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特許7025041変異が導入された甲状腺刺激ホルモン受容体
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-02-15
(45)【発行日】2022-02-24
(54)【発明の名称】変異が導入された甲状腺刺激ホルモン受容体
(51)【国際特許分類】
   C12N 15/12 20060101AFI20220216BHJP
   G01N 33/53 20060101ALI20220216BHJP
   G01N 33/78 20060101ALI20220216BHJP
   C07K 14/72 20060101ALI20220216BHJP
   C12N 5/10 20060101ALI20220216BHJP
   C12Q 1/06 20060101ALI20220216BHJP
【FI】
C12N15/12 ZNA
G01N33/53 B
G01N33/78
C07K14/72
C12N5/10
C12Q1/06
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2019235903
(22)【出願日】2019-12-26
(65)【公開番号】P2021103947
(43)【公開日】2021-07-26
【審査請求日】2020-07-21
(73)【特許権者】
【識別番号】000006770
【氏名又は名称】ヤマサ醤油株式会社
(72)【発明者】
【氏名】保科 元気
(72)【発明者】
【氏名】尾島 汐海
【審査官】山本 晋也
(56)【参考文献】
【文献】特表2008-515387(JP,A)
【文献】特表2013-525284(JP,A)
【文献】特表2010-521139(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2011/0014200(US,A1)
【文献】Maren Claus et al,J Mol Med,2006年09月06日,Vol. 84,p. 943-954
【文献】Gunnar Kleinau et al,The Journal of Biological Chemistry,2007年01月05日,Vol. 282, No. 1,p. 518-525
【文献】Ya Fang et al,Clinica Chimica Acta,2019年07月26日,Vol. 497,p. 147-152
【文献】Kazutaka Nanba et al,Endocrine Journal,2012年,Vol. 59, No. 1,p. 13-19
【文献】Zoller, M J, and M Smith,Nucleic Acids Research,Vol. 10, No. 20,1982年,p. 6487-6500
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N
C07K
A61K
A61P
CAplus/MEDLINE/BIOSIS(STN)
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
UniProt/GeneSeq
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有し、野生型ヒトTSHR(配列番号1)と比較したとき90%以上の同一性を有することを特徴とする、TSHR変異体;
D460N、L469P、S479A、N483A、D487A、R531Q、L552VI568LY582F、R625A、L665V。
【請求項2】
以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、請求項1に記載のTSHR変異体;
R531Q、L552V、Y582F、R625A、L665V。
【請求項3】
以下に記載する点変異を有することを特徴とする、請求項1又は2に記載のTSHR変異体;
L665V。
【請求項4】
請求項1~3のいずれか1項に記載のTSHR変異体をコードするポリヌクレオチド。
【請求項5】
請求項1~4のいずれか1項に記載のTSHR変異体を発現する動物細胞。
【請求項6】
以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有し、野生型ヒトTSHR(配列番号1)と比較したとき90%以上の同一性を有するTSHR変異体を発現した動物細胞を含有する、甲状腺疾患診断キット;
D460N、L469P、S479A、N483A、D487A、R531Q、L552V、S567A、I568L、M572A、Y582F、R625A、L665V。
【請求項7】
前記動物細胞がcAMPバイオセンサーを発現することを特徴とする、請求項6に記載の甲状腺疾患診断キット。
【請求項8】
前記甲状腺疾患がバセドウ病であることを特徴とする、請求項6又は7に記載の甲状腺疾患診断キット。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、変異が導入された甲状腺刺激ホルモン(TSH;Thyroid Stimulating Hormone)受容体に関する。
【背景技術】
【0002】
TSH受容体(TSHR)は、甲状腺細胞膜上に存在するTSHの受容体であり、Gタンパク質共役受容体の一種である。脳下垂体から分泌されたTSHがTSHRに結合すると、その刺激により細胞中のアデニレートシクラーゼが活性化されて環状アデノシン一リン酸(cAMP)が産生され、cAMPシグナルを受けてTSHの分泌及び合成が行われる。
【0003】
甲状腺疾患の代表例であるバセドウ病(Basedow病;グレーブス病[Graves' disease]ともいう)は、TSHRに対して刺激活性を有する自己抗体(Thyroid Stimulation Antibody;TSAb)が原因となって発症する疾患である。バセドウ病患者においては、TSAbがTSHRを過剰に刺激することにより、甲状腺機能が亢進する。TSHR刺激性又は阻害性自己抗体に起因する甲状腺疾患としては、バセドウ病の他に、TSH産生腫瘍、妊娠甲状腺中毒症、甲状腺機能低下症、橋本病等が知られている。
【0004】
甲状腺疾患患者に適切な治療を提供するためには、患者の疾患を鑑別することが重要である。たとえばバセドウ病においては、患者血液試料中のTSAb活性を測定することで、バセドウ病の診断、病勢把握、病因解析ができることが知られている。このように、TSHRに対する自己抗体活性の測定法は産業上有用であり、開発が進められている。
【0005】
TSHRに対する自己抗体活性の測定法は、その測定原理から2つに大別される。1つは、TSHのTSHRへの結合阻害率から自己抗体活性を測定する方法である。具体的な方法として、可溶化ブタ甲状腺細胞膜画分に患者血清とアイソトープ標識したTSHを加えて反応させ、被検血清中のTSHR自己抗体による標識化TSHのTSHRへの結合阻害率をTSHR自己抗体値として測定する方法(非特許文献1)が知られている。
【0006】
もう1つは、産生されるcAMP量を測定するものである。cAMP量の測定という技術思想は共通であるが、cAMPの定量法の違いから、いくつかの方法が知られている。代表的なものを、以下に示す。チャイニーズハムスター卵巣(CHO)細胞を被験試料存在下でインキュベートし、被験試料中に含まれるTSAbがCHO細胞膜上に存在するTSH受容体を刺激することにより産生されるcAMPの量を、レポーター遺伝子の酵素活性を介して測定する方法(特許文献1)。ブタ甲状腺細胞を、当該患者由来の血清存在下でインキュベートし、血清中に含まれるTSAbが、ブタ甲状腺細胞膜上に存在するTSHRを刺激することにより産生されるcAMPの量を、細胞を溶解させて測定する方法(特許文献2)。ブタ甲状腺細胞を、当該患者由来の血清存在下でインキュベートし、血清中に含まれるTSAbが、ブタ甲状腺細胞膜上に存在するTSHRを刺激することにより産生されるcAMPの量を、カルシウムイオンを介した発光によって検出するバイオアッセイ系を利用したTSAbの測定法(特許文献3)。
【0007】
特許文献1~3に記載の方法においては、測定までに時間がかかる、前処理が必要であるなどの問題が存在していた。そこで、試料中のTSHRに対する自己抗体活性を迅速に測定できる方法の1つとして、cAMPバイオセンサー及びTSHRの両方が発現する哺乳動物細胞を用いてcAMPバイオセンサーの活性化レベルを測定する方法が検討されている(特許文献4)。当該方法においては、以下の工程(a)~(c)を行うことにより、被験者試料のTSHRに対する自己抗体活性を算定することができる。
(a)cAMPバイオセンサー及びTSHRの両方が発現する動物細胞を、被験者から採取された血液試料存在下でインキュベートする工程;
(b)工程(a)の後、前記cAMPバイオセンサーの活性化レベルを測定する工程;
(c)工程(b)で測定した活性化レベルと、対照における活性化レベルとを比較し、TSHR活性化レベルを算定する工程;
【0008】
特許文献1~4に記載の方法で用いるため、ヒトTSHR(特許文献5)、イヌTSHR(特許文献6)、ブタTSHR(特許文献7)の生産方法が確立されている。しかし、これらの検討は、野生型TSHRと同等の性能のTSHRを簡便かつ大量に製造するためのものであり、野生型TSHRよりも高い性能を有するTSHRを提供するものではなかった。
【0009】
TSHRに関しては、変異によって引き起こされる病態等について、多くの先行研究が存在している(非特許文献2~7)。しかし、これらはいずれも疾病の機序等を解明するための研究であり、TSHRに対する自己抗体活性の測定法に応用するための研究ないし検討は一切行われてこなかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【文献】再表2004-500580号公報
【文献】特開2016-75707号公報
【文献】特開2017-192396号公報
【文献】特願2019-20595号
【文献】特表平05-504683号公報
【文献】特表平04-506752号公報
【文献】特開2007-314548号公報
【非特許文献】
【0011】
【文献】Methods in Enzymology,74,405~420(1981)、Endocr.Rev.,9,106-120,(1988)
【文献】Xiuyan Feng et al. Endocrinology 149(4):1705-1717
【文献】Ann-Karin Haas et al. Cell. Mol. Life Sci. (2011) 68:159-167
【文献】Gunnar Kleinau et al. JBC (2007) 282-1: 518-525
【文献】Eneko Urizar et al. JBC (2005) 280-17 :17135-17141
【文献】Vanessa Chantreau et al. PLOS ONE. (2015) 10.1371 0142250
【文献】Gunner Kleinau et al. FASEBJ (2008) 22(8) : 2798-2808
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明者らは、TSHRに対する自己抗体活性の測定法の検討を行う中で、野生型TSHRは恒常活性を有しており、シグナル/ノイズ比(S/N比)が低く、結果として測定の感度低下が引き起こされることを発見した。特に、cAMPバイオセンサーを用いる測定法の一態様においては、TSHR刺激物質存在時と非存在時におけるcAMPバイオセンサーの活性化レベルの比によってTSHR活性化レベルを評価するため、TSHRのS/N比が低いことに起因する感度低下の影響が顕著であった。
【0013】
本発明は、上記問題を解決することを課題とする。すなわち、S/N比が向上したTSHRを提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者らは、上記課題を解決するため鋭意検討した結果、TSHRに適切な変異を導入することによって、TSHRの恒常活性を抑制し、S/N比を向上させることが可能であることを見出した。さらに、検討を進めることにより、本発明を完成させた。
【0015】
すなわち、本発明は、以下のとおりである。
[1]以下に記載するアミノ酸のうち、少なくとも1つに変異を有することを特徴とする、TSHR変異体。
D460、L469、S479、N483、D487、R531、L552、S567、I568、M572、Y582、R625、L665
[2]以下に記載するアミノ酸のうち、少なくとも1つに変異を有することを特徴とする、TSHR変異体。
R531、L552、S567、Y582、R625、L665
[3]変異が点変異であることを特徴とする、[1]又は[2]に記載のTSHR変異体。
[4]以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、[1]~[3]のいずれか1項に記載のTSHR変異体;
D460(R、N、C、E、Q、G、H、K、S、T)、
L469(A、I、M、F、P、W、Y、V)、
S479(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、
N483(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、
D487(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、
R531(D、N、C、E、Q、G、H、K、S、T)、
L552(A、I、M、F、P、W、Y、V)、
S567(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、
I568(A、L、M、F、P、W、Y、V)、
M572(A、I、L、F、P、W、Y、V)、
Y582(A、I、L、M、F、P、W、V)、
R625(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、
L665(A、I、M、F、P、W、Y、V)。
[5]以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、[1]~[4]のいずれか1項に記載のTSHR変異体;
D460(N、E、Q)、
L469(G、A、V、I、P)、
S479(A、V、L、I、P)、
N483(A、V、L、I、P)、
D487(A、V、L、I、P)、
R531(D、N、E、Q)、
L552(A、V、I、P)、
S567(A、V、L、I、P)、
I568(A、V、L、P)、
M572(A、V、L、I、P)、
Y582(F、W)、
R625(A、V、L、I、P)、
L665(A、V、I、P)。
[6]以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、[1]~[5]に記載のTSHR変異体;
D460N、L469P、S479A、N483A、D487A、R531Q、L552V、S567A、I568L、M572A、Y582F、R625A、L665V。
[7]以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、[1]~[6]のいずれか1項に記載のTSHR変異体;
R531Q、L552V、S567A、Y582F、R625A、L665V。
[8]以下に記載する点変異のうち、少なくとも1つを有することを特徴とする、[1]~[7]のいずれか1項に記載のTSHR変異体;
S567A、L665V。
[9][1]~[8]のいずれか1項に記載のTSHR変異体をコードするポリヌクレオチド。
[10][1]~[8]のいずれか1項に記載のTSHR変異体を発現する動物細胞。
[11][10]に記載の動物細胞を含有する、甲状腺疾患診断キット。
[12]前記動物細胞がcAMPバイオセンサーを発現することを特徴とする、[11]に記載の甲状腺疾患診断キット。
[13]前記甲状腺疾患がバセドウ病であることを特徴とする、[11]又は[12]に記載の甲状腺疾患診断キット。
【発明の効果】
【0016】
本発明のTSHRは、少なくともある濃度域において、S/N比が向上している。この特性により、TSHRに対する自己抗体活性の測定に、好適に用いることができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1図1は、本明細書実施例1にてTSHRに導入された変異点を示す模式図である。図中、星印が変異点の位置を表す。アルファベット1文字、数字3文字、アルファベット1文字の順からなる文字列は、中央の3桁の数字がヒトTSHRにおける当該アミノ酸残基の番号を表し、左端のアルファベットが野生型TSHRにおけるアミノ酸残基を、右端のアルファベットが変異後のアミノ酸残基を示している。
図2図2は、本明細書実施例2の野生型TSHR及びTSHR変異体における、恒常cAMPレベル、すなわちTSHR刺激物質非存在条件下のRLUを示している。縦軸はcAMPレベル(RLU)の値を示している。横軸はHEK293細胞にて一過性発現された、各野生型TSHR及びTSHR変異体を示す。
図3図3は、野生型TSHR及びTSHR変異体における、NIBSC08/204を31.25、125、500、2000mIU/L添加したときのS/N比(Fold change)を示す。縦軸はNIBSC08/204各濃度添加後のS/N比(Fold change)を示す。横軸は添加したNIBSC08/204の濃度(mIU/L)を示す。
図4図4は、野生型TSHR又はTSHR変異体の一過性発現株における、バセドウ病陽性患者血清、ないし陰性対照(健常人血清)を添加したときのTSHR活性化レベル(Fold change)を示す。縦軸はTSHR活性化レベル、すなわち各試料添加後のcAMPレベルを、陰性対照試料(陰性血清1添加、TSHR刺激物質非存在下条件)のcAMPレベルで除したものを示す。横軸は、添加した試料の番号を示す。
図5図5は、野生型TSHR及びTSHR変異体安定発現株における、TSHR活性化レベル(Fold change)を示す。図中、◇で示したものが野生型株、■で示したものがS567A、▲で示したものがL665Vを表している。図中、*はt検定によるp値がp<0.03であることを表し、**はt検定によるp値がp<0.01であることを表している。
【発明を実施するための形態】
【0018】
本明細書において、「野生型TSHR」とは、変異の導入されていないTSHRであることを意味する。本明細書において、変異の導入されていないTSHRアミノ酸配列とは、NCBI(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/guide/)のデータベースに登録されているTSHRアミノ酸配列であることとする。本明細書において、TSHRの由来はヒトに限定されないが、TSHRの由来について特に記載のない場合、TSHRはヒト由来(配列番号1)であることを意味する。また、本明細書中において、野生型TSHRのことを「WT」と表記することがある。
【0019】
本明細書において「アミノ酸」とは、アミノ基とカルボキシル基を持つ有機化合物の総称である。特に限定されないが、例えばアラニン(Ala,A)、アルギニン(Arg,R)、アスパラギン(Asn,N)、アスパラギン酸(Asp,N)、システイン(Cys,C)、グルタミン(Gln,Q)、グルタミン酸(Glu,E)、グリシン(Gly,G)、ヒスチジン(His,H)、イソロイシン(Ile,I)、ロイシン(Leu,L)、リシン(Lys,K)、メチオニン(Met,M)、フェニルアラニン(Phe,F)、プロリン(Pro,P)、セリン(Ser,S)、トレオニン(Thr,T)、トリプトファン(Trp,W)、チロシン(Tyr,Y)、バリン(Val,V)を含む。なお、本明細書においては、それぞれのアミノ酸を上記のアルファベット一文字等で略記することがある。
【0020】
本明細書において、「TSHR変異体」とは、前記野生型TSHRからアミノ酸配列を欠失、置換、挿入もしくは付加する変異を有するTSHRを意味し、由来はヒトに限定されない。当該変異体を表すときに、アルファベット1文字と続く3桁の数字を用いる場合には、1文字目のアルファベットは変異が導入されるアミノ酸を示し、続く3桁の数字はヒトTSHRのアミノ酸配列(配列番号1)における当該アミノ酸残基の位置を示している。例えば、「L665」であれば、ヒトTSHRの665番目のロイシンの位置に変異が導入された変異体であることを意味する。
【0021】
本発明に用いるTSHRの由来がヒト以外である場合には、ヒトTSHRのアミノ酸配列(配列番号1)と対象の野生型TSHRの配列をNCBI(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/)のBLASTにおける相同性が最大となるようClastalW(https://www.genome.jp/tools-bin/clustalw)にてアラインメントし、ヒトTSHRのアミノ酸配列(配列番号1)における当該アミノ酸残基に対応するアミノ酸残基に変異が入っていることを意味する。
【0022】
本明細書において、アルファベット1文字と3桁の数字の後に更にアルファベット1文字が続く文字列によって変異体を表す場合、左端のアルファベットは変異前のアミノ酸を、中央3桁の数字は野生型ヒトTSHRにおける当該アミノ酸残基の位置を、右端のアルファベットは変異後のアミノ酸をそれぞれ示し、左端のアミノ酸が右端のアミノ酸へ点変異した変異体であることを意味する。例えば「L665V」であれば、665番目のロイシンがバリンへと置換される点変異が導入された変異体であることを意味する。
【0023】
本明細書において、アルファベット1文字と3桁の数字に続けて複数のアルファベットが括弧内に列挙されている場合、左端のアミノ酸が括弧内のアミノ酸のいずれかに点変異した変異体であることを意味する。例えばL665(A、V、I、P)の場合、665番目のロイシンがアラニン、バリン、イソロイシン、プロリンのいずれかに置換される点変異が導入された変異体であることを意味する。
【0024】
本明細書において、上記変異箇所や変異点がスラッシュ(/)で連続して表されている場合、変異体がスラッシュの前後に記載されている変異をどちらも有する変異体であることを意味する。例えば「R531Q/L665V」と記載されている場合であれば、531番目のアルギニンがグルタミンへと置換される点変異と、665番目のロイシンがバリンへと置換される点変異が導入された、二重変異体であることを意味する。
【0025】
本明細書において、「cAMPレベル」とは、TSHRに起因して哺乳動物細胞内で産生されるcAMP量を意味し、以下に記載の方法で測定した際のRLUと定義する。
【0026】
[使用動物細胞]ヒト胎児腎細胞由来細胞株(HEK293細胞)(ECACC[European Collection of Authenticated Cell Cultures]より入手、Cat no. 85120602)。
【0027】
[使用ベクター]GloSensor cAMP、すなわち、ホタルルシフェラーゼ(firefly luciferase)の359~544番目のアミノ酸残基と、プロテインキナーゼA(PKA)の制御サブユニットのcAMP結合領域と、ホタルルシフェラーゼの4~355番目のアミノ酸残基とを含むタンパク質が発現するプラスミドベクター(pGloSensor-22F、Promega社製)と、TSHRが発現するpcDNA3.1(+)(pcDNA3.1_TSHR)。なお、以下に記載の方法において、pcDNA3.1_TSHRの代わりに、適宜TSHR変異体が発現するpcDNA3.1(+)を用いることもある。
【0028】
[細胞調製法]
〔1〕1.5×10個のHEK293細胞を10%FBS含有D-MEM培地に播種し、24時間培養する。
〔2〕pGloSenso-22FとpcDNA3.1_TSHRを、FuGENE HD Transfection Reagent(Promega社製)を用い、GloSensor cAMP Assay(Promega社製)に添付のプロトコールに従って、HEK293細胞へトランスフェクションする。
〔3〕トランスフェクションされた細胞を24時間培養した後、TSHR刺激物質(例えばTSAb国際標準であるNIBSC08/204やTSAb陽性検体)の添加により蛍光強度の増加が見られるものを選抜する。
【0029】
[活性測定条件]
〔1〕細胞を24時間培養した後、2%(v/v)のGloSensor cAMP Reagent stock solution(Promega社製)を含むpolyethylene glycol含有インキュベート用液に交換し、室温で1時間平衡化処理を行う。
〔2〕TSHR刺激物質を添加し、20分間インキュベーションした後、ルミノメーターを用いてRLUを測定する。測定されたRLUを、cAMPレベルと定義する。
【0030】
なお、本明細書におけるcAMPレベルの測定法は、上記測定法と同等性が担保される範囲内で、適宜改変することもできる。
【0031】
本明細書において、「恒常cAMPレベル」とは、TSHR刺激物質非存在条件下で示すcAMPレベルのことを意味する。本明細書において恒常cAMPレベルは、前記cAMPレベル測定法の活性測定条件〔2〕で、TSHR刺激物質を添加しないことで測定することができる。
【0032】
本明細書において、「TSHR活性化レベル」とは、TSHR刺激物質に対するTSHRの応答性を意味し、哺乳動物細胞中の恒常cAMPレベルに対する、TSHR刺激物質存在下におけるcAMPレベルの比(Fold change)によって定義される。
【0033】
本明細書において、「TSHR刺激物質」とは、TSHRを刺激(活性化)するリガンドを意味し、TSHそのものや、TSHR刺激性自己抗体が例示される。
【0034】
本明細書において、「TSHR刺激性自己抗体」とは、TSHRを直接的又は間接的に刺激(活性化)できる自己抗体(すなわち、測定対象の被験者の体内で産生され、かつ、当該被験者の体内に存在するタンパク質等の物質を標的とする抗体)、例えば、TSHRに結合できるアゴニスト(例えば、アゴニスト作用を有する抗TSH抗体[TSAb])を意味する。
【0035】
本明細書において、「TSHR阻害性自己抗体」とは、TSHRを直接的又は間接的に阻害(不活性化)できる自己抗体、例えば、TSHのTSHRへの結合を直接的又は間接的に阻害するアンタゴニスト(例えば、アンタゴニスト作用を有する抗TSH抗体[TSBAb])を意味する。
【0036】
本明細書において、「シグナル/ノイズ比」及び「S/N比」、「S/N ratio」とは、前記cAMPレベル測定法に従いTSHRを一過性発現する株において、TSHR刺激物質であるTSAb国際標準NIBSC08/204を添加したときの、TSHR活性化レベルを意味する。ある濃度X(mIU/L)のNIBSC08/204を添加したときのTSHR活性化レベルをX(mIU/L)におけるS/N比と定義する。
【0037】
本明細書において、「S/N比が高い(低い)」とは、あるNIBSC08/204濃度において、一方のS/N比が、他方の1.2倍以上高い(低い)ことを意味する。すなわち、ある濃度X(mIU/L)において、TSHR変異体が野生型ヒトTHSRよりもS/N比が高いといったときには、X(mIU/L)におけるTSHR変異体のS/N比が、X(mIU/L)における野生型ヒトTSHRのS/N比よりも1.2倍以上であることを意味する。TSHRのS/N比が高いことは、そのTSHRをTSHR刺激物質の測定系に用いた場合、感度及び鑑別能力に優れていることを意味する。
【0038】
本明細書において「相同性」とは、一般的に2つもしくは複数間のアミノ酸配列において同一なアミノ酸数の割合を算定したものを意味する。本明細書において「相同性」は、NCBI(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/)のBLASTによって測定された値であると定義する。BLASTでアミノ酸配列を比較するときのAlgorithmには、Blastpをデフォルト設定で使用できる。測定結果はPositives又はIdentitiesとして数値化される。
【0039】
本明細書において「ポリヌクレオチド」とは、ヌクレオチドもしくは塩基、又はそれらの等価物が、複数結合した形態で構成されているものを含む。ヌクレオチド及び塩基は、DNA塩基又はRNA塩基を含む。上記の等価物は、例えばDNA塩基又はRNA塩基がメチル化等の化学修飾を受けているもの、又はヌクレオチドアナログを含む。ヌクレオチドアナログは、非天然のヌクレオチドを含む。
「DNA鎖」とは、DNA塩基又はそれらの等価物が2個以上連結した形態のことを表す。
「RNA鎖」とは、RNA塩基又はそれらの等価物が2個以上連結した形態のことを表す。
【0040】
本明細書において「ベクター」は、例えば大腸菌由来のプラスミド(例えばpBR322、pUC12、pET-Blue-2)、枯草菌由来のプラスミド(例えばpUB110、pTP5)、酵母由来プラスミド(例えばpSH19、pSH15)、動物細胞発現プラスミド(例えばpA1-11、pcDNAI/Neo)、λファージなどのバクテリオファージ、アデノウイルス、レトロウイルス、バキュロウイルスなどのウイルス由来のベクターなどを用いることができる。これらのベクターは、プロモーター、複製開始点、又は抗生物質耐性遺伝子など、タンパク質発現に必要な構成要素を含んでいてもよい。ベクターは発現ベクターであってもよい。
【0041】
本明細書において「cAMPバイオセンサー」とは、哺乳動物細胞中のcAMPの産生量及び/又は濃度に依存し、可視化(イメージング)及び/又は定量可能な、自身に由来する指標(例えば、酵素活性レベル、発色レベル、発光[蛍光]レベル)が変化するタンパク質を意味する。上記cAMPバイオセンサーは、通常、cAMP結合領域を有し、かかるcAMP結合領域にcAMPが結合することにより、cAMPバイオセンサーの立体構造が変化し、不活性化状態から活性化状態への変化、不可視化状態から可視化状態への変化等のアロステリックな効果を有する。
【0042】
本発明の一態様は、以下の変異のうち少なくとも1つが導入されたヒトTSHR変異体である。
D460、L469、S479、N483、D487、R531、L552、S567、I568、M572、Y582、R625、L665
本発明の一態様は、上記変異に対応する変異のうち少なくとも1つが導入された、非ヒトTSHR変異体である。
本発明のTSHR変異体は、上記変異を有することから、極低濃度域(1~50mIU/L)、低濃度域(50~300mIU/L)、中濃度域(300~1000mIU/L)、高濃度域(1000~5000mIU/L)の少なくとも1つの濃度域において、S/N比が向上している。当該TSHR変異体は、S/N比が向上している濃度域において感度よくTSHR活性化レベルを測定できるため、好適にTSHR刺激性又は阻害性自己抗体に起因する甲状腺疾患の判定に用いることができる。
【0043】
前記変異の中でも、より広い濃度範囲でS/N比が向上することから、L469、S479、N483、D487、R531、L552、S567、Y582、R625、L665のうち少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましく、R531、L552、S567、Y582、R625、L665のうち少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましい。さらに、後述する実施例にて実証されているように、バセドウ病の診断に好適に用いることができることから、S567、L665のうち少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましい。
【0044】
本発明に用いることができるTSHRは、ヒトTSAbなどの測定対象に反応を示す限りにおいて、その由来に制限はない。動物細胞にて発現した際にヒトのTSHRと近い反応性を示すことから、マウス、ラット、ハムスター、モルモット等のげっ歯類、ウサギ等のウサギ目、ブタ、ウシ、ヤギ、ウマ、ヒツジ等の有蹄目、イヌ、ネコ等のネコ目、ヒト、サル、アカゲザル、カニクイザル、マーモセット、オランウータン、チンパンジーなどの霊長類等由来の細胞を例示することができる。中でも、過去にTSAb活性測定に用いられてきた細胞の由来である点から、ヒト(配列番号1)、マウス(配列番号2)、ラット(配列番号3)、ブタ(配列番号4)であることが好ましく、生体内のTSHRに対するTSAb活性をそのまま反映できる点から、ヒト(配列番号1)であることがより好ましい。
【0045】
本発明のTSHRは、前記変異を有していることを特徴とするが、必ずしも前記変異のうち1つのみを有する必要はなく、前記変異のうち複数の変異を有していてもよい。
【0046】
本発明のTSHRに導入される変異は、アミノ酸配列を欠失、置換、挿入もしくは付加する変異であるが、中でもアミノ酸を置換する変異が好ましい。これは、アミノ酸を置換する変異は、アミノ酸欠失や挿入に比してGPCRの基本的な立体構造を保持したまま構成アミノ酸を変化させることができ、機能改変に適しているためである。
【0047】
アミノ酸側鎖の性質より、疎水性アミノ酸(A、I、L、M、F、P、W、Y、V)、親水性アミノ酸(R、D、N、C、E、Q、G、H、K、S、T)、脂肪族側鎖を有するアミノ酸(G、A、V、L、I、P)、水酸基含有側鎖を有するアミノ酸(S、T)、硫黄原子含有側鎖を有するアミノ酸(C、M)、カルボン酸及びアミド含有側鎖を有するアミノ酸(D、N、E、Q)、塩基含有側鎖を有するアミノ酸(R、K、H)、及び芳香族含有側鎖を有するアミノ酸(H、F、Y、W)等の分類が知られている(括弧内はいずれもアミノ酸の一文字標記を表す)。これらの各グループ内のアミノ酸同士の置換は保存的置換と総称され、一般にはタンパク質の機能等に影響が少ないことが知られている。また、アミノ酸の上記性質の中でも、アミノ酸の疎水性/親水性がタンパク質の性質に大きな影響を与えることが知られている。
【0048】
後述する実施例にて効果の実証されている置換変異と、前記側鎖の性質によるアミノ酸群の分類を照らして勘案すると、D460においては、同じく疎水性アミノ酸であるR、N、C、E、Q、G、H、K、S、Tに置換されていることが好ましく、中でもカルボン酸を有しているN、E、Qに置換されていることが好ましい。
【0049】
L469においては、同じく疎水性アミノ酸であるA、I、M、F、P、W、Y、Vに置換されていることが好ましく、中でも脂肪族側鎖を有するアミノ酸であるG、A、V、I、Pに置換されることがより好ましい。
【0050】
S479、N483、D487、S567、R625においては、疎水性アミノ酸であるA、I、L、M、F、P、W、Y、Vに置換されていることが好ましく、中でも脂肪族側鎖を有するA、V、L、I、Pに置換されることが好ましい。
【0051】
R531においては、同じく親水性アミノ酸であるD、N、C、E、Q、G、H、K、S、Tに置換されていることが好ましく、中でもカルボン酸及びアミド含有側鎖を有するアミノ酸であるD、N、E、Qに置換されることがより好ましい。
【0052】
L552、L665においては、同じく疎水性アミノ酸のA、I、M、F、P、W、Y、Vに置換されていることが好ましく、中でも脂肪族側鎖も有するアミノ酸のA、V、I、Pに置換されることが好ましい。
【0053】
I568においては、同じ疎水性アミノ酸であるA、L、M、F、P、W、Y、Vに置換されていることが好ましく、中でも脂肪族側鎖を有するアミノ酸であるA、V、L、Pに置換されることがより好ましい。
【0054】
M572においては、同じく疎水性アミノ酸であるA、I、L、F、P、W、Y、Vに置換されることが好ましく、中でも脂肪族側鎖を有するA、V、L、I、Pに置換されることがより好ましい。
【0055】
Y582においては、同じく疎水性アミノ酸であるA、I、L、M、F、P、W、Vに置換されることが好ましく、中でも芳香族含有側鎖を有するF、Wに置換されていることがより好ましい。
【0056】
上記変異点における変異の中でも、恒常活性抑制効果を示すことが実施例にて実証されていることから、前記変異が以下に示すアミノ酸置換、ないしは対応するアミノ酸置換のうち少なくとも1つであることが好ましい。
D460N、L469P、S479A、N483A、D487A、R531Q、L552V、S567A、I568L、M572A、Y582F、R625A、L665V
中でも、広い濃度範囲でS/N比が向上することから、L469P、S479A、N483A、D487A、R531Q、L552V、S567A、Y582F、R625A、L665Vのうち少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましく、R531Q、L552V、S567A、Y582F、R625A、L665Vのうち少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましい。中でも、強い恒常cAMPレベル抑制効果を示し、後述する実施例にて実証されているようにバセドウ病の診断に好適に用いることができることから、S567A、L665Vの少なくとも1つに変異が導入されていることがより好ましい。
【0057】
本発明のTSHR変異体は、これまで記載した変異の他に、TSHR活性の顕著な低下やS/N比の顕著な低下を引き起こさない範囲内で、さらにアミノ酸配列を欠失、置換、挿入もしくは付加する変異を有していても良い。一般に、特に活性と直接的に関与しない部位において、1もしくは数個のアミノ酸残基の欠失、付加、挿入、又は他のアミノ酸による置換を受けたポリペプチドが、その生物学的活性を維持しうる(Mark et al., Proc Natl Acad Sci U S A.1984 Sep;81(18):5662-5666.、Zoller et al., Nucleic Acids Res. 1982 Oct 25;10(20):6487-6500.、Wang et al., Science. 1984 Jun 29;224(4656):1431-1433.)ことが知られている。
【0058】
本発明のTSHR変異体が更なる変異を有している場合、この数は少ないほど好ましい。本発明のTSHR変異体を野生型ヒトTSHR(配列番号1)と比較した際の相同性は、90%以上の同一性を有することが好ましく、95%以上の相同性を有することがより好ましい。
これは、アミノ酸配列の変異が少ないほど、野生型ヒトTSHRに近い特性を有しており、生体内のTSHRに対するTSAb活性をそのまま反映できると考えられるためである。
【0059】
本発明の実施形態に係るTSHRが特定のアミノ酸配列を含むとき、そのアミノ酸配列中のいずれかのアミノ酸が化学修飾を受けていてもよい。そのような場合でも、本発明の実施形態に係るTSHRは、特定のアミノ酸配列を含むといえる。一般的に、タンパク質に含まれるアミノ酸が生体内で受ける化学修飾としては、例えばN末端修飾(例えば、アセチル化 、ミリストイル化等)、C末端修飾(例えば、アミド化、グリコシルホスファチジルイノシトール付加等)、又は側鎖修飾(例えば、リン酸化、糖鎖付加等)等が知られている。
【0060】
本発明の一態様は、前記TSHR変異体をコードするポリヌクレオチドである。本発明の一態様は、前記TSHR変異体を発現する、動物細胞である。
【0061】
本発明の一態様であるポリヌクレオチドは、DNA/RNA合成装置を用いて合成可能である。その他、DNA塩基又はRNA塩基合成の受託会社(例えば、インビトロジェン社やタカラバイオ社等)から購入することもできる。本発明のポリヌクレオチド配列は、本発明のTSHR変異体のアミノ酸配列と、遺伝暗号表から、適宜設計することができる。
【0062】
前記ポリヌクレオチドを含むベクターは、一般に知られている分子生物学的手法によって調製することができ、その調製方法として、例えばTAクローニング法、平滑末端クローニング法、ライゲーション法、In-fusionクローニング法、Gatewayクローニング法、アッセンブリ―法等が例示される。
【0063】
本発明の一態様である動物細胞は、前記ベクターの導入により、前記TSHR変異体が一過的(transient)又は安定的(stable)に発現する動物細胞であればよい。使用される細胞株に特に限定は無いが、購入や実験のし易さの点から、哺乳類甲状腺細胞株[FRTL-5等]、ヒト胎児腎細胞由来細胞株[HEK293細胞、HEK293T細胞等]、チャイニーズハムスター卵巣由来細胞株[CHO細胞]、ヒト骨肉腫細胞株[U2OS細胞]が好ましく、中でも遺伝子導入効率や安定増殖の点からヒト胎児腎細胞由来細胞株[HEK293細胞、HEK293T細胞等]、チャイニーズハムスター卵巣由来細胞株[CHO細胞]がより好ましい。
【0064】
本発明の動物細胞は、TSHR変異体を発現することにより、恒常活性が抑制され、S/N比が改善されていることから、TSHRに対する自己抗体活性の測定法に好適に用いることができる。適用される自己抗体活性の測定法に特に限定はなく、特許文献2~4に記載された方法を例示することができるが、前処理が不要かつ短時間で測定が完了するという点で、中でも特許文献4に記載された方法が好ましい。
【0065】
本発明の動物細胞は、この分野で一般的に用いられている遺伝子工学的手法により作製することができる。例えば、プロモーター(例えば、サイトメガロウイルス[CMV]のIE[immediate early]遺伝子のプロモーター、SV40[Simian virus 40]の初期プロモーター、レトロウイルスのプロモーター、メタロチオネインプロモーター、ヒートショックプロモーター、SRαプロモーター、NFATプロモーター、HIFプロモーター)と、かかるプロモーターの下流に作動可能に連結されているTSH受容体をコードする遺伝子を含むベクター(例えば、pcDNA3.1(+)、pcDM8、pAGE107、pAS3-3、pCDM8)を、エレクトロポレーション法、リン酸カルシウム法、リポフェクション法、DEAE(Diethylaminoethyl)デキストラン法、ウイルス感染法等の方法を用いて、哺乳動物細胞へ導入(トランスフェクション)することにより得ることができる。自己抗体活性の測定に用いられるために、適宜TSHR変異体をコードする遺伝子以外の遺伝子が導入されていても良く、例えばcAMPバイオセンサーを用いる特許文献4に記載の方法であれば、cAMPバイオセンサーをコードする遺伝子が導入されていても良い。
【0066】
本発明に用いることのできるcAMPバイオセンサーとしては、例えば、cAMP結合領域(例えば、プロテインキナーゼA[PKA]の制御サブユニット由来のcAMP結合領域、Epac1由来のcAMP結合領域)を含むレポータータンパク質(例えば、HRP[horseradish peroxidase];アルカリホスファターゼ;β-D-ガラクトシダーゼ;緑色発光ルシフェラーゼ[SLG]、橙色発光ルシフェラーゼ[SLO]、赤色発光ルシフェラーゼ[SLR]等のルシフェラーゼ;緑色蛍光タンパク質[GFP]、赤色蛍光タンパク質[DsRed]、シアン色蛍光タンパク質[CFP]等の蛍光タンパク質)を挙げることができ、具体的には、PKAの制御サブユニット由来のcAMP結合領域を含むルシフェラーゼであるGloSensor cAMP(Promega社製)や、Epac1由来のcAMP結合領域を含む赤色蛍光タンパク質であるPink Flamindo(Pink Fluorescent cAMP indicator)(文献「Harada K., et al., Sci Rep. 2017 Aug 4;7(1):7351. doi: 10.1038/s41598-017-07820-6.」参照)を挙げることができ、本実施例において、その効果が実証されているため、GloSensor cAMP(Promega社製)が好ましい。
【0067】
本発明の一態様は、前記TSHR変異体を発現する動物細胞を含む、TSH受容体刺激性又は阻害性自己抗体に起因する甲状腺疾患診断キットである。
【0068】
本明細書において、TSH受容体刺激性又は阻害性自己抗体に起因する甲状腺疾患としては、TSH受容体刺激性自己抗体又はTSH受容体阻害性自己抗体によりTSH受容体が刺激又は阻害され、血液中の遊離型甲状腺ホルモン濃度の上昇又は低下に起因する甲状腺疾患であればよく、例えば、バセドウ病、TSH産生腫瘍、妊娠甲状腺中毒症、甲状腺機能低下症、橋本病等を挙げることができ、バセドウ病を好適に例示することができる。
【0069】
本発明の一態様である甲状腺疾患測定キットは、常用されている試薬を適宜用いることができる。一例として、動物細胞液、発光基質液、反応プレート、標準液、希釈液のようなキット構成が考えられる。
【0070】
なお、本発明に関するcAMPレベル測定法、動物細胞調製法、自己抗体の測定キットの詳細については、本明細書に記載された内容の他に、本明細書に記載された文献、特に特許文献4、及び特許文献4に記載された文献の内容を適宜参照することができる。
【0071】
以下、実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明の技術的範囲はこれらの例示に限定されるものではない。
【実施例
【0072】
実施例1.TSHR変異体の調製
以下に示す方法に従い、野生型TSHRから1アミノ酸が置換されたTSHR変異体を調製した。
【0073】
1-1.TSHR変異体の設計
TSHRの活性に影響があると推測される変異として、非特許文献2~7に記載された、以下の変異を検討した。
R531Q:非特許文献2
L552V、Y582F、L665V:非特許文献3
S567A、I568L、M572A:非特許文献4
D460N、R625A:非特許文献5
L469P:非特許文献6
S479A、N483A、D487A:非特許文献7
ヒトTSHRのタンパク質構造中の各変異点の位置を、図1に模式的に示す。
【0074】
1-2.変異TSHRの発現ベクター調製
1-1.に記載した変異に対応するよう、変異点に相当するヌクレオチドを挟んで3’側と5’側に20~30merの人工プライマーを設計し、野生型hTSHRの3’側プライマーと変異導入するための1~3塩基を追加した5’側プライマーと、野生型hTSHRを発現するベクターpcDNA3.1_hTSHR用いて、東洋紡社KOD-plus-Mutagenesis Kit(Code No. SMK-101)によるinversePCR法で、TSHR配列への点変異導入を行った。点変異導入プラスミドを形質転換した大腸菌シングルコロニーからプラスミドを精製、シーケンス解析により点変異の導入を確認した。
【0075】
1-3.TSHR変異体一過性発現細胞株の取得
1.5×10個のヒト胎児腎細胞由来細胞株(HEK293細胞)(ECACC[European Collection of Authenticated Cell Cultures]より入手、Cat no. 85120602)を、10%FBS含有D-MEM培地とともに6ウェルマルチプレートに播種し、24時間培養した。
1-2.にて取得したTSHR変異体ベクター0.05μgと、ホタルルシフェラーゼ(firefly luciferase)の359~544番目のアミノ酸残基と、プロテインキナーゼA(PKA)の制御サブユニットのcAMP結合領域と、ホタルルシフェラーゼの4~355番目のアミノ酸残基とを含むタンパク質が発現するプラスミドベクター(pGloSenso-22F、Promega社製)2μgを、FuGENE HD Transfection Reagent(Promega社製)を用い、GloSensor cAMP Assay(Promega社製)に添付のプロトコールに従って、HEK293細胞へトランスフェクションした。上記操作によって、TSHR変異体を一過性発現する、HEK293細胞を取得した。
【0076】
TSHR変異体の一過性発現株に対する対照として用いるため、1-2記載の野生型ヒトTSHRの発現ベクターにより、野生型ヒトTSHR一過性発現株も取得した。
【0077】
実施例2.TSHR変異体のNIBSC08/204に対する活性測定
実施例1にて得られたTSHR変異体ないし野生型TSHRを一過性発現するHEK293細胞に、TSAbの国際標準であるNIBSC08/204を添加して、各TSHRのS/N比を測定した。
【0078】
測定法は以下の通りである。
[測定条件]
TSHR変異体を一過性発現するHEK293細胞及び野生型TSHRを一過性発現するHEK293細胞を24時間培養後、細胞を回収、2%(v/v)のGloSensor cAMP Reagent stock solution(Promega社製)を含むpolyethylene glycol含有インキュベート用液に交換し、TSAbの国際標準NIBSC08/204を0、31.25、125、500、2000mIU/Lとなるよう添加、20分間インキュベーションした後のRLU値を96ウェルマルチプレートルミノメーター(Promega社製)で測定した。TSHR変異体の恒常活性の指標として、08/204の0mIU/L濃度、つまり緩衝液のみ添加の条件のRLU値を比較した。
【0079】
各TSHR変異体の国際標準NIBSC08/204未添加におけるRLUを、図2に示す。いずれの変異体においても、恒常活性は抑制されていることが読み取れる。
【0080】
各TSHR変異体の各濃度におけるS/N比(Fold change)を、図3及び表1に示す。なお、表1中の各行は添加したNIBSC08/204濃度を示し、各列は導入された変異を表す。「WT」は野生型であることを示す。「S/N ratio」と記載されている上段は野生型TSHR及び各TSHR変異体においてNIBSC08/204を0、31.25、125、500、2000mIU/Lとなるよう添加、20分間インキュベーションした後のS/N比を示し、「対WT S/N ratio」と記載されている下段は各TSHR変異体のS/N比を野生型TSHRのS/N比で除したものを表す。
【0081】
【表1】
【0082】
上記結果より、D460、L469、S479、N483、D487、R531、L552、S567、I568、M572、Y582、R625、L665に変異を有する変異体において、野生型TSHRよりも2000mIU/LにおけるS/N比が向上していることが読み取れる。
【0083】
上記変異点の中でも、L469、S479、N483、D487、R531、L552、S567、Y582、R625、L665に変異を有する変異体において、野生型TSHRよりも500mIU/LにおけるS/N比及び2000mIU/LにおけるS/N比が向上していることが読み取れる。
【0084】
上記変異点の中でも、R531、L552、S567、Y582、R625、L665に変異を有する変異体においては、4濃度全てにおいてS/N比が向上していることから、より好ましい変異箇所であることが読み取れる。
【0085】
実施例3.TSHR変異体のバセドウ病患者陽性血清に対する活性測定
得られたTSHR変異体ないし野生型TSHRを一過性発現するHEK293細胞に、バセドウ病患者陽性血清を添加して、TSHRのTSHR活性化レベルを測定した。
【0086】
国際標準NIBSC08/204の代りに、polyethylene glycol含有インキュベート用液で4倍希釈した5種のTSAbEIA陽性(>120%)血清及び2種のTSAbEIA陰性血清をそれぞれ25μL添加した以外は、実施例2に記載された方法と同様の方法にて、TSHRのTSHR活性化レベル(Fold change)を測定した。
【0087】
陰性血清及び陽性血清に対する各TSHR変異体のTSHR活性化レベルを、図4及び表2に示す。表2中、各行は添加した血清試料の番号を表し、各列は導入された変異を示す。「WT」は野生型TSHRであることを示す。「TSHR活性化レベル」と記載された上段は野生型TSHR及び各TSHR変異体におけるTSHR活性化レベルを示し、「対WT TSHR活性化レベル」と記載された下段は各TSHR変異体のTSHR活性化レベルを野生型TSHRのTSHR活性化レベルで除したものを表す。
【0088】
【表2】
【0089】
実施例2でTSHR活性化レベルが向上していた変異体の内、R531、L552、S567、Y582、R625、L665に変異を有する変異体が、少なくとも1つの濃度域で、TSHR活性化レベルが高くなっていることが読み取れる。
【0090】
上記変異の中でも、L552V及びL665Vの変異においては、全ての濃度域においてTSHR活性化レベルが向上していることが読み取れる。
【0091】
なお、本実験例の結果は、バセドウ病患者陽性血清に対する活性測定に関するものである。本結果より、上記TSHR活性化レベルが向上したTSHR変異体はバセドウ病の診断に好適に利用可能なことが読み取れるが、一方で、TSHR活性化レベルが向上しなかったTSHR変異体が産業上有用でないことを意味しない。TSH産生腫瘍、妊娠甲状腺中毒症、甲状腺機能低下症、橋本病等といった、その他の甲状腺疾患を感度よく測定できる可能性があるためである。
【0092】
実施例4.TSHR変異体の安定発現株における活性測定
TSHR変異体を安定発現する細胞株においても、一過性発現と同様、TSHR活性化レベルが高くなるか、検討を行った。
【0093】
HEK293細胞に2種類のベクター(pGloSensor-22F及びpcDNA3.1_hTSHR、又はpcDNA3.1_hTSHRに対応するTSHR変異体(S567A、L665V)ベクター)をそれぞれ2μgおよび0.05μgトランスフェクションし、Hygromycin B GOLD(invivogen社製)400μg/mL添加して薬剤耐性となったコロニーを単離、TSAb国際標準であるNIBSC08/204を添加してルシフェラーゼ活性レベルの上昇が認められた株を、安定発現株として選抜した。安定発現株は、各7株以上取得した。
【0094】
野生型TSHR発現株、S567A変異TSHR安定発現株、L665V変異TSHR安定発現株において、実施例2と同様の方法で、RLUを測定し、TSHR活性化レベルを算出した。得られた結果から、各安定発現株群のTSHR活性化レベルの平均値及び分散を計算した。その結果を図5に示す。
【0095】
S567A変異TSHR安定発現株及びL665V変異TSHR安定発現株は、一過性発現株と同様にTSHR活性化レベルが向上しており、野生型TSHR安定発現株に比べ有意に高いTSHR活性化レベルを示した。
このことから、本発明のTSHR変異株は、一過性発現株においても、安定発現株においても、同様にTSHR活性化レベルが向上することが理解された。
【0096】
実施例5.複数の変異を有するTSHR変異体のNIBSC08/204に対する活性測定
複数の変異を有する場合に、TSHR変異体のS/N比がどのように変化するか調べるため、以下に示す方法で二重変異体を作成し、S/N比を測定した。
【0097】
導入する変異が下記に示す二重変異であること以外は、実施例1に記載の方法に従い、各TSHR二重変異体を作成した。
R531Q/L665V、L552V/L665V、S567A/L665V、Y582F/L665V
【0098】
上記で得られたTSHR二重変異体、対照としてL665V変異体、野生型TSHRについて、実施例2に記載の方法に従い、S/N比を測定した。測定した結果を、以下の表3に記載する。なお、表3中の各行は添加したNIBSC08/204濃度を示し、各列は導入された変異を表す。「WT」は野生型であることを示す。
【0099】
【表3】
【0100】
TSHR二重変異体は、1重変異体(L665V)と同等程度、もしくはより高いS/N比を有していた。このことから、本発明のTSHR変異体は、複数の変異を有していてもよいことが理解された。
【産業上の利用可能性】
【0101】
本発明は、TSH受容体刺激性又は阻害性自己抗体に起因する甲状腺疾患の診断及び治療に資するものである。
図1
図2
図3
図4
図5
【配列表】
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