IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ TPR株式会社の特許一覧

<>
  • 特許-摺動部材 図1
  • 特許-摺動部材 図2
  • 特許-摺動部材 図3
  • 特許-摺動部材 図4
  • 特許-摺動部材 図5
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-02-07
(45)【発行日】2022-02-16
(54)【発明の名称】摺動部材
(51)【国際特許分類】
   F02F 5/00 20060101AFI20220208BHJP
   F16J 9/26 20060101ALI20220208BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20220208BHJP
【FI】
F02F5/00 E
F16J9/26 C
C23C14/06 F
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2021559354
(86)(22)【出願日】2021-09-30
(86)【国際出願番号】 JP2021036226
【審査請求日】2021-10-12
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000215785
【氏名又は名称】TPR株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110002860
【氏名又は名称】特許業務法人秀和特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】佐藤 智之
(72)【発明者】
【氏名】北詰 豊
(72)【発明者】
【氏名】南郷 哲哉
【審査官】菅野 京一
(56)【参考文献】
【文献】特開2020-200803(JP,A)
【文献】特開2009-241252(JP,A)
【文献】特開2008-297171(JP,A)
【文献】特表2002-544380(JP,A)
【文献】国際公開第2021/124788(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/121944(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/021671(WO,A1)
【文献】米国特許出願公開第2015/0018254(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F02F 5/00
F16J 9/26
C23C 14/06
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
外周摺動面にDLC被膜を有する摺動部材であって、
前記DLC被膜は、ラマン分光スペクトルにおいて、1150cm-1付近にピークを有するSバンド、1400cm-1付近にピークを有するDバンド、及び1580cm-1付近にピークを有するGバンド、を有し、Sバンドのピーク強度に対するGバンドのピーク強度の比(I/I)が5.6以下であり、Sバンドのピーク強度面積に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/A)が4.7以下であり、
Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度との和に対するGバンドのピーク強度の比(I /I S+D )が1.1以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A /A S+D )が0.76以下である、摺動部材。
【請求項2】
Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するGバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.50以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.43以下である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記DLC被膜は、Sバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+G)が0.68以上であり、Sバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+G)が0.9以上である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記DLC被膜は、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.41以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.48以上である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記DLC被膜は、Dバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/ID+G)が0.1以上であり、Dバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AD+G)が0.1以上である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項6】
前記DLC被膜は、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.09以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.09以上である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項7】
前記DLC被膜は、水素含有量が0.5at%以下である、請求項1からのいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項8】
ピストンリングである、請求項1~のいずれか1項に記載の摺動部材。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、主として内燃機関で使用される摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
DLC(ダイヤモンドライクカーボン)被膜は、グラファイト構造に対応する炭素原子のsp結合と、ダイヤモンド構造に対応する炭素原子のsp結合とが混在するアモルファス構造(非晶質構造)の膜である。両方の結合成分の比を調整することにより、様々な特性をもつDLC被膜を形成することができる。
【0003】
優れた耐摩耗性、摺動特性を有するDLC被膜は、摺動環境が厳しい内燃機関の摺動部材として利用されている。内燃機関の摺動部材としては、ピストンリング、シリンダライナ、カムシャフト等があげられる。
【0004】
DLC被膜の特性としては、特許文献1及び2に、グラファイト構造由来のGバンド、グラファイト構造の欠陥由来のDバンドに加えて、sp結合由来のSバンドが測定されるDLC膜が、耐熱性を向上させ、高硬度であることが開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特許第5713362号
【文献】特許第6586578号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
DLC被膜に関してはさまざまな開発がされているところではあるが、内燃機関の複雑な使用環境により、潤滑油成分および燃料成分由来のカーボンスラッジ等が生成され、このカーボンスラッジ等が介在することで、DLC処理された摺動部材のDLC被膜の耐摩耗性が不足して摩滅する場合がある、という事実に、本発明者らは想到している。
すなわち、従来開示されているDLC被膜を有する摺動部材では、カーボンスラッジ等の異物が混入時の耐摩耗性(耐アブレシブ摩耗性)は十分ではないという問題がある。
カーボンスラッジ等の異物が介在した状態で摺動することにより、DLC被膜の摺動面に微細なクラックが生じることがあり、こうしたクラックの進展により摺動面の微小破壊が生じ、摩耗が増大すると本発明者らは推定している。
本発明は、上記問題に鑑みてなされたものであり、カーボンスラッジ等の異物が存在する環境下でも耐摩耗性(耐アブレシブ摩耗性)を有する摺動部材を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を解決すべく検討を重ね、グラファイト構造由来のGバンド、グラファイト構造の欠陥由来のDバンドに加えて、sp結合由来のSバンドが測定されるDLC被膜であって、これらのバンドが特定の関係を満たすDLC被膜を外周摺動面に有する摺動部材が、上記課題を解決できることを見出し、本発明を完成させた。具体的には、上記ラマン分光スペクトルに存在する3つのバンドのうち、Sバンドの存在がDLC被膜の耐摩耗性に大きな影響を与えるという新たな知見を見出し、そして、Sバンドが存在することに加え、SバンドとDバンドとGバンドのピーク強度比及び面積比を特定の範囲内とすることで、DLC被膜の耐摩耗性が良好になることを見出した。
【0008】
本発明は、外周摺動面にDLC被膜を有する摺動部材であって、
前記DLC被膜は、ラマン分光スペクトルにおいて、1150cm-1付近にピークを有するSバンド、1400cm-1付近にピークを有するDバンド、及び1580cm-1付近にピークを有するGバンド、を有し、Sバンドのピーク強度に対するGバンドのピーク強度の比(I/I)が5.6以下であり、Sバンドのピーク強度面積に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/A)が4.7以下である、摺動部材である。
【0009】
また、前記DLC被膜は、Sバンドのピーク強度とDバンドの強度ピークとの和に対するGバンドのピーク強度の比(I/IS+D)が1.1以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D)が0.76以下であることが好ましい。
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するGバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.50以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.43以下であることが好ましい。
【0010】
また、Sバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+G)が0.68以上であり、Sバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+G)が0.9以上であることが好ましい。
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.41以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.48以上であることが好ましい。
【0011】
またDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/ID+G)が0.1以上であり、Dバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AD+G)が0.1以上であることが好ましい。
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.09以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.09以上であることが好ましい。
【0012】
また、前記DLC被膜は、水素を実質的に含まないことが好ましく、その含有量は0.5at%以下であることが好ましく、前記摺動部材はピストンリングであることが好ましい。
【発明の効果】
【0013】
本発明により、クラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制し得る、DLC被膜によって被覆された摺動部材を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
図1】ピストンリング基材に、下地層を有するDLC被膜を形成したピストンリングの断面模式図を示す。
図2】往復動摩擦摩耗試験の概要を示す模式図である。
図3】DLC被膜表面に生じたクラックの拡大図である(図面代用写真)。
図4】実施例1のDLC被膜に対するロックウェル圧痕試験結果を示すレーザー顕微鏡画像である(図面代用写真)。
図5】比較例1のDLC被膜に対するロックウェル圧痕試験結果を示すレーザー顕微鏡画像である(図面代用写真)。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、具体的な実施形態を示し説明するが、各実施形態は本発明の一例として示されるものであり、必ずしも請求項に係る発明を特定するものではなく、また、実施形態の中で説明する特徴の全てが、本発明の課題を解決する手段に必須であるとは限らない。
【0016】
本発明の実施形態は、外周摺動面にDLC被膜を有する摺動部材である。摺動部材は内燃機関で用いられるものであってよく、内燃機関以外で用いられるものであってもよいが、内燃機関で用いる摺動部材に、特に好適に使用することができる。
内燃機関で用いられる摺動部材としては、ピストンリング、シリンダライナ、カムシャフト等があげられ、以下、摺動部材の典型例としてピストンリングを用いて説明する。
【0017】
摺動部材が有するDLC被膜は、ラマン分光スペクトルにおいて、1150cm-1付近にピークを有するSバンド、1400cm-1付近にピークを有するDバンド、及び1580cm-1付近にピークを有するGバンド、を有し、Sバンドのピーク強度に対するGバンドのピーク強度の比(I/I)が5.6以下であり、Sバンドのピーク強度面積に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/A)が4.7以下である。
【0018】
ラマン分光スペクトルにおけるSバンドは、sp結合由来のバンドである。Gバンドはグラファイト構造由来のバンドであり、Dバンドはグラファイト構造の欠陥由来のバンドである。
【0019】
本発明者らは、ラマン分光スペクトル中にこれらの3つのバンドが存在し、Sバンドのピーク強度に対するGバンドのピーク強度の比(I/I)が5.6以下であり、Sバンドのピーク強度面積に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/A)が4.7以下である場合に、DLC被膜にクラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制できることを見出した。
Sバンドが存在しない場合には、耐摩耗性が不十分である。また、(I/I)が5.6を超える場合にはDLC被膜にクラックが発生しやすくなり、十分な耐摩耗性を有しなく、Sバンドのピーク強度面積に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/A)が4.7を超える場合にも、DLC被膜にクラックが発生しやすくなり、十分な耐摩耗性を有しなくなる。ピーク強度比(I/I)は5.0以下であることが好ましく、4.0以下であることがより好ましい。なお、下限は特段限定されないが、2.5以上であってよい。また、ピーク強度面積比(A/A)は4.1以下であることが好ましく、3.0以下であることがより好ましい。なお、下限は特段限定されないが1.6以上であってよい。
【0020】
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度との和に対するGバンドのピーク強度の比(I/IS+D)が1.1以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D)が0.76以下であることが好ましい。なお、(I/IS+D)の下限は特段限定されないが0.4以上であってよく、(A/AS+D)の下限は特段限定されないが0.2以上であってよい。
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するGバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.50以下であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するGバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.43以下であることが好ましい。なお、(I/IS+D+G)の下限は特段限定されないが0.3以上であってよく、(A/AS+D+G)の下限は特段限定されないが0.19以上であってよい。
上記範囲を満たすことで、DLC被膜にクラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制できるため、好ましい。
【0021】
また、Sバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+G)が0.68以上であり、Sバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+G)が0.9以上であることが好ましい。なお、(I/IS+G)の上限は特に限定されないが1.4以下であってよく、(A/AS+G)の上限は特に限定されないが2.3以下であってよい。
さらに、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するDバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.41以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するDバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.48以上であることが好ましい。なお、(I/IS+D+G)の上限は特に限定されないが0.6以下であってよく、(A/AS+D+G)の上限は特に限定されないが0.7以下であってよい。
上記範囲を満たすことで、DLC被膜にクラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制できるため、好ましい。
【0022】
また、Dバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/ID+G)が0.1以上であり、Dバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AD+G)が0.1以上であることが好ましい。なお、(I/ID+G)の上限は特に限定されないが0.15以下であってよく、(A/AD+G)の上限は特に限定されないが0.14以下であってよい。
また、Sバンドのピーク強度とDバンドのピーク強度とGバンドのピーク強度との和に対するSバンドのピーク強度の比(I/IS+D+G)が0.09以上であり、Sバンドのピーク強度面積とDバンドのピーク強度面積とGバンドのピーク強度面積との和に対するSバンドのピーク強度面積の比(A/AS+D+G)が0.09以上であることが好ましい。なお、(I/IS+D+G)の上限は特に限定されないが0.13以下であってよく、(A/AS+D+G)の上限は特に限定されないが0.13以下であってよい。
上記範囲を満たすことで、DLC被膜にクラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制できるため、好ましい。
【0023】
上記ラマン分光スペクトルの、Sバンド、Dバンド及びGバンドのピーク強度並びにピーク強度面積は、DLC被膜の製造方法を調整することで、所望の値とすることができる。より具体的には、フィルタード カソード バキューム アーク(FCVA:Filtered Cathodic Vacuum arc)法を用いてDLC被膜を形成する場合、印加するパルスバイアス電圧を、例えば-500V~-2500Vとすること、好ましくは-700V~-2500Vとすること、が挙げられる。またそのほか、DLC被膜の成膜の際の基板温度、チャンバの圧力(真空度)、アーク電流、ターゲットの純度、などを調節することにより、所望の値とすることができる。
【0024】
以下、本発明の具体的な形態に関し、摺動部材がピストンリングである場合を例に、説明する。
図1に示すピストンリング10は、ピストンに形成されたピストンリング溝(不図示)に装着され、ピストンの往復運動によってシリンダボア(不図示)の内周面を摺動しながら往復運動する。
ピストンリング10は、トップリング、セカンドリング、オイルリングの何れのピストンリングとして用いてもよい。なお、オイルリングに適用する場合は、オイルリング本体とコイルエキスパンダからなる2ピース構成オイルリングのオイルリング本体、及び2本のセグメント(サイドレールともいう)とエキスパンダ・スペーサからなる3ピース構成オイルリングのセグメント、のいずれにも適用することができる。なお一形態では、ピストンリングは、アルミニウム合金製ピストンに装着され、鋳鉄製シリンダボアに対するピストンリングとして用いられるが、ピストンやシリンダの材質はこれらに限られるものではない。
【0025】
ピストンリング基材11は、従来からピストンリング基材として使用されている材質であれば、材質は特に限定されない。例えば、ステンレス鋼材、ばね鋼材などが好適に用いられ、具体的には、マルテンサイト系ステンレス鋼、シリコンクロム鋼などが好適に用いられる。
【0026】
図1のピストンリング10は、ピストンリング基材11の平滑化加工された外周面にCr、Ti、またはSi等を含む下地層13を備え、その上にDLC被膜12を有する。下地層13を備えることで、DLC被膜12とピストンリング基材11との密着性を向上させることができる。
下地層13の膜厚は0.2μm以上2.0μm以下であることが好ましい。このような膜厚とすることで、DLC被膜12とピストンリング基材11との密着性をより向上させることができる。尚、下地層13を備えることなく、ピストンリング基材11の平滑化加工された外周面に直接DLC被膜12を成膜してもよい。
DLC被膜12の成膜前におけるピストンリング基材11の外周面の平滑化加工の方法は特に限定されないが、研削加工またはバフ研磨加工等を施し、表面粗さを調整することが好ましい。なお、ピストンリング基材11の外周面の表面粗さが小さい場合には、平滑化加工しなくてもよい。
【0027】
DLC被膜12は、水素含有量が0.5at%以下(実質的に水素フリーである)であるa-C及びta-Cから選択されることが好ましい。
【0028】
DLC被膜12は、下地層を除き、膜厚が1μm以上であることが好適である。上限は特に限定されないが、過度に厚く成膜すると生産性の低下、コスト増加を招くおそれがあることから30μm以下であることが好ましく、20μm以下であることがより好ましい。
【0029】
DLC被膜12は、上記ラマン分光スペクトルの、Sバンド、Dバンド及びGバンドのパラメータを充足する他、被膜としての好ましい物性を以下に説明する。
【0030】
[ナノインデンテーション硬さ]
DLC被膜12は、ナノインデンテーション硬さは特段限定されないが、15.0GPa以上30.0GPa以下であってよく、28.0GPa以下であってよく、26.0GPa以下であってよい。通常、耐摩耗性を考慮すると、被膜の硬さは高い方が好まれるが、被膜の硬さが高すぎる場合にはシリンダボア摺動面攻撃性が高くなる傾向にあること、及びDLC被膜はピストンリング外周面に形成する被膜のため、ピストンへの組み付け作業時等の変形を伴う場合の被膜破壊が発生することから、本実施形態では過度に硬すぎない上記範囲とすることが好ましい。
【0031】
[ヤング率]
DLC被膜12は、ヤング率が335GPa以下であることが好適であり、310GPa以下であることがより好ましい。ヤング率が335GPaを超えると、カーボンスラッジ等によるデポジットまたは摺動によって生じた摩耗粉やダスト等の異物がDLC被膜表面を通り抜ける際、DLC被膜の最表面層は脆性破壊が出現し損耗が増大する。一方、下限は特に限定されないが、ヤング率が120GPa以上であることで、膜内部の剥離が生じにくくなる。
【0032】
ナノインデンテーション硬さとヤング率測定は、フィッシャー・インストルメンツ製ナノインデンテーション測定器、型式HM-2000を使用し、ビッカース圧子を用いて、押し込み荷重100mN、最大押し込み荷重までの時間を30s(秒)の条件で行った。ヤング率は、荷重-押込み深さ曲線から求められる。なお、測定値は、一つのピストンリングの周方向において、ピストンリングの合い口の反対側の位置と、合い口からそれぞれ両側に90°の位置、計3箇所の各位置において、それぞれ4点総計12点の測定値の平均値とした。
【0033】
本実施形態に係る硬質炭素被膜の製造方法は、特段限定されない。一例としては、フィルタード カソード バキューム アーク(FCVA:Filtered Cathodic Vacuum arc)法を用いて被膜を形成する方法があげられる。FCVA法は、単一の条件でDLC被膜を形成してもよく、印加するパルスバイアス電圧を変化させて、またはパルスバイアス電圧を変化させることなく複数回成膜することでDLC被膜を形成してもよい。FCVA法によりDLC被膜を製造する場合、印加するパルスバイアス電圧を通常よりも大きく、例えば-500V~-2500V、好ましくは-700V~-2500V、より好ましくは-1000V~-2500Vである。
【実施例
【0034】
次に、実施例、比較例を用いて本発明についてさらに詳しく説明を行う。なお、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【0035】
(実施例/比較例)
ピストンリング基材を装置内にセットした状態で、装置内を真空排気して減圧した後、基材を加熱した。その後に基材に対して、FCVA法により、パルスバイアス電圧、基板温度、チャンバの圧力(真空度)、アーク電流、ターゲットの純度等を適宜変更することで、実施例1~6及び比較例1~4の硬質炭素被膜を有するピストンリングを得た。
得られたピストンリングの硬質炭素被膜に対し、以下の条件でラマン分光スペクトルを測定した。なお、測定値は、一つのピストンリングの周方向において、ピストンリングの合い口両側(0°、360°)、合い口の反対側の位置と、合い口からそれぞれ両側に90°の位置、計5箇所の測定値の平均値とした。
装置名:株式会社堀場製作所製 XploRA PLUS
レーザー光源:532nm
レーザー強度:1mW
スポット径:1μm
回折格子:1200line/mm
得られたラマン分光スペクトルはその波形を解析し、結果を表1にまとめた。
【0036】
【表1】
【0037】
次に実施例1、実施例3~6、及び比較例1のDLC被膜に対して評価を行った。まず、往復動摩擦摩耗試験機による摩耗量測定試験を、以下のとおり実施した。
図2に、ピンオンプレート式往復動摩擦摩耗試験の概要を示す。まず、マルテンサイト系ステンレス鋼を呼び径86mm、摺動方向の幅が1.2mmのピストンリング基材とし、その外周面に上記各実施例、比較例のDLC被膜を成膜し、外周摺動面を加工したピストンリングを準備した。該ピストンリングの合い口反対側の位置と、両側90°を成す3箇所の各位置から、周長20mmのピストンリング部材を切り出し、供試した。切り出したピストンリング部材は最終仕上げを行い、最終仕上げ後のピストンリング部材の表面粗さは、粗さ曲線がプラトー形状であり、最大高さRz1.0μmとし、上試験片100とした。
下試験片110は、JIS FC250相当材であり、硬さがHRB100、炭化物析出が3%の片状黒鉛鋳鉄製シリンダボアを見立てた幅17mm、長さ70mm、厚さ14mmのプレートを作製し、最終表面仕上げを#600エメリーペーパーにより行って、表面粗さは最大高さRzで1.2μmであった。
【0038】
摩耗量測定試験の試験条件を以下に示す。上試験片100と下試験片110との摺動面には、エンジン実機運転で生成したカーボンスラッジ等を濃縮したエンジン潤滑油0W-20を試験時間1時間に150μL(マイクロリットル)給油した。
<試験条件>
・ストローク:50mm
・荷重:50N
・速度:300cycle/min
・下試験片の温度:80℃(可動ブロック120に設けた下試験片加熱用ヒータ122使用)
・試験時間:60min
摩耗量(n=3の平均値)の測定結果を表2に示した。なお、表2の摩耗量は、比較例1の値を1とした相対値である。
【0039】
【表2】
【0040】
次に、実施例1、実施例3~6、及び比較例1のDLC被膜をSKD11材プレートに成膜させ、ロックウェル圧痕試験及びスクラッチ試験を以下のとおり実施した。結果を表3に示す。なお、ロックウェル圧痕試験とスクラッチ試験を実施して、クラックの発生状況(長さ、発生数等)を評価し、クラックが多いほど、クラックが長いほど、摩耗量も多いことを確認できた。
また、図3に、実機運転におけるDLC被膜表面に生じたクラックの電子顕微鏡画像を示し、図4及び図5に、それぞれ実施例1及び比較例1のDLC被膜に対するロックウェル圧痕試験結果を示すレーザー顕微鏡画像を示す。
【0041】
<ロックウェル圧痕試験>
ISO26443に準拠し、先端半径0.2mmのダイヤモンド圧子を、荷重150kgfでDLC被膜に押し込み、DLC被膜表面をレーザー顕微鏡で観察した。圧痕の上下左右4視野を拡大(レンズ倍率50倍)し、それぞれの視野内における最も長いクラックから(長い順)3本の長さの平均値を計算した。1サンプルについて3回計測し、その平均値を採用した(n=12)。結果を表3に示す。
【0042】
<スクラッチ試験>
Anton Paar製スクラッチ試験機を用い、荷重を1Nで一定とし、速度10mm/minで水平に2mm移動させた。スクラッチ試験の結果を電子顕微鏡で観察し、クラックの発生について評価した(n=3)。評価基準は以下のとおりであり、結果を表3に示す。
A:スクラッチ試験後のDLC被膜表面にクラックは発生していなかった。
B:スクラッチ試験後のDLC被膜表面にクラックは発生していたが、その数は比較的少なかった。
C:スクラッチ試験後のDLC被膜表面にクラックがある程度の数発生していた。
D:スクラッチ試験後のDLC被膜表面にクラックが相当多く発生していた。
【0043】
【表3】
【符号の説明】
【0044】
10 ピストンリング
11 ピストンリング基材
12 DLC被膜
13 下地層
100 上試験片
110 下試験片
120 可動ブロック
122 下試験片加熱用ヒータ
【要約】
クラックの進展による摺動面の微小破壊が生じにくく、アブレシブ摩耗の増大を抑制し得る、DLC被膜によって被覆された摺動部材を提供することを課題とする。
グラファイト構造由来のGバンド、グラファイト構造の欠陥由来のDバンドに加えて、sp結合由来のSバンドが測定されるDLC被膜であって、これらのバンドが特定の関係を満たすDLC被膜を外周面に有する摺動部材により、課題を解決する。
図1
図2
図3
図4
図5