(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2021-12-22
(45)【発行日】2022-02-04
(54)【発明の名称】筋萎縮抑制剤
(51)【国際特許分類】
A61K 38/18 20060101AFI20220128BHJP
A61K 31/7088 20060101ALI20220128BHJP
A61K 35/76 20150101ALI20220128BHJP
A61K 48/00 20060101ALI20220128BHJP
A61P 21/00 20060101ALI20220128BHJP
A61P 43/00 20060101ALI20220128BHJP
A61K 38/17 20060101ALN20220128BHJP
A61P 25/00 20060101ALN20220128BHJP
A61P 25/16 20060101ALN20220128BHJP
C07K 14/47 20060101ALN20220128BHJP
C07K 14/475 20060101ALN20220128BHJP
C07K 14/715 20060101ALN20220128BHJP
C12N 15/12 20060101ALN20220128BHJP
C12N 15/85 20060101ALN20220128BHJP
C12Q 1/02 20060101ALN20220128BHJP
C12Q 1/68 20180101ALN20220128BHJP
G01N 33/15 20060101ALN20220128BHJP
G01N 33/50 20060101ALN20220128BHJP
G01N 33/68 20060101ALN20220128BHJP
【FI】
A61K38/18
A61K31/7088
A61K35/76
A61K48/00
A61P21/00
A61P43/00 105
A61K38/17
A61P25/00
A61P25/16
C07K14/47
C07K14/475
C07K14/715
C12N15/12
C12N15/85 Z ZNA
C12Q1/02
C12Q1/68
G01N33/15 Z
G01N33/50 P
G01N33/50 Z
G01N33/68
(21)【出願番号】P 2018503035
(86)(22)【出願日】2017-02-18
(86)【国際出願番号】 JP2017006019
(87)【国際公開番号】W WO2017150228
(87)【国際公開日】2017-09-08
【審査請求日】2020-02-02
(31)【優先権主張番号】P 2016040513
(32)【優先日】2016-03-02
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000125381
【氏名又は名称】学校法人藤田学園
(74)【代理人】
【識別番号】110000497
【氏名又は名称】特許業務法人グランダム特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】土田 邦博
(72)【発明者】
【氏名】上住 聡芳
(72)【発明者】
【氏名】山田 治基
【審査官】長谷川 茜
(56)【参考文献】
【文献】日老医誌,2011年,Vol.48,pp.99-103
【文献】J. Cell Biol.,2013年,Vol.203, No.2,pp.345-357
【文献】HIRTH F.,CNS & Neurological Disorders - Drug Targets,2010年,Vol.9,pp.504-523
【文献】GROUNDS,M.D. et al.,"Therapies for sarcopenia and regeneration of old skeletal muscles -More a case of old tissue archit,BioArchitecture,2014年10月30日,Vol.4,No.3,P.81-87,ISSN 1949-0992,<DOI: 10.416/bioa.29668>
【文献】上住聡芳,"ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を用いたサルコペニア治療法の開発",長寿科学の最前線 長寿科学研究者支援事業 平成27年度 研究報告集,Vol.3,2016年03月,P.33-36
【文献】YAMAGUCHI,M. et al.,Cell Reports,2015年10月13日,Vol.13,No.2,P.302-314,ISSN 2211-1247,<DOI: 10.1016/j.celrep.2015.08.083>
【文献】土田邦博,月刊難病と在宅ケア,日本,2007年12月01日,Vol.13,No.9,P.43-45
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 38/00 -38/58
A61K 31/7088
A61K 35/76
A61K 48/00
A61P 21/00 -21/06
C07K 14/00 -19/00
C12N 15/00 -15/90
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の(1)又は(2)を有効成分として含む、筋萎縮抑制剤:
(1)増殖分化因子10タンパク質;
(2)増殖分化因子10遺伝子、或いはその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクター。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は筋萎縮抑制剤に関する。詳しくは、筋萎縮抑制剤及びそれを用いた筋萎縮の治療・予防、並びに筋萎縮抑制剤のスクリーニング方法に関する。本出願は、2016年3月2日に出願された日本国特許出願第2016-040513号に基づく優先権を主張するものであり、当該特許出願の全内容は参照により援用される。
【背景技術】
【0002】
世界的に高齢化が問題になっている。日本では2014年現在で65歳以上の高齢者人口は総人口の25%を超える。75歳以上の高齢者も総人口の12%を超える。今後の更なる高齢化を見据え、高齢者の機能障害や要介護に至るのを予防することが極めて重要となる。
【0003】
筋萎縮は、老化、薬剤の副作用、癌や炎症による悪液質、高度外傷などの非遺伝性疾患及び筋ジストロフィーや神経原性の遺伝疾患により起こる。特に、高齢化社会を迎えた本邦では、サルコペニア(加齢性筋肉減少症)は増加する事が明らかであり、社会問題となっている。また、フレイルと呼ばれる疾患概念は、加齢による臓器の予備能力の低下で起こり、臓器の脆弱性から要介護状態に陥り死にいたる疾患概念で、筋萎縮も顕著に見られる。
【0004】
サルコペニアの病態は、筋量低下、筋力低下、身体活動性低下が重要で診断基準にも取り入れられている。診断基準は、欧米と日本人では体格の違いもあり、若干異なる。現在、サルコペニアを含めた筋萎縮の予防や治療法には良好なものはなく、その開発は急務と考えられる。疫学的にも、大腿周囲計が大きい人や筋量の多い人の方が長寿であるとの報告もあり、筋量を維持する事が健康寿命に重要と考えられる。
【0005】
骨格筋は、主に筋線維からなる生体で最重量組織であるが、少なくとも2つの幹細胞・前駆細胞システムがある。一つは、筋衛星細胞(サテライト細胞)と呼ばれる細胞で、筋の基底膜の直下で細胞膜との間に存在する(非特許文献1)。衛星細胞の主たる機能は、傷害時、再生時等に筋分化し融合し筋線維を供給することである。他の細胞系譜への寄与は少ないと考えられている。もう一つ、筋衛星細胞とは異なった間葉系前駆細胞が存在する。筋線維間の間質に存在する単核の細胞であり、細胞表面に、血小板由来増殖因子受容体α (PDGFRα)を発現している(非特許文献2)。間葉系前駆細胞は、それ自身は筋分化しないが、脂肪細胞に分化する他、骨芽細胞及び繊維芽細胞への分化能を示す(非特許文献3、4)。筋衛星細胞の筋分化に対しては、支持効果・促進効果を持つ(非特許文献2)。間葉系前駆細胞は、マウスのみならずヒト筋組織にも存在し、PDGFRαが良好な細胞表面マーカーとして利用可能である。従来の研究では、筋萎縮を防ぐには筋衛星細胞を活性化させる事が重要とするものが多いが、筋萎縮からの回復やマイオスタチン遮断による筋肥大には筋衛星細胞は必ずしも必要がないとの報告もある(非特許文献5~7)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2015-157785号公報
【文献】特開2014-015429号公報
【非特許文献】
【0007】
【文献】Satellite cells and skeletal muscle regeneration. Dumont NA, Bentzinger CF, Sincennes MC, Rudnicki MA.Compar Physiol 5(3):1027-59. 2015
【文献】Mesenchymal progenitors distinct from satellite cells contribute to ectopic fat cell formation in skeletal muscle. Uezumi A, Fukada S, Yamamoto N, Takeda S, Tsuchida K. Nat Cell Biol 12(2):143-52. 2010
【文献】Fibrosis and adipogenesis originate from a common mesenchymal progenitor in skeletal muscle. Uezumi A, Tsuchida K, Fukada S. et al., J Cell Sci 124(21):3654-64. 2011.
【文献】Osteogenic differentiation capacity of human skeletal muscle-derived progenitor cells. Oishi T, Uezumi A, Tsuchida K. et al., PLosONE 8(2); e56641. 2013.
【文献】Effective fiber hypertrophy in satellite cell-depleted skeletal muscle. McCarthy JJ. et al., Development 138(17):3657-66.2011.
【文献】Satellite cell depletion does not inhibit adult skeletal muscle regrowth following unloading-induced atrophy. Jackson JR et al., Am J Physiol Cell Physiol. 2012 Oct 15;303(8):C854-61
【文献】Role of satellite cells versus myofibers in muscle hypertrophy induced by inhibition of the myostatin/activin signaling pathway. Lee SJ et al. Proc Natl Acad Sci U S A. 2012 Aug 28;109(35) E2353-60
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
高齢化が進む中、サルコペニアやフレイル等は患者数が増大することが見込まれる。しかしながら、上記の通り、有効な治療法がないのが現状である。また、筋力の低下や筋萎縮を伴う難病の筋ジストロフィーについても、世界的に精力的な研究開発が進められているにもかかわらず、決定的な治療法の確立の目処はたっていない。そこで本発明は、筋萎縮に対する有効な手段を提供し、筋萎縮が原因又は基盤となる疾患や、筋萎縮を伴う(きたす)疾患等に対する有効な治療法の確立に資することを主たる課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
これまでは、骨格筋に存在する二つの幹細胞/前駆細胞の内、筋衛星細胞を対象とした研究が主流であったが(例えば特許文献1、2を参照)、本発明者らの研究グループは間葉系前駆細胞に注目して研究を行ってきた。上記課題を解決すべく検討する中で、筋萎縮からの回復や過負荷による筋肥大、マイオスタチン阻害による筋肥大等に筋衛星細胞は必須ではないとする研究があることや、筋衛星細胞欠損マウスの筋を障害すると再生が全く起こらないことから、筋線維が破壊されるような状況からの再生には筋衛星細胞は必須で他の細胞では代償の効かない唯一無二の存在であること等の報告(非特許文献5~7)も踏まえ、筋に存在する間葉系前駆細胞が筋肥大、筋萎縮及び筋維持に重要ではないかと考え、更に研究を推進させた。まず、定常状態の筋における、間葉系前駆細胞の役割を調べるため、間葉系前駆細胞を特異的に除去したマウスを作製し、その表現型を解析した。その結果、当該マウスは体重減少及び筋力の低下を示し、筋萎縮の新たなモデルとなることを示した。サルコペニアやフレイルのモデルとして有用である可能性もある。そこで、当該マウスと野生型マウスの間でマイクロアレイ解析を実施し、間葉系前駆細胞欠損により萎縮した骨格筋で発現が低下する遺伝子(候補遺伝子群1)を検索することにした。また、高齢化と筋萎縮/筋肉量低下との関係に注目し、若年マウスと老化マウスとの間でもマイクロアレイ解析をし、間葉系前駆細胞に特異的且つ老化により発現低下する遺伝子(候補遺伝子群2)を検索した。これらの二つの解析の結果、候補遺伝子群1と候補遺伝子群2の両方に該当するものとして、増殖分化因子10遺伝子、ケラトカン遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1遺伝子が見出された。即ち、老化などによって間葉系前駆細胞でその発現が低下することで筋萎縮が誘導されると考えられる責任遺伝子(本明細書中で「筋維持遺伝子」とも呼ぶ)の同定に成功した。これらの遺伝子の発現産物を補充することや、これらの遺伝子の発現を増加させることが筋萎縮、筋量低下などに対する有効な治療手段になることを期待できる。また、これらの遺伝子の発現を上昇させる化合物は有望な薬剤になる。従って、これらの遺伝子の発現を指標にすれば、筋萎縮、筋量低下などに有効な薬剤の効率的な探索を可能にするスクリーニング系を構築できる。一方、老化マウスでは、間葉系前駆細胞数が低下する現象を認めたことから、間葉系前駆細胞の増殖を促進する化合物もまた、筋萎縮、筋量低下などに薬効を示すと考えられる。即ち、「間葉系前駆細胞の増殖促進」も、スクリーニングの指標として有効である。更なる検討によって、スクリーニング系の有用性を裏づけ、且つスクリーニングを実施する上で有用となる情報(実験結果)が得られた。
以上の成果及び考察に基づき、以下の発明を提供する。
[1]以下の(1)又は(2)を有効成分として含む、筋萎縮抑制剤:
(1)増殖分化因子10タンパク質、ケラトカンタンパク質及びインターロイキン11受容体α鎖1タンパク質からなる群より選択される一以上のタンパク質;
(2)増殖分化因子10遺伝子、ケラトカン遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子、或いはその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクター。
[2]増殖分化因子10タンパク質が、配列番号1~3のいずれかのアミノ酸配列又は該アミノ酸配列に等価なアミノ酸配列を含み、
ケラトカンタンパク質が、配列番号5又は6のアミノ酸配列又は該アミノ酸配列に等価なアミノ酸配列を含み、
インターロイキン11受容体α鎖1タンパク質が、配列番号8又は9のアミノ酸配列又は該アミノ酸配列に等価なアミノ酸配列を含む、
[1]に記載の筋萎縮抑制剤。
[3]増殖分化因子10遺伝子が、配列番号4に示す塩基配列又は該塩基配列に等価な塩基配列を含み、
ケラトカン遺伝子が、配列番号7に示す塩基配列又は該塩基配列に等価な塩基配列を含み、
インターロイキン11受容体α鎖1遺伝子が、配列番号10に示す塩基配列又は該塩基配列に等価な塩基配列を含む、
[1]に記載の筋萎縮抑制剤。
[4][1]~[3]のいずれか一項に記載の筋萎縮抑制剤を含む、筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の予防又は治療に用いられる医療用組成物。
[5]前記疾患が、サルコペニア、フレイル、悪液質、筋ジストロフィー、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症、パーキンソン病、及び廃用性筋萎縮からなる群より選択される疾患である、[4]に記載の医療用組成物。
[6]筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の患者に対して、以下の(1)又は(2)を有効成分として含む医療用組成物を投与するステップを含む治療法:
(1)増殖分化因子10タンパク質、ケラトカンタンパク質及びインターロイキン11受容体α鎖1タンパク質からなる群より選択される一以上のタンパク質;
(2)増殖分化因子10遺伝子、ケラトカン遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子、或いはその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクター。
[7]ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を増殖させる作用を被験物質が示すか否か、及び/又は、ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞における、増殖分化因子10遺伝子、ケラトカン遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子の発現を上昇させる作用を被験物質が示すか否か、を調べることを特徴とする、筋萎縮抑制剤のスクリーニング方法。
[8]以下のステップ(i)~(iii)を含む、[7]に記載のスクリーニング方法:
(i)ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を被験物質存在下で培養するステップ;
(ii)前記細胞の増殖、及び/又は前記細胞における、増殖分化因子10遺伝子、ケラトカン遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子のmRNA発現レベル又はタンパク質発現レベルを測定するステップ;及び
(iii)測定結果に基づき被験物質の有効性を判定するステップであって、前記細胞の増殖の促進、及び/又は前記遺伝子のmRNA発現レベル又はタンパク質発現レベルの上昇が認められることが有効性の指標となるステップ。
[9]被験物質非存在下であること以外はステップ(i)と同一の条件下で培養した細胞(コントロール群)を用意し、該コントロール群と比較することにより、ステップ(iii)における有効性の判定を行う、[8]に記載のスクリーニング方法。
[10]前記筋萎縮抑制剤が、サルコペニア、フレイル、悪液質、筋ジストロフィー、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症、パーキンソン病、及び廃用性筋萎縮からなる群より選択される疾患の治療又は予防に用いられる、[7]~[9]のいずれか一項に記載のスクリーニング方法。
[11]前記筋萎縮抑制剤が、筋萎縮に伴う病態の治療又は予防に用いられる、[7]~[9]のいずれか一項に記載のスクリーニング方法。
[12]筋萎縮に伴う病態が、筋の脂肪化又は繊維化である、[11]に記載のスクリーニング方法。
[13]前記ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞は、血小板由来増殖因子受容体α陽性、CD105陽性、CD90陽性、CD34陰性、CD31陰性、及びCD45陰性である、[7]~[12]のいずれか一項に記載のスクリーニング方法。
[14]前記ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞は、健常者由来の筋組織、又は筋萎縮を認める者由来の筋組織から純化した間葉系前駆細胞である、[7]~[13]のいずれか一項に記載のスクリーニング方法。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】間葉系前駆細胞除去マウスの骨格筋染色。間葉系前駆細胞除去マウス(右)では、間葉系前駆細胞が約80%減少し、染色が著しく低下した。
【
図2】間葉系前駆細胞除去マウスの体重及び筋力の測定。間葉系前駆細胞除去マウスに顕著な体重減少及び筋力低下が認められた。
【
図3】間葉系前駆細胞除去マウスの筋重力の測定。間葉系前駆細胞除去マウスに顕著な筋重量の減少が認められた。
【
図4】マイクロアレイ解析の概要。マイクロアレイ解析を用い、間葉系前駆細胞の欠損によって萎縮した骨格筋で有意に発現低下する遺伝子(左)と、間葉系前駆細胞に特異的且つ老化により発現低下する遺伝子(右)を選出した。
【
図5】老化マウスと若年マウスとの間での間葉系前駆細胞数の比較。FACSで解析した結果、老化マウスではPDGFRα陽性の間葉系前駆細胞が減少していた。
【
図6】同定された筋維持遺伝子の各細胞での発現。Gdf10遺伝子、Kera遺伝子及びIl11ra1遺伝子は間葉系前駆細胞特異的な発現を示し、老化によってその発現量が有意に低下した。尚、Akr1a1(Aldehyde Reductase)の発現レベルに対する相対値として各遺伝子の発現レベルを示した。
【
図7】ヒト骨格筋由来幹細胞の分離・純化方法の概要。抗体染色及びセルソーターを利用して高品質(高純度)で筋衛生細胞と間葉系前駆細胞を得る。
【
図8】ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を用いたスクリーニング。ヒト間葉系前駆細胞を被験物質(新規薬剤の候補)の存在下で培養し、筋維持遺伝子の発現レベルの変化を調べる。
【
図9】筋維持遺伝子の作用メカニズムの検討。単離した筋衛星細胞(CD56陽性)を用い、rGDF10によるSmad2、Smad1/5/8及びAktのリン酸化を検出した。A:P-Smad2の検出結果、B:P-Smad1/5/8の検出結果、C:P-Aktの検出結果。
【
図10】Smad1/5/8のリン酸化とp-Aktの活性化の阻害剤による阻害。ALK(activin receptor-like kinase)阻害剤によって、Smad1/5/8のリン酸化及びAktのリン酸化の活性化が阻害されるか検討した。A:P-Smad1/5/8の検出結果、B:P-Aktの検出結果。
【発明を実施するための形態】
【0011】
1.筋萎縮抑制剤
本発明の第1の局面は筋萎縮抑制剤に関する。「筋萎縮抑制剤」とは、骨格筋の萎縮に対して予防的又は治療的効果を示す薬剤をいう。本発明の筋萎縮抑制剤は、骨格筋に存在する間葉系前駆細胞に作用し、又は間葉系前駆細胞を補助することによって、その効果を発揮する。本発明において、骨格筋の萎縮の原因は特に限定されない。本発明の筋萎縮抑制剤の標的となり得る筋萎縮を例示すれば、老化に伴う筋萎縮、筋ジストロフィーに代表される骨格筋の病変を主体とする疾患における筋萎縮、がんなどの疾患に伴う副次的な筋萎縮、外科的手術後の筋萎縮、外傷による筋萎縮である。本発明の筋萎縮抑制剤によれば、筋萎縮の改善、更なる筋萎縮の阻止、骨格筋量の増大、骨格筋量の減少の阻止等を図ることが可能となる。
【0012】
本発明の筋萎縮抑制剤は、骨格筋の間葉系前駆細胞に特異的に発現する増殖分化因子10(以下、慣例に従い「GDF10」と表記する)分子、プロテオグリカンの一種であるケラトカン(以下、慣例に従い「KERA」と表記する)分子、及びインターロイキン11受容体α鎖1(以下、慣例に従い「IL11RA1」と表記する)が筋萎縮に関与するという知見に基づき、有効成分として(1)GDF10タンパク質、KERAタンパク質又はIL11RA1タンパク質、或いは(2)GDF10遺伝子、KERA遺伝子又はIL11RA1遺伝子、或いはこれらの遺伝子の転写産物であるmRNAを保持する発現ベクターを含む。本発明の筋萎縮抑制剤は通常(1)又は(2)のみを含むが、両成分を含むことを妨げるものではない。また、二つ以上の上記タンパク質(例えばGDF10タンパク質とKERAタンパク質)を有効成分としてもよい。同様に、二つ以上の上記遺伝子(例えばGDF10遺伝子とKERA遺伝子)或いはその転写産物を有効成分としてもよい。二つ以上のタンパク質、遺伝子又はmRNAを併用する場合の組合せは特に限定されない。尚、説明の便宜上、以下では、本発明の有効成分となる三種類のタンパク質(GDF10タンパク質、KERAタンパク質、IL11RA1タンパク質)を包括的に「筋維持遺伝子産物」と呼び、同三種類の遺伝子(GDF10遺伝子、KERA遺伝子、IL11RA1遺伝子)を包括的に「筋維持遺伝子」と呼ぶことがある。
【0013】
(1)GDF10タンパク質
GDF10(growth differentiation factor 10)はTGF-βファミリーに属する因子の一つで、これまでに骨格筋での機能は明らかでなかった分子である。ヒトGDF10のアミノ酸配列及びそれをコードするヌクレオチド配列を配列番号1(ACCESSION: NP_004953, DEFINITION: growth/differentiation factor 10 precursor [Homo sapiens].)及び配列番号4(ACCESSION: NM_004962, DEFINITION: Homo sapiens growth differentiation factor 10 (GDF10), mRNA.)(翻訳領域は429位~1862位)にそれぞれ示す。本発明の有効成分の一つであるGDF10タンパク質として、配列番号1に示した全長(シグナルペプチドを含む)の他、成熟体(配列番号2又は配列番号3)、或いはこれらの一部を用いることにしてもよい。また、単量体であっても、二量体であってもよい。
【0014】
(2)KERAタンパク質
ケラトカン(Keratocan)は、ケラタン硫酸を側鎖に持つことから命名されたロイシンリッチプロテオグリカンであり、20~30アミノ酸からなるロイシンに富んだリピート配列領域(ロイシンリッチリピート)を有する。ケラタン硫酸で翻訳後修飾されるプロテオグリカンと考えられており、細胞外基質の構成成分の一つである。ヒトKERAのアミノ酸配列及びそれをコードするヌクレオチド配列を配列番号5(ACCESSION: NP_008966, DEFINITION: keratocan precursor [Homo sapiens].)及び配列番号7(ACCESSION: NM_007035, DEFINITION: Homo sapiens keratocan (KERA), mRNA.)(翻訳領域は620位~1678位)にそれぞれ示す。尚、本発明の有効成分の一つであるKERAタンパク質として、配列番号5に示した全長(シグナルペプチドを含む)の他、成熟体(配列番号6)を用いることにしてもよい。
【0015】
(3)IL11RA1タンパク質
IL11RA1は、インターロイキン11(IL-11)のシグナルを伝える受容体の一種である。IL-11はIL-6のファミリーに属するサイトカインである。ヒトIL11RA1のアミノ酸配列及びそれをコードするヌクレオチド配列を配列番号8(ACCESSION: NP_001136256, DEFINITION: interleukin-11 receptor subunit alpha precursor [Homo sapiens].)及び配列番号10(ACCESSION: NM_001142784, DEFINITION: Homo sapiens interleukin 11 receptor subunit alpha (IL11RA), transcript variant 3, mRNA.)(翻訳領域は50位~1318位)にそれぞれ示す。尚、本発明の有効成分の一つであるIL11RA1タンパク質として、配列番号8に示した全長(シグナルペプチドを含む)の他、成熟体(配列番号9)を用いることにしてもよい。IL11RA1には種々のスプライシングヴァリアントが存在し、それらを用いることも可能である。
【0016】
上記の各タンパク質(全長、成熟体など)のアミノ酸配列と等価なアミノ酸配列を含むポリペプチドを筋維持遺伝子産物として用いることもできる。ここでの「等価なアミノ酸配列」とは、基準となるアミノ酸配列(例えば配列番号1のアミノ酸配列)と一部で相違するが、当該相違がタンパク質の機能(筋萎縮抑制作用)に実質的な影響を与えていないアミノ酸配列のことをいう。従って、基準となるアミノ酸配列と、それに等価なアミノ酸配列との間には機能上の実質的な同一性が認められる。
【0017】
「アミノ酸配列の一部で相違する」とは、典型的には、アミノ酸配列を構成する1~数個(上限は例えば3個、5個、7個、10個)のアミノ酸の欠失、置換、若しくは1~数個(上限は例えば3個、5個、7個、10個)のアミノ酸の付加、挿入、又はこれらの組合せによりアミノ酸配列に変異(変化)が生じていることをいう。ここでのアミノ酸配列の相違は上記機能の大幅な低下がない限り許容される。この条件を満たす限りアミノ酸配列が相違する位置は特に限定されず、また複数の位置で相違が生じていてもよい。ここでの複数とは例えば全アミノ酸の約30%未満に相当する数であり、好ましくは約20%未満に相当する数であり、さらに好ましくは約10%未満に相当する数であり、より一層好ましくは約5%未満に相当する数であり、最も好ましくは約1%未満に相当する数である。即ち等価アミノ酸配列は、基準となるアミノ酸配列と例えば約70%以上、好ましくは約80%以上、さらに好ましくは約90%以上、より一層好ましくは約95%以上、最も好ましくは約99%以上の配列同一性を有する。
【0018】
基準となるアミノ酸配列と等価アミノ酸配列との間の相違が保存的アミノ酸置換基によって生じていることが好ましい。ここでの「保存的アミノ酸置換」とは、あるアミノ酸残基を、同様の性質の側鎖を有するアミノ酸残基に置換することをいう。アミノ酸残基はその側鎖によって塩基性側鎖(例えばリシン、アルギニン、ヒスチジン)、酸性側鎖(例えばアスパラギン酸、グルタミン酸)、非荷電極性側鎖(例えばグリシン、アスパラギン、グルタミン、セリン、スレオニン、チロシン、システイン)、非極性側鎖(例えばアラニン、バリン、ロイシン、イソロイシン、プロリン、フェニルアラニン、メチオニン、トリプトファン)、β分岐側鎖(例えばスレオニン、バリン、イソロイシン)、芳香族側鎖(例えばチロシン、フェニルアラニン、トリプトファン、ヒスチジン)のように、いくつかのファミリーに分類されている。保存的アミノ酸置換は好ましくは、同一のファミリー内のアミノ酸残基間の置換である。
【0019】
ところで、二つのアミノ酸配列又は二つの塩基配列(以下、これらを含む用語として「二つの配列」を使用する)の配列同一性(%)は例えば以下の手順で決定することができる。まず、最適な比較ができるよう二つの配列を並べる(例えば、第一の配列にギャップを導入して第二の配列とのアライメントを最適化してもよい)。第一の配列の特定位置の分子(アミノ酸残基又はヌクレオチド)が、第二の配列における対応する位置の分子と同じであるとき、その位置の分子が同一であるといえる。配列同一性は、その二つの配列に共通する同一位置の数の関数であり(すなわち、配列同一性(%)=同一位置の数/位置の総数 × 100)、好ましくは、アライメントの最適化に要したギャップの数及びサイズも考慮に入れる。
【0020】
二つの配列の比較及び同一性の決定は数学的アルゴリズムを用いて実現可能である。配列の比較に利用可能な数学的アルゴリズムの具体例としては、Karlin及びAltschul (1990) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 87:2264-68に記載され、Karlin及びAltschul (1993) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 90:5873-77において改変されたアルゴリズムがあるが、これに限定されることはない。このようなアルゴリズムは、Altschulら (1990) J. Mol. Biol. 215:403-10に記載のNBLASTプログラム及びXBLASTプログラム(バージョン2.0)に組み込まれている。等価な塩基配列を得るには例えば、NBLASTプログラムでscore = 100、wordlength = 12としてBLASTヌクレオチド検索を行えばよい。一方、等価なアミノ酸配列を得るには例えば、XBLASTプログラムでscore = 50、wordlength = 3としてBLASTポリペプチド検索を行えばよい。比較のためのギャップアライメントを得るためには、Altschulら (1997) Amino Acids Research 25(17):3389-3402に記載のGapped BLASTが利用可能である。BLAST及びGapped BLASTを利用する場合は、対応するプログラム(例えばXBLAST及びNBLAST)のデフォルトパラメータを使用することができる。詳しくは例えばNCBIのウェブページを参照されたい。配列の比較に利用可能な他の数学的アルゴリズムの例としては、Myers及びMiller (1988) Comput Appl Biosci. 4:11-17に記載のアルゴリズムがある。このようなアルゴリズムは、例えばGENESTREAMネットワークサーバー(IGH Montpellier、フランス)またはISRECサーバーで利用可能なALIGNプログラムに組み込まれている。アミノ酸配列の比較にALIGNプログラムを利用する場合は例えば、PAM120残基質量表を使用し、ギャップ長ペナルティ=12、ギャップペナルティ=4とすることができる。
【0021】
二つのアミノ酸配列の同一性を、GCGソフトウェアパッケージのGAPプログラムを用いて、Blossom 62マトリックスまたはPAM250マトリックスを使用し、ギャップ加重=12、10、8、6、又は4、ギャップ長加重=2、3、又は4として決定することができる。また、二つの塩基配列の同一性を、GCGソフトウェアパッケージのGAPプログラムを用いて、ギャップ加重=50、ギャップ長加重=3として決定することができる。
【0022】
有効成分である筋維持遺伝子産物は、本明細書又は添付の配列表が開示する配列情報を参考にして、標準的な遺伝子工学的手法、分子生物学的手法、生化学的手法などを用いることによって容易に調製することができる。例えば、筋維持遺伝子産物をコードするDNAで適当な宿主細胞(例えば大腸菌、酵母、哺乳動物細胞など)を形質転換し、形質転換体内で発現されたタンパク質を回収することにより調製することができる。回収されたタンパク質は目的に応じて適宜精製される。このように組換えタンパク質として筋維持遺伝子産物を得ることにすれば種々の修飾が可能である。例えば、筋維持遺伝子産物をコードするDNAと他の適当なDNAとを同じベクターに挿入し、当該ベクターを用いて組換えタンパク質の生産を行えば、任意のペプチドないしタンパク質が連結された組換えタンパク質からなる筋維持遺伝子産物を得ることができる。また、糖鎖及び/又は脂質の付加や、あるいはN末端若しくはC末端のプロセッシングが生ずるような修飾を施してもよい。以上のような修飾により、組換えタンパク質の抽出、精製の簡便化、又は生物学的機能の付加等が可能である。
【0023】
質的均一性及び純度の面などから、筋維持遺伝子産物を遺伝子工学的手法によって調製することが好ましい。しかしながら、筋維持遺伝子産物の調製法は遺伝子工学的手法によるものに限られない。例えば、天然材料(例えば骨格筋)から標準的な手法(破砕、抽出、精製など)によって筋維持遺伝子産物を調製することもできる。
【0024】
(2)筋維持遺伝子又はその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクター
本発明の一態様では、GDF10遺伝子、KERA遺伝子、又はIL11RA1遺伝子、或いはその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクターを有効成分とする。「発現ベクター」とは、それに挿入された核酸を目的の細胞(宿主細胞)内に導入することができ、且つ当該細胞内において発現させることが可能なベクターをいう。本発明に係る発現ベクターでは、筋維持遺伝子又はその転写産物であるmRNAが発現可能に保持されることになる。筋維持遺伝子又はmRNAを標的細胞に導入し、標的細胞内で発現させることが可能である限り、ベクターの種類は特に限定されない。ここでの「ベクター」にはウイルスベクター及び非ウイルスベクターが含まれる。ウイルスベクターを用いた遺伝子導入法は、ウイルスが細胞へと感染する現象を巧みに利用するものであり、高い遺伝子導入効率が得られる。ウイルスベクターとしてアデノウイルスベクター、アデノ随伴ウイルスベクター、レトロウイルスベクター、レンチウイルスベクター、ヘルペスウイルスベクター、センダイウイルスベクター等が開発されている。
【0025】
非ウイルスベクターとしてリポソーム、正電荷型リポソーム(Felgner, P.L., Gadek, T.R., Holm, M. et al., Proc. Natl. Acad. Sci., 84:7413-7417, 1987)、HVJ(Hemagglutinating virus of Japan)-リポソーム(Dzau, V.J., Mann, M., Morishita, R. et al., Proc. Natl. Acad. Sci., 93:11421-11425, 1996、Kaneda, Y., Saeki, Y. & Morishita, R., Molecular Med. Today, 5:298-303, 1999)等が開発されている。本発明における発現ベクターをこのような非ウイルス性ベクターとして構築してもよい。YACベクター、BACベクター等を利用することにしてもよい。また、高分子ミセルを利用することもできる(Baba M et ald. J Control Release. 2015 Mar 10;201:41-8.、Matsui A. et al. Scientific Reports 5, Article number: 15810(2015) doi:10.1038/srep15810、Hailati Aini H. et al., Scientific Reports 6, Article number: 18743(2016) doi:10.1038/srep18743.を参照)。高分子ミセルは、mRNAを有効成分とした場合に特に有用である。
【0026】
アデノ随伴ウイルスベクター、レトロウイルスベクター、レンチウイルスベクターではベクターに組み込んだ外来遺伝子が宿主染色体へと組み込まれ、安定かつ長期的な発現が期待できる。レトロウイルスベクターの場合はウイルスゲノムの宿主染色体への組み込みには細胞の分裂が必要であることから非分裂細胞への遺伝子導入には適さない。一方、レンチウイルスベクターやアデノ随伴ウイルスベクターは非分裂細胞においても感染後に外来遺伝子の宿主染色体への組み込みが生ずる。従って、これらのベクターは非分裂細胞において安定かつ長期的に外来遺伝子を発現させるために有効である。
【0027】
各ウイルスベクターは既報の方法に従い又は市販される専用のキットを用いて作製することができる。例えば、アデノウイルスベクターの作製はCOS-TPC法や完全長DNA導入法などで行うことができる。COS-TPC法は、目的のcDNA又は発現カセットを組み込んだ組換えコスミドと、親ウイルスDNA-末端タンパク質複合体(DNA-TPC)を293細胞に同時トランスフェクションし、293細胞内でおこる相同組換えを利用して組換えアデノウイルスを作製する方法である(Miyake,S., Makimura,M., Kanegae,Y., Harada,S., Takamori,K., Tokuda,C., and Saito,I. (1996) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 93, 1320.)。一方、完全長DNA導入法は、目的の遺伝子を挿入した組換えコスミドを制限消化処理した後、293細胞にトランスフェクションすることによって組換えアデノウイルスを作製する方法である(寺島美保、近藤小貴、鐘ヶ江裕美、斎藤泉(2003)実験医学 21(7)931.)。COS-TPC法はAdenovirus Expression Vector Kit (Dual Version)(タカラバイオ株式会社)、Adenovirus genome DNA-TPC(タカラバイオ株式会社)を利用して行うことができる。また、完全長DNA導入法は、Adenovirus Expression Vector Kit (Dual Version)(タカラバイオ株式会社)を利用して行うことができる。
【0028】
一方、レトロウイルスベクターは以下の手順で作製することができる。まず、ウイルスゲノムの両端に存在するLTR(Long Terminal Repeat)の間のパッケージングシグナル配列以外のウイルスゲノム(gag、pol、env遺伝子)を取り除き、そこへ目的の遺伝子を挿入する。このようにして構築したウイルスDNAを、gag、pol、env遺伝子を構成的に発現するパッケージング細胞に導入する。これによって、パッケージングシグナル配列をもつベクターRNAのみがウイルス粒子に組み込まれ、レトロウイルスベクターが産生される。
【0029】
アデノベクターを応用ないし改良したベクターとして、ファイバータンパク質の改変により特異性を向上させたもの(特異的感染ベクター)や目的遺伝子の発現効率向上が期待できるguttedベクター(ヘルパー依存性型ベクター)などが開発されている。本発明の発現ベクターをこのようなウイルスベクターとして構築してもよい。
【0030】
発現ベクターに挿入される筋維持遺伝子は好ましくは配列番号4(GDF10遺伝子)、配列番号7(KERA遺伝子)又は配列番号10(IL11RA1遺伝子)の塩基配列からなる。但し、当該塩基配列に等価な塩基配列かならなるDNA(以下、「等価DNA」と呼ぶ)を筋維持遺伝子として用いることもできる。ここでの「等価な塩基配列」とは、基準の塩基配列(例えば配列番号4の塩基配列)と一部で相違するが、当該相違によってそれがコードするタンパク質の機能(筋萎縮抑制作用)が実質的な影響を受けていない塩基配列のことをいう。等価DNAの具体例は、基準の塩基配列に相補的な塩基配列に対してストリンジェントな条件下でハイブリダイズするDNAである。ここでの「ストリンジェントな条件」とは、いわゆる特異的なハイブリッドが形成され、非特異的なハイブリッドが形成されない条件をいう。このようなストリンジェントな条件は当業者に公知であって例えばMolecular Cloning(Third Edition, Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York)やCurrent protocols in molecular biology(edited by Frederick M. Ausubel et al., 1987)を参照して設定することができる。ストリンジェントな条件として例えば、ハイブリダイゼーション液(50%ホルムアミド、10×SSC(0.15M NaCl, 15mM sodium citrate, pH 7.0)、5×Denhardt溶液、1% SDS、10% デキストラン硫酸、10μg/mlの変性サケ精子DNA、50mMリン酸バッファー(pH7.5))を用いて約42℃~約50℃でインキュベーションし、その後0.1×SSC、0.1% SDSを用いて約65℃~約70℃で洗浄する条件を挙げることができる。更に好ましいストリンジェントな条件として例えば、ハイブリダイゼーション液として50%ホルムアミド、5×SSC(0.15M NaCl, 15mM sodium citrate, pH 7.0)、1×Denhardt溶液、1%SDS、10%デキストラン硫酸、10μg/mlの変性サケ精子DNA、50mMリン酸バッファー(pH7.5))を用いる条件を挙げることができる。
【0031】
等価DNAの他の具体例として、基準の塩基配列に対して1若しくは複数の塩基の置換、欠失、挿入、付加、又は逆位を含む塩基配列からなり、筋萎縮抑制に有効なタンパク質をコードするDNAを挙げることができる。塩基の置換や欠失などは複数の部位に生じていてもよい。ここでの「複数」とは、当該DNAがコードするタンパク質の立体構造におけるアミノ酸残基の位置や種類によっても異なるが例えば2~40塩基、好ましくは2~20塩基、より好ましくは2~10塩基である。以上のような等価DNAは例えば、制限酵素処理、エキソヌクレアーゼやDNAリガーゼ等による処理、位置指定突然変異導入法(Molecular Cloning, Third Edition, Chapter 13 ,Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York)やランダム突然変異導入法(Molecular Cloning, Third Edition, Chapter 13 ,Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York)による変異の導入などを利用して、塩基の置換、欠失、挿入、付加、及び/又は逆位を含むように基準の塩基配列を有するDNAを改変することによって得ることができる。また、紫外線照射など他の方法によっても等価DNAを得ることができる。
【0032】
等価DNAの更に他の例として、SNP(一塩基多型)に代表される多型に起因して上記のごとき塩基の相違が認められるDNAを挙げることができる。
【0033】
筋維持遺伝子及びその転写産物であるmRNAは、本明細書又は添付の配列表が開示する配列情報を参考にし、標準的な遺伝子工学的手法、分子生物学的手法、生化学的手法などを用いることによって調製することができる。例えば、筋維持遺伝子に対して特異的にハイブリダイズ可能なオリゴヌクレオチドプローブ・プライマーを適宜利用することによってヒトcDNAライブラリーより筋維持遺伝子を単離(及び増幅)することができる。オリゴヌクレオチドプローブ・プライマーとしては、例えば、配列番号4に示す塩基配列に相補的なDNA又はその連続した一部(GDF10遺伝子の場合)、配列番号7に示す塩基配列に相補的なDNA又はその連続した一部(KERA遺伝子の場合)又は配列番号10に示す塩基配列に相補的なDNA又はその連続した一部(IL11RA1遺伝子の場合)が用いられる。オリゴヌクレオチドプローブ・プライマーは市販の自動化DNA合成装置などを用いて容易に合成することができる。尚、筋維持遺伝子を調製するために用いるライブラリーの作製方法については、例えばMolecular Cloning, Third Edition, Cold Spring Harbor Laboratory Press, New Yorkが参考になる。
【0034】
筋維持遺伝子の転写産物であるmRNAについても、公知の方法、例えばin vitro転写法によって調製することができる。
【0035】
ヒトcDNAライブラリーに代えてヒト以外の哺乳動物細胞(例えば、サル、マウス、ラット、ブタ、ウシ)由来のcDNAライブラリーを用いれば等価DNAを調製可能である。
【0036】
2.医薬及び医薬部外品
本発明の第2の局面は本発明の筋萎縮抑制剤の医療用途に関する。具体的には、本発明の筋萎縮抑制剤を含む医薬又は医薬部外品(本明細書では、医薬と医薬部外品をまとめて「医療用組成物」と呼ぶ)を提供する。本発明の医療用組成物は、典型的には、筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の予防又は治療に用いられる。該当する疾患を例示すると、サルコペニア、フレイル、悪液質、筋ジストロフィー、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症、パーキンソン病、廃用性筋萎縮である。筋萎縮に伴う病態として、筋の脂肪化又は繊維化が重要である。このような病態に対して本発明の筋萎縮抑制剤を適用することにしてもよい。
【0037】
本発明の医療用組成物は、標的疾患に対する治療的又は予防的効果を示す。治療的効果には、標的疾患に特徴的な症状又は随伴症状を緩和すること(軽症化)、症状の悪化を阻止ないし遅延すること等が含まれる。後者については、重症化を予防するという点において予防的効果の一つと捉えることができる。このように、治療的効果と予防的効果は一部において重複する概念であり、明確に区別して捉えることは困難であり、またそうすることの実益は少ない。尚、予防的効果の典型的なものは、標的疾患に特徴的な症状や病態の発現(発症)又は再発を阻止ないし遅延することである。尚、標的疾患に対して何らかの治療的効果又は予防的効果、或いはこの両者を示す限り、本発明の医療用組成物に該当する。
【0038】
本発明の医療用組成物の製剤化は常法に従って行うことができる。製剤化する場合には、製剤上許容される他の成分(例えば、担体、賦形剤、崩壊剤、緩衝剤、乳化剤、懸濁剤、無痛化剤、安定剤、保存剤、防腐剤、生理食塩水など)を含有させることができる。賦形剤としては乳糖、デンプン、ソルビトール、D-マンニトール、白糖等を用いることができる。崩壊剤としてはデンプン、カルボキシメチルセルロース、炭酸カルシウム等を用いることができる。緩衝剤としてはリン酸塩、クエン酸塩、酢酸塩等を用いることができる。乳化剤としてはアラビアゴム、アルギン酸ナトリウム、トラガント等を用いることができる。懸濁剤としてはモノステアリン酸グリセリン、モノステアリン酸アルミニウム、メチルセルロース、カルボキシメチルセルロース、ヒドロキシメチルセルロース、ラウリル硫酸ナトリウム等を用いることができる。無痛化剤としてはベンジルアルコール、クロロブタノール、ソルビトール等を用いることができる。安定剤としてはプロピレングリコール、アスコルビン酸等を用いることができる。保存剤としてはフェノール、塩化ベンザルコニウム、ベンジルアルコール、クロロブタノール、メチルパラベン等を用いることができる。防腐剤としては塩化ベンザルコニウム、パラオキシ安息香酸、クロロブタノール等と用いることができる。
【0039】
製剤化する場合の剤型も特に限定されず、例えば注射剤、外用剤、座剤、錠剤、散剤、細粒剤、顆粒剤、カプセル剤、シロップ剤などとして本発明の医療用組成物を提供できる。
【0040】
本発明の医療用組成物には、期待される治療効果や予防効果を得るために必要な量(即ち治療上有効量)の有効成分が含有される。本発明の医療用組成物に含まれる有効成分量は一般に剤型や形態によって異なるが、所望の投与量を達成できるように有効成分量を例えば約0.1重量%~約99重量%の範囲内で設定する。
【0041】
本発明の医療用組成物はその剤型・形態に応じて経口又は非経口(静脈内、動脈内、皮下、筋肉、又は腹腔内注射、経皮、経鼻、経粘膜、塗布など)で対象に適用される。ここでの「対象」は特に限定されず、ヒト及びヒト以外の哺乳動物(ペット動物、家畜、実験動物を含む。具体的には例えばマウス、ラット、モルモット、ハムスター、サル、ウシ、ブタ、ヤギ、ヒツジ、イヌ、ネコ、ニワトリ、ウズラ等である)を含む。好ましい態様では、適用対象はヒトである。
【0042】
本発明の医療用組成物の投与量・使用量は、期待される効果が得られるように設定される。有効な投与量の設定においては一般に適用対象の症状、年齢、性別、体重などが考慮される。尚、当業者であればこれらの事項を考慮して適当な投与量を設定することが可能である。投与スケジュールとしては例えば一日一回~数回、二日に一回、或いは三日に一回などを採用できる。投与スケジュールの作成においては、適用対象の症状や有効成分の効果持続時間などを考慮することができる。
【0043】
ここで、筋維持遺伝子又はその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクターを有効成分とした場合、薬学的に許容可能な媒体を組み合わせて製剤化するとよい。「薬学的に許容可能な媒体」とは、発現ベクターの薬効(即ち標的疾患に対する治療又は予防効果)に実質的な影響を与えることなく発現ベクターの投与や保存等に関して利点ないし恩恵をもたらす物質をいう。「薬学的に許容可能な媒体」として、脱イオン水、超純水、生理食塩水、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)、5%デキストロース水溶液等を例示できる。本発明の組成物に、懸濁剤、無痛化剤、安定剤(アルブミンやPrionex(登録商標、ペンタファームジャパン)等)、保存剤、防腐剤など、その他の成分を含有させてもよい。
【0044】
筋維持遺伝子又はその転写産物であるmRNAを保持する発現ベクターがウイルスベクターの形態の場合、生体適合性のポリオル(例えばpoloxamer407など)を併用することが好ましい。ポリオルの使用によってウイルスベクターの形質導入率を10~100倍に上昇させ得る(March et al., Human Gene Therapy 6:41-53, 1995)。従って、ポリオルを併用することにすればウイルスベクターの投与量を低く抑えることができる。尚、本発明の医療用組成物の一成分としてポリオルを使用することにしても、本発明の医療用組成物とは別にポリオル(又はそれを含む組成物)を調製することにしてもよい。後者の場合、本発明の医療用組成物を投与するときにポリオル(又はそれを含む組成物)を併せて投与することになる。
【0045】
以上の記述から明らかな通り本出願は、筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の患者又は潜在的患者(将来罹患するおそれのある者)に対して本発明の医療用組成物を治療上有効量投与することを特徴とする治療法や予防法も提供する。
【0046】
3.筋萎縮抑制剤のスクリーニング方法
本発明の第3の局面は筋萎縮抑制作用を示す物質をスクリーニングする方法に関する。本発明のスクリーニング方法によって選抜された化合物は、筋萎縮抑制剤の有効成分として有望であり、サルコペニア、フレイル、悪液質、筋ジストロフィー、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症、パーキンソン病、廃用性筋萎縮等、筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の治療や予防に利用され得る。本発明のスクリーニング方法によって選抜された化合物を、筋萎縮に伴う病態の治療や予防に利用することにしてもよい。上記の通り、筋萎縮に伴う病態とてして、筋の脂肪化又は繊維化が重要である。本発明のスクリーニング方法では、「老化と筋萎縮との関係」及び「老化と骨格筋の間葉系前駆細胞数との間に関連が認められた事実」(後述の実施例を参照)から導き出される、「骨格筋の間葉系前駆細胞数を増加することが筋萎縮の抑制に有効である」との知見に基づき、第1の指標として、「骨格筋の間葉系前駆細胞の増殖の促進が認められること」を採用する。また、「骨格筋の間葉系前駆細胞における特定の遺伝子の発現の低下が筋萎縮に関与する」との知見(後述の実施例を参照)に基づき、「GDF10遺伝子、KERA遺伝子、及びIL11RA1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子の発現レベル(mRNA発現レベル又はタンパク質発現レベル)の上昇が認められること」を第2の指標として採用する。これら二つの指標を単独又は組合せて使用し、被験物質の有効性を判断する。即ち、本発明のスクリーニング方法は、ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を増殖させる作用を被験物質が示すか否か(第1の指標の利用)、及び/又はヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞における、GDF10遺伝子、KERA遺伝子、及びIL11RA1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子の発現を上昇させる作用を被験物質が示すか否か(第2の指標の利用)、を調べることを特徴とする。典型的には、本発明では以下のステップを実施する。
(i)ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を被験物質存在下で培養するステップ
(ii)前記細胞の増殖の測定、及び/又は前記細胞における、GDF10遺伝子、KERA遺伝子、及びIL11RA1遺伝子からなる群より選択される一以上の遺伝子のmRNA発現レベル又はタンパク質発現レベルの測定を行うステップ
(iii)測定結果に基づき被験物質の有効性を判定するステップであって、前記細胞の増殖の促進、及び/又は前記遺伝子のmRNA発現レベル又はタンパク質発現レベルの上昇が認められることが有効性の指標となるステップ
【0047】
ステップ(i)では、予め用意しておいたヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を被験物質の存在下で培養する。ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞とは、ヒト骨格筋に存在する間葉系前駆細胞であり、自らは筋分化しないが、筋衛星細胞の分化に影響し支持する。分化系譜としては、脂肪細胞、繊維芽細胞、骨細胞などの間葉系細胞系譜の細胞に分化する。間葉系前駆細胞は一般的な培養皿に付着し、CD105及びCD90は陽性であり、CD34、CD31及びCD45は陰性である。上述のように、特に信頼性の高い表面マーカーは血小板由来増殖因子受容体α(PDGFRα)である。尚、ヒト筋衛星細胞はCD56陽性であり、当該表面マーカーを利用して間葉系前駆細胞と分離、精製することが可能である。
【0048】
骨格筋内の間質に存在する間葉系前駆細胞を、ヒト筋組織から高品質に純化して培養し、本発明のスクリーニングに供するとよい。ヒト筋組織としては、健常者由来の組織(正常ヒト筋組織)の他、筋萎縮を認める者由来の組織(患者筋組織)を用いることが可能である。ヒト骨格筋間葉系前駆細胞は例えば、以下の方法によって調製することができる。尚、当該細胞の調製にあたっては、既報の論文(非特許文献4)が参考になる。
【0049】
まず、所定の手続(例えば倫理審査)を経た後、手術等で切除したヒト筋組織を得る。ハンクス等張緩衝液に溶解した0.2%コラゲナーゼで消化する。滅菌したコラゲナーゼ溶液をビーカーに滴下し、細断した筋組織を入れ撹拌する。処理条件は例えば37℃、30分程度とする。また、1グラム当たり4ml程度の酵素液を使用することが望ましい。消化した筋組織を18ゲージ針に数回通した後、消化処理を15分程度継続する。PBSを適量加えて混合した後、100μmメッシュ、続いて40μmメッシュのセルストレイナーに通して濾過し、1g当たり50ml程度に調整する。細胞を遠沈し集める。アンモニウムクロライドを含んだ低張溶液に再懸濁し後、遠沈する。増殖培地で再懸濁し、コラーゲンIでコートされた培養皿に播種する。70~80%コンフルエントにまで増殖させた後、トリプシン処理で細胞を剥離し、最終的に洗浄緩衝液(2.5% FBS含有PBS)で細胞数5×106/ml程度に調整する。効率的な増殖のために低酸素培養を用いる。筋衛星細胞用にPE (フィコエスリン)-CD56抗体を、間葉系前駆細胞用にはビオチン化PDGFRα抗体を用い、各細胞を標識(染色)する。陰性対照や2つの抗体で染色した試料も用意するとよい。染色後、ストレプトアビジン-PE/Cy5を添加する。洗浄後、40μmメッシュのセルストレイナーに通し、FACSセルソーターで細胞を純化する。PI溶液を加え、死細胞は排除する。PDGFRα陽性CD56陰性細胞をヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞とし、PDGFRα陰性CD56陽性細胞をヒト筋衛星細胞とする。品質の確認には、例えば、分取した細胞を脂肪分化培地(10% FBS、インスリン(10μg/ml程度)、IBMX(0.5mM程度)、デキサメタゾン(0.25μM程度)、2mM L-グルタミン含有のDMEM又はPPARγアゴニスト含有培地)で培養し、脂肪分化能を脂肪滴の観察で確認すればよい。また、筋分化培地(5% 馬血清、2mM L-グルタミン含有のDMEM)で培養し、筋分化の有無を筋管の出現で評価する。通常、間葉系前駆細胞の筋分化能は極めて低い。品質の確認の際には、CD56陽性筋衛星細胞と比較するとよい。
【0050】
純化後のヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞は、増殖培地(20% FBS、2mM L-グルタミン、bFGF(2.5 ng/ml)含有高グルコースDMEM)に再懸濁し、マトリゲルコートした培養皿に播種する。培養条件は、例えば、5%二酸化炭素、3%程度の酸素濃度、37℃とする。96ウェル又は386ウェルの培養皿でスクリーニングを実施する場合には、通常、10
7~10
8程度の細胞が必要となるが、以上の方法によれば、開始時の組織重量1g程度から必要量の細胞を増殖させることが可能である(
図7)。
【0051】
以上のようにして用意したヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞は、被験物質の存在下での培養に供される。被験物質としては様々な分子サイズの有機化合物又は無機化合物を用いることができる。有機化合物の例として、核酸、ペプチド、タンパク質、脂質(単純脂質、複合脂質(ホスホグリセリド、スフィンゴ脂質、グリコシルグリセリド、セレブロシド等)、プロスタグランジン、イソプレノイド、テルペン、ステロイド、ポリフェノール、カテキン、ビタミン(B1、B2、B3、B5、B6、B7、B9、B12、C、A、D、E等)を例示できる。医薬や栄養食品等の既存成分或いは候補成分も好ましい被験物質の一つである。植物抽出液、細胞抽出液、培養上清などを被験物質として用いてもよい。また、既存の薬剤(例えば、米国食品医薬品局(FDA)承認薬のライブラリー)を被験物質として用いることもできる。2種類以上の被験物質を同時に添加することにより、被験物質間の相互作用、相乗作用などを調べることにしてもよい。被験物質は天然物由来であっても、或いは合成によるものであってもよい。後者の場合には例えばコンビナトリアル合成の手法を利用して効率的なスクリーニング系を構築することができる。
【0052】
ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を被験物質存在下で培養するためには、例えば、ヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞を培養皿に播種し(例えば、96ウェルの培養皿であれば、3000~7000細胞/ウェル程度に調整するとよい)、所定時間(例えば10分~1週間)経過した後、被験物質を培養液に添加するか或いは被験物質を添加した培養液に交換すればよい。播種後、直ちに被験物質の添加或いは被験物質を添加した培養液への交換を実施することにしてもよい。また、被験物質を予め添加した培養液を用いることにし、播種と同時に「被験物質が培養液中に存在した状態」が形成されるようにしてもよい。
【0053】
被験物質存在下での培養時間は特に限定されないが、例えば10分~72時間、好ましくは30分~24時間とする。尚、最適な培養時間は予備実験によって決定することができる。
【0054】
本明細書で言及しない事項(培地、培養温度など)については、使用する細胞の培養に一般的な培養条件に従えばよい。培養条件は、過去の報告や成書を参考にして、或いは予備実験を通じて決定すればよい。尚、培養温度は通常37℃とする。
【0055】
ステップ(ii)では、使用する指標に対応するように、培養に供したヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞の増殖の測定、又は培養に供したヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞における、GDF10遺伝子、KERA遺伝子、及びIL11RA1遺伝子からなる群より選択される一以上の筋維持遺伝子のmRNA発現レベル又はタンパク質発現レベルの測定、或いはこれら二つの測定を行う。例えば、培養後の生細胞数を核酸アナログの取り込みなど、常法に従い定量することによって、細胞増殖を測定、評価できる。一方、筋維持遺伝子の発現レベルの測定には公知の各種方法を利用できる。測定法を例示すると、例えば、mRNA量をRT-PCRで定量する方法等のRNA発現解析、レポーターアッセイ(筋維持遺伝子のプロモーター領域を含むレポーターを細胞に組み込む)、発現産物であるタンパク質の量を免疫学的に測定する方法(例えばELISA法、ウエスタンブロット法、免疫染色による)である(
図8)。
【0056】
ステップ(iii)ではステップ(ii)の測定結果に基づき被験物質の有効性を判定する。本発明では、被験物質が有効であることの指標として「細胞の増殖の促進が認められること」(第1の指標)及び/又は「筋維持遺伝子の発現レベル(mRNA発現レベル又はタンパク質発現レベル)の上昇が認められること」(第2の指標)を採用する。第1の指標を採用した場合(第2の指標を併用する場合も含む)には、細胞増殖の促進を認めた場合に被験物質は有効であると判定し、細胞増殖の促進が認められない場合に被験物質は有効でないと判定する。第2の指標を採用した場合には(第1の指標を併用する場合も含む)、筋維持遺伝子の発現レベルの上昇を認めた場合に被験物質は有効であると判定し、筋維持遺伝子の発現レベルの上昇を認めない場合に被験物質は有効でないと判定する。尚、複数の被験物質を用いた場合には、細胞増殖促進の程度、筋維持遺伝子の発現レベル上昇の程度に基づき、各被験物質の有効性を比較評価することができる。
【0057】
ステップ(iii)での判定結果に基づき有効な被験物質が選抜される。通常は、比較対象として、被験物質非存在下(その他の条件はステップ(i)と同一とする)で培養したヒト骨格筋由来間葉系前駆細胞(以下、「コントロール群」と呼ぶ)を用意し、その細胞の増殖、及び/又は筋維持遺伝子の発現レベルも並行して測定する。そして、当該コントロール群の測定結果と比較することによって、細胞増殖を被験物質が促進させたか否か、及び/又は筋維持遺伝子の発現レベルを被験物質が上昇させたか否かを判断する。このようにコントロール群との比較によって被験物質の有効性を判定すれば、より信頼性の高い判定結果が得られる。
【0058】
本発明のスクリーニング方法によって選択された物質が十分な薬効を有する場合には、当該物質をそのまま筋萎縮抑制剤の有効成分として使用することができる。一方で十分な薬効を有しない場合には化学的修飾などの改変を施してその薬効を高めた上で、筋萎縮抑制剤の有効成分として使用することができる。勿論、十分な薬効を有する場合であっても、更なる薬効の増大を目的として同様の改変を施してもよい。
【実施例】
【0059】
<筋維持因子の同定>
筋萎縮の治療・予防に有効な手段を開発すべく、筋維持因子の同定を試みた。
1.間葉系前駆細胞除去マウスの作製及びそれを用いた解析
間葉系前駆細胞の極めて良好な表面マーカーであるPDGFRα分子を利用した、部位及び時間特異的遺伝子破壊によって、間葉系前駆細胞除去マウスを作製した。B6N.Cg-Tg(Pdgfra-cre/ERT)467Dbe/J (Jackson,018280)とB6;129-Gt(ROSA)26Sortm1(DTA)Mrc/J (Jackson,018280)の2系統のマウスを準備し交配させることでPdgfra-CreER+/R26R-DTAヘテロマウスを作製した。9~10週齢時においてタモキシフェン4mg/匹/日を5日間連続で腹腔投与した。コントロールとしてPdgfra-CreER-/R26R-DTAヘテロマウス、間葉系前駆細胞除去マウスとしてPdgfra-CreER+/R26R-DTAヘテロマウスを解析した(n=4~6)。骨格筋染色のために、筋採取後、迅速凍結を行い、クライオスタットで7μm厚の切片を作製した。4%パラフォルムアルデヒドで5分間固定した後に洗浄し、15分間protein block, serum-free(DAKO社)で非特異的反応をブロッキングし、抗体染色を行った。一次抗体として最終濃度2.5μg/mlヤギ抗マウスPDGFRαポリクローナル抗体(R&D社)又は抗ラミニンα2抗体(clone: 4H8-2, Santa Cruz, 1:400)を用い、4℃で終夜反応させた。二次抗体には、ロバ抗ヤギIgG Cy3標識ポリクローナル抗体(Jackson, 1:1000)又はロバ抗ラットIgG Alexa Fluor488標識ポリクローナル抗体(Molecular Probes, 1:1000)を用いて室温で1時間反応させ、蛍光顕微鏡観察を行った。間葉系前駆細胞が約80%減少し、染色が著しく低下する事が観察された(
図1)。筋力の測定としては、齋藤式マウス用握力測定装置 MK-380M(室町機械株式会社)を用いて握力を測定した。1匹のマウスに対して5回測定し、最高値を測定値とした。体重減少と筋力減少が観察された(
図2)。筋重量は各骨格筋を採取し、結合組織を丁寧に取り除いた後、微量天秤にて測定した。測定した前頸骨筋、腓腹筋、大腿四頭筋、ヒラメ筋、長趾伸筋のすべてにおいて、間葉系前駆細胞除去マウスで筋量の低下が観察された(
図3)。以上の通り、間葉系前駆細胞除去マウスが筋萎縮のモデルとして有用であることが示された。
【0060】
2.DNAアレイ解析
次に、上述の筋萎縮モデルと老化モデルを用いて、骨格筋由来間葉系前駆細胞に発現する筋維持因子の同定を行った。以下の2つのDNAアレイ解析を行った。
(1)間葉系前駆細胞欠損筋とコントロール筋を用いたマイクロアレイ解析
タモキシフェン投与1日後のPdgfra-CreER+/R26R-DTAへテロマウスおよびPdgfra-CreER-/R26R-DTAへテロマウスの凍結腓腹筋から、RNA精製キット(Qiagen社)を用いてRNAを抽出・精製した。アレイ解析は常法に従った。具体的には、1回増幅法で100 ngのRNAを増幅し、1色法でマウス全遺伝子型DNAチップ3D-Gene(東レ株式会社)を用いて発現解析を行った。
【0061】
(2)老化マウス骨格筋細胞と若年マウス骨格筋細胞を用いたマイクロアレイ解析
既報の方法(非特許文献2)に準じ、マウス骨格筋から筋衛星細胞、間葉系前駆細胞、血管内皮及び血球細胞を単離した。採取した骨格筋を0.2% II型コラゲナーゼ(Worthington社)で消化し、18ゲージ針のシリンジに数回通過させた後、更に消化させた。100μmメッシュ、続いて40μmメッシュのセルストレイナーに通して濾過した後、抗PDGFRα抗体を用いて間葉系前駆細胞を、抗CD31/CD45抗体を用いて血管内皮及び血球細胞を標識し、FACS装置を用いてそれぞれ純化した。筋衛星細胞もFACSを利用して単離した。計19匹の老化マウス(25~27月齢)から、間葉系前駆細胞を4.48×10
5個、筋衛星細胞を4.03×10
5個、血管内皮及び血球細胞を2.1×10
6個ソーティングした。一方、計10匹の若年マウス(8~10週齢)から、間葉系前駆細胞を4.61×10
5個、筋衛星細胞を9.12×10
5個、血管内皮及び血球細胞を9.19×10
5個ソーティングした。RNA精製キット(Qiagen社)を用いてRNAを抽出・精製した。アレイ解析は常法で行った。具体的には、1回増幅法で100 ngのRNAを増幅し、1色法でマウス全遺伝子型DNAチップ3D-Gene(東レ株式会社)を用いて発現解析を行った(
図4)。
【0062】
マイクロアレイ用細胞のソーティングの際、一部のマウスについて(老化マウスn=7、若年マウスn=4)細胞数を計測し、間葉系前駆細胞数を定量解析したところ、老化マウスでは、間葉系前駆細胞数が低下することが明らかとなった(
図5)。即ち、老化に伴う、間葉系前駆細胞数の低下が認められた。
【0063】
(3)間葉系前駆細胞で特徴的な発現を示す筋維持遺伝子の絞り込み
上記(1)の解析から、コントロール筋と比較して間葉系前駆細胞欠損筋で0.4倍以下に発現が低下する遺伝子を選出した(候補遺伝子群1)。他方、上記(2)の解析から、以下の基準(a)~(c)を満たす遺伝子を選出した(候補遺伝子群2)。尚、これらの選出によって、間葉系前駆細胞に特異的に高発現し、老化に伴い発現が低下する遺伝子を絞り込む事が可能となる。
(a)若年間葉系前駆細胞での発現値が100以上
(b)若年間葉系前駆細胞での発現値と若年筋衛星細胞での発現値の比(若年間葉系前駆細胞/若年筋衛星細胞)及び若年間葉系前駆細胞での発現値と若年血管内皮・血球細胞での発現値の比(若年間葉系前駆細胞/若年血管内皮・血球細胞)が4以上
(c)若年間葉系前駆細胞と比較して老化間葉系前駆細胞で0.4倍以下に発現が低下する
【0064】
候補遺伝子群1と候補遺伝子群2の両方に該当する遺伝子を、「老化間葉系前駆細胞でその発現が低下し、筋萎縮を誘導する筋維持遺伝子」とみなした。筋維持遺伝子として4遺伝子が見出されたが、その中の一つは若年マウス筋組織を試料としたRT-PCRで検出できなかったため、残りの3遺伝子、即ち、増殖分化因子10(Gdf10)遺伝子、ケラトカン(Kera)遺伝子、及びインターロイキン11受容体α鎖1(Il11ra1)遺伝子に絞り込んだ。定量PCRによって、これら3遺伝子の発現を各細胞分画及びFACSで純化した筋衛星細胞由来の筋管細胞(筋線維の代替)で調べたところ(各細胞n=4)、間葉系前駆細胞に特異的であり、老化によって有意に発現が低下することが確認された(
図6)。これら3遺伝子を間葉系前駆細胞で発現する筋維持遺伝子とした。
【0065】
3.まとめ
・老化骨格筋で間葉系前駆細胞が減少することが判明した。
・筋維持遺伝子(筋萎縮、老化の責任遺伝子)として3種類の遺伝子を同定することに成功した。これらの遺伝子は筋萎縮・老化の新たな標的となる。これらの遺伝子の発現産物(タンパク質)には筋萎縮・老化の抑制作用を期待できる。また、これらの遺伝子の発現を促進/回復させる物質にも筋萎縮・老化に対する薬効を期待できる。更には、これらの遺伝子又はその転写産物であるmRNAを遺伝子治療に応用することも考えられる。
【0066】
<筋維持遺伝子の作用メカニズムの検討>
筋維持遺伝子として同定されたGdf10遺伝子が関与するシグナル経路を明らかにすべく、以下の検討を行った。
【0067】
間葉系前駆細胞由来と想定されるrGDF10(リコンビナントGDF10, R&D system)を所定濃度(0ng/ml、100ng/ml、500 ng/ml)添加した培地を用い、単離した筋衛星細胞を培養した。培養後、常法に従い細胞溶解液を調製した。細胞溶解液をSDS-PAGEに供してタンパク質を分離した後、抗リン酸化抗体を用いたウエスタンブロット法によってSmad2、Smad1/5/8及びAktのリン酸化を検出した。
【0068】
TGF-β系のシグナルであるSmad2のリン酸化は観察されなかった(
図9A)。一方、BMP系シグナルのSmad1/5/8のリン酸化とAktのリン酸化の活性化が観察された(
図9B、C)。BMP経路は筋では合成経路とされており、また、Aktの活性化も筋肥大の経路と考えられている。
【0069】
次に、ALK/Smadのリン酸化の阻害剤による阻害を検討した。阻害剤にはLDN-214117(ALK2の阻害剤)、LDN-212854(ALK1及びALK2の阻害剤)及びLDN-193189(ALK2及びALK3の阻害剤)の3種を用いた。尚、ALK(activin receptor-like kinase)はI型TGF-βファミリーの受容体の一種である。
【0070】
単離した筋衛星細胞をrGDF10(500 ng/ml)及び阻害剤(LDN-214117:0mM、100nM、200mM、LDN-212854:0mM、10nM、100mM、LDN-193189:0mM、10nM、100mM)の存在下で培養した後、上記と同様の方法(ウエスタンブロット解析)でSmad1/5/8及びAktのリン酸化を検出した。
【0071】
GDF10によるSmad1/5/8のリン酸化は、全ての阻害剤(LDN-214117、LDN-212854、LDN-193189)で阻害された(
図10A)。また、Aktについては特に強い阻害効果がLDN-212854に認められたことから(
図10B)、GDF10によるAktのリン酸化はALK1受容体を介すると考えられる。
【0072】
<健常者由来筋組織から純化した間葉系前駆細胞を用いたスクリーニング>
健常者由来筋組織から純化した間葉系前駆細胞を96ウェルプレートに播種して増殖させ、FDA認可既存薬ライブラリー320種の脂肪分化抑制作用をスクリーニングした。10マイクロモルの薬剤を添加した条件で脂肪分化誘導(脂肪分化培地(10% FBS、インスリン(10μg/ml程度)、IBMX(0.5mM程度)、デキサメタゾン(0.25μM程度)、2mM L-グルタミン含有のDMEMで培養)を3回行った。抗ヒスタミン受容体拮抗薬(例としてピペラジン系のクロルシクリジン、ピペリジン系のシプロヘプタジン、フェノチアジン系のプロメタジン)やカルシウム拮抗薬(例としてバラパミル、ニカルジピン、シリルニジン、フェロジピン)やビタミンA、レチノイン酸及び誘導体に脂肪分化抑制効果が検出された。尚、脂肪分化は、脂肪滴を蛍光色素Bodipyで染色しイメージ検出器で評価した。
【産業上の利用可能性】
【0073】
本発明の筋萎縮抑制剤は、典型的には、サルコペニア、フレイル、悪液質、筋ジストロフィー、筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症、パーキンソン病、廃用性筋萎縮等、筋萎縮が原因又は基盤となる、又は筋萎縮を伴う疾患の予防又は治療に用いられる。また、外科的手術や外傷による筋損失・筋萎縮への適用も期待される。
【0074】
この発明は、上記発明の実施の形態及び実施例の説明に何ら限定されるものではない。特許請求の範囲の記載を逸脱せず、当業者が容易に想到できる範囲で種々の変形態様もこの発明に含まれる。本明細書の中で明示した論文、公開特許公報、及び特許公報などの内容は、その全ての内容を援用によって引用することとする。
【配列表】