得られたことを意味している。以上の実験結果より、本開示のばね用鋼線によれば、焼戻軟化抵抗性に優れたばね用鋼線を提供できるといえる。
【0066】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって、どのような面からも制限的なものではないと理解されるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなく、特許請求の範囲によって規定され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。