(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-03-14
(45)【発行日】2022-03-23
(54)【発明の名称】タングステン酸化物の置換元素の選択方法、置換タングステン酸化物の製造方法
(51)【国際特許分類】
C01G 41/00 20060101AFI20220315BHJP
G06N 7/00 20060101ALI20220315BHJP
【FI】
C01G41/00 A
G06N7/00
(21)【出願番号】P 2018063180
(22)【出願日】2018-03-28
【審査請求日】2020-10-20
(73)【特許権者】
【識別番号】000183303
【氏名又は名称】住友金属鉱山株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100107766
【氏名又は名称】伊東 忠重
(74)【代理人】
【識別番号】100070150
【氏名又は名称】伊東 忠彦
(72)【発明者】
【氏名】吉尾 里司
【審査官】印出 亮太
(56)【参考文献】
【文献】特開2018-002560(JP,A)
【文献】特開2018-002561(JP,A)
【文献】特開2016-029165(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第103708558(CN,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C01G 41/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
タングステン酸化物A
aWO
3(原子Aはアルカリ金属 0<a≦0.33)のタングステン、及び酸素の少なくとも一方の一部を、置換元素で置換した、一般式A
aW
1―xM
xO
3-yN
yで表される置換タングステン酸化物の置換元素の選択方法であって、
前記タングステンを置換する置換元素M、及び前記酸素を置換する置換元素Nの少なくとも一方について置換元素の候補である候補元素を選択する置換元素選択工程と、
前記タングステン及び前記酸素の少なくとも一方を前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物の評価を行う表面と、前記表面を曝露する曝露雰囲気と、の界面の初期の構造状態である初期界面構造を規定する界面状態規定工程と、
第一原理分子動力学法により、前記初期界面構造からの界面の構造状態の変化を追跡し、前記原子Aの、前記表面から、前記曝露雰囲気への移動過程を計算する計算工程と、
前記計算工程での計算結果に基づいて、前記候補元素を、タングステン酸化物の置換元素として選択するか否かを選択する選択工程と、を有
し、
前記選択工程では、前記原子Aの、前記表面から前記曝露雰囲気への移動過程について、前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物と、前記候補元素による置換を行っていない無置換タングステン酸化物とを比較して、
前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物の方が、前記無置換タングステン酸化物よりも前記原子Aが脱離しにくくなっていた場合に、前記候補元素を前記タングステン酸化物の置換元素として選択するタングステン酸化物の置換元素の選択方法。
【請求項2】
前記計算工程において、前記第一原理分子動力学法として加速分子動力学法を用いる請求項1に記載のタングステン酸化物の置換元素の選択方法。
【請求項3】
前記選択工程では、前記原子Aが前記曝露雰囲気中を、評価を行った前記表面と垂直な方向に移動するために必要となる移動エネルギーについて、
前記
候補元素により置換した置換タングステン酸化物の方が、前記候補元素による置換を行っていない
前記無置換タングステン酸化物よりも高くなる場合に、前記候補元素を
前記タングステン酸化物の置換元素として選択する請求項1または請求項2に記載のタングステン酸化物の置換元素の選択方法。
【請求項4】
前記選択工程では、前記原子Aが前記曝露雰囲気中を、評価を行った前記表面と垂直な方向に予め設定した距離を移動するまでに要する移動時間について、
前記
候補元素により置換した置換タングステン酸化物の方が、前記候補元素による置換を行っていない
前記無置換タングステン酸化物よりも長くなる場合に、前記候補元素を
前記タングステン酸化物の置換元素として選択する請求項1または請求項2に記載のタングステン酸化物の置換元素の選択方法。
【請求項5】
前記曝露雰囲気が水雰囲気である請求項1~請求項4のいずれか1項に記載のタングステン酸化物の置換元素の選択方法。
【請求項6】
請求項1~請求項5のいずれか一項に記載のタングステン酸化物の置換元素の選択方法により置換元素を選択する置換元素選択工程と、
前記置換元素選択工程により選択された置換元素により置換した置換タングステン酸化物を合成する合成工程と、を有する置換タングステン酸化物の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、タングステン酸化物の置換元素の選択方法、置換タングステン酸化物の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車やビルの窓に用いられるガラス等の窓材には、室内の温度上昇を抑制するために、可視領域の光を透過し、かつ熱線とよばれる近赤外領域の光を遮蔽する熱線遮蔽機能を有することが求められている。熱線遮蔽機能を有する窓材とする方法として、可視領域の光を透過し、近赤外領域の光を吸収する特性を備えた材料を用いて日射遮蔽体を形成し、窓材中または窓材の表面に配置する方法が知られている。
【0003】
日射遮蔽体等に用いられる日射遮蔽材料としては、ITO(Indium Tin Oxide)や、ATO(Antimony Tin Oxide)、LaB6、タングステン酸化物等が知られている。
【0004】
そして、例えば特許文献1にはCs0.33WO3などのタングステン酸化物微粒子が日射遮蔽体形成用の材料として提案されている。Cs0.33WO3などのタングステン酸化物は、日射遮蔽材料の中でも、高い可視光透明性と、高い近赤外光の遮蔽特性(熱線遮蔽特性)とを有する優良な材料であり、工業的にも広く使用されている。
【0005】
しかしながら、例えば非特許文献1によるとCs0.33WO3には大気中や樹脂中の水分と反応してCsが脱離し、その結果として光学特性が変化し、透過プロファイルが安定しないという課題がある。そのため、タングステン酸化物の可視光透明性と熱線遮蔽特性を維持したまま、水等の各種曝露雰囲気に対する耐久性、例えば耐候性を高めた材料が求められている。
【0006】
一般に多くの材料において、ある元素を別の元素により置換することで、耐候性などの一部の特性を向上させる試みが行われている。このため、タングステン酸化物についてもタングステン酸化物中のある元素を、別の置換元素により置換することで耐候性を向上させることが考えられる。
【0007】
しかしながら、タングステン酸化物について耐候性を向上させる置換元素を実験的に探索するには、候補元素選定、合成方法の検討、合成試験、微粒子分散試験、微粒子分散体としての評価、耐候性試験というステップが必要になる。とりわけ、候補元素によりタングステン酸化物のタングステン等を置換した化合物を得ることは容易ではなく、数多くの合成試験を繰り返す必要がある。そのため、望ましい特性を示す添加元素を実験的に探索していくことは、膨大なコスト・時間を要する。
【0008】
そこで、実験を行わずに予め耐候性が向上する可能性の高い元素を予測し、絞り込んでおくことが考えられる。例えば、特許文献2には第一原理計算により水分子の吸着エネルギーと水分子を吸着させた際の浮き上がり量を算出して、置換元素を選択する複合タングステン酸化物の置換元素の選択方法が提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【文献】特開2005-187323号公報
【文献】特開2018-2560号公報
【非特許文献】
【0010】
【文献】K. Adachi, Y. Ota, H. Tanaka, M. Okada, N. Oshimura, and A. Tofuku, J. Appl. Phys., 2013, Vol.114, Issue19, P.194304
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
特許文献2に開示された複合タングステン酸化物の置換元素の選択方法は、脱離過程の初期過程である水分子の吸着に着目した評価を用いており、計算量を抑制しながら精度よく置換元素を選択することができる。
【0012】
ただし、特に選択精度を高める観点から、曝露雰囲気に含まれる原子または分子の成分がタングステン酸化物の表面に吸着後の過程についても検討可能な新たなタングステン酸化物の置換元素の選択方法が求められる。
【0013】
そこで上記従来技術が有する問題に鑑み、本発明の一側面では、曝露雰囲気に含まれる成分がタングステン酸化物の表面に吸着した後の過程も含めて評価し、タングステン酸化物の置換元素を選択できる、タングステン酸化物の置換元素の選択方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するため本発明の一態様によれば、
タングステン酸化物AaWO3(原子Aはアルカリ金属 0<a≦0.33)のタングステン、及び酸素の少なくとも一方の一部を、置換元素で置換した、一般式AaW1―xMxO3-yNyで表される置換タングステン酸化物の置換元素の選択方法であって、
前記タングステンを置換する置換元素M、及び前記酸素を置換する置換元素Nの少なくとも一方について置換元素の候補である候補元素を選択する置換元素選択工程と、
前記タングステン及び前記酸素の少なくとも一方を前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物の評価を行う表面と、前記表面を曝露する曝露雰囲気と、の界面の初期の構造状態である初期界面構造を規定する界面状態規定工程と、
第一原理分子動力学法により、前記初期界面構造からの界面の構造状態の変化を追跡し、前記原子Aの、前記表面から、前記曝露雰囲気への移動過程を計算する計算工程と、
前記計算工程での計算結果に基づいて、前記候補元素を、タングステン酸化物の置換元素として選択するか否かを選択する選択工程と、を有し、
前記選択工程では、前記原子Aの、前記表面から前記曝露雰囲気への移動過程について、前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物と、前記候補元素による置換を行っていない無置換タングステン酸化物とを比較して、
前記候補元素により置換した置換タングステン酸化物の方が、前記無置換タングステン酸化物よりも前記原子Aが脱離しにくくなっていた場合に、前記候補元素を前記タングステン酸化物の置換元素として選択するタングステン酸化物の置換元素の選択方法を提供する。
【発明の効果】
【0015】
本発明の一態様によれば、曝露雰囲気に含まれる成分がタングステン酸化物の表面に吸着した後の過程も含めて評価し、タングステン酸化物の置換元素を選択できる、タングステン酸化物の置換元素の選択方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1】実施例1におけるタングステン酸化物であるCs
0.33WO
3の(001)面と水分子との初期界面構造を含むセルの斜視図。
【
図2】
図1において面a側からY軸に沿って見たタングステン酸化物であるCs
0.33WO
3の(001)面と水分子との初期界面構造を含むセルの説明図。
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下、本発明を実施するための形態について説明するが、本発明は、下記の実施形態に制限されることはなく、本発明の範囲を逸脱することなく、下記の実施形態に種々の変形および置換を加えることができる。
【0018】
本発明の発明者は、曝露雰囲気に含まれる成分がタングステン酸化物の表面に吸着した後の過程も含めて評価し、タングステン酸化物の置換元素を選択できる、タングステン酸化物の置換元素の選択方法について検討を行った。
【0019】
そして、係るタングステン酸化物の置換元素の選択方法には、タングステン酸化物の表面と、タングステン酸化物の表面が曝露する曝露雰囲気との界面における、タングステン酸化物の表面からの原子の脱離プロセスのシミュレーション方法が必要になると考えられる。このため、係るシミュレーション方法について鋭意検討した。その結果、密度汎関数理論に基づく第一原理計算により界面からの原子脱離プロセスを追跡する方法が最も効率的であるとの考えに至った。
【0020】
通常、第一原理計算で反応を解析する場合にはNEB法(Nudged Elastic Band法)などが用いられる。この方法は始状態の原子配置と終状態の原子配置を決めたうえで、反応パス、反応エネルギーを計算する手法である。しかし、界面反応においては複数の分子が反応に関与するため、始状態、終状態を一点に決めることは困難である。また、1点に決める場合、その決め方や構造に依存して、反応パスやエネルギーが変化してしまうという問題がある。
【0021】
このような複数の原子からなる複雑な過程を始状態、終状態を一点に決めずに計算する方法として、古典分子動力学法の計算の手法が知られている。古典分子動力学法は原子間に働く力を力場として表現し、ニュートンの運動方程式を解くことで、原子位置の時間発展を追跡する手法である。古典分子動力学法によれば、始状態、終状態を予め1点に決めることなく脱離パスを追跡し、評価することが可能になる。しかしながら、古典分子動力学法の計算に用いられる力場の多くは有機材料及び典型元素を対象としたものであり、タングステン酸化物などの重い元素を含むものについては古典分子動力学法の計算の基本となる力場が存在しないか、あるいは精度が低いという問題がある。また、置換元素の力場も存在しないか精度が低いケースがほとんどであり、置換元素による影響もその力場に強く依存する。そのため、置換元素を探索するという目的において、古典分子動力学法は有効な手法でない。
【0022】
力場を用いることなく、原子の軌跡を追跡する手法として第一原理分子動力学法が提案されている。これは量子力学的に原子に働く力を求め、ニュートンの運動方程式を解くため、力場を必要としない。そのため、任意の元素に対して計算可能な手法である。そこで、本発明の発明者は第一原理分子動力学法を用いた、タングステン酸化物の置換元素の選択方法を発明するに至った。
【0023】
本実施形態のタングステン酸化物の置換元素の選択方法はタングステン酸化物のタングステン、及び酸素の少なくとも一方の一部を、置換元素で置換した、置換タングステン酸化物の置換元素の選択方法に関し、以下の工程を有することができる。
なお、タングステン酸化物は、AaWO3(原子Aはアルカリ金属 0<a≦0.33)で表すことができる。また、置換タングステン酸化物は、一般式AaW1―xMxO3-yNyで表される。
【0024】
タングステンを置換する置換元素M、及び酸素を置換する置換元素Nの少なくとも一方について、置換元素の候補である候補元素を選択する置換元素選択工程。
タングステン、及び酸素の少なくとも一方を、置換元素選択工程において選択した候補元素により置換した置換タングステン酸化物の評価を行う表面と、置換タングステン酸化物の評価を行う表面を曝露する曝露雰囲気と、の界面の初期の構造状態である初期界面構造を規定する界面状態規定工程。
第一原理分子動力学法により、初期界面構造からの界面の構造状態の変化を追跡し、原子Aの、表面から、曝露雰囲気への移動過程を計算する計算工程。
計算工程での計算結果に基づいて、計算に供した候補元素をタングステン酸化物の置換元素として選択するか否かを選択する選択工程。
【0025】
以下、各工程について説明する。
(置換元素選択工程)
既述の様にタングステン酸化物は、AaWO3(原子Aはアルカリ金属 0<a≦0.33)で表される。そして、タングステン酸化物のタングステン(W)、及び酸素(O)の少なくとも一方を置換元素で置換することで、一般式AaW1―xMxO3-yNyで表される置換タングステン酸化物とすることができる。なお、係る一般式中のxは0≦x<0.2を、yは0≦y<0.2を満たすことが好ましく、xは0≦x≦0.1を、yは0≦y≦0.1を満たすことがより好ましい。また、タングステンと酸素とのいずれか一方は置換されることになるため、0<x+yを満たすことが好ましい。
【0026】
そして、置換元素選択工程では、タングステンを置換する置換元素M、及び酸素を置換する置換元素Nの少なくとも一方について、置換元素の候補である候補元素を選択することができる。なお、タングステンと、酸素とを同時に置換する場合には候補元素は複数となる。
(界面状態規定工程)
本工程では、置換元素選択工程において選択した候補元素により、タングステン、及び酸素の少なくとも一方を置換した置換タングステン酸化物の評価を行う表面と、係る表面を曝露する曝露雰囲気と、の界面の初期の構造状態である初期界面構造を規定することができる。
【0027】
界面状態規定工程は、後述する計算工程に供する始状態の各原子位置を規定するための工程である。
【0028】
初期界面構造は以下の手順により規定することができる。
【0029】
まず、置換タングステン酸化物の曝露雰囲気に曝露する表面を決定する。なお、ここでは例えば置換タングステン酸化物の評価を行いたい結晶面を、曝露雰囲気に曝露する表面として選択することができる。
【0030】
そして、置換タングステン酸化物の表面側の構造は以下の手順に決定できる。まず、決定した曝露する表面に相当する面が最表面に位置するように、置換を行っていない無置換タングステン酸化物AaWO3の構造をその結晶構造に応じて決定する。そして、置換元素選択工程で選択した候補元素によりタングステン、及び酸素の少なくとも一方の原子の一部を置換し、置換タングステン酸化物の構造を決定することができる。
【0031】
そして、曝露雰囲気側については、曝露雰囲気の気体原子(分子)をランダムに配置させることができる。なお、曝露雰囲気の種類については特に限定されず、置換タングステン酸化物の耐久性を評価したい雰囲気を選択することができる。例えば水雰囲気や、酸素雰囲気、窒素雰囲気等の各種気体の雰囲気を選択できる。タングステン酸化物は特に水分と反応し、劣化しやすいことから、曝露雰囲気として水雰囲気を選択することが好ましい。また、気体だけに限定されず、例えば溶媒成分に対する耐久性等を評価する場合には曝露雰囲気として溶媒による雰囲気を選択することもできる。
【0032】
上述のように各原子位置を決定した後、さらに分子動力学法により一定時間の計算を行い、各原子の安定位置を求め、初期界面構造とすることもできる。
(計算工程)
計算工程では、第一原理分子動力学法により、界面状態規定工程で規定した初期界面構造からの界面の構造状態の変化を追跡し、原子Aの、置換タングステン酸化物の表面から、曝露雰囲気への移動過程、すなわち脱離過程を計算することができる。
【0033】
ところで、第一原理分子動力学法は量子力学的な計算を行うため、その計算コストが非常に高い。そのため、長時間の現象を計算することは非現実的である。一般に反応速度は以下の式(1)に示したアレニウスの式で表される。
【0034】
【数1】
式(1)中、Aは頻度因子、k
Bはボルツマン定数、ΔEは反応の障壁エネルギー、Tは温度をそれぞれ表している。
【0035】
そのため、系の温度が低く、かつ反応の障壁エネルギーが高い場合は反応の進行には長時間を要する。第一原理分子動力学法の計算で扱える計算時間はピコセカンド(ps)程度であるため、psよりも長い反応時間を要する反応については第一原理分子動力学計算で計算できる時間オーダーでは反応が発生せず、原子Aの移動過程を十分に追跡できない恐れがある。
【0036】
そこで、タングステン酸化物表面から曝露雰囲気への原子Aの移動過程に長い反応時間を要する場合や、計算に要する時間を短縮する必要がある場合には、計算工程において、第一原理分子動力学法として加速分子動力学法を用いることが好ましい。
【0037】
このように加速分子動力学法を用いることで、タングステン酸化物表面から曝露雰囲気への原子Aの移動過程をより短い時間で、例えば少なくともpsオーダーで発生させることが可能になる。
【0038】
用いる加速分子動力学法としては特に限定されないが、予めブーストポテンシャルを加えておくハイパーダイナミクスや、原子に外場を加えて反応進むようにするSteered Molecular Dynamics、時間とともにバイアスポテンシャルを付加するmetadynamics等を用いることができる。特に、metadynamicsは徐々にポテンシャルを加えていくことができ、少ない仮定で計算できるため好ましく用いることができる。
【0039】
加速分子動力学法として、metadynamicsを用いる場合、反応の付加的なポテンシャルは時間と履歴に依存し、原子が同じ場所に留まらないようなポテンシャルが望ましく、例えば、以下の式(2)の形のポテンシャルを追加すること望ましい。
【0040】
【数2】
ここで、式(2)中のhは付加するポテンシャルの高さ、ξは反応座標、ξ(t')は時刻tまでに既に到達した反応座標、ωは付加するポテンシャルの幅に相当にする。ξは移動プロセスの進行方向を表すように選択することが望ましい。移動プロセスの進行方向は、例えば、表面と曝露雰囲気の界面がXY面にある場合、表面と垂直方向であるZ軸方向に当たるZ座標にとることが望ましい。このポテンシャルにより、原子Aの反応座標は同じ個所に留まり難くなり、結果として、化学反応を短時間で発生させることが可能になる。
(選択工程)
選択工程では、計算工程での計算結果に基づいて、計算に供した置換元素の候補である候補元素を、タングステン酸化物の置換元素として選択(採用)するか否かを選択することができる。
【0041】
例えば、置換を行っていない無置換タングステン酸化物AaWO3を用いている点以外は同様の条件で、既述の界面状態規定工程、計算工程を実施し、無置換タングステン酸化物について評価を予め行っておくことができる(無置換タングステン酸化物計算工程)。すなわち原子Aの、無置換タングステン酸化物の表面から、曝露雰囲気への移動過程を評価しておくことができる。
【0042】
この場合、選択工程では、原子Aの、無置換タングステン酸化物の表面から曝露雰囲気への移動過程と、置換タングステン酸化物の表面から曝露雰囲気への移動過程とを比較することができる。そして、置換タングステン酸化物の方が、原子Aが脱離しにくくなっていた場合に置換タングステン酸化物で用いた候補元素を、タングステン酸化物の置換元素として選択することができる。
【0043】
置換タングステン酸化物の方が、原子Aが脱離しにくくなっていることの判断指標は特に限定されないが、例えば原子Aが脱離する際の移動エネルギーや、移動速度を判断指標として用いることができる。
【0044】
例えば、選択工程では、原子Aが曝露雰囲気中を、評価を行った表面と垂直な方向に移動するために必要となる移動エネルギーについて、置換タングステン酸化物の方が、候補元素による置換を行っていない無置換タングステン酸化物よりも高くなる場合に、計算に供した候補元素をタングステン酸化物の置換元素として選択できる。
【0045】
また、例えば選択工程では、原子Aが曝露雰囲気中を、評価を行った表面と垂直な方向に予め設定した距離を移動するまでに要する移動時間について、置換タングステン酸化物の方が、候補元素による置換を行っていない無置換タングステン酸化物よりも長くなる場合に、計算に供した候補元素をタングステン酸化物の置換元素として選択できる。
【0046】
なお、移動時間を指標とする場合の、評価を行った表面と垂直方向の予め設定した距離の大きさは特に限定されないが、例えば0.5Å以上3Å以下とすることができる。これは0.5Å以上とすることで、有意な距離の移動を確認でき、3Å以下とすることで計算コストを抑制できるからである。
【0047】
また、移動エネルギーを指標とする場合についても、例えば評価を行った表面と垂直方向の予め設定した距離を移動するのに要した移動エネルギーを比較することもできる。この場合の、評価を行った表面と垂直方向の予め設定した距離の大きさについても、移動時間を指標とする場合と同様の範囲とすることができる。
【0048】
本実施形態のタングステン酸化物の置換元素の選択方法はさらに任意の工程を有することもできる。
【0049】
例えば繰り返し工程を有することができ、繰り返し工程では、例えば置換元素選択工程と、界面状態規定工程と、計算工程と、選択工程とを繰り返し実施することができる。
【0050】
繰り返し工程では、既述の置換元素選択工程で選択する、評価に供する候補元素の種類を替え、界面状態規定工程と、計算工程と、選択工程とを繰り返し実施することができる。繰り返し実施することで、複数の候補元素について評価することができる。
【0051】
また、例えば評価を行った候補元素のうち、選択した曝露雰囲気に対する耐久性を最も高めることができる候補元素を選択することもできる。この場合、各置換元素についての計算工程での計算結果を比較し、最も原子Aが脱離しにくくなっていた置換タングステン酸化物で用いた候補元素を、選択した曝露雰囲気に対する耐久性を最も高めることができる置換元素として選択できる。
【0052】
以上に説明した本実施形態のタングステン酸化物の置換元素の選択方法によれば、第一原理分子動力学法を採用することで、終状態の原子配置等界面の反応パスの詳細を規定することなく、簡便にタングステン酸化物の表面からの原子の移動過程を評価することができる。このため、曝露雰囲気に含まれる成分がタングステン酸化物の表面に吸着した後の過程も含めて評価し、曝露雰囲気に対する耐久性を高めることができるタングステン酸化物の置換元素を選択することが可能になる。
[置換タングステン酸化物の製造方法]
本実施形態の置換タングステン酸化物の製造方法は、以下の工程を有することができる。
【0053】
既述のタングステン酸化物の置換元素の選択方法により置換元素を選択する置換元素選択工程。
置換元素選択工程により選択された置換元素により置換した置換タングステン酸化物を合成する合成工程。
【0054】
置換元素選択工程については既述のタングステン酸化物の置換元素の選択方法により実施することができるため、ここでは説明を省略する。
【0055】
合成工程では、上述のように置換元素選択工程により選択された置換元素により置換された置換タングステン酸化物を合成することができる。
【0056】
合成工程における置換タングステン酸化物の具体的な合成方法は特に限定されるものではなく、選択した置換元素に応じて任意の方法を選択することができる。
【0057】
なお、置換タングステン酸化物を合成する際の、選択した置換元素M、置換元素Nによる置換量は特に限定されるものではないが、例えば置換タングステン酸化物の一般式AaW1-xMxO3―yNy中のxが0≦x<0.2、yが0≦y<0.2であることが好ましい。特に、結晶構造をより確実に維持するために、置換タングステン酸化物の置換量xは、0≦x≦0.1、置換量yは0≦y≦0.1とすることがより好ましく、特に置換量x、yは0.1程度とすることがさらに好ましい。なお、タングステンと酸素とのいずれか一方は置換されることになるため、0<x+yを満たすことが好ましい。
【0058】
合成工程で合成した、置換タングステン酸化物は、例えば所望の粒径となるように粉砕し、各種用途に用いることができる。例えば熱線遮蔽膜等の用途に用いる場合であれば粒径がナノメートルオーダーのナノ粒子として、透明樹脂等に分散して、熱線遮蔽膜や、合わせガラスとすることができる。また、必要に応じて置換していない無置換複合タングステン酸化物や他の熱線遮蔽材料と混合して用いることもできる。
【0059】
以上に説明した本実施形態のタングステン酸化物の製造方法によれば、従来の置換していないタングステン酸化物と比較して、可視光透明性と、熱線遮蔽特性は維持したまま、曝露雰囲気に対する耐久性を向上させたタングステン酸化物を得ることができる。このため、該置換したタングステン酸化物を用いることで、従来よりも曝露雰囲気に対する耐久性、例えば耐候性に優れた熱線遮蔽特性を有するガラス(合わせガラス)等を提供することが可能になる。
【実施例】
【0060】
以下、実施例を参照しながら本発明をより具体的に説明する。但し、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
[実施例1]
本実施例ではタングステン酸化物であるCs0.33WO3を、H2Oに曝露した際の、Csの脱離反応を抑制することができる、すなわち水に対する耐久性(耐候性)を向上させることができる置換元素を検討した。従って、曝露雰囲気としては水雰囲気(H2O雰囲気)となる。
【0061】
タングステン酸化物の(001)面に着目し、すなわち(001)面を曝露雰囲気に曝露する表面とした。
【0062】
まず、比較のために無置換タングステン酸化物計算工程として、置換を行っていない無置換タングステン酸化物のH2O雰囲気に曝露した際のCs原子の移動過程(脱離過程)について評価を行った。なお、無置換タングステン酸化物計算工程では、界面状態規定工程と、計算工程を実施することになる。
【0063】
(001)面が最表面に位置するように、置換を行っていない無置換タングステン酸化物Cs0.33WO3の構造をその結晶構造に応じて決定した。
【0064】
そして、曝露雰囲気側については、曝露雰囲気の気体原子(分子)である水分子をランダムに配置させた。
【0065】
これにより、
図1、
図2に示すように、Cs原子11と、W原子12と、O原子13と、H
2O分子14とが配置された構造を規定した。
図1は規定したセルの斜視図を示しており、
図2は
図1に示したセルについて面a側からY軸に沿って見た図を示している。なお、周期境界条件を用いて計算していることから、
図1、
図2中、セルの上端と、下端とはつながっているため、Cs原子11が上端部にも位置している。
図1、
図2中、タングステン酸化物の表面はXY平面となっており、固体表面と垂直な方向がZ軸方向となる。
図1、
図2に示したセル内全体で150原子としてあり、その後500Kで0.5fs×1000step=500fs間分子動力学計算を行い、その構造を初期界面構造として決定した。
【0066】
なお、第一原理計算には平面波基底第一原理計算ソフトVASP(Vienna ab initio simulation package)を用い、平面化のカットオフは400eV、k点は2×2×1とした(界面状態規定工程)。
【0067】
そして、Csの脱離に要するエネルギーが高いため、第一原理分子動力学法として加速分子動力学法を用い、初期界面構造からの界面の構造状態の変化を追跡し、選択した固体表面から、曝露雰囲気へのCs原子の移動過程を計算した(計算工程)。
【0068】
計算に当たって第一原理計算のソフトとしては平面波基底第一原理計算ソフトVASP(Vienna Ab initio Simulation Package)を用い、加速分子動力学法としてはmetadynamicsを用いた。
【0069】
そして、Cs原子にZ軸方向に、無置換タングステン酸化物の表面に垂直な方向である
図1中の上下方向に、バイアスポテンシャルを加えることとした。10stepごとにバイアスポテンシャルを印可し、バイアスポテンシャルの大きさhは0.02eV、バイアスポテンシャルの幅ωはセルサイズの0.005倍とし、計算時間は0.5fs×1000stepとし、系の温度は500Kとした。
【0070】
次に、置換タングステン酸化物について計算を行った。
【0071】
まず、タングステンを置換する置換元素Mの候補元素として、モリブデン(Mo)を選択した(置換元素選択工程)。
【0072】
そして、
図1、
図2に示した無置換タングステン酸化物の表面のW原子12のうち、W原子12A、12Bの2原子をモリブデン(Mo)原子で置換したものを用いた点以外は、無置換タングステン酸化物計算工程の場合と同様に分子動力学計算を500fs間行った。分子動力学計算後に得られた構造を初期界面構造とした(界面状態規定工程)。
【0073】
上記初期界面構造を用いた点以外は、無置換タングステン酸化物計算工程の場合と同様にして計算工程を実施した(計算工程)。
【0074】
次に、Cs原子が、曝露雰囲気中を、タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた位置に移動するまでに要する移動時間を、モリブデンで置換した置換タングステン酸化物の場合の計算結果と、無置換タングステン酸化物の場合の計算結果とで比較した。
【0075】
その結果、無置換タングステン酸化物の場合、720step(=360ps)で、無置換タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた地点に到達した。そして、その後も、曝露雰囲気である水雰囲気への移動を続けた。
【0076】
一方、モリブデンで置換した場合、1000step(=500ps)計算後も、置換タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた地点に到達しなかった。
【0077】
そのため、モリブデンを水に対する耐久性(耐候性)が向上する置換元素として選択した(選択工程)。
[実施例2]
置換元素選択工程において、タングステンを置換する置換元素Mの候補元素として、レニウム(Re)を選択した点以外は実施例1と同様にしてタングステン酸化物の置換元素の選択方法を実施した(繰り返し工程)。
【0078】
その結果、レニウムで置換した場合、690step(=345ps)で置換タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた地点に到達した。そして、その後も、曝露雰囲気である水雰囲気への移動を続けた。
【0079】
すなわち、レニウムで置換した置換タングステン酸化物は、無置換タングステン酸化物よりも速く0.6Å移動することを確認できた。
【0080】
そのため、レニウムは水に対する耐久性(耐候性)が向上する置換元素として選択されなかった(選択工程)。
[実施例3]
置換元素選択工程において、酸素を置換する置換元素Nの候補元素として、フッ素(F)を選択した点、及び選択工程において曝露雰囲気中を、タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた位置に移動するまでに要するエネルギー量を基準に選択した以外は実施例1と同様にしてタングステン酸化物の置換元素の選択方法を実施した。
【0081】
その結果、無置換タングステン酸化物計算工程で算出した、無置換タングステン酸化物の場合、タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた位置に移動するまでに要するエネルギー量は0.05eVであった。
【0082】
一方、酸素をフッ素で置換した置換タングステン酸化物の場合、タングステン酸化物の表面と垂直な方向に0.6Å離れた位置に移動するまでに要するエネルギー量は0.2eVであった。
【0083】
そのため、フッ素を水に対する耐久性(耐候性)が向上する置換元素として選択した(選択工程)。