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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-01-11
(45)【発行日】2022-01-24
(54)【発明の名称】ガス測定装置及びガス測定方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 21/3504 20140101AFI20220117BHJP
   G01N 21/39 20060101ALI20220117BHJP
【FI】
G01N21/3504
G01N21/39
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2020548237
(86)(22)【出願日】2019-08-29
(86)【国際出願番号】 JP2019033844
(87)【国際公開番号】W WO2020059452
(87)【国際公開日】2020-03-26
【審査請求日】2021-02-04
(31)【優先権主張番号】P 2018175946
(32)【優先日】2018-09-20
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】真野 和音
【審査官】嶋田 行志
(56)【参考文献】
【文献】特開2006-234810(JP,A)
【文献】国際公開第2014/106940(WO,A1)
【文献】特表2013-534317(JP,A)
【文献】米国特許第09778110(US,B1)
【文献】米国特許出願公開第2018/0156718(US,A1)
【文献】米国特許出願公開第2018/0011011(US,A1)
【文献】米国特許出願公開第2010/0296095(US,A1)
【文献】国際公開第2008/053507(WO,A2)
【文献】特開2017-219428(JP,A)
【文献】特開2016-085073(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 21/00-G01N 21/83
G01J 3/00-G01J 3/52
JSTPlus/JST7580/JSTChina(JDreamIII)
Science Direct
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
波長可変であるレーザ光照射部と、一対の高反射ミラー及び被測定ガスが収容される測定セルを含み、前記レーザ光照射部から発して該測定セル内に導入されたレーザ光を共振させる光共振器と、該光共振器から取り出されたレーザ光を検出する光検出部と、を具備し、キャビティリングダウン吸収分光法により被測定ガス中の目的成分の濃度を求めるガス測定装置において、
前記レーザ光照射部によるレーザ光を前記光共振器に入射させ、該レーザ光の波長を目的成分の吸収ピークを含む所定の波長範囲で走査しつつ前記光検出部によりキャビティリングダウン吸収分光法による測定を実施するように各部を制御する測定制御部と、
前記測定制御部の制御の下で所定の波長範囲内の各波長毎に得られたデータに基づいて、吸収スペクトルを作成するスペクトル作成部と、
前記吸収スペクトルにおける前記目的成分の吸収ピークの、ピークトップを含む所定の波長範囲における波形形状を2次以上の多項式で近似し、該多項式における所定の偶数次の項の係数を取得する演算処理部と、
予め作成された、前記所定の偶数次の項の係数と吸収強度との対応関係を示す参照情報に基づいて、前記演算処理部で得られた係数から吸収強度を導出する結果導出部と、
を備えるガス測定装置。
【請求項2】
前記多項式は2次多項式であり、前記所定の偶数次の項は2次の項である、請求項1に記載のガス測定装置。
【請求項3】
前記測定制御部は前記多項式の2次の項の係数を算出するのに必要十分な波長範囲の波長走査を行う、請求項2に記載のガス測定装置。
【請求項4】
前記必要十分な波長範囲は目的成分の吸収ピークのピーク幅の略1/2に相当する波長範囲である、請求項3に記載のガス測定装置。
【請求項5】
キャビティリングダウン吸収分光法により被測定ガス中の目的成分の濃度を求めるガス測定方法であって、
一対の高反射ミラー、及び被測定ガスが収容される測定セル、を含む光共振器に、レーザ光を入射させ、該レーザ光の波長を前記目的成分の吸収ピークを含む所定の波長範囲で走査しつつ検出することにより、キャビティリングダウン吸収分光法による測定を実施する測定工程と、
前記測定工程において所定の波長範囲内の各波長毎に得られたデータに基づいて、吸収スペクトルを作成するスペクトル作成工程と、
前記吸収スペクトルにおける前記目的成分の吸収ピークの、ピークトップを含む所定の波長範囲における波形形状を2次以上の多項式で近似し、該多項式における所定の偶数次の項の係数を取得する演算工程と、
予め作成された、前記所定の偶数次の項の係数と吸収強度との対応関係を示す参照情報に基づいて、前記係数から吸収強度を導出する結果導出工程と、
を実行するガス測定方法。
【請求項6】
前記多項式は2次多項式であり、前記所定の偶数次の項は2次の項である、請求項5に記載のガス測定方法。
【請求項7】
前記測定制御部は前記多項式の2次の項の係数を算出するのに必要十分な波長範囲の波長走査を行う、請求項6に記載のガス測定方法。
【請求項8】
前記必要十分な波長範囲は目的成分の吸収ピークのピーク幅の略1/2に相当する波長範囲である、請求項7に記載のガス測定方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、レーザ光に対する吸収を利用して、被測定ガス中の特定成分の濃度を測定するガス測定装置及びガス測定方法に関し、さらに詳しくは、キャビティリングダウン吸収分光法を利用したガス測定装置及びガス測定方法に関する。
【背景技術】
【0002】
被測定ガス中の特定成分の濃度を測定する手法としてレーザ吸収分光法(Laser Absorption Spectroscopy)が広く利用されている。レーザ吸収分光法には、直接レーザ吸収分光法(Direct Laser Absorption Spectroscopy)、波長変調レーザ吸収分光法(Laser-Wavelength-Modulation Absorption Spectroscopy)、キャビティリングダウン吸収分光法(Cavity Ring-down Absorption Spectroscopy)などの方式がある(特許文献1など参照)。
【0003】
直接レーザ吸収分光法や波長変調レーザ吸収分光法では、一般に、被測定ガスを収容した測定セルにレーザ光を照射し、該測定セル内を通過する過程でガスの成分により吸収を受けたレーザ光の強度を光検出器で検出する。検出感度を高めるには光吸収のための実効光路長が長いことが望ましいが、これらレーザ吸収分光法では実効光路長は主として測定セルのサイズに依存する。これに対し、キャビティリングダウン吸収分光法(以下、慣用に従って「CRDS」と称す)では、光共振器を用いて光吸収のための実効光路長を長くすることにより、検出感度を大幅に改善することができる(非特許文献1など参照)。
【0004】
CRDS装置における基本的な測定原理について説明する。図4は、一般的なCRDS装置における光路を中心とする概略構成図である。
図4において、レーザ光源部1から射出された所定波長のレーザ光は、光スイッチ3を通して、被測定ガスが収容されている測定セル40に導入される。筒状である測定セル40の両端には一対の高反射率(ごく僅かに光が透過する)のミラー47、48が対向して配置されており、測定セル40、及びミラー47、48は光共振器4を構成する。この光共振器4は例えばレーザ装置等で一般的に用いられているものと同様のファブリペロー共振器であり、共振し得る光の波長(周波数)は共振条件に応じて決まっている。なお、光共振器4は、2枚のミラーを対向して配置した構成の共振器でなく、3枚以上のミラーで構成されるリング型の共振器であってもよい。
【0005】
光共振器4において共振し得る周波数は一般にモード周波数と呼ばれる。図5に示すように、モード周波数は所定の周波数間隔で存在し、光共振器4に導入されたレーザ光の周波数がこのモード周波数と一致しない場合には、該光共振器4内に光のパワーは蓄積されない。一方、レーザ光源部1でのレーザ光の発振周波数がモード周波数と一致するように調整されると、光共振器4内に光のパワーが蓄積される。
【0006】
CRDS装置では、光のパワーが光共振器4内に十分に蓄積されたあと、該光共振器4へ入射するレーザ光を光スイッチ3によって急峻に遮断する。すると、その直前に光共振器4内に蓄積されていた光は一対のミラー47、48の間を多数回(実際には数千~数万回)往復し、その間、測定セル40内に封入されている被測定ガス中の成分による吸収によって光は徐々に減衰していく。その際に、光共振器4の一方のミラー48を経て外部へと漏れ出る一部の光の減衰の状態を光検出器5によって繰り返し検出する。この光検出器5により検出したデータに基づいて光の減衰の時定数(リングダウン時間)を求めることで、そのときのレーザ光の周波数における被測定ガス中の目的成分の吸収係数を算出することができる。そして、その吸収係数から目的成分の絶対濃度を求めることができる。また、レーザ光源部1におけるレーザ光の発振周波数を走査しながら同様の測定を繰り返すことにより、被測定ガス中の目的成分の吸収スペクトルを得ることもできる。
【0007】
被測定ガス中の目的成分の吸収係数αを求めるには、通常、次の(1)式が用いられる(特許文献2等参照)。
α=1/c{(1/τ)-(1/τ0)} …(1)
ここで、cは光速、τは測定セル40内に被測定ガスが収容されているときのリングダウン時間、τ0は測定セル40内に被測定ガスが収容されていない(例えば真空状態である)とき或いは被測定ガス中の成分による吸収が全く無視できるときの基準状態のリングダウン時間である。また、目的成分(吸収物質)の吸収係数α、単位体積当たりの目的成分分子の数密度n、及び、目的成分による吸収断面積σの関係は次の(2)式のようになる。
α=nσ …(2)
【0008】
したがって、(1)式、(2)式を用いて、リングダウン時間τ、τ0から、吸収断面積が既知である成分についての絶対濃度を計算することができる。CRDS装置では、光共振器4を用いることで、光が被測定ガス中を透過する距離を伸ばしているため、リングダウン時間τ、τ0の差が大きくなる。それによって、微量な目的成分によるごく僅かな光吸収も検出することができ、他の方式のレーザ吸収分光法に比べて高い検出感度を実現することができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【文献】国際公開特許第2014/106940号パンフレット
【文献】特開2011-119541号公報
【非特許文献】
【0010】
【文献】橋口幸治、「ガス中微量水分の高効率な計測技術に関する調査研究」、産業技術総合研究所、産総研計量標準報告、2015年10月、Vol.9、No.2、pp.185-205
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
上述したようにCRDS装置では、非常に高い感度で以て被測定ガス中の濃度の吸収係数を求めることができ、ガス濃度の超高感度測定にしばしば用いられる。ガス濃度を定量的に算出する際には、吸収スペクトルにおいてベースラインから吸収ピークのトップまでの高さが必要である。しかしながら、CRDS装置では装置の状態によって測定値にドリフトが生じ、これがリングダウン時間を測定する度にリングダウン時間が僅かに変化する原因となることがある。測定値のドリフトには主として次のような要因がある。
(1)光共振器4を構成するミラー47、48に被測定ガス中の物質が付着することによる、該ミラー47、48の実効的な反射率の低下。
(2)上記ミラー47、48の微小な変動や該ミラー47、48への入射光位置の微小な変動による該ミラー47、48の実効的な反射率の変化、及び光共振器長(つまりは片道の光路長)の実効的な変化。
(3)周囲温度の変化によって生じる熱膨張・収縮による光共振器長の変化。
【0012】
図6は、上記のような要因によって、リングダウン時間τ0を測定した時点からリングダウン時間τを測定する時点までの間に光共振器4のミラー47、48の実効的な反射率がRからR’に低下した場合における吸収スペクトルの変化の一例を示す図である。このように、反射率が低下すると吸収係数が大きくなる方向(図6では上方向)に吸収ピークがシフトしてしまう。そのため、単に吸収ピークの位置(波数)における吸収係数の値を求めるだけでは成分濃度を正確に算出することはできず、吸収ピークの位置におけるベースラインからピークトップまでの高さの値を取得して吸収係数を算出する必要がある。
【0013】
特に、生体に由来する試料についての同位体比測定では、数週間或いはそれ以上の長い期間に亘って継続的にサンプルを採取し、サンプルに含まれる同位体比の長期間に亘る変化を測定することもある。そのため、上述したような測定値のドリフトの影響がより顕著になる可能性がある。
【0014】
測定値のドリフトの影響を軽減するために一般的には、定期的に又は測定の直前若しくは直後に成分濃度が管理された標準ガスを測定し、その測定結果に基づく校正を行うという方法が採られている。しかしながら、被測定ガスのほかに標準ガスを測定しなければならず、測定のスループットが低下するという問題がある。また、被測定ガスの測定時点と標準ガスの測定時点との間に生じるような、比較的短い時間で起こるドリフトには対応できないという問題もある。
【0015】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、CRDS法を用いたガス測定装置において、測定のスループットを低下させることなく、比較的短い時間で生じる変動も含めた測定値のドリフトの影響を軽減して、高い精度で目的成分の濃度を算出することができるガス測定装置及びガス測定方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0016】
本出願人は特許文献1において、上記直接レーザ吸収分光法においてレーザ光の波長を走査しつつ測定を行うことで得られた吸収スペクトルに対し数学的な演算処理を実行することにより、波長変調レーザ吸収分光法における変調周波数の高調波信号のプロファイルに相当する曲線を求め、この曲線から被測定ガスの濃度や圧力、温度などを算出する方法を提案している。この方法は、レーザ光の波長変調を行わない直接レーザ吸収分光法での測定結果から、レーザ光の波長変調を行う波長変調レーザ吸収分光法に近い、高精度の測定結果を得ることを目的としたものであり、被測定ガスに照射されるレーザ光の強度の変化を考慮した正規化処理を行うことで、その光強度に依存しないロバストなガス計測を可能としている。
【0017】
一方、CRDS法では、その測定原理から、測定精度は被測定ガスに照射されるレーザ光の強度に依存しないものの、上述したように光共振器を構成するミラーの反射率低下等の要因が測定値のドリフトを引き起こす。CRDS法では実際にレーザ光の波長を変調させた測定を行うことは想定されないが、本発明者は、上記のような要因による測定値のドリフトの影響を軽減するために特許文献1に記載の方法をCRDS法に適用することに想到し、その有効性を検証するとともに、CRDS法に適用する際の処理内容やその手順の最適化を検討し、本発明を完成させるに至った。
【0018】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明に係るガス測定装置の一態様は、波長可変であるレーザ光照射部と、一対の高反射ミラー及び被測定ガスが収容される測定セルを含み、前記レーザ光照射部から発して該測定セル内に導入されたレーザ光を共振させる光共振器と、該光共振器から取り出されたレーザ光を検出する光検出部と、を具備し、キャビティリングダウン吸収分光法により被測定ガス中の目的成分の濃度を求めるガス測定装置において、
前記レーザ光照射部によるレーザ光を前記光共振器に入射させ、該レーザ光の波長を目的成分の吸収ピークを含む所定の波長範囲で走査しつつ前記光検出部によりキャビティリングダウン吸収分光法による測定を実施するように各部を制御する測定制御部と、
前記測定制御部の制御の下で所定の波長範囲内の各波長毎に得られたデータに基づいて、吸収スペクトルを作成するスペクトル作成部と、
前記吸収スペクトルにおける前記目的成分の吸収ピークの、ピークトップを含む所定の波長範囲における波形形状を2次以上の多項式で近似し、該多項式における所定の偶数次の項の係数を取得する演算処理部と、
予め作成された、前記所定の偶数次の項の係数と吸収強度との対応関係を示す参照情報に基づいて、前記演算処理部で得られた係数から吸収強度を導出する結果導出部と、
を備えるものである。
【0019】
また上記課題を解決するために成された本発明に係るガス測定方法の一態様は、キャビティリングダウン吸収分光法により被測定ガス中の目的成分の濃度を求めるガス測定方法であって、
一対の高反射ミラー、及び被測定ガスが収容される測定セル、を含む光共振器に、レーザ光を入射させ、該レーザ光の波長を前記目的成分の吸収ピークを含む所定の波長範囲で走査しつつ検出することにより、キャビティリングダウン吸収分光法による測定を実施する測定工程と、
前記測定工程において所定の波長範囲内の各波長毎に得られたデータに基づいて、吸収スペクトルを作成するスペクトル作成工程と、
前記吸収スペクトルにおける前記目的成分の吸収ピークの、ピークトップを含む所定の波長範囲における波形形状を2次以上の多項式で近似し、該多項式における所定の偶数次の項の係数を取得する演算工程と、
予め作成された、前記所定の偶数次の項の係数と吸収強度との対応関係を示す参照情報に基づいて、前記係数から吸収強度を導出する結果導出工程と、
を実行するものである。
【0020】
本発明の上記態様のガス測定装置において、測定制御部は、レーザ光照射部等の各部を制御することで、被測定ガスに対し、所定の波長範囲内の各波長においてCRDS法による測定を実施する。スペクトル作成部は、異なる波長毎の測定により得られたデータに基づいてリングダウン時間を求め、この実測によるリングダウン時間と予め取得されている基準状態のリングダウン時間とに基づいて吸収係数を算出する。そして、波長毎の吸収係数から、目的成分の吸収ピークの波長を含む所定の波長範囲における吸収係数の変化を示す吸収スペクトルを作成する。
【0021】
なお、波長は波数の逆数であるから、ここでいう「波長」を「波数」で置き換え可能であることは当然である。ここで、波長走査の範囲は、濃度を求める対象である目的成分の既知の吸収波長を中心として所定の範囲とすればよく、その所定の範囲は想定される吸収ピークの幅に応じて決められる値とするとよい。
【0022】
演算処理部は、得られた吸収スペクトルにおける目的成分の吸収ピークのピークトップを含む所定の波長範囲における波形形状を、予め決められた次数の多項式で近似する。典型的には、吸収ピークの波形形状、つまりは各波長において測定の結果得られた吸収係数の値、を2次以上の高次の多項式で近似するフィッティング処理を実行する。特許文献1に記載の方法では、直接レーザ吸収分光法で得られた吸収スペクトルに基づいて、波長変調レーザ吸収分光法における変調周波数の高調波信号(2f信号、1f信号)のプロファイルに相当する曲線を作成するために、吸収ピーク全体を含む広い波長範囲に亘り、波長の各点における所定の波長幅の範囲毎にそれぞれ多項式での近似を実施している。これに対し、本発明では、吸収ピークのピークトップを含む所定の波長範囲内の波形を近似できさえすればよいから、多項式での近似は吸収ピークのピークトップ付近の一つの波長範囲に対してのみ実行すればよい。
【0023】
なお、フィッティング処理の際には、例えば最小二乗法など既知の様々な手法を利用することができる。また、通常、多項式としては2次多項式を用いれば十分であるが、さらに高次の多項式を用いてもよい。
【0024】
上述したようなミラーの反射率の変化や光共振器長の変化などの要因により測定値にドリフトが生じた場合、図6に示したように吸収スペクトルが変化するが、その変化は、バックグラウンドによるベースラインの変動が主であり、目的成分による吸収ピークの波形形状自体の変化は殆どない。そのため、上述したように実測結果である吸収ピークの波形に対するフィッティングにより求めた近似多項式の2次又はそれ以上の偶数次の項の係数の値における上記ドリフトの影響は殆どなく、あったとしても無視できる程度である。また上述したように、CRDS法においてリングダウン時間の測定値はレーザ光の強度に依存しないので、近似多項式の各項の係数にはレーザ光の強度の変動や相違の影響も現れず、特許文献1に記載の方法で実施されているような正規化処理は不要である。こうしたことから、近似多項式の偶数次の項の係数は測定値のドリフトの影響を除外した目的成分による吸収係数を反映している。そこで演算処理部は、近似多項式における所定の次数、例えば2次の項の係数を取得する。
【0025】
上記の所定の次数の項の係数は被測定ガスの温度や圧力が一定、つまり同じ条件であれば、目的成分の種類とその濃度に依存し、測定値のドリフト等には依存しないものとみなせる。そのため、目的の成分について、係数と吸収強度との対応関係を示す参照情報を実験結果等に基づいて予め作成しておき、それを例えばメモリなどに格納しておく。結果導出部はその参照情報を利用して、演算処理部により得られた係数から吸収強度を導出する。ここで吸収強度は吸収係数、又は吸収係数と吸収断面積から求まる絶対濃度のいずれでもよい。即ち、結果導出部では、参照情報をルックアップテーブルとして係数値から即座に吸収係数や絶対濃度を求めることができる。
【0026】
上述したように、本発明では、上記多項式は2次多項式であり、上記所定の次数の項は2次の項とするとよい。
【0027】
この場合、上記測定制御部は、上記多項式の2次の項の係数を算出するのに必要十分な波長範囲の波長走査を行うようにすればよい。
【0028】
特許文献1に記載の方法では吸収ピークの全体を含み、さらにその外側の広い波長範囲までの吸収スペクトルを測定によって取得する必要がある。これに対し本発明では、上述したように、吸収ピークのピークトップ付近の波形を良好に近似できさえすればよいから、一般的には、上記必要十分な波長範囲は、目的成分の吸収ピークの波長を中心としてピーク幅の略1/2に相当する波長範囲とすればよい。
【0029】
これにより、本発明において、測定が必要である波長の点数は例えば吸収ピーク全体をカバーするように測定する場合に比べて、かなり少なくて済む。それによって、測定に要する時間を短縮して測定のスループットの向上を図ることができる。
【発明の効果】
【0030】
本発明によれば、被測定ガスのほかに標準ガスを測定する手間が不要であるので、測定値のドリフトの影響を軽減する際にも測定のスループットの低下を回避することができる。また、長期間における測定値のドリフトだけでなく比較的短い時間での測定値の変動の影響も高い精度で除去することができるので、目的成分の濃度を高い精度で算出することができる。
【図面の簡単な説明】
【0031】
図1】本発明の一実施形態であるCRDS装置の要部の構成図。
図2】本実施形態のCRDS装置において目的成分の濃度を求める際の測定及び処理の手順の一例を示すフローチャート。
図3】本実施形態のCRDS装置における目的成分の濃度算出方法の原理を説明するための図。
図4】一般的なCRDS装置の概略構成図。
図5】光共振器でのモード周波数とレーザ光の発振周波数との関係を示す概略図。
図6】リングダウン時間τ0を測定した時点からリングダウン時間τを測定する時点までの間に、光共振器のミラーの実効的な反射率が低下した場合における、吸収スペクトルの変化の一例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0032】
以下、本発明の一実施形態であるガス測定装置及びガス測定方法について、添付図面を参照して説明する。図1は、本実施形態のガス測定装置の概略構成図である。
【0033】
本実施形態のガス測定装置において、測定系の構成は図4に示した一般的なCRDS装置と同じであり、レーザ光源部1、レーザ駆動部2、光スイッチ3、光共振器4、及び光検出器5、を備える。光共振器4は、被測定ガスであるサンプルガスが収容される略円筒状の測定セル40と、該測定セル40の両端に対向して配置された一対の高反射率のミラー47、48と、を含む。測定セル40にはガス導入管41とガス排出管43とが接続され、ガス導入管41には導入バルブ42が設けられ、ガス排出管43には排出バルブ44が設けられている。
【0034】
入力部8が接続された測定制御部6は、後述する測定やデータ処理を実行するためにレーザ駆動部2等の各部を制御するものである。測定制御部6に含まれる図示しないメモリには、測定対象である成分の種類などに対応する吸収ピーク位置(波長)や波長走査範囲などの情報が予め格納されている。また、光検出器5による検出信号が入力されるデータ処理部7は、機能的なブロックとして、リングダウン時間算出部71、スペクトル作成部72、フィッティング処理部73、濃度算出部74、及び、参照情報記憶部75などを備える。また、データ処理部7に接続された出力部9は例えば表示モニタなどである。
【0035】
本実施形態のガス測定装置において、被測定ガス中の目的成分の濃度を求める際の測定動作及び処理動作、つまり本装置で実施されるガス測定方法を、図1に加え図2を参照して説明する。図2は、このガス測定装置を用いて目的成分の濃度を求める際の、測定及び処理の手順の一例を示すフローチャートである。
ユーザは事前に、目的成分の種類などを入力部8から入力する。
【0036】
測定制御部6は、排出バルブ44を閉鎖した状態で導入バルブ42を開放し、測定セル40内に被測定ガスを導入する。図示しない圧力センサにより検出される圧力が所定値になったならば、導入バルブ42を閉鎖して測定セル40内に被測定ガスを充満させる。そして、測定制御部6は、事前に指定された目的成分に対応した波長範囲の情報を取得し、レーザ駆動部2を通してレーザ光源部1で発生するレーザ光の波長をその波長範囲内で順次走査しつつ、各波長においてCRDS法による測定を実施してリングダウン時間を測定する(ステップS1:測定工程)。
【0037】
即ち、所定の波長範囲内の各波長において、レーザ光源部1は測定セル40中の被測定ガスにレーザ光を照射し、光スイッチ3は所定のタイミングでレーザ光を遮断する。リングダウン時間算出部71は、レーザ光を遮断する直前から所定の時間が経過するまでの間、光検出器5により検出されたデータを収集する。そして、そのデータに基づいて、波長毎にリングダウン時間τを算出する。
【0038】
次に、スペクトル作成部72は、波長毎に、実測データに基づくリングダウン時間τと、参照情報記憶部75に保存されている基準状態のリングダウン時間τ0とに基づいて、吸収係数を計算する。この吸収係数の計算方法は従来と同じであり、例えば上記(1)、(2)式を用いればよい。そして、波長毎に算出した吸収係数の値を集めることで、所定の波長範囲における吸収スペクトルを求める(ステップS2:スペクトル作成工程)。
【0039】
このときに得られる吸収スペクトルには、上述した様々な要因による測定値のドリフトの影響が含まれる可能性がある。そこで、次のような手順で、こうしたドリフトを含む測定値の変動を除去して、正確な濃度を算出する。まず、測定値の変動の影響を除去する原理を説明する。
【0040】
いま、基準状態のリングダウン時間τ0を測定したときと、被測定ガスに対するリングダウン時間τを測定したときとで、光共振器4のミラーの反射率が相違する(つまりはドリフトしている)場合を想定する。リングダウン時間τ0の測定時におけるミラーの反射率をR、リングダウン時間τの測定時におけるミラーの反射率をR’とすると、測定結果から算出されるCRD信号S(ν)は次の(3)式となる。
S(ν)=(1/c){(1/τ)-(1/τ0)}=(1/c){(c[(1-R’)+α(ν)L]/L)-(c[1-R]/L)}=α(ν)+(R-R’)/L …(3)
ここで、α(ν)はミラーの反射率に変動がない場合の吸収係数である。
【0041】
上記CRD信号S(ν)を、波数軸を横軸として描いたものが吸収スペクトルである。この吸収スペクトルに対し、特許文献1に記載の方法の適用を検討する。いま、図3(a)に示す吸収スペクトル(但し、ここでは横軸は中心波数との波数差Δν軸である)に対し、特許文献1に記載の多項式近似の処理を適用して、波長変調レーザ吸収分光法における変調周波数の2f信号(2次微分)、1f信号(1次微分)、定数項(0次微分)のプロファイルに相当する曲線を求めると、図3(b)、(c)、(d)に示すようになる。
【0042】
但し、特許文献1に記載の方法では、吸収スペクトルにおいて、波長変調幅に相当する波長幅の範囲内毎にそれぞれ多項式近似を行っているが、本実施形態における方法では、図3(b)等に示されるような曲線自体を求める必要はなく、求める必要があるのはΔν=0における2f信号の値のみである。その理由は次のとおりである。
【0043】
上記(3)式におけるS(ν)とα(ν)とがそれぞれ多項式で近似が可能であるとすれば、それぞれ次の式で表すことができる。
S(ν)=b0'+b1'(ν-<ν>)+b2'(ν-<ν>)2+b3'(ν-<ν>)3+・・・ …(4)
α(ν)=b0+b1(ν-<ν>)+b2(ν-<ν>)2+b3(ν-<ν>)3+・・・ …(5)
ここで、<ν>は吸収スペクトルを取得する波長範囲の中心の波長、つまり、本実施形態ではΔν=0の位置である。
【0044】
(4)式と(5)式の各項の係数を比較すると、以下のようになる。
0'≒b0+(R-R’)/L …(6)
1'≒b1 …(7)
2'≒b2 …(8)
【0045】
(8)式は、多項式の2次の項の係数b2がミラーの反射率の変動に依存しないことを意味している。なお、(7)式によれば、数式上では1次の項の係数b1もミラーの反射率の変動に依存しないことになる。しかしながら、図3(c)を見れば明らかであるように、1次を含め奇数次の項の値は、目的成分の吸収ピークのピークトップの波長において0になる。そのため、目的成分による吸収強度を求める際には、近似多項式の奇数次の項を利用することはできず、2次以上の偶数次の項の係数のみが利用可能である。
【0046】
また、特許文献1に記載の方法は直接レーザ吸収分光法により取得した吸収スペクトルを処理対象としており、直接レーザ吸収分光法では、被測定ガスに照射されるレーザ光の強度が変動するとそれが吸収スペクトルに現れる。これを回避するために、多項式近似によって得られたb2信号をb1信号やb0信号で除する正規化処理を実行することで、光強度の変動に依存せず透過特性にのみ依存する値を得るようにしている。これに対し、CRDS法では原理上、被測定ガスに入射する光の光強度の変動は測定値に影響しない。そのため、上記のような正規化処理を行うことなく、多項式近似により求まる2次項の係数をそのまま用いることができる。
【0047】
上記説明では、基準状態のリングダウン時間τ0測定時と被測定ガスに対するリングダウン時間τ測定時とでミラーの反射率が相違する場合を想定していたが、上述したように、実効的な光共振器長が変化する場合や、光共振器長とミラーの反射率との両方が変化する場合でも同様に、吸収スペクトルについての近似多項式における2次以上の偶数次の項の係数を利用して、上記変動要因の影響の少ない信号を得ることができる。
【0048】
いま、共振器長にドリフトがあり、リングダウン時間τ0測定時における光共振器長をL、リングダウン時間τ測定時における光共振器長をL’とすると、測定結果から算出されるCRD信号S(ν)は次の(9)式となる。
S(ν)=(1/c){(1/τ)-(1/τ0)}=(1/c){(c[(1-R)+α(ν)L’]/L’)-(c[1-R]/L)}=α(ν)+{(1-R)(L-L’)/L・L’} …(9)
【0049】
また、光共振器4内のミラー47、48の反射率と共振器長との両方にドリフトがある場合、測定結果から算出されるCRD信号S(ν)は次の(10)式となる。
S(ν)=(1/c){(1/τ)-(1/τ0)}=(1/c){(c[(1-R’)+α(ν)L’]/L’)-(c[1-R]/L)}=α(ν)+{[(1-R’)L-(1-R)L’]/L・L’} …(10)
これらの式は(3)式と同様の式であるから、この場合にも、S(ν)の近似多項式の2次項の係数b2がそれらの変動に依存しないことを意味していることが分かる。
【0050】
なお、ミラーの反射率及び光共振器長のドリフトにレーザ光の波長依存性があるとすると、測定により得られるCRD信号S(ν)から算出した2f信号にも誤差が生じ、(8)式が成り立たなくなるおそれがある。しかしながら、共振器長の変動についてはレーザ光の波長に依存する要因はないので、その波長依存性は無視できる。一方、ミラーに被測定ガス中の物質が付着することによる反射率の低下に関しては、波長依存性が考えられるものの、ここで使用される1cm-1以下の波数範囲では波長依存性は無視できると考えられる。したがって、ここでは上記変動要因の影響の少ない信号を得るために、吸収スペクトルについての近似多項式における2次以上の偶数次の項の係数を利用すればよい。
【0051】
図2に示すフローチャートに戻り、処理手順を説明する。本実施形態のガス測定装置では、フィッティング処理部73が、吸収スペクトル上の吸収ピークの波形に対して2次多項式でフィッティングするように該多項式の各項の係数を決める(ステップS3:演算工程)。フィッティング処理の際には、例えば最小二乗法など、既知の手法を利用することができる。吸収ピークのピークトップ付近の形状を適切に近似できればよいので、多項式としては2次の多項式を用いればよく、吸収ピークのピーク幅の1/2程度の波長範囲のみについてフィッティングを行えばよい。したがって、図3(a)に示した吸収ピークでは、図中に点線で囲んだ範囲のピーク波形についてフィッティングを行えばよい。つまり、ステップS1における測定もその波長範囲のみについて実施すれば十分である。そして、フィッティング処理部73は、近似多項式の中の2次項の係数を取得する(ステップS4:演算工程)。
【0052】
上述したように、2次項の係数は吸収強度(吸収係数)に直接対応している。そこで、目的成分(及び測定対象となる可能性のある他の成分)についての2次項の係数と吸収強度との関係を予備実験等により求めておき、この関係を例えばテーブル形式で参照情報記憶部75に格納しておく。なお、この参照情報記憶部75に格納される情報はユーザ自身が作成することもできるが、本装置のメーカが作成しておくものとすることもできる。また、吸収強度は被測定ガスの温度や圧力に依存するので、参照情報記憶部75に格納される情報は、所定の温度及び所定の圧力の下での2次項の係数と吸収強度との関係であり、同じ所定の温度、所定の圧力の下で被測定ガスの測定を実施するものとする。
【0053】
濃度算出部74は、実測に基づいて得られた2次項の係数を、参照情報記憶部75に格納されている情報に照合して、対応する吸収強度を取得する(ステップS5:結果導出工程)。そして、その吸収強度から被測定ガス中の目的成分の絶対濃度を算出し(ステップS6)、その結果を出力部9に出力して表示する。
【0054】
以上のようにして本実施形態のガス測定装置では、測定値の短期的な変動を含めたドリフトの影響を軽減して、精度の高い濃度を算出することができる。また、本実施形態のガス測定装置では、吸収ピークのピークトップを中心とする比較的狭い波長範囲についてのみ測定を実施すればよいため、測定時間を短縮することができる。測定時間を短縮した分だけ測定のスループットを向上させる、或いは、その代わりに同じ被測定ガスに対する測定の繰り返し回数を増やし測定結果を積算することで、測定精度を向上させることも可能である。
【0055】
なお、上記実施形態は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜に変形や修正、追加などを行っても、本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【符号の説明】
【0056】
1…レーザ光源部
2…レーザ駆動部
3…光スイッチ
4…光共振器
40…測定セル
41…ガス導入管
42…導入バルブ
43…ガス排出管
44…排出バルブ
47、48…ミラー
5…光検出器
6…測定制御部
7…データ処理部
71…リングダウン時間算出部
72…スペクトル作成部
73…フィッティング処理部
74…濃度算出部
75…参照情報記憶部
8…入力部
9…出力部
図1
図2
図3
図4
図5
図6