(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-03-07
(45)【発行日】2022-03-15
(54)【発明の名称】イオン分析装置
(51)【国際特許分類】
H01J 49/02 20060101AFI20220308BHJP
G01N 27/62 20210101ALI20220308BHJP
G01N 27/622 20210101ALI20220308BHJP
H01J 49/40 20060101ALI20220308BHJP
【FI】
H01J49/02 500
G01N27/62 E
G01N27/622
H01J49/40 800
(21)【出願番号】P 2018189685
(22)【出願日】2018-10-05
【審査請求日】2021-02-09
(31)【優先権主張番号】P 2017244343
(32)【優先日】2017-12-20
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】三浦 宏之
(72)【発明者】
【氏名】出水 秀明
(72)【発明者】
【氏名】小河 潔
【審査官】鳥居 祐樹
(56)【参考文献】
【文献】特開平04-154038(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2007/0018092(US,A1)
【文献】特開2017-211285(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/40
G01N 27/62
G01N 27/622
H01J 49/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
入射するイオンの量に応じた検出信号を生成するイオン検出部を具備するイオン分析装置であって、
a)前記検出信号の高周波成分を減衰させる平滑化回路である信号波形整形部と、
b)前記平滑化回路の時定数を、少なくとも前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅に応じて調整する時定数調整部と、
を備えることを特徴とするイオン分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載のイオン分析装置であって、
前記時定数調整部は、前記平滑化回路の時定数を、前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅と該イオン検出部の特性である出力応答時間とに応じて調整することを特徴とするイオン分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載のイオン分析装置であって、
前記時定数調整部は、前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅をΔt
2、該イオン検出部の出力応答時間をΔt
1としたとき、前記平滑化回路の時定数を概ね√(Δt
1
2+Δt
2
2)に調整することを特徴とするイオン分析装置。
【請求項4】
請求項1に記載のイオン分析装置であって、
前記時定数調整部は、前記平滑化回路の時定数を概ね前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅に調整することを特徴とするイオン分析装置。
【請求項5】
請求項4に記載のイオン分析装置であって、
前記時定数調整部は、前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅をΔt
2、該イオン検出部の出力応答時間をΔt
1としたとき、Δt
2>2×Δt
1が満たされる場合に、前記平滑化回路の時定数を概ねΔt
2に調整することを特徴とするイオン分析装置。
【請求項6】
請求項1~5のいずれか1項に記載のイオン分析装置であって、
前記イオン検出部はマイクロチャンネルプレート型検出器であることを特徴とするイオン分析装置。
【請求項7】
請求項6に記載のイオン分析装置であって、飛行時間型質量分析装置であることを特徴とするイオン分析装置。
【請求項8】
請求項7に記載のイオン分析装置であって、
マルチターン飛行時
間型質量分離部と、
前記マルチターン飛行時間型質量分離部に導入して分析する対象のイオンの質量電荷比範囲、量、周回数、飛行距離、又は飛行時間のいずれか一つ又は複数に応じて、前記平滑化回路の時定数を変更するように前記時定数調整部を制御する制御部と、
をさらに備えることを特徴とするイオン分析装置。
【請求項9】
請求項1~5のいずれか1項に記載のイオン分析装置であって、
前記イオン検出部はファラデーカップ型検出器であることを特徴とするイオン分析装置。
【請求項10】
請求項9に記載のイオン分析装置であって、
イオン移動度分析装置であることを特徴とするイオン分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析装置、イオン移動度分析装置など、イオンを検出するイオン検出器を備えるイオン分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置の一種である飛行時間型質量分析装置(以下「TOFMS」と称す)では、試料に含まれる成分に由来するイオンに一定のエネルギーを付与して飛行空間に投入し、そのイオンを一定の距離を飛行させたあとに検出して飛行時間を計測する。飛行空間内でのイオンの飛行速度はそのイオンの質量電荷比m/zに応じたものとなるため、計測された飛行時間からイオンの質量電荷比を求めることができる。TOFMSでは一般にイオンの飛行距離が長いほど質量分解能が高くなるが、同一質量電荷比を有するイオンが飛行方向に空間的に拡がると、近接した質量電荷比を有するイオン同士の分離が困難になる。そのため、飛行距離を延ばして飛行時間を長くしつつ、併せて、同一質量電荷比のイオンがイオン検出器で検出される際の時間幅をできるだけ短くすることが性能向上の要点である。
【0003】
直線的にイオンを飛行させるリニア型のTOFMSや、反射電場を用いてイオンを往復飛行させるリフレクトロン型のTOFMSでは、飛行距離を長くしようとすると装置が大形になる。これに対し、近年、マルチターン型と呼ばれるTOFMSが開発されている(特許文献1、2、4など参照)。マルチターン型TOFMSでは、略円形状、略楕円形状、8の字形状などの閉じた周回軌道、或いは螺旋軌道等の周回軌道に準じた軌道(以下、こうした軌道を含めて周回軌道という)に沿ってイオンを多数回周回させることにより、比較的狭い空間で、リニア型やリフレクトロン型に比べて遙かに長い飛行距離を確保することができる。
【0004】
一方、イオン検出時における同一質量電荷比を有するイオンについての時間幅は、イオンが飛行時間型質量分離部に導入されるときの加速の際のそのイオンの初期状態、イオン光学系の収差、イオン検出部の時間分解能などに依存する。それら各要素についての改良が図られており、特に、イオン検出器としては応答時間がサブナノ秒レベルの高速なものが開発されている。TOFMS用のイオン検出器としては、通常、入射したイオンによって電子を生成するとともに生成した電子を増倍させるマイクロチャンネルプレート(MCP)を利用したものが用いられる(特許文献3等参照、非特許文献1参照)。MCPは二次電子増倍管(SEM)に比べて電子の増倍経路が短いため応答が高速であり、素子によって異なるものの応答時間は概ね0.4~1.5nsec程度である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2012-99424号公報
【文献】国際公開第2010/041296号パンフレット
【文献】特開2009-230999号公報
【文献】米国特許第9082602号明細書
【文献】国際公開第2016/079780号パンフレット
【非特許文献】
【0006】
【文献】「MCP(マイクロチャンネルプレート)&MCPアッセンブリ」、[online]、浜松ホトニクス株式会社、[平成29年11月2日検索]、インターネット<URL:https://www.hamamatsu.com/resources/pdf/etd/MCP_TMCP0002J.pdf>
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、特にこうした応答が高速であるイオン検出器を用いた場合に次のような問題がある。
イオントラップ等に蓄積されているイオンが加速電圧によって加速されて飛行軌道に投入される場合や、マトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)イオン源などで生成されたイオンが加速されて飛行軌道に投入される場合、加速される際のイオンの初期位置のばらつき、イオンが持つ初期エネルギーのばらつき、或いは、イオンの初期的な運動方向のばらつきなどによって、同一質量電荷比を有するイオンがイオンの進行方向に或る程度広がる。そのため、飛行軌道に投入される、同一質量電荷比を有する多数のイオンはそのイオンの進行方向に雲状に広がった状態となる(
図6(a)参照)。
【0008】
このように雲状であるイオンはそれぞれ微妙な速度差を有しているうえ、イオンそのものの空間電荷の影響によって飛行中に徐々に発散する。飛行距離が長いほどその発散は大きく現れる。そのため、長い飛行距離を飛行したとき、同一質量電荷比を有する多数のイオンは
図6(b)に示すようにその進行方向に広がるようにばらつく。このとき、進行方向でみたとき中央付近でイオンの量が多く、進行方向の前方及び後方にいくに従いイオン量は少なくなる。同一質量電荷比を有するイオンの時間幅は飛行距離に依存するが、例えばマルチターン型TOFMSでは5nsec程度以上にもなる。このようにイオン検出時における同一イオン種の時間幅がイオン検出器の応答時間に比べてイオンの時間幅が広いと、イオン検出器による検出信号の波形は、例えば
図7に示すように時間方向に離散的である複数のピーク状となる。また、中心のピークから離れるほどピークの強度は低くなる。こうした現象は、特に飛行時間が長くなる高質量電荷比側のイオンにおいて顕著に現れる。一方で、質量電荷比が相対的に低い側ではイオンの時間幅が狭くなるので、イオン検出器には高速応答性が求められる。このような背景から、幅広い質量電荷比範囲のイオンを適切な時間幅で以てそれぞれ検出するには、少なくとも高速応答が可能であるイオン検出器を用いる必要がある。
【0009】
また、イオン検出器の応答がそれほど高速でない場合であっても、イオン光学系の収差等のためにイオン検出時における同一イオン種の時間幅が予め想定したものよりも大きくなってしまったことにより、イオン検出器の応答が相対的に高速になり、上述したようにイオン検出器による検出信号の波形が離散的なピーク状になることがある。
【0010】
イオン検出器による検出信号には様々な要因によるノイズが混入する可能性がある。イオン検出器の回路などへ外部から飛び込むノイズは一般的にスパイク状の、つまりは比較的時間幅の狭いパルス形状であることが多い。上記のように時間幅が狭くその一部では強度が低下したピークが連なった形状の検出信号にパルス形状のノイズが重畳すると、信号成分とノイズ成分との識別が困難になり、イオンによる信号強度の精度低下につながるおそれがある。
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、イオンを検出することで得られたイオン量に応じた検出信号の信号成分と外来ノイズなどのノイズ成分との識別を容易にして信号強度を精度良く求めることができるイオン分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために成された本発明は、入射するイオンの量に応じた検出信号を生成するイオン検出部を具備するイオン分析装置であって、
a)前記検出信号の高周波成分を減衰させる平滑化回路である信号波形整形部と、
b)前記平滑化回路の時定数を、少なくとも前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅に応じて調整する時定数調整部と、
を備えることを特徴としている。
【0013】
例えばTOFMSにおいて、飛行中に同一質量電荷比を持つイオン種がその進行方向に分散してイオン検出部に入射すると、検出信号の信号波形は例えば
図4中に実線で示すようになる。このときのイオン種の時間幅は、飛行距離などの装置に固有のパラメータとそのイオン種の質量電荷比とに依存する。したがって、測定対象のイオン種が決まれば上記時間幅は或る程度推測可能であり、例えば所定の計算式に基づいて概算値を求めることができる。一方、イオン検出部の出力応答時間もその素子や回路等に固有のパラメータである。
【0014】
本発明において時定数調整部は、測定対象のイオン種の質量電荷比等に応じて予め求められた適宜の時定数になるように、例えば平滑化回路を構成する各素子のパラメータを調整する。最も簡単な構成では平滑化回路はRCフィルタであり、その場合、抵抗の抵抗値又はコンデンサの容量値の一方又は両方を調整すればよい。また、平滑化回路は、アナログデジタル変換器でデジタル化された検出信号に対するフィルタリング処理を行うデジタルフィルタでもよく、その場合、デジタルフィルタの複数の係数を変更することで時定数を調整することができる。入射したイオンに対応してイオン検出部で生成される検出信号が、適切に時定数が調整された平滑化回路を通過すると、その検出信号の高周波成分が減衰され、元の検出信号における複数のピーク波形のエンベロープに近い信号波形が得られる。即ち、一つのイオン種に対して大きなピーク幅を有する、つまりは元の検出信号波形に比べて周波数が低い一つのピークが得られる。
【0015】
本発明の一態様として、前記時定数調整部は、前記平滑化回路の時定数を、前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅と該イオン検出部の特性である出力応答時間とに応じて調整する構成とすることができる。
【0016】
この場合、上述したように信号波形整形部において元の検出信号における複数のピーク波形のエンベロープに近い信号波形を得るために、前記時定数調整部は、前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅をΔt2、該イオン検出部の出力応答時間をΔt1としたとき、前記平滑化回路の時定数を概ね√(Δt1
2+Δt2
2)に調整する構成とするとよい。
【0017】
また本発明者の検討によれば、上述したように検出信号の一部のピークとノイズとの識別が困難になるのは実質的にΔt2がΔt1の2倍程度以上になる場合であり、そうした場合には、時定数を計算する際にΔt1を無視しても殆ど影響がない。そこで、本発明の他の態様として、例えばΔt2>2×Δt1が満たされる場合に、前記時定数調整部は、前記平滑化回路の時定数を概ね前記イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅(Δt2)に調整する構成としてもよい。
【0018】
上記説明から明らかであるように、イオン検出部に入射して来る同一質量電荷比のイオン種の時間幅Δt2に対してイオン検出部の出力応答時間Δt1がそれほど短くない場合、つまりイオン検出部の応答が高速でない場合には、検出信号を平滑化する必要がない。言い換えれば、本発明は特に、応答が高速であるイオン検出部を搭載したイオン分析装置に有用であるということができる。こうしたイオン検出部としては、マイクロチャンネルプレート、エレクトロンマルチプライヤ、アバランシェフォトダイオード、ファラデーカップなどを利用したイオン検出器が挙げられる。
【0019】
また上述したように、本発明はイオン検出部にイオンが入射する時点で同一のイオン種がそのイオンの進行方向に分散している場合に有用である。イオンを質量電荷比に応じて分離するための飛行距離が長いTOFMSではこうした状況が起こり易いから、飛行時間型質量分析装置は本発明に係るイオン分析装置の好適な一態様である。
【0020】
その中でも、上述したマルチターン型のTOFMSは一般的なリニア型やリフレクトロン型のTOFMSに比べても飛行距離を長くすることができる。一方で、マルチターン型TOFMSは飛行距離が長いために、理想的には飛行軌道に直交する同一面上に位置しつつ飛行する同一質量電荷比を持つイオン種がその飛行の進行方向に比較的大きく分散してしまう傾向にある。したがって、マルチターン型TOFMSは本発明に係るイオン分析装置のさらに好適な一態様であるということができる。
【0021】
また、マルチターン型TOFMSではその構成や構造にもよるが、測定対象のイオンの質量電荷比範囲や目的とする質量分解能などに応じて、飛行距離や飛行時間を変更することができるものがある。そうした装置では、イオン検出部にイオンが入射する時点での同一イオン種の分散の状況はそのイオン種の質量電荷比などに依存することになる。
【0022】
そこで、本発明に係るイオン分析装置では、
マルチターン飛行時間型質量分離部と、
前記マルチターン飛行時間型質量分離部に導入して分析する対象のイオンの質量電荷比範囲、量、周回数、飛行距離、又は飛行時間のいずれか一つ又は複数に応じて、前記平滑化回路の時定数を変更するように前記時定数調整部を制御する制御部と、
をさらに備える構成としてもよい。
【0023】
この構成によれば、イオン検出部にイオンが入射する時点での同一イオン種の分散の状況に対応して検出信号を適切に平滑化し、同一イオン種に由来する複数のピーク波形を平滑化した一つのピークを得ることができる。
【0024】
また、本発明に係るイオン分析装置は、TOFMS等の質量分析装置以外に、イオンをイオン移動度に応じた検出時間により分離するイオン移動度分析装置にも適用することができる。
【0025】
イオン移動度分析装置ではしばしば、イオン検出部としてファラデーカップ検出器が利用される。その場合、検出系の応答時間は、通常、ファラデーカップと増幅回路とで決まる装置固有のパラメータである。一方、同一イオン種の時間的な分散の度合いは、移動度分析のための媒質ガスの流速、イオンをパルス的に通過させるシャッタゲートの時間幅、移動度測定のためのドリフト電圧やドリフト距離などの装置パラメータ、主としてイオン種と媒質ガス種と温度とで決まる移動度、などに依存する。検出系の応答時間に対する、イオンの分離度の向上と、イオン強度信号とノイズとの識別性能と、は相反的な関係にあり、移動度及び装置条件に応じて適切に時定数の調整を行い得る本発明が有効である。
【発明の効果】
【0026】
本発明に係るイオン分析装置によれば、例えばTOFMSでイオンを分離するために該イオンを飛行させている途中で同じ質量電荷比を有するイオン種がその進行方向に広がってイオン検出部に到達した場合でも、その広がりの時間幅に対応する大きいピーク幅の信号波形を出力することができる。それにより、イオン量に応じた信号強度の波形と外来ノイズなどの高周波のノイズ波形とを容易に識別することができ、そうしたノイズ要因を排除して正確なイオン強度を求めることができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【
図1】本発明の一実施例によるマルチターン型TOFMSの概略ブロック構成図。
【
図2】本実施例におけるイオン検出部及び平滑化部の概略構成図。
【
図3】他の実施例におけるイオン検出部及び平滑化部の概略構成図。
【
図4】本実施例におけるイオン検出部及び平滑化部を動作を説明するための波形図。
【
図5】本発明の他の実施例によるイオン移動度分析装置の概略ブロック構成図。
【
図6】一般的なマルチターン型TOFMSにおける飛行時のイオンの広がり状況を説明するための模式図。
【
図7】従来の
マイクロチャンネルプレート検出器の検出信号の波形の一例を示す図。
【
図8】
マイクロチャンネルプレート検出器による検出信号にランダム性のノイズが重畳したときの信号波形のシミュレーション結果を示す図。
【
図9】
マイクロチャンネルプレート検出器による検出信号にランダム性のノイズが重畳したときの信号波形のシミュレーション結果を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0028】
本発明に係るイオン分析装置の一実施例について、添付図面を参照して説明する。
図1は本実施例であるマルチターン型TOFMSの概略ブロック構成図、
図2はイオン検出部及び平滑化部の概略構成図、
図4はこのイオン検出部および平滑化部における動作を説明するための概略波形図である。
【0029】
本実施例のマルチターン型TOFMSは、試料中の各成分をイオン化するイオン化部1、生成されたイオンを一時的に保持するイオントラップ2、イオントラップ2から放出された各種イオンを受け、それらイオンを所定の軌道に沿って飛行させることでイオンを質量電荷比に応じて分離するマルチターン型質量分離部3と、マルチターン型質量分離部3で分離されたイオンを順番に検出するイオン検出部4と、イオン検出部4による検出信号を平滑化する平滑化部5と、平滑化部5における時定数を調整する波形整形時間調整部6と、各部の動作を制御する制御部7と、ユーザが測定条件などを設定するための入力部8と、を備える。
【0030】
このTOFMSにおける測定動作を簡単に説明する。イオン化部1は導入された試料中の各種成分をイオン化する。生成されたイオンはリニア型又は三次元四重極型であるイオントラップ2に一旦保持され、例えばここで、測定対象とするイオンの質量電荷比範囲の選別が実行される。また、マルチターン型質量分離部3に導入可能なイオンの量には制約があるため、測定対象のイオンの量が多すぎる場合には、イオントラップ2において一部のイオンを排出してイオン量を減らす操作を実施する。また、イオントラップ2において衝突誘起解離などの手法によりイオンを解離させる操作を行ってもよい。
【0031】
イオントラップ2に一旦保持され、そのあとの所定のタイミングでイオントラップ2から放出されたイオンはマルチターン型質量分離部3に導入され、マルチターン型質量分離部3により形成される飛行軌道に沿って飛行したあとイオン検出部4に入射する。飛行軌道に沿って飛行する間に質量電荷比が相違するイオン種は分離され、時間差を有してイオン検出部4に入射する。このマルチターン型質量分離部3は、例えば特許文献1、2、4などに記載の、様々な構成・構造をとるものとすることができる。即ち、イオンを飛行させる軌道の形状やイオンを飛行させるための電場を形成する電極の形状や構造、数などに制約はない。イオン検出部4は入射したイオンの量に応じた検出信号を出力する。平滑化部5は後述するように検出信号を平滑化して出力する。図示しないものの、この出力信号はデータ処理部に入力され、データ処理部は飛行時間を質量電荷比に換算して、質量電荷比とイオン強度との関係を示すマススペクトルを作成する。
【0032】
次に、イオン検出部4と平滑化部5の構成と動作を詳細に説明する。
イオン検出部4は、入射したイオンに応じて電子を生成するとともに生成した電子を増倍させるマイクロチャンネルプレート(MCP)41と、MCP41から放出される電子を収集する金属平板電極であるアノード42と、MCP41を駆動するための直流高電圧を発生するフローティングされた電源部43と、アノード42に達した電子により生成される電流信号を電圧信号に変換するとともに増幅する増幅器44と、を備える。ここではMCP41は二段構造である。また、
図1における平滑化部5は増幅器44の出力段に設けられたローパスフィルタ5Aであり、波形整形時間調整部6は、ローパスフィルタ5Aを構成する抵抗(可変抵抗)VRの抵抗値とコンデンサ(可変コンデンサ)VCの容量値との少なくとも一方を調整する。また、制御部7は、TOFMSの分析プログラムに従って分析を実行する際に波形整形時間調整部6に対し測定対象であるイオンの質量電荷比などの情報を送る。
【0033】
このイオン検出部4及びローパスフィルタ5Aの動作を説明する。
ここでは、おおまかな質量電荷比が既知であるイオンについての精密な質量電荷比をマルチターン型TOFMSで測定する場合を想定している。
【0034】
電源部43は制御部7からの指示に応じて、適宜に調整された直流高電圧をMCP41に印加する。図示するように、イオンがMCP41に入射すると、イオンに対応して生成された電子が倍増され多数の電子が放出される。この電子はアノード42に入射し、その電子の量に応じた電流が増幅器44に入力され、増幅器44は電流信号を電圧信号に変換して出力する。このイオン検出部4の応答は高速であるため、
図6(b)に示したように、マルチターン型TOFMSにおいてその進行方向に広がった同一質量電荷比を有するイオンがMCP41に入射すると、増幅器44から出力される検出信号の波形は例えば
図4中に実線で示すようになる。
【0035】
同一イオン種がMCP41に入射するときの該イオン種の時間幅は、飛行距離(周回軌道の周回数)、イオントラップ2などのイオン出射源の構成やイオン出射源からイオンを出射する際の電圧の印加方法、などのTOFMSに固有の或いは測定時のそのTOFMSにおける制御に関連するパラメータに依存する。また、測定対象であるイオンの質量電荷比にも依存する。制御部7は例えば予めユーザが入力部8から設定した情報に基づいて、測定対象であるイオン種のおおまかな質量電荷比(又は質量電荷比範囲)を事前に(測定実行前に)波形整形時間調整部6に知らせる。
【0036】
波形整形時間調整部6は、上述したような装置固有のパラメータなどに応じて予め決められている計算式等に基づいて、測定対象であるイオン種に対応する時定数を算出する。そして、算出された時定数になるように、ローパスフィルタ5Aを構成する抵抗VRの抵抗値とコンデンサVCの容量値との少なくとも一方を調整する。具体的に波形整形時間調整部6は次のような処理を行う。
【0037】
いま、MCP41の出力応答時間はΔt1であるとする。波形整形時間調整部6は測定対象のイオン種のおおまかな質量電荷比(又は質量電荷比範囲)に基づいてそのイオン種の時間幅Δt2を推算する。そして、次の(1)式により、ローパスフィルタ5Aの時定数tcを求め、この時定数tcから抵抗VRの抵抗値及び/又はコンデンサVCの容量値を算出する。
tc=√(Δt1
2+Δt2
2) …(1)
そして、これら算出された値になるように抵抗VRの抵抗値及び/又はコンデンサVCの容量値を調整する。
【0038】
上述したように時定数が調整されたローパスフィルタ5Aに、
図4に実線で示したような複数のピーク波形が連なった波形形状である信号が入力されると、高周波成分が低減され(言い換えれば、信号成分が積分され)、
図4に一点鎖線で示すように均された信号が出力される。即ち、一つのイオン種に対応する複数の連なったピーク波形が殆ど観測されなくなり、一つの大きな、つまりは全体が積分されたピーク幅の広い信号となる。こうしてローパスフィルタ5Aで波形整形された信号を後段の回路へと送ることで、パルス状のノイズが混入してもノイズと元の、つまりはMCP41に入射したイオン由来の信号との識別が容易になる。
【0039】
ここで、時間幅Δt
2を有するイオン種がMCP41の出力応答時間Δt
1の何倍以上であるときに上述したような波形整形が必要であるのかを、ランダム関数を用いてシミュレーションした結果について説明する。いま、信号がランダムなガウス波形であると仮定し、(2)式で示す波形で検出されたものとする。
【数1】
【0040】
(2)式は、変数xに対して、ノイズR(x)(ランダム関数、強度1、時間幅0.5ns)が強度nと半値幅aを有する信号に重畳した状態を模擬したものである。ランダム関数の時間幅はMCP41の出力応答時間Δt
1を想定している。SN比が3であり、t=0において信号が検出されたものとして、イオン種の時間幅Δt
2が0.5ns、1ns、1.5ns、2ns、5nsであるときの波形を計算すると、それぞれ
図8(a)、(b)、(c)、
図9(a)、(b)に示すようになる。
【0041】
これら図から、イオン種の時間幅Δt2がMCP41の出力応答時間Δt1の2倍(ここでは1ns)程度までは検出信号とノイズとの識別が十分可能であることが分かる。一方、Δt2がΔt1の2倍~3倍程度以上になると、検出信号波形が複数のピークに分離し、一部のピークとノイズとの識別が困難になる可能性がある。こうしたことから、一つの目安として、Δt2がΔt1の2倍程度以上である場合に上述したようなローパスフィルタによる平滑化処理が有用であると想定される。
【0042】
但し、イオンの時間幅Δt2や出力応答時間Δt1に対して時定数tcが小さすぎると、連なったピーク波形が十分に平滑化されないといった問題が生じるものの、時定数tcが多少大きすぎても実際上問題はない。そのため、Δt2がΔt1の2倍程度以上である場合には、Δt1は無視することができ、(1)式は、tc=Δt2、ときわめて簡略化しても構わない。即ち、ローパスフィルタ5Aの時定数tcを概ね、想定されるイオンの時間幅Δt2に定めるようにすればよい。
【0043】
なお、同一の質量電荷比を有するイオン種の時間幅Δt2が実質的に大きく変化しなければ、ローパスフィルタ5Aの時定数の調整は不要であるが、同一イオン種の時間幅Δt2が大きく変化する可能性がある場合には、時間幅Δt2に影響するパラメータに応じて、ローパスフィルタ5Aの時定数を調整することが望ましい。具体的には、マルチターン型TOFMSでは、そのイオン種が長く飛行するほど同一イオン種の時間幅Δt2は大きくなる傾向にあるし、イオン量が多いほど空間電荷効果の影響が増すために同一イオン種の時間幅Δt2は大きくなる傾向にある。こうしたことから、制御部7は、測定対象イオンの質量電荷比範囲、飛行距離(軌道の周回数)、飛行時間、イオンの量などの情報を波形整形時間調整部6に知らせ、波形整形時間調整部6はそれに応じてローパスフィルタ5Aの時定数を適切に切り替えるとよい。
【0044】
マルチターン型TOFMSでは、幅広い質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを取得したい場合に、その質量電荷比範囲を細かく複数の質量電荷比小範囲に区切ってその質量電荷比小範囲毎に測定を実施することも多い。その場合、質量電荷比小範囲に関係なく飛行時間を同程度にするように質量電荷比小範囲に応じて飛行距離、つまり軌道の周回数を異なるように設定することがある。その場合、飛行距離が長い、測定対象のイオンの質量電荷比が相対的に大きな質量電荷比小範囲では、測定対象のイオンの質量電荷比が相対的に小さな質量電荷比小範囲に比べて時定数tcを大きく定めるとよい。それにより、質量電荷比小範囲に依らず、同一のイオン種が空間的に分散する影響を適切に軽減して、高感度、高精度の測定が可能となる。
【0045】
図3は本発明の他の実施例におけるイオン検出部及び平滑化部の概略構成図である。
図2に示した構成と同じ構成要素又は相当する構成要素には同じ符号を付してある。この実施例では、
図1における平滑化部5として、演算増幅器を利用したローパスフィルタ5Bを用いているが、抵抗VRの抵抗値とコンデンサVCの容量値とによりローパスフィルタ5Bの時定数の調整が可能なことは上記実施例と同様であり、基本的には出力電圧もほぼ同様になる。
【0046】
また波形整形時間調整部6は、ローパスフィルタ5A、5Bを構成する可変抵抗や可変コンデンサをオペレータが手動で調整するための機構でもよいが、上述したように、測定のパラメータ等に応じて時定数を調整するためには、波形整形時間調整部6は適応的に(動的に)ローパスフィルタ5A、5B(平滑化部5)の時定数を調整可能な構成である必要がある。
【0047】
平滑化部5の時定数を頻繁に変更するような場合には、アナログ回路であるローパスフィルタ5A、5Bの回路素子の定数を変更するのではなく、高速動作可能なアナログデジタル変換器とデジタルフィルタとにより平滑化部5を構成することが好ましい。その場合、波形整形時間調整部6はデジタルフィルタの周波数特性を決める複数の係数を設定するコンピュータ又はデジタルシグナルプロセッサとすればよく、波形整形時間調整部6は予め組み込まれたソフトウェア又はファームウェアに従ってデジタルフィルタの周波数特性を制御して検出信号を波形整形することができる。また、
図1、
図3に示した構成では、ローパスフィルタとして一次のフィルタを用いたが、二次以上の高次のフィルタを用いてもよいことは当然である。
【0048】
上述した、イオン検出部4による検出信号を平滑化部5により平滑化したときの作用はTOFMSでイオン検出部4の応答時間に比べてイオン群の時間広がりが大きいときに全般的に成り立つことであるが、特にマルチターン型TOFMSなど、イオンを長い飛行距離に亘り飛行させるTOFMSに有益である。上記のような技術によれば、こうしたTOFMSにおいて、質量分離部から到来したイオン群を検出したイオン検出部による検出信号をノイズ成分と区別して、正しく評価することができる。上述した、検出信号とノイズ成分とが区別しにくくなるという課題は、マルチターン型TOFMSに限らず、低質量電荷比のイオンに対する分解能を高めるために高速のイオン検出器を選択した場合に、高質量電荷比側において常に発生していた課題である。これに対し、従来は検出信号の積算回数を増やすことで検出信号とノイズ成分との識別性を高めていたが、本発明を用いることで、より少ない積算回数で以て検出信号とノイズ成分とを区別することができる。
【0049】
したがって、マイクロチャンネルプレート型検出器を用いたTOFMSのみならず、エレクトロンマルチプライヤやアバランシェフォトダイオードを利用した検出器を搭載したTOFMSにも本発明は適用可能である。
【0050】
また、質量分析装置に限らず、高速応答性を有するファラデーカップ検出器
を備えたイオン移動度分析装置にも本発明を適用することができる。
図5は本発明の一実施例によるイオン移動度分析装置の概略ブロック構成図である(特許文献5など参照)。
【0051】
イオン移動度分析装置では、イオン化部1で生成された各種イオンはシャッタゲート12で一旦遮断され、その手前に蓄積される。そして、シャッタゲート12が短時間開放されると、蓄積されていたイオンは一斉にイオンドリフト部13に導入され、ドリフト空間を飛行する。その飛行の間に、主としてイオンのサイズに依存するイオン移動度に応じてイオンは分離され、イオン検出部14に到達する。この場合にも、本来、同時にイオン検出部14に到達すべき同一イオン種(イオン移動度が同じイオン種)は時間幅を持ち、上述したように複数の連なったピーク波形を示す検出信号が生成される。これに対し、平滑化部5における時定数を適切に選択することで、同一イオン種に対する検出信号を一つの大きなピーク形状の信号にすることができる。それにより、検出信号をノイズ成分と区別し、正しく評価することが可能となる。
【0052】
もちろん、イオン移動度に応じてイオンを分離したあとに質量電荷比に応じてさらにイオンを分離するイオン移動度-質量分析装置でも、イオン検出部に入射する時点での同一種のイオンの時間幅に比べてイオン検出部の応答時間が短いために同様の問題が生じる場合には、本発明を適用できることが明らかである。
【0053】
また、上記実施例や変形例はいずれも本発明の一例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜修正、変更、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【符号の説明】
【0054】
1…イオン化部
2…イオントラップ
3…マルチターン型質量分離部
4、14…イオン検出部
41…マイクロチャンネルプレート(MCP)
42…アノード
43…電源部
44…増幅器
5…平滑化部
5A、5B…ローパスフィルタ
6…波形整形時間調整部
7…制御部
8…入力部
12…シャッタゲート
13…イオンドリフト部