(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-01-11
(45)【発行日】2022-01-24
(54)【発明の名称】粘膜下局注用コラーゲンゾル
(51)【国際特許分類】
A61L 31/14 20060101AFI20220117BHJP
A61L 31/10 20060101ALI20220117BHJP
A61L 31/02 20060101ALI20220117BHJP
A61K 9/06 20060101ALI20220117BHJP
A61K 47/42 20170101ALI20220117BHJP
A61K 47/22 20060101ALI20220117BHJP
A61K 47/02 20060101ALI20220117BHJP
A61B 17/94 20060101ALI20220117BHJP
【FI】
A61L31/14 300
A61L31/10
A61L31/02
A61K9/06
A61K47/42
A61K47/22
A61K47/02
A61B17/94
(21)【出願番号】P 2016224258
(22)【出願日】2016-11-17
【審査請求日】2019-11-18
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成26年度独立行政法人科学技術振興機構 研究成果展開事業 研究成果最適展開支援プログラム 産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【前置審査】
(73)【特許権者】
【識別番号】506209422
【氏名又は名称】地方独立行政法人東京都立産業技術研究センター
(73)【特許権者】
【識別番号】504145364
【氏名又は名称】国立大学法人群馬大学
(74)【代理人】
【識別番号】100079108
【氏名又は名称】稲葉 良幸
(74)【代理人】
【識別番号】100109346
【氏名又は名称】大貫 敏史
(74)【代理人】
【識別番号】100117189
【氏名又は名称】江口 昭彦
(74)【代理人】
【識別番号】100134120
【氏名又は名称】内藤 和彦
(72)【発明者】
【氏名】矢作 直久
(72)【発明者】
【氏名】浦岡 俊夫
(72)【発明者】
【氏名】柚木 俊二
(72)【発明者】
【氏名】大藪 淑美
(72)【発明者】
【氏名】成田 武文
【審査官】高橋 樹理
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-077410(JP,A)
【文献】国際公開第2013/133413(WO,A1)
【文献】ALKAN, M. et al.,Histological response to injected gluteraldehyde cross-linked bovine collagen based implant in a rat,BMC Urology,2006年,Vol.6:3,p.1-5,ISSN 1471-2490
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 9/00
A61K 47/00
A61L 31/00
A61B 17/94
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
0.2質量%~1.2質量%のコラーゲン、水、20mM~110mMの緩衝剤及び220mM~310mMの塩化ナトリウムを含有し、pHが6.0~9.0であり、前記コラーゲンの変性温度が37℃以上50℃以下である、粘膜下に局注された場合にゲル化して膨隆を形成する、粘膜下局注用ゾル。
【請求項2】
0.5質量%~1.0質量%のコラーゲンを含有し、緩衝剤としてリン酸塩を含み、粘膜下局注後60分の膨隆維持率が局注直後の70%を超える膨隆を形成する、請求項1に記載のゾル。
【請求項3】
100mg/L~1000mg/Lのゲニピ
ンを含有する、請求項1又は2に記載のゾル。
【請求項4】
請求項1~3のいずれか一項に記載のゾル
を備える、内視鏡的粘膜切除術用又は内視鏡的粘膜下層剥離術用内視鏡システム。
【請求項5】
前記ゾルを局注する手段を備える、請求項4に記載の内視鏡的粘膜切除術用又は内視鏡的粘膜下層剥離術用内視鏡システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、粘膜下膨隆形成用の局注剤として有用な生体注入用ゾルに関し、より詳細には、腫瘍等の病変を切除する際に、粘膜下に注入して膨隆形成し、切除を容易かつ安全に行うための、粘膜下局注用コラーゲンゾルに関する。
【背景技術】
【0002】
胃癌や大腸癌等の消化管内で発症する癌は、消化管の最も内側の層である粘膜層で発症し、粘膜層の下の粘膜下層及びそのさらに下の筋層へと徐々に浸潤していくことが知られる。そこで、早期癌を取り除く方法として、内視鏡的粘膜切除術(EMR)や内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)と呼ばれる内視鏡治療技術が用いられる。
【0003】
EMRでは、病変部の粘膜下に生理食塩水などの液体を局部注入(局注)し、切除する病変を隆起させる。その後、スネアと呼ばれる金属製ワイヤをかけ、絞扼・通電して粘膜を切除し、潰瘍部の止血を行う。切除した部位の病理組織診断により、癌等の病変が一括切除されたか否かを判定する(
図1)。
ESDでは、病変の周辺に切除範囲をマーキングした後、EMRと同様に液体の粘膜下局注を行い、切除する病変を隆起させる。その後、ESD専用ナイフを用いて、病変を含む粘膜層を粘膜下層から一括して剥離させ、潰瘍部の止血を行う。剥離した部位の病理組織診断により、癌等の病変が一括切除されたか否かを判定する(
図2)。
【0004】
EMRやESD等において、粘膜下での膨隆形成用の局注剤として繁用されている生理食塩水には、隆起高の減衰が速いという問題がある。ESDによる粘膜下層の剥離中に隆起高が減衰すると、粘膜下層の望ましい深さにナイフを当てることが難しくなるため、病変の取り残しや穿孔形成の原因となる。この問題を克服するため、粘性を高めることで注入液の拡散を抑制することを狙った局注剤が研究されてきた。具体的にはヒアルロン酸、グリセロール、デキストロース、ヒドロキシプロピルセルロース、キトサン等で増粘した局注剤が研究され、そのうち幾つかは製品化されて臨床で用いられている(非特許文献1)。しかしながら、これらは隆起高の維持率が低いため、局注後に粘膜下でゲル化する局注剤についても研究されている。
【0005】
例えば、whole blood(患者から採取した血液)を局注すると隆起高の減衰が少ないとの報告がある(非特許文献2)。また、アルギン酸ナトリウム水溶液を粘膜下局注剤として用いた例(非特許文献3)、光反応性基を導入したキトサンを用いて、局注後に紫外線を照射して粘膜下でゲル化させる試み(特許文献1)、キサンタンガム等の多糖類のシュードプラスチック性を活用し、粘膜下での拡散が生じにくい高粘性液体をカテーテル経由で送達する技術(特許文献2)等も報告されている。
【0006】
一方、本発明者は、特定のコラーゲン/ゲニピン混合水溶液について、コラーゲンが体温付近の温度で線維化し、その後ゲニピン架橋が導入されるゲル化特性を有することを既に見出している(特許文献3)。また、特定のコラーゲン水溶液のゲル化速度を、無機塩濃度の調整により早めることができることも見出している(特許文献4及び非特許文献4)。しかしながら、これらの水溶液の特定の医療用途への有効性は知られていなかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】WO2005/037292
【文献】WO2013/077357
【文献】特開2014-103985
【文献】特開2016-077410
【非特許文献】
【0008】
【文献】Yoon suk Jung et al., Gastrointestinal Intervention, 2013 2(2), 73
【文献】Al-Taie et al, Clinical and Experimental Gastroenterology, 2012:5, 43-48
【文献】Eun et al., Gut and Liver 2007:1(1) 27-32
【文献】Yunoki et al. Journal of Biomedical Materials Research Part A Volume 103, Issue 9, pages 3054-3065, 2015
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
従来の、非特許文献2に記載のwhole bloodを局注する方法では、採取した血液が汚染される恐れや、採取量に制限があるという問題がある。また、非特許文献3に記載のアルギン酸ナトリウム水溶液は、局注後およそ10分で隆起高の半減期を迎えるため、隆起高の維持率が十分とは言えない。特許文献1に記載の方法では、強い紫外線が粘膜表面に照射されるため、組織障害の恐れがあるという安全上の問題があり、また、紫外線照射装置を医療機関で準備する必要もある。特許文献2に記載の高粘性液体は、粘膜下でゲル化しないため、時間依存的に膨隆が減衰する。
【0010】
以上のように、消化管粘膜下に局注された場合にゲル化し、隆起高の維持率が高い膨隆を形成する安全な局注剤はこれまで存在しなかった。
【0011】
このような背景のもと、本発明は、EMRやESD等において利用できる、消化管粘膜下に局注された場合にゲル化し、隆起高の維持率が高い膨隆を形成する、安全な、粘膜下局注用ゾルを提供することを目的とする。
【0012】
上記課題に対し、本発明者らは、特定の濃度のコラーゲン、水、緩衝剤及び特定の濃度の塩化ナトリウムを含有するゾルが、粘膜下に局注すると速やかにゲル化して膨隆を形成し、胃粘膜下局注後60分の膨隆維持率が局注直後の70%を超えること、また、胃粘膜下局注後60分で膨隆減衰が停止することを見出した。さらに、このゲルは粘膜下層と一体化するため、粘膜下層まで浸潤した病変の除去に好適であることを見出し、本発明を完成させた。
【0013】
すなわち、本発明は、以下のものに関する。
[1]
0.2質量%~1.2質量%のコラーゲン、水、緩衝剤及び200mM~420mMの塩化ナトリウムを含有する、粘膜下局注用ゾル。
[2]
さらに、40mg/L~1400mg/Lのゲニピン又はゲニピン誘導体を含む、[1]に記載の粘膜下局注用ゾル。
[3]
pHが6.0~9.0であり、緩衝剤としてリン酸塩を含む、[1]に記載のゾル。
[4]
40mg/L~1400mg/Lのゲニピン若しくはゲニピン誘導体及び220mM~310mMの塩化ナトリウムを含有し、粘膜下に局注された場合にゲル化して膨隆を形成する、[1]~[3]のいずれかに記載のゾル。
[5]
[1]~[4]のいずれかに記載のゾルを局注する手段を備える、内視鏡的粘膜切除術用又は内視鏡的粘膜下層剥離術用内視鏡システム。
【0014】
本発明は、また、以下のものに関する。
[6]
コラーゲン、塩化ナトリウム及び緩衝剤を含む、[1]~[4]のいずれかに記載のゾルを形成するためのキット。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、粘膜下に局注すると速やかにゲル化して膨隆を形成し、隆起高の維持率が高い膨隆を形成する安全な局注剤を提供することができる。本発明のゾルは、組織障害性を起こしうる操作や特殊な装置を必要とせずに注入・ゲル化させることができ、また、血液製剤のように、汚染の恐れや確保量の制限がない。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図3】粘膜下局注試験における、隆起高維持率の計測方法を示す。
【
図4】各種コラーゲンゾル又は生理食塩水を粘膜下に局注してから60分経過後の、ブタ胃壁の組織切片像を示す。
【
図5】ゲニピンを含むコラーゲンゾルをブタ胃粘膜下に局注した後の隆起高の時間変化を示すグラフである。
図5A:隆起高の実測値。
図5B:初期隆起高に対する維持率。
【
図6】ゲニピンを含まないコラーゲンゾルをブタ胃粘膜下に局注した後の隆起高の時間変化を示すグラフである。
図6A:隆起高の実測値。
図6B:初期隆起高に対する維持率。
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下、本発明を実施するための形態(以下、単に「本実施形態」ともいう。)について詳細に説明する。以下の本実施形態は、本発明を説明するための例示であり、本発明をこの本実施形態のみに限定する趣旨ではない。
【0018】
本実施形態のゾルは、粘膜下に局注された場合にゲル化して膨隆を形成する粘膜下局注用ゾルであって、0.2質量%~1.2質量%のコラーゲン、水、緩衝剤及び200mM~420mMの塩化ナトリウムを含有し、さらに40mg/L~1400mg/Lのゲニピン若しくはゲニピン誘導体を含有してもよい、粘膜下局注用ゾル(粘膜下局注用医薬組成物、粘膜下局注用ゾル組成物)である。
【0019】
本実施形態のゾルが含有するコラーゲンは、特に限定されないが、室温付近での線維化が進み難いテロペプチド除去型コラーゲンであることが好ましく、実質的にテロペプチド除去型コラーゲンからなることがより好ましい。テロペプチド除去型コラーゲンは、コラーゲン分子が両末端に有するテロペプチドを、タンパク質分解酵素により酵素的に分解除去したものであり、例えば、コラーゲン分子が両末端に有するテロペプチドをペプシン消化により分解除去されたものである。また、テロペプチド除去型コラーゲンの中でも、医療機器の原料として承認されている哺乳類由来のテロペプチド除去型コラーゲンが好ましく、既に臨床応用され、熱安定性に優れるブタ皮由来のテロペプチド除去型コラーゲンがより好ましく用いられる。テロペプチド除去型コラーゲンはアテロコラーゲンの別称で市販されており、容易に入手することができる。
【0020】
コラーゲンは、線維形成能を有するコラーゲン(線維形成コラーゲン)であれば特に限定されない。線維形成コラーゲンの中でも、骨、皮膚、腱、及び靭帯を構成するコラーゲンであるタイプI、軟骨を構成するコラーゲンであるタイプII、タイプIコラーゲンで構成される生体組織に含まれるタイプIIIなどが、入手のしやすさ、研究実績の豊富さ、あるいは製造したゲルを適用する生体組織との類似性の観点から好ましく用いられる。コラーゲンは常法により生体組織から抽出・精製して得てもよく、市販品を入手してもよい。コラーゲンは各タイプが精製されたものでも、複数のタイプの混合物でもよい。
【0021】
コラーゲンの変性温度は、32℃以上であると好ましく、35℃以上であるとより好ましく、37℃以上であると更に好ましい。変性温度が32℃以上であることにより、ゾルの室温での流動性をより長く維持することが可能になると共に、生体内でのコラーゲンの変性が起こりにくくなる。コラーゲンの変性温度の上限は特に限定されないが、50℃以下であると好ましく、45℃以下であるとより好ましく、41℃であると更に好ましい。変性温度が上記上限値以下であることにより、粘膜下に局注した際のゲル化をより速やかに進行させることができる。コラーゲンの変性温度は、常法、すなわちコラーゲン水溶液の温度上昇に伴う円偏光二色性、旋光度、又は粘度の変化によって測定される。コラーゲンの変性温度は、上記数値範囲内の変性温度を有するコラーゲンを選択することにより調整してもよい。
【0022】
本実施形態のゾルは、コラーゲンと水を含有するコラーゲン水溶液を含むゾルであり、局注した部位において局所的にゲル化させるためのゾル滞留性の観点から、コラーゲン濃度が高いゾルが望ましい。コラーゲン濃度が低すぎるとゾルの粘度が低下し、ゲル化前にゾルが導入部位から散逸することがある。加えて、ゾルのコラーゲン濃度が高い方が、ゲル化後のゲルの硬さが向上するため、隆起高を維持するという観点からも、コラーゲン濃度が高いゾルが望ましい。
一方、ゲル化後のゲルが粘膜下層と一体化するという観点からは、コラーゲン濃度が低いゾルが望ましい。ゾルの粘度が高すぎると、粘膜下層へのゾルの浸入性が悪くなり、ゾルが層間(例えば、粘膜層/粘膜下層、粘膜下層/筋層の層間)へと優先的に送り込まれて一体化せずにゲル化してしまうことがある。ゲルが粘膜下層と一体化しない場合、粘膜下層まで浸潤した病変除去が困難になる場合がある。また、局注は、通常細管(カテーテルや注射針等)を経由して行われるという観点からも、コラーゲン濃度が低いゾルが望ましい。細管の径や長さにも依存するが、コラーゲン濃度が高くなるにつれてゾルの粘度が高くなり、押し出し抵抗が増加し、投与が困難になることがある。
以上の観点から、本実施形態のゾルにおいて、コラーゲンの濃度はゾルの全量を基準として、0.2質量%~1.2質量%であり、0.3質量%~1.1質量%であると好ましく、0.4質量%~1.0質量%であるとより好ましい。
【0023】
本実施形態のゾルは、無機塩である塩化ナトリウムを所定濃度含むことにより、生体組織に接触した際にコラーゲンの線維化が加速され、体温に応答して速やかにゲル化して隆起高を維持する。
【0024】
ゾルに含まれる塩化ナトリウムの濃度は、生理的塩濃度(140mM)よりも高い200mM~420mMの範囲で適宜調整することができ、220mM~310mMが好ましく、例えば230mM前後とすることができる。塩化ナトリウム濃度が生理的塩濃度未満の場合、局注後のコラーゲンゾルのゲル化に長い時間を要し、ゾルが拡散して隆起高が減衰しやすくなることがある。一方、塩化ナトリウム濃度が420mMを超えると、コラーゲンが室温付近での線維化能を獲得し、細管内でゾルが流動性を失いやすくなることがある。塩化ナトリウムの濃度をこのような範囲にすることにより、局注したゾルが体温に応答して速やかにゲル化し、ゲルの拡散を防止することができる。
【0025】
本実施形態のゾルのpH(23℃におけるpH。特筆しない限り本明細書全体において同様。)は、6.0~9.0であり、6.5~8.0がより好ましい。コラーゲンの線維化は中性付近で活発に生じることが知られている。pHを所定の範囲内とすることにより、コラーゲンの線維化をより促進することができる。pHの調整は、常法により可能であり、例えば、ゾルに含まれる無機塩の濃度、好ましくは塩化ナトリウム及びリン酸水素ナトリウムの濃度の制御や、塩酸や水酸化ナトリウムなどの強酸、及び/又は強アルカリの添加により、pHを調整することが可能である。pHは公知のpHメータ(例えば、HORIBA社製、商品名「NAVIh F-71」)により測定することができる。
【0026】
また、本実施形態のゾルは、pHを維持する等の目的のため、緩衝剤を含有する。緩衝剤としては、ゾルが所望の特性を有する限り特に限定されないが、例えばリン酸塩、酢酸塩、ホウ酸塩、HEPES、トリス等を用いることができる。リン酸塩としては、リン酸ナトリウム、リン酸水素ナトリウム(リン酸二水素ナトリウム及びリン酸水素ニナトリウムの総称)、及びリン酸水素カリウム(リン酸二水素カリウム及びリン酸水素二カリウムの総称)等を用いることができる。酢酸塩としては酢酸ナトリウム等を用いることができ、ホウ酸塩としてはホウ酸ナトリウム等を用いることができ、それぞれ水酸化ナトリウム等によるpH調節と合わせて用いることができる。また、上記の塩化ナトリウムと緩衝剤を合わせた、塩化ナトリウム含有リン酸緩衝液(NPB)等の緩衝液を用いてもよい。
これらの緩衝剤のうち、リン酸塩及びこれを含むNPBが特に好ましく用いられる。リン酸塩は、コラーゲンの線維化が活発に生じるpH6~9での緩衝能に優れ,リン酸緩衝生理食塩水など細胞洗浄液にも含まれるように生体への安全性が確認されているという利点がある。
【0027】
緩衝剤の濃度はpHが所望の範囲に維持され、ゾルが所望の特性を有する限り特に限定されない。
pH緩衝効果を十分に発揮する観点から、緩衝剤濃度を5mM以上とすることができる。一方、緩衝剤濃度が高くなると、調剤前に緩衝液中の塩が析出する場合、あるいはイオン強度が高くなりすぎてゾル使用時に組織障害性を惹起する場合があるため、緩衝剤濃度を140mM以下とすることができる。緩衝剤濃度は、10mM超120mM未満であると好ましく、例えば20mM~110mMとすることができ、30mM~100mMであるとより好ましい。緩衝剤濃度をこのような範囲にすることにより、ゾルのpHを6.0~9.0の範囲内に維持することが容易になり、局注時のゾルの流動性を保持しながら局注後は体温に応答して速やかにゲル化して膨隆を形成するという本実施形態のゾルの効果を発揮しつつ、塩の析出や組織障害性を抑えることが可能となる。
【0028】
上記ゾルは、生体組織に接触すると、体温に応答してゲル化する。このゲルの機械的強度を高めて、EMRやESD等の際の粘膜下層剥離工程中の膨隆の安定性を高めるという観点から、上記ゾルはコラーゲンの架橋剤としてゲニピン又はゲニピンの誘導体を含むものであってもよい。ESDにおいて、膨隆形成に用いられる従来の溶液はナイフによる粘膜下層剥離中に流出し、隆起高の減衰が加速することがある。また、膨隆ESDに要する時間や難易度は消化管の部位によって異なる傾向があり、例えば筋層が厚い胃に比べ壁厚の薄い大腸の方がESDによる穿孔の発生率が高くなる傾向が知られている。そこで、ゲニピン又はゲニピンの誘導体を架橋剤として添加することにより、粘膜下膨隆の隆起高の維持率を高めるのみならず、ゲルの機械的強度を高めて、ナイフによる粘膜下層剥離中でも安定な隆起を維持できる。植物由来で細胞性が低いとされているゲニピンは、ゲニポシドのアグリコンであり、例えば、ゲニポシドの酸化、還元及び加水分解により得られ、あるいは、ゲニポシドの酵素加水分解によって得られる。ゲニポシドは、アカネ科のクチナシに含まれるイリドイド配糖体であり、クチナシから抽出して得られる。ゲニピンは、C11H14O5の分子式で表され、常法により合成してもよく、市販品を入手してもよい。また、ゲニピンは、本実施形態のゾルの所望の特性を阻害しない程度に、その架橋効果を確保する範囲で、誘導体化されていてもよい。ゲニピンの誘導体としては、例えば、特表2006-500975号公報に記載のものを用いることができる。また、本明細書中において、ゲニピンはゲニピンの重合体も含む。ゲニピンは種々の条件で重合することが知られており、その重合条件・方法についてはとくに限定されないが、例えば強アルカリ条件下でアルドール縮合によって重合させる方法(Mi et al. Characterization of ring-opening polymerization of genipin and pH-dependent cross-linking reactions between chitosan and genipin. Journal of Polymer Science: Part A: Polymer Chemistry, Vol.43, 1985-2000 (2005))を用いることができる。
【0029】
本実施形態のゾルがゲニピン又はその誘導体を含有する場合、その濃度は局注時のゾルの流動性を保持する観点から、1400mg/L以下とすることができ、40mg/L~1400mg/Lが好ましく、例えば100mg/L~1000mg/Lとすることができる。ゲニピン濃度をこのような範囲とすることにより、局注時のゾルの流動性を保持しながら、粘膜下膨隆の隆起高の維持率を高めるのみならず、ゲルの機械的強度を高めて、ナイフによる粘膜下層剥離中でも安定な隆起を維持することができる。
【0030】
また、本実施形態のゾルには、従来のコラーゲン水溶液に用いられる各種の溶媒及び添加剤が更に含まれてもよい。そのような溶媒及び添加剤としては、例えば、希塩酸、クエン酸、酢酸などの酸が挙げられる。
【0031】
上記添加剤及び溶媒は1種を単独で又は2種以上を組み合わせて用いられる。また、ゾルにおける上記添加剤及び溶媒の含有割合は、本実施形態のゾルの所望の特性を阻害しない範囲であれば特に限定されない。
【0032】
本実施形態のゾルは、粘膜下に局注された場合にゲル化して膨隆を形成するため、ESD、EMR等の、エネルギーデバイスを用いた内視鏡治療において有用である。よって、本実施形態の一態様は、本実施形態のゾルを局注する手段を備える、ESD又はEMR用内視鏡システムにも関する。
【0033】
例えば、内視鏡治療の1つであるESDでは、偶発症としての穿孔の発症が問題となっている。本実施形態のゾルは、局注後、粘膜下で速やかにゲル化して隆起高の維持率が高い膨隆を形成するため、穿孔発生のリスクを下げることができる。病変の一括切除も容易になる。
隆起高の維持率は、後述の実施例及び
図3に示すとおり、局注直後の隆起高の初期高(h
0)と、所定時間(t)後の隆起高(h
t)から、以下の式を用いて算出することができる。
隆起高維持率(%)=h
t/h
0 × 100
なお、出血の程度や、病変の数によって、必要な隆起高維持率は異なるが、一般に出血がひどくない場合、単一病変に対するESDは、粘膜下局注剤の局注から止血処置まで60分以内に終わることが多く、局注から60分後の隆起高維持率は、粘膜下局注剤の一つの評価基準となり得る。一態様において、本実施形態のゾルは、局注から60分後の隆起高維持率が70%以上であることが好ましく、80%以上であることがより好ましく、90%以上であることが特に好ましい。
また、隆起高維持率に関連して、隆起高の減少が停止することも望ましい。一態様において、本実施形態のゾルは、統計的に有意な隆起高の減少が局注45分後~60分後の間に生じないことが好ましい。
【0034】
本実施形態のゾルを局注すると、速やかにゲル化し、隆起高の維持率が高い大きな膨隆を形成するため、従来よりも大きな病変部の切除を容易に行うことができる。例えば病変部が癌である場合、切除されなかった病変部が残っていると転移する可能性があるが、本実施形態のゾルによればそのような転移の可能性を減少させることができる。また、本実施形態のゾルを粘膜下に局注すると、粘膜下層と一体化してコラーゲンがゲル化するため、粘膜下層において止血効果を発揮することができる。粘膜下層には血管が存在するため、内視鏡治療により粘膜下層に侵襲が加えられると、偶発症としての出血が生じる。コラーゲン線維には血小板付着効果があり、コラーゲン線維粉末は止血剤として臨床応用さていいる(商品名アビテン)。本実施形態のゾルは粘膜下層と一体化してコラーゲン線維のゲルを形成し、欠損した血管を覆うことによる物理的な止血効果を発揮するだけでなく、血小板付着により誘起される生化学的な止血効果も発揮することができる。
ゲルと粘膜下層とが一体化しているか否かは、当業者に公知の手法を用いて判断することができ、例えば後述の実施例及び
図4に示すとおり、局注後60分経過時に組織固定を行った組織切片像において、ゲルが粘膜下層から独立して観察されるか否かにより判断することができる。
【0035】
本実施形態のゾルの局注は、カテーテルの一種である、プラスチック等の長い細管の先端に針が付属された内視鏡治療用の注射針等を用いて、消化管粘膜下に対して行うことができる。本実施形態のゾルは、カテーテル等の長い細管を通して生体組織に投与可能な長い流動性保持時間(例えば、室温で10分間)を有し、例えば、内径2.2mm、全長2.8mのカテーテルを経由して、例えば内視鏡や透視画像下で送達することができる。投与に用いる細管の内径及び長さは、投与部位やゾルの粘度等に応じて適宜変更することができるが、例えば内径0.5mm~2.8mm、長さ1m~3mの細管を用いることができる。本実施形態のゾルは、内径が小さい細管(例えば内径0.5mm~2.5mm)や、長い細管(例えば、長さ1.5m~3m)を用いても生体組織に投与可能であるという特性を有する。
【0036】
上記のとおり、局所的にゲルを形成する際、まずは粘膜下層に浸入したコラーゲンが線維化(自己組織化の一種)してゲルを形成する(一次ゲル化)。ゲニピン等の架橋剤をゾルが含有している場合、コラーゲン線維ゲルに架橋が導入され(二次ゲル化)、ゲルの強度が高くなるとともに、コラーゲンと生体組織との間を化学的に結合する。
【0037】
以上の特性により、本実施形態のゾルは、隆起高維持率が高く、ESDナイフ等のエネルギーデバイスによる侵襲を受けても安定な隆起を維持できるゲルを、病変の下に形成することができる。形成されたゲルは、損傷した血管周囲を物理的に被覆するとともに、コラーゲン線維に固有の性質である血小板付着性を示し、止血効果を発揮する。更に、コラーゲンは安全性、生体適合性、及び生体吸収性に優れるため、病変切除後にゲルが粘膜下層に残っても、通常のコラーゲンの場合と同様、徐々に加水分解、酵素分解等の作用を受け、潰瘍の治癒を阻害しない。
【0038】
本実施形態のゾルは、局注される患部の状態に応じて、更に薬剤を含んでもよい。そのような薬剤としては、従来のインジェクタブルゲルに含有させられるものであれば特に限定されず、例えば、トロンビンやスクラルファート等の止血剤、プロトンポンプインヒビター等の治癒促進剤、上皮細胞増殖因子などの細胞増殖因子、その他の抗生物質、抗腫瘍剤、ホルモン剤などが挙げられる。薬剤は1種を単独で又は2種以上を組み合わせて用いられる。また、薬剤の含有割合は、その薬剤の効能を発揮しつつ、本実施形態のゲルの所望の特性を阻害しない範囲であれば特に限定されない。
【0039】
本実施形態はまた、上記のゾルを形成するためのキットにも関する。前記キットは、前記ゾルを形成するためのコラーゲン、塩化ナトリウム及び緩衝剤を含み、所望によりゲニピンを含んでもよい。キットを構成する各成分は、直前に調合するための乾燥形態であってもよい。
【実施例】
【0040】
以下、実施例及び比較例に基づいて本実施形態をより具体的に説明するが、本発明は以下の実施例及び比較例に限定されるものではない。
【0041】
〔コラーゲン溶液の準備〕
濃度1.0質量%のブタ皮膚製コラーゲン溶液(テロペプチド除去型コラーゲン、日本ハム株式会社製、コラーゲンの変性温度:40℃)をコラーゲン原液として準備した。エバポレーター(水溶温度:29℃)を用いてコラーゲン溶液を濃縮し、濃度2.4質量%のコラーゲン溶液を得た。これをpH3希塩酸で0.5%~1.5%に希釈し,15mL遠心チューブに小分けし、冷蔵庫に保管した。
【0042】
〔ゲニピン水溶液の準備〕
ゲニピン(和光純薬工業株式会社製)を純水に溶解し、濃度24mM(5430mg/L)のゲニピン水溶液を調製した。これを純水で希釈し、異なる濃度のゲニピン水溶液を調製した。
【0043】
〔NPBの準備〕
濃度50mMのリン酸水素二ナトリウム水溶液(140mMの塩化ナトリウム含有)及び濃度50mMのリン酸二水素ナトリウム水溶液(140mMの塩化ナトリウム含有)を、純水を溶媒として調製した。これらをpHメータ(HORIBA社製、商品名「NAVIh F-71」)により測定しながら攪拌・混合し、pH7.0の140mM塩化ナトリウム含有50mMリン酸緩衝液を調整し、これを1×NPBと定義した。なお、実施例全体において、特筆しない限り、pHは上記pHメータを用いて23℃で測定した。同様の操作により10×NPB(1×NPBの各無機塩濃度が10倍のNPBを指す。以下、他の倍数のNPBについても同様。)を調製し、純水で希釈して異なる倍数のNPB(n×NPB)を調製した。
【0044】
〔コラーゲンゾルの調製〕
上記のようにして準備した、15mL遠心チューブに入ったコラーゲン溶液12gを、クラッシュアイスを満たした発泡スチロール容器内に静置した。チューブ内には撹拌を促進するためのマグネティックスターラー(10.8g、内径10mm×39mm)を収容した。次いで、4℃冷蔵庫内に静置したゲニピン水溶液及び室温に静置した10×NPBから所定容量をマイクロピペットで吸い上げ、コラーゲン溶液の入った遠心チューブに添加して、その遠心チューブを激しく振り混ぜて撹拌した。得られたコラーゲンゾルをブタ胃粘膜下局注実験に用いた。
【0045】
〔ブタ胃粘膜下局注実験〕
購入したブタ切除胃から約50mm×50mmの試験片を切り出し、発泡スチロール板に画鋲で貼りつけ、インキュベータに静置して加温した。表面温度が36~37℃の範囲になったことを確認し、インキュベータから切除胃を取り出して、医療用注射針(23G)でコラーゲンゾルの粘膜下局注を行った。
図3に示すとおり、隆起高維持率の計測を以下の方法で実施した。局注直後の試験片を水平方向からデジタルカメラで撮影して初期の隆起高(h
0)を計測した。その後すみやかに切除胃をインキュベータに戻した。所定時間(t)後に切除胃を取り出し、水平方向からデジタルカメラで撮影して隆起高(h
t)を計測した。以下の式を用いて隆起高維持率を産出した。
隆起高維持率(%)=h
t/h
0 × 100
局注後60分までインキュベータに静置した切除胃については、隆起高計測後に4%パラホルムアルデヒド水溶液に浸漬し、4℃冷蔵庫内に一晩置いた。これを10%スクロース水溶液に浸漬し、濃度を15%、20%と順次上げてスクロース置換を行った。その後、カルボキシメチルセルロース包埋剤を用いて凍結ブロックを作製し、ミクロトームを用いて厚み20μmの組織切片を作製した。常法によりへマトキシリン-エオジン染色を施した後、正立顕微鏡(BX53、オリンパス製)により組織像を得た。
【0046】
〔実施例1〕
表1に示した組成のコラーゲンゾルを調製した(ゲニピン濃度4mM(=905mg/L))。このコラーゲンゾルを、ブタ胃粘膜下局注した後の組織切片像を
図4に、隆起高維持率の時間変化を
図5に示す。局注したコラーゲンは粘膜下層と一体化して膨隆を形成していた。また、60分後の隆起高は初期高の90%以上を維持しており、統計的に有意な減少は45分後~60分後の間に生じなかった。
出血がひどくない場合、単一病変に対するESDは、通常、粘膜下局注剤の局注から止血処置まで60分以内に終わるため、60分後の隆起高維持率は、粘膜下局注剤の一つの評価基準となり得る。
【0047】
〔実施例2〕
コラーゲン濃度を1.0%から0.5%に低下させた以外は実施例1と同様のコラーゲンゾルを調製し、ブタ胃粘膜下局注試験を実施した。局注した後の組織切片像を
図4に、隆起高維持率の時間変化を
図5に示す。局注したコラーゲンは粘膜下層と一体化して膨隆を形成していた。また、60分後の隆起高は初期高の80%以上を維持していた。
【0048】
〔実施例3〕
ゲニピンを含まないこと以外は実施例1と同様のコラーゲンゾルを調製し、ブタ胃粘膜下局注試験を実施した。隆起高維持率の時間変化を
図6に示す。実施例1で示されたとおり粘膜下層と一体化できるコラーゲン濃度1.0%では、ゲニピンが含まれていなくても、60分後の隆起高は初期高の70%以上であり、統計的に有意な減少は45分後~60分後の間に生じなかった。
【0049】
〔比較例1〕
生理食塩水を用いてブタ胃粘膜下局注試験を実施した後の組織切片像を
図4に、隆起高維持率の時間変化を
図5に示す。粘性の低い生理食塩水は粘膜下層と一体化して膨隆を形成したが、局注後すみやかに隆起高が減少し、15分後には初期高の70%を下回り、30分後には初期高の40%未満まで減少した。
【0050】
〔比較例2〕
NPB濃度を1.6×NPBから1.0×NPBに低下させたこと以外は実施例3と同様のコラーゲンゾルを調製し、ブタ胃粘膜下局注試験を実施した。隆起高維持率の時間変化を
図6に示す。塩化ナトリウム濃度が低下したことでコラーゲンの線維化速度が低下してゾルの拡散が促進され、60分後の隆起高は初期高の70%を下回った。
【0051】
〔比較例3〕
コラーゲン濃度を1.0%から1.5%に増加させたこと以外は実施例1と同様のコラーゲンゾルを調製し、ブタ胃粘膜下局注試験を実施した。局注した後の組織切片像を
図4に示す。コラーゲン濃度が高くなったことで粘度が上昇し、粘膜下層との一体化が生じなくなった。このような現象が起こると、粘膜下層の膨張がほとんど生じないため、粘膜下層の剥離を容易にするという効果が得られないばかりでなく、粘膜下層まで浸潤した癌の除去には不適となる。
【0052】
【表1】
※評価
隆起高維持率○:局注後60分経過時の隆起高維持率が70%以上
隆起高維持率×:局注後60分経過時の隆起高維持率が70%未満
粘膜下層一体化○:局注後60分経過時に組織固定を行った組織切片像において、ゲルが粘膜下層から独立して観察されない
粘膜下層一体化×:局注後60分経過時に組織固定を行った組織切片像において、ゲルが粘膜下層から独立して観察される
【産業上の利用可能性】
【0053】
本発明によれば、粘膜下に局注すると速やかに粘膜下層と一体化してゲル化して、隆起高の維持率が高い膨隆を形成する安全な局注剤を提供することができる。本発明のゾルは、組織障害性を起こしうる操作や特殊な装置を必要とせずに注入・ゲル化させることができ、また、血液製剤のように、汚染の恐れや確保量の制限がない。本発明は、医療分野における産業上の利用可能性を有する。